日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
飴(つづき)
ノーベル文学飴は、モディアーノにあげるくらいならウエルベックにあげればいい気もしますがね・・・
(日本に戻る考えはありますか?)
「それはない。仕事はこちら(アメリカ合衆国)と決めている。裁判も決め手になった。大勝したら日本に残ろうと思っていたが、そうならなかったので米国に移った。この選択は間違っていなかった。」(日経10月9日)
問題は、中村教授がアルジェリア人だったら――だったとしてさえ――こんなこと絶対言わなかっただろうということですね。本人も周囲もアメリカ定住を当然と思うはず。
それを世界的、世界史的視野から、どう考えるかということです、問題は。
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飴
ノーベルでっか。
中村教授。米国籍とっちゃってるんですね。日本では「みんなの力で達成した」と考えようとするのを、アメリカ合衆国的、つまりグローバルスタンダード式考え方ではそうではなかった、ということですか。
で、いったんノーベル取ったとなると日本のマスコミは「日本人が日本人が」となるんだな。
赤崎教授。85歳の方を名城大学というところはよく雇用しておられました。わたしも85歳まで働かせていただきたいものです。
一方小保方さんは博士号剥奪ですか。
Cojaalはアルジェリアから契約解除ですか。
ノーベルは、文学賞は誰ですかね。案外ひょっこり今年こそ春樹さん、とか?
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一葉落ちて天下の秋を知る

2014年9月12日の『朝日新聞』、記録として買っておきましたが(うちが取っているのは日経です)、これでは終わらないだろうと思っていたら次の矢はマスコミ同業者じゃなくて安倍首相自らが即座に放ってたんですね。
「安倍総理大臣はニッポン放送のラジオ番組に出演し、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って朝日新聞が一部の記事を取り消したことに関連して、誤報によって多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられたという認識を示しました。」(NHK News web 9月11日)
はっきり申し上げておきますが、わたくしは首相を批判する気はまったくありません。
少なくとも戦後民主主義の言説、ひょっとすると明治維新以来の西洋中心主義の言説が形を変えるきっかけになるかもしれない、と思います。
これはさすがにちょっと大げさか・・・ でもね・・・
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石原慎太郎は必然か

『文芸春秋』9月号、もう店頭には並んでないと思いますが・・・ 芥川賞受賞作に隠れて、石原慎太郎氏が「白人の世界支配は終わった」という一文を書いてます。白人の世界支配が終わるなら、次に支配者になる人たちがいるとすればそれは中国の人たちだ、という主張なのでしょうね、日本の人たちということはありえないように思うので・・・
先に申し上げておきますが、これはフランスという名前は明言していないものの、攻撃のターゲットは明らかにフランスである嫌仏、そして反フランス語的言説だろうなと思います。なぜなら「白人の世界支配は終わった」とはなんともどぎついタイトルですが、全部読んでみるとどうもこの「白人」というのが現代日本で「白人」という言葉で指し示されるカテゴリーの人々とは違うのが分かるので。
たしかに「これはおよそ七十年前に日本とドイツ(このあとドイツは国としてはこの文章には出てこないのですが、もちろんドイツもいわゆる「白人」の強力な一角をなす人たちが中心になっている国であることは言うまでもありません)が戦争に敗れ無条件降伏をした直後にアメリカの代表的新聞ともいえるニューヨークタイムズの日本に関する論説に添えられていた漫画です」(p.162)としてあるカリカチュア漫画を転載するところから始まっていますが、最後の節でIOCの内部事情を批判している節では、ロンドンオリンピックの最高責任者セバスチャン・コーという人(文脈からして、いわゆる白人の英国人なのだと思います)から:
「日本のプレゼンテイションは最高だった。準備態勢も財政面も全て含めてうらやましいものだった。しかるになー」(p.174)
といって慰められた?というエピソードが語られています。少なくともこの節に関する限り、打倒されるべき「白人」支配者の中にイギリス人(というのも、マジョリティはいわゆる「白人」の、まさに中核をなす人たちではないですか)ははずされている感じなのです。
さらに「私がオリンピックの招致活動の間中感じたこととは、皮肉なことに戦後日本の統治者だったアメリカ人をヨーロッパ人種は同等の白人と見なしてはいないという実感でした」(同)とも言われていて、「白人」の中にはアメリカ人(の指導階層?)のことも入っていないようです。それで:
「その端的な事例は民族の祭典ともいわれるオリンピックを司るヨーロッパ人が主導するIOCなる組織の実態で、私自身東京でのオリンピックを唱導してその招致のために努力もし、再度それを唱えて後人のたちの努力で幸い成功にこぎつけはしましたが、初めての試みの中で痛感させられたあのなれ合いにも満ちた不透明極まりない不条理さにはいまだに我慢が出来ません。
我々が行った招致運動なる試みはまさに『懇願』そのものであって、招致の松明に再度火をともしながら私が知事の仕事の四選を忌避したのも、もう二度とあんなに屈辱的な仕事にかかわりたくはないと念じたからに他なりません」(p.173)
とまで書かれてしまってます。石原氏は知事職は任期の途中に別の理由で辞めたように記憶していますが、本当の理由は本当にこれだったのでしょうか。
IOCが舞台になっていてイギリス、アメリカ、言いかえれば勝ち誇る英語圏の中核にいる人々でもない有力な「白人」「ヨーロッパ人」となると、筆者が敵視しているのは間違いなく「フランス人」あるいは「フランス語でコミュニケートする人」がその重要な部分を占めるグループであろう、と思います。
それじゃ、なぜ「フランス」のことも「フランス語」のことも、石原氏はひとことも言っていないのだろう?
