今日8月15日は、65回目の「終戦の日」です。
そこで今日は「終戦の定義」について調べて見ました。
終戦とは、戦争を終えることで、国際法上では、戦争の終結が当事者双方の間で成立した状態を指します。
我が国における「終戦の日」とは、太平洋戦争が終わった日で、現在、日本では、昭和天皇が国民に終戦を告げる「玉音放送」が行われた8月15日を指しています。
このことから、この日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、一般には終戦記念日」や「終戦の日」と称し、政府主催の「全国戦没者追悼式」や政治団体、NPOなどの主催で平和集会が開かれています。
今朝の新聞にも、日本政府は
「本日は、戦没者を追悼し平和を祈念する日です」
「国民の皆様、戦没者に対し、それぞれの職場や家庭などで正午から1分間の黙祷をお願いいたします」
と広報しています。
ところが、「終戦」の定義には、次の4通りがあり、国際的には必ずしも8月15日が「終戦」ではないようです。
「4つの終戦の定義」
1.1945年(昭和20年)8月15日
先に書いたように、日本軍の戦争当事者である昭和天皇が、戦争の終結を国民に告げる玉音放送が行われた日で、日本では、この日を一般的に「終戦記念日」や「終戦の日」と称しています。
イギリスでも、この日を「V-JDay」とし、韓国では光復節と称して、日本の植民地支配から解放された「祖国解放記念日」としています。
・皇居前で玉音放送をひれ伏して聴く国民です。
2.1945年(昭和20年)9月2日
連合国に対してポツダム宣言受諾の降伏文書に正式に調印した日で、この日が終戦の日であるとしている国もあります。
日本では、米軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までは、この日を「降伏の日」、「降伏記念日」、「敗戦記念日」と呼んでいたようです。
反対に、アメリカやフランスではこの日を、対日戦勝記念日としており、カナダでもこの日を「V-JDay」としています。
3.1952年(昭和27年)4月28日
日本本土において、第二次世界大戦後の米軍占領が終わった日で、日本では、この日は「主権回復の日」とも言われています。
国際法上の戦争終結は、日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効したこの日をもって正式に終戦の日とされます。
4.1972年(昭和47年)5月15日
沖縄においては、第二次世界大戦後の米軍占領が終わった日です。
上記(3)の日本本土における米軍の占領が終わっても、更に、その後20年も米軍の占領が続いたことから、沖縄では「屈辱の日」と呼ぶ人もいるようです。
「学校の教科書における終戦の日」
学校の教科書における終戦の日については小・中学校と高等学校で異なっているようです。
小学校や中学校の社会科教科書の多くは、戦争終結を8月15日と記しているようですが、高等学校の日本史の多くの教科書では、戦争終結を9月2日としている
そうです。
「終戦の日の行事」
「終戦の日」の今日は全国各地で、戦争で亡くなった人々を悼み、平和を祈る行事が開催されます。
東京では、政府主催の全国戦没者追悼式が千代田区の日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下や菅直人首相、遺族ら計約7200人が参列して、戦争の犠牲となった約310万人の冥福を祈ります。
式典は正午前から始まり、菅首相が民主党の首相として初めて式辞を述べた後、正午に1分間黙とうを捧げます。
天皇陛下の「お言葉」に続き、衆参両院の議長、最高裁長官、遺族代表らが追悼の辞を述べ、参列者の代表が献花します。
今年の遺族の最年長者は96歳、最年少者は4歳だそうです。
厚生労働省によると、今日は全国35都道県でも自治体や遺族団体による追悼行事が開かれ、約7万人が参加を予定しているそうです。
そこで今日は「終戦の定義」について調べて見ました。
終戦とは、戦争を終えることで、国際法上では、戦争の終結が当事者双方の間で成立した状態を指します。
我が国における「終戦の日」とは、太平洋戦争が終わった日で、現在、日本では、昭和天皇が国民に終戦を告げる「玉音放送」が行われた8月15日を指しています。
このことから、この日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、一般には終戦記念日」や「終戦の日」と称し、政府主催の「全国戦没者追悼式」や政治団体、NPOなどの主催で平和集会が開かれています。
