goo blog サービス終了のお知らせ 

ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「駆逐艦雪風」〜敗戦

2025-08-11 | 映画
映画「駆逐艦雪風」最終回です。

本日冒頭画像を見て、またまた一瞬だけの場面に、
軍上層部の偉い人役であの俳優が出ているな、と察した方、あなたは正しい。

それは後にお話しするとして、続きと参りましょう。

■ 空襲


母と上司である手島艦長の妹、木田勇太郎が密かに心を寄せる女性、
雪子が慰問にやってきた日、木田は海兵出の士官である弟、
勇二が回天特攻で散華したという報せを受けます。

そのことを真っ先に伝えるべき母親に、なぜかそれを言えぬまま、
雪子相手に木田が泣いていると、空襲警報がありました。

施設内の防空壕に避難した三人。

爆音が響く壕内で、度胸が座っているのか根が明るすぎるのか、
母親は息子に向かって、

「こんな人(雪子)がいるのに何も言わないのは水臭い」

などと斜め上の説教をしてきます。
カーチャン、今はそれどころじゃないんだってば。

しかしカーチャンはズケズケと雪子の歳(22歳)を聞き、
息子は26歳(長門勇は30歳)なので結婚させたいと思っていたが、
あなたのようなお知り合いがいて安心しました、などと言うのです。

しかも、

「この子は『雪風』のような美人じゃないと結婚せんと言うてました。
じゃが、あなたなら大丈夫、『雪風』より美人じゃ」

木田が雪子は艦長の妹さんだ、と母親を叱責すると、
彼女は慌てて雪子に謝り出すのでした。

志願の烹炊下士官である息子と士官の家族との結婚は
当時の世間的常識からあり得ないことだからです。

■ 作戦


戦況はより日本に不利に傾きつつありました。
ついに敵主力勢が沖縄への上陸を開始したのです。


ここは聯合艦隊司令部。
ここで「天一号作戦」について滔々と説明しているのは、
そう、我らが丹波哲郎です。

「先に『天一号作戦』が発動され、沖縄攻撃の指令が降った。
本日、さらに次の下命があった。

伊藤第二艦隊司令長官は、麾下の『大和』『矢矧』『冬月』『初霜』
『朝霜』『磯風』『浜風』『雪風』を以て、海上特別攻撃隊を編成し、
四月八日黎明を期し、沖縄に突入。所在敵艦船を撃滅。
なお、作戦要領は次のとおり」

このワンシーンだけの登場にも関わらず、タイトルに大きく
写真と名前を扱われるのはそれが丹波哲郎だからですが、
この役どころはそもそも、一体実在の誰のつもり?

参謀飾緒をつけて作戦命令を下していることからも、
連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将ではないかと思われるのですが、
全く本人と似ても似つかないのはもちろん、おそらく本人は
草鹿龍之介どころか、誰を演じているか全く気にもしてなさそうです。

当時の軍人らしくない、額にぱらりとかかる長髪をなでつけもせず、
そう、まるでよその撮影現場からやってきて台本まる読みしているような。
(違ってたらごめんなさい)

上のセリフを言う際、丹波は視線を手前のカメラ横にやりながら、
特に参加艦艇名を列挙する際、明らかにカンペを『読んで』います。

本作戦参加の駆逐艦群に「涼月」「霞」の名前がなかったのは、
この時丹波哲郎が見落としたせいかもしれません。


しかし何やらせても様になってしまうのが困ったもんです(笑)

丹波、これだけをなんとかこなすと、あとは手元の「作戦資料」を手に取り、
ここからは堂々と?次の文章を読みあげます。

「一つ、艦隊は八日黎明沖縄に突入し、敵艦船を撃滅!」

(ここで丹波、ドヤ顔で一座を見回す)

「一つ、余力あらば陸岸に乗り上げ、砲台となって
全弾打ち尽くすまで敵上戦闘に協力す!」


(またも一座を見回す)

「一つ、さらに生命あらば艦隊全将兵は上陸して敵陣に切り込む!」

(またも見回す)

「以上」

(丹波哲郎の出番終わり)

■ 上陸


特攻作戦に出撃が決まった「雪風」は出撃前の最後の時間を過ごしています。
「雪風」の母港は呉だったと言うことですが、撮影は横須賀で行われました。


「雪風」の烹炊では、木田がなんちゃって寿司職人になり、
同僚に寿司を振る舞ってやっていました。

「玉子!」

「そういうときは”ギョク”と言ってもらいたいなあ」

「ちぇっ、言うことだけは一人前でいやあがる」


ただし、物資不足のおり、玉子はたくあんで代用です。
木田は戦死した烹炊長からいつのまにか寿司の握り方を習っていました。



「一度でいいから烹炊長に握ってもらいたかったなあ」


大野の言葉につい目をふせる面々。
そこに加納少尉が、最後の上陸のため内火艇が出ると言いに来ました。


「酒屋町の彼女には義理は済んだのかい」



「眠ってる子を起こすなよ」(ふっ)

あくまでもクールな遊び人を気取る大野。



木田は、最後の上陸と聞いて、あることを決心しました。


自分で握った寿司を手土産に、手島家にやってきました。
木田の目的はもちろん手島雪子に最後の挨拶をすることです。

しかし、何度呼びかけても手島家からは誰も出てきませんでした。


悄然として木田は帰路をたどりますが、
聴こえてきたオルガンと子供の歌声にふと足を止めます。


そこは寺院に併設されていた孤児院でした。


子供の声に微笑んで歩き出した木田ですが、そのとき気づきました。


子供たちの輪の中で「赤とんぼ」を歌っている大野がいることに。


放蕩児を気取っていた大野が、今生最後となるかもしれない上陸で
自分と同じ孤児院の親のいない子供たちと過ごしていたのです。

木田が驚きで目を見張っていると、大野は

「さあ、もう一曲歌ったらみんなでお寿司を食べようか」

上陸前、木田に無理やり握らせた三人前の寿司は、
子供たちへのお土産だったのでした。


大野が子供たちと歌う「夕焼けこやけ」を背に、
木田は海に向かって歩き、心の中でこう呼びかけます。

雪子さん。
今しっかりとあなたの心のこもった千人針を身につけ、
出撃できる自分は、日本一の果報者と思っています。
ただ、最後に今一度お会いできなかったことが残念です。

雪子さん、お幸せに。
沖縄の空からお祈り申し上げております。


■ 出撃


「皇国の荒廃は当にこの一挙にあり。」


「帝国海軍は『大和』以下全力を挙げて沖縄周辺の敵艦隊に対し、
最後の総攻撃を決行せんと出撃した。」



その「雪風」では・・



烹炊の木田たちは絶対に沈まない「大和」の攻撃を機に、
海軍が一気に反撃に出るのだろう、と尚意気軒昂でした。

「その『不沈艦』を『雪風』がまた守ってるんだからな!」

そのとき、「第一警戒配備につけ」と放送がありました。


「戦闘配備につけ!」



実際の「雪風」とは全く違いますが、この映画では
護衛艦「ゆきかぜ」の訓練の様子を動画で見ることができます。



これはボフォース60口径40ミリ機関砲です。
この銃架が回転する様子も見ることができます。
「雪風」の実際の機銃は九六式の25ミリでした。



「敵機発見!」

海軍艦とは違う戦後の最新装備であることは作る方も百も承知ですが、
防衛庁のタイアップを取り付けた時点で、歴史的な齟齬は百も承知で
現行の護衛艦を紹介する約束が同庁とできていたのだと思われます。



対空戦闘が始まりました。


航空機と「大和」は模型による特撮です。


対空戦闘ですが、一応サービスシーンとして、
対潜迫撃砲のヘッジホッグらしきものの作動も一瞬映ります。

ちなみに「雪風」の対潜兵器は爆雷だけでした。


戦闘中、粛々と糧食を作り、配る烹炊の木田。
食缶を持って甲板に走り出て、激しい戦闘に思わずたじろぎます。


そのとき「大和」に爆弾が命中しました。



「はっ・・・!『大和』が・・・!」


救助に向かうという声に対し、艦長は、

「この作戦はいつもとは訳が違う。特攻なんだ!
このまま沖縄を見殺しにできるか!
よし、手島が責任を取る。取り舵いっぱい!」


しかしそのとき、艦隊本部からの無線が届きました。
作戦中止、人員救助のうえ帰投せよという命令です。


そして「雪風」は特攻作戦の死の海からまた生還しました。



「はあ・・・また『雪風』が生き残っちゃったなあ・・」



木田はいきなり厨房の外にペンキ缶を掴んで走り出しました。
何をするかと思えば、



「雪風」の戦果マークを消し始めました。

「ばかやろ〜〜〜!」


加納少尉はじめ同僚が駆け寄ってきます。

「何をするんだ。俺たちの大事な戦果じゃないか」

そこで、「大和」は沈んでしまったし、「雪風」は逃げ出してきたんだ、
「雪風」を卑怯者にはしたくないんだ、と一人騒ぐ木田。


そんな木田を嗜めるために出てくる艦長。
畏れ多くも艦長に向かって烹炊下士官である木田はこんなことを。



「艦長、もう一回引き返しましょう!
雪風一艦だけでも突っ込ませてください!
突っ込みましょう!
艦長、艦長はそんな意気地なしなんですか?
艦長は腰抜けだい!艦長の腰抜け!」

色んな意味でもう無茶苦茶です。
そもそも、今更引き返してどこに突っ込むつもりなのか木田。

即座に艦内牢屋に放り込まれても仕方ないこの木田の暴言に対し、
手島艦長は穏やかに、

「木田、軍人勅諭を知っているな?
上官の命令は天皇陛下の命令だぞ」


脊髄反射でサッと姿勢を正してしまうその場の面々。


流石に木田は艦長を追いかけて謝罪をしようとしますが、
艦長は何もいうな、とあくまでも静かに答え、そして・・・。



「お前に知らすことがあるんだ」


「・・・は?」



「雪子は出撃前の空襲で死んだよ」



艦長はそう一言告げてその場を去りました。



「・・うわあああああああっ!」

咆哮しながら「ゆきかぜ」甲板を全力疾走する木田。


「大和は沈んだ・・・
雪子さんは死んだ・・・
わしゃどうしたらいいんだい・・・・
雪風、お前はなんで沈まなかったんだ。
ばかやろう!死に損ない!

・・・・・雪子さん・・・・・」

■ 終戦



そして戦争は終わりました。
「雪風」は賠償艦船の一環として中国海軍に引き渡されることになりました。


「雪風」が祖国の港を最後に離れた昭和21年7月1日、
長浦の港は風雨が激しく降り注いでいたといいます。


往きて二度と戻らぬ「雪風」の姿を、木田勇太郎は埠頭で見送っていました。


そこにやってきたのは手島元艦長と、
「雪風」を設計した山川元技術中佐でした。

「君だけは見送りに来てくれると思っていたよ」


まるでムショ帰りのようにむさ苦しくなった木田です。

「しかし、せっかく無傷で戦い抜いた『雪風』を・・・」


「いや、木田”くん”」

艦長、すっかり民間人モードです。
切り替えの早い人と見た。

「『雪風』の名は全世界に知れ渡ったんだ。
これから中国所属の船になろうと、必ず栄光の道を歩むと思う」



「そうだ、そうだよ。
『雪風』の名は永遠に消えはしない」

この映画が撮影された1963年当時、まだ「雪風」は現役でした。
1964年の観艦式にも参加しているのですが、
翌年予備艦編入し、1970年には正式に除籍となりました。

元「雪風」乗組員が中心となって保存のため返還要求を行い、
返還は実現手前まで来ていたということですが、台湾からは
台風で浸水したから不可能、という返事によって実質拒否されたのです。

これについては、日中国交正常化に伴い、日本が台湾と断交することがわかり
それが台湾の動きにストップをかけたとする説が存在します。

つまり、台湾は、日本が中国を選び、台湾を切ることが決定した時から、
日本の返還要請に応えるつもりはなかったというのです。


埠頭に立ち、「雪風」の最後の姿を見届ける三人。

「笑って見送ってやろうじゃないか」

このとき、風雨が強かったという史実を再現するために、
台風の途中のような風の強い日に撮影が行われたらしく、
二人の持っている傘が風に煽られて、持つのも大変そうです。



「笑って」といいつつ、誰も笑っていませんが。


岸壁に砕ける波がすごい。本当に台風だったんじゃないかな。



「雪風、雪風・・・!
わしがついてるのを忘れるな!」




自分が手がけた軍艦をこよなく愛した一人の男の戦記、それがこの映画です。

実際の護衛艦「ゆきかぜ」の姿が映像に残されているというだけでも、
歴史の「記録」として大変貴重なフィルムだとまずこの点を評価します。

そこには、命の大切さとか戦争はやっちゃいけないですよとか、
正直映画の受け手にとっては当たり前「すぎる」いつものメッセージもなく、
英雄でもなんでもない、一人の平凡な男の戦時に起こる出来事が
稀有の軍艦の存在を軸として描かれた、後味の良い佳作でした。




映画「駆逐艦雪風」〜特攻

2025-08-08 | 映画
1964年公開、「駆逐艦雪風」3日目です。


「初戦において痛烈な一撃を米英に与えた我が聯合艦隊は、
ここに短期決戦の機を掴んで、その全兵力を挙げて
敵の要所、ミッドウェイ島攻略に出撃した」





東京日日新聞は毎日新聞東京本社発行の新聞で、毎日の前身です。

ミッドウェイ攻撃の戦果について「アメリカのデマは逆効果」とか、
「敗戦ごとに揚げ足取り」などとセンセーショナルな言葉を使い、
要するに、アメリカが嘘の戦果を垂れ流している!と報じているわけです。

しかしこれは、大本営が隠したかった開戦以来初めての敗戦でした。



第一次→かろうじて日本の勝利
第二次→アメリカの勝利
第三次→圧倒的にアメリカの勝利

だったソロモン海戦が行われたというところで・・・、


「雪風」乗組員は、ガダルカナルの撤収について噂をしていました。

「今度のガダルカナルは我が艦も年貢の収めどきかもしれんな」


何気ない会話の中で「母親に会いたい」と誰かが言ったとたん、
なぜかキレてその場を立ち去る大野。

木田が訳を聞くと、彼は、自分が孤児院育ちであること、
そもそも母親の存在を一切知らなかったと打ち明けます。

「そうでなけりゃもう少しマシな人間になってかもしれねえ」


昭和18年2月1日、「雪風」はガダルカナル撤収作戦に参加しました。


ガダルカナルから引き揚げてきた陸軍兵士たちの揚収が始まりました。



「しっかりしろ!」「元気を出せ!」

励ましながら彼らの手を取って艦上に引き上げていきます。



航海長は、揚収に時間をかけすぎると、敵の制空圏内から出られなくなり、
危険であるからそろそろ中止すべきだと艦長に具申しました。

言っている端から敵哨戒艇に発見されたと報せが入ります。


それはアメリカ海軍のPTボート「2」でした。

第二次世界大戦中は若き日のJFKが艇長として乗っていたことで有名で、
高速かつ重武装であったことから、船団攻撃に従事し、
巡洋艦なども攻撃することができたという魚雷艇です。

この頃在日米軍はまだ旧型のPTボートを所有していたようで、
それを映画のため特別出演させてくれたみたいですね。

この強力な魚雷艇の出現に、大野が思わず、

「雪風も年貢の納め時かもしれませんね」

と機関長に言うと、機関長、あっさりと頷いています。


しかしその時移乗作業が終了しました。
次々放たれる魚雷を巧みな操艦でかわしていく「雪風」。

「雪風」が幸運艦となったのは、ただ運が良かったのではなく、
代々腕のいい艦長が指揮を執ったからでもありました。



危機を脱し、揚収した陸軍兵たちに水を配っていた木田は、その中に
石川島の工員時代一緒に「雪風」を手がけた組長がいるのを発見します。

「自分が手がけた船に命を救われるとは思っていなかったぜ。
しかし、お前が『雪風』に乗っているとはなあ」



「だってわし、『雪風』に乗るって言ったじゃないですか///」


しかし、そんな木田に、

「他の駆逐艦がやられているのにかすり傷ひとつないって、
敵から逃げ回っていたんじゃないのか」


横から揶揄い半分混ぜ返す陸軍兵。
愛する「雪風」を貶められて逆上した木田は掴み掛かり、
かつての上司と今の上司が喧嘩を止めるため割って入る騒ぎに・・。


帰国後休暇をもらった木田が実家に戻ると、母親から
弟の勇二が海軍兵学校に入学したことを聞かされます。

優秀な勇二には医者になって欲しかった木田は不満ですが、母親は

「友達が予科練だなんだと入っているのに、
自分だけのんびり勉強するなんて非国民だと思ったんだろう」

と仕方なさそうに言うのでした。


木田には帰国にあたってどうしても会いたい人がいました。
手島艦長の妹、雪子です。

母親の作った「砂糖がないので味噌餡」の饅頭をお土産に、
手島艦長のうちまでいそいそとやってきた木田は、
雪子の姪に当たる手島の娘、京子から雪子の不在を告げられました。

「横浜のおじいちゃんとこ、今行ってるの」

「・・・横浜へ・・・」


雪子に会えずがっかりして艦に戻った木田には、
彼女から不在の詫びと千人針が送られてきました。


そして、烹炊長には今日あたり子供が産まれると言うめでたい報せが。
ちなみにこの烹炊長を演じる柳谷寛は「ハワイ・マレー沖海戦」で
娑婆では僧侶という設定の索敵機操縦士、谷本予備少尉を演じた人です。


ここで烹炊長、甲板に出てポケットから手帳を取り出しました。


そこにやってきたのは加納博司少尉。
(クレジットはフルネームの割に役職が書かれていません)

無線で烹炊長に男の子が生まれたという知らせを持ってきました。

加納少尉の役をしているのは吉田輝雄という俳優ですが、
この名前と顔に覚えがあると思ったら、当ブログで紹介した
「金語楼の海軍大将」で光機関の葛城中尉を演じていた人ではないですか。

当映画出演の菅原文太らと、長身の二枚目スターということで
「ハンサムタワーズ」の一員として売り出されたというあの人ですね。
(『ハンサムタワー』があまりのパワーワードで忘れられない)

そして、秋刀魚が出てこないのに何故か「秋刀魚の味」というタイトルの
小津安二郎の映画で、やはりこの映画にも出演している岩下志麻が
密かに想いを寄せる同僚(婚約者あり)の役が印象的でした。
(ちなみに作中、岩下が失恋するシーンでは、
小津監督はこだわり抜いて100回撮り直しをしたそうです)

木田が水野烹炊長にその嬉しい知らせを伝えようと甲板にでた時です。



米軍の哨戒機が「雪風」上空に飛来しました。



そしてピンポイントで烹炊長を狙い銃弾を放ったのです。
駆けつけた木田が見たのは、すでに絶命して倒れる烹炊長の姿でした。


旗が半旗に降ろされ、烹炊場には水野の遺影が飾られました。
烹炊場の乗組員は、子供が生まれたお祝いにと赤飯を供えるのでした。



烹炊長が最後に考えていたのは、生まれてくる子供の名前でした。
男なら忠雄、女なら孝子と書かれた手帳が遺品となります。


敵は徐々に本土に迫ってきていました。
飛び石作戦により、サイパンへの上陸が行われます。



そして、遂に硫黄島も・・・。
機動部隊はレイテ湾スルワンに殺到してきました。
圧倒的な物量を誇る敵艦隊の前に、戦艦「武蔵」以下24隻を失い
サマール沖において三昼夜にわたる「大和」の奮闘も虚しく、
我が連合艦隊は事実上壊滅の事態に至ったのでした。


しかしその中にあって「雪風」は健在であり続けました。


昭和20年。
桟橋の横を歩いていく回天の乗組員たちを見ながら、つい、
あの格好が羨ましい、などとこぼす「雪風」の乗組員。


その中に、木田は見てしまったのです。
海軍兵学校を卒業後士官になった弟勇二の姿を。
ここにいるということは、彼は「回天」搭乗員なのです。


その夜、兄弟は久しぶりに一緒の時間を過ごしました。
弟が海兵に入ることすら内緒にしていたのは、言えば反対されるからでした。

「医者になる夢は10年先でしか実現できないんだ。
その10年で日本がどうなるかと思うと呑気に勉強していられない。
俺、医者にならなくてもいい。誰かがなってくれればいい。
その誰かのために、俺、犠牲になることを決心したんだ」


「・・・・勇二、いいところに連れてってやろうか」

兄の提案に勇二は首を横に振ります。

「いいよ。女はお袋だけで十分だ。
俺、お袋に抱かれてる夢を見て死にたいんだよ」



次の面会日、木田を待っていたのは母親と雪子でした。



偶然会って一緒にいるという二人の姿に木田は感激。


彼は、この面会に勇二も入れた家族全員で会えると思っていました。
上からの通達で勇二がやってくると聞かされていたのです。


ところが彼を迎えに行った木田は、ある部屋に案内されました。


そこに弟がいると信じて、微笑みながら入室した木田を迎えたのは・・



特攻隊で散華した士官たちの遺影だったのです。



そして、その中に弟がいました。

「昨日出撃しました。見事な最後であったと・・。
現地からの報告によりますと、敵空母を轟沈したと」



悄然として二人の元に戻った木田ですが、どうしても
勇二が亡くなったことを母に告げることができません。
一足違いで転勤になった、と苦し紛れに嘘をいいます。



この母親は何かと楽天的な性格らしく、勇二が海兵に入った時も
多分大丈夫、と言ってみたり、この時も、

「勇二はお前と違って要領がいいから。
お前こそ弾に当たりに行くような男だから気をつけないと」


などと全く疑う様子を見せません。


しかし木田の様子に何かを感じ取った雪子は、
お茶をもらってくると言ってその場を去った木田の後を追ってきます。



そこには涙を流して嗚咽する木田の姿がありました。

「木田さん・・・もしや弟さんは」

「戦死しました・・・回天特攻隊で」



「自分が・・代わりに・・死んでやりたかったです」

木田の背中に声をかけることすらできず、ただ俯く雪子でした。

続く。



映画「駆逐艦 雪風」〜入隊

2025-08-05 | 映画
1964年公開の映画「駆逐艦雪風」続きです。

「雪風」の艤装に石川島重工の工員として関わった主人公、木田勇太郎。
自らが手がけた「雪風」を愛するあまり、次にとった行動とは・・。



ある日本の山村で、出征の壮行会が行われています。



そう、我らが木田勇太郎は海軍に入隊することを決めたのでした。
その理由は、「雪風」と一緒にいたいから。

「わしゃ『雪風』の生みの親だぞ。
ちゃんと乗れることになってんだ!」


そんな簡単に希望艦の乗組になれるかな。



勇一郎とは違って?秀才の弟、勇二(勝呂誉)。
勇太郎は勇二が医者になることを望んでいます。



母親役はお馴染み浦辺粂子。
木田が襷掛けにしているのは寄せ書きの日の丸です。


しかし、やはりものごとはそううまくいかなかった。
木田が最初に配属されたのは「おきちどり」。

これはもちろん海軍艦ではなく、戦後海上自衛隊の特務艇です。
海軍が建造した雑役船(200トン型飛行機救難船)が前身で、
戦後おそらく総会業務に携わるために掃海艇となり、
1961年に特務艇(ASM-72)となっていました。


「こんなはずじゃなかったわい・・」

「おきちどり」から「雪風」を眺めてため息をつく木田。

この「雪風」は海上自衛隊の護衛艦なので「ゆきかぜ」とありますが、
戦時中、旧軍艦の艦名は「ユキカゼ」と片仮名で書かれていました。


烹炊兵となって厨房に配属された木田ですが、
「雪風」への思い捨てられず、仕事に身が入りません。



第二艦隊司令長官への配属願い直訴状を古参兵に見つかり、
皆に責められているうちに乱闘になってしまいます。


上陸禁止になった木田は、同じく上陸禁止になっていた
機械室の大野一等水兵と知り合います。



そそのかされて丁半の賭け事をやっていると、突如甲板士官が現れ、
二人に「もうすぐ貴様らはこの艦からお払い箱になる」と言い残して去ります。

上陸禁止されたのにまだ賭け事をやめない大野は海軍刑務所に行きだと。
そして「雪風」への未練をダダ漏れさせる貴様は輸送船行きと言われ、
ガックリとうなだれる木田・・・。



「ゆきかぜ」は当時横須賀地方隊所属だったのでここは横須賀のはず。



「ゆきかぜ」にメザシになっている駆逐艦の艦名、
二文字なんですが、どうしても読めません><


「雪風」舷門では乗組員が堵列で新艦長の着任を待っていました。


そこに予定より遅れて、到着した内火艇。



♩「ソーッソ ソーッソ ソッドミソー」

こういう場合はサイドパイプではないのか?
と思いましたが、喇叭もありかもしれません。(確かめてません)


しかし降りてきたのは新艦長ではなく主計兵と機関兵(大野)。

「馬鹿者!」

ってこれ本人たちに全く責任無くない?
そもそも海軍がこんな手違いをするわけなかろうというツッコミはさておき、
木田水兵、念願かなって「雪風」に乗れたんですね!



