先日、熊取町文化振興連絡協議会(以下、熊取町文振連)の社会見学会で奈良市の「東大寺」と「奈良まち地区」を見学してきました。
今日から数回に分けてご紹介します。
熊取町文振連は、公民館等において定期的に自主的な学習や文化活動を行っているクラブで組織している協議会です。
各クラブ間の連絡調整やクラブ運営の研究を深め、研修会の開催や町民文化祭などに参加しています。
毎年この時期には社会見学会を企画しているもので、今年は130名ほどが参加しました。
早速、東大寺からご紹介していきます。
「東大寺南大門(国宝)」
天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊し、現在の門は鎌倉時代に東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したものです。
正治元年(1199年)に上棟し、建仁3年(1203年)には門内に安置する仁王像とともに竣工しました。
入母屋造、五間三戸二重門で、下層は天井がなく腰屋根構造となっています。
また屋根裏まで達している大円柱18本は21m、門の高さは基壇上25.46mで、わが国最大の山門だそうです。
「仁王像(国宝)」
この向かい合っている二体の金剛力士立像は、昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われましたが、天平創建期から向かい会って立っているそうです。
この金剛力士立像は8.4mの巨大な木像で、国宝に指定されています。
・右側に安置されている吽形(うんぎょう)です。
左側に安置されている金剛力士像(阿形)も国宝に指定されています。
・左側に安置されている阿形(あぎょう)です。
「東大寺金堂(大仏殿)(国宝)」
現存の大仏殿は正面の幅(東西)57.5メートル、奥行50.5メートル、棟までの高さ49.1メートルです。
高さと奥行は創建当時とほぼ同じですが、幅は創建当時(約86メートル)の約3分の2になっているそうです。
大仏殿はしばしば「世界最大の木造建築」と紹介されていますが、20世紀以降の近代建築物の中には、大仏殿を上回る規模のものが存在することから、「世界最大の木造軸組建築」とするのが正しいようです。
「大仏殿の正面唐破風」
毎年、大晦日から元旦に正面唐破風(からはふ)下の観相窓が開かれ、大仏尊像のお顔を外から拝しながら新年を迎えることができるようです。
「大仏(盧舎那仏像)(国宝)」
奈良の大仏として知られる大仏様は、正式には東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)で、東大寺大仏殿(金堂)のご本尊です。
大仏は、像の高さ約14.7メートル、基壇の周囲70メートルで、頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代の補修ですが、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部建立当時の天平時代の部分も残っているそうです。
大仏は昭和33年(1958年)に「銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)1躯」として国宝に指定されています。
東大寺の大仏は、聖武天皇により天平15年(743年)に造像が発願されました。
実際の造像は天平17年(745年)から準備が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が実施されています。
この工事に関わった人は、延260万人とされており、創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると約4657億円と算出されるそうです。
よく出掛けていました。
それにしても大きな大仏さまです。これが金でメッキされて金ピカだったとは、いまの姿しか見えないので想像できにくいです。
人間さまは、自分を主人公にした生活をしているため、己も笑撃の対象になっているとは考えぬようです。
笑撃中では、人類が最も多く出演しています。
黒光りする大仏様、火災によるものと言われておりますが、「いぶし」を掛けたように美しいです。
当時の、日本の鋳造・研磨・鍍金技術の最高峰なのでしょうね。
長い年月と多くの労役を要したで有ろう建造に、頭が下がる思いがいたします。
南大門は各地にございますが、1199年鎌倉時代に再建された東大寺南大門は素晴らしいですね。
1398年に「李氏朝鮮」時代に建てられた「崇礼門(南大門)」は、2008年、国技の放火により消失。
今年5月4日に復元を祝う記念式典が行われました。
記録を残さない民族性の為、過去の改修工事の図面さえ無く、こんな感じ~と大胆な再建法が取られました。
お得意の、「ケンチョナヨ」精神での再建に、「以前の形と違うんでは?」の声も聞かれるそうな。(笑)
なお日本のNHKoreaは、再建に大喜びで長々と報道し、ネットの批判を浴びました。(ケンチョナヨとNHK)
「日韓併合前後の写真」で検索されると、色々と興味深く、面白いですよ。(笑)
隣国のように故意に火災で焼失させることなく、次世代に残していきたいものです。