ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

日の丸の寄せ書きと日本刀〜USS「LST393」艦内展示

2023-09-30 | 歴史

第二次世界大戦でDデイに参加した戦車揚陸艦USS「LST393」。
ミシガン州マスキーゴンに展示されているこの記念艦、
公開されている艦内部分を一応見学し終わりました。



ここからはいきなり枢軸国コーナーとなります。
まずドイツ第三帝国グッズから。



なんで悪役っぽくほくそ笑んでるんですかね。
後ろの、

「第二次世界大戦時のアメリカの敵」

には、このような解説がありました。

「この展示は、ここに描かれた国家がWW2時に存在したことを
面白おかしく表現するためにあるのではありません。

むしろ、この展示は2つの理由からここにあるのです;

1 、戦争の野蛮さと、これらの戦時中の国々を打ち負かした
人々の犠牲を思い起こさせることです。

2、これらの品は、アメリカの兵士によって戦場で発見され、
アメリカの故郷に持ち帰られました。

彼らの奉仕と犠牲を思い起こさせるものとして、
退役軍人とその家族にとって意義深いものです。


これらの遺物は、第二次世界大戦の恐怖を永久に記録するために、
USS LST 393 Veterans Museumに寄贈されました。」



とかいいながら、いやこれドイツ軍人の持ち物じゃないし。

例によってヒトラーと日本の「誰か」(誰にも似ていない)が、
テーブルで何かを食べている(日本人は正座している)と、
黒い頭巾の何者かが武器を振り翳してきて、

「そんなの注文しとらんぞ!」

テーブルクロスの下にムッソリーニが隠れているという漫画。
漫画が風刺しようとしているところはどうかご想像ください。


棍棒式の手榴弾、黒皮の鞄、銃弾入れベルト、
ライフル、おそらくカールツァイスの双眼鏡の入っていたケース。



各種パンツァー(いいかげん)



短刀(手前)と鉄製の筒。



海軍士官のサービスドレス。
おそらくセレモニー用ドレスだと思われます。



第一次世界大戦時のドイツ軍兜と軍服。
この形の鉄兜は知っていますが、兵用にこんなものもあったとは・・・。

これってなんの防御にもならないよね。

その気になれば頭突きで攻撃するため・・・とか?



さて、ここからは我々にとって興味深い、大日本帝国コーナーです。



上から日本陸軍士官帽、陸軍鉄兜、
陸軍飛行帽、陸軍兵用帽、海軍艦内帽。



日本占領時にアメリカ兵が記念品として持ち帰ったものだと思われます。

まず、

【陸軍大臣官房局編纂
陸軍成規類聚(りくぐんせいきるいじゅ)】


ですが、英語の解説は

Japanese army Instruction Manual
日本陸軍取扱説明書

となっており、
全く間違いです(がそう書くしかなかったのでしょう)。
類聚という言葉はあまり聞いたことがないですが、
「集めたもの」という意味があり、要は規則集ということです。

国会図書館のデータベースで内容を見ることもできますが、
これは陸軍の運営に関わること全ての規則を網羅した辞典で、
例えば兵役対象者の職業や経歴はどのように扱うかとか、
戦時に陸軍大臣はある事項にどのように関与するかとかいう法律書です。

大変興味深いのは、これを持ち帰ったアメリカ兵
(ジョン・ピエトロビッチ AR SVGP)によると、取得した場所が
硫黄島の洞窟
であったという事実です。

つまり、日本軍の誰かがこの分厚い陸軍版六法全書みたいなのを、
前線である硫黄島に持ち込んでいたということになるわけです。

おそらく、法務にかかわる任務を担っていた将校か下士官の持ち物で、
これが硫黄島で必要になる場面があるとその人は考えたことになります。


【小樽黄地商店の商品包装紙】

お札を挟んで上下にあるのがそれですが、調べたところ、
黄地商店は有限会社として2016年まで存在していたことがわかりました。

しかし、商売はたたんでしまったので、
この店が何を扱っていたのかはわかりません。

同名の同じ住所にある黄地商店というのがここのことなら、
精肉店ということですが、こちらは「きじ商店」と読むらしいし・・。
上に絵葉書を置いてなければ商品名が読めるんだけどな。

どうでもいいけど、英語の記述があるのに
どうしてわざわざ上下逆さまに展示してあるのか。

【経済学原理
福田徳三著 改造社出版】


”Japanese Insructional book”(ママ)

と説明があります。
何でもかんでもわからなければインストラクションいうな。
兵隊さんが持って帰ったので軍関係ものと思い込んでるんですね。

経済学原理ならきっと手掛かりになる挿絵もないだろうしなあ。
せめて中国人のスタッフはいなかったのか。

福田徳三は東京商科大学(現一橋大学)卒の経済学者で、
立ち位置としてはマルクス主義に反対する自由主義経済の推進者で
かつ日本で最初に福祉国家論を唱えた人物でもあります。

【Soldier’s Guide to the Japanese Army
日本陸軍ニ関スル 軍人ノ案内書

説明は、

アメリカ兵士のための日本陸軍と戦うための本
Book for the US Soldier to fight the Japanese Army

これは間違えようがありません。
なぜならこの本は英語で書かれたアメリカ兵のための書だからです。

本にはアメリカ人の持ち主の名前が書かれています。
検索したところ、日本では公文書図書館にあるそうです。

真ん中のお札(1ドル札と50センタボス)は日本政府発行。
占領地の札なのにすごい凝った印刷がされているのがさすがです。

センタボスはスペイン語なので、
フィリピンで発行されていたお札と考えられます。



【コート】

陸軍士官のコートってダブルボタンでしたよね?
色もこんな茶色じゃないし。
というわけでこれは普通のコートです。

色がそれっぽいのでアメリカ人は軍装と思っている模様。


【日の丸と武運長久】

右:SMSダニエル・メローシェ(空軍)氏より貸借

左:ラリー・デイビス氏が太平洋で取得したもの


相変わらず横書きを縦に飾るという失礼なことをやらかしていますが、
怪我の功名?偶然「武運長久」が縦に読める・・・でっていう。



【日の丸寄せ書き】

アメリカ兵がお土産感覚で持ち帰った日の丸の寄せ書きを、
書かれた名前を元に日本の遺族に返そう、という奇特なアメリカ人がいる、
というニュースを何年か前ネットで目にしたことがあります。

相変わらずここにもそのうちの一つがあるわけですが、
おそらくほとんどはこのようにアメリカに残ったままでしょう。

日本人には、これが
「林幸茂」という人の出征に際して贈られた、
出征記念の寄せ書きだということがはっきりとわかるわけですが、
漢字の上下も判別できない人ばかり生息している地域では、この文字列など、

我々にとってのシュメール文字くらい不可解でかつ意味のない
「模様」みたいなものなので、当然深く思うこともないのかもしれません。


それにしても、この林幸茂という青年は知人の多い人らしく、
名前だけで国旗の白い部分が埋め尽くされていますが、ところどころに

「一志奉公」「東亜建設」「祈武運長久」「勇」「力」「米英打倒」

といった言葉も見えます。


仔細に眺めると、「青春部隊」という言葉がいくつか書き込まれ、
そのうち一つは「青春部隊長」・・・そういうグループを作っていたのかな?
「豆チョコボンボンズ」というのは、真っ黒に日焼けした
男の子たちのグループの一人だったということかな?

彼が過ごした故郷での幸せな少年時代を彷彿とさせます。



さて、先ほど彼らにとってのシュメール文字などと書いてしまいましたが、

今回はここマスキーゴンの心あるアメリカ人たちに謝ろうと思います。

この日の丸寄せ書きは彼らの敬意を表すかのように美しく額装され、

しかも入艦してすぐのところに掲げ、次のような解説が加えられていました。

”グッドラックフラッグ(幸運の旗)”

寄せ書き日の丸は、大日本帝国の軍事行動、
特に第二次世界大戦中に派遣された日本の軍人への伝統的な贈り物でした。

国旗は通常、友人や家族によって署名された国旗であり、多くの場合、
兵士の勝利、安全、幸運を願う短いメッセージが添えられていました。

「日の丸」という名前は、文字通り「丸い太陽」を意味する
日本の国旗の名前から取られています。

遠く離れて駐屯する軍人や愛する人のために寄せ書きされた日の丸は、
広げられるたびに世界共通の希望と祈りを持ち主に届けました。

多くの署名やスローガンが記されたこの旗は、その所有者に
困難にも立ち向かうことのできる力を与えると信じられていました。

1942年から1945年にかけての太平洋戦争では
何百万人もの日本人が命を落としましたが、持ち運びが簡単だったため、
米海兵隊員と兵士たちは何千ものこれらの旗を持ち帰ってきました。

近年、一部の退役軍人らによって、
日本軍人の家族に
この旗を返還する取り組みが行われています。


USS「LST393」は、日の丸を日本の家族と「再会」させる、

というプロジェクトを行なっている団体の中で最も活発に活動している
オレゴン州アストリアの「オボン・ソサエティ」と連絡を取りました。

もしソサエティが旗の持ち主の軍人遺族と連絡をつけることができたら、
当博物館はすぐさま国旗を日本に返還するつもりをしていますが、
それまでは教育目的で展示させていただくことにしています。


この寄せ書きはマスキーゴンのトーマス・ブルドン氏から貸与されました。


彼の父親トーマス・E・バートンは第二次世界大戦で
海軍の艦上戦闘機パイロットであったことから考えて、
海兵隊と
旗を何かと交換して手に入れた可能性が高いということです。



【脇差 ワキザシ ショートスウォード】

神軍刀として配布された脇差短刀(12~25インチ)です。
これらは 1935 年から 1945 年にかけて大日本帝国軍向けに製造されました。

政府はこれらを下士官(軍曹および伍長)に配布しましたが、
士官は自身で購入することが推奨されていました。

この剣は構造を簡素化するために木製の柄を持っているもので、
おそらく第二次世界大戦末期に製造されたと考えられます。
革で包まれた木製の鞘も付いています。

タッセルはランクを示します。

茶色、赤、金は将官用。
佐官は茶色と赤。
中隊長または准尉の場合は茶色と青、
下士官の場合は無地の茶色です。 


軍刀のタッセルのことは正式には刀緒といいます。
正式には以下の通り。


陸軍将官 茶色・赤に金織入り
陸軍佐官 茶色・赤
陸軍尉官 茶色・紫

海軍士官 茶色


この刀も海軍の艦上戦闘機パイロットだったトーマス・E・ブルドンが
太平洋から持ち帰ったもので、島での戦闘後に海兵隊員と交換したとのこと。

ところで、どうしてブルドンさんが
「海兵隊と交換した」と強調するのか、
わたしは最後の展示を見てなんとなく腑に落ちました。




ブルドン氏の父親は、日の丸と刀という、当時のアメリカ兵が
目の色を変えて欲しがっていたお土産だけでなく、
おそらくそれらの持ち主である写真の人物の
財布まで持ち帰っていました。

そしてその財布の中には、この写真が入っていたのです。
寄せ書きの名前、林幸茂という兵隊は、この内の誰かで、
一緒に写っているのは初年兵仲間か、それとも
例の「青春部隊」のメンバーだったのか・・・。



戦争中の高揚感から、あきらかに日本兵の遺品であるとわかる略奪物を
故郷に持って帰ってきたものの、その持ち主がどうなっていたか、
おそらくパイロットの父親は、これらを自分の持ち物と交換した
海兵隊員に聞いたであろう当時の状況について、戦後、

あまり思い返さないように(考えないように)していたかもしれません。

だからこそ、彼は息子にその経緯を詳しく語らないまま他界したのでしょう。

そして、これも仮定ですが、息子は、父親がこれらを手に入れた方法が、

戦死した日本兵の遺体から略奪しというものでなかったということを、
後世に対し、父の名誉のために、表明したかったのではないでしょうか。



続く。






甲板のエントツアマツバメ〜戦車揚陸艦USS「LST-393」

2023-09-27 | 軍艦

第二次世界大戦中は戦車揚陸艦LST-393、
戦後はフェリー「ハイウェイ16」として活躍した輸送艦の見学、
あとは甲板を残すのみとなりまいた。


左舷側には艦唯一の

3"/50 caliber gun
(3インチ50口径砲)


が装備されています。
フェリー時代には武器は外されて、展示艦になってから
同型のものを設置したのだと思われます。





今気がついたのですが、地面には船が置いてあります。
屋根に星印があるのでおそらく陸軍のPTボート的なのに違いない、
と探したところ、

ベトナム・リバーボート

であるらしい画像が出てきました。




パトロールボート・リバリーン、略してPBRと呼ばれるボートは、
ベトナムのジャングル川のような浅瀬をパトロールするためのものでした。

1966年に登場した最初の11隻のモデル1 PBRは、
ベトナムのメコン川やその他の内陸水路に沿った武器輸送を阻止し、
セキュリティチェックや河川パトロールに運用されました。

特殊なベトナム戦争用ボートは、グラスファイバー製で、
海上船舶よりも底が平らで、長さは約31フィートでした。

艇長、機関士、船員、砲手仲間からなる4人の乗組員を乗せ、
時には5人目(多くは南ベトナムの税関または警察官)も同行しました。

船には4丁の機関銃とグレネードランチャー、
そして各兵士が携行する多数の武器が搭載されていました。

河川でのパトロールは米軍にとって全く新しい体験であったため、
最初のPBRは何度も設計変更を余儀なくされました。

しかも、河川の任務はベトナム戦争の中でも特に危険であり、

ゲリラとの戦闘などによって死者を多く出しています。

海軍と陸軍の両方が使用したこれらの「ベトナムバトルシップ」は、
戦争を通じて重要な任務を数多くこなしました。



前回ご紹介したビデオ、「Dデイショー」では、この20ミリ泡にも
人が配置されて、航空機に攻撃をしているのが確認できます。

この場所からも民間船時代には武器はなくなっており、
ここにあるのは有志(元軍曹らしい)製作によるレプリカだそうですから、
あくまで「撃っているフリ」だったはずですが。

20MM OERLIKON CANNON
(エリコン20ミリ砲)


「太平洋のカミカゼキラー」として知られているこの対空機関砲は、
0.5 ポンドの銃弾を1マイルまでの誤差で正確に発射することができました。

通常は5人で運用しますが、独自の60発弾薬ドラムのおかげで
一人でも対応することができました。
どこにでも取り付けることができ、LST393には
多い時で12門が搭載されていました。


「知られている」って・・・。
「太平洋のカミカゼキラー」なんて言葉、生まれて初めて聞いたわ。



二連装ボフォース40ミリ砲
A twin Bofors 40 mm


は、艦尾の左舷に装備されています。



ブリッジには、ウィールハウスのさらに上にデッキがあります。
このドアは密閉されていて入ることはできません。



そこに上がって最上階から見たエリコン泡。
隣の埠頭に見えている建物は、
グランドバレー州立大学(という大学があることを初めて知る)の
一つの研究棟なのだそうです。



艦尾甲板階。



A twin Bofors 40 mm
二連装ボフォース40ミリ砲




さて、これで一応甲板の装備などを見終わり、このあとは
艦内のあちこちを利用した軍関係の展示を見ていったわけですが、
あとになって、大変残念なことに気がつきました。

このとき、わたしはうっかりしていて(疲れていたのかも)
エンジンルームを見学することなく艦を降りてしまったのです。



内部を動画で公開しているYouTuberがいました。


Landing Ship Tank "USS LST 393" Tour

どうやら、スターンラダールームの後、ブリッジに上がる前に
バンクの途中にある階段を降りないとだめだったようです。

11:44から16:00までがエンジンルームになりますのでご覧ください。




ところで戦車揚陸艦の内部の広さを生かし、LST393は各種イベントの開催、
パーティなどへの貸し出しなどを積極的に行っています。

そして、艦内のいたるところに、集められた戦時グッズが展示されています。


戦車揚陸艦特有だと思うのですが、タンクデッキは
フロアの周りをぐるりと囲むようにコンパートメントがあります。

今日から紹介していくのは、そのコンパートメントを
展示ブースのように利用した戦時記念品や展示などです。



まずその前に、甲板階から降りる手前で見たものを。
オリジナルの機械部品が説明付きで棚に並べられています。




1、トリゲート 

2、汎用ノズル 

3、汎用ノズル 




4、ワイゲートWyegate?

