怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

運動嫌いの私は健康にもっともっと気をつけなければならない・・・

2018年05月18日 | 怠惰
葬儀屋の前にこんな瀟洒な乗り物が飾られていた。
ちょいと乗ってみたい衝動に駆られる。いい宣伝だ・・・故人をこれに乗せたい、という発想にはならないだろう。


挨拶する程度の知人にフィットネスクラブの無料体験券をもらった。

今までのこちらの人生で三度ほど、こうした無料体験に行ってみた。
結局、私には全然合わない場所と結論付けることができたのに、またもやこうしたお招きだ。
いや、ちょいとは運動しておかないと、人生の早いうちに上の乗り物にお世話になることになってしまう・・・だれもあの派手な霊柩車(そうじゃあないかもしれないけれど、葬儀屋の前に置かれているとそう思ってしまう)に載せられたいとは思わないだろう!
載らないように、せっせと散歩するとか自宅で筋トレだな。
わざわざ交通費やガソリンを使って運動する場所に行って、室内で他人の吐く息を吸って激しく運動するのはごめんだ。
ただ、サウナが使えるというところだけには魅せられる。
経済的余裕を持てるようになったら、通ってみたい、ともちょいと思う。お金の余裕・・・うーん、そんな日が来るとは到底思えない。この同居生活だものねぇ・・・


ドイツ人女性と結婚したいイスラム教徒も断食月を守っている。

2018年05月18日 | ドイツ生活の外国
全世界のイスラム教徒の断食月が始まった。

こんな画像が私に送られてきた。ドイツ語で書かれている。大きく「ラマダン」とある下の単語の意味は何だろう。
「Vergebung」辞書には」1赦し、容赦、2授与、譲与ってある。1の意味ってとてもキリスト教的な印象。もしかして、2?
イエスの行った奇跡や処女懐胎、三位一体の神など御伽噺のような物事を受け入れなければならないキリスト教と違い、イスラムはかなり簡単だ。
理解は簡単だけれど、ひと月にも及ぶ日中の飲食を断たなければならない義務はいささかきついかな。一神教はどれも難しい面が多すぎる。

アフガニスタン人難民のSさんも「明日から断食だ」とちょいと憂鬱そうな、でも張り切っているような、どちらとも取れる口調で私に話しかけてきた。
「ドイツ人女性と結婚したいです」
彼の結婚願望はよく知っている。ひと月まえには日本人女性じゃあなかったかい?そう揶揄したくなったところを抑えて尋ねてみた。
「結婚する彼女にはイスラム教徒になってもらいたいでしょう」
彼の答えはこうだった。
「いえ、信仰は個人の自由です」
この答えには驚いた。私の知る限り、イスラム教徒と結婚する多くの女性は改宗しているからだ。
「では、宗教の異なる二人の間にできた子供たちはどうしますか」
この答えにも「子供自身が選ぶべきです。イスラムは強制させる宗教ではありません」
そういえば、ここドイツで何組かの異教徒夫婦を知っている。旦那さんはイスラム教徒、ドイツ人の奥さんはキリスト教徒。
Sさんはそんな夫婦をもっと知っていて、別姓・・・じゃあない、別宗教家庭がうまく行っている例に感化されているのだろう。
「アフガニスタンのご両親はそんな結婚を許さないのでは」とも攻めてみたが、イスラムも地域や個人の考え方に非常に違いがあるようだ。イスラム教徒になってくれれば嬉しいだろうが、強制するものではない、という考え方が根底にあるようだ。

一つ屋根の下、別宗教は苦しいだろうけどね。屋根の下位のレベルだったら折り合いをつけるのが簡単なのかもしれない。
ひとつの国家にイスラムと別宗教が混在する困難は有名すぎる。
ひとつの国家に存在しなくても、わざわざ遠征して喧嘩していた時代もあったことだし。

二週間ほど前に台湾人と一緒に入ったトルコ食堂を外から観察してみた。
この店の親父さんも断食しているのかな。奥さんが店の料理を作っているけれど、彼女は味見もしないのかな?

店のガラスに貼られた献立を見ていたら、こんなのを発見。

ワインがある。アルコール飲料の販売もしているのね。トルコでは普通に酒類が販売されていると読んでいる。
真面目なトルコ人ドイツ語教師がビールを飲んでいたシーンを思い出す。
彼らは「アルコールを酩酊するほど飲んではいけない」と拡大解釈をしているのかもしれない。
それぞれのイスラム信仰方法、万歳。