質屋
現在は余り見かけませんが、昔は「質屋」の暖簾や看板をよく見かけました。
個人的にお世話になったことはありませんが、30年ほど前に仕事ではよく訪ねました。
当時、主が話すには、電化製品をクレジットで購入し、梱包されたまま質屋に持ってくる人も居たということです。
クレジットの決済はどのようにしたのかは知りませんが、それはさておき、この質屋さん、いつ頃から存在していたのでしょうか?
調べてみると、日本の質屋の起源は鎌倉時代といわれ、1960年代頃まで庶民金融の主力となっていたようです。
しかし、1970年代頃から、無担保・無保証人で一般市民に融資を行う「団地金融」(消費者金融、サラ金の前身)が起こり始めると、廃業する質屋が多くなったようです。
質屋とは、広辞苑によると、質物を担保として質入れ主に金銭を貸し付けることを業とする者。また、その店。江戸時代の重要な庶民金融機関。中世には土倉と呼んだ。と説明しています。
辞書が示すように、質屋の仕組みは「モノを担保にお金を貸すこと」で、これは、古来より変わっていません。
江戸時代の質物台帳には古着(着物)、反物、大工道具類、鍋等の記述があることから、当時はこれらが質草となっていたということです。
質屋は物々交換社会では必要がありません。
お金が必要だからこそ、モノを担保にお金を借りるのであって、この事は質屋という職業は貨幣経済がないと成り立たない職業ということになります。
貨幣制度が庶民の生活まで浸透してきたのは鎌倉時代の中期頃といわれており、この頃に「庫倉」という動産金融が行われたようです。
これ が室町時代になると「土蔵」「土倉」となり、江戸時代に「質屋」という名称になって現代まで発展してきましたが、近代質屋となったのは明治以降です。
中央集権国家として全国統一の法律が作られ、その際に制定されたのが「質屋営業法」で、この法に基づく質屋という商売が近代質屋として発展してきたということです。
なお、昔は「人質」もあったようです。
文武天皇の大宝元年(701 年)に制定された大宝律令の中に「質制及び出挙(すいきょ)の制」という規定があるそうで、そこには「年貢米やそれに見合う絹布などが納められないときは、その家の男衆が人質となり寺の造築や河川の修復などに人夫となって働かねばならない」と記してあります。
ここから「人質」という言葉が発生したと言われています。
現在では、金銭目当ての人質事件が発生すると、人命が脅かされることがありますが、人質の原点は年貢米に代わる強制労働だったようですね。
>お金が必要だからこそ、モノを担保にお金を借りるのであって、この事は質屋という職業は貨幣経済がないと成り立たない
なるほど、云い得て妙な響きがあります。
>おなじ「稲むら」が「世界津波の日」となりました。11月5日です。
この話を東日本大震災のときに識りましたが、場所は和歌山でしたか。φ(..)メモメモ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E3%82%80%E3%82%89%E3%81%AE%E7%81%AB