ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

呉地方総監部自衛隊記念日式典と懇親会

2019-10-31 | 自衛隊

呉地方総監部で殉職自衛官追悼式に参列した翌日は、
自衛隊記念日に伴い行われる感謝状贈呈式と懇親会が予定されています。

昨日羽田空港に到着したときには豪雨の降る荒天で、出がけに
一旦部屋に戻ってレインコートを羽織ってきたわけですが、
追悼式の間、お天気は曇り気味といえなんとか持ちこたえました。

さらに夜には降り出し、次の早朝にもまだ降り続いていたため、
傘をトランクから出して用意していたら、開始時刻前には抜けるような青空が!

今回は練習艦隊のお迎えから始まって、雨の方が回避してくれているという感じ。
昔はわたしが呉に行くと必ず雨が降るというジンクスがあったのですが、
ついにこれを克服する日がやってきたようです。

少しだけ早めにホテルを出て、アレイからすこじまに車を走らせました。
昔からの赤煉瓦の倉庫街が残されている街並みと、潜水艦基地。

呉に車で来ると必ず一度はここに立ち寄ることにしています。

このレンガの建物はかつての呉海軍造兵廠、呉海軍工廠のさらに前身が
ここにあった1897~1903(明治30~36)年建てられたものばかりです。

窓枠などはアルミサッシに変えられていますが、基本昔のまま。
かつては海軍工廠の電気部がここを使用していたということです。

煉瓦の建物の並びには普通にコンビニがあるのが日本らしいですが、
このコンビニのウィンドウにこんなポスターが貼ってありました。

劇画「アルキメデスの大戦」

が映画化されるという話は実は昔に関係者から聞いていたのですが、
私がアメリカにいる間に公開も終わっていたので驚きました。

で、山本五十六が舘ひろしですって・・・(ざわざわ)

映画化されたら笑福亭鶴瓶そっくりの造船会社社長鶴辺清は
絶対本人が演じるだろうと思っていたら、やはりそうでした。

不思議な縁というのか、鶴瓶さんのお舅にあたる人は、
戦艦大和の菊花紋章の金箔を貼る仕事をしたらしいですね。

コンビニに車を止めさせてもらい、水のボトルなど買ってから、
写真を撮るために道を渡ってアレイからすこじまの桟橋前にきました。

アレイとは英語のAlley(細い道)の意味があり、「からすこじま」は
昔ここ呉浦にあった周囲3~40mの小さな島の名前だそうです。

烏小島は大正時代に魚雷発射訓練場として埋立てられて無くなりましたが
名前だけがこのように残されています。

この桟橋は「男たちの大和」の大和出航のシーンのロケが行われました。
映画のセットとして警衛ボックスが立っていましたね。

 

桟橋にはれレールの跡のようなくぼみが突堤の先まで続いています。
映画では、この先にあるポンツーンから大和乗員が船に乗り込んでいました。

潜水艦のむこうにみえるのは潜水艦救難艦「ちはや」です。
潜水艦救難艦はDSRVを内臓するためのウェルを内部に持つので
前から見ると艦橋の幅が広く、ほとんど船殻と同じなのが特徴です。

この日は土曜日なので、流石の潜水艦もお休みなのでしょうか。
岸壁には当直らしい士官と海曹がいますね。

4隻が係留されていますが、全部「しお」型です。

これも「しお」。
川重で建造されたことを表す丸いセイルのドアを開けていると、
ここが耳とか目とかにみえて可愛らしいです(萌)

「かが」のこちら側の艦番号229は護衛艦「あぶくま」です。

航行中の民間船は呉の貨物船、「山城丸」。

潜水艦の向こうに見えている2隻は掃海艇だと思いますが、
だとすれば「あいしま」「みやじま」でしょうか。

ところでわたしはその奥の艦影と番号をみて驚きました。
二日前、横須賀で遠洋航海からの帰国をお迎えしたばかりの「かしま」です。

帰国行事をおこなった次の日1日で横須賀から母港に戻っていたのね。
二日前に見たばかりなのにこんなすぐに再会できるとは。

ここからは見えませんが、同じ練習艦隊の「いなづま」も一緒に帰ってきて
呉港のどこかに錨をおろしているのでしょう。

アレイからすこじまで艦ウォッチを堪能していたら、ちょうど良い時間となり、
自衛隊記念日式典会場である呉教育隊に移動しました。

この建物は旧海軍時代からのもので、おそらくは倉庫だったのだと思いますが、
今でも使っているのかどうかはわかりませんでした。

ここに来るたびについ写真を撮ってしまう旧兵舎跡。

呉鎮守府開庁と同時に創設された呉海兵団の兵舎として建てられ、
戦後の進駐軍による接収を経て、変換された後は自衛隊が使用し、
東京オリンピックの年には水泳チームの強化合宿宿舎になったりしました。

その後は呉地方隊史料館として一般にも公開されていましたが、
平成16年の台風18号に被災し、建物は破損してしまいます。

明治38年の芸予地震でも昭和20年の呉大空襲でも被災したものの、
持ち堪えていた建物が、老朽化もあってついに保存不可能になってしまいました。

しばらく被災した建物はそのまま放置されていたようですが、
平成20年になって海上自衛隊の機動施設隊の手で解体撤去されました。

その際、入り口の部分だけを建築当時と同じ場所に残すことが決まり、
往時をしのぶよすがとしてその姿を留めています。

受付では懇親会の会費三千円を支払い、入場します。
昔は無料でしたが、確か今年の4月1日付けで飲食を伴う会は料金徴収になりました。

これについては様々な意見があると思いますが、かねがね
自衛隊のお振舞いによる飲食については、豪華であればあるほど、
税金でここまでしていいのかな〜?と心配だったわたしとしては賛成です。

壇上には政治家などが座り、前方に自衛官という式典会場の配置です。

来賓より自衛官を前に、追悼行事で献花の順番を先に、という
「自衛官ファースト」の傾向は
少なくともわたしが呉地方隊で定点観測する限り、
ここ最近顕著になってきていますが、
自衛隊内で行う行事において
主体はあくまでも自衛官となるわけで、来賓は
それを見てもらうために招待する、
という本来の趣旨を考えると、これも正しいと思います。

式典が始まりましたが、いかんせんわたしのところからは
自衛官の頭越しにこのような光景が垣間見えるだけでした。


杉本呉地方総監は、挨拶冒頭、台風19号の犠牲者に対し哀悼を捧げられました。
大きな災害があると、式典やそれに続く祝賀会は全て謹慎ムードになり、
乾杯も自粛、おめでとうも禁句となってしまうのが昨今の風潮ですね。

もちろん災害発災と同時に大量の人員を現地に派遣し、今もまだ被災地で
活動を続けているという自衛隊側のこういう配慮はもっともですが、
一方、日本のようにしょっちゅう災害の起こっている国では
いちいち自粛していたらきりがないんじゃないか、と思ったりもしました。


れはともかく、杉本総監は、我が国を取り巻く安全保障状況について
「差し迫った脅威」「力を用いた一方的な現状変更」という言葉を用い、
ますます海上自衛隊の日頃の備えと即応力が問われていることを強調しました。

また、杉本総監によると、令和元年の今年は呉鎮守府が開庁して130年目。
海上自衛隊呉地方総監部は、そのちょうど半分の長さにあたる
65年前に誕生したという節目の年なのだそうです。

ちょうど半分といっても、実は終戦から10年間は進駐軍が駐留していたので、
内訳は

海軍=55年、進駐軍=10年、自衛隊=65年

となります。
自衛隊は
いつの間にか旧海軍の歴史を超えたんですね。

自衛隊記念日の恒例行事として、自衛隊に貢献のあった一般人に
感謝状が贈られる表彰式が行われます。

今年は「呉海自カレー」事業が、自衛隊の広報に多大な貢献があった、
ということで表彰されていました。

この追悼式の前日も呉ではカレーフェスタが行われいてたようです。


そして最後に呉音楽隊が演奏を行いました。
一曲目の「海をゆく」は歌なしの演奏でしたが、

♫ おお 堂々の海上自衛隊(じえいたい)

の部分では、周りから一緒に歌う小さな声が聴こえてきました。

式典が終了すると、隣の体育館に移動し、通常は祝賀会になりますが、
今年は「懇親会」として、
乾杯も献杯もないまま開式となりました。

が、自衛隊側の配慮にもかかわらず(笑)壇上で挨拶をした来賓も、
紹介された来賓も、普通に「おめでとうございます!」と叫んでいました。

いつも料理が豪華なことで定評のある呉地方隊の懇親会ですが、
舟盛り(鯛のお頭つき)は最前列のテーブルだけです。
それでも練習艦隊の関西寄港艦上レセプションとは違い、舟盛りはもちろん、
料理が空になるのを最後まで見ることはありませんでした。

元海上自衛隊出身者や支援者、関係者ばかりの会場のせいか、食べ物より
本来の目的である社交が中心という、日本のパーティでは稀な例となり、

わたしもこの日は元から顔見知りの方、思いがけず再会した方、
初めてご挨拶させていただいた方と話すうち、あっという間に時間が経ちました。

とはいえ、やっぱり外せないのが海軍カレーの味見ですよね。
この日会場で振る舞われたのはとてもまろやかな味のビーフカレーでした。

配膳してくれていた自衛官は、わたしがカメラを向けると
おたまを持つ手をピタリと止めてポーズ?してくれました。

この日会場には特別に借りてきたという呉の歴史写真パネルが展示されていました。
昔の写真と海軍の歴史には目のないわたし、狂喜です。

まず130年前の開庁時の軍港全図と呉鎮守府オープニングスタッフ。

現在の呉地方総監部のあるところにはかつて亀山神社がありましたが、
鎮守府建設のため遷座したという歴史があります。

左下が開庁当時の鎮守府庁舎です。

今の中通を知っていると、海軍のあった昔の呉の方が
よっぽど街として賑わっていたのではないかと思われます。

人が車に乗らず全員歩いているのでそうみえるだけかもしれませんが。

現在の庁舎が完成したのは1907年(明治40年)のことです。
当時の庁舎には地下があったという話ですが、今はどうなってるのかな。

呉在住の人にはこの写真が今のどこかわかるのでしょう。
海軍だけでなく、東洋でもトップクラスの規模を誇る
海軍工廠があったのですから、街も繁栄していたと思われます。

今も残る「大和の大屋根」建造中の貴重な写真(右上)。
繁華街では水兵さんが肩で風を切るように歩いていました。
街中に海軍旗がはためく「海軍の街」の様子が偲ばれます。

終戦間際の数次にわたる大空襲で呉は壊滅的な被害を受けました。

長らく閉鎖されていましたが、池呉地方総監時代に整備され、
一般に公開された呉鎮守府の地下壕は、英連邦占領時代、
電話交換所と通信連隊の司令部として使用されていました。

占領後に使用するため、連合軍は海軍の建物をほとんど破壊しませんでした。

左下の緑の部分は呉地方総監部のグラウンドと同じ場所でしょうか。

壇上で挨拶される杉本呉地方総監。

歴代地方総監や水交会元会長が紹介されました。
ここにいる紳士方のほとんどはかつての海上自衛隊の将官です。

左に見切れているのが今メディアでご活躍中、「伊藤提督」ご夫妻。
その右側も元呉地方総監です。

ところでわたしは杉本地方総監にご挨拶する機会に、兼ねてから気になっていた

「杉本総監の楽器歴」

について伺ってみました。
前回の呉地方総監部主宰観桜会で、自衛艦旗降納の際、
喇叭譜「君が代」を女性海曹と一緒に演奏して皆を驚かせた杉本海将ですが、
もし全くラッパの経験がなかったらあんな無謀なことを思いつくまい、
とわたしは当時から確信があったので、そこのところを確かめてみたのです。

結果はビンゴ。

やはり杉本海将、小学校4年から5年まで、吹奏楽部で
トランペットを吹いていたことがあると白状?されました。

「(あれに懲りずに)こっそり練習してまたチャレンジしてください!」

と心の底から力一杯激励させていただきましたが、さて、
地方総監の強権発動によって、
杉本海将がラッパ手の仕事を奪う日は
果たして再びやってくるのでしょうか。

乞うご期待。


続く。



令和元年度 自衛隊記念日 殉職自衛官追悼式

2019-10-29 | 自衛隊

 

横須賀で練習艦隊の帰国をお迎えした翌日、わたしは4時起きして
朝一番の広島行きANAに乗り込み、そこからはえぐり込むように、
殉職自衛官の追悼式、呉地方総監部の自衛隊記念日式典、そして
江田島の第一術科学校でのオータムフェスタを全てこなすという、
自衛隊追っかけイベントを全てこなしました。

そのツァーの合間を縫って練習艦隊帰国行事の写真現像とブログの
二日分をなんとか仕上げることができましたが、そこで気力が尽きたため、
広島での行事については家に帰ってきてやっと着手できたしだいです。
コメントへのお返事も滞ってしまい、大変申し訳ありません。

 

ところで、ツァー移動中に知人の元自衛官が、前回のブログ最後の記述、

「練習艦隊解散後の赴任地までの交通費は自費かどうか?」

について元経理補給幹部であるその方の同僚に聞いてくださったのですが、
その返事は

「時代により種々解釈はあるものの、解散〜休暇先は私的なので支給なし、
休暇〜赴任地は支給されるというのが基本である」

ということだったそうです。

「じゃつまり普通に支給されていて、わたしがお話を伺った方の息子さんは、
たまたま横須賀勤務なので出なかったってことなんですかね?」

と聞くと、そうではないかとの答え。

ところがunknownさんにいただいたコメントは、こうでしたよね。
unknownさんもどなたか中の人に聞いてくださったようでしたが、

「遠洋航海が終わった時点で休暇で、明けに着任という扱い」

「だから任地まで自腹」

つまりこちらは遠洋航海〜任地の移動は「休暇に行って帰ってきただけ」という解釈。

でも、聞いたところによると解散地の横須賀から任地までは即日移動らしいですから、
つまりそこに休暇はまったく挟まれていないということになりませんか?

だいたいごく普通に考えても佐世保や北海道(函館にも基地がありますからね)まで
自腹ってのは、あまりにも関東圏勤務の人に比べ不公平すぎない?
いくら釣った魚に餌はやらない自衛隊でもこれはないのではないかという気がします。

ちなみにunknownさんはご自身のことについては

「昔は遠洋航海が終わった時点で発令で、旅費はもらえた気がします

とおっしゃっていますが、この元自衛官氏は

私自身ですが、確かにこの時期は給料と手当てが手付かずで残っている、
生涯でもっともリッチな時ですので、
赴任旅費がどうこうなんて気にもしてませんでしたねー(๑・̑◡・̑๑)」←文字化け済

つまりこちらは全く覚えていないというわけですわ。

これだけ情報が錯綜していて当事者の記憶が曖昧な事例も珍しいんですが、
この件を明確にする中の人のタレコミがぜひ欲しいところです。

さて、一連の自衛隊記念日行事が開始されるのは今年は10月25日。

わたしが20年前、三日三晩聖路加の出産室で過ごした末、(普通は1日)
外に出るのを嫌がる息子を七転八倒しながらなんとか世に送り出した日ですが、
そんなことはどうでもよろしい。

この日はかつて日本海軍が初めて組織的な特攻隊を出撃させた日で、
初の特攻隊長関大尉の故郷松山市でいわゆる五軍神の慰霊式が行われます。

5月の金比羅神社で行われた掃海隊殉職者追悼式に参加したとき、
慰霊式の執行役?をなさっている元海将とお近づきになったご縁で、
10月25日にはぜひ参列させていただきたいと思っていたのですが、
今年は自衛隊殉職者追悼式と重なったのでそちらは見送ることになりました。

 

今回は長丁場で江田島訪問の予定もあるので、荷物の置き場や交通の便等、
様々なことを勘案した結果、レンタカーを借りての呉入りです。

呉地方総監部の表門、つまり海側の方のゲートを通るとき、

「追悼式出席なのですが、レンタカーなのでナンバー告知してません」

というと、それだけであっさり入れてくれました。

横須賀はその点厳しくて、事前にナンバーを通知していない車両は
絶対に入れてくれません(そう招待状に書いてあった)。

今回わたしは、練習艦隊帰国行事のために届ける車のナンバーを、
アメリカにいるときにTOに聞かれ、寝起きだったためか、
忘れないように海軍記念日と同じに設定した527をなぜか528と口走ってしまい、
横須賀基地で名簿とナンバーの照合をしていた警衛の自衛官に

「(ナンバーが)一つ多いですね」

と笑われ、つい、

「人に書類を任せたもので・・・」

ととっさにTOのせいにして誤魔化しましたが、名簿の名前はかろうじて
間違っていなかったため、追い返されることにはなりませんでした。

まあ、横須賀と違って、呉にはそこまでピリピリするほどの脅威もない、
ということなんだと思います。

入場後は自衛官の指示に従ってグラウンドに駐車します。
停めたのは呉教育隊の訓練で使うカッターのデリックが並ぶ岸壁でした。

真っ先に気がついたのは、長らくここからの眺めにいやでも入り込んできた
ピンクの巨大船が完成したらしく、いなくなっていたことです。

残る1隻はまともな色の船に隠れて煙突しか見えません。

あれはワン・グラースワン・コルンバという14,000トンクラスのコンテナ船でしたが、
あんな大きなものでも半年くらいで完成してしまうと聞いて驚いたものです。

会場の慰霊碑前にはテントがしつらえてあり、その横にはすでに
参列するためにだけそこにいる自衛官たちが整列しています。

立ってじっとしているのも仕事とはいえすごいなあと思いながら
ぶらぶらと彼らの後ろを歩いてテント下に行こうとしたら、

「先に受付をお済ませください!」

と追いかけてきた自衛官に声をかけられました。

ちょうどわたしの座っている席の横の一団は、こんな早くから待機して
式の進行に沿って敬礼したり気をつけしたりしていましたが、
つまり2時間近く同じ場所で立ち続けていたことになります。

その間、普通の人のように決して体の芯がぐらぐらしたりせず、
さすがは日常鍛えているだけのことはあると内心感嘆しました。

来賓席には政治家、歴代呉地方総監、水交会や家族会のトップ、
防衛団体代表、そして基地モニターの代表などが前から順に座ります。

今年出席された歴代地方総監は、30代谷氏、31代山田氏、34代道家氏、
43代池氏といった方々でした。

いつもお顔を拝見する方が見えなかったりしましたが、それはこの日、
自衛隊記念日行事がいろんなところで行われていたためです。

ほとんどの元司令官は何箇所かを週末に転々とされたのではなかったでしょうか。

殉職自衛官追悼式の式次第はこのようになっています。

殉職隊員の霊名を記した礼名簿は、式の最初に呉地方総監が奉安し、
式の間慰霊碑の前に座していただいている状態で、最後に降納を行います。

呉地方総監は恒例の追悼文を捧げますが、その文中にある

「尊い任務を遂行して亡くなられた自衛官は、家庭にあっては
掛け替えのない夫であり、兄弟であり、そして御子息でした」

という一節を聞くと、いつも胸にこみ上げるものを感じます。


まるで隠し撮りしたみたいですが、そうではありません。

わたしは現地の写真を撮るためにカメラを一応持参していたのですが、
式の最中の撮影は厳に慎み、席を立つ度にカメラを座席に置いていたら、
献花で立ち上がり席に置いたときに指が当たってシャッターが切れたらしく、
あとで見たらこんな写真が撮れていたのです。

席についてから、自衛官から耳栓を渡されました。

「弔銃発射のとき大きな音がしますので・・・」

おお、なんという心遣い。
しかし、まわりの元自衛官のお歴々は、

「こんなの要らないよね」

といってほとんどが使用されていませんでした。
わたしも何度か弔銃発射を経験しているので、根拠なく大丈夫な気がして
使わなかったのですが、最初の一発目、衝撃の凄さに思わず飛び上がりそうになり、
甘く見ていたことを思い知らされました。

弔銃発射は伝統に則って、まず「命ヲ捨テテ」が捧げ銃の状態で演奏され、
そのあと同じメロディがアップテンポで繰り返されるのと交互に
空砲が合計三度発射されます。

続いて「慰安する」という曲が始まると呉地方総監杉本海将が献花を行い、
全員が一人ずつ前に出て霊前に白菊をたむけていきます。

献花の順番は、地方総監に続き遺族の方々、政治家、歴代総監。
そのあとが例年と少し違っていて、部隊指揮官、幹部、海曹、海士代表と
自衛官が一般人より先になっていました。

 

そして呉音楽隊の追悼演奏では、一曲目の「海ゆかば」のあと、
トランペット奏者が「巡検ラッパ」を吹鳴しました。

アナポリスの見学記で、アメリカの巡検ラッパである
「タップス(TAPS)」の響きを聴くとき、候補生たちは誰しも
この国を思い、この国のために戦って斃れた命について思いを馳せる、
という卒業生の言葉を紹介したことがあります。

自衛官たちもまた、この三音で構成された静かなメロディを聴くとき
生きている自分と彼岸の人々を繋ぐ同じ防人としての思いを想起するのかもしれません。

巡検ラッパはラストトーンが途切れると同時に行進曲「軍艦」へと変わりました。

 

国旗が降下されてから、最後に遺族の代表の方が挨拶をされました。
代表に立たれたのは去年と同じ女性です。

「国を守るという尊い任務のためとはいえ、愛するものを失ったことは
筆舌に尽くし難い悲しみがございました」

「皆様のお力をいただき、悲しみを乗り越え、元気に生きていきます」

挨拶の中の言葉も、去年とおそらく寸分違わぬ同じものでありましたが、
却ってそれが何年経とうと身内の死が風化することなど決してないのだという
遺族の方々のやるせない思いを表している気がしました。

そして令和元年度の追悼式が終了しました。

遺族の方々は歴代地方総監、呉地方総監部幹部とともに記念写真を撮り、
その後は一緒に昼食を囲む会が催されたそうです。

 

わたしはホテルのチェックインまで時間があったので、
知人を呉駅まで送って行ってからクレイトンホテルで昼食を取りました。

クレイトンホテルは海自とのコラボメニューが充実しています。
その前日横須賀港でお出迎えした「かしま」カレーは豪華な牛タンカレー。

ヘリ搭載型護衛艦「かが」カレーはビーフカレーですが、なんと
それにカツが乗っているというこれでもかの力技カレー。

味の調整を「愚直たれ」で行うことになっています。

そうそう、その「愚直たれ」ですが、「かが」の味調整としても、
がんすバーガーのソースとしてもまだまだ現役です。

「愚直たれ」は、その生みの親である池太郎元呉地方総監によると、
なんと、今年になってから商標登録されていたのです。

商標登録検索 

(当確ページがでなければ、「愚直たれ」を入れて検索してください)
これによると、出願されたのは池総監が在任中の2018年12月19日、

商標登録は今年の7月12日、権利者は呉地方総監とあります。

海軍のポストが権利者となって商標登録を行うなど、世界ではどうだか知りませんが、
少なくとも
我が国では鎮守府開庁以来の歴史でも初めてのことに違いありません。

というわけで、最初はがんすバーガーを食べようと思ったのですが、
この衝撃的な写真とコンセプトに激しく惹かれたわたしは、
海自とは関係ありそうでなさそうなクレイトンホテルオリジナルの
潜水艦カレーを頼んでしまいました。

 運ばれてきたものを見てわたしは思わず息を飲みました。
それほどまでにそのビジュアルは潜水艦と海を忠実に再現していました。

潜水艦は黒い、黒いは潜水艦、潜水艦は沈む、沈むは潜水艦。

といわれるくらい黒いのが当たり前の潜水艦ですが、まさかイカ墨で
これを実際に表現してしまうとは。

そして、海は海でもこれは絶対にフィジーとか地中海とかだろー、
というくらい、エメラルドグリーンを通り越してマラカイト色の海。

この色の正体は最後までわからなかったのですが、食べてみると味は
いわゆるココナッツの効いたタイカレーです。

青い海には泳ぐちりめんじゃこまでいるという念の入れよう。
で、意外なことですが、この潜水艦カレー、マジでおいしかったです。

インスタ映えどころではないインパクトなので、もし皆様、
クレイトンホテルのCôte d'Azurで昼を食べることがあったら、
ぜひこのマラカイトカレー、試してみてください。

あ、おやつなら愚直たれ使用がんすバーガーをオススメですよ!←配慮

 

カフェ入り口には「華麗なる愚直たれ」ポスターを始め、各種海自シリーズ認定証などが。
呉という街が海自とともにあるということを改めて実感させていただきました。

 

 

続く。

 

 


令和元年度 海上自衛隊練習艦隊帰国行事 その2

2019-10-27 | 自衛隊

令和元年の練習艦隊が遠洋航海から帰国し、帰国行事が滞りなく終了しました。

式の最後に梶元司令、艦長高梨一佐、國分二佐、新幹部代表に対し
花束が贈呈されました。

あとは山本防衛副大臣が退場していくのを待つのですが、ここで
山本副大臣が予定にない行動をとりました。

マイクもなかったのでわたしのいるところからは全く聞こえませんでしたが、
新幹部、練習艦隊乗員の家族が多くいる席に向かって歩いていき、
そこで急遽自衛官の家族に対する謝意を述べたようです。

それらの進行状況を確認している梶元司令。
その他艦長と新幹部たちは微動だにせず正面を向いて整列したままです。

渡邊横須賀地方総監も、大臣旗を持つ旗手も、副大臣の予定にない行動に、
即座に何事もないように対処します。

さらに山本副大臣、招待客の一部と握手などしながら退場。
大臣が退場して初めて式は終了となりました。

岸壁では海幕長や艦隊司令に挨拶をしたり、記念撮影をしたり。
大きな旗を持って参加していたのは横須賀水交会の皆さん。

このチャンスに、わたしも海幕長と練習艦隊司令にご挨拶ができました。

そしてここからは練習艦隊の遠洋航海の終わりを締めくくる「かしま」からの下艦、
そして海軍時代から伝統の帽振れというセレモニーに移ります。

艦隊司令、両艦長が舷門手前にまずスタンバイ。

下艦する新幹部は順次一列で舷側を行進してくるため、一旦
後甲板で整列待機しますが、ここで何かあったようです。

笑い声と拍手が起きました。
こちらからは何が起こったのか確かめようがありませんでしたが、どうも
仲間の一人がうっかりしてどこか別のところにいってしまったとか、
なんかそういうミスをして、頭をかきながら戻ってきたように見えました。

こういう様子から垣間見えるのは、彼ら全体の仲間意識とか空気です。

昔海軍兵学校で毎年学年ごとに全く生徒の雰囲気が違い、「お嬢さんクラス」とか
「ネーモー(獰猛のこと)クラス」とかいうあだ名があったように、
幹部候補生学校もその年によってカラーがあるのは当然です。

今年の期生を艦隊司令が大阪の壮行会でくしくも言い表した

「行き足がある」=元気で明るい

という言葉を思い出させた瞬間でした。

行進曲「軍艦」の調べに乗って行進が始まりました。
ただし今回の「軍艦」は、横須賀音楽隊がすでに本日の任務を終了し
帰ってしまったため、艦内スピーカーから流れるCDです。

舷側に立つお見送りの幹部たちは、先頭の人がやってきてから最後まで
敬礼の手を降ろすことはできません。
いつも見ていて手がだるくならないのだろうかと心配になります。

敬礼をしながらまっすぐ歩いてきた新幹部は、艦長と艦隊司令の前で
立ち止まり、激励を受けます。

そしてラッタルの上で自衛艦旗に向かって敬礼をし、
それから150日あまりを過ごした「かしま」を後にするのです。

岸壁には東京地本の職員も馳せ参じ、激励していました。
ちなみに横断幕のトウチくんはゆりかもめですよー。

長きにわたる遠洋航海で得た様々な思い出、
そして
これから始まる自衛官としての勤務に対する期待と不安。

それらに対する思いとともに彼らは「かしま」を後にします。

幹部の家族たちは、ラッタルがよく見えるところで我が子やきょうだい、
あるいは孫が降りてくるのを見守ります。

我が子の名前を大きく書いた「おかえり」の手作りのバナーを
このようにずっと高く掲げている家族もいました。

海軍式敬礼もすっかり板について。

希望の部隊配置になったかどうかは皆それぞれです。
帰国直前、彼らは配置の発表を聞いたばかりなので、
希望の配置だったかどうかは悲喜交交のはず。

ずっと見ていたら、自衛艦旗ではなく艦首に向かって敬礼する
何人かがいたので、不思議に思いました。

あの一団だけ何があったのでしょうか。

「かしま」乗員が「ご安航を祈る」の信号旗をウィングにかけました。

「ご安航」にはすなわち新しい配置に船出していく新幹部たちの
「航海」が順調でありますように、という意味が込められています。

この頃になると列が全く進まなくなり、後ろの方の幹部は、敬礼したまま
見送りの乗員らと足踏みしながらずっとお見合いしている状態になります。

まだまだ長丁場なので、わたしはちょっとだけこの場を離れ、
「かしま」艦首の方に行ってみることにしました。

「かしま」艦体は入港前に手入れを行ったのか、とても綺麗でした。

「いなづま」は遠洋航海中のサビが目立ちます。
今年は去年のような幹部が随伴艦の前に行進していきそこでも帽振れをする、
というイベントは行われませんでした。

ああいうのは特にどうすると決まっているわけではなく、その年によって
アレンジが加わったりするものなのかもしれません。

「しらせ」の写真は撮っておかなくては。

「しらせ」は第61次南極観測協力で、11月中旬に出航、4月に帰国予定です。
観測隊員は飛行機でフリーマントルまでいき、そこで「しらせ」に合流。
約1ヶ月かけて昭和基地に到着するということです。

「しらせ」には越冬中に成人式を迎える隊員が必ずと言っていいほどいて、
彼らの成人式は雪原の上で行われることになります。

南極で成人するなんて体験、自衛隊に入らないとできるものではありません。

「かしま」前方の撮影を終わって帰ってきました。
幹部の離艦儀式はまだまだ続いています。

敬礼する後ろ姿も良いものです。

あらためて新幹部を送り出す艦隊司令の様子を見ていると・・。

両艦長はにこやかに敬礼する幹部を敬礼で送り出していますが、
司令は一人ひとりの手をしっかり握っていました。
時間がかかるはずです。

練習艦隊司令は、自分の元から巣立っていく新幹部が
自らが艦乗りの先達としてこの航海を通して示したことを
受け止めてくれたかを確かめるように、一人一人の目をしっかり見て、
どちらかというと厳しい表情で
彼らを送り出していました。

女性幹部の列がようやく見えてきました。

自分たちが送り出した若い幹部たちを艦上から眺める艦隊司令ら。

「帽振れ」

この伝統の帽振れをもって、彼らの遠洋航海実習は終わりを告げます。

梶元海将補、高梨一佐、國分二佐も帽振れ。

 

さて、ちょうどこの後、わたしの横に一人の女性がたち、
声をかけてこられました。

「ブログをやっておられる方ですか?」

見知らぬ方に当ブログのことをいきなり聞かれたとき、わたしは
予想外のことが起こったときの人間が本能的に取る典型的な
フリーズ状態におちいり、とっさに何のリアクションもできなくなります。

「は・・・」

フリーズしているわたしに、その方は確信を持って

「エリス中尉・・・ですよね」

その固有名詞が出るからには何かの確たる証拠?があるに違いない。
こんな場合に人間が取る典型的な次の行動として、わたしは
目の前の人物と過去の自分の接点を情報を総動員して知ろうとします。

そしてその結果、その方の下げているタグに目を止めました。

「ご家族の方ですか?」

その方によると、今回実習幹部として遠洋航海に参加された息子さんは
海自の艦乗りでおられた父上の影響で強く志望して自衛官になったので、
母親としては海上自衛隊のことをもっと知りたいと、当ブログを読んで

「勉強していました」

という大変もったいないお言葉です。

ただ、防大生や自衛官の子女を持つ親御さん読んで下さっていた、
という例は過去何度か体験しているので、そのことには驚きませんが、
問題はなぜわたしをブログ主だと特定したかです。

その方によると、江田島の卒業式でも同じ横須賀の出航行事でも、
わたしに声をかけようかと迷っておられたそうで、詳しく特定の
決定的な理由までは聞きませんでしたが、おそらくは写真の画角とか、
現場でニコンのカメラを持っていたとか、時々アップする
集団写真から判断されたのでありましょう。

さらに驚いたことに、その方にはまるで歳の離れた姉妹にみえるほど
そっくりなお嬢さんがいて、彼女は技官として陸自に勤務中。
かつて護衛艦勤務でおられた夫君、とまさに「国防一家」ではないですか。

そんな方々が「ストーカーするほど」(ご本人談)ブログ主に関心を持って
読んでくださっていたとは、まさに冥利につきるというものです。

艦橋ウィングからは「ご安航」の信号旗が消え、その代わりに
「かしま」乗員が激励の自衛艦旗をうち振っていました。

公式に下艦した新幹部たちが荷物を出すためにまた艦内に戻っていき、
今度はこの航海のあと「かしま」を降りる乗員とのお別れです。

こちらも「帽振れ」。

もちろんまだ「かしま」に残る乗員もいます。
知人が聞いたところによると、今回帰ってきた乗員の中に、
来年の世界一周となる遠洋航海にも参加する予定という人がいるそうです。

この中の何人かは来年の遠洋航海にも参加するのでしょうか。

練習艦隊司令部もいよいよ退艦です。
まずは「かしま」艦長、「いなづま」艦長。
ただし、二人が両艦の艦長でなくなったというわけではありません。

各艦長とも任期は1年なので、遠洋航海が終わってしばらくすると
次の艦長に任務を交代することになります。

こちらでは段ボールに入った荷物を下ろす作業に入っています。

声をかけてくださった当ブログ読者の息子さんは、荷物を
着払いで(笑)実家に送ってくる予定だということですが、この段ボールは
実家だったり、新しい任地に向けて配送されるものでしょう。

幹部たちは艦を降りるとその日のうちに新任務地に移動します。
その息子さんの勤務は横須賀基地の艦艇ということでこれは最もラッキーな例。

中には横須賀から北海道まで移動しなければいけない人もいますし、
自分の乗る艦艇がたまたま地方にいれば、そこまで追いかけていくそうです。

「変な話ですが、そこまでいく交通費は出るんですか?」

「全部自費なんですよ」

まあそのためにお給料ももらっているわけですが・・。

練習艦隊司令官梶元大介海将補が副官とともに下艦します。
練習艦隊司令官の任期は1年で、12月の辞令で着任しますから、
梶元海将補も今年の12月中旬まではまだ「艦隊司令」のままです。

遠洋航海について報告し次につなげるための提案を行う任務がまだ残っているのです。


ちなみに、声をかけてくれた方の息子さんである新幹部の遠洋航海を終えての感想は、

「すっげえ楽しかった!!」

だったそうで、何よりです。

こういう話を聞くと本当に嬉しくなりますね。

この息子さんはもちろん、ご縁あってここまで見届けた本年度の新幹部たちに、
これからの自衛官人生に幸あれと心からエールを送らせていただき、
令和元年度練習艦隊帰国行事のご報告に替えさせていただきたいと思います。


*おまけ*

この日横須賀から有料道路に乗ると、料金所で

「後ろからエライ人の車が来るからね」

と言われました。
合流地点でふとバックミラーを見ると、黒塗りの車が後ろを走っています。

即位礼で来日中のアメリカ政府関係者が、米海軍基地を訪問していたのでしょう。

 

 

 

 


令和元年海上自衛隊練習艦隊 帰国行事 その1

2019-10-25 | 自衛隊

わたしが江田島の卒業式に出席し、将官艇でお見送りをし、そして
神戸港への入港をお迎えし、大阪と神戸と横須賀でレセプションに出席し、
雨の横須賀で見送った令和元年卒業の新幹部たちが、約半年の航海を終え、
また横須賀に帰ってきました。

ここ何年か練習航海関連行事には参加していますが、これほどまでに
フルで立ち会った期はわたしの追っかけ歴でも初めてです。

御代が平成から令和に代わり、今上天皇が即位礼正田の儀において
日本国の内外に即位を宣明されてほんのすぐ後、
練習艦隊は横須賀に帰港し、帰国行事が行われました。

この日お話しさせていただいた新任幹部のご家族によると、
練習艦隊は一度着岸してからまた沖に出ていたそうです。

まさか接岸の訓練のためってことはないと思いますが・・・。

先日観艦式が中止になったあと行われた一般公開できたばかりの
ここ横須賀基地逸見岸壁にわたしが到着したのは、
式の行われる1時間前くらいだったでしょうか。

幹部の家族はかなり早くから基地内に入場し、
「かしま」艦内を見学させてもらうことができるようですが、
このころにはすでに幹部が岸壁に降りる準備を始めました。

「かしま」から行進曲と共に降りてくるのは、ラッタルが危険なので、
(たぶんね)ヘリパッドのある付近岸壁から行進してくるようです。

儀仗隊が定位置に着き、準備を始めました。

左のお髭の海曹は海幕の先任伍長ではなかったかと記憶します。

  

儀仗隊は海曹と海士で構成され、ほとんどがセーラー服の海士ですが、
各列の左端は4人とも海曹です。

これは、横一列の

分隊海曹1、海士8

合計9名がワンセットでこれを一個分隊とし、こういう礼式では
4個分隊で儀仗隊を構成することになっているからなのです。

今回の儀仗隊には女性隊員は入っていないようです。

この時間にはまだ招待出席者はほとんど来ていないので、
この間にせっせと会場の写真を撮ります。

「かしま」と「いなずま」の間には「しらせ」がいます。

幹部や隊員の家族の椅子席はこの一角です。
座らずに招待者席の後ろで立って見ている家族もいます。

実はこの日、横須賀は大変な強風が吹き荒れていました。
後ろの「いなづま」の自衛艦旗を見てもおわかりでしょうが、
どのくらい強かったかというと、プリーツスカートを着てきたのと
髪の毛を纏めなかったことを心から後悔したくらいです。

練習艦隊が一旦沖に出たのは、強風のせいだったのでしょうか。

「かしま」マストには練習艦隊司令官である海将補を表す
桜二つの海将旗が揚っています。

横須賀音楽隊がスタンバイしました。
風が強いのでほとんどの人は帽子の顎紐を下ろしています。
ところで女性隊員の帽子に顎にかける紐はついていないようですが、
風の強い艦上などでどうしているのでしょうか。

音楽隊の演奏は儀仗礼や観閲などの礼式曲以外では、
「聖者が街にやってくる」と、エドワード・バグリーの
「国民の象徴」二曲だけが待っている人たちのために演奏されました。

自衛隊音楽隊は何かというと最初にこの「国民の象徴」を演るのですが、
途中に「星条旗よ永遠なれ」がちらっと顔を出すので、
もしかしたらアメリカ海軍関係者が出席するときには必ず演奏する、
というきまりでもあるのかもしれない、と思います。

わたしのように早く来て会場の様子を観察するという目的でもない限り、
招待客は皆開始ギリギリに会場入りします。
特に最前列は国会議員などの席なので始まるまで空いたまま。

このころから袖線の太めな自衛官が次々と入場してきました。

招待客の前を通るとき、彼らは職務上顔見知りの多い招待客の前で
立ち止まって挨拶をしていきます。

前列はまだガラガラですが、新任幹部の行進が始まりました。

数ヶ月前、同じ岸壁から出航し、各地で様々な体験を重ねてきた新幹部たち。
今年は大きな事故もなく無事で帰ってこられてなによりです。

行進と整列も遠洋航海の間数え切れないくらいくり返したせいか、
明らかに出発前、神戸で見たときよりも『こなれ』が感じられます。
一人ひとりの重ねた経験が生む自信が、その姿勢にわずかながら
余裕のようなものを与えているのかもしれません。

彼らのほとんどが胸に緑と白の徽章を付けています。
どこかの国でもらってきたものでしょうか。

ほひーほ〜〜〜〜〜♪

とサイドパイプが鳴り響きました。
練習艦隊司令官と「かしま」「いかづち」の両艦長下艦です。

全体の一割いるという女性新幹部も整列を行いました。
右端に見切れているのはタイ王国からの留学生です。
ここのところ連続で、タイ留学生が遠洋航海に参加しています。

わたしの前には第七艦隊司令官マーズ中将が座っておられ、
ときどきこのような親密さを自衛隊の将官に表していました。

マーズ中将はまだ9月に第7巻隊司令になったばかりなのですが、
この写真だけ見るとずいぶん昔から旧知の仲だったみたいです。

マーズ中将の向こうにいるのは女性の副官で、前第7巻隊司令と同じく、
中将も通訳の女性を同行していました。

前司令は通訳を後ろの席に座らせ、同時通訳させていましたが、
今回至近距離にいたのをいいことに会話を耳ダンボにして聴いていると、
通訳の女性は、

「ウィリアム、わたしは向こうからインターカムで話しますから」

みたいなことをいって、副官と一緒に全く別のところに座りました。
インカムで同時通訳を行うというのもですが、通訳が仕事相手を
ファーストネームで呼んでいたのにもちょっと驚きました。

アメリカ人でも「お堅い」人はミスターとかタイトルで呼ばせますが、

「コールミー、ウィリアム」

と本人が言えば、そこから先はファーストネーム呼びになります。

司令官と両艦長が立ち、帰国式典が始まります。

最前列の国会議員などが全員到着し、防衛副大臣が到着するまでの間、
皆は不動の姿勢で待ちますが、この時の梶元海将補はバッチリカメラ目線(笑)

まず、無事で帰ってきたことを報告する「帰国報告」が行われます。

そして、到着した防衛副大臣がまず「栄誉礼」を受けます。
栄誉礼は、この日のように音楽隊がいる場合は、黛敏郎作曲の

栄誉礼「冠譜」及び「祖国」

が演奏されますが、たとえば自衛艦上でラッパしかいない場合は

らっぱ隊100名による栄誉礼  -陸上自衛隊第1師団らっぱ隊 / 練馬駐屯地創立記念行事2016

最初だけ同じのこの曲が吹鳴されます。

そして巡閲のときも、幹部たちは全員行われている方向を向いて
敬礼を続けますが、なぜか海曹がこれを行いません。

何かちゃんとした意味があるのだと思いますがいつも不思議です。

栄誉礼と巡閲を終え、防衛副大臣がやってきました。
第4次安倍改造内閣の防衛副大臣は原田憲治氏に代わり、
1975年生まれと若い山本朋広氏です。

副大臣の後ろを歩くのは横須賀地方総監、渡邊剛次郎海将。

ここからは来賓の挨拶と訓示など。

山本議員は、あるとき海上自衛隊の海外派遣部隊で護衛され、
本当にあの時は心強かった、という一般人からお礼を言われた、
というご自身の体験を紋切り型ではない言葉で語りました。

さすがは政治家だけあって、カンニングペーパー一切なしです。

山村海幕長の訓示は、紙に書かれたもので、

「諸君は夕日に映える広大な太平洋に心奪われ、時には荒れ狂う厳しい海を体験したであろう」

「本日からそれぞれ部隊勤務へと旅立つことになる。
海上自衛隊の全ての活動の基本が海の上であることを念頭に置き、
遠洋航海で学んだことを生かし」

といった、なんか去年も聴いたなー的な素晴らしい内容です。

しかし、遠洋航海は毎年何かしら違うイベントがあるので、
こういう挨拶はある叩き台があってそれを毎年微調整しているのです。
今年の訓示には

「日本人移民120周年となるペルーなどを訪問し、パラオなどでは激戦地を巡り、
戦争の歴史と日本人としての自分を再認識したことだろう」

という一文が添えられていました。

本年度の練習航海での訪問国は11か国に上ったそうです。
来賓には外務大臣政務官も来られ、主にそういうことについて
外務省の立場から労いと感謝を述べました。

続いて来賓の紹介です。
政治家は三浦のぶひろ、迫真くん、須藤元気(敬称略)ら。
わたしの前は第三管区海上保安本部長でした。

本部長は、

「お疲れ様でした!現場でお会いしましょう」

と挨拶をされ、おお、と思いました。

今年9月に着任したばかり、ウィリアム・マーズ中将。
アメリカ海軍も司令官配置はだいたい2年くらいで交代するようです。

マーズ中将は潜水艦出身だそうで、横須賀では第7艦隊の
潜水艦隊司令官としての経験もあるそうです。

続いて、司令官、艦長、幹部代表に花束贈呈が行われました。

笑顔で花束を受け取る梶元大介海将補。

「かしま」艦長、高梨康行一等海佐。

江田島出航の際「かしま」の錨が泥に埋まり動けない状態から
前進と後進をかけて抜け出した時のお話にはしびれました。


何度かの壮行会やレセプションで言葉を交わした顔も見えます。
日本への帰国直前、自衛官となって歩む進路を決めるともいえる
最初の配置発表があり、この日横須賀で帰国行事を終えると同時に
それぞれの任地に向かうのです。

 

続く。

 


「あさひ」のスマホ収納庫〜2019年度観艦式中止に伴う一般公開

2019-10-24 | 自衛隊

天皇陛下の即位の礼、みなさまご覧になりましたでしょうか。

朝から降り続いた陰鬱な雨が、式典の始まる少し前から晴れたことに、
人智を超えた神秘的な力を感じた方は多かったでしょう。

巷にこれを「天皇晴れ」と呼ぶ向きもあるそうですが、
わたしはやはり天照大神の御意志を思わずにいられません。

このような奇跡のような存在である象徴を戴く国に生まれたことを
こころから嬉しく、有り難く感じさせてくれた一日でした。

 

さて、今日こそは最終回の観艦式中止に伴う艦艇一般公開シリーズです。
9時前から船越に始まり逸見の基地を4時間休みなしで歩き、
さすがのわたしも疲労を覚えつつ最後に乗艦した三隻の護衛艦。

「はるさめ」の甲板を舷側に沿ってできた列に並びながら歩いていたとき、
となりの「あさひ」艦橋の窓に人影を認めました。

一人の海曹さんが見学客の現在状況を確認しているようです。
理由はすぐにわかりました。

なかなか前に進まない列に粛々と並ぶ多くの乗艦客に向けて、
「あさひ」艦橋ではウィングからパフォーマンスを行うことにしたようです。

先ほど来客状況を確認していたのとは違う海曹がMCを行い、
「総員起こし」に始まるラッパの展示を行いました。

終わると、

「みなさま拍手をお願いします」

というコールに対し、並びながら皆素直に拍手を送ります。
続いて「食事」のラッパに続き、アナウンスの人が

「それでは陸自の食事のラッパをお聴きください」

予定になかったのか、ラッパ手は一瞬え?とためらっておられましたが、

「どっどどどっど みっみみみっみ どーみどーみそっそっそー」

「みなさん、こちらはコマーシャルで聴かれたことありますよね。
そう、正露丸です!」(商品名バッチリ)

正露丸はもともと日露戦争のとき「征露丸」(ロシア征伐のお供という意味)
として売り出されたもの、ということをこの海曹くんは知ってるかな?

続いて、「課業はじめ」、そして、ラッパ的に難しいらしく、
時々失敗してしまうこともある「出航ラッパ」が演奏されました。

そのとたん、後ろに並んでいた女の人が、

「あ、この人上手い」

とわたしが思ったのと同時に言いました。

「ドミソドー、ドミソドー、ドミソドッミソッソソー」

という音形はゆっくり吹けばたぶんなんでもないのですが、
出航のシーンにちんたら吹いていてはいけない!と気が逸るのか、
たいていの人は急ぎ過ぎて失敗しているようにお見受けします。

【出港らっぱ10連発】いろんな護衛艦の「♬出港よ~い!!」集めてみた

ちょうど面白い(そして画質がいい)出航ラッパ特集を見つけました。
初ラッパなのか超失敗して動画を撮っている人が笑ってしまっている艦あり。(-人-)

「あさひ」のこの上手なラッパ手さんはベテランの余裕でしたが、
誰でも最初に吹く出航ラッパは、とにかく緊張するものとお察しします。

ところでこのビデオで一番上手いの、みなさんはどの艦だと思われますか?

わたしは決して速すぎず、最初のドミソが潰れず、最後のソーに伸びがある
「かしま」を推します。

「ふゆづき」は最後の「どみそどっみそっそそ〜〜」のあとの「ド」が
わざとなのか間違いだったのかで評価が分かれるところです。

 

「あさひ」の舷門にたどりつきました。
なぜ列がなかなか進まないかというと、ラッタルは安全上一人しか乗れず、
前の人が渡り切るまで待たなくてはいけないからでした。

就役してまだ1年半の「あさひ」の看板は木肌も新しい感じです。

新鋭艦だけに、舷門脇には電光掲示板があるという充実ぶり。
ちょうど「ださい!」となっていますが、狙ったわけではなく偶然ですよ?

近接武器システムは「むらさめ」以降一貫してファランクス。
本体の右側に見えているレンズ状のものは赤外線センサーです。

「あさひ」甲板から「はるさめ」甲板に並ぶ人たちを見たところ。
こちらより混雑しているように見えますがその通りで、「はるさめ」でも
艦内見学を実施していたため、艦橋に上る列の外側に
通過して「あさひ」に行きたい人の列ができていたからです。

 

「あさひ」の主砲はアメリカ海軍製のMk.45 5インチ砲。

自衛隊では「あたご」以降の汎用DD、つまり「あきづき」型、
この「あさひ」型(『あさひ』『しらぬい』)、そして
現在公試試験中の「まや」型にこのMod4を搭載します。

「あさひ」艦首部分。

せっかくここまで来たので、中も見学することにしました。
艦橋やその他の見学はできませんが、当たり障りのなさそうな食堂の階は公開しています。

現在はまだ2代目で余白の方が多い歴代艦長の名簿、そしてまだ艦歴は始まったばかり。

平成30年3月1日 第二護衛艦隊 第二護衛隊に編入

令和元年5月17日〜6月3日 日米豪韓共同訓練(PV19-1)

令和元年6月19日〜7月2日 G20大阪サミット支援

これだけです。

まだまだ廊下もいたるところに巡らされたパイプの類もピカピカです。

艦内神社の神棚も白木も芳しい状態ですが、写真に撮ってみると・・・

「あさひ」には御祭神がまだ座しておりません。

祖神のないままの神棚というのは初めて見たわけですが、
特に御祭神を定めず鏡を御神体としているとか・・・・?

休憩所の案内プレートは・・・大正モダニズム?

食堂を通り抜けるのになぜか列が全く動かず、時間がかかるので、
何があるのだろうと思ったのですが、本当にただみんな
中を通り抜けているだけでした。

休憩所として開放していたらしく、テーブルには何人かがすわっています。

ロッキードマーチン社では、弊社VLSをお買い上げくださった皆様に
もれなくVLS使用中の想像画を豪華額縁入りでプレゼントしております。

MK 41 Vertical Launching System (VLS)

ついでにRM社のVLSイメージビデオをご覧ください。

新鋭艦ならではの最新機器を発見しました。
ダイヤルキー付きのスマホ収納ケースです。

任務中スマホを持てないことが若い人の募集の支障になる、
という自衛艦勤務ですが、こんなふうにチェックしやすくなっていれば大丈夫。

・・・・かな。

格納庫には艦尾に揚げるための大きな自衛艦旗が
「撮影スポット」となっていました。

そこに現れたのが特別警備隊らしき隊員の皆さん。
警備と臨検などを行う特殊部隊なので銃を携えています。

観艦式が実施されていたら、特に旗艦には重点配備されていたのでしょう。

「あさひ」では、インスタ用ボード(手作り)を投入。
船務長がシャッターを押してあげています。

 そして、護衛艦艦上で入隊を決めたらしい若者が。
この日艦上でどれくらいの申し込みがあったのでしょうか。

この公開がすこしでもたくさんの募集につながったことを祈るばかりです。

「あさひ」からは「はるさめ」「たかなみ」の後甲板を通って退出します。

「はるさめ」格納庫内に飾ってあったバナー。
DSPEとは、

派遣海賊対処行動水上部隊 (DSPE)
Deployment Surface Force Counter Piracy Enforcement

のことで、「はるさめ」が参加したのは2009、2012、
そして一番最近では2014年でした。

ソマリアの海賊対処なので、髑髏をあしらったんですね。

ここにもインスタボードをスタンバイしている隊員さんがいます。
春雨さんボードも、ある種の人々に向けての広報効果を期してのことでしょうか。

ところでこの画面の左に写っている女性が持っているバッグは、
この日の「観艦式土産」ですが、これが非常にセンスがよろしくてですね。

このようなデザインの布巾でした。
船越と逸見、どちらでももらいましたが、いくつあっても困らないので大歓迎。

 その他、訪問した艦艇ではパンフレットと「艦艇カード」を配っていましたし、
「はるさめ」では、ファイルケースを全員にプレゼント中。

一人一つづつということなので、二種類のうち最初潜水艦柄を選んだのですが、
よく考えたら同じのを持っていたので、取り替えてもらおうと、

「すみません、やっぱりUS-2に変えてください」

と持っていくと、

「いいですよ、返さなくて。どっちもお持ちください」

と結局二種類頂いてしまいました。

 ところで、観艦式のチケットがオークションで売られているかどうか
確認するために某オクを知らべたら、なんとこのお土産バッグが
オークションに出され、それに何千円も出して落札している人がいました。