しかし、その後乗り込んで来た新艦長手島中佐には、
「目が死んどる!」
と言い捨てられてしまいます。

「眼の輝き、不備」ってか。


木田が新しく配備された厨房の烹炊長、水野は神田の寿司職人だった人で、
明朗で穏やか、この人の下なら働きやすそうです。


ところが、そんな木田と大野に兵曹からの呼び出しがありました。
艦長より先に着艦したことを「ペテンにかけた」と言いがかりをつけてます。



出たー「軍人精神(注入)棒」。
全く年季が入っておらず、まだ作ったばかりみたいなのが何ですが、
古参軍曹はこれで海軍精神注入したる!とばかりに舌なめずり。



だから俺たちのせいじゃないってのに・・・。


そこに現れて制裁を止めたのは士官(副長?)でした。

「どの艦にも張り切りすぎるヤツがいて困る」



その晩、木田は艦長に呼び出されます。
木田が「雪風」に乗れなくて不平たらたらだったこともご存じでした。



「はあ・・」

しかし、木田は自分が「雪風」に今回配置換えになったのは、
山川技術少佐の口添えがあったからだと聞かされ、驚きます。


手島艦長は山川少佐から木田への贈り物をことづかっていました。

「これを山川だと思ってほしい」

山川少佐が「雪風」設計時に使用したというコンパス(らしきもの)です。


「山川少佐、『雪風』は必ずわしが守ります!」

■ 開戦




高らかに「行進曲軍艦」が鳴り響きました。
ついに開戦です。

「我が大日本帝国は有史以来の国難に直面し、これを打開せんがために
12月8日未明を期して米英両国に対し宣戦を布告した。」

たった2行ですが、この頃はまだこのような「事実」を語っても
どこからも文句が出なかったということを表す重要な証拠です。


第16駆逐隊の「雪風」は、第4急襲部隊の一員として、
レガスビの上陸作戦に参加することになりました。



「雪風」が艦番号102の「ゆきかぜ」なのは大目に見ましょう。



第二次大戦中の海軍にこの装備があれば・・・。


これは実際の海自の訓練に乗り込んで撮影されたシーンです。



これは模型による撮影。



主計の戦いは戦闘中の糧食を作り、配ること。
片手で食べられるおにぎりは戦闘食でありソウルフードです。


ご飯粒を顔につけたままおにぎりを作る烹炊の面々。
この時「軍艦行進曲」はずっと鳴り響いています。


できたおにぎりを食缶に入れると、テッパチをかぶって飛び出し、
各配置に配っていきます。



このときおにぎりが(たぶん偶然)一つ転がり落ちるのですが、
長門勇はこれに「おい、落とすなよ!」とアドリブを入れています。



艦長の横にいるのはさっき制裁を止めた士官じゃないですか。
やっぱり副長だったのか・・・。


というわけでレガスビーへの上陸は成功しました。



しかし木田一等水兵はまたもしくじってしまいます。
烹炊場で同僚とやり取りをするうち、うっかり

「弾が飛んでこないところで大根を切っていられるなら楽」

などと言ったのを古参に聞かれてしまいました。


罰として、皆が通るところで

「私は命が惜しいんです!」

と繰り返し叫ばされることに。


高らかに鳴り響く「行進曲 軍艦」(2回目)。

「大本営発表:
2月27日、スラバヤ北西海上において我が第五戦隊は敵強力艦隊と遭遇、
深夜に亘る海戦ののち、次の大戦果を収めたり。
重巡洋艦2、駆逐艦2轟沈。
軽巡洋艦1、駆逐艦3大破。
なお、我が方損害なし。
この海戦を『スラバヤ沖海戦』と称す。」



「き〜そ〜の〜な〜〜〜〜あ なかのりさ〜ん
き〜そ〜の御嶽山はナンジャラホイ♪」


出撃以来初めての内地への帰還が決まった「雪風」では
木田が機嫌よく歌いながら艦体にペイントしていました。


そこにやってきたのは手島艦長。



「赤は撃沈、黄色は大破した敵艦です」

「面白い。これから貴様に記録係を命じる」




さて、ここは内地の某所、手島艦長の自宅。



艦長は帰国して同期を自宅に招き卓を囲んでいました。
この中で艦に乗り実戦に出たのは手島だけです。

「これからの戦は航空が中心となるな」

「それはハワイ・マレー沖海戦を見ても明らかだ」

「それでは手島の任務はこれから輸送船団の護衛になるな」


ところが、この何気ない会話に食ってかかる者がいました。



なぜか艦長に気に入られ、招待されたものの、
士官と同席できずに次の間に控えていた一水の木田です。

「ただ今の言葉、あまりにも『雪風』を知らなすぎると思います!」



ギョッとした士官たちの目が木田に注がれます。
しかし木田は全く臆せず、

「我が九三式魚雷は決して零戦なんかに劣っておりません!
艦長、そうじゃありませんか」



艦長はそんな木田を咎めることもなくニコリと笑って、

「木田、むきになるな。こいつら僻んどるんだ。
空軍だけで戦闘ができるはずはない」




気まずくなるかと思ったそのとき、手島の妻(小幡絹子)と
手島の妹(岩下志麻)という絶世の美女コンビが食事を持って登場。

「おお、雪子さん、ちょっと見ぬ間にますます綺麗になられますな」

木田にとって衝撃の出会いでした。
このとき、手島がなかなか結婚しようとしない雪子を、

「どうも非国民で困る」

というのですが、なぜ非国民なのかと聞き返す雪子に
同席の士官がいう言葉が衝撃的です。

「それはですな、早くお嫁に行って、
我々の後に続く男の子を産んでもらわにゃ困るってことです」

戦時中の認識としては当然だったこのセリフですが、今ならアウトですね。
しかし、この頃は創作なら許容されていたので、
言われた雪子は恥ずかしそうに俯いて微笑んでいます。
(そしてその横顔を真剣に見つめる木田)


「手伝います」

雪子を追いかけるように、木田が台所にやってくると、
そこには手島の娘である京子がいました。

戦時中、長い髪の毛をカールさせている幼女はいなかったと思いますが、
この京子ちゃん役は当時「マーブルチョコレート」のCMで一世を風靡した
上原ゆかりという少女タレントが演じています。


京子が近所を案内したいと言い出し、雪子と三人で
海の見える丘にやってきた木田。

そこで木田は、雪子が兄の手紙によって、
すでに自分を知っていたという衝撃的な事実を知ります。

「『雪風』には’大家さん’がいて備品を傷つけるとすごく煩い、って」

「酷いな艦長も・・」


そこで雪子は、故郷に「待っている人」がいるかを木田に尋ねます。
雪子、なぜかこのもっさりした水兵に好感を抱いている模様。
しかし木田は、慌ててそれは恋人なんてものではなく母と弟であり、

「私には『雪風』より大切なものはありません!」

と「雪風」恋人宣言。
恋人にするなら戦艦の方が大きくて立派じゃありません?という雪子に、

「とんでもありません。
かたちは小さくても、美しいです。
かかかかわいい。たとえば・・」

「たとえば?」

「あのう・・・その・・雪子さんのような感じです!」

雪子はそれにありがとうと微笑み、木田に手紙を送ると言います。



そこで木田はいきなり駆け出していきました。
極度に感激するとトイレに行きたくなる、という設定でしたね。



その晩、木田は手島艦長の家に泊まることになりました。



ベートーヴェンの彫像が置かれたアップライトピアノで、
(地震とか以前に、これは安全上やめておいたほうがいいと思うけど)
その夜、雪子は「エリーゼのために」を演奏していました。

このとき雪子の手元が映るのですが、岩下志麻さん、
吹き替えなしで実際に暗譜で(楽譜を見ずに)演奏しており、それも、
小さい時からちゃんと習っていたのだろうと思われる弾き方です。

おそらくこのシーンのために久しぶりに練習したのに違いありません。



客間に敷かれた布団で枕から頭を上げ、
ピアノの音に真剣な顔で聴き入る木田でした。

続く。





映画「駆逐艦 雪風」〜建造(おまけ:観閲式観艦式中止決定)

2025-08-02 | 映画

8月15日に劇場公開される「雪風 YUKIKAZE」について、
プレスリリースに参加しその感想を挙げましたが、
最初にこの映画の情報を下さった方が「おそらく便乗商法でしょう」と
戦後80周年記念に発売された戦争映画コレクションの一つに
1964年松竹映画の「駆逐艦雪風」が含まれていることを教えてくれました。

(その他の作品は、『進軍』『少年航空兵』『西住戦車長傳』
『雲の墓標』より 『空ゆかば』)

この映画の見どころは、なんと言っても、戦後就役した二代め、
護衛艦「ゆきかぜ」が、防衛庁の協力を得て登場したというところです。

「雪風」艦上シーンの撮影は全て「ゆきかぜ」で行われており、
自衛隊で運用されていたその姿を見ることができます。


昔の戦争映画は「海軍省後援」とタイトルの前に字幕が出たものですが、
本作は、堂々と?「協力 防衛庁」の文字が(胸熱)

主人公の「ゆきかぜ」が最初から最後まで出っ放しで、
しかも海戦シーンは実際の演習の映像が使われているという、
もう海自は協力というよりスポンサーというべき全面協力してますから、
そのスポンサー名を最初に出すのは当然のことです。



そして、驚いてはいけません。
これが本作品の最初の映像です。
雨の中を進む軍靴の列、これは学徒動員の壮行式ではありません。


(おそらく)1963年に行われた自衛隊観閲式の映像なのです。
これは音楽隊。
映像の始まりとともに流れるのは行進曲「大空」です。

作曲者の須磨洋朔は陸軍の軍学兵で、陸上自衛隊中央音楽隊の創設に尽力、
初代隊長を務めた人で、「祝典ギャロップ」「巡閲の譜」、
防衛大学校の学生歌も作曲したという自衛隊音楽隊の「祖」というべき人。



その防衛大学校。
女性学生が最初に入校したのは1992年のことですから、男性ばかりです。


公募により女性自衛官が登用されたのは昭和49年のことです。
ですので、この女性の集団は、自衛隊病院の看護師ではないかと推察します。

自衛隊の看護学院が設置されたのは昭和50年ですから、
この頃は有資格者が自衛隊に入隊するという形だったのではないかと。
(確認取ってません)


陸自普通連隊。

そういえば何年か前、わたしは同じ朝霞駐屯地で土砂降りの中、
観閲式の予行演習に参加したのを思い出しました。
その時傘は全面的に禁じられていましたが、写真にはちらほら見えますね。

ところで、この項をアップする直前、防衛省からの通達が出ました。

今後の観閲式等について

我が国が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面する現在、
隙のない我が国の防衛態勢を維持する上で、
観閲式等を実施することは困難な状況に至っております。

このため、今後、観閲式等は、我が国を取り巻く安全保障環境が
大きく変化しない限り、実施いたしません。


実に強い言葉です。
以下これを教えてくれたKさんとわたしの通信会話。

「私を含めた爺婆や身内家族や議員を集めるよりも
大事なことがあることに、やっと気付いた防衛省・自衛隊」

「開催されれば参加することにやぶさかではないものの、
コロナ以降こうなればいいなと思っていました。
(なんか現場で色々と嫌なものを見てしまったこともあり)
この決定を一番喜んでいるのは現場の自衛官たちだと思います」

「知り合いの第一師団の現役は喜んでいますし、
OBも彼程無駄な事は無いと言っています。
横須賀総監部は観艦式支援で半年は忙殺されます。
百里の空自も同じでしょう。

反対派も自衛隊も意見が合いました(笑)」


さて、続きです。

海上自衛隊は、当たり前ですが、現在と寸分変わらず全く同じです。
同じ幹部・曹・士の制服に白いベルトと白いゲートル、
そして戦争中から変わらない海上自衛隊旗・・・。

この映像、60年前なんですね。
参加なさった方のほとんどは80歳を超えています。



戦後初の国産戦車、61式戦車は当時デビューしたばかりでした。


次いで海上自衛隊の観艦式の様子が。


空自の戦闘機に三菱重工がライセンス生産した
F-104スターファイター(あだ名は三菱鉛筆)が導入されたのはまさに
この映画の公開直前である1963年のことでした。


ブルーインパルス、特別機動研究班(当時)がデビューしたのは1960年。



この頃空自は、ブルーインパルスの宣伝のために東宝映画
「今日もわれ大空にあり」の撮影をしています。

さて、冒頭から自衛隊映像と共にナレーターはこう言います。

「戦後19年。
我々国民はあの忌まわしい戦争という文字を抹殺しようと努力してきた。
そして今、平和を謳歌する時代にあって、
人々がその日常下、戦争という言葉を忘れ去った感がある。
しかしその影に、日夜真の世界平和を願い、
黙々と激しい訓練に勤しむ自衛隊三軍の姿がある。」




その中に活躍する「ゆきかぜ」は、昭和29年、
戦後初の国産大型護衛艦として誕生した。




そしてその名は、かつての帝国海軍、
駆逐艦「雪風」の名前を継いだものである。



その初代「雪風」は太平洋海戦史上、同僚駆逐艦の全てが沈んだ中に、
ただ一隻生き残った「奇跡の幸運鑑」である。



この映画は、栄光の歴史を受け継いだ、現「ゆきかぜ」が登場して、
平和への祈願を込めて贈る物語である。





いつもなら字幕映像などキャプチャしないのですが、今回は
観艦式の映像が使われているので全てご紹介します。

これとか、艦砲が二連装なんですけど、何艦のですか?

その当時運用されていた護衛艦では、「あけぼの」、
「あやなみ」型、「みねぐも」型、「むらさめ」型が、
連装砲を搭載していたようですが・・・。


タイトルの後流れるのは、三橋美智也先生の歌う、
『あゝ太平洋』という「喜びも悲しみもいく歳月」的歌謡。

あゝ太平洋

あゝ〜あゝああああああ〜(バックコーラス)

若い命に 盛り上がる
男の夢は 太平洋
試練の嵐 吹かば吹け
眉を上げれば 歌がわく
そうだ男の そうだ男の歌がある


初代「むらさめ」型1番艦「むらさめ」DD-107


この観艦式は観閲艦「あきづき」以下48隻によって、
1962年(昭和37年)、大阪湾で行われた時のものだと推察します。
(この頃は1年おきで、映画の前年度には観艦式は行われなかった)

1957年に「ゆきかぜ」が観閲艦として岸総理大臣を乗せ、
戦後初めて自衛隊として行った観艦式から四回目となります。




この画像に映るのは撮影年に就役したばかりの、
「あやなみ」型護衛艦、DD-112「まきなみ」です。



そしてDD-102「ゆきかぜ」

新三菱重工業神戸造船所で1954年(昭和29年)12月17日に起工され、
1955年(昭和30年)8月20日に進水、1956年(昭和31年)7月31日に就役、
横須賀地方隊に編入されました。

1963年(昭和38年)には翌年公開された本作品の撮影ロケが行なわれ、
先代の駆逐艦「雪風」として登場しました。

旧海軍時代、「雪風」には艦番号はなかったわけですし、
艦体に書かれる艦名も当時はカタカナだったのですが、
「ゆきかぜ」はまだ運用中だったので、書き換えるわけにもいかず。


SS-501は現在では「そうりゅう」の鑑番号ですが、
ここに写っているのは他でもない海上自衛隊の「くろしお」
アメリカ海軍から借り受けた「ガトー」級潜水艦USS「ミンゴ」です。



ヒロイン役には岩下志麻、当時22歳。

ちなみに、開始からここまでの経過時間は4分30秒です。

■ 進水式



昭和14年(1939年)3月24日。
ここ佐世保海軍工廠で一隻の駆逐艦が生まれようとしていました。



このシーンのロケは石川島重工業で行われました。
実際の護衛艦の進水式が行われたところが撮影されています。
この護衛艦が何であるかはわからないように、滑り出した艦体が
ちょうど鉄塔の影に隠れたところが映し出されています。



進水式会場の横手では祝賀会が行われていました。



祝賀会といっても賓客が参加するものではなく、
石川島重工の社員たちのためのささやかな宴席のようです。

自分が手がけた船が初めて水に浮かぶのを見て感激し、
思わず涙してしまうのは工員、木田勇太郎。


「世界一の駆逐艦だからなあ・・」

ちょっと待って。
後ろにいるフネ、もしかしてこれは艦番号184?
ということはこれは「ありあけ」型護衛艦の「ゆうぐれ」DD-184
アメリカ海軍から貸与された駆逐艦「リチャード・P・リアリー」ですね。

そしてその手前は・・・艦番号103?
ということは「あやなみ」DD-103でしょうか。

そして、注目していただきたいもう一つのポイント、
それは彼らが被っている帽子の「IHI」のマーク。

今でこそ同社は石川島播磨重工業、つまりIHIですが、
1945年に石川島重工業株式会社となるまで、この頃は、
まだ東京石川島造船所株式会社という社名だったはず。

しかも、実際の「雪風」は佐世保海軍工廠で建造され、
護衛艦「ゆきかぜ」の建造は新三菱重工業神戸造船所と、
つまりIHI全く関係ないし!というツッコミどころ満載です。

しかしまあ、「ゆきかぜ」はこの映画の少し前、
石川島重工業東京工場で特別改修大工事を行なって生まれ変わっていますし、
進水式会場をロケに提供してくれたので、映画の方も実際にはありえない、
「佐世保工廠の人間が『IHI』のついた帽子着用」
ということでスポンサーの宣伝をしたということでしょう。

いわゆる一つの「大人の事情」ってやつです。



「進水しても完全に成功するまでは後一年が勝負ってとこだ」

「それなら『雪風』を設計した山川少佐なんぞ、
当分安心して寝てられないってわけですね・・・」


そこにちょうどやってきた山川少佐。
「雪風」を設計した技術少佐という設定ですが、「雪風」は
「陽炎」型駆逐艦なので、この艦だけの設計者というのは少し変です。

ちなみに、「陽炎」型駆逐艦は、「雪風」と擱座・自沈した
「天津風」以外の17隻全てが戦没しています。


山川少佐を演じるのは菅原文太。
この頃は爽やかな好青年キャラを演じることが多かったですね。

「これからも頑張ってくれたまえ」

と微笑みながら工員と握手する少佐。
ふと木田勇太郎の顔を見て、

「ああ、君は、いつも歌を歌いながら作業をしていた・・・」

てへっ(長門勇30歳)

次の瞬間、なぜかどこかへと駆け出していく木田。



「あいつ、感激すると便所に行きたくなるんです」

うーん・・妙なキャラ設定だ。


IHIの協力はこれだけでなく、建造中の自衛艦でのロケもしています。


「雪風」で作業中の木田らが何気なく立ち話をしていると、
上から何やら大きな鉄材が落ちてくるのですが(おいおい)、
ちょうどやってきた山川少佐が木田を突き飛ばして彼は難を逃れます。
佐世保海軍工廠、たるんどる。

「危なかったな」

「ありがとうございました。命が助かりました」


「機材はどうでもいいが君たちの身体に何かあってはいかん」

いや、それより皆、ヒヤリハットの原因を突き止めようよ。

「全くお前ってやつは運の強いやつだなあ」

これは「雪風」の強運を暗示しているつもり・・なのでしょうきっと。


山川少佐が「雪風」のMk.30、38口径5インチ単装砲を・・・
じゃなくて、五十口径三年式十二糎七砲の中を覗き込んでいると、
酒瓶を抱えた木田が駆け寄ってきました。

お礼に支給されたお酒を受け取ってほしい、という木田に、
山川は気持ちだけ戴くから故郷に持って帰りなさい、といい、
木田同様「雪風」に対し特別な思いを持っていることを打ち明けます。

そこで木田は、愛する山川少佐のために決心をするのでした。

「わしゃ海軍を志願します。
ご安心ください。『雪風』は必ず私が守ります!」



どうなる木田勇太郎!

というか、映画が始まって10分しか経過していないのに、
ブログエントリを1日分費やしてしまった・・・。

どうなる?

続く。




映画『雪風 YUKIKAZE』試写会

2025-07-09 | 映画

【90秒予告】映画『雪風 YUKIKAZE』 8月15日(金)全国公開!!

この夏8月15日公開予定の映画『雪風 YUKIKAZE』の
マスコミ試写会のお誘いをいただき、観てきました。

試写会のお知らせには以下のように書かれています。

平素よりお世話になっております。

竹野内豊主演の映画『雪風 YUKIKAZE』
(配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント/
バンダイナムコフィルムワークス)が 8 月 15 日(金)に全国公開いたします。

たった 80 年前。平和な海が戦場だった時代。
帰ることを夢見ながら戦い続けた兵士たちや、
その無事を祈り、待ち続けた家族たち。

彼らひとつひとつの人生にはどんな物語があり、
それぞれが何を想い続けていたのか。

映画『雪風 YUKIKAZE』は、太平洋戦争の渦中から戦後、
さらに現代へと繋がる激動の時代を背景に、
懸命に生き抜いた人々の姿とその運命を、壮大なスケールで描きます。

タイトルとなっている「雪風」とは、
太平洋戦争中に実在した一隻の駆逐艦の名。
主力だった甲型駆逐艦 38 隻のうち、激戦を生き抜き、沈むことなく、
ほぼ無傷で終戦を迎えたのは、「雪風」ただ一艦。

その戦いの中で「雪風」は、敵の攻撃によって沈没した
僚艦の乗員たちを救い続けました。

生きて帰り、生きて還す――それがこの艦にとって戦う意味でした。

本作はその勇姿を、史実に基づいたフィクションとして甦らせます。

主演は竹野内豊。共演に玉木宏、奥平大兼、當真あみ、田中麗奈、
そして、中井貴一と豪華俳優陣が集結。

知られざる史実を基に、新たな視点で描かれる
最大級の感動大作が誕生しました。

この度、下記日程にてマスコミ試写を実施いたします。

2025 年夏、80 年前の海から、今を生きる私たちへとメッセージを運ぶ
『雪風 YUKIKAZE』。
ぜひともいち早くご覧いただき
公開に向けて応援いただけますようお願い申し上げます。




8月15日公開の戦争映画というと、わたしなどどうしても、
「東宝8・15シリーズ」を思い出さずにはいられないわけですが、
本作が東宝とは関係のないソニー・ピクチャーズの配給でありながら
この日の公開を選んだのも、かつてのシリーズに敬意を表しつつも、
当時とは違う「今・現在」の戦争映画に込めたメッセージを確認してほしい、
という意図だったのではないかと深読みしてしまいます。

次に、プレス資料より、あらすじを書き出しておきます。

「『雪風』......これより乗員の救助に向かう......」

1942 年 6 月、ミッドウェイ島沖。
沈没しようとする巡洋艦「三隈」から、多くの乗員が海に投げだされている。
激しい戦闘を繰り広げていた一隻の駆逐艦が救助に向かう。
先任伍⻑である早瀬幸平(玉木宏)の
「一人残らず引き上げろ!」というかけ声のもと、縄梯子が降ろされ、
海面から次々と乗員が助けられていく。

早瀬が最後に海から救い上げたのは、まだ 17 歳の二等水兵、
井上壮太(奥平大兼)だった。

そんな「雪風」の姿を、これも大きな損傷を負った
巡洋艦「最上」の艦橋から、副⻑の寺澤一利(竹野内豊)が見つめていた。

これ以降、戦局の主導権を米軍に奪われていく中、「雪風」は
ガダルカナルを始めとするソロモン海域における数々の過酷な戦場で、
獅子奮迅の活躍をする。

そしてどんな時も、戦いの後海に投げ出された僚艦の乗員たちを救い続けた。

1943 年 10 月、「雪風」はラバウル港に停泊していた。
早瀬の指揮のもと艦の整備にあたる乗員たち。
そこへ水雷兵として配属されてきたのは、
ミッドウェイで早瀬に救われた井上だった。

二人は再会を喜び合う。

そして艦橋には着任したばかりの新たな艦⻑の姿があった。
あの「最上」副⻑、寺澤である。

しかし乗艦早々、米軍機との戦闘が始まる。
新艦⻑、寺澤の見事な操艦と、先任伍⻑、早瀬の的確な準備で
難を逃れたあと、二人は初めて顔を合わせた。

寺澤は早瀬の働きを認めながらも、ミッドウェイを振り返り

「仲間の救助は大事だが、判断を誤れば艦を失う」

と告げる。

早瀬の顔色が変わり、艦橋に緊張が走る。

冷静沈着に状況を判断し、何よりも作戦遂行を優先する寺澤。
一方、早瀬は乗員一人一人の命を守り、
全員で戦場から生きて帰ることこそが、戦う目的だった。
その後も二人は度々ぶつかることになる。

1944 年に入り、米軍はフィリピンとマリアナ諸島の二方向に進撃し、
日本軍の拠点は次々と失われていく。
7 月には、日本の絶対国防圏とされるサイパン島が陥落した。

呉港に停泊する「雪風」では、乗員たちに届いた手紙が次々と渡されていく。
早瀬は、信州で母と共に暮らす年の離れた妹、
サチ(當真あみ)からの便りを一心に読み続けた。

一方、妻の志津(田中麗奈)のもとへと戻った寺澤は、
もうすぐ誕生日を迎える三歳の娘に、小さな髪留めを置いていった。

10 月。
アメリカは日本にとって南方の最重要拠点であるフィリピンへと迫っていた。

日本海軍は米軍の上陸を阻止すべく、ついにレイテ湾へと向かう。
日米が雌雄を決するそのレイテ沖海戦に、もちろん「雪風」の姿もあった。

戦闘が激しさを増す中、乗員たちの心が一つになり、
死線を潜り抜けていく「雪風」。
絶体絶命の危機に陥るが、早瀬の機転により何とか生き延びた。

ここで寺澤と早瀬は互いの想いをようやく理解し合い、
二人の心は繋がることになる。

そして 1945 年 4 月、日本。第二艦隊司令⻑官、
伊藤整一中将(中井貴一)へ下された、連合艦隊最後の作戦によって、
「雪風」は戦艦「大和」らと共に沖縄へ向かう。

護衛機もなく、死を前提としたいわゆる海上特攻である。

果たして寺澤は、この「十死零生」とされる作戦をどのように生き抜くのか。
「雪風」は、今回もまた、多くの仲間を救い、
港に帰ることができるのか......。

※この物語は史実に基づいたフィクションであり、
人名、事象、時制などに架空の設定が含まれています。

■ 「雪風」出演俳優


この映画で「雪風」艦長、寺沢一利中佐を演じるのは竹野内豊

実際の坊ノ岬沖海戦時の艦長は寺内正道中佐ですが、
実際の寺内艦長は体重96キロ、八字髭を蓄えた柔道五段の偉丈夫で、
竹野内とは全くタイプが異なるからか、仮名となりました。

開戦後の「雪風」艦長は、第3代艦長飛田健二郎、第4代菅間良吉、
そして第5代の寺内艦長、第6代古要桂次艦長
です。

「駆逐艦 雪風 YUKIKAZE」の生涯
・・・飛田健二郎、菅間良吉、寺内正道、古要桂次(第3代~6代艦長)
https://youtu.be/gGH_qeXGSfs?si=661wV15HhBN4WCfj

しかし、これによると映画で採用されたいくつかの艦長エピソードは
いずれも寺内艦長のものであることがわかりました。

駆逐艦 雪風 YUKIKAZE(第五代艦長)「寺内正道」
・・・雪風を沈めてなるものか!坊ノ岬沖海戦から生還した名艦長!


