ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

祇園白川 漁夫の利ショー〜京都

2018-11-16 | お出かけ

一日花二日で終わらせるはずだったのに三日目に突入してしまった
京都祇園を訪ねる旅。
その理由は、冒頭写真でもお分かりのように、今回泊まった旅館
白梅の「通い鷺」”おうちゃん” の餌やりシーンに遭遇したからです。

鴨川の河原を上流に向かって歩いていく散歩を終え、
家を出てから1時間20分で祇園新橋に戻ってくると、
白川沿いの町家が昇ってきた朝日に照らされていました。

朝食は遅めの9時に予約を入れました。

日頃は朝ごはんの代わりに搾りたての野菜&果物ジュースで
軽く済ませてしまうもので、こんなたっぷりした朝ごはん、
しかも何を食べても美味しい御膳は楽しいけれど食べるのに苦労しました。

特にだし巻き卵は卵を3つは使っているのではないかというくらい
どっしりしていて、これ一つでお腹がいっぱいになってしまいそう。

御膳の左下にあるのは嶺岡豆腐。
初めて食べたのですが、まるでチーズケーキです。

びっくりして聞いてみると、これを作らせたのはあの八代将軍徳川吉宗。

日本での酪農は吉宗が房州嶺岡で軍馬を育成するため
インドから調達した馬と一緒に連れてきた牛の飼育で始まったそうです。

ここにある日吉宗が視察に来て食事をすることになって、
いきなり気まぐれを起こし、

「わし豆腐が食べたくなった」

と言い出したわけです。
東郷平八郎がイギリス留学のとき食べたビーフシチューが

どうしても食べたくなって、

「あれと同じの作って。肉と玉ねぎと人参とじゃがいもが入ってた」

と言われた料理人が想像で作り上げた肉じゃがのように、
この料理人も、大豆もニガリもない嶺岡でこのリクエストに
なんとか応えようと、牛の乳を葛の根から取った葛粉で固め、
見た目だけは豆腐のようなものを作り上げました。

果たして吉宗はこれを気に入り、料理人はお褒めに預かりましたが、
これ要するに「牛乳かん」だよね。

「嶺岡豆腐って、どこかで買えるんですか」

「クックパッドにも載ってます」


嶺岡豆腐の作り方

女将が一人一人の客に心を込めて書く絵手紙。
味のある柿と栗の絵もですが、いまだに女将は
先生についてお習字のお稽古をしているのだそうです。

「いまだに先生には怒られてばかりです」

と仰いますが、いやいやなかなか。

ところで、白梅が養っている?鷺の”おうちゃん”ですが、
一本足で立っているので王貞治から名前を取ったそうです。

これは鴨川で見かけた同じアオサギですが、おうちゃんもまた
鴨川のどこかに住んでいて、ご飯の時(朝10時)にやってきます。

川沿いに巣を作り、子供を養うことになってから
以前よりガツガツとやってきて食べるようになったのだとか。

朝ごはんを食べて部屋に戻ると、外でぎゃーすぎゃーすと
鳴き声がしました。

「あ、おうちゃんの餌やりタイムだ!」

慌ててカメラを掴んで外に出てみると・・・。

橋のところに板さんが魚の身を持って立っているのに、
なんだかおうちゃん落ち着きがありません。

屋根からいきなりバサーっと飛び立ちました。

どうやら、いつもの食事タイムに、別のアオサギが
自分も何かもらえるのではないかとやってきたようです。

おうちゃんはテリトリーを同族のアオサギに荒らされ、激怒していたのでした。

相手が川に降りるとおうちゃんも追いかけて川へ。

羽を大きく広げて威嚇しながら別サギを追いかけ回します。
動きが激しくて、なかなか両者をカメラに捉えることができません。

敵が川に降りれば川に、そして屋根に登れば屋根に。
板さんはどちらがおうちゃんかわかっているようでしたが、
わたしたちにはあまりにも右往左往する鷺たちの
どちらがどちらなんて全くわかりません。

左がおうちゃんでしょうか。

いや、勝利の雄叫びをあげている(メスかもしれませんが)
これがおうちゃんかも?

よそ者鷺を白川のはるか向こうまで追い払い、
「ナワバリ」である白梅の屋根まで矢のように戻ってきました。

一応この頃にはよそ者を追い払うことに成功し、
鼻息荒く屋根を闊歩しているおうちゃん。

わけもなく羽を大きく振るったりして屋根を衛兵のように練り歩きます。

「これがおうちゃんかな」

独り言を言うと、板さんが、

「これがおうちゃんです」

屋根の上を行ったり来たりしているおうちゃんに、
板さんはおそらく毎日やっているように刺身を投げてあげました。

あの白梅の刺身を毎日食べてるなんてなんて贅沢者。

と・こ・ろ・が(笑)

おうちゃん、怒りのためアドレナリンが噴出状態でそれどころではなく、
刺身を屋根に乗るように投げてもらったのに見向きもしません。

いつもなら急いで食べるのだと思うのですが・・。

「あららー」

「なんで食べないのよ」

「おうちゃーん、お刺身だよー」

知らせを受けて出てきた全員が思わず声をかけますが、
そんなことでおうちゃんが刺身に気づく様子は全くなく。

それだけではありません。
板さんがもう一度刺身を投げてやったら、なんとおうちゃん、
一度キャッチしたのをプイッと川に投げ捨ててしまったのです。

なんでやねん。

こんなこともあろうかと白川を泳いでは流れ、泳いでは流れして
川面に待機していたカモさんがすかさずやってきました。

もちろんおうちゃんが川に投げ捨てた?お刺身を美味しくいただくためです。

「うーん・・・なんて本末転倒な」

おうちゃん、怒りのあまり本来の目的をすっかり忘れている模様。

しかしおうちゃんの怒りはこれをもってしても全くおさまらず、遠くに
よそ者鷺の姿を目ざとく見つけるやいなや、きえええ!
と飛び立ち、
ひとしきり追いかけ回しに行ってしまいました。

「うーん・・・・」

「もしかしたらおうちゃんアホですか」


ところで屋根の上には、先ほどおうちゃんが無視した

プリップリのお刺身がまだ乗っかっているわけですね。

おうちゃんがよそ者を追いかけてどこかに行ってしまったのを
どこからか見ていたのが、カラスのみなさん。

カラスというのは本当に頭がいい鳥らしいですが、
この日、少なくとも彼らが鷺より確実に賢いのを目の当たりにしました。

ためらいなく刺身片を咥えたカラス。
写真に撮ってみて驚いたのですが、彼(彼女?)はこの時
間違いなくカメラの方を窺いながら素早く刺身を拾い、
同時に高いところに飛び立つ準備をしています。

それにしてもこの刺身、美味しそう・・・タイかしら。

「こういうのを表すちょうどいい言葉があったねえ」

「漁夫の利 」

この場合、「漁夫」はカラスと鴨ということになります。

しかしあまりに刺身片が大きくて、カラスさん飲み込むのに四苦八苦。
結局この場では食べることができず、咥えてどこかに飛んでいきましたとさ。



最後におうちゃんの「漁夫の利ショー」ですっかり盛り上がり、
心から満足して宿をチェックアウトしたわたしたちは、
四条に当てもなく歩いて行き、新幹線の時間まで、昔懐かしの喫茶店、
「フランソア」でお茶を飲むことにしました。

「フランソア」は今やただの飲食店ではなく、国の登録有形文化財です。

入店するとかかっていたのはブラームスの交響曲第3番。
昔来た時にも同じ曲がかかっていたような気がします。

この空間にブラームスの重厚な響きのなんと馴染むことか。

ここに来るたび、このメニューも、内装も、流れる音楽も
何もかもが寸分変わりないことが奇跡のように思われます。

喫茶「フランソア」は昭和9年、社会主義者の立野正一が創業し、
1940年(昭和15年)に改装されて以来今に至ります。

改装を手がけたのは当時京大にいたイタリア人で、豪華客船の船室をイメージ。
室内の華やかな彫刻、壁のピカソや竹久夢二などの絵画、
ヨーロッパの古いランプや赤いビロードの椅子も昔のままです。

かつて藤田嗣治や太宰治もここの客でした。

社会主義者だった創業者が自由な思想を語り合う拠点として
作った喫茶店で、戦争中には立野は治安維持法違反で収監され、
喫茶店は名前を変え、さらに物資の不足でコーヒーも出せなくなり、
番茶を出していたということですが、それでも建物は
何度か行われた空襲の目的地からも外れていて生き残り、
現在もそのままの姿を残しています。

わたしがここに前回来た90年代にはまだでしたが、その後、
「フランソア」の一部(写真に写っている部分)は2003年(平成15年)
国の登録有形文化財(建造物)に登録され、店内
全席禁煙になっていました。

そのあとは京都駅まで行くために阪急電車に乗りました。
久しぶりに見る特急が、これも昔と全く変わっていないのに感激。
懐かしいなあ、この小豆色の車体。


それはそうと。

この日、結局鷺のおうちゃんは自分の敵を追い払うのに夢中で、
結局わたしたちが見ている間何も食べていませんでした。

おうちゃん、後からこう思ってたんじゃないかな。

 

 

京都祇園旅行シリーズ終わり。

Comment (1)

鴨川沿いを歩く〜京都への旅

2018-11-15 | お出かけ

前回最後に貼った「外国人の白梅に対する感想」ご覧になったでしょうか。
京都祇園の白梅の客室は全部で8室ですが、どんな予約があっても
旅館側は外国人客を3部屋までに抑えることにしているそうです。

日本人なら常識として知っている和式の家でのしきたりや
道具の使い方、料理や素材についての説明を、女将は全て
丁寧に英語で行うことにしていますが、それでも1日に
3部屋が「限界」だからだと言う説明を受けわたしは納得しました。

部屋で携帯の茶道具を持参してきた姉の点てた一服をいただき、
久しぶりのおしゃべりに興じているとわたしの部屋ができました。

今回の部屋は二階です。
窓から見下ろす白川と白川通り。

床の間の部屋では全員が集まって食事をする予定。
障子もはめ殺しの窓も「梅」の形!

こういう日本家屋は外気を防ぎにくく、冬は死ぬほど寒いのですが、
ここでは畳の下に床暖房が入っていて窓を開けっ放しでも快適です。

上から見ていると、玄関先の橋にはしょっちゅうこうやって
観光客が入り込んで撮影会をしていきます。

特にアジア系の人たちは、まるで自分がここに泊まっているように
ポーズをつけたり、欄干に座ったり。

橋の前には「泊まり客以外入らないで」と英語と日本語で
注意書き柵が置いてあるにも関わらず・・・・。

あっ、英語と日本語が読めない人たちなのか!(納得)

そしてその日の夕食。
八寸の栗きんとんの周りの「いが」と松葉は食べられます。
松葉はよくできていて、言われなければ本物と間違えること確実。
茶そばを揚げたものを何かで接着してあります。

秋の御膳ということで、鱧の土瓶蒸し。
松茸はもちろんわたしにとっても初物でした。

メインは丹波牛のすき焼き。
量的にも内容も、日本人のみならず欧米の客にも喜ばれそうです。

実はあまりのコースの重さに、締めのホタテご飯はギブアップ。
量は間違いなく外人さん向けです。

開けて翌日。
いまだに時差ボケ生活が続いているわたしとしては、呉に引き続き
京都という街を早朝散策してみることにしました。

運動靴を持って廊下を忍び歩き、玄関をそうっと出ます。

昼前から深夜まで人通りが絶えず、賑やかな祇園白川も、
流石に朝の6時とあっては人影もなく。

早起きは三文の徳という言葉もありますが、朝早く起きると
幸せホルモンといわれるセロトニンが出るとか、
朝早く起きることで鬱病も治るとか言いますよね。

まあ、後付けなんですが、この白川南通の眺めを見ただけで
その「徳=得」を実感いたしました。

地震がない京都には、ゆがんだ建築物も多く残されています。
路地にあるバー、あるいはスナックの「サガン」という名前からは
いかにも一昔前の神戸とはまた違う舶来好きの京都を感じさせます。

サルトルとかボーボワール、カミュ。
フランス文学と京都は昔から親和性が高いのです。
確かパリとも姉妹都市ですしね。
ちなみにアメリカの京都の姉妹都市はこれもイメージ通りボストンです。

大阪はサンフランシスコですが、先日解消してしまいましたね。

江戸時代から今に変わらない建物が並ぶ伝統的建造物保存地区。
(それでも戦災で一度は焼けた店もあるそうです)

日中から深夜まで観光客で賑わう巽橋付近にもほぼ人の姿なし。

鴨川の辺りを上流に向かって歩いていくことにしました。

河原のそちこちには昔の京都を写した写真があって、今と比較ができます。
これは上の写真と同じ三条通理にかかる橋。
河原に米俵を積んだ牛車が牛に水を飲ませに来ています。

丸太町まで上がってくると、この辺には行幸所などもあったわけですが、
今では普通にマンションが軒を連ねています。

画面一番右は登録文化財にもなっている旧京都中央電話局で、
外観はそのままに現在はなんとスーパーマーケットになっているとか。

鴨川は鳥の楽園でもあります。
これは、チュウサギ。

真っ白な体で冬羽になるとくちばしが黄色くなります。

脚で盛んに水をかき混ぜながら餌を探していたコサギ。
これはコサギの習性だそうです。

冬でもくちばしが黒いままで、夏には頭の後ろに飾り羽が現れます。

こちらはくちばしが黒いのでおそらくコサギだと思いますが、
コサギといえども羽を広げると大きなものですね。

マガモ三羽が揃ってお食事探し中。
緑色の頭(見えませんが)がオスで茶色がメスです。

珍しく川面で水を飲んでいた鳶。(英語名:ブラックカイト)
河原には「鳶に注意」(人間を襲うから)と張り紙がありましたが、
注意しても防ぎようがないと言うか。

鳶は本来臆病な性格なのですが、人馴れしてくると厚かましくなり(笑)
食べ物などを強奪するツワモノも現れるということでした。

そして白梅専属?の”おうちゃん”と同じアオサギ。

青じゃなくて灰色なんじゃ?と突っ込んでしまうわけですが、
まあ、灰色より青の方が綺麗に聞こえるってことなんでしょう。

胸に破線状の黒い縦縞が入り、これは個体によって模様が違うので
例えば  ”おうちゃん” を見分ける目印にもなるわけ。

この日の京都は朝震え上がるくらい寒かったのですが、そんな中
河原で石積みを熱心にする人の姿あり。

サンディエゴにもいた「ロック・バランシング」族ですね。

丸太町付近にあった写真より。
本当に丸太を扱っていたから丸太町。

こちらは第一回目の時代祭の様子。
警備に立っている警官の帽子からもお分かりのように、これは
明治28年の写真です。

葵祭(五月)祇園祭(七月)とともに京都三大祭りの一つである
時代祭は平安遷都1100年目を記念してこの年から始まりました。

平安絵巻ではなく、明治28年の第一回時代祭を描いたものです。

列の後方には肋骨服のおそらく陸軍音楽隊が演奏しながら歩いていますし、
その前にはシルクハットに燕尾服の一段(主催者?)がいます。

昔京都訪問についてのエントリで、この飛び石を渡った、
とお話ししたことがありますが、鴨川を渡る飛び石は
この他にも一〜二箇所あったと思います。

しかし、亀をかたどった石があるのはここだけ。

「かめいしを みんなでとんだ ふゆのあさ

はくいきしろく やままでしろい」

間違いなく小学生の短歌だと思うんですが、一般公募した短歌を
岩に刻んで飾るという市の企画でもあったんでしょうか。


ところで、白川もそうですが、鴨川には疎水が流れ込んでいます。
琵琶湖から鴨川に水を引く疎水事業は明治時代に完成しました。

昭和10年の豪雨による京都水害の様子です。

この時の出水で、死傷者 計83名、家屋流出 187棟、
5万戸近くが床上浸水するという大変な被害となりました。

京都市はこの時の大災害をきっかけに疎水と鴨川の河川補修を
大々的に行い、現在の状態にかなり近づいたといわれています。

その際、鴨川の世界に冠たる美しい景観を維持し、さらには
京都市民の大きな楽しみである川床が行うことができるように、
という配慮も、しっかり計画に盛り込まれたそうです。

 

歩いていて、思わずあららーと声が出てしまいました。

巨大な地元高校のポスター、学園祭用だと思いますが、どうなのこれ。

亡くなったゲルニカの人に対し不謹慎だと思わないのか!
・・と声を荒げる不謹慎厨になるつもりはありませんが、
うーん・・・ちょっと眉くらいは顰めてしまうかな。


ここは世界の観光都市京都、つまり海外からの観光客、
中には当事国から来てこれを見る人だっているわけですが、
たとえ見てもゲルニカ空爆なんて遠い昔のことなのでヘーキヘーキ、
ただのパロディだし、って感じかな?

