らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

古代中国の忠臣「予譲」

2023-11-26 | 雑学

夏が終わったと思ったら、秋がくる前に一足飛びに冬がやってきたような寒い晩秋となっています。
1週間先は師走です。
いよいよ年末商戦が始まり、街中は年の瀬一色に染まって次第にせわしくなっていきます。

12月と言えば今から320年前の元禄15年12月14日にはご存じの赤穂事件がありました。
主君浅野内匠頭の仇討を果たすため、赤穂藩の家臣47名が吉良邸に討ち入り、見事吉良上野介を討ち取った出来事です。
この事件は忠臣蔵として日本では人々の心を捉えていますが、お隣の中国にも忠義者がいたようです。
今日は古代中国の忠臣故事について調べました。

「士は己を知る者の為に死す」
中国の歴史家、司馬遷(中国最初の総合的な歴史書である「史記」の編者)によって編纂された『史記』にある有名な言葉に「士は己を知る者の為に死す(士爲知己者死)」という一節があります。
意味は「立派な男子であれば、自分の真価をよく知ってくれて、認めてくれる人のためなら、死んでもいいと思うものだ」です。

「故事」
この言葉については「史記・刺客伝」に次のような故事があります。
それによれば、この言葉は中国の春秋時代の晋の国の予譲(よじょう)が語ったものです。

予譲は二人の君主に使えましたが、いずれも十分な待遇を得られず、どこに身を置こうかと迷っていました。
そんな矢先、晋の智伯(ちはく=殷王族の末裔)という王に迎えられ、信頼されて手厚い待遇を受けました。
ところが智伯は「晋陽の戦い」で敵方の趙襄子(ちょうじょうし)に敗れ、殺されてしまいました。

何とか生き延びた予譲は智伯から受けた恩を返すため、仇を討つことを決意し、労働者に化けて趙襄子の敷地に入り込みました。
しかし、バレて捕まってしまったのです。
趙襄子に「なぜ私を殺そうと思った?」と聞かれ、「智伯さまの仇を討つためだ」と答えました。
趙襄子はその恩義に感動し予譲を逃がしました。

しかし、彼の仇討の決意は揺るぐことはなく、今度は、自分の顔を漆でぐちゃぐちゃに潰して、炭を飲んで声を潰し、別人の姿になりました。
その変貌ぶりは予譲の妻も気づかない程でした。

そして、再び趙襄子を討とうとしましたが、またもバレて捕まってしまいました。
趙襄子は一度逃がしたにもかかわらず再度襲ってきたことを「なぜそうまでして智伯に仕え、仇を討とうとするのだ」と訊ねました。

これに対して予譲は、最後に死ぬ前にせめて趙襄子の上着を切って気持ちだけでも仇討ちをさせてくれと懇願しました。
この願いは聞き入れられ、予譲は趙襄子の上着を切り刻んだのち、その刀で自分を刺して自害したという事です。

もし、智伯がこの話を聞いたならば、これほど嬉しいことはないでしょうね。
正に、古代中国における忠臣物語です。
現在の中国では考えられませんが、古い時代には日本人と同じような忠義の心を持った臣下がいたのですね。


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
山本周五郎『よじょう』  (もののはじめのiina)
2023-11-26 10:51:36
山本周五郎が書いた『よじょう』を思いました。・・・中国の晋の「予譲」のことでした・・・

宮本武蔵を狙う相手に、武蔵が帷子(カタビラ)に恨みをはらすように配慮したことを風刺するカタチをとっています。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/506363e28d5a651afc76ec3e68c70b1e

その予譲が「士は己を知る者の為に死す」とも言ったのですね。有名なことばです。^^

> いい演奏会に出会いましたね。
コロナ禍も一段落❔の折りから、最近はいろいろなイベントに出会います。
ブログに待機させている音楽関係が、未だ3つも控えています。

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