弁理士『三色眼鏡』の業務日誌     ~大海原編~

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【雑記】自分の主義主張の発信の仕方

2019年12月03日 09時57分28秒 | 趣味・その他諸々の雑記
おはようございます!
晴天、暖かい、過ごしやすい今朝の@湘南地方です。

相変わらずタスクは積みあがっていたり寝不足だったりする時に限って、
効率よく夜眠れないことがある。
ついtwitterなんか見てしまったり。

そんな中で、こちらの絵本に関するやりとりを見ていた。

絵本「いのちをいただく

牛の命を解いて、お肉にする仕事に従事する坂本さんの葛藤と息子しのぶくんの思い。

綴られた物語の中で取り上げられている諸々の是否について、ここで言及する気はないです。
が、“うしの流すなみだ”についてさまざまな立場からそれぞれに呟いている。

・牛に感情などあるものか(少なくとも、人間が真に共感できるという意味における感情)
とか
・だから私はヴィーガンです。肉なんて食べなくても生きていけるし健康になれる
とか
・動物も植物も同様にいのちだろ
とか。

繰り返しになりますが、それぞれの主張自体の是否に触れる気はありません(コメント受けてもスルーします)。
ですが、やはり気になるのはその主張の仕方。

自分の主義主張を述べるのは、ネット上であっても、その意見開陳する場とルールを弁えていれば、まあ良いと思う。
「場」とは、例えば他人のエントリに対するメッセージで自分の主張を殊更展開するのは文字通り“場違い”だと思うし、
「ルール」としては、意見と事実をごちゃまぜにしないこと、受け手の立場も考えた“文法”で話すことは大事だと思う。

ただ、ともするとそれを他人に押し付けたり、自分と異なる他人の意見を否定したり、なじったり。
…そういうことをしないと、「自分の主義主張の正しさ」を信じられないのかな?と思う。

知識レベルも意識の高さも人によりけり。
相手が求めていないことを適切でない場で発信すれば、それは「押し付け」になってしまう。
いわゆる“布教活動”はその一例かと。
結果的に“信者”になった人にとっては「あの時教えてくれて救われた」となるかもしれないが、
そうでない大多数の人間にとっては、ただの迷惑。

生き方や基本的なものごとの考え方について、仮に間違っているとしたらそれに自ら気付いて改めるのが大人というものではないかな、と。
他人がして良い“おせっかい”は、その気付きの機会を与えてあげるところまで。
(逆にこの“おせっかい”がない社会も、ちょっと冷たすぎてキモチワルイと思ってしまう)
「自分はこうだよ」までは良いけど「貴方もこうするとよいよ」は、一定以上の距離感(家族とか、同僚とか。友人でも私は言わないかな)以内じゃないと言えないな。
まして「貴方もこうするべきだよ」は、境界線を超えている。
…なんていう、こういう間合いも人によって違うから、人付き合いってごちゃごちゃすることがあるんだよな、と思う。

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