今では死語となった言葉に「かまとと」があります。
昔、社会人1年生で東京・八重洲口勤務の時、先輩から「かまととぶっちゃって!」と言われたことがあります。
「かまとと」という言葉は故郷の岡山では聞いたことがなく、初めて聞く言葉だったので意味が分かりませんでした。
「かまとと」
「かまとと(蒲魚)」とは、広辞苑によれば「蒲鉾をこれは魚(とと)か?と聞くことから、分かっているくせに分からないふりをすること。何も知らないような顔をして上品ぶり、また無邪気らしく振舞うこと。と説明しています。
この言葉は、一説には、女性が世間知らずを装うために「カマボコはトト(魚)から出来ているの?」と言ったことからで、知っているのに知らないフリをするときに使用される言葉だということです。
幕末の花柳界で普及したことから女性を対象に使われた「かまとと」は、後に「うぶを装うこと」や「うぶな人」という意味で使われるようになりました。
「かまとと」を逆にした言葉に「ととかま」がありました。
意味も「かまとと」の逆で、「知らないのに知ったかぶりをする」時に使用されます。
この2語は今では死語となり、使われることは殆どないということです。
・映画「泣きたい私は猫をかぶる」(ネットより)
「猫を被る」
同じような意味の言葉に「猫を被る」があります。
「猫を被る」も広辞苑では、本性を隠しおとなしそうに見せかける。また、知っていながら知らないそぶりをする。と説明しています。
でも何故なぜ猫なのでしょうか?
猫は普段とても大人しくて静かな動物ですが、その実、猫はれっきとした肉食獣で、生きた動物を狩る習性がしっかりと根付いています。
そのような本性を隠して大人しい猫のように振る舞うことから、「猫を被る」ということばが生まれたようです。
使用例としては、本来は激しい気性やうるさい性格にも拘わらず、特定の人の前では大人しく振る舞ったり、初めて会う人の前では静かにしている際に使われます。
また、本来は知識があるにも拘わらず知らないふりをするときにも使われます。
更に、人を非難したり、態度を指摘する場合にも使用されることから、あまり良い意味では使われません。
でも、なぜ猫を「被る」というのでしょうか?
一説には、昔から何かになりすますことを、「○○の皮を被る」と言います。
例えば、「羊の皮を被った狼」、「人間の皮を被った悪魔」という言い回しがあるように、被るというのは表面だけを覆って、取り繕っている印象があり、そのことから被ると表現しているという説が有力のようです。
他には、「猫を被る」ではなく「ねこざを被る」が本来の言い方だという説があります。
「ねこざ」というのは藁を編んで作った「むしろ」のことで、これを被って本性を隠している状態を指しています。
たしかに藁で編んだ「むしろ」を笠のように頭から被るので「被る」という言い方は自然かもしれませんが、いずれにしても、世知辛い世の中を渡っていくに際して、「かまととぶっている人」や「猫を被っている人」を的確に見分けて、相手の術中にはまらないようにご注意して頂きたいと思います。
そんなイワレでしたか φ(..)メモメモ
> 「猫を被る」・・・知っていながら知らないそぶりをする。
「かまとと」と同義語なのですね。
次が正しい「ネコをかぶる」ですょ。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/aea3725cf73ad63f2d2b98017d9feb95
ネズミ年の今年は、後半を
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/787e15accc058ed7227a474ed4db9033
そうなんですか、よく解りました。