(具体的には観てのお楽しみなのでここでは書きませんが、
ぜひこのビデオで予習してからご覧になることをお勧めします)

あらすじでも言及されていた、寺澤艦長の、

冷静沈着に状況を判断し、何よりも作戦遂行を優先する」

姿勢ですが、これは上のビデオで言及されている、

「例え生存者があっても沈没艦への救助の手は差し伸べず、
敵の攻撃により一隻のみ残ったとしても、作戦遂行のため沖縄に突入せよ」


という出撃前夜の全艦長の申し合わせから来ていると見られます。
その後溺者救助の命が司令部より下されると、寺内艦長は、

「そうと決まれば最後の一人まで救え!」

と総員に申し渡しました。


「雪風」先任伍長役は玉木宏
「真夏のオリオン」で潜水艦長を演じた時は、

「潜水艦乗りなのに小綺麗すぎて、汗をかいていても
ドルチェ&ガッバーナの『ブルー』の匂いがしてきそう」


などと評してしまったことがありましたが、本作では、
玉木さんに限らず、駆逐艦乗組員の薄汚れ具合が実にリアルです。

役者の年齢の問題について。

45歳の玉木宏の妹(當間あみ)がまだせいぜい20歳だったり、
54歳の竹野内に生まれたばかりの娘がいたりしますが、
特に竹野内の艦長役は、実際の駆逐艦艦長なら40歳前後なので、
15歳くらい若い役を演じていることになります。

映画で軍人役が実際より年上の俳優によって演じられるというのは
洋の東西問わずあるあるなのですが、玉木さんも竹野内さんも、
本作では全く観ていて年齢的な不自然さはありませんでした。

お二人ともそもそも全くその年齢より若く見えますし、
俳優というのは多少の年齢なら演技で超越できることを確認した次第です。

いずれにしても、「雪風」という魅力的な題材に次いで、この、
魅力的な男優二人のカップリングというのが映画の推しポイントでしょう。

■ 本作のテーマ



「雪風」が開戦以来いくつもの作戦に参加しながら、
その都度生きて帰ってきたということと、その都度数多の将兵を助けてきた、
駆逐艦であったことが「命を繋ぐこと」という作品のテーマであり、
それを象徴的に表すのが、この「繋ぐ手」です。

「命を救う」というのは、現代における戦争映画のテーマとしては、
こう言ってはなんですが、共感を得やすいものだと思います。

戦後すぐの戦争映画は、わたしが多くの作品を観る限り、
あまり私情を交えず淡々とその経緯を語るといったものが多かったのですが、
そういった作品に対して「反省がない」「戦争賛美」という論調が
左傾化した、主にマスコミ界隈から生まれてくると、例えば
「軍閥」「きけわだつみのこえ」のように軍部批判、
「大日本帝国」のように日本批判するような作品が生まれてきました。
(『戦争と人間』は左に振り切れすぎてもはや制御不能だった)

あとはどの作品も大なり小なり反省色が滲むものでしたが、
今回やはり試写を鑑賞された元海自の方によると、戦争映画は、

2005年(終戦から60年)の「男たちの大和」から「反省色」がなくなり、
「こうして日本はやって来た」という路線になって来たように思います。

わたしも同じことを思いました。

戦後すぐの「淡々と時系列を語る」と基本同じベクトルでありながら、
現代ならではの「命」の価値観によるメッセージを加味したものであると。

■ 実在&創作の軍人


実在の軍人を誰が演じているかも興味深いところです。
第二艦隊司令長官伊藤整一大将を演じるのは、中井貴一
(ここだけの話、この写真の中井貴一、以前と顔違ってませんか?
若い時はすっきりとした一重瞼だったはずが・・・)

「聯合艦隊」のとき


「大和」艦長有賀工作中将(最終)を演じたのは、田中美央(右)。

「大和」特攻に当たって少尉候補生を「日本の未来のために」と
艦から降ろす決定を伊藤整一が下したエピソードも出てきます。

また、「大和」の特攻作戦を伊藤中将に伝達・説得するシーンで
草鹿龍之介参謀長も登場しましたが、役者名はわかりませんでした。

それから、軍令部作戦課長の古庄俊之という軍人が登場します。
寺澤艦長の軍令部時代の上司として、その心情を理解し、
前線で戦う現在の立場を慮る人物、という設定。

演じているのが石丸幹二なのですが、モデルに全く思い当たる人物がなく、
この人が登場するたびにモヤモヤしていました。

そして、モヤモヤしながらもその名前から想像した通り、
エンドロールのクレジットに、監修として
第26代海上幕僚長古庄幸一氏の名前があり、納得しました。

古庄氏の父上だったとかそういうことでもないので、おそらく、
氏に敬意を表して創作した架空の人物だと思われます。

もちろん、本作は海上自衛隊が協力しています。

劇中、「雪風」が帰国し艦長が久々に帰宅するシーンがあるのですが、
出迎えた奥さんに向かって早々に「今日は船に帰る」というんですね。
(田中麗奈はこれに対し、ほんの一瞬、表情を動かすのみ)

このシーンについて、前述の元海自の方は、

「元自衛官が監修しているからだろうなと思いました」

とおっしゃったので、真意がわからず説明を求めると、

海上自衛隊では「家に帰る」とは言いません。
艦長以下全乗員が「船に帰る」と言います。
恐らく、海軍時代の仕来りだろうと思います。
よく新婚ネタで「船が家なの(怒)」というのがあります。

だそうです。(帰るという言葉に気が付きませんでした)


海軍の系譜たる海上自衛隊に、「雪風」始め、
戦いに出て、或いは斃れた先人たちが「命を守る」使命を託す、
というメッセージを込めた一連のシーケンスで映画は終了するのですが、
その中には、江田島の海上自衛隊第一術科学校構内にある「雪風」の錨、
そして自衛官が整列する術科学校が空撮で映し出されるシーンがあります。

このラストのドローンによる空撮は、正門側から海に向かい、
最後に江田島の湾沖に停泊する、ある護衛艦を映し出して終わります。

それが上の写真ですが、さて、この護衛艦はなんだと思いますか?
(このシルエットだけでわかる人はわかってしまうんでしょうけれど)

個人的には、最後の空撮シーンのためだけにも、本作品は
映画館の画面でぜひ観ていただきたい、と声を大にして言っておきます。

最後に、プレス資料より、「雪風」のスペックです。

駆逐艦「雪風」(陽炎型かげろうがた駆逐艦8番艦)

1940 年(昭和 15 年)竣工

○基準排水量 2,033 トン(※「大和」64,000 トン)
○全⻑ 118.5 メートル(※「大和」263.0 メートル)
○全幅 10.8 メートル(※「大和」38.9 メートル)
○最大速力 36 ノット(※「大和」27.46 ノット)
○乗員 233 人(※「大和」3,300 人)

━数多くの激戦に参加し、終戦まで生き抜いた「不沈艦」━

スラバヤ沖海戦を始め、ミッドウェイ海戦や第三次ソロモン海戦、
マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、そして戦艦「大和」が沈んだ
沖縄特攻(天一号作戦)など、太平洋戦争における数々の激戦に参加した
「雪風」は、他の艦が大破炎上していく中で、
絶えず不死身ともいえる戦いぶりを見せ、主力として海戦に送り込まれた
甲型駆逐艦(陽炎型駆逐艦、夕雲型駆逐艦)38 隻のうち、
ほぼ無傷で終戦を迎えたのは、「雪風」ただ一艦のみだった。

━海に投げ出された仲間たちを助け続けた「命を救う艦」━

駆逐艦はどんなに激しい海戦においても、戦闘後はその場に留まり、
海に投げ出された僚艦の兵士たちを救い続けた。
帰国した「雪風」の乗員が、いつも行きよりも多かった、
というのは、いかにもそれらしい逸話である。
沖縄特攻で戦艦「大和」や巡洋艦「矢矧」などが沈んだ時も、
数百名の兵士たちを海から引っ張り上げ、佐世保港に帰還した。
生きて帰り、生きて還す。それが「雪風」にとって戦う意味だった。

━終戦後、約 13,000 人もの邦人を連れ帰った「復員輸送船」━

「雪風」の信念は戦後にも受け継がれる。
太平洋戦争を生き抜いた「雪風」は武装を撤去され、

「復員輸送船」としての航海を続け、外地に取り残された人々、
約 13,000 名を日本に送り返した。
200 名強の乗員が、一度にその四、五倍もの数を乗せ、
繰り返し本土に運んだのである。
漫画家水木しげる氏も「雪風」によって日本に帰ることができた一人だった。

━抽選によって中華⺠国に引き渡された「戦時賠償艦」━

復員輸送船としての役割を終えた「雪風」は、戦時賠償艦として、
戦勝国の抽選により中華⺠国(現在の台湾)に引き渡される。
「丹陽」と名前を変え、その後は台湾沿岸部の警備などで活躍するが、
1970 年に台風の影響で大きな損傷を負い、解体された。

戦時中から“海軍一の働きもの”“海の何でも屋”として、
数々の過酷な戦場で活躍し、「奇跡の駆逐艦」や「幸運艦」と噂され、
終戦後はアメリカの海軍関係者たちから、
第二次世界大戦を通じて最優秀の艦、と絶賛されたという「雪風」。

現在では「舵輪」と「主錨」が江田島の海上自衛隊第 1 術科学校に、
「スクリュー」が台湾海軍よって保管されている。

最後になりますが、鑑賞の機会を下さった方に心よりお礼を申し上げます。


映画「戦艦バウンティ号の叛乱」」叛乱、漂流、判決

2025-07-03 | 映画

映画「バウンティ号の叛乱」最終日です。

実際の「バウンティ」の反乱の際、フレッチャー・クリスチャンは、
味方をしてくれそうな乗組員を把握してからまず上甲板を制圧し、
皆に武器を配ってから艦長室に乗り込んでいったとされています。


こちらブライ、朝起きて機嫌よく伸びをしていたら反乱軍が乱入してきます。


3人の男がブライを捕まえて手を縛り、
警報を鳴らしたら殺すと脅したそうです。


眠っていたスチュアートら候補生も叩き起こされました。
「叛乱か?」


船上では大騒ぎが起こっていました。


両手を縛られて連れてこられたブライに対し、日頃の恨みとばかり
彼を罵り、傷つけようとはしゃぐ乗組員ですが、



クリスチャンは、乗っ取った目的はリンチではなく鞭打ちの廃止だとして、
食料、磁石、短剣を与えて船に乗せて追放することを宣言します。

そこで、全乗員に、船に残るかブライと一緒に行くかを選ばせました。

実際、クリスチャンと叛乱者たちは、自分達に賛同する者がもっと多いと
過大評価していたようですが、半数がブライに着いていきました。


植物学者のネルソンもボートに乗った一人です。
彼は、船に残していくパンノキの苗を気にして、
乗組員に水をやるのを忘れないでくれ、と頼んでいきました。



彼らが乗せられたのは全長7メートルのランチボートです。
士官候補生の一人に、クリスチャンは、君は残ってもいいと言いますが、
彼はむしろそれを拒否して船を降りていきました。


その後何人もの乗組員が艦長に着いていきたいと懇願してきますが、
ボートは満杯でこれ以上乗れないとしてクリスチャンはそれを拒否。
そしてあぶれた彼らをブライの同調者として船底に閉じ込めさせます。

最終的にボートに乗り込んだのは、45名のうち20名でした。

なお、船大工と武器工の3名も、ブライに着いて行こうとしましたが、
「バウンティ」の航行ができなくなるという理由で船に残されています。

これは、ほとんど実際の事件の経緯通りです。

映画で散々ブライを悪として描いているのに、なぜ多くの乗員が
彼の側に立ったのか、映画でしか事件を知らなければ混乱するでしょう。



そして、ブライらを乗せたボートは海に放たれました。



「バウンティ」を離れるボートから、ブライは叫びます。

「私は死なない。このボートが沈まない限り。
もし私の運命がそうすべきと決めたなら、必ず英国までたどり着く。
生きて諸君全てと再会し、英国艦隊の一番高い檣から諸君を吊るす!」




バイアムは「バウンティ」に残されましたが、(残ったのではない)
ここで現実的な彼はクリスチャンに抗議します。
艦長だけでなく、他の乗組員も死ぬかもしれないと。

「私がこれを好きでやっていると思うか?」

彼は叛乱の際暴動には加わりませんでした。
この期に及んでバイアムは今更ブライに着いていくと言い、さらに

「諸君、国王の名において任務に戻ってくれ!」

と必死で乗員に訴えかけますが、乗組員の中から

「コケコッコー!」

とまぜっ返す声に激昂して思わず殴りかかろうとします。
クリスチャンはそんな彼を手荒く扱い、船底に閉じ込めさせるのでした。

実際の事件もそうであったように、この叛乱は、善悪で論ずるまでもなく、
肝心の叛乱の動機が曖昧で、やり方が間違っている以上、
いくらクラーク・ゲーブルに演じさせようと、正当性の説得力は皆無です。

もっとも、この根本的な理由の曖昧さこそが、この事件を歪め、
クリスチャンという人間を主人公として描くことを許したといえます。



今や舵取りを行うことになったクリスチャンは、針路をタヒチに向けました。
行き先を聞いて、タヒチを離れたくなかった皆は大喜びです。

早速船からパンノキの苗を海に投棄し始めました。

実際の「バウンティ」はこの後タヒチに戻り、島民に対し、自分とブライ、
そしてクックが近くの島に入植地を作るつもりだと虚偽の申告をしました。

クックは10年前にすでに亡くなっていましたが、彼の名前を出すことで
タヒチの酋長たちから物資や贈り物を取れると思ったからです。

そして30名のタヒチ人男女を騙して「バウンティ」号に乗せ、
(これは原住民を色々と利用するためだったと考えられる)
タヒチの近くの小さな島ツブアイに定住する計画を立てます。

しかし、タヒチの人々は訪問中だった別のイギリス船の乗組員から、
クリスチャンの言葉が嘘であることをすでに聞かされていました。

この頃には残留乗組員からのクリスチャンへの信頼は失われつつあり、
結局24名のうち16人は彼と別れて、タヒチに残ることを選択しました。


映画に戻ります。

クリスチャンは船底に閉じ込めているバイアムのところに行って、
逆らわないと約束すれば自由にすると言いますが、彼は返事しません。

「殴ってすまなかった」

「いえ・・本当に辛いのは、もう二人が友人に戻れないことです」



ブライとその部下の漂流は続いていました。

実際の彼らは、小さな島を見つけては立ち寄っていましたが、
島民に敵対的行動を取られ、一人を殺害されるということがあって、
彼らはティモールのオランダ人入植地を目指すことになりました。



彼らは1日の水と食料の分量を綿密に計算し、航海を続けました。

このMGMのスタジオでタンクを使って撮影されたハリケーンシーンでは、
屋内にも関わらず、ロートンと共演者は水に濡れ、ケーブルに揺すられ、
スタジオの焼け付くような照明にさらされることになりました。

撮影では死者も出ています。



ブライは航海中ずっと士気を保つため、西に進みながら
観察、スケッチ、海図を記し、日記を書き続け、
語り合い、皆で歌い、そして繰り返し祈りを捧げました。

映画でも、ネガティブに陥りがちなクルーに対し、ブライは
やることさえやっていればなんとかなる、海と戦おう、と励ましています。

このとき彼らはヨーロッパ人として初めてフィジー諸島を通過しましたが、
島民が人喰いという情報があったため、上陸を諦めています。



実際もそうだったのですが、この漂流シーン、ブライがもう立派すぎて・・。

皆で捕まえたカモメを、全員で分けるため自分が預かり、
今にも死にそうな男にまず血を飲ませてやろうとするのです。

「飲め、艦長命令だ」

言っちゃなんですが、クリスチャンごときでは、ここまで皆を統率して
諍いもなく航海はできなかったのではないでしょうか。

7mのボートで漂流することを覚悟の上で半数の乗組員が彼についてきた、
というのは、彼らがそれを知っていたからでしょう。

元からブライは船乗りとして大変な実力者だったと言いますし、
おそらくクリスチャンにはない人望があったのだと思われます。

現にタヒチ残留組の半数はクリスチャンを見限って彼の元を去っています。



5月2日から始まった漂流から1ヶ月以上経った6月12日。
前日まで続いた荒天で船はほとんど崩壊し、乗員は全員倒れていました。



それでも舵を取り続けていたブライの目に、陸地が映ります。

”We’ve beaten the sea itself.”
(我らは海に勝利した)


MGMのタンクプールで辛いハリケーンの撮影が終わった時、
チャールズ・ロートンはこれと同じセリフを呟きました。

前述のように過酷な撮影を終えたクルーは、彼の言葉を聞くなり
感動して歓声を上げ、ロートンは声を上げて泣き崩れたということです。



その頃、バイアムの実家では、息子のいないクリスマスを祝っていました。
豪邸の外で歌われる「God Rest Ye Merry, Gentleman」のキャロル。



同じキャロルが遠く離れた南のタヒチで歌われていました。



タヒチに戻ったバイアムはテハニとどうやら結ばれ、



クリスチャンはマイミティと結婚し、



子を成したという話になっていますが、事実は
そんな単純な話ではありません。



ある日、沖合にイギリス船の姿が見えました。

海軍本部は、フリゲート艦「パンドラ」を派遣し、
叛乱者を捉えて裁判にかける決定をしたのでした。

実際の「パンドラ」は1791年3月23日にタヒチに到着し、
数日内に「バウンティ」の生き残り14人を捕えました。


映画では、「パンドラ」に捕まったエリソンと、架空の人物
バイアムが島に残って英国に帰る決意をしたとされています。



バイアムとスチュアートが英国船に乗り込むと、
そこで待っていたのは、なんとブライでした。

これはもちろん史実とは違い、実際のブライは捜索船作戦の時、
別のパンノキ輸送の任務中でした。



ブライは彼らを叛乱者として拘束するように命じます。

これは実際と同じで、「バウンティ」の生存者は、
「パンドラの箱」と呼ばれた「パンドラ」の区画に閉じ込められました。

実際の「パンドラ」艦長エドワーズは、自分たちは潔白であると信じて
投降してきた彼らを逮捕し、監禁して監獄に閉じ込めています。

ところがここで予想外の(いや海ならありがちか)海難事故が起こりました。

「パンドラ」は「バウンティ」を5週間に亘り捜索しましたが
結局見つけられないまま、グレートバリアリーフで座礁し沈没したのです。

座礁は「パンドラ」艦長エドワーズの無能による失策と言われており、
有能なブライが指揮していたら、事故は起こらなかった可能性もあります。

「バウンティ」の乗組員4人が、この沈没で溺死することになりました。


「パンドラ」は軍艦なので、海兵隊によって非常時のドラムが鳴らされます。

この鼓手は最後の最後までドラムを打ち続け、
見かねた乗組員にボートに引き摺り込まれています。


拘束されている反乱者たちは、ブライの命令で解き放たれました。

ここで彼らを見殺しにするという展開にならなかったのは、
実際は「パンドラ」にブライは乗っておらず、下手な創作をしたら
ブライの名誉を回復しようとする彼の子孫が黙っていないからでしょう。

タイタニックの件もそうですが、実在の人物を創作上うっかり悪人に描くと
当人の遺族親族からクレームがつく可能性は避けられません。

現に「バウンティ」叛乱事件の件でも、長きにわたってブライの子孫は
実際の彼の名誉について戦ってきたということです。


助けてくれた礼をいうバイアムに、ブライは叫ぶように言います。

「ミスターバイアム、旗艦のためにも君を失うわけにはいかん。
ボートに乗りたまえ!」


「バウンティ」関係者はこの後、漂流を強いられ、10名が生還しました。

クリスチャンはというと、英海軍の追手から逃れるためタヒチを脱出し、
ピトケアンという島に定住しましたが、その後リーダーシップを失ってゆき、
そのうち、イギリス人に所有物扱いされて不満を抱いたタヒチ人たちに
今度は彼自身が叛逆を起こされ、虐殺されたという説があります。
詳細は歴史の中に埋もれてしまい、不明だそうです。



「バウンティ」では乗組員がタヒチ女性に我慢ができなくなって手を出し、
彼女の恋人であるらしい男性と掴み合いの喧嘩が始まりました。



裁判は19792年9月12日、ポースマス港のHMS「デューク」で行われました。


叛乱発生時、このバーキット、エリソン、マスプラットの3名が
武器を持っていたということを航海長フライヤー准尉が証言しました。



エリソンは、自分は武器を持ったが使っていないと訴えますが、
航海長は、あったことを淡々と証言します。

「武器を振り翳して、艦長を酷いあだ名で呼びました」



「酷い名前とはどのように?」

軍法会議の裁判長は、海軍提督サミュエル・フッド子爵でした。



「・・・青っ鼻のバブーン(ヒヒ)と」

思わず下を向いて笑いを堪えるのに必死な裁判官たち。
エリソンにしたらこれで死刑かどうかなので笑い事ではないんだが。


最後にブライが呼ばれ、証言します。
叛乱の前日、クリスチャンとバイアムがデッキで話しているのを聞いたが、
バイアムが「任せてくれ」と言い、クリスチャンは「よし、決まりだ」
そして二人は握手していた、と。

これはクリスチャンがもし自分に何かあったら、
故郷に行って自分のことを話してくれ、と頼んでいたわけですが、
ブライは後からあれが叛乱の打ち合わせだと合点がいったというわけです。



バイアムは、それは故郷の家族に会ってほしいという話だった、と言い、
ブライ艦長はその前後を聞いていたはずだと問い詰めますが、
彼は頑なにノーと言い続けます。

映画的には、これがブライの策略だということのようです。

バイアムは必死で、わたしは島に残りはしたが、武器もなく、
そもそもクリスチャンには叛乱を止めるように言った、と言い訳をします。

まあでも・・・結果が結果だし、これは本当に言い訳に過ぎないよね。

「私は叛乱を企てていません!」


「じゃなぜ艦長と一緒にボートに乗らなかったのかね」


「スチュアートと一緒に船を反逆者から取り戻す準備をしていたからです」

えー、それ本当なの?

裁判官たちも同じような顔をしたところで、ブライが冷酷にも言い放ちます。

「スチュアート候補生は『パンドラ』の事故で亡くなりました」

つまりそれを証言する者はいないということです。


収監されている区画で、妻子に会うために帰ってきたのに、
と取り乱すエリソンを、バイアムは慰めていました。



そこに判決が出され、彼は呼び出されました。



裁判長の前に短剣が置かれていました。
無罪であれば短剣は横向き、被告人の方を向いていれば有罪です。


有罪を悟ったバイアムは、もうどうにでもなーれ、とばかり、
言いたいことを言うことにしました。
ここに及んで、艦長の体罰の実態を訴え始めたのです。

「その暴虐を許せない男が一人いた。
艦長の負けです。フレッチャー・クリスチャンは未だ自由のままです」

「反逆者となった者は言うでしょう。
”奴隷ではなく、自由な英国人として進んで仕事をしたい”と」



しかし判決は非情にも彼に絞首刑を言い渡しました。

実際の裁判において、彼のモデルと言われるトーマス・ヘイウッドも、
やはり死刑(マストに絞首される極刑)を宣告されています。



閉廷後、ブライは裁判長に感謝を述べ握手しようとします。

「ブライ艦長、私の意見ではあなたはボートでの航海において、
海軍史に記されるほど見事な指揮を執られたと思う。
そのシーマンシップと勇気は賞賛する・・・・が」


最後のbutを残し、裁判長は彼の握手に応えず去って行きました。


判決を言い渡されたエリソンが戻ってきて、バイアムに
妻子と会うことができたことを報告します。

トーマス・エリソンは故郷に帰るために「パンドラ」に自首し、
裁判では叛乱の際銃を持っていたことを証言されて死刑になりました。


その頃フレッチャー・クリスチャンは、「バウンティ」で
ピトケアン島に新天地を求め上陸しようとしていました。



追手に見つからないよう、彼は「バウンティ」を燃やしました。

"She makes a grand light."(彼女が盛大に明かりを灯していますね)

"Good English joke."(ナイスイングリッシュジョークだ)


これが最後のセリフです。
どこがナイスジョークなのかわたしにはさっぱりわかりませんが。

前述のように、クリスチャンはこの後タヒチ人の叛乱で
他の5名の元乗組員とともに殺害されることになります。


そしてバイアムはというと、国王の恩赦によって赦免されました。

彼のモデルであるヘイウッドの経歴によると、その後の彼は
急に上級士官たちから寵愛を受けるようになってキャリアを再開し、
順調に出世して退職後は平穏に過ごしたということです。

彼が叛乱にどのように関わったかは当時から不明瞭と言われており、
20歳で処刑されたエリソンのような後ろ盾もお金もない下級船員と違い、
実家は裕福でコネも多く、やり手の弁護士をつけたことが恩赦の理由です。

そのほかに、彼が自分の正当化のために、ブライの人格を貶め、
叛乱を耐え難い専制政治への抵抗として理解できるとし、
その結果彼は無傷で仕事に戻ることができたとする説もあります。



映画は、再び海軍士官として英国のために頑張るぞ!と
意欲を燃やすバイアムの明るい表情で終了します。



実話を掘り下げれば掘り下げるほど、このハリウッド映画における
単純な善悪の決めつけとそのための創作が透けて見え、
ゲーブルのにやけ顔が最後になるほど胡散臭く見えてくる作品でした。

史実を踏まえた上でツッコミながら鑑賞するのも一興かもしれません。


終わり。



映画「戦艦バウンティ号の叛乱」〜タヒチ

2025-06-30 | 映画
映画「戦艦バウンティ号の叛乱」二日目です。
政府の命令を担った「バウンティ」は、苦難の航海の末、
ついにタヒチに到着します。

ちなみにブライ艦長の技量は卓越していて、タヒチには過去二度、
当時英国海軍航海長であったジェームズ・クックとともに訪れています。
ブライはクックから航海術を学ぶ弟子であり、
ブライとフレッチャー・クリスチャンは同じ師弟関係にありました。

クックはハワイ先住民との間のトラブルが元で惨殺されています。


初めてのタヒチ。皆期待に満ちた表情で島陰を見つめます。



島からはタヒチ人たちが総出で熱烈歓迎。
この時MGM社に雇われたタヒチ原住民の数は2,500人に上ります。



「バウンティ」を迎えるために彼らが漕ぎ出すカヌーは
全てハリウッドからロケ地のカタリナ島に輸送されて撮影に使われました。


船に乗り込んできたタヒチの男にココナッツを渡され、中身を飲んで
「ミルクだ!卵を産む牛がいるのか」と言うシーンがありますが、
ご存知のように、ココナッツの中にはココナッツミルクはありません。

スタッフは誰もココナッツジュースを飲んだことがなかったようです。
おそらくこのシーンは、殻から飲むふりをしていただけでしょう。



立派なカヌーに乗ってやってきたのはヒティヒティ(Hitihiti)
と言う首領で、キャプテン・クックがこの島を訪れたことを知る人物です。

ブライはキャプテン・クックと一緒にここにきたことがありました。

「クック船長は?」「亡くなりました」

まあ、10年前のことですから。

「クック船長が、今度はジョージ国王と来ると言ってましたが」

「あーいやー陛下は来られなくて遺憾と仰せでした」

「国王が来ないなら帽子をくれると約束した」

「あーそそそ、もちろんです、覚えてます。帽子ね」

ブライ艦長、なんかいきなりいいやつモード発動。
まあ、ここでパンノキの実をもらい、乗員の面倒を見てもらう訳ですから。


ヒティヒティはバイアムが気に入ったらしく、

「わたしヒティヒティ、あなたテヨ(友達)、うち泊まるよろし」

「はえ〜」



艦長は乗組員を集め、この島にいる間も任務中なので羽目を外さないこと、
パンノキの積み込みを行うこと、上陸には必ず許可を得ることを訓示します。

いや、これ、割と当たり前のことだよね。

ただ、クリスチャンに島の上陸を禁じました。
直前の司法裁判の結果を受けてのことと思われます。

これもまあ当たり前と言えば当たり前かも。
一応死刑判決下ってるわけだし。



島民は花を編んで船を飾り、地元の食べ物を振る舞ってくれました。
島民生活の描写では、バナナの葉で蒸し焼きにした豚の姿焼きとか、



下拵え中の豚とかがバンバン登場します。
今なら絶対アウトな画像ですね。




島民に混じって労働をする乗組員たちが目を奪われたのは、女性。



「バウンティ」がタヒチに滞在したのは5ヶ月でしたが、この間、
「乗組員の多くは現地の女性たちと乱交生活を送った」(wiki)とされ、
クリスチャンを含む18名が性感染症に罹患しました。
ちなみにブライはそういうことは行わない主義だったようですが、
部下の行動には比較的寛容だったそうです。

ただ、「想像を絶する放蕩の誘惑」で、任務の遂行が滞ることに対し、
失望し、激怒していたと伝えられます。

タヒチでの生活に無節操になった(とブライが考えた)ため、
クリスチャンはしばしば皆の前でブライに侮辱され、
これが二つ目の「叛乱の理由」とも言われています。



首領の家でタヒチ語辞典の編纂を試みていたバイアムにも、
テハニという女性が近づいてきます。



そのとき、クリスチャンが上陸してきたので、
バイアムは喜んで迎えに行きました。
ヒティヒティが艦長に頼んで彼の上陸を許可してもらったのです。



テハニはバイアムの仕事中のペンで書きかけのノートに落書きを始めました。
犬猫が飼い主の持ち物に悪戯するような感じでしょうか。



そこに戻ってきたバイアムが慌てて駆け寄りペンを取り上げます。
このときのセリフがひどい。

「何やってんだ、この”小さなお化粧ザル”(little powder monkey)!」

ね、すごいでしょ。
ナチュラルに人間扱いしていないよね。
英語を話さない原住民というのはこいつらにとっては猿なのよ。
そして、自分がちょっと船に乗っていたからといって、粋がって

「もしまた僕の船の横を通ったら、
君の小さな右舷を叩いてやるぞ、わかったか?」

などという恥ずかしいセリフを吐いています。
で、お前はこの女性の何?
しかも、この男、女性が英語を全く理解しないと思ってこれ言ってるんですよ。

テハニが「イエス」というと、彼はびっくりして、

「君は僕のことを馬鹿にしてるんだな」

彼女はニコニコしながら「イエス」

「え・・・英語わかるの?わからないの?」

「彼女はイエスという言葉しか喋れないんですよ」

ね?脚本そのものが原住民をバカにしてるでしょ。


テハニを演じているモビータという女優はメキシコ系アメリカ人で、
確かにエキゾチックな美人ではありますが、その後のキャリアでも
ほとんどが「島の娘」みたいなセリフの少ない役ばかりを演じました。
あるサイトでは、

「おそらく5分以上、ぼんやりとした、
恋に落ちた笑顔を保てるかどうかでキャスティングされた女の子」

などと書かれています。

アフリカ系アメリカ人に対しても、つい最近まで
人間扱いしていなかったアメリカで、1935年というこの当時、
原住民を猿呼ばわりするこのセリフがなんの問題にならなかったのは
当たり前と言えば当たり前なのですが、正直、実に不快です。


そのときパウダーモンキー2号が現れました。

ヒティヒティの孫、マイミティ、本名マウアトァ、
後のイザベラ・クリスチャン、あだ名メインマスト。
フレッチャー・クリスチャンの現地妻だった実在の女性です。


一目見るなり恋に落ちたらしいクリスチャン。


言葉も通じない相手に・・・いや、通じないからこそなのかな。

こうしてクリスチャンとバイアム、そしてほとんどの乗員の、
ブライの言う「放蕩で快楽主義的なタヒチの日々」が始まるのでした。

タヒチに到着した「バウンティ」の乗組員にとって、
色んな意味で運命的な5ヶ月間がはじまりました。


主人公のフレッチャー・クリスチャンとバイアム候補生は、
どちらもいい感じのタヒチ美人といい感じになります。

この二人の女性、あまりに似ていて見分けがつかないんですが、
クリスチャンの相手のマイティティを演じたのは
マモ・クラーク(Mamo Clark)というホノルル出身の女優で、
この映画がデビュー作だったそうです。

テハニを演じたモヴィータ同様、ポリネシアの王女とか、
太平洋諸島を舞台にしたB級映画に現地の女性役に需要がありました。
しかし、その後、陸軍大尉と結婚し、子供を儲けてから、
女優業を引退して大学(UCLA)で学位を取得しています。

ちなみに、モヴィータは2回目の結婚相手が、
1962年版「バウンティ」のクリスチャン役、マーロン・ブラントでした。

これはきっと、作品をネタに運命感じて盛り上がっちゃったんだろうなあ。
彼女はブラントとの間に二児を設けましたが、2年後離婚しています。



男二人は、この地上の楽園で美しく純真な女性に知り合えたことに
すっかり舞い上がっていますが、まあ要するに「現地妻」よね。
女性ではなく「化粧した可愛い猿」と思ってることはわかってるからな。

実際の「バウンティ」乗組員がタヒチ滞在中「放蕩と快楽の日々」
を過ごしたことは前述しましたが、相手が女性だけとは限らず、
この最初のフィルムには現地の少年と乗組員のカップが写っていました。
そのシーンはいつの間にかカットされたそうです。

今なら「LGBTQへの配慮がない」と糾弾されるかもしれません。


そこにブライ艦長から、クリスチャンに帰還命令が出ました。



怒りながらも一応命令には従うクリスチャン。
出発前に彼らは初めて結ばれます。

実際にはこんなロマンチックなものでは決してなかったと思いますが、
やはりクラーク・ゲーブルにあまり変なことはさせられないですよね。

ちなみに二人は互いの言語を全く理解しておらず、クリスチャンは
マイティティを故郷の元カノの「イザベラ」という名で呼んでいました。
どこまでも傲慢で無神経な白人様ですこと。


まあでもこういう関係に言葉はいらない・・ということだったんでしょう。
小舟に乗り遅れて泳いで船に戻るクリスチャンを追いかけてきて
海上で別れを惜しむマイティティでした。


「バウンティ」には目標通り大量のパンノキの苗が積み込まれました。

ブライ艦長と話をしているのは、実際の「バウンティ」にも乗っていた
民間の植物学者デビッド・ネルソンです。(役ではモーガンとなっている)
このほかにも、植物の世話のために彼の補佐である庭師が乗っていました。

ネルソンが、西インド諸島に運ぶまでこの植物を枯らせないためには
積載量以上の水が必要だと言うと、ブライが提案した解決策は

「それでは乗組員のための水を制限しよう」

いやいや、それはまずいでしょう。


島で取得してきたものを没収された乗員の間には不満が溜まっていきます。



架空の人物バイアム候補生ですが、こちらは自分が帰国することを踏まえ、
女性には手を出さなかったという設定です。(実際は出していました)



ヒティヒティは、バイアムに島に残って息子になれ(つまり娘の婿になれ)
とまでいうのですが、彼は申し出をきっぱり断りました。


去っていく彼を見送りながら涙するテハニ。


しかしクリスチャンはそうではありませんでした。

彼はすっかりまた戻ってくるつもりだったので、
彼女から贈られた現地のパールを受け取り、バイアムに
自分が帰ってくることを通訳させます。

常識人のバイアムはそれに対し、

「この島は僕たちにとって現実ではありません。
帰国する船こそが現実なんですよ」


とど正論で忠告しますが、彼は取り合いません。


この3人は島を離れたくなくて脱走したものの、捕まって連れ戻されました。

これは「バウンティ」の史実通りで、左のマスプラット始め3名が
小型ボート、武器、弾薬を持って脱走したというものです。

従前から、アシスタントコックのウィリアム・マスプラットは、
怠慢を理由に鞭打ち刑を受けていたこともあり、逃げたかったのでしょう。

彼らの逃走期間は3週間、連れ戻され鞭打ちに処されています。


出航すると、ブライは総員を集めて、ココナッツが10個紛失した件で
クリスチャンが犯人ではないかと問い詰め始めました。

「クリスチャンの気分は、ブライが船長の私的備蓄から
ココナッツを盗んだと非難したときにさらに悪化した。
ブライは乗組員全員を罰し、ラム酒の配給を止め、食料を半分に減らした」

(wiki)

クリスチャンはこの件で「バウンティ」の生活が我慢ができなくなり、
筏を作って島に逃げることを検討し始めたそうです。

しかもブライはマイティティが彼に真珠を贈ったという報告を受け、
この島から得られるものは全て国王に所有権があるものだと主張し、
ココナッツだけでなく真珠も窃盗した、と彼を責め始めました。

クリスチャンはそれならこんなものいらん、と真珠をブライに渡します。

甲板では続いて、脱走した者への懲罰が始まろうとしていましたが、
船医のバッカスが来ていないことにブライは気がつきます。



「わしゃー高齢な上に重病でね」

と迎えに来たバイアムに情けなく呟く船医。
というか、高齢なのに遠洋航海に着いてきて浴びるように飲酒していたら
こうなるのが当然で、全く同情できかねるんですが。



連れ戻しに行ったはずが安静を指示したというバイアムに、艦長は、

「私の船に規律を乱すような老耄の酔っ払いはいらん」

実際のブライは、だらしない外科医のハガンにキレており、
彼の不潔で怠惰な生活態度は最大の悪影響を及ぼすとまで言っていました。

診断ミスで乗員を死なせ、自分の間違いを隠す報告をしていたわけですから
船医としての信頼はとっくに失われていたことは間違いありません。


彼を甲板に来させることで艦長とクリスチャンらが揉めていると、
ふらふらになった船医が部屋から這い出すようにやってきました。

しかしマスプラットへの鞭打ちが始まると、船医はその場に倒れ込み、
クリスチャンの腕の中で死んでしまいます。

実際に船医が死亡したのはタヒチに到着して1ヶ月半後のことでした。
これをブライは、「無節制と怠惰の結果」と厳しく断じています。


しかしこの映画では、クリスチャンがここぞとブライを責めまくり。
「全員が証人だ、あんたが殺した」
とまで言ってますが、どう考えても原因は本人にあるんだなあ。



乗組員の中には、思わず武器になるようなものに手を掛ける者がでますが、
ブライのひと睨みで引き下がります。


船医の遺体を部屋に安置しながら、植物学者は、
確かに彼は酒飲みだったが、優しくて皆彼を愛していた、
船乗りに必要なのは規律だけじゃないんだが、と嘆きます。


そして何事かを決心したらしいクリスチャンは、バイアムに、
もし君だけがイギリスに帰ったら、自分の実家を訪ねてほしいと頼みます。



鞭打ちが延期になったマスプラットが地下に鎖で繋がれていると、
彼がサメで殴った下士官がやってきて、諍いが始まりました。



拘束されたまま虐待されている彼らを見てついにクリスチャンブチギレ。

「ブライ、貴様にこの船の指揮はもう執らせない!
立ち上がってまた男になってやる!」

最後のセリフは"We'll be men again, if we hang for it."で、
「絞首刑になっても構わん、今立ち上がるぞ」と翻訳されています。




クリスチャンの呼びかけに興奮して応える乗組員たち。
早速手の空いた者は武器を手に取り始めます。

叛乱が起こりつつありました。

続く。




映画「戦艦バウンティ号の叛乱」〜航海

2025-06-27 | 映画

1932年アメリカ作品、「バウンティ号の叛乱」を取り上げます。
主演のクラーク・ゲーブルが、自らの出演作で最も気に入っていた作品で、
1787年に実際にイギリス海軍で起きた叛乱事件をベースにしています。

まずこの事件について軽く説明しておくと、タヒチ島から
奴隷用の食料品としてパンノキ(ブレッドフルーツ)を
イギリス領である西インド諸島に運ぶ任務を任された「バウンティ」で、
海尉心得だったフレッチャー・クリスチャンという人物が反乱を起こし、
ウィリアム・ブライ艦長ら19名を救命艇に乗せて追放したというものです。

叛乱の理由は実はよくわかっていないそうです。

この事件はそれゆえに小説化され、実に5回映画化されました。
ちなみに、フレッチャー・クリスチャンとブライ艦長を演じているのは、

ウィルトン・パワー/ジョージ・クロス(1916年)
エロール・フリン/ メイン・リントン(1933年)
クラーク・ゲーブル/ チャールズ・ロートン(1935年)
マーロン・ブラント/ トレヴァー・ハワード(1962年)
メル・ギブソン/ アンソニー・ホプキンス(1984年)


となりますが、1933年、この1935年と1962年版は、
ブライ艦長を残酷な独裁者としており、それが叛乱の理由とされます。

1984年版は、ブライ艦長は卓越した指揮官で、部下への虐待もなかった、
という史実に忠実な作りとなっているのですが、そのため実際同様、
なぜ反乱が起きたかというポイントがわかりにくくなっているそうです。



早速始めましょう。

1787年、ポーツマス。
この街に住むトーマス・エリソンと新婚の妻がパブで楽しんでいました。
エリソン夫妻には子供が生まれたばかりだそうです。
(なのになぜこんなところで酒を飲んでいるのかは聞かないでやってね)

エリソンは実際の「バウンティ」の乗員と同名です。



その時、パブに「国王の名において!」と飛び込んできた一団。
ロイヤルネイビーの強制徴募隊(press-gang)でした。

隊を率いるのはフレッチャー・クリスチャン海尉(クラーク・ゲーブル)、
海軍の徴用船「バウンティ」の副長です。

前にも書きましたが、この頃のイギリス海軍は、
港港で若い男を強制的に拉致し、船員として船に乗せていました。

Press Gangs (Impressment)



ロイヤルネイビーの強制徴募

そもそも人権などという言葉が存在しない時代ですし、
「国王の名の下に」やっていることなんで、これも犯罪ではありません。
しかも徴用されたが最後、2年間は帰ってくることができません。
どんなブラック企業でも入社退社は本人意思だというのにこいつらときたら。

徴募隊はパブに屯っている男たちを「大漁だ」と引っ立てて行きます。



それでは士官はというと、流石に強制ではなく、
艦長か召喚の縁故任命による採用者でした。

この貴族の息子ロジャー・バイアムは、ノブリス・オブリージュとして、
艦長の知り合いである左のおじさんの推薦で海軍に入ることになりました。
バイアム家は7代に渡って海軍士官を輩出している家柄です。

おぼっちゃま、かっこいい海軍士官の制服にすっかりご満悦。

実際は、貴族などの子弟は12歳〜14歳の頃からキャリアを始め、
2年後に初めて少尉候補生となりますから、彼のようにいきなり船に乗り込んで
その日から「ミシップマン」と呼ばれるということはありません。

演じているのはフランチョット・トーン(撮影当時27歳)。
この変わった名前から、すぐにこの人が1965年の「危険な道」という
ジョン・ウェインの映画で潜水艦長を演じていたことを思い出しました。

このとき彼は母親に「提督になって真珠をお土産に持って帰る」と言います。
映画を二度観た人は、これが伏線であると気づくことでしょう。



1700年代のポーツマス港を再現しています。
この頃の撮影ですから、本物の帆船を使っていると思われ。

MGMの美術部門は、当時の絵画などを参考にセットを作り上げました。



副長のクリスチャンが「バウンティ」に乗り込むと、強制徴用したエリソンが
2年間の徴用を逃れようと船を破損したとかで捕まっていました。

クリスチャンは、俺も最初はしがない水兵だったが
君も頑張れば俺みたいになれる、と彼を励まし、
甲板の妻子と会ってこい、と話せる上司ぶりを発揮します。



バイアム候補生との挨拶で、クリスチャンは自分のことを、
『Acting Lieutenant and Master's mate』と自己紹介しています。

翻訳の字幕はなんとこれを「クリスチャン海尉、艦長の知り合いだ」
とトンデモ超訳していて、全く困ったものです。

まず「アクティング・ルテナント」は正確には「代理中尉」であり、
「マスターズ・メイト」は「艦長の知り合い」ではありません。

マスターズメイトは艦長を補佐する上級下士官のレイティングで、
ゆえに士官という映画での設定には矛盾が生じるのですが、
まあそこは主人公なので士官扱いでいいよね、ってことなんだと思います。

ただ、この頃の士官はほとんどが「艦長の知り合い」か推薦だったので、
翻訳は間違っていても偶然ここだけは間違っていなかったことになります。

しかもこの翻訳、別の場面で彼のことを「XO」(副長)としていたので、
当ブログも副長だと思い込んだ時点で扉絵を作成してしまいました。

お詫びは致しますが訂正はしませんので悪しからず。

実際の「バウンティ」では、艦長のブライは海軍中尉、
その下の航海長など4名の幹部は全員准尉、6名が士官候補生、
二人マスターズ・メイトがいて、その一人がクリスチャンでした。

ですからクリスチャンが艦長と同じ階級というのはあり得ないのです。



義足の酔っ払いが吊り上げられて来ました。
「バッカス」と呼ばれる酒飲みの船医です。
義足は本物ではなく、本物の脚を隠して撮影していると思われます。

実際の「バウンティ」の外科医だったトーマス・ハガンも義足の大酒飲みで、
治療していた患者を不注意で死なせた上、それを隠蔽しようとするなど、
問題があったため、ブライは酒を没収するなどの罰を与えています。


エリソンは妻子との別れを惜しんでいます。



バイアムは士官室の仲間、スチュアートとヘイワードに紹介されます。
史実によると、両者はいずれも実在した名誉士官候補生です。

ちなみにバイアムは架空の人物ですが、同じ名誉士官候補生の
ピーター・ヘイウッドがモデルと言われています。



艦長付きのコックは、ブライがどんな人間か心配しています。
自分は怖がりなので大丈夫だろうか、と。

このコックは映画のそこここで愚かな失敗を繰り返し、
笑い(全く面白くないですが)を誘うための「道化」役といったところです。


そこに現代の海上自衛隊のと全く同じサイドパイプが鳴らされ、
「バウンティ」艦長ブライ中尉が乗船してきました。

そしてびっくり、乗り込むなり、全艦隊における鞭打ち刑の実施を求めます。
罪状は・・・よく分からんが、「上官への暴力」らしいですよ。



この頃の海軍の鞭打ち刑のやり方、それは執行者の船に
罪人を鞭打ちやすいように縛った小舟を横付けし、
執行者が罪状を読み上げ、回数を伝達すると、鞭が振り下ろされます。

いやでも、すでにこの人鞭で散々打たれた後でぐったりしてるんですが。



「死んでます」

やっぱりな。
しかし、ブライは平然と死体への2ダース(24回)鞭打ちを命じました。


この光景を見てられなくなったバイアム候補生、失神。



予定通り刑罰が終了すると、出航準備が始まります。
帆船ですので、最も重要な作業は帆を張ること。


早速バイアムはマストに上らされますが、なんとかこなします。



「一番降りてくるのが遅い者は鞭打ち」というローカルルールで、
早速ヘイワード士官候補生に殴られるエリソン。

候補生のくせに早速体罰係かい。



高らかに「ルール・ブリタニア」が流れる中、
風に帆をはらみ出航していく「バウンティ」でした。


出航して改めてブライ艦長とクリスチャンが顔を合わせました。

彼らが一緒に仕事をするのはこれで三度目で、ブライは
今回初めて艦長を務めるにあたり(ついでに実際は33歳)、
二度西インド諸島に共に航海したクリスチャンを抜擢したのでした。

実在のクリスチャンは出航時23歳で、裕福な貴族の出身です。
航海士としての技量は、過去の航海でブライから叩き込まれたようなもので
つまり二人は師弟関係にあったと言ってもいいでしょう。


ところで、ブライを演じたチャールズ・ロートンとゲーブルは大変な不仲で、
撮影中、彼はゲーブルの目を見ることもなく、ゲーブルが耐えかねて
スタジオを出ていくこともしばしばだったそうです。

制作側としてはその関係が映画に緊張をもたらすことを期待したのでしょう。

当初、ブライ役は「海兵隊に敬礼」のウォレス・ビーリーに依頼されました。
ビーリーとゲーブルも不仲で有名だったからだろうと思いますが、
ビーリーがあまりにもゲーブル嫌いすぎて、出演オファーを断っています。

ついでに、二人の不仲の衝撃的な理由ですが、ロートンは同性愛者で、
映画の撮影にも愛人兼マッサージ師を同行してきていたのに対し、
ゲーブルは大変な同性愛者嫌いであったからと言われています。


バイアムら士官候補生は、若いせいかどうも船の任務をナメています。

本を読みかけてすぐ退屈になってやめたり、
仲間のハンモックが切れるようにこっそりナイフで切れ目を入れたり、
ランプをわざわざ大きく揺らしてみたりしてふざけ合っていると、
クリスチャンがやってきて航法の口頭試問を始めました。



それに応えようとする候補生たちですが、何しろ今日は船上生活1日目。
揺れるランプを見ているとつい・・・・。


3人とも船酔いに我慢できなくなって部屋を飛び出して行きました。

この後、候補生同士のつまらない理由で喧嘩が始まってしまい、
それを艦長に見咎められたバイアムだけが罰を受けることになりました。

マストの上で反省するまで降りてくるなというものです。



運悪く風が強くなって海が荒れてきました。

船を立て直す作業に皆が追われる中、放置されたバイアムを
マストからリグで縛って下に降ろしたのはクリスチャンでした。



艦長はまだ懲罰中だから彼を元に戻せと無茶苦茶なことを言います。



一旦医務室で手当を受けていたバイアムは、艦長命令で
もう一度マストの上にやられますが、彼は負けずに上から手を振って見せます。



よくやった!とクリスチャン。



あれ?これなんかいい話っぽくない?



嵐が去ると、早速ブライ艦長は働きが悪いと乗組員を叱責し、
ちょっと反抗的な態度を取った者を容赦なく鞭打ちさせるようになりました。

彼らは志願者ではなく、強制徴募組で技術がないから仕方ない、と
徴募してきた当人クリスチャンが言い訳をしてやるも船長聞く耳持たず。

その後も小さなミスを見つけては彼らを鞭打たせます。


中でも一番残酷だったのが、甲板掃除で膝を擦りむき、
砂が入って痛いので水を求めて作業を中止した水兵を縄で縛り、
放り込んで海に沈め、溺死させたことです。



アフリカ沖航行中、全くの無風状態になりました。
帆船は2隻の手漕ぎボートで牽引しなくてはなりません。


航海長「この40年の間でこんな無風状態は初めてです」


牽引するボートの動力はもちろん乗組員たち。



このとき食糧庫を調べていた者が、チーズが紛失していると言い出します。
ブライは誰かが盗んだといきり立ちますが、一人の乗組員が、
艦長本人の命令で港で降ろし、艦長宅に運んだと証言します。

実際のブライは船の食料の管理を厳格におこなっており、その理由は
倹約して余った食料を売り戻して利益を得るためだったと言われます。

このこと自体は犯罪ではなく、この頃普通に行われていたようですが、
このときの航海ではブライはクリスチャンがココナッツを盗んだと責め立て、
それが叛乱の一つの原因になったとされています。


その時風が僅かに吹き始めました。
牽引している2隻のボートにスピードを上げさせて、



帆が風をはらみ出しました。



チーズの件を申告した乗組員は、かわいそうに縛られたまま・・・。



艦長、船医、航海長、クリスチャン、そしてバイアム候補生という
ちょっと訳のわからないメンバーによる食事の席で、
艦長は皆にチーズを勧めますが、全員がなぜかこれを断ります。



明らかに艦長のチーズ疑惑に対する意思表示ですかね。
キレ気味にあいつらの味方をするのか?と聞くブライに、

「失礼ながら、私は・・あなたが不当だったと思います」

「不当?つまり私が嘘をついたと言うのかね」

「ポーツマスで彼がチーズを船から降ろしたのは確かなのに、
彼への懲罰はやりすぎだと思います」

怒った艦長はクリスチャンを部屋から追い出しました。



船の食料はどんどん困窮して行きました。
6人に対したった一切れの馬肉が配られるのみ。

あまりの酷さに、乗組員たちはクリスチャンに訴えます。

「我慢してくれ。士官も似たようなものなんだ」


その時乗組員たちはサメが泳いでいるのに気がつきました。
6人分の馬肉一切れを使ってそれを釣り上げることに。



見事サメを甲板に引き揚げると、自分たちをいつも殴る役の下士官が
一切れ寄越せば黙っていてやる、と言ってきたので、
ムカついていたバーキットはサメの尻尾で彼を殴り倒します。



それを艦長に見られてしまい・・・



懲罰を受けることに・・・・。


皆で鞭打たれた者を労わりますが、仲間の一人がバイオリンを弾き出すと、
皆がそれに合わせて歌い出します。

「バウンティ」には実際マイケル・バーンと言う音楽家?が乗っていました。



「海の上で聴く音楽がこんなに美しいとは知らなかった」

ちなみにフランチョット・トーンとクラーク・ゲーブルは、
ジョーン・クロフォードを取り合うライバル同士だったことがあり、
撮影に入った頃は互いを嫌い合っていたのですが、撮影中、
酒と女が好きと言う共通点が二人を近づけ、親しくなったそうです。

実際、この作品で二人と愛し合うタヒチ女性役の女優とは
どちらもが撮影中お付き合いをしていたという「同好の士」でした。

このシーンで、音楽を怒鳴ってやめさせたブライに対し、
クリスチャンはいつか痛い目に合わせてやる、と息巻くのですが、
それを若い(と言う設定の)バイアムがなだめます。

「私はいつもあなたと会えたことをよかったと思ってます」

このシーンの撮影の時には二人はもう仲良くなってたっぽい。



もう直ぐタヒチに着くというとき、船長がクリスチャンを呼び、
積載されている食料品リストにサインをさせようとしました。

しかしクリスチャンは、記載されている食糧が
乗組員に支給されていないことを理由にサインを拒否します。

皆やっていることだし、以前はサインしたのになぜ?と聞かれると、
平時ならいいが、今は乗組員が飢えているから、と答えます。


激昂したブライ艦長は、甲板で自分が裁判長である軍法会議を開き、
そこでサクッとクリスチャンに死罪を申し渡すのでした。


しかしクリスチャンは全く平静に、
イギリスに戻ったら査問会議を要求する、と言い放ちます。

二人の間の空気が一触即発になったその時、



「バウンティ」はついにタヒチに到着しました。

続く。



映画「日本海大海戦」〜皇国ノ荒廃此ノ一戦ニ在リ

2025-05-27 | 映画

映画「日本海大海戦」最終回です。


バルチック艦隊との大海戦に備え、聯合艦隊では
「日月火水木金金」の猛烈な訓練が行われていました。

その激しさは、弾薬一年分を十日で消費するほどでした。



訓練を率いるのは戦艦三笠砲術長、安保清種(きよかず)少佐(佐藤允)
映画のパンフレットでは「砲術下士官」となっていますが間違いです。

後に濱口内閣で海軍大臣にまでなりましたが、
艦隊派と条約派の統帥権干犯問題で調整役として苦しみ、
おまけに就任中に濱口総理が襲撃されて死亡したことで辞任しました。

この人の日本海海戦における大きな功績とは、
日本兵に馴染みのないロシア艦の名前を覚えやすくするため、
日本語のあだ名を考案して覚えさせたことに尽きるでしょう。



戦艦「アリョール」=「蟻寄る」
戦艦「インペラートル・アレクサンドル3世」=「呆れ三太」
戦艦「オスラービア」=「押すとぴしゃ」
巡洋艦「ドミトリー・ドンスコイ」=「ゴミ取り権助」
戦艦「クニャージ・スヴォーロフ」=「國親父座ろう」
戦艦「ボロディノ」=「襤褸出ろ」
戦艦「シソイ・ウェリーキー」=「薄いブリキ」
防護巡洋艦「イズムルード」=「水漏るぞ」

これらを映画では全部(『オスラビア』以外)説明しています。
不思議なことに、みんなで「國親父座ろう!」と叫ぶと、
ちゃんと「クニャージ・スウォロフ」と聞こえるんですよねこれが。


その「國親父座ろう」こと旗艦「スウォーロフ」では、



どうやって日本海に到達するか、ルートについて意見が出されていました。

実はこの段階ではロシア上層部の意見は決まっていて、
第2第3艦隊合同で制海権奪回を目指す、というものでした。



しかしロジェストヴェンスキーは、艦隊の多くの艦の老朽化、
構造不良等の理由でそれが不可能であることを見抜いていたため、
第2艦隊がウラジオストック入りして通商破壊をしたい考えでした。

上層部がその案を却下したため、ロジェストヴェンスキーは、
病気を理由に司令官の辞任を願い出ましたが、これも却下されています。


こちら、参謀長に加藤友三郎を迎えての連合艦隊司令部。

ロシア艦隊は、スエズ運河と希望峰回りの艦隊が合流した時、
旅順港が日本の手に落ちたことを知らされます。

このとき加藤が言っているように、ロシア艦隊内部にも、
旅順が落ちた今、日本艦隊に対する優位を確保することは不可能となるため、
そもそも日本まで行く意味があるのかという話が出ていました。



会議の終わりに、上村彦之丞大将が現れました。
ウラジオ艦隊に逃げられっぱなしで世間の非難を浴び、涙した上村でしたが、

「蔚山沖でリューリックをやっつけてから体の調子までようなりました」

と、この時には憎き敵をほぼ撃滅し、汚名返上したという設定です。

蔚山沖海戦については、最初から映画が触れなかったのか、
それとも尺の関係で没になったのかはわかりません。

この時の二人の会話では、東郷が現在の日本の無電の状況について
いざという時役に立つかと懸念していることが描かれます。


ロジェストヴェンスキー中将と第3戦艦隊司令長官ネボガトフ少将が
(おそらく)旗艦「インペラートル・ニコライ一世」で協議中。
彼らの後ろにはロシア正教祭壇が設えてありますね。



ロジェストヴェンスキーを演じているのはアンドリュー・ヒューズという、
トルコ出身の俳優で、50年代から70年代にかけて、
外国人が必要な映画に多々出演してきた「お役立ち外人」です。

余談ですが、当時日本の「欧米系外人俳優」がほとんどトルコ人だったのは、
トルコ革命が1923年に起こった後、徴兵を避けるために亡命し、
中国大陸経由で日本に来て住み着いた人が多くいたからだそうです。

そんな彼らは日本語が話せないので、ほとんどの場合吹き替えを行いました。
この映画でも、ロシア語のセリフは吹き替えで、
口元を見るとセリフと全く一致していないのがわかります。



東郷はロシア艦隊の襲来に備え、考えうる限りの体制を敷きました。



全国のめぼしい湾岸線に海軍望楼を張り巡らせたのもこの頃です。



最大の問題はバルチック艦隊を捕捉できるかどうかです。

想像されるウラジオストクへの航路としては対馬海峡経由、津軽海峡経由、
宗谷海峡経由の3箇所の可能性がありましたが、このシーンでは、
対馬海峡を予想していたのは東郷だけであったように描かれています。

東郷は、もし28日までに敵艦隊が見つからなければ、
全艦隊津軽海峡に集結せよと参謀長に命令書を渡しました。

これは、対馬海峡という読みが外れていた場合への、最終手段です。

長官、もしこのようなことになったら、我が連合艦隊は!
日本は・・・・どうなりますか!」

「君は、それをおいどんに言わせるのか」


しかし、東郷の読みは当たっていました。
ロジェストヴェンスキーの選択は対馬海峡だったのです。

それはウラジオへの最短コースだったからでした。



5月22日、バルチック艦隊は宮古海峡を通過し東シナ海に入りますが、
ここで日本の民間漁船に目撃されることになります。
漁民たちは代表者5名を仕立てて通報を行いますが、
実際には海戦開始には間に合いませんでした。

映画では、この「久松五勇士」のストーリーを長尺で紹介しています。
当ブログでは記念艦「三笠」見学の際、これを取り上げていますので
よかったらご確認ください。

久松五勇士


5月27日の午前2時45分、九州西方海域にあった仮装巡洋艦「信濃丸」が、
バルチック艦隊の病院船「アリヨール」の灯火を発見します。

右は「信濃丸」艦長成川揆(はかる)大佐(清水元)
左は副長の丸川彦三郎少佐(佐原健二)

この時に「信濃丸」から発信した「敵艦見ユ」の一文はその後の流れを決し、
同時に成川大佐の名前を海軍史に残すことになります。

「信濃丸」の殊勲



通報を受けた東郷は力強く命じました。

「全艦、出動!」


BGM 🎵行進曲「軍艦」

行進曲「軍艦」が初演されたのは1900年、
日本海海戦の時はまだ4年前に作曲されたばかりでした。


「本日天気晴朗なれども波高し」という最後の一文は、
『本日は波が高く、本来なら攻撃は難しくなる条件だが、幸い
天気のせいで視界が良いので、訓練を死ぬほどやった我々なら大丈夫』

という意味が込められています。

この一文は後から秋山真之参謀によって書き加えられました。



点線がウラジオストックに向かうバルチック艦隊、
実戦が連合艦隊。
この日はニコライ2世の即位記念日でもありました。



「三笠」に立つ東郷長官は、皇太子殿下から拝領した
名刀、一文字吉房を携えていました。


それを見た加藤参謀長は羅針儀の狂いを心配していますが、
伊地知艦長は「この目でちゃんと見てればいいんです」と軽く流します。

続いて二人が、

「こちらが半分やられ、敵を半分やる」

と戦果予想をするのですが、これは当時の艦隊首脳の推測そのままです。
ちょっとしたセリフに、史実を盛り込んでいるのがさすが。

この後二人は東郷長官の

「バルチック艦隊は全滅させる」

という言葉に押し黙ります。



その時左前方に敵艦隊発見。


🎵 ドミドミソッソッソ〜 ドミドミソッソッソ〜

総員配置のラッパが鳴り響きました。


Z旗が揚がったのは13時55分のことでした。
全麾下に、
「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」
の号令がかけられます。



秋山真之(土屋嘉男)連合艦隊副官永田泰次郎少佐(高橋俊行)
加藤参謀らに、危ないから司令室に入るよう具申されても、
東郷は、逆にこれからがある若い君たちこそ中に入れ、という始末。


それでこんなことに

ちなみにこの絵では東郷の右秋山参謀、左加藤参謀、一人飛んで伊地知艦長。



敵と8000mの距離になったとき、東郷の右手が下に振り下ろされました。

「取舵一杯」

ここで逃げるバルチック艦隊を捕捉できねば終わり。

黄海海戦で得た苦い体験からの教訓で、東郷は
肉を切らせて骨を断つ作戦をうったのです。

敵前で左に急転回する、トーゴー・ターンでした。



左回頭すると、聯合艦隊は船腹を相手の正面に向けることになります。
「三笠」はこれで右横ほぼ正面に旗艦「国親父座ろう」を臨むことに。



まだまだ攻撃は始まりません。
陣形が整い、東郷の命令が降るのをじっと待つ砲員たち。



刻々と狭まる敵との距離を聞きながら微動だにしない東郷。
下々の砲員たちはもちろん、幹部までが焦れてくるのですが・・。

🎵 ドードードードードーソドミ〜〜〜〜

ついに14時10分、距離6,400で「撃ち方始め」の号令が下ります。



14時20分、第一戦隊はバルチック艦隊との距離を5,000に詰め、
砲撃戦は最高潮となり、「三笠」も被弾しますが、
聯合艦隊は命中率において敵艦隊をはるかに圧倒していました。

「月月火水木金金」の訓練の賜物です。
この間敵は訓練どころか長路航海していたので、気の毒っちゃ気の毒ですが。



バルチック艦隊が水柱と黒色火薬の煙で目標を見失っていたのに対し、
聯合艦隊は信号で各艦の連携をとっていたことも勝因の一つです。
被害も、最終的に巡洋艦「浅間」以外は全艦最後まで戦闘力を維持しました。


第一戦隊は14時58分、「左8点一斉回頭」を行います。



そして、ウラジオに逃げようとするバルチック艦隊の進路を塞ぎました。


「目標!押すとピシャ!テーーー」

相手の火薬に対し、下瀬火薬の威力も凄まじい効果を上げました。
「オスラビア」は戦線離脱、「クニャージ・スウォロフ」は火災発生。

戦闘開始から30分で勝敗は決しました。


ロジェストヴェンスキー司令は負傷。
バルチック艦隊のうち33隻は沈没、または逃走しましたが、
それらはことごとく聯合艦隊艦船に包囲されることになります。



ネボガトフの乗った「インペラートル・ニコライ一世」は、
降伏の信号旗を揚げましたが(史実では白旗)、このとき、
戦時国際法で決められた「機関停止」をしなかったため、
聯合艦隊はなおも攻撃を続けました。

機関停止していないことをネボガトフが気づいていなかったためです。



その後攻撃を停止した「三笠」にネボガトフ中将が乗り込んできました。
この人に日本人のことを「野蛮人」とか言わせていたのですが、
本人が本当にそう言ったかどうかはともかく、おそらくほとんどのロシア人が
みくびっていた日本に完敗して、ショックだったのは間違いないでしょう。



相手の敬礼が終わってから勝者の貫禄でゆっくりと敬礼する東郷長官。



旗艦の「スワロフ」で重傷を負ったロジェストヴェンスキー中将は、
いったん駆逐艦「ブイヌイ」に移乗しましたが、その後
「ブイヌイ」の機関部の故障により「ベドヴィ」に移送されていました。

しかし、その「ベドヴィ」を駆逐艦「漣」乗組の塚本克熊中尉
東郷長官の双眼鏡に憧れて大枚叩いた自分のツァイスで発見したのです。

東郷長官と塚本中尉の「ツァイス」



「漣」に捕捉された「ベドヴィ」は白いテーブルクロスを掲げて降伏します。

このとき白旗を揚げようとする者と反対する者で撃ち合いがありますが、
実際はそれはなかったのではないかと思います。(思うだけですが)


白シーツを揚げようとした者を撃とうとした者を降伏しようとする者が撃ち、
結局白シーツがマストに翻ることになりました。

このシーツの実物は、確か「三笠」艦内に展示してありました。



怪我人がいることを表す赤十字旗を一緒に揚げたため、
臨検には藤本軍医中尉(東山敬司)が乗り込んできました。

藤本という軍医(当時の階級で中軍医)が実在したか、
一応この時の聯合艦隊の名簿を隈なく見ましたが、ありませんでした。

怪我人がロジェストベンスキーであることを聞かされた彼らは驚きます。

「ベドヴィ」はこの後、「漣」と巡洋艦「明石」に護送され、
ロジェストヴェンスキーを乗せたまま佐世保に到着。

ロジェストヴェンスキーは佐世保海軍病院にすぐさま収容され、
「ベドヴィ」は戦後日本海軍に接収されて駆逐艦「皐月」となりました。



海戦を沿岸から見物していた地域もありました。
ここ島根の沿岸には、海戦で犠牲となったロシア兵の遺体が流れつきます。
村人がそれを引き揚げています。

この海戦直後から日本海沿岸各地に多数のロシア兵の遺体が漂着し、
また沖合でも発見され、回収が行われました。

1908年、ロシア帝国政府から調査の依頼が日本政府に寄せられたので、
各県を対象に調査が行われた結果、遺体の漂着範囲は
南は長崎県から北の青森県に至り、その数71体に上ったということです。



地元の人々は彼らを丁寧に弔いました。

名前がわからないのでお墓に刻むことはできませんでしたが、
山口県には「露艦兵士の墓碑」がありますし、また対馬や島根にも
ロシア兵戦死者慰霊碑があり、現在も慰霊祭が行われているとのことです。


ここはロジェストヴェンスキー中将が収容された佐世保海軍病院。


中将の怪我は右肩が骨折し、額は裂傷と、かなりの重症でした。



右側は佐世保海軍病院の院長(清水将夫)
東郷の左は、「三笠」分隊長山本信次郎大尉(児玉清)

山本大尉はフランス語が喋れたため、秋山真之とネボガトフが
降伏交渉を行ったときに通訳を務めていました。
戦後は東郷の附属副官になっています。

そこでこの、古島松之助の東郷元帥お見舞い絵の一部をご覧ください。



まず、この右側の人って、秋山参謀ですよね!(確信)
で、その左の人が山本信次郎大尉じゃないかと思います。
なぜかって?


この山本大尉の写真と、絵の人物の目がそっくりだから。



東郷は、ロシア皇帝からの中将への手紙を読んで聞かせました。

「不幸勝利は得る能わざりしも卿ら能く生命を賭し
忠誠を尽くしてくれたことを喜ぶ
神は卿らを慰藉されるべし」
(ロシア語)

中将は十字を切り、二人に抱えられて身を再び横たえました。

このとき佐世保海軍病院では、将軍のために、わざわざ
長崎からロシア人のコックを雇って食事を作らせていたそうです。

一方、ネボガトフ中将はこのとき京都の知恩院に身を寄せていました。

ロシアへの帰還後、軍事裁判で死刑判決を受けましたが、
懲役16年に減刑され、収監中に健康状態が悪化したため釈放されてます。

減刑されたとはいえ、負けたから死刑判決って・・おそロシア。

東郷はロジェストヴェンスキー中将に、

「あの大艦隊を1万8千浬も航海させた
ロシア海軍の技術と気力には本当に驚いています。
そして『スウォロフ』で、戦闘力がある限り
軍艦旗を降ろすなと言ったのは、私と全く同じ考えです」


と心からの称賛を告げました。



これに答えてロジェストヴェンスキー中将は感極まった様子で、

「閣下のような提督と戦って敗れたことを少しも恥辱とは思いません」

彼は、この時の東郷の礼節を尽くした振る舞いに感銘を受け、
生涯にわたって東郷を尊敬し続けたということです。

そして、帰国後の軍法会議で敗戦の責任を取らされそうになったとき、

「敗戦の責任は自分にある。
この裁判は自分とネボガトフだけを訴追すればいい」


と言い切っています。(最終的に無罪)

司馬遼太郎はロジェストヴェンスキーをこき下ろして描きましたが、
バルチック艦隊の不利を最初から冷静に見抜いていたなど、慧眼で、
司馬のいう愚将などでは決してなかったことは、歴史にも証明されています。


そのとき病室に、山本海軍大臣からのお見舞いの花が届けられました。
花を抱いて思わず涙ぐむロジェストヴェンスキー。



その山本海軍大臣は、勝った日本の「これから」についてを、
伊藤博文(枢密院議長)と話し合っていました。

「東洋の主導権を握るようになったら、出る杭は打たれますぞ」

「今度はイギリスとアメリカが敵となるか」


「アメリカです!」

「日本がアメリカと戦うことはあるかね」

「ありもす!伊藤さん、だからこれからはそん時のためにっ!」

頷く伊藤。



ラストシーンは、明治神宮の参道を夫人を伴って歩く東郷の姿です。
すれ違う善男善女は皆たちどまって礼をしていきます。

日本海海戦の大勝利ののち、この人はいつも目を伏せ、
少し腰を屈めて見らるるを恐れ、聞かるるを恐れるごとく見えたという。

それは、戦いに召され、その戦いに勝って、
真にものの畏れの姿を知ったものの姿ではないか。

今この人から滲み出ているものは、
まさに戦いに勝ったことを畏れる心である。
戦争は勝つことさえ恐ろしいことを知った人の心である。

黙々として畏れ、黙々として歩み、歴史を通り過ぎた人。



その人の名は、東郷平八郎。



数々の日本海海戦を描いた映画の中で最も評価できる作品だと思います。

終わり。



映画「日本海大作戦」〜旅順攻略戦

2025-05-24 | 映画

東映の8・15シリーズ「日本海大作戦」二日目です。

■ 旅順



こちら、旅順の陸軍第三軍。
後にいう旅順要塞攻囲戦が行われています。

6月8日に大連に到着した第三軍は前進を開始し、
6月26日までに旅順外延部まで進出してきていました。



乃木希典将軍を演じるのは笠智衆

こんなに色んな意味でぴったりハマる俳優はいないんじゃないか、
というくらいわたしはこのキャスティングを評価しているのですが、
意外と笠智衆が乃木将軍を演じたのはこの映画だけだったようです。

乃木将軍殉死の6年後、1918年に製作された映画
「乃木将軍」で乃木を演じた山本嘉一があまりにもハマり役として、
戦前までは乃木役をこの人がほとんど全て独占し、戦後は
林寛という役者が「乃木俳優」として役を独占していました。



旅順包囲戦は難航します。

乃木は正攻法であくまでも攻略をしようとしていましたが、
補給の点でも、新兵器の機関銃の点でも作戦は遅々として捗らず、
陸軍内はもちろん、国内から乃木の責任を問う声が噴出しました。



国民は長引く旅順港略に非難の声を上げ、例によって乃木邸に投石、
面と向かって民衆が痛罵を浴びせる、脅迫状が毎日送りつけられる、
という、上村大将と同じようなことがここでも起こるのです。

その頃、海軍には、バルチック艦隊が出航したらしい、
という諜報による知らせが届きました。



海軍は旅順攻略を支援する陸戦重砲隊を送ることを決定します。



8月10日、聯合艦隊第一戦隊(東郷指揮)は旅順から出撃します。

第一戦隊は敵前で一斉回頭して洋上に誘い込もうとしますが、
ロシアの旅順艦隊は連合艦隊の攻撃に応じず逃げようとしました。



撮影はほとんどが記念艦「三笠」で行われたそうです。

この黄海海戦は、日本側の勝利と記録されました。
「三笠」は激しい攻撃で被弾し、乗り組んでいた皇族軍人、
伏見宮博恭王(当時少佐)は砲塔の爆発で負傷もしています。

伏見宮博恭王〜大鑑巨砲主義の「宮様元帥」

勝ったとはいえ、この時、聯合艦隊は敵艦隊を
「逃してしまった」という結果になりましたが、この時の経験が
後の日本海海戦において役に立つことになります。(ナレーション談)


旅順では白襷隊と言われる突撃を敢行するにあたり、
乃木大将が兵とともに皇居遥拝を行いました。

乃木の左は伊地知幸介参謀長、そして津野田是重参謀(平田昭彦)です。

この特別予備隊は、部下からの意見具申を受け、乃木が決定したもので、
計5師団、総員3,113名から成る決死隊でした。

ちなみに、「ゴールデンカムイ」では、主人公が
この白襷隊に所属していたという設定となっています。


乃木は一人の一等卒の前でふと足を止め、言葉をかけます。

この前山一等兵(黒沢年男)は、自分が任務に参加して戦死すれば、
故郷の家族は働き手を失うが、兵卒は金を送ることができないので、
それが心残りだ、ということを訴えました。



乃木は、前山一等兵から金を預かり、家族に届ける、と約束します。



白襷隊は夜襲を行いますが、地雷によって多くが斃れ、
また味方を識別するためにつけていた白襷が、
ロシア軍の探照灯照射によって反射し、目立って攻撃され、多くの損害
(戦死・行方不明者580名、戦勝者806名)を受けて敗退しました。

このシーンのBGMは、日露戦争の遼東半島における戦闘を描いた、
「ここはお国を何百里」の出だしで名高い「戦友」(コーラス)です。


進まない旅順攻略に、ついに御前会議でも乃木更迭案が出ました。
しかし、これに反対したのは明治天皇その人でした。

「陛下、それほどまでに乃木をご信頼でございますか」

と、山縣有朋(三津田健)



無言のまま頷く陛下。


その乃木は前線にあって敵弾を避ける風もなく、部下の山岡熊二参謀

「敵は閣下の白ズボンを狙ってきます!」

と塹壕に引きずり下ろされたりしていました。

山岡熊二は、この後軍使としてステッセルへの投降書を渡した人で、
戦闘中、頭上で爆発した敵砲弾のかけらを左目に受けて失明しています。


そこに、津野田参謀が、東郷司令長官の戦地への来訪を告げました。



「乃木さん・・・ご子息が二人とも戦死されたと聞きましたが」



「はい、二人ともお役に立ってくれたのかなと思っております」

第一次師団にいた乃木の次男は旅順の第三次攻撃で戦死していました。
乃木はこの時、

「よく戦死してくれた。これで世間に申し訳が立つ」

といったそうですが、その通りで、乃木宅に投石までしていた民衆は、
このニュース以降途端に乃木に同情的になり、非難もいつしか止みました。

乃木は、旅順の攻略が遅れていることを東郷に詫び、
東郷は前線を視察させてくれるように頼みます。


前線に立ったとき、乃木が東郷が持っている双眼鏡に目を止め、

「東郷さん、それはドイツのツアイスのものだと聞いていますが」

「はい、よく見えますよ。どうぞ」

と覗かせてもらう微笑ましいシーンがあります。



「乃木さん、ご心労はお察しするが、お国のためです。頼みます」

「はい。そのお言葉に、乃木は、やれます。はい。必ず、やります」

あー、この二人のシーンがすごくいいんだ。
胸がキューンと締め付けられそう。

残された写真(イギリス王戴冠式に列席した時の艦上の二人)
を見る限り、実際の乃木東郷の体型ってこの二人そのまんまなんですよね。

(それにしても、乃木を過小評価し、旅順攻略ですら乃木の功績ではなく
児玉源太郎の手柄だと言い張った司馬遼太郎と、その原作に基づいて
まるで痴呆老人のような乃木を柄本明に演じさせたNHKは決して許さん)



旅順から帰京する「三笠」には、戦闘の痕跡が刻まれていました。
「三笠」艦長伊地知彦次郎(田島義文)大佐は、

「これが我が方の用いる下瀬火薬だったら船は沈んでいました」

さらに伊地知艦長は、

「我が国に下瀬博士という人がいて・・」

から蘊蓄を語り出すのですが、その名前くらい東郷は知ってたと思うぞ。



東郷が「天佑神助」という言葉尻を捉えて艦長に逆蘊蓄をかましていると、
それに割って入ってきたのは島村速雄参謀長(稲葉義男)でした。

「リバウ港ではネボガトフを司令官とする第三艦隊を編成中だそうです」

「どこから知らせてきた」

■ 明石元二郎大佐


ここはストックホルムの日本帝国公使館。
陸軍の明石元二郎大佐が、栗野真一郎公使(小泉博)が何やら密会中。



栗野は駐フランス公使としてヨーロッパにいましたが、
1901年から桂太郎の説得で駐ロシア公使となっていました。



ハーバード留学時代の栗野真一郎(右)。
左は当時MITに留学していた、後の三井財閥総帥團琢磨(團伊玖磨の祖父)。

明石元二郎は、中立国であるここスウェーデンのストックホルムを本拠地に
ヨーロッパ駐在参謀という臨時職について諜報活動をしていました。

ヨーロッパでこの二人が出会ったのは史実であり、
加えていえば二人はどちらも福岡出身の同郷で同じ修猷館出身でした。

明石がヨーロッパで行っていたのは、ロシア支配下にある国、
そしてロシア国内の反政府勢力と連絡をとって、
ロシアを内側から揺さぶるという工作活動でもあったのです。



本作における明石大佐は、黒髪に美髯を蓄え、
いかにも仕立ての良さそうなスーツに身を包んで黒猫を愛でる、
実に妖しく艶かしい「美中年」のように描かれているのですが、

「猫が好き」「スパイ」「諜報将校」

という巷間伝わる本人の情報の片鱗から、よくもまあ、いうてなんだが
こう、実物と似ても似つかないキャラを仕立てあげたものだと思います。


明石元二郎陸軍大佐は、福岡藩士の次男として生まれ、
陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学を卒業し、
フランス公使館付陸軍武官に任命されたのは1901年、36歳の頃です。

年齢で言えば映画の仲代達矢も撮影時36歳とほぼ同じだったのですが、
同じなのは年齢だけで、伝わるエピソードは仲代とは程遠いものばかり。

いずれもwikiからですが、列記します。

晩年までほとんど歯を磨く習慣がなかった

服装について無頓着であり、陸軍士官学校時代、制服のズボンをずらし、
へそを出しながらズボンの裾を引きずって歩いていた

整理整頓にも無頓着で、台湾総督時、官邸を一切掃除させず、
身辺が荒れ放題だった

製図の授業時間、鼻水を垂らし、それを拭った手で作業を行うので、
製図は鼻水の汚れで真っ黒だった

陸軍幼年学校時代、お稲荷様にお供えされた赤飯の盗み食い常習犯であり、
また夜中にボートに乗って転覆させたりなど悪戯を繰り返していた

陸大時代は下宿に猫を一匹飼っており、
軍服に猫の毛が付いたまま講義に出席していた

山縣有朋と対談した時、小便を垂れ流していることに気がつかず喋り続け、
山縣は小便を気にしながらも熱意に絆されて対談を続けた

協調性に欠けていて風采が上がらず、また運動音痴であった

ヨーロッパ赴任中、泥靴のまま公使館に入り、そのまま平気な顔をしていた

日露戦争後高官となった後も、薄汚い布団で犬を抱きながら寝ていた

ロシアでの偽名は、アバズレーエフであった

いやー、歯を磨かないってのは、かなりやばかったんじゃないか。
周りに迷惑かけるし、55歳と若死だったのもこれが一因だと思うの。

栗野公使も、最初から仲代みたいなのが来ていたら、おそらく、
お、これはできる人に違いない、と思ったと思うのだけど、
実際は見るからに風采の上がらない、清潔感のない人ですからね。

明石大佐、語学と数字に堪能、ものすごく切れる人物だったのですが、
栗野は当初これが見抜けず、開戦の直前に、外務省に
「(あんなのでなく)優秀な間諜が欲しい」と要請を出していたそうです。

実は明石が優秀なスパイであったことを証明するエピソードの一つとして、

「あるパーティの席でドイツとロシアの士官がおり、ドイツの士官が明石に
フランス語で『貴官はドイツ語ができますか』と聞いてきたが、明石は、
『フランス語がやっとです』と、わざと下手なフランス語で答えた。

すると、そのドイツの士官は、明石を無視して、
ドイツ語でロシアの士官と重要な機密について話し始めた。
明石はドイツ語は完璧に理解しており、その機密をすべて聞いていた」


というものがあります。

スパイの資質として最も重要な語学については、
フランス語、ロシア語、英語も完璧に理解していました。

人物としては周りに好かれ、人の話題にされる人気者?だったそうです。

そして猫好き


日英同盟のおかげでスエズ運河を通れない状態のバルチック艦隊が、
どこを通って日本海にやってくるかの予想を話しあっていた二人ですが、
時計をチラリと見た明石は、抱いていた黒猫を栗野に渡し、

「時間です。もし私が帰ってこなかったらこいつを頼みます」

猫「にゃ〜」

栗野「ええ・・・」(困惑)


人目を憚りながら待っていた一台の馬車に乗り込む明石。



アパートの一室で落ち合ったのは、
フィンランド過激反抗党のコンニー・シリヤクスでした。
(映画ではロシア過激党となっているがこれは間違い)

壁には「ロシアをやっつけてくれる明治天皇」の写真が貼られています。
そしてその横は、自身のロシアからの追放の知らせだというのですが、
これは、シリヤクスがロシア人だという制作の勘違いから来ています。

普通にシリヤクスはロシア人の名前として変だと思う。



シリヤクスはロシア軍の情報を明石に伝え、
明石は情報代として彼らに革命資金を与えるという関係です。

ちなみに司馬遼太郎情報ですが、この二人は大変仲が良かったそうです。


さらにシリヤクスは、贅沢な愛妻のために金を欲しがっている
ロシア海軍の将校を連れてきて、バルチック艦隊の情報を売らせました。

どんな奥さんだ。
っていうかそんなことのために国を売るのかロシア人将校。


バルチック艦隊が日本までやって来ることは確実になりました。

日本としては、どこでどのように艦隊を補足するかがこれからの課題ですが、
東郷は天皇陛下に、あらゆる情報を駆使する、と力強く宣言します。



「陛下、バルチック艦隊は必ず撃滅いたします」


旅順では総攻撃が始まっていました。



この戦闘シーンは大変迫力のあるもので、さすが超大作です。



海軍は、逃げ帰った?旅順艦隊が一望できる二百三高地の攻略を
陸軍に要請し、乃木司令はこれを受けて攻撃目標をここに定めました。

激戦の末、12月5日、二百三高地の占領を達成。


二百三高地から臨む旅順港


この足場の悪い中、全力で駆け上がって行ったエキストラを褒めてあげたい。



国民は提灯行列で旅順陥落を祝いました。



ついでに、当時女性に流行った髪型「二百三高地」

しかし、これで戦争が終わったわけではありません。


ここパリでは、明石大佐がレーニンが言ったという

「旅順陥落はロシア帝国主義の没落を早める進歩的なものだ」

という言葉に大いにウケていました。

そして、金もないのに濫費家で、欲しいものがあったら我慢できず、
母親に頼んで買ってもらうというレーニンのマザコン話も披露しています。

レーニン、そんなんでよく社会主義国家とか言えたな。


明石はここにもちゃんと黒猫を連れてきています。
この相手が誰かは明かされないのですが、反ロシア勢力の党員でしょう。

「フィンランドにある小銃五万丁を買うお金は日本政府が立替えます」

明石大佐はこういった工作資金を全て政府から受け取っていましたが、
未使用分はきっちりと返還するという、金銭に清廉な人物でもありました。


「ロシアの憲兵がパリにも入り込んでいるらしいが、
あなたは尾行されてないでしょうね」

「大丈夫!ワタシ、絶対大丈夫」


しかし・・・



彼が階段を降りて行った直後に銃声が!

「きゃあああ!」

うーん・・大丈夫じゃなかったですね。



部屋に駆け込んできた二人のロシア人憲兵の見たものは、
開いた窓と、フーッと唸る猫でした。(猫演技うますぎ)

憲兵二人は慌てて窓の外を覗き「窓から逃げたぞ!!」

いやここ3階か4階なんすけど。
っていうか、銃声の直後なんだからもうちょっと周りを確認しろよ。

憲兵は外に走り出て行きました。



あわてんぼの憲兵たちが去った後、悠々とバスルームから姿を現し、
悠然と猫を抱いて去っていく明石大佐でした。(仲代出番終わり)


こちら東京の東郷平八郎邸。

九鬼隆一枢密院顧問官が訪ねてきて、バルチック艦隊について
明石大佐の情報をどう見ているかと問います。

「バルチック艦隊は太平洋を回り宗谷海峡を通って
ウラジオストックに回るということですが」

「バルチック艦隊が宗谷海峡に来るとは思えません」

東郷の想像では、長い航海で船底に牡蠣が付いて船足が遅くなっているし、
燃料の問題もあるので、艦隊は遠回りすることなく、
対馬海峡を通過するのではないか、ということだったようです。


東郷は妻てつ(草笛光子)と連れ立って、買い物に出かけました。

ここは目の見えない女性がほそぼそと営んでいる駄菓子屋です。
お金は客が金入れに入れ、商品をもらっていくという商いをしていました。

世間話風に、てつが彼女に農家の娘から便りがあったか尋ねると、
彼女は、兵隊さんの缶詰にするために牛を取られてしまったと答えます。
そしてその娘の夫は陸軍で出征中。

その時、東郷が後ろから不意に口を挟みます。

「お婆さん、ご焼香させてもらっていいかね」


彼女の後ろの真新しい位牌には「故 海軍一等水兵」と書かれ、
水兵服の青年の写真の前に花が生けられていました。

老婆は夫人に、無邪気にこう言います。

「ねえ奥さん、東郷さんはまた”おおいくさ”をするそうだねえ」

「ええ・・いよいよロシアの大艦隊が来るそうですからね」

「すると、また息子のように死ぬ水兵さんがたくさんできますねえ」

「・・・・・」

焼香を終えた東郷が横を通ると、老婆は頭を下げ、夫人に向かって

「ねえ奥さん」

「今息子にお焼香してくださった方は、どんな人かね」



「そうですね・・もう相当なお年寄りのようでしたよ。

おばあさんに何か言いたかったらしいけど、言えなかったんですよ。
・・・・胸が詰まって」

「・・そうかね」


老婆の言葉に目を伏せる東郷でした。

続く。




映画「日本海大海戦」〜旅順高閉塞作戦

2025-05-21 | 映画

今日は、東宝の8・15シリーズ第三弾として、
1968年の明治百年記念に合わせて制作されたスペクタクル超大作、
「日本海大海戦」を取り上げます。

ちなみに、クライマックスの日本海海戦のアップは5月27日の予定。

日本海海戦時56歳の東郷平八郎を演じるのは、当時48歳の三船敏郎で、
明治天皇を始め、登場人物を演じるのは、当時のトップスターばかりです。

あらためて見ると、史実に基づいたエピソードが丹念に盛り込まれ、
もちろん各方面への要らん忖度のない見応えのある力作で、
特技監督としてこれが最後の作品となった円谷英二の特撮も普通に凄い。

日露戦争の知識が少しでもあれば、無条件で楽しめる映画です。

それでは本編に入る前に、ディアゴスティーニの特典映像、
当時の本作宣伝からご紹介します。


■ 御前会議

1900年に勃発した義和団の乱の後、中国に進出した8カ国兵力のうち、
ロシアだけが乱終結の後も退却することなく国内に居座って、さらには
満州占領を始めたことで日露の対立が激化した、と冒頭説明されます。

利権確保と、ロシアの南下政策から朝鮮半島と満州を守る、というのが
日本側の意向でしたが、当時の覇権争いを行っていた大国の中でも、
義和団の乱で露軍が見せた軍紀意識の低さに日本側はドン引きしていました。

奴らなら然もありなん、と上から下まで思っていたことになります。


それでも宮中御前会議では、ロシアとの正面衝突を回避すべく、
天皇御自らロシア皇帝に親書を書くことが決まりました。

明治天皇を演じているのは八代目松本幸四郎

「連合艦隊司令長官 山本五十六」では米内海軍大臣の役でした。
初めて歌舞伎役者の枠を破って舞台や映画に俳優として出演し、
当時、世間に大きな衝撃を与えた「歌舞伎界の革命児」といわれています。


手前、山本権兵衛海軍大臣。(辰巳柳太郎



枢密院議長、伊藤博文。(柳栄二郎)

この伊藤博文役がまた、説明がなくとも一目でそうとわかるそっくりさん。
気になるのは、実物と頬のホクロの位置が逆であることです。
わざとかな?

ここで、天皇が山本権兵衛に、

「何故、連合艦隊司令長官を日高壮之丞から東郷平八郎に変えたのか」

と下問し、

「東郷は運のいい男ですので」

と奉答したという有名な逸話が早速登場します。

実は東郷の起用については(天皇が下問せずにはいられないほど)
周辺に困惑と不安が生じていたといわれています。

日高更迭の理由については、山本との不仲説とか健康上の理由とか、
後世色々言われていますが、真実がどうだったか、そして
御前を納得させられたかどうかはともかく、この山本の返答は、
もし咄嗟のものだったとすれば、見事というほかないと個人的に思います。

更迭した前任者を傷つけず、さりとて両者を比較するでもなく、
「運がいい」などという、強い説得力はなくとも否定のしようのない理由。

こんな返答をされれば、聞いた方は「そうですか」というしかありません。
山本権兵衛という人間の懐と器の大きさを物語っているといえましょう。

(ただし、この時の山本の返答については諸説あり、実際の返答は
『あの人がちょっといいんです』だったという説も・・。
ていうか、天皇陛下にこんな物言いができる山本って一体)



そして案の定、日本側の度重なる呼びかけもロシアは無視しました。

このシーンでは山本海軍大臣が、「海軍の準備はできている」として、
最後まで戦争を回避したい伊藤を焚き付けています。

山本の持論によると、日清戦争後、三国干渉を飲まざるを得なかったのは、
当時、何より海軍力がなかったからだと。
ここで「今なら自信がありもす」と力強く言い切る山本。

実際の政府当局者はどう考えていたかというと、

「陸軍は四分六分、海軍は半分やられて残り半分で戦う」

つまり勝ちに自信があったかというとそうでもなかったと。
何しろ相手は超大国ロシアですから。

■ 連合艦隊出撃



ここは当時聯合艦隊が停泊していた佐世保軍港。


佐世保軍港の旗艦「三笠」では作戦会議が行われていました。


左から、第三艦隊司令片岡七郎、東郷、第二艦隊司令上村彦之丞
東郷は第三艦隊に仁川港への派出を要請しました。



この日、旅順のロシア海軍は、サンタマリア祭の祝宴が行われていました。


そこに、日本海軍が仁川に兵員を運んでいるとの知らせが飛び込みます。

ロシア人はセリフを全部ロシア語で話していますが、
本物のロシア人が聞いたら「ロシア語でおk」なんだろうな。


そう思ったのは、次のシーンでそのニュースを聞かされた
太平洋戦艦隊司令官オスカル・スタルク中将が、


「何!」=”シュトー?!”(что)

と叫ぶのですが、ロシア語全然知らないわたしでも
いやこれはカタコトですよね?と疑う棒でね。

調べてみたら、案の定スタルク中将役はW.ジェンケルという人でした。
ドイツ系アメリカ人か・・もしかしたら役者ですらないかもしれない。



日露戦争の最初の直接戦闘となったのが、この時の「仁川沖海戦」で、
第二艦隊は「コレーエツ」「ヴァリャーグ」を自沈に追い込みました。

これは2月9日のことで、正式に日本政府が宣戦布告を行ったのは、
この次の日の2月10日だったため、
攻撃が宣戦布告前であるとしてロシアは烈火の如く怒りました。

当時は国際法上そのような規定はありませんでしたが、日本側はそれを受けて
戦時開始を佐世保出航後釜山で戦闘が起きた2月6日に決めました。

いや、「決めました」って・・しかもなぜ開始時間が早くなってんの。


■ 旅順港閉塞作戦


そんな時、日本の輸送船がウラジオストク艦隊に撃沈される、
「常陸丸事件」が起き、補給航路防衛に当たっていた第二艦隊は
日本海特有の濃霧と神出鬼没のウラジオ艦隊に翻弄され、
責任者の上村彦之丞司令は、

「濃霧濃霧と弁解するが、逆さに読むと無能なり」

とか、「露探(ロシアのスパイ)」などと非難されることになります。


そんな時、旅順港からロシア艦隊を出さなきゃいいんじゃね?
と誰いうともなく言い出し、生まれたのが、
旅順港の細い港口に船を沈めて物理的に通れないようにするという
「旅順港閉塞作戦」です。

旅順港閉塞作戦については、司馬遼太郎の「坂の上の雲」以降、
参謀秋山真之が発案したことに(確信的に)されてしまっているのですが、
それは全くの間違いであることを当ブログは史料から証明済みです。

実は誰かもわからなかった閉塞作戦発案者

この映画制作時、まだこの件について「司馬史観」は生まれてもおらず、
廣瀬武夫少佐が発案者のように作戦についての説明をしています。


「ここに沈めます」

いや、いくら何でも旅順港こんな狭くないよ?



ちなみに当ブログが手に入れた当時の「旅順港作戦記念アルバム」より、
作戦終了後、旅順港口の閉塞船の様子。

結局作戦後も2(米山丸)と3(弥彦丸)の間は通り抜け放題だった、
ということがお分かりいただけるかと思います。

ちなみに1が廣瀬少佐が第一次作戦で乗っていた「報国丸」、
4の場所に第二次作戦で撃沈された「福井丸」が沈んでいます。



廣瀬武夫を演じるのは加山雄三
杉野孫七兵曹は「山本五十六」で長官従兵だった小鹿番です。


杉野兵曹(閉塞作戦アルバム記載のもの)

このとき杉野は廣瀬に、「報国丸」の船端で、

「留学して友人もいる国と戦えるのですか」

と尋ね、廣瀬は、

「国家のためだ」

と短く返答します。

閉塞作戦には一度行った者は2度と参加させないことが決まっていて、
作戦ごとに人員募集をしており、杉野兵曹は第二次作戦に応募しました。

時系列を見る限り、メンバー採用されてから2週間で出撃を迎えているので、
映画のように、二人が報国丸船上で語るということはあり得ません。

しかし、後世の著述物では、「部下思いの廣瀬少佐」、
「水雷長に深く私淑していた杉野兵曹」という風に語られることが多く、
したがってここでもそれに準じた創作が加えられているのです。

事実はもっと淡々とした任務上の上司と部下という関係性でしたが、
人々がそこに必要以上に「物語」を求めた結果と言っていいでしょう。


「ロシアといえば・・・」

そこで廣瀬が思い出したのが、ロシア駐在武官時代に交流のあった、
明石元二郎(仲代達矢)大佐でした。

明石大佐は「坂の上の雲」でも大きく取り上げられた軍人です。
インテリジェンスの戦いという側面の重要なパートを担ったという位置付けで
その諜報活動は日本の勝利に大きく寄与したと評価されています。

この仲代達矢の明石は、実際の明石の人物像とは似ても似つかないのですが、
わたしが本作で最も強い印象を受けたキャラがこの仲代明石でした。



雪の大地でサモワールのお茶を飲みながら、廣瀬と明石は、
戦争が終わった後の両国の文化の交流や、
廣瀬が会った事がある清水次郎長の話などに興じます。

この二人がロシアで会ったというのが事実なら、それは
明石が公使館付き陸軍武官、廣瀬が海軍駐在武官だった1902年で、
しかも廣瀬が同年帰国するまでのわずかな間の出来事です。



杉野兵曹が「報国丸」に棲みついていた黒猫を捕まえて戻ってくると、
廣瀬はそれをやたらに撫で回しながら、

「陸軍の明石元二郎(ガンジロウと発音している)大佐は元気かな。
黒猫が好きでね・・・何か特別な任務をしている人だった」


明石が猫好きだったのは本当で、陸大時代、下宿で猫を飼っていて、
制服に猫の毛をつけて講義に出ていたそうです。

付着している毛に人が気づいたというからには、実際に飼っていたのは
絶対黒猫ではなかったと思いますが。(猫飼いならわかるね?)

明石は日露戦争後にも犬と一緒に布団で寝ていたという逸話もありますから、
(この頃、犬は今と違い、外で繋いで飼うのが普通だった)
常にモフモフするものを手近に置いておきたい人だったのでしょう。



いよいよ第1次閉塞隊が出撃していきました。
どうでもいいけど、この時の出航シーンが酷い。

まず、船の甲板を乗組員が手を振りながら歩いていくシーンが変。

そして、軍楽隊が演奏しているのが、本作作曲担当の佐藤勝のオリジナル、
つまり映画のテーマソングなんですが、これが全くの駄作。超駄作。
(すみませんなんて言うもんか)
ここだけの話、この人の映画音楽、いいと思ったことが一度もないんだな。
(メロディやコードの展開が音楽理論的にもかなり変なので)


この第一次作戦で、あまり効果が得られなかったことは史実の示す通りです。



そして第二次作戦直前となりました。
福井丸の船体にロシア語で何やら落書きをする廣瀬に、杉野が意味を聞くと、

「尊敬すべきロシア海軍軍人諸君、予は日本の海軍少佐廣瀬武夫なり。
既に2回ここに来たり。その目的は旅順港閉塞にあり。
更にまた何回か来らんとす」

「何でこんなことを書かれたのですか」

「時が来たら船が引き揚げられてわたしの友人が読むかも知れない」



「指揮官は死ぬおつもりではないのですか」

「馬鹿、閉塞を成し遂げて生きて帰るんだ!杉野、約束しろ!」

あああ〜これはフラグ。


そして閉塞作戦決行の刻がやってきました。

目的地点で「福井丸」の錨を降ろし、杉野上等兵に点火を命じ、
脱出用のボートに乗り込んだところで点呼を行います。

そして、

「杉野一等兵曹!」

返事はありません。
躊躇うことなく廣瀬は船内に戻りました。

「杉野は何処 杉野は何処や」


そして、船の最後尾にいた廣瀬に弾が直撃し、
広瀬の体は小さな肉片を残して海へと消えました。

ちなみにこの時のBGMは軍歌”広瀬中佐”センチメンタルバージョンです。



ちなみに、ボートに残された海図には、
広瀬少佐の肉片と血痕が残されました。
(閉塞作戦アルバム掲載写真より)

■ 第二艦隊



山本海軍大臣が明治天皇に
「第三艦隊の思いもかけぬ珍事」
について報告をあげています。

「5月12日水雷艇、通報艇が機雷に触れて沈没、
19日、一等巡洋艦『春日』二等巡洋艦『吉野』が衝突いたしまして、
・・・・『吉野』は沈没。
それから」

「それから?」

「はい、同日戦艦『初瀬』と戦艦『八島』がどちらも触雷沈没、
17日には特務艦『大島』が『赤城』と衝突、沈没。
また、駆逐艦『暁』が触雷して沈没。
六日間で7隻、主力戦隊の三分の一を失いました」

「触雷」というのは、もちろんロシア海軍の機雷によるものです。
「八島」が触雷したのはは敷設艦「アムール」が敷設した機雷でした。

これにより、日露の保有戦艦は4対6となってしまいます。


大きく戦力を削がれた状態。
乃木大将の陸軍が旅順に迫る中、海軍の懸念材料は、
バルチック艦隊がやってくるかです。



「バルチック艦隊は、出てきます。
必ず、出てきます」



そんな中、上村大将率いる第二艦隊は、ここ日本海で
通商破壊作戦に暴れ回るウラジオ艦隊を補足しようと必死でした。



「参謀長、あんたが今口まで出かかっていることを言ってやろうか」



「は?」

参謀長とは聯合艦隊参謀長加藤友三郎(加藤武)のこと。
実物と全く似てないけど、きっと加藤つながりで選ばれたに違いない。

「上村は何をしているのかと思っているだろう」
 
ここで上村は、自分が『露探』と呼ばれていることも知っているが、
なんと言われようと敵を見つけるまで待っているしかない、
自分は船を降りたらなんの使い道もない男だからと自嘲してみせます。

■常陸丸事件


日露戦争中の1904年6月15日、「常陸丸事件」が起きます。
玄界灘を高校中の陸軍徴用運送船3隻が、ウラジオストック艦隊の
「ロシア」「リューリック」「グロモボイ」の攻撃を受け、
常陸丸沈没、他2隻撃破、常陸丸の乗組員は壮絶な戦死を遂げました。


船団は、旅順攻撃用の人員を始め、武器兵器、軍馬を積んでおり、
船長ジョン・キャンベル、機関長ジェームズ・グラス、運転士に
サミュエル・ジョセ・ビショップというイギリス人が乗っていました。

船長ジョン・キャンベルを演じているのは、
もはや当ブログでもお馴染みのお雇い外人ハロルド・コンウェイです。



陸軍の輸送指揮官は須知源次郎(安部徹)大佐(官は推定)



敵からの攻撃を受けて直ちに応戦しましたが、圧倒的な攻撃力の差。



艦長も旗艦長も敵弾に倒れてゆきます。
甲板は血の海に染まり、須知は己の運命を悟りました。



須知は軍旗を奉焼、書類焼却後切腹し、
残る将校たちも切腹や投身により船と運命を共にしました。


切腹については創作説もあり

このことが報じられると、日本国民は一斉に第二艦隊を非難しました。
第二艦隊、つまり上村彦之丞大将への個人攻撃です。

激昂した民衆が上村の留守宅に投石し、短刀を投げ込み、脅迫状が相次ぎ
(当時電話がなくてよかったですね)、国会では代議士が居丈高に
上村を「濃霧は無能」と罵り、新聞には非難の投書が相次ぎます。

メディアはこのことをことさら悲劇的に、センセーショナルに報道し、
軍歌ができるわ教科書に載るわで、当時知らぬ人がいないくらい、
国民が一丸となってこの事件に乗っかり騒ぎ立て、文字通り炎上させます。

しかし、結局その後、皆の「敵」だった上村大将は、
ロシア艦隊に「仇(カタキ)」をとったことで名誉を回復し、そのせいか、
「常陸丸事件」そのものが歴史に大きく語られることはなくなります。

ちなみに、この事件を取り上げた後世の作品は、この映画しかありません。



怒れる暴徒に自宅が襲撃された件を報告された上村は、憤慨する部下に

「うちの女房は肝ばすわっちょるから大丈夫」

と笑い飛ばしてみせます。


朗らかに部下に酒を勧めるも、皆遠慮して部屋を出ていってしまいました。
まあ、こんな状況下の上司とお酒を飲みたい人はいないだろうな。

気まずいし。



そして。

人前では決して弱いところを見せない上村でしたが、
内心これが上村にとって悔しく、辛くなかったはずがあろうか、いやない。

・・・ということで描かれたこの藤田落涙シーンです。

ちなみに、上村が「汚名返上」した途端、日本国民は
手のひらを高速返しして上村を褒め称え、
その悔しさまで盛り込んだ「上村将軍」という歌までできたわけですが、
上村自身は、生涯最後までこの歌を嫌っていたとされます。

そりゃそうだろうよ。


続く。



映画「雲ながるる果てに」〜戦歿飛行予備学生の手記 後編

2025-04-16 | 映画

宿舎に帰ってきた大瀧中尉は、
上島上飛曹(西村晃)の頬に殴られた跡があるのを見咎めました。



「どうしたんだ」

「敬礼の仕方が悪いと言って修正を受けました」

「誰に」

「第三飛行隊の・・」

「馬鹿野郎、第三飛行隊はもうおらんじゃないか」

「たった今着任されたんであります」

「チッ・・・特攻の仁義を知らねえな?よし来い!」


前の部隊が全員特攻に行っていなくなったので、
新しく補充されてきた「次の消耗品」士官は、宿舎で先人の遺した

「後から来る消耗品に告ぐ、冥土で待ってるぞ!!」

という書き置きを読んでいました。

「・・いやなこと書きやがる」


そこに上島上飛曹を連れてやってきた大瀧が、勢い込んで、

「おい、この男を殴ったのは誰だ!」

しかし次の瞬間・・・・



「大瀧!」「加藤じゃないか!」「生きていやがったか!」「貴様もか!」
「こいつうう〜〜!」「はっはっはっは」




「・・・・・・・・」(チッ)



