らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

竹田城跡と丹波・但馬の紅葉めぐり(4)「竹田城跡」(1)

2013-12-09 | 旅行

今日はこのバスツアーのメイン観光スポットである「竹田城跡」をご紹介します。

竹田城跡は幻想的な風景を目当てに観光客が急増しています。
10年前までは“無名の山城”でしたが、近年、雲海の写真や映像が各種メディアで紹介されたことや、高倉健さん主演の映画の舞台にもなったことから人気が沸騰し、昨年度は約24万人弱が訪れ、平成17年度の1万2千人から19.8倍に急増しているそうです。
また、来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケも行われたことから、さらに加熱しそうだと言われています。

「竹田城跡」
竹田城跡は353.7mの山頂に築かれた山城の遺跡であることから、天空の城、或いは日本のマチュピチュと呼ばれ、突然観光スポットになりました。
現存の遺構は、豊臣秀吉が但馬攻め(天正5年)の後、近世の城郭に普請するように命じたものとみられています。
この城跡は、山城遺跡として全国でもまれな完存する遺構で、平成18年には(財)日本城郭協会から日本100名城の選定を受けています。



「天空の城」
竹田城跡がある但馬地方は、秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、この雲海に包まれた姿や竹田城から見下ろす風景が天空に浮かぶ城を思わせることから、いつの間にか「天空の城」、そしてペルーの世界遺産マチュピチュになぞらえて、日本のマチュピチュと呼ばれるようになりました。

・雲上に浮かぶ竹田城跡です。(展示していた写真を撮影しました)


・標高353mの山頂にある竹田城跡への登城道です。


竹田城は、嘉吉(かきつ)年間(1441年~1443年)、但馬の守護大名、山名 宗全(やまな そうぜん)が出石城の出城として播磨・丹波から但馬への侵略路に位置するこの地に、13か年を費やして築いたと伝えられています。
当時は、土塁をもとに作られた城と考えられ、山名氏の武将、太田垣氏が7代にわたって城主となり、治めました。
しかし、秀吉による、天正5年(1577年)と天正8年(1580年)の2度の但馬征伐で竹田城は落城し、山名氏とともに太田垣氏は没落しました。 

・登城した最初の城跡が花屋敷(花殿)で、そこから眺めた天守台の石垣です。


その後、秀吉の弟、秀長の属将的な地位にあった桑山修理太夫重晴、続いて播磨龍野城主 赤松政秀の子、赤松広秀が城主となります。
広秀は朝来郡2万2000石を領有し、文禄年間から慶長の初期(1600年頃)に、現在のような豪壮な石垣積みの城郭を築きました。

天守台を中央に、南千畳、北千畳、花屋敷が放射状に配され、その姿は、虎が臥せているようにも見えることから、別名「虎臥城」(とらふすじょう・こがじょう)とも呼ばれています。
縄張りの規模は南北400メートル、東西100メートル、完存する遺構としては、全国屈指のもので、国の史跡に指定されています。

・花屋敷から眺める竹田城跡全体の石垣です。


「天守台の石垣」
天守台は石垣の高さが約10mと主郭部の中で最も高く築かれています。
石垣の積み方は、織田信長の安土城と同じ技術で、自然石の石の声を聞きながら積むと言われる、近江穴太衆(あのうしゅう)の手による穴太流(あのうりゅう)石積み技法が用いられています。
石材は現地のほか山麓付近から集めたものと考えられ、花崗岩で最大のものは5トンと推測されているそうです。


竹田城の最後の城主、赤松 広秀は、関ヶ原の役で西軍に属し敗北しましたが、その後、徳川方として鳥取城攻めに加わり戦功をあげました。
しかし、城下に火を放ったとの罪を押しつけられて自刃し、竹田城は廃城となりました。


明日も竹田城跡の画像をご紹介します。


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3 コメント

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君をのせて ♪ 井上あずみ (あQ)
2013-12-09 09:29:48
良いですね~。 .らいちゃん様は、最近の人気スポットにいらっしゃったのですね。
中々趣の有る景観で、確かに日本のマチュピチュって感じですね。(笑)

日本のお城は明治(革命)政府により、その殆どが姿を消しました。 国宝4、重文8のお城が現存。
文化的な遺産なんて考えの及ばない田舎者政府でしたので、「中国の文革」の批判は出来ませんね。

日本は貴族社会を廃し、更に敗戦により暴れ出した土民に実質支配され、日本人の精神までも失い掛けております。
美しい日本の伝統文化は、古来から一割と言われる
マトモな文化人により受け継がれて参りました。

現在、文化人と称する輩の多くは「ナリスマシ日本人」達です。
明治政府が助けた土民に支配されるようになった現在の日本の現状を、維新の功労者と言われる人々は、どんな思い出見ているのでしょうね。(苦笑)
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待ってました (iina)
2013-12-09 10:27:12
雲上に浮かぶ竹田城跡は、まさに日本のマチュピチュです。雲が発生しやすい環境に、立地しているのでしょう。
花屋敷から眺めた天守台の石垣に、雰囲気が感じられます。
明日もたのしみです。

本州と四国に3つの架け橋の最後に「しまなみ海道」を確認しました。通ったのは瀬戸大橋だけですが、空からは何度
も通っています。
大島は、すでにご案内済ですが、近くの公園から冬場の空気の澄んだときに遠望できます。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/eca31c1d259d00f0399f94e3158d59e4

若いころに大島から眺めた落日は、とんでもなく素晴らしかったです。その彼方に、富士山を据えて、陽が傾くにつれ
西の空全体が橙色に染まっていきました。
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あQさんへ (らいちゃん)
2013-12-09 18:57:19
美しい日本の伝統文化、伝統行事などは後世に引き継いでいかなければなりません。
おっしゃるように、戦争に負けてあらゆるものを失いましたが、日本人の精神まで失ってはなりませんね。

現在日本は、自然遺産と文化遺産を含めた世界遺産が17件の登録されており、世界ランクで13位だそうです。
1番はイタリアの49件、次いで中国の45件です。
事件や不注意などで現在ある文化遺産を失うことなく、大切に守って後世に引き継ぐことは勿論ですが、世界遺産にも登録できるよう努力して欲しいですね。
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