ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

女流パイロット列伝~ルイーズ・セイデン「タイトル・コレクター」

2014-04-30 | 飛行家列伝

ヒラー航空博物館には、今まで聞いたことももちろん見たこともない
歴史的な航空機が、しかもオークランドとは違って良好な状態で保存されています。

中には事故を起こした航空機がその状態のまま展示されていることも。



おいたわしやといった態のこの飛行機、

THADEN T-1  Argonaut 

という超レア機種です。
1928年、サンフランシスコにある「Thaden Metal Craft Company」が製作し、
そのデザインは Hervert von Thaden(ハーバート・フォン・セイデン)が行いました。



 この機は、その最後の飛行となった1933年、アラスカの凍った河に墜落したもので、
そのわりには怪我人もいなかったそうですが、飛行機の表面を見ていただくと、
トタンのような波状の金属でおおわれていることがわかります。

このセイデンT-1は、アメリカが初めて開発したメタルスキン航空機の一つともいわれ、
西海岸における最初の「オール金属」飛行機です。

アメリカ陸軍からの依頼を受けて開発されました。 



セイデン、という名前をわたしは当初「サデン」と読んでいました。
残念ながら日本語ではこの飛行機そのものについての記述、
ましてやその製作者について述べられたインターネットの資料は皆無だったので、
確かめようもなく取りあえず頭の中でそう発音していたのです。

ところがその後観たアメリア・イアハートを描いた映画「アメリア」で、
例の女性飛行家ばかりの「パウダーパフレース」の様子が描かれており、
そのときにThadenを映画では「セイデン」と発音していたので、
初めて正しい読み方が判明したというわけです。


そのときレースに出場した女流飛行家がタイトルに漫画化して描いた、本日主人公の

「ルイーズ・マクフェトリッジ・セイデン」。

まさにこのとき「パウダーパフ」で優勝したときの彼女の姿です。
彼女はまたお気づきのように、このT-1のデザインを手がけたフォン・セイデンの妻です。



今まで「女流飛行家列伝」でお話ししてきた女性たちは、たとえば富豪と結婚して、
有り余るその資産で飛んだジャクリーヌ・コクラン、夫婦j共同経営で飛行機会社を持ち、
そのテストパイロットを務めていたナンシー・ハークネス・ラブなど、夫の何らかの関与が
あって初めて彼女らが飛行家として活躍することができたという女性と、
全く自力で飛行家となり、実力で有名になったベッシー・コールマンや、パンチョ・バーンズ
そしてブランシュ・スコットなどの二種類に分かれます。

しかし、どうも、「一人でやっていた組」よりも、「夫の協力あるいは財力組」の方が、
結果的に名前を残すことができたような気がします。

あのアメリア・イヤハートも、夫のパットナムが全ての演出を手掛けたからこそ
あれだけ有名になった、というのは彼女の伝記を読めば誰にでも気づくでしょう。
日本でも「アメリア・イアハート」ではなく彼女のことは「パットナム夫人」
という名称が主に使われていたようですし。

つまり財力も社会的な基盤も持たない女性が、ある日突然飛行家として有名になる、
というようなことは、特に1930年代においては、当時の女性の地位を考えても
ありえなかったということです。

それでは、このルイーズ・セイデンも、夫のこのような地位があったからこそ

「当時世界で最もその名を知られていた女流飛行家」

となったのでしょうか。


ルイーズ・マクフェトリッジは、1905年、アーカンソーに生まれました。
小さいころは傘を差して高い場所から飛び降りるような女の子だったそうです。
しかし、裕福な医者の娘であったナンシー・ラブや、お嬢様のパンチョ・バーンズと違い、
10代半ばに飛行機免許を取らせてもらえるような環境に育ったわけではなく、
彼女が飛行機を初めて操縦したのは22歳になった時でした。


学校を出てからルイーズはカンサス州ウィチタのTHTターナー・石炭株式会社で働いていました。
顧客に、「トラベルエアー・コーポレーション」という会社があり、
その会社のオーナーであるウォルター・ビーチは、彼女をすっかり気に入りました。


この「気に入った」が、どういう「気に入り方」だったのか、そこまでは記されていません。
写真を見ると、彼女は美人ではないのですが、何とも言えないボーイッシュな、
しかしキュートな雰囲気を持つ女性で、文字通り「気に入った」のでしょうか。

 (高高度記録挑戦達成後)

ビーチは、彼女を石炭会社から引き抜いて自分の会社で営業担当の仕事を任せます。

この雰囲気から、非常に笑顔が素晴らしく営業に向いていて、
会社に貢献してくれるとみただけで、純粋に「人間を気に入った」ということだとも考えられます。

ここではそういうことにしておきましょう。 


しかしこの話がその辺の「ちょっと気に入った女の子を自分の会社に入社させた」
というだけで終わらなかったのは、彼女を気に入ったという「ビーチ社長
というのが、後の「ビーチ・エアクラフト・コーポレーション」、つまり
あの「ビーチクラフト」を作った航空機会社のオーナーだったからでした。 

新しい職場でもらう彼女の給料にはどういうわけか「飛行機のレッスン代」が含まれていました。
それで彼女は「オハイオ州で初めて飛行機免許を取った女性」となっています。



ビーチの会社「トラベル・エアー」のロゴの入る飛行機の前のルイーズとフォン・セイデン

その翌年、彼女は夫となるハーバート・フォン・セイデンと出会い、
その年の夏にはサンフランシスコで結婚しています。
セイデンの生年月日はわかりませんが、写真を見る限り、かなりの歳の差婚に思われます。
ビーチ社長に気に入られたこともそうですが、年上に気に入られるタイプだったんでしょうか。



それにしても話の展開が早い。

いや、これが普通だったんです。
何年もずるずる付き合っているくせに結婚しようとしないカップルの話なぞ
全く珍しいことでもなんでもない、なんて現代の日本の社会がそもそもおかしいのであって、
昔はアメリカでもこういうのが標準だったんですね。

出会う!気に入る!結婚する!

まるで三段跳びのような段取りが当たり前、って社会でもなければ少子化なんてとても防げませんよ。

おっと、全く関係なかったですか。 


このころにも彼女は取得した免許で輸送の仕事をこなし、
「トランスポートレーティング(評価)」をもつ、史上4番目の女性パイロットとなっています。

夫が航空機製造会社のオーナーで、航空機デザイナーだったことは、
彼女のパイロットとしての挑戦におそらく拍車をかけたのでしょう。

彼女はこのあたりから猛然と女流航空界に頭角を現してきます。
1929年、女性による高度、耐久性、そしてスピードを軽飛行機によっていずれも最高最速値を得、
またその前年は女性による最高高度到達(20260フィート)、さらには
耐久レースで 22時間、3分、12秒の最高記録を喫しています。

このころはジャクリーヌ・コクランなどを筆頭に、女性であっても男性と同様に
飛行機のレースに出場することができました。

しかし、何がどう動いてだれが仕組んだのか、1930年から1935年までの5年間、
女性は「女性であることを理由に」航空レースからは全く締め出されていました。

1929年には、これまで女流飛行家を語る過程で何度か触れてきた

パウダー・パフ・ダービー

が行われています。
女流飛行家ばかり、20名で争われたレースで、この大陸横断レースに
ルイーズ・セイデンも参加しました。

この名前から、女ばかりのなれ合いのようなレースを想像されるかもしれませんが、
決してこれは楽なものではありませんでした。

アメリア・イヤハートはこのレース中墜落して機を失っていますし、
ブランシュ・ノエスは機内火災に見舞われています。
ルース・ニコルズも、パンチョ・バーンズも墜落を免れませんでした。

参加者の一人、マーベル・クロッソンに至ってはこのレース中の事故で墜落死しています。
誰にも目撃されていない間の事故で、彼女の体は飛行機の墜落場所から
150メートルも離れて見つかりました。 
パラシュートが開かれた形跡はなかったそうです。

 この時の順位表を上げておきましょう。

  1. ルイーズ・セイデン
  2. グラディス・オドネル
  3. アメリア·イアハート
  4. ブランシュ・ノイス
  5. ルース・エルダー
  6. ネヴァ・パリ
  7. メアリー・ハイツリップ
  8. オパール・クンツ
  9. マリア·フォン·マッハ
  10. ベラ・ドーン・ウォーカー

以前お話しした美人のルース・エルダー姐さんは、5位に入っています。
機を墜落させたのに、それでも3位に入っているアメリアさんはさすがです。
4位のブランシュさん、機内で火事が発生したというのに立派です。


それにしても、これらの強豪を差し置いて、昨日今日飛行機に乗り始めたルイーズが
この過酷なレースでしれっと一位になっているんですね。
実は、この人、すごいんじゃないですか?