しかし、それはわたしたちの言うべきことじゃないと思う。

例えばどこかよその国に行った時、原爆投下がパロディにされている
ポスターや漫画を見たら、自分は日本人としてどう思うだろうっていう
想像力くらいは働かせようよ。もう高校生なんだから。

先日韓国のアイドルとやらが原爆をプリントしたTシャツと、
ナチスのコスプレでなぜあんなに騒がれたかってこともね。

そもそも「ゲルニカ」はパロディのネタとしては最悪の選択で、
同じ名画からパロってくるにしても、世界には他にも色々、
いくらでも無難な絵があるわけだからさ。
選りに選ってわざわざこんな絵を選ばんでも、と思うわけです。

そこまで元ネタの事件について深く考えてなかったか、
平和ボケしていてなんでもアリのお花畑ちゃんだからか、
何れにしても悪意は全くないだけに、なんだかなあ・・。

子供のやることはある程度仕方ないとしても、この学校、
誰一人これに問題を感じる先生はいなかったんでしょうか。


ゲルニカもどきを通り過ぎるとほぼすぐ、
右からくる高野川と、左からの鴨川が合流するところに出てきました。

ここでわたしは折り返すことにし、祇園白川まで戻ったのですが、
歩いた時間は合計で1時間20分。

写真を撮りながらだったので1万歩くらいのトリップ、
肌を切るような寒さもまた京都ならではの特別な体験です。
部屋に帰ってみると慣れない寒さに鼻の頭が真っ赤になっていました。

本来11月なんてこれくらい寒かったと思うんですけどね。


続く。



 

 

Comments (3)

枕の下のせせらぎの音いよいよに白梅の宿〜京都祇園

2018-11-13 | お出かけ

先週末には防衛大学校で開校記念祭が行われ、
棒倒しや観閲行進を観に行った方もおられるでしょう。

わたしも防大写真集「鳩と桜〜防衛大学校の日々」を手に入れたばかりで、
さらにはアメリカの陸軍士官学校ウェストポイント見学のあと
少しながらその実情が見えてきたこともあって、今のこの目で
防衛大学校を見てみたいと思っていたのですが、残念なことに
家庭の事情で関西にいかなければならなくなりました。

今回の宿泊は、二度目となる祇園の料理旅館「白梅」です。

新幹線で京都に着いたら、最近はタクシーより電車に乗ります。
特に今回は週末の観光シーズンで、道路が混むと予想されたため、
こちらでは滅多に使わないSuicaをフル活用。

まず旅館に荷物を預けに立ち寄りました。
すると前回も遭遇した白梅の外猫ならぬ「外サギ」、
”おうちゃん”が屋根で待機しているではありませんか。

京都にサギはたくさんいますが、白梅のご飯にありつけるのは
”おうちゃん” だけ。
「選ばれしサギ」なのです。
次の朝には”おうちゃん”餌やりシーンにも遭遇しました。

京都で立ち寄る店は限られます。
一見さんでは入りにくいところが多いので、何かのきっかけで
馴染みになったところには楽なのもあって何度も行ってしまいます。

と言うわけでお昼ご飯は鶏料理の有名店、八起庵でお弁当。
お弁当に付いている鶏そぼろは、馴染み特権で(たぶん)鶏そば
(といってもうどんのことですが)に替えてもらいました。

八起庵から今日の目的である大谷本廟にも電車と歩きで行きます。
それにしても京都に来るたびに、観光客がものすごいことになってきて、
昔は誰も歩いていなかったこの一角、交通整理のために係員が出動して
ちゃんと歩道で信号を待つようにとか、赤で渡るなとか、
五条坂は道の左側を歩くなとか叫んでいるのに驚愕しました。

そしてこの写真にも見えていますが、レンタル着物屋だらけで、
町中変な着物を着て歩いている観光客だらけです。

「あんな着物着て楽しいのかしらね」

「いやー、嬉しいんじゃない?特に外人さんは」

人をかき分けるようにして何とか境内に入ると、
流石に観光客はそれほどでもなく、無事に用事を済ませることができました。

実はここにわたしの実家のお墓があるのです。

お参りを済ませた後、本当に何年かぶりで会う姉妹と一緒に
近隣の墓所のなかを歩いてみました。

さすがは京都、ここは通妙寺、實報寺、本壽寺、上行寺、
と言うお寺の墓が一帯に同居しています。

ですから、浄土真宗のお墓があるかと思えば、日蓮宗のお墓もあるという具合。

見つかりませんでしたが、この中には上海事変で英雄に祭り上げられた

肉弾三勇士

の墓碑もありますし、親鸞聖人を荼毘に付したといわれる

親鸞聖人御荼毘所

があると言う立て札を見つけたので、揃って遺跡好きの姉妹は
これを求め、墓石の中を嬉々として歩き回りました。

いつ作られ、いつ閉鎖されたのか、階段のうち一つはトマソン状態に。
この写真を撮るため立っている階段は御荼毘所に続いています。

階段を降りていったところに屋根付きの御荼毘所跡石碑が。

石碑には

「親鸞聖人奉火葬野古跡」

と刻まれているので、わたしたちは、そうかーこの場所でねえ、
と何となく手を合わせたりしていたわけです。
ところがですね。

親鸞聖人のWikipedia記述によると、どこで亡くなったかは諸説あり、
どうやら西と敵対関係にある?東本願寺にもあるらしいんですよね。

親鸞聖人御荼毘所が。

何でもこちらは新幹線のトンネルの上だとか。

しかし幾ら何でも一人の人が二箇所で荼毘に付されたわけがないので、
どちらかが間違ってるか、あるいはどちらも間違ってるってことです。

さて、用事が終わり、これからどうするかを相談しながら墓の中を通り過ぎ、

「どうする?死んだ気で産寧坂突破する?」

「いや何が悲しくて京都に来て中韓人に揉まれないといけないのか」

「じゃ東大路通の一筋内側を通っていきますか」

目的を決めず歩き始めました。
六波羅探題の跡とか六波羅蜜寺の名を残す地域を抜け、

「幽霊子育飴」

を売っている飴屋さんの前を通り過ぎます。
ところで幽霊子育飴とはなんぞや。

慶長4年(1599年)に一人の女性が埋葬された鳥辺野の土饅頭の中から
数日後、子どもの泣き声が聞こえてきたので掘り返すと、
亡くなった女性が生んだ子どもが生きていたという事件がありました。

鳥辺山というのがまさにさっきまでいた墓所のある一帯です。

ちょうどその頃、毎夜この店に水飴を買いに来る女性があったのですが、
子供が発見された日からふっつりと来なくなったので、それが
死んでも子供を育てるために飴を買いに来ていた母親の幽霊だろう、
と京都中の噂になったのだそうです。

そして幽霊が飴を買った飴屋はその噂が人を呼んで商売繁盛しました。

みなとや 幽霊子育飴本舗

ところが、さっきの親鸞聖人の話ではありませんが、この幽霊の墓所、
つまり赤ちゃんが発見されたお墓というのは鳥辺野だったという説と、
上京区のあるお寺だったという説、こちらもふた通りあるのだとか。

京都では珍しくもなんともない小路ですが、よそ者にとってはワンダーランド。
奥にあるのは小さな祠のようです。

にしても、不思議茶屋バラライカとはさてもワンダーな名前よの。

狛犬の代わりにイノシシ、つまり狛イノシシがいるお寺があったので
珍しさに惹かれて境内に入りました。

後で知ったのですが、ここに祀られている摩利支天(まりしてん)
戦場の護神であり、しかもイノシシの背中に乗って駆け巡っているらしいのです。

そういえば来年は亥年。

「お正月はきっと初詣客でフィーバーするね」

それを見越して?か、お寺では外壁の大々的補修が行われていました。

イノシシの口からだらだら流れる水で手を洗います。

明治年間にこんな絵を奉納した鈴木さん一家。

摩利支天にとってイノシシは単なる「移動手段」のはずですが、
この絵はどこかに向かって猛進していくイノシシの大群を描き、
肝心の摩利支天の姿はどこにも見えません。

「摩利支天に呼ばれて全員でダッシュしてるんだよ」

「最初に駆けつけたイノシシが運搬役に採用されるとか?」



摩利志尊天堂の向かいにはなんともレトロな小学校が。
新道小学校は明治2年に創立された古い学校で、この建物は昭和12年に建てられました。

100年以上の歴史は近年少子化のため近隣の数校による合併で幕を閉じ、
移転して今はその名前も東山開睛小学校、中学校となっています。

この建物は児童館として使われていますが、小学校の看板は残されています。

路地に佇む不思議な廃屋に思わず立ち止まりました。

「これなんだろう」

「洋風と和風がくっついてる」

「和風部分だけ見ると料亭みたいだけど・・」

先ほどの新道小学校のような建築様式なので、おそらくこれも
大正年間から昭和初期に建てられたものだと思われます。

こういう飾り彫刻が任天堂ビルと似ています。
立ち止まって眺めていると、通りがかりのおっちゃんが自転車を止め、

「あんたら何見てんの」

「この建物なんだったかご存知ですか」

「知らん。ワシがここに来た時にはもうこうなっとったなあ」

「へえー、何年前ですか」

「えらい昔や」

おっちゃんがいつ京都に来たのかはわかりませんでした。

「まあ、いっぱいのぞいていってやー」

それではお言葉に甘えて。
背伸びして手を伸ばし、シャッターを切ってみました。

左の壁には暖炉が見えますが、外見を探したところ
煙突らしき構造物はありません。

さて、結局五条から歩いて祇園の宿まで帰ってくることになりました。
少し早めですが、部屋に入って積もる話に花を咲かせることにしたのです。

先に、姉と妹が二人で泊まる予定の部屋に通されました。
二間続きで坪庭に面しています。

ちょうどツワブキが花を咲かせていました。

この部屋には歌人の吉井勇(1886ー1960)の掛け軸があります。

「枕の下の せせらぎの おといよいよに 白梅のやど」

ここに寝ていると、ちょうど枕の下に白川の水音が聞こえてくるのです。

床の間の横にある棚には、白梅の模様の入った布をかけた
小さなテレビがありますが、おそらくここに泊まるような人は
こんなところでテレビなど観ようとは思わないでしょう。

次の朝早く、散歩に出てみると、前には気づかなかった
吉井勇の句碑が白川沿いにたっていました。

「かにかくに 祇園はこひし 寝(ぬ)るときも

枕の下を水の流るる」

ちょうどわたしたちが白梅に泊まった直前が吉井の命日でした。

「その日にはこのお部屋にはどなたかお泊まりになったのですか」

女将は

「せんせのファンやいいはるお客様が前々から予約されてはりましたなあ」

吉井が70歳の古希を迎えた時、その祝いとしてこの句碑がここに
建立されることになり、発起人には

四世 井上八千代

大佛次郎

久保田万太郎(歌人)

里見弴

志賀直哉

新村出(しんむら・いずる、言語学者)

谷崎潤一郎

堂本印象(画家)

湯川秀樹(理論物理学者)

などが名を連ね、その後吉井の命日には「かにかくに祭」という
祇園の行事が毎年行われているということです。

女将のおばあちゃまは「吉井せんせ」のことを

「いつもお酒飲んだくれてたおひと」

とにべもなかったようですが、この吉井勇の最初の妻は
あの柳原白蓮の兄の娘(自身も伯爵だった)だったそうで。
貴族軍人について調べた時に知った、

不良華族事件

の中心人物で、その後離婚したという話を読んで、
あの話がここにつながるかー、と面白く思いました。

吉井勇の掛け軸のある部屋に飾ってあったスズメの親子の木彫。

「お米の季節どすさかい、お米に縁のあるスズメを飾ってるんどす。
お母さんのスズメがよう見たら虫くわえてますやろ」

内容もさることながら、女将の音楽のような京都弁を聞いていると、
自分が今、京都・祇園という日本の中でも
特殊な空間にいるのだ、
ということをあらためて思わずにいられません。


「お部屋におられると時折ピシッと音がします。
京都のうちは人が中に入ると呼吸しますのや。

湿気やらいろんなものを吸うて、息をする時に音を立てます。
部屋が軋んでもそれは呼吸してるということで、
もしそれがしなくなったらそのうちはもうあきまへんのや」

はあ・・・。

到着の後、お茶と甘いものが出されました。
湯飲みの底に”おうちゃん”があしらってあります。

 

若いときにFAを経験し、英語にも堪能な女将が外国人客にも
行き届いたサービスをしていることについては、
こんな翻訳ページが見つかりましたのでどうぞ。

外国人満足度が日本一、京都祇園の「白梅」に泊まった海外からの声

 

続く。

 

 

 

Comment

呉の街を歩く〜入船山公園-地方総監部-JMU-歴史の見える丘

2018-11-05 | お出かけ

さて、呉散歩編、「朝の部」です。
帰国以来時差ボケが今や正常化して(アメリカから帰るとしばらく早起きになる)
毎日漁師とは言わないけれど、農家の人並みに早起きになってしまったわたし、
この日も元気に夜明け前に目覚めました。

どこまで歩きに行くか、と考えた時まず脳裏に閃いたのは
自衛隊記念日の行事が始まる前に潜水艦基地を車で見に行ったことがあり、
そのときの、潜水艦が白煙をあげているあの景色です。

「アレイからすこじまの潜水艦基地まで歩いて朝の潜水艦を愛でよう」

早速所要時間を調べると、片道36分。
これなら行って帰って来られる、と判断しホテルを出ました。

グーグルの案内した経路にとんでもない「落とし穴」があるとは知らず・・・。

ホテルを出たところにある境川は朝の引き潮のせいで川底が見えています。
しょっちゅう水没しているためボロボロになった階段は、これも
おそらく旧海軍時代からのものらしく、木の骨組みが露出してきています。

流石に呉教育隊のみなさんは早起きですね。
朝の清掃タイムらしく、庭箒を持った自衛官の姿が柵越しに見えました。

左の塀の向こうは呉教育隊、右は基地業務隊などがある自衛隊の領地です。
赤い壁は、これ全て呉地方総監部の長官庁舎のレンガに合わせているのです。

自衛官(多分)がランニング通勤しているのも呉ならではの朝の光景。

呉地方隊の門は二ヶ所あって、こちらがいわゆる通用門。
昨日の追悼式などの時にはこちらから入場します。

通用門はカーブの突き当たりにあるので、公道通行車が全て
左折して行く中、呉地方隊関係者の車だけが直進してきます。

このため、「自衛隊に用がある車はウィンカーを点滅せよ」
というお達しが大きく看板に書かれるようになったと見られます。

門内に入って行く車は自衛官の出勤車だと思いますが、
どんなに見慣れた車でも警衛の自衛官は後部座席をチェックしています。

考えてみたら朝の自衛隊基地の通勤風景などを見るのは初めてです。
歩いて門内に入る人は私服がほとんどですが、たまに制服もいました。

新しく完成した呉音楽隊の練習棟。
この無機質なこと、もしこの表札がなければ工場か給食センターにしか見えません。
必要最小限の機能に全力投入し、後は極力ご予算を絞ったという感じありありです。

いや別に、エントランスに(前のように)錨のマークをあしらったり、
植え込みにト音記号を作れとは言いませんが、もう少しなんというか
全体的に音楽隊がいることがわかるような工夫とか潤いというものをだな。

防音設備やレコーディングなどの装備はおそらく完璧なんでしょうけど。

入船山公園の斜面。

今いるのは数字の「487」のあたり。

終戦直後(1947年)はこうなっていました。
黄色で囲んだプールがあったらしいところに音楽隊と官舎、そして
自衛隊の援護業務隊を作ったということになります。

ここは現在「市民広場」という名前がついているらしいです。
あの「市民」のせいで、市民という言葉の印象が無茶苦茶悪いんですけど、
こんな名前がつけられたのも、元々ここが旧海軍の練兵場だったからでしょう。

終戦後にはここでイギリス連邦占領軍が式典を行ったり
演習をしたりしていたそうで、その名前も

「ANZAC PARC」

と変えられておりました。
ちなみにANZACというのは

Austrarian and New Zealand Army  Corps
(オーストラリア・ニュージーランド軍団)

から生まれたアクロニムです。
どちらもイギリス の旧植民地で地理的にも近いので
元々同盟国だった両国は、ここ日本の呉に占領軍として
合同で乗り込んできていたんですね。

(ちなみに彼らは占領が終わり帰国する際、旧軍時代の
家具や調度などを結構な数勝手に持ち帰り、さらには
勝手に長官庁舎を改装してやりたい放題だった模様)

赤で囲んだところに「十字」が上空から見える建物がありますが、
これは現在国立病院機構呉医療センターとなっています。

今は「この世界の片隅に」の「聖地巡礼」先となっている階段は
海軍病院に続く道でした。

戦時中は敵に対し、赤十字が見えるように屋上にペイントして
空爆を避けるようにと指示していたというわけです。

そして青で囲んだところは現在も残る鎮守府長官庁舎です。

そのままてくてくと487号線の歩道を歩いていきますと、
呉地方総監部の正門が現れます。

もっと真正面から撮りたかったのですが、警衛の人に見られるので
彼らが死角となるこの角度から一枚だけ撮らせてもらいました。

 

この487号線は、大変交通量の多いところです。
総監部と道を隔てて反対側に点在する官舎から、その昔は
ここを通って直接出勤できたらしい歩道橋がありました。

今は敷地内に入ることができないのはもちろん、横断歩道があるので
おそらくこれを使用する人は皆無なのではと思われます。

ふと思いついて歩道橋を上まで登って見ました。
なんと地方総監部庁舎のマーヴェラス!な眺め。

総監庁舎は2年ほど前に文化財に指定されましたが、よくぞ今まで
この美しい建物をそのまま現役で使い続けてくれたものだと思います。

道の右側をさらに進んでいきますと、そこにはJMUの正門が。
車で出勤する人も門でカードリーダーを通すようです。

自衛隊もですが、こういう企業では関係者以外の入場は厳しく制限されます。

「ものづくり日本大賞」というのは、HPによると

「新時代のものづくりに挑戦する人」

に与えられる奨励賞です。
調べてみたところこれが大変な数の受賞者で、JMUが受賞した
第7回には内閣総理大臣賞だけで7件42名。
経産大臣賞18件、特別賞15件、優秀賞18件という大盤振る舞い。

もしかしたらハズレなし?とか考えてしまったのですが、
それはともかく、JMUの受賞は

革新的構造・施工技術「構造アレスト」で実現した
安全・環境性能に優れるメガコンテナ船

に対する評価でした。
少し前まで「NYK LINE」というコンテナ船が工事中だった記憶がありますが、
それがそうで、この開発により、

「安全性能が高く、環境性能の優れた大型コンテナ船を実現した。

 このことが評価され、造船業としては異例の大量受注を獲得している。」

ということです。

ここまで歩いてきたら右側に歩道がなくなってしまったので左に移動。
見えてきたぞピンクの船が。

一番最初に出現する船渠。
今は何にも行われていません。

どお〜〜〜〜〜ん(効果音)

なんとここでもONEの蛍光ピンクのコンテナを建造中だ。
これを見るに、縦にちょっとずつつ増やしていく感じで作るみたいですね。

「大和大屋根」は産業遺産に指定されたので今後も使い続けます。

以前も同じ場所から写真を撮ったことがありますが、あの時とは
カメラの性能がずいぶん違うので、細部がよくわかります。

ふと山の斜面を見ると、五重の塔があるのに気がつきました。
真言宗萬願寺というお寺の五重の塔で、夜はライトアップされるそうです。

ここの境内から見る呉港の眺めはそれは素晴らしいとか。

Googleさんはアレイからすこじまにいくにはとにかくまっすぐ行け!
とおっしゃるのでその通りにしたら道がこれしか無くなりました。

地下道だと・・・?

