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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

交通安全「飛び出し坊や」

2024-04-09 | 雑学

皆さんは下の画像のような、子供が駆け出している看板を見られたことがありますか?
この看板は「飛び出し坊や」と言います。
「飛び出し坊や」とは、児童が道路に飛び出して自動車などと接触する事故を防止する目的で、ドライバーへの注意喚起のために通学路などに設置されている看板です。
地方によっては、「飛び出し注意」とか、「飛び出し君」「飛び出し小僧」などと呼ばれていますが、この「飛び出し坊や」は、交通安全を願う人々と地域の団体(交通安全協会、社会福祉協議会、町内会・自治会)などが自発的に設置しているものです。

・この「飛び出し坊や」は、泉佐野市内の保育所の前に立てられている看板です。


今日は、この「飛び出し坊や」の由来について調べました。

「飛び出し坊やの由来」
「飛び出し坊や」は、昭和48年(1973年)6月に滋賀県旧八日市市(現・東近江市)で誕生しました。
その由来は、交通事故が全国的に多発していた時期ということもあり、市の社会福祉協議会が「子どもたちを守りたい」という願いを込めて、地元の看板屋「久田工芸」に発注したことが始まりです。
日本各地には同じような事故防止の看板が数多く存在しますが、久田工芸製の看板は、ファンの間では「0系」と呼ばれ全国的にも特に高い知名度を誇るそうです。

「春の全国交通安全運動」
今年も春の全国交通安全運動が始まっています。
運動期間は令和6年4月6日(土)から15日(月)までの10日間で、4月10日(水)は交通事故死ゼロを目指す日となっています。
この運動では、次の3点が全国重点項目として設定されています。
(1) こどもが安全に通行できる道路交通環境の確保と安全な横断方法の実践
(2) 歩行者優先意識の徹底と「思いやり・ゆずり合い」運転の励行
(3) 自転車・電動キックボード等利用時のヘルメット着用と交通ルールの遵守

交通安全運動の重点項目にもなっているように、子どもや歩行者の安全を守るために、自動車や電動キックボード、自転車などの運転者は「飛び出し坊や」の看板があるところは特に気を付けてほしいと思います。


間人皇后と「間人」

2024-04-07 | 雑学

皆さんは「間人」この漢字を何と読みますか?
「かんじん?」それとも「まびと」でしょうか?

「穴穂部間人皇女」
飛鳥時代の歴史に詳しい方ならご存知だと思います。
飛鳥時代の皇族で、第31代用明天皇の皇后が穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)で、聖徳太子の御母(みおも)でもあります。
他にも、第36代天皇・孝徳天皇の皇后も間人皇女(はしひとのひめみこ)と「間人」(はしひと)の名を持つ皇女です。
聖徳太子の御母である穴穂部間人(あなほべのはしうど)皇后は蘇我氏と物部氏の争乱を避け、今の丹後町に身を寄せたと伝わります。

「間人(たいざ)の由来」
ところで、「間人」は皇族名では「はしひと、もしくは  はしうど」と読み、地名では「たいざ」と読みます。
私も10年余り前に京都府京丹後市丹後町の間人の地を訪れて知ったのですが、この地名は元々は聖徳太子の母である穴穂部間人(あなほべのはしうど)皇后に由来しています。
聖徳太子の母である間人皇后は、6世紀末、大和政権の蘇我氏と物部氏との争乱を避けて、今の丹後町間人に、子供の厩戸皇子(後の聖徳太子)とともに身を寄せました。

間人皇后が大和の国へ帰られるにあたり、村人たちの手厚いもてなしへのお礼にと、自らの名「間人」(はしうど)をこの地に贈りました。
しかし、皇后から賜った御名は余りにも畏れ多いことから、皇后が退座したことにちなみ、読み方を「たいざ」にしたと言われ、「間人」と書いて「たいざ」と読むようになったということです。