それを言ってしまうと、フランス語が「白人」だけのものではないというのがオリンピック招聘委員長?として目の当たりにした現実だったから?
オリンピックの開催国決定というものはいろいろな要素の絡みあった結果としてでてくるものですから、なにも東京都知事がむきだしの反フランス語的態度をみせたから負けたとか、滝川クリステル氏がフランス語でスピーチして見せたから勝った、とかそういう単純なものではないでしょうが・・・
おそらく石原氏は実際に、オリンピックの内幕の非常に汚い現実を目の当たりにされたのでしょう。わたしもそれはあるだろうし、不正は正されないといけないと思います。
ただオリンピックそのものが他ならぬフランスのクーベルタンの尽力でできたものでしたね。ついでに言うとサッカーのワールドカップの方はジュール・リメです。
放っておいたらアメリカと英語が勝ち誇るだけのリアル世界の中に、二番手以下の国の出身者でもリュウインを下げることができる場をスポーツ世界に作り、維持するのにフランスが貢献したというところは、やっぱり評価してもいいんではないでしょうか。まあそれはフランスのような「万年二番手」がある程度やむなくとるエゴイスティックな戦略ではあるのですが・・・でも世界の他の国のひとはそれを利用することができるのです。
(それに、昔だったら浮世絵の真価、今だったら日本漫画の真価を西洋でいちばんよく理解して世界にそれを発信してくれているのも、やっぱりフランスなのではないかと思います。そっちの方もやっぱり認識しておきたく思うのですが・・・)
さてこの石原氏は、ここでも書きましたが、それでも知的形成の重要な部分をフランス文学に負っている人だと思いますが、そういう人がなぜ極端な反仏主義者になってしまうのか。そこには必然の要素があるように思います。・・・というようなことを考えるのは、やはりかの朝日新聞の基盤がゆらぐ2014年9月の時点にわたくしがいるからかもしれません。
ずっとずうっと昔、まだテレビが白黒だったころ、石原氏が上田哲氏と議論しているところをみたことがあります。
あのころから石原氏は、日本のある種の言説に対して憤懣やるかたないという気持ちを持ち続けていて、それはもう本能的なものになっているのだと思います。
とにかくこのお話は精密な扱いを必要とすると思います。いずれまた続きを書きたく思いますが・・・書けるかな?
