イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

恋は水色

2007-08-01 17:04:32 | テレビ番組

 スキマスイッチ『マリンスノウ』が先月からよくラジオで流れるようになりました。

 最初に聴いたとき、最初に思い出したのがkaleidoscope『nowhere man』。

 どちらも別離の後の埋めようのない喪失感を歌っているという共通点があるだけではなく、

  体がただ沈んでゆく 遠ざかる空 群青に埋まっていく

  キミのいない海を逃れようとしたけど 想い出の重さで泳げない

  (『マリンスノウ』)

  キミが何処までも溢れてく 塞いだはずの愛から零れ落ちるまま

  日々を連ねてゆく程に キミの面影は深く 深く沈んでく

  (『nowhere man』)

 両曲とも失った恋、恋を失った心の傷の痛みを“水”に喩えて表現している。これが一聴、イメージの連鎖を呼ぶらしい。

 スキマのほうはタイトルと歌詞冒頭通り、酸欠と水圧で押し潰されそうな“深海”が心象風景ですが、kaleidoのほうは燦燦とふりそそぐ木漏れ日のもとに主人公はいて、おのが内なる傷口から溢れ尽きせぬ水をただ眺めている。

 去っていった彼女ではなく自分が“深く深く沈んで”“抜け殻”になったあと「ここで生まれ変われるのかな」と一抹の再生可能性を仰ぎ見ている分、スキマの主人公のほうが立ち直りは早いとみました。

 『金色の翼』第23話。

 21話から、修子の夫殺し疑惑より派生した結婚前の前歴について、迫田が槙を刺激し、槙が否定しながらも反応して探ろうとするストーリーが続いているのですが、どうなんだろう、コレ、謎追求として一貫性はあるんだけど、観てると、追っても追ってもどっかズレているというか「本当に究明すべきはそれじゃないだろ?」という気がするのは何故なんだろう。

 言いだしっぺの迫田の意図はもちろん、滞在客の絹子は味方なのか、支配人夫妻の東京での前職、それからもちろん槙兄の行方と容疑の真偽など、伏せられていることが多すぎるからなのか。

 それより、今日は槙に頼まれた理生が、修子の部屋になんとか侵入してパスポートを調べようと機会をうかがっている最中、ありもしない(だろう)自作小説のキャラについて長口舌をふるい、修子をげんなりさせる絹子(高嶺ふぶきさん)の描写がどうにも意味不明。

 19話で玻留に部屋を荒らされ茫然の槙を見舞ったとき「困ったことがあったら相談して、お金のこと以外なら頼りになる女よ」と申し出ていた通り、画面に映らないところで槙から頼まれて、理生の潜入のために修子をテラスに引きとめてくれた、ということなのだろうか。

 絹子が、小鳥の名づけの話題から自作小説の宣伝(効果薄げ)をする機会を偶然とらえて、理生も偶然それに助けられただけの話なのか。

 それにしては絹子の喋りっぷりやアイスティーのお代わりを頼む様子が必死過ぎた。

 「“マキシミリアン”は長ったらしいから“マキ”でどう?」という見え見えの絹子の命名に、理生を目の前において「私もいい名前だと思って」とさらっと言ってしまう修子もどうなんだ。

 あの小鳥が槙から修子に贈ったものであることは理生も承知だから構わないってことなのかな。ここだけ修子が、謎めいてるを通り越して、当節流行りの『鈍感力』あり過ぎのわけわからない女に見えた。

 理生が部屋潜入中に玻留に見つかり、咄嗟に制服の釦を千切って探すふりで苦しい言い訳の最中を、さらに玖未に見咎められ「許さない~!まとめて吸い込んでやるー!」と掃除機振り回して大暴れされる場面も、どうやって収束させたのか描かれず尻切れのまま、いきなり理生が釦の開いたブラウスを押さえて階下に駆け下りて来るし。

 どうもね、今日の感想をひと言で言うと「“サスペンスである”ということを維持するのに汲々として、場面のつながりや人物心理の描出がおろそかになってやしませんか?」…これに尽きるんだね。

 今日は何より「修子のブラジル入国歴を正確に知りたい」という槙の要望に対して「修子さんを本気で愛してしまったから、彼女が夫殺しでないことを確かめたいんじゃないの?」という疑念を抱きつつも、必死に修子の部屋捜索を試み、ついこの間レイプされかけた玻留の前で「私だって女よ、きれいなドレスを手に取ってみたいわ」と懸命の芝居をする理生の心理と行動に視線を寄せ、テラスで絹子のお喋りに困り顔の修子とのカットバックで「頑張れ!あっパスポート見つけた、もう少しだ、あー惜しい!…修子にすっかり鼻毛抜かれてる槙のヤツに利用されて、このコかわいそうになぁ」「それにしてもパスポートの入出国日付、見たかったなお預けかよチックショ」と視聴者に思わせるべき。演出も演技もそこに集中すべきじゃなかったのか。

 さらに今日こんがらかったのは、修子の過去が気になって仕事もうわの空の槙に支配人の妻栄子(増子倭文江さん)発言の「男を選ぶなら、缶詰みたいな男にしろって昔、父に言われたのを思い出すわ、昔は、台風が来るって言うと缶詰用意したもんよ」…

 “離島もの”に、「長期間交通が途絶して兵糧攻め」モチーフはつきものですが、リアルタイムでも台風の季節だけに、コレがもうすぐ来るって前振りなのかな。

 もうね、伏線埋設(回収見通しは“?”)も結構だけど、あれこれ詰め込まずに、ちゃんと場面場面を意味完結するようにまとめてほしい。

 何度も言うけど、“サスペンスである”ってことに、そんなにこだわる必要はないんです。

 恋愛モノだろうが学園青春モノだろうが、極端な話、年じゅう卓袱台で家族集まってわいわいメシ食ってるようなホームドラマだろうが、場面場面での人物の心理に切実なリアリティがあれば、自然とドラマ的切迫感や“次見逃せない感”は生まれるものなんだから。

コメント
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