らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「君の名は」第一部

2012-06-27 | 趣味

先日、ブルーレイレコーダーに撮り溜めていた映画、「君の名は」の第一部を観ました。
この映画は、昨年12月18日にNHKBSシネマで放送された「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本ー家族編」の中の一つです。
この作品は大庭秀雄が監督した昭和28年(1953年)の松竹映画で、主演の佐田啓二が後宮春樹(あとみやはるき)を、ヒロインの岸恵子は氏家真知子(うじいえまちこ)を演じるメロドラマです。

映画が公開される前年の昭和27年(1952年)4月10日にNHKラジオで放送が始まり、昭和29年(1954年)4月10日まで続いた脚本家・菊田一夫の代表作で、当時は大変な人気を博したものです。
ラジオ・ドラマの冒頭には毎回『忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓(ちこ)う心の悲しさよ』と言うナレーションが入り、今でも「君の名は」と聞けばこのナレーションがすぐに思い出されるほど有名なフレーズとなっています。
また、当時、「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」と言われたほどの人気を博した番組でもありました。

・映画の一場面、数寄屋橋での佐田啓二と岸恵子です。


あらすじは次のようなものです。
昭和20年5月24日の空襲の中、出会った若い男女が炎の中を抱き合って逃げ惑い、防空壕で一夜を明かしました。
銀座の数寄屋橋で別れる時、男性から「もし生きていたら半年後の11月24日ここでお逢いしませんか」と聞き、女性も笑顔で「ええ、もし生きていたら・・・」と応え、名残を惜しみながら去っていく女性の後ろ姿に『君の名は?』と聞き、女性が立ち止まった時、また、空襲のサイレンが鳴り、名前を聞けないまま別れました。

半年後の再会の日に、女性は空襲で親を亡くして親戚の叔父を頼って佐渡へ行くことになり、船から遠い東京を見つめていました。
一方の男性は万難を排して約束の数寄屋橋へ行き、女性を待っていましたが、あの人は現れませんでした。

女性は友人たちの協力で間もなく彼の本名と、彼が真剣に自分を探していることを知りました。しかし、親代わりの叔父の勧める縁談にノーと言えません。
1年半後、彼女は数寄屋橋で自分を待っていてくれた彼と出逢い、「私は氏家真知子(うじいえまちこ)です」「僕は後宮春樹(あとみやはるき)です」と正式に名乗り合いますが、真知子は婚約していることを春樹に告げます。
「あなたの幸せを祈っています」と云う春樹の切ない祝福の言葉を聞いて、熱い想いを振り切るように真知子は去っていきました。

こうして真知子は涙の別れをして、別の男性と結婚しましたが、夫は妻の真知子が別の男性を心から愛していると気づいてからは嫉妬に狂います。
そして遂に真知子は離婚を決意して、また佐渡へ戻ってきました。

友人たちの助けもあって春樹も駆けつけてきますが、真知子は夫の子を身ごもっている事を知ります。
進退窮まって自殺を図った真知子に春樹は「生まれてくる子の為に、夫の元へ帰りなさい」と諭します。
そして、傷心の思いを抱いて、春樹は佐渡を去っていきました。
これが第1部のあらすじです。

2部、3部はテレビ放送が無かったので観ていませんが、機会があれば是非とも観てみたい映画です。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いまは むかし (iina)
2012-06-27 08:15:30
「君の名は」の1部を観ては、2部と3部を観ないわけには参りませんね。マリオン(元・日劇)前
の数寄屋橋は埋め立てられ石碑があるだけです。
それにしても、若いころの佐田啓二は、中井貴一にそっくりです。

iinaも先週に学生の頃に観て感動した「カラマーゾフの兄弟」3部作を録画して観ました。
2部構成と勘違いしてましたが、3日間で放送しました。

いまの復元された平城宮跡に行ってみたいです。
Unknown (tamirin)
2012-06-27 16:00:50
名作で、知ってはいますが、
見たことはないです・・・
Godzilla (名無し)
2018-01-14 18:49:05
この映画の第3部公開は昭和29年。あの「ゴジラ」が製作公開された年ですね。それから62年後、「」シン ゴジラ」と、新海誠監督のアニメ映画がどちらも大ヒットしました。まさに、歴史は繰り返す です。

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