なんなのこれ。
ただしこの地下道、隅っこにお掃除セットが置いてあって
チリひとつなく異様に綺麗です。

というのも、ここを通る人というのはその全員がJMUの社員で、
呉駅方面から来るバスから降りると全員がここを通り、
右に曲がって出社するためだけに作られた地下道だからでした。

地上に上がってみるとそこには逆車線のバス停があるのみ。
嫌な予感がしてバス停の向こうまで行ってみたら

歩道がありませんでしたorz

なんと、徒歩ではこの道沿いに歩いていくことはできないのです。
仕方なくわたしは今まで来た道を戻り始めました。

これはバス停のベンチのサラリーローン(死語?)の宣伝ですが、
「エリース」という名前にピンと来たので写真を撮っておきました。

戻る道沿いに、これも以前一度紹介している「歴史の見える丘」、
つまり呉中の石碑的なものをまとめて置いてしまったぜ!的な
なんでもありの一角が現れます。

この慰霊碑には、終戦直後の枕崎台風、昭和42年の集中豪雨、
平成7年の水害などが全て刻まれています。

この澤原為綱翁の像のように、戦時中金属供出で像が無くなり、
台座だけになったものも、市街地から運ばれてきています。

戦後になってもう一度澤原さんの像を作るという話にはならなかったんでしょうか。

そして「戦艦大和の碑」。
海軍墓地にも壮麗な碑があるわけですが、それだけではなく
こういうところにも建ててしまうという・・。

「大和碑」の前にあるのはただし戦艦「長門」の徹甲弾です。

反対側から見た「噫戦艦大和之碑」。
なぜ「噫」が付くのかは謎です。

この碑についてはあネットに情報が出てこないのですが、
昭和44年当時、まだ生存していた旧海軍軍人や自衛隊の海将などが
地元政財界とともに発起人となって建造したらしいです。

呉軍港の造船船渠に置かれた基礎石なども、ここにまとめてあります。
読みにくいですが、明治年間に着工された船渠の礎石。

「第6工場」「明治22年起工」などの石をまとめたタワー。
このレンガは旧鎮守府開庁当時の庁舎建材、土台の縁石は
境川にかかっていた二重橋の踏み石をそのまま持ってきたそうです。

明治27年6月起工。
これらは全て海軍工廠の礎石です。

呉地方隊の通用門まで戻ってきました。
正面をバッチリ写真に撮るのは憚られたので、少し離れてから
振り向いて素早く一枚撮ったのですが、拡大してみると
警衛の自衛官たちがちゃんとこちらをチェックしていました。

さすが怪しい動きをしている怪しげな人物を見逃さない(笑)

ホテルの近くまで帰ってきて驚きました。
1時間前まで川底が見えていたのに、溢れそうに水嵩が増えてます。

一体どういう仕掛けでこんなことになったのでしょうか。

 

というわけで二日にわたって呉の街を歩いてみましたが、
やはり車の目線とは違う発見があり、呉の街の別の面を知った気がします。

今度はなんとかして潜水艦基地まで歩いていくぞー!

 

終わり。

Comments (3)

呉の街を歩く〜ピンクの船に華麗に掌返し

2018-11-04 | お出かけ

呉艦船巡りのレポートを読んだ方からメールを頂きました。
このクルーズを運行しているのは(有)バンカーサプライという海運会社で、
夏の呉における水害の際には、遊覧船や定期船を稼働して
被災者を江田島や離島に輸送するなど尽力されたということです。

さて、その艦船巡りを終えてホテルの部屋に一旦帰り、
しばらくPCに向かっていたのですが、ふと今日の晩は何を食べよう?
と考えた時、ここまで来たのだからクレイトンベイホテル まで
歩いていって「愚直たれ」関連メニューを頂くことにしました。

早速ホテルを出て、スマホの道案内に従って川沿いに出ます。

実はわたし、今回アメリカ滞在時に毎日歩き回ったせいで、
(アメリカはモールといっても広大なので、車で移動しても
買い物などしているとあっという間にかなりの距離を歩くことになる)
今や一日1万歩歩かないと気が済まない体になってしまったのです。
地方出張の際も運動靴を持っていく有様。

(ただし季節限定で暑くなるとやる気がなくなる模様)

今回の呉訪問でも、ほとんど初めて自分の足で街を歩いてみよう、
写真を撮りながら・・・と楽しみにしていたのです。

今までタクシーでしか行ったことがなかったので、
ものすごく遠いようなイメージがあったクレイトンベイホテルですが、
調べてみたら今いるホテルから徒歩17分というではないですか。

今のわたしにとっては17分なんて近すぎて物足りないレベル。
目標の1万歩にはとても届かないけど、歩かないよりマシです。

早速靴を変え、肩にカメラを下げてホテルを出ました。

境川の古い(おそらく海軍が作った?)パイプの鉄橋の上に、
サギさんと鵜さんが仲良く止まっていたので一枚。

川沿いを歩きながら、呉教育隊をさりげなく観察していると、
これは間違いなく海軍時代のものだと思われるレンガの建物発見。

屋根だけ葺き替えて今も倉庫か何かに使っているようですね。

鉄扉で覆われた小さな窓が一面ずつしかないところをみると、
弾薬とかそういうものの倉庫だったのではないかという気もします。

それにしても窓の右上の白丸は何でしょうか。

Googleマップがこちらに行けというのでその通り歩いて行くと、
三菱日立パワーシステムズ(株)呉工場の横に出ました。

MHPSは、GE、シーメンスと並びトップ3というくらい
火力発電分野ではシェアを占めている大会社です。

三菱と日立どっちやねん!というこの名前なんですが、実は
東日本大震災後、両社の顧客である電力会社の経営が苦しくなったため、
GEやシーメンスとも渡り合えるように統合した結果なんだとか。

工場内はまだあかあかと灯が点っています。

海側に向かって歩いていくと、いきなり現れるてつのくじらのノーズ。
よくみると艦体に不思議な形の切れ込みがたくさんありますね。
特に砲弾のような形、これは何の機能があったのでしょうか。

ついでに貼っておくと、これが「てつのくじら」あきしおを、
現在の居場所に設置した時の写真。

実は「てつのくじら」のすぐ隣のブロックに(株)日立物流、
その一軒おいて隣にエンジニアリング・ヒロという会社がありまして、
どうやらこの作業を行ったのは超近場のこの2社だったみたいなんですよね。

左上で「あきしお」を釣り上げている起重機船の名前は
このパネルによるとなんと「武蔵」だそうです。

前にも書きましたが、「あきしお」の設置に際しては、
深夜、歩道を取っ払い(段差があるとダメなので)、
信号を止めて一晩で運搬と据付を済ませてしまったそうです。

このパネルは日立物流の正門に埋め込んでありました。

二河川の河口湾に突き出る突堤に、海上自衛隊第101掃海隊があります。
呉の掃海隊基地がどこにあるのか、この散歩で初めて知りました。

基地といっても突堤に面した二階建てのこぢんまりした隊舎ですが。

第101掃海隊には艦番号730の「くめじま」、そして
この731の「ゆげしま」がいます。

この日「くめじま」は外出中だったようですね。

フリッツ・ラングの「メトロポリス」に白黒で出てきそうな光景。
三菱日立パワーシステムズの一角にあるので、工場のパイプ的なものが
全部集めてある塔だと思いますが違ってたらすみません。

二河川を渡る「かもめ橋」に差し掛かりました。
この川にはなぜか二車線の橋と歩道専用橋が二つかかっていて、
その間にブルーと年代を感じさせる茶色のパイプ橋、
これらが二本渡されているのです。

(つまり橋が各種4本架かっている状態)

最初のサギと鵜の止まっていたこの橋もそうでしたが、
呉の川にかかるこの「パイプ橋」、「水管橋」であれば水、
あるいは電力線かガス管を渡すためのものだそうです。

昔は左の歩道橋と古い水管橋が架かっていたのが、
交通量の増大で戦後もう一つ車用の橋を敷設し、さらに
水管橋も新しく作ったというのが予想される歴史的経緯です。

二河川(にこうがわ)を渡ります。

灰ヶ峰を水源とする川ですが、その姿が変わったのは1886(明治19)年、
この地に海軍区が制定され呉鎮守府が置かれることになり、
安芸郡呉港を軍港として整備することが決まったからでした。

つまり呉鎮守府一帯に安定して上水を送り込む軍用水道の水源として
大日本帝国海軍により二河川の開発が始まり、まず明治時代に
二河峡内に取水口「二河水源地」が造られ、大正時代には貯水地
「本庄水源地」が建設された、というのが歴史に残っています。

さらにいうと、河口部の現在の呉市築地町、つまりこれから行く
クレイトンベイホテルのある一帯は、1927年(昭和2年)に
帝国海軍によって埋め立て工事とそれに伴う大規模な河川改修の末、
出現した地区だったということもわかりました。

というわけなので、先ほどのこの水道橋は、当然のことながら帝国海軍が
上水を引くために昭和2年敷設したもの、ということになります。

呉という街は海軍が作ったということをあらためて実感させられますね。

さて、時は下り平成の世になって、帝国海軍呉鎮守府長官庁舎の主は、
海上自衛隊呉地方総監と名前を変えたわけですが、その総監は
海軍の作った呉という街においてこんなプレゼンスを展開しておられました。

いやー、歴代呉鎮守府長官も、次の世紀で海軍中将がこんなことをやれるほど
世の中がある意味平和になっているなんて想像もしてなかっただろうな。

 

前回このクレイトンベイホテルで、わたしは「愚直たれうどん」を食し、
それはお世辞下心忖度抜きでまことに美味しいものだったわけですが、
その呉濤(ごとう、って読むのかな)にも感謝状が飾ってありました。

しかしそれにしても・・・

「想像を絶する愚直さ」「無理難題」「水を得た魚のように」

この賞状の文章考えた人、誰?

 

実はこの晩、当ホテルのカフェで提供されている「がんすバーガー」を
一足先に試食してみようとここまでやってきたのですが、
そのカフェが会社団体の貸切になっていたため、呉濤で
まだ愚直たれうどんを提供していないか尋ねてみたのです。

「申し訳ありません。
あのメニューは期間限定でしてもう終了してしまいました」

というマネージャーのお言葉に、わたしはここで普通の
レディース御膳を頂いて帰ったのでございました。

帰りにかもめ橋の西詰で見かけて感動したこのトマソン的建築。
建物の中に階段がないので、外付けの階段で二階に上がるという・・。

廃屋なのか?それとも使われているのか?
よく芸予地震で倒れなかったなあと思われるこのデンジャラスな造形。

こういうのを見ると廃墟(じゃないかもしれないけど)好きの血が
わーっと騒いできます。

さらに角度を変えると、なんと看板が。
看貫(かんかん)という言葉は変換もできないわけですが、
サマセット・モームの「アンティーブの三人の太った女」という小説では
体重を量る、という言葉をこう翻訳していたのが記憶にあるのみです。

ここは何かを計量する場所であることはわかった。
それが「川原石」なのか?
「川原石」というのはこの計量所の持ち主の名前なのか?
そもそも計量してそれを買うのか?売るのか?

インターネットで検索してみたのですが、それらしい記述はみられず。

かろうじてマピオンで出てきた情報は電話番号と(電話はあるんだ)
ジャンル:精密機械器具 というもの。

精密機械・・・・・がこの建物の中にぎっしりとあったらすごいなあ。

ものすごく気になるのですが、どなたかこの企業?について
情報をお持ちの方はおられますでしょうか。

さて、空けて翌日。
わたしは自衛隊記念日の式典が始まるまでの自由時間を利用して、
呉の街を散歩することにしました。

今まで車で主に移動していた街ですが、歩いて見る景色は
またずいぶん違ったものになると思われます。

昨夜のトマソン的建物や水管橋みたいな発見もあるわけだしね。

ホテルを出て境川のほとりをまず歩き出しますと、
やっぱり目に飛び込んでくるのはあの蛍光ピンク・・・。

20bさんに頂いた情報によると、これがあと少なくとも
半年は続くということですが、御察しの通りで、
わたしはこの散歩によって、クルーズでは遠くに見えていた
さらにもう一隻のONEのピンクコンテナ船を確認したのですが、
それは次回にお話しします。

それより、20bさんの情報で注目したのが、このONE という会社が、

Ocean Network Express

2017年設立の日本の海運会社

川崎汽船31%、商船三井31%、日本郵船38%

という統合会社であるということです。

昨夜横を通り過ぎたMHPSもそうであったように、
外国の同種大企業と対等に渡り合うことを目的の一つとして
このような統合が行われたと考えていいのでしょうか。

そういう経緯を考えると、この蛍光ピンクには、日本の造船業界の

「まだまだ負けるわけにいけんのじゃあ!」(なぜ広島弁)

というZ旗的意味合いが込められているような気がして、
途端に手のひらぐるんぐるんに返してみるわたしでした。

Z旗的、というのは背水の陣の覚悟、つまり吹っ切れたという意味です。
そう思えば、このピンクも「ホルモン系」ではなく、日の丸の紅白を
混ぜ合わせ(てちょっと蛍光をまぶし)た国粋色に見えてきませんか?

・・・・・・・・・・・・・・。


・・・・見えませんかそうですか。

と、とにかく日本の造船業、がんばれ!

 

呉散歩編、続く。

 

 

Comments (6)

ウミネコの蕪島と種差海岸〜青森・八戸訪問

2018-06-22 | お出かけ

いろんな行事が相次いで、それについてお話しすることを敢えて優先したため、
ずいぶん昔のことになってしまいましたが、一泊二日の泊りがけで
秋田県八戸市を訪問したときの話をしようと思います。

この旅の目的は、八戸にある海上自衛隊基地への表敬訪問です。

まだ山麓には雪がうっすらと残っていますが、実は連休の後です。

秋田県には、もう遥か昔、息子が生まれる前にTOと旅行に来たきりです。
小岩井農場、十和田湖、温泉宿という王道の観光コースでした。

前回来た時には、そもそも東北新幹線も全通しておらず、
確か盛岡まで新幹線で来て、レンタカーで周遊したものです。

小さな車でうっかり八甲田山中にドライブに入ってしまい、霧が出て
思いっきり怖い思いをしました。

後からなんども

「夏車で走ってあんな恐ろしいところをよく雪中行軍なんかするよね」

と思い出しては身震いしたものです。
しかし今でも遭難した旧陸軍青森歩兵第5連隊と同じ名前を持つ
陸上自衛隊第5普通科連隊は、慰霊と訓練を兼ねて
雪中行軍ならぬスキー演習を八甲田山で行なっているそうです。

そのときの旅行でもう一つ印象深かった景色を、この初めて来る新幹線の駅
八戸駅(新八戸でないことに注意)に降り立って思い出しました。

「種差海岸・・・・・行きましたねえ」

「地震で被害があったって聞いたけど元どおりみたいね」

看板の下には種差海岸の前に「三陸復興国立公園」とあります。


わたしたちが八戸駅に降り立ったのは、基地訪問予定日の前日でした。

基地訪問に先立ち、八戸のポイント観光に連れて行ってくださるという
ありがたいお申し出をいただいたので、一日前乗りしたというわけです。

最初に連れて行っていただいたのは八戸駅から車で少し行ったところにある
食のアミューズメント施設、「八食市場」。

八戸観光に来た人たちが必ず訪れるという大きな市場です。
ずらりと並ぶ八戸ならではの海産物に圧倒されます。

ホヤは日本ではここ三陸地方でしか採れないらしいのですが、
また鮮度が落ちるのが早いので、ここ以外で店頭に並ぶことはありませんし、
またホッキ貝も北海道と青森でしか味わうことのできない海の幸です。

買ったばかりの食材を、七輪を借りて焼いて食べるコーナー。
これはいいですね。
今度来たらホタテやアワビを買ってやってみたい。

世の中にはカニというと目の色を変える人もいますが、
わたしは特に甲殻類には興味がないので、(というか食べるの面倒臭い)
毛ガニの値段を見ても実のところ高いのか安いのか判断できないのですが、
大きな毛ガニが1パイ6,000円・・これって安いですか?

そうそう、昔旅行で来た時にも旅館でいちご煮が出たんだった。

「どうしてイチゴ煮っていうんでしたっけ」

「なんだったですかね」

「前にも聞いて納得した覚えがあるけど忘れちゃった」

ウニとアワビの汁物のことで、イチゴに似てるからイチゴ煮。
案内してくれた方二人のうち一人は単身赴任なので、
缶詰で買ってよく食べるということでしたが、もう一人は

「わたしはイチゴ煮はあんまり・・・」

ちなみにお二方とも地元の生まれではありません。

「わざわざ一緒に食べるものでもないという気がします」

確かにウニもアワビも贅沢で、力技的料理で客人向けではありますが、
一緒に食べて単体より美味いのかというと、そうでもないかも・・・。

ここで、ムラサキウニを食べてみることにしました。

購入すると、トレイに半分に割ったウニの殻と、わさび、
醤油と小さなスプーンを付けてくれます。

通路のところどころに設置されたテーブルに座っていただきます。
もしもしTOさん、お醤油こぼしてますよ〜。

それにしても、このウニ、信じられないくらい美味でした。
大げさなようですがこの人生で一番美味しかったかもしれません。

殻付きの牡蠣が300円!

これはぜひ生をツルッとやってみたい。
わたしは生牡蠣が大好物なのですが、過去何度かあたったことがあり、
産地と新鮮さが保証されないと怖くて手が出せないのです。

でもここならきっと・・・。

市場の中にはお酒のコーナーもありました。
純米酒「どんべり」という名前にウケたので。

地酒を100円で試飲できる自動販売機がありました。
昔は無料で試飲も行なっていたのでしょうが、物が物だけに
試飲と称してちゃっかりしっかり飲んでしまう酒飲みさんが多く、
苦肉の策として試飲を有料にせざるを得なかったのでしょう。

ちなみに、案内してくださった方のオススメは「八仙」だそうです。

さて、八食センターの後は、蕪島というところに連れて来てもらいました。
蕪島には神社があり、この蕪嶋神社そのものがウミネコの繁殖地でもあります。

昔はこの蕪島部分だけが本当に島だったそうなのですが、
埋め立てて地続きにしてしまい、現在に至ります。

これが1922年ごろの蕪島。

1942年、内務省と海軍省に委託されて海軍が工事を行い、
蕪島自体を地続きにしてしまったというのです。

うーん、海軍がなぜこんな工事を?

横須賀の軍港は水路を掘って島を作ってしまうし、
追浜や呉は埋め立てて海を陸にしてしまうし、古来帝国海軍、

いろんなところの地形をドラスティックに変えた前科があるのだけど、
そのいずれにも防衛上の何かしらの理由があったはず。

横須賀も呉もその理由はよくわかるんですが、それでは蕪島はなぜ?

噂によると、神社の裏手の海に面した風穴に、

船艇の発着所があった

大砲など武器を備えていた

防空壕があった

ということですが、戦後、いち早く風穴は埋め立てられてしまい、
そこに何があったかは今でも謎になっています。

っていうか、調べればこんなのすぐわかるんじゃないの〜?

神社は修復工事中。
2015年11月5日未明の火事で神殿が焼失したので、現在は再建中です。

「原因はなんだったんですか」

「漏電ではないかと言われています」

八戸基地の自衛官の皆さんは、定期的にここの清掃をボランティアで行い、
自衛隊としても参拝をすることもあるそうです。

三陸海岸はウミネコの産地として国の天然記念物に指定されている場所が
何箇所かありますが、蕪島もその一つ。

後ろの岩がところどころ白いのは、ウミネコの糞です。

ここを歩く時に空爆を受ける可能性があるので、案内所の入り口には
ビニール傘が備え付けてありましたが、その時はその時、と思い、
手に取りませんでした。

もし命中していたら着替えもないのにどうするつもりだったんだろう、わたし。

ちなみに、この近くではウミネコの爆弾を再現した、

八戸うみねこバクダン

なるお菓子を土産物として売っており、TOがお土産に買っておりましたが、
職場の女子は

「ちょっとリアルすぎるかも」

と引き気味だったそうです。

止まれそうなところには全てウミネコが占領しているのが蕪島。

柵の向こう側の斜面はもっとたくさんいたはずです。

それにしても、カモメと似ているなあ。

5月の蕪島はウミネコと菜の花の絵になる取り合わせが見られます。

向こうから巣に使う材料を咥えたウミネコがやって来ました。

右脚に鑑識用のリングをはめています。

そういえば、メリメの「カルメン」原作では、カルメンは黄色い花
(フサアカシヤ)を咥えて
踊る、という表現が出てきましたっけ。

こちらでは小さなウミネコ(右)が大きなのに向かって
文字通りニャーニャー鳴いて何かを訴えていました。

「・・・・可愛いですね」

案内の方がついつぶやいていましたが、子供のウミネコの声は
確かにとても可愛い。

「我輩は海猫である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
何でも標高17m、面積1.8ha、周囲800mの島(あとで知ったが世間では蕪島と言うらしい)
でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している」

というパロディがあるとかないとか。

ちなみにウミネコは一夫一婦制で、死ぬまで添い遂げるそうです。

ウミネコとカモメの違いを図解で説明していたので上げておきます。

くわ〜〜〜っ!

って、実はウミネコってとっても凶暴な鳥相なのね。
とにかく識別のポイントは目の周りの隈取りと嘴の赤です。

しかしこれだけ似ていて決してお互いが交わらないというのが不思議。

蕪島から後ろにある港の情景。
このおどろおどろしい佇まいの建物は、震災に耐えたわけですね。

この付近が津波に襲われる様子がちょうどyoutubeで見つかりました。

 

蕪島の鳥居のところまで水が来ているのが写っています。

震災当時の蕪島付近。
当時の観光案内所は流され、今のは再建されたものです。

この震災の時、高台にある八戸基地には人々が次々と避難してきて、
海自は同所にある陸自とともに震災対応を行いました。

これだけの津波に遭いながら、八戸の死者、行方不明者はともに1名でした。

白いウミネコの中を飛び回って大変目立っていたカラス。

わたしはこれを見ていて、参加したばかりの練習艦隊のレセプションで、
周りからほんのり遠巻きにされていた代議士HSK先生のことを思い出してしまい、
案内の方についその話を(ネタとして)してしまいました。

軽率だったとは思いますが反省はしていません。

次に連れて行っていただいたのが・・・なんと!
わたしたちが19年前に訪れた種差海岸でした。

海沿いにありながら青々とした芝のなだらかな坂が続く不思議な海岸。
いつまでも強い印象を残す特別な場所として記憶されていただけに感激もひとしおです。

そこに立つだけで浩然の気が養われ、心が洗われずにいられない、
自然の作り出したそんな場所があります。

種差海岸はその一つであるとわたしは思ってきましたが、
ここに設置された説明板で見た司馬遼太郎先生のお言葉は、
それを裏付けるもので、まさに我が意を得たりの感がありました。

曰く。

「むしろどこかの天体から人が来て
地球の美しさを教えてやらなければならない羽目になったとき、
一番にこの種差海岸に案内してやろうとおもったりした」

種差海岸は現在蕪島も含め「三陸復興公園」と呼ばれています。

さて、その後駅前のホテルにチェックインし、夜になってから
もう一度集合し、夕食を皆さんとご一緒しました。

「八戸一お洒落なところにご案内します」

と聞いていましたが、こりゃ確かにお洒落だわ。(棒)
掘り炬燵があって、個室でその気になればカラオケもできるぞ。

ところで、このお土産やさんの伝票入れの横で見て気になっていた
「八戸せんべい汁」ってなんなのかしら。

「それではせんべい汁を注文しましょう!」

鍋に南部せんべいを割って入れるのがせんべい汁。

汁じゃないじゃん?せんべい鍋じゃん?と思いましたが、
汁にせんべいを入れる「せんべい汁」も現存しており、
せんべいを入れた鍋も「せんべい汁」と呼ぶんだそうです。
これ八戸の鍋業界では基本なんだとか。

旧帝理系卒補給出身の幹部氏が責任を持ってせっせと補給してくれる
このせんべい鍋、普通に鍋として美味でしたが、時間が経つと
せんべいがふにゃふにゃになって
ちょっと麩のような感じになります。

イチゴ煮ではないけど、なぜここにせんべいを入れる?というのが正直な感想。

「どうせ恵方巻みたいに”仕掛け人”がいるような名物なんでしょ?」

心が汚れているわたしはそんな風に勘ぐってみたのですが、
なんとこのせんべい汁、天保の飢饉の時に生まれ(なんでだ)
200年にわたって食べ継がれている立派な郷土料理だそうです。

これも郷土料理、ざんぎです。

「そういえばざんぎの念にたえないとか言いますよね」

「言いません」

「どうみても唐揚げですがこれは」

「唐揚げと何が違うんでしょうねー」

そこにいる誰一人として地元出身者ではないのでラチがあきません。
例によってTOがその場で調べたところ、

「下味付けの際に醤油やショウガ、ニンニクなどで味付けたもの」

「それ普通に唐揚げでしょ」

「粉・卵などを合わせ高温の油で揚げて施したもの」

「だからそれ唐揚げだって」

「明確な区別がない場合も多いようである」

なんだ、結局唐揚げのことをこの辺りで「ざんぎ」と言ってるだけ?
どなたかざんぎの定義をご存知でしたら教えてください。

楽しい一夜が終わり、明けて翌日。

これが新幹線の八戸駅前である。本当に何もない。

しかし、八戸というところは何を食べても美味しいのには驚きです。
昨日のいわゆるチェーン店の居酒屋ですら出てくるものすべて美味しかったし。

この日ホテルの宿泊費(安かった)に込みだったサービスの朝食もこの通り。
朝から鮮度が命であるイカのお刺身だなんて、さすがは八戸、漁業の町です。

 

さて、今日はこれから、海上自衛隊八戸航空基地にご案内いただき、
基地内部を見学させていただくことになっています。
お昼には基地内で食事もいただけるとか。

この調子だと八戸基地で頂く食事は無茶苦茶美味しいに違いない!
と本末転倒な期待に胸を膨らませるわたしでした。

 

続く。

 

 

Comments (7)

帰港〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

2018-06-20 | お出かけ

本項制作時、大阪を震源とする地震がおきました。

被害については報道されているのでここでは重複を避けるとして、
陸海空自衛隊の出動部隊についてメモ程度ですがここに記しておきます。

 

陸上自衛隊第36普通科連隊(伊丹駐屯地)

海上自衛隊舞鶴地方総監部第24航空隊 

海上自衛隊第24航空隊(小松島)

海上自衛隊徳島教育群

海上自衛隊阪神基地隊

航空自衛隊第6航空団救難隊(小松)

各地方協力本部

 

各部隊は震災直後から出動要請を受け、災害派遣活動、
給水支援などを各地で行なっているということです。

海上保安庁も発災直後から第五管区の船艇が出動し、
沿岸部の被害について情報収拾を行ないました。

皆様、どうかよろしくお願いいたします。

 

さて、海保観閲式は無事に終わり、「いず」はアクアラインの換気塔である
「風の塔」のところまで帰ってきました。

アクアライン上空は、羽田空港のアプローチラインと重なります。

大型船の通行を妨げるからのみならず、このことが陸橋ではなく
海中に車専用道路を通すアクアライン建造の理由となったわけです。

航行中、航空機がほぼ途切れることなく現れては空港に吸い込まれていきます。

CL「にじかぜ」の乗員が手を振ってくれています。

テロ制圧訓練の時、「いず」「やしま」の前で「はまかぜ」が海賊船となって
展示を行いましたが、その時、はるか向こうの方、
「そうや」「だいせん」の前で、別働隊が同じ展示を行なっていました。

4隻の観閲船が一箇所でのあの訓練展示を見るのは不可能ですから、
二箇所で展示は行われ、「にじかぜ」は「そうや」「だいせん」の前で
海賊船役を努めたのだと思われます。

横を航行していた消防局の「よこはま」が、放水してお別れしてくれました。

 緑の水を出し切ってから帰ろうとしているのか(?)
川崎市消防局の第6川崎丸も、お別れの放水!

帰路出会った船も紹介しておきます。

シンガポール船籍のオイルタンカー「チャンピオンプリンセス」
今調べたらシンガポールにいました。

扇島の製鉄工場向かいから巡視艇が近づいてきました。

第3管区川崎所属の巡視艇「たまかぜ」

本日の行事に参加した巡視艇ではないので、おそらくこれは
通常任務遂行中であろうと思われます。

「はまぐも」も今日は放水展示で活躍しました。
最後の水を出し切り、満足して(たぶん)横浜に戻っていきます。

コンテナ貨物船「紫隆丸」

シェイプが実にモダンです。
船名が漢字なので中華圏の船籍かなと思ったらやはり香港の船でした。

コイル状鋼板を積荷にしているそうです。

広島の貨物船「新生丸」
船橋にはJFEのマークがあり、JFE物流株式会社の鋼材船として、
本国内での鋼材輸送を行なっています。

そろそろ横浜港が近づいてきました。
入港を支援する
タグボート「にしき丸」がいつの間にか併走しています。

ベイブリッジの下まで帰ってきました。

このスカイラウンジ(というのかどうか知りませんが)、
見れば見るほどすごいところにありますね。

船好きなら、ここからなら行き交う船を見ながら一日過ごせそうです。
営業している時には知らなかったので行かずじまいでしたが、
再オープンされたら行ってみようと思いました。


ところで皆さん、先ほどから写真がかなりまともになったと思いません?

これはですね。
風の塔を過ぎたあたりから、急激に空が晴れてきたのです。

横浜入港の頃には写真を撮るには絶好の光量となっており、

「せめてあと2時間早かったら・・・」

と悔しく思いました。
素人はいくら良いカメラを持っていても所詮晴れていてナンボ、なのです。

「にしき」さんがお仕事するために接近してきました。

押す仕事ではなく、舫をつないで文字通りの「タグ」を行なっています。

「あきつしま」も入港してきました。

早い時間に受閲を行なってから今までどこで何をしていたのでしょうか。

消防訓練で出演した消防艇「よこはま」も、これがベストショットです。

そして「ひりゆう」さんが堂々の入港です。
(なぜかいつも”さん”付けしてしまう)

それから相当の時間を経て(タグが仕事を始めてから30分後)、
下船が始まりました。

船体に備え付けになったままの舷梯を伸ばし、地上の台の上に設置。

自衛隊のように下にネットまでは張っていませんが、海保の船は
大型船でも舷側から岸壁までの距離が比較的近く、
舷梯も図のような方式で一般人にもそう危険なく降りることができます。

下では海保の方々が敬礼で見送ってくれます。

この日海保の職員さんを見ていて思ったのが、容儀規制に関しては
もしかしたら海自よりかなり緩いんではないだろうかということ。

この写真にもいますが、年配男性でも襟足にかぶるくらいの髪の長さだったり、
手前の若い職員さんのなど、まるでロックバンドのリーダーのような、
サイド刈り上げ後ろロングの斬新な髪型です。

こういうのもつまり「軍隊ではない組織」の柔らかめなところなのでしょう。

(まあそれをいうなら自衛隊も『軍隊ではない』ですがそれはさておき)

この日朝から一日お世話になった「いず」の船首をあらためて見ると、
錨の設置位置からして自衛艦とは違うのに気がつきます。

組織が違うと用途も目的も違い、したがって文化そのものも変わってくる、
ということを目で見て納得した1日といえるかもしれません。

向こうの岸壁にはPM36「おきつ」が入港していました。

このMはミディアム、つまり中型巡視船を意味します。
本日の訓練には参加していない船ですが、横浜の船ではなく、
同じ第3管区の清水から来ていました。

下船してから岸壁でこの日チケットをくださったNさんを見つけ、
(最初にはぐれて以来、初めて会うことができた)
ご挨拶をし、外に向かって歩き出す頃には「ひりゆう」、
「ひりゆう」の外側に「よど」が入港を済ませていました。

この写真を見て気がついたのですが、海保の船名は、右舷であっても
左から読むように表記してあるので、「よど」も決して「どよ」とならず、

「ターャジス」現象(具体的な例を挙げてすみません)

によりイラっとさせられずにすみます(´・ω・`)

横浜防災所を出てから、赤レンガ倉庫までやってきました。

実はこの日チケットをなくし急遽乗り込んだ「いず」で、ばったりと
知り合いに会ってしまい、これも運命かと盛り上がって、その知り合い、
知り合いの同行者と三人で
中華街に夕ご飯を食べに行くことにしたのです。

疲れていたし三人でタクシーに乗っても良かったんですが、
誰いうともなく、バスにも乗らず、中華街まで歩き通しました。

あー、とても横浜らしい素敵な洋風の建物があるー(やる気なし)

知る人ぞ知る神奈川地本は中華街のほとんど中にあります。
その近くで見つけた「横浜最初の下水道管(輪切り)」


総煉瓦造りですが、それでいびつながら円筒を作ってしまうというこの技術。

外国人居留地だったこの辺りでは、1869年(明治2年)から
下水のための陶管の埋設がはじめられ、1879年(明治12年)には
すでに居留地内には下水道が備わっていたということです。

最初は英国人土木技師が設計し、これが日本で初めての近代的下水道となりました。

その後、日本人の設計により、明治20年までに下水道の改造工事が実施され、
レンガ管の下水道が整備されました。

このレンガ管は1981年(昭和56年)近隣の山下町で発掘されたもので、
断面が卵形をしているので「卵形管」と呼ばれます。

この卵型管、今でも横浜中華街の南門通りでは現役で使用されているのだとか。

その中華街南門近くの中華寺には、ポケモンGO信者が集結してました。
この人だかりがポケモンGOであることは、たむろしている人たちの年齢層が
まちまちで、老若男女を問わないことですぐにわかります。

疲れていたのでその近くにあった小さな台湾料理の店に入って行くと、
お客はわたしたちだけ、土曜の夕方なのに最後まで誰も来ませんでした。

「いず」船内では業者が格納庫で売店を出しており、わたしは昼の休憩時に
お弁当を買って食べていたのですが、この時間には流石に空腹です。

台湾風と称する冷麺のようなものを取り、そのあとは三人で元町に行って
上島珈琲店でひとしきりおしゃべりをしてから帰りました。


「海保の出入港作業は(海自に比べて)あまりに遅い」

という感想を聞いたのもこのときです。


ともあれ、わたしにとって初めての海保体験は終わりました。

これまでご縁がなくてほとんどその概要すら漠としていた海保という組織に
これで少し理解の足がかりができたという気がしています。

海自との文化の違いや、その独自の空気などを垣間知っただけでなく、
特に沿岸警備の最前線のために何が行われているかを目の当たりにしました。


次の日観閲式で安倍首相は、

「海上保安庁なくして海洋立国の将来はない。
これまで以上に多くの重要な使命を果たしていくことを期待している」

と当たり前のことを述べたそうですが、ここは挨拶の内容より
麻生氏以来、首相が海保の観閲を行なったのが実に6年ぶりだった、
ということに
注目するべきでしょう。

この6年の間、特に民主党政権が海保に対して「何をしたか」を考えると、
その意味は非常に深い、とわたしは、尖閣のために配備された新鋭巡視艇が
訓練で見せた目の覚めるような駆動を思い出しながら考えていました。


 

海保観閲式シリーズ 終わり

 

 

Comments (3)

観閲式終わる〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

2018-06-19 | お出かけ

前回「宮古島まもる君」の紹介で力尽きてしまった海保観閲式のフェアウェル、
気を取り直して続きと参りましょう。

やはり石垣第11管区の「ざんぱ」です。

「ざんぱ」の所属する部隊は尖閣警備専従部隊として
日夜最前線での警備警戒を続けています。

甲板では三線(さんしん)の演奏をしている人が二人、
あとはそれに合わせてエイサーを踊っていると思われます。

船尾で櫂を操ってる人がいますが・・・・何だろう。
沖縄古武道の演舞か、それとも「久松五勇士」の関係?

巡視船の船尾はいかに海面と近いか、この写真はよくわかります。
もしかしたら楕円形のスリットから甲板には海水が入りまくりかもしれません。

徳島第五管区の巡視艇「びざん 」

そして徳島、とくればこれしかないでしょう。
職員総出での阿波踊り。

お揃いの浴衣を揃えてあるところが、彼らの本気度を表します。
例年海保のチームは実際の阿波踊りに参加しているのに違いありません。

フェアウェル最後は同じ第五管区でも高知から「とさ」

高知の踊りといえば・・・当然「よさこい」ですね!
どんな踊りか全く知りませんが。

そして、甲板に見たことのあるあのお方が・・・・。

 りょ、龍馬さまあ〜〜!
 
だと一目でわかってしまうわけですが、ちょっとそのカツラは違くない?
龍馬は確かにロン毛だけど、こんなおばちゃんパーマじゃなかったぞ。
 
なぜかダイバーが横で腕を組んで睨みを利かせていますが、
この人も龍馬さまが海に転落しないように警戒しているのかしら。
 
 
ちなみに、バナーの「高知屋」は高知県のアンテナショップで、
東京にありながら高知県の産物が手に入るスーパーマーケットだとか。
 
海上保安庁、ご当地名産を案内するという役目も仰せつかってるんですね。
 
 
 

そして、海保観閲式のフィナーレ、「フェアウェル」には、海自から唯一参加した
護衛艦「はたかぜ」もその姿を見せてくれました。

海保以外で唯一高速機動連携訓練に参加した「はたかぜ」です。


ところでみなさん、いきなりですが海保、海自の人たちは互いのことを
どう思ってるのか、
そんなことを考えたことはありませんか?

もちろん、昔と違い、今は日本の国防という一点で互いに緊密に連携、
協力し合っているのだと我々国民は思いたいですが、実のところ
組織同士という点では、特に上のレベルでやはり色々と軋轢があるものらしい。

それは主に海自が防衛組織(ただし軍ではない)であり、海保が警察組織であることに
起因するものだそうで、具体的に何たるかは外部からは窺い知るよしもありませんが、
ただ一つ確かなのは、この齟齬の根本理由を辿っていくと、そこには自衛隊を
「軍隊ではない防衛組織」と定義付けている処の
現行憲法に行き着くということだ、
と、わたしは中の人から聞き及びました。

まあしかし、そのようなことは両組織にとってあくまでも政治的な案件であり、
ほとんどの海自・海保の隊員職員の皆さんのあずかり知らぬことだと思われます。

自衛隊内部でも陸海空で色々ある(らしい)のですから、別組織で、しかも
任務に重なる部分も多い海自と海保ではそれなりに問題もありましょう。

と言い出しておいて無難にこの話題を収めてしまう小心なわたし(笑)

さて、この日も海自&海保の友好をアピールすべく、「はたかぜ」艦上では
フェアウェルを盛り上げるために、「制服ファッションショー」を見せてくれました。

まず、左から幹部、海曹、海士の常装第1種冬服。

海曹と海士の第1種夏服、それから第3種夏服。

ピクルス王子とパセリ嬢はどちらも階級は三尉です。
それから海上迷彩の作業服ですが、一般人でも買えます(笑)

この間某航空基地に行ったら、全員がこれを着ていてビビりました。
東日本大震災の時、ブルーの作業服では一般人への認知度が低く、
自衛隊と思ってもらえずに苦労した経験からこうなったそうです。

ちなみに、この海自迷彩、よくよく見ると錨のマークが隠れています。
どこかの基地公開で海自迷彩の人に出会ったら見せてもらってください。

ここからは特殊任務の制服。
一番左は、幹部が着ている作業服だと思いますが、もしかしたら
警衛の人かもしれません。
二人防火服が続き、最後にはダイバーがいます。

フェアウェルの列の向こう側でやたら張り切って水を撒いている「はまぐも」。
先ほどタンカーの消火を行うという設定の訓練で、
実際に放水できなかったストレスを発散すべく・・・

こちら「ひりゆう」もノズルを全てぐるんぐるん動かしながらの派手な放水です。
背景にはスカイツリーが見えます。

もし本日一番印象を残した船「シップ・オブ・ザ・デイ」を一つ挙げるなら、
それはこの消防船「ひりゆう」ではないかとわたしは思いました。

沿岸警備隊の「アレックス・ヘイリー」はフェアウェルを行いませんでした。

さて、フェアウェルが終われば、解散し、各港に舳先を向けます。
「やしま」「そうや」「だいせん」はいずれも晴海出航組なので、
われわれの「いず」だけが彼らと別れて取舵です。


横浜港を出港してから東京湾の行動海域で観閲船隊と合流するまで、
ピタリと後ろをついて護衛を行っていた「のげかぜ」くんが、
船隊を離れた途端、影のように寄り添ってきました。

往路航海中、船内で後ろを警備している「のげかぜ」について、

「皆様の安全のために警備を行なっておりますので、ご安心下さい」

と紹介されていました。
海自の艦だと転落者などが出た時に救助するために同乗している
ダイバー(海保では海猿)もこちらに乗っていたに違いありません。

わたしは船尾後ろ向きのデッキにずっといて、その姿を見ていましたが、
このナイトが「いず」の後ろを付いてくる様子を例によって擬人化し、
そのひたむきさに勝手に萌えておりました。

観閲船「やしま」の左舷サイドを今日初めて見ます。
船上の人たちは今だに皆右舷側を向いてそちらに集中しているようですが、
我が「いず」でも、観閲と訓練展示の時には皆が右舷に集中し、
船が傾くので気をつけて下さい、とアナウンスされました。

これは如何ともし難いので、もしかしたら手の空いた乗員は、
できるだけ左舷側に行かされていたのかもしれません。

 

同じく「そうや」の左舷。

わたしが当初乗るはずだった「だいせん」。
「だいせん」は舞鶴の船だそうですが、今(6月17日)調べたら、
観閲式が済んだ翌日の5月21日に晴海を出港してから、
関門海峡を回って舞鶴まで帰る途中で、現在位置鳥取県沖でした。

途中で海保基地に寄港することもあったのでしょうが、
舞鶴まで帰るのに一ヶ月もかかるものなんですね。

晴海に向かう3隻との距離はあっという間に離れていきます。

「アレックス・ヘイリー」は横須賀に向かっているらしく、
われわれと舳先は同じ方向に向けています。
しかし、すぐにその姿は見えなくなりました。

最後の挨拶のつもりか、全速力で飛んできて追い抜いていった「ともり」。
これからこの小さな体で宮古島まで帰るんですね。

巡視艇の舳先が切り裂く波飛沫の作る形の芸術的なこと。

皆さん、尖閣の守りをどうぞよろしくお願いします。



続く。

 

Comments (4)

高機動訓練とフェアウェル(と宮古島まもる君)〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

2018-06-18 | お出かけ

 

海保観閲式、訓練展示の最大の山場ともいえる「テロ制圧訓練」が終わりました。

わたしが写真を撮っていたのは、この甲板の最後尾から。
上級機種カメラ持ちの「リピーター」は画面右奥を最上席と定め、
ここから撮るために早朝から並んでいたそうです。

でも、テロ制圧訓練なんかは遠くて撮りにくかったと思うな。

わたしなど「いい写真」というより「自分がその時何を見たか」を
皆さんにお伝えできさえすればそれで十分と考えているので、
今回も乗艦が始まってからだいぶ経って乗り込み、
適当に場所を決めたことを全く後悔していません。

何を撮るにもいい場所なんて観閲式にははっきり言って存在しないのだから、
朝早くから並んで場所取りするってもしかしてあまり意味がないんじゃ?

と特にこの日は思ってしまいました。

でも、テロ制圧訓練の次の「高速機動連携訓練」は、
右舷側にいなくては何が何だかわかりませんでした。

これは我らが護衛艦「はたかぜ」がこのように我々と平行に逆行し・・・、

同時に海保のPL船隊「ざんぱ」「もとぶ」2隻が斜め角に突っ込んで来て、
2隻のPLの間に「はたかぜ」が割り込み、ホイッスルの合図で
3隻全艦船が同時に回頭するという連携機動です。

が、わたしの視界に入った時にはすでにこういう状態でした。 

高速機動連携訓練の第2段階、今度は小型巡視艇が進入し、
単縦陣で我々と反行。

右舷側には人垣ができていて、こんな光景しか見えません(涙)

「びざん」「あかぎ」「つくば」の小型巡視艇三隻は単縦陣で進み・・

一斉回頭して横一列に並びます。

この一見混乱したような状態から・・・

Uターン後ピタリと舳先を揃え、横一列に並びました。

このまま「いず」の右舷側に進み、そこで一斉に空砲射撃を行いました。

これをもって総合訓練展示は全て終了しました。
ふと見ると、先ほど出演した艦船が全て後方で回頭し、こちらに向かってきます。

そう、これから海保観閲式のフィナーレ、「フェアウェル」が始まるのです。

まず、今日大活躍だった「はまちどり」。
開けたドアから乗組員(多分さっき救出された人も)が手を振って通り過ぎました。

ここからが船艇の「フェアウェル」で、初参加のわたしは知りませんでしたが、
むしろここからがみんながお待ちかね!の楽しいパレードだったのです。

ところで皆さん、このYouTube一度くらいご覧になったことありますか?

過去の海保観閲式か訓練展示でのフェアウェルだと思うのですが、
職員が四人で踊る衝撃的な「会いたかった」ダンス。

海保ダンス ‐会いたかった(AKB48)‐

何がすごいって、救命胴衣なしで揺れる巡視艇の甲板でのこの踊りですよ。

最後にフル装備のダイバーが出てきて手を振りますが、
つまりこの海猿は、

「彼女ら(彼ら)が海に落ちるかもしれないこと」

を想定してセンパーパラタス、常に備えていたってことです。

例によってこのビデオ、海外の反応サイトでも公開されていましたが、
そこに、

「ImperialJapanNavy48を結成すれば?」

というコメントがあって、ちょっとウケました。

「JCG48」だけど?
などとマジレスするのは野暮だからやめておこう。

巡視艇「ふどう」
あれ?なんか音楽が聴こえる・・・これはあの・・・・

「六甲颪」ではないか!

「ふどう」は神戸第5管区に所属する巡視艇、ということで、
全員が熱心なタイガースファンだということです。

タイガースファンでないと「ふどう」に乗れないのか、それとも
「ふどう」に乗るからタイガースファンになるのか。

それは彼らだけが知っています。

無駄にかっこよかった舳先の旗振りさん。

「おきなみ」は旧海軍駆逐艦「沖波」しか知りませんでしたが、
ちゃんと海保の船になっていたんですね。

第6管区、岡山県は水島の所属です。

晴れの国岡山」を宣伝しております。

岡山といえば桃太郎、おそらく右側の着ぐるみは桃太郎だと思うのですが、
ピンクの髪の女子は一体だれ・・・?

頭にツノって・・あんた鬼だったんか〜〜い!

桃太郎、いつの間に宿敵鬼娘とこんなことに・・。
いや、それより犬は?猿は?キジは・・・・?

続いて東京都警視庁の巡視船「あおみ」

すごくゆる〜い感じで警視庁の方達が帽振れしてます。

自衛隊とも海保とも違う佇まいは、やはりポリスマンというか刑事さんな感じ。
みなさん、海に落っこちないようにしっかり片手でバーを掴み、
腰から安全綱を後ろに結んでのご挨拶です。

よく見ると窓からピーポくんが手を振っておられる。
スーパーピーポくんに変身したら外に出られたんじゃないかな。

おまけ*警視庁公式動画より スーパーピーポくん

こちらは神奈川県警巡視艇「しょうなん」

東京税関の巡視艇「あさひ」

税関のイメージキャラクターカスタム君は、まん丸で見るからに
転落の危険がありそうな体型にも関わらず、こうして体を張って
外で手を振っているというのに、ピーポくんときたら・・・・。

宮古島第11管区巡視船「ともり」
いつも尖閣諸島の巡視を行なっているのが第11管区。
南方の守りをいつもありがとうございます。

宮古島と伊良部島を結ぶ「伊良部大橋」の宣伝をしていますね。
今改めて地図を見たのですが、宮古島って、沖縄より向こうにあって
日本の本土より台湾の方が近いかも、という島じゃないですか。

まだ今年の2月末に就役したばかりの新しい巡視艇の上で職員が踊っているのは
宮古島の「クイチャー踊り」というものだと思われます。

そして、複合艇の上にいる人物、予告編でも気になっていたと思われますが・・・、

もしかしたらこの職員さん、
まぶたに目を描いてずっと目を閉じてますか?


ところで、宮古島まもるくんとは?


【宮古島まもる君】

宮古島まもる君は、沖縄県の宮古島警察署管内にあたる
宮古列島の道路などに設置されている警察官型人形の愛称である。
宮古まもる君(みやこまもるくん)と呼ばれることもある。
2016年現在19基が設置されており、全員が兄弟という設定である。(wiki)

ちなみに19兄弟の名前は

「すすむ君」「いさお君」「たかや君」「こうじ君」「りょうぞう君」
「まさお君」「かずき君」「たくま君」「ひとし君」「あつし君」
「きよし君」「いずる君」「まさかつ君」「てつや君」「まもる君」
「じゅんき君」「としお君」「いたる君」「つよし君」

まもる君って、長男じゃなかったんだ(ショック)

 

さらに余談ですが、まもる君とその兄弟は名誉の負傷により昇進しています。

2016年2月2日、某所交差点で乗用車同士の衝突事故が起きた際、
運悪く同所立番中だったまもる君が事故に巻き込まれました。

この事故で車にはねられたまもる君は重傷を負いましたが、
入院中、
市長が黒糖持参で見舞いに訪れ、激励を行なっています。

さらに全快後、復職を果たしたまもる君に対し、日頃の立番勤務による
交通安全への貢献が高く評価されていることを踏まえ、まもる君のみならず

19兄弟全員に、警視待遇巡査長から警視待遇巡査部長に昇任するという
特進人事が付されたのでした。

( ;∀;) イイハナシダナー


 


続く。

Comment (1)

テロ容疑船制圧訓練〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

2018-06-17 | お出かけ

海上保安庁の観閲式に続く訓練展示、まず「人命救助」から始まりました。
海保の任務は「海の安全を守ること」ですが、同時に警察組織でもあるので、
次なる展示は「取り締まり」のための訓練です。

この写真もやはりKさんから頂いたものですが、使用許可をいいことに
ちゃっかり冒頭に持ってくるのだった。

しかしすごいなあ、「だいせん」からはこんな角度で見えたのか・・・。

その前に、先ほど海面から救出されたケミカルタンカーからの転落者を
ヘリコプターが洋上で巡視船に収容するため着艦を行います。

甲板に立ち着艦の指示を行う職員。
(つい隊員、と書いてしまいがちですが、よく考えたら彼らの所属は隊じゃない)
足を前後に開く立ち方一つとっても自衛隊とは違います。
こちらはダウンウォッシュで後ろによろめくことを警戒している感じ。

旗を持たず、(屮゜Д゜)屮カモーンという感じで誘導を行なっています。

着艦を行うのは「はまちどり」。
先ほど二人目の転落者を救助したヘリコプターです。

誘導員が⊂(^ω^)⊃ になっているので、これがおそらく最終着陸態勢。

海保の航空機には名前がついていますが、同じ「はまちどり」でも
1号と2号があったりしてオンリーワンの名称ではありません。
ちなみにこのヘリは「はまちどり2号」の方です。

着艦と同時に甲板でしゃがんで待機していた4名が、
救助者をヘリから降ろすために走って駆け寄っていきました。

4名で一人を手早く引き摺り下ろし、甲板で担架に乗せて運びます。
船橋の上階では放水ノズルのところに一人が配置しています。

全ては航行しながら行われ、搬送を終わったヘリはすぐに離船しました。

「とさ」とヘリコプターに我々が目を奪われている間に、船列に対して垂直に、
巡視船とゴムボートがすごい速さで近づいてきました。

なんだなんだ、悪いボートに巡視船が追われているのか?

追われているのはCL「はまかぜ」
船底が完璧に見えているこの写真からもそのスピードがお分かりでしょう。

海賊のボートに追われる一般漁船という設定かな?

・・・と思ったら、左舷に海賊マークが。
なんと追われている方、「はまかぜ」が悪役だったのです。

このストーリーはですね。

まず今上空に見えている巡視ヘリが、「容疑船」を発見しました。
何をやらかしたか知りませんが、海賊マークをつけているくらいだから
麻薬や武器の密輸とか、密漁とかを常習的にやっている船なんでしょう。

そこで、連絡を受け、現場に急行してきた複合艇2隻が
容疑船の「周回規制」を行なおうとしている←イマココ、という状態です。

複合艇のうち一隻は赤の「とまれ  STOP」という旗を揚げています。
ここで大人しくそれを見て止まってくれる船は滅多にいないと思いますが。

で、この複合艇がすごいんだよ。

硬化ゴムボートなので波をボンボン跳ねながら急ハンドル切ったりするんだけど、
よくまあ乗ってる人がこぼれ落ちたりひっくり返ったりしないなと思うくらい。

何が凄いといって、この人たち訓練だけでなくて、時々
こういう捕り物を実際にやってるってことなんですよね。

例えば去年(平成29年度)海上保安庁が送致した海上犯罪は
船舶の無検査航行や定員超過などの法令違反こそ全体の44%ですが、
34%は密漁などで占められています。

国際犯罪組織が関与する密輸、密航を水際で阻止するため、
厳格な監視・取り締まりを実地している、その最前線に立つのが
この複合艇の乗員です。

このテロ対策訓練で複合艇に乗り込んでいるのは特別警備隊、
通称「トッケイ」。

訓練そのものを「高速機動連携訓練」と位置付けています。

逃走する容疑船の周りを、2隻の複合艇は円を描きながら追い詰め、
警告しながら(というか威嚇かな)足止めを試みます。

どうですかこの機動。
首都高をかっ飛ばして日頃お巡りさんに迷惑をかけているルーレット族の皆さん、
(最近は若者の車離れで希少種だそうですが)今からでも遅くない。
心を入れ替えて一から出直し海保に入り、厳しい訓練に耐え特警になれば、
思いっきり注目を浴びながら合法的に暴走ができるぞ!

おまけに国民からは感謝され、女性からはモテモテだ。
嘘だと思ったら、ちょっと検索してごらん?

「どうやったら海保の人と付き合えますか」

「どこで海保の人と知り合えますか」

こんな切実な女性の質問が山ほど見つかるから。
まあ、この傾向は本当のところ「海猿」の影響なんですが、
どちらにしてもかっこいいんだから細けえことは言いっこなしだ。

複合艇が不審船の周りをぐるぐる回っているうちに、
監視艇と警備艇が駆けつけてきましたよ。

いやーこれ、いくらなんでも追われてる方はかなり怖いよね。

この交差の瞬間を見よ。

そして向こうからは、「みやかぜ」「あおみ」「みらい」が接近中。
なんと横浜税関の「みらい」まで捕り物に加わるのか。

ところがですね。
こんな追い詰め方をしていながら、次の瞬間、

「容疑船、規制の間隙を突いて逃走」

んなアホな。
こんな周りをぐるぐるやられてて、どこから逃走するというの?

という気もしますが、とにかくそういうシナリオです。

ここまでがテロ容疑船捕捉・制圧訓練の第1段階です。
ここで複合艇は停船命令を下す役割を船艇に交代。

正面からやってくるのが警視庁の警備艇「あおみ」

右側が「みやかぜ」、その向こうのグレーが
千葉県警本部の警備艇「暴走」じゃなくって「ぼうそう」です。

「ひりゆう」の姿が見えますが、ただ目立っているだけで
本訓練に参加しているわけではありませんので念のため。

 

この写真、アップにしてみると、右の複合艇の全員笑ってたりします。

「頑張ったけど間隙を突いて逃げられちゃったってよ〜」

とか?

「今日の走りもキレッキレだったっすね艇長!」

とか?

んなわけあるかーい!

逃げられたことになっているとはいえ、まだまだしつこく
周りをぐるぐるしている複合艇。

複合艇の上の様子がよくわかる写真。
操縦しているのは後ろで立っている人だと思いますが、
立ってる人はもちろん、全員シートベルトしてないように見えます。

こちらKさん写真。
もしかしたら複合艇、2隻固まってますか?

 
 
逃走を続ける容疑船に対し、まず「みやかぜ」が警告を行います。
船体の警告は日本語で「停船せよ」になっていますが、相手は一向に止まりません。
 
もしかしたらこの容疑船、日本語が通じないんじゃないの?
簡体字かハングルで表示してあげたほうがいいと思う。
 

それでは警告レベルをあげるしかあるまい。

というわけで、おおきく振りかぶって・・・・・・

えいやっ。

警告弾を投擲しました。

うーん、この飛距離では警告になるかどうか。
本当はもっと接近して投げるんだよね?

手投げでの警告弾にも応じないので、今度はヘリから同じものを投下。
空中の投擲された警告弾が見えますか?

 警告弾が容疑船の遥か頭上で炸裂!
うーん、これでは容疑船は警告されていることに気がつかない可能性も・・・。

本番ではもっと強力なのをどかーんってやるんですよね?

度重なる停船警告と監視網をかいくぐった、凄腕船長が操る容疑船。
見るからに怪しい男が銃を持って出てきました!

すげー。(棒)

一発で「みやかぜ」の船橋前に銃弾を命中させ、それが炸裂。
しかし、彼は日本国の警備組織がこの攻撃をもって

「専守防衛遵守済み」

となし、ここから先は

「やられたらやり返す」

つまりこれが正当防衛射撃開始の合図になることを、
知る由もなかったのである。(たぶんね)

ほーら言わんこっちゃない。
ここぞとばかりに巡視船から正当防衛射撃という名のフルボッコが始まりました。

同じ瞬間を後方から。

「みやかぜ」からは容赦無く正当防衛射撃が浴びせられます。
「停船せよ」という命令に従うまでそれは止まることはありません。

もし停船しなかったら、ついついオーバーキルで沈めてしまわないかって?

そんときゃそんときよ!

流石の海賊船も、オーバーキルだけはご勘弁。
というわけで、迫り来る全船艇の前に代表者が出てきて降参ポーズ。

「みやかぜ」船上には、保安官が三人、
武装して今にも強行接舷し乗り移る構えです。

ところで警視庁の船は、こういう時には制圧には参加しないんでしょうか。

あれ?

一瞬目を離した隙に、いつの間にか容疑船に保安官が移乗して
すでに容疑者を制圧してしまっている・・・・。

この時、アナウンスでは

「特警ではこのような場合に備え、厳しい移乗、制圧訓練を行なっています」

というような説明がされましたが、目を皿にして見ていても、
また写真をくまなく探しても、強行接舷はしていなかったと思います。


もしかしたら、この制圧している職員、容疑船の中から出てきてたりする?

まあ、観閲が行われ、船艇の列が巻き起こす波が高い中での接舷、
移乗には、とても限られた観閲時間内では収まらないくらい

時間もかかるし、また危険も多いということで省略されたのでしょう。

たとえていえば、テレビの料理番組で、

「そしてこれを煮込みます。1時間煮込んだものがこれです」

って出来上がった段階のものを出してくるようなものですね。

ちなみにこれがKさんの「だいせん」から見たお縄の瞬間。
すごいシャッターチャンス!

それに、この日はどうやら本当に移乗しての制圧をやっているっぽい。
前日と違って警備艇が強行接舷している様子です。
やっぱり日曜日は安倍総理が観覧していたからですかね。

そして海賊船は「はまかぜ」ではなく「きりかぜ」だったことがわかります。

というわけで、監視艇として参加した横浜税関の「みらい」。
訓練を終えて向きを変えました。

制圧された「はまかぜ」を先頭に、全参加船艇、これをもちまして退場です。

お疲れ様でした〜!パチパチ(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ


続く。

 

 

Comments (2)

人命救助・防災訓練〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

2018-06-15 | お出かけ

海保観閲式、艦艇の観閲が終了しました。
当ブログ的には延々とお話ししているようですが、実は船隊の
パレードが始まってから終了するまで7分しかかかっていません。

しかし進行は「ミリミリ」というわけではなく、幅を持たせてあり、
観閲が開始されたのはわたしのカメラの記録によると1414、
開始予定時間を14分も経過してからのことでした。

観閲に予定された12分のうち残りの8分で航空機の観閲が行われました。

今から観閲を受けるヘリが観閲船隊とまず逆行していきます。

この日観閲を受けたヘリは、シコルスキー76D、ベル412、
アグスターウェストランド139

そしてユーロコプターのシュペル(スーパー)ピューマ225など。
どれも自衛隊では見たことのない機体です。

これはシコルスキー、函館所属の「くまたか」

こちらがベル、広島の「せとづる」だと思います。
航空機に名前がついているのは海保ならではですね。

第5小隊の「ちゅらわし」
なんとこれ、おフランスのあのダッソー・ファルコン900なんですぜ。

ビーチ350はもちろんアメリカだし、ボンバル300はカナダ、
羽田の「うみわし」ガルフストリームVアグスタWLは英国とイタリア。

海保の航空機って全方位に気を遣っていろんな国から買ってるという印象です。

さて、ここからは放水展示が始まりました。
放水が可能な船艇が放水しながら受閲するというもの。

横浜で「いず」の一足先に出航していった「ひりゆう」がまず先頭に立ち、
「いず」の前で放水を開始しました。

続いてPC22巡視艇「はまぐも」が、なんと真っ赤な水を出しながら通過!


それにしても、この水、何で着色しているのか・・・食紅ってことはないだろうし。
・・と思ったら、本当に食紅でした。(あるサイトの報告による)

 

 

 

この「ひりゆう」さんですが、あの東日本大震災の時発生した
コスモ石油千葉製油所の火災の時に出動し、冷却放水を実施しています。

あの時、被災地に危険な任務を行うために出動していった関係機関船艇は
海保、海上自衛隊、消防庁を問わずたくさんいたわけですが、
この「ひりゆう」もその一隻だったというわけです。

あの爆発を伴う火災が鎮火したのは3月21日だったと言います。
「ひりゆう」の当時の乗員たちはその時この操舵室から
どんな景色を見、どんな気持ちで冷却放水を行っていたのでしょうか。

巡視艇「はまぐも」は毎分2,000l放水できる操舵室上の設備以外にも、
放水塔を備え、そこから毎分5,000リットルの水を放水することができます。

蛍光グリーンの水を三丁の放水ノズルから吹き出しながら行くのは
川崎市消防局所属の「第6川崎丸」

赤い色は食紅で納得したのですが、この緑は一体?
と思ったらこれも、他の色もみんな食紅なんだそうです。
食紅ってこんな色に着色できるんだなあ・・・。

まあ、アメリカのデコレーションケーキには割とよく見る色ですけどね。

第6川崎丸は消防ポンプ2基を装備しており、放水量は
一基当たり毎分11,000リットルにもなります。

訓練海域に隣接する市川市消防局所属の消防艇「ちどり」
なんとオレンジ色の水を放水しています。

4隻が色水を放水しながら航行するこの光景は、
実は海保の訓練展示ではお馴染みなんだそうです。

ところで、こちら見ていただけます?

Kさんからいただいた次の日の放水展示なんですが、
・・・・・・あれ?全部色水ではなく真っ白だ・・。

どこかから「海を汚す」とかなんとかクレームでも出たのかしら。

そしてヘリコプターの編隊飛行訓練展示となりました。

3機くらいづつヘリが編隊を組んで通り過ぎます。
前にいるのが「くまたか」、後ろが「せとづる」「はなみどり」

ヘリはこの日の天気では(当方の技術的な問題で)大変撮影が難しく、
失敗が多かったのですが、関係機関の訓練機などは全滅でしたorz

この編隊は赤っぽい機体なので、

「かもめ」東京消防庁 

「はまちどり」横浜市消防局 

「おおとり1号」千葉市消防局

の3機であろうと思われます。

ヘリ展示が終わった途端、「いず」は面舵で右に転舵を行いました。

受閲が予定海域の先端まで到達したため、Uターンし、
転舵しながら右舷側で行われる人命救助訓練を観覧するのです。

おお、いつの間に。
海面にオレンジの認識浮き輪とともにぷかぷか浮いている人が!

この日のために選ばれた「要救助者」役の職員さん。
お役目ご苦労様でございます。

と思ったら、これもいつの間にか向こうにボーボー燃えている船が!

シナリオによると、船はケミカルタンカー。
どう見ても「伊勢丸」というタグボートにしか見えないが?
などと言ってはいけません。

海上の人は、ケミカルタンカーで爆発が発生した際、
海中に転落し漂流しているという設定なのです。

ちなみにこちらがKさんにいただいた次の日の炎上中「伊勢丸」。

あー、いいなあ。
寒くても風が強くても、この天気で撮ってみたかった・・・。

火の前に人がいるのでびっくりです。

 航行中は炎が絶対に前方に来ないという前提で、
ガスバーナーのような発火装置を搭載しているのでしょうか。

「伊勢丸」・・・君は大変な仕事を引き受けたね。

そこに我らが海保の救難ヘリがやってきました。

向こうに「はたかぜ」の一部が見えます。

ヘリは海難現場の上空にピタリ!と停止しホバリングを行いました。

ちなみにこの時の受閲船体の陣形。
完璧に後方の3隻の姿が「いず」から見えるようになりました。

リペリング降下で救助隊員を海面に降ろしているのは「かみたか」です。

この懸垂下降を陸自では「リペリング」と呼ぶことについて、英語では

「Rappelling」

なので、正しくは「ラッペリング」だろう、と突っ込んだことがあります。

どう解釈して読んでもこのスペルが「リペリング」になりようがないので、
きっと最初に陸自の偉い人が間違えてそう表記してしまい、訂正しようがなくなって
現在に至る、という事情でもあるのかと穿ったことを書いたものですが、なんと、
陸自だけでなく海保でも「リペリング」が正式な名称として使われているようです。

それはともかく、そのリペリングで救難員が海面に達しました。

ヘリのダウンウォッシュが海面に円形の波を作ります。
救助員は要救助者の背中からロープを掛けています。

翌日の同じ瞬間を「だいせん」から。
向こうに見えている船は前日わたしが乗った「いず」です。

どうしてUターンを行いながら救助を見学したかがわかりました。
並列に並んだ状態では、後ろの船は海面の状況が全く見えなくなるからです。

カラビナで体をロープに固定した救助員は、ロープに引き揚げてもらいます。

この足ひれをつけている救助員が、いわゆる「海猿」な人なんでしょうか。

わたしは「いず」最後尾からこれを撮っています。
後方の「やしま」と「いず」との角度はほとんど90度?

訓練に見入る「やしま」船上の皆さん。
アンテナの前のヘルメットの三人はカメラクルーですね。

三番船の「そうや」もこんな角度で見ることができます。

「いず」は回頭を終えたので、四番船の「だいせん」と平行になりました。
先ほどのKさんの写真は、この時向こう側から撮られたものです。

救助はまだ続いています。
実はケミカルタンカーから転落した人はもう一人いました。
オレンジの発煙筒を炊いて、自分の位置を知らせています。

「はまちどり」からリペリング降下してくる救助員。

こんなこともできるよ!ということを見せるためか、
すごい角度をつけたロープを斜めに滑り降りていきます。

向こうのオレンジは先ほど救助した人のための目印。
救助された人を乗せた「かみたか」はすでに病院搬送のため離脱しています。

着水〜!

引き揚げの時もロープの角度がすごい。

無事二人目もヘリに収容することに成功しました。

さて、人も助けたことだし、次はボーボー燃えてるタグボート、
じゃなくてケミカルタンカーの消火に入らなくっちゃですね。

先ほど色水を出しながら楽しげに通り過ぎた「はまぐも」が
今度は本気と書いてマジと読む消火活動で別の顔を見せます。

・・・見せますよね?

ケミカルタンカーに接近する「はまぐも」。
いつだ?いつ放水を始めるんだ?

しかし・・・・

「この訓練では実際に放水して水をかけることはありません」

まあそうだよね。
タグボートの方も発火設備含めて船体に、火事でもないのに
毎分11,000リットルの水をかけられても困るわな。

というわけで、「ひりゆう」さんが、絶対に水のかからない距離をキープして
後ろをついていき、「はまぐも」は横を航行するだけ、ということに。

ノズルの角度をもう少し上げたら水届きそうだけどなあ・・・・。
ちょっとくらいかけたってまずくなくない?