冒頭に制作した画像は、このパウダーパフのときに優勝を決めて着陸した直後の
ルイーズ・セイデンの勇姿を参考にしました。


そして彼女の進撃は留まるところを知らず、1936年、
またまたどういうわけか女性がエアレースに参加することが解禁になってすぐ、
ルイーズはニューヨーク―ロスアンジェルス間の到達時間を競う

ベンデックス・トロフィ・レース

に出場。
男性に女性が挑戦することを許された最初の年のこのレースにおいて、
なんと、14時間55分で世界記録を更新し、これまたしれっと優勝しています。
この時の使用機はあのビーチ社のビーチC17Rスタッガーウィング

この時の二位も女性で、ロッキード・オリオンで飛んだブランシュ・ノエスでした。
この時にタイム誌にはこんな記事が掲載されています。


「ミセス・セイデンは賞金7000ドルを得たが、それとて男性を差し置いて優勝したという
喜びに比べれば何の価値もないに違いない。
アメリカで最初に輸送用の飛行機免許を取った10人の女性のうちの一人が、
今や第一線で「男女の戦い」を繰り広げる「戦士」になったのだから。

クシュクシュのブロンドヘアーをしたセイデン夫人は6歳の子供の母親、そして
速度、高度、耐久時間においてすべての女性最高記録保持者である。

(中略)ノエスとセイデンの二人は先週記者会見を行い、にこやかにほほ笑みながら語った。

”まあ、本当に驚きましたわ!
どうせわたしたちはびり(
the cow's tail)だと思っていたので”


実は自信満々だったとしても、当時の女性としては反感を買われたくないので
このように言うしかなかったのかもしれません。
 

この後、彼女は別の女性パイロットと組んで耐久レースに出場しており、
その模様は全米の注目を浴び、ラジオでライブ放送されたほどです。
196時間の耐久時間を記録したこのレースでは、別の飛行機から食料と水の補給を受け、
さらには当時軍でも開発真っ最中であった空中給油を行っています。 

引退直前、彼女は夫の会社の開発したセイデンT-1 がすでに生産を中止していたこともあり、
古巣のビーチクラフトにもどってテストパイロットを務め、1938年に
全ての公的飛行から完全に引退してしまいます。

このときまだ彼女は33歳。
ほかの女流飛行家が引退などどこ吹く風で飛び続けたのに対し、
トップを走り続けた彼女は、全盛期で、しかも世界一のタイトルを奪われないうちに
あっさりと人々の前から姿を消したのでした。
そしてその後自伝を書きましたが、そのタイトルは

 ”High, Wide and Frightened”

たまたま才能に恵まれた女性が、その才能を引き出す男性にも恵まれ、
本人もあれよあれよという間に一線のパイロットになってしまったものの、
実は彼女は、魂の底から湧き上がってくるような「飛びたい」「勝ちたい」
という野望とは無縁の、おっとりした普通の女性であったのではないか。

このタイトルを見ると、そのように思えてなりません。


引退後の彼女は、74歳で亡くなるまで、楽しみでしか飛ぶことはありませんでした。


 



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護衛艦カレーナンバーワングランプリ~勝利は誰の手に

2014-04-28 | 自衛隊

というわけで、2014年4月19日、横須賀海上自衛隊地方総監部で行われた
護衛艦カレーナンバーワングランプリについてのレポート、最終回になりました。

途中エントリで護衛艦がこれだけ一同に集結した理由を大規模訓練と書きましたが、
これは実は「護衛艦会議」だったようです。

つまり、「いせ」を会場としてそこで連日?会議が行われていたらしいのです。
こういう会議って一体どのようなことが話し合われるんでしょう。
まさか来年のカレーグランプリの開催地、とか?

実はエリス中尉、こう見えてもエントリ制作に毎日追われてひいひい状態、
さらに最近陸上自衛隊のHPで見つけた『整理整頓自衛官』というゲームに
情けないことにハマってしまいつい時間をつぶしてしまう毎日だというのに、
そんなわたしに「艦これ」の漫画を送って来たけしからん読者がいまして(笑)
案の定読みふけってしまったわけですが、
そのおかげで、

「伊勢、足柄、鳥海、金剛、鞍馬が皆で会議」

などという言葉からは艦これ漫画のシーンしか思い浮かばなくなって・・
・・・・・・困ったもんです。






さて、この日の戦利品であるところのお土産紹介の続きからです。


ヴェルニー公園の売店で買ったネイビーブルーのTシャツ。
今年の春の流行はネイビーやブラックのストライプを効かせたマリンファッション。

このようなマリンテイストのシャツなら、お洒落に小粋に着こなせそうな予感。
袖にアクセントとして入ったイエローの階級章もどきが気に入って・・・。
こんなTシャツを身にまとって埠頭の潮風に身を任せれば、
ほら、あなたも気分はすっかり東郷平八郎!
(ファッション雑誌風に)




今年の夏、これを着てアラメダの空母ホーネットに乗ってみようかな。



腕を骨折したため行けずに涙をのんだ2月末の東京音楽隊定期公演。
そのコンサートにもし行けたら会場で必ず買おうと思っていたものがありました。
それがこの左側の「平成26年度音楽まつり」のDVD。

実際に二回もこの目で見、そして聴いた公演ではありましたが、
帰ってからあらためて見ると、武道館ではまず
確認できなかった
隊員の大アップなどが見られ、全く「眼福」です。

画像もYouTubeとは別次元の美しさだし、本当に買って良かったと思いました。

パッケージの大アップは前年度防大儀仗隊の隊長だった学生。
(音楽まつりのエントリでも紹介したのですが、いまだにはっきり覚えています)


このDVDについてはまたそのうちエントリで書こうと思います。

右側の「知っておきたい!海上自衛隊」はまだ観ていません。



何となく漢字表記が気に入って買ったパッチ。


これは、ソマリア・アデン海賊対処派遣の際制作された
DD−158
「うみぎり」のものです。
「海霧」という名は旧海軍にはなく、この「うみぎり」が初めての命名になります。

ソマリア沖・アデン湾における海賊対処のため、「うみぎり」を含む
第9次派遣海賊対処行動水上部隊は
2011年6月20 日に日本を発っています。
第9次隊は、 第4 護衛隊司令(大判英之一等海佐)の指揮の下、
護衛艦「さみだれ」(内藤裕之艦長)および同「うみぎり」(佐藤正博艦長)、
乗員約400 名(海上保安官8 名を含む)により編成されました。

海賊対策のための自衛隊派遣は2009年の第一次派遣以降今日まで続けられており、
2014年4月現在、この「うみぎり」「いなづま」が派遣されて現地に行っています。


海賊対処派遣の度にこのようなパッチは制作されて来たらしいのですが、
どのパッチにも必ずドクロの「海賊マーク」が入っています。
ドクロのデザインが可愛いですね。
実際の海賊は全くそんな可愛いものじゃないはずですが、日本人というのは
取りあえずなんでも萌え化しないと気がすまない民族なので。
この他の派遣艦もこのドクロくんをメインキャラにしているようです。


ソマリア・アデン派遣シリーズパッチ




何に使うのか全く当てのないままについ買ってしまったものもあります。
くまモン陸自バージョン

いまやゆるキャラ界のスーパースター、アメリカでも有名になったくまモン。

(熊本知事がゆるキャラの成功モデルとしてくまモンについてアメリカでスピーチしたらしい)
自衛隊にもじわじわと進出して、全国の自衛隊地本が血の汗を流しながら決定した
自衛隊各ゆるキャラの立場を脅かしている模様。




何万人もの陸自隊員には一人か二人くまモンに激似した人がいるかもしれません。

いや、絶対いるでしょう。

さすがのスーパースター、後ろ姿にも隙なし。

お尻の真ん中の黒い丸は尻尾かな?

これに続いてくまモン海自シリーズとか出してくれないかなあ。
セーラー服のくまモン、可愛いと思うんですけど。



「お土産コンテストで優勝したことがある」

というお店の人のセールストークに、ただでさえ日ごろ権威に弱いエリス中尉、
つい興味を惹かれ買ってしまいました。

いや、しかしこれ、買ってよかったです。

ラー油に色んな具が入っていてなぜかカレー味がついているんですが、

「ひと味足りないな」みたいなときにちょっとかけるとあら不思議、
全てのものがカレー風味に!

何でもかんでもカレーというのもどうよ、という声もございましょうが、
カレーの風味は実は隠し味程度の控え目さです。



この「提督の料理番」といういかにもなキャッチフレーズの海軍カレー、
これも場内の売店で買って来たものです。



盛りつけ失敗しましたorz

その日の夜、早速(昼がカレーパンだったのにもかかわらず)いただいてみました。
スパイスが大変強く、クミンだかターメリックだかマサラだか知りませんが、
独特の癖のある味で、その日遅く帰って来て夜食に食べようとしたTOは

「あ、これ苦手」

と一言いって食べずに放置してしまったのです。(ー_ー#)
仕方なく次の日、前日がカレーだったのにもかかわらずそれを片付けるため、
二人分のライスに混ぜて炒めて「ドライカレー」を作りました。

スパイスが強いとはいえそうするとどうしても味が薄くなってしまったので、
ふと思いついてこの「食べるラー油」を混ぜ込んでみたら、
インド人もびっくり、大変パンチの効いたカレー味のピラフ(もどき)に。

先日は小松菜とジャコのパスタに少し絡めてみました。
大変美味でした。

バーニャカウダのように野菜をディップして食べるのも美味しそうです。
説明によるとただのご飯にかけてもいいそうですし、 もしどこかで見かけたら、
大変便利なのでぜひお試し下さい。おススメです。 



あとはいつもの「護衛艦カレーの缶詰」。

「ひゅうが」はビーフ、「きりしま」はポーク、そして砕氷船「しらせ」は
シーフード(ホタテ貝)となっております。

このパッケージによると、自衛隊のカレーの種類はなんと

200種類

を下らないそうで、しかもさらにどんどん新しいレシピが研究開発されているとのこと。

なぜそこまでやる・・。 



これも「自衛隊の基地内でしか買うことはできない」と聞いたため
買ってしまった「防人の誉カレー」
ネーミングについメーカーの意気のようなものを感じ、それだけの理由で
購入を決めました。
キッチン飛騨と書いてありますが、「飛騨ハム」という会社の製品で


「国を護る自衛隊員の尊い使命感を讃え、富士山と桜にその姿を託して表現したもの」

という説明があります。
HPによるとこだわりのハムを作っている会社でカレーとは全く縁がなさそうですが、
(このカレーの具はビーフ)もしかしたら会社オーナーが自衛隊の後援をしている
企業なのかもしれません。 




参加艦艇は全部で15。
栄えある第二回カレーナンバーワングランプリ、優勝したのはどのフネだと思います?