同期の間で盛んに知人の消息について情報交換がなされます。

「笠原は?」「この間往った。黒板の連中と同じときだ」

「竹内どうした」「硫黄島だ」「水野は?」「台湾で別れたきりだ」


「杉村は?」「わからん」「畜生、だいぶやられたな」

上島「・・・・・・・・」


憮然としている上島に気がついた大瀧は本来の用事を思い出し、

「おい、こいつを殴ったの誰だ」「俺だ」

「お前か。勝手なことしゃがって!」



たちまち取っ組み合いが始まりますが、弾けたように笑い出して、
全く本気モードではありません。

不満そうな上島。



そこに従兵が大瀧宛の故郷からの電報を持ってきました。
明日の朝、両親と幼馴染みの’よっちゃん’が面会に来るという知らせです。


大瀧、喜び勇んで部屋を走り出てしまい、置いていかれた上島は、
慌てて敬礼を(ちゃんと)し、後を追いかけていくのでした。



宿舎中を駆け回って自分の喜びを皆に伝えずにいられない大瀧。
深刻な顔をしていた深見もつい釣られて笑いをこぼします。


ご機嫌の大瀧、皆に喜びのお裾分けとばかり、

「従兵、酒が来たからやるぞ」

「ご馳走になります!」


「親父とお袋が来るんだよ!りんごのほっぺたも来るぞお!」


しかし、その頃、部隊には司令部からある作戦命令がもたらされていました。



翌払暁、皆が集められます。
沖縄方面の敵機動部隊に対し、可動機全機による特攻が発令されたのです。
昭和20年4月16日に行われた「菊水三号作戦」がこれに当たります。

飛行場ではすでに爆装が始まり、各機には500キロ爆弾が搭載されました。


「本日の指揮は村山大尉が執る!」



深見は大瀧を呼び止めました。

「汽車が着くのは5時だったな?
到着したら電話をしてもらうように駅長に頼もう。
声だけでも聞いていけよ」




「間に合えばよし、間に合わなければまた致し方なしだ。覚悟はできてる」

「大瀧・・・・」

「どうも話がうますぎたよ!はっはっは」

大田区は深見を軽く叩くと笑いながら走って行きました。


出撃までの1時間、隊員たちは「自分のしたいこと」をして過ごします。
故郷に電話をかける上島上飛曹。

「もういい加減カタギになれよ」

一体誰に電話してるんだろう。



ボタン付けをしている田中中尉。



アルバムに写真を貼り付ける岡村中尉。



髭を念入りに剃る野口中尉。



彼らの様子をじっと見つめる深見中尉。



辞世の句がどうも浮かんでこない北中尉は仲間に助けを求めます。

「特攻隊 神よ神よと おだてられ」

「どうもロマンチックじゃねえなあ・・・はっはっは」




その頃、何も知らない大瀧の両親と幼馴染を乗せた汽車は
九州に近づいてきていました。



出て行ったまま帰ってこない大瀧を探しに行った深見が見たのは、
誰もいない林の中で慟哭しながらのたうち回る彼の姿でした。



「父ちゃん・・・母ちゃん・・・よ、よっちゃん・・・・
会いたい、会いたい、会いたいっ!」

このシーン始め、エモーショナルな場面で聞こえてくるのは、
芥川也寸志が手がけたドイツロマン派風のBGMです。


やおら立ち上がった大瀧は、海軍五省を唱えたあと、
服を脱いで湖に飛び込み、泳ぎ出しました。



深見は司令室に行ってこう告げます。

「私も往かせてください!」




「貴様その体では無理じゃないか」

「大丈夫です。レバーぐらい握れます」



「村山、連れて行ってやれ」

この飛行長のおっさん、目つきも何もかもが不遜です。
村山大尉の最後の出征を見送るための酒席のはずなのに、
楽しげに酒を飲み、ものを食い、さらに、口にものが入っている状態で、

「深見、なかなか立派になったぞ」


「深見、一緒に死のう!」



黙って敬礼を返す深見中尉。
深見が去ると、後ろの士官どもは、

「特攻隊にまた美談が増えたな」

「早速デカデカと報道班員に書かせますか」

「明日の新聞は賑やかになるねえ」


そして全員で何がおかしいのか呵呵大笑し、
それを背中で聞いていた村山大尉は黙ってその場を去りました。

その後も、楽しげに

「今日は2割は当たるかな」

「いやあ、もっと当たる!」


そこに明日の朝特攻出撃する士官もいるのに、
こんな無神経なことを言う士官が本当にいたとは考えられません。
流石にこれは映画上の創作ではないでしょうか。

過去観た学徒出陣を扱った映画は、兵学校士官を敵扱いして、
いかに酷い連中だったかを強調する傾向がありました。

深見中尉が準備のために部屋に戻ると、全員から声をかけられます。

「深見、貴様から親父に手紙を渡してくれないか」

「深見、貴様生き残ったら俺のうちに寄ってくれよな」

「俺んとこも頼むわ。
うちのお袋は泣き虫やさかい、塩梅よう頼みまっせ。
・・・・おう、なんや?」


後ろで着替えをしていた深見に初めて気がつきました。

「俺もいくぞ」

無理するな、とか付き合いが良すぎるぞ、と声をかける戦友に、

「貴様たちと一緒に死にたいんだ」



「誰の命令だ。隊長か?飛行長か?」

「命令は受けん。許しを得てきた」

「何があったんだ」



「何もないよ。心配するな」

大瀧は、先日の二人の議論で自分が言ったことを根に持っているのか、
と聞きますが、もちろんそれは違い、深見は、この期間に
自分だけでなく皆がそれぞれの気持ちで苦しんでいることを知り、
皆と一緒に死にたくなった、と訴えます。


それでも尚深見を行かせまいとする大瀧ですが、
最後は無言で白いスカーフを巻いてやります。



誰が始めたか、いつの間にか皆は「同期の櫻」を合唱していました。


出撃時間は迫っていました。
地上における最後の時間を、彼らはいつものように過ごします。



「大瀧、ゆっくり話す間もなかったな」

「うん、これからはずっと一緒だ」

加藤中尉は、着任した次の日に特攻出撃することになってしまいました。



「今や皇国の必勝のためにお前たちの命を捧げる時が来た!
お前たちは生きながらにすでに神である」


搭乗前に、各自故郷の方向に最後の挨拶をします。



その時、大瀧の家族は基地のすぐ近くまで来ていました。


搭乗機の前で別れを告げます。



飛行場にZ旗が揚げられました。


離陸の映像は実写フィルムです。



帽振れで送る基地の人々。



格納庫の前からかろうじて機影を見送った家族。
父は万歳し、幼な馴染みは手を振り、母は手を合わせます。



攻撃の状況が通信されてきました。






その後は火を噴き海に墜落する飛行機の実写映像が流れます。



通信音が「ピー」と鳴り続けている間は「突入中」です。
その音が切れたとき、それは操縦者がこの世から消えたことを意味します。



最後の通信音が途切れ、参謀が言います。

「思ったよりいかんな」

「まだまだ技量未熟だ」


「何、特攻隊はいくらでもある」

この士官たちの描写に対し、どこかから文句は出なかったんでしょうか。



その日、国民学校の唱歌の時間に子どもたちが歌うのは、
搭乗員たちが弾いていた「箱根八里」でした。



深見がもうこの世にいないことを、彼女は誰から聞いたのでしょうか。



大瀧の家族は、いつまでも、いつまでも飛行場に立ち尽くしていました。



お父さん、お母さん、よっちゃん、愈々後1時間の命です。
最後の筆を取ります。
お父さん、お母さん、25年のご慈愛を心からお礼申し上げます。
僕の大好きなすべての人、懐かしい故郷の山河、そして平和な日本。

それを思い浮かべながら今死んでいきます。

お父さん、身体に十分気をつけてください。
月に一度は山田先生の診察を受けるように。
これだけは是非お願いします。
お母さん。優しいお母さん。
お母さんに泣くなと言うのは無理かもしれませんが、
どうか泣かないでくださいね。
お母さん、お母さん、お母さん。
何度でもこう呼びたい気持ちでいっぱいです。

よっちゃん。林檎のほっぺただ。
思い出すと楽しいことばかりだった。
両親のことを頼みます。

ではみなさん、どうかいつまでも、いつまでも長生きしてください。

往ってまいります。

昭和20年4月16日、
神風特別攻撃隊第三御楯隊
海軍中尉 大瀧正男
身長五尺六寸 体重十七貫五百

きわめて健康




「特別攻撃隊 全史」の記録によると、昭和20年4月16日に行われた
「菊水三号作戦」では、海軍176機、陸軍52機の特攻が敢行されました。

大瀧中尉がいたとされる第三御楯隊は、六〇一、二五二部隊が出撃し、
そのうち予備士官は下の5名となります。

青木牧夫中尉 高知師範 爆戦 喜界島付近
岡田俊男中尉 東京帝大 彗星 喜界島
天谷英郎中尉 福井高工 彗星 喜界島
和田守圭秀中尉 島根師範 彗星 喜界島
福元猛寛少尉 松本高校 彗星 奄美大島

この日出撃した士官64名のうち、海軍兵学校出身者は、

畑岩治中尉 海兵72期 97艦攻 嘉手納沖
村岡茂樹中尉 海兵73期 天山 沖縄周辺
中村秀正中尉 海兵73期 爆戦 喜界島南東

の3名でした。

本日、4月16日は、本作映画のモデルになった学徒士官たちが出撃した
菊水三号作戦が行われてからちょうど80年目になります。



終わり。

映画「雲ながるる果てに」〜戦歿飛行予備学生の手記 中編

2025-04-13 | 映画

その晩、村山大尉が総員上陸をコールしました。



上陸すなわちレス(料亭)で宴会です。



目の座った村山大尉が「もっとやれ!」と檄を飛ばすと、
海軍名物「芋掘り」(レスなどでの乱暴狼藉・破壊行為)の始まりです。

彼らの明日をもしれない運命を世間が了解していることもあって、
こういった芋掘り行為は半ば公然と行われ、お目溢しされる傾向でした。

天井にぶら下がる者、池に何か投げ込む者、障子を破る者・・。



大瀧中尉は敵空母轟沈!と言いながら、襖に飛び込んで行きました。



見事襖を破って隣の部屋に突入。



隣の部屋で体を起こしてみると、



そこに二人でいたのは松井の恋人富代と北中尉でした。
てっきり大瀧は北が富代を口説いているのかと思って激昂するのですが、



「違う!これだよ!」

「・・・辞世一句?」



「不精者 死際までも 垢だらけ」ダラ松
富代様


北中尉は松井からこれを預かってきたのでした。



「あたしゃね、いっぺんくらいあの人を風呂に入れて洗ってあげたかったよ」

それをいうと畳に突っ伏して嗚咽する富代。



しかし、なぜか松井の辞世の句に乾笑いしてしまう大瀧でした。



翌日行われるはずだった飛行作業は、燃料不足のため中止になりました。

映画で使用されている機体については説明がないのですが、
映画が制作された1953年には、後に映画で零戦の代わりに登場した
T-6テキサンはまだ自衛隊に供与されていないことから(1955年に供与開始)
この映像は戦中のフィルムではないかと考えます。



飛行作業がなくなり、村山大尉の「命の洗濯でもしておけ」という言葉で、
各自思い思いにその日1日を過ごし始めました。



子供達とチャンバラごっこをするのは山本中尉。
子供達と一緒に走り回っている様子を見ても、
この俳優がこの直後亡くなるとはとても想像できません。



木陰で語らうのは野口中尉と田中中尉。

「尊敬していたドイツ人の宣教師に、
『人間と人間の殺し合いを神様はお許しになるんだろうか』と聞くと、
牧師は三段論法で、『アメリカは悪い。悪いのを討つのは良いことだ。
だからこの戦争を神様はお許しになる』とさ。




「俺あその時からその牧師のやつが嫌んなってねえ・・・」



池のほとりで「お家訪問ごっこ」をして遊ぶのは、北中尉と岡村中尉。
岡村中尉(右)を演じているのは若き日の金子信雄です。
禿頭のおじさんのイメージしかなかったのでちょっと驚きでした。

「いいうちだなあ」

「えれえシャッとしたセビロ着てんじゃないか」

「おお、えらい難しい本読んでるなあ」




「へへ、ゲーテだよ」

「原書か・・ぼくドイツ語は苦手やさかいなあ」




「おう、ちゑ子、こっち来い」

「べっぴんさんやなあ・・あんたはん、京美人だっか?」




「はっはははははは」

二人の笑いはすぐに吸い込まれるように消えていきました。



燃料不足で飛行作業が中止になった一日、腕を負傷している深見中尉は、
宿舎となっている国民学校の瀬川道子教諭と二人で語らっていました。



彼の実家は(おそらく)山形で、時計店を営んでいます。
兄は死んだ父親に代わって職人として店を切り盛りし、
母はこけしに色をつける内職をして、慎ましい暮らしの中、
深見を大学まで進学させてくれました。



兄が嫁をもらい、弟が大学を出て銀行に勤めるのが、
母親の思い描く夢だったのです。



深見が進学したのは京都帝大でした。
この1952年当時の映像は、現在の京都大学の正門の様子と
全くと言っていいほど変わりがありません。

この門は、1889年、第三高等中学校正門として建設されました。

その学舎で学徒を戦線に駆り出すための演説が行われています。




「山本元帥の戦死、アッツ島の玉砕、諸君はこのことをなんと考えているか。
今や祖国は寸刻の躊躇を許さない、絶対の危機である。
盟邦ドイツの学徒はすでに立ち上がった。
諸君らもこれに遅れてはならない!」




演説を聴く学生の中に、大瀧と深見もいました。

「立て、学徒諸君!往け、海と空へ!」

1941年、内閣は不足する兵力を学生から補うため、就学年限を短縮し、
1943年になると、理工系と教員養成系を除く文科系の学生に対し、
徴兵延期措置を撤廃する臨時特例を実施しました。

学徒出陣によって海軍に入隊することになった多くの学生は、
高学歴者であるという理由で、予備学生、予備生徒として、
不足していた野戦指揮官クラスの下級士官または下士官に充てられます。

ちなみに、学徒出身の戦後の有名人は多く、例えば、
中華民国総統であった李登輝は、京都帝大在学中に学徒出陣しています。

この映画に上飛曹役で出演している西村晃もまた、
日本大学専門部芸術科在学中に動員され、第14期海軍飛行予備学生として、
徳島海軍航空隊の白菊特攻隊に配属されています。

西村の部隊には裏千家の千玄室もいましたが、
彼らが出撃する前に戦争は終わり、部隊でこの二人だけが生き残りました。



海軍の部隊に入隊した学徒たちを待ち受けていたのは、
兵学校卒士官からの教育に名を借りた虐めとシゴキでした。

「貴様らのせいで70年の海軍の歴史は汚された!」


いや、僕らをここに入れたのはその海軍なんですが



そして、「娑婆気を抜く」という名目のもと、
学徒たちを兵学校士官たちが殴るリンチが行われます。

兵学校士官にすれば、昨日まで学生だった連中が自分と同じ士官を名乗るのが
単純に面白くないという気持ちからでしょうが、その鬱憤晴らしのため、
理不尽な暴力が公認されていたことは、海軍の陰惨な黒歴史の一つです。


連帯責任も海軍の伝統の一つ。
一人が「飛行機を壊した」ので全員が飛行場を3周ランニングさせられます。

グラウンド3周と違い、飛行場はとてつもなく広いので、
終わる頃には陽は暮れかけています。


全員が走り終わった後も、飛行機を壊した本人は、
飛行場で一人起立して「反省」をさせられます。



それは深見でした。


そして、ついに彼らが「特攻隊員」になる時がやってきます。

「諸君の肉体をもって敵を撃滅してほしい」

この司令を演じているのは加藤嘉(よし)。
「海軍」の主人公の父、「白い巨塔」(田宮二郎版)で演じた
謹厳な大河内教授の役が印象に強く残る俳優です。


ここには、大瀧と深見の他に、後の田中中尉(織本順吉)、



山本中尉(沼崎勲)、



岡村中尉(金子信雄)、



北中尉(清村耕二)がいました。



それらの思い出を瀬川道子に語る深見。

「砂の上にこうして一本足を下ろす。
ここは僕の足が今の今まで触れたこともない土なんだ。
生まれて初めて足を下ろす土なんだ。
ここも、ここも、ここも。

僕のこの足跡が25年前の故郷からずっとここまで続いてきた。
そしてここで終わるか、あそこで終わるか・・・もういくらも無い。

・・・・知らないことが実に多いなあ」


この独白は、確かめたわけではありませんが、
「雲ながるる果てに」に掲載された実際の学徒士官の言葉かもしれません。



「できるだけ足跡を多くつけておこう」


ところが、砂浜から上がってきた二人は、
まずいことに片田飛行長に見つかってしまいます。



「貴様、軽病患者の分際でどこをふらついているんだ!
特攻隊と言われりゃいい気になりやがって!」

料亭の女将と組んで私腹を肥やしてるやつが何言ってる。



綺麗な先生と一緒にいたっていうのもお怒りポイントの模様。
腹立ち紛れに何発も怪我人を殴りつけます。

「困ったもんだよ予備学生なんてのは!
女の後ばっかり追いかけやがって」



憎々しげに言い捨て、飛行長が去っていくと、
瀬川道子は嗚咽して駆けて行ってしまいます。



追いかけた深見はつい瀬川を抱きしめ、彼女は泣きながら
どこかへ連れて行って!と激情に駆られ何度も叫んでしまうのですが、
幸か不幸か?そこにちょうど空襲が来てしまいます。


それで気が削がれたというか、すっかり意気消沈してしまう二人。
瀬川が、

「さっきはごめんなさいね」

と謝ると、深見は静かにこういうのでした。

「どこかへ行ってしまいたい、それはあなただけの気持ちじゃありません。
でもそれは僕にはできないんだ。

目に見えない大きな力が、僕らを墓場の中にぐんぐん引き摺り込んでいく。
いや・・・僕は墓場にも入れやしない。
敵の船に突っ込めば、肉も骨も一筋の髪の毛さえもが消えてしまうんだ。

現在すでに僕らには、人間の愛情も人間の意思も、

人間的なものは何一つ、何一つ残されていない。
ただ戦争のための一個の消耗品に過ぎないんだ。

これが深見の現実の姿なんです」



次の飛行作業は訓練でした。
左は航空監視専用の双眼鏡です。



その最中、異変が起こりました。


飛行中の一機が、操縦ミスか機体不調のせいか、不審な動きを始めました。

このシーンの飛行機の模型担当は「圓谷特殊技術研究所」となっています。
円谷英二がその2年前の「聞けわだつみの声」の特撮のために創設した
6畳の大きさくらいの撮影所で、スタッフは4、5人でした。
これこそ後の「円谷プロ」の前身です。



「角度が深い!」



皆が見守る中、飛行機は空中分解ののち墜落しました。


墜落した機に乗っていたのは、子供たちとチャンバラしていた山本中尉です。



現場は、誰が見ても乗員が生きている可能性のない状態でした。


遺体は隊員の手ですぐさま荼毘に付されることになりました。



山本の持ち物と遺体から外した階級章、そして
彼の遺骨を納める壺と木箱を用意して作業が始まります。



荼毘を見守りながら、深見と大瀧は特攻の是非について語り合います。
あくまでもその方法に懐疑的な深見に対し、大瀧は諦観した様子で、

「深見、戦争は理屈じゃないぞ。生命の燃焼だ。
人間の根源的な情熱なんだ。
悠久の大義に生きる・・・個人の存在を超越した、
民族的な情熱への自己統一なんだ。
元来俺たちの命は天皇陛下からお預かりしているんだ」

と肯定する立場を示します。



「深見、貴様、女に惚れて死ぬのが怖くなったのか」



一旦は否定した深見ですが、うな垂れて告白します。

「この手を怪我した時、もしかしたら自分は助かるかと思った。
あれから腰がふらついてきたんだ。
瀬川さんに対する愛情も否定はしない・・・けど、
そういうことじゃないんだ。

・・・大瀧、貴様・・悠久の大義で死ねるのか?」


「馬鹿っ!・・・貴様、怪我をしていなければ殴りつけてやるぞ!」

しかし大瀧の目には明らかな動揺が浮かんでいました。

続く。



映画「雲ながるる果てに」戦没海軍飛行予備学生の手記 前編

2025-04-10 | 映画

本作品は、大学・高専を卒業もしくは在学中の1943年(昭和18年)9月に
第13期海軍飛行専修予備学生として三重または土浦の両海軍航空隊に入隊、
特攻散華した神風特別攻撃隊の青年たちを中心とする遺稿集、

「雲ながるる果てに 戦没飛行予備学生の手記」

を元にして制作された映画です。

主人公の学徒士官に、鶴田浩二(当時29歳)木村功(30歳)
沼田洋一(29歳)金子信雄(30歳)西村晃(30歳)というオールアラサー、
彼らの兵学校卒隊長を原保美(38歳)が演じるという、
全体的に実際より少し上の世代によるキャスティングとなっています。


昭和20年4月、九州南端の特攻基地から故郷の両親に宛てて書いた、
主人公大瀧中尉(鶴田浩二)の手紙の朗読から映画は始まります。

九州南端の特攻基地とは、鹿屋航空基地のことでしょう。
戦争中、特に末期の沖縄戦の頃には第5航空艦隊司令部が置かれ、
数多くの神風特別攻撃隊の出撃基地となりました。

ここから出撃した特攻隊員は828名に上ります。



隊員たちが木陰で眠りを貪っているところに空襲警報の幟が立ちます。
たちまち「回せ〜!」と手を回しながら邀撃班は走り出し、



あっという間に機に飛び乗って出撃していきます。
この秋田中尉は、この後戦死してしまうことになります。



地面に掘られた掩体壕に駆け込む途中で、
深見中尉(木村功)が腕に被弾し負傷しました。


「くそお!」と叫ぶと銃を敵機に向けて撃つ大瀧中尉。



地元の国民学校の校舎が彼ら搭乗員の宿舎です。



校庭では生徒たちが食料を植えるために土を耕しています。
一人が「兵隊さんが帰ってきた」と叫ぶと、皆が
「兵隊さん、おかえりなさい」と合唱するのですが、



教諭の瀬川道子は、はっとして動きを止めます。



深見中尉が腕を負傷していたからでした。
(このシーンの木村功とんでもなくイケメン)



予備士官たちの宿舎の部屋には、同室から戦死した仲間の祭壇がありました。
今日そこにまたひとつ「秋田中尉」と記した位牌が加えられます。


皆が秋田の遺品を整理していると、飛行隊長である村山大尉
(原保美)が明日の出撃搭乗員名簿を持ってやってきました。

村山大尉は予備士官からなるこの第一飛行隊の隊長であり兵学校卒士官です。
かれもまた、いつかは特攻で出撃する運命にありますが、
それまでは航空隊の出撃「宣告」を行う立場です。

この立場だった兵学校卒元士官の方が戦後に書いた手記を読みましたが、
特攻を部下に命じる立場に苦悩していたことが書かれていました。



予備士官は10名のうち4名。
この松井中尉(高原駿雄)と、



北中尉。



そして主人公の大瀧中尉。



沼田曜一演じる笠原中尉の4名で、あと6名は下士官です。
名前を呼ばれた者は、はい、と返事し、身を強張らせます。



その夜は、司令から届けられた酒で宴会が行われました。

「おい、明日の今頃、俺は化けて出るぞ!」



「お前ら予備士官に我々帝国海軍の伝統は汚された!
歯を食いしばれ!」

自分たちが任官後兵学校士官に言われた言葉、
殴られた嫌な思い出を今更のように再現する悪趣味な人。




学徒士官たちは皆そのことに今もトラウマを持っています。
そしてなぜ俺たちばかりが死に追いやられるのか、というやるせない怒り。


酒の席では当然「女」が話題になります。

ここでも芸者の一人と馴染みになり、
「最後まで娑婆気の抜けぬ予備士官」を地でいく松井中尉に、
女というものは美しくて可憐なものだ!と説教するのは大瀧中尉。


しかし、誰いうともなく、思い出したように本日の戦死者、
秋田中尉にお酒を捧げ「同期の桜」を歌うのでした。



宴会に下士官たちが加わった頃、明日出撃の「ダラ松」こと松井中尉は、
馴染みのエス(芸者)富代と今生最後となる逢引きを決行しました。



料亭の一室では、特攻隊の飛行長片田大佐と女将が何やら密談しています。

「飛行長さんの顔で回してくださいよ」
「飛行長さんの命令なら右から左ですよ」
「いっぺん宴会やったことにすればよかでしょう」


などと、盛んに何かを持ちかけています。
「ねえ、飛行長さん、その代わり」
と耳元で何かをヒソヒソ。

「女将も特攻隊に感謝するんだな」

よくわからないけど、飛行長に賄賂?を渡して、
何かずるいことをしようとしていることはわかった。
こいつら結構とんでもないな。



朝方まで一緒に過ごした松井と富代は、ふざけながら航空隊の門まで来ると、
握手をしてパッと反対方向に駆け出し、別れることにしました。



すぐに振り返って男の背中を凝視する富代でした。



ところが、その日雨が降り出し、出撃は中止となってしまいます。



というわけで、飛行隊長による座学が行われることになります。

今更アメリカの機動部隊のフォーメーションを示し、
狙うのは空母だとか、被弾したら躊躇なく目前の艦に突っ込めとか、
今更なことをもっともらしくレクチャーしています。

これ、今朝出撃予定だった搭乗員が初めて聞くとかじゃないよね?



