ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

軍人さんの奥さん

2011-08-29 | 海軍

先日「不許可写真史」という写真集について記事を書きました

この本は毎日新聞から1977年に発行されています。
この頃、新聞言論には「従軍慰安婦」という言葉がありました。

現在、特に朝鮮半島出身者が軍の命令で強制的に慰安婦にさせられたという証拠はどこにもなく、
むしろ業者が売春婦を「好待遇で募集」しており、貧しさゆえに親が娘を売るような構図を「軍の強制」
と広義に当てはめてしまっていた構図が関係各位の調査とインターネット普及によって
ようやく明らかになってきたのですが、このころはまだ世論全般、ことに朝日毎日は
「日本軍絶対悪玉論」の下に言論を展開していた頃です(今もか)。

 

この本の不許可写真、「慰安婦」の項の始まりはこんなものです。

近代国家の軍隊で戦場まで慰安婦を連れていったのは日本軍だけだった。
軍部もさすがに恥ずかしかったのだろう。
慰安所の写真、慰安婦の写真はすべて禁止としていた。

何というか、読んでいるこちらの方が恥ずかしくなってしまうくらい鼻の穴をふくらませてます。
一体てめーは何様のつもりでこういう審判の高みに立ってものが言えるのか、と聞いてみたいくらいです。

恥ずかしかったからも何も、国内に奥さんや恋人がいる人もお世話になるかもしれないんだから、
慰安婦やそんな場所や、ましてやそこにいる兵隊の写真がOKなはずないだろうが。
内地の奥さんや恋人がそんな写真を目にするには忍びないからだろうが。
「連れていった」のは「現地調達」がまずいからだろうが。

しかし、その当時、本田勝一の「南京への道」に描かれていた全ての「共産党お提灯記事」を
盲目的に信じさせられていた当時の日本人には何の不思議もない記述です。
もうここからは目を覆うような断罪っぷりで、なぜ慰安所を設けたかについては

(日本軍は)強姦略奪し放題に南京に進撃していったからだ。
杭州湾上陸の第十軍のごときは毎日戦闘を繰り返しつつ、
一か月そこそこで300キロを走り南京に達したが、
その秘密それであったという人もいるくらいだ。

すごい。日本軍最強伝説。どんだけ凶暴なんですか日本軍。
一日12~3キロの行軍しながら毎日略奪強姦し放題。スーパーサイヤ人軍団か?
だいたい、
「その秘密」ってなあに?
「それ」ってなんですか?
「それを言った人」ってどなたです?

頭痛くなっちゃいますね。もしかして適当に想像で書いてます?

この記者は、もう最初から
「凶暴な兵の強姦に手を焼いたので恥ずかしいことに慰安所なんてものをつくった悪鬼のような日本軍」
という結論ありきで記事を書いてしまっているのです。

「従軍慰安婦が初めて生まれたのは昭和13年1月13日か14日とされているが、
はっきりした日時は不明である」

って、はっきりしてるのかしてないのかどっちやねん!
「連れていった」と書きながらその直後に「強姦しつつ南京への進み現地で慰安所を作った」
どっちやねん!
辻褄も何もあったもんじゃありません。もう処置なしです。


「男の性」をいかに処理するか。
それが日本軍に限らず古今東西、軍隊にとっていかに重大にしてかつ最終の問題だったかについて、
この記者は自分が男でありながら、全く想像することもできないのでしょうか。

「慰安所が無かったら強姦などということが起こり軍紀が乱れるから、
日本軍は、その対策上軍の仕事としてそういう場所を真っ先に設けた」

つまりこういうことではないんでしょうか。

「日本兵の去った後にはフンダララ」とか
「一人の女性を三十人の日本兵がホンダワラ」とか、
まるで見てきたようにえげつないことを書かなくては、この話題に繋げられないんでしょうか。

次も凄いですよ。

「そうやって日本軍は、たけり狂う将兵に従軍慰安婦を与えた」


たけり狂う将兵って、あなた・・。
日本軍の将兵は、あなたのお父さんたちは、何か?
理性も何もない、まるで野獣のようなバイオレンス集団だったと、
そういうことなんですか?そう言っているんですか?


しかしこの団塊左巻き記者の捏造記事に34年経ってから怒ってみても仕方がないので先に進みます。


ラバウルにも慰安所がありました。
士官用、下士官用と分かれていたそうです。
報道記者の吉田一氏は、そこで見たことを日本に帰ってから書いています。
報道班員の待遇は基本的に士官に準じたらしく、そこで見たことは、下士官、兵たちの
ついぞ知らないことだったのですが、

「大空のサムライ」って、このへんのことがまったくオミットされていますね。
同じラバウルなんですが、坂井三郎氏の記述、全くそういう話は語られません。
読者対象が広く少年も読む、ということで書かれたものなら当然のことです。

というわけで坂井氏は書きませんでしたが、吉田氏はやたらくわしく慰安所での出来事を書いています。
その著書に戦死した士官の写真に線香をあげて冥福を祈る慰安婦の記述があります。

軍が慰安所や慰安婦の写真を不許可としたのと同じ理由で、それについて誰も書きませんし、
書くようなことでもないのですが、きっとそこにはそれなりに、戦場に生きる人間同士の機微が
通い合うこともあったのかもしれない、いや、そうあって欲しい、と思わずにはいられません。

今まで読んだ自伝を含む戦記の中で自分とこういった女性とのかかわりについて自ら書いた本は、
(よもやま話の類をのぞいては)角田和男氏の「修羅の翼」それから主計士官の守屋清氏の
「回想のラバウル航空隊 くらいだったように思います。

なかでも角田氏の著書でのエピソードで
「兵隊さんの奥さんになって戦地で死んだら靖国神社に祀ってもらえる」
と信じていたらしい朝鮮半島出身の慰安婦の話は特に胸が痛みます。


さて、不許可写真集に話を戻して。

「悪辣な日本軍の作った恥ずかしい慰安所」について、前述のようにおどろおどろしい説明がつけられた
「不許可写真」の数々。
ところがそれは、そんな説明とはうらはらな明るさに満ちているのです。

「身も心も捧ぐ大和撫子のサーヴィス」「聖戦大勝の勇士大歓迎」
という幟を掲げた慰安所の写真。
にこにこ笑っている慰安婦たち。

清潔な診察室に、壁にぎっしりと張られた「慰安所の規則」。いわく

「室内においては飲酒を禁ず」
「いったん酌婦に入場券を渡したものは払い戻しせず」
「用済みの上は直ちに退室すること」
「軍紀風紀を乱すものは退場」

そして、本日画像の慰安所の女性。
海軍士官の客の軍帽と、何と軍服までを着こんで、にっこり笑っています。

「残虐な日本軍が強姦に手を焼いて作った南京の慰安所の写真」
などとしたり顔に書きながら、この写真がどう考えても南京でのものではないことを、
この左巻き毎日記者は検証することもしなかったようです。

因みにわたしがそれをなぜ断言するかというと、彼女の部屋に飾られた鉢植え。
この変わった植物は「クルクマ」と言い、今でこそ日本で栽培することができますが、
元々は東南アジア、それもタイ、カンボジアに当時は生息していた植物。
30℃で発芽し、1月の冬の南京には存在する可能性すらないものです。

「これが南京虐殺の証拠!」
という写真がどう見ても夏の日盛りに撮られている、という話を思い出しますね。


この一見幼い感じのする慰安婦は、南国特有の植物の鉢が飾られているテーブルで煙草を持って、
カメラを向けた客である海軍士官にポーズを取ったのでしょう。
写真につけられたキャプションです。

軍帽をかぶった慰安婦 戦場経験者の大半は今もこの種の写真を一枚は秘蔵している?