潜水艦隊

なんですよ、潜水艦隊。
他のフネが一艦一皿で勝負を張っているのに、なんで潜水艦は「艦隊参加」?
という疑問が関係者(つまり海上自衛隊の中)からも出たという噂の。

しかもそのレシピというのがですね。

たまねぎにんじんじゃがいもにんにくしょうがは水洗いして汚れを落とし
皮を剥いてニンニクショウガをみじん切りにしタマネギ3分の2をさいの目切り
牛豚鶏肉さいの目切りジャガイモさいの目切りし人参はいちょう切りし
りんごは皮ごとおろし金で刷りそれらを鍋に入れ菜種油で
焦がさないように1時間炒め
カレー粉ガラムマサラブラックペッパーを入れ
香りを引き出しタマネギ人参バナナ
トマトホールに水を加えて
ミキサーで細かくみじんにしたものと野菜や肉と湯を会わせ

湯とローリエを入れあくを取りながら各素材を柔らかく煮込み火を止め
固形カレーを入れ
中濃ソースウスターソース焼き肉のたれ蜂蜜白ワイン
プレーンヨーグルトなどで味を整え
それらを再び鍋に入れて火にかけ
攪拌しながら加熱しバター牛乳を入れさらに攪拌しながら
味を調整する。


という、
美味しいことは間違いないが家庭で作ったら家計を逼迫すること必至のカレー。

(前にも全く同じことを書きました。表現にバリエーション無くてすみません)

だいたい具が「豚・牛・鶏」って。そんなの許されると思う?
全くどすこい力技で寄り切ったといった感のある勝利です。
潜水艦隊、おそるべし。


因みに2位は「ちょうかい」のシーフードカレー
3位は「くらま」の第一次安倍内閣総理大臣喫食カレーでした。



とからこのグランプリ会場の地図を見て思ったのですが、
雨が降ったときのことを考えて、

屋内にも試食会場が用意されていたのですね。

食べないなら食べないなりに、皆が試食している様子をレポートすればよかったな。
これもまた来年の課題としておきましょう。

・・・・・・・・・って、来年の開催地はたぶん横須賀ではないと思うけど、

エリス中尉、それでも参加するつもりなのか?



糸冬。


 

 

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護衛艦カレーナンバーワングランプリ~痛車とカレーパンと地球防衛軍

2014-04-27 | 自衛隊

前にもダイエー前、スターバックス裏の駐車場に停まっていたこの『痛車』。

(痛車:車体に漫画、アニメ、ゲームなどに関連するキャラクターや

メーカーのロゴをかたどったステッカーを貼り付けたり、
塗装を行うなどして装飾した自動車である、萌え車とも言う、wiki)

ちなみにこの痛車のカテゴリはさらにwikiによると、

車のオーナーが「オタク」と認識できる程度のカスタマイズを行ったもの(ウケ狙いも含む)。
「走り屋風の痛車」のようなカモフラージュを行わず、あえて痛車であることを主張する。

に類する一般的な、つまり「ごく普通の痛車」だそうで。

スターバックスの裏には数台しか停める場所がないのですが、そこにこの
艦これ痛車が2台停まっていた、というのは自衛隊イベントに合わせた同好の士の
「オフ会」だったのでしょうか。

いずれにしてもこの2台の注目度は高く、ほとんどの人が携帯やカメラで撮影をしており、
この日のツィッターやブログ等でもあちこちにアップされたのだと思います。

画像は「金剛」。

この日、海上自衛隊のカレーグランプリに「こんごう」が一般公開される、
というニュースをキャッチし、いても立ってもいられず駆けつけて来たのですね。
「艦これ」の萌え擬人化漫画を拾うと、金剛さんはやたら紅茶を飲みたがったり
「Hey! 提督!」とか「そうなんデスカー」とかいう「片言しゃべり」をしているようですが、
これは「金剛」がイギリスに発注された最後の軍艦だからです。
大変勉強になりますね。(棒)

萌え的に由来を学べる、これぞ日本文化。




もう一台はご覧の通り「島風」。

1944年11月11日、輸送船団の護衛任務の際オルモック沖で戦没した駆逐艦ですが、
このとき戦ったのは米海軍第38任務部隊。
率いたのはジョン・S・マケイン・シニア中将でした。
共和党のマケイン三世のお爺ちゃんに当たりますが、実はここ横須賀の第7艦隊には

「JOHN S. McCAIN」

というアーレイバーク型の6番艦、つまり「島風」の仇敵がいるんですね。

痛車のオーナーはそのことをご存知だったでしょうか。

それにしてもこの車・・・・・
アルファメオって・・・。




今一度、カレーパンを食べた場所から人々の頭越しに護衛艦を撮ってみました。
144「くらま」の向こうに見えるのは「いせ」ですが、
「いせ」の作業艇は船尾ではなく船腹に付けるようです。
右舷の埋め込み式?ボートダビットにはもう一隻作業艇が見えます。

この人たちは、ヴェルニー公園の「一皿100円カレー」に並ぶ人たち。
この日ヴェルニー公園には、横須賀観光局公認の「海軍カレー」、わたしの食べた
「海軍カレーパン」、「横須賀海軍カレーたこ焼き」等が店を出していました。
勿論物販店もあり、どこも盛況です。



ヴェルニー公園の噴水越しに米海軍駆逐艦「フィッツジェラルド」を臨む。
向こうに見えているブルーのタワーは、かつて海軍工廠時代ここで建造され、
回航時に撃沈してしまった空母「信濃」の生まれたドライドックのクレーンです。



フィッツジェラルド」の艦上に人影発見。
米軍艦船も海の男に土曜日はありません。
月月火水木金金です。
前にも全く同じことを書きました。バリエーション無くてすみません。

ついでにもう一度前と同じこと言わせてもらっていいですか~?

アメリカの軍艦というのは、どうしてこう手入れが悪いのか。
拡大してみるとあちこちサビだらけ、イージスシステムのアンテナは
汚れて茶色くなってしまっているではないの。
フィッツジェラルドはもう就役して20年になるそうだけど、自衛隊の護衛艦は
20年経っていてももっときれいですよ?
これから「廃艦」になるという自衛隊のフネも去年ここで見ましたけど、
はっきりいってそれより随分汚い。

せっかく日本に駐留しているのに、米海軍第7艦隊というのははっきりいって
日本の美点を吸収しようという意欲に欠けると言わざるを得ません。

もしかしたらその点自衛隊が世界規範から見て特殊なのかもしれませんが。



痛車の停まっていたパーキングの向こうに、軍服発見。
これは横須賀にある高等工科学校の生徒ですね。



この学校は校内に居住し団体生活をしていて、 外出も 自由には出来ません。
基本的に休日・祝祭日及び休暇の定められた時間の範囲内での外出は可能ですが、
帰校できる時間を考慮しなくてはいけないため外出範囲は限られます。


普段の生活では制服又は運動着を着用し、1学年は外出時も原則的に制服です。
2学年からは私服で外出することができます。
ただ し、公務による外出については制服になります。

彼らは制服を着ていますが、手にしている荷物がどうみても「お土産」で、
公務ではなさそうなことから、1学年の生徒であろうと思われます。

ちなみに工科学校はこの形の正帽とベレー型のものがあります。
ベレー型とこの制服のマッチングは

「地球防衛軍・・・・・?」



さて、というわけで護衛艦カレーグランプリの一日が滞りなく終わり、
わたしは数々の戦利品を携えて家に戻って参りました。
この戦利品のご紹介を以て本シリーズエントリの〆にしたいと思います。



わたしが埠頭で一つ食べた海軍カレーパン。
この船型の箱に4つ入っていました。



「明治の頃 英吉利海軍より伝えられし
懐かしの味 カリーパン。」

おおそうか、カレーパンはイギリス伝統だったのか。

と読んだ人が勘違いしてしまいませんかね。この文章。
そもそもカレーとパンを組み合わせるなどと云う荒技を
日本人以外の世界のどの民族が思いつくというのか。
これもwikiによると、カレーパンの由来は諸説あって

1、東京江東区の
「名花堂」(現:カトレア)主人が1927年に

 実用新案登録した洋食パンが元祖であるという説。
 関東大震災後、店の建て直しを急いだ2代目が「洋食の2トップ」である
 カレーとカツレツを取り入れたパンを思いつき開発したとされる。

2、練馬区の「デンマークブロート」(1934年創業)の創業者が発明したという説。
 まずカレーサンドを発売し、後に揚げる事を思い付いたという。 

 

3、大正5(1916)年に新宿中村屋の迎えたインド独立運動家ラス・ビハリ・ボース
 純インドカレーを伝え、これにヒントを得た相馬愛蔵によって発明されたという説。

こんなところが主流ですが、まあ要するに、全て「洋食開発期」の日本人シェフたちが、
同時にあちこちで同じようなものを開発していたということのようです。
つまり

イギリス海軍全く関係ありません。

わたしが一つ食べ、残りを家族へのお土産にしたのですが、持って帰ってすぐ、

息子が食べたいというのでオーブンで少し暖めてやりました。



ちょっとてっぺんが焦げてしまったのですが、暖めると

外側のフライされた衣がパリッ、油がジュワーッとなって大変美味しそうです。
息子によるととても美味しかったとのことでした。
護衛艦を見ながら食べた冷たいカレーパンも結構いけましたけどね。






これは地本コーナーで模型の写真を撮っていたら自衛官がわざわざ持ってきてくれました。

「まだ寒いですし持ちにくいとおもいますが、限定制作で
もうこれだけになってしまった貴重なものなので
ぜひお持ち下さい」 

確かにこれを持って帰るのはなかなか大変だったです・・・。



365 days, 360 degrees

We're protecting the sea

「一年365日、全方位、
我々は海を護る」

だそうです。
地球防衛軍っぽいです。



海自では上級幹部の喫食の際これを使っている、というセールストークを聞き、
反射的に購入を決めたスプーンセット。
どこか忘れましたが、シルバー製造の盛んな東北のどこかの町の産だとか。
大変上質なもの、ということで確かにスプーンにしては妙に高かったです。
(セット価格2800円)



しかし美しい!

