レオン・ロッシュ


 年末になっておやじ週刊誌ものきなみ新年号を出してますが、『週刊新潮』新年特大号(↑)では、野口武彦氏による連載「幕末バトル・ロワイヤル」にいよいよレオン・ロッシュが登場してます。

 Leon Rochesは徳川慶喜と密接な関係にあったフランス公使です。
 徳川慶喜は、野口氏の書いておられるとおり、ロッシュの言うことをかなりまじめに聞いてます。慶喜はフランス式の軍服姿の写真を残してますし、自分でもフランス語少しやりかけたらしいですね。

 さて普通日本で幕末史が語られるときは、どうしても勤皇の志士とか幕臣とかの日本人の思いに関心が集中して、外国人にもそれなりの思いがあって日本に関わっていたのだというところが意識から抜けているみたいなのは残念です。これが入ってくると日本人の国際感覚もずいぶん熟する感じがするのですが。
 野口氏がロッシュの思いをしっかり書いてくださるよう、期待してます。

 ロッシュの時代、つまり日本の幕末期はフランスではルイ=ナポレオンの統治する第二帝政の時代です。ロッシュにしてみれば日本の徳川家とは、フランスの正統ブルボン王朝に対抗して武をもって支配権を確立したボナパルト家になぞらえられるものであって、彼が徳川幕府側にシンパシーを抱いてしまったのはほとんど当然のことだったのですね。

 さてこのレオン・ロッシュって波瀾万丈の生涯を送った人で、日本に来る前に既にいろんなことをやってました。
 日本におけるロッシュ研究の第一人者といえる田井中勝次氏によるこのページをご覧ください。
 ね、面白いでしょう?

 このエントリーのカテゴリーが「アルジェリア」になっているわけがお分かりになりましたでしょうか。
 田井中氏とは日本アルジェリアセンターの会合で一度お会いしたことがあります。  
 ロッシュはスタンダールと同じグルノーブルの出身ですし、上記のページに『幕末日本とフランス外交』の著者として登場する鳴岩宗三先生は高名なスタンダール研究家です。鳴岩先生が日本語でお書きになったスタンダール論『親密な笑い』の内容が知りたいというフランチェスコ(このエントリーを参照してください)に少しフランス語で要約してあげたことがありました。
 それにロッシュは、アルジェリア独立運動の大立者アブデルカデルと肝胆相照らす仲だったのです。
 そんなこともあって、わたしはなんとなくロッシュと縁があるような気がしてます。

 ところでフランスはロッシュの方針で幕府に肩入れしてしまったために明治政府との関係構築で後れをとることになってしまいました。
 それに明治維新のすぐあとの1870年に普仏戦争がおこってフランスはプロイセン(ドイツ)にこてんぱんにやられてしまいます。
 このあたりの歴史の流れが、日本の方向性に決定的な影響を与えていると思います・・・

(次のエントリーに続きます)
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