弁理士『三色眼鏡』の業務日誌     ~大海原編~

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[01-02]模倣は「悪」か?(その2)

2015年10月20日 08時46分51秒 | 実務関係(商・不)
おはようございます。
昨日は久々中華街でおかゆを食べてきました。

さて、続きです。
「&TOKYO」に関する考察、後半です。

議論のポイントとして以下を昨日挙げました。

① デザイン作成にあたって「模倣」したのか
② 結果物は、本当に「類似」しているか
③ デザイン/調査について、費用対効果の面で妥当性はあるのか
④ デザイナー選定の基準/過程は適正だったのか
⑤ 東京ブランドとして本デザインはふさわしいのか

今日は③から。

③ ➡ 一部報道によれば、
 ロゴマーク自体の開発に500万円
 商標調査に2540万円
 ポスター、映像などのPRツールに7000万円
 などなどで、総額1億3000万円 とのことです。

 こうした数字だけを一般の生活感覚でとらえてしまうと、
 “高すぎる”
 “そもそもなんで今さら東京をアピールしなければいけないんだ”
 “金額のわりにありふれた書体じゃないか”
 “こんなのだったら俺なら10分の1の値段でやってやるよ”
 といった声が出てくる、ということは理解できます。

 正直、なんで今さらTOKYOアピール?という点は共感するところもあります。
 かつてのハコもの公共事業と同じような匂いもしなくもないです。
 ま、そのあたりは私自身都民ではないのでとやかく言う立場でもなく。。

 価格の妥当性、という意味では、商標調査の2540万円は内訳を見てみたいですね。
 結果に対して責任を持たなければならない性質の仕事ですので、
 単にツール使用コスト+人×日では片付かないものではありますが…。
 (無料で商標調査やるところもあるんだから…なんて愚にもつかないことを書いている人もいますが、
  そんなところもこんな仕事を無料でなんかやらないですよ、怖くって。)

 グローバルに調査を行うにしたって、「TOKYO」部分はそこまでのケアは不要なはずですし。
 「&」部分も、それ単体で機能させるロゴではないのですから、調査の力点もおのずと絞られるはずで。
 …要は、“ちゃんとやったよ”という事実を残さなければならない、という意識が関係各方面に強く働いたがために
 必要かどうか微妙なところも勧められるがままに全て網羅してやってくれ、ということになったのかなぁ、と想像します。
 (それでも価格的に妥当性があるかというと、個人的には疑問ですが。)

 PRツールも含めた費用対効果、という点では、しっかり「効果測定」を行う必要がありますね。
 経済効果として、かけたコストに見合うものが得られるのであれば良いと思います。

④ ➡ この点は、噂レベルの話に終始してしまうので深く言及する気はありません。
 ただ、①・③・④がヘンな具合に混ざり合ってしまっているから、
 “コネで選ばれた人間がパクり仕事で都民の税金を貪っている
 という疑いをもたれる構図になっているのかな、と思います。
 李下に冠を正さず、という言葉もあります。
 例えば特許庁の審判事件でも公正を妨げる事情がある審判官については除斥、忌避の制度があります。
 疑わしいことはやっちゃだめだと思います、一般論として。
 
 前もFBで書きましたが、こうした“疑義”“やっかみ”が生まれる状況に引っ張られて、
 商標の類否に関してまで間違った認識が広がってしまったり
 模倣の意味についての勘違いが起きてしまう
 ということが、知財に携わるものとしてはとても歯がゆいことです。
 …ま、広い意味で知財に対する興味関心が高まること自体は悪いことではないのですが。

⑤ ➡ 結果物のデキがそう悪いものではないように、個人的には思います。
 ふさわしいかどうかは、今後の活用法次第だと思います。
 ま、創作物の出来不出来をコメントできるような資質は持ち合わせていませんのであしからず…。

 ですがプロモーションという観点からは、出だしから失敗していますよね。
 結局のところ、時代の変化にもっとも敏感であるべき行政・クリエイター・広告関係者といった関係者が
 時代を読み誤った、というのが、本件や五輪エンブレム問題の本質なのではないかと思います。

 公共性のある仕事を、クローズドなコンペで決定して、それを記者会見でお披露目する
 という一連の流れが、“なんか昭和的だな~”と思ってしまうのは私だけでしょうか。
 厳しい言い方をすれば、そうした古典的な手法でも大衆を黙らせる/唸らせるだけのチカラは、
 この結果物「&TOKYO」にはなかった、ということだと思います。

 「時代の変化」とは、一般の人々の情報リテラシーとアクセサビリティの革命的な向上です。
 
 そんな時代に、そんなチカラをデザイン単体に求めること自体が酷な時代になっているのではないでしょうか?
 結果物に対して共感が高まるような仕掛け・打ち出し方も、考えていかなければいけないような気がします。
 規模は全然違うけど、例えばこんなふうに。
 
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