から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

何者 【感想】

2016-10-19 09:00:00 | 映画


いろいろと勿体ない。本作の目的が「就職活動」を描くことではないことはわかったが、それでもその美味しいテーマをもっと活かすべきだと思った。「SNS」の闇ってメディアの特性を示しただけなので、クライマックスで「どうだ!」と言われても「だから何?」と答えるのみ。そして、その先の返答がないまま映画は終わった。「何者」とわかったのは主人公だけのようで、せっかく個性豊かなキャラクターを配したのに主人公の一人の物語に完結させたことに違和感を覚える。原作か脚本の問題なのかわからないが、見終わったあとの不足感がとても大きい。有村架純の遠くを見て微笑む表情って、可愛いけど擦られ過ぎて飽きる。三浦大輔の演出ってこんなだったっけ。。。

就職活動に挑む5人の若者たちを描いた話。
客層が「君の名は」に次いで若い。登場キャラと同年代の若者たちが本作を見てどう思うか気になった。

自分の就職活動を思い出す。自分の頃は氷河期と言われた時代だったが、苦労したよりも楽しかった思い出が強い。学生として生きてきた自分が初めて社会に触れる機会であり、いろんな会社を直に覗ける人生唯一の機会だ。その機会を逃すまいと、冷やかしも含め、業種を問わずいろんな会社にエントリーした。本作の劇中でも語られる「合同説明会は視野を広げるもの」という言葉に近い。同じ会社を受ける人たちはライバルであると同時に戦友に近い感覚もあって、連絡先を交換したのち、飲みに行ったりした記憶がある。本作の登場人物たちも就職活動をきっかけに友人関係になる。今の若者たちも同じなのだろう。

就職活動のゴールは企業から内定をもらうことだ。本作の主人公は「分析」を得意をしているらしく、内定をとるためにトランプの「ダウト」が有効だと説く。実力がなくても、巧く表現できれば内定をもらえるということだ(甘い!)。といっても、内定がとれない主人公の分析は、説得力のない戯言にしか受け取れない。一方、主人公とルームシェアをしている元バンドマンの男子は希望の出版社から内定をもらう。内定が取れない主人公に対して「自分が何で内定がとれたのかよくわからない」と話す。実感のないまま、内定をもらうなんざ極めてレアケースだと思われるが、主人公とは反対にありのままの自分をプレゼンした結果だと想像した。

今もそうかもしれないが、自分が就職活動をするにあたり必須準備とされたのが「自己分析」だ。就職活動における自身のPRポイントを探すため、自分の個性を見つめ直し棚卸しをする作業だ。客観的視点を入れるために、仲の良い大学のサークル仲間と集って夜通しファミレスで話し合っていたことを思い出す。自分が思っていた自分と、外から見た自分は異なるもので、自分が知らなかった一面に気づかされたり、知られたくなかった一面が露わになったりする。朝まで互いの評価をかなり突っ込んでやった結果、友人の告白によって知られざる過去が明らかになり、その友人が泣く姿を初めて見たのを覚えている。自身が「何者」かを知る貴重な体験だった。

本作の主人公も就職活動を通して自分が「何者」かを知る。自分と違ったのは就職活動のプロセスを通してではなく、結果によってである。企業からの内定を受け取った瞬間、自分の個性が評価され肯定されたと実感する。一方、内定を取れない場合は、内定が取れない理由を模索する。他人が取れて自分がと取れない理由と、他者と比較して分析する人もいるだろう。主人公もルームメイトが希望の会社から内定をもらうのを目の当たりにして、同じような考えを巡らしたに違いない。主人公は演劇をやっていて、他者を演じてきたという設定が興味深い。舞台で他者を演じるばかりで、自分自身が「何者」かを見失っている可能性がよぎる。そして自身が「何者」かを思い知る出来事が待ち受ける。

ここで登場するのが「SNS」(ツィッター)の存在だ。匿名性で「何者」にもなれるSNSは140文字の世界のなかで本音と建前という複数の自分を使い分けることができる。スマホが普及し、発信へのリーチが会話と同じくらい身近になっている現代において、自分の姿を隠し、本音を語れるSNSにドップリ依存している人が多くいることは想像できる。健全な人間の生態とはとても思えないが、それが現代のリアルなんだと思う。自制しない本音の向こうに見えてくるのは他人を蔑む悪意だ。発信者は当然それを自覚しているので、他者にバレてはいけないことと秘密にする。その秘密がバレれば、他者からの信用を失うとともに、本音でいられた別世界の住人ではいられなくなる。

本作の主人公はその悲劇に見舞われる。その描写はホラーのように映し出され、物語の進路を大きく変える監督の意図が見える。明らかになった事実によって、自身が「何者」かを主人公は知ったようだ。「SNS」という狭い舞台の中で主人公を演じていたに過ぎなかったと気づく。そのシークエンスを、舞台演出家らしい三浦大輔の演出で表現するが、いささかわかりづらいのが難点だ。その後、主人公は本当の自分と向き合い、就職活動に臨むことになる。そこからの展開を待ったが、まさかの終幕になった。エンディングを迎え「それだけ!?」とツッコみを入れる。あのまとめ方では、よくあるSNSの話を持ち出しただけだ。就職活動をフックにした必要性も感じない。社会人への足掛かりとなる重要なイベントに対して多くの要素を削ぎ落し、SNSを通じたコミュニケーションのリアルを再確認するだけって、どんだけ意味があるのだろう。自身の就職活動に対する価値観を無視しても、物語として普通に面白くない。

メインキャストには「旬」を迎える若手俳優が名を連ねる。全員、アイドル俳優ではなく、映画俳優としてキャリアを積んできた人たちだ。そのキャスティングに東宝の勢いを感じるが、本作については彼らの持ち味が活かし切れていない。いずれも実力派らしいパフォーマンスを見せるが、演じるキャラクターが魅力不足だ。結局、映画で語られるのは佐藤健演じる主人公だけであり、他のキャラクターたちは脇役のまま、変化や成長といった機会が与えられないのが惜しい。本作は群像劇ではなかった。様々なキャラクターに感情移入ができた「桐島~」とはまるで違う作りだ。与えられた役柄も、二階堂ふみ演じる意識高い系女子を除いて、どこかで見た風な組み合わせばかりで新鮮味がない。「天真爛漫」要員の菅田将暉に、「微笑み」要員の有村架純。佐藤健は学生を演じるにはもうギリギリだろう。

OB訪問、グループディスカッション、筆記試験など、就職活動のあるあるが描かれ大いに当時を思い出すが、想定以上に感情移入ができない映画。「時代は変わった」という言葉で片付けられるかもしれないけど、もっと描くべきことがあったんじゃないかな。

【55点】
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