一昨日、ご近所の Kさんご夫妻と一緒に京都御所の春季一般公開を参観してきました。
京都御所は春と秋の年2回、一般公開が行われますが、今年の春季一般公開は4月6日から10日まで行われています。
そこで、今日から数回に分けてその模様をご紹介します。
「京都御苑」
京都御苑の入り口を入ると「京都御苑のごあんない」がありましたのでご紹介します。
京都御苑は東西約700m、南北約1300mのほぼ長方形をしています。このうち御所などを除いた約63haが「国民公園」として終日解放されています。
苑内には約5万本の樹木が生育し、外周九門や、嘗ての公家屋敷の遺構も多く残っています。
豊かな自然と歴史に恵まれた京都御苑は御所の前庭として、また、散策、休養、スポーツ、そして自然や歴史とのふれあいの場として多くの人々に親しまれています。
・京都御苑への入り口です。
苑内では桃や桜など数多くの花が咲いおり、訪れた人たちの目を引いていました。
「京都御所」
京都御所はもと大内裏と言われ、1217年前の延暦13年(794年)桓武天皇が遷都された平安京の大内裏の中ほどに天皇のお住まいである内裏(皇居)がありました。
内裏が火災に遭うと、天皇は貴族の私邸など京中の殿邸を仮皇居とされました。これは里内裏(さとだいり)と呼ばれていますが、平安時代の後期以降、元の内裏は次第に使用されなくなり、里内裏が日常の皇居とされるようになりました。
現在の京都御所は土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)と云われた里内裏が発展したものです。
光厳(こうごん)天皇が元弘元年(1331年)ここに即位されて以降、明治2年(1869年)に明治天皇が東京に行幸(ぎょうこう)されるまで皇居とされました。
現在の建物は安政2年(1855年)に再建されたものです。
「築地塀(ついじべい)」
京都御所の「築地塀(ついじべい)」は、五筋の白線をつけた薄い泥色の壁で、格調ある静閑な雰囲気を以って、約11万3000㎡の中に京都御所十余の木造宮殿群を囲んでいます。
これは塀として最高の格式を示すものだそうです。
・左奥のテントのところが京都御所一般公開の入口「宜秋門」です。
「宜秋門(ぎしゅうもん)」
宜秋門(ぎしゅうもん)は別名「唐門」とも「公卿門」とも言われており、檜皮葺(ひわだぶき)、切妻造りで、柱間1間の四脚門です。
この門は、昔摂政関白、親王、公家、殿上人や将軍の御使及び諸大名が参内する際の表参内門です。
・京都御所一般公開ではここが入口となります。当日は平日ではありましたが、天候に恵まれたこともあって大勢の参観者で混雑しました。
「御車寄(おくるまよせ)」
宜秋門(ぎしゅうもん)を入るとすぐに「御車寄」があります。
天皇より「牛車の宣旨、手車宣旨」を賜った者は宜秋門から車のまま通行が出来て、この御車寄より昇降出来ました。
御車寄は、昔摂家、親王、堂上、六位の蔵人など昇殿を許された人々が正式参内の時に限り昇降するところです。
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やはり、桜とともに観る御所はよかったです。
なにしろ、二条烏丸通りを仕事の拠点にして、西陣辺りまでよく歩きました。歩くと名所案内
板に目がいき、その勢いで京都をよく識りました。
そのお蔭で京都に詳しくなりました。
この季節、京都はたくさんの人が訪れそうですね。
私も行ってみたくなりました!
確か、年に1回公開していると聞いたが、
今もそうなのかな。。。
人数が多くて抽選らしいが・・・
一部、ブログにも載せましたが、桃が一段と綺麗に咲いていますね。
私は、ずっと若い頃京都に3年ほどタントン赴任をしていましたが~
仕事仕事で、土日には家に帰ったりで殆ど町に出かけたりしていません。
夜は、東の方角に結構飲みに出かけましたがネ!!
ゆっくりと散策してみたいのですが、中々行けません(^_^;)
いい所なんですがねぇ~!!
たよりない、困った村長ですんまへんどす(>_<)