5、ダブルフィメール Dewatering

6、シミーズ 

7、雄から雌へ 




8、ジュビリー・パイプ・パッチ リペア

10、雄プランクフランジ リペア


リペア以外はほとんどが消火ホース関係の部品となります。



階段の踊り場には陸軍軍人さんが立っていました。



それではここからミリタリーグッズ展示に入ります。
まずはOD色のケースに収められたフィールドデバイス一式。

固定脚付のマシンガン、傘の骨のようなスタンド、磁石、
バックパックに、塹壕から外を見るための陸上ペリスコープらしきもの。



偽装網の上にはどこかに飾られていたらしき一コマ漫画。
ベテランらしい軍曹が新人から銃剣を奪い取りながら、

”Get on the ball." -Rookie.

ゲットオンザボールというのは、本気でやれ、というような意味でしょうか。
真剣に取り組むとか、集中してやるというようなニュアンスです。



漫画もう一つ。

”Home was never like this!"

我が家ならこうじゃなかったのにな。
そりゃまそうだろうと。(AA略)



ルーズベルトをあしらった飾り時計、ミッキーの看板、
当時の大きなラジオや夫婦記念の絵皿・・・。
なんだかアメリカの街にひとつはあるスリフトショップみたいです。


軍サービスを行っていた元女性軍人が、

「当時わたしが着ていたお気に入りの服なの!飾って!
これはわたしが最近趣味にしているパッチワークなの!
これもミシンと一緒に飾ってくださる?」


とおっしゃるので仕方なく飾っている感ありありの展示。





最上階の構造物の周りを一周して甲板をもう一度臨む。



鳥の巣がありました。
燕にしてはちょっと大きくて色が違う気がしますが・・・。

写真を撮っていると、別の見学者がやってきたのですが、
彼ら(男性一人、女性一人)はわたしたちを見て、

「さっき潜水艦でも会ったよね」

と声をかけてきたのでちょっと挨拶をして、
今見たばかりの燕(多分)の巣があることを教えてやると、

「うぇえ、こいつら家にすぐ巣を作るんだよな。
気持ちわりい」


みたいなことを言ったので、そりゃすまんかったと謝りました。



まあたしかにあまり可愛い雛ではありませんでしたが、
こういうとき日本人ならこんな反応しないよな・・。




気がついたら二羽の鳥が鳴きながら軍艦の周りを飛来していました。
写真をアップしてみたら、一羽が木の枝を咥えていました。
もしかしたら雛たちの親なのかもしれません。

気になって調べてみたら、

chimney swift(エントツアマツバメ)

ではないかと思われます。
文字通り煙突や構造物に巣を作るので嫌われているとか。
ニイちゃんが憎々しげに言い放つのもちょっとわかりました。
コウモリみたいな感じなんですよね。

わたしが写真を撮った時、親鳥らしいのは激しく鳴いていましたが、
これは巣に近づいたわたしたちを威嚇していたのかもしれません。

何にしてもすまんかった。<(_ _)>



ナビゲーションとホイールハウス(ブリッジ)〜戦車揚陸艦LST-393

2023-09-24 | 軍艦

ミシガン州マスキーゴンに展示されている
第二次世界大戦中の戦車揚陸艦、US「LST-393」。



今日はブリッジの階の続きです。




このワードルームは、マスキーゴン出身で第二次世界大戦の陸軍退役軍人、
フランク・スプレイグ氏に敬意を表するため、
彼の息子であるレミントン・スプレイグ博士によって修復されました。


さて、ここはすでに丈夫構造物の甲板階となるのですが、
さらに上に上がっていくことにします。

ナヴィゲーティング・ブリッジがあるようです。


階段の上にはコンプレッサールームがありましたが、立ち入り禁止でした。



ナヴィゲーティングオフィサー、つまり先ほどの
フェアバンク中尉が勤務していたに違いないオフィスがあります。

ここはプロッティング・テーブルとされています。


信号早見表などが書かれた便利もの。



階段を登って右側にあるのがチャートルームとデスク。



他のディスプレイはいろんなところから集めてきた関係で
ほとんどが当時のものではありませんが、ここだけは
正真正銘どの機材も第二次世界大戦中使われていたものばかりだとか。

アメリカには第二次世界大戦中にすでにテプラがあったのか・・・。


謎の電気器具。



棚の上にある顔写真は、第二次世界大戦中、
戦車揚陸艦乗組の水兵で唯一名誉メダルを受賞した

ジョニー・ハッチンス
Johnnie David Hutchins


という人物です。

1943年9月、ニューギニア・ラエへの攻撃において、
ハッチンスの乗ったUSS「LST473」が、
日本軍の陸上砲台と空からの攻撃を受けながら敵地海岸に近づいたとき、
敵の魚雷が波間を突き破り、致命的な精度で船に襲い掛かりました。

操舵はミサイルを避けようとしましたが、次の瞬間
爆弾がパイロットハウスを襲ったため、操舵はその場から離れてしまいます。
そのときLST-473はなすすべもなく無防備な状態に置かれました。

そのときハッチンズは、爆発で致命傷を負っていましたが、
この危機的な状況を十分に理解し、すぐに舵を握り、
迫り来る魚雷から艦を守るために最後の力を振り絞りました。

彼の最後の力は艦を守るために、そして
最後の努力は任務の遂行に費やされ、
結果として、彼は国のために勇敢に命を捧げて亡くなりました。

ハッチンスを含め、7名が戦死し、14人が重傷を負っています。

その後彼の名前は

USS Johnnie Hutchins (DE-360)

として駆逐艦に遺されました。
日本軍と戦って斃れた彼の名を負った駆逐艦は、
沖縄では航空救難艦として活動して終戦を迎えています。



チャートルームの反対側はホイールハウス、操舵室となります。



なんというか、普通の軍艦のブリッジとあまりに違う、
民間船舶のような佇まいにちょっと違和感を感じました。

今までアメリカで見てきた空母、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、
そのいずれの水上艦とも違いますし、自衛隊の艦とも全く違います。

民間転用のためにわざわざ操舵室を作り替えることはないでしょうし、
そもそも、戦車揚陸艦は戦闘艦ではなく輸送任務が主なので、
特に1942年当時の輸送艦はこれが標準仕様だったのかと思われます。

まず正面の舵輪はhelms、左のレーダーにRadar、
舵輪の向こうのビナクル(磁気コンパス)にMagnetic Compass、
と名称のシールが貼られています。

レーダーには

トランスミッター・レシーバー

と製造番号の書かれた当時のプレートがそのまま残っています。



手前にはエンジンテレグラフ。
奥のエアコン(いわゆるセントラルヒーティング式)の上には、

シップベル・コード
Codes for Ships Bells


として以下のように指示する一覧表があります。

1ホイッスル 或いは 1ベル・・・前進

1ホイッスル 或いは 1ベル・・・停止

2ホイッスル 或いは 2ベル・・・後進

3ホイッスル 或いは 3ベル・・・チェック

4ホイッスル 或いは 4ベル・・・ストロング

4ホイッスル 或いは 4ベル・・・オールライト


「チェック」「ストロング」の意味と、
「ストロング」と「オールライト」の違いはどうやって見分けるのか、
部外者にはちょっとわからない点がありますが・・。



右手には
カーゴホールド(船艙)のライトスイッチがあります。



艦首はこの前にあるAmazonの建物の方向を向いています。
室内はグリーンに塗装されていますが、おそらくこれは
フェリー「ハイウェイ16」時代の名残りで、元はグレーだったと思われます。

そして、「ホイールハウスと名称が示されているわけですが、
これも民間フェリーになってからの名称で、
LST396時代はもちろんここは「ブリッジ」と呼ばれていました。




フェリー時代の名残といえば、まだこんなディレクトリがありました。
ミシガン湖など五大湖を航行する船舶共通の交通ルールが書かれています。

真ん中は船同士が接近した時に衝突を回避する方法ですが、
最後の直角か斜めに交差する場合はどうするのでしょうか。

この状況では、2 隻の汽船が衝突の危険を伴う状況で
直角または斜めの角度で互いに接近している。

他の船を自分の左舷側に認めた場合、その船は、針路と速度を維持し、
他の汽船の方は、前者の船尾を横切ることによって避けなければならない。
その際、必要であれば速度を緩めるか停止するものとする。


なるほどー、何かの役に立つ日が来るかもしれないから覚えておこう。


さて、ここでパイロットハウスを出て甲板の前に立ってみましょう。
通常は甲板は立ち入り禁止ですが、イベントの際は一般公開されます。

Air Raid LST 393 on D-Day

Dデイの記念イベントでは、ストーリー仕立てで、
甲板の上で陸軍兵士たちが思い思いに過ごしているところ、

「ゼネラルクォーターズ、ゼネラルクォーターズ!
メン・オン・バトルステーション!」

とまず叫び声がかかり、陸軍兵と水兵が上空に飛来する
4機の敵機(さすがに塗装まではされていない)に攻撃を加えます。
薬莢が散らばっているので、空砲を本当に(?)撃っています。

4:35になると負傷者が出て、甲板に倒れたままの人や、
救護班に連れて行かれる人も出てきます。
うつ伏せで倒れている人はトリアージの結果後回しに(-人-)

8分くらいで攻撃は終了し、テープで仕切られた甲板の左舷側にいた客が
皆で拍手をして、Dデイショーはおしまいです。

しかし何がすごいって、第二次世界大戦中のレシプロエンジン機が
こういう時のために、いつでも飛ばせる状態にあるアメリカという国です、

また、甲板を使ったイベントとしては、コロナ蔓延中は中止していた
 "Movies On Deck"が復活しております。

参考までに、上映メニューは、

6月23日「トップガン」(オリジナル)
7月7日「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」
8月4日「ブルース・ブラザーズ」


上映開始時間は日没直後の夜10時。
入場料は無料で、椅子も自分で用意してねとのこと。
ポップコーンやスナックは販売しており、それとは別に
艦のメンテナンス費用やベテランへの寄付大歓迎、とのことです。



それにしても、ブルースブラザーズねえ・・・。

Dデイを描いた「プライベート・ライアン」とか有名どころの海軍ものは
もうやり尽くした後、ということでこのプログラムかもしれません。



WW2 Uniforms LST 393 on D-Day

また、デッキの上ではありませんが、艦前の広場で
Dデイには当時のユニフォームファッションショーも行われています。
(ちなみにBGMは、誰が選んだのか、

”Watch What Happens"何が起こるかみてみよう

というわけでこういうことが起こったわけですが、
どうでもいいけど皆お腹が大きすぎ。
当時の軍人さんは、皆もう少しスマートだったと思うぞ。



外から見たブリッジ・・・いや、ホイールハウスです。

続く。



オフィサーズ・デッキ〜戦車揚陸艦 US「LST393」

2023-09-21 | 軍艦

ミシガン州マスキーゴンに展示されている
第二次世界大戦時の戦車揚陸艦、US「LST-393」を紹介しています。




かつては戦車、戦後はフェリーとして車を乗せてミシガン湖を航行した
展示艦の、車両を搭載する艦首扉から入場し、
そこからギャレーを見ながら、まさにこの地図の
You are hereのところにやってきたと思ってください。



You are hereから通路はいきなり舷側に出ました。
というわけで今日はオフィサーズ・デッキを見ていきます。


LST393は、展示艦になってから1945年のカモフラージュ塗装にされ、
それを塗り替えながら展示されていましたが、2014年、
Dデイ当時の塗装に変えるプロジェクトによって、現在の灰色になりました。

ここが湖沿いで、海水による侵食がないせいで、6年経ったこの日も
LST393の艦壁のグレーのペイントは比較的きれいなままでしたが、
通路は長らく手入れされたようにはとても見えません。

ご予算の関係?でデッキは展示艦になった当時のままなのかもしれません。



オフィサーズ・ステートルーム(執務室)の一つに到着しました。
上部構造物に位置するため、カーテン付きの舷窓があり、
これが潜水艦ばかり見てきた目には
普通の船っぽくて、ちょっと新鮮な感じがします。

「393」兵員たちの生活する場所は、冬にも暖房がなくても大丈夫なくらい
熱気が充満して、そのせいで熱帯では大変でしたが、
(ノルマンディ上陸作戦の後、対日作戦の支援で太平洋に進出した)
ここオフィサーズステートルームは、日光が直射で夏は暑く、
しかも冬は吹きっさらしで、死ぬほど寒くなるところです。

下の階で説明されていたように、LST393は艦内に7つ設置されていた
ベンチレーションブロワーによって送られてくる艦内の熱気を
暖房として利用していたので、それがここにも送られ、
写真の右側に見える暖房器具から排出されていたと思われます。


オフィサー・ステートルーム2、2つめの士官寝室です。
縦も横も広くてマットもちゃんとしたものが用意されています。

上の段が高すぎていくらアメリカ人でも脚が上がるんだろうか、
と心配になる程ですが、軍艦にはベッドの梯子など存在しませんから、
おそらく、両手を上の段にかけ、よっこらせと体を持ち上げてから
片足をかけて上ったのに違いありません。

もちろん靴は履いたままだっただろうな。

ご存知のようにほとんどのアメリカ人は家の中を外で履いた靴で歩きます。
その「外」というのが、基本的に猛烈に汚いところが多く、
映画などを見ていると、下手したら靴のままベッドに寝転んだりしてますが、
これは日本人にとっては生理的になかなか受け入れられません。



ベッド脇に貼ってあるのは、クルーナンバー(ちなみに17)、
レーティング(階級)、任務などで、火災や非常時、
そして総員退艦のときの信号の発信法が書かれています。

ベッド横にあっていつも目にすることで記憶に刻み込み、
危急の際に行動することができます。



潜水艦と違って、二人で一部屋という贅沢な環境です。
電話は部屋に一台。



次にキャプテンズ・クォーターズ、艦長室です。
さすが艦長の部屋だけあって、応接室&ダイニングと寝室が別。

空母の艦長室などとは大いに雰囲気が違いますが、
戦車揚陸艦なので、まあこんなものでしょう。


ノルマンディ上陸作戦時、LST339の副長(Executive Officer)だった、

ベン・オーウェン少佐 Ben Owen

の着用していた制服が飾ってあります。

オーウェン少佐は戦後予備役になっていましたが、朝鮮戦争が始まると
軍役に復帰し、今度は艦長としてLST803に乗務しました。

駆逐艦や戦艦、巡洋艦などと違い、揚陸艦は数が少なく特殊なので
副長が艦長になって同じ艦に乗り組むということもあるのでしょう。



どの軍艦でも、個室で一人で寝られるのは艦長だけです。
艦長が自分の艦に着任してベッドに初めて寝るときには
俺もようやくここまで・・・と感慨に耽るものではないでしょうか。


艦長用シャワールーム。

上にあるのはシャワーではなくスプリンクラー(最新式)です。
これがシャワーよりいいかどうかは大いに疑問ではありますが、
とにかく、脱衣所には暖房器具付きで至れり尽くせり。
ブース内には石鹸置き場まで完備しています。



シャワー室。



配管は古いですが、シャワー栓は新しいものです。
しかも、割と最近使ったらしい形跡が・・・。

もしかしたら泊まれるのかな。


もうひとつの士官寝室にも、カーキのサービスドレスが飾ってありました。
こちらは中佐の制服ですが、持ち主の名前は書かれていません。
オーウェン少佐が艦長になったときの制服かもしれません。



