イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

圭以圭以に論じる

2011-07-10 20:19:24 | 昼ドラマ

「覚えておくといい、ミステリで双子が出てきたら、それはカムフラージュだ。犯人はほかにいる」

…奇しくも『霧に棲む悪魔』最終話(1日)の2日後、ピーター・フォークさん追悼企画で再放送された『刑事コロンボ』“構想の死角”で、ジャック・キャシディ扮する共作ミステリ作家が、愛読者でもある近所のグローサリー女主人に言う台詞です。

 (ちなみに…っていまさら因む必要もないほど有名な話ですが、ジャック・キャシディさんは『コロンボ』で、この“構想~”含め3エピにゲスト出演、3回とも犯人役をつとめておられます)

 『霧に棲む悪魔』の圭以と、白い女=霧子(入山法子さん二役)は双子ではなく、父親同士が双子なだけでした。どちらかが犯人かも?という状況には一度もならず、ともに被害者もしくは利用されていただけで、容姿が瓜ふたつであることが、狭い意味でのフーダニットの(アリバイ偽装などの)カムフラージュ、あるいはミスリードにはならなかった。

…と言うよりも、以前にもここで書いたように、圭以と霧子のそっくりぶりという要素を、ドラマチックなしつらえで意味あり気に提示したものの、本筋にあまり活かせないまま飼い殺してしまった感が強いのです。

白い女と山小屋で夢幻のような一夜のあと弓月(姜暢雄さん)が龍村ファームに辿り着いたとき、初対面の圭以を見て仰天したこと、ファームと龍村家に関するあれこれに興味を持ち案じ始めるきっかけになったことは確かですが、弓月の“あの女にどうしてももう一度会いたい”という渇望が、二度めの対面と、彼女からの「お嬢さま(=圭以)を守ると約束してください」の懇願を経て“僕が愛し、心配し、守りたいと思っているのは圭以さんのほうだ”の確信へ至るについて、“そっくりぶり”がどう貢献したり、逆にブレーキになったりしたのかなんだか曖昧なままでした。

「そりゃ、偶然会ったミステリアスな若い美人が自殺を思いとどまらせてくれたら好きになっちゃうだろうし、直後に瓜ふたつの美人が目の前に現われたら、別人とわかってたってそっちに行っちゃうだろ」と言われたらそれまでなんですけどね。若い男が若い異性に惚れるのに、それこそミステリみたいな合理的な動機や、順序立った因果律なんてあるわけがないのだし。

しかも、そっくりだそっくりだと動揺している(そのわりには、なぜそっくりなのか原因には淡白)のは、前半はほぼ弓月だけ。圭以の急死後の後半の、弓月&晴香(京野ことみさん)による霧子の行方捜索と発見救出作戦以降、にわかに「本当にそっくりだわ」「圭以は死んでなくて、ここにいるのが霧子さんじゃなく圭以かも」「DNA鑑定で立証できるかも」…と、“解禁”みたいにそっくりぶりに焦点が集まるので、なんだか据わりが悪かった。まるで“そっくりびっくりスイッチ”がどこかに仕込んであって、展開の都合でONOFF切り替えられているかのよう。

20年ほど前、母親に連れられて龍村家を訪ねてきた幼い霧子を記憶している美知子さん(広岡由里子さん)が「圭以さんと同じぐらいの年格好で」「そう言えば圭以お嬢さまとよく似た女の子でした」という記憶がないのは“似てる似てないが明瞭に容姿に表れるには幼すぎたから”と解釈してもいいし、圭以になりすまして廃校に霧子を呼び出した晴香が、瓜ふたつぶりにまず驚かないのは“夜中で暗く、しかも此方が圭以でないのを知られない体勢で距離をおいていたから”かもしれない。

しかし、第2話で霧子からの手紙を圭以に渡す小学生(小林海人さん)までが、圭以に「どんな人から?男の人?」と訊かれて「オンナノヒト。しろーい服を着てた!」とニコニコ答えるだけなわけです。

見知らぬ白ずくめの女性から「あの農場のお嬢さまに」と手紙を託されるだけでも小学校低学年の男子には不審な体験だろうに、渡すべき相手も同じ顔の女性だった。その夜は夢でうなされる級の不気味さだと思うのですが、圭以を見るや目をまるくしたり、「オネエチャンとそっくりだった…」と逃げ腰になるような素振りがまるでないのだから、“ある時点までは、そっくりを認識し不思議に感じるのは(よそ者で信用されにくい)弓月ひとりにしておく”というストーリー上の約束のもと、スイッチがガードされているとしか思えない。

