葉桜ハレド。ん? あ、いや。


 ハレドの新作、というと以前だったらライ界の大ニュースで、このブログでもまっさきに取り上げたところですが、最近はどうもそういう気になりません。

 ニューアルバムLiberte『リベルテ(自由)』は3月30日発売ということでしたが、ネットにはその1か月以上前から全曲が聞けてましたし。

 そのことをミリアニさんたちに言ってみたら「あーあれはね、ハレドの兄弟が横流ししたんだよ」というお答え。
 ハレドはアルジェリアの親族ともあんまりいい関係でなさそうですね。

 あっしは古い人間でござんすので、未発表アルバムをネットで聞いてすぐ論評というのは好きじゃないです。CDを買って、付随してくるジャケットや文字情報を眺めながら音を吟味したいです。
 ということで、やっとCDを入手、聞いてみました。

 これはライとしては「葉桜」ですね。それなりに聞かせはしますが、アルジェリア的な、オラン的な活力を感じさせるところがないような。
 去年にはこんな情報も流れていたので、こんどこそバリバリのライを聞けると思っていたわたしとしては、がっかりでした。

 ただ伴奏、アレンジを意識的に取り去ってハレドの声だけに注意を集中して聞けば、そのうまさは相変わらず。こぶしの回し方の絶妙さは全く健在です(プランクトンの社長さんもそう思ったんだと思います)。
 それに、録っているのがちょうど20年前、ハレドと共に記念碑的アルバムKutche『クッシェ』を作って、一気にライをワールドミュージックの代表的ジャンルに高めたマルタン・メソニエなのです。この『リベルテ』でもなにか考えがあってこういう形に仕立てたのかなと思います。

 そのへん、少し聞き込んでみたいです。

[追記] 何回か聞いてみるとさすがになんか見えてきた(聞こえてきた?)感じです。いずれまたまとめて書きますね。
 むかしグナワ・ディフュージョンの『スークシステム』のライナーを書かせていただいたときに思ったんですが、あのアルバムは最初あんまり気にいってなくて、解説を書くために何度か聞いてみてはじめてアマジーグたちの(音楽的)意図とその良さが「分かった」気がしたものでした。それがどういうものかって、言葉では言えない感じなんですが・・・
少なくとも数回は聞いてくれる固定ファンのいるアーチストはそういうことができます。ふつうはCDなんて一回聞いて「あ、これダメ」となればもう二度と聞かれず、押入れの場所をとるばかりになっていくんです(まさしくこれがCD等の物理的媒体の弱点ですね)。09.04.19.
 
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