『あまちゃん』がめでたく完結して、樹液が結晶して琥珀になるように“固体”になり、さぁこれで心ゆくまで掘り下げたり引っ掻いたりできるぞとワクワクしているところですが、その前に早くも次作『ごちそうさん』が9月30日からスタートしていて、否応なく目に飛び込んでくるわけです。
7日から第2週に入り、いままでのところ手堅い作りはしていると思いますが、見逃せないと思わせる求心力はもうひとつ。
大正11年の仲良し女学生3人組が並ぶと、前田亜季さんと宮嶋麻衣さんは一応「“女優さん”が“ドラマの芝居”をしている」ように見えるけれども、ヒロイン=杏さんだけはどう考えても「“モデルさん”の“コスプレコント”」に見えてしまう件、これはもう予測されたことなのでよしとしましょう。あれだけプロポーションが日本人離れしていると、どんな衣装でどんな舞台装置に放り込んでも突出してしまう。杏さん本人には何の落ち度もなく、ひたすらキャスティングした側の責任。オファーした以上覚悟はあるはずです。
第1週の6歳め以子(豊嶋花さん)のイチゴを求めて大冒険譚といい、2週の「ヤな奴転じて気になるあの人」といい、シロウトでも先の見通せるわかりきった展開に尺を割きすぎで、意外性が皆無に近いことも、まだ咎め立てするのは早急に過ぎるかもしれない。
2週から登場の帝大生悠太郎(東出昌大さん)とめ以子の会話シーンも大いに問題含みです。二人とも、演技の危なっかしさが同じ程度なので、見ててハラハラし通しで萌える暇がない。前代未聞の朝ドラ2作連続出演となった東出さんは、『あまちゃん』の80年代大吉っつぁん役のほうが何倍も輝いていたと思う。こういう、棒立ち系の大根くんには、バカとハサミ同様に使いようがありまして、キャラで押し切れる役に充ててやれば驚くほど精彩を発揮することがあるのに、押し切れるキャラに役が造形されてないから辛いのです。
関西出身で帝大建築科に学ぶ悠太郎は“小理屈天然”くんですから、こういうキャラを輝かせるには、そばに直球さわやかくんか熱血くんを置くのがいちばんいいのに、それが不在。
スーパー戦隊がなぜ何十年もレッドとブルーで、去年も一昨年も今年もレッドとブルーでいろんな設定の物語を回せて来られたのか、考えればすぐわかることなのに。朝ドラにありがちな“ヒロインありき、何がさておきヒロインありき”で人物を配置するからこうなる見本。
まぁお話本体に駄目出すのはもう少し見守ってからでいいと思っていますが、いちばん気になるのは台詞のはしばしに時代感が稀薄なことです。
1週め、お寺の供物のイチゴをめ以子の一計でまんまと手に入れた源太(屋島昴太さん)たち男子悪ガキ「これそもそも食いもんなのかって話になってよ」は、ガキの背伸びっぽくてまだ微笑ましい部類でしたが、2週め女学生め以子が教科書の『枕草子』の一節に食いつき「そういう事(=平安時代の“イチゴ”は木苺のことだと)は清少納言さんちゃんと書いとけ、って話よね」はいただけない。め以子は健康的で天真爛漫だけれども女らしい慎ましさに乏しい、という描写の一環であるにしてもです。
「食いもんじゃねぇかもって、○○が言い出してよ」と言わず、あるいは「ちゃんと書いといてほしいわよね」と言わず「~って話」とあたかも一般論であるかのようなひとクッションを置く語法は、誰が何をどうしたのズバリ断定・きっちり限定を避ける日本流の婉曲表現のひとつですが、たとえば『あま』で上京デビューの夢が途切れ俄かヤンキー化したユイ(橋本愛さん)が「ハタチまでにデビューできんのかって話じゃないですか」と春子(小泉今日子さん)に自嘲ギレするナポリタンシーンならまったく違和感がない(「デビューもできずにハタチ過ぎちゃったらどうしようって、私、すごく焦ってるんです!」とユイ本当は言いたい)けれど、設定大正ロマン時代の高等女学校生が発すると一気に嘘くさく、物語世界が軽薄になり、いやがうえにも“コスプレコント”感が増してしまう。
ドラマは台詞で大半造形され、受信されていくのだから、台詞の細部から設定の時代の空気感を立ちのぼらせていくことはいくらでもできるし、いやしくもドラマならばやらなければならない。お茶の間視聴に心地よい非日常感、別世界感をプレゼントするのが、報道にはできない、バラエティにもできないドラマの役割のひとつだと思うのですが。
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