おはようございます!いやもうこんにちは!ですね。
雪降りしきる@札幌です…帰れるよな…?
とか書いているうちに晴れ上がってきました。これならきっと大丈夫。
さてさて、長年同じお仕事をやっていると、仕事の段取りが自然と身についてくるもの。
なのでいちいち「今はこのステップ」ということを殊更意識しなくてもするーっと進んで行く。
ところが、初めてやる類の仕事の場合、これはなかなかそうはいかない。
例えば今までつくったことのない料理を作るとき、レシピとにらめっこしながら手順に従って作っていく。
「手順」というものは、効率よく、抜け落ちなくやるために確立されていくもので、
レシピ片手にやるときはその段取りの意味が解らないままやってしまうことも少なくない。
お仕事だって基本は同じで、効率よく抜け落ちなくやるためには「手順」にそってやることが重要。
ただ、その「手順」が一般的に確立されていないものもある。
或いは、同じ職業人であっても人によって力点の置き方や得意苦手は異なるから、自ずと手順の順序や軽重が変わることもある。
ただいずれにしても、“目隠しして歩けるくらい”に慣れてない限りは、
今自分がどのステップの作業をしているかを意識しながら作業をしていくことが大事。
そしてそれは、他の人と業務分担して共同作業を行う場合にはなおのこと重要。
そもそもどこまでが完成していて、どこがリレーゾーンなのかが判らないと、結局振出しからやり直すという愚を犯すことになる。
自分が行っている仕事の業務フローについて、例え熟達している業務であったとしても、
人に伝えるときには、やはり可視化/客観化をしなければならない。
そこでは、自分独自のショートカットや省略事項はひとまず例外的なこととして補足的に説明し、
基本に沿ったやり方を伝える必要がある。
業務フローを共有知化するにあたっては、やはりある程度の熟達した箇所は切り落とさなければいけないのかな、
と感じる。まるっきり切り捨ててしまう、ということではなく、基本を押さえた次の段階として伝えないと混乱してしまう。
というのと、もう一つのやり方としては、
スタートとゴールだけを設定して、その過程について倣う側に逐一可視化してもらう、ということが考えられる。
一見非効率に見えるけれども、結局業務フローの共有知化の過程においては
「この作業はムダ」「このやり方よりはこっちの方が良い」といった部分も、一度はムダであろうと体験してもらわないと
それがムダであるということに気が付かないまま時が過ぎてしまう。
ま、その「ムダさ加減」に応じて本当にやらせるかそうじゃないかは決めるべきなんだろうけど、
最終的に“レシピの無い料理”的な業務をこなしていかなければならない我々は、
その「ムダさ加減」についてもあるていど感覚で見積もることができないと、山盛りの食材を前に頓挫してしまう。
業務フローの見直し、といっても、マニュアルを厳格にしていくことではなく
実務担当者が都度頭で考えて行って、最低限踏むべきステップを確認する作業なのだよな、と。
今日は、なんとなくそんな独り言。
雪降りしきる@札幌です…帰れるよな…?
とか書いているうちに晴れ上がってきました。これならきっと大丈夫。
さてさて、長年同じお仕事をやっていると、仕事の段取りが自然と身についてくるもの。
なのでいちいち「今はこのステップ」ということを殊更意識しなくてもするーっと進んで行く。
ところが、初めてやる類の仕事の場合、これはなかなかそうはいかない。
例えば今までつくったことのない料理を作るとき、レシピとにらめっこしながら手順に従って作っていく。
「手順」というものは、効率よく、抜け落ちなくやるために確立されていくもので、
レシピ片手にやるときはその段取りの意味が解らないままやってしまうことも少なくない。
お仕事だって基本は同じで、効率よく抜け落ちなくやるためには「手順」にそってやることが重要。
ただ、その「手順」が一般的に確立されていないものもある。
或いは、同じ職業人であっても人によって力点の置き方や得意苦手は異なるから、自ずと手順の順序や軽重が変わることもある。
ただいずれにしても、“目隠しして歩けるくらい”に慣れてない限りは、
今自分がどのステップの作業をしているかを意識しながら作業をしていくことが大事。
そしてそれは、他の人と業務分担して共同作業を行う場合にはなおのこと重要。
そもそもどこまでが完成していて、どこがリレーゾーンなのかが判らないと、結局振出しからやり直すという愚を犯すことになる。
自分が行っている仕事の業務フローについて、例え熟達している業務であったとしても、
人に伝えるときには、やはり可視化/客観化をしなければならない。
そこでは、自分独自のショートカットや省略事項はひとまず例外的なこととして補足的に説明し、
基本に沿ったやり方を伝える必要がある。
業務フローを共有知化するにあたっては、やはりある程度の熟達した箇所は切り落とさなければいけないのかな、
と感じる。まるっきり切り捨ててしまう、ということではなく、基本を押さえた次の段階として伝えないと混乱してしまう。
というのと、もう一つのやり方としては、
スタートとゴールだけを設定して、その過程について倣う側に逐一可視化してもらう、ということが考えられる。
一見非効率に見えるけれども、結局業務フローの共有知化の過程においては
「この作業はムダ」「このやり方よりはこっちの方が良い」といった部分も、一度はムダであろうと体験してもらわないと
それがムダであるということに気が付かないまま時が過ぎてしまう。
ま、その「ムダさ加減」に応じて本当にやらせるかそうじゃないかは決めるべきなんだろうけど、
最終的に“レシピの無い料理”的な業務をこなしていかなければならない我々は、
その「ムダさ加減」についてもあるていど感覚で見積もることができないと、山盛りの食材を前に頓挫してしまう。
業務フローの見直し、といっても、マニュアルを厳格にしていくことではなく
実務担当者が都度頭で考えて行って、最低限踏むべきステップを確認する作業なのだよな、と。
今日は、なんとなくそんな独り言。