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少子化と認知障害は
あるいは少子化と老人の認知症は同じカテゴリーで論じられるべきものかもしれない、と思いあたりました・・・
そこで・・・「つながる」という言葉はすでに陳腐化しているし意味も不明確なので、「伝える」という言葉を使って状況を記述してみようと思います。
社会変化の速度がどんどん速くなる。ひとは次の世代に何かを伝えることの、ほとんど生物学的というべき正しさが信じられず、またその試みが成功するための客観的基盤の存続も信じられないから、結局、暗黙のうちに極端な利己主義に走るしかなくなる。それは次の世代を「作る」意欲を減退させる。
またこの減退は、次の世代に何かをはたらきかけ「伝えようとする」ときたしかな抵抗を受けるという体験への意欲も減退させ、希少化してしまう。
例によって、何を言っているのか、分かる読者がいるだろうかなあ・・・
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アフリカの国境線と「フランコフォニー」
「アフリカの国の国境線はよく直線になっている。これは植民地主義時代の宗主国(事実上イギリスとフランスですね)が民族分布等の現地の事情、人々のことを無視して勝手に決めた名残である」ということがときどき言われます。
これ自体は、全くその通りだと思います。
ただ、全共闘世代くらいまでの日本の文系知識人層にとっては議論が事実上ここで終わってしまっていたと思います。それが、まずいと思います。
従来型のインテリの方たちは「それじゃ、その人工的な国境線で分割されてしまった民族にはたとえばどのようなものがあって、その人たちはどのような思いをもって、どんな言葉を使って、どのような移動を行って、どのように生活しているのか」ということに関して、そういうところまでは知らないし、簡単に知るすべもなかったのだと思います。知る気がなかった、とまでは思いたくないのですが・・・
「フランコフォニー」という言葉は一般の日本のひとには耳慣れない言葉だと思います。「フランス語圏」と言い換えれば「ああ、旧フランスの植民地のことね」と納得できた感じになってしまいますが、どこの大陸にある場所でも、フランス語をもちいてなされるコミュニケーションのスペースは理念的にみなフランコフォニーに含まれますし、フランコフォニーの具体的機関である「フランコフォニ―国際機関」ともなると「民主主義や人権といった普遍的な価値観とフランス語とを共有する国・地域の総体である」(Wikipediaより引用)というようなことを言っているのです。
綺麗ごと、偽善的、と反射的に思えてしまうのは否定できません。でも、芯には真実があると思います。
実際に複数のアフリカのひとと顔を合わせてみて、ある程度知的な会話を交わしてみて――ここで当のフランス語が必要になってしまうというところが厄介なのですが――はじめてこの理念の具体的あり方が見えてくるように思うのです。
息長く誠実にアフリカとつきあい、モノも売りたいというなら、そのへんまで考えてもよいのではないでしょうか。
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フランス語国の人がフランス語にこだわるのはなぜか
世界は英語一辺倒の時代になりましたが、世のなかには英語よりロシア語のほうが通用する国々もあれば、スペイン語の方が通用する国々もあります。そして、英語よりフランス語の方が通用する国々もあります。
日本のひとが、根っこのところでどうにも理解できないのは、現在のフランス語国の多くがなぜずっとフランス語にこだわり続ける姿勢をみせるかという理由だと思います。
フランス語国、とくにアフリカのフランス語国の人々は、母語を別にもっています。フランス語は母語ではない。しかもフランス語は本来、植民地支配をした張本人たちの言語です。
「どうせ母語でもないし借り物なのだから、こういう国のひとたちもいずれフランス語を捨てて英語に『切り替える』だろう。その方が得なのだから。だから日本としてはコストのかかるフランス語教育振興などはせずに、『切り替え』を待っていればいいはず、場合によっては切り替えを促していけばいいはずだ」
というふうに、あまり口に出しては言われませんが、多くのひとは思っているのではないかと思います。また:
「フランス語という植民地支配者の言語を後生大事にいただくというのは、志の低い心のなす行為ではないか」「すべきことは、自らの母語を磨いて現代社会に対応できるものに育てることではないか」
とも思われるのではないでしょうか。
これは、おそらく日本語の現状を誤解するところから生ずる誤った、そして無慈悲な見方であるとわたしは考えます。
日本の場合、中国から文字というものが伝えられ、それを用いて知的営みがかなり早い時期から開始され、その蓄積があったところへ、十九世紀に西洋近代思想を表現する言葉が入ってきたわけで、日本のひとびとは、重要な概念を表す言葉をほとんど音写することなしに、中国起源の文字を組み合わせて表現することにしました。「人権」も「自由」も、結局英語あるいはフランス語・・・あるいはドイツ語の単語のcalque(この言葉もフランス語ですね)でした。つまり「この言葉って、正確にはどういう意味?」と聞かれたとき「これは元々フランス語の●●、英語の●●の訳語であって・・・」という説明の仕方をしないといけない言葉が日本語の中にはたくさんあるということです。文法や主な語彙は元の日本語でも、最重要の概念のところだけは「漢字で表された外国語」であると言えましょう。