冬場、ここで書き物をするのはさぞ手がかじかんだことでしょう。



士官用洗面所です。
何度も言いますが、冬は寒かっただろうなー。



ワード・ルーム、オフィサーズ・メス、士官食堂です。
士官たちはここで食事を「提供され」ました。



担当スチュワード(下士官)は、まずこの緑の窓、
「ワードルーム・パントリー」に出来上がった料理を置き、
セッティングを完了してから、テーブルに座っている士官にサーブしました。

兵員たちの食事は、世界共通のあのアルミ皿一枚で足りますが、
士官の場合は最初から最後まで、陶器で一品ずつサーブされます。
(サーブする順番も階級順と決まっていました)


椅子が15脚見えますが、LST393時代、士官は多くて10名でしたから、
内部の様子は今とは少し違っていたかもしれません。

もちろん当時テレビはありませんでしたが、きっとその代わり
レコードプレーヤやラジオはあったはずです。


この艦にはめずらしく、木でできたドアです。
後から付け足したものかどうかはわかりません。



金色のプレートにはオフィサーズ・メスという表示と、
艦内の「アドレス」に当たる番号が刻印してありますから、
もしかしたらプレートだけは当時のものかもしれません。

キャビネットとクローゼットが見えますが、ここは
食器、テーブルカバー、スチュワードジャケットを保管する場所でした。



1944年当時のオフィサーズ・メスにおけるLST393士官のみなさん。
左手前から、

R.D. マクレー艦長
ポール・グラムシュ少尉
フランク・ミラー中尉
マシュー・ケニー中尉


右列奥から
ジョン・フェアバンク中尉
ハワード・ホイットモア少尉
ジョン・スパノ中尉
ジーン・ラヴェル少尉


なぜか、当時XOだった先ほどのベン・オーウェン大尉がおらず、
写真に写っているのは全員が中尉以下初級士官です。

手前の空席がオーウェン副長の席で、
カメラのシャッターを押していたのは副長だったのかもしれません。


ところで、この区画を出たところにこんなプレートがありました。



テーブルの右奥に座っていたジョン・フェアバンク少尉は、
393ではおそらくナビゲーション士官だったと思われます。
その後彼はLST-212の副長になり、少佐で退役しました。



ST-212は、1943年7月6日に就役し、ヨーロッパ戦線では
393と同じ1944年6月のノルマンディーへの侵攻に参加しました。

1945年11月に退役、海軍名簿から抹消されて、
その後は商船用に改造されました。

こうしてみると、ほとんどの戦車揚陸艦はDデイのために建造され、
戦争が終わったらたちまち用がなくなって、民間船、
(ほとんどはフェリー)商用として余生を送ったらしいことがわかります。

ところで、このフェアバンク中佐のプレートがなぜあるのかはわかりません。
本人か家族が名前を残すために特別に寄付を行ったのかもしれません。



写真で士官たちが囲んでいるのはこのテーブルだと思われます。



これにテーブルクロスをかけ、写真は左側から撮ったんじゃないかな。



ワードルームパントリーの窓から覗くと、小さなキッチンと
コーヒーセットがありました。

イギリス人は「ティー」、アメリカ人はコーヒー。

というわけで、ここにも巨大なコーヒーサーバーが。
士官はせいぜい多くて十人だったというのに・・・・。



錨のマークの刻印入りのコーヒーカップとお皿。
今のアメリカ人なら皆マグを使っていそうです。



ところで、オフィサーズステートルームの一隅に
このようなコーナーがありました。
リユニオン(同窓会)の写真と、当時の戦闘日誌などのコピーが見られます。



当艦ではなく、LST308のものでした。
同じLSTつながりで、ここを同窓会に使ったのかもしれません。
1995年と2001年のもので、微妙に人数が減っているのが切ない・・・。

LST308も、サレルノ侵攻とノルマンディ上陸作戦に参加していますが、
艦体そのものは終戦後すぐ1946年に退役して廃艦処分となりました。




続く。

ギャレーとメスデッキと「ネイビー・クックブック」〜US 「LST393」

2023-09-19 | 軍艦

ミシガン州マスキーゴンに展示されている
第二次世界大戦時の戦車揚陸艦、US「LST-393」を紹介しています。



ベーシングデッキの下の階に降り、スターンルームを出ると、
そこに小さなギャレーが現れました。

説明がありませんでしたが、この小ささは、
士官用のギャレーではないかと思われます。

LST-393には士官は8名から10名が乗務していました。



棚の上にはヒルズブラザーズのコーヒー缶が見えます。
Hills Bro は日本でも「ヒルズコーヒー」と言う名前で展開しています。

ヒルズコーヒーの歴史


■ギャレーとメス・デッキ

スターンルームを抜けると、兵員用のバンクがあり、同じ階には
お待ちかねのギャレーとメスデッキが現れます。



「スターボード・メッシング・デッキ」Starboard Messing Deck
左舷食堂デッキ

です。
ここと、これに続くいくつかのコンパートメントは、
下士官が食事をとるエリアとなっていました。



デッキには(写真を撮りませんでしたが)この
細長いテーブルを保持するための溶接部分の跡がいくつも残っています。

下士官はこの上の階にあるギャレーで食事を受け取ったあと、
持ってきてここで食事をしました。
トレイを持って狭い階段を降りるというのは大変ですが、
彼らはきっと慣れていったのでしょう。

このエリアには乗組員のシャワー、洗面台、ヘッド(トイレ)もありました。



このスペースには寄付された元軍人の遺品などが飾られています。
例えばこのウォルター・スプロウルズ氏の軍服。

かれはマスキーゴン出身の戦闘機パイロットで、
大変優秀だったため、昇進も早く、将来を嘱望されていましたが、
訓練機との接触事故によってわずか32歳の生涯を終えたとあります。



床に置いてあるのはニール・スポーリマンというモーターマシニストの荷物で、

「米国海軍軍務からの分離に関する通知」

という書類が添えられています。



海軍任務先から出す写真入り挨拶カード。
書類は離職許可書類のようなものでしょうか。



ギャレーは、すべての兵員の食べ物が調理され、提供される場所です。

ここはかつて最も汚れたコンパートメントでした。

兵員は、縦揺れ横揺れする艦内でサーブを待つ長い行列に並び、
食事をゲットし、さらにそれを
一階下のメス・テーブルに持っていって食べなければなりませんでしたから、
トレイをひっくり返す事故もあったでしょうし、
食べ物の飛沫がその辺にこぼれまくるのも避けられませんでした。

「海軍は清潔をモットーとし」

というのは平時の建前であって、戦時中は特に
掃除もそれどころではないという雰囲気だったかもしれません。

もちろん展示にあたっては汚れた部分はできるだけ剥がして復元しています。


第二次世界大戦に参加した、本艦勤務給養の

エバー・ヤング 三等兵曹 Petty Officer Third Class (PO3)

の写真と制服です。

隣にはやはりここで勤務していたジャック・マイルズ氏寄贈の
「海軍クックブック」が飾ってあります。

後ろに見えるのは、アメリカの軍艦必須の、粉などを混ぜるミキサーです。




USネイビークックブックですが、創刊は1920年。
主に軍艦乗組員のための質の高い食事、バランスの取れた食事、
そして効率性を説く海軍厨房のバイブルで、基本的な食品の種類、
ビタミンとその効用、食品の保存について書かれています。

各レシピは100人前を想定していて、ミールプランナーが
自分の持ち場の必要数に応じて増減しやすくなっています。

前書きとしてこんなことが書かれています。

The Cook Book of the United States Navyには、
料理の原則、献立の計画、栄養学の新しい知識に基づいた
レシピの包括的なコレクションが含まれています。

レシピの多くは海軍のコミッサリーの職員によって提案され、

テストされたもので、すべてのレシピは

海軍における実用のために開発されました。

高水準の食品を調理する上で、コミッサリーの職員に役立つ補足情報は、

表やその他の形式で提示されています。

もう少し中を覗いてみましょうか。
海軍軍人の「生命線」であるコーヒーについては以下の通り。

【コーヒー】

焙煎コーヒーはデリケートで傷みやすい製品です。
挽いてあっても、豆であっても、缶に真空パックされている場合を除き、
コーヒーは慎重に取り扱う必要があります。
空気に触れると風味も強度も失われてしまいます。

  コーヒーはしっかりと蓋をし、涼しく乾燥した場所に保管してください。
臭いの強い食品の近くでの保管は避けてください。
焙煎したコーヒーは異臭を容易に吸収し、
それらは完成したコーヒーに顕著に表れます。

一般的な雑用として豆に入ったコーヒーを購入した場合は、
抽出するたびに使用する直前に必要な量だけを挽いてください。 
ネイビーコーヒーは専門的にブレンドされ、焙煎されています。

コーヒーを淹れるためのいくつかの簡単なルールに従えば、
豊かで楽しいコーヒーが期待できます。 

また、アメリカ人の魂であるアイスクリームはというと。

【アイスクリーム】

アイスクリームは海軍のメニューの「定番」であるべきです。
アメリカ人に人気のデザートの 1 つであることに加えて、
それは栄養価が高く経済的です。
以下の指示を注意深く守っていただければ、
高品質のアイスクリームを製造するのに役立ちます。

冷凍庫、材料を計量するときに使用する器具、アイスクリームの缶、
その他すべての器具を注意深く清潔に保ち、適切に滅菌してください。

最終製品の均一性、適切な食感、心地よい風味を確保するために、
すべての材料を正確に計量または測定します。
以下の指示に従ってください。

バッチを冷凍庫から取り出す前に、
正しい「オーバーラン」に達することが重要です。
「オーバーラン」とは、冷凍プロセス中に、
混合物に空気を吹き込むことによって得られる体積の増加を指し、
80% から 100% まで変化します。
市販品では 100% の「オーバーラン」が最も一般的に使用されます。

「オーバーラン」を判断する簡単な方法は次のとおりです。

カップ 1 杯の元の混合物の重量を量ります。
カップの重さを差し引きます。
適切な「オーバーラン」に達したと判断したら、
カップ 1 杯分のアイスクリームの重さを量り、再度正味重量を決定します。

アイスクリームの重量が元のミックスの重量のちょうど 50% であれば、
100% の適切な「オーバーラン」が得られます。

たとえば、ミックスの入ったカップの元々の重さが 8 オンスであった場合、
バッチを抽出する直前のサンプルの重さは 4 オンスになるはずです。
「オーバーラン」が多すぎるアイスクリームは急速に溶け、
溶けた製品に多くの気泡が現れます。

調整を誤ると、冷凍庫の内壁のクリームの薄い層が凍ってしまうので、
冷凍庫のブレードを鋭く、適切に調整してください。
これにより、バッチが冷媒から遮断され、凍結時間が長くなり、
「オーバーラン」が減少する傾向があります。

リース- 走る" から に アイスクリームを硬化キャビネット、
または0°F以下10°Fの部屋に保管します。

サーブするときは、キャビネットを 6°F に保ってください。
スクープを「転がす」動きですくってください。
スクープをアイスクリームに掘ったり押し込んだりすると、
アイスクリームが圧縮され、1 ガロンあたりの摂取量が減ります。


さすがアイスクリームが士気を高めるとトップが言明するだけあって、
作りかたはやたら科学的に厳密な感じです。

クックブック原文に興味を持った方のために。





ボードには、特別メニューが貼ってあります。

オリーブ
甘いピクルス
ローストターキー
セージドレッシング
グレーヴィー
マッシュポテト
バターコーン
バターエンドウ豆
野菜サラダ
フルーツケーキ
ミンスミートパイ
アイスクリーム
コーヒー
ミックスナッツ
キャンディ
葉巻 とタバコ




こちらは1943年護衛空母USS「ナッソー」のクリスマスメニュー。
「Chow」というのはチャウと発音し、ご飯のことです。

スイートピクルス
オリーブ
トマトジュースのカクテル
ローストターキー
焼きハム
クランベリーソース
マッシュポテト
セージドレッシング
モツグレービーソース
アスパラガスのチップス
スキャロップド・コーン
パーカーハウスロール
フルーツケーキ
アップルパイアラモード
バター
コーヒー
ミックスキャンディー
ナッツ盛り合わせ
葉巻とタバコ


別の艦なのに、まるでしめしあわせたかのように同じようなメニュー。
これがアメリカ人のクリスマスの定番なのでしょう。

LST393にはないスキャロップド・コーンという料理は、
典型的なアメリカの年末年始料理で、ニューイングランド発祥。

ローストビーフのサイドディッシュ的立ち位置の料理で、
スキャロップと言いながら魚介類は入っていません。

コーンにクリーム、卵、砕いたクラッカー、玉ねぎを混ぜて
キャセロールに入れてグラタンのようにオーブンで焼いたもので、
カロリーがたっぷり取れそうな、アメリカ人の好きなタイプの一品です。



これが「ナッソー」の給養くん(名前の表示なし)。
おそらくマスキーゴン出身なのでしょう。



護衛空母「ナッソー」Nassou(AVG-16 その後 ACV-16)

は、1942 年5 月に就役した37隻のC3 CVEのうちの1隻で、
「ボーグ」級護衛空母10隻のうちの1隻です。


1943年、アッツ沖を航行中の「ナッソー」


第二次世界大戦中は、アッツ島占領のための航空援護、

のちにタラワ島侵攻における輸送任務と航空支援に参加。

マーシャル諸島、クェゼリンでも作戦を展開し、
対潜哨戒と戦闘航空哨戒の両方を行っています。

最大の任務は、タスクグループ30.8としてハルゼー提督の第3艦隊に参加、
他の護衛空母とともにアドミラルティから出港し、
攻撃空母に航空機とパイロットの交代要員を提供しました。

パラオの攻撃、フォリピン作戦、ウルシー環礁において同じく
航空機とパイロットの補充と交代任務のほか、
1944年10月24日のレイテ湾海戦で沈没した

「プリンストン」の生存者382名を輸送する任務も行っています。

5つの戦功賞を受けた殊勲艦ですが、海軍から抹消されたあと、
1961年6月、日本に曳航されてそこで廃艦されました。

どうしてこのとき日本でスクラップになったかの理由はわかりませんでした。


続く。


ノルマンディ上陸作戦〜戦車揚陸艦 US「LST393」

2023-09-15 | 軍艦

マスキーゴン湖沿いに係留されている展示艦、
戦車揚陸艦US「LST-393」の艦内をご紹介しています。

ところで全く関係ない話を冒頭にぶち込みますが、
今LSTの「L」を打ったところ、なぜか候補として

🏳️‍🌈←これ

が出てきて、思わず、は?と声が出ました。
なんでLがいきなりLGBTなんだよと。

アメリカでは今あまりにメディアと左派のLGBT推しが酷すぎて、
ご存知のようにディズニー映画はえらいことになっているし、
それに文句を言ったら社会的に抹殺されかねない圧があるしで、
当然ながらこれに反発しながら、今まで黙るしかなかった保守層も
どんどんエスカレートするこのムーブメントに我慢しきれなくなって、
もうええかげんにしろ!という声がちらほら上がり出したように思います。

わたしはLGBTはもともと「個性」の範疇に収まることと考えていましたが、
アメリカのメディアや企業の昨今のあからさまなLGBT押し付けには
さすがにこれ変でしょ、と不快な気持ちを持たずにいられません。