 

続く。

 

 

Comments (4)

「はたかぜ」登場〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

2018-06-14 | お出かけ

 

海上保安庁観艦式は、横浜会場防災基地から出航した「いず」を先導として、
晴海埠頭から出航した「やしま」「そうや」「だいせん」が単縦陣になり、
受閲船隊、観閲船隊が向かい合わせに進行しながら行われます。

まず船艇の観閲式で、大型船が通り過ぎました。
続いては小型巡視船です。

ここからは第二小隊、1番船は銚子から来た
「らいざん」型巡視船、PS13「つくば」

180トンクラスで乗員は15名となっています。
舷側で敬礼しているのは10名なので、5名で操船しているということです。

船首部分には「S」マークを隠さないように、Sがプリントされた
防舷クッションが標準装備されているのが海保流。

前甲板にはまるで海自の艦艇のような兵装らしきものが。

これ、RFS(Remote Firing System)遠隔射撃システムというもので、
海保が所有する射撃指揮システム(FCS)なのです。

「つくば」の船橋部分をアップにしてみると、ベイブリッジを通過する時に
探照灯と間違えた赤外線捜索監視装置があり、その前に見える、
アンテナの立っている装置がRFS光学方位盤です。




2番船は茨城から来た PS14「あかぎ」

「海保の船の甲板は武器がない」というのはあくまでも大型船のことであり、
不審船対策に武装が必要な巡視船、巡視艇には全く当てはまりません。

先ほど出航した横浜の防災基地には、2001年に発生した

九州南西海域工作船事件

で海上保安庁の巡視船と交戦の末爆発、自沈した工作船が
引き揚げられて展示してありますが、その時の巡視艇「みずき」からの射撃は
3メートル以上の波のうねりがある中でも十分な命中精度を発揮したそうです。

もう一度「海保の敬礼」を。
全員敬礼していない方の腕を後ろに回しています。

海自は基本使っていない手は拳にしておくことが多く、
写真を撮る時にも膝に乗せる手は拳ですし、挙手の時もグーです。

海保は「手を見えないように後ろに回す」というわけですね。

3番船、徳島からやって来た同じ「らいざん」型 PS15「びざん」

「らいざん」型は昔「びざん」がネームシップだったので、
「びざん型」という型名だったことがあります。

これも海保の船文化の不思議なところで、巡視艇は管区をまたいで転勤すると、
転勤地に伴って名前を変えてしまうのです。

例えば、PS-06は

「びざん」(徳島)→「ばんな」(石垣)→「らいざん」(福岡)

ということで現在福岡にいるため名前が「らいざん」になり、
PS-06がネームシップなので自動的に同型は「らいざん」型になるのです。

第二小隊の最後はPS35「ともり」、宮古島の所属です。

「ともり」は2年前から宮古島に配備を始めた「しもじ」型巡視船で、
自身も今年の2月28日に収益したばかりの新鋭船。

なぜ「しもじ」型を宮古島に集中配備させているかというと、それは
もちろん尖閣諸島防衛を見据えてのことです。

それを考えると、なぜ船端全面に防護プレートを張っているか思い当たりますね。
これは、脱着式の防護プレートで、同型は船体も本来のアルミ合金から
高張力鋼へと変わっています。

みなさん、かつて民主党政権が公開せず、一海保職員が流出させて、初めて
国民の知ることになった中国船衝突事件の映像を思い出してください。

当時の内閣府特命大臣だった福島瑞穂が、視聴した後、

「車が道路でちょっとコツンとぶつかるような、あてて逃げるという映像だ。
(挑発行為は)離れてるし、分からなかった」

と言い放った、あのビデオです。

実際はそんなものではなかったことは、流出したビデオを見れば明白で、

それがゆえに当時の民主党政権は中国政府に忖度し映像を非公開にしたのでしょう。

その後、仙谷由人官房長官は菅内閣の意を受けて検察に圧力をかけ、
船長を釈放させるという、法治国家にあるまじきブラック内閣ぶりを見せて
国民をドン引きさせてくれましたよね。

あー、思い出すだけで血圧が上がってきた。


宮古島に配備された最新鋭型巡視艇「しもじ型」全てに、この緩衝装置が
標準装備されているのは、中国船の体当たりのようなことが起こること、
そして、何より尖閣周辺で保安官が

強行接舷

して不審船に乗り移ることを想定してのことなのです。

なお、「ともり」始め「しもじ」型巡視船には、放水設備が装備されています。
銃撃よりむしろこちらの方が海保的には頻繁に使用しているといえましょう。

続いて第3小隊の観閲が始まりました。
画面一杯の写真なので大きさの比較ができませんが、これは

35メートル型巡視艇「ふどう」(神戸)

でトン数でいうと125トンと、より小型になります。

23メートル型巡視艇 PC43「おきなみ」
横浜を一足先に出航していった船です。

こちらも船室部分は防弾設備が施されています。

ちなみに巡視船と巡視艇の違いは、前者が

「法令の海上における励行、海難救助、海洋の汚染及び海上災害の防止、
海上における犯罪の予防及び鎮圧、海上における犯人の捜査及び逮捕
その他海上の安全の確保に関する事務に従事するもの」

後者が

「基地周辺海域における上記(巡視船)の事務に従事するもの」

となり、海上巡視か沿岸巡視の違い、という位置付けです。

さて、ここからは関係機関船艇のパレードとなります。
最初に現れたのは・・・もちろん、DDG-171「はたかぜ」

観閲船の通過に伴い、舷側に並んだ自衛官たちが艦首側から順に
敬礼を行なっていくところが写真に写っていました。

この日の観閲式に参加した全ての艦艇の中で、最大級はPLH「やしま」、
5,259トンですが、「やしま」は「いず」の後ろを航走していることもあり、
わたしは「はたかぜ」の大きさにあらためて目を見張りました。

そしてこの存在感。

いろんな場所でわたしは護衛艦を含む自衛艦を見てきましたが、この日、
白と青の瀟洒なカラーの海保の船列に続く「はたかぜ」を見たときほど、
この「黒鐵(くろがね)の浮かべる城」を頼もしいと感じた瞬間はなかった気がします。

就役から32年が経過し、艦齢延伸を続けてきた「はたかぜ」に、流石に
退役が囁かれている、という噂もそう感じた理由の一つだったかもしれませんが。

 

 

 

そして何と言ってもこれ、海士のセーラー服ですよ。

海保の皆さんの活躍にもわたしは十分感謝と尊敬を払う国民ですが、
個人的な思い入れというのはここに来て如何ともし難く(笑)
頭の中で鳴り響くバーチャル行進曲「軍艦」とセーラー服の堵列に
激しく胸が高鳴るのを抑えることができなかったことを告白します。

ちなみに冒頭写真は、いつもわたしにイベント情報を送ってくださり、
ご自身も参加して写真の提供を許してくださるKさんが、
この翌日の観閲式で
「だいせん」から撮った「はたかぜ」の雄姿です。

見てもお分かりのように、翌日は素晴らしい晴天でした。
写真を撮る立場からは全く羨ましいコンディションだったのですが、
とにかくこの日は海上は風が猛烈に強く、皆震え上がったということです。

パレードの2隻目、

漁業取締船 「はまなす」水産庁

消防艇「みやこどり」 東京消防庁

しつこく「はたかぜ」の後ろ姿をカメラで追いかけてしまうわたし(笑)

信号旗は「RY」を揚げているのでしょうか。
そして「JSOZ」は「はたかぜ」のコールサインと見た。

例年外国の海上保安機関から、パレードに参加することになっているようです。
というわけで、ユナイテッドステイツから、

「USCGC アレックス・ヘイリー(WMEC-39)」

沿岸警備隊には、コーストガードアカデミーの見学のために、わざわざ
東海岸はコネチカット州のニューロンドンまで行ったことがあります。
ここでお話しするために、その歴史を調べてかなり詳しくなったつもりなので、
日本でこの白いカッター(沿岸警備隊の船の呼び方)を見ると、大変親近感が湧きます。

なにしろわたくし、自慢ではありませんが、

「センパーパラタス( SEMPER PARATUS)」

というコーストガードの公式歌も(歌詞を見れば)歌えちゃったりするもので。

それはともかく、さすがの「常に備えあり(センパーパラタス)」な皆さんも、
言っちゃーなんだが所詮アメリカ人、やっぱりカッターのサビはほったらかしかい。

 

搭載ヘリは赤一色、大変目立ちます。

ちなみに「アレックス・ヘイリー」の母港はアラスカだそうですが、
わざわざアラスカからやって来たんでしょうか。

それともたまたま第7艦隊に勤務でやって来ていた?

マストの大きな星条旗が実に美しいですね。
揚げられている信号旗は「NZPO」、当カッターのコールサインです。


船艇パレードの最後は横浜税関の監視船「みらい」と、
千葉県警察本部の警備艇「ぼうそう」

なぜかぼんやりしていて単体の写真を撮り損ねました。

この写真の最後尾にいるグレーが「ぼうそう」、白い船が「みらい」です。

このまま全艦船向こうに行ってしまうのかー、と寂しく思っていたら、
とんでもない、今向こうを向いて航行している船のほとんどが、
この先でユーターンしてもう一回姿を見せてくれることになっていました。

船艇および護衛艦の観閲式は終わりましたが、実は

"YOU AIN'T SEEN NOTHIN' YET!"
=お楽しみはこれからだ!

・・・・・だったのです。

 

続く。


Comments (3)

観閲始まる〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

2018-06-13 | お出かけ

 

平成30年海保観閲式にわたしが乗り込んだ巡視船「いず」は
「プップ〜〜〜」という出航合図とともに横浜の
第3管区海上保安本部の岸壁から出航いたしました。

出航時間は1200。
海保でもこれを「ヒトフタマルマル」というのかどうかは知りません。

出航するとすぐ、横浜のベイブリッジ下を通過することになります。
この頃には舫は皆大きなドラムに巻き取られています。

甲板で作業している乗員の中には一人若い女性保安官がいて、
年配の乗員から作業後何か指導を受けているように見えました。

この灯台、ちゃんと名前がついています。

横浜外防波堤南燈台。

人がいますが、この防波堤は陸とは繋がっていないので、
燈台の管理者で、保守点検を行なっているものと思われます。

「いず」、ベイブリッジ下を通過中。
巡視船はわたしがここから出航した時に乗った「ひゅうが」ほど大きくないので、
通過の時にもさほど「ギリギリ感」はありません。

ところで海保の船にはこんなところ(船橋ど真ん中)に探照灯があるんですね。

ベイブリッジの下には通路があることを初めて知りました。
この通路をスカイプロムナードといい、写真右側の橋の下にある
スカイラウンジまでここを通っていくことができた時期があったのです。

横浜スカイウォーク

あった、というのは営業不振で2010年にはラウンジとともに
プロムナードの通行も廃止してしまったからだそうで・・。

残念、一度行ってみたかった、と思ったのですが、どうやら
来年あたり復活するという噂もあるそうです。

船内放送では、船が通過する際に現れる施設や構造物について、
観光案内のように詳しくアナウンスがされます。

向こうの近未来的?な建築は「横浜シンボルタワー」。
階下にある本牧船舶通航信号所より情報や信号を送り、
横浜港に出入りする船舶の交通整理をしています。

タワーは展望室や展望ラウンジがあるようです。
こちらから見るとドーナツの形のような部分、実は半分しかありません。

横浜港に入港する船は皆このブリッジ下を通過することになります。
海中に立てた標識灯?

もしかしたら海面が赤のゾーンに来ていたら大型船は
ブリッジをくぐれないとかそういう目印?

しばらく外にいましたが、わたしは行動海面に到達するまでの間
体を休めておこうと、先ほどチェックした休憩室にやって来ました。

実はこの日の気温は非常に蒸し暑く、出航するまでは服の中で
汗がぽたっと落ちるのを感じるくらい不快な湿度だったのに、
出航したらいきなりデッキは強い風に吹かれるという状態、
昨日から色々あってすっかり疲労困憊していたわたしは、
船内の、クーラーの効いた空間に座って仮眠をとることにしたのです。

モニターがあり、そこでは海保の活動を紹介するビデオと、
海保学校入学式における安倍首相の祝辞が繰り返し放映されていました。

同じ会議室の一隅では、海上保安庁へのリクルート説明が始まりました。

部屋に入ってブースを覗くと、案内の保安官は喜んで?

「ぜひ知り合いの方に勧めてください」

とパンフやボールペンをくれました。
そのパンフレットによると、自衛隊の防大にあたる教育をし、
幹部職員を養成するのが広島県呉にある「海上保安大学校」。

4年間の教育の後、江田島の幹部学校にあたるのが
六ヶ月の専攻科と三ヶ月の研修科です。

これに対し、専門技術を持つ専門職を養成するのが舞鶴の海上保安学校。
保安大学は卒業したら三尉にあたる三等海上保安正からキャリアスタートし、
保安学校は一等海士にあたる三等海上保安士から始まります。

二等海上保安士が海士長、一等保安士が海曹という具合で、
海自と違い、幹部より下の階級分けが少ないみたいですね。

ちなみにこの時同時に配られたお知らせによると、8月末、
横浜港に練習船「こじま」が保安官志望の高校生などを対象に
海保大学の説明会と練習船内の見学を行う予定だそうです。

気がつけば、近くをPC01「まつなみ」が航行していました。

巡視船にしては上にたくさん積んでいる印象だなあと思ったら、
やはり貴賓室を備え迎賓艇としての機能を持ち、要人輸送用だとのこと。

パンフレットのどこを見ても「まつなみ」が参加すると書かれていません。
もしかしたら誰か偉い人をこっそりどこか(やしま?)に運んだ後だったとか。

ちなみにこの船、風の抵抗を多く受けるデザインなので操船は難しいそうです。

「まつなみ」が見えるころ、「いず」の後方を
一羽のカモメが追いかけるように飛んでいました。

「いず」の後部にピタリと付いて、一定の速度で飛んでいます。
あまりに真剣な様子なので、つい写真をいっぱい撮りました。

休憩室で柱にもたれて仮眠をとり、さて、そろそろ、と
下甲板後部デッキから観閲式等を見学することにしました。

折しも晴海から1時に出航した「やしま」「そうや」「だいせん」が、
こちらの航跡につこうとしているところでした。

4隻が単縦陣で観閲を行います。
観閲船は「やしま」。
ということは「いず」が先導船ということですか。

チケットをなくさなければあの後ろの「だいせん」に乗ってたんだなあ・・。
なんだか不思議な気分です。

この写真でよくわかりますが、海保の船は舷梯を全部片づけず、
折りたたむだけで舷側にぶら下げるようにしたまま航行するんですね。

三番船の「そうや」は名前からもわかるようにあの「宗谷」の後継船で、
「だいせん」「やしま」との形の違いが明白ですが、これは
海保の所有する巡視船の中では40歳と最も古い船だからです。

あの「宗谷」についで古く、海上保安庁向けに建造されたものとしては
初めてヘリを運用能力を有する巡視船でした。

また「宗谷」の後継ということで、巡視船の中では唯一、
砕氷船としての能力を備えていると言うことです。

「やしま」の観閲台をアップにしてみました。
胸に花飾りをつけた主賓とその横の海保長官まではっきり見えます。

この日は皇族のどなたかだと聞いた記憶がありますが、
この写真からではわかりませんね。

甲板上には「いず」と同じように観覧用のパイプ椅子が並んでいますが、
はっきり言ってこの椅子に座って写真を撮るのは不可能です。

ところで、カモメ君の追跡はまだ続いていました。
このように別の飛翔体と一緒に写るような高さに上がってみたり・・・・・・、

そうかと思えばガダルカナルで対空砲火の中を飛ぶ一式陸攻のように
海面ギリギリを這うように飛んでみたり。

真正面からのカモメの顔、ちょっと面白いのでアップ。
このカモメ君、なぜこんな一生懸命ついて来てたんだろうなあ・・。

とかなんとかカモメで時間を潰していたら、観閲が始まりました。
受閲船隊、第一小隊の1番船は、先ほど横浜港で一足先に出航した
巡視船「あきつしま」

広い後甲板を見てもわかるように、ヘリを2機搭載することができます。

2番船、「えりも」型巡視船 PL08「とさ」
1000トン型巡視船で、もちろん高知からの参加です。

3番船、「くにがみ」型巡視船、PL13「もとぶ」
「とさ」と同じ1000トン型巡視船ですが、フェンネルの数が一つ。

舷側には正装の保安官が観閲官に対し敬礼をしています。
で、この「海保式敬礼」、どことなく海自式とは違うように感じました。

どこがと言われても口では言えないのですが。
海自(出身)の方、どう思われます?

4番船、「くにがみ」型巡視船 PL84「ざんぱ」

最初に見たとき「ざんぱ」って一体どこの地名?と思ったら、
沖縄県読谷村(よみたんそん)の残波岬なんだそうです。

この時、右側の「観閲船隊」に対し「受閲船隊」対面ですれ違うような陣形です。

第一小隊の最後に、ハデなのキター。
その少し前に体験航海で乗り組んだ「まきなみ」から東京湾で見た、
HL01 測量船「昭洋」です。

「昭洋」は本庁所属なので「東京」と書かれています。

なんだか盛り沢山に色々搭載していると思ったら、なんと
測量艇と小艇計4隻もダビッドに吊っているんですね。

赤いのが機動測量艇(昭洋1号艇)と特殊搭載艇「マンボウII」(昭洋2号艇)で、
このダビッドはミランダ式といいます。

「マンボウII」は活動中の海底火山近傍など、危険な海域では
遠隔操縦での無人運用も可能です。

同船は技術的に革新的な仕様を多く取り入れており、竣工時、

シップ・オブ・ザ・イヤー’98」

を受賞したそうです。

こんなのどうせ自衛艦はもらえないんだろ〜?
と思ってページを開いて見たら、なんと2009年に「しらせ」が受賞してました。

 

ところで、どうも海保の船の命名基準というのはよくわかりません。

特にわからないのが、ひらがな船名と漢字名が混在していることです。

測量船のHLクラスは「拓洋」「明洋」「天洋」など「洋」シリーズですが、
HSクラスの「はましお型」はまた平仮名。

「はましお」「いそしお」「うずしお」「おきしお」「いせしお」
「はやしお」のあとはいきなり海峡の名前になって「くるしま」

なんでやねん。
船名に厳格な基準を設けていないからこうなるんでしょうか。

 

さて、第一小隊では比較的大型の巡視船がお目見えしましたが、
第二小隊は180トンクラスの巡視船が登場します。

 

続く。

 

Comments (5)

出航〜海上保安制度創設70周年記念 観閲式および総合訓練

2018-06-12 | お出かけ

 

本年度の海保観閲式、チケットをゴミと一緒に捨ててしまうという
情けないミスをおかしながらも、捨てる神あれば拾う神あり、
(今回捨てたのは自分ですけど)なんとかチケットを手に入れて、
横浜港から巡視船「いず」に乗り込んだわたしです。

この甲板はもらった案内図によると「船首楼甲板」と言います。
この言葉も、海自の艦では聞いたことがありません。

構造物の真ん中を通る廊下には、「いず」関わったの活動が写真で紹介されています。

(左上)有珠山噴火災害

(左下)三宅島噴火災害

宮城県沖地震(左から2番目上下)

中越沖地震、

東日本大震災、

伊豆大島土砂災害救援

の他、不審船の発見や、沖ノ鳥島工事作業員が死亡行方不明になった際、
海南対応を行ったなど。

21年10月には、転覆した第一幸福丸の船内から
海難救助を行うなどの活動も行いました。

この廊下の向こう側は、医務室となっています。
災害派遣されるので、広くて設備の充実した医務室を持っているのです。

これは手術台と酸素吸入器、気管内吸入装置などですが、
手術台は二台あり、同時に2名をケアする事も可能です。

廊下から中を覗き込み、「見学してもよろしいですか」と聞くと、

「どうぞどうぞ!」(本当にこう言った)

とドクターが超フレンドリーな雰囲気で招き入れて下さいました。
ドクターは東京都下で開業しておられる内科医で、海保の非常勤医師。
観閲式のようなイベントには必ず船医として乗り組んでおられるそうです。

お爺様も海保船医でいらしたということで「爺孫二代」海保船乗組だとか。

海上保安庁は自衛隊のように独自の医師養成組織を持たないので、
非常勤で医師を採用(週1日とか)しているんですね。

非常勤医師の募集要項を見つけたのですが、時給は2,260~5,020円で、
資格はもちろん「日本国籍を所有する者に限る」となっていました。

海自の「かしま」に当たる訓練保安士練習船「こじま」では、遠洋航海の際、
その都度乗り組む医務官を募集しています。
海保の遠洋航海も海外に行きますが、期間は三ヶ月ほどとなります。

ドクターの隣は国家資格をもつ救急救命士であろうと思われます。

ベッドも二台。
ここで二人重症患者を寝かせられるのは当然ですが、「いず」は大災害の時
多数の人員を収容することができる作りとなっていて、たとえば
船にしては妙に広い廊下も、いざとなったらずらっと人を寝かせるためだそうです。

これは蒸気湯沸かし器。
ここで手術や処置を行うことになった時、大量に必要となるお湯を沸かします。

医務室には廊下からも外側のデッキからも入れるように
ドアが二箇所に設けられています。

とてもにこやかで明るいドクター、聞くとなんでも答えていただけました。
内科が専門だということだったので、

「必要な場合は手術もなさるんですよね」

と伺うと、歯科治療以外はなんでもします、とのことでした。
船医というのはいわば総合専門医でないと務まりません。

 

出航直後、ドクターはおそらく船内をくまなく歩いて、
酔い止めがいるかどうか皆にコールして回っておられました。

ダイジェストでもお話しした、「ひりゆう」が動き出しました。
この面妖なバランスの船体、放水専門の「ひりゆう」くん、
訓練参加船として一足先に行動海面に出発です。

船内を一通り見終わって(というかそんなに見てまわるほど公開されてない)
とりあえずは船首楼甲板で船首の様子を偵察、じゃなくて確認。

うーん、違う。自衛艦とは景色が全く違います。

大きなウィンチ、キャプスタン、出入港作業のための機械類が
所狭しと並んでいる甲板。

そうか、自衛艦と違い、海保の船はここに武器を置く必要がないんだ。
当たり前のようですが、これは目からウロコの発見でした。

甲板が腰くらいの高さの囲いに囲まれているというのも、考えたら
自衛艦とは設計思想が全く違うからです。
艦そのものが武器として機能する自衛艦は、たとえば甲板が無人になり
CIWSやVLSを発射することを前提に設計されているわけですから。

こちらが商船や一般の船に近い、というより自衛艦というものが
いかに特殊であったかに、此の期に及んで初めて気がつきました。

水陸両用バスの観光客は、皆こちらの写真を撮っています。
昔ロイヤルパークホテルに泊まった時、真下の海でこのバスが航海訓練しているのを
ずっと部屋から見て楽しんだことがあります。

こんな機会でもないとお見せすることはまずないと思われますので、
その時の写真をここで無理やりアップします。

一台が先生、一台が生徒らしいです。

生徒バス、これから上陸の実地練習を行います。

先生「よし、行け!」

生徒「はいっ!」

「我レ突入セリ」

上陸ランプには進入のための目印の杭の間を通らなくてはなりません。

上から見ていると楽そうですが、実際に運転している者にとっては
針の穴を潜るような気分なのに違いありません。知らんけど。

はい、無事に上陸〜。

この時に練習していた運転手がこの時のバスの運転手と同じ人だったりして。

続いてPC43、巡視艇「おきなみ」が出航していきました。
「おきなみ」は第6管区水島(倉敷)所属、
この3月に就役したばかりのピッカピカの新造艇です。

前日に横浜にきて一泊してからの出航でしょう。

こちらも「前乗り」組、神戸から来たPC55「ふどう」

自分のためにもう一度書いておくと、PCは「パトロールクラフト」。
「いず」などのPLはパトロールベッセルのラージを意味します。

「ふどう」は「よど」型の巡視艇です。
一体命名基準はなんだろう、と思って同型艇を調べてみると

ことびき、なち、りゅうおう、ぬのびき、りゅうせい、
たかたき、あおたき、みのお・・・・

これは間違いなく命名基準は「滝の名前」でしょう!

甲板での作業がよく見えるように、構造物を一階上に上がりました。
折しも出航作業のため人がたくさん出て来ています。

柵から乗り出して手すりを掴み、外を確認しながら
舫の引き揚げを・・・あれ?こちらは舫のある方じゃない・・・。

甲板全部を使って張り巡らされた舫は、大きな巻き上げ機で
巻き上げられているのが目で確認できます。

 

海自は舫を掴んで皆で走って引っ張ったり、着岸の前には
サンドレッドを投げたりして(それは海保も同じかもしれませんが)
体を使う場面が多いと感じるのに、観艦式や一般公開で甲板の運要員は皆、
「準正装」というべき制服を着込むのが普通です。

しかし海保はカポックにヘルメット、といかにも作業員そのもののスタイルです。

その時個人所有のボートが物珍しそうに横を駆け抜けました。
いや、ご自慢のボートを観閲式の一般客に見せびらかしに来たのかな?

もちろん海保も、岸壁と船体の間を監視するなど、
人間にしかできない作業ばかりです。

「いず」には子供の姿がたくさんありましたが、いずれもお揃いの
制服を着て、海洋少年団とかシースカウトではないかと思われました。

今回、海保観閲式に参加した人たちの口から、全く別々にわたしは

「(海自と比べて)出航まで作業に時間がかかりすぎる」

という辛口の批評を聞きました。

もしそうなのだとしたら、逆説のようですが、ほとんどを手でやってしまうのと、
機械に多くを任せるやり方の違いに起因するのかもしれない、いう気がします。

わたしが決定的な違いを感じたのは、海保の出航作業が文字通り
「作業」だとしたら、
海自のそれは「儀式」と呼ぶに相応しく、
「定形」を踏まえて行なっているように見えることです。

儀式に見えるのは、海軍伝統を継承していることからくる印象、
と言ってしまえば
それまでですが、いかに海上自衛隊といえども
徒らに因習を墨守する意図でやっている訳ではないでしょう。

海自が出入港作業をほとんど海軍時代と変わらぬ方法で行なっているわけは、
おそらく、彼らが乗っているのが海軍時代とおなじ「軍艦」だからです。

古より干戈を交えた時代を経て代々受け継がれ、研ぎ澄まされてきた作業は、
恐ろしく合理的で、武器を搭載することが第一義の甲板で行うことを考えれば、
これが最良の方法であり、それがゆえに変える理由もないのでしょう。

かたや、船の甲板を埋め尽くす機械で舫を処理する海保のやり方は、
安全で確実な出入港のために考えられた最善の手段であり、むしろこちらが
「普通」なのだということを、わたしは眼下の光景を見ながら思っていました。

岸壁で出航の見送りをする予定の海保職員たち。
整列はしていますが、待ちポーズは様々です。

巻き取られる舫を当分になるようキャプスタンに巻きつける職員。

船端から下を確認するために乗り出すため足を乗せる台、
その際手で掴む手すりも最初から装備されています。

そして出航。船体が岸壁から大きく離れだしました。
海保はラッパではなく、こんな合図で出航をします。

海上保安庁巡視船 船内達し事項 『出港用意!』

「ぷっぷー」

「出航」「出航用意」

それから舫を外すようにアナウンスがあります。

海保も「帽振れ」を行います。
この時の姿勢も特に厳密には決められてはいない模様。
腕を下ろしている人あり、後ろに回している人あり、
足の開き方もまちまちでフリーダムな雰囲気です。

あかちゃん含む家族と一緒のところで帽振れしていた職員。

出航作業を岸壁で行なっていた人たちは帽振れではなく「手触れ」です。

 

さて、海上保安庁観閲式および訓練に向かう我らが巡視船「いず」、
いよいよ横浜を出航しました。

 

続く。

Comments (4)

乗艦〜海上保安制度 創設70周年記念観閲式及び総合訓練

2018-06-10 | お出かけ

掃海隊殉職者追悼式についてのご報告も終わり、ようやく
海保観閲式の話題に戻ることができます。

ところで、当ブログエントリのカテゴリーには、海保の観閲式を
カテゴライズするものがなくて、どうしようと悩んだ結果

「お出かけ」

にさせていただきました。
海自でも海軍でもないので、いまいち納得いきませんが仕方ありません。

 

さて、今回は5月18日の出来事からお話します。

少し前に海保観閲式のチケットを鉄火お嬢さんから回していただき、
初めての海保関係のイベントに参加することに心躍らせながら、

「さて、チケットの確認をしておこうか」

と思ったのは観閲式前日の夕方1650くらいのことでした。
ところが、

「・・・・・あれ?」

チケットが入っている緑の封筒が、いくら探してもありません。

しばらく血眼で探した末、どうしても見つからないので鉄火さんに相談。
もうこの時には、誰かが見たらわたしの顔は蒼白になっていたと思います。

すぐに鉄火お嬢さんは、チケットを回してくれた方に連絡を取ったり、
通し番号はわかっているので、海保の偉い人から話をつけてもらうとか
アイデアを出して下さったのですが、(本当にご迷惑をおかけしました<(_ _)>)
如何せんその時には官公庁の業務は終了しており、確認の取りようがありません。

 

そもそも、どうしてチケットがなくなったかというとですね。
捨てちゃったんですよ。ゴミと一緒に。

それを確信したのは、鉄火お嬢さんが送ってきてくれたのと類似の
緑色の封筒、しかも捨てたと思った封筒が書類入れから出てきた時でした。

この捨てていい封筒の代わりに、チケット入りの方を紙ゴミにまとめ、
その日の朝、ゴミ集積所に持っていったのです。もちろん自分でね。

こういう時、心底自分が嫌になるわけですが、とりあえず最後まで諦めず、
足掻くだけ足掻いてみようと、わたしは、やはり
海保の観閲式に行くとおっしゃていた知人に事情を話し相談しました。

「どなたか海保の偉い人ご存知ないですか?」

チケットの現物がなくとも、偉い人の鶴の一声で、通し番号さえあれば
乗れるような超法規的措置は取れないか、と考えたわけです。

 

この知人というのは、自衛官なら知らない方はいないというくらい、
粉骨砕身、昔から私心なく自衛隊を応援しておられるNさんという方です。

昨年の横須賀地方総監部での練習艦隊帰国行事の時、たまたま
隣同士に座ったのがご縁で、おつきあいさせていただいているのですが、
交友範囲のとにかく広い方なので、もしかしたら、と思ったのでした。

すると、Nさん、

「もしよろしかったら余っているチケットお使いになりますか」

 

ゴミ集積所までいって、すでに資源ごみが回収されたことを確かめてから、
わたしは鉄火お嬢さんに平謝りし、急遽このNさんと一緒に
横浜港から出航する「いず」に乗ることになったのでした。

ちなみに失くした方は「だいせん」の乗艦券でした。

海自の観閲式であれば、朝一で並んだりするわたしも、
急遽余っていたチケットをいただくことになったからには、
Nさんが提案された、1030(ちなみに1000乗船開始)に桜木町駅前集合、
それから歩いて海保基地まで、という予定に大人しく?従う他ありません。

駅前から海保基地まではこの「汽車道」を通っていきます。

昔このブログにも書いたことがあるのですが、明治年間に開通した
貨物列車の線路を残してプロムナードにしているのです。

線路道を跨ぐようにデザインされた「ナビオス横浜」。
まっすぐ行くと赤レンガ倉庫に到達します。

海上保安庁の防災基地は、赤レンガの真横に位置します。

門内に入り、埠頭を歩いて行くと、骸骨のマークをつけた
警備船がいました。

海賊退治?の展示を行う際の「海賊役」はここから出航していたんですね。

海賊マークの巡視船は全部で3隻いました。
海保の観閲式について詳細与り知らぬわたしにも、この旗をつけた巡視船が
どういう役割か想像がつき、ワクワクしてきたものです。

「海保の観艦式ってもしかしたらものすごく面白いんじゃ・・?」

岸壁の向こうに今日乗船する予定の「いず」が見えてきました。

この日は朝からどんよりとした曇りだったにも関わらず、何も考えずに撮影し続けた結果、
このように写真が悉くお見苦しくなってしまったことをお詫びします。

乗艦前には「いず」の前のテントで受付とボディチェックを行いました。

しかし、この受付とセキュリティチェックを通ってわたしは思いましたね。

「チケットがなかったらこれ絶対入れてもらえなかったわ」

例えば通し番号のメモを見せて、

「チケット失くしてしまったのでこの番号でよしなに」

と訴えたところで、ここにいる人のほとんどは、そういうことを
独断で
決定する権限など持っていそうにない職員です。
たとえ奇跡が起こって海上保安庁長官に連絡がついていたとしても、
それを証明する書類でも持っていない限り、

「チケットを持っていない方をお乗せすることはできません」

で終わってしまったに違いない、と。

まあつまり、Nさんに連絡を取ったのは正解だったということです。

乗船はもう1時間も前から始まっていたので、船上にはかなりの数の人が見えます。

いよいよ乗艦、じゃなくって乗船。
海保は巡視船なので大きさにかかわらず「船」と呼びます。

たり前ですが海保の船、自衛艦とは随分色々と違います。

これはボートを揚げおろしするためのデリックのブームだろう、
ということくらいはわかりますが、ブームに「古河ユニック」という
クレーンの専門会社の企業名が大きく入っているのも不思議な感じ。

ブームの角度を表すケージ、針が稼働しているかどうかは謎。

甲板にまず出てきました。
哨戒、じゃなくて巡視ヘリコプターを搭載するという構造上、
ヘリ搭載艦に似ていますが、構造物の上の景色は決定的に違います。

CIWSも三連装魚雷ももちろんアスロックも当然ですがありません。

そのことに軽く驚きを感じる、というのも、わたしがすでにどっぷりと
海上自衛隊文化に首まで浸かっていていることを意味します。

と思ったら、武器があったー!

掃海艇などでもおなじみ、M61バルカン砲が。
海保の巡視艇にはあらゆる事態に備えて兵装を施してあるのですが、
あくまでも「護身」「警告」を目的としたものとなっています。

航空機を撃墜したり、艦船を沈めたりする必要はないので、
発射の威力もかなり落としてある、と聞きましたが確認してません。

また、船体をステルスにする必要も全くない巡視船は、
塗装も目立ちやすい白と青、そして部分的に赤を使ったりします。

わたしなどそもそもこの赤の部分がなんなのか、想像すらつきません。

熱狂的な海自フリークの知人女性は、

「白はダメ。グレーのフネでないと萌えない」

ときっぱり言い切っておりましたが、わたしはそこまでではありません。
グレーへの偏愛はもちろん既定路線ですが(笑)
それはそれとして、
海保の白と青の船って視覚的に実に美しいと思うんですよね。

そう、こういうのを見ると、胸のときめきは抑えがたいものがあります。
おわかりいただけますでしょうか。

フェンネルのブルーに記されたマーク、そして

「Safety」

「Search and Rescue」

「Suvey」

「Speed」

「Smart」

「Smile」

「Service」

の7つのモットーを表す「S字章」、(ちょっと盛り沢山すぎる気もしますが)
「Japan Coast Guard」の表記、全てが「ネイビーブルー愛」を掻き立てます。

ちなみにこの時、PLH32「あきつしま」は、受閲船隊を編成するため
一足先に行動海面に出発していくところでした。

海保の観閲式は、海自とは違い、受閲船に人を乗せません。

海自もできればそうしたいところなんでしょうけど、年々観艦式に
応募してくる人数が増える一方の現状では致し方ないのでしょう。

わたしとNさんはまず船内見学に出かけました。
一般客への公開を、海保は甲板と一部のキャビンだけに制限していて、
操舵室などには立ち入り禁止されています。

その代わり、上甲板階の広い部分(大会議室らしい)を解放して、靴を脱ぎ、
休憩ができるようなスペースを作ってくれていました。

丸窓も、護衛艦などでは艦長室でしか見たことがありません。
こんなものを珍しがっているのは多分わたしくらいだったと思います。

どこかで見たことがあるような佇まいだなあ、と思ったら「宗谷」でした。
会議室から出ると広い廊下が通っており、ドアが並んでいます。

ここで、Nさんがドアを開けて中から出てきた保安官を捕まえ、

「中を見せてもらえませんか」

といきなりお願いしました。

「いいですよ」

細マッチョイケメンの保安官は実に快くドアを開けてくれたのですが、
ベッド一つに執務机の、言うなれば空母「ミッドウェイ」の
飛行長クラスの大きさの部屋で、その広さにびっくりしてしまいました。

「こんな広い部屋に一人なんですか!」

聞いて見ると彼は3等保安正とのこと。

「海自だと三尉ですね・・・・うーん・・・」

Nさんも流石に驚いています。
よっぽど乗る人数が少ないのかと思ったらそうでもなく、(最大時110名)
これは海自でいう士官以上の特権のようでした。

「保安正って皆個室がもらえるわけですか」

「わたしは海保大学を出ているのですが、教育機関ではタコ部屋生活でした。
夜はいびきの合唱でしたね」

曹士に相当する保安士と保安士補は(初めて聞いたよこの言葉)
「いず」の場合下甲板の居住区で寝起きすることになっているようです。

もしかしたら海上保安庁、旧海軍より士官特権が大きい・・・?

 

乗艦するなり海自とのカルチャーギャップのカウンターパンチに見舞われ、
いろんな意味で衝撃の多い海保体験となりそうな予感がしてきました。

さて、これからどんな航海が待ち受けているのでしょうか。

 

続く。

 

 

Comments (3)