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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ナルキッソスの憂い

2007-01-24 17:19:25 | よしなしごと
 庭の水仙が咲いた。
 さして広くない庭の4カ所ぐらいに生えてくる。
 何の手入れもしないので、野生児そのままの水仙である。

 それでも年毎に様相が変わって、今年は花のつぼみが多い。
 やはり暖冬のせいだろうか。

        

 水仙というと思い出すのはギリシャ神話のナルキッソスの物語だが、ざっと読むと、このナルキッソス、とても自己顕示の強い奴に思われそうだがそうではない。
 彼は他者に対して己を誇示したのではなく、文字通り自己を対象として自己陶酔(ナルシシズム)をしたのであった。要するに、そこには、他者との関わりが欠落していて、それ故の植物化とも読めるのである。

       
       カラヴァッジョによるナルキッソス

 そう言えばそのナルキッソス、その前には、彼を愛しながら彼の言葉を繰り返すことしかできないニンフのエコーを振ってしまったという前歴があり(エコーはそれを哀しむあまり、姿を消して声だけ、つまりコダマになってしまった)、それを併せ読むと、「聴くこと」「視ること」においての他者の欠落という、なんかツボにはまった話になるのだが、その辺の深追いはよして花を楽しむにとどめよう。


 以下は、まだ蕾のもの二題

      

         

 おまけ:一ヶ月以上遅れて咲くラッパ水仙。まだ発芽したばかり

      

私もしばしば、自分の容姿にうっとりすることがありますが、水仙に変えられないのは、それが単なる自己陶酔ではなく、自他共に認めるものだからでしょうか。
コメント (1)
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