録画視聴していて、かなり深い話数までは、圭以と白い女は演じる入山さん同様ひとり二役で、あるいは多重人格が入っている?と考えた時期もありましたが、25話の圭・霧直対面でこの可能性は完全に消滅。別にそういうサイコ系が見たかったわけではない(むしろ積極的にご勘弁)けれど、良くも悪しくも原作がウィルキー・コリンズ御大の19世紀の古典長尺作と“重石”になり過ぎ、“そっくりぶり”を現代日本舞台に移しかえて、縦横無尽にストーリーの推進力として活用できなかった憾みはあるかもしれません。

ちなみに(今日はよく因むなぁ)、シリーズ放送開始序盤のエピで、キャシディさん扮する共作ミステリ作家に冒頭のセリフを言わせ、ミステリドラマとしては挑戦的な脚本を展開した『刑事コロンボ』には、“二つの顔”という、憎たらしいくらいテンプレに則った“双子もの”エピがあり、憎たらしいくらいあざやかに“双子で共犯”を成立させて見せています。もちろん双子は二役で、『コロンボ』より前の人気TVシリーズだった『スパイ大作戦』で変装・声色のエキスパート役を演じたマーティン・ランドー。ラバーの手製マスクやヅラを駆使して「誰かになりすましてまんまと騙す」役でおなじみだった俳優さんが、今度は“素顔でそっくり”の双子なことを利用して欺く役だったわけです。やってくれちゃってたんですねぇ『コロンボ』。

(『霧に~』の話題はもう少し続きます)

(『コロンボ』その他も絡むかも)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍飲を下げる

2011-07-07 01:09:35 | ニュース

あっという間に時の人になったかと思ったら、自分の足で蹴立てた砂埃で、「あっ」も言えない間に消えていなくなった松本龍復興担当大臣。別に普通に“復興本部”でいいのに“チームドラゴン”とか、今般の辞任の直接の原因になった暴言妄言発する前から、そこはかとなく意味不の匂うお人でしたなぁ。名前が“龍”だと、何でも“ドラゴン”付けてみたくなるのかしら。

フランス文学者で翻訳家で作家で、博識のエッセイストだった澁澤龍彦さんが、自身の筆名について「ときどき出版物で(校正もれで)“竜”彦と表記されることがあるが、“龍”なら爬虫類なのに“竜”だと両生類になる気がする」という意味のことを書いておられたのを思い出しました。

確かに“龍”ならヒゲがあり眼光鋭い顔があり尻尾もあり、微妙にトゲトゲとかツノも生えてそうだけど、“竜”だと四つ足とシッポしかない感じはします。て言うか甲羅しょってて危なくなると四つ足もアタマも隠しそう。

ちなみに松本竜、じゃなくて龍前大臣、干支はタツ年ではなくひとつ前のウサギ年だそうです。テメエの名をとって、それもわざわざ暴走族みたいに中途半端にヒネってカタカナにしてチーム“ドラゴン”なんて、公的組織にニックネ付けてるセンスの時点で、この人あらかじめダメでしょう。

龍と言えば龍の眠る丘。終わりましたねー先週末で『霧に棲む悪魔』。保険で録ってるアナログ放送のビデオの左裾に、でっかい「放送終了まであと○日」のテロップが貼り付く初日となったのが何とも“過去になりゆく感”深まる最終話でした。

龍村家のご先祖が退治し眠らせた“龍”は爆薬の原料=硝石の鉱脈。ちょっと意外な真相。昔から“龍神”と言えば平地定住民の稲作農耕社会における生命線=水脈の象徴で、水脈の乱れである鉄砲水、河川の氾濫、洪水を“龍神さまのお怒り”として畏れ忌み、田植えの春も収穫の秋も丁重にお祀りしてきたものです。