どうですかこの完璧なフォルム、持ちやすさを考えた究極のカーブ。



そしてスプーンの柄の端にはこのような自衛隊マークが。
ご予算の関係で1セットしか買えませんでしたが、わたし一人のときは
必ずこのスプーンと、以前横須賀軍港巡りのときに買った「海軍どんぶり」
を愛用しています。
いずれも質がいいので使い心地抜群。

たとえ残り物のスープでもこれで頂けば気分は海将!



護衛艦カレーグランプリシリーズ、明日最終回です。







 

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護衛艦カレーナンバーワングランプリ~イベント開催における海自の真意

2014-04-26 | 自衛隊

先日、この日横須賀で見た護衛艦「ちびしま」について詳細に記述したところ、
読者のmizukiさん(セカンドライフ住人。oui oui主宰)から、

(たぶん)その功績にたいしなんと「ちび大和」を寄贈していただきました。
エリス中尉、これで名実共に夢にまで見た一艦の艦長となったのでございます。

そういえば「ちびしま」の主砲も大和と同じ46サンチ砲で、現代の護衛艦にしては巨砲、
すなわち小艦巨砲であるという点で「ちび大和」と同じ。

本ブログプロフィール写真をしばらく「ちび大和」で飾らせていただくことにしました。
本日画像はmizukiさんのオリジナルをモノクロにして往時の雰囲気を出してみました。
 



さて、カレーグランプリ会場を後にして、ヴェルニー公園沿いの歩道を行くと、
ロープで通行止めされたこんな埠頭がありました。
この岸壁からボートなどの乗艦することもあるのかもしれません。
先ほどまでいた「あしがら」と隣の「ちょうかい」が見えます。
「ちょうかい」の向こうの「くらま」は角度の関係で全く見えません。

そして、敷地をほぼ全域に渡って埋め尽くすカレー難民の群れ(笑)

 

ズームしてみました。
わたしが敷地内にいたころはこの付近には誰もいなかったはず。
カレーの列があれから伸びることは考えられないので、これはおそらく

「あしがら」の見学の順番を待っている列だと思われます。
やはり護衛艦上が過積載にならないように、入艦制限をしているのでしょう。

カレーが食べられなかったのでせめて護衛艦を見ようと
ここでも粛々と並ぶ日本人。






道の向こう側に見えるコンクリの塀は、「日米歴史ツァー」の説明によると、
かつてここが海軍工廠と横浜鎮守府の敷地であった時代、周囲を囲んでいた塀で、
横須賀駅から降りて海軍の敷地内にはいるには門衛のいるゲートを通ったのだそうです。
現在ヴェルニー公園になっている部分も全て軍港であったため、仕切られていたんですね。
雷蔵さんのレクによると、このあたりは海軍時代は錨地で岸壁はなかったとのことですが。


さて、わたしがここを歩いていたそのころ会場に続く路上では・・・。

その日この地から発信されたツィッターによると、この列は一時立体交差点を超え、

CoCo壱番屋の前を通り過ぎてさらに折り返していた。
彼らが場内でカレーが食べられると信じていたときには、たとえその前に列を作っていても

見向きもされなかったココイチであるが「カレーがなくなった」という情報が伝わってから、
民衆はその鬱憤のはけ口を求めて店内になだれ込み、今度はココイチに列をなしたと云う。

(横須賀軍港カレーの歴史・『自衛隊とカレー』第三章・護衛艦CGの阿鼻叫喚より)


このころ、時計は11時40分を指していました。

列は全く途切れることなく、それどころかヴェルニー公園から「横入り」
しようとする不逞の輩()もいたようです。

というのも、ハンドマイクを持って整理に当たっている自衛官が

「ヴェルニー公園からの列への割り込みはしないでください!
この列は後ろの方から続いています!
ルールを守ってお互い楽しく休日をすごしましょう!」

と演説していたので知ったのですが。
最後の

「ルールを守って楽しい休日云々」

は全くその通りだと思い、この自衛官氏の気の利いたアナウンス自体には
大変感心したのですが、それはともかく、それよりわたしはどうして彼らが
今から並んでもカレーを食べることはできない、ということを皆に知らせないのか、
この時点ではどうにも不思議で仕方ありませんでした。

おそらくそのことを何度も告知すれば、ヴェルニー公園からの「横入り」もないでしょうし、
何割かはあきらめて並ぶのをやめたであろうと思うからです。

基地から出て彼らと逆方向に向かって歩きながら、


「カレー、もうありませんよ」(ぼそっ)

ともしここで並んでいる人に告げたらどうなるかなあと考えたりしたわたしでした。


しかし、今にして思うのですが、もしかしたら自衛隊はこのイベントに
「素」で
どれくらいの人が集まるのか取りあえず知るべく、
あえて告知をしなかったのではなかったでしょうか。


カレーが無くなったことを知らされずに並んでいた人々にすれば面白くないでしょうが、
その数を把握するのも今後の戦略上データとして必要なことと判断したため、
自衛隊はギリギリまで発表を遅らせたのでは・・・。



案の定、自衛隊にはカレーを食べ損なったかなりの人数が クレームの電話
じゃんじゃん入れたらしく(笑)HPには当日の夜から


今回のイベントにおきまして、早朝から足を運んでいただいたにもかかわらず、
混雑による入場制限のため、会場内へ入場できないなど、
ご不便をお掛けいたしましたことを深くお詫び申し上げます。
以後は寄せられましたご意見を活かし、安全でより良いイベント開催となるよう、
改善させていただきたいと存じます。

とお断りが掲載されていました。 
さぞかし多かったんだろうなあ・・・「寄せられましたご意見」。 

ただねえ。

営利団体や商業施設ならば責められることでも、それが自衛隊ともなれば
別の観点から考えるべきでは
ないかという気もするんですよ。

そも、このイベントの目的と云うのは決してカレーを売って儲けること、じゃないのでね。
何を目的にやっているかというと、このHPの最初にもこうありますが、

この機会を通じまして、艦艇乗組員の食を支える”給養員”という存在やその技量、
また艦艇での日常生活を身近に感じていただけたもの
と思います。


自衛隊について国民の皆様に知ってもらい理解を深め親しみを持っていただこう、

とまあこれが主眼なんですよ。
つまりカレーがなくなったからといって、中にも入らずとっとと帰られては
本来の自衛隊の目的からいって本末転倒なわけ。

だからこそ並んでいる列に運営はそれを伝えなかったのでしょう。

ただ、日頃お客商売から「お客様は神様」扱いされるのが当然と思っている一般人で

この辺りのことを理解した人間はあまりいなかったんじゃないかな。

HPからは海自の「寄せられましたたご意見」の多さとその調子に
なにやら少し困惑しているらしい様子が窺え(笑)
そのように思った次第です。



左から「あしがら」「ちょうかい」「くらま」。


各艦の舳先のシェイプ、艦そのものの大きさの違いがよくわかる角度です。

歩道は基地に向かう人の列が続いていたため、わたしは途中で
ヴェルニー公園に降りてそちらを歩くことにしました。
ここにもたくさんの出店のテントが貼られ、皆列を作って並んでいます。

ここでも並ぶか・・・。

何のためにならんんでいるんだろうと見てみれば、こちらもカレー。
地元の海軍カレー本舗が、「一口100円カレー」をしていて、
その列に人々が並んでいるのでした。
一口と云ってもご飯茶碗軽く一杯くらいにカレーをかけたくらいはあり、
小腹の減っている人にはちょうどいいかもしれません。

それを横目で見ながら通り過ぎ、物販テントに来たとき



戦艦「三笠」のTシャツが売っているのに気づきました。



写真がボケてしまってすみません。
艦これの三笠さんを宣伝に使っているあたりが、経営者、
本日の客層を良く把握していると見た。
というか、本人も「そういう人」か?

わたしはここで「三笠」Tシャツを自分のために一枚購入しました。



ふと港湾に目をやると、米軍艦船のこちら側を見たことのある遊覧船が。
わたしが去年参加した「軍港巡りツァー」のフネです。

この寒いのに、表の観覧席は満員御礼の模様。
おそらく本日の解説員は本日の大イベント、カレーグランプリに付いて説明した後、

「自衛隊のカレーが食べられなかった皆さん!
ぜひ、帰りに横須賀名物海軍カレーをどうぞ。
ちなみにお土産にはどこどこ社の海軍カレーがおススメです」


とさり気なく宣伝をしたのに違いありません。
わたしが乗ったときにも、ある横須賀地元の海軍カレーの会社が
解説員に商品名を宣伝をさせているらしく、特定商品名を連呼していました。



米海軍の「フィッツジェラルド」と「ステサム」のところまで戻ってきました。




我が海上自衛隊の潜水艦は哨戒を終わったのか帰って来ています。
(朝は姿がなかった)

向こう側に繋留されているのは全て米軍艦船。
「マスティン」「カーティスウィルバー」「ラッセン」・・
そんなところでしょうか。

赤い幟には「よこすか」という文字が見えますが、
「MO」がなんの語尾なのかちょっとわかりませんでした。



さて、わたしはここで空いているベンチを見つけ、腰をかけました。

そういえばカレーを食べていないわたし、さすがにお腹がすいたので
ここでちょっとお昼ご飯にしようと考えたのです。

そのときに目の前には「100円カレー」の列が伸びて連なっていました。
皆ほんとうに並ぶのが苦にならないんだなあ・・。
全くわたしのような諦めの良すぎる根気のない人間には驚異です。

日本が超デフレにでもなって食べ物を買うのにも並ばなくてはならなくなったら、
わたしみたいなのはあっという間に生存競争に敗れて餓死してしまうんだろうなあ。

ここからなら護衛艦も見えるし、ランチにはぴったり。

何を食べたのか、って?



