ライ伝説のクラブへ

25 アルジェリア滞在実質第一日目は大変有意義だったのですが、先に書きましたように風邪をひいてしまい、あとはかなり苦しい滞在になりました。

 二日目はほとんど寝た切りで、三日目の夜。
 少し回復したつもりで、ミリアニさんたちに連れて行かれた店は、表になんの看板も目印もないところ。ミリアニさんが呼び鈴を鳴らしてしばらく待つと、木の頑丈な扉が開いて、中へ入れてもらいます。
 まるで秘密の集会場みたい。天井低い二階建てのレストラン。
 たぶん、独立戦争のころの秘密会合みたいな形がいまも続いているのでしょう。

 中で賑やかに飲んで食べている人たちは、一見ただのおっさんたちですが、みなかなりのインテリなのだそうです。馬鹿な冗談を飛ばしている人がいましたが、後であれは某政党のオラン地区リーダーという肩書の人だと聞いたりして。

 さて夕食なのですが(エスカロップ頼んだ。ちなみに一日目の晩はパエージャ)、わたしはお酒も大丈夫だろうと思ってワイン飲んでたら突然、あっという間に気分が悪くなり、「あれーっ、だめ!」と思った瞬間、頭から血が抜けて意識が消えてしまいました。
 
・・・

 少したってはっと目を覚ましました。気分はかなりよくなってましたが、ミリアニさんたちが、半分心配げに、半分にやにやと笑ってみてました。それで:

 「ここにいるのがわたしじゃなくてナスロだったら、あんた日本に帰れてないよ」

って言うんですね。
 金もパスポートも、みんなナスロに取られちゃうだろう、っていうんです。

 ナスロってこの人ですね。でっぷり太った人らしいです。
 アルジェリアの新聞報道を見ていて、かなりいかがわしい人物だろうと思ってましたが、やっぱりいかがわしかったですね。
 ほとんど教育も受けてない人だけど、何をどうやったのかオラン民衆歌謡協会APICOのボスの座につき、オラン・ライ・フェスティバルの興業権を握って、やりたい放題。
 でも彼が実権を奪われてしまうと(だれも彼のことをかわいそうとは言いませんね)とたんにライ・フェスティバル自体がわけわからなくなって、去年からオランでの開催さえなくなってしまいました。なんとか言ってもコンプライアンス・ゼロ、運営の透明性ゼロのナスロがやっていたフェスティバルの方が活気があって、ライらしいフェスティバルをやっていたように思います。
 そういうもんですね・・・

 さて食事が終わると、大丈夫かなあと心配されながら、いや、行く。行く行く行く行く行く!!! と言い張って、ライのスター達がみなここから始めたという伝説のナイトクラブの集積地、カナステルに向いました。

 たとえ心臓が止まってもカナステルまでついていくつもりでした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )