ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

殊勲艦〜実験開発潜水艦「ドルフィン」AGSS-555

2018-01-31 | 軍艦

さて、前回この実験潜水艦「ドルフィン」が遭遇した事故と、
最悪の状態から死傷者をゼロにし艦体を失わずに済んだのは
一人でポンプ室で排水を行った機関士の働きのおかげ、ということを
お話ししたわけですが、その原因は魚雷発射管の扉の故障でした。

艦内から魚雷を外に撃つ仕組みというのは、魚雷発射管に魚雷を装填した後に
扉を閉め、管内に水を注入してから前扉を開けるというものです。

魚雷発射管から海水が逆流してきたという状況には間違いがないと思うのですが、
英語での解説によると

when a torpedo tube door gasket failed, and the boat began to flood.

となっているので、どうやらドアのパッキンの不具合のようです。
つまり、魚雷発射管のドアを閉めているのに水が入ってくる、どうして?
となった可能性がありますね。


機関士の献身的なダメージコントロールのおかげで沈むのを免れた「ドルフィン」は、
その後サンディエゴで3年半に及ぶ修復工事を受けました。
その後任務に復帰したのですが、一年も経たないうちに海軍は退役を決めています。

この理由はなんだったのか、なぜ50億円以上もかけて修理したのに
わずか1年で運用をやめなければならなかったのかはあまり詳しくわかりません。

修理したもののどうも調子が良くなかった(一度海水に浸かってしまった機器類に
不具合が出るのは当然)ということも考えられますが、わたしはむしろ海軍としては
一度海水が流入した潜水艦を実験艦として使うことはもうできないとしながらも、
せっかくヒーローが命をかけて沈没から救った艦体を無下にスクラップにするにしのびず、
とにかく使えるようにして再就役させることにしたのだと踏んでいます。

1年、つまり形だけ使ってもういいよね?って感じでこの金食い虫(運用費が年20億円)
を仕方なくといったていで退役させたのではないでしょうか。

さて、続きと参りましょう。

このドア(丸窓がついていたところ)はここから外に出入りできるようになっており、
全ての乗員と全ての物資はこのセンターハッチを通りました。

もし大型の機器類を搭載する場合には、分解して小さくするか、主要構造物の場合には、
艦体をカットして運び入れることもありだったそうです。

今回わたしたちが通ってきた入り口と出口はここに展示されるようになってから
見学者のためにつけられたものでもともとはありません。

「ドルフィン」には外付けの換気口があり、海上航走などの際に
エンジンルームに空気を送っていましたが、
潜航中のエンジンを動かすためのシュノーケルはありません。

開口部はブリッジ部分へと繋がっており、そこには通信機器やsound-powered phone
(外部電源を使用せずに、ハンドセットを使用して話すことができるデバイス)
などがあります。

いかにも冷戦時代の潜水艦内部ですが、1968年の就役ですから当然です。
つまり、そろそろお役御免という2002年になって事故を起こしたのですから、
やっぱり本来はそこで廃艦のはずが、命をかけて艦を救った機関士に免じて
あえて修理して1年間だけ使ったというのが正解のような気がしてきました。

だとすると、アメリカ海軍というのは情を汲む組織というか、
「ヒーロー」というキーワードにはあくまでも敬意を払うんだなと思います。

この部分はバラストコントロールやベント、
非常用のバルブ操作スイッチなどがあるパネル類です。

電源パネル。ウィットモア社製品です。

アンプなど電気関係パネル。
それにしても、この前にみたソ連の潜水艦とはほぼ同時期に建造されているのに、
この違いというのは一体なんなのでしょうか。

建造にかかった期間も4年(ドルフィン)に対して2ヶ月(ソ連潜)です。

時代を感じさせるスライド式のスイッチはエンジンの状態をチェックするもの。

個室のデスクに星条旗柄のリボンとともに置かれた白いヘルメットには

「コマンディングオフィサー USS ドルフィン」

とあります。

こちらはお手洗い。
手は?手はどこで洗ったらいいの?

アクリル板で塞がれたハッチがありました。
左に二本のレールがありますが、ここを両手で握って、ハッチ下の
梯子段に足を乗せ、上り下りするわけです。
一度実際に入ってみて知ったのですが、潜水艦の上り下りはこのように、
ハッチを密閉する必要から梯子が繋がっていないのが普通みたいですね。

一人だったらもう少し丁寧に下の階を撮ったのですが・・

しかも左側壁のバーを掴んで降りていくと、その先で梯子段が奥に変わるので、
体をねじりながら降りていかなくてはなりません。
大変難易度の高い梯子なので、寝ぼけていたり酔っていたら踏み外すのは必至。

ダイニングホール、ワークステーション、レクリエーションエリアなど、
食事全般を作るキッチンで、軍艦には珍しく階級によって分かれていません。
全体の人数がそんなに多くないせいか、大変リベラルというか民主的な作りです。

ところで、なぜか調理台の上にゆで卵の殻が落ちてるんですが・・・いつの?

ここではお泊まり企画はもちろん、貸し出しもパーティもしていないはずですが・・。

エンジンのような大きな構造物の上に建物が載っているような部分。
プロペラ(推進器)のモーターがこの下にあります。


なんとここにも洗眼器があるではないですか。
よっぽど目に埃の入りやすい状況だったのか?

DOLPHININST 5400. 2D CH-13

としてスピードの段階別の推進器の状態が書かれています。

おそらく「ドルフィン」の推進器ということで勝手に名前をつけたのではないか、
と思われるのですが、下線部の部分、スペルミスではないかという疑いが・・。


このピカピカしたテーブルはぐるぐる回すともしかしたら人力でプロペラが回るとか?

ここにあるのは推進器関係のモーターなどです。

機械関係がメインデッキ階に収まっているのが独特の構造です。

こういうのをみても何が何だかわからないのですが、一応わかる人もいるかと思いまして。
AHPって何かしらと検索してみたのですがわかりません。
別のところに ”HP AIR DISTRIBUTION”とあるので、空気を送るものだと思うのですが。

こちらはHPAC関係ときた。

Heating Piping Air Conditioning

って感じ?(適当)

さて、実験艦「ドルフィン」の見学はここで終わりです。
おそらく下の階には寝室やレクリエーションセンターなどがあったのでしょうが、
そこに行くには先ほどのラッタルを降りて行くしかないので公開していません。

さすがに一般人用の階段をもう一段設置する余力は博物館にはなかったようです。

外に出ると、後ろにもう一つ帆船が展示されていました。
スコットランドの城主のために建造されたスチーム式木造ヨット、
「メデア」号ですが、朝からずっと見学を続けたわたしたちは
さすがに疲労困憊して「メデア」を見る気は全く残っていませんでした。

「ドルフィン」の尾翼上には、これでもかと鳥避けが建てられています。
こうでもしないと、彼らの落し物で真っ白になってしまうからです。

退出するためには一人しか通れない通路をこうやって一列で進んで行くしかありません。
ちなみに前の一団は我が日本国のボーイズでした。


こうやって改めてセイルを見ると、潜望鏡は一本だけ。
あとは通信関係のアンテナらしきものがあるのみです。

もちろん実験艦ですから魚雷を撃ったりはするわけですが、ナイトビジョンなど
潜望鏡を二本つける必要はなかったせいか、大変シンプルな外観です。

ボランティアの解説員らしいおじさんがニコニコとお見送りしてくれました。
あ、よくみたらカメラ目線だ(笑)


最後に、実験艦「ドルフィン」の「戦果」をあげておきましょう。
彼女がどんな実験と記録達成を行なったかの一覧です。

●潜水艦から航空機への光通信に最初に成功

●レーザーイメージングシステム鮮明度を上げる開発

●オハイオ級潜水艦用超低周波(ELF)アンテナの開発

●様々な非音響ASW技術の評価

●アクティブソナー傍受の様々な評価

●モバイル・サブマリン・シミュレータ(MOSS)システムの初の潜水艇発射

●BQS-15ソナーシステムの潜水試験に最初に成功

●高精度(10cm)の牽引体位置監視システムの開発

●障害物除去 Sonarシステムの開発

●高精度な目標管理システムの開発

「5th・システム・オブ・ネイチャー」の評価

●潜水艦から航空機への双方向レーザー通信に最初に成功

●最深度潜行、3000フィート以上に成功

なお、一度改装された後に行われたソナーシステムの実験の結果、
現在のアメリカ海軍の潜水艦はそれを搭載しています。


これだけの実績を上げ、かつ乗員の英雄的な行動で沈没を免れたという
功績艦なのですから、こうやってその姿を後世に残すことになったのも
アメリカ海軍的には当然だったといえましょう。

 

 

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ワイズ機関士の勇気〜実験潜水艦 USS 「ドルフィン」 AGSS-555

2018-01-29 | 軍艦

 

カリフォルニア州サンディエゴのマリタイムミュージアム、海事博物館には
帆船から潜水艦まで、様々な船のコレクションが公開されています。

左の「スター・オブ・インディア」、それと直角に繋留しているのがレプリカ「サプライズ」、
その後ろがソビエトの潜水艦フォックストロット型の「B-39」。

これらを見学して来たわけですが、その真ん中にある白い客船風のが
蒸気フェリーの「バークレー」。
ここは全ての展示船のための中心的なオフィスがわりになっています。

この中に入っていくと、反対側にもう一つ潜水艦があるのに気がつきました。

深度実験潜水艦であった「ドルフィン」です。
潜水艦の実験艦というのがあるとはこれを見るまで知らなかったのですが、
例えば「ドルフィン」での実験によって、1990年末には新しいソナーが
潜水艦隊に導入されたりしています。

「ドルフィン」という名前のつけられた艦はこれで7隻目になるそうです。

建造は1960年、同じ頃に隣にある「B-39」が起工からたった2ヶ月で
就役したのに対し、こちらは4年半もが費やされています。

実験艦であると同時に彼女自身の艦体が実験的な仕様だったせいです。

もし潜水艦に詳しい方がこの写真を見ておられたら、
この潜水艦の画期的なところに気づかれるかもしれませんね。

そう、この潜水艦にはシュノーケルマストがないのです。

実験艦であり戦略のために長時間潜行する必要がないからでしょうか。
その辺の理屈はわたしにはどうもよくわからないのですが、とにかく、
ディーゼルエンジンが稼働している時には必ずハッチを一つ開けておいた、
と英語の記述にはあります。

蒸気船「バークレー」の船内からドルフィンへのエントランスがこのように繋がっています。
現地でこの

「 DEEPEST DIVING SUBMARINE」

を見た時にはアメリカ海軍のフネによくあるキャッチフレーズみたいなものだろう、
と思ったのですが、実験艦であったと知ると、別の意味が見えて来ますね。

「ドルフィン」は1964年12月19日にメイン州のポーツマス海軍造船所で起工し、
進水式は1968年6月8日、あのダニエル・イノウエ夫人によって命名されました。

ダニエル・ケン・イノウエは日系人部隊出身の上院議員で、つい最近、
出身であるハワイの空港に彼の名前がつけられたことで知る人も多いでしょう。

ついでにサンノゼ空港には「ノーマン・ヨシオ・ミネタ」という名前がついています。

右側の潜水艦の全貌をご覧ください。

「ドルフィン」の外殻は全くの直径の円筒であり、その端部が
半球形の頭部で閉じられているだけというのがよくわかるでしょう。

シンプルなのは外殻だけでなく、バルクヘッド、内部隔壁も同じく、
代わりにフレームを使うなどして単純化されていました。
構造実験や試行での使用を容易にするためです。

就役してわずか2ヶ月後の1968年、「ドルフィン」は
3000フィート(914m)の深々度に潜行することに成功し、
これは当時の世界新記録となりました。

アメリカ海軍の記録でも、これは現在も破られていません。

また、翌年の1969年、「ドルフィン」は最も深い深度からの
ミサイル発射を行なった潜水艦として世界記録を更新しました。

 

調査と研究のために作られた潜水艦だったので、乗員は
海軍軍人(士官3名、兵員18名)以外に、民間の研究者が
4名乗り込んでいました。

彼女の功績についてはおいおいお話ししていくとして、
早速中に入って見ることにしましょう。

実験艦と知って中身を見れば、兵器としてのそれとは若干佇まいが違うというか、
搭載している機器類もその目的に応じていて非常に実験室的であります。

 

説明がないのでよくわからないのですが、真ん中の7角形に

5ミクロン フィルター

とあります。
海水を採取するものらしいと想像。

わざわざ洗眼器を備えている潜水艦を初めてみました。
確か「コンスティチューション」のメインデッキにも洗眼器がありましたが、
あれは作業的に目を洗う必要があるのだろうという気がします。

潜水艦の実験等で目を洗う必要がかなりあったということですよね?


 

洗眼器がどういう際に役に立ったかを知ることは、実験艦
「ドルフィン」の活動についてより詳しく知ることになりそうです.

アンプがあることから、通信室だと思われます。

スツール式の椅子はレールの上を稼働するようになっていますが、
違いが干渉し合わないような仕組みでこれも初めて見ます。

あきしお」の中の士官用バンクにとても似ています。
整然と天井まで並んだ4段式のバンク。
機能的かもしれませんが、蚕棚みたいできつそうですね。

説明にもあるようにレイディオ・ルームです。
衛星を通じて声とデジタルデータで通信を行なっていました。

UHFのアンテナはセイルの頂上部分に設置されています。

イディオルーム、反対側。
わざわざ「フォー・ディスプレイ・オンリー」として
展示用であることを断っている機器もあります。

この一帯がコントロールルーム。

ここに勤務するのは操舵手、バラストと推進をコントロールする
「コーントロールマン」2名、ナヴィゲーター、レーダー員、
デッキオフィサー、 艦首と艦尾を担当するメッセンジャー兼パシリ、
つまりランナーとなります。

この船窓のような丸い窓は中が真っ暗でしたが何でしょうか。

ここに写っているのはレーダーというかトレーサーだと思われます。

この下がポンプルームで、この説明には「ドルフィン」が遭遇した事故と、
それを救った「英雄的な行為」(ヒロイックアクション)について説明されています。

2002年5月21日、「ドルフィン」はサンディエゴ沖合およそ100マイルの海域で
作戦行動中浮上して航行しバッテリーを充電していたところ、

魚雷発射管の密閉ドアが故障し、海水が浸水してきたのです。

 

折しもサンディエゴは強風のため10から11フィートの波が立ち、
そのせいでおよそ70から85トンの海水が艦に流入してきました。

 

そして浸水による電気パネルのショートで火災が発生します。

「ドルフィン」はその時点で14℃の海水が溢れてきていました。

主任機関士のジョン・D・ワイズ・ジュニアは、海水が増していく
ポンプ室の中にためらいなく飛び込んでいきました。 

90分後、艦長のスティーブン・ケルシー中佐は41名の乗組員、
および2名の民間人に対し総員退艦を命じます。

付近で活動中であった海洋研究船「マクゴー」(McGaw) は直ちに応答し、
乗員は小型ボートに乗って「マクゴー」に移乗。

移乗中に海に落ちた2名は沿岸警備隊のヘリによって救出されました。

その間にも乗組員は迅速にダメージコントロールを行い、
火災と浸水の危機から脱した艦はついに安定した状態になりました。

この日サンディエゴは荒天であったため、牽引することはできず、
その場に放置された「ドルフィン」ですが、翌日潜水艦支援艦の
「ケリー・チョーエスト」(
MV Kellie Chouest) によって母港に戻りました。

この時の機関士ワイズ・ジュニアの働きは壮絶とも言えました。

区画内の機器の状態が全くわかっておらず、コンパートメントの中に
酸素がある状態かどうかもはっきりしないのに、彼はたった一人で
ポンプ室の中に残り、14°Cの水に浸かったまま、まず
区画内に1フィート未満の通気性の空間を確保して、海水弁が並んでいることを
確かめた上で、ポンプによる排出を開始できるようにしました。
弁を開けた後は、ポンプが詰まるのを防ぐために90分以上留まり、
一人で奮闘を続けたのです。

この勇敢な功績により、彼は海軍と海兵隊からメダルを授与されています。

「すべてのものが自分の仕事をしていました。
私は自分のいた場所で起こったことについて自分のやるべきことをしただけです。
とにかく私は艦から海水を放出することだけを考えていました」

受賞の時、ワイズ機関士はこう語ったと言います。

「メダルは『ドルフィン』に贈られたものです。
これを身につけることを許された一人になったのは
ただラッキーだったにすぎません」

同様の事故を起こした他の潜水艦で3名の死亡者を出したことを考えると、
荒天の中でのこの事故での犠牲者がなく艦体も残ったことは
このワイズ機関士の勇気あってこそだったと思われます。

 

続く。

 

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「鹿島立ち」横須賀出航〜 大正13年 帝国海軍練習艦隊

2018-01-28 | 海軍

さて、大正13年度帝国海軍練習艦隊の国内巡航、もう一息で終了です。

■ 名古屋

その昔那古野(なごや)と云われた荒涼な原野も今や
人口六十余万を有する大都会となって、その繁華、
流石中京の名に背かぬ。

「尾張名古屋は城で持つ」謳われた城は市の北方に聳え、
天守閣上の金鯱は燦として輝く。
乗員一同はすぐ近くの熱田神宮に詣でて武運長久を祈った。

城で持つという名古屋城。

昨日の俗説によると、名古屋は不美人の三大産地の一つということですが、
こちらは何を根拠にそうなっていることやら、と思い一応調べてみたら

「徳川御三家の尾張藩が美人をみんな江戸に連れていったから」

もう一つの仙台についても、伊達政宗が美人をみんな(略)と、
甚だ怪しげな俗説にすぎないようです。

同じ俗説でも秋田、博多に美人が多いというのはなんとなく納得しますが。

名古屋城見学をしている水兵さんたち。

このスタイルは、(上夏服、下冬服)合服です。
ということはこの写真が撮られたのは9月後半、7月末に日本を出港し、

出雲から名古屋まで約2ヶ月かかったことになります。

「中京」というのが「中部の京」を意味していたことを今知りました。

この頃から結構な都会だったんですね。
中心部には市電も走っています。

一行は熱田神宮に参拝を行いました。

官(朝廷、国)から幣帛ないし幣帛料を支弁される官幣神社である
熱田神宮は現在でも神宮(伊勢神宮)を本州とする神社本庁です。

三種の神器である草薙剣を祀っているそうです。

そして、現在でもそうですが、伊勢神宮の後、練習艦隊は横須賀に入港し、
その後遠洋航海までの間帝都で様々な行事をこなすことになります。

中でも皇居に赴き天皇陛下の拝謁を賜るのが最も大事な行事となっていました。

 

しかし、アルバムにはただこの冊子中唯一のカラー写真として
皇居お堀と橋の画像(昨日の冒頭写真)が挟まれているだけで、
他の寄港地のような感想も
なんの説明すらもありません。

そのことが、皇居参内の儀式を神聖なものとみなし下々の語るところではない、
としたように思われました。
アルバムの写真に添えられた感想ごときで陛下の拝謁について述べるのは
あまりにも畏れ多い、とされたからでしょうか。

おかげで、皇居参内を率いたのが国内巡航を行なった古川中将なのか、
それとも遠洋航海司令となった百武中将なのかもわかりませんでしたが、
翌年全行程を率いるのが古川中将ということに決まっていたので、
この時だけは舞鶴から百武中将が馳せ参じたのではないかと考えます。


国内巡航を無事に終え、大正13年度練習艦隊は横須賀に寄港し
帝都における行事の合間に
候補生たちは東京見物や見学などを行います。

明治神宮や海軍関係の施設、靖国神社参拝より何より、
若い地方出身の候補生たちにとってもっとも楽しみにされていたのが、
実は銀座だったらしいということが、後年の彼らの供述から推察されます。

銀座ツァーには東京出身の地元に詳しい候補生をガイド役に、
カフェーや天ぷら屋、買い物を楽しんだということです。

 

また、この頃は寄港地出身の候補生の家に宿泊することも許されていたので、
各地の候補生の実家ではクラスメートを地域を挙げて歓迎したものでした。

そして、美人の妹の写真を何かの折に見て密かに期待を寄せ、
練習艦隊寄港の際に彼女を見たさに級友の実家に押しかけ、
実際に嫁にしてしまう候補生も結構いたという話です。

戦前は海軍士官の結婚には届けが必要で、身分が不釣り合いな女性
(芸者とか外国人とか)はその許可が下りなかった頃ですから、同級生の妹、
というのはある意味最も確実な結婚相手候補とされていたのです。


■ 横須賀出航 大正13年11月10日

雄々しい首途!!
希望に輝くその鹿島立ち!!
「ロングサイン」の「メロディ。
万歳の叫び。
帽の波。
横須賀あとに万里の長途にのぼる我等は、
「日本の御山富士よりどんな臆を受けたことであろう。

 

平成29年度の練習艦隊司令官真鍋海将補は、江田島を発つとき

「鹿島立ち 見よ若桜 みをつくし(澪標)」

という句を詠まれました。

練習艦隊旗艦が「かしま」であることと、「旅行に発つこと・旅立ち」を意味する
「鹿島立ち」を掛けたのは素晴らしく気の利いた洒落だと感心したものですが、
そもそも練習艦隊旗艦を「かしま」「かとり」としたというのも、遡れば
「鹿島立ち」にあやかってのことだった、ということを皆様はご存知でしょうか。

 

いい機会なので説明しておきますと、「鹿嶋」「香取」は旧軍艦の名前になっているように
いずれも元々は軍神であり、両神宮共に武運の神を祀る処とされています。

鹿島立ちの語源とされている説は二つあります。

一つは奈良時代のこと。

東国から筑紫、壱岐、対馬などの要路の守備に赴いた防人は、
任地へ出発する前に鹿島神宮の前立ちの神たる阿須波神(あすはのかみ)
道中の無事を祈願したということから、のちの武士にもこの習慣が伝えられました。

もう一つは、鹿島の神、武甕槌(たけみかづち)香取の神、経津主(ふつぬし)
天孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先だって、
葦原中津国(あしわらのなかつくに)を平定したことからという説です。

防人が無事を鹿島神宮に祈願するようになったのは(前説)
後説の伝説が流布したから、ということですよね・?

つまりどちらも正しいとわたしは思うんですが・・・。

 

それはともかく、この練習艦隊参加の「出雲」や、翌年参加の「磐手」の後釜として
設計された練習艦の名前はまさに「鹿島」「香取」と言いました。

この頃の武人の語彙に「鹿島立ち」という言葉が生きていたからこその命名です。

このアルバムの頃には軍艦「鹿島」「香取」は存在もしていませんが、
その壮途に対し「鹿島立ち」といういにしえの言葉が送られているのです。

さて、そんな具合に、国内巡航でいいことがあった候補生も、
なかった候補生も、等しく横須賀を出航する日がやってきました。

横須賀に停泊した練習艦隊旗艦には、海軍大臣財部彪が来訪しました。

財部は前にも書いたように軍神広瀬中佐と同期で恩賜の短剣のクラスヘッド。
山本権兵衛の娘婿だったこともあり超スピード出世で、この頃には
加藤友三郎内閣の海軍大臣にまで成り上がっていました。

この数年後、ロンドン軍縮条約で全権を務めた財部は、当時の艦隊派や
肝心の海軍軍令部(が味方につけた犬養毅と鳩山一郎)に糾弾され、
統帥権干犯問題で辞任することになっています。

(時の海軍と組んで、『日本の艦隊保有量が不公平だ』とする側に
野党の犬養が与したことについて、以前そのダブスタを指摘したことがあります。
結局犬養って今の野党と同じ、単なるアンチ政府主義だったってことですよね。
『憲政の神様』はそれらを思うと過大評価ではないかといつも思います)

不鮮明ですが、手前の白い列が見送りの軍人たち、そして
艦上の候補生たちが帽振れをしているのが確認できます。

これは現在護衛艦が繋留している岸壁でしょうか。

帽振れをしているので出航直後だと思いますが、場所は・・・
右側が現在の潜水艦基地にも見えるのですがどうでしょうか。

岸壁を離れ横須賀港を出て行く「八雲」「浅間」「出雲」。
動力は石炭なので、煙突からは黒々とした煙がたなびいています。

横須賀に停泊している海軍の艦船の乗員たちが見送っています。
ここで注意して欲しいのは、練習艦隊と見送りが白の第二種なのに、
この艦上では全員が冬服を着ているということです。

季節的には秋の衣替えシーズン過渡期(多分9月)で、
一般にはもう冬服が着用となっていたのが、練習艦隊は
出航の儀式は白と決めて行ったようです。

そういえば!

我が日本国自衛隊の練習艦隊も出航は5月で衣替えには早いですが、
純白の礼装で臨むのが慣例になっています。
過渡期であれば出航は白、というのは海軍時代からの不文律だったのでは・・。

 

 

 

続く。

 

 

 

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内地巡航〜大正13年帝国海軍練習艦隊

2018-01-27 | 海軍

 

大正13年から90年後の海上自衛隊においても、練習艦隊遠洋航海は
代わりなく行われています。

実習対象が「少尉候補生」から「新任幹部」と変わっても、
江田島での卒業式の後、表門から出航していった練習艦隊が
まず国内巡航を行ったのち、世界一周に向けて船出し、世界の各地で
文化交流や現地の海軍との「グッドウィル・エクササイズ」と呼ばれる演習、
そして「リース・レイイング」なる現地での戦績などでの慰霊式などを行って、
海軍軍人としてのスキルと見識、見聞を深めるという意義に変わりありません。

当時は国内巡航で当時国内であった大連や旅順、そして鎮海(チンフェ)に
まず寄港したのち、本土を廻るというのが慣例となっていたようです。

さて、というところで今日は国内巡航についてです。


■ 杵築(出雲大社)

縁結びの神様が鎮座まします。
誠心込めて詣でたる若人等には嘸ぞや霊験いやちこであろう。

一生懸命「きづき」で変換していたのですが、杵築は『きつき』でした。
朝鮮半島の鎮海からまず九州に戻ってきた練習艦隊は、まず
出雲大社に参拝するために島根県杵築に立ち寄りました。

この鳥居は現在はコンクリート製のものに変わっているようです。

出雲大社が縁結びの神というのは冒頭にも書かれており、
練習艦隊乗員も、「誠心込めて」お参りをしているわけです。
若い独身男性が多いので当然かと思いますが、それにしても
海軍兵学校の練習艦隊なのに

「縁結びの神様なので、一生懸命お願いすれば、
きっと君にも素敵な彼女ができちゃうかもよ?」

みたいなノリなのがほっこりしますね。

「霊験いやちこ」という言葉を見てはて?と思い調べると、

「いやちこ」=灼然

で、「あらたか」の別の言い方なんだそうです。
そういえばあらたかは「灼か」と書きますね。

今口で「霊験いやちこな神様だから」などと言っても、
十中八、九「は?」と聞き返されるのがオチでしょう。

あーこれで一つ日本語の読みに詳しくなった。

稲佐の浜には弁天島といって、現在は豊玉毘賣の命を祀っている岩があります。

現在の弁天島。
左の亀裂が深くなり、明らかにこの90年で岩の形が激変していますね。

■ 舞鶴

舞鶴は飛んで三景の一天橋立に遊ぶ
白砂青松十数町の間涼風を浴びつつ散歩する
爽快なる気分は忘れ難い

島根県から日本海を時計回りで舞鶴に寄港しました。
今でも練習艦隊の国内巡航は時計回りと決まっているようです。

天橋立の海岸沿いに全く建築物が見えません。
今は両岸にぎっしりと住宅が立ち並び町ができています。

天橋立といえば股覗きですが、この慣習には仕掛け人がいて、明治後期に
吉田皆三という人が環境事業の活性化の一端として(つまり町おこし)
喧伝され、観光客を通して広まったものです。

まあ、寿司業界が初めた「恵方巻き」古くはチョコレート会社が仕掛けた
バレンタインデー、それに続くホワイトデーみたいなもんですね。

天橋立は『丹後国風土記』でイザナギが天へ通うために作ったものとされ、
股のぞきを行うことで、天地が逆転し、細長く延びた松林が一瞬
天にかかるような情景を愉しむことができることから考えついたようです。

練習艦隊のみなさんも、皆で股覗きを真面目に行ったことでしょう。

■ 新潟

何処となく古の江戸情調の偲ばれる新潟の市は
新来の我等には一汐なつかしい味を興へる

信濃川と万代橋、米と石油、雪と美人がここ新潟の名物とか。

候補生は石油工業見学の為、新津油田に赴いた。

 

この頃すでに「秋田美人」というのは全国でも有名だったのですね。
なぜここに美人が多く、京都、博多と並ぶ美人の産地となっているかについては
いろんな説があるのですが、日照が少なく色白の肌の人が多い、
という理由以外で面白いのは

「関ヶ原の戦い以降、常陸国(現在の茨城県)の大名佐竹義宣が江戸幕府から
秋田への転封を命じられた腹いせに、旧領内の美人全員を秋田に連れて行ってしまった。
その後水戸に入府した徳川頼房が佐竹氏へ抗議したところ、
秋田藩領内の美しくない女性全員を水戸に送りつけてきた為、
秋田の女性は美人で水戸はブスの3大産地の1つ(他の2つは仙台と名古屋)になった」

という説ですが、これって・・・・どうなの。

ってか誰がその送りつける女性の人選を行ったんですか。

候補生は新津油田の見学をしたとありますが、江戸時代から平成にかけて
ここでは採掘が行われていたそうです。

この頃には12万klを達成し、名実ともに産油量日本一の油田でしたが、
1996年に最後の井戸の採掘が終了し、油田としての役目を終わりました。

万代橋は現在でも国の重要文化財に指定されているということですが、
明治年間に信濃川に初めて掛かった橋でした。

重要文化財となっているのは1929年(昭和4年)完成と言いますから、
練習艦隊の写真のおそらく直後に取り壊しが始まり、架け替えられています。

白黒写真でわかりにくいですが、橋脚は木で組んでいるもののようですね。

新潟市街。

右に見えているのが信濃川だとすると、現在の新潟駅と川の間の地域でしょうか。
(新潟に詳しくないので適当に言ってます)

それにしてもこの写真・・・随分高いところからですが、何処から撮ったんでしょう。

■ 函館 

聞いてさえ血湧き肉躍るボートレース!!!
海の男の兒にふさわしいボートレース!!!

その火の出るような競漕が波静かな「ウスケシ」の海で行われた

鴎群れ飛ぶ「ウスケシ」の港
楡の若葉に日は溢れ
谷間の鈴蘭の香も揺らぐ

練習艦隊、なんと函館に来てまでカッター競技を行ったようです。

右下はまさに二艘のカッターが「波の火花」を散らして
雌雄を決しているところです。

そして左下、賞品が授与されたところ。
防衛大学校でもカッター競技には皆大変なファイトを燃やし、
全力で勝負に挑むそうですね。(参考:あおざくら)

もちろん幹部学校でも。

■ 大湊

緩やかな傾斜をなす鉢伏山の裾野に大湊が横たわる
淋びたりと雖も我が北海の重鎮!!!

冬季は「スキー」に「スケート」に高適の地である。

 

この頃の習慣として外来語をかっこでくくって書いてあります。
大正13年当時にスキー、スケートって一般的だったんでしょうか。

そういえば昔、ある海軍士官がスキーをしている写真を見せてくれた人が、

「この時代にスキーをやるなんてどんだけ特別階級だったんでしょうね」

とおっしゃっていたのですが、雪や氷があれば手作りの道具でもできるため、
案外庶民的な遊びでもあったのかなと思えてきました。

大湊要港部、現在の海上自衛隊大湊地方隊です。
掲揚台には少将旗が上がっているのが確認されますが、
これは大湊要港部の司令官が少将配置であるからです。

ちなみにわたしが存じ上げている海軍軍人の父上は、
この写真の撮られた10年ほど後に司令官を拝命しています。

宇曽利湖は恐山付近のカルデラ湖です。
グーグルマップで見ると、現在でも湖岸には建物一つもありません。

(しかしそんな土地で営業している”恐山アイス”って一体)

大湊というところにわたしは行ったことがないのですが、恐山が近い、
というだけで北海の要所ながら淋しいところなんだろうなあ、と
冒頭の紹介文を読むまでもなく想像しておりました。

艦隊陸戦隊の上陸とあります。
練習艦隊のことだろうと思うのですが、陸戦隊を臨時結成したとか?

大湊要港部のスキー陸戦訓練、とあります。
雪中訓練というと昔は陸軍、今は陸自の専売特許のようなイメージですが、
何がいつ起こってもいいように海軍の皆さんはこうやってスキーで
陸戦訓練を行なっていたということのようです。

やはり日露戦争を経ての経験から得た教訓でしょうね。


現在の海上自衛隊大湊地方隊は、かつての非鎮守府基地から「昇格」したことになります。
冷戦時代にはもっとも緊張していた基地であり、現在もなお、
日本の北端部の守りを行っている「我が北端の重鎮」であることに変わりありません。

■鳥羽

鳥羽から汽車で一時間宇治山田に着く。
国の鎮めの伊勢神宮に参拝す。

 何事のおわしますかは知らねども
     かたじけなさに涙こぼるる

 

最後のは有名な西行のもので、家族を捨てて修行の旅にでた西行が
伊勢神宮にたどり着き、その神々しさに打たれて詠んだ句です。

陸奥からいきなり三重県に回航、伊勢参拝を行いました。

山田駅前の集合、とキャプションがありましたが、これは伊勢神宮に近い
「宇治山田駅」のことで、当時は単なる「山田駅」らしかったことがわかります。

船ではなく各地に宿を取り、参拝の朝駅集合になったようですね。 

ところで、参拝をするために行進しているこの写真の先頭、
おそらく練習艦隊司令官だと思うのですが、これはおそらく
国内巡航の時のみ艦隊司令を務めた(と判断しているところの)
古川中将には見えません。

この姿形、どう見ても百武中将ではないでしょうか。

 

百武中将はこの時まだ舞鶴要港部司令の職にあったはずですが、
国内巡航で「ここぞ」という寄港地の時には舞鶴から馳せ参じ、
その時だけ練習艦隊司令官を交代して素知らぬ顔で?務めたようです。

 

続く。

 

 

 

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「外地」と言う名の日本〜大正13年度 帝国海軍練習艦隊遠洋航海

2018-01-26 | 海軍

大正13年度帝国海軍練習艦隊、「司令官交代の謎」を追って
ひょんなことから隠されていた(と言うか放置されていた)史実を発見し、
古本屋でのこの写真集との出会いは大変価値のあるものだったと
今更ながら自己満足にふけっているわたくしです。

一度帰国までのエントリを全部作成し、アップする際にチェックし、
その後新しくわかったことや間違っていた箇所を加筆訂正しているのですが、
今回はアップしてから読者の皆様方に問いかけ、アイデアをいただき、
もう一度全てを見直すことで限りなく正解に近づくことができました。

この場をお借りして御礼を申し上げる次第です。


ところで、ひょんなことといえば、最近、我が家のご先祖が
土佐藩士出身の陸軍軍人であったことがわかりました。
海軍でなかったのは残念ですが、わかったことは児玉源太郎と同期で、
児玉が大尉時代には大阪陸軍省で同僚だったという事実です。

今回、ご先祖が児玉源太郎と一緒に写っている写真を発見し、
江ノ島の児玉神社に詣でたことや、日露戦争の勝因の一つとなった
「児玉ケーブル」というべき海底ケーブル敷設について
児玉の功績をここでアップしたのも何かのご縁かと浮かれてしまいました。

この人物のその後もわかっているのですが、予備役となった後、
為政者として地域に貢献し、地元の名士になったようです。

歴史を紐解くことは現在と過去の対話、という言葉がありますが、
写真ひとつが時には過去を解き明かすドアとなるということが、
練習艦隊司令官問題に続いて実感できた不思議な出来事でした。


さて、問題解決のために、キイとなった鎮海要港部での写真を
皆様にお見せするために順序が入れ替わっていましたが、
改めて江田島出港を果たした練習艦隊が、国内巡航に先立ち、
国内は国内でも当時日本であった「外地」に赴くところから始めたいと思います。

「外地」「内地」

今では聞きませんが、終戦までの日本では普通に使われていた言葉です。

「外地」の定義は「大日本帝国における内地以外の統治区域」で、
「属地」と呼ばれることもありました。

具体的には以下の地域を指します。

 

この「関東州」の欄を開いていただければお分かりのように、大連は関東州、
1905年のポーツマス条約で日本がロシアから引き継いだ租借地にあります。 

一応念のためにあえて書き添えておきますと、ポーツマス条約
日露戦争講和条約のことで、アメリカが仲介をして締結されました。

これもお節介かと思いますが、講和内容を記しておきます。

日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。

日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。

ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する。

ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、
付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。

ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)
の租借権を日本へ譲渡する。

ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。


これ以降、大連、そして旅順は「日本」となったというわけです。
朝鮮半島についていえば、もし日本が日露戦争で負けていたら、
朝鮮は日本が行ったような「統治」ではなくロシアの一地方として組み込まれ、
勿論今でも独立することはなかったと誰が見ても明白なのですが、
それでもあそこの人たちは、日本に「ひどい収奪支配を受けた」とか言って
いまだにひどい精神的苦痛を受け続けているらしいですね。

そして、日本の中国大陸進出のきっかけは、福島瑞穂()が口を開けばいうように
「侵略」というものではなく、戦争後の条約によってアメリカの立会いで認められた
正式な権利であったということになるのですが、その話はともかく、
赤太字の項目で日本が正式に得た租借地、それが関東州だったのです。

大正13年当時、大連も旅順も租借地になってすでに20年が経過しており、
日本が心血を注いで外地に求めた「理想の都」がすでに形になりつつありました。



【大連】

臼杵(うすき)佐世保を経、平穏なる海上に翡翠の漣を立てて
亜細亜大陸の一角大連港を訪う

豪壮な建物、美しき道路、緑滴る並木、完備せる埠頭、
先ず吾等の眼を驚かす星ヶ浦、老虎灘などに杖を曳いた後、
市の中央大和ホテルの屋上に立ちて全市を瞰下する時、
吾等の胸に去来するものはなんであったろうか

 

冒頭写真は大連の中心部。
放射状の市の中心部広場は実に美しいですが、
これらは皆日本統治となってから整備されたものです。

塔の前の銅像が誰のかはわかりません。

大連に上陸する練習艦隊の士官候補生たち。
埠頭には出迎えの人たちが並び、日本国旗が随所に見えます。

ヤマトホテルは現在でも営業しているということです。
ここにも銅像がありますが、軍人のようですね。広瀬大佐とか?

南満州鉄道株式会社(満鉄)が経営し、多くの要人が利用した歴史があり、
2階には清朝最後の皇帝溥儀が泊まったという部屋も残されています。

スパイとして中国当局に処刑された愛新覚羅の血を引く川島芳子
ここで最初の夫と結婚式を挙げ、その写真が残っています。

戦艦「大和」がその巨大な艦体をトラック島に停泊させていた時、
彼女は「大和ホテル」と揶揄されていましたが、そのネタ元はこちらです。

大連市の中央通り。

旧横浜正金銀行大連支店(中国銀行大連分行)など、
日本が統治していた1910年代ごろに建てられた欧風の建物で
今も大連市内に残って使用されている建築物はいくつかあります。

アメリカに入植してきたイギリス人が「テムズ川」「ニューロンドン」と名付けるように、
日本も整備した新しい橋に「日本橋」という名前をつけたようです。

そういえば「三丁目の夕日」で「今にこの上に高速道路が走る」と
登場人物が予言していたところ、薬師丸ひろ子のトモエさんが、
戦争前に思いを寄せ合った男性と偶然再会する場所にとても似ていますね。

道ゆく人々も全て和装で、ここは日本だったんだなと思わせます。

日本が租借した遼東半島の「関東州」の大きさは鳥取県と同じくらいの大きさでした。
旅順はその最南端というべき位置にあります。

【旅順】

錨地から眺めると港口の狭いのに今更ながら閉塞隊の苦心を思う

白玉山頂二万五千の霊に捧げるに、若き勇士は何を以ってしたことであろう
赤い夕日の沈む時、上甲板に涼をとりつつ回顧する老雄の感慨や蓋し無量
緑の間にチラツク赤い建物は一寸外国を覗いた様な気を起こさせる

 

旅順というと海軍の閉塞作戦、そして水師営の会談などを思い出すわけですが、
この頃、大正13年はまだ日露戦争から22年しか経っていません。

それはちょうど彼ら候補生が生まれた頃にあった戦争で、
彼らは幼い頃、その武功や英雄伝をおとぎ話のように聴きながら育った世代です。

おそらく彼らは学校の訓育において、広瀬中佐の部下を思う責任感や、
そして勝って驕らず敗者をいたわった乃木将軍の武士道を学んだのでしょう。

そんな彼らが広瀬中佐や東郷元帥と道を同じく海軍を志し、
夢見て入った海軍兵学校、機関学校を卒業した今、
士官候補生としてその戦跡をみる気持ちは如何ばかりであったでしょうか。


練習艦隊が旅順を訪問することになっていたのも、彼らにその地を見せ、
先人の苦労を目の当たりにするとともに、海軍将校の一員であることの
責任を自覚させるというところに目的があったのでしょう。


そして紹介の文中にも窺えますが、この練習艦隊に参加した者の中には
将官から熟練の下士官に至るまで、若き日に日本海海戦、もしかしたら
旅順攻撃に参加したという軍人がまだ残っていたのです。

例えば司令官の百武三郎中将は「松島」「鎮遠」などを擁する
第三艦隊参謀として日本海大戦に参加しています。

水師営の会見が行われた建物を見学です。

20年前の建物ですが、前に石碑を建てて保存してあります。
これはもちろんその後中国側に破壊されたはずです。

 

候補生たちは市内観光に馬車を利用したようです。
三、四人で一台をチャーターすれば、一日観光できたのではないでしょうか。

閉塞作戦を記念する碑も見学しました。
この碑の台になっているのは、ロシア軍が使用した砲台の基でしょうか。

表忠塔というのは白玉山にあります。

戦争が終わってから、東郷元帥と乃木将軍が共同で作ったもので、
材料は日本から運ばれてきた、と説明されているそうです。

旅順港を一望俯瞰できるこの塔は、現在も保存されており、
現地の観光スポットになっているそうです。

中国人は何処かの国のように「日本憎けりゃ杭まで憎い」とばかりに
統治時代のものを測量の杭だろうが桜の木だろうが、なんでも破壊してしまうという
稚気じみた国民ではないので、日本が建てた堅牢な建築物はそのまま使い続けます。

ここも「そんなことがあったから残しておく」という態度で現在でも保存されているのです。

まあ、これが普通だと思うんですけどね。

爾霊山(にれいさん)記念塔

日露戦争が終わった1905年に建て始め、1913年に完成しました。
銃弾形の塔は二〇三高地で拾い集められた弾丸と砲弾の薬莢を
溶かし鋳造して作られたのでこれだけ年月がかかったということです。

そう、ここは二百三高地。
ここを

爾霊山(二百三高地→203→にれいさん\(^o^)/)

と名付けたのは他ならぬ乃木将軍であったそうです。

乃木将軍の二人の息子もここで戦死したことを考えると、
爾(なんじ)の霊の山という字を選んだわけが自ずと見えてきます。

爾霊山慰霊碑も未だに健在で、一世紀を経たその姿を見ることができます。


さて、練習艦隊はこの後、外地の一である朝鮮半島は鎮海に寄港し、
その後内地に帰って本当の国内巡航、「内地巡航」を行うことになります。


続く。


 

 

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ヒーロー GIジョー(ただし鳩 )〜ミリタリー・アニマル

2018-01-24 | すずめ食堂

軽い気持ちで始めたミリタリーアニマルシリーズ、
今日は「飛ぶ小動物、鳥、そして虫など」です。 

■ コウモリ

第二次世界大戦中、勝利を祈るアメリカ人のうちの一人、

ライトル・S・アダムス博士

は、コウモリに小型爆弾を装着して飛行機で日本上空に放つ
→日本本土は火の海→米軍大勝利→ ( ゚Д゚)ウマ〜

ということを真剣に提唱しました。
まあそんなことをせずとも、硫黄島とサイパングアムを奪取した後は
直に爆弾を撒きまくることができるようになったわけですけどね。

そもそもアダムス博士は日本の工場は紙と木でできており、
火をつけたコウモリを飛ばせばあっという間に工場壊滅、
と考えていたフシがあり、幾ら何でもそりゃ認識が間違っとる、
って話ですが、陸軍、海軍、海兵隊までもがこのプログラムを

プロジェクトXレイ」(Project X-Ray)

として真面目に検討していたということです。
しかしながら、研究はいきなり困難に直面します。

(BGM: やっぱり地上の星)


人間の言うことを全く聞かず、訓練もできない上、
当時の技術では爆弾をどんなに小型化してもコウモリはなぜか

爆弾の重さで地面に落ちてしまうのでした

というわけで、プロジェクトは1944年に中止になりましたが、
現代の技術であればコウモリが乗せて飛べる爆弾は十分開発できるでしょう。

いや、もしかしたらもうDARPAがやってるかも?
あの組織はゴキブリ爆弾も開発してるからな。

■七面鳥

最初にこの鳥を食べた人は偉いなあとこの写真を見て思うわけですが、
七面鳥、美味しいんですよねー。
脂身がなくあっさりしていて、ブロイラーのチキンよりずっと好きです。

それはともかく、1936年から3年間にわたって、
人民戦線政府(共和国派)と、フランシスコ・フランコ将軍を中心とした
右派の反乱軍(ナショナリスト派)とが争ったスペイン内戦。

ソ連が支援していたスペンヌ共和国軍と民兵団は、
物資をエアドロップ(飛行機からの投下)で行なっていました。

しかし、薬の瓶などが衝撃で割れてしまうので、考え出されたのが

七面鳥に物資をくくりつけて上空から落とすこと

もちろん飛べない鳥なので、結局は地面に落ちるのですが、飛べないなりに
彼らは本能で翼をバタバタやるので、地面に激突する衝撃が軽減されます。

本日カテゴリの「飛ぶ小動物・鳥」には厳密にいうと入っていませんが、
「飛ぼうとする鳥」というジャンルではあったわけです。

で、かわいそうに七面鳥は結局地面に激突して皆死んでしまうのですが、
どっちにしろ後で食べるのでシメる手間が省けるという具合です。

しかし、こんな方法で七面鳥の命を弄んだ人民軍は結局敗北しました。

結局スペイン内戦はナショナリストが勝利を収め、その後66年間、
フランコ政権は続くことになります。(写真は凱旋パレード)

これ絶対七面鳥の祟りだから(断言)

 

■ はと

 

靖国神社の境内に軍バトの鎮魂碑があったことからわかるように、
ハトと軍隊というのは密接な関係にありました。

電話・電信、もちろんインターネット普及以前は、
もっとも早い通信手段はハトだったのです。
古くは古代ギリシャ時代からハトによる通信は行われてきました。

第一次世界大戦時が最近でもっともハトが活用された戦争で、
両陣営の陸軍には50万羽以上の軍バトがいました。
足にくくりつけたカプセルにメッセージ、地図、そして写真、
首に小さいカメラをくくりつけていることもありました。

今でいうドローンの役目ですね。

ハトは賢いので、90パーセントの割合でミッションを成功させてきました。

犬にも猫にも、軍隊には「ヒーロー」が(熊にもね)いたわけですが、
さすがにハトのヒーローはいないだろうと思ったら、

シェール・アミ(Cher Ami)フランス語の”親愛なる友”

というヒーローバトがアメリカ陸軍第77歩兵隊にいたんですよ。

1918年、チャールズ・ウィットルジー少佐と500人以上の兵士が、
敵の背後にある丘陵地帯の小さな窪みに追い詰められ、
しかも連合軍からのフレンドリー・ファイアを受け始めました。

味方がいると知らない自軍の攻撃によって、次々と兵士は斃れ、
ついに194名にまでその数を減らすに至ります。

司令官は味方にそのことを知らせるべくハトの脚にまず

「たくさんの兵が負傷した。避難できない

とメッセージを結んで飛ばしたのですが、ハトはドイツ軍に撃墜されます。
二羽目のハトに

「皆苦しんでいる」

というメッセージをつけて飛ばしますが、これもドイツ軍の
超優秀なスナイパーに撃ち落とされてしまいました。

三羽目の正直として司令官はシェール・アミの足に

「貴軍は今味方の上に直接砲弾を落としている。
神の御名によって直ちに砲撃をやめよ」

というメモをくくりつけて飛ばしたところ、やはり今回も狙撃を受けます。
しかし驚いたことに、弾を受けたにも関わらず彼は任務を諦めませんでした。

(彼か彼女が知りませんが一応)

傷を負いながらも彼は25マイル(40キロ)を飛び、メッセージを届け、
帰ってきたところを、また銃撃され・・・・。
壕に帰ってきたシェール・アミは胸を撃たれ、片方の目は血で覆われ、
片方の足は腱だけでぶら下がっているという瀕死の状態でした。

陸軍軍医の必死の救護活動によって彼は一命を取り留めました。
脚はどうしてももとどおりにならなかったので、彼のために
小さな木の専用義足が作られました。

シェール・アミはその後パーシング将軍に拝謁を行い、
名誉の除隊となって帰国し、英雄としてクロワ・ド・ゲールを授与されました。

しかし一年後、この時に受けた傷のために死亡しています。

シェール・アミは片足のない姿のままで剥製にされ、
現在スミソニアン博物館に英雄として展示されています。

 

第二次世界大戦が始まる頃には無線通信が普及していましたが、
軍バトは相変わらず重要な役目を負っていました。

スパイ側も兵士たちも、どちらもがトップシークレットについては
ハトを使ってメッセージを送ることが多かったのです。
無線はどうしても近くにいると傍受されてしまうからでした。

敵に取り込まれて孤立した部隊には、上空から飛行機で
ハトのケージをパラシュートで落とすという方法も取られました。

Dデイ、ノルマンジー上陸作戦の時には何千ものハトが
投下されたと言われています。

それを見つけたフランス市民がドイツ軍の現在状況を記し、
ハトを送り返すという方法で諜報活動を行なったのです。

上陸作戦まで、ほぼすべての連絡はハトを使って行われました。 
中でもグスタフという名前のハトは、150マイル以上も飛び続け、
イングランドまで重要な情報を届けたという話もあります。

第二次世界大戦で最も有名となった軍バトは「GIジョー」でしょう。

彼は1943年10月18日、ドイツ軍の制圧下にあるイタリアの街、
カルビ・ベッキアの住人とイギリス軍を救ったことによってヒーローとなりました。 

カルビ・ベッキアからはドイツ軍は撤退しており、そのあとに
イギリス軍の旅団がいたにも関わらず、何かの間違いで爆撃が要請されたのです。

間違いに気づいた時には攻撃開始時間は迫っていました。
ラジオで攻撃を中止することを伝えようにも時間がありません。

そこでGIジョーが攻撃中止の報を持って飛ばされました。

彼は(多分)20マイル(32キロ)の距離をわずか20分で飛び、
攻撃の始まる寸前に中止を伝えることに成功したのです。

鳩が飛ぶ速度は平均で時速35〜40マイルと言われていますから、
GIジョーがいかにスーパーピジョンであったかがわかりますね。 

この功績により、GIジョーは国家に功績のある動物に与えられる
ディッキンソンメダルを授与し、フォートモンマスにあるロフトで、
他の24羽の「ヒーロー鳩」と共に老後を過ごし、18歳で亡くなりました。

彼もまた剥製になってアメリカ陸軍電気通信博物館に安置されています。

ちなみに、鳩が通信の主流だった頃、これに対抗するために
鷲や鷹を訓練して、前線の鳩を襲わせるということも行われました。

 

■ハチ

ハチも軍隊に就職し、偉大な任務をやり遂げることがあります。

古代ローマでの軍でのハチ使用というのは、せいぜい蜂の巣を
敵の陣に投石器(カタパルトという)で投げ込むくらいでしたが、
近代の戦争ではハチの優秀なアンテナが軍に利用されています。

ハチの嗅覚は大変優れていて、遠くに離れた花粉の匂いを嗅ぎわけて
その花に間違いなく到達する能力を持っています。

軍の科学者たちはこの知覚能力が活用できる日が来るとしています。

彼らが花粉を探索する時、花の方がその「ご褒美」として
ハチの「吻」と言うストローのような口に蜜を吸わせるのですが、
そのご褒美を利用してハチをトレーニングし、爆弾の匂いを覚えさせ、
安全対策に投入するということもできます。

今のところ、実現はしていないようですが。

■ ツチボタル

第一次世界大戦といえば塹壕、塹壕といえば第一次世界大戦。

というくらい塹壕戦のイメージのあるこの戦争で、兵士たちは
塹壕足と呼ばれる症状に苦しみました。
濡れた手足が風にさらされるとしもやけ、さらに凍傷になります。
気温10℃の塹壕のぬかるみにずっと浸かっていたためで、
足が変色、膨張して凍傷になり切断した兵士がたくさんいたのです。

しかも当時は携帯のランプなどありませんから、塹壕では
暗さにも苦しめられました。

そこでたくさんの土ボタルを集めてきて、ランプにしたのです。


透明の瓶に入れ、これが本当の蛍の光。

その光のもとで、彼らは文字通り「文読む月日重ねつつ」、
故郷への手紙を書いたのです。
 

ちなみに「オールド・ラング・サイン」を蛍の光と呼ぶのは
我が日本だけですが念のため。

ツチボタルは成虫に成長する前の幼虫の状態で、
その段階で発光するのですが、これは一種の化学反応で、

bioluminescence(バイオルミネッセンス

といい、この言葉そのものが生物発光を意味します。

2010年までの研究によると、「蛍の光」になるくらいの
生物発光をする虫は10種類しかいなのだそうです。

■ナメクジ

ナメクジが戦争に役に立つということもあります。
やはり第一次世界大戦の塹壕では、ナメクジが一斉に丸まったら
マスタードガスが撒かれた可能性があるとして、兵士たちは
それを見てガスマスクを装着しました。

ナメクジは人間の嗅覚よりもずっと早くガスに反応するのです。

マスタードガスというのは西洋ワサビに似た匂いを発することから
この名前がつけられたびらん性のガスで、残留性が強く、
しかもすぐには知覚できないという恐ろしい武器でした。

第一次世界大戦では1917年にドイツがカナダ軍に対して使用し、
それ以降両軍によって使われることになりました。

ガスマスクといえば第一次世界大戦、第一次世界大戦といえば(略)
というイメージはマスタードガスによって普及したのです。

ナメクジを探知のために使うことはアメリカ陸軍が1918年に始め、
その後5ヶ月間に渡って多くの兵士の命を救ったということです。

■ ロボ・トンボ

これを生物といってしまうと差し障りがありそうですが、
アメリカ軍はロボットの飛行体、つまりドローンを
第二次世界大戦の頃からずっと使っています。

CIAも30年以上、

insectothopter 

というトンボ型のロボットを開発していたそうです。

上が本物、下がロボトンボ。
もしこれが飛んでいたとしても、まずわかりませんよね。

ガソリンエンジンで動き(!)羽は本物と同じく4枚、
体躯には小さな盗聴装置が仕込まれていました。  

 し か し ( 笑 )

悲しいことに、このロボトンボ、強風が吹くと飛ばされて、
どこかにいってしまうことがわかったのです。

というわけで、30年かけたロボトンボ開発は終わりを告げました。

しかし、たとえ風が吹かなくても、そこがもし日本なら、
夏休みの子供に網で捕まえられ、

「なんだこれ!」「ロボットじゃ!」「おまわりさんに持ってくべ!

となって機密がダダ漏れという結末になっていたでしょう。

え?

CIAは子供がトンボ取りするようなところに盗聴器を放ったりしない?
それに今時の子供はトンボ取りなんてしない?

これまった失礼しました〜。


続く。


 

 

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野宴〜平成30年度 陸自第一空挺団降下始め:番外編

2018-01-23 | 自衛隊

平成30年度の降下始め、ようやく微に入り細に入りの報告が終わりましたが、
番外編をお送りします。

ところで、今回、日本の空挺団歌である「空の神兵」の聴き比べ企画が見つかりました。

空の神兵


07:23ボニージャックス

09:04ペギー葉山、ボニージャックス

12:46橋幸夫

26:09陸軍士官学校・海軍兵学校出身者有志

29:53戸楽会(陸軍戸山学校軍楽隊出身者有志)

31:52帝國陸海軍軍楽隊大演奏会

35:00四谷文子、鳴海信輔

41:40坂本博士、ボーチェ・アンジェリカ

44:55灰田勝彦

48:20帝國吹奏楽団

陸軍戸山学校軍楽隊出身の有志が上手いのは全員管楽器奏者だったから
当然と言えば当然ですが、旧陸士海兵有志がうまいのでちょっとびっくりです。

ボニージャックスの演奏はNHKで放映されたもののようですが、
現在のNHKから考えるとこのような企画を行ったことが信じられません。

ボーチェ・アンジェリカ(天使の声)とは女性ばかりのコーラスグループで、
代表的なヒット曲は「忘れな草をあなたに」

この曲を彼女らのために書いたのは江口浩司
「月月火水木金金」の作曲家江口夜詩(えぐち・よし)の息子で、
海軍兵学校76期に入学しましたが、在学中に終戦を迎え、
戦後は流行歌の作曲家として活躍しました。

わたしの知人である兵学校同期の方は、江口氏が芸能界で派手に活動していた頃、
「一緒によく遊んだ」ということです。
この方のおっしゃる「遊んだ」とは山登りや麻雀のことではありませんので念のため。


さて、番外編はこの日演習終了後、習志野演習場で招待者を招いて行われた
「野宴という名のバーベキュー大会」です。

招待者参加だった知人の方、K氏が野宴の写真を送ってくださいました。

これはぜひ皆さんにお見せしたいものだと思い、当ブログ上での公開をお願いしたところ、
快くお許しをいただきましたので、ここでご紹介させていただきます。

これはまたお高いところからの写真ですね。
空挺降下しながら撮ったと言われても信じてしまいそう。

野宴の会場は、一般参加者には全く目に触れない、奥の方にあります。

降下始めが降下中心になる前は、降下始めが終わったらフィールドに
ヘリや装備を並べて展示を行っていましたが、その準備を待つ間、
どこからともなく風に乗って肉を焼く匂いが漂って来たものです。

 

もちろん会場の全景を見たのは初めてですが、思っていたよりずっと広大。
これだけキャパがあるならば、誰かに頼めば一人くらい、
簡単に入場資格は得られそうな気もしますね( ̄ ̄)

ただ、この日の外にいるだけで辛くなるほどの寒さを思うと、
こんな寒々しいところでバーベキューとはいえ食事をすることはどうか、
と思えないこともないのですが・・。

招待者席にも若干の問題があります。

K氏によると、招待者観覧席は傾斜が緩く、正面も左右も視界は悪い上、
招待者は全席指定で否応無く場所が決められるので、写真を撮る気なら
朝から並んだ今回のわたしの席の方がずっといいと思う、とのことでした。

ところで、わたしの座っていたところからは撮れなかった、
小野寺防衛大臣のご来臨の時の写真もアップさせていただきます。

防衛大臣の着ているジャンパーには左胸に「小野寺」と刺繍されています。
空挺団のキャップは現場から贈呈されたものでしょうか。

スーツの人たちは防寒用に迷彩のジャケットを借りて着ています。
そういえばわたしも朝霞の「りっくんランド」で迷彩を借りたことがありますが、
毎日洗濯するのか、洗い立てのような香りがしていました。

ほー、Kさんはこんなところから写真を撮っておられたんですか。
随分前の方ですね。

これもせっかく送っていただいたので。
なんと、「大臣用」。
「小野寺防衛大臣用」と書かなかったのはさすがです。(何が)

しかし、これってどうなんだろう。

自分一人だけのブースを用意されていても嬉しくないというか、
積極的にありがた大迷惑って気がするんですけど。

特に女性は絶対に嫌だろうなあ、と考え・・・あっ、去年は(略)

さて、冒頭写真は野宴会場の正面ですが、国旗の上に

「祈 降下安全」

という文字が掲げられています。
やはり降下始めは年の初めに安全を記念する行事だってことですよ。

くどいですが、本当に今回、あの傘が絡んだアクシデントで怪我人等が出なくて
よかったと今更ながらに思いますね。


毎年この野宴会場のセッティングは決まっているようで、スロープの高い部分に
防衛大臣始め政治家などが座る「貴賓席」が設けてあります。
天幕を張って寒さを防いでいますが、きっと偉い人たちは吹きさらしで寒かったと思うの・・。

会場の外側には、エスコートやお世話係の自衛隊員が中腰で待機してます。

そこからずずーいと後ろに下がっていくとこんな光景が。
手前には「特科大隊」と旗がありますね。

向こうには「空挺団本部中隊」など、大隊、中隊ごとに
関係者が焼肉テーブルを囲むという趣向になっていることがわかります。

宴会に先立ち、やはり小野寺大臣のご挨拶がありました。
元空自隊員(自称”空飛ぶ参議院議員”)宇都隆史議員の姿がありますね。
(普通のスーツで寒そう・・・)

そして、小野寺大臣の後ろ、酒樽越しに見えるのは、
野田佳彦元総理大臣ではございませんか!

野田元総理は選挙区が千葉県。
父上が自衛官と言うことは知っていましたが、改めて調べると、
父親の勤務がここ習志野駐屯地だったので、ここで育った、
と言う経緯があるようです。

なるほどー、それでは呼んで差し上げるのが礼儀というものですね。

余談ですが、わたしの所属している某国防団体の総会、親睦会では
いつも民進党の小西洋之議員を呼ぶことになっています。

先日市ヶ谷で行われた賀詞交換会でも名前が呼ばれていますが、
わたしはこの議員が出席しているのを今まで見たことがありません。

自衛隊の家族会などと合同で行われ、メインの賓客が防衛大臣で、
(今回は小野寺大臣、稲田朋美元大臣などもお目見え)挨拶では
必ず「憲法改正に向けて」という一言を付け加える議員がずらずら、
という席に、どうしてこの議員を呼ぶのか正直全く理解できません。

ご本人も決して出席しようとせず、頑なに代理の秘書を出席させているのは、
やっぱり「佐藤議員に殴られた後どうだった?」とか
「いつ亡命するの?」とか聞かれる(というか弄られる)からかな。

まるで国会内外でわかりやすいヒールを演じているがごとき言動も
国会議員というものが「あれを仕事でやっている」からこそ、
とはわかってはいるのですが、何より本人が痛くて見てられないので、
防衛団体ももうコニタンを呼ぶのやめてあげて!といつも心の中で思います(嘘)

宴会開始前の野宴会場風景。

折りたたみ式の真ん中をくり抜いた焼肉テーブルがずらり。
ODカラーの毛布が掛けられた椅子がわりの箱はもしかして
弾薬か何かが入っていたものかな・・・?

待機している自衛隊員たちは宴会が始まったら甲斐甲斐しく
肉を焼いたりして接待します。

自衛隊が一般人を招待する宴会では、海自は専門の調理員が
刺身と海自カレーに腕を振るい、空自はほとんど業者にお任せする感じ。
(入間だけの情報ですが)、陸自は一般隊員が一切を任されるというイメージ。
ここで調理をしているのもどうやら一般隊員のようです。

炊き出しのカレーも一般隊員が力づくで?作ってしまうのが陸自です。

しかし、この日の実働部隊で一番楽で楽しいのはここだっただろうな。
調理中の様子にも、笑いが見え、それを裏付けています。

ここには

「陸上自衛隊が世界に誇る?秘密兵器」

とKさんおっしゃるところの「野外炊具2号改」という、
無駄にかっこいい名前の調理器具が投入され、熱々の豚汁が
無尽蔵に参加者に振舞われたということです。

豚汁・・・それはこの寒さの中でさぞ美味しかったことでしょう。

さすが陸自、真昼間からアルコールOKの宴会だったようです。

ビールの他に竹筒に入れた日本酒がありますが、これは
小野寺大臣の後ろにあった酒樽の酒で、おそらくは鏡割りも行われたのでしょう。

新年らしく寿のは仕入れが用意され、各テーブルにはなんと
出席者の名札がちゃんと置かれています。

焼肉なのに指定席とは・・・!?

 

肉を甲斐甲斐しく焼くのは陸自隊員の役目。
ちゃんと手袋をして、トングで次々と食物を投下しています。
流石に日本の焼肉だけあって、ちゃんと緑のものが見えますね。

アメリカでバーベキューっていうと、パテを焼いてハンバーガーを
食べることだったりするので、野菜なんてせいぜいコーンしかないのですが。

服が汚れないように紙エプロンまで用意してあるみたいだし、至れり尽くせりです。

女性ばかりのテーブルで半分が制服。
この女性たちは入隊希望者だったということですが、
まるで女子会のような楽しいひと時を過ごして、

彼女ら、自衛隊入隊の決意が固まったかな?


写真を多数送っていただいて、ここでご紹介しているうちに、
参加していないのにすっかりその気になったわたしです。

これを作成している今、首都圏は大変な大雪が降っています。
4年前、降下始めの次の日がこんな雪だったのですが、今年も重ならなくてよかったですね。

おまけ:

アップしてからK氏より追加で送られて来たバトラーのデジタル情報。
K氏の同行者が

「貴賓席にしかディスプレイがないはずなのに」 

と不審がられながら撮ったものだそうです。

丘の麓で赤軍が狙い撃ちされて死屍累々になっている様子が判ります。
実際のデジタル管理システムでは兵士の脈拍・血圧(!)まで把握し、
生存・怪我・戦死を判定するのだそうです。

血圧を測られたら、わたしなど低血圧すぎて負傷扱いされてしまいそう(笑)


資料提供して下さったKさんに御礼を申し上げます。


降下初めシリーズ終わり。




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陸将補のFF資格取得〜平成30年度 陸自第一空挺団降下始め

2018-01-22 | 自衛隊

 

平成30年度降下始めシリーズ最終回です。 

 

フリーフォールを今度はかなりの高高度から行うようです。
本日降下を行った中でも選りすぐりのベテランがトリを務めるのです。

説明が聞こえなかったのでどのくらいの高さから降りたのかわかりませんが、
グリーンベレーが行うHALO(ヘイロー)降下、高高度降下低高度開傘は、
文字通り高高度から降下して、そのまま自由降下して、低高度では傘を開き、
それは実際には

高度10,000メートルから降下

高度300メートルで開傘

という凄まじいものです。

生身で9,700メートル落下していくというのはどんなものなのでしょうか。
その間ブラックアウトしたり、手足の自由が利かなくなったり、
精神に異常をきたしたり、と人体の調整がちょっと狂っただけでも
残り300mで間違いなく開傘することは不可能になるような気がします。

飛行機が敵のレーダーに捉えられないくらい高高度からの降下は、
生身では確実に失神しますので、酸素マスクと防寒着が必須です。

しかし自衛隊ではさすがの空挺団もこんな無茶な降下は行いません。

もちろん彼らのことですからやらなければいけなくなったら装備を使って
やるでしょうが、そもそも HALOを用いる作戦というのは

「国境付近などの潜入任務に用いられることが多い」

ということなので、自衛隊ではそこまで想定していないのでしょう。
場面もそうですが潜入する国境がそもそもありませんのでね。

自由落下はある程度高さがないと逆に危ないと思われます。
ただ、習志野で高高度から降下をすることは、あまりに着地範囲が狭いので、
やはり訓練されたベテラン隊員にしかできないに違いありません。

前々回ご紹介した「ライザーの血」のライザーは、この写真で
ハーネスから4本出ているベルトのことです。
人一人の命をたった4本のライザーで傘とつないでいるって考えたら凄いですね。

そうそう、兒玉陸将補のFF降下について、とっておきのニュースがあります。
陸将補は昔FFの資格を持っていて、「昔取った杵柄降下」を行ったのではないか、
と書いたのですが、その後、防衛団体の新年会で陸自の方から聞いたところによると、

「兒玉陸将補は空挺団長になってからFFの資格を取った」

ということが判明しました。
これはもう素直に凄いの一言です。
こんな老齢(52歳)でFFの資格を取った例は過去の歴史でも初めてだそうで、
陸自の中でも当時相当話題になったということでした。

そうかと思えば、やはりわたしがここで薄々予想したように、それまでの配置が
補給とか装備とかで、全然体がなまりきっていたところに内示が来て、
しかも着任の10日くらい後に指揮官降下をしなければならないと知り、
慌てて毎日特訓をして当日に備えた指揮官の話も聞きました。

その方はおっしゃったそうです。

「天はわたしに味方しました」

ナイスコンディションで、10日の付け焼き刃でも華麗に飛べたのか?
と思いきや、

「降下始め当日、天候不良で降下が中止になったのです」

・・・・それ、味方って言わないと思う。

しかしこの人たちはそんな付け焼き刃降下とは次元の違う、
熟練のダイバーであることは、この着地にも表れています。

もうほとんど楽しいお散歩状態で着地してます(笑)

ふわり。

彼らの着地を見ていると誰にでもできそうな気さえしてきます。

傘を動かして降下する方向を調整するブレークコードは、
フリーフォールで飛び降り、傘が開いてからこれを探して掴むので、
目の端でも捉えられるように取っ手が赤になっています。

降下後、一列になって退場していくFF降下の隊員たち。
このヘルメットはもしかしたらインカムついてるんですか?

目印に焚かれたスモーク越しに降下した後の隊員がたくさん見えます。
青いキャップをかぶった隊員は安全係のようです。

これをもって200名の空挺降下は終了です。
ひやっとなる場面もありましたが、無事にすんで何よりでした。

最後に、陸自のヘリコプターがご挨拶がわりに習志野演習場を通過していきました。
まずAh-1コブラ2機。

アパッチロングボウ。
国内で保有している11機(2015年現在)のうちの貴重な1機です。

多用途ヘリUH-1は傑作機といわれ、自衛隊でもたくさん装備しています。
UH-1JとHの見分け方は単純に「おでこにツノのあるなし」なのですが、
この3機はツノがあるのでUH-1Jということになります。

まだHも活躍中なんですよね?

たくさんの降下をさせ大活躍のチヌークCH-47も2機でご挨拶です。

あっ、窓からのぞいている人が写ってる!

演習が終わってからマイクのセッティングを行う隊員。

これで降下訓練は全て終了です。
本日小野寺防衛大臣の訓示を受ける部隊が整列し、敬礼。
中央音楽隊は観閲の音楽を最初と最後にわずか8小節演奏するために
寒い中延々と待機していたことになります。

こんなに寒いと、金管楽器は冷えまくりで、音程が下がるはずなので
特にフルートなど結構大変なのではないかと思います。

指が凍えても手袋をして演奏するわけにいきませんからね。

小野寺防衛大臣は、

「北朝鮮が核、ミサイル開発を進めており、また、
昨日には潜没潜水艦と中国艦艇が同時に尖閣諸島接続水域に入域するなど、
我が国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増しております」

と訓示をしました。
この「潜没潜水艦」という言葉をどの報道機関も横並びで記事にしていました。
「潜水艦が急激に潜行すること」という意味の「潜没」を
小野寺大臣が本当に使っていたからです。

耳で聞いただけでセンボツを「潜没」という意味だと理解した人は
おそらく現場にはあまりいなかったのではないかと思われます。

また、小野寺大臣は、鳥インフルエンザに対する災害派遣や
海賊対策での海外派遣などを例に挙げて、

「自衛隊への期待がこれまでになく高まっている」

とも激励しました。

ちなみに、降下始めについて報じた新聞は軒並み

「小野寺大臣が檄」

というタイトルで、中国潜水艦や北朝鮮などの言葉を含む訓示内容が中心だったのですが、
産経新聞だけは、そのタイトルを

「精鋭無比」の陸自空挺団 降下訓練始めで「傘の花」

とし、

陸上自衛隊第1空挺団の降下訓練始めが12日、
陸自習志野演習場(千葉県船橋市など)で行われた。

「精鋭無比」を標語とする空挺団員ら約500人に加え、
米陸軍も沖縄や
米アラスカの部隊から約80人が参加。

団員らはヘリコプターや空自の輸送機から次々とパラシュートで降下し、
澄み切った青空に「傘の花」を咲かせた。

小野寺五典防衛相は訓示で「空挺団の精強性は諸君の気概に加え、
厳しい訓練で培われた高い技量に支えられている」と激励した。

という、至極真っ当な報道を行ったとわたしは思いました。

アメリカの部隊がアラスカからも来ていた、ということについては
そう言われてみれば現地の放送で小耳に挟んだ覚えがあります。

産経新聞を見て初めて調べることができたのですが、
これは

第4旅団戦闘集団(空挺)第25歩兵部隊
4th Brigade Combat Team (Airborne), 25th Infantry Division

であったことが判明しました。

過日ここでご紹介した「ライザーの血」という空挺歌は、
まさにこの部隊が代々歌い継いで来ているものです。

なるほど・・・この部隊のために流していたのか・・・。

この写真がこの日最後に撮ったものです。



一度も立ち上がらなかったため、終わってから自動車教習所横の出口を出て、
駐車場まで足が痺れたまま歩いていました。

あまりにもこの日の寒さが過酷だったせいで、その後、どんなに寒くても

「あの日の辛さに比べればヘーキヘーキ」

と思えるようになったから凄いものです。

帰ってからは「もう二度と降下始めなんて行かない」と思うのですが、
来年になればまた喉元過ぎれば寒さを忘れて行ってしまうんだろうなあ。

まあそのときにはせいぜいカメラの電池を忘れないようにしようっと。

 

さて、降下始めそのもののご報告はこれで終わりですが、次回、
番外編をお送りします。


続く。

 

 

 

 

 

 

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あわや事故!〜平成30年度 陸自第一空挺団 降下始め

2018-01-21 | 軍艦

 

アメリカ陸軍のエアボーン・アカデミーの映像が見つかりました。
巨大なC-17にたくさんの空挺隊員が乗り込んでいく様子、スタティックラインに
フックをかけてとびだしていく様子が映っているので観てみてください。

 Paratroopers Static Line Jump From C-17

やはりこの中にも女性隊員の姿が見えます。
C-17のコーパイも女性だし、スタティックラインを押し出す係も女性ですね。
2年前に解禁になって、過酷な兵種にも女性が参加し、
普通に男性並みの任務をこなしているのがこの映像からもわかります。

日本でもついに潜水艦に女性士官を乗せるという話もありますね。

 

ところで冒頭写真をスクロールして途中でぎょっとされた方もおられるかもしれません。
これ、どうなっているのかすぐにお分かりでしょうか。

大量に空挺降下が行われたこの日の降下始め。
これでもかとC-1やC-130Hなどの航空機からも傘がばら撒かれました。

大型輸送機からの降下は、ハッチの両側から同時に行われます。
わたしの隣に座っていた常連の方(この方も去年は来なかったらしい)が
傘が改良されてから降下と降下の間を開けなくてもよくなったので
両側から飛び降りることができるようになったのだと教えてくれました。

どういうことかというと、傘同士が絡みにくくなったということでしょう。

航空機は時速200キロで航過するので、その結果
両側から同時に飛び降りた二つの傘が固まって降りていきます。

こうやって見ると、ペアになって落下していくようです。

間を開けなくとも飛び降りられるということは、狭い範囲に
一航過で何十人もの降下兵を投入できるということでもあります。

米軍の空挺を見ていただいてもわかりますが、飛行機から出たばかりの落下傘は
ひとかたまりになって
傘同士がぶつかり合ったりしています。


自衛隊の使用落下傘もその点を考慮された設計であるはずですが、
それでも100パーセント安全ということではないのです。

それを実証するかのように、異変が起こりました。

 

 

前後して降りた二人の降下者の、一人のメインキャノピーが
少し上にいた人の索に絡まり付いてしまったようです。

「傘が絡まってるー!」

わたしの周りでこれに気づいた観客は騒然となりました。

少し上空で起こったアクシデントであったらしく、わたしが見たときには
すでにこの状態になっていました。

傘が相手の索に絡んだ瞬間、下の降下者は予備傘を迅速に作動させ開いたようです。

今や二人はメインとその約半分の傘で、繋がったまま降下していました。

メインの傘を絡ませた方も、絡みつかれた方の隊員も、お互いを見ながら
そのままの体勢で降りていきます。

絡みつかれた方はもしかしたら手で絡んだ傘を外すこともできたかもしれませんが、
そうした場合、相手が無事に降下できるかどうかはわかりませんから、
このまま降りようと二人で声を掛け合ったのかもしれません。

いざという時に開く予備傘ですが、メインの傘でも地面に降りた時の衝撃は
二階から飛び降りたくらいだといいますから、こんな小さな傘では
命の保証はあってもその衝撃はかなり激しいものだと推察されます。

空挺団ならきっと予備傘での降下訓練もしていると思うのですが・・。

しかもよりによって、この二人は傘以外に何か大きな荷物を持って降下しています。
遠目ですが、この二人の心中は手に取るようにわかりました。

こんな体勢のまま二人は運命共同体となって降下していきます。
だいぶ高度も下がり、地面が近づいてきました。

ほっ、ここまでくればおそらく事故になることは避けられるでしょう。
しかし肝を冷やしました。

当人たちにとってはこの何十秒かが長く感じられたに違いありません。

一般観衆、マスコミの報道、防衛大臣の前で、しかも降下始めという
「一年の安全を祈願する儀式」で事故が起こるという、
不吉な出来事にならずに済んだことにわたしは胸を撫で下ろしました。

傘を引っ掛けてしまった人がパニクって予備傘を開くタイミングが遅かったら
繋がったまま二人とも墜落してしまう可能性だってゼロではなかったと思います。

当事者が冷静であったことが最悪の事態を防いだと言えるでしょう。
二人とも若い隊員だと思いますが、この場合は最良の選択だったのではないでしょうか。

予備傘でまず一人が着地。
先に降りて傘を回収していた仲間が心配そうに見守っています。

絡みつかれた方も無事着地。
勢いが逆になくなって、着地そのものは二人とも楽だったかもしれません。

とにかく無事でよかったです。

「二人とも怖かったでしょうねー」

「あとで殴り合いになってたりして・・・」

「いや、それより正座で反省会じゃないでしょうか」

「でもミスとか心の緩みとか、誰が悪いという話でもないし」

「それでも教訓にするのが自衛隊というもんですよ」

「ということはやっぱり二人とも怒られちゃうのかな」

ほっとして勝手なことを言い合うわたしたちでした。

招待席で観覧していた方の話によると、周りにいた空挺のOBも

「かなりヤバイ状態だった」

と苦笑いしていたとのこと。
苦笑いですんでほんとよかったです。

もし、傘が絡むというアクシデントがなければ、この二人は抱えた荷物を
このように吊るして降下することになっていたのに違いありません。

非常事態なので二人とも荷物は体に付けたままにしていました。

なんのために荷物を吊るすのかわかりませんが、錘の代わりかな?

問題の二人のところには、どこから表れたのか青いキャップの自衛官が来て、
絡まった傘を解く前に状況を写真に撮っているようでした。

二度とこういうことが起こらないように対策をしっかりしなければ・・・、
と言っても、今回のような偶発的な事態は起こってしまったら防ぎようがないからなあ。

その間もC-1が惜しげも無く傘を撒いていきます。
一つの航空機には20人が乗っています。

次々と航空機からばら撒かれる傘に、皆圧倒されます。
200名もが降下して全ての傘が事故もなく、よそに流れることもなく、
(冗談抜きで習志野は空挺降下をするには少し狭いらしい)
無事に降りることができてよかったと思いました。

今まで見たことがないほど傘が密集しています。
ワンショットで同時にこんなたくさんの傘を画面に捉えられること自体初めての経験です。

C-130Hは愛知県の小牧基地に所属していて、第一空挺団の降下訓練を
支援するのも重要な任務の一つです。

機体は小牧からやって来ているようですが、
一体どこで空挺団を乗せて飛んでくるのでしょうか。
C-1と一緒に入間基地を使用しているのかな?

空挺団の人たちはチヌークか何かで滑走路のある基地に運ばれ、
そこで固定翼機に乗り込んで、習志野に降下するのだと思われます。

日常の訓練のたびにそんなことをしているのだとしたら、
移動手段だけ考えても
大変な手間がかかっているってことなんですね。

ところで、空挺団を支援する航空機のパイロットというのは、
空挺降下訓練に
どのような感想をお持ちなのでしょうか。

今日さるところでチヌークのパイロットから聞いて来たばかりの話を披露すると、

「あれはなんとも言えない変な感じです」

何十人も乗り込んでいたのに、ある瞬間からかき消すように皆いなくなる。
まあ飛び降りてしまうのだから当然なんですが、操縦席の人間にすると、
さっきまで後ろでひしめき合うように乗っていた人間が、次に振り向いたら、
しかも何秒間かの間に忽然といなくなっているわけですから・・・。

凍えるほど寒い一日でしたが、そのおかげで雲は低い位置にしかなく、
傘が大変綺麗に蒼天に散りばめられているような光景が見られました。

招待席の方の感想は

「まさにマーケット・ガーデン作戦、映画『遠すぎた橋』です」


ヨーロッパで第二次世界大戦中行われた有名な空挺作戦で、
「マーケット作戦」「ガーデン作戦」が行われたので「マーケット・ガーデン作戦」。

映画になってましたが、結局空挺作戦は失敗し、連合軍は敗北してるんですよね。

失敗の原因については後世の歴史家がいろんなことを言っていますが、
アメリカの歴史家は「イギリスが悪い」イギリスの歴史家はアメリカが(略)
と、互いに責任を押し付けあっているようです。


ふわふわと降りていき、地面でゆっくりと潰れていく。
まるで水に漂うクラゲを見ているような気分です。

こういう特殊な光景を目に刻む機会はそうあるものでなく、
戦車の活躍はなくとも、十分やってくる価値はあったと今は思っています。

降下する人数が多いと、こんな光景も見ることができます。
ところで彼らはどこに向かっているのでしょうか。

次々とやってくる航空機と降下を見るのに一生懸命になっているうと、
こうやってどこへともなくいなくなってしまう大量の空挺隊員たち。

空挺支援のパイロットではありませんが、これも実に不思議です。

嘆いても詮無いことではありますが、この傘の列を
ぜひ一眼レフで撮ってみたかったなあ・・・・・・・。

 


続く。



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日米空挺降下の違い〜平成30年度 陸自第一空挺団降下はじめ

2018-01-19 | 自衛隊

さて、ブラックジョークに近いアメリカ陸軍空挺隊の「愛唱歌」、
「ライザーの血」について解説しましたが、空挺という危険な兵種で
その最悪の事態を起こさないための安全対策というのは、当然としても、

「ちゃんと安全確認しないと死ぬよ」

とか、

「空挺で死んだらこうなるよ」

という程度のことをどうしてこうくどくどと歌にまでしないといけないのか。

わたしは思うのですが、アメリカ陸軍の兵の裾野というのは大変広く、
自衛隊のようにある程度のレベルの学力がないと入ることもできない軍隊と違い、
特にこの歌が生まれた第二次世界大戦時には、ほとんど字も読めないレベルの
兵隊が山ほどいたので、そんな彼らに教科書を読むことでなく
感覚で失敗の怖さを植え付けるために、陸軍ではこのような啓蒙ソングを作り、
繰り返し歌わせたのではないでしょうか。

さて、そんな空挺の系譜である特殊部隊、陸自グリーンベレーの空挺が行われています。
彼らの使用している傘と陸自のそれの違いを見比べられただけでも価値があります。

よく考えたら、日本において日米の訓練展示を見る機会など初めてです。
去年からの降下始めへの米軍参加は、米軍側からの申し入れだったそうですが、
注目すべきは本日参加したグリーンベレーが沖縄駐留部隊であること。

戦車を投入した島嶼防衛のシナリオによる想定訓練はありませんでしたが、
これはよく考えたら、いやよく考えなくても、彼らは尖閣への空挺を想定しており、
これもまた角度を違えた島嶼防衛訓練であると見ることができるのです。

そりゃ共産党市議が文句の一つも言いたくなりますわね。

ちなみに今年の訓練について共産党が抗議したというニュースは
今のところ寡聞にして知りません。

とにかく、初めて見るアメリカ陸軍の空挺、傘の形だけでなく
陸自空挺団とのやり方の違いに注目してみましょう。

この降下している人を拡大してみると、女性らしいことがわかりました。

ね?女性でしょ?
前回女性空挺兵が乗り込んでいくのを写真上で見つけ、探してみたのですが、
どうやら彼女がその一人のようです。

しかし、グリーンベレーの女性・・・凄すぎる。

第一空挺団の降下も間断なく行われます。
我が空挺団の降下は、両足を揃え、腕を閉じて行われます。

少しでも空気抵抗を少なくすることが主目的ですが、
索が伸長する際に腕に絡まる万が一の危険を排除するためでもあります。

降下中、手は補助傘においている人が多いようです。
陸自仕様のスタティックラインジャンプ用傘は

696MIパラシュート、通称12傘(ひとにいさん)

といいます。
いちにがさと読むんじゃなかったのか。

ここで米軍のジャンプを見てみます。
多分この時も「エアボ〜〜〜ンッ!」とか言ってると思います。

米軍も腕を組んでいますが、脚は踏み出したまま宙を歩くような感じ。
陸自と違って脚を揃えることにはなってないみたいですね。

米軍の傘も二種類があり、指揮官が使っていた四角っぽいのと
別のタイプは、自衛隊のヒトニイサンに形は大変よく似ています。

あっ、この左上の降下者も女性かな?

自衛隊の傘との違いがよくわかる画像。
キャノピーの空気抜きのある反対側表面が二重のダーツが取られていて、
その中に空気を含んで傘の形が膨らんでいます。

色も空挺団のゴールドに対し、オリーブドラブ色に近い感じ。

彼らにとっても、こんな住宅街の真ん中に降りる経験は貴重かもしれません。

米軍の着地してからの様子にも注目してみましょう。

遠目に見て彼らと陸自の見分けは、靴の色でつけることができます。
靴の部分が赤いですが、何かバンドを巻いている模様。

そして着地。
もうすでに地上にはいくつもの傘が・・・ん?まだ落ちてる?

その訳はですね。
アメリカ陸軍特殊部隊グリーンベレーの皆さん、着地した後は、
こうやって結構長い間横になってぢっとしているからなのです。

目の前で起こっていることが信じられなくて、なんども確認したので間違いありません。
前半エントリで米軍の指揮官がいつまでも寝ていたというのをご紹介したところ、
招待参加の方から

「落下傘を束ねるのが苦手で、風で煽られ落下傘に振り回されるのが
みっともないから、お手伝いが来るのを待っていた・・んじゃないの」

と指揮官降下経験者の元自衛官が言っていたと教えていただきました。

なんでもこの元指揮官は、指揮官降下で無事に着地までは良かったのですが、
その後傘を束ねようとして、風で煽られた落下傘のあとを追いかけて走り回り、
ご家族の前で面目丸潰れになったという経験則から米軍司令官の寝たきり事件を
上記のように解析されたのだということですが・・・。

んが、ここで寝ている人たちはお手伝いが来てくれるような偉い人じゃありません。

そもそも空挺部隊というのは基本地面に降りてからがお仕事開始なので、
こんなにのんびり空を見ていていいのかと心配になります。

心配になるほど横になって休憩していたかと思うと、ようやく
首をもちあげて起きる気になった様子です。

ははーん、これは、あれだな。

陸自の人も、訓練の合間に一瞬の隙があれば「寝る」っていうじゃないですか。
あの瞬間、彼らは心から幸せだと思うという話をどこかで読んだのですが、
きっとグリーンベレーのお兄さん(お姉さんもいるけど)は降下直後、
しばし大地に横たわって一息入れているのに違いありません。

一応起き上がったら走って行動しております。
向こうでは傘の片付けも終わりそう。

傘の入っていたコンテナ(背嚢)をわざわざ外して索の先まで運びます。

向こうではキャノピーを畳んでいますが、なんだかずいぶん仕事が丁寧ね。

まず索を先端からまとめて、っと・・・・・。

まとめた索の先から順番にコンテナに詰めていきます。
これがまた結構時間がかかるんだ。

ようやく詰め込み作業完了。
・・・ってか現場でここまでやるんだ・・・。

ちゃんとコンテナのベルトを留めて、よっこいしょういちと背負い退場。
一仕事終えた感満載の後ろ姿です。

さて、その間にも、次々とヘリコプター、航空機が空挺部隊を降下させます。
C-1からの降下はよく「走る新幹線から飛び降りるのと同じ」と言われ、
しかもそれが東京タワーの高さからだというのですが、タワーよりずっと高く見えます。

 

C-1 やC-130Hなど固定翼機からの降下は両側のドアから行います。

ほら、一航過するだけで驚きの降下が!洗剤のCM風に)
20名が一度に飛び降りました。

すると、まだその先陣が降りきらないうちにもう一度C-1航過!

ああ純白の 花負いて  ああ青雲に 花負いて 」

「空の神兵」にもこう歌われているように、その頃の傘は真っ白でした。

視認性を低くするために今では白い傘は軍用には使われなくなりましたが、
旧陸軍の空挺降はさぞ幻想的で美しかったことでしょう。

この傘がそのまま白かったら、と空想し、ついでこんなことを考えました。

「メナドやパレンバンに侵攻したときの落下傘もこんなだったのかな・・・」

空の神兵

本当にこんな感じです。
降下する直前の彼らの表情、陸攻のパイロットが下を見つめる表情、
(この人がものすごい男前!)貴重なフィルムを歌とともにどうぞ。


降下中の姿勢は日米両軍ともに変わりなし。
傘の索の中には、降下者が引っ張れば傘の形を変えて
降下地点をある程度操作できるコントロールラインがあります。

この降下者は右手でそれを引っ張り、操作しています。

そして着地してから。

5点着地によって衝撃を緩和するように着地した後は、
空挺団はすぐさま立ち上がり、傘の片付けに取り掛かります。

寝転んで空を見ているなどという悠長なことは我が空挺団には許されません。

体に付いたままの索を束ね、振り回すように回転させながら
手元に引き寄せて手早くまとめていきます。

降下してから傘をまとめるまで、ほんの2〜3分という感じです。

そして、そのまま傘を抱えて走って退場していきます。

先ほどの写真の米軍兵が寝ている間に、自衛隊は2機の航空機から空挺が着地し、
米軍が落下傘をコンテナに詰めている間に、着地したそれらの2グループは
ほとんどが傘をまとめて撤収していきました。

つまり、一番の日米両軍の違いは「降りてから」だったのです。


もっとも、万が一実戦となれば、米軍も傘を片付けたりはせず
そのまま次の戦闘行動に移るのでしょうし、自衛隊も抱えて走ったりせず、
落下傘をその場に脱ぎ捨てていくのだろうと思われます。

そして最も大きな違いがこれ。
グリーンベレーはスマホでインスタ映えも狙えてしまう模様。


続く。


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空挺隊員のシニヨンと空挺歌「ライザーの血」〜平成30年度 第一空挺団降下始め

2018-01-18 | 自衛隊

「今日は『降下まつり』でしたねー」

次々これでもかと行われる空挺降下を見ながら口に出た言葉です。
下は18歳から最高齢52歳までの空挺隊員が日米合わせて
200名空挺降下を行ったというこの日の降下始め。

アメリカ陸軍の空挺部隊が参加するようになったのは去年からですが、
そのことについて某レッドフラッグ新聞が詳しく?報じています。

この日同行者との会話で、

「サヨクの人たちはとにかく武器武装についてすごく詳しいらしいですよ」

という話を聞いたのですが、この記事も大手新聞などより
米軍が降下始めに参加することになった経緯がよくわかるのです。


なんでも彼らは1月8日に行われる降下まつりの直前の5日になって、
米軍の参加を嗅ぎ付けたようです。

「敵地奥深くに投入され危険な任務を実行する日米部隊の
連携強化、一体化が進んでいます。」

うーん、この書きぶりは、つまり

「集団的自衛権が行使できるようになったので、米軍の戦争に巻き込まれ
奥地つまり敵国に投入されて危険な任務で自衛隊員が死んでしまう!
一体化が進んで、自衛隊が米軍のいいように利用されて日本が戦争する国になる!」

と言いたいわけですね。
日米両軍が一体化って正月早々何をわけわからんことを(笑いも起きない)


米軍の参加は前年度の12月21日に決まったそうで、
レッドフラッグによると防衛省の担当者は、

「米軍から『日米の連携強化をアピールしたい』との要請があった」

と米軍が訓練に参加することをこう説明したということです。

日米連携というのは日頃から両軍が陸海形を変えて行っていることで、
今更何を目くじら立てることがあろうか、とわたしなど思うわけですが、
記事の最後はやはりレッズらしく、ある
共産党市議による

「米軍から要請されたら断れない。
今回の訓練を出発点に歯止めがきかなくなるのでは」

という懸念の表明で締めくくっているのが様式美です。



沖縄に駐留する米軍の空挺隊が、自衛隊と共にその訓練を公開する。

日本に何かことあれば俺たちがいるぞ、という示威は、つまり
第一列島線を破るために、日夜攻撃を現実に仕掛けてきている某
国に対して
ショウオフするための軍事行為に他ならないのですが、赤い人たちって、
どうして現在進行形で行われている侵略については口を噤みながら
その一方、それを防ごうとする日米の同盟関係にばっかり文句を言うわけ?


さて、わたしたちにとっては寒いのであまり嬉しくないのですが、
空挺団を乗せるためにCH47チヌークがまた目の前に降りて来ました。

極限まで乗り出して着地地点の確認をしています。
この人落ちそうなんですけど、後ろで抑えてもらってるんですよね?

UH-1も目の前に降りました。
2年前まではどこか別のところで降下員を搭載して飛んでいましたが、
降下が展示のメインになったので乗り込むところも見せてくれます。

落下傘を背負った空挺隊員が一列になってヒューイに乗り込んでいきます。

乗り込むのに案外時間がかかるものです。

ドアを開けたままなので落下防止用のロープを張ってあります。
乗り組んだ隊員さんは皆胡座で待機。

将官旗を付けたチヌークからは迷彩軍団が降りて来ました。
やはり上空から指揮官降下を見学したようです。

そのあと、同じチヌークに米軍の降下員が乗り込んでいきました。
ところでこの写真を見て何か気づきませんか?

右から4番目、ヘリのクルーの右側にいる降下員、シニヨン結ってます

・・・・・つまり女性です!

こりゃたまげた、アメリカ陸軍は空挺団に女性兵士がいるのか。

調べてみたところ、空挺団の女性採用が決まったのは2015年からで、
戦闘任務の部隊でも女性の加入を認める声明が出されてからです。

海兵隊の特殊部隊養成プログラムに女性が加わり、ようやく一人が
それを終え指揮官として40人規模の小隊を率いることになる、
というニュースがオバマ政権末期に耳目を集めていましたね。

グリーンベレーも例外ではなく、厳しいプログラムを経て、
空挺隊に男性と同じ条件で加わる女性兵士が既に出現しているのです。

その後もしげしげとこの写真を見ていて、ヘルメットの形が
二種類あるのに気づいたのですが、グリーンのシニヨンの人が被っているのと
同じヘルメットの後ろの隊員も、体型が女性っぽい気がしてきました。

女性グリーンベレー、一人じゃない?

あれ、また小野寺防衛大臣がお供を引き連れて歩いて来ました。
いつの間にかチヌークに乗って機上から降下を視察したようですね。

まず先ほど乗り込んでいったヒューイから陸自の降下がありました。

そして女性隊員を含むアメリカ陸軍の降下が行われます。

この時、BGMは「リパブリック讃歌」に変わりました。
「リパブリック讃歌」は日本では「太郎さんの赤ちゃん」、首都圏では
「ヨドバシカメラのテーマ」など、
替え歌で親しまれているメロディですが、
なぜこの曲?

アメリカではよく替え歌を軍隊のテーマソングにするので、
この曲もそうではないかと思って調べてみると、ビンゴ。

空挺団御用達の

「ライザーの血」 Blood On The Risers

という替え歌が見つかりました。

ライザー(Risers)というのはパラシュートのキャノピー、
吊索と
ハーネスをつなぐ四つのストラップ部分のこと。
そのライザーの血・・・・・・・嫌な予感がしてきませんか。


実は、この歌、新人の空挺隊員がスタティックライン(傘を開くために
フックで機体に引っ掛けるケーブル)にフックを引っ掛けずに飛び降りたため、
パラシュートが開かず、予備傘も絡まってしまい、
地面に激突して
哀れ死んでしまうという内容なのです。

日本人なら縁起でもない、というところですが、あちらでは
啓蒙ソング(Cautionary tale)として、すなわち
空挺隊員の精神の戒めのために空挺団で広く歌われているのだとか。

 

 

1、彼は新米の空挺隊員、怖くて震えが止まらない
装備を点検しコンテナもきっちり閉めた
飛行機に乗ると飛行機のエンジンがこういっているようだ
”お前は2度とジャンプできないぜ!”

(コーラス)

血みどろ、血だらけ、なんて死に様だ
(三回繰り返し)
彼はもう2度と飛ぶことはない

 

元歌サビの「グローリー、グローリハレルヤ!」のところが

Gory, gory, what a hell of a way to die,

と変えられているのは誰が考えたかほんとに誰うま、って感じです。


しかし現地で鳴っていたのはサビの歌詞の字余り感を考えても
本家「リパブリック讃歌」の方だったと思います。

こんな内容をわざわざレコーディングして流すことはなく、
空挺隊員のブラックジョークというか、ランニングしながら歌う、
ミリタリー・ケイデンスのような位置付けで現場で愛唱されているのではないか、
とわたしは全部訳し終わった今、そう思っています。


というくらい、この歌詞、実に凄惨でシャレにならないくらい酷く、
内容はかなりの「閲覧注意」ですが、このノリもまた
アメリカ軍の一面ということで包み隠さず最後まで翻訳しておきます。

2、「誰かやる気のあるやつはいるか?」軍曹が探してる
俺たちのヒーロー、フィーブリーが「はい」と立ち上がった
凍りつく気流に飛び込んだが、スタティックラインに掛け忘れた
だからもう彼は2度と飛ぶことはない

(コーラス)

3、長いこと大声でカウントし、彼は衝撃の瞬間を待った
風を感じ、寒さを感じながら、落ちて行った
彼の予備傘から絹が溢れ、彼の両足にまとわりついた
だからもう彼は2度と飛ぶことはない

4、ライザーが首に巻きつき、コネクターが傘を壊す
サスペンションラインが彼の細い骨の周りに結び目を作った
傘が彼の経帷子になった 彼が地面に激突していったから
だからもう彼は2度と飛ぶことはない

5、生き、誰かを愛し、笑ったあれこれが走馬灯のように巡った
故郷に残してきた彼女のことを思った
彼は救護部隊のことも考えた 彼らがどんなものを見る羽目になるかと
そして彼は2度ともう飛ぶことはない

6、救急車が待機してる ジープが走り回ってる
メディックはジャンプして一斉に叫んでる 腕まくりして笑いながら
なぜって前回の「降下失敗」からもう一週間経ってるから
そして彼は2度と飛ぶことはない

7、地面に激突した時、ピシャーンと音がして血が高く噴出した
その直前彼の仲間は聴いた「なんて死に方だ!」という彼の声を
彼は横たわっている  自分の血糊の中で
そう、彼は2度と飛ぶことはない

8、(ゆっくりと二倍の遅さで)
ライザーの上に血、パラシュートの上に脳味噌、
降下服から内臓が飛び出してる
もう彼はむちゃくちゃだ 
皆で彼を拾い集めてブーツから彼を搔き出した 
そうさ もう彼は飛ぶことは出来ない

替え歌の元歌はここで終わりですが、この曲が生まれた第二次世界大戦後、
というかつい最近になって第101空挺部隊のベテランが、この続き、
「フィーブリーの息子バージョン」を作りました。

 

彼の妻と赤ん坊の息子に手紙が送られてきた
”奥さん、大変遺憾でありますがあなたのご主人は亡くなりました
しかしあなたが空を見上げれば、彼の名が空に刻まれています”
そう、彼はもう2度と飛ぶことはない

息子は長じて「僕も落下傘部隊に入る」といった
お父さんのような空挺兵に僕もなりたいんだと
お父さんの半分でもいいから上手に飛ぶのが望みだと
しかし彼はもう2度と飛ぶことはない

彼はアフガニスタン、続いてイラクに送られた
弾丸が飛んできて彼の背中深くめり込んだ
地面に倒れながら彼は手榴弾を敵陣に投げ込んだ

だから彼はもう2度と飛ぶことはできない

夫を、息子を失ったことは彼女を深く悲しませた
しかし彼女は誇りに思っている  二人が101部隊にいたことを
彼女は空を仰ぎ見る 夫と息子に彼女の嘆く声が届くだろう

彼はもう2度と飛ぶことはない

この歌はアメリカ陸軍の全空挺部隊で正式に採用されているそうです。
グリーンベレーは空挺部隊ではありませんが、その身上は

陸、海、空から作戦地域に潜入及び離脱ができる

というもので、空からはHALO(高高度降下低高度開傘)など
特殊な降下法を使用し、敵地にパラシュート降下することから、
空挺の時には空挺部隊のテーマソングを流していたのだと思われます。

チヌークから飛び降りた、女性を含む10人のグリーンベレーの傘が開きました。


ところで今回のことを調べていて知ったのですが、空挺部隊のソルジャーは
伝統的に歩兵と敵対というか、彼らをバカにしているらしいことがわかりました。

歩兵のことは「LEG」(歩くから?)と蔑み、喝を入れる時に

「なっとらん!お前らダーティレッグスか?」

とか罵るわけです。
同じ陸軍の中でも色々とあるんですね。
外の人には理解できないヒエラルキーが(笑)

 

 

続く。

 

 


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指揮官降下〜平成30年度 陸自第一空挺団 降下始め

2018-01-17 | 自衛隊

平成30年度降下始め、試験降下は無事に終了しました。
その間に、最初に降下を行う日米両軍の指揮官が乗機したヘリは
離陸し降下に向けて再び演習場上空に差し掛かります。

第一空挺団長を乗せたチヌークが飛来しました。

団長降下降下降下〜!

 

この時に高らかに(招待席付近中心に)鳴り響いていたのが、
他でもない第一空挺団の実質的なテーマソングである、

「空の神兵」(梅木三郎作詞 高木東六作曲

であることを、わたしは大変嬉しく思っておりました。
2年前にはなぜか一度もこの曲が鳴らなかったので、
もしや”要らん配慮や忖度”か?と内心不満だったのですが、
今年は空挺が中心というところで堂々と流すことにしたのでしょう。

余談ですが、空挺隊員は酔っ払うと上半身裸になって「空の神兵」を歌うとか。

なぜ脱ぐか?というと、日頃上半身裸で駆け足を行なっているので、
脱ぐことになんの抵抗もないからだそうです。

指揮官降下、というのはまさに「空の神兵」からの伝統です。

海軍でも指揮官先頭というモットーがありますが、陸軍挺進部隊においても
指揮官は自ら率先陣頭に立ち、部隊を指揮するため、
先頭降下員として降下することが伝統になっているのです。

第一空挺団長は兒玉恭幸陸将補。
2年前の降下始めにも指揮官降下を行なっており、このブログでも
その時の様子をお伝えしたのですが、3度目となる指揮官降下で兒玉陸将補、
今回は(前回は知りませんが)なんと!

フリーフォール後自分で開傘するFF降下

を行なったのです。

この白いカマボコ型のパラシュートを用いるFF降下は、なんでも
FF徽章をもらえる特別な有資格者しか行うことができないはず。

兒玉陸将補はもともとFF持ちだったのが、2年前は久しぶりだったので
自動開傘するタイプの12傘での降下を行なったものの、空挺団長三年目になり
心構えも訓練もバッチリ、ってことで、昔取った杵柄FF降下を披露しているのかも。

やはり精鋭無比の空挺団のトップに立とうと思えば、
52歳の御大も指揮官先頭を実践する世界なのです。

FF、高高度降下の最大の利点は、傘を開くタイミングを自分で決められることです。
どういうことかというと、自由落下の時間が長ければ長いほど、
つまり傘を開くタイミングが地面に近ければ近いほど、
傘の視認性が低くなり、
敵に見つかりにくくなるのです。

もちろん降下始めではそこまで命の危険を侵す必要はないので、
フリーフォールしている時間はわずかなものだと思われます。

それでも飛び降りれば自動的に開傘するのとFFでは降下者のメンタルは違うでしょう。
兒玉陸将補は今回降下を行った最高齢隊員(52歳)だったそうですが、
その年齢にして
あえてこちらを選んだことには敬意を払わずにはいられません。

鷲は舞い降りた。

空挺団長、目標(多分白いタイヤ)に向けて着地です。

おっと、膝をついてしまわれましたか。

FF降下する隊員は大抵二本足で軽々と着地を決めるのですが、
それは決して簡単なことではありません。
簡単に見せているだけで、その影では日頃の厳しい錬成によって
技量を維持する努力が常に行われているということを、いわば
改めてうかがわせてくれた指揮官降下だったかもしれません。

 

別サイトの報告によると、空挺団では最低月一度の降下は必須であり、
一回降下するたびに「降下手当」が貰えるのだそうです。

一等陸尉で5200円ということなので、陸将補だと・・・うーん、いくらだろう。

全くの個人的意見ですが、指揮官降下の見どころの一つは、「副官」です。

ボスの降下をハラハラしながら見守り、着地地点が定まるとそこに向かって
カバンを持ったまま全力疾走していく姿には感動せずにいられません(適当)

そして、指揮官のパラシュートを現地の係と二人掛かりで外して差し上げます。

陸将補閣下、左腕を見せております。
なんか計器みたいなのを付けて飛んだのかな?

副官はカバンを置いて、陸将補どのの帽子を持ち、待機中。

この陸将補の写真を拡大しその首筋の盛り上がりを確認したわたしが、思わず

「空挺団の偉い人って皆こういうタイプですね。
いかにも陸自オブ・ザ・陸自ズというか」

というと、

「陸自のあるべき姿というか理想像を実在化するとああなるのかと」

なるほど、こんな人になら付いていける!
極論を言うと
この人の下でなら死ねる!と思うような指揮官でないと説得力なし。

兵たちの願望を形にすればそれがこういうタイプになるのか。

ではこういうタイプだから偉くなるのか、偉くなる段階でこうなっていくのか・・・。

指揮官降下は団長以下各群長、大隊長、支援隊指揮官ら20人くらいが行います。
陸将補以下一佐。二佐もいたかな?

どうも白いタイヤが着地の目印になっているようですね。

空挺団長、着地は見届けずに通過しました。

実は空挺団長のパラシュートは地面に放置してあり、
「片付け係」の隊員が撤収を行っています。

「おっとっとっと」

陸将補と全く同じところに勢いづいて走ってきた二番手の指揮官。
この人もFF降下です。

指揮官降下、次はチヌークからです。
FF降下は団長以下2名だけで、後の指揮官は普通降下でした。

位の上から順番に飛び降りているとすると、この降下者は三番手です。
階級は一佐でしょうか。

そう思った理由は・・・着地点に走ってくるのが一人だからです。
副官は将補以上の部隊長に従属することになっています。

「一佐どのお〜〜〜ッ!大丈夫でありますか!」

「うむ・・・足を挫いてしまったわい」

なんちゃって。

一佐どの、着地したら「5点着地」といってですね、

足の裏→膝→臀部→背中→肩

の順番で地面に付けていくわけですよ。
ちょっと具体的にどうするのかわかんないですけど。

何しろ12傘での着地は二階から直接飛び降りるのと同じくらいの
衝撃があるので、片足で着地すると骨折等怪我をする恐れがありますし、
着地の瞬間膝(前)から臀部(後ろ)に動き衝撃を逃すわけです。

上空からはチヌークから残りの指揮官が降下中。

一機から5名の降下です。
招待者席のあたりでは、アナウンスで一人一人の名前と階級が紹介されていましたが、
残念ながらわたしの座っているところからはよく聞こえませんでした。

そしてこれから空挺降下を行う隊員が前を通り過ぎていきます。

この日降下した空挺隊員は日米合わせて200名だということです。
最年長は陸将補の52歳、そして最年少は18歳の陸士。

続いてやってきたチヌークからも降下が始まりました。
あっ、遠目にもすごく見覚えのあるこのシルエットは?!

在日米軍第1特殊部隊群第1大隊の指揮官降下です。
特殊部隊の通称はご存知グリーンベレー。

同じチヌークからもう一人。
アメリカ空挺隊にも指揮官先頭という概念はあるようですね。

それとも降下始めに参加するためには指揮官降下必須と言われたので
去年から頑張って飛んでる?

飛び去るチヌークからは彼ら二人の残したロープがなびいています。

今まで一度も見たことのない傘の形です。
風抜きが大きく開いていて、全体的に箱のような傘の形。
傘が大きいのでその分索が短く、日本の傘より寸詰まりな印象ですが、
安定性はありますし、何と言っても他のパラシュートと接触しても
糸が絡まることはなさそうです(ここ伏線)

降下する人の上にあるひまわりのような形が遊び心を感じさせませんか?
ちなみにこの下、ハーネスと吊索をつなぐ部分を英語で

「ライザー(Risers)」

と言います。
次回の伏線ですので少し記憶に留めておいてください。

米軍のパラシュートは背負っているコンテナから直接出てくるタイプのようです。
わたしたちの前で説明してくれたところによると、自衛隊の傘は
背負っているコンテナごと背中から外れて吊索が伸長する方式でしたが。

最初に降下したアメリカ軍指揮官、着地態勢に入ります。

足、膝、ときて臀部を接地なう。

背中接地完了。

動かぬ指揮官の上に傘がゆっくりと覆いかぶさっていきます。

うーん・・・いつまで仰向けで寝ているつもりなのか・・・。

駆け寄っている米軍司令官の副官、このシルエット女性に見えません?

副官が助けに来るまでこのまま寝てるもんね。

指揮官を乗せて降下させたチヌークが戻ってきました。

コクピットガラスに三つ桜が見えます。
海上自衛隊の感覚だと桜三つはイコール海将ですが、陸自だと
中央即応集団司令官、方面総監、師団長(いずれも陸将)を意味します。

今回陸将は飛んでないはずですが、先ほど乗り込んでいた迷彩服視察団の中に
将官がいたということでしょうか。


さて、指揮官が降下し終わり、いよいよ全部隊による降下始め、
いや「降下まつり」が本格的に始まりました。

 

続く。

 

 

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特別ヘリEC225登場〜平成30年度 陸自第一空挺団降下始め

2018-01-15 | 自衛隊

 さて、バトラーという交戦システムを用いたサバゲー方式の
模擬戦は青軍の勝利で終わり、いよいよ本題であるところの空挺降下です。

まずは降下に先立ち、試験降下が行われました。

UH-1ヒューイから一人降下!

最初にコンディション確認のために降下する試験降下員です。
試験降下を行う隊員に特別の資格が必要です。

この日、何百人もが習志野の空に舞った降下始めの、
その先陣を切るたった一人になる訳ですから、それも当然。

流石に安定の降下であると素人目にも思われました。

ふわりと軽々着地。
後ろに赤い風船がいくつか見えていますが、これは風向、風速の確認のために
時折一つづつ空に放され、その都度華やかな色彩となって昇っていきました。

さて、上空にチヌークヘリがやってきました。
どこに行くのかと思ったら・・・。

我々の前に後部ハッチを向けて着陸しました。

ローターの巻き上げる枯れ草が飛んできて、ゴミが目に入ってくるし、
しかもそのおかげで冷たい空気が吹き付けてくるのです。

今までこんな近くにチヌークが降りたことは降下始めではありませんでした。

しかも、もう一機やってきて前に降りるではありませんか。

ただでさえ「寒い」「寒い」とあちらこちらから声が上がっていたところに
眼前にチヌークが2機も駐機して、しかもローターが強力に回りっぱなし。

「ローターの風、キツイですね」

「あーもう、早くどこか行ってくれないかな」

周りからはそんな声が上がっていたほどでした。

しかしなんのために?

招待客の観客席向こうにも一機駐機するようです。

なるほど、空挺隊員が乗り込むところを皆に見てもらうためですね。
ところで、これは・・・・・!

よくよく見れば、いや一目でわかりますが、アメリカ軍の方ではないですかー!

「指揮官降下と聞いていましたが・・・」

「だからアメリカ軍の指揮官ですよ」

「なるほどー、確かに指揮官らしい体型の方ですね。
あまり鍛えてないっていうかデb・・いやなんでもない」

それにしても、陸軍の偉い人いうのは日米ともに揃えたように
「こういう感じの体型」なの?

自衛隊の方は”ゴツイ”感じ、米軍はそれに脂肪をトッピングした
プロレスラー型という違いはありますが。

去年の部隊と同じであれば、この方は現在沖縄県に駐留している

第1特殊部隊群第1大隊 通称「グリーンベレー」

の大隊長ということになります。
このブログでも、アメリカ滞在中に観たテレビ番組、
グリーンベレー兵士になるための厳しいテストのドキュメントを
報告したことがありますが、海のネイビー・シールズ、海兵隊特殊部隊、
さらにデルタフォースなどのような特殊な試験と訓練に耐えた
エリート集団のトップがこの人というわけ。

指揮官搭乗をエスコートしているのは陸自の隊員です。

グリーンベレーの参加は2017年の降下初めからで今年2回目です。

ちなみにアメリカ軍が空挺降下を行うときの合図は単に「GO!」で、
日本のように「降下降下降下!」などと3回繰り返したりしません。
降下者は飛び出しながら「AIRBORN!」と叫ぶのがお約束だそうです。

続いてもう一人、重量級の指揮官が乗り込むようです。
お尻にパッドみたいなのを付けてますが、まさかこれクッションですか?
着地の時に尾骶骨を骨折したりしないように?

彼らもそれなりに衝撃を逃がすための受け身を習得していると思われますが、
それでも万が一の体の防護に手抜きは行わないということなのでしょう。

まあ、お国変われば空挺の思想も変わる、ってことですが、
日本というのは昔から結構個人の技能に多くを任せる傾向にありますよね。

陸海空迷彩の集団が移動を始めました。
機上から降下を視察する一団だと思われます。

先ほど米軍の指揮官が乗り込んでいったヘリコプターに、
防寒の迷彩の上着を着せられた一般人の団体が乗り込んでいきます。

どうやら、自衛官だけでなく、チヌークに同乗して空挺降下を機内から見学する、
という夢のような?体験を許された人たちではないかと思われます。

「わー、いいなあ・・一度くらい乗ってみたいですね。写真はダメだろうけど」

「頑張ればなんとかなるんじゃないですか?」

「頑張るったって何をどう頑張れば・・・・」

続いて、空挺を行う4名の隊員が乗り込みます。
どうやらこれが指揮官降下を行う指揮官たちのようです。

本日の降下始めは、空挺降下そのものを強力にアピールするという構成上、
今まで高み、じゃなくて低みから見物していたその他の指揮官もすべからく飛ぶべし、
ということで、指揮官も大量投入されているのだと思われます。

降下始めそのものの内容が変わったのは、わたしが来なかった昨年からでしょう。

決定後、指揮官降下対象になった一佐以上の指揮官の中には
現役を離れて、マインドはともかく体力的にかなりやばい!
と冷や汗をかいた人が一人くらいいたんでしょうか。

それとも空挺団は必ず技能を維持するために1ヶ月に最低一度は降下すべし、
と決まっているため、一佐だろうが海将補だろうが、
いつでもばっちこーい、な状態なんでしょうか。


いくら年齢を考慮しても部下と満場の観衆の前で指揮官が失敗、
例えば傘が流されて隣に行ってしまったりなんてことになったら
やっぱり部下の統率はできなくなることは間違いなしなので、
指揮官たちにとってもこの降下始めは緊張するものでしょう。

組織を上から下まで引き締めるという意味で、第一空挺団が今回
降下始めで空挺降下を中心に据えたことは、大変有効だったと言えます。


こちらにも4名が乗り込んでいきます。
ということは、指揮官降下を行うのは全部で8名ということになります。

その時、習志野上空に白と青のスマートなヘリがやってきました。

陸自の誇るVIP用特別輸送ヘリ「EC225」です。
国内の要人はもちろん、来日した各国の国賓や首脳などの移動手段となるヘリで、
“スーパーピューマ”の愛称を持っています。

平成18年度から、木更津駐屯地の陸自「第1ヘリコプター団」隷下の
「特別輸送ヘリコプター隊」に3機が配備されています。

フランスのユーロコプター社製で、前のAS332に比べ機内が広く、
20名を収容できる(旧型は12名)ゆとりの大きさで、さらには
振動を低減するため、
メインローターを5枚羽根にするという配慮がなされています。

コクピットガラスに防衛大臣旗が貼ってありますね。
シャキーン!シャキーン!と音がしそうなくらい折り目正しい歩き方で
ドアを開けるために歩いていく陸自隊員。

小野寺防衛大臣を先頭に何人かが降りてきました。
ローターが頭の上で回っているとつい頭を屈めてしまう人。

特別ヘリから観閲する席まで歩いて向かいます。
防衛大臣といえども、この草地を歩いて行かなくてはならないのが定め。

去年はここを稲田朋美元防衛相が歩いたわけか(遠い目)
まさか、まさかパンプスとスカートで来たりしてなかったですよね?

しかし小野寺さん、またここに来られて嬉しいだろうなあ。

防衛大臣旗が途中までお出迎えに来ております。
それから陸自の隊員の中に、空挺降下を行う直前みたいな格好の人がいます。

空挺隊員が防衛大臣をご案内〜。

ということは、この方はこれから指揮官降下を行う
第一空挺団長兒玉陸将補である可能性が高いですね。




それにしても、先ほどのサバゲ、じゃなくて模擬戦闘は、
防衛大臣が来る前に
終わってしまったわけですが、これはつまり
全くの「前座」扱いだったってことになりますね。

2年前までは、島嶼奪回をシナリオとした模擬戦が後半のメインだったはずなのに・・・。
今年は本格的に、空挺降下を中心に据えた訓練展示をするつもりなんだ、
ここでようやく気づいた現地のわたしでした。

 

続く。

 

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バトラー(BATRA)による模擬戦〜平成30年度 陸上自衛隊降下始め

2018-01-14 | 自衛隊


ところで、習志野駐屯地演習場の極寒に耐えたあと、
立ち上がった時には足首から先の感覚がほぼなく、
寒い時に人が寝るとなぜ死ぬのかよくわかったような気がしました。

ジンジンする痺れがましになったのは車まで戻り、
イオンタウンのなんとかいうご飯屋さんで遅昼を食べ、
暖かいものを体に入れ終わってからのことです。

秋田のスキー場のランタン祭りですらこんな辛くなかったのに、
ひとところでじっとしてると寒さというのはこんなにも凶暴に
人の体力を奪うことを改めて体で知ったといいますか。

ところで日本の昼間でこんな辛いのに、平昌五輪って大丈夫なの?
しかも開会式は夜らしいけど、下手すると低体温症で死ぬよ?

