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バーキン片手に靖國神社

昨日の石巻 被災者に感謝すること

2012-09-22 | 日本のこと


石巻の二日前の写真です。
被災地がいまどのようになっているのか、現地から写真をいただきましたので、貼ってみます。



ニュース映像でも見たあの川。
遠景では緑が青々と茂り、もうすっかり元通りに見えますが・・・・。

 

廃墟となったままの建物。
至る所に雑草の茂ったままの公道。
「復興の鎚音」など、どこにいったい聞こえているのでしょう。





ニュースであまりにも有名になってしまったここからの眺め。
あのとき濁流が押し寄せた平地は、今緑で覆われています。
つまり人工物がなくなってしまった後、「グラウンド・ゼロ」化しているということです。


まるで草原のような場所。
重機は稼働しているのでしょうか・・・・・。

冒頭の鳥居が津波に耐えたものかどうかの説明はありませんが、
別の写真ですべてが倒壊した平地にぽつんと鳥居だけが立っていて、
外国人が不思議がるコメントを寄せているのを見たことがあります。

広島、長崎に原子爆弾が落とされた後も、電柱や鳥居は不思議なくらい残っていて、
こういった形状のものが爆風や水流にも耐えるものだということがわかります。
(映画「パールハーバー」で、コンクリートの上に転倒防止ワイヤーを貼って立っていた鳥居は
おそらくあっという間に流されると思いますが)



iphoneで画質を落として撮られたものらしく、拡大するとぼけてしまうのですが、それでも画面を見ると、
ほとんどががれきのままである部分は茶色く写っています。

被災地の方々は一時の呆然とした状態から立ち直り、今は懸命な復興のために努力しておられるのでしょうが、
これを見る限りその進捗状態は決して順調ではないと思われます。
森まさこ議員が訴えるように、現政府の復興政策は、遅々として動かずといったところなのでしょうか。


ところで、最近のニュースですが、
高校の修学旅行に中国、韓国を決定していたものの、八月からのそれぞれの国との関係の緊張に伴い、
「生徒の安全を確保できるとは限らない」
と、父兄からの要請を受けて行き先を別の国に変更するケースが増えているそうです。

しかし、この事態を全く考慮しないどころか、韓国国内で「慰安婦記念館」「独立記念館」などの見学を組み入れている
信じられない教師たちがいることが、片山さつぎ議員の調査によって明らかになっています。
明らかにそういった思想を持つ日教組教師が、その筋からの接待を受けて行き先と日程を組んだとしか思えません。
さらに、そのなかのある高校は
「行き先のアンケートを取ったが、周りにだれも韓国行きを希望する生徒がいないのにも関わらず、
いつのまにか行き先が韓国に決められており、アンケート結果も発表されなかった」そうです。


未来の日本を担う子供たちを学校に預ける父兄は、今やこういう教師たちの専暴ともいえる
「自分たちの思想の押しつけ教育」を拒否し、子供たちを守るために戦わなくてはならなくなっています。


そこで提案なのですが、もしお子さんたちの修学旅行が、韓国であるという情報を得たら、すぐに行動開始。
現状の安全への不安を楯に、行き先を親日国の台湾に変えさせましょう。
台湾は、料理も美味しくて日本語がしゃべれる人も多いですし、なんと言っても故宮博物館にでも行けば、
大陸の中国にはない最新の展示で、中国の歴史美術に触れることができます。

「修学旅行は楽しむものではない!」
という理屈で教師たちが「謝罪修学旅行」を強行するならば、東北を代替旅行地にプッシュしましょう。

被災地に行って今の東北がどうなっているのか知ることは、日本人である子供たちにとってなによりの社会勉強です。
ついでに、本作業の邪魔にならないような、復興の手助け(がれきの片付けとか)のボランティアの一つもやればいいのです。

そこまでしなくても、風評被害で観光客が落ち込んでいる観光地を訪れ、お金を落とすだけでも大きな復興の手助けになります。


うちの息子の学校は基本的に「修学旅行」というものがないので、
幸いエリス中尉はこのような「左巻き教師」とバトルする必要もなさそうですが、
特に公立学校に通うお子さんをお持ちのお父さんお母さんは、
教育者たちが今この問題をどうとらえているかをよく監視し、彼らの職権乱用を決して見過ごすことのないようにお願いいたします。

ところで、タイトルの被災者に感謝、という言葉の意味について。

オペレーション・トモダチ、トモダチ作戦で災害地に救援物資を輸送したヘリの女性機長の話です。

被災地の「SOS」とかかれたグラウンドのある学校に降り立つとき、彼女は緊張していました。
なぜなら、このような災害地に物資を運ぶと、例外なくそれを奪い合い、被災者が我先にとヘリに群がって収拾がつかなくなる、
というのが彼女の知っているアメリカの、そして世界の基準だからです。

おそるおそる屋上にヘリを着陸させると、一人の年輩の男性だけが近づいてきて、隊長に
「被災者は数百人いる」といいました。
その後、男性の指示で、人々がヘリに一列を作り、黙って物資をバケツリレーで運び始めました。
混乱も、奪い合いも、諍いも、そこにはありません。

ある程度まで物資を運ぶと、代表者が「もうこれで結構です」というのです。
隊長が、まだあるから置いていく、というと彼は手を振って、

「ほかの困っている被災者のいるところに回してくれ」

と、どうしても受け取ろうとしなかったのです。
けが人を運ぶことを申し出ると、これもたった一人、足を骨折した老人がそれを申し出たのですが、
しかも、かれはそうしてもらうことを大変申し訳なさそうにしていたのです。

隊長は、こう報告を結びました。

「日本人の優秀さと精神性の高さは、アメリカ軍の公式記録に残される」



わたし自身、被災後アメリカで、日本の被災者のモラルの高さ精神の気高さを
ニュースで知ったアメリカ人からそれを絶賛され感激したことがあります。
未曾有の災害によってあらゆるものを失った被災者の日本人に、そのときわたしは心から感謝したものです。

かれらは、あの壮絶な状況下でこそ輝く、尊いそのふるまいをもって
日本人の日本人たるすばらしさをを世界に知らしめてくれたからです。