龍村の龍は爆薬。火の精霊サラマンダーに近かった。砂嵐とともに消えた御田園、いや御田園を騙った名無しくん(戸次重幸さん)のサラマンダープロジェクトはアラブの砂漠にソーラーパネルつらねての太陽光発電計画。森と湖を抱き霧に包まれる丘は、静かに“火”に呪われる運命でした。お屋敷ごと焼け落ちる『レベッカ』『ジェーン・エア』みたいなラストになるかと思いきや、圭以さん(入山法子さん)が勇気を持って記者会見し呪縛を解きました。

サラマンダーって聞いた感じ爬虫類っぽいですが、両生類なんですよね。トカゲやワニやイグアナのたぐいではなく、イモリやサンショウウオの同類だそう。

ってことは、“龍”ではなく“竜”なんだ、サラマンダー。

…それはどうでもいいか。

「昼ドラ初の本格的ミステリーロマン」と前宣伝し、番組公式サイトトップに「これが、昼ドラマ最大のミステリー」と謳っただけのことはあり、局面局面では謎として提示されたことがちゃんと謎の機能を果たして、全60話、次話への興味が途絶えることはなく、その意味ではじゅうぶん健闘作と言っていい。

しかしどうもね。骨太にがっしり掴まれてぐいぐい引っ張られていくという感じが湧かず、終始何かはぐらかされているような感が拭えなかった。弓月(姜暢雄さん)や圭以ら主人公サイドの人物たちが、謎や疑問や危機に遭遇し反応し、言葉を発したり行動を起こしたりするたび「コッチじゃなくソッチに引っかかるか?」「追及するトコそこじゃないでしょう」と首をかしげてしまうのです。

死に場所となるはずだった深い森の中で出会った白い服の美しい女、謎めいた言葉。まぼろしか物の怪か、とり殺されるならそれもいい、もとより死ぬ気で来た身、ままよと合わせた肌。そこへ女を追う男たち、猟犬の声。女は霧のかなたへ消え去り、残した言葉を頼りに辿り着いた農場には、白い女と瓜ふたつの令嬢が……

…いい幕開けです。申し分ない。しかし、消えた謎の女と令嬢が同一人物と見紛うほど容姿がそっくりであったなら、まずは“血縁関係”を一度は可能性として思いつくのが自然ってもんじゃないでしょうか。しかも早い段階で晴香(京野ことみさん)のクチから、令嬢圭以の亡き父・礼司(榎木孝明さん)には双子の兄・玄洋がいて、邸内に怪奇爆笑引きこもり中と弓月は知らされるのです。このとき「双子…そうだ双子!」となぜ反応しないのか。

圭以に双子の姉妹がいなくても、父親が双子のひとりであれば、もうひとりが圭以に瓜ふたつの娘をもうけている可能性もじゅうぶんあるとシロウトでもピンと来るのに、誰もそこにちらりとも言及しない。

どうもこのドラマ、原作が19世紀中葉の英国の、デジカメやら写メやらDNA鑑定を知らない世界観の中での作品であるために、ミステリとは謳いながらも合理的最短距離による解明を塞ぎ塞ぎ、迂回し迂回し、無理やり前進させていかざるを得ない苦しさが出てしまったようです。

御田園みずからの情報提供によって、寺で初めて白い女=霧子の母・安原浅子(岡まゆみさん)と面談する場面にしても、「失礼ですが、霧子さんのお父さんは誰なんですか」と誰も訊かない。この段階では、霧子が圭以と瓜ふたつであることを知っているのが弓月ひとりで、しかも自殺しようと異常なテンションの中での目撃だっただけに、どこまでも強く主張できるほどの自信がなかったのかもしれない(20年ほど前に浅子に連れられて圭以の母を訪問した幼い霧子を見ている美知子さんすら「そう言えば圭以お嬢さまとそっくりだった」と言わない)けれど、“白い女の手紙通り、御田園陽一は本当に悪魔なのか”“「龍が目を覚ます」とはどういう意味か”、はたまた「ゴシュハシンダ(←チェロを弾く人がゴシュと言えばアレしかないってぐらい日本中が速攻思いつくのに、引っ張る引っ張る!)」等に比べて、圭以と霧子が瓜ふたつだという事実が謎扱いされなさ過ぎです。