迫撃砲が2基、フィールドに設置され、支援のための陣地が構築されました。
前に置いてあるスコープは狙いをつけるためのもの?

と思っていたのですが、これが何かはあとでわかります。

盛んにどんぱちやっているのでもう攻撃は始まっているようです。
彼らは赤軍の部隊の進攻を支援するという任務です。

偵察部隊の偵察の後、赤軍が進撃を開始しました。

説明が聞こえないのでこちらからは状況が全く見えなかったのですが、
招待席にいた知人(陸上自衛官の父上)から後で訓練について
メールで教えていただいたところによると、

「レーザーを用いた交戦装置、通称バトラーでの模擬戦」

だったことが判明しました。

しかもこの模擬戦、「赤が自衛隊、青が仮想敵国」ではなく、
完全にガチの模擬戦?で、シナリオはなかったようなのです。(え、あった?)

バトラーとは、小銃などに取り付けられた発射機(プロジェクター)から
発振されたレーザー光線を受光機(ディテクター)が感知し、
命中弾を判定する装置のことで、正確には

レーザー交戦装置、交戦用訓練装置
(自衛隊呼称:BAttle TRaining Apparatus:BATRA、通称:バトラー)

自衛隊の装備です。

BATRAならば英語圏なら「バートラ」とか「ベイトラ」と発音しそうですが、
両者よりはバトラーがかっこ良さげに聞こえるかもしれません。

この装備は、陸戦訓練を行うときに銃器に取り付けた光線発射装置により、
実弾を使用することなく実戦同様の交戦訓練を可能にしてくれる機材で、
これで陸自の人は演習の時、口で「ばんばーん!」とか言わなくてもよくなったのでは、
と彼らのためにその開発導入を喜んでいる次第です。

 

しかも装着可能な装備は小銃だけではありません。
機関銃・無反動砲・戦車・攻撃ヘリコプター・対戦車ミサイルの発射機、
全てにこの搭載が可能で、しかも戦車などの車両では、射撃時に

擬似的な発射音や煙を発生させる補助装置

が使用できるので、訓練していて気が削がれることなく、
割と実弾に近い射撃練習が行えるという優れものの装備なのです。

 

それだけではありません。
攻撃の内容だけでなく、バトラーはリアルタイムで訓練部隊や隊員の位置、
死亡者、負傷者数など被害が統計、記録されるという近代らしいシステム搭載。

バトラーは基本富士トレーニングセンターでの訓練に使われているということなので、
空挺団へは降下始めのために貸し出されたということでしょうか。

ところで、招待席から見ていた方の解説によると、この後

「んーんっ!優勢と思いきや丘の手前で堅固な青軍陣地に苦戦中!」

となったらしいのですが、もちろんわたしたちのところからは
説明も聞こえないので何が起こっているかわかりません。

チヌークがやってきてはリペリング降下によって兵員を追加していきます。
(この後の写真は失敗///)

こちらは青軍の部隊だったそうですが、赤軍が展開している陣地より
後方にあるので気づかれていないという設定。


なぜか白いヘルメット?の偵察が二人物陰に潜んでいました。
後方に侵入した青軍が前進するための偵察を行っていたようです。

招待席とその周りに立つ案内係の自衛隊員の人垣越しのアパッチ。

この写真でも確認できますが、ローターの周囲は巻き上げられた土で
土色に煙っています。

この高さにだけ土色の帯ができる理由はわかりませんでした。
チヌークからこちらにもリペリングで人が降りるようです。

後からメールで知ったところによると、これが青軍のヘリで、
これからリペリングで大量投入された部隊による強襲があったそうです。

え?もしかしたら本当にシナリオなし?

どうしてアナウンスが聞こえにくいかこの写真を見てわかりました。
ボーズのこの小さなスピーカーを、しかも向こうを向けて設置してあるのです。
スピーカーが何個かはわかりませんが、これではこちらには聞こえません。

おお!陣地を死守する赤軍の前、素手で仁王立ちになる兵士がいる。

とかなんとかやっているうちに、決着がついたようです。

赤い旗があるここは赤軍の本部だったのですが、右手からきた青軍の
急襲部隊によって、今制圧されたのでした。

青軍が戦国時代のような幟を持っているのですが、
これを持って攻撃したってことなんでしょうか。

結局最後まで戦車は投入されませんでした。

実を言うとこんな広いフィールドなのに人間が走り回るのが基本なので、
なんか豪華なサバゲーを見学しているような気分だったのですが、実際に

「レーザーが当たればその場で戦死」

と認定されるというシステムの上でまじでやっていた戦闘だったのです。
「サバゲーみたい」じゃなくこれは本格的なサバゲーだったことが判明しました。

なんでも、その傷率は両軍60パーセント超えると言う結果だったそうです。

♪ ソードソードミードミードソミドミドソド〜(状況終了)

現場では何がどうなったのかわからないままでしたが、ともあれ青軍が勝ちました。

 

偽装車はこの時になって初めて動き始めました。
模擬戦中、中で寝ていた人もいたと思う。

ところで前回この車のことを、もふもふしているから「モフ車」と呼びましたが、
「カ”モフ”ラージュ」から取ったのではなく、ただの偶然です。

先ほど小走りに皆の前に現れた小隊は、その間ずっと胡座をかいて待機。
隊長はずっと膝をついて同じ姿勢でした。

こういう時には体育座りをするものだと思っていましたが、
体育座りを想像してみるとちょっと迫力?に欠けるかもしれません。

さて、この人たちは何かと言うと、空挺隊員です。
第一空挺団なんだから当たり前なんですが。

ということは、全員落下傘降下を体験している人たちな訳です。

何をするためにここにいたかというと、飛行機から降下のために
飛び降りる時の姿勢、空中での姿勢を実演してくれるのです。

「降下始め」ってくらいですから、空挺降下をアピールするのが意義、
いわば原点に立ち返ったということなのでしょうか。

一番前の人は今飛び降りているところ。
二番手がハッチに手をかけて準備。

全員降下中なう。

全員着地、いまっ!

ということで、飛び出してから着地までの基本姿勢がよくわかりました。
皆さんご苦労様でした。

次は、空中で傘がどのように開いていくかをゆっくりと、
目の前で実演してくれました。

実演者が立ち、あとの二人は「黒子」です。

飛び降りる降下員。
背中に負った落下傘につけられたベルトは、機体にカラビナで接続されています。

飛び降りることでベルトが引っ張られ、

傘が伸長していきます。

背中のバックパックの折りたたまれた部分には、傘の紐が
丁寧に畳んで収納されていますが、紐がバックパックを開き、

傘の紐部分が人体の重みで展開していきます。
バックパックは背中から離れます。

傘、バックパック、傘の紐、人体という順番。
これで傘が全部伸びきった状態です。

傘が風で開きます。

無事に開傘し、無事に降下するというわけ。

展示を終えて退場していく演技者の皆さん。

傘はそのまま後ろの人が抱えて持っています。
ちなみに、落下傘の重さは2.5kgということでした。


招待席で事態を把握しながら見ていた方は

「驚くべきは死傷率で両軍60%を超える結果に、此れが戦闘の現実かと・・。
攻めても守っても、勝手も負けても被害は甚大で完勝などあり得ないということです」

戦車を投入し、ドカンドカンと火砲を炸裂させてシナリオ通り

「敵を制圧しました!」

とやるより、ある意味戦争のリアリティをじわじわと感じさせる模擬訓練です。

これが訓練で無くなる事態、つまり戦争だけはやっちゃいかん、と、ある意味
どんな派手な訓練より切実に思わせる効果があるとわたしは思いました。


 
続く。
 
 
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2018年度 陸上自衛隊第一空挺団 降下始め〜部隊展開

2018-01-13 | 自衛隊

去年は天候不良とやる気の欠如により参加を取りやめた陸自降下始めですが、
今年は寒波が襲来する厳しい寒さの中、参加決行してまいりました。

 

今まで経験した降下始めで寒さだけでいうと最低レベル。
体感気温は終始0度くらいでしたが、これか風が強かったためで、
実際の千葉市の本日の気温は午前中で2度、門の前に並びだした頃は
0.2度だったということです。

過酷な寒さはある程度予想していたので、セーターの上に薄手のダウン、
その上からアメリカで買ったコロンビアのオムニヒートとかいう
体温を利用して保温する仕掛けのパーカーコートを着込み、
マフラーにマスク、座っている間は膝にフリースとダウンのひざ掛けを掛ける、
靴の中底には羊毛のふかふかの中敷プラス靴の中専用カイロ、という
前代未聞空前絶後の防寒対策で、車の中は暑くて暖房を消したくらいなのに、
やはり遮蔽物のないフィールドでじっと座って待っているのは辛かったです。

しかも、あろうことか、というかわたしにはありがちなことですが、
仏作って魂入れず、カメラ持ってきて電池入れずという痛恨のミス。

忘れた理由は・・・いや、言い訳はやめましょう。
とにかく現地でカメラを出したら電池がなかったのです。
電池がない一眼レフなんて、ただの重しです。
というわけで、当初の目的だった降下始めの一眼レフデビューができず、
しかもサブで持ってきたニコン1のV2(ああ、V3の電池も忘れたんだよ!)
の電池は1個だけ。

電池の消耗の早いニコン1で降下始めを撮りきるには、節約しかありません。

というわけで、これまでのように何でもかんでもとりあえず撮る、
というのはやめ、本番が始まるまで写真はお預け状態となりました。

これはiPhoneで撮りました。

座った場所は、前がすぐ切り立った斜面となっている草地の最前列で、
前には黄色いロープが全面的に渡されています。

なんでも数年前に転がり落ちた人がいて、それ以来張られるようになったのだとか。

「携帯とかレンズとか落っことしたら大変ですね」

と同行者と話していると、目の前で近くの人がカメラのレンズフードを落としました。

誰かが呼び止めた自衛官が、下からフードを持って斜面を上がり、
落とした人に届けていましたが、ああいう余計な仕事を自衛官にさせないためにも
ものを扱う時には以降神経を払って行おう、と自分に言い聞かせました。

あまりの寒さで手がかじかんでいて、注意していてもものをとり落す、
ということが実際に起こりかねなかったのです。

右側の斜面は隊員家族や招待者などの観覧席。

招待者には演習終了後「野宴」と称する焼肉パーティ、という
いかにも陸自的な宴会が催されることになっており、隊員のご子息を持つ
知人は、その前日

「肺炎にならないように防寒対策をして行きます」

とメールをくださっていました。

招待者なら、早くから門前に並んで場所取りをする必要もないし、
寒いとはいえ一応パイプ椅子もあるので、肺炎になる確率は
こちらよりはかなり低いものと思われます。

この野宴にはぜひ一度行ってみたい、とこの方と話をしていて言うと、
地本の知り合いがいれば頼めば行けるかもしれない、ということでしたが、
この特別席を見る限り、写真は撮りにくそうだし、第一宴会のために
そんなコネクションを使うのも厚かましい気がして、断念しました。


ところで開始を待っている間、時間つぶしに同行者と話をしていたのですが、
その中で知った今回1番のニュースは、

今年海自の観艦式は行われない

のがほぼ確実になったということでした。

実はだいぶ前からその件は噂程度にあちこちから聞いていたのですが、
理由はやはりオリンピック。

つまり、オリンピックを前に稼働が最も増えるのが陸自、
(駐屯地を物資の待機所にしたりという物理的な理由が大きいらしい)
正規の順番で行くと、2018海、2019陸、2020空なのですが、
オリンピックイヤー前年に陸を「空けておきたい」ので、
海と陸を交代させるのが目的だということらしいです。

まあ、これも本当かどうかわかりませんので眉唾で聞いておいて下さい。

 

それにしても、皆さん、少しこの光景に違和感を感じませんか?

そう、一台も戦車がスタンバイしていないのです。

おかげで始まるまでに写真を撮る場面もなく、
寒さに耐えながら過ごしていると、フライングエッグが登場。

星を三つつけているので、陸将を乗せてきたようです。

乗ってきたのは後ろ姿でもそうとわかる陸将(右から3番目)。
カバンを持っているのは副官です。

そこにいきなり偽装車、カモフラージュした車が登場。

「あれ?いきなりモフ車って・・・」

2年前と全く展開が違います。
実は、招待者席辺りでは本日の訓練についての順番を
あれこれと説明していたのですが、アナウンスがそこだけなので
こちらには風の関係で断片的にしか聞き取ることができません。

2年前にはアナウンスは全会場に聞こえていましたし、そもそも
会場にあった映像を映し出すスクリーン車も今年はなし。

「経費節減に伴う規模の縮小でしょうかね」

「展示の内容が大幅に変わっているようですね」

とか言いながら見て居ると、なんと続々と偽装車登場。
いつもはせいぜい二台だったのに・・・・。

偽装車大量投入です。

「もしかして。これって戦車が出せないから」

「戦車の代わりにせめて、ってことですか?」

「いや、可愛いから個人的にはいいですけど」

見ていると、偵察を行うために投入された偽装車は、しばらく走り回り、
定位置に駐車するとそこでじっとしています。

それにしても、この匠の技をみよ。

どの車も、タイヤさえ見事に隠れていて、動いていなければ車だと思えません。
ギリースーツで偽装したスナイパーも「忍者」と言われるようですが、
これはまさに世界最高レベルの「ニンジャ・カー」。

全方位全く隙なし。

ところで中は暖かいんでしょうか。

「待機中にちょっと仮眠していても良さげな雰囲気ですね」

「少なくともここよりは快適でしょうね」

フィールドにはチヌークが着陸し、陸海空迷彩とスーツが降りてきました。

我々の目の前には、7人の隊員が駆け足でやってきました。
近いので、写真に写っている全員の名前が読み取れます。

流石に最初に行われるのは模擬戦らしいことがわかりました。
チヌークが高機動車と迫撃砲を牽引して飛来しています。

招待者観覧席はまだガラガラ。
報道のカメラゾーンもまだ人はあまりいません。

アパッチの参加は一機だけです。
同行者によると整備の関係で出せるのが一機だけだったんでしょう、ということです。

アパッチの導入についても、何か問題点が色々とあったようで・・・。

アパッチ攻撃ヘリの調達、なぜ頓挫?
問われる陸自の当事者能力

筆者は例によっていつものジャーナリストの方ですが。

ヒューイが隊員を運んできました。
もしかして、いつの間にか状況開始している?

ヘリの隊員が機上から降ろしている錘のようなものは?
地雷探知機とは形が違うようですが、これ何でしょうか。

釣りをしているように錘を下ろしたままのヘリ、
ということは、隊員が飛び降りるためのギリギリの高さに
ヘリをホバリングさせるための「目印」で、釣りをしている隊員が
保持するべき高さになったところで声かけを行うものと推測します。

地面からのスキッドの高さはだいたい1メートル強くらい。

降りるなりダッシュ。
ヘルメットの赤いバンドは、模擬戦の「紅組」の目印だと思われます。

カムフラージュメイクもばっちりよ。
彼らはスナイパーなので左目部分はノーメイクです。

それにしてもヘルメットに何が仕込まれているのか大きい・・。

スナイパー、モフ車の影で狙撃準備完了。

迫撃砲セットを牽引しているチヌークは一機だけです。
これは例年通り。

牽引している機体の真下は肉眼で確認できませんよね?

これを見るとヘリパイってすごいなあと思います。
武器を傷めないようにじわりじわりと降ろしていく匠の技。

ヘリは、装備を降ろした後、絶妙の位置に移動して人員を降ろします。

後部ハッチから隊員がリペリング降下。

高度が10メートルくらいの時は、カラビナを使わず手だけで降りる
リペリングを行います。(ということを2年前の降下始めで知った)

 

紅組の隊員は迫撃砲部隊です。
吊り下げルためのロープを目にも留まらぬ速さで外し、
状況に備えます。

高機動車に迫撃砲を牽引するために接続、この間1分(くらい)。

全員がリペリングによって地上に展開する用意ができました。

遠くの方に偵察用バイクのオート隊が出現。

何年か前、オート隊のバイクは観客の眼の前に来て、
バイクから降り銃を構えて見せてくれたものです。
その時撮ってアップした写真を見た家族の方がコメントを下さり、
原サイズのデータをお送りしたということがありました。

今年はオート隊は遠くを走り去るのみで、パフォーマンスはなし。

CH-47のハッチから紅組の部隊が降りて来ました。

全員小銃を手にした赤の小隊です。

右の隊員が背負っているのは通信機器ですか?

ベルトによって名前が見えなくなっているので、緑のテープに
名前と階級、所属を書いて貼り付けているのが確認されます。

軽装甲機動車、通称「LAV」が3台、いずれも狙撃手を車上に進入。
赤のマークをつけています。

どうやら赤が自衛隊、青が仮想敵国という設定のようです。

スナイパーの舞台は二人一組で展開を完了。

今年はどうも戦車を投入した「島嶼防衛」というシナリオではないようです。

「もしかしたら肉弾戦ですかね」

「てことはないと思うのですが・・・」

 

果たして本年度模擬戦のシナリオとは?

戦車は・・・戦車は見られるのか?


続く。

 

 

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