売る方の神経も買う方の意図も全く理解できないんですがそれは。

ところで、先ほど乗艦したとき給油作業を始めていた油船ですが、
「あさひ」艦上で見ると、給油の真っ最中。

そして艦艇見学を終えて出口に向かうころには、作業が終わり、
ちょうど給油ホースを片付けているところでした。

引き揚げながら真水をホースにかけて塩分を洗い落としています。

自衛隊には実にいろんな仕事があると基地を訪れるたびに思います。


こうして令和元年度の海上自衛隊観艦式は終わりました。

海上での観艦式が実施されなかったことは残念でしたが、
一堂に集まったこれだけの数の護衛艦を、いわば自分が観閲官となって
その全部を巡るなんて、通常の一般公開では体験できることではありません。

次回の観艦式の時に海上自衛隊がどうなっているのか、そのときには
どんな形で、どんな艦が、誰によって観閲されるのか。

そんなことを予想しながら待つのも、また一つの観艦式の楽しみと考えながら
横須賀基地をあとにしたわたしでした。

観艦式中止に伴う一般公開シリーズ 終わり。




「はるさめ」「たかなみ」そして「あさひ」〜海自観艦式中止に伴う一般公開

2019-10-22 | 自衛隊

さて、観艦式中止に伴い行われた一般公開の見学ご報告、最終回です。

観艦式の後、有本香さんの出演する「虎ノ門ニュース」に出演していた
佐藤正久議員が、この一般公開について、中止になったものの
たいへんな盛況であったと報告しておられました。

有本さんは実施されていたら「ちょうかい」に乗っていたそうです。
蛇足ながらわたしは予行演習には観閲付属部隊の「しもきた」、
そして本番と同じ「あけぼの」の券を持っていました。

今回青少年の応募に対しては優先的に枠を作っていたため、
ギリギリまで券が出てきませんでしたが、いつものように
ただで手に入れた乗艦券をオークションにかけて商売する輩が
いたのかどうか、今奥で調べてみたら、4件だけありました。

いずれも10月7〜8日の日付で、「むらさめ」「しもきた」「さみだれ」
の乗艦券に5万円の即決価格で出品したようですが、
なんとこれを実際に買った人がいた模様。

この頃にはもう台風は確実に来るということになってたはずなのに・・。

この日、3〜5万円で予行のチケットを買った人(少なくとも4人)は
せめてそのチケットで一般公開に見学に来ることができたでしょうか。

イージス艦「あたご」の正面からさらに向こうにも、
横須賀から出航する予定だった護衛艦が係留されています。

船越見学のあとここまでとほで来たため、かなり疲れていましたが、
「ちょうかい」の向こうの「フォーミダブル」を近くで見たかったので、
行ってみることにしました。

 

「ちょうかい」には前回の観艦式の時に乗っているし、もし一人だったら
外から写真だけ撮って済ませていたかもしれませんが、残念ながら?
この時にはやはりカメラ持ちの連れがいて、

「どうします?」

「やめときますか?」

「でも、フォーミダブルの写真を甲板から撮れますよ」

「あーそうですよね。じゃ行きましょう」

という同調圧力かつ自縄自縛的会話の結果、やめることもできず、
粛々と「ちょうかい」のラッタルを上っていきました。

「フォーミダブル」の写真を撮って甲板をぐるっと周り、
隣の「はたかぜ」に流れていく仕組みです。

イージス艦というのは甲板のほとんどをVLSのセルが占めるので、
前回の観艦式で乗った時もほんとうに居場所がなくて大変だった記憶があります。

あのとき後半からは左舷ウィングに陣取って艦橋で入港作業を見届け、終わってから
ウィングに出てきた「こんごう」艦長の写真を撮らせてもらいました。

昨日ご紹介したミサイル迎撃実験、「ステラー・ハヤブサ」では、
まさにここにあるセルから迎撃のためのVLSが発射されたわけです。

Japan Aegis BMD (JFTM-2) Stellar Hayabusa, B-Roll

悲しくなるくらいいいねの少ない動画ですが、それはともかく、
この動画に写っているVLSが射出されているセルとここが同じ場所だなんて、
ちょっと不思議な気がするのはわたしだけ?

「こんごう」型イージス艦のVLSセルは前甲板に29、
後ろに61、計90筒配置されています。

ちょうかい」も内部の見学ができたのですが、
「フォーミダブル」の写真を撮るために上がってきたようなものなので、
艦橋に続く列の外側を通り抜けました。

ここで、一人ならまっすぐ通り抜けて出てきてしまうところですが、

「降りますか。はたかぜよく知っているし」

「でも、はたかぜが見られるのって最後かもしれませんよ」

「あーそうですね。じゃ行きましょう」

という同調圧力かつ自縄自縛的会話の結果、やめることもできず、
粛々と「はたかぜ」へのラッタルをわたっていきました。

手前から「あたご」「こんごう」「むらさめ」の甲板。

「はたかぜ」というと、去年の海上保安庁での観艦式で、
白にブルーの巡視船や小さな巡視艇が一頻り続いた後、
現れたその艦体の大きさと威容に、胸を震わせたことを思い出します。

ところが、あのときあんなにも巨大に見えた「はたかぜ」が、
今回イージス艦と比べるとむしろ華奢で小さ句さえ見えるのに驚愕しました。

1986年に就役して今年で33年目の老艦である「はたかぜ」は
2020年に「まや」が就役すると同時に練習艦に種別変更され、
呉に行くことになっています。

「はたかぜに乗れるのは最後」

という想像は当たっているかもしれません。

「はたかぜ」とともに観艦式で祝砲を撃っていた「しまかぜ」は、
観艦式の後の15日と16日、このとなりの「ちょうかい」
そしてカナダ海軍の「オタワ」\(^o^)/とともに、
関東南方海空域において

日加共同訓練(KAEDEX19-2)

をに参加し、対潜戦訓練、対水上訓練射撃等を実施しました。

 

 

さて、そんなこんなであっというまに時間は1時をまわりました。
朝から歩きっぱなしで疲れてきたうえ、お腹が空いてきています。

正直「むらさめ」「こんごう」「あたご」を見るだけの気力はすでに残されておらず、
もし一人だったらここで帰っていたかもしれませんが、同行者との

「お腹空きましたね」

「足も痛くなってきました」

「でもやっぱり『あさひ』は見ておきたいですね」

「そうですよねー」

という同調圧力かつ自縄自縛的会話の結果、やめることもできず、
わたしは粛々と「たかなみ」のラッタルを上っていきました。

「あさひ」を見に行くのに艦上を通過させてもらったような感じです。
「たかなみ」さんと「はるさめ」さんには大変失礼なことをしてしまいましたが、
とにかく疲れていたのだとご理解ください<(_ _)>

「はるさめ」の溺者救助用人形をこんなところに発見。
やっぱり顔(しかもかなり上手いっぽい)が書いてある・・。

昼過ぎということで来場者が増え、舷側に沿って歩く見学者の列は
他の艦艇よりも進む速度が遅くなっています。

見学者はやはり若い男性が多いようです。

「はるさめ」舷側を歩いていると、発光信号のデモが始まるとアナウンスがありました。

前の列に従って黙々と歩くだけの時間なので、
このような広報イベントは皆が目にすることができますね。

「あさひ」の艦橋です。

そういえば、わたし建造中の「あさひ」の甲板を歩いたことがあります。
それがどうしたという話ですが、体験航海の護衛艦「あきづき」が佐世保に入港したとき、
なぜか「あきづき」は岸壁でなく「あさひ」に接舷し、中を通って下艦したので、
おかげで初めて「あさひ」に乗艦した一般人になれたというわけです。



ところで我が国が「あさひ」という名前の護衛艦を持つのは初めてではありません。

USS Amick (DE-168).jpg「あさひ」

連合国占領下、日本に海上自衛隊の前身である海上警備隊が創設された際、
アメリカ海軍から周辺警備のために貸与された艦艇のうち、

キャノン級護衛駆逐艦

USS 「アミック」(Amick DE-168)

が「あさひ」型護衛艦「あさひ」となり、

 USS「アサートン」(AthertonDE-169)

が二番艦の護衛艦「はつひ」

として就役しています。

ちなみに「あさひ」も「はつひ」も自衛隊のあとは
フィリピン海軍に譲渡され、「あさひ」など、なんと2018年まで

「ラジャ・フマボン」BRP Rajah Humabon (FF-11)

として元気で働いていたそうです。

BRP Rajah Humabon (PF 11).jpgラジャ・フマボン

就役が1943年なので、なんと75年間現役だったことになります。
2017年には「きりさめ」と親善訓練も行ったそうです。

きっと「きりさめ」の乗員も、なんというか、爺ちゃんを見るような
温かい目でフマボンの戦術運動を見守ったんだろうなあ。

冗談抜きで、彼らのお爺さん世代が海上警備隊時代乗ってた艦なんだし。

あさひ」は5000トン型の「あきづき」型を基本としているため、
「たかなみ」「はるさめ」と並んでいても明らかに艦体の大きさが際立ちます。

ここでそれを検証してみましょう。

海上自衛隊の汎用護衛艦整備の歴史的にいうと、「はるさめ」は第二世代で、
4,400トン型、その後4,600トン型に増やしたのが「たかなみ」。
さらにそれから5,000トン型に大きくしたのが「あきづき」型であり、
「あさひ」はこの「あきづき」型と同じということになります。

左から第3世代、第2世代、そして第5世代の三種類。
少しずつ大きさが違う護衛艦が並んでいて大きさ比べができるという趣向です。

・・って、そこまで考えて並べたのではないと思いますが。

 

 

やっぱり最終回にならなかったのでつづく。

 

 


イージス艦とシンガポール海軍「フォーミダブル」〜2019年度観艦式中止に伴う一般公開

2019-10-21 | 自衛隊

海上自衛隊観艦式中止に伴う艦艇一般公開の様子をお話ししています。

ところで、このシリーズでわたしが「外国艦艇」についてアップした日、
滅多にブログアクセスランキングなど確認しないわたしが、たまたま
数字に目を止めたところ、289万2953存在するgooブログ中、
いつもは大体100位前後をウロウロしているアクセス順位が、
いきなり大躍進して17位になっていました。

こういう現象が起きるのは、必ず過去にあげたテーマが話題になったり、
映画やテレビドラマで取り上げられたりした時なのですが、
この日バズったのは一般公開について書いたページでわけがわかりません。

思い当たるのは、「外国艦艇」という言葉と、それから文中、
中国海軍を「人民海軍」と記し、また軍旗にある「八一」という文字を書いたことです。

検索ワードに「日本小人潜水艦」とどうも日本語でなさそうなのが
1件だけとはいえ混じっていたし、これってもしかして、
某国当局のネット検索に引っかかったのか・・・・・・?

それにしても一つの記事に一日で4千回を超えるアクセスがあるのは
なんだか不気味に思えて仕方ありません。

おまけに、その翌日(昨日ですね)はアクセスランキングこそ
30位台になっていたものの、くだんの「外国艦艇」のページは
アクセス数5623と、なんと前日よりバズっているではないですか。

怖いよ怖いよ(棒)

さて、「いずも」の見学を終え、次はその奥の突堤で全て公開されている
護衛艦群を見に行くことにしました。

岸壁に近い方から

「たかなみ」「はるさめ」「あさひ」

ほぼ同じ大きさの駆逐艦群が係留されています。

皆の注目となりそうな新鋭艦「あさひ」にはまだ
この頃にはあまり人の姿はないようでした。

反対側の岸壁には「むらさめ」と「こんごう」「あたご」。
この3隻の艨艟たちがもう壮観でした。

何がって、艦首をこちらに向けたイージス艦と駆逐艦、
こんな角度から一気に3隻並んでいる光景など、こんな時でないと
一般人には目にすることもまずないゴージャスなこの眺め。

「むらさめ」と「こんごう」が舳先を並べているのも素敵ですが、

これですよこれ。イージス艦のツーショット。

金剛家と愛宕家、名門の長女である御令嬢がその容姿を
競い合うように並んでいる様子は来場者の注目を集め、

「おお!この眺め最高!」

「俺、こういうの好き」

などといいながら熱心にファインダーを覗く人たちで
桟橋が空く瞬間がなかったくらいです。

間近で真正面から護衛艦を見るチャンスはありそうでありません。
ところでイージス艦「こんごう」は、2007年、平成16年度予算で搭載された
イージスBMD 3.6システムでのミサイル迎撃実験をカウアイ島沖で行いました。

それはさておき、それよりわたしが注目せずにいられなかったのが、

「Stellar Kiji」(ステラー・キジ)


というこの時の実験名です。
アメリカのナーバルインスティチュートのサイト内にイージスシステムの父、
アラン・ヒックス少将についての記事があり、そこにはこの実験について、

Stellar Kijiのテストイベントで、日本の誘導ミサイル駆逐艦Kongoは、
Aegis BMD兵器システムでPMRFから発射された中距離弾道ミサイルを正常に発射、
追跡、および大気圏外の迎撃による破壊を成功させました。

JFTM-1は、日本の護衛艦が弾道ミサイルを発射した最初のイベントでした。 
これは、日米間の成長し続ける協力関係における大きなマイルストーンとなりました。

と記述されています。

2008年には

「ちょうかい」が「JFTMー2 ステラー・ハヤブサ」
「みょうこう」が「JFTM-3 ステラー・ライチョウ」
2010年には

「きりしま」が「JFTM-4 ステラー・タカ
いずれも成功させています。

探してみたら、「こんごう」のステラー・キジ作戦の映像がありました。

Japan Aegis BMD (JFTM-1) Stellar Kiji Quicklook

発射のとき、「ファイアー」とも言っていますが、最後はやはり「テー!」です。
最後には「ステラー・キジ」のペナントが映し出されています。

イージスシステムについてご存知でない方、ぜひご覧ください。
この時の「こんごう」乗員、さぞ燃えただろうなあ・・・・・。

 

本当かどうか正確なところは知りませんが、イージス艦の乗員には
優秀でないとなれないと聞いたことがあります。

艦長が他の護衛艦と違い一佐であることもそれを裏付けていますが、
加えて「身元が確かな隊員」が優先される配置かもしれません。

それを思うのは、かつてこの「こんごう」は、改修の際

イージス艦情報漏洩問題

で米海軍の信用を失い、一時的に改修に必要なソフトウェア、
文書等の供給を停止されたという事件があったからです。

外国人と結婚している隊員はまず確実に乗れなさそう・・・。

さて、隣の岸壁の向こう側には、今回こちら側(逸見)で唯一、
岸壁に係留してその姿を見せてくれていたシンガポール海軍のフリゲート、

フォーミダブル」(RSS 68 Formidable)

が衆目を集めていました。

「フォーミダブル」級フリゲートのネームシップで、艦体はフランス製。
フランス海軍の軍艦を建造する

CCNS(Direction des Constructions Navales Services)

という企業の工廠で2007年に就役しました。

ご覧になればお分かりのように、ステルス仕様です。
一緒にいた方が、艦体の表面を見て、凸凹すぎる、とディスるので、

「いやこれは痩せ馬仕様といいまして」

とシンガポール海軍にはなんの恩義もないのですが、一生懸命
技術が不足しているからなったわけではない、これは艦体の軽量化と
ご予算の関係で云々と説明して差し上げました。
しかしそれでもガンとして、

「いや、日本の護衛艦と比べると酷すぎますよ」

とにべもなく言い切るので、悲しくなりました。

痩せ馬が目立つのは、艦体がステルス仕様で、面が多いからで、
これはもう如何ともし難い宿命なんではないかという気がします。

この写真は向かいの「ちょうかい」の甲板から撮ったものですが、
ちょっと新鮮だったのは艦体にくり抜かれた積荷用の大きな窓、
どうもここは「蓋がない」ように見えるのです。

蓋の代わりに御簾のような網戸のようなスクリーンで閉ざされています。
うーん、なんたる画期的な軍艦デザイン。

これは虫除けとかの目的ではなく、レーダー波を吸収する役割があります。

「艦体とマストや主砲の色が微妙に違いますね」

「二色展開なんですかね」

わざとやっているとは思えない微妙な色違いで、同じ灰色でも
青っぽいところとそうでないところが分かれているという・・。

 

シンガポール海軍は、1971年にイギリス軍が撤退した後に編成されたので
まだ歴史は浅いですが、何しろ国が金持ちなので、規模は小さいながら
近代的な装備を備えた少数精鋭です。

職業軍人もいますが、全部で2万人くらい。
そのため国民には2年間の徴兵義務があります。

小さな海軍なので大型の戦艦やもちろん空母は持たず、
このフリゲートが戦闘艦としては最大級になります。

つまり、「フォーミダブル」は星海軍の主戦力ってことですね。

見れば見るほど余計なものが一切外に出ていない断捨離仕様。
家族が床に座ってご飯を食べている家を思い浮かべてしまいます。

それもこれも、ステルス性向上を徹底しているため、艤装を全て
艦内に収容してしまっている上、先ほどの開口部のスクリーンのように
徹底してレーダー波を吸収させる作りになっているのです。

舷側の部分が煮込む前のにんじんみたいに面取りされているのもステルス目的ですし、
なんなら錨も係留装置も、艦内にきれいさっぱり仕舞い込んでしまいます。

もしかしたらこの謎の二色展開も、ステルス的に意味があるのかも。

主砲は見慣れない形ですが、これもオトーメララ製品で、
ステルス型砲塔を持つ「スーパーラピッド」という砲です。

艦橋構造物の上に乗っているのは多機能レーダー。

これもフランスのタレス社の「ヘラクレス」というフェーズドアレイで、
ピラミッドのような形のレドームの中にアンテナが内蔵されており
これが中で毎分60回転して全周を捜索する仕組みです。

