らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

真田十勇士

2016-07-30 | 趣味

今回の「高野街道を歩く」シリーズは昨日の「真田庵」で終わりですが、真田と言えば映画や小説、ドラマでもよく紹介される10人の武将たち、「真田十勇士」がいます。
真田幸村を締めくくるにあたって、今日は真田十勇士について簡単に書いておきます

「真田十勇士」
真田十勇士は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて真田幸村(真田信繁)に仕えた10人の家臣からなる武将で、各分野のスペシャリスト集団です。
あくまで伝承上の架空の人物のようですが、歴史的な由来を持つ人物もいるということです。
基本的な構成は、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、穴山小助、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の10人となっています。

・猿飛佐助・・・・・・真田十勇士の中で最も人気のある甲賀流忍者です。狩りをしに来ていた幸村にその能力を買われ家臣となる。
           幸村が九度山にいるあいだ諸国を回り、旅をしながら仲間と出会っていきます。
           佐助のモデルと推測されているのが豊臣秀吉に仕えた猿飛仁助の子孫、三雲佐助賢春、伊賀忍者の上野佐助など三名。

・霧隠才蔵・・・・・・伊賀流忍者の達人。父は浅井長政の家臣。浅井家再興の軍資金集めのため山賊となるが、仲間集めの旅をしている猿飛佐助と出会い忍法比べで対決
            の後仲間となる。
            霧隠才蔵は完全なる創作上の人物とされています。

・三好清海入道・・真田十勇士の中で最年長の武士。浪人時代に親戚である真田氏を頼り家臣に。僧侶の姿で重い鉄棒を振り回す豪傑。大坂夏の陣で弟とともに徳川親子
           を討とうとして失敗し、切腹する。
           三好清海入道は織田信場と京都で戦った三好政康がモデル。

・三好伊三入道・・由利鎌之助と共に鈴鹿山中で山賊になっていたところ、兄である三好青海入道の誘いを受け、幸村の家臣に。
           大坂夏の陣で兄とともに徳川親子を討とうとして失敗し、切腹する。
           三好伊佐入道は三好政康の弟政勝がモデル。

・穴山小助・・・・・・武田家家臣出身の武士。武田家滅亡後、父が小助を連れ、戦場を渡り歩く浪人となり、幸村の郎党となる。幸村と共に九度山に落ち、大坂夏の陣で家康
           の本陣に切り込み壮絶な最期を遂げる。
           穴山小助は実在の人物、穴山小助安治がモデルとされ、実は真田十勇士の中で最も実在の可能性が高いとされる人物。

・由利鎌之助・・・・鈴鹿山中で山賊をしていた鎖鎌の達人。伊三入道と共に幸村の家臣に。鎖鎌を振り回し敵をなぎ倒す豪傑であり、槍の達人でもある。大坂夏の陣で海野
           六郎とは別部隊を作り活躍する。
           真田家家臣で実在した由利元幸がモデルという説があります

・筧十蔵・・・・・・・・出身は諸説ある武士。種子島銃を扱い、射撃の腕は百発百中、鉄砲部隊を組織して狙撃など銃撃戦を行う。十勇士の中では異色の存在。由利鎌之助と
           ともに西国を旅して情報収集する。
           真田家家臣だった筧金六という人物がモデルとされる。

・海野六郎・・・・・・真田氏の重臣であった海野氏出身の武士。十勇士の中では最古参。仲間の活躍を陰で支える幸村の右腕的存在。
           大坂夏の陣では徳川方に突入した先鋭部隊の一人。
           海野六郎は実在した人物だとか。

・根津甚八・・・・・・元海賊の頭領。幸村が九鬼水軍の動きを探りに出かけた中で出会い、家臣となる。由利鎌之助とは喧嘩友達である。大坂夏の陣で徳川方と激闘を繰り
            広げ討ち死にする。
            津甚八貞盛という人物がモデルとされ、実在説が根強い。

・望月六郎・・・・・・忍術を使い、大筒や地雷火と言ったカ役武器の製造使用を得意とする甲賀流忍者。九度山真田屋敷の留守居役として幸村の近くで生活していたと言う
            設定も。大阪夏の陣で幸村の影武者となって「我こそは真田幸村なり」と叫びながら切り込むも、大軍を相手に最後は華々しく自害した。
            望月六郎も実在の可能性が高い。

九度山町はNHKの大河ドラマ「真田丸」の主人公真田信繁(幸村)と父の昌幸が閑居していた場所と言うことから、街中が真田色一色に染まっていました。


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3 コメント

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十勇士 (iina)
2016-07-30 08:59:24
真田十勇士で連想できるのは、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道くらいです。三好伊三入道なるお坊さんもいたのでしたか。

三好清海入道は、幼いころは漢字を架けなかったはずですが、呼び名は記憶にあります。^^

十勇士のひとりの根津甚八は、いまは俳優になっています。^_^;    「影武者」に出演しました。
http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp7560

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十勇士のうち (hide-san)
2016-07-30 20:58:20
十勇士のうち記憶にないのが、三好伊三入道ですね。

この日とはどんな活躍(講談上で)をしたのか、記憶がありません。
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hide-san様へ (らいちゃん)
2016-07-31 09:14:52
奥の細道、芭蕉の足跡を辿る旅、趣がありますね。
封人の家が当時のまま残っているのですね。

芭蕉がどの部屋に泊めてもらったのか興味がわきます。
句に詠まれているように、蚤や虱、それに馬の尿が枕元でするということは、土間で休んだと言うことではないのでしょうか?
今では、芭蕉と聞けば優遇されるでしょうが、当時はただの貧乏くさい旅人です。
座敷に上げてもらったのかどうか疑わしいように思います。

北上川と最上川に分かれる分水嶺が見られる場所なのですね。
分水嶺の言葉は知っていますが、実際にその場所が見られると言うことは滅多にありません。
感動するでしょうね。

>十勇士のうち記憶にないのが、三好伊三入道ですね。
どのような活躍をしたのか私もよく知りませんが、兄の三好青海入道と共に大坂夏の陣に出陣し、徳川家康父子を襲撃するも失敗して自害したと言うことです。
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