・2010年に撮影した「間人」の夕日です。


「間人ガニ」
この間人には高級ブランドガニの「間人(たいざ)ガニ」があります。
間人ガニは京丹後市の間人漁港で水揚げされるズワイガニで府漁協が2006年、特許庁に「地域団体商標」として出願し、登録されました。
流通量の少なさや品質の高さから「幻のカニ」とも呼ばれています。
漁協関係者の話では1キロ当たり3万円~8万円程度で取引され、兵庫県産ズワイガニの平均単価(1キロ当たり1万円前後)と比べて高額とされています。

更に、この「間人(たいざ)」の地はカニだけでなく夕日も綺麗です。
京都丹後地方に旅行した時には夕日もご堪能下さい。

 


「楊貴妃伝説」と「ハナカイドウ」

2024-04-05 | 

サクラの花だよりが各地から届いていますが、我が家でも桃の花に次いでハナカイドウが満開となりました。

「花海棠」
ハナカイドウは、バラ科リンゴ属に属し、春を代表する花の一つとも言われています。
ハナカイドウは妖艶な美しさを持つ花と称され、美人の代名詞と形容される美しい花です。
この花の原産地は中国で、日本には江戸時代初期に渡来しました。

・我が家のカイドウは「ハナカイドウ」です。


「ハナカイドウと楊貴妃」
「ハナカイドウ(花海棠)」は中国では唐の時代の絶世の美女・楊貴妃に因んで「睡花」とか「眠りの花」とも言われているそうです。
このハナカイドウ、その美しい淡いピンクの花が、ほのかに酒気を帯びた絶世の美女のうたた寝顔に例えられています。
その故事は、玄宗皇帝の妃・楊貴妃(719年~756年)が急に帝に呼ばれて、前夜の酔いも醒めないまま、そして髪も乱れたままで現れたため、帝はその様を海棠の花にたとえて、「海棠(かいどう )睡(ねむり) 未(いま)だ 足らず」と言ったことからと伝えられています。
この美しい海棠は楊貴妃自身も好んだと伝えられています。

・4月2日に撮影した我が家のハナカイドウです。


山口県長門市には楊貴妃伝説が伝えられています。
「楊貴妃伝説」(長門市HPより)
長門市HPによると以下のようです。
日本で云えば奈良朝の昔、唐の国では天宝15年(756年)7月のことじゃったげな。
向津具(むかつく)半島の岬の西側に唐渡口(とうどぐち)ちゅう所があってな、そこへ空艫舟(うつろぶね)が流れ着いたげな。
舟の中にはな、長い漂流でやつれておられたが、たいそう気品のおありなさる、それはそれは美しい女人が横たわっておられたそうな。

お側の侍女が申すに「このお方は唐の天子、玄宗皇帝の愛妃楊貴妃と申される。安禄山(軍人)の反乱(安史の乱)により処刑されるところを、皇帝のお嘆きを見るに忍びなく、近衛隊長が密かにお命を助け、この舟で逃れさせ、ここまで流れ着きました。」と涙ながらに云うたそうな。

息も絶え絶えの楊貴妃を里人たちは手厚く看護しましたがの、そのかいものう間もなく息を引き取られたげな。
そこで里人たちは、西の海が見える久津の丘の上にねんごろに葬ったそうな。
それが今、二尊院の境内にある楊貴妃の墓と伝えられておる五輪の塔でのう。
いつとなく「楊貴妃の墓に参ると願い事が成就する」というのでの、多くの人が参詣するようになったと申しますいの。

・二尊院には楊貴妃伝説と五輪の塔が建っています。(ネットより)


(参考)
「安史の乱」
なお、安史の乱とは、755年~763年、唐の玄宗の末年から起こった安禄山(唐代の軍人)父子・史思明(ししめい:安禄山の部下)父子の反乱です。
乱後、節度使(地方組織の名称)の自立化が進み、唐は衰退に向かったのです。


「まんまと騙された」の「まんま」

2024-04-03 | 季節

一昨日はエイプリルフールでした。
エイプリルフールは嘘を付いても許される日ですが、その由来は何なのでしょうか?
調べてみるとエイプリルフールの由来にはフランス説やインド説、イギリス説など、諸説ありますが、その内のフランス説をご紹介します。