今日一日を命拾いした大瀧中尉は、風呂に入って文字通り命の洗濯中。


彼がまぶたに浮かべるのは、故郷の父母の元にいる自分の姿でした。


同じような句を黒板に書く二人。
まあ、こうとしか感想はないかもしれません。


暇を持て余した彼らは、小学校の教室で、オルガンの発表会。
腕に自慢のある北中尉が「箱根八里」の完奏に挑戦です。


その時教室の後ろから深見中尉が入ってきました。
瀬川道子は、お互いにしかわからない好意を込めて目で挨拶します。

山岡比佐乃という女優について年配の役のイメージしかありませんでしたが、
この映画で当時27歳のキリッとして清楚な彼女を見ることができます。
チートなし加工なしのまぎれもない天然美人です。



ダラ松こと松井中尉が昨夜の寝不足を補っていると、
上島上飛曹(西村晃)が伝達を持ってきました。

起こそうとするとむにゃむにゃと抱きついてくる松井に、

「昨日の続きのつもりでいやがる。これが生き神様の顔かねえ・・」

呆れた上島は偽の空襲警報で叩き起こし、松井に要件を告げます。

「秋田中尉の奥さんが面会に来たんです」



秋田中尉・・・昨日邀撃に出て戦死したばかりです。
上島上飛曹は分隊士である松井に対応をさせようとしてきたのでした。



秋田の妻(町子)役は朝霧鏡子という女優さん。
この映画のすぐ後引退して家庭に入ったため、芸歴は長くありません。

背中に赤子をおぶった可憐な若妻を前に本当のことが言い出せず、

「秋田中尉は一昨日前線に移動しました」

と咄嗟に嘘をついてしまう松井中尉。
しかも、秋田中尉の位牌や遺品を隠す姑息な細工まで・・。



困った松井中尉はみんなを呼び入れますが、彼らもまた本当のことが言えず、
松井のついた嘘に調子を合わせ始めてしまいます。

「あのう、秋田は・・・」

「ああ、秋田は前線で今頃やす子ちゃんの自慢話ですよ!」

「やす子ちゃん、皆で写真撮ってお父ちゃんのところに送りましょうね〜」



「やめてくれ!」


その空気に耐えられなくなったのは、今朝出撃を逃れた笠原中尉でした。

「嘘はやめろ!奥さん、秋田は・・!」



「・・・秋田は死んだんでしょうか?」




誰もそれに答えないことが真実を物語っていました。
わっと泣き伏す町子。

秋田中尉は娘の顔も見ないまま逝ってしまったのでした。


雨の中、娘を背負い、秋田の遺品を持って帰っていく秋田の妻。


その後ろ姿を沈黙して見送る隊員たちでした。


翌日も雨で、またもや出撃は中止となります。


読書、腹筋、工芸品作り、一人トランプ、お酒を飲む・・・と、
隊員たちの過ごし方は様々です。



「明日は雨と出ている」

トランプ占いするのは野口中尉(西田昭市)。

西田昭市は、俳優というより声優として「刑事コロンボ」「サンダーバード」
「キャプテンスカーレット」など、海外作品の吹き替えで活躍しました。


ところが、松井中尉がだらだらと喋るうち、深見中尉の怪我について、

「うまくやったな、怪我が治るまで女と楽しめる」

などと要らんことを口走ってしまいます。



「何っ?・・・もう一度言ってみろ」

構わずヘラヘラと松井が差し出した盃を叩き落とし出ていきます。

「あいつ、内心ほっとしてるんじゃないか」

尻馬に乗る北と松井を嗜める大瀧中尉に、


「散る桜 残る桜も 散る桜」

したり顔の山本中尉(沼崎勲)。
沼崎勲は本作公開の年、過労による心臓麻痺で早逝(37歳)しています。


「死ぬ方が楽なこともあるさ」

そこに笠原中尉が、戦艦大和が撃沈されたニュースをもたらします。


「まさか、あの不沈戦艦が」

「間違いない、今通信室で聞いてきたんだ」


「聯合艦隊全滅じゃねえか」

「俺たちもここらが死に時やな」


降り続く雨。
何をすることもなく沈んだ気分で皆が酒を飲んで過ごしていると、
下士官たちの部屋で騒ぎが起こりました。



彼らの乱闘の原因は実にやるせないものでした。
一人が「明日は雨だ」と言い、もう一人が「明日は晴れる」と言って、
それから取っ組み合いが始まった、というのです。

田中中尉(織本順吉)が、お互い地獄の釜の底まで一緒に行く運命、
せめて生きている間は仲良くしようじゃないか、と二人を諌めます。



翌日はついに晴れました。



「おい、雨あがったぞ!」

「来た・・・!」



今日も富代の部屋で朝を迎えていた松井中尉は、



彼女が眠りから醒めないうちに部屋を飛び出します。
というか、この時点で遅刻しそうになっていたのでした。


宿舎まで全力疾走。



皆、起きるなり飛行服に着替え、そのまま飛行場に向かうようです。
朝ごはんも食べないし、歯を磨いたり顔を洗ったりしないのか。

これは流石に映画上の表現だと思いたいなあ・・・。


ところがその時またしても命令が変更になりました。
出撃の規模が小さくなったため、
予備士官からは松井と笠原中尉だけが出撃となり、
大瀧と北中尉は出撃を逃れたのです。



しかし、その松井中尉はまだ帰ってきていません。
大瀧中尉は、自分が代わりにいかせてください、と頼みますが、
隊舎を見回して松井がいないのに気づいた村山大尉は、

「何、あいつまた抜け出したのか・・・まあ帰ってくるさ」

と楽観的です。


そして、皆がトラックで飛行場に向かおうとしているとき、
なんとか松井中尉は宿舎にたどり着きました。


敬礼をする松井中尉に村山大尉は、

「心残りはないか」

「ありません!」

「よし、かかれ!」



宿舎に窓から飛び込んで超高速で身支度を整える松井中尉を、
隊舎に残っていた深見中尉が黙って手伝います。

そして、彼が装具を身につけ終わると、


「松井、昨日は・・・・」

「いやあ、俺が悪かった。一足先にいくぞ!」


松井中尉は黒板の「雨降ってまたまた一日生き延びる」の句を消し、



「深見、戦争のない国に行って待ってるよ」

とにっこり笑って窓から姿を消しました。


最後に地上で挨拶を交わす笠原中尉と松井中尉。


二人が出撃していった夜、残った予備士官たちはこんな会話をします。

「俺たちは地獄へ行くのか、それとも極楽か」

「そりゃ極楽さ。国家のために死ぬんだから」

「地獄だとすれば特攻隊も考えもんだなあ」

「馬鹿、そういう考えのやつが地獄行きだ」



卵に二人の似顔絵を描いた絵の得意な北中尉。
オルガンも弾いていたし、芸術方面に多才な人のようです。

「おい、笠原、松、お前たち今どこだ。地獄か極楽か」

指で弾くと、松井の卵が床に落ちました。



「松の野郎、2度も玉砕しやがった」

皆一瞬笑いかけて、すぐその笑いを引っ込めます。



続く。



映画「ザ・ダイバー」Men of Honor 後編

2025-02-01 | 映画
実在したアフリカ系の海軍ダイバー、
カール・ブラシア上級曹長(最終)の伝記映画、
「ザ・ダイバー(メン・オブ・オナー)」の続きです。

カール・ブラシア

ブラシアを演じたキューバ・グッディングJr.は、この翌年あの世紀の怪作、
「パール・ハーバー」に出演して、やはり実物のドリス・ミラー曹長を演じ、
「出演者の中で一番演技がまともだった」と言われることになります。

当作品でも2000年度の最優秀俳優賞にノミネートされましたが、
この頃は若かったのでまだそれほど有名ではなく、
だからこそロバート・デ・ニーロを無理やり投入したのでしょう。

大俳優の威光が生む一種のケミストリーが本作品を底上げした感はあります。

ただ、残念なことにデニーロの演じる架空の人物、サンデー曹長、
この人の「やりすぎ感」が何かと前面に出過ぎだと思いました。

最初は人種差別的嫌悪から黒人部下を排斥しようとした上官が、
途中からは自らを犠牲にしてまで積極的に彼を支えるというのは
映画にはありがちな展開なのですが、ありがちすぎて陳腐ですらあり、
この極端な行動を無理やりデニーロ一人に詰め込んだ結果、
彼の人物像は奇怪なものとなり(デニーロの演技はそれでもさすがですが)
よくわからないメンヘラ妻の存在とともに、本来称えられるべき
カール・ブラシアの実際の人生を霞ませることになっています。

蛇足ついでに、わたしが本作の演出で許せなかったのは、
ブラシアが潜水学校の宿舎に入ると、白人学生が全員バラックから出てゆき、
残ったのがウィスコンシン州出身の白人だったという設定でした。

ブラシアともう一人の学生が宿舎に二人きりになったというのは実話ですが、
一人残った学生は白人ではなく、ブラジル系でした。

ブラジル系も白人にとっては「カラード」です。
ブラシア以外に潜水学校にいたカラードを登場させると、
ブラシアの苦難が強調できないと考えた結果かもしれません。


奇怪な人物といえば、潜水学校の司令官である「ミスター・パピー」
というあだ名の大佐は、いわば「ブラシアの絶対的な敵」として登場します。

「ワシントンに行くはずが、ネジの緩んだスチュードベイカー
(アメリカの車)であることがバレてここに飛ばされた」


という噂のあるこの大佐、これがいつも司令塔の上から見張ってるんだよ。
なぜ「いつもか」というと、司令塔に住んでるから。

飼っている犬を部下に散歩させ、ロープをつけたバケツで上まで引き揚げる。
部屋では真っ赤なガウンを着込んで何故かクリスタルグラスを磨いている。

この、いろんな意味でやばい気しかしない老人が、サンデーを呼びつけ、

「自分がここにいる間は黒人のダイバーは出さん」

と念を押しました。



それを受けてサンデー曹長は、ブラシアに
明日の最終試験には司令の命令で合格できないから休めと言いにきます。

入所時、嫌がらせの貼り紙をしたのも実は彼でした。

怒ったブラシアは、あなたは過去の栄光にすがっているだけ、
と、思わずサンデーの痛いところを突いてしまい、
激昂したサンデーに、父からもらったラジオを叩き割られてしまいます。



翌日の試験は、水底にある部品を拾って鉄管を水中で組み立てるというもの。
空気は送られますが、水温は低く、過酷な環境です。



説明が終わった時、休めと言ったはずのブラシアが現れました。
登場シーンが何故かスローモーションです。

来てしまった者を参加させないわけにもいきません。



全員が同時に入水して試験が開始されました。

課題は、水中で部品を組み立て、できたらそれを引き揚げさせること。
受験者が水底で部品と探照灯を発見したら、
工具袋をリクエストし、桟橋から投下されることになっています。



ブラシアは一番に部品を見つけたと連絡してきましたが、
マスターチーフは、監視塔から司令が目配せしたのを見て、
ブラシアの工具袋をテンダーに切り裂かせ、一番最後に投下させました。

やっと受け取った工具袋から、工具はほとんど流出しています。
それに気づき絶望するブラシア。



1時間37分でロークが一番に組み立てを終わり訓練を完了、
程なく二人目、と次々に上がってきました。

しかしブラシアはこの時点でまだ工具をかき集めています。



4時間で終了した者は、寒さで顔色が変わり、肩で息をしています。
水の中は身を切られるような冷たさだと彼は報告します。



ブラシアが上がってこないまま、夜になってしまいました。



彼の同僚たちも桟橋に集まってきます。



そしてなぜかブラシアの妻まで・・。
この人が潜水学校内に入ってくるのはまず不可能なはずですが。
しかも、彼女は誰から聞いてこの事態を知ったの?



その頃、水中でブラシアはガタガタ震える手で組み立てを試みていました。
平常ならばすぐできることが、凍えていてうまくいきません。



その時司令塔のパピー(笑)から電話がかかってきました。

「奴が動きを止めるまで引き揚げるな」

それはつまり死ぬまで放置しろって意味でよろしいでしょうか。



マスターチーフは司令を無視して、もう諦めて上がってこいと説得します。
それに対するブラシアの返事は、

”My name is... Boatswain's Mate.. Second Class C, C, Carl Brasier.
I am a Navy diver. "

うーん、実に感動的なシーンだ。
感動的だが、なんだろうこの気恥ずかしさは。

この返事が正常な状態から発せられたのではないと判断したんでしょう。
ちらっと司令塔の上を見やったマスターチーフ・サンデーは、

「引き揚げろ」

この命令を受けて真っ先に駆け出したのは、あのローク兵曹でした。


「やめないとクビにするぞ!」

目を血走らせてそれを阻止しようとする司令。
(だから字幕、マスターチーフは特務曹長じゃないっつーの)

しかし誰一人としてこのおっさんの命令に耳を貸さず動き出しました。
いくら相手が黒人でも、さすがにこれはやりすぎってやつです。



ブラシアを引き上げようと皆が位置についたときです。
水中から組み立てられた管が上下られてきました。
ブラシアは課題を完成していたのです。



さっきまで自分を白い目で見ていたはずの同僚が、
引き揚げに手を差し伸べ、口々に声をかけてきます。

ロークによってヘルメットを外されたブラシアは、
ガチガチと音を立てて震えていました。

そのとき・・・。



「二等掌帆長カール・ブラシア、9時間31分、組み立て完了」



ブラシアは半年間の訓練過程を終了し、学校を卒業しました。
卒業の日、潜水学校に復帰したスノウヒルから、サンデーが司令に睨まれ、
降格させられて潜水学校を首になったことを聞かされます。



複雑な気持ちのブラシアが見つけたものは、
サンデーが激昂して叩きつけた父親のラジオ。
それはすっかり修復されて音も出るようになっていました。

そして、修復前は彫り込まれていた『ASNF』の文字の下に、新たに

「A SON NEVER FORGETS」(忘れられぬ息子)

という言葉が付け加えられていたのです。


そしてそれから何年か経ったあるニューイヤーズ・イブ。

ただでさえ年齢のわかりにくいアフリカ系で、さらに実際に若いキューバが
髭を蓄えただけなので最初は全く経年を感じませんが、実はこの間、
ブラシアはサルベージダイバーの試験に失敗して一度潜水資格を失い、
努力して再び二等潜水士の資格を取り直すという苦難を経ていました。

「ミスターネイビー」というあだ名で呼ばれていたブラシアは、
アイゼンハワー大統領のヨットの警護チームに参加、
戦艦「アリゾナ」の海中調査と遺骨の調査、記念碑の建造に携わり、
潜水脱出装置「スタンキーフード」の開発者スタインケ(Steinke)中尉の下で、
このフードを着用した初めてのダイバーにもなっています。

というわけで、この時点では妻から妊娠を告げられ、超ハッピー。



そして同日、こちらは海軍主催のニューイヤーズイブパーティ。



「ホイスト」の副長だったハンクス少佐が機嫌よくテーブルを囲んでいると、
後ろから無礼にも肩を突っつく下士官、サンデーの姿が。

「Auld Lang Syne and all.」

ご存知のように「オールド・ラング・サイン」は
(日本語では『蛍の光』)「久しき昔」という意味があります。

「全くお久しぶりね、ってやつですな」

って感じかな。

自分を降格させた少佐に嫌味を言い、美人の妻を見せびらかして悔しがらせ、
さてこれで気が済んだのかと思ったら、


次の瞬間ブチギレて相手に飛びかかりました。
まあ、酒癖悪いってやつですわ。

士官と下士官が同じ会場でパーティをしているという状況も不思議ですが、
(同じ艦でもない)降格された恨みで上官を殴る下士官って実在するのかな。

しかも彼は2回降格されていて、もし恨みを持つなら、ハンクスよりは
潜水学校教官をクビにした司令の方じゃないかと思うんですが。


彼は上官暴行罪で二等曹長に降格、半年の減給と2ヶ月の謹慎に処されます。
なんと、三度目の降格なのにまだアウトじゃないんだ・・。

と思ったら、更なる衝撃が。



ここで場面は映画冒頭の裁判所待合室に戻るわけですが、


これ、上官暴行事件の怪我じゃないんですよ。全くの別件。

AWOL(Absent Without Leave、無断外出)をやらかして、
海兵隊に殴られ、殴り返したので処分を待っている状態でした。


この事故は、1966年1月17日に起こりました。

スペイン沖で爆弾の回収作業に投入されたのはUSS「ホイスト」。
そう、ブラシアが最初にコックとして勤務した艦です。
実在の「ホイスト」はサルベージ艦なので、ダイバーが常駐しています。

ちなみにこのとき衝突したのは、

B-52Gストラトフォートレスと、

KC-135Aストラトタンカーでした。

この事案はアメリカ軍の決めるところの「ブロークン・アロー」案件、
=核兵器事故として最優先で対策が行われることになっていました。


そして驚いてはいけない、「ホイスト」の艦長はまだプルマンでした。
現在35歳のブラシアが海軍で最初に配属された17年前も艦長だった人です。

海中のブラシアに、

「なんとか爆弾を見つけて、私を死ぬまでに提督にしてくれ」

なんて言ってますが、17年前に大佐なら、なれるものなら
もうとっくに提督になって退役しているはずです。

これを「火垂るの墓『摩耶』艦長在任長すぎ現象」と(わたしは)呼びます。


「何か金属片が・・・コークの缶でした」

「拾ってこい、チーフ。海は綺麗にな」

などと和気藹々と捜索中、警報音が鳴り出しました。
艦長はすぐさま潜水艦、しかもソ連のであることを推測します。

核戦略機の事故と海中の爆弾はニュースになっていましたから、
それを受けてソ連側が何か行動を起こしても全く不思議ではありません。


しかし艦長の呼びかけにブラシアは答えている場合ではありませんでした。
迫り来る潜水艦から逃げるため海底を走って(歩いて)いたのです。
しかしこれ、徒歩で逃げてもあまり意味なくないかなあ。

案の定、フィンがケーブルを引っ掛け、彼は潜水艦に引っ張られますが、
ケーブルは切れる前に無事艦体から離れ、迫り来るスクリューからも逃れ、
ブラシアは無事に海底に叩きつけられました。



しかも、解放し倒れ込んだその場所に彼は例のブツを見つけたのでした。

水爆は実際には事故から80日後、深海探査艇「アルビン」が発見、
「ホイスト」によって潜水艦救難艦「ペトレル」に引き揚げられました。



爆弾の回収に貢献した功績で、ブラシアはのちに勲章を与えられています。

そして、この作業中、あの運命的な事故が起こるのです。
wikiより、このときの事故状況を書き出してみると、

1966年3月23日の爆弾回収作業中、吊り上げケーブルが切れ、
USS「ホイスト」の甲板上でパイプが激しく跳ねた。

ブラシアはそこにいた乗員を突き飛ばして救ったが、その結果、
左足の膝下に切れたケーブルが直撃し、その組織を破壊した。
衝撃で彼の体は宙に飛び、甲板から投げ出されそうになっている。



すぐさま病院に搬送されたが、持続的な感染症と壊死に悩まされ、
最終的に左下肢を切断することになった。



サンデー曹長がカールの事故のことを知ったのは、
サンデーがアル中のリハビリ施設で妻に愛想を尽かされかけているときでした。


入院中のブラシアのもとに送人不明の冊子が送られてきました。
片足を戦闘で失いつつ義足で現役復帰している搭乗員を扱った記事を読み、
ブラシアはダイバーに復帰の決心を固めます。



その希望を上層部に訴えるも、ペンタゴンの人事製作委員会の委員になり
今や大佐に昇進して得意の絶頂のハンクスが現れてダメ出ししてきます。
この海軍同じ人物との遭遇率高すぎ。

ブラシアはそれに対し、

「怪我した脚を切断して義足にし、リハビリして復帰を果たします。
12週間後の判定会議で現役が可能であることを証明しますから、
その時には私をマスターチーフにしてください」



嫁はもちろん猛反対。

息子の存在を盾に退役を迫ってきますが、彼の決心は揺るがず、
ついに部屋を立ち去ってしまいました。

そしてブラシアは、自分の意思で脚を切断し、義足を装着しました。
(というのは映画の創作で、実際は壊死で切断するしかなかった)


ブラシアの装着した義足

実際のブラシアのトレーニングシーンをどうぞ。



ブラシアはその間、潜水学校で陸上訓練の指導をしていたそうですが、
学生たちは当初誰も彼が義足であることに気が付かなかったそうです。

ランニングの後、義足に血溜まりができていることがあっても、
彼はそれを知られないように、病院に行かず、人目につかないように
塩を入れたバケツに脚を浸して苦痛を我慢していました。


マーク5潜水服をつけて訓練用プールから上がるブラシア。

この時、彼はノーフォークの潜水学校の主任となっていた
かつての同級生に頼み込み、そこで訓練させてもらっていました。

同級生は今や特務士官として学校を率いていたのですが、
彼のキャリアに影響を与えるかもしれないこの申し出を、
快諾とは言わないまでも、引き受けて許可しています。



映画に戻りましょう。

思うようにいかないトレーニングに苛立つブラシアのもとに、
ふらりとコーンパイプを咥えたサンデー曹長がやってきます。

「やあ、もう切断しちまったか、クッキー」

クッキーというのは最初からのサンデーが使うブラシアへの呼び名で、
これは彼が最初キッチンのコックだったことからきています。

それにしてもこの男、あれだけやらかしてまだ海軍にいられるのが不思議。



しかも、ハンクスが判定会議でブラシアを失格にし追い出す気だ、
と、どこからともなく情報をゲットしてきて、さらには
留まるためにはワシントンの海軍人事を動かせ、と知恵をつけるのです。



彼の入れ知恵で、メディアに情報を流して世間の注目を集めた上で、
「英雄」ブラシア曹長は公平に人事局長を加えた聴聞会で評価されるべきだ、
という世論形成を行い、内々に処分しようとする企みを打ち砕きます。

このとき、彼はハンクスに長年の恨みから嫌味を言うのを忘れません。

「脚を失ったおかげで、彼は英雄です。”サー”」

どうして三度降格された一介の曹長が上層部を動かせるのか謎ですが、
それはやはり彼がロバート・デ・ニーロだからに違いありません。


「だがブラシアが失格したら君もやめろ」

そんな人事、大佐でも自分勝手に決定できないぞ?



その日から訓練は二人三脚になりました。
この映画のような(映画だが)訓練風景をご覧ください。

それにしてもサンデー曹長の現在の所属ってどこだろう。
(しょぼい潜水学校、と本人は言っていたけどそんなものあるのか?)


そして聴聞会の日。
海軍裁判所の廊下を颯爽と歩く二人の姿がありました。
このときのキューバとデニーロのオーラがすごい。(歩調も揃ってる)

ちな現在サンデーは二等軍曹(E-6)であり曹長のブラシアより二階級下です。


しかしながら、サンデーは入廷を許されません。


ブラシアの仰々しくすらある敬礼に鼻白んだ風のハンクス大佐は、
室内での敬礼をするのは陸軍だけだ、などと言いますが、

「すみません。しかし私が勤め上げてきた海軍では、
この日の重大さを考えれば、敬礼に値すると考えます」

と即座に言い返し、さらには、

「若いダイバーについていけないだろう」

という大佐に、これも即座に、

「ついていけないと言うのは彼らが私に、ですか?」

医療官の義足では浮上しにくいという意見にも、

「溺れたら海軍軍人らしく頑張ってさっさと死にますよ」

と答えてハンクス以外の全員を味方につけてしまいます。



しかしそのとき、運ばれてきた新型潜水服を見て法廷は静まり返ります。
この130キロの潜水服を着て12歩歩ければ認めよう、とハンクス。

日を改めてと言いかけるハンクスに、ブラシアは今ここでやると宣言します。

ダイバーが130キロの装具で、大理石の床を12歩歩けるのか、
というと、それはもし両足があったとしても現実的には不可能でしょう。



外に締め出されていたサンデー曹長が乱入してきて、
そのテストはここでやるべきではない、と演説し始めます。

ワシントンからきたと言う人事の偉い人が、彼の名前を聞くなり言いました。



「レイテで『セント・ロー』から泳いで脱出した男か。
4分息を止めたとか」

「5分です」

「ほう♡」


おじさんたちすっかり伝説の男サンデー曹長の虜です。
悪い噂は伝わっていないと見えますね。


そして、君の海軍でのビジネスは、とハンクスが言いかけると、

「失礼ですが、私にとって海軍はビジネスではありません。
我が国の最も優れた面を代表する人々の組織です。

我々には多くの伝統があります。
私のキャリアでは、そのほとんどに出会ってきました。
良いものもあれば、そうでないものもある。

しかし、私たちの最も偉大な伝統がなかったら、
私は今日ここにいなかったでしょう。」


「それではなんだと言うのだね、ブラシア曹長」

「名誉です。大佐」


我が意を得たり、と相好崩す壇上のオールドネイビーたち。


「義足で130キロの潜水服で歩くなんて、6歩で失神するぞ」

と今更言われましても。



しかも底意地の悪いハンクス大佐、普通二人に手を貸されて立ち上がるところ
一人で立たせろなどと言い出すではありませんか。
海軍の規定では手を貸すべきところですが、ハンクス大佐ったら、



「今は真鍮ではなく銅だし、改訂されたマニュアルによると、
ダイバーは自力で立てること、となっている」


そしてその書き換えを行なったのは自分だ、と得意げ。
なら仕方ないね。自分で立ちましょう。


渾身の力を振り絞り、立ち上がったブラシアに、
2階級下のサンデーが命令を下しました。

"Navy diver, stand up!
Square that rig and approach the rail."


(ネイビーダイバー起立、索具を確かにレールに向かえ)



そして、ダイバーは歩き出しました。


途中明らかに足の痛みで身体をよろめかせたブラシアに、
ハンクスが中止を命令しようとしますが、
それを提督たちが手で静止します。

9歩目からのサンデー曹長のセリフです。

「ナイン!
ネイビーダイバーは戦闘要員ではなく、サルベージの専門家である。

テン!
水中で失われたものは見つける。
沈没していれば、それを引き上げる。
邪魔なら移動させる。

イレブン!
運がよければ、波の下200フィートで若くして死ぬ。
ネイビー・ダイバーになりたがる奴の気が知れん!

さあ、このラインまで来るんだ、クッキー!」



本気で感動してしまうアドミラルズ。


涙に塗れた顔のブラシアに、ハンクス大佐は宣言せざるをえません。

「アメリカ海軍は誇りのもとに以下宣言する。
シニアチーフ(曹長)、ダイバー、カール・ブラシアの現役復帰を認める」


字幕では一等軍曹となっていますが、それは
「シニア」の付かないCPOを指しますので、間違いです。



「これで辞められる」

とブラシアは言いますが、彼の妻はもうそれは望んでいませんでした。
実際彼がマスターダイバーの資格を取るのはこの後なのです。

事故から4年後、彼はマスターダイバーとなり、その後
海軍に9年間勤務し、1971年、40歳でマスターチーフに昇進しました。

そして、法廷を出る前に(室内で)敬礼するサンデーに


こちらは無帽で敬礼を返してしまうブラシアでした。
まあ、この場合帽子はヘルメットってことになるから無理か。

というわけで当作品、海軍エンタメとしてはなかなか優れていますので、
細かいことが気になりすぎる方でなければ十分に楽しめると思います。
機会があればぜひ。

終わり。