これ、いったいどこからどういう指令が出てるんかしら。



閑話休題、LST-395の内部にはいってきました。

かつてフェリーの貨物として車両を搭載していた部分は、
いま展示艦のロビーのようになっていて、
その周りにはこれでもかと戦時資料の展示が行われています。

さすが戦車揚陸艦。それにしても広い、広すぎる。



指示の通りにまず階段を1階登ってみます。
そこでは洗濯板みたいな袖章をつけたCPO(上等兵曹)がお出迎え。



まるで鏡でものぞいているのかと思うくらい、長く続く廊下。
ここは「Berthing Deck」と呼ばれる乗組員の洗面所デッキです。

英語では

Supply Group Berthing(補給部隊洗面所)

となります。

潜水艦と違って、何しろ乗っている人数が多い(兵員最大115名)ですから、
水回りの設備もたくさんないと、朝など大変なことになります。


続いて兵員用バンク。

潜水艦ばかり見てきたので、廊下の広さにちょっと感動してしまいました。
バンクもこれくらい高さがあれば、起き上がっても頭打たずにすみますね。

しかし、もともと軍艦なので、舷窓はありませんし、
空気を取り入れているのはファンシステムのみ。



この大型ファンシステムは船内に 7 つあるうちの 1 つです。
空気の循環は特に熱帯地域では非常に重要でした。
そういう場所でこのコンパートメントは猛烈に暑くなりますから。

ユニットの中央には蒸気熱交換器があり、
ボイラーからの蒸気によってエネルギーが供給されると、
流れる空気が加熱され、それが寒冷時の船舶の暖房に使用されます。

しかし、ここマスキーゴンは冬場零下30度にはなる地域なので、
その間乗組員はかなり快適だったのではないでしょうか。


右側のハンドルのある機器は、換気用ブロワーのスイッチ。
冬場はこのユニットで艦内の空気を循環させていました。

この艦は空調がないそうですが、冬場はこれで十分だったということです。
いかにボイラーなどの熱が艦内に篭るものかということですね。


シャワーブースも、潜水艦と比べると広すぎて怖いほど。
しかもこれ士官用ではなくて兵員用ですから。


さて、わたしはこの地図で言うところの「タンクデッキ」から階段を上って、
ベーシングデッキを歩き、突き当たりまでやってきました。



一番奥に行くと上に、この階段を降りると下に(当たり前)。
しかしさて、どちらから行くべきか。
「順路」というものが決まっていないだけに、迷います。



ふむ、「スターン・ラダー・ルーム」とな。
ではこれから攻略することにして、下に降りていきますか。

スターン・ラダーとは文字通り艦尾の舵があるところ。
艦首から入って、一番後ろまでやって来たことになります。


今は物置かな?
真ん中にダイナマイトの起爆装置みたいなのがありますが、
スプレーポンプと書いてありました。



ここがスターン・ラダールーム
まず艦尾に向かって立ち、左舷側を向いた時に見える景色です。

右側の船殻からワイヤが来ていますが、



それいは手前の「クリーブランド」と書かれた機器に繋がります。
赤字で「イマージェンシー・ステアリング」とあります。



「クリーブランド」の左、艦尾に向かって左側。(右舷側)



奥に見えている黒い二つの機器はジェネレーターのようです。



ラダールームを出ると細い廊下。

■ノルマンディ上陸作戦





薬瓶や酸素マスクのある部屋に水兵さんが一人立っている部屋。
ここはどうやらファーマシーのようです。



ところで、マネキンの水兵さんが着ているセーラー服の袖に、
ドラゴンの刺繍が施されているのに気がつきました。

そういえば、戦争が終わってからアジア方面に寄港したフネの水兵の中で、
現地で軍服に刺繍を入れるのが流行ったことがありましたっけ。

もちろんこれは公式には禁止されていましたが、
何しろ戦争が終わった頃の開放感の中のことでしたから、
若い水兵のこの罪のないちょっとした違反は、大目に見られていたようです。


大きな木のトランクはファーストエイドキット、救急箱です。
中身を一応書き出しておきます。

アンモニア:気付用
消毒用アルコール:傷の消毒
キャスターオイル(ひまし油):下剤
サルファカイン:やけど
特別咳止め
メタフェン:傷口消毒
アプリケーター:消毒剤の塗布に使う
タンブレード:喉の検査、軟膏の塗布
エプソムソルト:下剤、感染症に
酸化亜鉛:擦過傷、炎症のための肌用軟膏
包帯
ガーゼ
三角巾
包帯鋏
スプリンター鉗子
バンドエイド
眼帯
喉の炎症のためのトローチ
アスピリン
点眼剤
安全ピン

が入っていると記されています。
こうやって書き出してみると、完璧なファーストエイドキットの内容です。



ところで、最初に説明したかどうか忘れましたが、
LST-393はDデイ、ノルマンディー上陸作戦に参加しています。

HPには作戦当時、実際に参加した乗組員が記した日記が掲載されています。

【1944年6月5日】

イギリス、ファルマス港に係留。
旗艦から0810に錨を降ろすよう信号を受けた。

0823年に錨を降ろし、サイ・フェリーを牽引して
作戦計画1-44を開始するために
タスクグループ126.4の船団を形成して航行中である。


LST-393は、1944年6月6日の夜、オマハビーチ地帯に到着しました。
シャーマン戦車やその他の戦争物資を積み込んだ後、
ノルマンディーの気まぐれな潮の流れに翻弄されながら、2日過ごしました。

「ノルマンディ上陸作戦」、別名オペレーションネプチューンの実施日は
1944年6月6日となっており、この日記にはその日だけの記述がありません。

【1944年6月7日】

イギリスのファルマスから、フランスのコルヴィルへ向かう。
陸軍車両と陸軍要員を乗せたLSTと他の様々な船舶の護衛艦で航行中。

1010、フランスのコルヴィル、
オマハビーチ沖の水深10ファゾムで船首錨を投下。
1,135人の負傷者を乗船させる。


彼女はオマハビーチまで30往復してさまざまな装備や物資をフランスに運び、
負傷した兵士や数千人のドイツ軍捕虜を乗せて帰還しました。

 【1944年6月8日】

敵機が上空に現れたため、0115にG.Q.(ジェネラルクォターズ)。
我々は砲火を維持した。(迎撃を続けたの意?)
1515に錨を降ろし、ビーチに接近するために航行する。

1531に、コルベイユ沖のセーヌ湾の水深7ファゾムで船尾の錨を放した。
1532、輸送のためにLST75から人員を積む。
2025、負傷者が乗船。

2119、錨を下ろして北回りの船団停泊地に向かう。
2217、イギリスのポートランドに向かうLSTの船団に編入する。

【1944年6月13日】

イギリスのポートランドからフランスのコルヴィルへ向かう。
LST輸送船団で航行中。
1104、ユタ・ビーチのシュガー・レッド・セクションの沖合、
水深3ファゾムに停泊。


【1944年6月15日】

サウザンプトンへの輸送船団で航行中。
サザンプトン外部ドックのバース6に船首と右舷を係留。
1137負傷者を運び出す。


【1944年6月16日】

0017、輸送船団を編成し、コルヴィルのセーヌ湾ビーチに向け出航。
1352に水深8ファゾムで停泊した。

1523、海岸に近づくために進路をとる。
1530、オマハ、Fox Red Beachの沖合で停泊した。
1738、オマハビーチの上陸港の外に立っている防波堤を通過して航行中。


【1944年6月17日】

ヴィアヴィルのオマハ地区、ドッグホワイトの沖合に停泊。
0003年、赤色警報を受け、G.Q.を鳴らした。
0028、G.Q.解除。

0345に車両と人員の荷揚げを開始。
0400完了した。

HMS「セレス」から、LCT 210を牽引して
イギリスのポートランドに向かう命令を受けた。

1200、航行中。

1312、LCT 210の仮隔壁が破損し、LCTはビーチに戻るよう命じられた。
1345、10マイル先の輸送船団に合流するため、再び航行中である。



【1944年6月18日】

LST 355(F-S)、400、523、27、393、288、532の船団で、
南イングランドのポートランドから
フランスのセーヌ海岸のオマハとユタの侵攻海岸に向かう。
コース079度、速度6ノットで航行中。

1231、ユタ・ビーチの「S」レッド・セクションに接岸。
1438、車両と人員の浜辺への荷揚げを開始した。
1515、海岸から死傷者と生存者の収容を開始、
1635、荷揚げ船の運用を完了した。


【1944年6月20日】

更なる指示をHMS 「セレス」から受けるため、0745に出航した。

0910フランスのセーヌ湾のオマハビーチに停泊し、
0937嵐の中を操船。

サザンプトンに向かう輸送船団を形成するために航行中、
我々は輸送船団の旗艦として行動する。



【1944年6月21日】

0014、パイロットが乗艦。


0955、英国サザンプトン港のハード「S-3」に船首と右舷を係留。


艦首扉を開き、負傷者の荷揚げを開始、

負傷者の荷揚げ作業を終え、英国陸軍の車両と人員の船積み作業を開始した。
417名の兵士と12名の将校、英国人、68台の様々なタイプの車両、
これらを引き受け、積み込み作業を完了した。


ここに飾ってある制服は、ここがファーマシーであることから、
Dデイに参加したファーマシスト、

ウィリアム・トバイアス・レーリング
Willian Tobias Rehling

が着用していた制服と、Dデイ並びにその後の
沖縄侵攻にあたって授与されたメダルです。



ファーマシーの一隅には看護師の写真(美人ばかり)と
1943年8月のカレンダーです。

ノルマンディ上陸作戦当時の日付ではないのがちょっと不思議。



続く。




戦車揚陸艦 USS LST-393〜「ハイウェイ16」と呼ばれたフェリー

2023-09-12 | 軍艦

今日から新シリーズに突入します。

シカゴのミシガン湖沿いにあるマスキーゴンで、
潜水艦「シルバーサイズ」を見学したその後、
わたしは前もって立てておいた計画に従い、
同じマスキーゴンで展示艦となっているLST-393を訪れました。

LST-393は

1942年7月27日起工
1942年11月11日進水
1942年12月11日就役


戦時中ということで、起工から就役までわずか4ヶ月と
超スピードで建造された戦車揚陸艦です。

■ マスキーゴン



このときのわたしの移動経路について説明しておきます。

先日までお話ししてきたMSI、科学産業博物艦のあるシカゴ周辺から、
ミシガン湖に沿ってまずシルバーサイズ博物館に到達。(赤いポイント)



「シルバーサイズ」見学を終えて、午後には移動。
ミシガン湖から流れ込むマスキーゴン湖沿いに、
内陸に向かうと、LST-393の展示があるというわけです。



マスキーゴンという地名はあまりにも日本人に馴染みがなさすぎて、
(ちなみにピッツバーグ在住の知人も知らなかった)
地図の表記ですら「マスケゴン」と「マスキゴン」「マスキーゴン」が
混在するくらいですが、発音は「マスキーゴン」が一番近いです。

先住民族オタワ族の言葉で、「湿地の川あるいは沼地」を意味する
”Masquigon”が地名となっています。

湖沿いののんびりした街で、人口の60%くらいが白人、
航空部品やタービンエンジン、装甲車製造会社が目立つ産業です。

面積46.93㎡に対し人口は3万8千人。
ちなみに渋谷区の面積は15.11㎡に対し総人口は24万3293人です。
面積3分の1で人口8倍って・・・。



博物館の正面はAmazonでした。
ビルはおそらく築100年くらいだと思います。


艦体全部をフレームに収めようと思ったら、かなり遠くからでないと不可能。



展示艦の前には、各種アメリカ軍旗などをはためかせた、
陸軍のトラックがでーんと鎮座しています。



こちらの記念碑は、マスキーゴン郡(ここはマスキーゴン市)出身の
戦功メダル受賞者2名の名前が刻まれています。

一人はアレクサンダー・マクヘイル陸軍軍曹という人で、

南北戦争において突撃中に南軍旗を奪取し、
その旗を投げ捨てて敵への突撃を続けた」


二人目のデュアン・エドガー・デューイ海兵隊予備伍長は、

朝鮮戦争における板門店付近の戦いで、負傷しながらも
向かってくる共産主義者の手榴弾から自らの体で仲間を救い死亡」

南北戦争と朝鮮戦争・・・。



外から見る限り全く人の気配がありません。
オープンという表示がなければ、入るのをためらってしまいそう。

入り口は艦首から、と矢印がありました。



矢印の示すままに、艦首に向かって歩いていきます。



マスキーゴン湖は、ミシガン湖から流れ込む「内湖」なので、
全く波のない湖面は鏡のように静まりかえり、まるで池のようです。



戦車を内部に積載するために、艦首は大きな扉が開かれています。
こんな造りの軍艦はアメリカでも初めて見たような気がします。



もともと港でもなんでもないので、護岸工事はまったくされていません。



いよいよエントランスにやってきました。

何年か前、ニューヨークのロングアイランドからニューロンドン間を
フェリーで移動した際、ノルマンディ上陸作戦に参加した揚陸艦で
改装していまだに現役で稼働している船に乗ったことがあります。

揚陸艦はその構造から戦後フェリーに転用されることが多く、
LST-393もフェリーとしてデトロイトで生産される新車を運搬していました。

ここからが特殊な事情なのですが、LST-393は、
戦争が終わると海軍名簿から抹消されて水路運行を行なっていました。
その時につけられた船名は「ハイウェイ16」

その理由は、高速道路16号線の陸路が終わるところから、
湖の上を「延長」した水路を16号線として運行していたからです。


「・・・・」はLSTのハイウェイ16「水路」

その際、この艦首のドアは溶接されて閉じられ、
戦車用だったデッキは車用に改造され、
デトロイトからマスキーゴンまで陸路16号線で運ばれてきた車を乗せて、
ミシガン湖をわたり、ほぼ正面のミルウォーキーで降ろしていました。

水路の16号線は、ミルウォーキーからまた陸路の16号線に替わります。

■ 博物艦



そんなこんなで使われなくなってから放置され、
経年劣化の一途をたどっていた393ですが、
2005年にマスキーゴンの住民二人が率いるグループが交渉し、
所有者がこの船を係留していた場所ごと、管理を引き継ぐことになります。

数年にわたる修復と清掃の結果、見学が可能なまでになり、
2007年には1940年代後半以来溶接で閉ざされていた扉が開かれました。

管理者のUSS LST 393 Veterans MuseumのHPには次のようにあります。

LST-393は、第二次世界大戦中に製造された
1,051隻のLST(上陸用舟艇戦車)のうち、現存する2隻のうちの1隻です。

USS LST-393を修復し、後世に残すこと、あらゆる兵科、
あらゆる時代のすべてのアメリカの退役軍人を称えること、
そしてアメリカの若者と一般の人々に、
軍隊に従事した人々の役割について教育するのが我々の使命です。

博物艦としてスタートしてからも、ほとんどの軍事博物艦と同じく、
LST-393もまた、現地のボランティアによる運営により、
修復や改装、イベントの企画などが現在進行形で行われています。



艦名が書かれているところを見ると、
軍艦時代からの浮き輪(っていうのかしら)だと思われます。
この浮き輪もノルマンディーに行ったのでしょうか。



現地でこのプレートと浮き輪を見た時には「?」だったのですが、
今この瞬間やっとこの意味がわかりました。

フェリー「ハイウェイ16」だった頃の彼女の装備です。



スロープを登っていくといきなり第二次大戦時のジープがお出迎え。
正確には

The Willys MB
フォードモデル名:GPW


という名称で、モデル名は

G=政府契約車両
P=ホイールベース80センチの偵察車
W=ウィリス設計のエンジンを搭載


という意味だそうです。


写真のゲイリー・ヤクボウスキーさんからの貸借で、
この人はこのジープを1975年までレストアして乗っていたようです。

ここにあるということは、ご本人が亡くなったのかな・・・。

さて、ジープの奥の売店も兼ねた窓口でフィーを払い、
いよいよ内部に入っていきます。



すぐに「ハイウェイ16」についての説明が見つかりました。

ハイウェイ16 カーフェリー

1946〜1973

第二次世界大戦中の輝かしい戦歴の後、
USS 「LST-393」 はデトロイトの Sand Products, Inc. に売却されました。
彼らは彼女をカーフェリーに改造し、製造したばかりの新車を積んで
ハイウェイ 16 号線を経由してマスキーゴンに到着し、
ミルウォーキーまで 1 日 2 往復する航行を 27 年間続けました。