じりかけの歯形が付いたものなんかアップしてすみません。
これは、場内の売店の「横須賀海軍カレーパン」です。
パッケージ4個入りをお茶と一緒に買っておいたので、ここで一つ食べてみました。
 
お味については明日ご報告するとして、写真のピントが靴に合っているので
全くイベントとは関係ないですが、この靴の話をしますと、

 

これはアメリカで買ったタニノ・クリスチーのブーツです。
日本ではあまり知名度がないメーカーですが、わたしは昔からこの
イタリアの手縫いの職人が作る靴に大変憧れていて、

「いつかはタニノのロングブーツを履いてみたい」

と思っていました。
ヨーロッパではチャールズ皇太子の御用達であるという話もあります。
ローマに行ったとき、千載一遇のチャンスとブティックを訪ねてみたのですが、
そのときには運悪く気に入ったブーツが(夏だったせいか)なく、
積年の願いは叶いませんでした。

その後すっかり忘れていたのですが、去年の夏、ボストンのニューベリーで
素晴らしく状態の良い中古のものを見つけました。
アメリカのブティックでも勿論初めて見たのですが、飛びつくようにして購入。
それが大当たりというか、大変履き心地も良く何時間歩いても疲れないので、
このようなイベントにも
活用していると云うわけです。

わたしがタニノに憧れたのは、徹底した職人の技にこだわるメゾンだからですが、
最近は差別化の要、”HAND MADE ITALY"規格を守るため合理化ができないうえ、
若者の意識の変化で職人の数が減っていることからもより一層「幻のブランド」
となっているそうです。


死ぬような思いをして高いヒールを履く瞬間もあっていいと思いますが、

やはり自分にあった疲れないいい靴というのは、ちょっとした人生の宝です。




バランスの悪い安い靴はおそらく歩きにくいでしょうし、
せっかくのきれいな足も台無しにしてしまうこともあるのだと、
若いうちは気づかないことも多いのですがね。

わたし自身数多くの失敗を重ねたから言えるのですが。




さて、まったくの蛇足(文字通り)はそこそこにして。

ここでカレーパンをかじっていると、目の前を水兵さんたちが通りました。
今から基地まで歩いていくのでしょう。
一目見るなり、彼らがいかにも昨日今日から着ているような制服、
新しい靴や鞄 に身を包んでいるらしい雰囲気が見て取れました。

以前、曹士の制服は使い回しで中古を着ることもあるのだと聞いたのですが、
少なくとも彼らは全員がピカピカした新品で身を包んでいるようで、
正帽の後ろのリボンもしゃきっとしています。

何と言っても、全員の佇まいにまだ制服を着慣れていないぎこちなさがあり、
態度も何となくおずおずとしたものが感じられます。

「ははあ、この春入隊の海士くんたちだな」

そう思って腕の階級章を見ると、赤い桜に線一本。
やはり全員が二等海士、おそらく新兵さんたちでした。



カレーイベントの手伝いをするわけでもなく、どうしてこの時間に
基地に向かっているのかは自衛隊の勤務の内容が全くわからないので謎ですが、

「潮気のついた粋な水兵さん」

という様子からはほど遠い、実に初々しい雰囲気を漂わせて歩いている彼らに
思わず微笑んで、

「頑張ってね」

と心の中で声をかけていたエリス中尉です。




続く。 

 

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護衛艦カレーナンバーワングランプリ~カレーあきらめた

2014-04-25 | 自衛隊

というわけで、「あしがら」「こんごう」の見学を終えました。
 


下艦する見学者をお見送りする乗組員。

 

ラッタルを降りながら、テントの屋根を撮ってみました。
「むらさめ」と「はるさめ」の幟が見えます。
いずれも「必勝」「VICTORY」という文字が見えますが、こういった幟は
艦対抗のスポーツ試合やコンペティションがしょっちゅう行われるため、
どこの艦も当たり前のように常備しているものらしいですね。

ところで、音楽まつりなどで活躍している「自衛太鼓」などの装備、
太鼓やユニフォーム、幟といった備品は、全て隊員のポケットマネーだと
元自衛官に聞いたことがあります。
航空祭で人気のバイクを改造した「ジュニア」シリーズの制作費もそうですし、
ジュニアシリーズで備品のほうきを加工して使ったら大問題?になったことがある、
という話もありました。

「国民の税金を使って」と何かごとに目くじらを立てる人々に配慮して、
自衛隊のこうしたグッズは全て隊員が自費で賄っているのかもしれません。

そのかわり、というのか、たとえば駐屯地まつりで自衛隊員がやっている
出店の収益などをそういった用途に回すという説もあります。



このテントの両側に各艦のカレーコーナーがあるので、
好きなカレーをよそってもらいながら通り抜けるという仕組みです。



降りてすぐのテントを後ろからこっそり撮ってみました。
記録係の自衛官が写真を撮っています。
「天霧」と漢字で書かれた(!)いなせな法被を着た自衛官が
「天霧カレー」(カレーも漢字表記)をよそっています。
右側のかなり年配の自衛官は、晴れ着の余りぎれで作ったような
豪華な法被を着て、よそったカレーの皿に「あまぎり」というシールを貼る係をしています。

多い人で8種類のカレーを食べますから、艦名が分かるように各カレーにネームをつけるのです。



大きな賄い用の寸胴は空になったようです。
でも、底に残っているカレーで一皿くらい食べられそう。
今ならちょっと味見で指つっこんでも誰も見ていないし・・・・いやいや(笑)

ちなみに「あまぎり」のカレーはビーフカレーで、
第一回グランプリで銀賞を受賞しました。

少し前に「しらゆき」のカレーレシピを紹介したのですが、
一般的に護衛艦のカレーはなんだかんだと材料を多数多種類投入します。
これは一度に大量の人数分を作るからこそできる調理なんですね。

だからこそこんな機会でもないと味わうことのできないカレーばかり。
この日のイベントへの入場者が記録的な数だったのもうなずけます。



ここは「ライス配食コーナー」。
ライスは一皿500円で、周りには4種類のカレーを入れることができる
特製のお皿に盛られて販売されています。
一人2皿注文することができ、2皿で900円。



ちゃんと専用トレイを制作した模様。
ここにお皿と飲み物をセットして運べます。
素晴らしい。
参加する人が便利なように持てる知恵を結集して考え抜かれたこのシステム。


ある読者の方も2皿8種類を完食したとのことですが、
多少量が多くてもできるだけたくさん味わってみたい、と考えることは皆同じ。
ほとんどの人たちが2皿コースを選択した結果、

開始後2時間半で売り切れてしまった

ということなんですね。
ここらあたりいかに知恵を振り絞っても想像が及ばなかったということのようです。

まあ、この悲劇が来年以降のグランプリにどう生かされるのか、
自衛隊ウォッチャーとしては興味深く注視して参りたいと思います。



カレーを配るテントまでたどり着いたら、その入り口にはこのように
写真入りの各艦カレーの紹介があります。
1商品(つまり一皿?)購入ごとに投票券を一枚受け取り、
自分の気に入ったカレーを一つだけ名前を書いて投票するという仕組みです。

さて、わたくしエリス中尉はこの後カレーを食べられたのか?

結論から言うと、NOでした。
「食べられた」に一票を投じて下さったM24さんには大変申し訳ないのですが。

おそらくですが、護衛艦から出てこのときすぐに並べば食べられたのだと思います。
しかし、なぜかいざとなるとどういうわけかその気にならないわたし、
「別にお腹空いてないし~」と、ばかりにこんどは
売店の物色にかかったのでございます。

昼になってからやっと入場したときにはときすでにおすしじゃなくてカレー、
じゃなくて遅し、食べたくても食べられなかった人には、チャンスをみすみす逃して、
いったい何をしにここに来たのかと肩をつかんで問いつめられそうですが。



だってお土産やでネタ探しする方が楽しいんだもーん。

ほら、たとえばこんなTシャツなんかどうですか?

防人 俺が守る お前を守る

演歌調です。
誰が買うんだろう。



なんと、くまモンが陸自戦闘服を着ている!
うわー、くまモン陸自バージョン、欲しいなあ。 
よし、カレー作戦は撤退したからその分お土産に全力だ!

攻撃目標変更、前方二箇所の民間自衛隊グッズ売り場!


「とつにゅうう~!」
(ぱっぱらっぱらっぱぱ~ぱっぱらっぱらっぱぱ~~~)←脳内に響く進軍喇叭





ー20分経過ー 




はあ、まいったまいった。

最後に買い物したとき、お店の人に「持てますか」って聞かれるくらい買ったわ。

それではすることもしたし見るものも見たし買うものも買ったので

撤退~!



そこでちょうど最後尾まで歩いてきました。
ふと「今並んだら食べられるんだろうか」と思い、列最後尾に付いてみました。
ちょうどそのとき、やって来た案内の自衛官が、

「このあたりの方はお並びになっても食べられない可能性があります!」

と周囲の人々に向かってアナウンスしました。
それを聞いたとたん反射的にあきらめて歩き出すエリス中尉(笑) 



向こう側の通路にはまだあんなに人がいるというのに?



