怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

洗面台が二つある一般家庭の洗面所

2021年04月29日 | 家屋

浴室や洗面所が2か所ある

一般家屋は普通に存在する。

まだ一軒だけしかみたことがないのが

下の画像のような洗面所。

画像は「ラストオブアス」から。

いろいろな住まいを歩き回って

武器や材料を拾い歩く作業をするんだ。

トイレや浴室も入る。

 

これを発見したとき、

あの人のウチとおなじね、

って思ったんだ。

いったい、どういうわけで、

こういう洗面台が作られるのだろう?

家族が同時に洗面台を使う可能性が高いから、

とか、

家族で左右別の場所を決められるように、

などという配慮か。

いずれにせよ、平らな土地が少ない

日本の家屋ではなかなか一般的に

なりそうもないデザインだろう。

 


集合住宅に住む夢

2021年03月24日 | 家屋

普段通らない地域にあった

集合住宅に一目ぼれ。

適度な広さで

庭仕事がない住宅に住みたい・・・

買い物に自転車や徒歩で行ける地域。

ああ、夢のまた夢・・・

 

 

 

 


義父の芸術作品

2021年03月21日 | 家屋

長いこと、

ちょっと不気味に思っているこれ。

屋根裏部屋のドアに

大判ポスターが貼られているんだ。

馬の頭の下に、唇。

屋根裏部屋は、主に義父が

卓球をするために使っているので、

義父がこれを制作したと予想する。

う。

まあ、日常的に目にするものではないから

どうでもいいのだが。

馬の頭部は、

最近、馬に何気に興味を持っているので、

かわいらしくてよろしい。

下の唇部分は視界に入れないよう

努力している。

 

 

 


向かいの家の建築の様子

2021年01月03日 | 家屋

いつもなら、FCブログに

掲載する記事だ。

ドイツの家の建て方ね。

4日午前八時過ぎ、

ドンドンという音が響き渡ったので、

窓から外を見た。

屋外での作業ではなく、

内部で何かをやっているのだろう。

屋内と言えども、

窓ガラスもドアも何もない状態だ。

外気温は1度。

北海道より暖かいドイツだけれど、

外での作業はつらいだろうな。

 

 

 

 


道路工事再開と向かいの家の新築工事が同時に進んでいる

2020年09月22日 | 家屋

二台の工事用車両が写りこんでいるが。

左は道路工事、

右は家を建てるために穴を掘っているところ。

うっほー。

これは偶然なのか、

狙って同時に進行しているのか。

すでに、

道路工事でウチの井戸は

水が出なくなった。

穴を掘っている部分を見に行くと、

水が溜まっている。

ウチはもっと深く掘らないと

水が出てこないということだ。

井戸水枯渇の保障、

自治体はやってくれないのだろうな。

自費で井戸掘りしなくてはならない。

公道新設のために犠牲になったのに。

こうした不合理はどこの世界でもあるものだなっ

 

 


片付けられないドイツ人は多い

2020年05月22日 | 家屋
これは夫の仕事部屋の一角だ。

大量のスーパーのビニール袋が詰まっている机の下。
袋の中にはまだ商品(プラスチック袋の束やビタミン剤)が入っている。
義両親たちはこんな風に育てた覚えが無いのに、こんな風なカオス部屋にしてしまう自分らの息子の様子が不思議でならないらしい。
ドイツにもかなり多くの片付けられない人々がいる。
日本ではヨーロッパ人はすっきりと暮しているというイメージだろうな。フランス人は10着しか服を持たないというテーマの本があったな。そういう人は日本より多いだろうが、日本と同様片付けられないヨーロッパ人も多い、ってことだ。



追記。
いつも「いいね」のクリックをありがとうございます。
「続き希望」にクリックが入っているとその記事内容のその後を書いたほうがいいのか考えてしまいます。
リクエストがあればコメントでお知らせください。書くかどうかはわからないけれど、参考になると思います。



古くささを楽しむ

2019年10月16日 | 家屋
ドイツ人には何気ない光景なのだろう。
私にはこの木製の階段が珍しくて撮影してしまった。歩くとミシミシ言うんだぞっ!街中の方々にこうした建築物があって、ごく普通に住居や事務所として使われている。

窓からの風景も私には珍しい。りす部屋から見える風景は畑と森だもの。
かわいいとも感じる屋根瓦がこんなに近く見える感動。

診療所があった。入り口だけ見ていると、普通の住居に見える。

日本で育った日本人にはひと目で外国の作品とわかる。

テキトーそうに書かれているけれど、本場の人たちにはこれが美しいのだろうな。

似ているようで違う文化。
我々日本人も「欧米」とか言って、ひどいときはアメリカ合衆国と欧州の文化を一緒くたにしてしまう。
フランスとドイツなど隣同士なのに国民性など凄まじく違うし、食べ物にいたっては雲泥の差でドイツが不味いだろうっ


建築現場のちょいといい加減な様子を観察するのは大好きだ。

2019年08月14日 | 家屋
一般家屋や集合住宅の建築はいまだに多い。
ここに来た頃2008年はそういう光景がちょいと珍しかったものだ。

この建物は街のど真ん中。
一階は新しく開店したカフェだった。とても商売は順調だったのに改築することになってしまったんだ。

建物所有者が「改築したい」ってことで店子の都合など考えずにこうなったのかな。
歴史的価値がある建築物は全く新しく造りかえることは禁止されているが、この場合は全部きれいになぎ倒していた。
日本のように厳重な囲いや標識もなく、また、道具やゴミが乱雑になっている建築現場だ。
作業員は上半身裸体のことも多い。何かと脱ぎたがる欧州人だ。
よくこれで事故が起きないな、って思うものだが、たまにクレーン車が倒れちゃったりするからやはり危ないのか?
何事もちょいといい加減なここのやり方に好感を持つことも不快感を持つことも有り。
日本の生活だって、いろいろあったのだから、どこに住んでも同じかもしれない。うん、でもテキトーさにおいてはドイツのほうが上ね。

愛用の公衆トイレ

2019年08月11日 | 家屋
以前にも写真入記事にしたお気に入りトイレ。
街中の役所の建物のひとつにある。一般の人々のために、開所時間中には解放されているんだ。
日本を初め、アジア地域には公衆トイレがたくさん存在するが、欧州は少ない。
膀胱の構造が違うのかもしれないけれど、ドイツ人も旅先などでトイレが少ないことを嘆いているのを聴いたことがある。
しかも、ここのトイレ、日本の一般常識から考えるとあまり衛生的でないことが多い。

ドイツ生活で、遠出、あるいは旅行が億劫に感じるのはトイレの問題も大きい。
夫と車で外出のときは、茂みを利用することさえある。その茂みも、ティッシュがあちこちに散らばっていることが多い。私たち夫婦だけでなく、多くの人々が野トイレに頼っているこの先進国・・・

そんな環境で、お気に入りのトイレを見つけるのは楽しみでもある・・・・
広人としたこのトイレ。

ここで生活できそうな。


日本の日本人以外との会話の仕方はかなり違うこともあると感じる

2019年07月28日 | 家屋
街中の建築物の窓からの風景。
隣近所がとっても近い。実家の生活がこんな感じだった。
隣の住民がお風呂に入っている音、テレビや掃除機の音などが聴こえてきていたが、不快に感じなかったものだ。
窓の近くで着替えたりするのははばかれた。レースのカーテン越しでも通行人から見えるのではないかという不安があったものだ。
ここに住んでからは近所の生活音が聞こえなくてとても淋しく感じた時期があった。
夜に電気を煌々と照らし(めったにやらないが)、カーテンなしで着替えても、見られない安心感はいいものだけれど。
人はどんな環境に住んでも適応するんじゃあないか、と思う。
私の今後の人生も、また街中の狭い環境になるかもしれない。喜んで変化を受け入れることにしよう。

義母は週末の3日間、妹と一緒に彼女の所属する地域の農家夫人のための旅行へ出かけている。
出発前日の私との会話。
「スポンジ台が冷凍されていますから、りすはそれでケーキを作りなさい」
ええっ!!
真ん中にクリームを挟むケーキはちょいと技術が必要だ。私は一人でそれをやったことは一切ない。
週末の義母ケーキがないことにうきうきしていた。
義母の命令に私はこう答えた。
「8月はケーキ三昧月です。今週末くらい、ケーキ断食しましょうよ」
8月は義両親の誕生日が続く。それが週末に当たればいつもと同じ頻度でケーキを食べるが、今年も二人とも平日誕生日だ。
毎年、8月は恐怖月間だ。
義母はそんな私の気持ちも知らず、言った。
「今年はそんなに人が来ないから大丈夫よ」
人が多く来ようがそうでなかろうが、ケーキを焼くのは同じじゃあないか。
どうして、そういう会話に発展するのかさっぱりわからない。これが最初ではなく、寄生し始めてすぐからこうだった。
最初のうちは、私のドイツ語力の問題だと思っていたんだ。会話が変な方向に進んでいるのは私の聞き取り力、話す能力不足だと。
だが、今でも義母の話すことは大きく飛躍したりするので、私との会話だからというわけではないらしい。

一度だけ、夫が嘆いたことがある。
「母は何でもモンクします」
そう、義母の息子は子供の頃から同じ体験をしているんだ。何を言っても聞き入れてくれないどころか、あらぬ方向へ会話が向けられてしまう。
私が提案しても「ナイーン」で発言を否定されてしまうんだからたまらない。
これは彼女の会話の仕方の癖なんだ。
また、話しているうちに私の意見が通ることも多いので、まずはじめに否定しておく、というのが義母のやり方。

これを彼女の交流関係にやったらよくない、と本人は自覚しているらしく、親族や近隣住民、知人たちにはやらない。
配偶者と息子とそのヨメだけにやるんだ!
娘にはやらないのを観察済みだ。おそらく、子育て中、いろいろあったのだろうと想像する。娘の話は黙って聴いていることが多い義母。

「なんでいつも米飯ばかり食べるのですか」
という質問も、決して米飯食を全否定しているわけではなく、定期的に言いたくなる恒例行事のようなものなんだ。
言われるたびに相手をしなくてはならない私はたまったものではないが、日本と違い、ここでは相手を思いやって云々などということが少ない。
言われるたびに何か返答しなければならないのがここのやり方、と私は早いうちに気づいている。
だが、日本生まれの日本育ちの私、ここのそうした傾向に疲れるのも確かさっ











ゴミの日を忘れる悲劇

2019年07月21日 | 家屋
二週間に一度のゴミの日を忘れてしまった。
ゴミ出しは義母や私に任されていて、どちらかが気づいて毎回やっている。
ウチ周辺のゴミ出しは、下の写真のような各家庭のゴミ容器を、ゴミ回収車が通る公道まで持っていく方法だ。
敷地内を数十センチしか出ないので、パジャマ姿でも可能だ。(散歩している人々に目撃されるか)

容器は八割がたいっぱいになっている。
この状態で、あと二週間分のゴミを詰め込むことはほぼ不可能だ。いったい、どうやって生活すればいいのか・・・
こういうときに、ゴミ収集の大切さを思い知らされるぞっ
以前は下の画像のゴミ回収日お知らせアプリをわたしが使っていた。ここ数ヶ月、そのアプリの調子が悪くて削除してしまったんだ。

日本の夏場に二週間に一度のゴミ回収は難しいだろう。生ゴミは別にしても(実際ここではそうだ)昆虫や悪習の発生は免れられないだろう。
気候の差、住宅密集度の差によるゴミ回収頻度かな。ここでも人口密度が高い地域は週一度のゴミ回収があるようだ。

ゴミ忘れでちょいとがっかりしているときに、頂き物。

大事に食べようと思っていたのに、一気食いしてしまった。
子供の頃は食べ切るのに数日かかったのに、今じゃあ一瞬。数個を一度に口に入れるのはやめようと思う。


義母に見つからなくて命拾いしたクモ

2019年07月10日 | 家屋
義母は家屋内でクモを見つけると、即行踏み潰しの刑に処する。
初めのうちこそ、その様子は残酷に見えたが、慣れると普通に感じてしまうという恐ろしさ。
クモは家を壊すそうだ。
そうなのだろうか?あのねばねばネットでうるさい昆虫を捕獲してくれるから、益虫とされていると日本の生活で聞いたような。

ところが、その様子を子供の頃から見ている夫は正反対だ。
先日、浴室の壁上方に佇んでいたクモを見つけた。
「ずいぶん弱っているようです。助けます」
と言って、外に出したようだ。

夫にとって、家が傷むよりクモの命の方が大切なのだろう。
ううう・・・
困ったものだ。彼は家の保守管理は全くダメだろう。掃除さえ全くできない。
あまり将来のことばかり案じても仕方がない。
今は、今目の前に起こる出来事を対処するのに精一杯だしね。

先日、中古のこの本をもらった。

日本語を勉強していた人が手放したものだろう。

いつか、日本語の漢字を勉強したい人のために手元に置いておくことにする。
夫には無理ね。
ひらがなとカタカナで精一杯だ。



日本食を外国人にもらう贅沢

2019年06月25日 | 家屋
台湾人友人の一人のK子さん、彼女の住まいは風呂場の改築工事中だ。
夫婦で働いているため、平日日中に来る職人たちのために私がいることになった。
この浴槽はかれこれ1週間以上も庭に置かれている・・・
職人たちはすべてルーマニア人で、なかにはドイツ語が全くできない人もいた。
世界中で急速に人種、国籍が違うものが一緒に暮すようになってきているのを感じる。

K子さんが私に作った炒飯。
炒飯はどんなにへたくそに作っても、おいしく仕上がる料理の一つだと思う。
日本では「ご飯がパラパラに仕上がるのがよろしい」などと言われていたけれど、実際そういう仕上がりにしている人たちはどれだけいるだろうか、とK子さんの料理を見て思った。
特に、日本のように粘りのある米を好む地域でパラパラに仕上げるなんて、至難のワザではないか。

K子さんは中国出張のときに、そこで売られている食品を買ってくるようだ。
中国食品だけでなく、日本食もあるようでふりかけを大量に持っている。

いやぁ、高い品だな。日本から中国へ輸出され、そこからドイツに渡ってきたこのふりかけ。
「何袋も買ったので、ひとつ差し上げますよ」
と、K子さんに言われて、遠慮した。
こんな高くつく品、もらってしまってはいけないと・・・
いや、もらっちゃった。

外国人に日本食をもらってしまうなんて・・・立場が逆なような気がするが、まあ、甘えてしまおう。

いま、気づいたが、このふりかけの賞味期限は今年4月までと記載されている。
賞味期限などあまり気にしない日本人以外の人々。大らかさはいろいろな面で感じる。
日本人どおしだったら、期限切れの品を贈るのはためらってしまう人が多いのではなかろうか。



ドアノブの位置でのだめを思い出す。

2019年03月04日 | 家屋
愛読漫画「のだめカンタービレ」の内容に、ドアノブがドアの真ん中にある描写が何度も出ていた。
フランスには普通にあるのだろうな、と特に疑問に思ってはいなかった。きっと開け辛いのではないか、とも思っていた。
ここでも、ときどき見かける。

見るたびに「のだめカンタービレ」を思い出す。ああ、すでに古い作品になりつつあるなぁ。読み返してみると、連載時の時事問題や流行の物事がストーリーに織り込まれていて、当時は笑えたけれどいまじゃあ全く笑えない・・・

このドアは最近の流行でなく、昔のものなのだろう。

いちど、開け閉めしてみたいと思いながら毎回見ている。

カーテンを洗う(いや、義母が洗ってくれた)

2019年02月09日 | 家屋
晴れて気持ちのいい日だ。
先週からりす部屋のカーテンを洗いたいと義母に申し出ていた。やっと、今日、その許可が出た。
なんだかねぇ・・・凄い生活をしてるわたし。洗濯さえ自由がないんだぞ。すでににやけながらこの文章を書いているのだから、悲壮感とは縁がないことをお知らせしておきたい。

取り外して、これから洗う。

カーテンレール。

カーテンレール取り付け部分はこのようになっている。日本ではこういう形のものは存在するだろうか?

ちなみに、このカーテンは義母の手作りだ。既製やオーダーのカーテンなど、とても高価すぎてウチの経済力では購入不能だ。
義母がいよいよ縫い物さえできなくなったら、カーテンは無しでも大丈夫だと思う。
田舎の生活の特権かな。周囲の家屋や公道から遠いので、外から中を観察される可能性は低い。
夜間は鎧戸を閉めてしまえばいいし。
そんな覚悟を決めた今回のカーテン洗い。
もちろん、カーテンを洗ったのは義母。洗濯機操作をさせてくれない。壊すと思っているのだろうなぁ・・・


明日、インゴルシュタット市のどこかで行われる催し物。
タトゥーのメッセだ。
日本でこの内容のこうした催し物を開催するのは難しいだろうと予想する。でも、もしかして、存在する?
ちょいと検索して見つけた記事。
タトゥー(刺青)を入れるデメリットを教えます。
「海外ではファッション」という記述は本当で、とにかく、まあ、あきれるほど皆好き勝手に落ちない文字や模様を身体に入れている。
日本在住時にも私はそれを知っていたので、義父に初めて会ったとき彼の腕の刺青にまったく平気だった覚えがある。
ここにいるから許せるタトゥーも、日本で日本に住んでいる日本人がやっていれば、私はぎょっとすると思う。
いろいろ不利なことが多くなるタトゥーをあえてやっているって、やはりそちらの関係の方か、って想像してしまうからだ。
ちょいと差別的な感覚ではないか、と思われても仕方がない。感じるものを変えることは難しいってことだ。
ちなみに、ドイツ人でもタトゥーを入れている人をよく思わない層がいるのでご注意を。