あっという間に時の人になったかと思ったら、自分の足で蹴立てた砂埃で、「あっ」も言えない間に消えていなくなった松本龍復興担当大臣。別に普通に“復興本部”でいいのに“チームドラゴン”とか、今般の辞任の直接の原因になった暴言妄言発する前から、そこはかとなく意味不の匂うお人でしたなぁ。名前が“龍”だと、何でも“ドラゴン”付けてみたくなるのかしら。
フランス文学者で翻訳家で作家で、博識のエッセイストだった澁澤龍彦さんが、自身の筆名について「ときどき出版物で(校正もれで)“竜”彦と表記されることがあるが、“龍”なら爬虫類なのに“竜”だと両生類になる気がする」という意味のことを書いておられたのを思い出しました。
確かに“龍”ならヒゲがあり眼光鋭い顔があり尻尾もあり、微妙にトゲトゲとかツノも生えてそうだけど、“竜”だと四つ足とシッポしかない感じはします。て言うか甲羅しょってて危なくなると四つ足もアタマも隠しそう。
ちなみに松本竜、じゃなくて龍前大臣、干支はタツ年ではなくひとつ前のウサギ年だそうです。テメエの名をとって、それもわざわざ暴走族みたいに中途半端にヒネってカタカナにしてチーム“ドラゴン”なんて、公的組織にニックネ付けてるセンスの時点で、この人あらかじめダメでしょう。
龍と言えば龍の眠る丘。終わりましたねー先週末で『霧に棲む悪魔』。保険で録ってるアナログ放送のビデオの左裾に、でっかい「放送終了まであと○日」のテロップが貼り付く初日となったのが何とも“過去になりゆく感”深まる最終話でした。
龍村家のご先祖が退治し眠らせた“龍”は爆薬の原料=硝石の鉱脈。ちょっと意外な真相。昔から“龍神”と言えば平地定住民の稲作農耕社会における生命線=水脈の象徴で、水脈の乱れである鉄砲水、河川の氾濫、洪水を“龍神さまのお怒り”として畏れ忌み、田植えの春も収穫の秋も丁重にお祀りしてきたものです。
龍村の龍は爆薬。火の精霊サラマンダーに近かった。砂嵐とともに消えた御田園、いや御田園を騙った名無しくん(戸次重幸さん)のサラマンダープロジェクトはアラブの砂漠にソーラーパネルつらねての太陽光発電計画。森と湖を抱き霧に包まれる丘は、静かに“火”に呪われる運命でした。お屋敷ごと焼け落ちる『レベッカ』『ジェーン・エア』みたいなラストになるかと思いきや、圭以さん(入山法子さん)が勇気を持って記者会見し呪縛を解きました。
サラマンダーって聞いた感じ爬虫類っぽいですが、両生類なんですよね。トカゲやワニやイグアナのたぐいではなく、イモリやサンショウウオの同類だそう。
ってことは、“龍”ではなく“竜”なんだ、サラマンダー。
…それはどうでもいいか。
「昼ドラ初の本格的ミステリーロマン」と前宣伝し、番組公式サイトトップに「これが、昼ドラマ最大のミステリー」と謳っただけのことはあり、局面局面では謎として提示されたことがちゃんと謎の機能を果たして、全60話、次話への興味が途絶えることはなく、その意味ではじゅうぶん健闘作と言っていい。
しかしどうもね。骨太にがっしり掴まれてぐいぐい引っ張られていくという感じが湧かず、終始何かはぐらかされているような感が拭えなかった。弓月(姜暢雄さん)や圭以ら主人公サイドの人物たちが、謎や疑問や危機に遭遇し反応し、言葉を発したり行動を起こしたりするたび「コッチじゃなくソッチに引っかかるか?」「追及するトコそこじゃないでしょう」と首をかしげてしまうのです。
死に場所となるはずだった深い森の中で出会った白い服の美しい女、謎めいた言葉。まぼろしか物の怪か、とり殺されるならそれもいい、もとより死ぬ気で来た身、ままよと合わせた肌。そこへ女を追う男たち、猟犬の声。女は霧のかなたへ消え去り、残した言葉を頼りに辿り着いた農場には、白い女と瓜ふたつの令嬢が……