それを聞いても一か八かで並び続けている人たち。 
この人たち、食べられたかなあ・・。



そしてこの写真を撮り終わった直後。
この後ろに並んでいる人々に向かって、案内員が

「カレーは終了しました!」

と初めて宣言しました。
それでも不思議なことに人々は列を崩さず、次々と並び続けています。
もう一度

「今から並んでもカレーを食べることはできません!」

とアナウンスがありましたが、その隊員に向かってじいちゃんが

「そんなこと言わないで食べさせてよ~せっかく来たんだから」

と文字通り食い下がっていました。
じいちゃん、そんなこと整理係の隊員に言っても無理だよ。

とにかくこれを聞いても皆全くあきらめようとしないのです。

日頃あきらめが良すぎるわたしにはどうも理解しかねる現象でしたが、
さすがは日本人、カレーが無くなったと聞いても怒りだしたりするでもなく、
どこかの国なら暴動になっていそうなこの状況でも皆楽しげに並んでいます。

なぜ並ぶ(笑)



そのまま手荷物検査場までやってきました。
この辺りにはまだカレー終了のお知らせは届いていません。
ちょうどお昼にカレーを食べることになるので間に合った、とばかりに
先を急ぐおじさん、御愁傷様です。



手荷物検査場の横は球技グラウンドになっていました。
朝わたしがここを通ったとき、サッカーをやっている隊員たちがいましたが、
あとから聞いた話によると某艦の副長もいたそうです。

グラウンドの奥に巨大な石碑があり、

「英魂照海正気集」

とあります。
揮毫したのは

横須賀地方総監 海将 北村謙一 

だそうです。
北村海将が地方総監を務めたのは1970年から72年までの間。
まだこのころは自衛隊にも海軍出身者がいて、北村海将は64期ですが、
好奇心から64期のハンモックナンバーを調べたところ、
北村という生徒はおらず、その代わり「吉本謙一」なる生徒が三番にいました。

「英魂照海~」の出所は調べても分からなかったのですが、

「優れた気で海を照らし、正しく気を養う者たち」

つまりそれこそ海上自衛隊、っていう意味じゃないかと思います。
適当ですけど。
どなたかこの言葉の原典をご存知でしたら教えて下さい。



振り返ってみましたが、まだ列は全く崩れていません。
デートでやって来た二人は

「どうする?」
「でもカレー無いって・・・」

相談中。
まあ、ここまで来たんだから護衛艦の中でも見ていけばどうですか?



カレーを食べ終わった人はこの左側から出て来ていました。
何があったのか見るために通ってみれば良かったかな。

この右手の自衛官は1佐。

『2佐から1佐への昇進の壁は厚い』

と以前書いたことがあるのですが、1佐になれるのは防大でも同期の45%です。
「2佐」というと艦長職のイメージが強いですが、1佐は隊司令や大きな艦の艦長など。

陽焼けしているし、この日集結したどこかの艦の艦長だと勝手に決めつけてみる。



艦長「もうあの辺の人たちはカレー食べられないみたいですよ~」
相手「この人出・・・今年は何があったんでしょうなあ」

艦長「艦これ」(ぼそっ)
相手「えっ」
艦長「えっ」

(想像です



というわけで門のところまで戻ってきました。
この錨ですが、係船浮標(ブイ)用のもので、

「四瓲(トン) 昭和十三、一」

と本体に表記されています。
係船浮標とはこのようなもので、


(wiki)

船舶が停泊するために設けられる繋留施設のことで、

これに鎖やロープなどをかけることで船舶を固定させます。
この方式での停泊を「浮標係留」といい、この錨はそのためのものです。
普通の錨と違ってねじれているのはそのためのものだからですね。

ちなみに船舶が錨を用いて船舶を固定することを「錨泊」と呼びます。

 

なぜたかが、といっては何ですが、浮標のための錨が飾られているのか、
由来は全く分かりませんでした。

どなたがご存知の方がいたら(略)



横須賀地方隊が開隊60周年記念のときに行われた植樹。

植樹したのは当時の横須賀市長と総監部のトップであった
三木伸介海将補・・・・・ん?

わたしこの方存じ上げてまーす。
ちゃんと名刺も頂いております。
「ふゆづき」のパーティでおじさんたちにけしかけられ一緒に写真を撮り、

「わたしは潜水艦に乗っていたんですよ」

とちょっとだけお話もお聞きしたんだったわ。
全く世間は狭い。

というよりわたしがその狭い世界に首突っ込んでるだけなんですけど。



錨の前で記念写真を撮っている姉妹。
手前の子は、「かいじょうじえいたい」の紙の帽子に、
わたしももらった護衛艦うちわを手にしてご機嫌です。

ちゃんとカレーは食べられたかな?



門を出ます。



しかし、中に入ろうとしている人の列はまだまだ、まだまだ長く伸びています。
誘導の係員もいるのに、どうして「カレーは無くなった」って教えないんだろう・・。



基地を出たところに停まっていた車。
フロントガラスのところに何か書いてあるので見ると



横須賀市の公用車のようです。
しかしなぜ英語なのか。
これに乗って来たのはおそらく日本人ではないと思うのだけど、
米軍軍人なら海自が迎えにいくような気がするのですが・・・。




ヴェルニー公園の端からは、カレーをあきらめた人、知らずにたまたま来た人が、
ここから護衛艦の写真を撮ったり、基地内の人の多さに驚いたりしていました。


(続く)

 






 


 

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護衛艦カレーナンバーワングランプリin横須賀~「こんごう」乗艦

2014-04-23 | 自衛隊

護衛艦「あしがら」に続き、護衛艦「ちびしま」を見学したわたしは
続いて「こんごう」に向かいました。
冒頭画像は「こんごう」で遭遇した「巡回」の腕章を巻いた自衛官。
インカムに両足に巻いたベルト(銃ホルダー?)がかっこいいっす。
写真を撮らせてもらったあと、心に感じたままに

「かっこいい!」

と口にしたところ、さわやかに

「ありがとうございます!」

とお礼が返ってきました。
最近独身のときには照れ、恥じらい、相手に勘違いされないかというためらいから
まず言えなかったこの手の褒め言葉が遠慮なく口を突いて出て来るようになりました。

これも一種の成熟、いや老成?・・・もしかしたら単にあつかましくなっただけ?



ところでこの日、わたしは当初自衛隊の中に知り合いがいる方から

「一般公開以外の艦に乗せてもらうかもしれないので、ご一緒しませんか?」 

とお誘いを受けていました。
そういう「特別扱い」が大好きな(笑)わたし、この願ってもないお申し出を
二つ返事でお受けしたいのはやまやまでしたが、涙をのんでお断りしました。

というのも、いつもは

「自衛隊イベント?ふーん、一人で行ってきたら?」

という態度の家族が、「カレー食べ比べ」と聞いたとたん文字通り食いついて来て、
家族で行く予定になっていたからでした。

ところが前々日になってわたしが確認すると、TOは

「あ、手帳見たらその日なんちゃらクラブの親睦旅行入ってたわ」

じゃ息子と二人か、と思ったところ、前日になって

「カレー食べたいけど並ぶんだったらパス」


 「・・・・・」  (ー_ー#)


そんなことなら最初から行かないと言ってくれてると助かったかな。



さて、というわけで「こんごう」に乗艦するところからです。



なんだか今風ではない、温泉旅館の屋号のような看板が。
「こんごう」はこんごう型の1番艦で、就役は1993年、もう11年前ですから、
そのときに作った看板が古びて貫禄がついてきたのでしょう。

旧海軍の「金剛」は初代、二代目とも英国に発注されたものですから、
戦後になって建造されたこの三代目が、初の国産「こんごう」となりました。

因みに初代「金剛」は、1890年、日本で座礁したあのエルトゥールル号の
生存者を乗せてトルコのイスタンブールに「比叡」とともに航海をしています。



舷門で乗艦者をお迎えする乗組員たち。
ちょっとこの敬礼をしている士官と下士官をアップにしてみます。



右が幹部、左が海曹なのですが、海曹が首から下げているものに注目。
これは

サイドパイプ

ではありませんか!
こんなときにも万が一偉い人(隊司令以上)が乗って来た場合、
舷門送迎の「ほーひーほー」をやらなくてはいけないからですね。



以前、サイドパイプについて書いたときに、この
YouTubeを
紹介したことがありますが、この映像に対し、

「サイドパイプは地本の偉い人に対して吹かれたのではないか」

というコメントを頂きました。
この機会に訂正させていただきますと、サイドパイプは

海上自衛官と総理大臣、防衛大臣等将官に相当する政務官にたいしてのみ

吹鳴されるものなので、たとえ陸上幕僚長が乗って来るようなことがあっても
その対象ではないため吹かれることはありません。

このときは掃海艇「のとじま」に、地本の公用車の支援を得て帰還した、
第41掃海隊司令に対して吹鳴されたとのことです。



さて、「こんごう」の上甲板です。



休憩中、カレーの列を眺めながらたそがれる「あたご」乗組員。



甲板は少しずつ人が増えて来ています。
かつて「ちびしま」に乗って修繕科に悲鳴を上げさせたに違いない人もいます。
(前エントリ『護衛艦ちびしま』参照)



左の隊員のいでたちは作業艇に乗るための装備でしょうか。

それにしてもこのグレーのエアベストとヘルメット、
付けている人のスタイルがいいせいか妙にかっこ良く見えますね。

首回りが防護されているので乗馬の安全ベストにも使えそうだなあ。
まあ、わたしがやったような手首の骨折は全く防げませんけど。



先日、謎の文字「X」について書いたところ、

艦内閉鎖記号といい、合戦準備すなわち哨戒配備になると
これの書かれたハッチは常時閉鎖となる」

とさっそく読者の方に教えていただきました。
続いて今度は「Y」が発見されました。

先般の謎の「X」の文字の下には

(整) 射撃

(閉) 同上

という表記がされていました。
射撃、つまり合戦準備のときに閉じる、という意味でしょう。

それではこの謎の「Y」は?



むむっ。機密の匂いがする。

おそらくこのドアも「X」と同じく「何か」のときに「閉じる」わけですが、
その「何か」を表す部分ににわざわざシールを貼られている・・・・。
しかも、ドアに2カ所ある「Y」はどちらも同じ部分が隠されています。

ここに一般国民の目から隠さねばならない重要な言葉が書いてあったのでは?

・・・・・考え過ぎ?