おお、乗員が格納庫に姿を見せました。
どこの国も海軍軍人というのはスマートな人が多いですね。

後ろにある在艦ボードによると、艦長、副長以下、
幹部はほとんどが在籍しています。

階級は分かりませんが、この二人も士官っぽい。

絶対これ、「ちょうかい」の上の見学者を見て喋ってるよね。

ちなみに左の人はライナーさんとおっしゃいます。

シンガポール海軍の海軍旗は、国旗に激似しています。

Flag of Singapore.svg

ちなみにこれが国旗。
下半分が白です。
軍艦旗は白い部分に赤い星があるわけですね。

中から副長(根拠はないけど多分)が出てきました。
シンガポールという国は中華系が74%でほとんどを占めますが、
複合民族国家なので、他民族が共生して居ます。

この副長(多分)は全体の7.9パーセントを占めるインド系のようです。

後ろで作業をしている水兵さんですが、なんか自衛隊にいそうな顔ですよね。

目を転じると、迎賓艦(厳密には特務艇)「はしだて」がそこに。

わたしが一度乗せていただいたことのあるこの「はしだて」ですが、
調べたら1999年11月に就役していたことがわかりました。

つまり、1999年10月25日生まれのMKとほぼ同年齢なのです。
早いもので、我が愚息ももうすぐ20歳となりますが、
人生これからの彼と違い、船の20歳といえばもうご老体。

過去の特務艇「ゆうちどり」「はやぶさ」「ひよどり」、
いずれも20年も経たないうちに引退していることから、
「はしだて」もそろそろ、という時期だと思うのですが、
今の自衛隊は迎賓艦を新調している場合ではない・・・かも。

 

 

続く。

 

 

 

 


いずも甲板〜2019年度観艦式中止に伴う一般公開

2019-10-20 | 自衛隊

朝9時からまず乗艦予定だった「あけぼの」の停泊している
船越岸壁のある一般公開会場に乗り込み、傘を差したり差さなかったりして
全ての見学を終えたので、今度はお馴染みの逸見岸壁です。

基本楽をしたいわたしはタクシーに乗ってしまいたかったのですが、
全く通らなかったので、てくてく京急田浦まで歩き、二駅乗って
もう一度メルキュールのある横須賀中央まで戻って、そこから
さらにヴェルニー公園横を歩いて横須賀基地まで行きました。

逸見岸壁には母港が呉である砕氷艦「しらせ」がいたようです。
「しらせ」といえば、今年の春頃、自衛隊が運用を止めるかも、
というニュースが流れましたね。

その理由は一にも二にも海上自衛隊の人手不足。

海自が運航し、研究者らの観測隊員を乗せ約5カ月かけて、
日本と南極を毎年往復しているのですが、乗組員は約180人、
護衛艦1隻分に匹敵する規模で、隊員の定員割れや、
南シナ海などの任務に対応するという考えによるものです。

しかも任務が任務だけに優秀な人材を必要とし、特に
艦長経験者を3〜4人乗艦させないといけません。

ただ、わたしはかつて「しらせ」の乗員自らが

「南極に行けるなんて海上自衛隊だけじゃないですか。
わたしはそのため海自に入ったようなものです」

と行っているのを聞いたことがあります。
人手不足に対応するために、海上自衛隊でしかできないことを
求めている人に対してまでその可能性を閉ざすことになり、
これは完全に本末転倒のような気がするのですが・・・・。

まあ、今のところ自衛隊法でも南極観測への自衛隊の協力は
明記されているので、これを改正するかから議論せねばならず、
今日明日の問題ではないわけですが、こんな法律改正だけは
さっさといつの間にか行われていた、ということがないように、
なんとか打開策を含め検討していただきたいものだと思います。

ヴェルニー公園沿いを歩いていくと、まず「いずも」が見えてきました。
対岸の公園からは、今日観艦式のチケットを持っていない人たちも
いつもより多くが集まって写真などを撮っているように見えます。

基地に入ると、いつもするように金属検査のゲートを潜り、
鞄の中を開けて中身を自衛官に見せ、さらにこの日の
チケットを見せて入場を行います。

自衛隊の金属探査ゲートは空港などよりゆるいらしく、
わたしは今まで止められたことはありません。

余談ですが、今回ローガン空港で、金属片を一片も身につけていないのに、
あの頭上で腕で菱形を作り足を開くポーズの探査機で、
なんと革製のサッシュベルトが引っ掛かり、身体検査で
女性係官に太腿から足の付け根までを触られるという辱めに遭いました。

こういう時の空港の女性職員は例外なくサディスティックで、
偉そうで居丈高で嫌な思いをさせられます。

もちろん我が自衛隊でゲート検査において嫌な思いをしたことは
ただの一度もありません。

もちろん最初に「いずも」から見学することにしました。
左のテントに列ができていますが、これは何かというと、
確かアンケートに答えるとかいうコーナーだったと思います。

なぜ自衛隊のアンケートにこれだけ並んでいたのか謎ですが、
もしかしたら入隊志望の人たちがたまたま団体でいたのかもしれません。

「いずも」の舷門には当直の隊員たちが並んで
∠( ̄^ ̄)で一人ひとりをお迎えしてくれます。

この段階ですでに気付いた方もおられると思いますが、
「いずも」には女性乗員が大変目立ちました。

就役時には自衛隊初となる衛生士(准看と臨床検査技師の資格あり)
として女性が乗り込んだ大型艦だけあって、
女性隊員のための区画も充実させていると聞きました。

「いずも」に乗ると最初にして今回は最後にもなるイベントは
艦載機用エレベーターで甲板に上がることです。

今エレベーターは甲板階にあり、乗る人たちが待っている状態。

エレベーターが降りてきました。

これから乗る人も、乗っている人も、そのほとんどが
スマホを構え動画を撮っているという・・・・・。

二回前の観艦式ではまだ見られなかった光景です。

昔「かが」で見学者がエレベーターの隅を覗き込んで下に落ち、
当時の艦長らが刑事責任を問われるという不条理な話がありましたが、
それから以降、ヘリ搭載型護衛艦の見学の時にはエレベーターの周囲に
ご覧のようにネットを張り、端に近づけないようにしています。

その二回前の観艦式でわたしは「ひゅうが」に乗りましたが、
その時にはこのようなネットは貼られていなかったと記憶します。

雨が降るとエレベーターのウェルにはこんなふうに
激しく雨水が落ちてくることを知りました。

大雨の時にはパレットは使わないと思いますが、
それにしてもこの水はどこに溜まりどこから出ていくのでしょう。

エレベーターのパレットは四隅に4本まとめたワイヤーで吊られ、
上げ下ろしがされています。

甲板階にいるこの海曹がおそらく手動でエレベーターを動かしています。
稼働中は何があっても対処できるように受話器を耳に当てて。

甲板階に到着〜。
アナウンスで傘を差さないようにと注意されていましたが、
言われずともこの頃には傘が必要ない状態になっていました。

その時、「いずも」左舷にYO40、つまり油船40号がいるのを発見。
今から燃料を補給する作業を行うようです。

油船40号は、まず艦隊から垂直にまっすぐロープを引いていきます。

そして半円を描くようにロープを引っ張って艦首に向かいます。

給油作業の際には油が海面にこぼれることがあっても
それが広がっていくことがないように柵を貼りますが、
油船が自分でこんなふうに準備をするのを初めて見ました。

これをオイルフェンスといいますが、「いずも」では一度、
ヘリコプターの昇降機の油圧系と思われる故障で、停泊中に
油圧作動油が海上に流出するという事故が起こったことがあります。

この時には事故発覚後にオイルフェンスを張って拡散を防ぎ、
吸着マットで漏れ出した油の大部分を回収したそうです。

「いずも」の見学は甲板とハンガーデッキだけでしたので、
それだけではサービスが足りないと思ったのか、
「いずも」ではホースを持った耐火スーツマンが登場。

八戸の航空基地で見たので知っているのですが、このスーツ、
靴とパンツが一体化していて、非常時には足を突っ込み、
そのままパンツをグイッと引き上げて瞬時に着用が可能です。

カメラを向けるとポーズをとってくれました。
自衛艦旗をバックに決まってるぜい。

思いっきり脚を開くのはホースを持つ時の基本姿勢?

自衛艦では火災が起こった時全員が対処できるように、
乗員は須く消火訓練を受けることになっています。

また機関科の第3分隊に配置されている応急士たちの
いざという時の全滅を避けるために、応急待機所は
艦体の前、中央、後部と三箇所に分散させているそうです。

彼の横にずらりと並んでいるのは広い甲板を持つ
「いずも」ならではの艦載型消防車のようですね。

「いずも」甲板後部からはこの日公開されていた護衛艦たちが
このように一挙に望めて壮観です。

手前から話題の「あさひ」「たかなみ」「はるさめ」

岸壁を挟んで艦首をこちらに向けているのは

「むらさめ」「こんごう」「あたご」

です。
岸壁のこちらと向こうで艦首を向けていたりいなかったりは、
おそらく観客サービスではないかと思うのですがどうでしょう。

護衛艦の見学もあることだし、と退艦することにしました。
お?もしかしてこの一段はアメリカ海軍の皆さん?

今日見学をしているってことはチケットを持っていたのよね。

黄色い車、片方は3人乗り。
ヘリをトウイングする車?にしては大きいような。

そこに艦長らしき自衛官が海曹に案内されるように出てきました。
一緒にいた方が、

「話しかけてみます?」

「いや・・・なんかお忙しそうですし

「ありあけ」の艦長のように皆とお話しするために立ってくれたら
近づいてみようと様子を窺っていたら、そのまま艦橋に入ってしまいました。

「通過しただけだったんですね」

「そもそも『いずも』の艦長かどうかもわかりませんよね」

さて、というわけであまり待つこともなく昇降機に乗ります。 

今回も受話器を耳に当てながら昇降機を作動させていました。

ハンガーデッキも基本的に観艦式の時にはすっきりと片付いていて、
展示用のヘリが一機、そして荷物の積み下ろしに使う
「カーゴスリング」というものが展示されているだけです。

このヘリ、なぜ尻尾がない?と思ったのですが、
よく見ると向こう側にたたんでありました。

究極の省スペース。

荷物の積み下ろしなどを行う艦体横のハッチから外を眺めたところ。

退艦です。
乗艦側では相変わらずお迎えの敬礼をしている自衛官たちがいますが、
女性自衛官が一気にいなくなり、全員男性に変わっていました。


ところでKさんの写真で潜水艦のブリッジに立っていた乗員の敬礼が
どうも陸自っぽい?というcoralさんのご指摘がありましたが、
「いずも」舷門での敬礼はご覧のようにお手本のような海軍式です。

ヘリの尻尾を極限までたたむように、海自の敬礼は特に艦内では
省スペース型の、肘をたたんだ形になるようです。

さて、というわけで「いずも」を下艦しました。
なんと、こんなところに見学者が近寄らないように
見張りに立たされている乗員がいました。

油船はオイルフェンスを張り終わり、給油作業中です。

さて、それでは向こうの岸壁の護衛艦群を見にいきますか。

 

続く。



艦長として観艦式に参加すること〜2019年度観艦式中止に伴う一般公開

2019-10-18 | 自衛隊

観艦式中止に伴う艦艇一般公開の様子をお伝えしています。

艦橋を見学し、上甲板階に降りてくるとおなじみ艦長以下幹部の写真。
ところで先任伍長のバックは旭日旗のどの部分?

外国海軍の記念盾コーナーらしく、アメリカ、インドネシア、カナダ、
それからインド海軍の艦艇や都市から贈られたものが並んでいます。

左上の記念銘板は空母「セオドア・ルーズベルト」のものです。
この空母の形のプレートは米海軍の空母のスタンダードで、
「ミッドウェイ」艦内でも見たことがあります。

金属プレートのしたに書かれた「ルーズベルト」のモットーは、

”Speak Softly and Carry α Big Stick"

「大きな棍棒を携えて穏やかに話す」

これはもともと艦名となった大統領セオドア・ルーズベルトの

「棍棒外交」

と呼ばれる当時の外交方針を表した言葉です。

ルーズヴェルト政権ではこの政策に基づいて、カリブ海域の
「慢性的な不正と無能」に対してアメリカの武力干渉を正当化し、
海上兵力を背景に南米地域での権益を確保し、
ヨーロッパ諸国の干渉を排除するというアメリカ帝国主義を実行しました。

というわけで、どこかの国なら軍靴の足音が聴こえる的な
今時穏やかでない文言ですが、この名前を戴く空母は
アメリカにとって

「大きな棍棒」

であることに違いはないので、モットーとしてはありかもしれません。

そういえば、わたくしこの「ふゆづき」が引渡しされ、
自衛艦として誕生した瞬間を目撃しているんですよね。

忘れもしないあれは三井造船玉野、大変な豪雨の日でした。

あの時に雨に打たれていた「ふゆづき」初代艦長や初代副長、
乗員の皆さんの様子はまだはっきりと覚えています。

海上自衛隊儀礼曲 「海のさきもり」 護衛艦「ふゆづき」自衛艦旗授与式

この歴代艦長を記したパネルの前を通りかかったとき、
その日付を確認したら、2014年3月、なんと5年も前のことでした。

この時に副長だった方はその後呉で陸上勤務をしておられましたが、
今年の練習艦隊で飛行学生を乗せた練習艦の艦長となられ、
中国で行われた観艦式に参加しておられました。

艤装艦長、初代艦長は調べたところ現在ここ横須賀の
実験艦「あすか」の艦長をしておられます。

5年という月日は自衛官の配置にとっても大きな変化があります。
5年前と同じところで同じことをしている、という自衛官は
特に幹部ではあり得ないといっていいでしょう。

「ふゆづき」甲板から海を眺めると、何隻もの釣船が浮かんでいました。
連休ということで、どの船からも釣り人が糸を垂らしています。

「ジャマーランチャーとは投射型静止式ジャマーを
目的場所に投射する装置です」

ジャマーとは定位置で音を発し続け、海中で
音響探知型の魚雷を妨害する装置のことです。

ジャマー(jammer)はジャミングするものの意で、
文字通り「邪魔するもの」です。

「邪魔」の語源は邪な悪魔のことですが、
「ありがとう=オブリガード」のように、意味が一緒で
発音も似ている偶然の一致ってあるもんなんですね。

観艦式が行我たらここについ座ってしまう人もいるに違いない、
という予想のもとにわざわざ舫の籠に張られた注意書き。

舫も籠も観艦式に備えて新調したらしく、ピッカピカです。

それにしてもバランスボールのような絶妙のこの形と大きさ、
艦内で落ち着く場所がなければ、つい座ってみたくなる人はいると思う。

ところでいつの間にか「ふゆづき」から「さみだれ」に移っていました。
「さみだれ」はわたしが初めて個人的に艦艇見学をさせてもらった
思い出の護衛艦です。

艦内を回っていたとき、オトーメララの発射速度
(55-65発/分)を聞いて、何も考えずに

「さみだれ撃ちですね!」

と脊髄反射でツッコンでしまい、案内してくれていた艦長に
聴こえないフリをされたというほろ苦い思い出のある艦でもあります。

というわけで「さみだれ」から隣の「ありあけ」に移動です。
「さみだれ」のマークは「Mighty Pegasus」

「ありあけ」も艦橋はじめ艦内を公開していました。

雨が降っているので見学者にもしもの事故が起こらないように、
艦橋内は分刻みで床を掃除していました。

例えば艦内各部の出っ張りに黄色と黒のテープを貼ったり、
赤いリボンを結んだりするなど、目に見えている以上に
自衛隊という組織がどれほど一般人の安全に配慮しているか、
そんなことを知ることができるのも一般公開ならではです。


三連メザシの端っこの「ありあけ」艦橋から見た前甲板。
ちなみに今回の観閲式で、彼女らは受閲艦隊として参加する予定でした。

先導艦「あさひ」受閲部隊旗艦「かが」につづき、護衛艦群は

「はるさめ」「さみだれ」「ありあけ」「あたご」「ふゆづき」

「ちくま」「やまゆき」「はたかぜ」「しまかぜ」

続いて補給艦などが航行します。

「ありあけ」の艦橋横のデッキにあった見張要表なるマニュアルです。
こんなパネルがデッキにあるのを初めて見たような気がします。

右下の、「艦型の距離に対する分画表」というのは、
自衛艦の型(つまり大きさですね)によって「分画」が変わってくる、
と理解すれば良いのだと思いますが、それにしても分画って何?

