先日、所用で大阪府茨木市に行ってきました。
50年余り前に茨木の独身寮に住み、茨木に勤務していた関係でその周辺を少し歩いてみました。
当時、木造の独身寮だった建物は、今は別の新しい建物に変わっており、勤務していた店舗は駅前のビルへ移転しており、50年の時の流れを感じました。
私が勤務していた頃の茨木市は人口11万人ほどの田舎町で、当時はあちらこちらに農地が広がっていましたが、今はその姿はなく、マンションなどの建物で埋め尽くされていました。
それでも阪急駅前の古い商店街「心斎橋商店街」は当時のまま細い路地を挟んで商店が並んでおり、そこを歩くと懐かしさが蘇りました。
現在の茨木市は人口が28万人を超える大阪府の中核都市として、大いに発展している町に変貌していました。
「茨木神社」
市役所の近くに茨木神社があるので、お参りしてきました。
御由緒によれば、当神社の創祀は「大同2年(807年)坂上田村麻呂が荊切の里(いばらきのさと)をつくりしとき、天石門別神社(あまのいわとわけじんじゃ)が鎮座された」と伝え、明治12年発刊の「茨木村誌」や 大正11年に纏められた「大阪府全誌」にも「大同2年2月坂上田村麻呂茨木町ヲ作ル 是日本町ノ始ト十三朝集ニ有」と記されています。
また、社伝によると高槻城主高山右近が、織田信長に倣い、神社仏閣を焼却するに際し、信長が天照大御神、春日大神、八幡大神及び牛頭天王(ごずてんのう=素盞嗚大神)の諸社は焼くべからずとしたので、牛頭天王を祀ると詐称して焼却を免れたと伝えられています。
そして、元和8年(1622年)牛頭天王、春日大神そして八幡大神を祀る社殿を新たに築いて本殿とし、天石門別神社を奥宮として今日に至っています。
・茨木神社は本殿が建て替え工事中でした。
「茨木の由来」
茨木の地名は坂上田村麻呂が作った「荊切の里」が「茨木」になったなったと言われています。
なお、荊(いばら)とは、棘のある蔓性の植物で、5月頃になると淀川や安威川には今でも繁茂しています。
・本殿が工事中のため設置された仮本殿です。
・元々はこれが本殿です(ネットより)