大昔から隣に中国というものがあったからこそ、こういうことができました。
近隣に書記言語の優れた伝統をもつ国をもたなかったアフリカの多くの地域ではそういう知的基盤がなかったので、英語なら英語、フランス語ならフランス語が「そのまま」、つまり文法も基本語彙も含めた英語文、フランス語文が全体的に入ることになった、ということではないでしょうか。
日本とそれらの諸地域の状況の間には、程度の差があるだけなのだと思います。
サラン(このブログに何度も出てくる、わたしの一番大切な友達。たとえばこのエントリーをご覧ください)はもちろんモンゴル語を母語とする人ですが、「ロシア語は、わたしの言葉だ」と言っていました。
彼女の一族にスターリン時代にむごい目にあった人がいたにも関わらず、です・・・
マトゥーブ・ルーネスがランボーのフランス語詩から学んでカビル語詩を創造したように(このエントリーの下の方をご覧ください)、どこの言語でも他からの影響を受けて高度に育っていくことがもちろんありえます。もちろんその試みをすべきです。ただそれには非常に時間がかかるし、いつ成功するかわからない。そして肝心なことは、元の影響を与えた言語の痕跡が新興の言語内に必ず残る、ということです。そして元の影響を与えた言語へのリスペクトが、新興の言語話者の中に必ず残るということです。
日本語の知的言語には英語、ドイツ語、それにもましてフランス語の影響があるのですが、ただ漢字で覆われているためにそれが忘れられる傾向にあるのではないでしょうか。リスペクトが忘れられる傾向にあるのではないでしょうか。
でも、元の概念の擁護は、今こそ日本にとって大切なはずです。「経済のためになることなら、『自由』とか『人権』とかは少しくらい損なっても、いいじゃないか」というようなことを考えそうな人たちも今日の日本では多いのかもしれません。しかしそういう考えで行動すると、まわりまわって結局最終的には自らを守る原理原則を失うことに、自らの首を絞めることになるでしょう。「自由」「平等」「人権」といったフランス起源の概念は、いまこそ、対外的に、我々自らを守る原理となってくれるはずです。
一方、フランス語起源の大切な諸概念をフランス語そのものの中で保持するアフリカの話者にフランス語への蔑視、軽視を見せることは、彼らが彼ら自身を守る概念を軽んじていることになってしまいます。
これはあまりに無慈悲、無神経なことではないでしょうか。
「人権」は、フランス人のそれもブルキナファソ人のそれも同様に守られなければならない、というのがこの言葉の含む趣旨のはずです。「自由」も、「平等」もみなそうであるはずです。
だから現在アフリカのフランス語話者の多くは、いくら待っていてもフランス語を捨てることはしないでしょう。
もちろん現行のフランス語国でも英語を用いる各界のエキスパートがもっと力を持ち始めれば、国の社会階層構造に大きな変革をもたらすことは間違いないでしょう。ただその動きはけっしてフランス語を完全に駆逐するには至らないでしょう。なぜなら英語は「共同体主義」と一体になっていて、いくら英語を上手に使おうとも英語国の中核(合衆国、英国・・・)の指導階層への受け入れを必ずしも意味するものではないのに対し、フランス語の使用はフランコフォニ―的な、普遍的価値を奉ずる世界的ネットワーク(フリーメーソン的、と言えるのかもしれません。アフリカの指導者層にはかなりフリーメーソンがいます)への参加を含意するものだから、です。
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お互い
きのう前期試験が終了。まだオープンキャンパスがありますが、一日のインターバルを利用して上京しています。
メインはブルキナファソ大使に会う用事ですが、もちろん例の飛行機事故の話ではありません。
ついでにアルジェリア大使にもお会いしようかとお電話してみたら、広島に行かれているとのこと。
そうか。原爆の日だからですね。
アルジェリアの人も、日本の経済発展ばかりでなく、その背景にある犠牲、挫折感などなど、大使だけでなく一般の人たちもわかってくれるといいと思います。
そして、いつもわたしが言っていることですが、日本の側もアルジェリアの人をわかる努力をしないと。
今の日本の一般人のあたまでは、アルジェリア=テロリストの巣窟、みたいなイメージしかないように思います。そんなんじゃない。愛すべき、リスペクトすべき人たちなんだってことを、なんとか多くの人にわかってほしいです・・・
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ブログ再開
やれやれ、きたるべきものがきてしまったか、という出来事がおこりまして・・・
そうしてみると、また世界に向かって語りたいことができたと言えるかもしれません。
あんまり面白くないかもしれませんが。
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