この日いくつか艦艇の内部を見学しましたが、
艦長室を公開していたのは「ありあけ」だけでした。

ベッド毛布のたたみ方まで見られてしまうので、
艦長によっては公開を嫌がる人もいるかもしれません。

自衛艦で唯一、一人でお風呂にゆっくり浸かれるのが艦長です。
この感じだと手足を伸ばしてのびのびというわけにはいきませんが、
それでも船の上でこの空間はとんでもない贅沢。

あまり奥まで見るのは憚られたので確認しなかったのですが、
身体は右側の簀子の上で洗うんでしょうか。

艦長室は自由にものを置くことができるので、そこには
おのずと艦長のご趣味とか人柄みたいなものが透けて見えます。

この部屋のポイントは、艦長さんがこれまで交流した
国内外のネイビーとの間で交換されたチャレンジコイン。

チャレンジコイン、わたしもこれまで交流した日米海軍関係者から
それなりにいただいてコレクションしていますが、さすが
艦長ともなると所蔵の数は比較になりません。

チャレンジコインは各々の部隊章やモットーなどが刻印されており、
ごく親しい友人や部隊を訪問したVIP等に手渡されます。

わたしがもらう場合は後者の条件に当てはまりますが、
コインの正式な渡し方、

「握手をする右手に隠し持ち、握手をした瞬間相手の掌中に渡す」

というサプライズ演出で渡されたことは、残念ですが
今まで一度もありません。

実際に目の前でこれを見たのは、練習艦隊の艦上レセプションで
当時の練習艦隊司令官だった真鍋海将が下艦の際挨拶した
unknownさんに握手のついでに渡したときです。

片方に全くその予想がないと、このサプライズはしばしば
失敗し、コインが転がり落ちることもこのとき知りました(笑)

チャレンジコインの大きさは大体直径4センチくらいですが、
手渡しの時手からはみ出るような大きさのものもあります。
(この写真では前の方に並べられていますね)

なぜ「チャレンジ」と呼ぶかというと、兵士たちがチャレンジと称して
バーなどで仲間同士でコインを持っているかチェックしあい、
持っていないと罰としてその場にいる全員に酒をおごる風習からです。

河野防衛大臣は就任してすぐ在沖アメリカ軍のクラーディ4軍調整官と面会し、
そのときにチャレンジコインを渡されています。

艦橋から降りてくると、幹部の写真コーナーが。
なるほど、先ほどの寝室の主がこの方ね、と思い写真を撮って
その後甲板に出ると、そこには・・・・

ご本人がおられました。

一緒にいた知り合いとしばしお話しさせていただいたのですが、
興味深かったのは、艦長が、今回観艦式が中止になったことを
ても残念がっておられたことです。

「艦長として観艦式に出る機会は、自衛官にとっても
一生に一度あるかないかなんですよ」

海軍では海軍兵学校1号(最高学年)とともに艦長は
「夢の配置」と言われたそうですが、海上自衛隊でも
楽しいこれらの配置、(防大4年が楽しいかどうかは知りませんが)
艦長職の任期はせいぜい1年間です。

その間に三年に一度の観艦式が巡ってきて、しかも、
自分の乗っている艦が観艦式の参加部隊に選ばれる、という
大変低い確率を経て初めて、艦長として観艦式に出られるのです。

わたしたちは今回のように天候で中止になったとしても、
生きてさえいれば()次の観艦式に参加することができますが、
各参加艦艇艦長にとっては、最初で最後かもしれない機会が
今回天候不順によって奪われてしまったということになります。

ただ、朗報は、外国艦艇も参加しての事前訓練だけは
無事に行われ、海上自衛隊に経験値がまた蓄積されたことでしょう。

さて、船越で公開されている艦艇の見学が全て終わりました。
出口に向かう途中で「ちよだ」の前を通りかかると、
先ほどは閉ざされていた扉が開けられて、中から
DSRV(しんかい救難艇)が頭を見せていました。

開発群の建物の前には、初代システム艦である
「たちかぜ」の錨が展示されています。

「たちかぜ」は2007年に退役し、標的艦となって八丈島海域に沈みました。

反対側には海上自衛隊初の試験艦「くりはま」の錨。
現行試験艦「あすか」の前級となります。

多用途支援艦「えんしゅう」を見ながら船越の岸壁を後にする頃には
雨はなんとか止んでいました。

この後わたしは逸見岸壁の見学に向かいました。

 

続く。

 

 


横須賀軍港の外国海軍艦艇〜2019年度観艦式中止に伴う艦艇公開

2019-10-17 | 自衛隊

昨日の一般公開ブログをアップしたところ、フリートウィークの写真を
拝借させていただいたKさんから、船越に並んでいるところ写真をいただきました。

人の影でかろうじて写っていませんが、Kさんとわたし、
至近距離で並んでいたことが判明しました。

この日の公開は9時から4時までと長い間行われたので
朝イチで来る必要性というのは全くないわけですが、そこはそれ、
やはりこの日観艦式にあさ6時7時から乗艦するつもりだった人たちは、
こうやって並んでしまうわけですよ。

さて、1番に見学した「あけぼの」と「しまかぜ」とは斜めに位置する岸壁に、

「さみだれ」「ふゆづき」「ありあけ」

の駆逐艦三娘が連結した状態で公開になっていました。
この三連メザシ、一旦「さみだれ」に乗艦すると
自動的に全部見学しないと出て来ることはできませんが、
途中で出たい人は自衛官に申し出ればショートカットできます。

「さみだれ」は駆逐艦「五月雨」からその名前を継承しているので、
艦これの艦娘(’かんむす’で変換できてしまった・・・恐るべし)
五月雨ちゃんが大々的にマツリアゲ状態で鎮座していました。

わざわざ等身大のポスターをえらい人の部屋用のマットに乗せて・・。
これは「さみだれ」乗員に提督がいるな(笑)

ちなみにかつて帝国海軍で「五月雨」とは「白露型」の同型艦だった
「村雨」「春雨」「夕立」は、ご存知のように海上自衛隊で
「むらさめ」型護衛艦としてどれも名前が引き継がれています。

続いて護衛艦「ふゆづき」です。

「ふゆづき」は艦内も公開していました。
下の賞状ですが、定係港である舞鶴市で、「献血の推進に積極的に貢献」し、
なんと市長から感謝状が艦長名義で出されたようです。 

「ふゆづき」艦内神社の御祭神は豪華三社建です。

福岡の天照皇大神(あまてらすすめおおかみ・てんしょうこうだいじん)

高倉神社(全国にたくさんありますがおそらく舞鶴の神社)

石清水八幡宮(京都府八幡市)

艦内神社の御祭神はどうやって決めるのでしょうね。

機関室も公開されていたのですが、なぜか内部は写真撮影一切禁止のうえ、
物凄い混雑だったので見学は諦め、代わりといっては何ですが、
外のダメコン用木材の写真を撮っておきました。

機関室の外にあった興味深いパネル。

「海洋生物付着防止装置 制御盤」

なんと、今時の軍艦は付着を科学の力で防ぐことができるのか!
海洋生物といってもイカとかコバンザメのことではなく、
フジツボやムラサキガイなんかのことですが、どうやって防ぐのか、
と思って調べてみたところ、船殻に着いてしまうのは防げないものの、
航行に支障の出るシーチェストや海水管系統だけに特化して、

電極型銅イオン発生方式

電極型次亜塩素酸方式

その他薬液方式

で付着しにくくする、という方法が取られていることがわかりました。
このパネルからは「ふゆづき」がどの方法で付着を防いでいるのかわかりません。

非常口のシルエットもちゃんとテッパチにカポック着用。

赤い星に「八一」は人民海軍の印。
なぜ「ふゆづき」が中国海軍から盾をもらったのか、
来歴を調べたのですが不明でした。

左の「TSD」はトレーニングサブマリンディビジョン、
第1練習潜水隊のことで、呉にある「潜訓」、
潜水艦教育訓練隊が潜水艦の実習訓練を行うための練習艦、
「あさしお」と「せとしお」が所属していた潜水隊です。

「せとしお」というとさっき「しまかぜ」に横付けしていたのと
同じ名前ですが、こちらが初代で、2001年には退役しています。

 

真ん中はサイゴン・ニューポートとあります。
サイゴンニューポート社はホーチミン市の港を管理する
国防省の傘下企業で、港とコンテナターミナルの開発も行っています。

 

右側はインド海軍の「シャクティ」(A57 Shakti)の銘板。
「シャクティ」は「ティーパク」級補給艦の二番艦で、
海自でいうと「ましゅう」型と同クラスです。

日本とインドの外交が始まってちょうど60年目にあたる2012年、
「シャクティ」は

JIMEX 2012(日本-インド海事演習)

に参加し、北西太平洋でインド初の日本との二国間海事演習に参加しました。
このとき海上自衛隊 (JMSDF)は、

2隻の駆逐艦、1隻の哨戒機、およびヘリコプター

が参加したとあり、その1隻が「ふゆづき」であったことになります。

このとき「シャクティ」は他の4隻とともに東京に来て3日間滞在しています。

右側の盾に書いてある第15駆逐戦隊というのは、
横須賀の第7艦隊のアーレイバーク級駆逐艦の戦隊なのです。

設立が1920年という歴史のある戦隊で、横須賀で見かける

「バリー」「カーティスウィルバー」「ジョン・S・マケイン」「ステサム」
「ベンフォールド」「ミリウス」「マッキャンべル」「マスティン」

らで構成されています。

「ふゆづき」は平成29年度派米訓練としてグアム島方面に派遣され、
米海軍と共同で洋上訓練を実施し、続くマルチセール2018では、
ミサイル巡洋艦「アンティータム」、ミサイル駆逐艦「カーティス・ウィルバー」
「ベンフォールド」、「マスティン」 とともに
対空戦、対水上戦、対潜戦、射撃訓練等を実施しています。

艦内にあるこういう記念盾からも、艦暦がわかりますね。

左はやはりインド海軍の「サヒャディ」・・・・

あれ、さっき「しまかぜ」の上から見ませんでした?

この日わたしの近くで見学しておられたらしいKさんの写真をどうぞ。

Kさん、この日は外国鑑定を求めて基地を探索された模様。

これ一体どこから撮ったの?

「サヒャディ」(右)「キルタン」(左)どちらにも艦体にはペインティングが。
インド海軍の慣習なんでしょうか。

わたしはこれ気づきませんでした。
ロイヤルネイビーの

「エコー」級海洋観測船 エンタープライズ(H-88 Enterprise)

おそらく海洋観測船は観艦式に出るつもりでここにいたのではないでしょう。

カナダ海軍、ハリファックス級フリゲート「オタワ」\(^o^)/

オーストラリア海軍「ホバート」級駆逐艦「ホバート」

冒頭写真のかっこいいのは、シンガポール海軍の
「フォーミダブル」級フリゲート「フォーミダブル」です。


ところで、今回出席予定だった中国海軍の船は台風がやってくるなり離岸して、
あっという間に帰っていってしまいました。

さて、「ふゆづき」見学に戻ります。
この日「ふゆづき」は艦橋の公開もしていました。

ふと環境の窓から見ると海保の巡視船「夕月」がパトロール中。
今回、観艦式には祝賀航行部隊兼護衛として、(たぶんね)
巡視船「いず」が外国海軍艦艇の後ろを航行することになっていました。

前の観艦式では周りを警戒のため猛スピードで航行する巡視船を見ましたが、
祝賀部隊として参加するのはわたしが見る限り初めてです。

これは、昨年度行われた海保の観閲式に、海自の「はたかぜ」が
招待されて参加したことへの答礼の意味もあるのではないでしょうか。

さて、「ふゆづき」艦橋です。
一般公開用のウェルカムボード、このフォントいいなあ。

艦橋は大盛況。
こうして写真に撮ってみるとやっぱりほとんどが男性です。

艦橋から見る横須賀港の眺め。
おそらく昔ここに係留されていた軍艦の艦橋からも
全く同じ景色が見えていたのでしょう。

見られては困ることろはさりげなく隠しつつ、お仕事紹介もしています。

艦長気分で。

艦橋内には館内の各所をモニターできる画像が常時示されています。
この時映っていたのは格納庫でした。

注意書きにこういう写真を使ってしまうセンスが羨ましい(真剣)
ボートが牽引されている部分とその近くのデッキには立ち入り禁止です。

ネザネヒネトミザミヒミトセリザチョリザヒリザ。

これらが何か全部わかった方は立派なマニアです。
「ネ」は燃料、「ミ」は水、「ザ」は在庫。
これさえわかれば全部わかる・・・かな?

ところで、この究極の略語、海軍伝統であることはご存知だと思いますが、
隠語とかではなくて、海幕のご指導によるれっきとした公用語なのです。

海上自衛隊の部内の通信において使用する略語について

いやー、これ、ここまでするかってつい呆れいや感心してしまいました。

異状なし=イナ
お願いする=オネ
関係なし=カナ
当直を撤する(せよ)=トヤ

「お願いする」というとき、海自の人は

「おね!」

と一言で済ませているんでしょうか。

「異常なしか?」

「イナ!」

(陸自とか空自の人)

「否、ってことは異常あったんだな」

やっぱりこれ一種の隠語ですよね。

 

観艦式中止に伴う艦艇一般公開における「ふゆづき」の見学、続きます。

 


「しまかぜ」のお昼はカレー〜2019年海自観艦式中止に伴う艦艇公開

2019-10-15 | 自衛隊

本来昨年度行うはずだった海自の観艦式は、オリンピック開催の
陸自基地利用の関係で1年先延ばしにした結果今年になりました。

去年素直にやっていればおそらく中止にはならなかったと思うのですが、
さらに今回、
いつもと違って予行を本番を連休の三日間に連続して行うことにし、
運の悪いことにそこにピンポイントで台風が来てしまったので全滅したわけです。

後からならなんとでもいえますが、開催日を一週間くらいに分散して
リスクを分散しなかったツケを負う形になってしまいました。

聞くところによると、連休の三日連続で予行と本番を行うことにした理由とは、
今回海自がイベントを
新隊員募集の広報活動と位置付け、
学校が休みの日に開催して学生に参加してもらおうとしたからだそうですが、

まさかこんな形で裏目に出ることになろうとは。

というわけで今回一番がっかりしたのは地本の自衛官ではないかと思われます。

 

もちろんわたしもがっかりしたのに違いないのですが、実は、
ニューヨークで最終週に風邪を引いてしまって治ったばかりだったので、
12日と13日が中止になったというニュースを聞いたとき、正直なところ
ほんの少しだけほっとする気持ちもあったのです。

それで体力を温存して14日の本番に全力投入と意気込んでいたのですが、
・・・その後の顛末は皆さんもご存知の通り。

中止が決まったので、前日は装備も軽めに用意も適当にして、
家で夕飯まで食べて、それから寝るためだけに横須賀に向かいました。

次の朝、ホテルのレストランから横須賀軍港を眺めていると、
フリートウィークの最終日には4連メザシになってた潜水艦基地から、
一隻が出航するところでした。
カメラを持っていたらよかった、と思いながらiPadで撮ったのがこれ。

おそらく呉からやってきて、フリートウィーク期間中訓練に参加し、
本番がなくなったのでとっとと母港に帰るようです。

しかもこの天気、昨日の台風一過が嘘のようにまた曇天です。
激しい雨の中艦艇見学は辛いなあ、と気持ちが挫けそうになりながらも、
まずは船越岸壁から攻略しようと、タクシーに乗りました。

 

さて、ここでちょっと、事前演習に参加したunknownさんの動画をご紹介します。

その場回頭

おお、確かにその場で回頭しておる。

飛行艇着水

US-2の着水です。

ちなみに当日の航行予定表がこれです。
従前の観艦式とは大きく方法が変わっていますね。

観閲艦に乗っている人たちは、右舷にいても左舷にいても、
これを見て今気がついたのですが、13日の朝、海自艦艇と一緒に移動していた
海保の巡視船「いず」は、観艦式に参加する予定だったんですね。

今年もブルーインパルスの航行が予定されていましたが、これは
安倍総理が特にお好きだからという理由もあったそうですよ。

さて、それでは当日観艦式のチケットを持っている人のために行われた
艦艇一般公開の様子を粛々とお伝えしていきましょう。

9時から開門ということで15分前に船越に到着すると、入場を待つ人の列が
思ったより長くできていました。

この日のために予定を空けていた人、地方から泊まりがけで来ている人が
思ったより多いのにちょっと驚きます。

しかし、開門すると列は普通の一般公開よりずっとスムーズに進み、
あっという間に基地の内部に入ることができました。

誘導される通り歩いて行くと、対岸に珍しい艦艇がいます。

手前で潜水艦を押し船が移動させていますが、これがどこに行くつもりかは
後でわかりました。

まず見えてくるのが掃海艇「えのしま」。

掃海母艦を先頭に進む小さな掃海艇の単縦陣、観艦式でわたしは
これを見るのを楽しみにしていたのですが。

今年の観艦式は掃海母艦「うらが」を先頭に、「ひらど」「はつしま」
「あいしま」「ゆげしま」
の計5隻が参加することになっていました。

「えのしま」はもともと横須賀が定係港です。
「うらが」も他の掃海艇たちも、各港に帰ってしまったのかもしれません。

入場すると、岸壁に沿って指示された道を歩いていきます。

まず皆の前に現れるのは潜水艦救難艦の「ちよだ」。
今回「ちよだ」もですが、潜水艦救難艦は観艦式に参加予定はありませんでした。

「ちよだ」というと、三井玉野で行われた引き渡し式のとき、
自衛艦旗がなかったという事件を思い出してしまうわけですが、
彼女にとっての不幸は、その名前を見るたびに、わたしのように反射的に
事件を思い出す人がいて、このことを一生言われ続けてしまうことに他なりません。

ちよださんは何にも悪くないのに・・・・。

もともと観艦式参加予定もないことから、見学も行っておりません。

どんどんと歩いて行くと、2〜3隻ずつメザシ状態にして公開している
観艦式参加艦艇岸壁にたどり着きました。

そこでは、入隊を志望する「金の卵」たちを引き連れてきた地本の自衛官たちが
(ほとんどが陸自)一塊りになって記念写真を撮っていました。

観艦式がなくなっても、見学にここまで来てくれる若者は入隊の可能性大です。
これまで自衛隊が集積してきた人誑しのあの手この手なりふり構わないテクニックで
(人聞きが悪いな)一人でもたくさん入隊につなげたい!という気合が、
彼らの背中に漲っているような気がして、わたしは目頭が熱くなるのを覚えました(嘘)

さて、それでは見学開始です。

今回わたしが本番で乗るはずだった観閲部隊の5番艦、「あけぼの」を見つけ、
ここから攻略して行くことにしました。

とはいえ、甲板を舷側に沿って歩くだけの見学なので、
あっという間に隣の「しまかぜ」にやってきてしまいました。

当日の艦艇配置はご覧のような密集形です。
3連メザシの外側から出航して行くことになるので、
「あけぼの」に乗っていたら出航までずいぶん待つことになったでしょう。

これは「あけぼの」から「しまかぜ」に移って、その前甲板からとったもの。

ところで「しまかぜ」といえば、観艦式ではいつも「はたかぜ」とともに、
祝砲発射をするのが任務で、今回もそのようになっていました。

unknownさんが送ってくれた祝砲発射前?の「はたかぜ」と「しまかぜ」。
171が「はたかぜ」、後ろの172が「しまかぜ」です。

 

祝砲を撃った後の白煙が残っていますね。
こちらは「しまかぜ」。

どちらもミサイル護衛艦と呼ばれターターD・システムを搭載しています。

船越岸壁の対岸にある先ほどの変わった艦ですが、遠くから見ると
英連邦ということだけしかわかりません。
写真に撮って艦名を拡大し、これがインド海軍の

「サヒャディ SAHYADRI」シヴァリク級フリゲート

であることが初めてわかりました。
「サヒャディ」はまだ運用されて7年しか経っていないのだそうですが、
それにしては艦体のサビが目立つような気が・・・・。

この状態で観艦式に参列するつもりだったのか・・・?