「エイプリルフールのフランス説」
1564年、フランスの国王シャルル9世が「ルシヨンの勅令」を発令しました。
これは暦の改変で、当時は3月25日からが新年とされ、4月1日までお祝いをしていたのですが、発令以降は1月1日が新年になりました。
これに反発した国民が、4月1日を「嘘の新年」とし、騒動を起こしたところ、当然のことながら国王の怒りに触れ、多くの処罰者が出たそうです。
その日の悲劇を忘れないようにと、エイプリルフールが始まったということです。

「まんまと騙された」
私がエイプリルフールで「まんまと騙された」のは、2008年にイギリスのBBCが放送した「空飛ぶペンギン」でした。
この時、BBCはペンギンの一群が南極大陸を飛び立ち、南米のホーン岬まで飛ぶシーンを放送したのです。
羽がないペンギンが空を飛ぶことなど考えられませんでしたが、BBCは見事に偽の映像を作り上げていました。
BBCと言えばイギリスの公共放送で、日本ではNHKのようなものです。
そのような放送局が放送すれば、映像を観た人は信じてしまいます。
私もそのひとりで、「まんま」と騙されたという訳です。

「まんまの由来」
さて、この「まんまと騙された」の「まんま」はどのような由来で生まれた言葉なのでしょうか?
「まんま」とは、「上手にとか、ものの見事」にという意味ですが、この言葉の語源をたどると味覚の表現にたどりつきます。
この言葉は、実は「味が良いこと」をいう『うまい』に由来しいるようです。
即ち、「うまい」と同じ意味で「うまうまと」という言葉がありますが、これが「うまうま」から「んまんま」になり、そして、「まんま」に変化したということです。

しかし、なぜ本来「味が良い」という意味の言葉が「ものの見事に」という意味でも使われるようになったのでしょうか?
「うまい」や「うまうま」の「うま」は熟した果実の味をいう「熟(うむ)」が由来で、そこから味が良いことをいうようになりました。
味が良いと感じると、心が満たされます。
そして、味覚だけでなく他の出来事でも心が満たされるときに使われるようになり、その意味を広げていったようです。
何かが成功したり、巧みなやり方で思い通りに事が運んだりすると心が満たされますが、そこから、「ものの見事」の意味も加わったという事です。

エイプリルフールに限らず、現在ではAIによる偽画像が出回っています。
私たちには何が正確な情報なのか慎重に見極めることが求められています。
偽画像に「まんま」と引っかからないように気を付けたいですね。


何故、新年度は4月始まり?

2024-04-01 | 季節

今日から新しい年度が始まります。
新しい年度を迎える4月は心が弾む月ですが、でも何故4月1日が年度の始まりなのでしょうか?

「会計年度は何故4月始まり?」
調べてみると、私たちの生活に密接に関係ある「年度」は、明治時代の会計年度が元になっているようです。
年度は当初から4月始まりだったわけではありません。
・明治政府により会計年度が初めて制度化された明治2年(1869年)は10月始まりでした。
・続いて、西暦を採用した明治6年(1873年)からは1月始まりになり、暦年と年度の始まりが同じでした。
・明治8年(1875年)からは、地租の納期にあわせるという目的で7月始まりになりました。
・次に会計年度を変更したのは、明治17年(1884年)のことです。
 その頃の日本は、国権強化策から軍事費が激増し、収支の悪化が顕著になっていました。
 当時の大蔵卿である松方正義は、任期中の赤字を削減するために、次年度の予算の一部を今年度の収入に繰り上げる施策を実施したのです。
 それに併せて予算繰り上げによるやりくりの破綻を防ぐため、松方は明治19年度の会計年度のスタートを7月始まりから4月始まりに法改正しました。
・この改正により、明治18年度は7月から翌年3月までの9ヶ月に短縮され、予算の辻褄をあわせると同時に赤字も削減されました。

こうして会計年度は4月始まりになりました。
この会計年度にあわせる形で学校などの新年度も4月開始になり、現在まで4月始まりの年度が続いているという事です。