思いっきりアオリでオトーメララを撮ってみました。

この艦載速射砲システムは、砲塔内は無人ですが、下部(つまり下の階)に、
揚弾ホイスト専用の給弾員が最低2名は必要なのだそうです。
弾込めを今日でも人力でやってしまっているってことですね。
1分間に45発も、こんなかんじのが



(これは「あしがら」の5インチ砲の砲弾で、大きさはこのオートメララと同じ)
発射されるんじゃ、弾の補給も大変ではあるまいか。

と思ったらやっぱり、

最大発射速度で発砲する場合、8名が配置される」

ということです。
前回この画像を挙げたときには気がつかなかったのですが、
この右側の金色のは薬莢なんですね。

薬莢はこの砲身下部の排出口より排出されます。



多足類みたいにこのまま動き出しそうに見えるのはわたしだけでしょうか。



オートメララの解説ビデオ。
英語ですが、図解が分かりやすいのでぜひ見てみて下さい。
発射のとき

「チンクエ、シンコ、クヮトロ、トレ、ドゥエ、ウノ、フォーコ!

で発射しているのがイタリアンな感じです。って皆イタリアンですが。
「フォーコ」は音楽用語でも「コンフォーコ」(火を持って、激しく)
というのがありますが、これは英語の「ファイアー!」に相当します。

しかしなんかイタリア語の号令って、しゃきっとしませんなあ。
これがドイツ語なら

「ジックス、フュンフ、フィア、ドライ、ツヴァイ、アインス、フォイヤー!」

うん、かこいい。
じゃーフランス語は?

「シス、サンク、キャトル、トロワ、ドゥ、アン、フュー!」

 うーん全然だめー。



「こんごう」の横に係留されていた「あたご」の5インチ砲。
「あしがら」は「あたご型」の2番艦ですので、同じです。



さらにその向こう。
実はこの艦名を確かめるのを忘れたのですが、このタイプ
(おそらくコンパット・オトーメララ76mm)を搭載しているのは
「あさぎり」型か「むらさめ」型(等)なので、きっと

「はるさめ」か「むらさめ」か「あまぎり」のどれか

だと思います。全然特定できてませんけど。



アスロックの向こうに私用(かどうかはわかりませんが)電話する幹部発見。
携帯電話での通話は特に禁じられてないんですね。



カレーの列を眺めながらたそがれる隊員その2。



「こんごう」は、艦橋の窓に海将補旗を貼っていました。

当該職にある指揮官たる将官が乗艦する際にマストに掲揚したり」

ということになっているので、海将補がこの日乗艦していたのでしょうか。


冒頭写真の隊員と同じ制服だと思われます。
こういうとき熱心に質問をしているのは年配の男性が多いですね。



子供を座らせて記念写真。



「こんごう」の甲板から下を見ると、このときにはすでに列が
三重くらいになっていました。
ここを三回往復するということでいいですか?



会場にはカレーの匂いが立ちこめています。
しかしいろんな意味でこのイベントは、今の日本のひとつの象徴だと思いました。

軍港に、このあとの大規模訓練が真の目的とはいえ集まった軍艦が、
艦の威信をかけてカレーの人気コンテストに腕を競い合い、
さらに国民は大挙して押し寄せ、しかし混乱もなく整然と、列を作って
1時間も2時間も、実に楽しそうに一皿のカレーのために並んで待つ。

このような現象を全て満たすイベントが行われている国が世界のどこかに存在するなら
きっとその国は平和なのに違いない、と誰もが思うでしょう。

この列を眺めながら、そんな日本に生まれたことを感謝したわたしでした。



さきほど見学した「あしがら」の隣の「ちょうかい」。
停泊中作業艇は降ろしておくんですね。



お約束、隣の艦との間を写真に撮って・・。



展開式の救助筏。
これは乗組員に聞いたところ「水に落ちれば展開する」とのことでした。
先般の韓国でのフェリー船事故で、展開したボートが2つか3つしかなく、
そのうち一つは船長が乗って脱出したというのは、我々日本人に取ってショックな事実でした。

見知らぬ誰かを救うために、自分の脱出を遅らせてその結果亡くなった、
あのTー33のパイロットたちの話に、防大の卒業式であらためて首相が触れたように、
わたしたちはそういった自己犠牲を尊いと思い、彼らのようにできるかどうかはともかく、
自分の与えられた任務を全うすることを当然という教育を受けて来ています。

ですから、自分たちの退路を確保するために300人もの乗客を足止めし、
船内に閉じ込めたまま、自分たちのためだけに救命ボートを展開して逃げた韓国人たちに

「やはり我々とは根本的な何かが違う」

と薄ら寒い不快感を感じた日本人は多かったのではないでしょうか。

全く同じ日に隣の国で起きていたこの地獄図のような事故と、対照的な、
あまりに対照的なカレーの列を見て、わたしはまたもこの言葉を思い浮かべました。

「日本人に生まれて来てよかった」





暗い通路で画像がぶれてしまいました。
「ミズヲカケルナ」となぜかカタカナで書いてあります。
担架かな?



イメージフォト「護衛艦の朝」。

朝起きたらまず体操、それから掃除を行います。
ここに用具がきちんと整理整頓されて収納してあります。

少し分かりにくいですが、左のボンベは窒素で、
オイル火災のときの消火用です。



通路を出ると、隣の艦の舷門をラッタルでつないだ部分が見えてきます。
おとなりは「あたご」。
長いラッタル用だけでなく、接続ラッタル用の小さな艦名幕もちゃんとあります。



舷門がつながっているからといって入っていけると思う人が
後を絶たないので、常時二人が見張りに立っています。



そこで左上を見ると、ハープーンミサイルが。
写真を撮り忘れたので『あしがら』の90式対艦誘導弾SSM−1Bの写真をどうぞ。



公開用の説明板はどの護衛艦も用意してありますが、
「ハープーン」のロゴがちょっと訳ありなので写してみました。
このロゴを右から左に銛が撃ち抜いている意匠ですが、「ハープーン」
というのは「捕鯨の銛」という意味なのです。

メルヴィルの小説「白鯨」が生まれたように、アメリカでも昔は捕鯨が盛んだったんですね。
ちなみに小説「白鯨」で、最後にエイハブと白鯨の「モビィ・ディック」が死闘を繰り広げ、
その結果銛を白鯨の背に突き立ててエイハブ船長が沈んでいったのは、他ならぬ

日本海( JAPAN SEA)

だって皆さん知ってました? 

 

護衛艦「ちびしま」でも説明したHOSー302がこちらにも。
説明しているのはあのパプリカ王国のピクルス王子です。
 
この写真を見て、近くにいたおじさんが

「うわ、これ撃ったらこんなのが飛ぶの?!」

と心から驚いていました。
まあ、武器ですからね。


「さわらないでね(はーと)DANGER」

と書いてあります。
ロックとかあると思うんですが、案外簡単に解除できてしまうものなのかもしれません。



「危険ですから登ってはいけません」
こちらもあくまでも丁寧口調です。



後甲板に出ました。
隣の「あたご」の後甲板越しに「いせ」が見えます。
このとき海自は訓練のために横須賀に集結していたのですが、
幹部会合や会議は広い「いせ」で行われたそうです。
そしてこういうときも各艦乗組員は自艦で寝起きしますが、
それ以外の自衛官は皆この「いせ」に宿泊していたのだと聞きました。

そして、この「カレー頂上決戦」以外にもこういうときには各艦対抗で
サッカーなどの試合をしたりするのだそうです。



一番手前は補給艦「ときわ」、その向こうが先日「ふゆづき」と一日違いで
自衛艦旗授与式を行った「すずつき」です。

これだけの護衛艦が一堂に会している様子が見られただけでこの日は満足でした。



撮られているとは夢にも思わず埠頭を歩く自衛官たち。



艦番号116は「てるづき」。
「あきづき」型の2番艦で、もともとここ横須賀が定繋港です。
向こうに停泊しているのは全く同型艦なので、これが「ふゆづき」でしょうか。
シンクロニシティが半端なく美しいです。


「あきづき」型の新鋭艦、「すずつき」も「ふゆづき」も、
訓練に参加するためにここに寄港していますが、この「てるづき」含め。
「あきづき」型は4艦とも今回のカレーグランプリにはエントリしていません。

「あきづき」と「てるづき」も2012年、2013年就航と新しいフネですが、
「すずつき」「ふゆづき」はさらに、まだ就役して一ヶ月の護衛艦です。
新しい護衛艦の乗組員というのは、色んなところから寄せ集められて来たばかりで
ほとんどの隊員同士が初対面に近く、最初は新学期のクラス状態なのだそうですね。

つまり名前と顔が一致していない状態の1ヶ月を過ごして来たわけですから、
当然ながらまだ本艦のオリジナルカレーをどんなものにするか、などということを
話し合う時間など物理的にも全くなかったということになります。



このイベントの後、冒頭でも触れた「中の人と親しい方」
から聞いたのですが、
新しく自衛艦ができるとき、乗組員をどうやって決めるかというと、
(幹部は上が決めるのだと思いますが)曹・士は副長が声をかけて集めるのだそうです。 
勿論全員ではないと思いますが、これは責任重大ですよ。
どんな人材が集まるかによってフネの空気そのものが変わってきてしまいます。
雰囲気に始まって士気の高さにも大きく関わって来るのですから、
スカウティングはいわば「フネの運命を決める」ともいえます。

そう考えると副長というのは重責を負っていますね。


「こんごう」のデッキには、折りたたみ式のリヤカーがありました。
これも折りたたみ式であると思われます。
どう折り畳むかというと、底が山形に折れ、平たくなります。



「こんごう」の後甲板から「あしがら」「ちょうかい」を望む。



VLSの発射孔は、実はさわれます(笑)
因みにわたしはこの蓋を持ち上げられるか試してみましたが(試すなよ)
勿論びくともしませんでした。

後から考えると「あしがら」の乗組員に見られていたのはそのせいかもしれません。
 




謎の物体。
赤だから非常用の消火設備か何かかもしれません。



蛍光色のヨット発見。
これはアスロックの標的として使用するデコイです。
VLS(ヴァーティカル・ランチング・システム)の的ですから、
何十キロも先に浮かべておいて、その周囲に到達すれば「当たり」。
ピンポイントで落ちなくても、艦船というのは大きなものですから
「デコイを中心に(たとえば)80m以内で命中」という風に考えるそうです。

しかし、時々(というか結構ある、と説明の隊員は言っていた)このデコイに
ピンポイントで当たることもあるのだそうで、このヨットの船腹に大きな凹みがあったので、
わたしは

「これ、当たったあとですか」

と聞いたのですが勿論違いました(笑)
もし直撃したら粉々になってしまうそうで、結構な消耗品なのだそうです。

うーん、クリーンヒット、デコイ粉々がしょっちゅうあるとな。

自衛隊、さすがの練度といってもいいですか?
それともこのミサイルがそういうもので、誰がやっても百発百中なの?