手前にいるのは、最初の写真に全体像が写っていますが、
対潜コルベット艦で、

「キルタン」INS Kiltan (P30)

です。
もしかしたらインド海軍は練習艦隊として日本に寄航したのでしょうか。

「あけぼの」もその外側の「しまかぜ」も、甲板だけの見学となります。
「しまかぜ」の右舷を歩いていると、先ほどの「しお」型潜水艦が、
艦体を見せるため「しまかぜ」に横付けしているところでした。

横付けするにあたって、まずはハッチの周りをブースで囲み、
開けているハッチが見えないようにしています。

雨が入らないだけでなく、潜水艦の機密の一つである外殻の厚さが
ハッチの厚みからわからないように、ってことなんですね。

ブリッジのドアが四角いので、これは三菱重工で作られた潜水艦です。
ちなみにここが丸いのは川崎重工製。
型が全く同じなので、ここでどちらか見分けるためにそうしているのです。
多分ですけど。

この潜水艦が観艦式で航行する時には、ここに艦長が立って∠( ̄^ ̄)します。
掲揚竿にはもちろんのこと、旭日旗が翩翻と翻ります。

ところでこの写真を見て、雨の強さがわかっていただけますでしょうか。

もし台風の被害がなく、観艦式が決行になっていたとしても、この天気では
けっこうタフな見学になったに違いありません。
わたしなど雨が降ってもきっとデッキで頑張っていたと思いますから、
まず間違いなく風邪をぶり返してえらい目に合っていたことでしょう。

潜水艦は自分で名乗ってくれないと「しお」か「りゅう」かしかわからないのですが、
この潜水艦はちゃんと見学者に見せるために

SS 599「せとしお」

の看板を出してくれていました。

「せとしお」は潜水艦部隊の唯一の「しお」型代表で航行する予定でした。
母港がここ横須賀であることから、このサービスをしてくれているのでしょう。

ちなみに参加予定の潜水艦は

「しょうりゅう」「こくりゅう」「せとしお」

と、わずか3隻だけでした。
4年前でもう記憶があまりないのですが、いつもはもう少し多くて、
『潜水艦部隊』として航行してましたよね?

 

開門直後でまだ艦上は閑散としています。
雨はこの頃が一番強く降っていたかな。
護衛艦の上では傘を刺すのを許してもらえました。

観艦式で航行中の甲板では確か傘は禁止されていたと思います。

 「しまかぜ」の後甲板から「ちよだ」はこんな位置関係にありました。

ところで、「あけぼの」からラッタルを渡って「しまかぜ」に移ると、
途端に美味しそうな昼ご飯のカレーの匂いが漂ってきました。

見学者で周りにいた人たちは皆、鼻を動かし、

「カレーだ」「しまかぜのお昼カレーだ」「いい匂い〜」

と騒然と?なっているのがおかしかったです。

衝撃的だったのは、海自では金曜以外にもカレーを食べていることでした。
昔体験航海の時にお昼に向かう隊員さんたちに、

「好きなメニューはなんですか」

と聞いてみたら、全員が示し合わせたわけでもないのに

∠( ̄^ ̄)「カレーです」∠( ̄^ ̄)「カレーです」∠( ̄^ ̄)「カレーです」

だったくらいなので、週二回カレーでも大歓迎なのかもしれません。

ちなみに、他の護衛艦に

「なんでも質問してください!なんでも答えます」

というプラカードを持って立っている人がいたので

「今日のお昼のメニューはなんですか」

と聞いてみたら、

「えー・・・」

と絶句してしまわれました。
なんでも答えますのなんでもにお昼のメニューまでは含まれていなかった模様。

他の艦艇見学を済ませてもう一度「あけぼの」の近くを通った時、
CIWSと主砲を動かす展示をしていました。

これはオトーメララの砲身が思いっきり下を向いた瞬間です。

続いて上むき〜。
甲板に人の姿が全くないのですが、皆右舷側から見ていたのかな?

 

続く。

 

 


フリートウィーク〜海自観艦式を迎えて その3

2019-10-14 | 自衛隊

台風一過とはよくいったもので、絶賛時差ボケ中で4時に起きたわたしが
窓を開けると、そこは爽やかな鳥の声とともに晴れ渡った観艦式前日の朝でした。

おお、この分だと本番も晴天間違いなし、と思いつつパソコンを開くと、
ちょうどこのシリーズの写真提供者のKさんが

伊勢湾・大阪湾に退避していた海自艦が続々と横須賀へ向かって動き出しました。
 
何故か東伊豆に「まや」が公試運転中です。
 
水色の表示を御探し下さい。

とこのURLを送ってくださっていました。

https://www.marinetraffic.com/jp/ais/home/centerx:136.7/centery:33.8/zoom:7

13日7時ごろの画像をキャプチャしたもの。
大島沖の艦は、先頭から

海保巡視船「いず」「はるさめ」「たかなみ」「あさひ」

少し離れて「あけぼの」「ありあけ」

下北半島の左で南下している先頭が「あさゆき」「しもきた」

「まや」は伊豆半島の伊東市沖にいます。

とりあえず艦艇は港に向かっている、それはわかった。

観艦式が行われるのかどうか、しばし各方面をチェックしていたところ、
悲しいお知らせがきました。

令和元年観艦式の中止について


というわけで、今年の観艦式は終了しました。
この項を目にする皆様は既にご存知のことと思います。

 

しかし、せっかくなのでフリートウィークシリーズを最後までやってしまいます。

これは10月10日、観艦式直前の横須賀基地の様子です。
ところで、読者のunknownさんが、事前の体験航海で
「こんごう」に乗ってこられたそうです。

おそらくiPhoneで撮った写真を送って下さいました。

なんどもお伝えしているように、今年は募集対象年齢が最優先で、それ以外の年の人は
基本的には券はもらえない状況でunknownさんもあきらめていたそうですが、
直前に声がかかったということです。

乗員の家族を優先した体験航海なので、あの大きな船体に乗客は40数名!
本番は700名となり、ご存知の方はご存知の通りの芋の子状態になります。

この時の体験航海は、参加艦艇が少ないせいか、今までとかなり
やり方が変わっていたということで、


「今までは観閲部隊(総理大臣が乗る方)が西航する中、左右両側に受閲部隊が東航し、
観閲が終わった時点でお互いに反転。
その後、ヘリコプター発艦やP-3からの爆雷投下等の訓練展示でしたが、
今回は逆に観閲部隊と観閲付属部隊が二列に分かれて、
真ん中を受閲部隊が通過するようになっていました」

観閲付属部隊は訓練展示はやらないのでこの時参加した数は勢少なくなり、
そのため本番通り訓練展示を行う数も少なく、こうなったんだと思う、とのことです。

また、

「期待のDDHですが「ひゅうが」と「いせ」欠で「いずも」と「かが」が参加です。
『いずも』は観閲艦(総理大臣乗艦)で『かが』は受閲艦。行き会いますが、
並んで走るところはないのかなと思っていたら、ほんの短時間、並走しました。」

これはどういうことかというと、おそらく総理大臣や各国武官に二隻を見せるためで、

「『いずも』と『かが』は、反航で通り過ぎた後、訓練展示に参加する船は反転しますが、
参加しない船はそのまま直進します。
ヘリコプター発艦はなく「かが」は直進して「いずも」と同航になり、
先の方で速度を落としていて、訓練展示終了後の観閲官(総理大臣)訓示の時に二隻が並びます」

ということだったのです。

ところで、観艦式でどの艦に乗るかは、特に訓練展示を見る上で大きな問題ですが、

「旗艦に近い観閲艦が一番良い」

と言われています。
つまり、今回でいうと先導艦、「いずも」の後ろの「こんごう」だったということになります。

(全て過去終了形で語らないといけないというこの虚しさ・・・)

ちなみに、この時スマホで撮ったタイムラプスの映像も頂きました。

観閲

さて、粛々とKさんの写真をあげていきましょう。
予行の2日前、Kさんはなんと横須賀軍港めぐりに参加されたそうですよ。

新鋭艦「あさひ」とちゃんと自衛艦旗を付けた哨戒艇?

なんとっ!

潜水艦基地に豪華四連メザシの潜水艦が!

追加で送られてきた潜水艦メザシ、こちらはなんと4連だ!

潜水艦隊の人たちにとっても、4連は滅多にないのではないでしょうか。

一番右側の潜水艦、もしかしてラダーを動かしてますか?

「あさひ」「はるさめ」「たかなみ」、桟橋の向こうに
「ちょうかい」「こんごう」「あたご」。

こんな景色は、観艦式前の船の上からしか見られません。

観閲部隊の「いずも」の対番艦?として受閲部隊に参加、「かが」。

一番向こうの132は「あさぎり」「せとゆき」。
桟橋横はなんだろう?

正解は「てるづき」でした。

「ふゆづき」「さみだれ」「ありあけ」。
「さみだれ」と「ありあけ」は同じ「むらさめ」型護衛艦です。

台風の間、艦艇は皆湾外に続々と出て、沖で避難していたわけですが、
ニュースでは中国の軍艦も中国艦艇も出航したことを伝えました。

中国海軍新鋭ミサイル駆逐艦052D「太原」横須賀を出港する 2019年10月10日

アメリカ海軍艦艇も外に出ていたそうです。
伊勢湾沖でバッティングしてドンパチが始まらなくてよかったですね。(大真面目)

ここからは「横須賀の艨艟たち」というメールで送られてきた写真です。
イージス艦姉妹の「ちょうかい」「こんごう」「あたご」。
それにしても海面の光を映す艦体の、どれも美しいこと。

この三姉妹、お肌のお手入れは完璧と見た。

これは・・・もしかしたら湾を出て行く「かが」かな?

体験航海中らしく一般人の姿が艦上に見える、「えんしゅう」。

「えんしゅう」は「灘」の名前を艦名とする多用途支援艦「ひうち」型の
5番艦で、横須賀所属です。

多用途支援艦とは各種射撃訓練の支援、自走不能になった僚艦や標的艦の曳航
火災を起こした艦艇の消火、各種救難そして物資輸送を多用途に行う船です。

また例えば離島で起こった災害に対して派遣されることもありますし、
新装備を洋上で試験するときにも活用されるという何でも屋さん。

自走不能になった僚艦を曳航することも想定しているので、機関出力は5,000馬力、
排水量に対してかなり強力になっています。

ましゅう型補給艦も単艦で曳航することができるくらいなので、おそらくは
「大和」「武蔵」でも曳航することができるに違いありません。

ロナルド・レーガンはどうかな?

手前にいるのはアメリカ海軍の哨戒艇です。
後ろの潜水艦、変わった形だなあと思いよくよく見ると、
オーストラリア海軍の潜水艦らしいですね。

そして海軍旗、これわたし初めて見ましたよ。

Naval Ensign of Australia.svg

 

この国旗とネガポジの白地に青い星が海軍旗。
そして、ブリッジに揚がっているのは国連旗?

Kさんのご指摘によると、北朝鮮哨戒任務ではないかということでした。

ちなみにオーストラリア海軍には

「オベロン」「コリンズ」

の二つのクラスがあるそうで、これは「コリンズ」級ではないかと思われます。

迎賓艦「はしだて」が出航しております。
91は、海上自衛隊の艦艇の中で唯一100番未満の艦番号。

「はしだて」には一度パーティにご招待いただき乗艦したことがありますが、
豪華客船のキャビンのような絨毯、木目の内装と、あらゆる点で異質でした。

潜水艦のブリッジ越しに見えるCH-47チヌーク。
この日は木更津と横須賀の間を何度も陸自ヘリが往復していたそうです。

ここからは旭日旗シリーズです。

台風襲来・予行中止は誘われなかった韓国の怨念か?

まっさかー、と思いましたが、結局本番も中止になりましたからね。

なんでも旭日旗越しに撮ると構図として決まってしまうという・・・。
写真を撮る人には旭日旗はありがたいアイテムでもあります。


本番でも旭日旗越しに海上自衛隊の「艨艟」をカメラに収めたかった・・・。

ほう、横須賀ではこんなお酒が買えるんですね。

此れから荒れる空を睨みつつ盃を重ねようと思っています。

Kさん、今夜は残念なお酒となるのでしょうか。

とはいえ、朗報です。
実は明日、乗艦券を持っている人に限り、一般公開をするようです。

ホテルをキャンセルせずに(できずに)取っておいたので、今夜は
横須賀の夜を楽しんで、明日は艦艇見学を楽しむつもりです。

しかし、これらの写真がなければ、フリートウィークのにぎわいも
横須賀の様子も知ることがなく観艦式が中止になっていたわけですから、
今回写真の提供を快く許してくださったKさんと
体験談を送ってくださったunknownさんには御礼を申し上げるばかりです。

それでは、引き続きフリートウィークの最終回「見学編」をお楽しみに。

 

あ、当日出るはずだったお弁当は行けばもらえるのかな?(真剣)

 


フリートウィーク〜海上自衛隊観艦式を迎えて その2

2019-10-13 | 自衛隊

さて、「Kさんの写真でフリートウィークを語る」シリーズ続きです。

こうしている今も台風19号は関東地方を直撃しております。
なんでもアメリカではこれを「スーパータイフーン」と呼び、
ハリケーンの従来のカテゴリーでは最大級と言われているとか。

ニュースを見ているとまじで怖くなってくるのですが、
14日には台風も通り過ぎ、災害派遣の要請もなく、無事に
観艦式本番が行われることを祈るばかりです。

さて、Kさんの写真をお借りしてお送りするシリーズ第二弾、
本番一週間前の土日に開催された

「祝 天皇陛下御即位 令和元年観艦式付帯広報行事 横須賀基地開放」

の様子です。

横須賀基地では艦船12隻の大公開、一昔前を思い出させる大判振る舞いで
広報活動も盛況であった模様。

この写真は岸壁に係留した「いずも」の上からでしょうか。

乗員がブリッジで敬礼している意味は・・・もしかしてポーズ?

満艦飾に飾り付けられた「てるづき」と向こうは「あさゆき」かな?

「てるづき」の主砲はアメリカ海軍開発のMk.45 5インチ砲。
オトーメララ社の丸っこいのとは全く違うスッキリしたシェイプです。

砲口の錨マークにはちゃんとネーム入り。

むむ、これは「てるづき」のではないみたいだけど・・・。

「ちょうかい」も佐世保からやってきたんですね。
それにしても、

「金剛」「霧島」「妙高」「鳥海」

イージス艦のこんごう型の名前ってなんてかっこいいんだろうか。

ここで「お・・・・おう」という写真が。
どうも「ちょうかい」ではミスワールド日本代表の世良マリカさん(16)に
一日艦長を任命した模様。
ちなみに彼女が代表となった2019年ミスワールドのコンテスタントには、
なんと!元自衛官がいたっていうんですが、もしその人がミスになっていれば、
元自衛官の一日艦長が見られたということになります。

惜しい(笑)

右側は艦これの鳥海さんですが、今回漏れ聞いたところによると、
一般公開のとき、「こんごう」艦上で自衛官に向かって

「(自衛官のくせに)艦これ知らないの?」

と詰っていた見学者がいたそうです。

わたしはかつて一般人に「ジパング」の話を延々とされて全く反応できず
困惑している自衛官の図も
目撃したことがありますが、自衛官といっても
艦これのキャラを同名艦に採用するという
「お好きな方」もいれば、
当たり前ですが、艦これ、なにそれ、な人もいるのです。

くれぐれも自衛官だからこう、と決めつけないようにしましょう。

掃海艦(掃海艇より大きい)「ひらど」と後ろは掃海艇「ちちじま」。
掃海部隊が単縦陣で波を蹴立てて進む姿を、楽しみにしているわたしです。

いつもはわずかに自衛艦旗の赤と白が色彩を放っている黒鉄の基地も、
この日ばかりは満艦飾と訪れた一般人の装いによって一気に色付きます。

昔鎮守府であった旧軍港でも、観艦式の前にはこのように
色とりどりに飾られ、胸を弾ませた一般客が集ったに違いありません。

「てるづき」「あさゆき」「こくりゅう」ごしに横須賀の街を望む。

昔「ショッパーズプラザ」としてイオンなどがあったショッピングセンターは
現在全面改装のため取り壊しが予定されています。
これが完成したら横須賀の街のイメージもずいぶん変わりそうですね。

ちなみに。

なんとKさん、勢いあまって磯子のマリンユナイテッドにも出撃されました。
しかしよくここまでよく見えるポイントを把握しておられますよね。
これ一体どこから撮られたんでしょうか。

今JMUのドックには「きりしま」が今入渠中です。

手前は「はぐろ」。
そしてその向こうにいるのが「まや」です。


「まや」は幾度か試験航海を実施済みで来春配備予定。
「はぐろ」は再来年春の配備予定です。

予定通りであれば観艦式直前の横須賀軍港の様子を山上から。

昨日の横須賀港は、
まるで日本時間1941-12-08の真珠湾。
此れだけで韓国海軍なんぞは一捻り。
横須賀本港の周囲から観艦式に集結中の海上自衛隊を。
此れだけのフネですので、
艦名は省略しま~す。

だそうです(汗)

韓国海軍といえば、今まで多少の問題はあっても誠実にお付き合いしてきた
自衛隊を完全に前回の自衛艦旗降ろせ事件でキレさせたため、
今回の観艦式には呼んでもらえませんでしたね。

前回の観艦式に参加した時の韓国海軍については、わたしもかなり
しっかりと彼らの様子を観察したものですが、そのとき思ったのは、
観閲されている艦のくせに、自衛隊の情報を取るのに必死な様子が
傍目にも露わになっていたということです。

どういうことかというと、艦上に大きなカメラを配して動画を撮ったり、
皆が見えるところにカメラマンがいて写真を撮りまくってたり、それだけでなく
指揮官クラスがスマホでこちらを撮影しているのが見えたのです。

お行儀が悪いなあ、と思うと同時に、なりふり構わず日本の自衛隊の
回遊式観艦式の技術を盗む気満々なのが一般人にもわかりました。

(映像に撮ったからって盗めるようなものではないと思いますが・・)

彼らは今回、日本が今までのように自分たちがなにをやっても
国内の「国同士の問題はあっても軍同士は仲良くすべき」という意見が
勝って、観艦式には参加できると思っていた節があります。

日本側が「招待しない」と表明してからのちも、

「観艦式には招待があれば行く」

としてこちらを探っていた様子がありましたよね。

退官された河野前統幕長などの仰ることを聞いても、自衛隊は
すっかり一連の事件で業を煮やしてしまったように見えます。

わたしも「軍同士は常に顔を見せ合うべき」という考えを持っているものの、
流石に昨今の韓国海軍の非道ぶりには、忍耐強い日本が韓国疲れによって
キレたとしても無理はない、と思っております。

甲板に誰もいない「いずも」。

「いずも」は今回観閲部隊旗艦として総理大臣を乗せます。
今まで旗艦を務めた「くらま」よりヘリコプターでの乗降はしやすく、
広いので、同乗した見学者も従前よりは不便はないでしょう。

実はわたくし、今回こんなご招待をいただきました。

防衛大臣招待というからにはてっきり「いずも」に乗るものだと思って、
知り合いにもそう吹聴したのですが、
実は違っていたことが後で判明しました。

今まで観閲艦に乗った人の話を聞くと、艦内では何かと立ち入り制限があり、
脚を止められるのでなかなか不自由だよ、というものだったので、
「いずも」でなかったことはよかったのかもしれません。

でも、おそらく安倍総理大臣と同乗できる機会は二度とないだろうな。

手前に見えているのが輸送艦「しもきた」のお尻。
その向こうに「あたご」「こんごう」、その向こうもおそらく
同型のイージス艦だと思われます。(『みょうこう』かな?)