今朝の新聞にも、日本政府は
「本日は、戦没者を追悼し平和を祈念する日です」
「国民の皆様、戦没者に対し、それぞれの職場や家庭などで正午から1分間の黙祷をお願いいたします」
と広報しています。
ところが、「終戦」の定義には、次の4通りがあり、国際的には必ずしも8月15日が「終戦」ではないようです。
「4つの終戦の定義」
1.1945年(昭和20年)8月15日
先に書いたように、日本軍の戦争当事者である昭和天皇が、戦争の終結を国民に告げる玉音放送が行われた日で、日本では、この日を一般的に「終戦記念日」や「終戦の日」と称しています。
イギリスでも、この日を「V-JDay」とし、韓国では光復節と称して、日本の植民地支配から解放された「祖国解放記念日」としています。
・皇居前で玉音放送をひれ伏して聴く国民です。
2.1945年(昭和20年)9月2日
連合国に対してポツダム宣言受諾の降伏文書に正式に調印した日で、この日が終戦の日であるとしている国もあります。
日本では、米軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までは、この日を「降伏の日」、「降伏記念日」、「敗戦記念日」と呼んでいたようです。
反対に、アメリカやフランスではこの日を、対日戦勝記念日としており、カナダでもこの日を「V-JDay」としています。
3.1952年(昭和27年)4月28日
日本本土において、第二次世界大戦後の米軍占領が終わった日で、日本では、この日は「主権回復の日」とも言われています。
国際法上の戦争終結は、日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効したこの日をもって正式に終戦の日とされます。
4.1972年(昭和47年)5月15日
沖縄においては、第二次世界大戦後の米軍占領が終わった日です。
上記(3)の日本本土における米軍の占領が終わっても、更に、その後20年も米軍の占領が続いたことから、沖縄では「屈辱の日」と呼ぶ人もいるようです。
「学校の教科書における終戦の日」
学校の教科書における終戦の日については小・中学校と高等学校で異なっているようです。
小学校や中学校の社会科教科書の多くは、戦争終結を8月15日と記しているようですが、高等学校の日本史の多くの教科書では、戦争終結を9月2日としている
そうです。
「終戦の日の行事」
「終戦の日」の今日は全国各地で、戦争で亡くなった人々を悼み、平和を祈る行事が開催されます。
東京では、政府主催の全国戦没者追悼式が千代田区の日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下や菅直人首相、遺族ら計約7200人が参列して、戦争の犠牲となった約310万人の冥福を祈ります。
式典は正午前から始まり、菅首相が民主党の首相として初めて式辞を述べた後、正午に1分間黙とうを捧げます。
天皇陛下の「お言葉」に続き、衆参両院の議長、最高裁長官、遺族代表らが追悼の辞を述べ、参列者の代表が献花します。
今年の遺族の最年長者は96歳、最年少者は4歳だそうです。
厚生労働省によると、今日は全国35都道県でも自治体や遺族団体による追悼行事が開かれ、約7万人が参加を予定しているそうです。
(一口メモ)
「玉音放送」の「玉音」とは、天子の声のことで、「玉音放送」は天皇陛下の肉声(玉音)を放送することを言います。
対日戦勝記念日を9月2日にしているというのは、テレビで知りました。
しかも、ロシアが今年の今頃にになって9月2日にすると発表して、
北方領土問題をないことにしたい意図が感じられます。何をいまさらな
気分ですが、いろいろな思惑がからんでいるようです。
しかし、これが国際上の外交のあり方です。
各国とも国益を第1に考え、国土を増やそうとしています。そのためには、時には相手の立場を無視してまでも自国の主張と行動をエスカレートさせていきます。
日本は敗戦により、近隣諸国に遠慮する風潮が高まったことにより、自己主張が全くできず、固有の領土を失っています。
即ち、北方4島のロシアは勿論、韓国との領有権問題を抱えていた竹島は韓国が占拠をしており、尖閣諸島では中国が領有権を主張し始めました。
毅然とした態度がとれない日本の外交姿勢にがっかりします。
これから先戦争がおこらないことを願うばかりです。
ミミロルさんの言うとおり、二度と戦争が起こらないことを祈るばかりです。
もし、第三次世界大戦が起きたなら、核兵器が使用されて、地球の滅亡に繋がりかねません。
人類やすべての生物の地球を大切にしたいものですね。