当時、多くのマスキーゴンの若者が、フェリーに乗って働いていました。

2005 年 USS「LST 393 」保存協会がこの船を管理したとき、
この船の「カーフェリー時代」の一部であった船上の多くの機器が保存され、
このコンパートメントに展示されています。


第二次世界大戦中、このコンパートメントは
弾薬保管ロッカーであったことに注意してください。



それがこのコンパートメント(だと思う)。

棚には電子機器や電球、トランクやラジオ、斧などが見えます。
奥は鎖の収納されるスペースのようです。

ここは「掌帆長のロッカー」ボースンズロッカーではなかったかとのこと。
リザードライン、モンキーフィスト、ヒービングライン、
マーリンスパイク
などのアイテムもこここに保管されていたかもしれません。
(とはいえ、このうち一つもどんなものかはわかっていないわたしである)


この狭いコンパートメントは、マスキーゴン出身で
軍サービスを行った人々の写真室となっています。

マスキーゴン地域からは6000名の男女が軍に関わりました。

テーブルの上ににはスクリーンと連動するキーボードとマウスがあり、
そこで人名を検索して、資料を画面に映すことができます。

今映っている看護師は、ハリエット・アン・グリフィス・クローズさんで、
彼女はカデット・ナースプログラムに3年参加し、
シカゴのセントルークス病院にあった看護学校に学びました。


次の部屋に行ったところ、モニターで
おそらく393に関するビデオが放映されていて一人が見ていました。

こういうのに大変興味はありますが、何しろ時間がないのでパス。

ここからしばらく小さなコンパートメントには、
制服やペナント、写真、他の軍艦の記念展示などが続きます。

それらは全体の紹介が終わってから取り上げることにして先に進みます。



続く。





ウィンチェスターミステリーハウスの”真実”〜西海岸生活

2023-09-08 | アメリカ

これが最後のアメリカ西海岸からの報告となります。
アメリカでの滞在を終え、先日無事に帰ってまいりました。

そして今、わたし史上初というくらいの酷い時差ボケに苦しんでいます。


今回は羽田着を選んだ関係で、出発が夜中の1時過ぎになりました。
空港到着が10時、出発時刻はもういつもなら寝ている時間です。



暦は9月になっていたので、シートのスクリーンはお月見モード。
水平飛行に入るまで、映画「ホエール」を観ていましたが、
登場してすぐ機内用の寝巻きに着替えて歯磨きも済ませていたので、
シートベルト着用サインが消えると同時に寝る体勢に入りました。



目が覚めると、着陸2時間前。
少し早めでしたが、このとき日本の近くは台風のせいで風が強く、
揺れが予想されるということで早めに朝食をいただきました。



時間は遡って出発前。
最後に、MKの大学寮にあるカフェ&バーで食べてみることにしました。

部屋から下を見ると、ちょうど来年度からの住人の引越し時期で、
そのせいか芝生の真ん中に学校のマークが描かれていました。
芝生に水性ペンキでペイントしてあるそうです。


大学院寮のなかの施設なので、営業は週二日木金のみ。
金夜などは関係者が団体で盛り上がっている様子がよくみられます。



バーにはカウンターも、自動演奏のピアノもあり。
この窓の中にあるのは、音楽に合わせていろんな色を発光する謎のオブジェ。



オーダーは備え付けの画面から行い、横にある受信機をとって待ち、
発信があれば取りにいくというシステム。



バーと言いながら、日本だとランチにするしかないバーガー系のみ。
わたしはMKのおすすめによりフィッシュバーガーにしました。
アボカドとか目玉焼きはオプションで付けられます。



美味しいコーヒーを求めて、最後の週末、
サンタクララ大学の周辺エリアに行ってみました。

VoyagerCraft コーヒーはサンタクララ中心に数店舗展開している、
ローカルな本格コーヒーショップです。



フレーバーコーヒーが売りで、その名前も
「バリ」「バレンシア」「サンティアゴ」「マニラ」
など、それぞれの都市のイメージの味というのが人気。

この日わたしはミルクをオーツに変え、ブラウンシュガーを抜いた
「トーキョー」(エスプレッソ、お好みのミルク、自家製バニラ、
チェリーブロッサムウォーター) を頼んでみました。

MKは「レキシントン」(エスプレッソ、お好みのミルク、
自家製バーボンリダクション、自家製バニラ)です。

■ ウィンチェスター・ミステリーハウス


最後の週末、コメント欄でおすすめされたこともあって、
車で7分のところにあるウィンチェスターミステリーハウスに行きました。

銃器王といわれたウィリアム・ウィンチェスターの未亡人、
サラ・ウィンチェスターの邸宅だったこの広大な屋敷は、その規模と
奇妙な建築のせいで1922年、サラの死後すぐに観光地となりました。

ちなみに、わたしの今日に至るまでの当地に対する知識は、

「ウィンチェスター銃の犠牲者の呪いのせいで、家族を失った、
と信じる未亡人が、占い師に騙されて死ぬまで建築を続けたせいで
奇妙なミステリーハウスになってしまった」

という程度の、ごく一般的に信じられている噂に留まります。
別にその実態を確かめたいとか、そういう意図はありませんでしたが、
単に近くにいるから一度行ってみようか、程度の気軽さで申し込みました。


チケット売り場の建物は、本館に似せてありますが、後から作ったもの。

前日ネットでチケットを購入しましたが、前売りなのに大人一人41ドル。
学生割引もなく、思わず「高いなあ」と文句が出ます。

チケット売り場には列ができていましたが、これは当日申し込む人のため。
購入が済んでいる人は中に入って待つだけです。

ちなみにゲートの蜘蛛の巣のような模様ですが、
屋敷内にもあしらわれた当時流行りの意匠です。

しかし、「ミステリーハウス」にぴったりな趣味ともいえます。



待っている間の時間潰しにどうぞ。
というわけで、シューティングゲームコーナー。
きっと備え付けの銃はウィンチェスター銃のモデルなのでしょう。



ウィンチェスター本人っぽい(さすがに本人のではない)写真を加工して
白目を剥いたおそろしい写真が飾ってあったりして、なかなか悪趣味です。

このように、ウィンチェスターの屋敷は、女主人の死後、
観光名所の宣伝として、「幽霊屋敷」のレッテルが貼られてきました。

全て「ミステリーハウス」に対する大衆の興味を掻き立てるのが目的です。

■ ミステリーハウスの「虚構」



しかし、そんなイメージをより裏付けるファクトとして、
あきらかに必要のなさそうな工事が行われていたり、
工事を行った理由が全く不明な構造物があります。

ツァーが始まってガイドが入り口のドアを開けると、そこは壁。



異常に低い段差(ほぼスロープ)でできた異常に狭い階段。
こんなのがあっちこっちにあります。



しかし一見不思議なこの階段には少なくともちゃんとした理由がありました。

マークが指を指したところは女主人サラの身長である4フィート10インチ。
つまり146㎝しかなかったことと、関節リューマチを患っていたことから、
彼女には段差が少なく、バリアフリーに近い階段が必要だったのです。



この44段の階段を使って移動できるのはわずか3メートル。
階段を上るのがつらければ、金持ちはエレベーターを設置しますが、
サラが屋敷を建てた頃は家庭に設置するようなタイプはなかったようです。

ただし、1916年にはエレベーターの設置が行われています。



他にもこんな階段がありましたが、これはどうみても
サラ生前のオリジナルではなく、後から設置されたものです。

事実、サラが死んですぐに投資家によって物件が購入され、
賃貸人として済んだジョンとメイミー・ブラウンなる夫妻は、
すぐさまここをアトラクションとして見せ物にし始め、
意図的に「不可解」な追加建築やオリジナル削除が加えられました。

より一層「ミステリー」な家にするための、演出といったところです。


ベッドルームはそれこそいくつもあります。
まあ、これもアメリカの豪邸なら当たり前。
部屋の数は全部で160あるとか。



サラはこの寝室で亡くなったとされます。
ということは、このベッドでということになるのでしょうか。

そもそもここにまつわる噂は、夫と生後ヶ月の娘を立て続けに病気で失い、
そのことを彼女がボストンの男性霊能者に相談したところ、この人が

「彼女と家族はウィンチェスター銃で殺された人々に呪われている。
その霊を慰めるために西に家を建てなければならない。
そして決してその計画を完了してはいけない」

と言ったので、彼女はわざわざ大陸を横断して西海岸に行き、
それで家を24時間建て続け(させ)たというものです。
なんで霊を慰める手段が家の増築なんだ、と突っ込みたいところですが、

ご安心ください。
これは1967年になって作家がでっち上げた嘘とわかっています。

そんな霊媒師は、調べたところ実在すらしておらず、
サラが西海岸に行ったのも、おそらくは健康上の理由で医師が勧めたから、
そして夫とのサンフランシスコ旅行が楽しかったからだそうです。

しかも、伝説が生まれるきっかけは、地元紙のゴシップ記事でした。


この武器商人の未亡人がサンノゼに豪邸を建て始めたとき、
世間は好奇心からあれこれと彼女について憶測を逞しくしましたが、
後述の理由により10年経ってもその建設が終わらないことから、

「この家の所有者は、この邸宅が完全に完成すると
自分は死ぬと信じているらしい」

とサンノゼデイリーニュースがおそらく揶揄半分で書いた記事が、
いつの間にか事実として流布されたと言うのです。


迷信深くて病的で、怪しげな霊媒師の言うことを真に受けて、
有り余る財産を無駄な工事に使い続けた愚かな女性。

後世のミステリーハウスにまつわる物語は、サラ・ウィンチェスターを
このように決めつけるものといっても過言ではありません。

しかし、噂、誇張、嘘、神話を剥ぎ取ったところにある彼女の実像は
健康上の理由で世間から身を隠すようにしていたものの、
会社の財務と投資ポートフォリオの構築も抜かりなく行う実業家でした。

そしてそれらの作業はこの机などで行われたのだろうと想像されます。


バスルームは13あったそうです。
トイレはあちこちにありますが、それも部屋からあまり遠いと
特に彼女のような健康状態にはつらいでしょうし、当然かと。



屋内の植物室?は床が斜めになっていて、
余分な水は外に出され、外の植物に水を供給するパイプもありました。



ジャパニズムを思いっきり取り入れた部屋もあり。
天井とタンスには竹をあしらっているように見えます。



この部屋に入った時、ピアノによるBGMが流れていました。
ガイドが操作すると、それが地震で建物が崩壊する音に変わりました。

この部屋は、地震の被害に遭った後、修復しない当時のまま残されました。


サンフランシスコ地震が起こったのは1906年のことです。

彼女が死ぬのを恐れて工事を続けたと言う噂がデマであったことは、
地震以降彼女は住居をたくさんある別邸のうち一つのアサートンに移し、
瓦礫の撤去とエレベーターの設置以外行わなかったことでも明らかです。



しかしこの地震のせいで、より一層屋敷は不可解なものになりました。

たとえばこのドアは「開けると空間しかない2階のドア」とされますが、
外にあったバルコニーが地震で崩落してそうなったと言うだけのもの。

他にも、階段で繋がっていた上層階が地震で取り払われたため、
「天井に向かっていきなり終わる階段」が出現したりしました。



それではそもそもなぜ彼女は建設チームを常駐させてまで、
家の建築を長期間続けていたのか。
それは一言で言うと、
建築が彼女の飽く無き「趣味」だったからでした。

まだ夫が存命中、東海岸で夫妻は当時別邸の増改築を行いました。
その際二人は建築とインテリアデザインに興味を持っただけでなく、
それが高じて、自分たちだけで全部設計建築を手掛けはじめます。

そのために雇った専門の建築家二人は解雇されています。

建築が趣味、などという女性は当時アメリカでも稀だったと思いますが、
サラにはそれを実行できるだけのふんだんな財力がありました。

そんな彼女が未亡人となったとき、広い土地に移り、そこで自分の家を
ゼロから自分の設計で建ててみたい、と思ったとしても不思議ではありません。

いつまでも工事が終わらなかったのは、建築が趣味だったからで、
完成させることより作り続けることが目的だったからでしょう。

言うて素人ですから、全体的にまとまりがなくなり、
家の中は迷路化してしまいましたが、そんなことはいいのです。

だってここは彼女の遊び場、プレイランドだったのですから。
(彼女はアサートンなど他にも西海岸に普通の家を持っていた)

ある人の研究によると、彼女が家を建て続けた理由の一つに
労働者の雇用を維持し続けるため、というのもあったようです。

そして、これはわたしの想像ですが、建築を続けたのは、
夫と子供を失い、ひとりぼっちになった彼女が、何かを生み出すことで
生きる情熱と目的を維持するためだったと考えられないでしょうか。


ガイドの向こうにはサラに雇われていた建築チームが写っていますが、
彼らはサラが死ぬまで、ここで安定した雇用を得ていました。

彼女は遺言により、従業員全員を受益者として指名していました。


建築チームのチーフ(棟梁ですな)などは、敷地内に家を持ち、
ここで家族と住んでいたといいますから。



メインの食堂。
サラは社交的な夫人ではなく、健康状態が悪化した1900年以降は
公的な場に姿を現すこともあまりなかったため、
屋敷ではパーティなども大々的に行われなかったと見えて控えめです。



氷を入れる式の冷蔵庫ならぬ「冷蔵室」。
大きな氷を入れて冷蔵の必要な食料を保存していました。



美しいステンドグラスの嵌め込まれた窓。
サラは今後のため?と思ってか、大量にステンドグラスを購入しましたが、
結局それらのほとんどは、どこにも使われずに今日展示されています。



「幽霊のような音楽」が屋敷から聞こえてきた、という地元住民の噂は、
早くから音楽をよくし、楽器の演奏を趣味にしていたサラが、
眠れぬ夜などに弾いたこのパイプオルガンだったと種明かしされています。

夜中にパイプオルガンの音が聞こえてきたらそりゃ怖いわ。



もちろん居間にはピアノもありました。
ケーブル(Cable)ピアノという、1930年代までシカゴに存在した
ピアノ製造業者の製品です。



スリラー映画『ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷』
と言う映画のロケがここで行われました。
そのときに使われた俳優の衣装が展示してあります。
YouTubeで見てください。

なんかひでえ・・・。



ハロウィーンには真夜中にツァーを行うなど、もう全面的に
そっち方面に振りまくっているここ「ミステリーハウス」。
ここのガイドは、わたしが今回したような「本当の」説明は一切行いません。

それどころか彼がガイドしているときに誰もいないのにドアが閉まった話を、
「これは本当の話です」などと大真面目で言って怖がらせにかかります。

仕方がありません。
ガイドは全員、捏造され不正確な噂を元にした、観光用の台本通り喋っていて
おそらく自分の意見(異論)を挟むことは許されていません。

それはほとんど、ディズニーシーの、今は無きアトラクション、
「ストームライダー」の前説係のようなものです。

そして、彼らが「個人的に」体験した「不思議な出来事」も、そのほとんどが
過去の噂と伝説からきた確証バイアスと暗示の結果だと言う説があります。

このように決めつけるのは、楽しみたい人たちには興醒めかもしれませんが、
ここはディズニーの作り物のアトラクションではないのです。

実際の誰かが住んでいた家をいつの間にか幽霊屋敷に仕立て上げ、
その主人を「おかしな人」「迷信的な人」とレッテル貼りをして、
こんな形で物語を上塗りして商業的利益を得るって言うのもなんだかな。

少なくともわたしには、面白く興味深い建築ではありましたが、
幽霊やら怪奇現象と結びつける意味は全くないのではと感じました。



というわけで、1時間半のツァーを終えて外に出てきました。



庭園には変な噴水がありました。



どう言う状況?
ちなみに三方から、カエルも彼に水をかけにきています。


庭園の外側にも趣味の?建築が建ち並んでました。
大工の棟梁の家もそうですし、やたら広いガレージ、大工小屋、
これなど「果物をドライする(だけの)小屋」。

サラ・ウィンチェスターには、グッドジョブ、と言っておきたいところです。



最後のエスニック料理は、タイでした。
ここは大当たり!今までで一番美味しいパッタイが食べられました。



大好きなスティッキーライスのマンゴ乗せも。
ライスはお米の色のせいでブルーです。



そして、最後のお昼ご飯のためにパロアルトのユニバーシティ通りに行くと、
以前ケイリーグラントをやっていた映画館が、
「ヒッチコック フィルムフェスティバル」を開催していました。






映画「潜水艦シータイガー」〜バック・フロム・ザ・デッド

2023-09-06 | 映画

イギリス映画「潜水艦シータイガー」、
原題「We Dive at Dawn」最終回です。

映画のボリュームから言って、だいたい当ブログでは
これくらいだと2日分の掲載で収まるのですが、
なにしろ当方にとって初めてのロイヤルネイビーもので、
製作に異常にテンションがあがってしまいました。

さらに、これまでに知らなかった海軍スラングや俗語、
なにより英国海軍協力による実写映像も興味深く、
最初から3回に分けることを前提で作成したほど力が入りました。

今検索したら、古い映画なのでYouTubeでも見放題。
項末に挙げておきますので、実写シーンだけでも是非ご覧ください。

潜水艦乗員を演じる役者たちは、海軍で実地に訓練を受けていますので、
立ち居振る舞いや機械の操作など、本物に近いのではと思わせます。



バルト海まで戦艦「ブランデンブルグ」を追い、ついに確定し、
魚雷を放った潜水艦「シータイガー」。



全弾6発が発射されていくのを数える「ナンバースリー」ジョンソン少尉。
発射後はすぐさま潜航です。

同時に艦内に爆雷警報が鳴り響き、
水密ドアを閉める作業が行われます。



駆逐艦の見張りが早速魚雷に気づきました。
ほとんど同時に爆雷が投下されます。



爆雷の破裂は早速潜水艦を揺さぶりました。
魚雷が命中したかどうかも爆発音でわからなくなってしまいました。



またしても地下からポンプのおっさんが顔を出しました。

「黙ってポンプだけ気にしてろ!」

「わかったよ。でも死ぬなら何が起きたかくらいは知りたい」

底の方勤務は艦内放送でしか状況がわからないからなあ。



魚雷の到達時間を測っていたら、
海上にはすごいスピードで駆逐艦が来てしまいました。



これから確実に爆雷が降ってくるでしょう。



ドイツ軍駆逐艦を演じているのは、
HMS「フューリー」Furyということです。


HMS Fury (H76)





炸裂する爆雷、立っていられないほどの衝撃が襲いました。
続いて照明が消え、漏水にビルジ排出が追いつかない事態に・・。



さっそくバケツリレー発動です。



ちなみにバケツリレーのことは、

「Get a bucket team going」(バケツチームを行かせる」

と言っています。



「ブランデンブルグ」の居場所を艦長に言おうとしてハンスに殴られ、
死にかけていた捕虜A(フリッツというらしい)が、
この混乱時に瀕死状態になってしまいました。

「おい貴様、ハンス!フリッツが死ぬぞ」

(平然と)「だからなんだ?」

「この獣め!」

横をバケツリレーがガンガン通っている中、ハンスがマイクに、

「君らはあまり興味ないかもしれんが、病人が死にかけだ」

マイクはバケツの手を止めて、フリッツの様子を見に行きますが、

「残念だがご臨終だ」



その足でマイクは艦長に捕虜の死亡を報告しました。

艦長は「ああ、後で行く」と関心なさそうに答えましたが、
これは後になって重要な意味を持ってきます。



この時不思議なやりとりが行われます。

艦長がベテランチーフのディッキーに、

「皆に菓子(スイーツ)を配らなくちゃな」

というのです。
聞き返したチーフも、すぐもののわかった様子で、部下に

「マガジンに行って弾薬の隣の『ホワイトリード』と書いた缶を取ってこい。
これは『サッカー』(甘いもの)だ」


鉛白が「甘いもの?」
鉛白の白粉さえ死をもたらすほどなのに・・。

改めて調べてみたら、古代ローマ人は、鉛の鍋でブドウの果汁を煮詰め、
できたシロップをワインの甘味や果物の保存に使っていましたが、
特にイギリスでは1940年代には完全に鉛毒の害は知れていたはずです。

甘い鉛白・・・潜水艦関係の隠語だったりするのかな。




そのとき機関長のジョックが燃料の残存が少ないと報告に来ました。



「ジェリーズは俺たちを仕留めたと思うまで攻撃を止めないだろうな」

「Jerries」ジェリーズは戦争中のドイツ人のあだ名です。
第一次大戦時の独軍のヘルメットがゼリーの形に似ていることから来ています。
ちなみに、独軍ヘルメットには「おまる」という別名もあったとか。

「待てよ・・・ジェリーズだと?」

自分の言った「ジェリーズ」という言葉が、

ジェリーズ=ドイツ兵=捕虜=さっき死んだ

と繋がり、ピコーンと何かが閃いた艦長。

さあ、もうお分かりですね。
元祖(かどうかは知らんけど)「潜水艦死んだふり作戦」の開始です。

死んだふりのため外に放出するものが魚雷室に運ばれていきます。
フライパンを持っている男に、先任が

「あほか、そんなもの浮かねえだろうが」

「洗おうかなと思って」

回収もできないけどな。

死んだフリッツにはイギリス軍の制服を着せ、念の為
ポケットには英語の書類と、ストップウォッチまで入れて偽装完了です。


捕虜Bがフリッツの遺体を見て何をする気だ?と気色ばむと、
先任は軽〜〜〜く、

「大丈夫、心配すんな」



魚雷の発射を行うのはマイクです。
敵の魚雷が破裂したタイミングで1番発射管に全てを入れて吹き出します。



発射と同時にバルブを放出し、できるだけ派手に飛沫を立てて、
次は艦尾を上に、急角度(15度)で後ろに滑るようにして沈んだふり。



遺体が浮いてきたこともあって、駆逐艦は騙されてくれました。
潜水艦撃沈!と一斉に歓声が上がります。🎉



ほどなくドイツのプロパガンダラジオ番組が、
「シータイガー」を撃沈したとしてイギリスに向けてそれを公表しました。

海軍下士官クラブの支配人が聞いているのは
もしかしたら「ホーホー卿」のプロパガンダ放送かもしれません。


支配人は「ツケリスト」から、黙ってダスティの名前を消しました。


マイクの婚約者エセルは外していた婚約指輪をはめ、



ホブソンの妻は息子の寝顔を見つめ、



海軍本部では、本作戦を伝達したブラウニング大尉が
専用ポストから「シータイガー」の名札を外しました。



さて、その「シータイガー」は、今や海の中に鎮座したままでした。
燃料を奪うため洋上をタンカーが通るのを待っていましたが、もう限界です。
食料ももはや底をつきました。

艦長は、この近くにあるデンマーク領の島に辿り着き、
全員が上陸したらボートを爆破する計画をアナウンスしました。

第二次世界大戦時、デンマークは枢軸側でしたから、
これはつまり全員で捕虜になることを意味しています。



艦長はこの事態に導いたことを詫びつつ皆に感謝を述べました。



そのときです。
思い詰めたようにホブソンがある計画を打ち明けました。

彼は戦前世界中に行った経験があり、その島のことも知っていました。
港があったので、きっと燃料もどこかにあるはずだというのです。

作戦とは、自分がドイツ軍パイロットに化けて上陸し、偵察の結果、
もし燃料があったら合図するから、皆で燃料を強奪するというものです。

「もしドイツ軍の制服を着て捕らえられたら、捕虜では済まないぞ」

「どうせ誰も涙なんか流してくれませんから」

艦長、黙ってフォローせず。
彼の艦内での孤立と家庭事情を知っているだけにね。

「一緒に行きたかったが・・・」

「艦長のドイツ語ではいざというとき役に立ちません」



ボートで一人港の桟橋下に漕ぎ着いたホブソンは、
小さな懐中電灯で潜水艦に信号を送りました。

「埠頭の突き当たりにタンカーを発見」

しかしこの光は、離れた場所にいる見張りに見られていました。



ホブソンは見張りの前に姿を現し、流暢なドイツ語(多分)で
自分が撃墜されたパイロットであり空軍大尉であることを申告します。



警衛の事務所に連れて行かれ、責任者は大尉に向かって敬礼しましたが、
ちょうどそのとき信号を発見した見張りから電話がかかってきました。

電話に向かって「いますぐ確認します」と言ったところで、
背後からホブソンは素早く彼を殴打し、制服からナイフを抜いて一突き。
外の見張りもやっつけて、武器をあちこちから集めました。



警報の鐘が鳴り響く頃、彼はすでに機関銃のセット完了。



たった一人でやってくるドイツ軍を迎え撃ちます。



そのころ「シータイガー」の上陸部隊が到着しました。

上陸部隊は、潜水艦内で来ていたセーターなどの私服ではなく、
士官下士官兵全員が軍服にテッパチで統一しています。

陸戦では敵味方を識別する必要があるため不可欠なのでしょう。



強襲部隊はデンマーク船籍のタンカー「インゲボルグ」に乗り込みました。
連れてこられた「インゲボルグ」船長に、テイラー艦長は

「イギリス海軍だ。石油と物資をいただきたい。
そして我々には議論する時間はない」


すると船長は

「デンマークはイギリス海軍ならいつでも歓迎しますよ」

そういうと、挙げていた両手を微笑みながらおろし、
艦長の手を両手で握ってくるではありませんか。

デンマークは、国境を隔てているドイツとは、
いつも気を遣って関わってきた(触らぬ神に祟りなし的な)国ですが、
第二次世界大戦でドイツ側であったとはいえ、それは
攻め込まれたくないからというだけの消極的な理由が大きく、
ドイツに戦争参加を求められてもほとんど逃げ腰でした。

政府は当初ドイツに従いレジスタンスを取り締まっていましたが、
ドイツが不利になるとレジスタンスが臨時政府を樹立したほどですから、
民間にもかなりドイツに反感を持っていた人が多かったと想像されます。

このシーンはそのようなデンマークの立ち位置が垣間見えますね。


さあ、これで燃料と食料、修理は確保できました。



上陸部隊のマイクとナンバースリー、ジョンソン中尉。



孤軍奮闘のホブソンと合流成功。



しかし激しい撃ち合いでマイクもホブソンも軽傷とはいえ弾を受け、
そろそろこちらの弾薬が尽きてきました。

こちらに銃撃戦による死者も出て、負傷者も増え、
限界か?と思った時、「シータイガー」は燃料補給を完了し、
帰還命令の笛の合図が鳴り響きました。


テイラー艦長が上陸部隊の帰りを今か今かと待っています。

そして、ドイツ軍が沿岸に迫る中、ギリギリのタイミングで
舫を解いて出港を完了しました。


「グッドラック!」

タンカーからは船長が手を振ってお見送り。
イギリス軍に物資供給したことがバレて酷い目に遭わないといいですね。



さて、某所航行中の漁船が、浮上する潜水艦からの信号を受けました。



「報告願う シータイガー基地に帰投せんとす・・・
すぐにCインC(本部)に伝えろ!」






ニュースはすぐにイギリス本土に報じられました。


領海に入ると、すれ違う軍艦が信号を送ってきました。

「なんて言ってる?」

「おめでとう・・・・撃沈」

「何だって?」

「B・・・『ブランデンブルグ』です艦長!」



「まじか!おいコントロールルーム!
『ブランデンブルグ』を沈めたぞ!」


瞬時にして艦内にニュースは伝えられます。
コントロールルームのゴードン中尉から、伝令によって、



腕を負傷して寝ていたジョンソン中尉にも。



湧き上がる歓喜の声。



そして「シータイガー」は生きて基地に帰ってきました。



港の艦船が一斉に汽笛を鳴らして彼女を労います。



骸骨の凱旋旗を立てての入港。



民間船の上からも皆が手を振っています。


母艦には信号旗が揚げられました。



ホッブスが艦長に信号旗の意味を伝えます。

「WELL DONE P-61」



そして出撃した時と同じ、P-211の横に着舷。



艦長が報告に向かう母艦の艦上には溢れんばかりの乗員がお出迎え。
(ロイヤルネイビーの皆さんエキストラ出演)
HMS Forth
1937年から1979年まで就役した潜水艦デポシップです。



テイラー艦長は、待っていた潜水艦隊司令(イアン・フレミング)と
隣のP-211の艦長に任務終了報告を行います。

前回の意趣返し?か、

「オールドムーアのアルマニャックを使っただろう?」

と揶揄うハンフリー大尉に、

「うん、実は魔法の鏡を使ったんだ」

とテイラー大尉。



そして岸壁には、夫、婚約者、息子を待つ家族たちが・・。



マイクは誰よりも会いたかった婚約者に。


マイクの上司でかつ未来の義兄、チーフ・ダブスは、
ミス・ハーコートと再会しました。

「ハロー、アラベラ!」

「はい?」



すると、タグが横から彼女を掻っ攫い、

「”グラディス”に新しい刺青見せてあげて」



これどうすんのよ。
「アラベラ」という名前の人が現れるまで待つ?



そしてホブソンは息子のピートを抱き上げました。

「ぼく潜水艦見たよ」

「入ってくるところも見た?」

「見たよパパ」

「お前は知らないと思うけど、潜水艦は戦艦を連れてきたんだ」

「そんなのいなかったよ」


ホブソンはカバンから戦艦「ブランデンブルグ」の模型を渡しました。



そこに柔らかい微笑みを湛えた妻が・・。



「やあ、アリス」


「家に帰ろう」

妻には異論はありませんでした。

「Aye.」

セーラー風の答えに、妻の夫に対する理解が込められています。



艦長はまだ艦隊司令に捕まったままでした。
艦隊司令はこの時も、前半に続き2回目となる謎のセリフを口にします。

それは、

「(君の)おばさんに会うことになると思うよ」
I suppose you will be seeing your aunt.

というものなのですが、この「おばさん」のことを、
なぜ艦隊司令が毎回いうのか、最後までわかりません。

予想ですが、この艦隊司令は実はテイラー大尉の「叔父」で、
「おばさんに会う」つまりうちに来たまえと言っているのでしょうか。

テイラー大尉が金持ちであるらしいことは執事の存在で明らかですが、
これをパクった疑いのある後発のアメリカ映画「クラッシュダイブ」では
主人公がまさに執事持ちの金持ちで、叔父さんが海軍の上官でしたよね。


そのとき艦長は、通りかかったゴードン中尉に声をかけて、

「士官室に行くならグロブナー2777番を」

おそらくまた執事に無理を言って、ミスシーモアだかジョーンズだかと
連日デートの約束をさせるのでしょう。



艦隊司令は、またも出撃していく潜水艦を見やりながら言います。

「また魔女が行くぞ。
ここにはただ通過するだけだ。
一隻入ればまた一隻が出ていく。
まるでバスの運行のようだ」



今年の潜水艦映画ナンバーワンの称号を捧げたい作品です。


終わり。

We Dive at Dawn (1943) WW2 submarine movie full length





映画「潜水艦シータイガー」〜戦艦「ブランデンブルグ」を追え!

2023-09-04 | 映画

第二次世界大戦時のイギリスで公開された潜水艦映画、
「潜水艦シータイガー」続きです。

休暇が始まったその日に、極秘のミッションのため呼び戻された
乗組員の各々の思いとは全く無関係に、「シータイガー」は
全くどこに行くかもわからないまま、出港準備が整えられました。



艦隊司令官らに挨拶をして、テイラー艦長が乗艦し、
書類を片手に持ったままセイルを上るという、
実に本物っぽいけれどおそらく外部者には難易度高いシーン。

艦長を演じたジョン・ミルズは実地に潜水艦に乗り込み、
訓練を経験して演技に備えました。



” Let go, forward.”
” Let go of your forward spring.”

この号令とその復唱で、艦首側の舫が外されます。


” Slow astern, starboard.”
(右舷、微速後進)

「シータイガー」出港。

横のS-211と「シータイガー」は同じS級という設定なのに、
同じSでも配備された国が違うので、全く形が違います。
しかしそれは言わないお約束。



海軍協賛の潜水艦隊宣伝映画ですから、
任務の細部をこれでもかと再現してくれるのがうれしい。



潜航前に艦長から訓示が行われました。
総員が初めて聞く今回の任務内容は、

「ドイツ軍の新造戦艦『ブランデンブルグ』を沈没させること」



いざという時のパフォーマンスを確保するため、
日中も海上航走を行います。


危険ゾーンに入ったのに海上航走していることに対し、

「”サブ”はアンダー、”マリーン”は水なのになあ」

と屁理屈で文句を言う乗組員たち。



こちら結婚式を中止して戻ってきたCPOマイク・コリガン。

結婚式に出席していた機関室のタグが近づいてきて、

「結婚する気がないのなら、(自分の狙ってる)
タバコ屋のグラディスに渡すから指輪をくださいよ」


と厚かましいことをいいだし、マイク驚愕。



グラディスとは、マイクの婚約者の兄、CPOのディッキー・ダブスが
名前をついに聞き出せなかった「ミス・ハーコート」のことです。



そのとき見張りがドイツ軍の救命ブイを見つけました。

中は無線が打電できて避難できる空間になった浮きブイで、
赤十字がペイントされており、これを攻撃するのは国際法違反です。



ドイツ軍のパイロット3名が味方だと思って合図してきましたが、
敵だとわかると一人が内部から味方に打電を始めました。



そこで艦長はブイのアンテナの物理的破壊を命じました。



「あんたがたの国際法はどうなってる?
救命ブイで助けを求める飛行士を撃つってのはどうなんです?」

「違うだろ?無線で我々を知らせたのでは?
電波を遮断したのは申し訳なかったがね」

「判断が早いですね、ヘア・カピタン」

そこに彼らが呼び寄せたドイツ軍機のエンジン音が聞こえてきました。
ハンスというこの空軍飛行士は、ふてぶてしく、

「こっちも早かったでしょう?ヘア・カピタン」


急速潜航に伴い捕虜は艦内に引っ張り込まれましたが、
このパイロット、やはりただ者ではない。



机の上に出しっぱ(まさか見られるとは思わず)になっている
艦影表から、ブランデンブルグの名前を読み取りました。



さて、偶然恋敵となった操舵CPOと魚雷担当兵長ですが、
そうとは知らないCPOディッキーは、よりによってその恋敵に、
「ミス・ハーコート」と腕に刺青してくれ、と頼んでいます。

「ああ、グラ・・いやアラベラですね」

「アラベラって名前なのか!じゃそれで!」

翻訳ではタメ口で会話していますが、この二人、一応上司と部下なので、
ここではその関係性に配慮しておきます。


ところで刺青といえば、イギリス海軍の揚陸艦が晴海に来た時、
ロイヤルネイビーの皆さんが、士官下士官兵、階級に関わらず、
例外なく二の腕にびっしりと刺青を入れていたのを思い出しました。

それはもう、アメリカ海軍よりはるかにモンモン率高かったですが、
これってイギリス海賊の時代からの海の男の伝統かもしれん。



その会話を横で聞いていたマイク、

「タバコ店の人?それって確か・・グ」

「そうそう、マイク、彼女アラベラっていうんだ。
で、彫る値段だけど、6文字で1文字2シリングです」

ちなみに、年齢はだいぶ下ですが、こちらもマイクの方が階級が上で、
しかもおなじ魚雷担当ということなので、本来敬語で喋るべきところです。

ディッキーは『I LOVE MY NELLY』という元カノの名前の刺青を見せて、

「頭にARAをつけて、NをBに変えて、YをAに変えればいい」

いいのかそれで。っていうかYをAに変えるってどうやって?



ドイツ人捕虜に食事を持っていったホブソンは、捕虜のリーダー格、
ハンスから、君たちブランデンブルグを追ってるだろ、と聞かれます。

「何それチーズの名前?」

とホブソンがとぼけると、ドイツ人たちは笑って彼を馬鹿にしますが、
彼はあえて彼らのドイツ語がわからないフリを通しました。



そのとき「シータイガー」は機雷原に突入しました。
艦体が機雷のケーブルを擦る音がし始めます。

何の音だと訝るドイツ人たちに、ホブソンは

「機雷原だ。集中爆発が楽しめるぞ」

このとき、英語を通訳したハンスに、ドイツ語しかわからない捕虜Aが、

「Minen?(ミーネン、機雷の複数形)」

とパニクリ出しました。
彼らはドイツ語で口論を始めましたが、捕虜Bの、

「昨日クックスハーフェンで見た”あの戦艦”が・・」

という一言を聞きつけたホブソンの目が光りました。



すぐにマイクに見張りを代わらせます。

さっそく、機雷原の恐怖に騒ぐ捕虜Aに、
君らの機雷なのに何心配してるん?と皮肉を。



ホブソンは艦長に捕虜から聞いた
「ブランデンブルグ」らしい戦艦の位置情報を伝えました。


そこに、恐怖で錯乱した捕虜Aがかけこんできました。
艦長に機雷原を通るのをやめてほしいと叫んでいます。

そんな彼を殴り倒し、床に転がったところを何度も殴打したのは
なんと、同じドイツ人のハンスではないですか。

マイクが慌ててハンスを羽交い締めしましたが、
倒れた男はもう虫の息となってしまいました。

ハンスはなぜ捕虜Aを殺そうとしたのでしょうか。



ハンスに艦長はホブソンに通訳させて尋問を試みます。

「Was wollte er sagen?」(彼は何を言おうとした?)

ホブソンが話すドイツ語を聞いた途端、ハンスは顔色を変えました。
今までの会話を全部聞かれていたと知ったからです。

しかしハンスは質問に黙秘を貫こうとします。
彼がAへの暴行に及んだのは、軍機の漏洩を防ぐためでした。

「シータイガー」が、このままだと機雷原を突っ切ると知り、
それに恐れ慄いたAは、「ブランデンブルグ」がキールにいると伝えれば
作戦を諦めて機雷原を通らず引き返してくれると考えたのです。

これに対しハンスは、機雷でたとえ自分たちが死ぬことになるとしても、
情報を渡して国を売ることをよしとしない根っからのプロ軍人でした。

それでは、第3のドイツ人Bはどうでしょうか。



BはAと同じ考えでした。
彼もまた「シータイガー」の機雷原突入をやめさせたいので、
「ブランデンブルグ」をキールで見たと艦長たちにバラしてしまいます。

ハンスはドイツ語でBに囁きました。

”Du feiger Hund.”(この卑怯な犬め)



「ブランデンブルグ」がすでにキールに着いていたことはわかりました。

しかし艦長は諦めませんでした。
彼女がこれからキールからバルト海に向かうなら、
こちらもバルト海まで追いかければいいのです。

それには防御ネットを超えていかなくてはいけません。
艦長はそのためできるだけ海面を高速で航走することを指示しました。



航行中は基本乗組員は暇なので、思い思いに過ごしています。
こちらおっさん二人、刺青を彫ったり彫られたり。

方や名前も聞かせてくれない女の名前を刺青しようとする男。
方や自分の好きな女を取られまいと出鱈目な名前を他人の肌に彫る男。

どちらも潜水艦乗員としては優秀なはずだけど、いかんせんあほだ。



NELLYをARABELLAに変更する過程なので、
BELLY(お腹)になってますが、まあ気にすんなって。

そこにホブソンが通りかかり、

「女のために男がする愚かなこと・・」

と皮肉な一言。(でも正論)



そのホブソンですが、ゴードン中尉に

「前に模型作ってたけど、息子さんは気に入った?」

と聞かれて、

「いえ。あれは無くしてしまいまして」

と下を向いて答えます。
実は義兄と乱闘した時にはずみで壊れてしまったのでした。



潜水艦は暴風雨の中、海上航走を継続しており、
そこにいたメンバーが全員ワッチ増員に呼ばれて行ってしまいます。

「あー、陸軍に行けばよかった」

こんな時必ず乗組員がつぶやく決まり文句と共に皆が出ていくと、
ホッブスは一人になり、息子のために新しい模型を作り始めるのでした。


そのときマイクがタグを呼び止めました。

「刺青はどんな感じ?」

刺青のことは引き止める口実で、彼が気にしているのは
タグが指輪をねだった時に言った、

「式に出席していたピアノを弾く男(チャーリー)が彼女を気に入っている」

といういらん情報でした。

「エセルがあいつに興味あるって・・なにか知ってるの?」

「いやいや、ただ彼女は音楽が聴きたかっただけだと思うよ〜」

無責任な答えに、余計に心配そうなマイク。
タグっていうのは掻き回し屋っていうか、かなり性格悪いな。



「シータイガー」はバルト海に入ろうとしていました。
その途端、機雷のワイヤを艦体が引っかけた手応えが。



”Stop boat.
Full astern together.”
(機関停止 全速後進)


まるで格闘技のように全身を使って操作。



ここからの一連のシーンには、頻繁にエンジンテレグラフが表示されます。
外界の状況を模型で表すしかない状況で、
艦長ー機関士ーテレグラフの繰り返しが緊迫感を高めます。



そのとき、防御網に突入してしまいました。



艦長は後退の後前進全速を指示しました。
正面から何度も突入して網を破ってしまう作戦です。

実際そんな方法で防御網って破れるようなものなんですかね。

現場が「次の突入で成功するか」で5シリング賭けて盛り上がる中、
あっさり2度めに潜水艦は防御網を突破。

そのままバルト海に突入し、しばらく平穏な海上航走が続きました。



しばしの平穏、乗組員たちは思い思いに過ごしています。

ホブソンは模型作りの続きを、マイクは指輪を眺めながら、
そしてタグはディッキーの刺青の「ARABELLA」を
「RABELLA」と後1文字というところまで完成させました。

「ブランデンブルグ」を追い続けてここまできましたが、
そろそろ燃料の残存にも心配が生じてきます。



総員配備は突然やってきました。
モールス信号が光ったところが発見されたのです。



潜望鏡深度にして艦長が突き止めようとしますが、
まだ日の出前で艦影を認識することができません。



当初見えたのは駆逐艦一隻だけでしたが、
ホブソンの聴音により、影にもう一隻いることがわかりました。
後ろにいる艦が見えてきたところで艦影図と見比べます。



「ブランデンブルグだ!」



全魚雷を総動員しての攻撃開始です。
艦長命令を放送しているのはフランキーというスチュワード。

男たちの一人が興奮して、

「発射管全部だって?ブラインド・オライリーだぜ!
ブランディボールをぶっ放せ!」

ブラインド・オライリーは、たとえばゲートが空いた時などに
一斉に皆が飛び出す様子、ブランディボール
チョコの粉をまぶした「トリュフ」(つまり砲弾)のことです。

どちらも「ブランデンブルグ」と似ているだけのダジャレですが、
日本人には全く伝わらないので、字幕ではただ、

「ブランデンブルグの登場だ!」

となっています。
翻訳と字数の限界でこれは仕方ないかもしれません。



魚雷深度に浮上させる操舵のディッキーに、
「ファースト」ブレース大尉が言うのは、直訳すると

「あまり上げすぎないようにな、コックスウェイン。君の義弟のために」

マイクが魚雷を撃ちやすいようにってことでしょうか。



攻撃開始。

艦長はナンバーワンに艦の位置を知らせながら、
ナビのゴードン中尉に逐一艦位を報告させます。

「グリーン4−0、サー」

えーと、グリーンって何かしら。



しかし狙いを定めるには見るたびに位置が変わっています。
翻訳されませんが、このとき艦長は、

「バカなフン族め、俺が見ている間くらいじっとしてろ!」

なんてことを、どさくさ紛れに言っています。

フン族は別にドイツ人の祖先でもなんでもないのですが、
少なくとも第一次&第二次世界大戦当時、
イギリスと連合国はドイツを「フン族」と呼ぶのを好みました。

1900年の義和団の乱の際、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の、

「敵に対してフン族のように容赦するな」

という演説から、ドイツ人の野蛮性を強調するあだ名となっていたのです。

しかし、揺れすぎでなかなか照準が合わず、一旦攻撃は様子見になりました。
深度10メートルのまま待機です。


そしていよいよ攻撃の準備開始。
字幕では「必ず成功させる」となっていますが、この部分実際は

”Looks as if we've got it on a plate.”
=「まるで皿に盛ったみたいだ」


大きな仕事に対処しなければならないと言う意味ですので、どちらかというと

「大仕事だぞ」

みたいなニュアンスかもしれません。


そのとき床からひょっこり頭を出したのは、
エンジンルームのおっさん。(役名なし)

「顔出さずに艦長と俺たちに任せてろ」

頭を抑えられてまた潜っていきました。



そして、ついに艦長が瞬間の好機を捕らえます。

「攻撃用潜望鏡をしまえ。グループダウン」



左「コントロールルーム、オールチューブス・レディ」

「キャプテン、サー、オールチューブス・レディ」



「スターンバーイ・・・」

「スタンバイ!」

「ファイア!(発射)」


続く。

 

映画「潜水艦シータイガー」〜それぞれの人生

2023-09-02 | 映画

久しぶりに正統派潜水艦映画というべき作品を観ました。
「おすすめ潜水艦映画」には滅多に出てこないタイトルですが、
それらの有名作品に引けを取らない完成度です。

潜水艦戦に続き、後半敵基地に潜入して大暴れ、という構成は、
タイロン・パワー主演の「潜航決死隊」Crash Diveと全く同じですが、
製作年はこちらが1年先ということから、「潜航決死隊」が
このイギリス映画の二番煎じである可能性は高いと思います。

後発の潜水艦映画に何度となく登場する、
駆逐艦に沈没したと見せかけるための「死んだふり作戦」も、
わたしが観た全ての作品の中で今のところ最古ですから、
もしかしたらこれが史上初かもしれません。

そう言う意味ではオーソドックスな潜水艦映画の定型そのままで、
どこかで観たシーンばかりのように思いがちですが、
この映画が80年前に制作されたことを考慮すれば、
当時はさぞ画期的な展開とされたに違いありません。

かつ、合間に乗員たちの私生活と人間関係が丁寧に語られ、
彼らの帰りを待つ人々やひとりひとりの乗組員の人物描写も巧みで、
戦争映画という範疇を越えて、十分魅力のある作品です。


制作者一同が海軍本部と「陛下の潜水艦隊」士官下士官兵に対し、
製作協力にお礼をするロゴ。
「ヒズ・マジェスティズ・サブマリンズ」
という文字が、実に新鮮です。


タイトルは「暁の潜航」という意味ですが、こちらが副題。
本作主人公となる「潜水艦シータイガー」です。

撮影に使われたのは、1939年にトルコ海軍がヴィッカース社に発注した

Sクラス潜水艦

で、wikiにはP-614とP615が本作撮影に使われたと書いてあります。

第二次世界大戦の勃発により、S級潜水艦4隻はイギリス海軍に徴用され、
イギリス艦隊のP611級に指定されました。

イギリスにはもともとサファリ級=S級という潜水艦がありますが、
S級よりやや小さく、高いコニングタワーを備えています。

イギリス潜水艦の名付け方というのは独特で、たとえば

Explorer級「Explorer」「Excalibur」
Oberon級「Orpheus」「Ocelot」「Osiris]「Onyx」


といった具合に、意味はまったくランダムに、とりあえず
頭文字だけを一致させた名詞をつけることがあります。
(『ポーパス』級はイルカや鯨類の名前、
『ドレッドノート』級はランダムで、現在『キングジョージVI』鋭意建造中)

「シータイガー」という名前から、この潜水艦が
ロイヤルネイビーのS級であるという設定であるとご理解ください。



S級潜水艦「シータイガー」が哨戒を終えて帰港するところから始まります。

「もう直ぐ着岸です」

「どこにもぶつけなければお茶の時間に間に合うな」

「ティー」という言葉が最初に来るあたりが、イギリス映画です。

艦長はフレディ・テイラー大尉
ロイヤルネイビーのランクでは、大尉がLiutenant、
中尉はSub-Liutenantとなります。

テイラー艦長を演じたジョン・ミルズは、この役を演じるにあたって
実際に潜水艦で河を下る訓練に参加しました。
クラッシュダイブ(急速潜航)を経験した時のことをこう語っています。

「その後、ボートがノーズを下に倒立し、
矢のように海底に向かって加速していくのを感じました。

私は潜望鏡の近くのレールにつかまって、表情を全く変えず、
まったくなんともないように振る舞っていましたが、
その実、グリーンピースのような顔色になっていたのを
誰かに気づかれないかということだけが気がかりでした。」




「シータイガー」はP614とP615を使って撮影されたため、
「4」と「5」を塗りつぶした「P61」が作品における艦番号とされています。



映画を観出してすぐ、自分がロイヤルネイビーの階級と
その慣例的な呼び方について何も知らないのに気がつきました。

艦長が「ナンバーワン」と呼びかけているのは奥の士官で、
役名は「ファーストオフィサー ブレース大尉R.N.R」です。

RNRはロイヤルネイビーリザーブで、ブレース大尉は
予備士官であり、「シータイガー」の副長らしいとわかります。

そして、「サードオフィサー ルテナント・ジョンソン RNVR」

は艦長から「No.3」と呼ばれているわけですが、

RNVR=ボランティアリザーブ(英国海軍志願予備軍)

商船隊の将校で民間人出身ということになります。
おそらくはサブルテナント、中尉だと思われます。

それではナンバー2はというと、役名に「セカンド」はありませんが、
劇中、下士官で「セカンド」と呼ばれている人がいます。
(ここで混乱してしまいましたが、調べてもわからず)

「シータイガー」乗組士官はもう一人いて、
ナビゲーティングオフィサーのゴードン中尉RN
RNはロイヤルネイビーのブリタニア王立海軍大学の卒業生を意味します。
アメリカのアナポリスに相当する教育機関で、艦長も同じです。

ただし、劇中では艦長はゴードン中尉のことを、
単に「ゴードン」とか「ジャック」とファーストネームで呼んでいます。



操舵の先任ダブスが下士官室を覗くと、
魚雷手のCPOマイク・コリガンら下士官連中が、
当番で残る男が病気になってしまって困っていました。

「チーフかマイクが代わりに残っては?」

「俺の妹とマイクが結婚式するのでどっちもダメだ」


そこにふらりとやってきて憎まれ口を叩く偏屈者、
兵長の聴音担当、L.S ホブソン

L.Sもロイヤルネイビー独特のランクで、Leading Seamanの略です。
リーディング・ハンドランクというのは海軍下士官の最高位で、
伍長であり、技能職であり、上級職でもあります。

彼らはその技能によって「リーディング・レギュレーター」
「リーディング・シーマン」などと呼ばれますが、
総括した名称「リーディング・ハンド」と呼ばれることもあります。

ところで、このホブソンが映画の主人公の一人なのですが、
この顔、見覚えありませんか?



カナダ製作のナチス啓蒙映画、「49thパラレル」
(全然轟沈しないのに)邦題「潜水艦轟沈す」で、
カナダを逃亡するUボートの艦長、ヒルト大尉役を演じていた、
エリック・ポートマンではありませんか。



ポートマンはハリファックス生まれの根っからのイギリス人ですが、
貴族的ながら影のあるものの言い方、かつ上品で気品のある雰囲気で
ドイツ人やナチス将校を演じるのが得意な俳優でした。

「緯度49」で演じたUボートの司令官があまりにハマっていたため、
英国人でさえ多くが彼をドイツかオーストリア系だと思っていたとのこと。



そして、この映画の3人の主人公のうち残りの一人、マイク・コリガンは
やはり「緯度49」でUボートの乗員(ヒルトに処刑される)を演じた、
ヨーロッパでは超有名な性格俳優、ニール・マクギニスが演じています。



辛辣で一匹狼のホブソンは、上陸後のナンパ話で盛り上がる乗組員に
思いっきり水を差して皆に煙たがられる孤立キャラ。



この映像はもちろん本物のロイヤルネイビーの皆さんによる操艦。



母艦に接舷してある艦とメザシにするみたいですね。
P211「サファリ」は実在のS級潜水艦ネームシップです。



「右舷微速後進」”Slow astern, starboard.”
「右舷微速後進」”Slow astern, starboard, sir.”

艦長の号令の掛け方も本場仕込み。


さっそくP211の艦長が声をかけてきます。
獲物なしの「シータイガー」に対し、こちらは2隻撃沈したとマウンティング。



悔しまぎれにテイラー大尉は、

「オールドムーアのアルマニャックでも使ったか?」

と言っていますが、これはイギリス人でなくてはわからないでしょう。

「オールドムーアの暦」は2世紀半に渡って現在も発行されている
月や潮の満ち干、交通情報、占星術を記した発行物で、
現代ではインターネットで入手できる、アイルランドの伝統の復活、
テクノロジー、都市農業、カントリースポーツ、珍しい動物種、
レシピ、ヒント、超常現象、伝統医学、星占いの読み物となっています。



セイルを降りる艦長。



それを見ている母艦の乗組員多すぎい〜!
絶対これ野次馬か、映画に映るために出てきただろ。



無事帰還を潜水艦隊司令(大佐)に報告。



ところでこの大佐を演じている軍人、クレジットはありませんが、
なんとあのイアン・フレミングらしいんですよ。

ご存知ですよね?007シリーズの作者。
陸軍士官学校を出て海軍情報部に勤務、諜報員だったフレミングは、
退役後自身の経験をもとに、ジェームズ・ボンドシリーズを発表しました。

この頃フレミングはまだ海軍情報部に所属していたはずですが、
海軍総協力の作品としてちょい出したのかもしれません。

そして驚くことに彼の出番はこれで終わりではありません。



士官たちにきた手紙を配るのはゴードン中尉。
艦長にきた手紙をくんくんして、

「野すみれ、ジャスミン、フィッシュ&チップス・・?」

誰からきた手紙だフィッシュ&チップス。



テイラー大尉はどうも金持ちの陽キャリア充ぽい。
上陸するなり執事に電話して、毎日違った女性にデートのアポ取りを指示。
ランチはどこそこ、ディナーはどこそこで、次の日は別の女性、と・・。



そこに陰キャの見本のような魚雷担当、マイクがやってきました。

彼は、病気のアーノルドの代わりにフネに残る者がいないので、
自分を当直にしてくださいと頼みにきたのです。

「でも君、結婚式なんだろ? 結婚が嫌になったか」

「っていうか・・今でなくても、もう少し先でもいいかなと」

なんだこいつ。マリッジブルーってやつか?



艦長はもう一つ乗組員の問題を片付けねばなりませんでした。

「フィッシュ&チップス」の匂い付きの手紙を送ってきたのは
兵長ホブソンの義理の兄で、レストランのオーナー。
手紙は彼の妹であるホブソン妻が離婚を要求しているという内容です。

なぜそんな手紙を義理の兄が艦長に送ってくるのかって話ですが、
ホブソンもそう思ったらしく、

「フィッシュ&チップスだけ揚げてりゃいいのに、余計なお世話だ。
艦長もです」

経験豊富で何ヶ国語も喋れる優秀な技術者なのに、家庭環境最悪。
ホブソンを評価しているものの、艦長は彼の言葉に渋い顔をします。



さて、当番代理をこっそり申し出たマイク、
シャワーをご機嫌で浴びていたら、チーフが任務表を見て慌てて、

「マイク、君が当番になってるぞ!結婚式なのに」

「えー、それは大変だ(棒)
でも命令に逆らうのは無理じゃないかな?
全く腹が立つな!俺たちは無力だ」

しかし、チーフにとっては他ならぬ自分の妹の結婚式です。
新郎を担ぎ出すために、機関室のおっさんに賄賂を渡して買収完了。


なのにくだくだと言い訳をして上陸を拒む往生際の悪いマイク。



こちらタバコ一箱で買収された機関室のジョック。
今回の休みはたった48時間だと嘘をつかれていました。
実は7日と聞いて、ジョックはショックを受け飛び出しますが、


騙した張本人はすでに内火艇から手を振っていました。



周りは本物のロイヤルネイビーです。


チーフの実家に連れて行かれたマイクは、婚約者のエセルと再会。



ホブソンは家に辿り着きますが、妻は子供と一緒にいなくなっていました。



こちら将校クラブでマッサージを受けながら、執事に手配させた
デート相手からの電話をうっきうきで待っているテイラー大尉。
横に持ってきていた電話が鳴るなりとって、

「ハローダーリン、元気だった?」



「フレディ、丁寧にどうも。母艦のブラウニングだ」

ブラウニングは袖章から見て大尉。
母艦のことは「デポ・シップ」と言っています。

全くこれと同じ電話のやり取りが「潜航決死隊」でもありましたね。
かかってきた電話を彼女と思い、ダーリンと囁けば相手は上官だったという。
やっぱりハリウッドがパクっていた証拠ですよ。

ブラウニングは大変悲しいお知らせを伝えてきました。

「休暇は中止だ。総員即刻乗艦して任務に備えよ」



怒り心頭のテイラーが、

「レガッタも漕げないアホなジジイ”ドッサー”(金ピカ)が
思いつきで命令出しやがってー!」(直訳)

と思わずわめくと、カーテンの影から海軍少将が登場。

さっき裸でテイラーに「陸軍ですか?」とか聞いてきた人だよね。
相手の所属を聞いたら自分のも言うのが普通なのに、
「海軍」と聞いても何も言わない時点で気づけよって話ですが。

とにかくこの金ピカジジイ、もとい、少将閣下は、鷹揚に

「そんなものだよ、お若いの。
わたしもこれまでの海軍人生でずっとそんな連中と戦ってきたからね。
ではご機嫌よう!」

歴史は繰り返すってか。
この将官の嫌味も、アメリカ海軍とは一味違うジョンブル風味です。



いつものパブで飲んでいた水兵、ダスティ、フランキーらに
休暇中止を告げにきたのはCPOスリム。



こちら妻に逃げられ寸前のジェイムズ・ホブソンは、ヤケになって酔っ払い、
義兄の店に乱入して勝手に「出血大サービス」を始めるという始末。



すると店の奥から妻が顔を出し、彼女の足元をすり抜けて息子が来ました。

この男の子がもう無茶苦茶可愛いんですよ。
ホブソンが艦内で彫った潜水艦を渡すと、

「うー、だでぃー」

(あまり語彙がないらしい)とか言っちゃって。
息子を演じているのはデビッド・トリケットという子役で、
この作品を含め2本の映画に出演しています。


彼の妻、アリスは子供を追い払って、
相変わらず酔っている夫を非難。

お酒くらいでは子供もいるし離婚までは行かないと思うけど、
いったいホブソン、何をやらかしたんだろう。DVかな。



そこにタイミングよく警官が入ってきて、
軍からの非常召集命令を伝えるついでに、
義兄につかみかかっていたホブソンを引き離していきました。



マイクとチーフの妹エセルの結婚式場では、
「庭の千草」(The Last Rose of Summer)を誰かが演奏する中、
美人を仕留めたマイクがやっかみ半分のいじりをされています。



ダブス先任はグラディス・ハーコート嬢が気に入ってアプローチしますが、
ファーストネームさえ教えてもらえません。



式に先立って、神父さんが祝電を読み始めました。

「結婚おめでとう 私の名前を最初の子につけてね 叔母より。
おめでとう、私の名を最初の子につけるのを忘れるな 叔父より」

「双子でも作らなきゃダメだなマイク」


次の電報は軍からのお知らせでございます。

「えー,次、マイク・コリガン掌砲手
すぐさま艦にもどられたし 今夜出港す」

「リコール(召還)だな!」

思わず叫んだマイクの表情に笑いが浮かんでいるのをエセルは見逃さず、



「何かの間違いだよ」

という彼に、

「いいえ、間違いじゃないわ。もう少しで間違うところだった」

と言うや、指輪を彼に返してどこかに行ってしまいました。



このチャーリーという男、結婚が中止になったのが嬉しそう。
エセルを狙っていた感ありありです。

チャーリー「行かなくちゃ。イングランドが君らを必要としている!」

マイク「僕らを追い出したいのか?」

チャーリー「いやいや、悪気はないんだよマイク。
我々は皆自分の役割を果たさなければならないってことだ。
君たちは『サブ』で、僕は僕の仕事で」

ディッキー「『サブマリン』だ馬鹿野郎(twerp)」

潜水艦を「サブ」というのはイギリスではどうもアウトみたいですね。


「シータイガー」では出港準備が始まっていました。


本物のシーンなので逐一写真を上げておきます。


魚雷の搭載。


砲弾を肩に乗せて一つづつ持ち運んでいます。


本物の乗組員の中に俳優も混じって魚雷積み込み作業。



内部から見た魚雷搭載ハッチ。


油船と繋いでいます。



そして乗組員の乗艦が始まりました。


帰還するなりチーフはタバコで買収した機関室チーフのジョックから
わざわざ半日上陸して楽しかったですか〜とイヤミたっぷりで迎えられます。

ジョックはディッキーを「Mr. coxswain」と呼んでいますが、
これは彼が操舵のチーフだからです。


ディッキーはマイクがあまりにいそいそと召還に応じたことから、
妹との結婚に二の足を踏んでいると疑うようになりました。

「次に帰ったらちゃんと埋め合わせするよ」

というマイクに、

「いつまでも妹が待ってくれると思うか?」

と吐き捨てます。

これには理由があって、マイクとエセルの結婚式が中止になったのは
今回が実に4回目なのでした。
なんだかんだ理由がその都度できて、その度にマイクは
しょうがないねーと流してきたのです。

このやる気のなさ、兄としては妹と結婚させたくなくなるよね。


チーフ、スチュワードのフランキーに行き先はどこか聞かれて八つ当たり。

「自分より下のものに極秘の命令は明かせない!」


まあ本当に知らないんですけどね。
ただこういうとき口を閉じていられないのがホブソンという男。

「チーフ以下の階級の者がその任務を実際に行うわけですがねえ」



甲板に出るなりチーフは、ブレース大尉に尋ねます。

「すみません、これからどこに行くのかご存知ですか?」

「悪いが知らないんだ。まだ極秘だ」



艦長はイアン・フレミング演ずる潜水艦隊司令と、
隣のP211艦長ハンフリー大尉に出撃挨拶です。

大佐は直訳すると、

「この哨戒では君たちはさらに興味深い体験をするだろう」

と言っています。

何か知ってるね?艦隊司令。


続く。