「大半は」「この種の写真」「秘蔵している?」
この短い一文に筆者の心根の下品さ、卑しさがいかんなく現れています。

しかしながらこの写真には、毎日記者が口をきわめて
「残虐非道な日本軍の性欲処理の犠牲になった可哀そうな慰安婦」
というような陰惨さはどこにも見られません。

それどころか「この種の写真」などという、その下種っぽいからかいが薄汚く思えるくらい、
彼女は実にいい顔で微笑んでいます。
決して美人ではありませんが、彼女はこの士官の親しい誰かに似ていたのでしょうか。
カメラの主は、もしかしたら彼女がとても好きだったのでしょうか。

記者のいうように、そのかかわりが殺伐とした非人間的なものでしかなかったら、
人はおそらくこんな風には笑わないでしょう。

今、このときだけ「軍人さんの奥さん」でいることを受け入れ、
男に一時の安らぎを与える若い慰安婦。
彼女は確かに戦争と貧困の犠牲者には違いありません。

しかし、自らの父祖を悪辣な暴虐の集団と断罪し、その犠牲になった慰安婦を気の毒としながら、
実は彼女らを蔑んでいることをその文章の端々から隠せないこの毎日記者などより、
この女性の方が、そしてこの女性の微笑みにシャッターを切った士官の方が、
遥かに人間としては健全な精神を持っているように思えてならないのです。

 

 

 

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映画「FLYBOYS」

2011-08-26 | 映画

サンフランシスコに来てびっくり。
なんと、 大型書店のボーダーズが「閉店」するというではありませんか。
このことは息子の方が噂で先に知っていて、ボーダーズそのものが無くなってしまうその原因は
アメリカ経済の悪化もありますが、なんといっても「書籍離れ」なのだそうな。
キンドルなどの電子書籍に本腰を入れて、人件費や場所代のかかる店頭での書籍販売からは
他社に先駆けて手を引くということなのかもしれませんね。
なんだか淋しいです。
ちょうど近くのボーダーズで「在庫処分投げ売りセール」をやっていたので、本日の映画
「FLYBOYS」 を購入しました。

大正解!
久しぶりに好みにドンピシャの映画を見つけました!

以前わたしの好きな映画の傾向として
「男たちが皆で一つの目的に邁進する達成もの」
だと言ったことがありますが、これですよ。まさにこれ。

第一次世界大戦中、アメリカが参戦を決める前に、志願してフランス空軍に身を投じ
ドイツ空軍と戦ったアメリカの若者たちがいました。
実在した「ラファイエット戦闘機隊」をモデルにした、
「空駆ける青年たちの物語」
それがこの「FLYBOYS」です。
FLYとBOYSの間にスペースが無く、一つの単語としてスペリングされていることにご注目。
(スペースがあると『飛べ、少年たち』で単語ではありませんね)

主役はスパイダーマンのハリー・オズボーン役でおなじみ、ジェイムズ・フランコ。
自宅の農場が抵当に入り、食いつめた末新天地に運を賭けるカウボーイ、ローリングスを演じます。
部隊長役にはフランス人ジャン・レノを配しての意欲作。
制作総費用70億円。お金かけてます。

「外人部隊」として結集してくるアメリカ人青年たち、それぞれにストーリーがあります。
彼ら「FLYBOYS」を全員絵に描いてみました。
いかにわたしがこういう映画が好きかということが、この無駄な熱意に現れていますね。

 
    

黒人スキナーのパイロット姿に違和感ありまくり、と思ってふと気づけば、
第二次世界大戦中って白人しか飛行機乗りになれなかったのですね。
このラファイエット部隊には人種の制限はなかったようです。
当初露骨に彼を差別をする、ハーバードを中退して勘当同然軍に入れられたおぼっちゃまロウリー。
アメリカから逃げるように入隊して過去のリセットを図るビーグル、
「六週間生き残れば幸い」の空中戦を生き抜いた虚無的な孤高のエース、キャシディ。
ペットのライオンは実話だそうです。(ライオンなのに『ステイ』してる・・・かわいい)
部隊の一人一人の描写が丁寧になされたプロットは「メンフィス・ベル」を思い出させます。


ところで、当ブログ「リヒトホ―ヘン映画『レッド・バロン』再び」の項に、
「発明されてすぐの飛行機で空戦とか、無茶もいいところ」と書いたことがあるのですが、
この映画、最初の字幕に
「できてすぐの飛行機で彼らは戦っていた云々」
と、(さすがに『無茶』とは書いていませんでしたが)全く同じことが書いてあって、
いきなり我が意を得たりの出だしでした。

そしてやはり当ブログ「ヒッカム空軍基地の星条旗」の日に
一対一の騎士道的な正々堂々を重んじる戦いであった、と一次大戦における空戦を評したのですが、
この映画でもドイツ軍航空隊との空中戦はまさに「顔のある個人同士の」戦いであることが
ストーリーの軸となっています。

凄腕のドイツ軍パイロットは黒いフォッカーDr.lに乗った非情の男、ブラック・ファルコン。
彼以外のフォッカーはみんな赤で、この、自分の斃した相手を見てはほくそ笑み、
飛行機に乗っていない敵を撃ち殺す「悪役キャラ」がリヒトホーヘンと被らないように配慮しています。
関係ないのですがあるところで『ガンダムのシャアのモデルはリヒトホ―ヘン』って説を見ました。
本当ですか?これって常識?

その一方で、ブラックファルコンの犯した「ルール破り」に対する謝罪として、
優位を取りながらローリングス(フランコ)を見逃す「正々堂々とした敵」もおり、
ハリウッド映画にありがちな「ドイツ人、悪い。ロシア人、悪い」という構図にはなっていません。
ユダヤ資本のハリウッド映画ではなく、この映画は配役の自由を理由に、メジャーの映画会社ではなく
独立系のプロダクションによって制作されたということです。

確かに、その方向性は功を奏していますし、丁寧な作りの佳作であるのですが、
そのせいで配給、公開の規模は小さく(東京の映画館は2館のみ)
こんな映画があるということすら知らなかった人も多くいるかもしれませんね。



とはいえふんだんに費用をかけているだけあって、フォッカーもニューポールも実機が用意され、
さらにCGによって巴戦やインメルマンターン(のようなもの)もかなりのリアリティで再現されます。

各々の機にトレードマークを描くことは、飛行機が戦線に導入されてすぐ行われたようですが、
ここでもニューポール17の機体に
「抵当に入った農場の焼印」「相手を穴だらけにしてやるという意味でキツツキ」「アメリカインディアン」
なんかを各々がペイントしているシーンがありました。
(そこで縁起を担ぐなら、まるでここを狙えと言わんばかりのダーツの的みたいな
ニューポール17の翼のマークをまず何とかしろと突っ込んでみる)

彼らの入隊、そして一人前になるまでのトレーニング、初陣とそれに続く戦闘の合間に
主人公ローリングスのフランス娘(ジェニファー・デッカー。可愛い)との恋愛も描かれます。
お互いしゃべれない英語とフランス語の片言で意志を伝えあう、淡い恋愛。
「戦争映画の客寄せ女優起用に反対する会」の会長であるところのエリス中尉ですが、これは許す。

その理由。

「この時代はこのようなことがあっても不思議ではない。いや多々あったであろう」
「これは戦争映画ではない。青春映画である」


空戦の描写にしても、この時代の複葉機や三葉機の戦いは、まだ義理人情や復讐、
そういった人間的なものを絡め安く、戦争映画と言うよりむしろ
「戦場を舞台にした青春群像ドラマ」として作られた映画といえるでしょう。

でもまあ、たかが一兵卒が飛行機をデートにこっそり持ち出して彼女を乗せて口説くというのは、
さすがに少し無理があったかな。


パイロットのための訓練で椅子をぐるぐる回した後平均台の上を歩かせたり、
隊長のジャン・レノがマフラーの巻き方を教えるのに
「これはかっこいいから巻くのじゃないんだ。見張りの時に首が摩擦でやられるのを防ぐためだ」
みたいなことを(相変わらず字幕なしの聴き取りですので違ってたらすみません)言うシーンがあり、
日本における搭乗員の訓練の原型というのはこの時代にすでにある程度の形になっていたのだ
ということが分かります。


一対一の騎士道精神を重んじた戦い、名前も顔もある相手、という戦争にしかありえない展開として

ブラックファルコンが卑怯な空戦をする
それに心を痛めたドイツ軍の「正義漢」パイロットが、その償いとして空戦で手加減する
その後ブラックファルコンがラファイエット隊のエース(キャシディ)を撃墜
死んだエースの機のマークをつけてその仇討ちを果たす

という、こうやって書けばわりとベタなプロットになっています。
実際のラファイエット隊のエピソードをかなりの部分取り入れているということですが、どこまで事実かな。
そして。
その「仇討ち」なんですが・・・・。
これ書いちゃうとこれから観るつもりの人の楽しみを奪うので書きませんが

「いやそれは・・・・パイロットとしていかがなものか」

と思わずつぶやいてしまったという・・・・・。
いや、いいんですよ。そもそもこれは戦争だから。でもねー。

ブラックファルコンがかなり「嫌な奴」に描かれているのも、このオチに
「いやしかし、許す。だってこいつ嫌な奴だし」
と思わせるための伏線だろうか、とふと考えてしまいましたよ。

さて、映画冒頭にも書かれていた「できて10年そこそこの飛行機で戦っていた」件です。
平均寿命4週間から6週間、初陣の戦死率の高い不安定な兵器であった戦闘機。
さらに当時はパラシュートはまだ無く、渡されるピストルは「機体が火に包まれたときの自決用」。
遅かれ早かれ戦死することを最初から覚悟せずには乗ることもできなかったのです。

おまけに、命をかけて戦った者には何ともやりきれないとしか言いようがないのですが、
第一次世界大戦における航空戦の勝ち負けは実は戦局にほとんど影響を及ぼさなかった、
というのが定説になっています。

まさに何のための戦い、なんのための戦死。


しかし、科学の最先端である飛行機を駆る、選ばれしパイロットに皆がいかに憧れたか、
そして戦地の空を飛ぶ自軍の飛行機が兵たちをいかに力づけたかは、想像に余りあります。
リヒトホ―ヘンはドイツ軍のみならず敵国軍の兵士たちにも愛され尊敬されました。
この映画でも、自分の命をかけてパイロットを救おうとする塹壕のフランス兵が描かれています。
彼らは戦う者たちの象徴としての役を担っていたのかもしれません。


わざわざ外人部隊として志願してまで過酷な空の戦いになぜ彼らが身を投じたか、
レッドバロンでも語られた「彼らは何故飛んだのか」が、
主に人物描写にディティールを求め、彼らの個人的な悩みや苦しみにまで踏み込んだことで
わずかながら解き明かされた気がする映画でした。


蛇足ですが、初陣のブリーフィングでビーグルが「緊張を和らげようと」アメリカンジョークを飛ばし、
ジャン・レノの隊長に叱られるシーンがあります。

こういう時にジョークを言わずにいられないのがアメリカ人の習性なんだよ。
許してやってくれ隊長。



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たかが買い物で元気になる

2011-08-20 | アメリカ

大災害が起こると、物質、わけても服飾品の価値というのは紙くず同然になってしまいます。
実際、我が家は避難のため一か月以上家を空けましたが、わたしは自宅の服やバッグ、
そして靴やアクセサリーがどうなっても惜しいと思うことは一瞬たりともありませんでした。
(さすがに家や車はどうなるかなあ、という心配くらいはしましたが)

ましてや物を買って楽しむ、などというマインドは一時すっかり失われてしまったのです。
世間では「経済を回すために、外食して買い物しよう」という意見も出て、少しずつ消費が伸びましたが、
今度は食物汚染で外食を避けるため皆が出かけることそのものを控えるようになってきました。
物質に対する欲望は社会不安によって簡単に消滅するということを、あらためて実感した次第です。

しかし、経済を回すためというお題目を抜きにしても、買い物をすることが自分の精神面を平常時に保つ
という効果には無視できないものがあります。
外に出て店に入り、店員と会話の一つもしながら品定めをし、買うかどうかを心にめぐらせ、
決定し、お金を払い、手に入れて持って帰る。
この一連の動作に身を投じることによってあえて日常に埋没し非常時を忘れるとでも言いましょうか。
(ですのでここでの買い物はネットでのそれを含みません)


アメリカに行くとき、わたしはあまり服を持って行きません。
現地でそのときの気分や空気になじむものを安く購入し、さらに次の一年間のワードローブを整える、
というのが習慣になっているためです。
そのための行き付けのブティックの一つ、サンフランシスコのトニーの店。

今回顔を出したらいきなり
「今年は来るのが遅いから、地震で何かあったんじゃないかと心配していたのよ」と言います。
「心配してくれたんだ・・・・嬉しい」
「もう、ニュースを知って真っ先に『あ、エリス(仮名)は無事だったかしら』って思った」
「(T_T)」

「実を言うと、あの後物質的欲望が低減してしまって(直訳)・・・・・」
「わかる。ここも地震があるし、いとこはハリケーンに遭ったわ。
ファッションなんてねえ。ライフ・イズ・ファースト、ファミリー・イズ・ファーストよね(言文一致)」
「でも、そろそろチアー・ミー・アップも必要だし、トニーの顔も見たいから来たの」
「どうぞどうぞ。今年は日本人に限り特別料金よ」

 
というわけで日本人被災お見舞い特別料金で購入した某ブランドのニット。
何とニーマンマーカスの新品タグ付き。
トニーはこれを正価の3分の1以下、この店の通常の値段の40パーセント引きで売ってくれましたが、
実を言うとこの買い物は彼女の店でなければしなかったでしょう。

自分を力づけるためというより、彼女の店で買い物してあげるのが目的の買い物だったからです。

とはいえ、淡いピンクの毛糸が編み込まれ、トッグル(留め具)にはよくよく見ると分かる程度に
マークがキラリと光るラインストーンで刻まれた凝った造り。
この冬、トニーの言葉とともに思い入れを持ってクローゼットから取りだされるでしょう。


ところで、今回のアメリカでの安物買いぶりを少々。
(しょうしょうで変換したら真っ先に少将が出てくるわたしのパソコン・・・)

暑いボストンで必要にかられて真っ先に買ったのが冒頭写真のサマードレス。
これは、ターゲットと言う大型スーパーで3000円で購入。
アメリカのドレスはことごとく胸が大きく空きすぎているのですが、郷に入れば郷にしたがえ、
日本では暑いのに肌を晒せなくてボレロとか着てしまうんですけど、ここでは平気。
(へいき、を変換すると真っ先に兵器という漢字が出るわたしのパソコンって)
決してその値段には見えない、というところが購入のポイント。
色が何と言ってもとてもきれい。このスーパーの専属ブランドのもので造りも悪くありません。

そして、アメリカに来たら、特にサンフランシスコに来て買い物をするならぜひ立ち寄って欲しい、
スリフト・ショップ。

スリフトショップには面白いので「宝探し」の感覚で立ち寄り、育ち盛りの息子の衣料や
この値段なら失敗しても痛くも痒くもない、といったものを買います。
今回「宝探し」で見つけた戦利品。
ベラ・ウォンのドレス、400円。
アン・テイラーのワンピース、500円。
アンテイラーは「プラダを着た悪魔」の原作で、ファッション誌の編集長に
「その靴、誰の(デザイン)?」と聞かれて「私のです」と答えてしまった主人公が、
「2000ドルの靴を履いている人に『これはアンテイラー・ロフトのです』なんて言えない」と思った、
と書かれていたくらい庶民的なブランドですが、いろんなブランドの服を着てきた経験から言っても、
アイテムによってははっきり言って見た目も着心地も、品質すら上級ブランドと大差無いことがあります。
(たいさを変換すると真っ先に大佐という字が以下略)
上のベラ・ウォンはこちらの有名デザイナーですが、スリフトショップに来てしまえば同じ価値。


スリフト・ショップとは日本で言うところのリサイクル・ブティックなのですが、特に最近、
このタイプの服屋さんがサンフランシスコには異常発生しています。
やはり経済の悪化の影響でしょうが、人が履いていた靴や多少汚れた服でも全くOK、
というドライな国民性が根底にあります。
もしかしたらニーマン・マーカスで買い物をする人種と、スリフトショップで買い物をする人種、
2種類しかいないのではないか?と思うくらいで、フィルモアストリートやミッション地区、
ヘイト・アシュベリー(ヒッピームーブメントの発祥地)などには角ごとに一軒はあります。

たくさんあるだけあってまさにピンキリ。
中にはホームレスがふらふらと入ってきて適当な服を着て、脱いだ(勿論汚れた)服を
試着室に置いていくような(もちろんこれは万引きってことなんですが)
つまりそう言う人が店内に入ってきても違和感がなく誰も気にとめない小汚い店もあれば、
エッジな若者をターゲットにしたお洒落な店もあります。

トニーの店はコンサインメント(委託)ショップといい、顧客から預かった「ステータス・ブランド」を
それなりの値段で売るものですが、スリフトの方は「ドネート」つまり、廃品処理のつもりで
ただで持ち込まれたものをそれなりの値段で売るのです。
「スリフトショップのつもりで来て『高い、高い』とウェブのショップ評価に星一つつける人、
うざいわー!ウチはいいものを売っているの!だから高価いのよ!」
と、トニーはその他諸々のスリフト・ショップと一緒くたにされることに甚くお怒りでした。

その中間で、ブランドものはあまりないがそこそこのものをそこそこの値段で売る、
日本のリサイクルショップに近い委託式の店も勿論たくさんあります。
まさにアメリカ人のSomeone's junk,someone's treajure(捨てる神あれば拾う神あり)
という合理性に支えられている業界と言っていいでしょう。


「たかが買い物」ですが、こちらでのモノや人との出会いによって、
わたしもまた日本に戻っていつもの生活をする心の準備ができたような気がします。


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草鹿中将の乾杯

2011-08-17 | 海軍人物伝

画像は兵学校七十期の卒業式に桟橋で「帽振れ」をする草鹿校長のアップです。
映画「勝利の基礎」最後のシーンですが、その眼が涙で濡れているのにお気づきでしたか?
この画像も「うるうるしている眼」をポイントに描きました。
少しは校長の心情が表れていればいいのですが。

エリス中尉が井上大将と対照的なこの草鹿中将のファンであるのは、
その残された エピソードにうっすら見られる利かん気のやんちゃぶりゆえにです。

勿論、中将まで登りつめた旧海軍軍人ですから、そんな無茶苦茶な話が残っているわけではないのですが、
例えば兵学校の校長に就任することが決まったとき
「草鹿は兵学校に行儀見習いに行くんだ」と同級生が口々に笑ったという話。
その兵学校では、生徒と一緒に泳ぎ、一緒に訓練を受け、生徒からは「任ちゃん」といって慕われた話。
そして、七十二期の新庄大尉発言の
「夏場、家に遊びに行ったら、ふんどし一枚で出てきた」という話。
そして、英雄色を好むを地で行くような「イケイケ」であったらしいこと。

なかでも、今日お話しするエピソードにはすっかりノックアウトされました。


阿川尚之氏(勿論、あの方の御子息です)著、「海の友情」(中公新書)を読みました。
海軍が敗戦によって消滅した後、海軍軍人たちがその精神と、その組織の再建を果たし、そして、
かつては敵国人であったアメリカ海軍と、いかにして今日の信頼を築いていったか。

戦後の掃海艇、名海上幕僚長中村悌次、内田一臣、こういう人たちがどのように海上自衛隊に、
いや「新海軍」に旧海軍の伝統を伝えるべく奮闘したか。

海軍に、あるいは自衛隊に興味をお持ちの方にはぜひ一読をお奨めしたい内容です。


その中で、アーレイ・バーク海軍大将と日本とのかかわりについて書かれた項があります。
バーク大将は、戦中、ソロモン海域で日本艦隊を相手に熾烈な戦闘を繰り広げた駆逐隊司令でした。
戦後、朝鮮戦争が勃発したとき、その戦況をワシントンに報告する参謀副長として日本にやってきました。
かつての敵国において、日本人と触れあううち、すっかり日本人が好きになった、という大将ですが、
この草鹿任一旧海軍中将とのある日の出会いが、かれの日本人好きを決定的にしたという話です。


ある日、バーク大将は、同期の部下から戦後の草鹿中将の困窮についての噂を聞きます。
かつての海軍中将が、いまや公職追放にあい、鉄道工事の現場でつるはしを奮い生計を立てている。
夫人は街で花売りをして回っているらしい・・・・。

バーク大将がソロモンで駆逐艦隊司令であったまさにそのとき、
ラバウル方面海軍最高司令官は、ほかでもないこの草鹿中将でした。
その艦隊にバークは何隻かの艦を沈められ、バークもまたその艦隊を屠った、
つまりカタキ同士です。

「飢えさせておけ」

その話を聞いてすぐはこんな言葉しか出てこなかったバークでしたが、すぐに思い直します。
いくら敗戦したからといってあれだけ勇猛に戦ったかつての提督が、
同胞にそこまでの仕打ちを受けなくてはならないものか。
惻隠の情にかられた大将は、匿名で草鹿家に食料を送りました。

数日後バークの執務室のドアが開いて、小柄な日本人がわめきながら飛び込んできた。草鹿である。
(中略)
草鹿は
「侮辱するのはよせ、誰の世話にもならない。
特にアメリカ人からは何も貰いたくない。
アメリカ人とは関係を持たない」
それだけ言うとプンプン怒りながら出ていった。
バークは提督に好感を持った。
自分が彼の立場だったら、全く同じことをするだろうと思った。


バークは草鹿と板野常善、富岡定俊の三人の旧海軍提督を、あらためて帝国ホテルの食事に招待しました。
擦り切れた礼服で固くなって現れた三人に酒を勧め、話すうちに三人とも英語ができ、
わけてもあの日、日本語でわめいて出ていった草鹿中将が
実は一番―英語が達者だったことがわかりました。

草鹿中将は大佐時代ロンドンの駐在武官も務めているのです。

すっかり和んだ食事の最後に、バーク大将は、あらためて乾杯を提案しました。
草鹿中将は立ちあがり、杯をあげてこう音頭を取りました。

「今日招いて下さった御親切なバークさんに乾杯をしたい。
もうひとつ、自分が(戦中)十分な任務を果たさなかったことにも乾杯しましょう。
もし任務を忠実に果たしていたら、この宴の主人を殺していたはずだ。
そうしたら今日の美味しいステーキは食べられませんでした。
では乾杯!」

負けじとバークもこう返します。

「私も自分が任務を果たさなかったことに乾杯したいと思います。
任務をきちんと果たしていれば、草鹿提督の命はちょうだいしていたはずで、
今日の素晴らしいステーキディナーを誰も食べることができなかったからです。
乾杯!」


アーレイ・バーク氏は、その後野村吉三郎氏に協力し、海上自衛隊の創設に大きな力を注ぎました。
晩年のかれは
「アメリカ海軍より自衛隊のほうがよっぽど自分を大事にしてくれる」と笑って言ったそうですが、
日本を愛し、日本人を愛すようになった大きな一つのきっかけが、
草鹿中将の乾杯であったことは確かでしょう。

バーク氏が1996年に永眠したとき、その棺に横たわる大将の身体には、
日本政府から送られた勲一等旭日大褒章がつけられていました。
棺の蓋が覆われたとき、大将がその生涯で貰った数多くの勲章は全て棺の縁にならべられていましたが、
その一つだけが無くなっていたのです。

アーレイ・バーク海軍大将は、たった一つ、日本から送られた勲章を胸に天国に旅立ったのでした。

 

 

 

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グリーン・べレー入隊テストとニンジャ・ウォリアー

2011-08-14 | アメリカ

ビン・ラディンの暗殺を実行したのがSEALs(アメリカ海軍特殊部隊)であるというニュースで
この名前を耳に留めた方も多かったのではないでしょうか。
SEALsがアメリカ海軍所属であるのに対し、グリーンベレーは対ゲリラ戦専門の陸軍の組織です。
また友好国の軍や親米軍事組織に特殊作戦や対ゲリラ戦の訓練を施す訓練部隊であもあります。

米国籍を持つ男性で、17歳~21歳と同等の体力を持ち、適性検査に合格すれば
誰でも入隊することはできます。
・・・・と軽く言ってみましたが、体力の基準は
「ブーツと戦闘服を着たまま最低50メートル泳げること」
もうここで無理、って人が大半でしょうか。

もともと体力があり、犯罪歴もなく、身内に精神異常者や自殺者がいないことという条件をクリアし、
入隊ができたからといって、その日からグリーンのベレーを被れるかというととんでもない。
その後通称Qコースという、「地獄の訓練」に合格した者だけが生き残れるのです。

ある日、TVでこの「ふるい落としQコース」をドキュメンタリーでやっていたのを発見。
思わずのめりこんで観てしまいました。

 

このシーンから見始めたのですが、ここまでが個人訓練だったようですね。
よく映画に出てきそうなシーンです。
この画面右下の「SEALの秘密!チーム6」は、今晩の番組の予告で、
こちらはSEALsのドキュメントでしょう。

こういうのを見ると、日本のテレビ局がどうして自衛隊の訓練をドキュメンタリータッチで撮った
このように感動的な番組を作らないのか、といつも歯がゆく思います。
いや、その理由はよく分かっているんですが・・・視聴率は確実に取れると思うんだけど。

Qコースは6段階に分かれており、

第1段階:特殊部隊評価選抜(19日間)
第2段階:語学訓練(18~24週間)
第3段階:個人技能(12週間)
第4段階:専門技能(15~48週間)
第5段階:総合演習(4週間)
第6段階:修了手続きと卒業式典(1週間)   (ウィキペディア)

の過程を経た後、はれてグリーンベレー隊員と呼ばれるのです。
わたしの観たのはこの第一段階の19日間のルポだったようですね。
ふるい落とすのが目的なので、おそらくこの第一段階が一番過酷なのではないでしょうか。


 
ゼッケンは、上官が名前代わりに呼ぶ番号。
この段階では受験者は選抜されるかどうかだけをを見られるので名前がありません。
右画像は試験官でもある鬼の軍曹。
次のミッションの説明をしています。

4つのグループに分かれて、「タイヤ」「鋼鉄のポール」「ロープ」が与えられる。
それらを使って水の入ったドラム缶を5キロ離れた山中のゴールに一番早く輸送したチームが勝ち。


道具をどう使うかはグループで協議して決めます。
 

これは協議の末最も効率的な道具の設計を行い、一番早く出発したチーム。
 

このように、グループ2と3は順調に目的地まで近付くことができたのですが、
おっと、4つグループがあるはずなのに、いまだに出発できないチームが!
 

若干他のチームより知恵が、じゃなくてアイデアのある人が少なかった模様。
固定できなかったため不安定なタイヤを屈んで転がしながら山中行軍をする羽目に。
自分の体重くらいの荷物と銃を持って、これは、辛いぞー。
休憩したら立てなくなりました・・・。
 
「1番」と呼ばれるこの受験者はヘタれて山中をとぼとぼ歩いているところに後ろから
「回収係」の上官がやってきて拾われました。
それにしてもこの荷物の大きさ。
彼はこの後助手席には乗せてもらえず、荷台に積まれて運ばれていきました・・・・・。
(BGM:ドナドナ)

そして、次なる試練は夜間行軍です。
 

休憩中。
右の写真の人は「お前は装置を壊さなくてはならなかったんじゃーないのか?」
なんて上官に言われて「そうであります、サー」なんて答えているところですが、
ここ、ちゃんと見ていなかったので何の装置だか分りません。
それにしても上官に返事するのに寝たままって。
サーってつければいいってもんじゃなかろう?まず立って返事をするのがスジだろう?

「長幼の序がわかっている自衛隊ならそんなことやるぞ!」


うーむ、こういう場面だと妙にしっくりくるんだけどなこのセリフ。
そして、ここでも口を聞くどころではない受験生にマイクを向ける世界基準の鬼畜なインタビュアー。


空気読んでそっとしておいてあげて!疲れてるんだから!

というわけで、全行程が終わり、彼らは一堂に集められ、合格者発表が行われます。
いや、合格者を発表するのではなく、不合格者は直ちに荷物をまとめて出ていってくれ、という
まるでテレビのチャレンジもののような非道な発表形式。
 
皆の緊張ぶりは傍で観ていてせつなくなるほどです。
番号が呼ばれたものは席を立ち、この建物から即刻出ていかねばなりません。
 

一人、また一人と呼ばれて席を立ちます。

  

そして、上官に呼ばれた番号の受験生が全て建物から出ていったあと、
「おめでとう、諸君は一次選抜をパスした」
という言葉が・・・。

 
天を仰ぐ者。思わず涙ぐむ者。
 

「生涯最高の日です!」なんて言ってますね。
左は「もし家に帰ったら、まっすぐワイフのところに行って『俺はグリーンベレーだよ』って言いたい」
そして、冒頭の凛々しいグリーンベレーとなって初めて入隊式が行われるわけです。

それにしても、これを見ていてついアメリカでも人気のこの番組を思い出してしまいました。

 
右画像の左下「やきとり」がウケたので画像を二枚。
ニンジャ・ウォリアー。
もともと日本の番組です。
筋肉王者コンテストなのですが、いまや全世界で放送されているそうです。
SASUKEという名前もついていますがご覧になったことありますか?

 

こういうものですね。
面白くてつい見入ってしまいます。
日本でのタイトルを知らないのですが、ここアメリカではアメリカ人の参加者が
「ミドリヤマ(日本)に行くぞ!」「オー!」
と気合を入れて限界に挑み、失敗した者から荷物をまとめて去っていくのです。

この「失敗したらさようなら」方式は、アメリカのTVショウにはよく見られるもので、
新進ファッションデザイナー何人かにデザインを競わせる「プロジェクト・ランウェイ」とか、
新進シェフによるお料理やデザートの創作コンテスト、
勿論文字通り過酷な自然に男女を放置して生き残らせる「サバイバルゲーム」、
酷いのは大金持ちの男性がお嫁さん候補を公開で選ぶ番組にも採用されます。

一人ずついなくなっていく、という「観ている方は面白いが当事者の挫折感パねえ」
ってそのやり方をグリーンベレーも採用しているというわけです。

軍隊への入隊過程を「筋肉コンテスト」「お嫁さん公募番組」と同列に番組にして楽しんでしまう。
これもいかがなものか。
ええ、やっぱり面白いのでニンジャ・ウォリアーみたいに観ちゃうんですけどね。

日本のようにあまりに「諸事情によりそのあたりはアンタッチャブル」で秘匿されていると、
逆に、たまには制作側が男気を出して制作した

「密着24時!
陸上自衛隊第9師団地獄の八甲田山中訓練!
死の限界を見た隊員がその果てにつかんだ栄光とは!」

みたいな番組も観てみたいと思いますが、
ここまでショー化されているとこちらもなんだかなあ、と少し考えてしまいます。
シールズのシリーズや、陸軍の「One Man Army」なんて、もろにサバイバルもの。
スポンサーは勿論海軍であり陸軍です。
つまりリクルートも兼ねているってことなんですが。

シールズが現にビンラディンを殺害したように、彼らは正真正銘の実働部隊。
「忍者戦士(ニンジャ・ウォリアー)」と違って、彼らは本物の戦士。
この後本当の戦争に行くのだとおもうと、なんだかんだいって日本って生ぬるい国だなあと
どうしても考えてしまうんですよね。

 

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不思議な検閲写真

2011-08-11 | 海軍

図書館の余剰図書処分で、なんと「不許可写真史」という本をいただきました。
これは、戦時中、軍の検閲にあって不許可になったり、画像の一部削除を命じられたりした写真の数々。
面白そうでしょう?

おまけとして?「カットシーン映画史」っていうのもあるんですが、これもなかなか興味深く、
映画「シネマ・パラダイス」のラストシーンを思い出すようなキスシーンとか、残酷すぎるとか、
反戦的であるとか、風紀上よくないとか、見えてはいけないものが見えているとか、暴力的だとか、
まあそういった画像を集めてくれていて、これは思わぬ収穫でした。



自由に表現されては都合の悪いことをお上が検閲する、ということは戦時中当たり前のように行われました。
軍によってのみならず、例えば海軍兵学校では、4号生徒の実家に出す手紙を上級生が検閲して、
辛いとか帰りたいとかうっかり書くと大変なことになったと云いますし航空隊や海兵団でも検閲は当たり前。
女きょうだいの手紙さえも厳しく誰何されました。
個人という単位でもこのようなものでしたから、ましてや報道に対する検閲は徹底的に行われました。

その検閲に通らなかった写真、それがここに見られる不許可写真です。
どのような写真が不許可になっているかということをさっくりと述べると

1、作戦の行われている戦地の写真
2、戦死体
3、敵捕虜の画像
4、大事件(5・15,2・26など)
5、裸体、下着姿(兵士の)
6、戦車、艦艇、軍用機、武器など
7、慰安所、慰安婦
8、敵の攻撃対象になり得る工業地帯の風景、工場

どれも検閲ごもっともな事案です。
検閲する側からの通達はこのようなものです。
米内内閣のときに出された「海軍省令第22号」によると

「当分の内、艦隊、艦船、航空機、部隊の行動その他、
軍機軍略に関する事項を新聞紙に掲載することを禁ず
ただし、あらかじめ海軍大臣の許可を得たるものはこの限りにあらず」

では「軍機軍略」とは具体的にどういったことか。
陸軍においてはそれは例えば

「将兵と家族との面会、送別会、見送りは動員の内容を推知させるから記事写真を禁ず」
「飛行機については、偵察機、爆撃機、戦闘機など機種を示す記事は許さない」
「飛行場の写真は一切禁止」
「軍旗を有する部隊の写真は禁止」「大佐以上の高級将校の大写し禁止」
ときめ細やかに規定されていましたが、

対して、海軍は「我が軍に不利なる記事、写真は掲載せざること」
という、アウトラインを定め、その内容については
「不利かどうかは海軍が判断」という、
よく言えばフレキシブル、ある意味応用自在の通達を出していました。

そして、担当官が写真をチェックし、個々に
「これは不許可」「これはここを消すこと」「ここには山を描け(!)」
等々、注文を付けるわけです。
本日画像は、昭和17年6月、旧式駆逐艦の上で尺八を吹く下士官たちの写真。
どういう状況で尺八だったのか、そこのところを知りたい気もしますね。
「トル」と指示された「軍機と思しき部分を削ることで許可されました。

キャプションには「南海に艦上勇士風流のひととき」とあります。

検閲前
検閲後

旧海軍関係者はこの写真を見て
「検閲官の考え過ぎです。炊事場の煙突で秘密でも何でもありません」
むしろ、赤で囲んだ、大砲左横のマントレッサ(防弾用ロープさく)の方が重要なのだそうです。

このような笑うに笑えない矛盾はいくらでも出てきました。
たとえば軍艦の船腹に堂々とペンキで艦名を書き、戦線に進出させながら、
その写真は国民には不許可としました。
戦場にいる敵側へは艦名を見せてもよかったようです。

情報を管轄し統制することそのものに大きな無理がある限り、ほころびがあらわれるのは至極当然の帰結。


さて、この本の出版元は毎日新聞。そして発行年は昭和52年です。
インターネット言論などつまみにしたくともないこのころのこの本文中の記事は、例えば
南京大虐殺が中国側の証言の通りにあったことになっていたり、
従軍慰安婦が国の命令で強制的に狩り集められたといったような、
当時検証できなかった歴史認識に立って記者が「断罪」している様子が多々みられます。

さらに、例えば「捕虜が集められている」という写真には「残虐な写真は許可されなかった」
とキャプションが付けられ、あたかもこの後残虐な処刑が行われたのが確実であるかのような
意図的なミスリードさえしているのです。

しかしさて、そんな編集側にも理屈が付けられない不思議な不許可写真があったようです。

「中国人捕虜と日本兵が相撲で力比べをしている写真」
「捕虜になった中国軍従軍看護婦を囲んでみんなでニコニコ笑っている写真」
「日本軍に投降した女性兵(手には自分の銃をまだ持っている)を微笑みながら見つめる兵士」


いずれも、捕虜と仲良くする写真は好ましくないと不許可になったものです。
これらの記事キャプションは

「捕虜虐殺事件の多発したことは事実だ 
しかし捕虜に暖かい手を差し伸べた兵隊のいたのも事実だった」

・・・・何やら歯切れ悪いですね。

殺人マシーンのように日本軍が中国人を一方的に虐殺殲滅したというのが通説であったとは言え、
これらの写真を見て昭和52年当時、毎日新聞記者は少しは不思議に思わなかったのでしょうか。

 

 

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映画「Mishima―A Life In Four Chapters」

2011-08-08 | 映画

アメリカで「戦場のメリークリスマス」と「憂国」のDVDを購入したことから、
このフランシス・コッポラとジョージ・ルーカスが製作総指揮を手がけた日米合作映画に
興味が湧きました。
「憂国」のDVDは日本でも手に入れることができるようになったようですが、こちらはいまだに
「憂国」と同じく、三島夫人の抗議などの諸事情により、
公開は勿論のこと、手に入れることもできない幻の映画となっています。
「憂国」を観たあと、そう言えばこの「ミシマ」もあったなあ、とバーンズ&ノーブルズに行き、
一割引きになっていたのを購入してきました。

出演俳優は、全員日本人。
三島自身のモノローグは英語ですが、台詞は全て日本語での演技です。
三島を演じるのは緒方拳。
 

今日の冒頭画像は三島由紀夫のポートレイト。
三島自身がこの写真を気にいっていたらしく、元画像には本人のサインがあります。
描きながら何処かの出版社がつけた「ロゴスの美神」と言う言葉が脳裏をよぎりました。
意志的な力強いまなざし、貴族の血(母方は桓武天皇の血筋)を感じさせる鼻筋、完璧な口元。

三島は30歳からボディビルを始め、42歳で起こした割腹事件の際死後解剖をした医師が
「30歳台のような若々しい肉体」
とその体型を評したように、自分を包むその外貌に最後まであくなき情熱を注ぎ作り上げ、
その完璧な作品が老いによって醜くなる前に自らの手でこの世を去りました。

ところで、冒頭画像はいつもなら映画の一シーンを取るのですが、今回なぜそうしなかったか。
「すきな男優は?」と聞かれたらためらうことなく
「緒方拳、奥田瑛二」と答えるほど、役者としての緒方拳のファンであるわたしが
彼の画像をあげなかった理由については後述します。

この作品は、三島の子供時代から青年時代、そして市ヶ谷での割腹事件の一日の間に
彼の作品の『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬』(『豊饒の海』第二部)が切れ切れに挿入されます。
題名の「四章」とは、この三作品に三島の人生を加えることで完成されます。


劇中劇としてセット(全くリアリティの無い舞台)の中で演じられる三つの三島作品を演じるのが

金閣寺(私『溝口養賢』)・・・・・・・坂東八十助
鏡子の家(収おさむ)・・・・・・・・・・沢田研二
奔馬(飯沼勲)・・・・・・・・・・・・・永島慎二


体格改造とともに取り組んだ文体改造によって書き上げ、彼の代表作となった「金閣寺」
この作品の不評により、ある意味彼自身を緩やかに自殺へと向かわせる引き金ともなった「鏡子の家」
そして、皇国思想により要人を殺害し割腹自殺する学生を描き、彼の死を想起させる「奔馬」

この三つを制作者が選んだ意味がここにあるかどうかはわかりませんが、
奇しくも三島の人生において、そして三島を語る上でのメルクマールともいえる作品群です。

やはり破滅の道を選んだ三島を含め、主人公は全員が終末にカタストロフを迎えます。
この4章をしてA Life」、一つの人生(THEではない)というタイトルがついています。
これら三景の小説の主人公の人生と三島のそれを並列で語っているわけです。
三人が三島の分身であるという暗喩でしょうか。

吃音の放火犯人、溝口。(三島も幼少時吃音だった)

ボディビルによって身体を作り役を得ようとする三文役者、収。
財界の大物を暗殺し、割腹自殺をする飯沼。

 

ところで耽美的な死の文学をものする一方、超俗的な文武両道を標榜していた三島でしたが、
これは同世代を生きた人々の証言によると、そのイメージはかなりの部分が、
外貌を作り上げるに伴い自身の手によってプロデュースされたものであったようです。

そのきっかけとなった出来事。
ダンスの相手(美輪明宏と思われる青年)に「身体が脆弱だ」と言われ顔色を変える三島。
 
肉体改造に成功した後、彼はその肉体を誇示し、料亭の女中にまで腹筋を触らせるナルシストぶりは、
映画に出演し、全裸で写真を撮らせる(写真集『薔薇刑』)といった露出にまで及びました。
 

 
禁欲的なイメージを作り上げ、小市民的な行為を唾棄していると標榜していた三島は、
現実には高級住宅地に西洋風の豪邸を建て、当時まだ珍しい外車に乗り、
映画でヤクザを演じ、レコードに自作の歌を吹き込み、テレビ番組に出演し・・・・。
戦後初めてマスコミを最大限活用したと言われるその実像は、超俗ならぬ「超・俗人」でした。
後年皇国思想の旗印を掲げたものの、戦時中は国に命を捧げる覚悟があったわけではなかったのも
徴兵検査を肺結核を装って逃れたことから明らかです。
小心で、臆病で、劣等感を持つ、つまりは等身大の人間がロゴスの神を味方につけ、
己の理想の姿を演出していたといえばいいでしょうか。
つまり、作家の描く自画像とその現実は決して一致していなかったということです。


一般論ですが、その作品における思想真理、さらに道義倫理の類はえてして
作家自身の真実とは一致しない、甚だしきは全く乖離しているものなのかもしれません。
言葉を巧みに操れることは一つの技術であり、人格的に円熟している、ましてや
世間的なモラルに忠実であるということとは全く無関係だからです。

三島自身も言っています。

「言葉はまやかしであるが行動に嘘は無い」

さらに彼は「自分の人生に欠落している部分を言葉で埋めてきたが、言葉には限界がある」
と感じることがあり、それが「思想」へと、そして「行動」へと向かわせたのではないでしょうか。

さて、三島の内面を形作っていたところの「自意識」は、強烈なナルシシズムとなって表に現れました。
しかし、それは絶対的なものではなかったと言えます。
前回「憂国」について書いたときにも述べましたが、映画「からっ風野郎」に出演した三島は、
おそらくその自己イメージと客観の間に遠い隔たりがあることに愕然としたのではなかったでしょうか。

鍛えられてはいるものの、ビジュアル的には動きを伴う映画に向いていると言えない小柄な体、
そして聞くに堪えない軽薄なセリフ回し。
静止画ではいかようにも演出ができた三島の美の鎧が剥落した瞬間でした。
三島ほどの人物がそれに気づかぬはずはなく、この事実はかなり彼自身を苦しめたはずです。

(自身の監督による『憂国』は台詞なし、そして軍帽で表情を隠し、パンが少ないなど、
この点をかなり払拭しており、この観点からはかなり成功しているともいえます)


緒方拳は上手い役者です。
しかし、彼の演じる三島は三島の実像からはかなりかけ離れてしまっています。
三島を三島たらしめた「自己イメージに対するナルシスティックな偏愛」、
それを緒方拳のような意志的な役者が演じると「自信」として現わされてしまうのです。

さて!(思わずマーク)
ここでまたまた(個人的に)嬉しいことに、坂本教授にも三島役のオファーがあったという件について。
外国人映画関係者の「軍人坂本龍一ラブ」が、ここにまたしても・・・・。
だから坂本教授は演技が(以下略)

しかし、前述の観点から言うと、はっきり言って緒方拳よりも坂本龍一の方が
三島に肉薄することができたのでは、とは個人的に思います。
なぜなら、緒方拳より少なくとも造形的に坂本龍一は三島に近いからです。
演技の上手い緒方では決して現わせない三島の「弱さ」を
あるいは坂本龍一ならあらわせた(演じられた、ではなく)かもしれません。
さらにナレーターは英語(ロイ・シャイダー)ですから、かなりの可能性はあったでしょう。
 

とはいえ、坂本龍一にこのような演技ができたかどうか、と言うことになると疑問です。
この写真だけとってみても、やはり緒方拳は役者として凄い、と言わざるを得ません。
しかし、どうしても緒方の三島は「三島を演じている緒方」としか思えないのです。
演じる対象の三島由紀夫の存在イメージがあまりにも強烈すぎる故でしょうか。

しかしそれでは三島自身なら「三島由紀夫」を演じられたか。

答はノーです。

おそらく、三島の理想にのみ存在した「三島の自己イメージそのもの」だけが、
三島を演じるにふさわしかったのではないでしょうか。
それはおそらく本日冒頭の写真そのものの姿形をしているに違いありません。
実際の三島から理想部分だけを抽出したような存在。
それはすでに三島であって三島ではないものです。

緒方拳ではなく、この三島を本日掲げた理由です。


三島が死を急いだのは、歳を取り醜くなることへの極端な怖れがあったためと言われています。
そして自分の受けた生への矛盾と疑問を創作によって埋めることの限界を感じたとき、
かれは「行動」と、最終的には「死」にそれを求めたのです。
三島はまた、死によって完成されるべき「美」についてこのように語っています。


男の美しくなろうとする意志は、女とは違って必ず「死」への意志なのだ。

 

 

 

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「情けは人のためならず」のDNA

2011-08-05 | 日本のこと

            
 



サンフランシスコに着いてすぐ、アパートの角にある小さなグロッサリー(コンビニのような店)
に入りました。
店番の、おそらくギリシア系と思われる女性が私の履いていた5000円のサンダルを指さして
「いい靴ね~!そんなきれいな靴観たことないわ。どこで買ったの?」
「ボストンのTJマックスだけど・・・・去年のよ」
「そうかー、残念・・・。日本人?」
「そうですよ」
That's good!

えー、日本人なら何がグッドなんでしょうか。
よくわからないけど日本人が歓迎されているらしいのは分かった。
「地震の後避難してきたの?」
「ううん、息子のサマーキャンプだけど・・・やっぱり逃げてきた日本人多い?」
「このアパートは(私たちの住んでいるところ)日本人が多いですよ。
地震の後たくさん引っ越してきたみたい」
「へえー、そうなんだ」
「ここはジャパンタウンが近いから、そのせいじゃない?」

サンフランシスコのジャパンタウンは、チャイナタウンやコリアンタウンと違い
「その民族が集まって住んでいるところ」ではなく
「日系アメリカ人の組織が作ったショッピングモール」なのです。

ジャパンタウンには、和食の店、日本食スーパーは勿論、パンのアンデルセン、ベニハナなどの
「日本的なもの」、紀伊国屋(本)や日本文化を扱うものなどが入っているのですが、
私はあまり好きではないのでここ何年か足を踏み入れていません。
やたら古臭く、1960年代の日本?って雰囲気なんですよね。
それにね。
これは余談というかグチですが、冒頭のジャパンタウンの写真を見てください。
アメリカの旗、日本の旗、カリフォルニアの旗のわざわざ近くに何故か中国人のインチキ和食屋。
右写真はゲイリーストリート側の、つまりモール内部ではない、表に面しているところなのですが、
みんなハングル。

どうしてわざわざジャパンタウンに寄生しているのこの人たち?
日本の店と間違えてあほなアメリカ人が来るのを待ってる?
あなた方の嫌いな日本と思われたいの?
ロスアンジェルスのジャパンタウンも同じように寄生されて悲惨なことになっているようです。
昔無理やり併合されたという言い分は、こういうことからも全く信用できないといつも思います。


ここアメリカで日本人は、不法入国をしない、犯罪を犯さない、コロニーを作らない、そして
何と言っても一人一人が「よき外国人」であろうとしてきました。
その歴史が、今日の「日本人?それはいいわね!」に繋がっていると思うのです。
(こんなことをリアルで言ってもらえる国民って、他にいるのかなあ)


一般に日本人ほど世界に日本がどう思われているかを気にする民族はいないと言われます。
外国人は日本人からよく受ける「日本をどう思うか」という質問を奇異に思うそうですし、
「菊と刀」「日本人とユダヤ人」などの「世界の中の日本」的なテーマは出版界でも好まれます。

個人単位で言うと、平時でも日本人であることを行動の規範にしている民族はいないでしょう。
「こんなことをしたら日本人みんなが悪く見られてしまう」
という意識が、あるときは弱い自分を抑えるストッパーになり、
あるときは善行を積むことによって、日本人全体にその評価や恩返しが返ってくると考えるのです。

去年のことですが、スーパーマーケットで初老の中国系女性に声をかけられました。
「携帯電話をかけさせてもらえないか」
待ち合わせの場所に娘が現れないので連絡したいのだけど携帯を持っていないとのこと。
わたしの携帯はグローバル対応なので、アメリカで使うと国際電話扱いになります。
勿論一回の通話料は高いのですが、非常時にしか使わないのでずっとそうしています。
「わたしの携帯電話は国際電話で、私の国を経由した料金がかかるのです。
すみませんが通話料がかかりすぎるので他の方に頼んでください」

そういうと、インテリらしくきれいな英語をしゃべる彼女は穏やかに
「そうですか」
と、言って私の傍を離れました。

その後も気になって彼女の様子を見ていたのですが、一向に他の人に電話を借りに行かない。
店内には数人の客がいるのにもかかわらず。
そこで、彼女の立場で考えてみました。

よく知らない場所で長時間待たされて心細い状態で他人に電話を使わせてほしいと頼むのに
ロシア人中年男性
アラブ系若い男性
インド系初老男性
アメリカ人老婆
子供を連れた日本人女性
という人たちがいたら、誰に頼むだろうか。

・・・・・これはどう考えても子供を連れた日本人女性(つまりわたし)でしょう。

すぐさまその考えに至り、彼女に近づき、
「電話、お使いください」
「いいんですか」
「If I were you, I would ask it to me」(もし私があなただったら私に頼んだと思います)

この女性がもし、今後アメリカで困っている日本人を見たら、同じように助けてあげてくれればいいなと
電話が終わって彼女がほっとした顔で「日本人ですか」と聞いてきたときに思いました。


よく、日本人は無宗教なので行動が無節操、みたいなことを言う人がいますがとんでもない。
日本人にとって「日本」は、まさに宗教に相当する規範や抑止力となっているのです。
旅行会社の調査で「現地で歓迎される旅行者の国」第1位の栄冠をいつも頂いているのも、
多くの日本人が日本と言う国をどこかで「代表して」旅行しているからだと思うのです。
民間外交官のようなつもりで。

我々日本人はは意識するとしないにかかわらず、親や社会から教育された
「情けは人のためならず」という言葉をDNAに刷り込まれて行動しているのではないでしょうか。


ところで今日、ジャパンタウンの角を歩いていたら
「ジャパンタウンでスシ食べたいんだけど、もうここはジャパンタウンなの?」
と聞いてきた旅行中らしい男性。
「レストランは建物の中です。(言外:外に面しているのはインチキジャパニーズだからね)
ここをまっすぐ歩いていったら入口がありますよ」
「いやありがとう、日本人?」
「そだよ」
「あのさ、ジャパニーズガールって・・・いいよね!君もね」
「サンクス」
ガールって歳じゃないんですが、まあ、これもアメリカ人のよく使う言い方で深い意味は無し。
「名前なんて言うの?」

ナンパではありません。
アメリカ人はこうやって一瞬すれ違う人にも名前を聞くのです。
「エリス(仮名)」
彼は握手の手を出して
「エリス(仮名)、それじゃ」
Have a good sushi!

ここアメリカではスシも人気ならジャパニーズガールも人気ですよ。





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ピアノを弾く親衛隊将校

2011-08-02 | 映画

     

 

もし戦争映画が好きな方ならどこかで次のようなシーンを見たことはないでしょうか。

ドイツ軍指令官、参謀将校たちが額を集めて戦況を分析し、作戦を討議している部屋。
一人の大尉が我関せずでピアノを弾く。
曲はショパンなどのロマンチックな曲。
討論が紛糾し、一人の将校が激高して叫ぶ。
と、大尉はピアノを弾きながらクールにこういう。

「ふっ・・。どうやらここでは理性が語ることが許されていないと見える」


この、ドイツ軍部の中で反戦論者の大尉がピアノを弾く、というエピソードは、
いつの間にかありがちな戦争映画の一シーンとして私たちの記憶に存在しています。

これを最初に着想したのは、1937年のドイツ映画「最後の一兵まで」(原題「ミヒャエル作戦」)だそうです。
この映画で、監督のカール・リッターはウェンゲルン大尉という青年将校にピアノを弾かせ、
冒頭のような戦争批判をさせています。

この映画は日本でも公開され、当時の映画関係者の対談でもその内容が語られているのですが、
「戦争映画なのに劇中で戦争批判とは」と、当時の映画人は驚きを隠せないコメントを残しています。

そしてこの「ピアノを弾く親衛隊将校」という着想は、後の戦争映画の監督の大いに気に入るところとなり、
たとえばロベルト・ロッセリーニ監督は、ドイツ軍司令部でニヒルな大尉にピアノを弾かせ、
戦争批判の言辞を弄させています。
のみならずそれ以降、私たちは絶えず厭戦家でピアニストの「ウェンゲルン大尉」に、
各国の戦争映画でお目にかかることになるのです。


スピルバーグ作品「シンドラーのリスト」では、
ゲットー(ユダヤ人居住地区)を夜襲したナチスの兵が各部屋で機関銃による殺戮をするさなか、
その銃声を伴奏にするかのように、子供部屋と思われる一室で一人の士官がバッハ(トッカータ)を弾き続け、
ドア越しに二人の兵が笑いながらそれを覗きこむシーンがありました。

今日の画像はそのシーン。
彼の襟章からドイツ親衛隊(バッフェン・エスエス)の指導者(フューラー)クラス、
中隊長か大隊長であることが分かります。
大隊長が職務を放り出してピアノを弾くことは無いと思われるので、
おそらく中隊か小隊を率いる中尉クラスの人物でしょう。

覗きこんだ二人の兵卒の会話(おまけにこの二人、酔っぱらっているっぽい)ですが、
日本語字幕ではあたかも弾いている士官に
「モーツァルトか?」
と聞いたようになっていましたが、この二人はこの中尉の部下なので、正しくは士官に向かって
「それモーツァルトですか?」
そして隣の兵卒が
「ちげーーよ、バッハだよバッハ」
というのが翻訳としては正しいかと思います。



殺戮の銃声の中、平然と職務を放棄し、自分の中に閉じこもるが如く一心にピアノを弾く青年将校。

ドイツは有数の音楽国。
音楽を嗜み演奏を能くするナチス将校は少なくなかったと思われます。
この「ピアノを弾く親衛隊将校」というモチーフは、
ひとりの青年将校の来し方、彼のそれまでの人生のドラマを喚起させ、
音楽という無上の美しいものと戦争という現実の乖離、
その矛盾と不合理に対する声なき抗議を一瞬で表してあまりあるものだと思います。

歴代の戦争映画作家が美しいこのシーンを好んだのはむべなるかなと言えましょう。

しかし、特筆すべきは、冒頭の「最後の一兵まで」が、
1937年ナチス政権下で撮られた映画であるということです。
後世、ヒトラーのお抱え映画監督と悪評の高いリッター監督ですが、
この一シーンに隠さざる彼の戦争に対する真意が見えると思うのは穿ち過ぎでしょうか。

(参考文献 「ヒトラーと映画」岩崎昶著 朝日選書)


註:この稿は以前の記事の再掲となります。
最近、少しは絵がまともな線で描かれているじゃないかと思われませんでした?
実はペンタブレットを購入したのです。

以前中指一本で仕上げていた画を描き直したので、内容を少し変えて
もう一度アップしました。
前の絵は細かい線が描けず、画面も小さかったので、ナチスのマントがまるで「はおり」。
ずっと描き直ししたかったんですよ。
将校も前の国籍性別不明と違ってちゃんと金髪のイケメンに見えるでしょう?

昔の画像であまりに酷いのはいくつか手直ししました。
いまだに閲覧数の多い菅野大尉シリーズもあまりに線が歪みまくりなので
描き直そうかと思ったのですが・・・・・まあ、あれはあれでいいかなと(笑)

それにしてもペンで描くのって・・・・・・・・・楽。

 

 

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