それどころか、圭以が急死し、弓月と晴香が入院中の霧子を拉致、アパートで同居し出した中盤以降に至っても、「玄洋伯父さまとDNA鑑定で血縁関係が立証されれば、この人は霧子さんではなく圭以」と弓月も晴香も本気で考えている始末。圭以と父親違いの姉である晴香が、「もしや万一、母が圭以の父親以外の男性との間に子を産んで…」とは考えたくないのはわかりますが、こういうときこそ龍村家にいっさい係累を持たない、真っさらな部外者である弓月が、忌憚なく容赦ない世間一般人の客観的な視点を発揮する出番でしょうに。

これも原作の時代ゆえの重石でしょうが、登場人物の幅も狭く、絶対数も少ないですね。なおかつ、御田園にしても依子(中田喜子さん)にしても、家政婦・麻里(田島ゆみかさん)にしても、出てきた途端に怪しさ全開な人物が、出がけの怪しさ通りに悪なので、サプライズもワンダーもショックもアメイジングも何もない。

特に御田園(←正確には偽御田園)役に戸次重幸さんを充てたことは返す返すもどうだったんでしょう。コンプレックスを秘めた複雑な人間像を演じ切るにおいて、力量的に不足はなし、ガタイやスーツの似合い具合も抜群だったけれど、目つき顔つき挙措がすべてのっけから怪し過ぎで、「この人が悪魔かそうでないか」を主軸の謎として何話も進行させるのは限りなく茶番に近い。もう少し“真水”的な無色透明感のある人を起用し、淡々と澄んだ存在感からいきなり、あるいはじんわりと、影を深め悪魔に転じさせる見せ方はなかったものでしょうか。

まぁ当地のローカル特殊事情として、チームナックスの俳優さんたちは、本業の舞台以上にラジオや深夜バラエティでここ10何年大活躍なため、“色がつきまくって”いて、透明感どころの騒ぎではないという残念さはあります。「この俳優さん初めて見た」という視聴者なら、戸次さんの持つ独特の奇妙な味を、“デビル感”に読み変えて堪能できたかもしれません。

(この話題は当分続きます。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓にして洋を得る

2011-07-03 22:43:11 | 海外ドラマ

脇道にそれますが、韓国製茂樹……じゃなくて(←祝・復員生還)(@『おひさま』)史劇ドラマも、長かった『善徳女王』の後、無謀にも全81話の『朱蒙(チュモン)』にまで手を出してしまいまして、現行NHK総合とBSプレミアムで放送中の『イ・サン』と、『同伊(トンイ)』も合わせると、結構なタイトル数を、制覇したりかじったりしたことになります。

こんだけここのワールド渉猟したら、世のおばちゃん方並みに、韓流スターのご贔屓のひとりぐらいできたってよさそうなものなのですけれどね。主役クラスの二の線の諸君諸姉は、かなり顔面偏差値も高いですしね。

ドラマの内容が濃くて、引っかかりもツッコみどころも豊富なのに比べ、俳優さんたちにいまいち熱く興味を持ちきれないのは、芸名がカタカナばっかりというのも大きいと思う。欧米名ならわりと簡単に顔や役柄とセットで覚えられるのは、小学生坊主の頃から英米ミステリを読み慣れていたからかも。韓国の人名って、語呂がみんな似たようじゃないですか。姓なんか九つか十ぐらいしかないんじゃないかってぐらいだし。

漢字表記と併記ならもっと覚えやすいと思うんですけれどね。漢字には、字ごとに表意があるので、イメージがしやすいんですよ。それこそ太陽の陽子とか、金ヘンに定めると書いて錠とか、真実を知る子と書いて真知子とかさ。同じ漢字文化の国なんだから、漢字で交流しましょうよ。

それでも、韓国製ドラマは大体、OPで主要キャストの顔出し紹介が毎話毎話あるので、全62話の『善徳』ぐらい多話数の作品だと、カタカナでも、結構覚えます。毒婦女傑ミシル璽主(せじゅ)さま役のコ・ヒョンジョンさんという名前は、キャラがあまりに強烈だったのでさすがに早々と覚えた。にしても、“高賢廷”さんという漢字表記ならもっと早く覚えられたのに。ミシルさまのイメージそのものな字並びじゃないですか。

『善徳』ではクレジットトップのトンマン女王役イ・ヨウォンさんも覚えました。韓国で姓“イ”さんは近世の王朝名にもある“李”さんですね。漢字では“李瑤媛”さん。愛媛県の“媛”なのがトンマンっぽい。

