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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

長良川の冬と神様の格差社会

2007-01-02 02:32:45 | よしなしごと
 1月1日、恒例化している老母を囲んでの一族郎党の新年会に、長良河畔のホテルへ行く。
 老母は至って元気、声を張り上げて新年の挨拶を一席ぶつ。
 この分なら市会議員ぐらいに立候補できそうだ。92歳の議員がいたって面白いではないか。

 長良河畔で拾った光景。
 まずはどこかの空手道場の寒稽古。声を張り上げて水中で型を演じる。見ているこちらが震え上がりそうだ。



 鵜飼舟である。シーズンが終わり、厳重に防護されて舫ってある。かがり火が焚かれ、鵜匠が鵜を操り、船端を叩いて鵜を励ます船頭たちの声、それら全てが今はひっそりと包み込まれてある。
 それぞれの舟に置かれた松飾りが、これが鵜舟であることを示している。

   

  しばらく行くと舟だまりがあり、ここでは屋形船が肩を寄せ合うようにして、シーズンの到来を待っている。

   

  少し足を延ばして、岐阜の総産土神であるイナバウアーならぬ伊奈波神社に(出たっ、今年最初のオジン・ギャグ!)、初詣というより冷やかしに行くことにする。
 何度も来ているが、初詣はいつも手近なところですませているので初めてだ。
 この参道の人混み、テキ屋の兄ちゃんたちはこの時とばかりに声を張り上げ、人気の食い物屋では行列が出来ている。



 拝殿前はとくにひどい。人、人、人。拝殿に辿り着くまでに相当の待ち時間がある。それほどまでにして願うこともないので、この太鼓橋のところで引き返す。



 バスで自宅近くで降り、よく散歩に行く近くの鎮守様の前を通りかかったら、ご覧のように閑散として人影もない。
 神様ンところでも、格差社会は浸透し、歴然としているようだ。

 

 かつては、ここも初詣でかなり賑わっていたのだが、地域社会の分散化により、今は爺婆だけが参拝するのだろう。
 かくいう私も、「今年も散歩に来るから宜しく」と、軽く黙礼をして通り過ぎたのだった。
コメント
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