「しもきた」のこちらに「てるづき」、「あさゆき」。
満艦飾の代わりに電飾が設置されています。

見に行きたかったけど、今は台風に備えて外してるだろうな。

数えてみたらここに写っているだけでも10隻います。
外国からの招待艦はもう到着しているとのことですが、どこにいるのかな。

「いずも」の艦首には国籍旗が掲揚されています。
国籍旗は日中、停泊時にのみ掲揚されます。

国籍旗が国旗を兼ねることがありますが、アメリカ海軍は
軍艦旗が国旗と同じであるため、国籍旗として、
「ファーストネイビージャック」を揚げます。

Naval jack of the United States.svg

これが「わたしを踏むな」のガズデン旗になる時もあります。

ちなみにアメリカ海軍は国籍旗をメインマストにあげるようです。
観艦式の時にはそういうことも注意してみられると楽しいのではないでしょうか。



観艦式本番には台風が通り過ぎていることを祈念するシリーズ、続く。

 

 


フリートウィーク〜海上自衛隊観艦式を迎えて その1

2019-10-11 | 自衛隊

観艦式に間に合うようにアメリカから帰るため、ボストン空港に向かうその日、
帰る気が全くなくなるような悲しいお知らせが届きました。

https://www.mod.go.jp/msdf/release/201910/20191008-1.pdf

なんと、事前に行われる体験航海が台風のため早々に中止を決めたのです。
なんでほぼ一週間前に台風直撃がわかるんだよ、と驚いたのですが、
送っていただいた天気図によると、こんな感じでした。

日本に帰ってきてこれを制作している現在の予報によると、
最接近は12日ということのようですが、その勢力が結構大型で、
いかに精鋭の自衛艦隊でもそんな時に海に出れば第四艦隊状態になるのは確実。

しかも一般人が乗艦するイベントということで、海上自衛隊としては
涙を飲んで二日の航海を中止することを決断したのでありましょう。

今年は、前にもブログ上でちらっとお知らせしたかと思いますが、
青少年、つまり入隊の可能性のある若い人たちへの広報に重きを置き、
一般にはあまり乗艦券を出さないという方針で準備されていたので、
それだけに海自の特に広報や地本の方々は落胆されているに違いありません。

かくいうわたしは12日と本番の14日にいずれも観閲艦乗艦の予定でしたが、
12日も、そして知り合いが手に入れてくれる予定だった13日も無くなり、
なんだか気が抜けたような、一面ほっとしたような気分です。

(早朝の順番待ちに始まって家に帰るまでがなかなかハードなので、
楽しみな半分、苦行のような面もあるわけでして)

unknownさんによると、過去にも天候により中止になり、
停泊したまま一般公開が行われ年があったそうです。

というわけで、今日は長らく海外生活をしていてお伝えできなかった
海上自衛隊の観艦式前のフリートウィークについてです。

と言いましてもわたしは何しろ帰ってきたばかりですので、
観艦式前の横須賀に繁く通い艦隊の様子をお伝えくださった
Kさんの写真を今日は一挙にご紹介していこうと思います。

まず、フリートウィーク突入で、艦艇が続々と横須賀に集結してきました。
10月3日のご報告より。

この写真、どこから撮られたのでしょうか。
当日旗艦となる「いずも」がメインの係留岸壁に。

潜水艦はどこの所属か見ただけではわかりませんが、
おそらく呉から来た艦もいるのでしょう。

この岸壁にはいつも係留されているのは2隻だったはず・・・。

左から「こんごう」「いかづち」「はたかぜ」「はるさめ」。
イージス艦ってやっぱり大きいんですね。

「あきづき」「むらさめ」「てるづき」。

「あけぼの」「ありあけ」。

実はわたしも本番は横須賀から乗艦することになっており、
この三枚の写真のいずれかにその艦が写っています。

Kさんが今回ゲットしたチケットは全て受閲艦隊の方だったそうですが、

「従前は身内・納入業者・製造会社関係者が受閲部隊。
一般招待客は観閲部隊・観閲付属部隊でした。」

わたしは招待枠でしか行ったことがないのですが、そういえば
いずれも観閲部隊だったような気がします。

「多分、入隊適齢者(青年券組)が観閲および観閲付属部隊で
地本の隊員が艦内でリクルートするのではと思います。
三連休開催にして、地方からの青年が乗れるように
配慮しているようにもみえます」

地本で募集して引き連れて行くというパターンもありそうですね。
それだけに予行が中止になったのは痛恨の極み。

観艦式前ならではの光景です。
艦体をお化粧直しして観艦式に臨む海軍は、世界広しといえども
日本だけではないかとわたしは思っているのですが。

舞鶴、呉、佐世保、大湊など他所の港から来る艦艇は、
前に目撃したところによると、母港で手入れしてからやってくるので、
これはおそらく横須賀係留の艦艇だと思われます。

岸壁からカメラに手を振ってくれたようですね。

「此方の撮影に気付いた女性幹部2等海尉が手を振ってくれました。
左の2尉は左胸の防衛徽章がチョットしかないので新米二尉ですね。
右の2尉は航空徽章だから飛行機乗りのうえビックリ、
体力優秀徽章まで着けてるWonder Woman
帯剣しているので観艦式で儀仗を仰せつかって練習中だと思います。
ガンバレ❢」

こういう観艦式の楽しみ方もあるんですね。

ところで冒頭の写真ですが、素晴らしい!
これは、10月5日、フリートウィークの行事の一環で
横須賀で係留されていた「こくりゅう」のブリッジだそうです。
この二等海尉の敬礼に海上自衛隊の全てが表れていますよね。

そしてはためく自衛艦旗の目に染みる美しさよ・・。

10月6日にも横須賀に出撃したKさん、
横須賀沖に遊弋中の「そうりゅう型」潜水艦を発見❢❢

この日は横浜に回航される「いずも」をお見送りされたそうです。
大きな「いずも」の甲板に人がいるのが見えます。

台風が来る前に乗れたこの方たちはラッキーでしたね。

ベイブリッジの下を堂々通過する「いずも」。

「出航合図から此処まで離岸するのに30分さすが2万トン巨大艦。
「いずも」を電車で追い駆けてベイブリッジへ。
突如現れた❝鋼鉄の艨艟❞に赤レンガ倉庫に居た人たちは大騒ぎ」

だったそうです。

 

別名「人の褌で相撲を取る」シリーズ、続く。

 


毒ガス戦と「名前のない1914年」〜ウィーン軍事史博物館・第一次世界大戦

2019-10-10 | 博物館・資料館・テーマパーク

ウィーン軍事史博物館の展示より、第一次世界大戦のパートをご紹介しています。

右側の帽子は、帝国下ウクライナ兵のもの。

左は第一次世界大戦当時のKuK、オーストリア=ハンガリー帝国軍の軍服です。
ポケットのフラップの装飾に特色があります。

この写真は、2011年に最後の皇帝カール1世の息子、ハプスブルグ家の

オットー・フォン・ハプスブルグ(1912−2011)

が亡くなった時の葬列で行進する帝国軍時代の兵士たち。
このときには現在はドイツの国歌となっている、ハイドン作曲の

「神よ、皇帝フランツを守り給え」

も演奏されました。

Gott erhalte Franz den Kaiser (Kaiserhymne; Gott erhalte, Gott beschütze)

ドイツ国歌(東ドイツ国歌だった)って、替え歌だったんですね。

どれも帝国下アラビア志願兵の軍服です。

帝国海軍の水兵軍服など、海軍関係の展示です。

右上にある丸いものは、KuK海軍に撃沈された
イギリス海軍のM30の船窓だそうです。

KuK海軍の軍帽には舫を模した飾りがあるのに注意。

砂漠地仕様の軍服色々。

KuKの狙撃兵のスタイルです。
左の壁にあるのは望遠鏡ではなく、「パイプグレネード」だそうです。

絵に描かれている兵士も、このパイプ式爆弾らしきものを手にしています。

第一次世界大戦は「塹壕戦」だと言われています。
先ほども言いましたように、機関銃が大規模運用されたこと、そして
正面突撃を完全に破砕しうる火線が完成したことで、兵士の身の防御のためにに

塹壕に頼らざるを得なくなりました。

そして、敵も同じように塹壕を掘り進めてくるため、側面に回り込まれること、
包囲されることを避けるように前線は次第に広がり、連続的な線を形成するに至ります。

前線のいくつかの部分では防御のため、それは数キロメートルの深さに達しました。

両軍の前線の間の地帯は「ノーマンズ・ランド」と呼ばれ、
有刺鉄線で両側から隔離されていました。

塹壕を掘り進めて防御をまず第一とした先頭の形態は、戦線の膠着を生み、
このために戦争は当初の予想を大幅に上回って長期化したのです。

例えばドイツ軍の塹壕のさらに地下まで坑道を掘り進め、爆薬を仕掛けて
塹壕ごとドイツ兵を1万人一度に殺傷したイギリス軍の作戦には、
土の中を掘り進むという地味な準備になんと2年間を要しています。

第一次世界大戦を塹壕とともに後世に強く印象づけるのが「ガスマスク」です。

この時代に兵器として登場した毒ガスは、塹壕戦を打開するためのもので、
これもまたドイツ軍が西部戦線において初めて使用しました。

 

比重の重い毒ガスは塹壕内や地下壕内の歩兵部隊に被害を与え、
多くのイギリス兵が視力を失ったといわれています。

全員が視力を失った英陸軍第55連隊。

 

戦争の初期には塩素系の催涙ガス程度で止まっていましたが、
だんだんそれはより効果的な殺傷力をもつものに進化していきました。

このガス兵器の開発を行った中心人物は、あの、

Fritz Haber.png

フリッツ・ハーバー(1868-1934)

という科学者です。

彼の妻もまた優秀な科学者でしたが、彼女、クララは、
非人道的な夫の毒ガス研究に強く反対していました。

NHKの「新・映像の世紀」で紹介されていたので、
ご存知の方もおられるかもしれませんが、彼女は夫の毒ガス製造に反対し、
抗議のピストル自殺を遂げたということになっています。

ドイツ語のwikiですら、それが原因だと限定しているのですが、
調べてみたところ、夫婦の仲は冷め切っており、夫には愛人がいて、
自殺した夜に行われたパーティに同伴していたということから、
わたしは「抗議の自殺」とだけ言い切ることもできないと思います。

そもそも、彼女が抗議しようが、夫は毒ガス研究をやめようとはせず、
実際に自分が軍隊に参加してその結果を見届けるため予備隊に入隊し、
大尉になっていますし、彼女が死んだ後も平常通りだったようです。

夫の研究に異論を唱え始めたから仲が悪くなったのか、
夫婦仲が冷え切るのが先だったのか、これは余人には知るすべもありませんが、
どちらか一方の理由だけなら彼女はおそらく死ななかったのは確かです。

 

彼女の自殺は後世の平和団体に利用され、その名を冠した賞は

「個人的な不利にもかかわらず、戦争、軍備、人権侵害に反対する人」

に与えられているというくらいなので、その理由を突き詰めていくのは
顰蹙を買うことになりそうですが・・・。

ちなみに、ハーバー博士の考えは、原爆投下したアメリカの首脳陣と同じく、

「それによって戦争が早く終わる」

というところに尽きたということですが、ユダヤ人だった彼はその後皮肉にも、
ドイツから逃れるため国外亡命を余儀なくされることになります。

 

さて、毒ガスは、当初塩素系だったので、ガスマスクをかぶれば
命に別状はなかったのですが、だんだんそれが殺傷力を増すものに
グレードアップしてきた、と先ほど書きましたね。

その中でも一番危険で深刻な被害をもたらしたのが、マスタードガスでした。

wikiに載っているマスタードガスを浴び皮膚が糜爛した人ですが、
この写真はまだ「ましな方」です。

Mastard gas burns 

で画像検索すると、人間の皮膚がどうしてこうなってしまうのだろう、
目を覆うばかりの第一次世界大戦の負傷者の写真が出てきます。
(自己責任で閲覧をお願いします)


海に浮かぶうさぎの島がかつては毒ガス製造の島だった、
という話題を、島の訪問記としてアップした時に、このマスタードガスを
黄色であることから「きい剤」、あるいは

「イペリット」

と呼ぶという話をしましたが、このイペリットの語源は
1917年の7月31日から11月10日まで戦闘が行われたベルギーの
イーペル(Ypel)からきているということを知りました。


第一次世界大戦に参加した動物も紹介されていました。

当時のフィルムを見ると、やたら犬が写り込んでいるのに気づきます。
戦争に参加した動物については、かつて当ブログでも集中して取り上げたので
よろしければそちらもご覧ください。

専門の道具まで作って犬に荷物を引かせていたんですね・・・。

雪の降る山岳地帯で展開するための装備です。
それにしては薄着すぎないか、って?

第一次世界大戦が起こった最初の年、ほとんどの兵士が
冬装備を全くしないままヨーロッパの厳しい冬を迎えたのですから、
これはまだましな方と言えましょう。

雪上で的に見つかりにくいように白をまとっています。

看板には

「雪雪崩に注意!距離を保って!」

などと書かれています。

レリヒ少佐の私物でも見られた雪上履。全て白で統一。

天井から大砲を吊るして展示してありました。

ここからは第一次世界大戦の悲惨な戦地での様子が続きます。
1914年から1918年まで動員されたヨーロッパ兵士6千万人のうち、
800万人が戦死しました。

ちゃんと棺が用意され、従軍牧師が立ち会う戦地での告別式。
司令官クラスの人物が亡くなったのではないかと想像されます。

第一次世界大戦は多くの創作物に表されました。
戦地から帰ってきた画家は、自分が見てきたものをキャンバスに表し、
戦争画家は例えばアルヴィン・エッガー・リエンツのように
独特の世界で戦争を描きました。(左)

「名前のない1914年」(»Den Namenlosen 1914«)

ロシア戦線で亡くなったルードウィッヒ・ホルツハウゼン(誰?)
の十字架など、
本物の墓碑がいくつもここには展示されています。

プロペラに腕を乗せ、あたかも磔刑のキリストのようなポーズをした
青年は、フェルディナンド・ザウバー・フォン・オクロッグという
kuK海軍の士官候補生の姿を表したもので、1917年、19歳で亡くなりました。

 

ガスの被害以外でも、戦後に重い障害を抱えた人はたくさんいました。
700万人が永久的な身体障害者になり、1,500万人が重傷を負いました。

なお、第一次世界大戦での死傷者は130万人、うち死者は9万人に上るという
毒ガスなどの化学兵器は、当初猛烈な世界の忌避感を引き起こし、

1925年、ジュネーブ議定書においてその使用が国際法上は禁止されます。

第二次世界大戦ではそれに加え、報復攻撃を受ける可能性が抑止力となって
使用は控えられていましたが、だからと言ってガス兵器の製造が無くならず、
その後もその開発は続けられているのは皆様ご存知の通り。

 

ところで、毒ガス開発をしたハーバー博士の話を蒸し返すようですが、
NHKの「新映像の世紀」では友人で同僚でもあったアインシュタインが、

「君は才能を大量虐殺のために使っている」

とハーバーに向かって言ったとかいう話が紹介されます。

これの裏をとるため英語やドイツ語のサイトをいくつか当たったのですが、
この話は出てこず、日本語だけで検索が可能という状態でお察しです。


同じ科学者でも妻のクララはともかく、アインシュタインがそういうことを言うか?
とわたしはこの「ストーリー」に激しい違和感を感じずにいられません。

なぜなら、アインシュタインって、第二次世界大戦が勃発する1カ月前、
アメリカの大統領フランクリン・D・ルーズベルトに宛てて出された
原子爆弾の開発を進めましょう、という内容の手紙にサインしているんですよね。

まさか原子爆弾は大量虐殺に使われると知らなかったわけではあるまいに。

これがきっかけでアメリカはマンハッタン計画に舵を切ったのですから、
毒ガス程度で大量虐殺だなんてどの口が言うのか、って感じです。


当時の科学者の宿命と言いますか、ことにこのテーマでは彼らは皆ある意味
同じ穴の狢みたいなところがあると思うんですよ。
科学がどんな小さな発明でも戦争に利用され発展してきたという事実は、
いわば彼らの背負う十字架みたいなものでもあったのですから。

だから、そういう事実に対し真摯な科学者なら同業者を責めたりできないはずで、
もしこの話が本当だったら(わたしは嘘だと思っていますが)
アインシュタインっていうのはとんでもない偽善者、ということになります。

 

 

続く。