日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
かなだはなかなかだ~その12 ケベック・シティ・ホテル・・・ん?

さてこのケベックシティLa Ville de Quebecの佇まいでいちばん考えさせられるのは、この街のてっぺんにこの巨大な建物が聳えているということですね。
"Quebec City Hotel"・・・なんて名前じゃありませんよ。
Fairmont Le Château Frontenacというホテル(あちこちでいろいろ書いてあるけど、フランス語でちゃんと読むなら「フェルモン・ル・シャトー・フロントナック」になるはず)・・・
つまりこれが「ホテル」だっていうことが。
わたしとしては、ホテルであるからには営利企業のはずで、営利企業であるなら倒産することもありうるわけなんだけど、こんな圧倒的なランドマークであるホテルが倒産しちゃったらいったいどうするんだろう、ってどうしても思ってしまうのです。
この手の建物は普通数百年前に、資本主義が確立する前に建てられたお城というのが一般的だと思うのですが、それだったらたとえ現在、なかががらんどうでも――アルジェリア・オランの「城塞」みたいに。要するにわが愛しのアルジェリアは絶好の観光資源が使いこなせてないんです!――格好はつくと思うんです。もともとの目的が軍事、居住、威容を示すこと、あるいは自分の趣味を追求することにあったわけだから。
でも「倒産したホテル」ではだめ。失敗、敗残、無残・・・でしかない。お金儲けの目論見が潰えちゃったという記号でしかない。
でも現代には封建時代のお殿様はいない(そういうのはルードヴィヒ二世でおしまい)。こういうものを建てようとするなら、営利企業にせざるを得ない・・・
ちなみにこのホテルは、カナダ太平洋鉄道が建てたのですね。
鉄道。それがモデルニテの特権的トポスであることも、なんか引っかかります。
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かなだはなかなかだ~その10 「イギリス人全員がイギリス人ではなかった」

しかしこのカナダを、単にフランス語系対英語系の1対1の対立の構図でのみ理解しようとするのは、無理だと思います。その主な理由は「イギリス人全員がイギリス人ではなかった」からですね。
ケベックシティにある文明博物館 Musee de la civilisation の説明パネルのひとつ。こういうことをはっきり書いてあるテキストにはこれまであまり遭遇しなかったので、それなりに貴重に思いました。
Les "Anglais" qui s'etablissent apres la Conquete sont loin d'etre tous... anglais. Beaucoup sont ecossais, americains, irlandais ou allemands, de religion protestante, juive ou catholique.
(ケベック)占領のあとに定住した「イギリス人」たち全員がイギリス人というわけではなかった。多くはスコットランド人、アメリカ人、アイルランド人そしてドイツ人であり、宗教もプロテスタント、ユダヤそしてカトリックに分かれていた。
ということなのです。
このあたりの多様性の生み出したダイナミズムをうまくとらえないとケベックは、カナダは理解できないな、ということを、ちょっと前から思っています。
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かなだはなかなかだ~その6 スポーツ

モントリオールは大学内にアイスホッケー場があります。
うーん、これはなかなかやるなという感じですね。下は客席です。

他のスポーツ施設も非常に充実してます。
モントリオールは大学生だけでなく、市民みなそれなりにスポーツ、ヘルシー志向のように思います。寒いのにジョギングやってる人たくさんいますしね。あんまり太りすぎの人を見かけません。
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かなだはなかなかだ~その4 ユニヴェルシテ ユニヴァーシティ

モントリオール大学の中央の建物。
入ったら守衛さんがおります。
当たり前、でもないんですって。去年の今頃は学費値上げに反対する騒動で騒然としており、以来警備が厳しくなったそう。
ほよんとしているように見えて、カナダもやっぱり熱い・・・
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かなだはなかなかだ~その3 Notre-Dame de Montréal

のーとるだむ・ど・もんれある。あわ・れいでぃ・おヴ・もんとりおーる
(ひらかなの「う」に点々って、出ないんですかね?)
青のイルミネーションはもちろん本来の色ではないのに、わたしの中ではこの聖堂は青で固定されてしまった。美しいけど。
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かなだはなかなかだ~その2 Saint-Laurent
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2800円
このごろ忙しかったので読めてなかった紙媒体新聞を急いで読んで。
日経今月の「私の履歴書」(先月の渡辺淳一氏のは各回とも歴史的観点からいっても非常に興味深いものでした)はオンワード樫山の顧問の馬場さんという方ですが、読んでいるうちにふと:
アメリカではJohnとかBobとか、人はファーストネームで呼び合うというのが基本、というのはやはりこの国が民衆の国を志向していることになっているからだろうか、イギリスではSherlock Holmesの時代でもワトソンは「ホームズ!」と呼んでいたのだし。日本は苗字、というか官職名(右大将、とか課長とか)で呼ばないと落ち着かないというのはなぜか。「きらきらネーム」というのはなんだろう、「民衆」の「貴族」志向の、特異な噴出形態だろうか、とか。馬場さんという方が名家の姓を継がれた方なのでそのようなことを考えたのでしょうか。
日経2月3日の書評欄。わたしの興味を引いた三冊:
『フレディ・マーキュリー 孤独な道化』
『トクヴィルが見たアメリカ』
『ピアフのためにシャンソンを』
は、翻訳でもありますが三冊とも2800円だったのがなんとなく面白く思いました。
このところ「2000円以上の本は売れませんよ」という話だったように思いますし、自分でもたしかにそうだなあと思っていたのですが。
なんかひとつのトレンドがここにあるのかも・・・
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フランスカメラ展

お分かりのとおり短いながら東京出張してまいりました。
空き時間にどこに行こうか、ネットを検索していて・・・(上野で『エル・グレコ展』やっているのは知ってましたが・・・わたしとしては未知の世界を覗いてみる方が好きです。ちなみにグレコではストラスブールの美術館にあるバプティスマのヨハネ像が、実に内省的なヨハネで好印象を持ったことを覚えています)「フランスカメラ展」というのをみつけて、行ってみました。
これは、大当たり。充実してます!
24日までなので見たい方は急いで見ておいてください。
19世紀のフランス人、NiepceやDaguerreが最初に現実の視覚像を定着させるのに成功してから――これはアラブや日本や他の文化には全く無い流れだったんだろうか――イギリス、アメリカの発明家が続き、産業として成長します。でも20世紀にはドイツと日本がカメラ市場を制してしまい、今ではフランスのカメラというのはないも同然の存在になってしまっています。
でもこの分野も、最初の創意工夫はフランス人がなしたと言えそうですね。
パテ社の動画撮影機、映写機も少しありました。
写真はまだしも「映画」となると、それができる以前の人間にはこんなものができるとは夢にも思えないしいったい何の役にたつのかも分からない。そういうものだからこそ実際に見た者を完全に屈服せしめることができるのでしょう。
永倉新八が「土方歳三や近藤勇が映画を見たらどんな顔をするかなあ」って言ったという話、わたしは大好きですね。
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