…いい幕開けです。申し分ない。しかし、消えた謎の女と令嬢が同一人物と見紛うほど容姿がそっくりであったなら、まずは“血縁関係”を一度は可能性として思いつくのが自然ってもんじゃないでしょうか。しかも早い段階で晴香(京野ことみさん)のクチから、令嬢圭以の亡き父・礼司(榎木孝明さん)には双子の兄・玄洋がいて、邸内に怪奇爆笑引きこもり中と弓月は知らされるのです。このとき「双子…そうだ双子!」となぜ反応しないのか。
圭以に双子の姉妹がいなくても、父親が双子のひとりであれば、もうひとりが圭以に瓜ふたつの娘をもうけている可能性もじゅうぶんあるとシロウトでもピンと来るのに、誰もそこにちらりとも言及しない。
どうもこのドラマ、原作が19世紀中葉の英国の、デジカメやら写メやらDNA鑑定を知らない世界観の中での作品であるために、ミステリとは謳いながらも合理的最短距離による解明を塞ぎ塞ぎ、迂回し迂回し、無理やり前進させていかざるを得ない苦しさが出てしまったようです。
御田園みずからの情報提供によって、寺で初めて白い女=霧子の母・安原浅子(岡まゆみさん)と面談する場面にしても、「失礼ですが、霧子さんのお父さんは誰なんですか」と誰も訊かない。この段階では、霧子が圭以と瓜ふたつであることを知っているのが弓月ひとりで、しかも自殺しようと異常なテンションの中での目撃だっただけに、どこまでも強く主張できるほどの自信がなかったのかもしれない(20年ほど前に浅子に連れられて圭以の母を訪問した幼い霧子を見ている美知子さんすら「そう言えば圭以お嬢さまとそっくりだった」と言わない)けれど、“白い女の手紙通り、御田園陽一は本当に悪魔なのか”“「龍が目を覚ます」とはどういう意味か”、はたまた「ゴシュハシンダ(←チェロを弾く人がゴシュと言えばアレしかないってぐらい日本中が速攻思いつくのに、引っ張る引っ張る!)」等に比べて、圭以と霧子が瓜ふたつだという事実が謎扱いされなさ過ぎです。
それどころか、圭以が急死し、弓月と晴香が入院中の霧子を拉致、アパートで同居し出した中盤以降に至っても、「玄洋伯父さまとDNA鑑定で血縁関係が立証されれば、この人は霧子さんではなく圭以」と弓月も晴香も本気で考えている始末。圭以と父親違いの姉である晴香が、「もしや万一、母が圭以の父親以外の男性との間に子を産んで…」とは考えたくないのはわかりますが、こういうときこそ龍村家にいっさい係累を持たない、真っさらな部外者である弓月が、忌憚なく容赦ない世間一般人の客観的な視点を発揮する出番でしょうに。
これも原作の時代ゆえの重石でしょうが、登場人物の幅も狭く、絶対数も少ないですね。なおかつ、御田園にしても依子(中田喜子さん)にしても、家政婦・麻里(田島ゆみかさん)にしても、出てきた途端に怪しさ全開な人物が、出がけの怪しさ通りに悪なので、サプライズもワンダーもショックもアメイジングも何もない。
特に御田園(←正確には偽御田園)役に戸次重幸さんを充てたことは返す返すもどうだったんでしょう。コンプレックスを秘めた複雑な人間像を演じ切るにおいて、力量的に不足はなし、ガタイやスーツの似合い具合も抜群だったけれど、目つき顔つき挙措がすべてのっけから怪し過ぎで、「この人が悪魔かそうでないか」を主軸の謎として何話も進行させるのは限りなく茶番に近い。もう少し“真水”的な無色透明感のある人を起用し、淡々と澄んだ存在感からいきなり、あるいはじんわりと、影を深め悪魔に転じさせる見せ方はなかったものでしょうか。
まぁ当地のローカル特殊事情として、チームナックスの俳優さんたちは、本業の舞台以上にラジオや深夜バラエティでここ10何年大活躍なため、“色がつきまくって”いて、透明感どころの騒ぎではないという残念さはあります。「この俳優さん初めて見た」という視聴者なら、戸次さんの持つ独特の奇妙な味を、“デビル感”に読み変えて堪能できたかもしれません。
(この話題は当分続きます。)
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