この作品は女王が主人公で概ね女性上位の物語なので、男優陣は覚えるのに時間がかかり、それでも終盤までにクソまじめのカッタマリ・ユシンええと…最終的には大将軍(てじゃんぐん)役のオム・テウン泰雄”さんは覚えられました。カタブツにもほどがある役柄に合った、古風な端正さのあるお顔立ちなのですが、なんか、月河は終始、微妙に昭和40年代の演歌歌手の黒木憲さんを思い出して仕方がなかったな。霧にむせぶ夜。

中盤から最終話まで、とても重要かつカッコいい役なのになぜか顔出しOPに出てこないアルチョン侍衛府令(しいぶりょん)役のイ・スンヒョ“李承孝”さんは、逆に、出てこないから先に公式を調べて覚えました。漢字で書くと読売ジャイアンツの選手みたいだが。こちらは歴然と純コリアンの男クールビューティという感じ。いかにも史劇の若武者役向きなルックスのかたですが、俳優さんですから現代もののラブコメとかお仕事ドラマなんかにも出ているかもしれない。ちょっと見てみたいような。

贔屓とかファンという域ではないけれど、いまいちばん興味が沸いている韓国俳優さんはぺ・スビン“裵秀彬”さんでしょうか。『同伊』で「大きくなったら俺の嫁になれ」とトンイを可愛がってくれていた、心優しく勇敢なチョンス兄さん役でお顔だけ先に覚えましたが、『風の絵師』でいきなり王さま役で、若々しい中にも圧倒的なロイヤルオーラばっきんばっきん出しまくっていてびっくり。しかも『風の~』の王さまはただの王さま(ただのってことはないが)ではなく正祖(チョンジョ)大王ですから、『イ・サン』の世孫(せそん)さま即位後のお姿をだね、世孫のお祖父さまに当たる人(=英祖さま)を産むことになるトンイを可愛がるチョンス兄さんが演じておられるわけですわ。ああややこしい。

このぺ・スビン“裵秀彬”(“ひであき”さんと読みたくなりますね)さん、いま着々と視聴中の『朱蒙』ではヨン・タバル商団のサヨン行首(へんす)として、男であって心は女でもあり、知将かつ馬術武術も強くて、というなんともスーパーなキャラで活躍中です。こういう役どころは演技力に定評ある人だからこその起用だと思います。

そう言えば先週、午後の出先の待ち時間のTVで、タイトル未知の現代もの韓国ドラマを放送中で、いきなり現代姿のスビンさんが映ってびっくりしましたっけ。軽くリーゼント風オールバック頭、なにげにおヒゲの剃りあとが濃い。時代ヅラ無しだと、印象的な翳りのある大きな目より、顔の長さのほうが若干目立つかな。『天使の誘惑』というドラマと後でラテ欄見て知りました。若き御曹司が他人になりすまして自分の妻だった女性にどうこう…ってなんかめちゃめちゃどっかで聞いたようなストーリーみたい。どっかで聞いたけど、でも大好物。どうしよう。どうしようってことはないか。DVD探すか。こうしてずぶずぶと嵌まって行く自分が怖いが。

そう言えば『朱蒙』でスビンさん扮するサヨン行首に熱く見つめられている、タムル軍のミスター髭ヅラ・ヒョッポ大将役のイム・デホ“林代昊”さんも、当地で朝いちぐらいの早い時間帯に放送されている『ホジュン 宮廷医官への道』で見かけました。こちらは12年ぐらい前の作品らしく、怪力無双でがっしりしたヒョッポのイメージよりだいぶぶにぶにな、ドジな普通のデブキャラと見えます。『朱蒙』扶余(ぷよ)国クムワ王のチョン・グァンリョル“全光烈”さんがホジュン役。忙しい朝っぱらからかぶりつきで視聴してるわけには当然いかないわけですが、気になる気になる。

顔と名前と芸風が覚えられた俳優さんを、別の作品で見かけるとなんだか嬉しくなり、作品自体への興味も増して、共演の俳優さんの顔と名もひとりまたひとりと覚えていく。1980年代後半のレンタルビデオ隆盛の頃、学生時代以来ちょっと縁遠くなっていた洋画の世界に、改めて嵌まって行ったときがこういう気分でした。

洋画以上に玉石混交で、それゆえ八方破れなパワーも感じさせる韓国ドラマ。怖れず急がず焦らず、ゆっくりじわじわ踏み込んでいくとしますか。気がついたら耳まで浸かってそうで、怖いっちゃ怖いけど。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俺は戦争が憎い

2011-07-02 22:11:05 | 昼ドラマ

↑↑↑今日のタケオ(柄本時生さん)(@『おひさま』)の名言。簡にして要。そうだよねぇ。戦争憎むべし。いっさいの論を俟たず無条件に、いの一番に、万障繰り合わせて地球上から消去撲滅すべきもの、それが戦争。満場一致、みんなタケオの味方だよ。その結論に至る過程なんかどうでもいい。動機もどうでもいい。声を揃えて言おう「戦争が憎い」

………テンションが上がったところで(上がらないか)、先般の続きです。

『刑事コロンボ』、昭和40年代後半の初放送の頃、もうひとつ発見したのは、「追いかけたり解明したりする側の心理より、逃げたり隠し事をする側の心理のほうが同化しやすいんだな」ということでした。

エルキュール・ポアロものやエラリー・クイーン、ドルリー・レーンもの等が「この世に存在する書物の中でいちばんおもしろい!」と信じて疑うことなく、眠らず食べず学校ももちろん行かずに読み続けることができたら死んでもいいと思っていた当時の月河にとっては、衝撃の発見。

とは言え子供といえども自意識の萌芽みたいなものはすでにありましたから、誰かに開けて見られたり読まれたりしたら困る引き出しの1杯、ノートの1冊ぐらいは持っていたので、そこから長ーーーい延長線を引いて行けば、別に犯罪経験はなくても、犯人がものすごい勢いで偽装工作をし、細心の注意で隠蔽し、必死にそらっとぼけ、感づかれたのではないかと小心翼翼する気持ちはとてもよく理解できました。

このあたり、活字世界のフーダニットと、目に見せて興がらせ惹きつけてなんぼの映像作品の違いがあるかもしれません。ドラマや映画で、観客を真相究明役の探偵や警察官サイドに同化させるような作りのものだと、たいてい探偵ははみ出し一匹狼であったり、努力家だがドジで間抜けであったり、逆に頭脳超明晰な代わり、変人の窓際だったりで苦戦の連続、「応援してやんなきゃしょうがない」「しないでいられようか」というキャラになっている。

我らが『コロンボ』は、毎話リッチでセレブでスマートな犯人たちに比べ、風采や推定年収では歴然と見劣るものの、要所要所で捜査能力の手練れ慧眼ぶりを披露し、現場の制服お巡りさんや鑑識さんにもそれなりにリスペクトされ、しかもどう見ても裕福とは言えなさそうな私生活面も、カミさんや甥っ子たちにわいわい囲まれてリア充している気配まで垣間見られるので、「そんなに必死に肩入れしなくても、コイツなら必ず真相に辿り着く」と突き放して見ていられます。

究明サイドにあまり高体温にならず距離をおける分、犯人の、犯人なるがゆえの怯えや焦りや思い上がりには気持ちをぴったりフィットさせられる。「人間の本性は、追う肉食獣より、逃げる草食獣に、未だ、より近いのかもしれない」…そんなことまで考えさせてくれた『コロンボ』でした。

さて、こういうことを思い返していくと、昨日(1日)注目の最終話が放送された『霧に棲む悪魔』も、巻き込まれ真相究明者サイドに立たされて行く圭以(入山法子さん)や弓月(姜暢雄さん)らに観客の意識を沿わせるよりも、転がり込んできた邪悪のチャンスに飛びついたがゆえに、雪だるま式に悪事の屋上屋を架し続けなければならなくなった御田園、いや名無しの偽者(戸次重幸さん)の視点で、逃げ続け嘘をつき重ね、大きな偽装をカムフラージュするためにより大きな企みを打ちたてて見せようとする、嘘偽りが“生業”と化してしまった者の心理主体に描いたほうが、締まった、かつ乗りやすい作品になったかもしれません。

“昼ドラ初の本格的ミステリーロマンス”と銘打たれ、しかもその謎の中身が“アイデンティティの異動・偽装・混乱”という、月河の大好物のハイスミス系と思われただけに期待したのですが、“ミステリー”も“ロマンス”も、“本格的”も、どこかしら大幅に散漫な印象に終わりました。意気込みは買いたかったところですがね。この件は追って後日。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする