ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

海の儀礼〜平成三十年度 海上自衛隊練習艦隊 体験航海

2018-05-31 | 自衛隊

晴海から横須賀までの体験航海もそろそろ終わりに近づいてきました。

簡単な艦内ツァーを行なった後、わたしたちはブリッジに上がり、
そこで入港の様子を見学することになりました。

最初、わたしは右舷側ブリッジのウィングに落ち着くことにしました。
そこに今回のツァーのアレンジをしてくださった幹部校の方がおられたので、
ご挨拶などをしておりますと・・・・・、

曳船YT10が「まきなみ」を右舷を軽やかに抜き去っていきました。

追浜が航路右手に現れるところにある防波堤には、ご覧の通り
赤い可愛らしい灯台が設置されています。

YT10の今日のお仕事は、「まきなみ」と「かしま」の間の防眩物を回収し、
それを晴海から横須賀に持って帰ることです。

上から見ていると、前甲板に運要員が出てきました。
舫などを出すハッチが開けられます。

ちなみに、右舷を歩いていく海曹さんを見てください。

朝と同じ位置に立ち、朝に持っていた同じ棒を手にしています。
舫作業は個人個人が作業を専門分担し、それが変わることはないようです。

舳先の赤メガホンの士官が甲板での作業を率いる指揮官ですが、
朝と同じくサングラス着用です。

そういえばどんな晴天下においても、海曹海士が制服姿でサングラスをかけているのを
見たことがない気がするのですが、禁止されているのでしょうか。

ハッチから太い舫が引き出されました。

「かしま」は米海軍基地の手前にあるブロックの向こう側を航行中。

このブロックですが、赤字で「航泊禁止」と書かれています。
向こう岸は米軍基地なので、海からの不審船の侵入を防ぐためのものでしょう。

米軍基地の白いビルに青文字で「 NEX Navy Exchange」とありますが、
ネックスは、アメリカでネイションワイドに展開する海軍直営の小売店です。
ファッション、雑貨、電化製品、家具、
とにかくなんでも扱っているようです。

「かしま」の入港を補助するために、タグボートが2隻、
湾口でこんな風にちゃんと並んで待っています。

あー・・・・・いじらしくって、萌える(笑)

女性海曹の持っている物体、朝も見ましたが何にするのだろうと謎でした。
軽い不織布で作られているように見えますが・・・・。

その時、右舷側のウィングを立ち入り禁止にする旨告げられたので、
私たちは左舷側ウィングに移動しました。

「かしま」とタグボート2隻が合流し、連れ立って逸見岸壁に向かう、
こんな後ろ姿を見ることができるのも「まきなみ」乗艦者の特典かもしれません。

左舷側にいると、米海軍基地の艦艇を見ながら通り過ぎることになります。
艦番号89は横須賀ウォッチャーにはもうお馴染み、「マスティン」。
横須賀に来て、もう足掛け12年になります。

YOKOSUKA軍港めぐりの船とすれ違いました。
年々人気が出て乗客が増加傾向にあるそうで、この日も満員御礼の状態です。

もう今年でオープンして10年になるそうですが、最初の頃は、
出航するたび米海軍から監視船がずっと跡を付いて来ていたそうです。

左から

85「マッキャンベル」

65「ベンフォールド」

54「カーティス・ウィルバー」

「アーレイ・バーク」型ミサイル駆逐艦三人娘。

「マッキャンベル」と「カーティス・ウィルバー」は、東日本大震災の時
トモダチ作戦に従事して災害救助活動を行なってくれました。

みなさんその節はありがとうございます。


ところで最近、震災当時横須賀地方総監であった高嶋博視氏著、

「武人の本懐」

を読みました。
あの未曾有の国難に当たって、海上自衛隊が災害と斯く戦ったかを、
災害地担当地方隊である横須賀地方総監部の指揮官が語るというもので、
ニュースやメディア媒体とは違う角度から見た震災の記録です。

同じように「トモダチ作戦」について、第7艦隊の中の指揮官によって書かれた
あの時の記録があれば、ぜひ読んでみたい、と思った次第です。

「かしま」後甲板には、すでに登舷礼の黒と白の列ができています。

信号旗は先ほどとは違うものが揚がっています。
「かしま」のコールサインは「JSUK」だそうですが、
わたしの乏しい知識でもこれが違うことくらいはわかります。

「横須賀港のどこそこに繋留する」

ということを意味するバース信号ってやつではないでしょうか。

 
 
ブリッジから実習幹部らしき三尉が出て来ました。
外を見ながらなにやらノートに書き込んでます。
 
斜めに線がいっぱい書き込んである・・。
 
 
こんな風に。
うーん、当艦の艦位を示してるんだろうけど、
具体的にどこがが何をしめしているのか想像もつかないぞ。
 
 
「マッキャンベル」さん、ちょうど正面から。
こうしてみるとマストの形とか、自衛艦とは全く違いますね。
 
 
左、記録を続ける三尉の右腕。

ほとんどの実習幹部は「かしま」に乗り組んでいますが、
「まきなみ」にも何人かが乗艦し船務を行なっています。
 
 
「ベンフォールド」さんの艦橋をアップにしてみました。
 
赤白のストライプの真ん中に蛇がいて、
 
たしを踏みつけるな」(Don't tread on me)
 
といっている軍艦旗「ファースト・ネイビー・ジャック」が揚がってます。
「ベンフィールド」、イージスシステムのレーダー補修中みたいですね。
 
 
おっと、「ベンフォールド」の舷側に腰掛ける海軍軍人の姿発見。
 
 
見ているともう一人やって来ました。
 
「どうしたんだよカルロス・・・元気ないな」
 
「ああ、ジムか・・。
彼女のマリアからメールが来たんだけどさ・・・終わりにしたいって」
 
「リアリー?まじかよ!」
 
「俺が日本に行ってる間に俺のダチと付き合いだしたんだって」
 
「オーマイガー、そりゃひどいな」
 
「ガッデム、ホセのやつ、サンディエゴに帰ったらただじゃおかねー」
 
みたいな?
まあ違うと思うけど、決して楽しそうな雰囲気ではないのよね。
 
 
ほらね?
ていうか、甲板でタバコ吸ってますが、いいんですかね。
 
 
と、そんな妄想をしている間にも、「かしま」の入港作業は始まっています。
「押し船」に右舷側を押してもらって、左舷側で着岸。
 
 
左舷側にはメルキュールホテルと、自衛隊の潜水艦基地が見えて来ました。
艦番号63は、これも「アーレイ・バーク」型の「ステザム」
 
 
 
初めて護衛艦に乗り、初めて横須賀基地で米軍艦を見た人たちは、必ず
 
「アメリカの船って、全然サビとか補修しないんだね」(その心は”汚い”)
 
などと口にします。
この時の艦橋でも、あちらこちらでこの会話が聞かれました。
 
特に「ステザム」さんの艦体はひどい。
これだけサビが筋になっているのに、なんとかしようという気ゼロ。
赤いのは錆止めだと思うんですが、工事中にも見えないし、
レーダーが真っ黒け、HEEEの文字もすげーテキトーに描いた感アリアリです。
 

ところで、本件とは全く関係ないですが、「ステザム」って、
ハイジャック事件(トランスワールド航空テロ事件)で飛行機に乗っていて
犯人に射殺され、たった一人の犠牲者となった水兵の名前なんだそうです。

駆逐艦に名前を残すのは、昔から基本的に名誉の戦死者ということになっていますが、
不慮の事故で亡くなった場合というのもあるもんなんですね。
 
 
さて、それではその前方に目を移して、遠目にも手入れの行き届いた
我らが海上自衛隊の潜水艦でお口(目)直し?をしましょう。
 
どちらも「しお」型ですが、右側が明らかに新しいのがわかります。
 
 
左側のセイルの上アップ。
二人の姿があります。

士官は作業服でなく冬服を着ているのに注意。
双眼鏡のストラップは青なので、艦長ではないと思われます。
 
 
あっ、右側の潜水艦の人はこっちを見てる!
どちらにも「UW2」、「ようこそ」の信号旗が揚がっています。

こちらも、冬服の士官と作業服の取り合わせです。
 
 
「まきなみ」が潜水艦を横から見る位置までやって来ました。
この写真を拡大してみます。
 
 
実は肉眼では、人がいることすら見えない距離だったので、
写真を拡大してみて初めてそうだったのか、と思ったのですが、
2隻の潜水艦のセイル上の、士官と青い作業服の組み合わせ、
そして甲板上の二人、全員が正対してこちらを見守っていたのです。
 
「ようこそ」の信号旗を、練習艦隊を迎えるために揚げて。
 
海軍の伝統に則った「海の儀礼」は、現代の海上自衛隊においても、
如是粛々と継承
されていることを、改めて確認した次第です。
 

続く。
 
 

オペレーション『MOE』〜平成三十年度 練習艦隊 体験航海

2018-05-30 | 自衛隊


格納庫前ヘリ甲板で手旗信号と信号ラッパの展示が終わったとき、
わたしたち御一行様にエスコート役のイケメン自衛官が招集をかけました。

「これから艦内の見学を行いますので私についてきてください」

ツァーはここから出発です。

「クラッシュクルー レスキューツール」

うーん・・・意味はよくわかりますが、

「クラッシュした場合にレスキューに当たるクルーのツール」

なのか、

「クラッシュしたときクルーを助けるツール」

なのかどちらなんでしょうか。


さて、ツァーは始まり、わたしたちはこの画面左奥にある階段から階下に降りました。

有害ガス検知器とは、大気中の可燃性ガス,毒性ガス(硫化水素・一酸化炭素)
などを検知する器械で、ポータブルのものが市販されています。

応急工作、というよりもしかしたらダメージコントロール、といったほうが
もしかしたら皆様にはピンとくるかもしれません。

応急工作は海上自衛官の職種であり、つまりこのドアの中は
応急工作員の執務室?なのだと思われます。

応急工作とは、艦艇に乗り組んで火災や浸水から艦を守る仕事で、
船体や機械部品等が損傷した際に、溶接や旋盤で部品を作成したり、
修理を行ったりする隊です。

その特殊な技術は第2術科学校の海士応急工作課程で
5ヶ月をかけて習得します。

例えば、隊員食堂の前にあった角材、これなども
ダメコンに使うためのもので、自衛艦には必ずどこかに装備してあるものです。

応急工作員はこの木材を使ってドアを抑え、防水作業を行います。

右列が応急工作ならびに艦上救難員の任務の紹介です。

普段は艦内の修理などを行なっていますが、艦が危険に晒された時、
彼らの本来のスキルが本領発揮となります。

ちなみに左の「デミスター装置」には、気体中に含まれる液体の微粒子を
分離除去する機器という定義がありますが、ここでは空気を取り込んで
エンジンを稼働させる役割であるということです。

さて、エスコート自衛官がわたしたちを連れていったのはこのドアの前。
なんの変哲も無いドアには「倉庫」と小さな札があります。

「この部屋はなんだと思いますか?」

自衛官はわたしたち全員に質問しましたが、皆黙ったまま。
わたしとTOを除いて、全員、護衛艦に乗るのは初めてという人たちです。

そこで、

「・・・・艦内牢屋」

わたしが小さな声で答えると、

「その通りです!」

「えーすごーい」(周りの人)

いや、だって格子がついてるし下には食べ物を入れる窓があるし。
アメリカの軍艦に必ずあったジェイルのことを思い出したのさ。

自衛官の説明によると、普段は実際にも倉庫として使われているこの部屋、
いざとなったらチェンジャブルかつリバーシブルに牢屋に早変わりします。

アメリカの軍艦にある牢屋の役割は、主に規律を守らなかった乗員を収監することです。
が、まさか我が海上自衛隊が規則違反の自衛官を檻に閉じ込めるはずがありません。

つまりこの牢屋は、海賊対策で「まきなみ」がソマリアに派遣されるにあたり、
拿捕した海賊船のメンバー等を仮収監する為作られたのだそうです。

そして、なんとびっくり、実はこの牢屋には、実際に4名の海賊様ご一行が
ご宿泊されたことがあるという話を聞いてしまいました。

外国人の、しかも海賊を収監している間、「まきなみ」乗員も怖かったと思いますが、
捕まって海軍艦の牢屋に入れられる
海賊はもっと怖がっていたと思います。

しかしながら、日本国自衛隊、他の国の軍隊みたいに問答無用で船を撃沈したり、
海賊をキャッチアンドリリースして海上に漂流させたりしませんし、
収監に当たってももちろん殴る蹴るなどの暴力もなく、それどころか

空調の効いた艦内で毎日三度三度ご飯を食べさせてもらえるし、下手したら
金曜日にはカレーが出たりするわけですから。

自衛隊に拿捕された海賊はまだしもラッキー!と思ったのではないでしょうか。

ほとんどの護衛艦はだいたい似たようなものが似たところにあります。
確か「あきづき」も、先任海曹室は食堂の階にあったと記憶します。

そして、ドアにはなにやら凝ったプレートが掲げられているのも共通。

 

食堂の全体写真を撮らなかったのは、そのテーブルというテーブル、椅子という椅子に、
すでに疲労困憊した人々が座り込んで虚ろな顔をしていたからです。

我々一行の家族連れは、食堂で空いたテーブルを見つけるや座り込み、

「わたしたちここでちょっと休憩しますからみなさん行ってください」

 

冷凍庫に「アイスクリーム」と書かれているので、TOは

「アイスクリーム食べられるの?」

と目を輝かせましたが、残念、自衛艦のアイスクリームというものは、
乗員たちの大事な大事な楽しみで、アイジャンで取り合うことはあっても、
一般客に売るために載せているのではありませんねん。

食堂には本日の手書きによるメニューが貼られております。

ちなみにこのメニューの下段、「具だくさん汁」のところをご覧ください。
「白葱」の「葱」の漢字を間違えたくらいで訂正印を押してあります。

「楽京」はラッキョウのことらしいのですが、こんな漢字だったっけ。

と見ているだけで楽しい(うるさくつっこんでごめんねー)メニューですが、
なんといっても最大の発見は、左上の「ポークカレー」が
カレー曜日の金曜日ではなく、月曜日の昼食であることでしょう。

どうも「まきなみ」では金曜日以外にもカレーを食べているらしいのです。

その「まきなみカレー」はポーク入り。
ちなみにレシピを拝見しましたが、しょっぱなに

「前日から鶏骨、人参、玉葱、キャベツ、にんにくを7~8時間煮詰める。
旨みの出ただし汁を作る。」

もうここで一般人には再現不可能、土下座して「まいりました」の世界です。
大量に作るからこそこのようなこともできるわけで、そりゃ美味しいはずだわ。

TOが衝撃を受けて写真を撮っていた、「食べ過ぎご飯例」。
トレイはお茶碗と違うのでついご飯を盛りすぎてしまうようです。

艦艇勤務は、運用などの目に見えてカロリー消費しそうな職種でなくとも
艦内を行ったり来たり、階段を昇ったり降りたりなので、多少食べすぎても
太ることなどないのでは、と一般人は思いがちですが・・。

若くて代謝のいい人はともかく、ついつい消費カロリー以上に食べ、
お腹周りに脂肪を備蓄しがちなお年頃の隊員に向けての警告かと思われます。

隊員の胃袋を賄う食材を搭載するのも大事な仕事です。
「ぶんご」で補給を見たことがありますが、やはりこの写真のように
バケツリレー方式で物品を運び込んでいました。

「まきなみラーメン?食べてみたい!」

「火曜日はラーメンの日」のご紹介。
これも大量に仕込むから、とんでもない手のかけ方をしているはず。
スープとか絶対に超美味しいよね。

 自衛隊の給養員は退官後、「行列のできるラーメン屋」も開けそうです。

 

電測と通信の任務を紹介しています。

電子整備(エレクトリックテクニシャン、つまりET)の係は、
高いマストに登って整備を行うこともあるとのこと。

また、万が一事故でアンテナが折れてしまった時も、
応急空中線(アンテナ)を展開して代替できるんだそうです。

軍艦には思いもつかないところにも二重三重にセーフティネットが張られています。

こちらは先ほど見学したCIWS(左)、アスロックなどの紹介です。

左はシウスの砲身を外して油を染み込ませた布を使い手入れしているところ。

オトーメララとHOSの紹介です。
先日紹介した砲口カバーのカジキは、「まきなみ」のロゴマークだそうです。
赤字で「百発百中!」と力強く言い切っているのが頼もしいですね。

経理の仕事にもちゃんとスポットを当てて紹介。
経理はメッセンジャーの仕事をすることもあるなどと書かれています。

真ん中の甲板散水、このシステムは、かつて米海軍で起こった
空母艦上の誤射爆破事故をきっかけに開発されたと聞きます。

違ってたらごめんなさい。

食堂を出たところにはどんな自衛艦にも大抵備えられている艦内神社。
「まきなみ」の御祭神はなんと奇遇にも、金比羅神社でした。

この体験航海の直後、わたしは金刀比羅での掃海殉職者追悼式に参加しています。

いつもそうするように、お参りの後ガラス戸を開けてお賽銭を寄進しました。
艦内神社で溜まったお賽銭は隊員さんのジュース代になることもあるようです。

食堂前通路にあった謎の蛇口。修理のため閉鎖中!です。

大抵の護衛艦内部の施設には、カメラと携帯は持ち込むのも不可です。
先日訪問した航空基地では、航空機内部や作戦司令室など、
わたしたちはもちろん、基地司令ですら携帯を預けて内部に入っていました。

ここはソナー室かCICか・・・・?

みんなと一緒に移動しながらだと。設定を変えないでシャッターを押すので
写真がことごとくお見苦しいものになりますがご容赦ください。

練習艦隊司令官勤務方針

伝統の魁 練習艦隊

「不屈」「向上」「自覚」

とあります。
晴海の艦上レセプションで泉練習艦隊司令官がおっしゃっていた

「三つのC」

「うれC」「おいC」「うつくC」

とは一体なんだったのか。

コントロールルームにやってきました。

そしてこちらが艦内に異常がないかチェックするダメコンパネル。
(というのかどうか知りませんが)

このデスクの上にはいつも刻々と変わる艦の状況を書き込むノートがあり・・、

実習幹部らしい乗組員がなにやら書き込んでおりました。
別の護衛艦見学で、誰も周りにいないのを見計らって内容を写真に撮ったこともありますが、
今回は自粛しました。

艦内ツァーはこれにて終了。
あとは適宜好きな場所で過ごし、入港の時に操舵室を見学、ということになりました。

ツァーを終えて外に出たところには掃除道具をまとめてある箇所があります。

で、出た〜〜!

溺者救助人形「ミス・マキナミ」は、目力のめっぽう強い美人さんです。
遠洋航海での寄港先で「まきなみ」を訪れ、彼女を目にする外国の人たちは、

「さすがは日本のネイビー、溺者人形まで『MOE』(萌え)か!」

と我が意を得たりで感嘆することでしょう。

知らんけど。


 

続く。

 


「彩雲」〜平成三十年度 海上自衛隊遠洋練習艦隊 体験航海

2018-05-29 | 自衛隊

 

練習艦隊が晴海から出航地である横須賀に移動する際に
一般見学者と乗員の家族などを乗せてクルーズする特別企画、
体験航海に、今年は同乗させていただいております。

艦内で行われる最初の展示であるヘリのローター稼働がおわり、
「かしま」が当艦「まきなみ」を追い越す際に行われる登舷礼、
発光信号が実際に送られている様子を見るなど、次々に
見学者にとっては見逃せないイベントが続きます。

続いては甲板に搭載されている飛び道具の動的展示、ということで、
まずは近接防火器システム、ファランクス・シウスを動かして見せてくれます。

アメリカでは正式には「シーアイダブリューエス」だそうですが、
案の定、それが面倒な人がその形から「R2ーD2」と呼んでるらしいです(笑)

動かす前に、シウスの下側にある扉が開いて、中から人が出て来ました。
実際にこれが実弾を撃つ時にはここは開けっ放しにしないと思うのですが。

シウスはただ動かしてもあまり見ていて面白いものではないですが、
この時の展示ではご覧のように結構限界まで上を向けて見せてくれました。

「まきなみ」が搭載しているのは最新型の一つ手前だと思います。
(「かが」が搭載している白ではなくグレーのCIWSが向上型最新タイプ)

「まきなみ」の はそれまでのタイプに比べてマウントの改良により
俯仰角が大きくなったということですので、それを披露しているのでしょう。

空砲を撃つ時、弾倉が「ガラガラガラガラっ!」とすごい音を立て、
見学者はその度に「わっ」とびっくりします。

わたしはこの時、舷側の舫杭(ちょうど一人がけのスツール状)に座って
撮っていたのですが、その近くにいた海士くんとそのマミーが写り込んでいます。

展示が終わってから海士くんに

「どこの配置ですか」

と聞いてみると、通信士だとの答え。

「今はお仕事しなくてもいいんですね」

「家族が乗っている者は一緒にいてもいいことになってます」

そこで母上に、

「半年間息子さんが遠洋航海に出てしまったらちょっと寂しいですね」

この秋から息子が家を出る親としてはついそのように聞いてしまいましたが、
お母さんは笑いながらそんなこともない、との答え。
海上自衛隊に入った時にすでに親元を離れているので、今更、ということのようです。

確かに、ソマリアに派遣されるならともかく、練習艦隊の遠洋航海なら
親としての心配もかなり軽くなるのかもしれません。

続いては主砲オトー・メララの動的展示です。
これも、空砲を撃つとかそういうことはできないので、
砲身をぐーるぐーると動かして見せてくれるだけです。

しかし、この展示でわたしはすごいことに気がついてしまいました。
オトー・メララが台座ごと180度後ろを向くことができるということです。

つまり自分で自分を撃つことも理論的に可能だってことです。
てっきり何があっても自分には絶対に当たらないような設計だと思ってたのに。

そして砲口のカバーにこんなマークが入っているのも初めて見ました。
肉眼では「何かある」と思っても正体を確かめることはできませんが、
写真を拡大して初めてこれがメカジキのようなモチーフであることに気づきました。

ところで、わたしの頭上で話をしていた通信士くんとマミー。

わたしが声をかける前ですが、息子がふと、母親に向かって

「彩雲が見えるよ」

と優しい調子で呟きました。

わたしと彼の母親が空を見上げると、薄いですが綺麗な彩雲が
太陽の周りをぐるっと描く円となって浮かんでいます。

「あ、ほんとだ」

その母に向かって息子は

「彩雲が出ると吉兆だから、きっといいことがあるよ」

かつて彼が小さな男の子だった時、母はその手を引いて息子に
空を見ながら同じことを言ったことがあったのかもしれません。

その息子は長じて海上自衛隊の制服に身を包み、遠洋航海に船出しようとする今、
あたかも母を安心させるように吉祥の現れた空を指し示しているのです。

この会話に、わたしは息子を持つ母としての我が身を重ね合わせ、
彼らに思わず声をかけてしまったというわけです。

そこまでは聞きませんでしたが、「まきなみ」は大湊所属の船なので、
このお母さんはわざわざ青森から駆けつけてきた可能性もあります。
そうでなくてもただでさえ朝から立ちっぱなしで疲れているに違いない、と考え、

「どうかお座りください」

わたしは立ち上がって自分の座っていた舫杭を彼女に譲りました。

ダイジェストでも書いたように「風の塔」を間近で見るのも今回初めてです。

右側の、高さ90mの大きな塔はアクアトンネルへ外気の給気、
75mの小塔はトンネルからの排気と二つの塔の役割は違います。

東京湾上で南北に抜ける風は2本の塔の間を通り抜けます。
この時、ベルヌーイの定理により効率的な換気ができる設計です。

この青と白のストライプは、羽田空港を発着する旅客機からの景観や、
船舶からの視認性を高めるために採用されたとのことです。

ちょっと遠いですが、アクアラインの「海ほたる」が見えます。

週末空港に行く時、時間に気をつけないと、海ほたるに行こうとする車が
湾岸線にはみ出してきて渋滞が起こるんですよね(´・ω・`)

たかが海の上にあるパーキングエリアなのに、どうしてあれほど人が詰めかけるのか。

さて、続いてはヘリ甲板です。
ローターを回す展示が終わったあと、柵がもう一度元に戻され、
ローターが後ろ側に束ねられて、甲板への立ち入りができるようになりました。

ヘリパイと一緒に写真を撮ってもらう人あり。

ヘリのピトー管は固定翼機と形が違います。
空気を取り込むノズルにたくさん穴が空いています。

根元には「持つな」とダイレクトな注意が書かれていて、
ついウケたので写真を撮っておきました。

窓から覗いて撮ったコクピットテーブル。

コクピットの左舷の窓は機体の下部を目視できるようにドーム型です。
これをバブルウィンドウという模様。

ウィンドウの下の羽根状のものはパイロンなんですって。
その気になれば武器を牽引することができます。
海上自衛隊で武器を搭載することがあるのかどうかは知りません。

ローターを固定させておく器具は回転方向だけを抑えるものであることが判明。

息子を抱きかかえる父親の向こうにスネアドラムみたいなのがありますが、
フライトデータが記録される、つまりブラックボックスに相当するもののようです。

なぜ外付けになっているかというと、それは万が一海に墜落した場合でも
浮かび上がって回収することができるようにではないかと思います。

四角い箱はそうは見えませんが、チャフ・フレアランチャー。
ミサイルの接近を検知すると、自動でチャフやフレアを射出し、
ミサイルを誤誘導させます。

手前の親子三人は我々のグループの参加者です。
張り切って歩いている男の子はこの日をむちゃくちゃ楽しみにしていて、
ほとんど彼の希望で参加が決まり、一家は静岡県からわざわざ出向いてきたとか。

女の子はお兄ちゃんほど熱心ではないせいか、要所でぐずって
お母さんを手こずらせていました。

子供でもコクピットを覗けるように足台が置かれています。
女性海曹の左下に見える灰色のものはFRIR(forward looking infra-red)
 前方監視型赤外線装置といって、熱線映像装置です。

ヘリパイの左腕にあるマーク、日章旗じゃなくて海上自衛隊旗だったんですね。
OD色に紅白の旭日旗・・・・うーん、クール!

海曹のパパに坊主頭をどつかれながらというのと傾向は違いますが、
これもまたパパの職場見学の姿。

「パパー、わたし大きくなったらヘリコプター操縦する人になる」

とか?
今は回転、固定翼を問わず、女性パイロットが増えているそうですよ。

通信科の展示が始まることになり、同行の家族は
前列の特等席から見学することにしたようです。

まず、いきなり手旗で女性海曹が信号を披露しました。

「なんと通信したかわかりましたか?」

わたしが周りにしか聞こえない声で

「まきなみへようこそ」

というと、その直後、

「正解は『まきなみへようこそ』でした!」

おお、とどよめくわたしの周りの人々。
しかし実は全くの当てずっぽうでした。
というか、こういう時に通信することといえば、それ以外にないでしょう。

続いて、総員起こしに始まり、出航、巡検など信号ラッパの披露です。

格納庫の隅に、ヘリの着艦記録ボードがありました。
T/L U/L F/L  の意味を聞くのを忘れましたが、とにかくこの日で
トータル7540回の着艦を行なったということです。

「まきなみ」が就役したのは2004年の3月ですから、14年2ヶ月の間、
搭載日数はおよそ収益日数の半分、ヘリを搭載していたことになり、
述べにすると1日に1.4回平均の発着を行なっていたことになります。

このあとわたしたちはエスコートの自衛官からの招集によって
軽い艦内ツァーに出発することになりました。

 

続く。

 

 


掃海殉職者追悼式を政治利用?する野党議員

2018-05-28 | 日本のこと

毎年5月の最終週末には、高松の金毘羅宮にある
掃海隊殉職者慰霊碑の前で、戦後日本の近海における掃海活動に従事し、
殉職した七十九柱の御霊を追悼する殉職者追悼式が行われます。

わたしは、前日の立て付けに続き前夜掃海母艦で行われる艦上レセプション、
そして追悼式に今年も参加して参りました。

これらの参加記についてはまた例によって最初からお伝えしていこうと思いますが、
今日はとにかく、そういったこととは全く別に、この追悼式において
ある野党議員があからさまな場の政治利用を行なったことを糾弾しておきます。

 

 

この追悼式が行われる香川県選出の議員といえば、今一番有名なのが
玉木雄一郎議員ではないでしょうか。

なぜ有名かについては今更わたしがここでわざわざ書かずとも、
ネット媒体で情報を得ることのできる皆さんはよくご存知でしょう。


玉木議員は、昨年、香川県の議員として掃海殉職者追悼式に招かれ、
そこで追悼の辞を述べています。

当時、国会もメディアも安倍首相を糾弾するもりかけ報道の真っ最中で、
(今もそうだというのが全く情けないとしか言いようがありませんが)
連日の「疑惑は深まった」報道によって政権支持率が下がったことをもって、
バカなジャーナリストが、

「社会が安倍政権に制裁を加えている」

などとブログに嬉々として書くような状況でした。

この追悼式で玉木議員の名前がアナウンスされた時、少なくともわたし自身、
穏やかならぬどことか、内心反発しながらその追悼の辞に聞き入ったものです。

 

しかし、玉木議員の追悼の辞は(秘書が書いたものだとは思いますが)
戦後日本において自らの身を尊い任務に準じた掃海隊員たちに対して
哀惜の意を表す、ごく常識的かつ真っ当な形をなしていました。
(それは冒頭に挙げた電報の内容に近かったと記憶します)


玉木議員はその前日の艦上レセプションには姿を見せていません。

わたしは帰化人のHSK議員について、自衛隊を後援するような人たちが集まる会に
よくぞまあノコノコとやってきて周りの白い目に耐えられるものだ、と
折に触れて書いていますが、HSK議員に対して白眼視しながら何も言わない人たちも、
もしあの頃の玉木議員を目の前にしたら、きっと一言言わずにはいられなかったでしょう。

当時、玉木議員は香川獣医師会から献金を受けた途端、それまでの

「獣医師が不足しています。政府を挙げて早急な対応が必要です」

という意見を180度翻し、香川での大学新設を阻止する旨発言していたことが
ネット上ではすでに明らかになっていたのですから。

 

そんな場では、例えば自衛隊を退官して一般人となったお歴々、
例えば「北の馬鹿者が」とスピーチでも言い放ってしまうような元将官なら、
とっちゃん坊やの玉木議員などひと睨みして、ぐさりと何か一言いいそうですし、
わたしですら、もし目の当たりにしたら言ってしまいそうです。

「獣医師会から百万もらって忖度したって本当ですかあ?」

とか、

「辻本さんの件、逃げも隠れもしないって言ってたのにどうなったんですか?」

とか、

「お友達というだけで疑われるなら親族ならもっと怪しいですよね」

とか。

思うに、玉木議員という人は、そう言われても仕方がないことを百も承知で、
政治家としてのしがらみ上、平気なふりをしてそれをやっているのでしょう。

しかも、それが特大ブーメランとなって返ってくることを、これも重々承知の上で、
首相の「疑惑」を追求している(させられている?)わけですよ。

これら一連の流れも、本人は内心困ったことになったなあと思ってるはずですから、
それを非難されるに違いない自分の支持団体以外、アウェーの集まりになど、
いかに面の皮が厚くても、怖くて出てこられないに違いありません。

辛うじて出席できるのは、自衛官が立場上そんな様子をおくびにも出さず、
自分を国会議員として丁重に扱ってくれる追悼式などの式典だけ、となります。


しかしまあ、今にして思えば、それでも真っ当な追悼の辞を述べた玉木議員は、
まだしも人として、なけなしの良心を持つ部類であったと言えるのかもしれません。

 

さて、今年最初に追悼の辞を述べたのは、自民党の大野敬太郎議員です。
第三次安倍内閣から防衛大臣政務官を務めているので当然でしょう。
大野議員は前日の「うらが」でのパーティで、何を勘違いしたのか

「このようなおめでたい席に」

と言ってしまったらしく、怒っていた人もいましたが(笑)レセプション後の
「うらが」の視察には熱心だったらしく、長時間外に出てきませんでした。
(なぜ知っているかというと外で待っていたからです)

翌日の追悼式で、大野議員は

「8月15日の終戦を、のちに掃海隊員となった当時の海軍軍人たちが
どのような気持ちで迎えたか、その心情を思うに余りある」

という感じで追悼の辞をはじめました。

そして、隊員たちが「機雷の漂う死の海」であった日本近海を啓くという
尊い仕事を成し遂げ、その結果殉職したことについて、

「その死は無念ではあっても、任務を果たしたことに悔いはなかったと信じます」

というようなことを言い切った時、わたしは思わず顔をあげました。

「国のために死することを賛美するのはまかりならん」

という戦後の自虐史観が、特に公人の口を永らく塞いできたのですが、
特に最近、若い政治家を中心に、そのタブーが一枚一枚薄皮を剥ぐように
なくなってきたのをちょうど感じていたからです。


追悼の辞は、その後、掃海隊群司令、呉水交会会長、自治体の長と続きました。

どの追悼の辞も、戦後の日本に敢然と「掃海魂」をもって困難に立ち向かい、
日本の海を啓開したことに対する賛辞、命をかけたことに対する哀惜の誠を述べ、
そして、彼らの磨き上げた掃海技術が、その後世界も絶賛するレベルとなって、
ペルシャ湾の掃海で信頼を寄せられたことを讃えるものばかりでした。

 

そして、満を辞して(嘘)現れたのが、希望の党の小川淳也議員です。

・・・あ、失礼しました、希望の党じゃなくて無所属だったようです。
落選して希望の党で比例復活したのに、希望をお出になったのね( ゚д゚)、ペッ 

 

ところで、追悼式から帰って来た翌日、わたしは関西の知人から

「某野党議員の追悼の辞が面白かったらしいですね。
お聞きでしたら記事が楽しみです(^o^)」

というメッセージを受け取りました。
その方によると、

「昨晩の関西水交会の懇親会で聞きました」

ということですので、午前中高松で追悼式に参加し、その後
関西水交会に出席した人からこの噂が広まったようです。

やはり小川議員の挨拶が、自衛隊支援団体に出るような方々の間で、
眉を顰められていた(あるいは面白がられていた)ことを知り、
わたしは妙な安堵?を感じずにはいられなかったわけですが、
ここで安心している場合ではありません。

「しっかり広めてください٩( 'ω' )و」

というその方のお言葉通り、ここにできるだけその内容を記しておこうと思います。

 

まず、紹介され、霊名簿の前に進み出た小川議員は、何も持たず、
書いたものを見ずに澱みなくしゃべり始めました。

まずそこで、わたしは「?」と思ったのです。

若い議員にとって、掃海隊殉職は自分が生まれる前のことでもあり、
歴史的な経緯や実際にどんなことがあったかを全く知らないのですから、
誠実に追悼の意を表そうとすればするほど、間違ったことを言わないように
数字などをきちんと調べた上、文書にして読むのが正しい姿勢というものでしょう。

現に、小川議員以外の全員が、掃海隊について誰よりもよく知っているはずの
掃海隊群司令や水交会の会長ですら、紙に書かれた式辞を読み上げていました。

読み上げた追悼の辞は、そのあと霊前に供えることにもなるのですから、
その意味でも紙に書くのが追悼の意味に適っているとも言えます。

 

それではまず、小川議員がなぜ何も見ずに追悼の辞を述べることができたのか。

理由は簡単です。
小川議員は、

「掃海隊員が戦後、上の命令によって殉職した」

という形骸的な事実だけを念頭に、あとはほぼ一般論で、
空虚で白々しく、しかも我田引水の、
自分の政局に立った主張に沿って補強するためだけの言辞を
追悼の辞にすり替えてしまったからです。

それは追悼の辞という名前を借りた、 政治演説でした。


演説は、ごく一般的な始まり方をしましたが、とってつけたように
小川議員がいきなり、

「掃海隊員が殉職したのは、上層部の命令によるものだった」

ということを言い出したとき、わたしは思わず小さな声で

「は?」

とつぶやきました。

式典の最中なのでこの時も写真を撮らないことにしていたのですが、
後からこれを録音しておかなかったことを心から悔やんだものです。

一字一句を再現できないのは大変残念ですが、ある意味
忘れようもない強烈な言葉を使って小川議員が言いたかったことは、


「上層部が横暴(ホントーににそういった)だと人が死ぬ」

「今の日本はどうでしょうか。上層部が(以下略)」

「上層部の横暴・身勝手(ホントーにそういった)を許してはならない」

(強調するために明朝体にフォントを変えてみました)

 

「この人、一体何をいってるんですかね

わたしが隣の防衛団体会長にささやきますと、会長は黙ってペンを出し、
紙に

「野党議員」(強調するために明朝体以下略)

と書きました。

いやだから、これが支持率視力検査並みの腐れ野党議員なのはわかってますよ。

 

問題は、戦後掃海任務を上層部(つまり日本)から命令された苦役と決めつけ、
その死を日本政府の横暴の犠牲であるということにしてしまったことであり、
それ以上にタチが悪いのは、小川議員は、戦後日本の文字通り復興の第一歩となった
掃海という国を救う事業に、なんの共感も、理解も、一顧足りとも与えないまま、

「上層部」「横暴、驕り」

という言い方で安倍政権と森友、加計問題を暗に(というかわかるように)
当てこすって見せたということです。


そして何より卑怯だと思うのは、誰にも反論される恐れのない追悼式で、
自分の言いたいことだけを言いはなち、意気揚々とその場を去ったことです。

案の定、そのあとの食事会に小川議員が姿を見せることはありませんでした。

つまり言い逃げです。

お利口さんな小川議員のことですから、そこにいた人々がほぼ全員、
自分と野党、ことに最近のもりかけ問題については、野党側を非難していることを
百も承知の上だったとわたしは思っています。


関西在住の方のメールの返事には、

「小川淳也、追悼の辞までモリカケかよ( ゚д゚)、ペッ」

さらに、「広めてください」の返事最後には

「追悼式を政治利用するな!( `д´)、ペッペッペッ」

と書いたわたし。

確かにその時にはそう思っていましたが、政治利用というのは
当たっているようで少し違っていて、
つまり小川議員があの場でやらかしたのは、
そこにいる人たちに
自分の政治理念(もりかけとはいえ)を暗に訴え、
共感を得ることではなく、
自分に反感を持っているに違いない政権側議員と
それを支持する人々、
つまり明らかな「自分の敵」に対して行なった

単なる鬱憤ばらしだったのではないか。

この項を製作しながら考えた結果、そう思っています。


鬱憤ばらしに過ぎないと考えれば、関西水交会でどなたかが言ったように
こちらもその政治家らしからぬ稚気じみた言動を面白がってやるだけのことですし、
さらにいえば、掃海隊追悼式はこんなことで何の毀損も受けておりません。


我々にできることは、このような議員に対しては次回の選挙で
民意を突きつけ、政治の場から退いていただくことだろうと思います。

 

 


ローター稼働展示と先導艦交代〜平成三十年 海上自衛隊練習艦隊 体験航海

2018-05-26 | 自衛隊

 体験航海では、一般乗客のために艦内でイベントが用意されますが、
ヘリ搭載艦「まきなみ」では、搭載ヘリのローターを回して、
その風力を体で感じてもらう、という企画(たぶん)が行われました。

格納庫にはロープが張られ、皆が見守る中、周りの手すりを全て取り払う作業が始まりました。

艦内で甲板の手すりが全くなくなるのを見るの初めてです。
ローターを回転させるだけであっても、こうすることに決まっているようです。

青と緑の作業服がきれいに交互に並んでの作業です。

舫の作業を行う運用員は黒の制服を着用しますが、
搭乗員とメカニックあるいは飛行作業などの部署はいつも通りでいいようです。

手すりは外に向けて倒すとそのままセーフティネットになる優れもの。

 作業終了です。

ヘリのドアがここで初めて開けられました。

インカム兼耳栓?の黄色いイヤフォンがミッキーの耳みたいで可愛い(笑)

空自のパイロットスーツは文句なしにカッコいいですが、
ベースボールキャップと合わせた海自の深緑の搭乗員服もいいなあ。

左腕の日の丸から、つい海軍航空隊を想起してしまいます。

そういえば最近すっかり忘れていましたが、そもそも
わたしがこの世界に興味を持つきっかけが海軍航空隊だったんだわ。

思えば遠くまで来てしまったものです。(遠い目自粛)

思うところあって最近任務中の自衛官であってもできるだけ顔にブラーをかけ、
はっきりと写さないようにしていますが、このコクピットの中だけは
パイロットの様子を見ていただきたいので、加工なしで出します。

「P3のパイロットはヘリパイほど目が良くなくてもいいらしい」

と航空志望の新任幹部に聞きましたが、こちらのパイロットは眼鏡着用。

Pー3Cのコクピットだとこちらから向かって右側が機長ですが、
ヘリコプターの場合反対側の左側が機長となります。

固定翼機は一般の航空機の交通ルールが右側通行なので左に席がありますが、
回転翼機の場合、低高度で航路を決めずに飛行することが多く、そのため
右側の視野を広く確保する必要性から右席になっているようですね。

ですから、管制官が誘導する際、固定翼機に対してはパイロット席のある側が
内側に来る左旋回を、回転翼機に対しては右旋回を指示します。

そして二人が被っているものに注目。

まるでスイミングキャップのような布の帽子ですが・・・。

機長が前に立つ誘導員にハンドサインを出しました。

そして次に写真を撮った時には二人ともヘルメットを着用していました。
ヘルメットに専用のマスク型のサンバイザー。
スイミングキャップはヘルメットの下に、蒸れないように(多分)つけるものだった模様。

そしてまたしても謎のハンドサイン「V」がむちゃくちゃカッコイイ。

これが最終の合図だったらしく、このあとローターが回り始めました。
わたしの近くに立っていたTOが慌てて帽子を脱ぎ出したので、

「格納庫にいる限り帽子が飛んだりすることはないと思う」

とこれまでの経験からアドバイスを送りました。

ちょうど羽田空港を過ぎたあたりで、国内線の航路を盛んに飛行機が通り過ぎます。

スマホでローターが回るのを延々と動画に撮っていた人が多かったようですが、
もちろん回して見せるだけが目的で飛び上がったりしません。

わたしの後ろに小学4年生くらいの男児がいたので、前に押し出して

「子供がいるので前に行かせてあげてください」

と言ったのですが、中学生くらいの子は自分も子供だという意識があるからか、
頑として動いてくれませんでした。

せっかくローターが派手に回っているので、シャッタースピードを30分の1に落としました。
ローター以外は動くものもなく、このスピードでもブレず楽勝です。

人の頭越しにしばらくローターが回るのをただ見ていましたが、
ちょっと飽きてきたので左舷側に出て外から撮ってみました。
こちらには誰もいません。

展示が終わり、ヘリがローターを止めたころ、後ろに「かしま」が見えてきました。

「まきなみ」に遅れて出港した「かしま」、これから「まきなみ」に追いつくようです。

こちらでは展示を終わったヘリのローターを畳んで、
見学者に触れられないように後ろにまとめる作業中。

デッキブラシのようなものでローターを扱っています。

「ミッドウェイ」について書かれた本で読んだ話ですが、
ある整備員が風でふわっと動いたローターを、スピードがなく
回り始めだということもあって、ふと手を伸ばして手で止めようとしたところ、
すっぱり指が切れてしまった、ということもあるくらい、
ローターを扱うのは危険な作業であるようです。

その整備員は負傷してすぐ、静かに「俺が悪い」と言ったとか・・・。

「かしま」がもりもりと接近中。
左舷側から追い越すつもりのようです。

「まきなみ」が行った後、「かしま」のまえを第三高神丸が横断しました。
東京湾で作業する砂利船だそうです。

ほとんどギリギリのように見えますが、よくあることなのでしょうか。

続いて通りかかった不思議な形の船。
真ん中部分の喫水線がほとんど海面と同じです。

船名が読めなかったのですが、何をする船かな?

ANAの飛行機が脚を出したまま上空を通過しました。
「まきなみ」の煙突からの空気で機体が歪んで見えます。

あっという間に「かしま」が「まきなみ」に追いつきました。

旗艦だから先に行くのか、単に横須賀に入港する順序の関係なのか、
その理由はわかりませんが、何れにしてもこの「追いつき、追い越し」が
本航海中の最大のイベントとなったことは間違いありません。

甲板から「まきなみ」の艦橋に士官が見えました。

実は今、高松市の金刀比羅神宮における追悼式を済ませ、
直会も終えて空港のラウンジでこれを製作しているのですが、
その食事会の席で、
戦後掃海活動で殉職された隊員のご親族のかたが、
その遺志を継いで海上自衛隊に入り、
「まきなみ」の
「長」配置にいるということを聞きました。

つまりわたしはこの時、その方の乗務する船にまさに乗っていたことになります。

 左舷側に並んだ「かしま」に対し「まきなみ」では登舷礼が行われました。
左舷側で敬礼を行う実習幹部たちです。

「かしま」甲板には立ったままの体験航海参加者がいっぱいです。

この日も船を降りた後、自分がクタクタに疲れているのに気がついたのですが、
よく考えると、航海の間というのはほとんど座ることがないんですよね。

見るものが多く、写真を撮ったりしているので2時間くらいは余裕で過ぎますが、
2時間揺れる船で立ちっぱなし、動きぱなしって考えたらかなり重労働です。
 

「まきなみ」と違い、「かしま」には艦橋の上の階が
観覧席のようになっていて、ここにも人があふれています。

いざとなれば国家元首級の方々の貴賓席にもなるような作りなのでしょう。

そこにものすごいスピードで現れたプレジャーボート?

撮っている時には全く気づかなかったのですが、この後ろに
ディズニー・シーが写っています。

左の山は「プロメテウス火山」、客船は「SSコロンビア」、
右側の建物は「タワー・オブ・ザ・テラー」ですね。

「かしま」に揚がっているのは「U」「W」「1」、
一番上の紅白三角は「回答」のようです。

「まきなみ」に対する回答だと思われますが、正確には

「協力に感謝する。御安航を(Thank your cooperation, bon voyage)」

となります。

一番上は、艦隊司令である泉海将補座乗を意味する二つ桜です。

ついに「かしま」の艦首が「まきなみ」と並びました。

その時、「かしま」艦橋から発光信号が送られてきました。

内容はアナウンスされたと思いますが、残念ながら記憶にありません<(_ _)>

発光信号を送ってきている探照灯の部分を拡大してみました。

さらにアップ。
さすがは解像度の半端ないNIKON810である。
ちなみに、この航海のために買ったタムロンの中望遠レンズ使用です。

「まきなみ」がこれに対してどう返答をしたのかはさらにわかりませんでした。

発光信号は、「かしま」が艦尾の艦名が読めるくらい前に進むまで続けられました。

航行中の「かしま」をこんなに長時間間近に見ることができたのは初めてです。
繰り返しになりますが、

「皆さんはまきなみに乗れてラッキーです」

とわたしたちに来た自衛官からの案内状に買いてあったわけが、この時わかりました。

 

 

続く。

 

 


出航作業〜平成三十年 海上自衛隊練習艦隊 体験航海

2018-05-25 | 自衛隊

 さて、練習艦隊は5月21日に出航し、今現在も平均時速12.7ノットで
一路インドネシアに向けて航行しているわけですが、当ブログでは
少し時間を巻き戻し、体験航海の続きについてお話ししたいと思います。

わたしとTOが格納庫に呼び戻されたのは、出航時間に人員を把握するため、
エスコートの自衛官がグループに招集をかけたからだとわかりました。

出航作業を行うために待機するボースンの皆さん。
職域的には運用員ということになるのでしょうか。

舫を扱うための手袋をきりりと身につけます。

サングラスの幹部は甲板作業を率いる指揮官です。
階級は二尉、旧軍の中尉ですが、このクラスの幹部が束ねるのは
三十人くらいの部隊、ということになっています。

甲板での作業は肉体的にも大変だと思いますが、最近の自衛艦では
女性自衛官の姿をここに見ることは決して珍しくなくなりました。

彼女はタグボートから受け取った牽引用の舫を固定しているようです。

出航を補助する曳船と「まきなみ」が舫で繋がれます。
「あすか丸」、芝浦通船所属の中大型タグボートです。

右舷側ではおなじみの「舫ダッシュ」が始まりました。
引き上げる舫を持って数メートル走って放ち、
また根元に行って同じことを何人かで繰り返します。

着岸した時にサンドレットを受け取り岸壁で行われる舫ダッシュと違い、
この舫は太く結構重たそうです。

この作業に女性が参加しているのを見るのは初めてです。
自衛隊こそ男女共同参画職場ですよね。

ここでふと興味が湧いて、この「舫取り、舫取りはずし」の作業が
民間では金銭的にいくらに換算されるのか調べてみました。

作業を行うのが岸壁なのか、片浮標か、両浮標かで料金は違ってきて、
当然船の大きさによっても違ってきます。

この場合は岸壁での作業なので、小さな船、299トン以下であれば
綱取料 9,500円、 放料5,800円といったものですが、
「かしま」クラスを総トン数5.400トン強だとすれば(最大排水量で計算)
今やっている舫はずしはある会社で19,400円。

ちなみに舫取りは31,700円、基本料金(おそらくどちらも行う)は
51,100円となっていました。

これらは平常の料金であり、

時間外割増 自 6 時 01 分 至 8 時 30 分······ 70%増
自 16 時 31 分 至 22 時 00 分·················· 60%増
自 22 時 01 分 至翌 6 時 00 分··············· 120%増

また、 荒雨雪天(気象庁の発表する注意報発令下)では
自動的に50%増となります。

これらの民間企業の行う舫作業と、海上自衛隊のそれは
どのようにかはわかりませんが、おそらく全く違うものでしょうから、
金銭に換算すること自体、意味がないかもしれませんが。

たくさん写真を撮っているので長時間やっているように見えますが、
実は作業そのものにかかる時間は15秒くらいのものです。

彼らの手袋を拡大して見ると、どの人のものも真っ黒でボロボロです。
昔は軍手で行なっていたんでしょうか。

岸壁の舫が放れると、同時にタグボートが引っ張りにかかりました。

その時、向こう側に自衛隊のタグボートがいるのに気がつきました。
はて、なんでここに?しかも何も仕事をしていません。

これは、後で甲板にいる自衛官に聞いて理由がわかりました。
晴海に「かしま」と「まきなみ」をメザシ状態に係留するのに、
両艦の間に入れていた防眩物を持って帰るために横須賀から来たのです。

YT10くんは、この後「かしま」から防眩物を回収して、
我々と同じ航路で横須賀に向かうことになっています。

タグボートの巨大な巻き取り機をアップにしてみました。
大型船を引っ張るタグラインはタグボートのものです。

艦首側のタグは「武蔵」という東港サービス所属の船です。
「あすか丸」は芝浦通船。
同時に作業を行う船が必ずしも同じ会社ではないみたいですね。

「まきなみ」の作業が終わり、「武蔵」は早速「かしま」に近づき、
「かしま」に今からタグラインを渡すところです。

ここで面白い光景を目にしました。
「あすか丸」の乗員が差し出した虫網のようなものに、乗員が何かを入れています。

トランシーバーのようですね。
タグボートと大型船の間では、トランシーバーや書類などを受け渡しするのに
原始的なようですが、この方法が一番確実で話が早いのだとか。

いつの間にか「まきなみ」は出航しましたが、格納庫の中からは
艦尾にいるダイバーの帽振れしか見ることはできません。

トランシーバーを受け取った「あすか丸」も「かしま」の作業にかかります。

「かしま」の左舷側にYT 10の回収する予定の防眩物があります。

そこに水産庁の漁業取締船「はまなす」が通りかかりました。
この時には知るべくもなかったのですが、写真を点検していて見覚えがあるのに気がつき、
海保の観閲式のパンフを調べてみたら、この子も参加していました。

「はまなす」は、密漁などを防止・摘発し水産資源を保護することを目的に、
水産庁が運用しており、外国漁船の違法操業に対しても
拿捕などの主権行使できるという結構強面のやつです。

乗組員は非殺傷性とはいうものの、手榴弾や警棒で武装していますし、
自身もボディアーマーに身を包んでいます。

HOS302 三連装短魚雷発射管については、もう今やTOの質問に
スラスラと答えられるくらいにわたしも成長いたしました。

「これどうするの」

「海に向かって落とすの」

「どうやって?」

「撃つ時は筒が海の方を向くの」

というか、「むらさめ」見学の時に、船が魚雷を撃つとは知らなかった、
と言って恥をかいたのを忘れたのか君は。

晴海を出港してすぐ、レインボーブリッジの下を通過します。
聞いた話ですが、この橋の下を通れない船って結構あるそうですね。
クイーン・エリザベス二世が干潮のときに通れる高さ、という基準で設計されましたが、
実際に女王陛下は晴海にご来臨されたことはないそうですし、
帆船でも「日本丸」「海王丸」豪華客船「飛鳥」も通れません。

そして、なんと自衛艦のうち半分以上、イージス艦は全部アウトだそうですが、
これは正確な資料を見たわけではないのであしからず。

国際都市である東京の港への入り口なのにこんな微妙な高さなのはなぜかというと、
近くに羽田空港があり、高さに規制がかかっているせいだそうです。

昨今は大型の外国客船が続々と増えているのにも関わらず、
そのほとんどが東京に入港できないというのはかなりの問題かもしれません。

「まきなみ」がレインボーブリッジ下に差し掛かります。
甲板の運要員の皆さんが帽振れをはじめました。

実習幹部らしいこの人も。
どこに向かって帽振れしているのかな?

レインボーブリッジ真下なう。

ブリッジ下の公園で自衛艦旗を振っている人がいたのでした。
この後、もう一度帽振れがあったのですが、なぜかわからなかったので
帽子を振っていた一人に聞いて見ると、

「あそこで自衛艦旗を振ってる人がいたので」

指差す方向を探しましたが、わたしには見えませんでした。
後でメールにより、それが知り合いの一団だったことがわかりました。

余裕でレインボーブリッジ通過。
わかっているけどついつい息を飲んで見てしまいます。

東京湾には実にいろんな船が生息しているものです。
警視庁の巡視船「かわせみ」が通りかかりました。

そして、またしてもわたしはこのとき知るべくもなかったのですが、
この直後海保観閲式で受閲船隊として邂逅することになった
本庁所属HL01、測量船「昭洋」の横を通り過ぎました。

測量船とは、海図、地図の作成や海上工事の資料収集等を目的とした測量、
測地を行う船舶のことです。

自衛隊では艦種記号AGSで「海洋観測艦」と称しており、現在就役しているのは
 「わかさ」「にちなん」「しょうなん」の3隻です。

さて、晴海を出港してレインボーブリッジ下を通過した「まきなみ」。
この後には、東京湾航行中に練習艦隊旗艦「かしま」に追い抜かされるという、
ある意味この航海におけるメイン・イベントが待ち受けていました。

 

続く。

 

 

 

 


鹿島立ち〜平成三十年 海上自衛隊遠洋練習艦隊出航行事

2018-05-24 | 自衛隊

平成三十年度遠洋練習航海に出航する海上自衛隊練習艦隊、
出航に向けた激励のための儀式を終え、乗員は岸壁から
練習艦「かしま」に乗艦していきます。

「かしま」乗員が出航作業を粛々と行う中、前甲板側の舷梯から乗艦した実習幹部たちが
行進曲「軍艦」に乗って行進し、整列を行います。

今年の実習幹部は右舷後方に横4列に並んで帽振れを行うようです。

左から二人目にタイ王国からの留学生の姿がありますね。

定位置に着くと、帽子のストラップを顎に掛けて準備。

この配置だと、後ろの方に並んでいる幹部の顔が見えないので、もしかしたら
残念に思った家族の方もおられるのではないかとちょっと心配しています。

舷側にずらりと一列、というのは出航してからのことになります。

「かしま」音楽隊が舷側にスタンバイ。
この時、岸壁では横須賀音楽隊が「軍艦」を演奏し続けています。

準備の間、横音は「錨を上げて」など軽快なマーチを中心に演奏していましたが、
隣の方が、何曲目かに、

「こういう時にアメリカの曲ばっかりというのはどうもね」

とまたしてもわたしに向かって呟きました。
言われてみれば4〜5曲めに演奏された「宇宙戦艦ヤマト」が
この日初めて演奏された国産のマーチというこの現状です。

「愛国行進曲」「太平洋行進曲」などは戦後世論への忖度ゆえ無理だとしても、
何年か前に演奏されたこともある「君が代行進曲」が最近さっぱり
演奏されなくなったのを、わたしは非常に寂しく思っております。

呉音楽隊が潜水艦をテーマにした委嘱作品を最近演奏しているように、
海自音楽隊は練習艦隊出航をテーマにした曲をどなたかに依頼してはどうでしょうか。
(提案)

ものすごいスピードで舷梯を引き揚げる作業が行われています。
またしても隣の方がわたしに、

「土曜日に海保の観艦式に行きましたが、あちらとは随分スピードが違いますな」

いや、わたしたちの乗った大型の巡視船は、何かあった時に
緊急出動するようなタイプの船ではないからでは・・・。

そんな好き勝手なことを言いながら見ている間にも、作業は早回しのように進みます。
舷梯に吊り上げのためのワイヤを引っ掛けて・・・。

牽引の準備が終わったら、最後に「かしま」乗員が乗り込みます。

前を上っている人が持っているのは、儀式で使ったお立ち台のようです。

手すりのない舷梯をものを抱えて駆け上るというのもなかなか怖いのでは・・。

この人が本当に本当の最後の「かしま」への乗艦者。

舷梯の吊り上げ作業を前列の国会議員は動画に撮っています(笑)

後ろ甲板では、作業の合図を待って、舫を持ったまま待機しています。

舷梯引き揚げの間、舷側から作業の進行を見守る係。

ところで、当ブログコメンテイター陣によると、「かしま」には
舷梯をぶつけてしまったと思しき痕が艦体に見られるわけですが、
一体どんな状況でそんなことになったのでしょうか。

これらの揚収作業を見る限り、よほどの強風でもない限り、
舷梯が外れるということなどありえない気がするのですが・・。

軍艦」が終わると、「かしま」艦上の遠洋航海音楽隊に演奏は移りました。
写真を見て呉音楽隊のクラリネット奏者が参加されているのに気づきました。

遠洋航海に随伴する音楽隊は全国の音楽隊からの志望者で構成されます。

舷側の他には艦橋付近に立つ実習幹部もいます。

純白の制服で舷側に立つ若き自衛官の一団、清冽さに溢れなんと凛々しいことか。

招待客は岸壁での見送りを促され、わたしも赤絨毯の後ろにやってきました。
左端でたった一人後ろを睨め回しているのは、防衛大臣付きSPです。
防衛大臣、外務大臣政務官、海幕長、横須賀地方総監らは台上からの見送りです。

ほとんど前振りなしで「まきなみ」がすでに離岸を始めています。

この同時刻、Kさんは軍港巡りの船の上から岸壁を見ておられました。
出航した「まきなみ」、海上からの写真。

時間差で出航する「かしま」の艦上では出航喇叭を待つ状態です。

X字型にかかっている舫を、二人の乗員がずっと持っていますね。
紺色の軍服はスウェーデン海軍、その左は在日米海軍の軍人です。

陸自の隊員が二人写っていますが、こうして陽の光の下で見ると、
空自の青とは全く異質の、まさに「紫紺」としか言いようのない色です。
「陸自らしさ」のポイントは右腕のワッペンだとこの日わたしは思いました。

「まきなみ」乗員に「帽振れ」がかかりました。

岸壁でも帽振れ。

こうして見ると海上保安庁の制服は、海自と全く違いクリーム色です。
帽子の振り方も、海自の人たちは軽く円を描くように降りますが、
海保は横に振っているような、若干違う振り方のように見えました。

今鹿島立ちせんとする艦上の若武者を、帽振れで見送る高官たち。

これと全く同じ光景が、ここ横須賀では戦前から繰り返されてきたのだろうな、
と、彼らの後ろ姿を見ながらわたしはしみじみと考えていました。

艦橋の上でも帽振れが始まっていますが、青ストラップの船務長?、
「かしま」艦長(赤)の二人は帽振れは行わないようです。

「まきなみ」艦上では左舷から右舷に移動を始めています。

わたしはこの時点で柵外に出て、自分の車に乗り込もうとしていました。
今年も観音埼に先回りして、見送りしようと思ったのです。

走る車からウィンドウ越しに「かしま」が最後の帽振れをしているのが見えました。

こちらは「軍港巡り」の船上から撮ったKさんの写真。
ほぼ同じ時間だったかもしれませんね。

練習艦隊去りし後の岸壁の様子。

さて、わたしはおそらく当日車で来場していた招待客の中で一番早く
横須賀地方総監部を離脱し、一路観音埼に向かいました。

去年観音埼灯台から見送るという方(司令官の盟友)に教えていただき、
ここを横須賀出航して30分後に練習艦隊が通過することを知りました。

観音埼灯台の下の駐車場に車を停めて歩いていくと、
すでに「まきなみ」の姿が見えてきていました。
この写真を撮ったのは1125、横須賀で最後に撮った「かしま」の写真は
1058です。

この日の観音埼灯台下には去年のように自衛艦旗を振る人の姿もなく、
去年と同じ「ご安航を祈る」の旗を立てて船を撮影している人に、
女性(おそらく参加者の家族)が一人話を聴きながら見送っているだけでした。

わたしは深い考えもなく、去年行ったから今年も、と思ったのですが、
あとで「観音埼まで行った」というと、ほとんどストーカーですね、と言われました。

舷側に白い登舷礼の立つ「まきなみ」には、防衛大学校の学生が
走水から四隻の船を出してお見送りをするのが毎年の恒例となっています。

「まきなみ」前方にいるヨットは、知り合いなのか、このあとずっと、
「まきなみ」が姿を消すまで横を伴走し続け、ご安航のおじさんに、

「迷惑だ!あのヨット、ナンバー調べて通報してやる!」

とブーブー文句を言われていました。
写真を撮っているおじさんには邪魔なヨットだったかもしれませんが、
「まきなみ」にすれば別に迷惑でもなんでもなかったのでは・・・。

続いて艦首から艦尾まで一列の登舷礼が美しく並ぶ「かしま」がやってきました。

防大の四隻は、最後にきっちり並んで、
「かしま」が去っていくのを見送っています。

「かしま」からは帽振れも行われ、一度は汽笛も鳴らされました。

この日、去年わたしがヨットに乗せていただいた防大卒の方が、
土曜日に行われた
学連OBレースの写真を送ってきてくれたのですが、
その写真に写っている防大卒女子は、なんとなんと、
この「かしま」に乗って遠洋航海に出航する予定の訓練幹部でした。

彼女も今この登舷礼の中に立ち、後輩の激励を受けているというわけですね。

見送りが終わると、防大の小艇は走水に帰って行きました。
一隻の艇には十人くらいの防大生が乗り組んでいます。

「かしま」は浦賀水道を通過しながら最後にもう一度汽笛を鳴らし、帽振れを行いました。

もちろんこちらに向かって帽振れしたわけではないと思いますが、わたしは思わず
彼らに向かって最後に大きく手を振り、心の中で行ってらっしゃい、ご安航を祈ります、
と呟いてから観音埼を去りました。

 

(練習艦隊シリーズはまだ終わってないので続く)

 


遠洋練習航海出航行事〜平成三十年 海上自衛隊練習艦隊

2018-05-23 | 自衛隊

海保の観閲式のことをお話ししたと思ったら昨日は練習艦隊の出航だったため、
体験航海も海保もまだ全く触れていない海自基地隊見学も一切置いておいて、
この出航行事をお伝えしたいと思います。

 

冒頭画像は儀式が始まる前の横須賀地方総監部岸壁の様子です。
手前の白い塊が実習幹部たち、その向こう儀仗隊と海曹海士です。

これら一連の写真は、以前も降下始めの時に写真をお借りしたKさんの撮ったもの。

それにしても、これらはどこから撮った写真なんでしょうか。
逸見岸壁をこんなに見下ろす場所・・・。

ちなみに不思議に思ってグーグルアースを見ると、現在のグーグルアース画像、
DDH「いずも」と書いてあるところに「いずも」でなく「しらせ」がおります(笑)

それはどうでもいいんですが、この瞬間わたしはどこにいるかというと、
おそらく、ゲートを入る車の後ろを車で走行していたはずです。
わたしの車はもちろんゲートには入れず、手前で左に誘導されました。

車を停めて入っていくと、ゲート左のテントで受付をします。

これも同じKさんの写真。
整列が済んでいますがまだヘリが来ていないので開始前かと思われます。
ヴェルニー公園か、それとも参加するとおっしゃっていた軍港めぐりの船の上から?

9時半から受付というお知らせをいただいていたのですが、外から見ると
岸壁には乗員の家族などがすでにたくさん来ておられる上、
実習幹部の整列が始まったので、入場することにしました。

車のナンバーはあらかじめ知らせてあり、門を入ってすぐに
名簿を持った自衛官が目視でチェックをしてそれを警衛のゲート前に伝え、
そこではダッシュボードに置く許可証をもらえます。

車を停めたところから岸壁に入っていくと、岸壁では自衛官が
赤絨毯に立つ自衛隊高官とVIPの名札をつける作業をしていました。

ここが招待客の席です。
なんと、今年はテントがありません。

視界を良くするために今年はテントを無しにしたと聞きましたが、
わたしは、去年、強風の中テントが倒れないように、自衛官たちが総出で
一生懸命テントのポールを抑えていたことを思い出しました。
あれがテント中止の本当の原因だと思うな。

ただ、この日の日差しは結構強烈で、じっと座っていると結構大変でした。
帽子を着用してきてまだしも助かったと思ったものです。

わたしが席に着いたのは受付開始まであと10分といったところでしょうか。
彼らがすでに整列しているのは、招待客を迎えるためらしいことがわかりました。
式の開始まで小一時間、彼らは同じ姿勢で立っていたことになります。

儀仗隊に女性隊員が三人いるので少し驚きました。
こんなところにも男女平等か・・・・。

彼女らには悪いけど、こういう男女平等、わたし個人的に嫌いなんですよね。

この件についてはリベラル派からの非難を覚悟ではっきり言います。
儀仗隊はセーラー服の一団だけで行っていただきたい。
もし女性を混ぜるのなら、彼女らにセーラー服を着せてください。以上。

そして練習艦隊司令官はじめ、各艦艦長と幕僚が登場です。

家族席にも今年はテントがありません。
あまりの辛さに顔まで覆ってしまっている人あり。

日焼けを死ぬほど嫌う日本人女性のほとんどには
地獄のような試練だったかもしれん。(一応シャレ)

来年横須賀で練習艦隊お見送り予定のご家族の皆様、この仕様は来年も
同じである可能性が高いので、ぜひ帽子と日焼け対策を万全になさってください。

横須賀音楽隊も到着しました。
岸壁を走りぬけていく海曹の躍動感、ハンパ無し。

練習艦隊幕僚を先頭に、実習幹部たちが岸壁を指揮台の前に移動し始めました。
写真のクレジットを見ると0929、「海軍1分前」に発動したらしいことが判明。

いつも自衛官の幹部常装第一種夏服姿を撮ると、彼らの日焼けした顔色が
白の効果で暗く写ってしまうのですが、どうしたらいいでしょうか(相談)

まあ、気持ちマスク効果にもなっていいかなという気もしますが。

最近自衛隊の制服論議がこのブログでもありましたが、
幹部の夏の制服はやはり海自が最高だと思います。

このスタイルが世界基準であり、海軍の第二種軍服と似ているのもよろしい。

写真を下さったKさんのおばあちゃまは日本橋で鰻屋の看板娘だった頃、
此の制服で来る海軍士官に

「お嫁さんになる」

とつい言ってしまわれたそうです。
昔はこれに加えて腰に短剣でしたからね。破壊力もすごかったかと。

泉海将補、練習艦隊司令官として今から出航の儀式に臨みます。

泉海将補の向こうは「かしま」艦長金子一佐。

「かしま」乗員のうち海曹海士代表がここに立ちます。
「気をつけ」などの号令は右側の女性三尉が下していました。

海幕長が儀仗令を受け、巡閲を行う間は敬礼を行います。
それらの行事一切、わたしの座っているところからは見えませんでした。

式典の間「かしま」甲板から写真を撮っていた海上自衛隊写真員。

海自の写真員は千葉県柏市にある海上自衛隊第3術科学校で技術を学びます。
第3術科学校は哨戒機P-3C基地のある下総にあります。
そういえば、下総に表敬訪問した時、コクピットで撮ってもらった写真が
その少し後にはプリントアウトされて(文字入り)渡されたということがあったっけ。

なぜ航空基地に写真員養成期間があるかというと、写真員は海軍時代、
航空機による写真偵察を行うことを目的に誕生したからだそうです。

「かしま」前部寄り舷門にも二人立っています。

海幕長、現在巡閲中。

「かしま」VIP専用、特別仕様のボートを撮っておきました。

「いつかあれに乗ってみたいものです」

わたしの隣の方がわたしに向かって囁きました。
うーん・・これだけは国賓級の来客でないとダメじゃないかな。

今年はついに小野寺防衛大臣のご来臨を仰ぐことになりました。

いつ見ても腰の低い防衛大臣でいらっしゃいますが、この時は
御年91歳、元衆議院議長の綿貫民輔先生がここにおられたので、
もうほとんど平身低頭状態でご挨拶なさっています。

右側に仁王立ちしているのは防衛相のSPですが、
いつ何があっても小野寺防衛相に覆いかぶさって守る気満々な態勢。

練習艦隊出航に向けて、防衛大臣からの挨拶。

防衛大臣の激励の辞に耳を傾ける実習幹部たち。
練習艦隊出航行事に防衛大臣本人が出席するのはわたしの知る限り初めてです。

国会の期間でもあるため、いつも政務官とかせいぜい副大臣なので。

そしてこの方も練習艦隊行事では初めてお見かけしました。
「文藝春秋」の腕章を携帯されているところを見ると、
どうやら次の写真集はここから出版されるようですね。

防衛大臣の次に挨拶されたこの方、みなさんどなたかご存知ですか?

元スピードスケートの選手で、引退後政治家に転身された
堀井学外務大臣政務官です。

練習艦隊は日本の親善大使の役割も担って世界を周航するのが任務です。
本日の式典には訪問先関係者である、メキシコ、スウェーデンの駐在武官や
在日大使館関係者も何人か来賓として参加していることから、
外務省代表として彼らを激励するために出席したのでしょう。

リンク先を読んでいただければわかりますが、堀井政務官は、日本では
オリンピックのメダリストとして初めて代議士になった人物だとか。

最後に村川海幕長の激励の辞。

「いかようにも変化する海の厳しさ、美しさを学んでほしい」

「伝統のユーモア精神を発揮して」

「半年後の諸君の帰りを一日千秋の思いで我々は待っている」

などといったフレーズは、練習艦隊出航の際の定型句です。
訓示の最初に練習艦隊の出航のことをして

「鹿島立ち」

と表現したのは、もしかしたら去年の真鍋練習艦隊司令の一句から
着想を得られたのかなとちらっと思いました。

続いて練習艦隊司令官の出航あいさつが行われました。

「行ってまいります」

という内容のあいさつと敬礼を、普通の観閲官は黙ったまま受けるのですが、
律儀で心優しい(知らんけど多分)小野寺大臣は、アドリブで

「行ってらっしゃい」

とそれに返答したため、一瞬泉司令は戸惑ったように見え、
一旦下ろした敬礼を改めて
行っておられました。

ちなみに最前列は全員政治家で、白髪のブルースーツはHSK議員です。
HSK先生、政界の大物綿貫氏には、

「先生!HSKでございます!」

と大声でアピールしておられました。

儀式が終わり、行進曲「軍艦」の調べの中、総員乗艦となりました。
今年の練習艦隊司令官は花束を持ったまま乗艦を行うようです。

例年、花束をもらったあと、すぐに副官に渡す司令官がほとんどで、その結果、
副官が
花束を持って行進するということになるのですが、泉司令の場合、
持ったまま歩くのがご自身の雰囲気に似合っているような気がしました。

司令官がそうすれば当然艦長たちもそれに倣い花束を持って歩くことになります。
「まきなみ」の大日方艦長も。

そして、目の前を敬礼した実習幹部たちが通り過ぎていきます。

  

  

   

艦長乗艦。
次にこの逸見岸壁に彼らが降り立つのは、半年後の10月30日となります。

 

続く。

 

 

 

 


海上保安制度創設70周年記念観閲式

2018-05-20 | お出かけ

ここのところ頂いたコメントに全く返事ができない状態が続いておりますが、
その理由は、またしてもイベントがいくつも重なってしまったからです。

その中にわたしにとって未知の世界、海上保安庁の観閲式&訓練展示がありました。


海上保安庁。

自衛隊とは方向性は違えども同じ海の防人であるこの組織に、
このわたし、興味がないどころではなかったのですが、
残念ながらこれまで全くといっていいほどご縁がありませんでした。


ところがこの度、ある重要人物からチケットをいただいたことがきっかけで、
(色々とありましたがそちらは本編で)参加がかなった海保観閲式です。

今日はまだ体験航海シリーズの途中でもありますし、まさに今日、
横須賀から練習艦隊をお見送りしてきたこともすぐにお話ししたいので、
例によって今日はダイジェストと参ります。

海保の観閲式が行われるのは平成25年以来、つまり5年ぶりです。
尖閣諸島問題やサミットなどが行われた関係で中止していたのですが、
今年は海上保安制度が制定されて70周年の節目ということで、
国民に広く業務に対する理解を訴えることを目的に行われることになりました。

観閲式は自衛隊より小規模となる巡視船四隻が単縦陣となり、
東京湾を航行する間、受閲部隊が逆行してくる形で行われます。

わたしの船は(艦じゃない、これだけでも新鮮!)いわゆる先導船で、
ここ横浜所属の「いず」となりました。

他の三隻はいずれも晴海からの出港となります。

乗船して出航を待っていると、横浜所属のFL01「ひりゆう」が出港していきました。
放水展示で大活躍する予定です。

しかし「ひりゆう」・・・なんと大胆なネーミング(笑)
「ゆ」を小さくしていない辺りにちょっと遠慮が見える気がします。

海保は消防船(フローティング・ボート)にあの飛龍を使ってしまっているのか。

出航の時にはわたしは船橋前部の、前甲板が見えるところから見ていました。
この出航作業も、海自と全く違って大変興味深いものでした。

同じ海の警備を行う組織で、しかも出自は同じ海軍でありながら、
海自と海保には文化の違いが多いこともこの日知ったことでしたが、
同じであることも発見。

例えば「帽振れ」です。

そして出航は1200。

「いず」船体が岸壁を離れて行くと、いつもドラマや映画などで
「横浜」を説明する時に必ず現れる景色がそのまま現れます。

総合訓練ならびに観閲式が行われる東京湾に行く「いず」は
出航後ベイブリッジの下を通過します。

羽田空港を左に見ながら航行していくことしばし、晴海から出航した
巡視船「やしま」「そうや」「だいせん」がいつの間にか後ろに。
訓練海域まで「いず」を先頭に、四隻でしばらく航行していきます。

二番船の「やしま」船橋上部に設えられた観閲台。
わかりやすくするため紅白の幕を張っています。

この日は防衛大臣政務官だったような気がします。

1400、観閲が始まりました。
関係機関など、船艇のパレードです。

これは石垣所属1,000トン型巡視船PL84「ざんぱ」。

登舷礼の行い方も、もちろん海自と一緒です。
海の儀礼は世界共通だからですね。

PL13「もとぶ」(横浜所属)。

PLとは巡視船を意味する「patrol vessel」のことです。
海保のことになるとこんなことすら調べないとわかりません。

ちなみに「もとぶ」はこの4月に就役したばかり、パリパリの新造船です。

右手観閲船隊、左が受閲船隊です。

そ こ に !

ああ、なんだかものすごく見慣れた光景。
ネイビーブルーのセーラー服が登舷礼に立っている灰色の艦体、
それは・・・・!

横須賀地方総監部から、我らが「はたかぜ」さんの登場です。
あーなんだろ、この、アウェイでいきなり知り合いにあったような安心感。

続いて、わたしにとっては懐かしい(アメリカで見たので)、アメリカ合衆国の
沿岸警備隊、コーストガードの「カッター」がゲストでパレードを行います。

Alex Haleyというこの名前、どこかで聞いたことがあると思ったら、あの
「ルーツ」の作者であるアフリカ系作家と同一人物でした。

若き日に沿岸警備隊に入り、CPOまで昇進したそうです。

船艇の後は航空機のパレードも行われました。

ガルフストリームVのLAJ501「うみわし」。
高速道路横羽線の羽田付近を通ると海保の格納庫が見えますが、
「うみわし」はそこの所属のようです。

海保の観閲式ではこんなこともやるんですね。
消防船が水を盛大に撒き散らしながら通り過ぎる放水展示です。

まず先ほど横浜から一足先に出航した「ひりゆう」。

なんとびっくり、「はまぐも」は赤い水を出してるぞ。

川崎市消防局の消防艇「第6川崎丸」はド派手な蛍光色の緑。

市川市消防局「ちどり」はオレンジ色。

色とりどりの水を撒きながら進む消防船団の姿はなかなかシュールです。

続いて、人命救助訓練です。
まず、海に落ちた人をリペリング降下で救出するという訓練展示。

少し前に海に落ちたという設定の人が、オレンジの浮きの近くに浮かんでいます。

吊り上げ救助なう。

もう一回吊り上げ救助が行われました。
さっきと違ったアプローチでへローキャスティングを行います。

この要救助者は、ヘリに揚収された後、ヘリ搭載艦「とさ」に搬送されました。

息つく暇もなく、次の訓練展示が始まります。

今度はケミカルタンカー(のつもり)で火災に続く爆発発生(という想定)。

先ほどのカラー船団が寄ってたかって消火活動を行ってます。
あまりに水の量が多くて燃えている船が全く見えません。

続いて、訓練展示のハイライト(多分)、テロ容疑船捕捉、
制圧訓練が始まりました。

海賊のマークをわかりやすくつけた「はまかぜ」がアグレッサー?です。

ゴムボートで海面を飛び回るように走って不審船に警告し、
動きを止めるのが複合艇。

もうこれが凄いんだ。

複合艇というのはつまりゴムボートなんですが、これが凄まじいスピード。
この機動が半端じゃありません。

複合型ゴムボートに乗ってテロ容疑船を追いかけるのは
特別警備隊、略称特警。

この展示は高速機動連携訓練といいます。

容疑船は追いかけられて武力攻撃してきました。
「専守防衛」いただきました!

巡視船による正当防衛射撃がおこなわれます。

監視艇、警備艇が周りを取り囲み、移乗などを行い、
容疑者を取り押さえ、ついに容疑船は制圧されました。

海自の観艦式でもおこなわれる高速機動連携訓練です。
一斉回頭などを行いました。

大型巡視船と護衛艦「はたかぜ」が連携して行われるこの訓練には、
もう見ているこちらの心臓は高鳴りっ放し。

続いては小型の巡視船隊の機動訓練です。
「ひざん」「あかぎ」(なに、赤城だと・・・?)「つくば」が
空砲射撃を行いました。

というところで総合訓練は終了です。
ここからは楽しい「フェアウェル」の時間。

関係船艇艦艇が観閲船にお別れの挨拶をしてくれます。

ご当地色豊かに、各船工夫を凝らしたフェアウェルを行います。
例えばこの巡視船「ふどう」は神戸の・・・・あれ???

岡山の水島からはPC43「おきなみ」。

PS35「ともり」の船尾にいるこの怖い人は誰・・・・?
((((;゚Д゚)))))))

PS15「びざん」がどこの船かもうお分かりですね?

で、出た〜〜〜!

ああ、なんたる安定感。(個人の感想です)
我らが「はたかぜ」の艦尾には・・・・。

ピクルス王子とパセリちゃんが!

今日一番目立っていた気がする「ひりゆう」さんは水撒きながら最後のご挨拶。

この日「いず」の後ろをずっと警護してくれていた巡視船「のげかぜ」。
頼もしかったです。

横浜港に向かう「いず」に、挨拶してくれる「にじかぜ」。

こうして12時に出航、2時から約1時間の観閲式と訓練を終え、
4時半に「いず」は横浜港に無事帰ってきました。

 

次回からは詳しく、初めて見た海保の観閲式についてお話ししていきます。

 

続く。

 


乗艦〜平成三十年度 練習艦隊 体験航海

2018-05-20 | 自衛隊

 「かしま」艦上で行われたレセプションから明けて一夜、
わたしたちは再び晴海にやってきました。

晴海埠頭にはいつも車でやってくるのですが、今日は電車でJR新橋からタクシーです。
なぜなら今日は晴海から横須賀までのワンウェイだからです。

出港前、晴海のターミナルからレインボーブリッジを望むテラスから撮った写真。
今日は素晴らしい体験航海日和になりそうな空の色です。

テラス二階からこれから乗り込む「まきなみ」と「かしま」のメザシ状態を一枚。
岸壁には体験航海の乗客がいますが、まだ乗艦は始まっていません。

この時になって初めて、今年の練習艦隊が二隻で行われることに気がつきました。

この後、受付のために結構な時間並ぶことになりました。
今回のわたしは、TOの職場団体の一人としての参加です。

今回あることからTOが自衛隊に関わったところ、幹部学校が
体験航海への集団での参加をお誘いくださったため、わたしとTO二人で行こうか、
と思っていたら、TOの職場の人たちが我も我もと参加を申し込んできました。
中には在宅勤務で浜松から駆けつけてきた四人家族もいたほどです。

自衛隊の船になんとなく関心はあったものの、実際に乗る機会など全くないので、
それにすぐにでも乗れるとなると皆驚くほど『食いついてきた』とのことでした。

 

この日わたしたちは随伴艦の「まきなみ」に乗ることになっていました。
担当の自衛官が送ってこられた「ご案内」には、

「皆さんは(かしまではなく)まきなみに乗れてラッキーです!」

と!マーク付きで書かれています。
どうして「まきなみ」がラッキーなんだろう、という疑問は最後まで残りましたが、
今にして思うと、乗艦者の数の違いだったかもしれません。

「かしま」甲板にはもう一番乗りした乗客の姿が見えます。

受付済ませた後、わたしたちはグループにまとめられ、一緒に乗艦することになりました。
「まきなみ」組は「かしま」後方にある別のラッタルから乗艦するようです。

わたしたち一団を案内してくれた方は制服は着ていませんでしたが、
どうやら防衛省の職員が駆り出されていたようです。

「かしま」後部から左舷を回っていよいよ「まきなみ」に乗艦です。

案内されたのは格納庫。
ここでわたしたちは一行をこの日一日エスコートしてくれる自衛官とご対面しました。

「今日1日よろしくお願いします。
わたしは艦艇出身で、大抵のご質問には答えられると思いますので、
何か質問があったら遠慮なく聞いてください」

という挨拶を聞いた時、わたしは、どうやら今日の体験航海では
自分勝手にいろんなところに行くことはできないらしい
と知りました。

いや・・・いいんですけどね。いつも自分勝手に動いてるので、たまには。

搭載ヘリの周りにはまるで結界を張るように舫が敷かれています。

「このヘリのプロペラの先の形、おもしろーい」

TOがいうので、この形でSH-60はKかJかを見分けるのだと説明したところ、
ものすごい勢いで博識ぶりに?感心されました。

そういえばわたしがそれを教えてもらったのもこのブログのコメント欄だったなあ・・。

形は違いますがどれにも「ガスタービン」の表示。

ガスタービンとは、燃料を燃やして動力を得るエンジンの一種です。 
取り入れた空気を圧縮し『燃焼器』の燃料に噴射して燃焼させると、

高温高圧で「ガス」になった気体が『タービン』を回転させ、推進力を得るので、
「ガスタービン」です。

ガスタービンは『圧縮機』で圧縮するために大量の空気を吸い込む必要があるので、
外側に先端が繋がっているのだと思ったのですが、果たしてこれは
「まきなみ」艦内のエンジンのためのものなのかどうか・・・・?

左舷側から煙突、艦橋など上部構造物を見上げたところ。

実は、この時わたしは格納庫で待たされているのにすっかり飽きてしまい、
勝手にグループを離脱して独自に艦内見学を始めてしまったのでした。

前甲板にはすでにたくさんの人が到着し始めています。

「まきなみ」からすぐ下の海面には、クラゲが大量に発生していました。
これは日本近海でどこにでも見られるミズクラゲですね。

四つの輪に見えるのは胃腔と生殖腺なんだそうで、この輪のせいで
「ヨツメクラゲ」という名称も持っているそうです。

端っこをお魚にかじられてしまったらしいクラゲもいました。

さて、勝手に艦内ツァーを決行中のわたしとTO。
出航作業を艦橋で見たいので、外階段から上がっていきます。
体験航海などの時、自衛艦は狭いラッタルを一方通行にすることがあり、
「まきなみ」でも艦橋には外付け階段から上り、退出は艦内の階段、
と決められていました。

外付け階段にはチャフ・ロケットシステムを見ながら上っていきます。

アルミニウム箔やワイヤー等の入ったコンテナを空中に射出して、
飛来するミサイルの誘導装置や、相手方のレーダーを欺くための装置です。

艦橋横ウイングに到達しました。
当たり前ですが停泊しているので速度は0ノットを指しています。

ウィングから甲板を見下ろす。

艦橋には本日参加のお子様たちがたくさんいましたが、どうもそのほとんどが
「まきなみ」乗員のご子息たちではないかと思われました。

ちなみに今モニターの前に座っているのが後ろに立っている自衛官の御令息で、
とーちゃんに「お前早くそこ次の人に代われ」などと言われ、
頭を叩かれたりしておりましたが(笑)息子はそれにもめげず色々と質問し、
とーちゃんもまんざらでもない様子でそれに丁寧に答えてあげていました。

そうか、この日は「昼間のパパはちょっと違う」を見せる絶好の機会でもあるのね。

艦橋にいた実習幹部のお嬢さん方。

操舵室後方には、今日の予定が丁寧な字で書き込まれています。

0940の「晴海出発」の後にあるMKNは「まきなみ」KSAは「かしま」でしょう。

1010 航空機ローターラン 

1245武器操法展示

1115手旗・ラッパ演奏(格納庫)

など、今日の体験搭乗者に見せるための展示予定も。

燃料等の「ネザミザコクザセリザチョリザヒリザ」
この表記にはいつ見てもウケます。

「在庫量」として「燃料」「水」とかじゃいかんのか。

先ほどの息子くんに、とーちゃん自衛官はずっと船のことを説明してあげていました。
実にほほえまC。


さて、このまま出航作業に入るのを待つか、とわたしたちが艦橋隅に落ち着くと、
その時TOの携帯に下にいる同行者から電話がかかってきました。

「みんなと一緒にいてほしいそうです」

とほほ、やっぱり単独行動は禁止されていたのか・・・。
出航作業を艦橋で見るのを諦め、格納庫に戻ることにしました。

甲板からは人がいなくなり、こちらでも出航作業が始まりました。

こちらはその時折しも海面に着水していた水上艇。

舫作業を行う時、必ず甲板のハッチが開けられます。

作業を行う海曹海士がスタンバイ。
右から二番めの人が持っている棒は何かしら。

舫の作業メンバー打ち合わせ中。

格納庫に行くために甲板まで降りてきました。

舫作業に合図を送る赤旗白旗の人もスタンバイ。

そして格納庫まで戻ってきました。

こちらでも出航作業の準備が始まろうとしています。

TOの職場の女性たちは、自衛艦に乗るのが初めての人たちばかりだったのですが、
彼女らが事前に、「もし海に落ちたらどうなるんだろう」と心配していたので、
わたしは艦尾にいる黒ウェットスーツのダイバーを指差し、

「その時には、あそこにいるイケメンが飛び込んで助けてくれますよ」

女子にこれをいうと、必ずと言っていいほど

「そんなことになったら恋が芽生えるかもですね!」(ワクワク)

という返事が返ってくるのももはやお約束のようなものです。

 

さて、いよいよ平成三十年度練習艦隊体験航海、横須賀に向けて出航です。

 

続く。

 

 

 


自衛艦旗降下〜平成三十年度 海上自衛隊練習艦隊 「かしま」艦上レセプション

2018-05-19 | 自衛隊

晴海埠頭における練習艦隊艦上レセプションが始まって33分が経過した時、
場内のアナウンスが、今から自衛艦旗を降下するというお知らせを行いました。

大阪港の時には同じ「かしま」の艦上が東京の倍の人口密度だったため、
自衛艦旗降下といっても艦尾に行くこともできなかったわけですが、
今回は、アナウンスを聞いてから難なく艦尾に到達し、
最前列で写真を撮るということができました。

わたしの立った場所はカレー屋台の横で、屋台に併設された幟が邪魔で
前に進むと、今度はフレームに全体が収まらないという微妙な場所です。

幟を暖簾のように掻き分けながら写真を撮っていると、後ろに立った自衛官が
幟をずっと持っていてくれようとするので、慌てて断りました。

この自衛官は降下する係が冒頭写真の態勢になると

「5分後に降下となります」

とか、

「降下時間になると電飾が点灯するので露光が変わるおそれがあります」

などと、きめ細やかな解説をしてくださいました。
なのでわたしも、降下時間の定義について質問し、
れが気象庁発表による日没時間であることを確認しました。

待っていると案外長い5分間が過ぎ、降下開始。
本日の日没時間は1836です。


左側に灰皿がありますが、実はこの艦尾側、喫煙所に定められています。

この日は右舷側からの風が強く、そのため自衛艦旗が竿に巻きつくようになってしまい、
ラッパ発動中に横からそれを外すという光景が見られました。

無事に降下終了。
自衛艦旗降下の時にいつも海曹長が両横に立っているのは、
こういう時に手助けするためだったのかと勝手に納得しました。
(多分違う)

この後は降下を行った海曹と海士とで自衛艦旗を畳みますが、
降下が終わった途端、ここにタバコを吸いに来る人たちが殺到し、
写真を撮っているどころではなくなりました。

そこでわたしはもう一度いろんな方との交流を行ったのですが、
もちろんそれは新任幹部だけではありませんでした。


■ デルタ海将  元掃海隊群司令 

掃海隊が群あげて執り行う金刀比羅神社での掃海隊殉職者追悼式に
ここ何回か出席させていただいているわたしは、海将をお見かけしてから
じわじわと
近づいていき、他の方との会話が終わるまで待って
ようやく一人になったところを見計らって挨拶させていただきました。

戦後日本近海の機雷掃海を行い、尊い犠牲となった殉職者を顕彰し
その御霊を祀る殉職者追悼式が年々忘れられてゆき、

掃海によって啓開された海に面する地方自治体の長ですら、
この慰霊式について知らないということを、掃海隊群司令時代の海将は
ずっと憂えていらっしゃったそうです。

そしてある時、九州の温泉を持つ地方の首長に追悼式のことを伝えたところ、
本人ではなく代理ではありましたが、式に出席してもらえたということです。
しかし、ご自身は

「今年の追悼式にはどうしても(現職の)用があって行けないんです」

と残念そうにしておられました。

ちなみにデルタ海将は掃海隊出身ではありません。
海自の人事の不思議なところで、必ずしも群司令はそこの出身でないこともあるようです。

 

■ エコー一佐 海上幕僚監部勤務

陸上勤務の自衛艦にも、わたしはついつい何出身か聞かずにはおれません。
エコー一佐が潜水艦出身と聞き、「せきりゅう」「せいりゅう」の引渡式、
そして「しょうりゅう」の進水式に出席したことをいうと、

「しょうりゅうという名前はわたしが考えました」

なんと!

エコー一佐、艦艇の命名をする部署に勤務されていたことが判明したのです。
そうとなれば聞きたいことがあります。

「やっぱり三つくらい候補をあげて、その中から命名者に選ばせるんですか」

「いや、最終決定したのを一つだけ・・」

「あー、命名者って本当に形だけだったんですね」

今まで自衛艦の名前を選べるなんて防衛族冥利につきるし、
防衛政務官というのは役得だなあと思っていたのですが。

 

海上自衛隊ではこの秋にもりゅう型潜水艦の進水を予定していますが、
この名前を考えているのもこの方なんだそうです。

「だんだん『りゅう』が少なくなってきて大変ですね。
『せいりゅう』の時、連れ合いと色々予想してたんですよ。
でも、『きんりゅう』なんてラーメン屋みたいだからダメだろうと」

「きんりゅうは・・・まずないですねー」

「では『こうりゅう』は・・・」

「こうりゅうもないですね」

こうりゅうは特殊潜航艇の「咬龍」を想起させるからダメみたいです。

ただ、実在した「咬龍」は特攻兵器にされたわけではなく、
ほぼほぼ実戦経験もありません。

それに、大量生産されて待機しているうちに終戦になった「咬龍」は、
敗戦後、GHQの監視下で吉田英三らが密かに計画していた海軍の再建、
「新海軍」構想において、再利用される予定だったと言われます。

その際、準特攻兵器のイメージが強い「特殊潜航艇」という艦種名を避け、
「局地防備艇」という艦種名を新たに与え、60隻10隊から成る
「咬龍隊」が創設されることになっていました。

旧軍の名称だからダメというなら「蒼龍」は空母とはいえ立派な旧軍艦で、
しかもミッドウェーで撃沈されてますし、それが採用されているのであれば
「こうりゅう」は(漢字を鮫龍とかにすれば)なーんの問題もないと思うのですが。

とやたらこだわってみましたが、特に「こうりゅう」にしてほしいというわけではなく、
この秋に進水する潜水艦、わたしの予想としては、
 
(きんりゅうではなく)「こんりゅう」、「しんりゅう」「へき(碧)りゅう」
「ひりゅう」「どんりゅう」「たん(丹)りゅう」「すい(翠)りゅう」
「せん(茜)りゅう」「げんりゅう」・・・・
 
全く関係ないのに色々考えてるだけでなんか楽しいんですよね。
いいなあ、自衛艦の名前考える仕事・・・。
 
 
 
さて、ここで改めて本年度の遠洋航海航路図を貼っておきます。
海上自衛隊練習艦隊部隊の遠洋航海航路はいくつかパターンがあって、
それは大きく東回りか西回りかに分かれますが、今年は西回り。

そしてアメリカでも今年はサンディエゴだったから次の年はノーフォーク、
というように、できるだけいろんな港に寄港することになっているようです。
 
しかし、どちら廻りになっても必ず通過することになっているらしいのが
パナマ運河

ここでご紹介した大正十三年度の海軍兵学校遠洋航海アルバムには、
当時の日本人が、まだ開通して間もないパナマ運河を、
その規模と
アメリカという国の底力に
心底感嘆しながら通過した様子が残されていましたが、
どうやら当時の彼らも知らなかったらしいことがあります。

このパナマ運河の一部を設計したのは、唯一の日本人技師である
青山士(あきら)という人物だったことです。
 
荒川放水路などを手掛け、日本の水門設計の第一人者であった青山士については、
またいつか別項でお話しできればと思っています。
 
練習艦隊の皆さん、パナマ運河のガトゥン閘門を通過するときには、ぜひ、
そこを設計したのが日本人であったことを少し思い出していただければと思います。

 

さて、そんなこんなであっという間に1時間半が過ぎ、艦内には
「オールドラング」、蛍の光が流れ出しました。
先ほど話をしたデルタ海将が、練習艦隊司令官時代の思い出として、
 
「レセプションの終わりに蛍の光を流しても全く人が帰ってくれない国があった」
 
と話しておられたのを思い出しました。

しかしここは日本。
蛍の光が流れた途端、自動的に脚が出口に向いてしまうDNAを持っているのが
我々日本人というものです。
わたしも帰ろうと思って、それまで話していた知人に
 
「お帰りになりますか」
 
と声をかけると、
 
「いや、ここで頑張って(逆らってだったかな)最後まで居残るんですよ」
 
この方は今回の「かしま」艦長の新任幹部の頃を知っているというくらい、
長年にわたって自衛隊を応援してこられた筋金入りのファンです。

掃海隊でご一緒したカメラマンのミカさんも同じことを言っていましたが、
最後に退出すると、
もしかしたら何かいいものが見られるのでしょうか。
 
 
わたしは内なるDNAの声に逆らわず、素直にラッタルに向かいました。
絵に描いたような海自式の敬礼で見送ってくれた自衛官。
 
 
「かしま」の舷梯は他の同じ大きさの艦艇のものに比べると比較的緩やかで、
階段が木製であるなど、一般人を迎えることを前提の仕様になっています。
 
「かしま」は練習艦として実習幹部たちが実践訓練を行うのはもちろん、
世界の港でその土地の賓客などを迎えいれた時には社交の場となり、
その際にはこの艦上がその国の人々の触れることのできる「日本」となるのです。

そんな「かしま」の乗員には、スマートなネイビーらしい身のこなしや、
人を迎える際の誠実で暖かいおもてなしの表し方が総員に遍く行き届いていて、
この船を訪れる者をして感激させずにはいられません。
 
彼らのスタイルや気遣い、ホスピタリティは、新任幹部たちにとって
彼らが一人前のネイビーになるための良き模範となることでしょう。
 
 
退出する一般人のために甲板から舷梯と岸壁があかあかと照らされ、
その灯りが、舷梯の下で堵列を作って見送りをするセーラー服の小隊と、
「かしま」を後にする招待客の影を艦腹に幻想的に映し出しています。
 
 
車で埠頭を離れるとき、ふと見ると、工事のフェンス越しにではありますが、
電飾に彩られた「かしま」と「まきなみ」がこんな風に見えました。
 
 
明日の朝、もう一度ここに帰ってきて体験航海の乗客となり、
今度は彼らと一緒に
晴海を出港し、横須賀に向かいます。
 
 
 
「かしま」艦上レセプション編 終わり


 

栴檀は若葉より〜平成三十年度 海上自衛隊練習艦隊 「かしま」艦上レセプション

2018-05-18 | 自衛隊

平成三十年度の海上自衛隊練習艦隊出航行事の一つ、
晴海埠頭で行われた「かしま」艦上レセプションについてお話ししています。

ところで、前々回に挙げた写真の一部を拡大してもう一度お見せします。

わたしが「空自の三尉」と間違えたこれ、これが

陸自の新制服

だったなんて・・・・。
いや実はですね、わたくし今日、防衛団体の総会に出席したところ、
懇親会で、半袖のシャツに紺色のズボンを履いた一団がやってきたのです。

「あれ、空自?」

「似てますが・・空自のパンツに金線なんてなかったでしょう」

ビュッフェ台で横に来て食べ物をとっていたその幹部に、

「それが陸自の新しい制服ですか」

と聞くと、そうですとの答え。
なんと、パッと見てどちらかわかる人はいないかもというくらい似てます。
彼によると、制服は三月から支給されているのだそうですが、
別の方(一般人)に聞いたところ、

「全部が新しい制服に変わるまで3年くらいかかるそうですよ」

んー・・・それまでは新旧入り混じりってことですか。

先日、どこかの陸自駐屯地で入隊式に出席された方の話によると。
新人隊員は全員紫紺の
新制服の集団、その他の自衛官は従来のOD色ということになり、
どうにも妙な構図になってしまっていたとか。

現在支給されている制服も一着だけで夏服でも洗い替えはなく、
洗濯中は旧制服を着ることでしのぐそうです。

そして肝心の新制服の評判ですが、

「なんか満州国の警察官の制服みたい。
やっぱり今までの緑の制服の方がいいなあ」

その方はきっぱりとそう言い切りました。
その人がなぜ満州国の警察官の制服を知っているのかは謎ですが、
わたしも、わざわざ空自と見分けがつきにくい色にする意味がわかりません。

それに、これはわたしが感じたもっとも大きな問題点ですが、これは
若くて何を着てもそれなりにいける自衛官が着ることを想定して作られていて、
「いわゆる陸自タイプ」の将官、空挺団出身にありがちな、首が太くて、
猛者」とかいわれていそうな猪首体型の指揮官世代については、
デザインの段階で全く考慮がされていないように思われました。

この懇親会の時も、まさに「そういうタイプ」の恰幅のいい自衛官が、
薄いクリーム色のシャツに金線入りの
紺色のパンツを履いているという姿を見て、

「全く似合わねー」

と思ったのが正直なところです。

制服そのもののデザインは決して悪くないと思うのだけれど、
着る人に貫禄が出るほど、それじゃない感、残念な感じが漂うといいますか。

空自の制服に全く問題がないとすれば、あそこはお年を召した将官でも
職種のせいか、すらりとスマートで背が高い方が多いからだと思います。

この懇親会でわたしは空自の元パイロットと名刺交換をし、
航空祭は入間より岐阜がいいなどという情報を教えていただいたのですが、
この方現役時代はF-86に乗っていたというお年ながら、今でも絵に描いたような
すらり、しゅっとした「空自タイプ」で、あらためて

Manar maketh a man ならぬ Careers maketh the man 

だと感じ入った次第です。


今回の陸自の制服変更については色々言われていますが、陸自には
若い人たちに制服を気に入ってもらうことで、これをリクルートにつなげたい、
という下心があるらしいとどこかで読みました。

そして、どうも陸自の偉い人たちは、陸自らしくみえるということより、
若者に受け入れられるというコンセプトを優先したようなのです。

しかし、もしそうだとしたら、これはわたしに言わせると全くの読み違いです。
以下それが間違っていると思う理由です。


世間一般、特に若い人の認識によると、三自衛隊の制服の中で
一番カッコよく、着ていれば誰でもモテるのは海自のそれです。

これはわたしが勝手に言っているわけではなく、様々な媒体で、
例えば三自衛隊ファッションショーなどのコメントにも見られるものです。

自衛官、ボーイズコレクションで決めポーズ 一番モテ服は?


何と言っても冬は黒のダブル、夏は白の詰襟、それに士クラスには最強のセーラー服。

三自衛隊が揃い踏みすると、その見栄えにおいて圧倒的ではないか我が軍は、となります。
(個人の感想です)

しかし、しかしです。

わたしはこの日、防衛団体総会でとっても悲しいお知らせを聞いてしまいました。
今年、自衛官の入隊者数が募集目標の8割にしかならず、その中でも
海自入隊者は目標数のなんと5割に留まった、というものです。

どうですか。

自衛隊一かっこいいモテ制服のはずの海自なのに、他より入隊者が少ないのです。
つまり、陸自が思っているほど、制服のかっこよさは少なくとも入隊志望に
あまり、というか全く影響を与えていないことになります。

それなら、わざわざ制服を若者に人気のない(と彼らが信じる)緑をやめて
紫紺にしたところで、全くそれは効力がないばかりでなく、
陸自らしいアイデンティティが薄れることになりはしませんかね。

わたしはそういうわけで制服を変える必要は全くなかったと思っていますが、
どうしても変えなくてはいけないのなら、わたしは個人的に旧軍の
「カーキと赤」の採用をお勧めします。

陸自は海と違い、陸軍を全否定することから戦後を始めたそうですが、
旧陸軍の制服、あれはデザイン的には大変優れていますし、
こちらの方が若い人には人気が出るように思うのですがどうでしょうか。

 

さて、気を取り直してレセプションについてのお話に戻ります。

この日の「かしま」給養が放つスイカカーヴィング。
しかし今まで一度として同じデザインのを見たことがないな。
今日のこれは・・・・ラフレシアかなんか?

先日訪問した自衛隊基地で基地幹部の皆さんとそれはそれは美味しい
昼食をいただいた時、海自の給養には大使館のキッチンでも通用するような
凄腕のシェフがいるほどだという話を聞いたものです。
おそらくその最高峰が「はしだて」とか「かしま」配属されるんだろうな。

そのときに幹部が誇らしげに、

「陸空にこういう食に対する熱意はありません。海だけです」

とおっしゃるので、

「陸自は専門の調理師がいないって本当ですか」

と聞くと、やはり

「普通の隊員が調理をするようです」

ということでした。
今まで噂だと思っていたのが本当らしいとわかりました。

ちなみに舞鶴には調理員を養成するための第4術科学校がありますが、
専門の調理師訓練施設を持つのは海と空のみ。

旧海軍の「間宮」などの給糧艦が命をかけて美味しい食料を届けたように、
食事に大きな生きがいを感じている艦艇乗員のために、海自の給養員は朝昼晩、
さらに夜食やおやつ、すべて全力を注いで作ることを求められるのです。

ニコリともせず真剣にカレーをよそっていた人。
専門のはっぴのようなものに頭巾をつけ、まるで炉端焼きの店員のようですが、
実は「かしま」の乗員だったりします。

「かしま」にはレセプション用の各種コスチュームも充実していて、
お酒を持ってくる人は蝶ネクタイをしていたりします。
皆乗組員です。

「かしま」のカレーが美味しいことは随分前から承知していたので、
美味しそうだな、食べようかなと考えながら見ていたら、
知り合いと会ってしまい、そのあとはその人が知り合いに紹介してくれたりして、
とにかく抉りこむように社交を行うことになり、結局食べ損ないました。

とにかくこの日は最初に刺身を数切れつまんだだけで終わってしまい、
わたしが今まで出席した中でもっとも食べた量が少ないパーティとなりました。


せめてフルーツだけでも(スイカじゃないよ)口にしておこうかなと考えつつ
前のテーブルに行ってみたら、またしてもそこにいた知人がいて、
彼が話をしていた実習幹部と会話をすることになりました。


⬛️実習幹部 チャーリー三尉

上の写真の右上にいるのがチャーリー三尉です。
自衛官には時々自分のことを「わし」という人がいるのですが、チャーリー三尉も
自分のことを「わし」と発音します。

最初にこの「わし」を聴いたのは呉でのことだったので、わたしはてっきり
広島弁なのだと思っていたのですが、そのうち出身地には関係なく、
自衛官には「わたし」派と別に「わし」派が生息していることに気がつきました。

自衛官になると自分のことを「私」と呼ぶように教育されますが、
毎日毎日言っているうちにいつの間にか「た」が抜けて、本人は言ってるつもりでも
結果「たぬきのわし」になってしまうのではないかというのがわたしの洞察です。

海軍の「おはようございます」を「おおす」「お願いします」が「願います」、
など、なんでも短くしてしまう慣習が引き継がれていて、燃料在庫量がネザとか、
水在庫がミザとか、謎の呪文が堂々と正式に使われているのが海上自衛隊ですので、
もしかしたら「たぬき」も口癖ではなく「わし」が「省略形」として認知されている、
という可能性もありますが、この件についてはさらなる調査をしていきます。

 

さて、チャーリー三尉は防大卒です。
出身地を聞くと関西、その後わたしを含めその時話をしていた三人が
全員関西出身であることで一瞬盛り上がりましたが、だからと言って
いきなり三人が関西弁で話を始めるということにはなりませんでした。

たとえコテコテの大阪人でも、自衛官、特に防大卒となると敬語で話す場合には
関西弁は全く影を潜めてしまうのが普通です。

ところでチャーリー三尉、希望職種は?

「掃海隊です」

おお!と必要以上に盛り上がるわたし。
「船乗り」と言われる以上に、この一見地味な職種に
最初から興味を持っている新任幹部がいると聞くのは嬉しいものです。

特にわたくし、ある掃海部隊の後援団体に形だけとはいえ名前を連ねていますのでね。

「掃海隊はいいですよね。いかにも船乗りの原点って感じで」

でも揺れるんですよね(遠い目)
わたしが日向灘の訓練で「えのしま」に乗った時ライトに船酔いした話をすると、

「大きな船は外洋に出るまでほとんど大丈夫ですが、小さな船は・・。
船酔いは何度も経験して慣れるしかないんですよ。
それまでは便器と友達、いや一体化して耐えるんです」

「自分で吐いた物を飲み込むといいとも言いますな」

「いやあああ」((((;゚Д゚)))))))

海自を選んだからには皆が受ける洗礼というか通過儀礼?みたいなもの?
そこでもう一人の方が、チャーリー三尉に

「全然酔わない人もいるって本当?」

「稀にいますねー」

まじか。
でもそんな人に限って艦艇志望じゃなかったりするのよね。


チャーリー三尉は明るくて人懐こく、クラスに一人はいる”いちびり”の人気者、
というタイプです。

「わし、棒倒しで”サル”だったんですよ」

棒倒しのサルとは、防大名物棒倒し競技で、棒のてっぺんに乗っている
文字通り猿のような役割のことです。
言われてみれば、小柄でいかにも敏捷そうな体躯はあの役割にうってつけ。

「あれ、怖くないですか?皆が自分を引きずり下ろすためにやってくるって」

それに対する答えは怖いとか怖くないとかではなく、

「自分の第二大隊はその時優勝しましたから」

「第二大隊って、何色でしたっけ」

「青です。去年の棒倒し、また第二大隊が優勝したんですよ」

チャーリー三尉が猿を務めた時の優勝戦は見損ないましたが、
去年の青チームの優勝は目の前で確かに見届けています。

「やっぱり自分のいた大隊が優勝すると、卒業後でも嬉しいものですか」

「嬉しいですねー」(ニコニコ)


彼と話していると楽しく、こういう幹部はどこに行っても、
そして上からも下からも好かれるのではないかという気がします。


そういえば今日、防衛団体総会で話したある理事の方は海自のOBで、
村川現海幕長が新任幹部として練習艦「かとり」に乗った時、ご自身も
「かとり」乗組だったそうですが、この方が若き日に見た村川三尉は
率先して体を動かし、下からも敬愛される新任幹部だったそうです。

この話を聞いて「栴檀は若葉より芳し」という言葉を思い出しました。


続く。

 

 


「三つのC」〜平成三十年度 海上自衛隊練習艦隊 「かしま」艦上レセプション

2018-05-16 | 自衛隊

平成三十年度練習艦隊出航行事、晴海での艦上レセプションについてです。

艦上では練習艦隊に随伴する音楽隊メンバーの演奏が雰囲気を盛り上げます。
「ビギン・ザ・ビギン」や「黒いオルフェ」など、ラテン系のナンバーが中心ですが、
時々日本の曲も聴こえてきました。

練習艦隊音楽隊は、各地方音楽隊からの志望者中心に構成されているそうです。

特大舟盛りのお刺身も、まだ誰にも箸をつけられず美しいままです。
このメインテーブルの向こう側には代議士の先生方がおられ、
最初に司会者によって紹介されました。

手前は自民党の杉田水脈議員、向こうは阿部俊子議員。
両議員ともに防衛団体の会合でご挨拶していますが、
杉田議員にはその後ツィッターでの恐喝事件などがあったことから
お見舞いを申し上げたところ、

「全く気にしていません!」

と明るく言われました。(強い)

あとご挨拶したのはS藤M久議員の秘書の方。
囲む会にご招待いただいていたのですが所用で行けなかったことを詫びると、

「実はあの日、本人は日報問題で行けなくなったので、そのほうがよかったかと」

日報問題ね・・・。
なんかよく知りませんが、あれって公開することになんの意味があるの?
逆に例えば日米両軍で連携するような事案の場合、アメリカに

「勝手に日本側でなんでも公開してんじゃねーよ」

って言われるようなことにならないの??
それはともかく、

「いつかS藤先生には防衛大臣になっていただきたいです」

と申し上げたところ、秘書氏はぱっと顔を輝かせ、

「本人は決してそのようなことを申しませんが、周りの者はそう思っています」

前にも頂いたはずなのにもう一枚名刺をくださいました(笑)

政治家といえば、ちょっと不思議なことがあったのでご報告。

元朝鮮日報の日本支局長である帰化人議員HSK先生(何党だっけ)が、

招待もされていないらしいのに

この日会場におられたことでございます。

そういえば去年だったか、ある防衛団体の会合で、引退したE田S月という元議員が、
招待もしていないのに祝賀会場に急に現れたことがありました。

「呼んでないのに来ちゃったんですよー。なんでわかったんだろう」

スタッフが困った様子でこちらに囁いていましたが、E田先生、
休日で暇を持て余していたのか、先生先生と呼ばれる生活が忘れられなかったのか、
それとも単にご飯を食べに来たのか・・・。

急遽用意した椅子に腰掛け、紹介されることもなく、
(だって呼んでませんし)何か喋ることもなく、この写真からもわかるように
周りから腫れ物扱いでちんまりと座って食べるものを食べ、黙って帰っていったものです。

E田先生がなぜ呼ばれてもいないのに来たかはなんとなく分かりますが、
HSK先生が来たことについてわたしは色々と考えてしまいました。

最近、

「国民の敵問題」

でおそらく全自衛隊を敵に回したと思われるあのK西H之ですら、
党で防衛に関わる役職であることから、出席者が自衛官だらけの某防衛団体では
総会などに招待することになっていますが、流石に空気読んでか、
本人は決して来たことがなく、欠席あるいは事務所の代理出席です。

 

よくわからないのはHSK先生です。
以前「かしま」艦上で、先生を思いっきり汚いものを見る目で見ていたところ、
本人と目が合ってしまったという話をしましたが、このように自衛隊行事には
先生を国民の敵のように思っている出席者だって決して少なくはないと思われます。
当然先生にとって、決して居心地の良い場所ではないと思うのですが、ばれたので
仕方なく来ていたのかと思ったら、なんと呼ばれてもいなかったらしいのです。

ちなみにこのあたりに議員の先生方が集まっていました。

この一団にいたわけでもなく、もちろん紹介もされなかったため、
わたしは「呼ばれていないのに来た」と判断したのですが、
もし遅れて来たのに紹介されなかったとしたらそれもなぜだろうと・・・。


案の定HSK先生の前には名刺を持った人が列を作るということもなく、たまに
誰かと話していたとしても、それは社交することを任務として命じられた
実習幹部に限られ、その他の客からはやはり遠巻きにされている状態でした。

なんだろう。

あえて自分が肯定的に迎え入れられない環境に身を置いて、
政治家として一種の「修行」をしているのか、根っからのマゾヒストなのか、
それとも「悪名は無名に勝る」を信じていて、とにかく「顔を売る」のが目的なのか。

  

 さて、代議士の先生方の紹介が終わると、お待ちかね?司令官始め幹部の挨拶です。

今挨拶しておられるのは「かしま」艦長の金子純一一佐。
練習艦隊司令官、泉海将補のご挨拶は、

「練習艦隊は三つの”C"を目標にしたいと思います!」

でした。
そんなことを言われたら、普通、

CAREFULLY (注意深く)

COOPERATE(仲間と協力して)

CHALLENGE(チャレンジする)

みたいなものじゃないかと思うじゃないですか。
(ちなみにこの三つのCはわたしが今すごくテキトーに考えました)
しかし、あの泉司令がこんな普通のことを言うわけがありません。
果たして三つのCとは、

「うれC」

「おいC」

「うつくC」

でした。orz

 

もちろんCじゃなくて「しい」なんですが、あえてこう書かせていただきました。
もうこれウケるためだけに挨拶考えてるよね。

してその心は。
皆さんとこうやって過ごせて嬉しい、
「かしま」の給養が精魂込めて作ったお料理が美味しい、
そして、会場に流れる音楽も美しい・・・・・。

たしが思いついたようなつまんない3Cなどより、よっぽど人の心に残る
シンプルで根源的な標語、なんというか心が暖かくなるような気がしますが、
標語というよりこれはむしろ精神到達目標・・・・・?



そして「おいC」の説明では、泉海将補、

「本日のテーブルには呉地方総監の指導方針である愚直たれ
用意しておりますのでぜひお試しください!」

「愚直たれ」はちゃんとこのテーブルのこちら端に写っています。
そうそう、練習艦隊って呉地方総監部の隷下にあるんですよね。

わたしは大阪では泉司令にご挨拶しそびれていたのですが、
今回ようやく名刺をお渡しすることができました。

ちなみに泉海将補は一般大学(早稲田)卒でいらっしゃいます。

実はわたしの親族には早稲田大学関係者がいたりするので、
泉将補とご挨拶することになった時、そのことをパーティトークに織り交ぜつつ、
他の実習幹部に聞くように、泉海将補にもなぜ自衛官になったのか、
そこのところを伺ってみました。

すると、

大学を卒業して、一般企業に一度入社しているんですよ。
3年間勤めたのですが、働くうちに、自分は何のために働いているのかと・・。
会社のためなんかじゃない、かといって自分のためにとも思えない。
そこでふと『国のために働くと言うのはどうだろう』と思ったわけです」

思いついた時には一般幹部候補生の募集年齢制限まで1年を残すのみ。
本当にギリギリでの転身をされたと言うことらしいです。

「大学では何を専攻されたんですか」

「第二文学部です」

「あの早稲田第二文学部・・・小説家コースですね」

「そこしか入れなかったんです」

何をおっしゃいます。
永六輔、澤地久枝、吉永小百合、田原総一郎という錚々たる卒業生を生んだ・・・
あれ、ゴリゴリの左派ばかりだ(笑)
えーと、他にはタモリ、高橋伴明、橋田壽賀子、東国原英夫、実相寺昭雄、
石井浩郎、大瀧詠一、風間杜夫、加藤剛・・・。

それにしてもすごい。
中退者を入れると日本一たくさん有名人を排出している学部じゃないかしら。

 

こちらが大阪でもご挨拶した「まきなみ」艦長大日方孝行二等海佐です。
今確認したところ、3人の中で防大卒は大日方二佐だけでした。

大日方二佐には、

「明日まきなみに乗艦することになっていますのでよろしくお願いします」

とご挨拶させていただきました。
奇しくも次の日、横須賀岸壁に着岸する時の大日方艦長の勇姿を
間近に拝見するという願っても無い機会を得ることができたのも、
この時のご挨拶の後利益だとわたしは信じています。


ところで泉海将補との話で印象に残っているのは、泉将補が入隊を決めた頃、
世間はバブル真っ最中で、自衛隊には

「(就職先として)誰も見向きもしなかった」

そのため、決心さえしたらあとは大変スムーズにことが運んだということでした。
そして、

「今はあんなに自衛隊に入るのは簡単じゃないんですけど」

と笑いながら付け加えられました。

世間が好景気に浮かれていたあの頃、自衛隊が「日陰者」扱いだったこともあって、
早稲田を卒業した会社員が、わざわざ自衛隊に入り直すということ自体、
大変な決断だったに違いありません。
しかし、そのおかげで海上自衛隊は、4半世紀後、
こんなに魅力的な司令官を頂いた練習艦隊を、我が日本国の代表として
世界の港を巡る遠洋航海に送りだすことになったわけです。


若き日の泉海将補の英断に、乾杯。



続く。



平成三十年度 海自練習艦隊 「かしま」艦上レセプション@晴海埠頭

2018-05-15 | 自衛隊

前回練習艦隊行事ダイジェストをお送りしてから、一泊二日で
某自衛隊基地訪問兼観光の旅に出ており、その間行き帰りの新幹線を含め
一度たりともパソコンを開くことができませんでした。

体験航海の次の日早朝に家を出てから予定がぱんぱんに入っていたことと、
移動時間はタブレットを見るのがやっとというくらい疲れていたためです。

やっと家に帰ってきたので、艦上レセプションに戻り、そこから
改めてお話ししていこうと思うのですが、この間あまりに濃い時間を過ごし、
もうこの日のことがものすごく昔のことに思えるから不思議です。

艦上レセプション当日、晴海埠頭にレセプション開始の1時間前に到着。
この時点でわたしは去年との大きな違いに気がつきました。
皆さんはお分かりになりますか?

そう、いつもなら練習艦隊は岸壁に縦に係留し、「メザシ」状にはしません。
これは、その後別の海自基地で幹部と話をしていて知ったのですが、
晴海一帯が工事をしていて縦に並べるだけのスペースがないらしいんですね。

それで、練習艦隊はわざわざ横須賀から防眩物を持参して、
このような留め方をせざるを得なかったということのようです。

車で内部には入れましたが、この頃にはご覧のように
来客一団体につき一人エスコートに付くために、実習幹部が
ラッタルの下にようやく集合し始めたばかりでした。
ここでしばらく車を停めて様子を見ていると、わたしの前に
すでに到着していた二台が中に入って行ったのでそれに続きました。

「かしま」後甲板は、ご覧のように全天候型のパーティスペースになる
天蓋が最初から備えています。
雨が降った時はもちろん、今日のような晴天下でのレセプションも、
風を防ぐために天蓋と紅白の幕で覆ってしまいます。

この日は風があったので、幹部のほとんどは帽子ストラップを顎にかけていました。
ラッタルの下には堵列と行って、海士たちがお迎えの列を作り、
来客は右側にいる実習幹部が順番に中にエスコートしてくれます。

ただ連れて行くだけでなく、社交(ソーシャル)を行うことも
実習幹部にとっての大事な「訓練」の一貫という考え方なので、
彼らはどんな相手にもそつなく会話をし、飲み物を用意し、
わたしの場合のように、会場がオープンになるまで話し相手を務めます。

こういう慣習は、自衛隊の中でも海上だけにあるもので、それも皆
世界の海軍におけるスタンダードに倣っているというわけです。
これが例えば海外で行われる場合は、彼らは外国の賓客などを相手に
同じことをしなければならないということなんですね。

ところで上の写真を見ていて、「かしま」の艦腹に、いかにもタッチアップした、
というように見えるいくつかの部分を発見しました。

横須賀で米海軍の艦艇を見たことがある方なら、自衛隊の艦艇が
いかに綺麗に保たれているかにびっくりされると思いますが、
その中でも「外交」を行う練習艦隊旗艦である「かしま」には、見たところ
米軍艦に見られるようなサビのようなものは染みサイズでも確認されません。

この部分は、何かが当たって傷ができてしまい、それを修復した痕のようですが、
傷が結構深いらしく、隠せていないのと、そこだけペンキが浮いたようになっていました。

しかし、こんな努力をしていることそのものが凄いですよね。

ラッタルの上、舷門と呼ばれるらしいところには、何人かの
「お迎え要員」が待機を始めました。

左に停車しているバスは電車の駅と現地を往復するシャトルです。
タクシーで来場した客が現れ、実習幹部たちが姿勢を正しています。

初めて「ホヒーホ〜〜」とサイドパイプが聴こえてきました。
袖に俗称「ベタ金」つまり、「金成分の多い」階級章をつけた
海将が空自の幹部を伴って来場したようです。

階段の上、右手にサイドパイパー(号笛を吹く人)が見えますね。

40分くらい経って意を決して車を降り、歩いて行くと、
どこから現れたのかというくらい気配を感じさせずに
背の高い実習幹部が斜め後ろからやって来て横に立ち、

「ご案内いたします」

この方には会場までご案内いただき、待ち時間に少しお話をしました。

◾️実習幹部 アルファー三尉

「防大ですか?一般大ですか?」

実習幹部には必ずこのことを聞くことにしています。
アルファー三尉は一般大卒で、

「いくつかの一般企業と自衛隊を比べた結果」

自衛隊にきた、と語りました。
つまり職業選択の段階でいくつかの選択肢の中から選んだのが自衛隊だった、
というパターンです。
そしてそういう幹部のほとんどは、

「自衛隊でしかできないことにチャレンジしてみたい」

というのが選択の大きな動機となっているようで、アルファー三尉も
固定翼機操縦が志望だということでした。

「眼鏡はパイロットになるのに問題はないんですか」

アルファ三尉が眼鏡着用なので聞いてみると、

「P-3の場合はヘリパイロットほど重要視されないようです」

実はわたしはこの後、海自の飛行基地訪問をし、関係者と話していて

「昔はパイロットは坂井三郎みたいに視力5.0とか(!)ないとダメで
さらに航法も機上で手動計算していたため、適性が大変厳密だったけれど、
今は科学の発達に助けられる部分が多い」

というふうなことを聞きました。

ヘルメットで視力も矯正できてしまうらしいですし、
その点昔よりは間口が広がったのかもしれません。

アルファ三尉には、改めて本年度の遠洋航海の航路を説明してもらいました。
彼は待機していたクロークルームに貼ってあった航路図の前にわたしを案内し、
今年の航路が西回りで、インドネシアのジャカルタからスエズ運河経由で
ヨーロッパを周り、スペイン、イギリス、そして北欧から大西洋横断、
パナマ運河を去年の反対側から通過して最後にハワイ、というものであることを
説明してくれました。

そのうち開場になり「かしま」後甲板のレセプション会場に到着。
当たり前のように豪華な舟盛りが、正面、そして両舷?のテーブルに一杯ずつ。

写真を撮りながら顔見知りの方に挨拶などするうちに人がどんどん入ってきます。
そこで気が付いたのが、

「来場者の誰一人として食べ物に手をつけようとしない」

ということでした。
艦上レセプションには東京と横須賀にしか参加したことがなかったわたしは
これが当たり前だと思っていたわけですが、決してそれは
全国スタンダードでないことを大阪南港でのレセプションで知ったばかり。
今更ながらに練習艦隊司令泉海将補が大阪のパーティで言い放った、

「実習幹部には大阪ではユーモアを学ばせたい。
東京ではマナーを学びます」

というのがある意味至言であると納得した次第です。

大阪人の名誉のために申し上げておくと、彼らの行儀が東京より悪い、
ということでは決してないのですが、大阪人というのは「花より団子」と言いますか、
建前(社交)と本音(食べ物)があれば後者をまず取る実利的な傾向にあり、

「はよ食べんとなくなってまう!急がな!」

という特有の’いらち’気質も手伝って、誰か一人が乾杯前に手をつけると、
我も我もと続き、結果、開始の頃にはメインテーブルの食べ物がなくなってしまう、
ということになるらしいのです。

あくまでも噂ですが、練習艦隊では例年大阪でのレセプションの際、
他の地域との比較でいうと、

「食べ物2倍、カレー3倍」

の量を用意しているそうです。

しかも、わたしも少し勘違いしていたのですが、水交会などのパーティはともかく、
練習艦隊がホストとなるレセプションでは、実習幹部はエスコートと社交で
参加客をもてなすことを厳命されているため、彼らが若い食欲に任せて食い尽くす、
ということは全くないわけですから、(食事は軽く済ませているらしい)
これは単に大阪人が特別健啖かつ遠慮をしない結果なのでしょう。

そんなことを考えながら写真を撮ったりしていると、そこに
飲み物のおかわりはいかがですか、と声をかけてくれた実習幹部がいました。

◼️ 実習幹部 ブラボー三尉

ブラボー三尉はすらりと背が高く、さらに見惚れるほど姿勢の良いイケメン君です。

「姿勢がいいですねえ!」

防大出身者と一般大出身者に、我々素人にも見てわかる僅かな違いがあるとすれば、
それは姿勢の良さかもしれません。
4年間の生活でそれが習い性となっている防大出身者は、
姿勢の良さに年季が入っていると感じる瞬間があります。

もちろんそれは微々たる違いで、練習艦隊出発前のレセプションで、
出身を聞いてやっぱり、と感じる程度のことに過ぎないのですが、
彼の場合は、その姿勢の良さからてっきり防大出身者だと思ったくらいでした。
しかしそれをいうと、

「剣道をやっていました」

という答えが返ってきて、ものすごく納得した次第です。

ブラボー三尉も就職活動の段階で一般企業などもリクルートし、
その結果選んだのが海上自衛隊であったということで、その理由は

「船乗り(になりたいと思ったから)です」

ということでした。

地本の方などに、海上自衛隊への志望者の少なさで苦労している、
などと聞くこともあるわたしは、こんなきっぱりした答えを聞くと
なぜかとても嬉しくなってしまいます。

ちなみに翌日、体験航海で乗った「まきなみ」で、ブラボー三尉に再会しました。
出港前に甲板ですれ違ったのですが、「船乗り志望」という彼の言葉を思い出し、

「今日(の航海)はよろしくお願いします」

と声をかけて熱い激励に変えさせていただきました。

「かしま」には右舷から入り、クロークを経て左舷舷側から坂を下りるように
入場することになります。
レセプション会場には練習艦隊司令官夫妻、「かしま」艦長、そして
「まきなみ」艦長が並んでお出迎えをしてくれます。

この写真で今司令とご挨拶されているのは海将です。
会場にはちらほらと政治家の姿も見え、たくさんの人がすでに入来していますが、
皆、飲み物を片手に静かに談笑し、この雰囲気はやっぱり東京、という感じ。

国内巡航を済ませた今、レセプションを通じて知る土地柄や人の違いなども、
何もかも初めての実習幹部には興味深く映っているかもしれません。

 

続く。


艦内告知板「今日のプラン」〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-05-14 | 軍艦

空母「ミッドウェイ」の見学はシックベイとそれに続くデンタルなエリアまで来ました。
途中にはメタルショップの区画があり、その一隅にはかつてここで

マスターチーフとして1948年から1953年までの5年間働いていた、
ドナルド・バーレットの愛すべき思い出のために、というボードが掲げられています。

 

ところで、このエントリを確か前にも読んだことがあるような気がする、
と思われた方、大変すみません。それは決して気のせいではありません。

実は、個人的にはよくあることなのですが、エントリをアップするとき、
アップ時間を間違えて入力してしまい、何ヶ月も先に掲載するつもりが
短いときには数秒、長いときには丸1日ネットに上がってしまうことがあります。

連載ものでなければいいのですが、「ミッドウェイ」シリーズのように
艦内を順番に見ていくような内容の場合、前後の繋がりがなくなってしまい、
掲載者としても心苦しい展開になるので、間違えたとわかった時点で
潔く引っ込めて正しい時期にしれっとアップするということをよくやります。

このエントリは比較的長い時間アップされていたので、それを読んで
コメントをくださった方には大変失礼を申し上げました。

2回目に読む方のために若干内容を補足しておきましたので、
ぜひもう一度目を通していただけると嬉しいです。


さて、マシンショップ展示からさらに歩いていくと、艦内告知板が現れました。

アメリカの学校でもおなじみの「Bulletin board」は、
広報だったり、参加のためのサインアップといった紙が貼られる掲示板です。

ここにかつて「ミッドウェイ」で本当に貼られていたと思われる
三枚のお知らせがありました。

まず、一番左は毎日貼り替えられる「今日のミッドウェイ」情報で、
日付は1990年の3月23日となっています。

イラクのクウェート侵攻が1990年の8月、「ミッドウェイ」がそれを受けて
北アラビア海に展開するのは11月のことですから、これは嵐の前の
(ちなみに作戦名はデザート・シールド作戦)静けさといった、
横須賀でのある穏やかな1日であったということになります。

司令官以下セキュリティマネージャー、CMCの官姓名が記され、火災をはじめ
非常時の内線番号が型通り記された後は、甲板士官の名前が書かれています。


■甲板士官

00-04 トーマス少佐     ゴンザレス少尉
04-08   ブランフォード大尉  レハード中尉
08-12   メイヤー大尉     フローレス大尉
12-16   オーウェン中尉    ゴンザレス少尉
16-20   トーマス少佐     レハード中尉
20-24   ブランフォード大尉  フローレス大尉

といった風に。
前者はAT-SEA OOD (オフィサー・オブ・ザ・デッキ)
後者はAT-SEA JOOD(ジュニアオフィサー・オブ・ザ・デッキ)
トーマス少佐とブランフォード大尉は2回、
JODはゴンザレス、レハード、フローレスの三人で交代しています。


■今日のユニフォーム

今日、どんなユニフォームを着用するのか。
いくつもパターンがある軍隊では、いつもどうやってこの服装を
伝達するのかと思ったら、こういう仕組みだったんですね。
こんな風に記されています。

【今日のユニフォーム】

士官&CPO: サマーホワイト/サマーカーキ
下士官兵E1-E6: サマーホワイト

【作業服】

士官&CPO:カーキ
下士官兵E1-E6: ダンガリー

【海上での制服】

リラックスユニフォームが許可されてます

海の上ではリラックスユニフォームを着ていていいよと。
えー、どういうのがリラックスなのー?


■定期作業

0730, 1530, 2130  清掃
0730, 1730  CHECK  YOKE

ヨークをチェック、というのがわからなかったのですが、
舫など船を繋留する装具の点検でしょうか。


■今日の宗教サービス

0600  NSA

0645  カトリックミサ

0800  十字架のステーション

1130  カトリックミサ

1230  ゴスペル聖書勉強会

1700  キリスト教フェローシップアワー

どうもよくわからない時間もありますが、一つの宗教だけに
教会が使われている訳ではないことだけはわかります。

ところでNSAって

国家安全保障局( National Security Agency)

のことなんですよね。
何か宗教関係の略語かと思って調べてみると

バハーイ教(National Spiritual Assembly)

の意味もありました。

バハーイ教というのは全国精神行政会と翻訳され、イランで誕生、
バハー・ウッラーが祖となって生まれた唯一神を信仰する宗教ですが、
実はこれ、さりげに信仰者数はキリスト教の次に多いといわれています。

もしかしたらもしかして、本当にバハーイの信者が「ミッドウェイ」にいた?



■食事のお知らせ

【士官& CPO】

ランチ 1100-1400
牛肉と大麦のスープ、仔牛肉、ニジマス、ポテトグラタン、
ライス、芽キャベツ、インゲン、冷たい飲み物、
サラダバー、デザート

夕食 1600-2000
『フロム・ザ・フィリピン』

【下士官兵】

ランチ 1030-1400
グラウンドビーフのバーベキュー、フレンチポテト、サラダバー

ディナー 1630-1930
コールドカット、フレンチポテト、サラダバー

夜食 2300-0100
コンボサンドイッチ、フレンチポテト、サラダバー

士官の食事が「フィリピン風」ということだと思います。
それから面白かったのが、夜食のことを

MIDRATS (midnight rations)

というスラングで書いてあること。
ミッドナイト・レーションズ、略してミッドラッツ。
レーションズが「ネズミ」になっているのが秀逸です。

真夜中にネズミさんが台所をあさっているのを想像してしまいました。

その後は電気や機械関係、エアコンなどのトラブルが起きた時の
内線番号などが書いてあり、次には

艦尾教室(アフトクラスルーム)1500から

というお知らせがありました。
艦内作業について勉強会?でも行うのかと思ったら、艦尾のスペースを利用した勉強会でした。
ちなみにこの日のテーマは

「航行中補給について」(UNREP)

です。


■ 告知

1、上陸時の自由時間においても、すべての乗員は知り得た情報について
それがどんな種類のものであっても船上の海軍情報局に、または、
セキュリティマネージャーにに報告することを要求されます。

このお知らせが横須賀を母港としているときに出されたとなると
なんだか色々と考えてしまいますね。

2、講座

a. ファンクショナル・スキルというリーディングと英語、数学の
海軍トレーニングプログラム、「ブラッシュアップ」のお知らせ。

勤務中に行われるこのトレーニングの目的は、
任務に必要なスキルの向上であり、

カレッジレベルのコースを修得しておくことによって、ASVABテスト
Armed Services Vocational Aptitude Battery )はじめ、
海軍の各種試験の準備をすることもできます。

英語、リーディング、そして数学のクラスは横須賀の海軍キャンパスで、
次回の停泊期間に行われます。
技術向上クラスは通常一日4時間、2週間で終了するプログラムです。


興味のある方はオフィスに申込書を用意してあります。

b.横須賀ネイビーキャンパスでは特別に
「シップス・セメスター」を開催します。

期間は4月9日から5月18日まで。
応募は全ての「ミッドウェイ」乗員が対象となります。
勤務中手当として75%の授業料が免除となります。
授業は月、火、木曜日の夕方で、6週間行われます。

授業のコースは下記の通り。

「数学」代数の概念  
「日本語」 日本語入門 
「数学上級」数学III
「スペイン語」 ビジネス&仕事会話

興味のある方は応募用紙にて3月25日までに申し込んでください。
これらの授業は上級下士官の方々が士官になる際にも有利です。
この「ゴールデンチャンス」をお見逃しなく。
申し込まれた方には4月1日の「アフトクラスルーム」で説明会をします。

大学に行かなくても、海軍のプログラムである程度の基礎教育をうけることができ、
それが海軍内でのキャリアアップに繋がるというわけです。

勉強したい人にはいくらでもその機会が用意されているんですね。


【今月の水兵】

今日0900からCPOメスでセイラー・オブ・ザ・マンスの会議を行います

レストランやサービス業で投票によって「今月のウェイター」
「今月の優秀店員」を選ぶというシステムはアメリカ発だと思いますが、
まさか水兵でこれをやっているとは知りませんでした。

【人事事務所】

今日は事務所を閉めています

【法的警告】

香港で刺青を入れた者の海軍施設への立ち入りを禁ずる

ちょっと・・・これ、「香港で刺青を入れたものがいるらしい」
という報告を知った上でのお知らせじゃないでしょうね?
それともこれから香港に行くので、
「刺青入れたらこうなるからな」という警告なんでしょうか。

香港で刺青を入れたらどうしてここまで警戒されるのかわかりませんが、
万が一そうしてしまった場合は、連れて帰ってもらえないってことですか?


この後も教会牧師からの礼拝のお知らせとかが続きますが、
写真のピントが奥にはあっておらず、読みにくいのでここまでにします。



続く。