「こんごう」の艦上を歩いて後甲板まで来たら、
カレーのテントがちょうど真横に来ていました。
こりゃーどう見ても4往復縦隊ですね。



地本の人らしき隊員が写真を撮っていました。

というわけで、一応見学できる艦艇は見たし、
そろそろカレーの列に並んでみようかな。

しかし間に合うかなあ。




続く。









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護衛艦カレーナンバーワングランプリin横須賀~MDDG1.74「ちびしま」の本気

2014-04-22 | 自衛隊

さて。

何回もお伝えしているように先週末19日に横須賀地方総監部で行われた

第二回護衛艦カレーナンバーワングランプリ」

は、その異常なくらいの人出がツィッターで報告され、ニュースになるくらい
注目のイベントとなったことは大変喜ばしいことです。
それもこれも「自衛隊カレー」の認知度と、昨今の「艦これ」の人気が相まっての結果。

わたしは朝からいたので「カレーが無くなった瞬間」を目の当たりにしたのですが、

「今から並んでも食べられない可能性があります」

と場内の列が声をかけられていたのは11時30分。

「カレーは無くなりました」

とその30m後ろの列集団が宣告を受けていたのは11時35分。

3時までの開催で「無くなり次第終了」という断りは最初からあったものの、
人の多さと当日の晴天で予想より早く無くなってしまったようでした。


しかし当日カレーを食べようとおもって来たもののその目的を失い、
しかしまあせっかく来たのだからあるものを見学していこう、ということで

生まれて初めて護衛艦の中を見た

という、自衛隊広報に取っては大歓迎の来場者は多かったのではないでしょうか。


わたしは最初からカレーを食べること自体目的ではなく、むしろ常日頃
一般市民と自衛隊の関係性についてこういったブログでお話ししている立場から、
これらの事象を観察することができさえすればそれで目的は果たせたとしています。


それにしてもこの日、わたしが「来て良かった!」と心から思ったのは、 
「あしがら」見学を終え、「こんごう」に向かって岸壁を歩いていく途中で
噂のあの護衛艦を見ることができたときでした。



護衛艦「ちびしま」(JS CHIBISHINA,  MDDG-1.74)

後ろに停泊しているのはDDG−177の「こんごう」ですが、こんごう型2番艦である
DDG−174「きりしま」の1/10番艦がこの「ちびしま」です。 
旧海軍には同名艦が存在しなかったため、これが初代「ちびしま」となります。 
ここで「ちびしま」のスペックを延々と紹介。
「ちびしま」も本気ですが、説明も本気でやります。
 

 
「ちびしま」は、中期防衛力広報計画に基づく0.72トン型護衛艦として、
海上自衛隊横須賀地方総監部の施設科のどこかの倉庫内で起工し、少なくとも
2006年以降に就役した後に横須賀地方総幹部広報
に配属された海自の護衛艦である。

定係港は横須賀。

横須賀のサマーフェスタや観艦式、イベントには必ず一般公開される超人気護衛艦で、

その攻撃力はイベントごとに見る者のハートを確実に撃ち抜き、広報活動における
費用対効果の絶大なことにかけてはおそらく自衛隊一の優良艦であろうと言われている。

所属は「きりしま」が第4護衛隊群第8護衛隊(司令部:呉)であることから、
おそらく「ちびしま」もそうであろうと思われる。




ボートダビットに設置されている11cm作業艇。
作業艇の艦首には「ちびしま」と文字が入っている。
「あたご」型は作業艇を2隻搭載しているが、「ちびしま」は
1隻のみなので、「01」「02」などの艦番号は入っていない。

舵輪が艦尾近くにあり、推進のためのスクリューシャフトがないが、
これはガードで保護されているため見えないのだと思われる。



Mk15Mod2 高性能20mm多銃身機関砲CIWS

「ちびしま」には前後に2基搭載されている。



Mk. 32 3連装短魚雷発射管

型式はHOS−303と呼ばれ、Hは発射管、Oは水上艇用、Sは短魚雷、
そして300番台は3連装を示す。

3本の発射管が俵状に組まれているが、この形は本来
狭い艦上スペースでの搭載運用を可能にするためのものである。

しかし「ちびしま」の場合、艦の大きさに比して発射管の占める面積が広くなり、
おそらくこの通路を乗組員が通行することもできないと思われる。

さらに突っ込むと、発射管の右手に救助用の浮き輪が見られるが、
もしこの浮き輪を使用することができるような人体のサイズであれば
おそらくこの魚雷を操作することは物理的に不可能であろう。



艦上に乗組員の姿が見えているが、この人相風体は、

当方が防衛省のさる筋から得た情報によると

ピクルス王子とパセリちゃん

であると思われる。
共に海上自衛隊の夏服に身を包んでいる。だが待ってほしい。
これも防衛省からの情報によると、この二人は実は日本人ではない。
ピクルス王子は

パプリカ王国の王子であり自衛隊に留学している身分

であり、パセリちゃんというのも

ピクルス王子のガールフレンドで将来の王妃

だと言うのである。
王子の留学に国費でガールフレンドを随伴させるというパプリカ王国の姿勢にも
疑問を感じずにはいられないが、我々日本人に取って看過できないのは、
外国人留学生とその正式な妻でもない女性が我が護衛艦に乗っているという事実である。

ピクルス王子が先鋭護衛艦である「ちびしま」のイージスシステムやその他軍機を
パプリカ王国海軍情報部に流出させていないと一体誰が言えるだろうか。

パセリちゃんも、もしかしたら王子のガールフレンドとは隠れ蓑で、
実は幹部狙いのハニートラップ要員であるという可能性もある。

国際交流も結構だが、平和ぼけの防衛省にはこの点一考を促すものである。



左舷に装備されている自動膨張式筏。
ここには6基収められている。
「きりしま」は両舷にこの筏を持つが、「ちびしま」は片減のみで、
これは積載人員が極端に少ないためであろうと考えられる。



艦橋部分。

前面にもCIWS装備。
イージス艦であるので、艦橋周辺に4基のAN/SPY-1フェーズドアレイレーダーを配置する。
イージスシステムの主たるセンサーとして機能し、最大探知距離は500 km、
同時に追尾できる目標数は200以上と言われているが、ミサイル防衛作戦の際には、
レーダーのエネルギーを集中させ走査することで、
1,000km以上の最大探知距離を実現するとされている。

CIWSの上部に見えるレーダー状のものは、何か分からない。




オトー・メララ 127 mm 砲(Oto Melara 127mm gun)

wikiにはオート・メラーラと表記してあるが、現役の自衛官によると
「オトー・メララ」と発音しているらしい。
わりとどうでもいい話だが、なぜ食い違っているのかは謎。
イタリア人にはどちらも通じると思うがどうか。

自衛隊では「ちびしま」の「こんごう」型、「たかなみ」型が搭載している。



向こうにある「こんごう」と画像が混ざって非常に分かりにくいが、
艦橋の上部構造物である。
丸い円盤のような部分はOPX−11 IFFで、敵味方識別装置である。
つまり、友達か(friend)敵かを(foe)認識する(identify)のである。
この「friend or foe」は、「敵味方」という軍事用語に属するもので、
決して不真面目に付けられた略語ではない。

「ちびしま」はその愛らしさを主兵器としている構造上、実質敵が存在しない。
従ってこのIFFにかかっては全てのものは「友達」と認識されるという特質を持つ。 

 

縮尺の関係上、オトー・メララの砲身は大変太く、
これがもしそのままの アスペクト比であれば、「ちびしま」の主砲は
46サンチ砲くらいに相当する。

艦首旗竿は予算の関係で省略。

首錨はシャンクと呼ばれる錨の上部をホースパイプに引き込んだ状態で
収納してあるので、「ちびしま」は現在投錨中ではなく航行中、あるいは
これから出航すると思われる。

艦番号は1. 74。

「こんごう」型は全長161m、全幅21mである。
「ちびしま」はそのおよそ1/100スケールなので、この艦番号となったと考えられる。



艦尾部分。
後甲板には艦載ヘリが間違って着艦してしまわないよう、 
 「 .74 」の表示があり、注意を喚起している。

アス比の関係でやたら巨大に見えるものが両舷に装備されているが、
これはスクリューガードである。
喫水線下でスクリューは艦の全幅からはみ出すため、
接岸時に岸壁に接触することがないようにガードを設けているのである。

「ちびしま」は、少なくとも一度、大掛かりな改造を施されている。
竣工当時、左舷側には階段が設けられ、床上20センチくらいの部分に
お立ち台があってそこで写真を撮るという構造になっていたのである。

ところが、海上自衛隊広報の読みが甘く、体重の軽いお子様たちや、
赤ちゃんを抱いたお母樣方だけではなく、家でパソコンばかりして
ろくに外にも出ず体重の増えるがままのオタクが、こんなときだけは自宅から出て来て

「ちびしま、萌えー」

とばかりに入れ替わり立ち替わり写真を撮ったりするのですぐに床が傷み、
横浜地方総監部補修科は、たちまち修理補修に追われることとなった。

その莫大な手間と修理費用に悲鳴を上げた海上自衛隊は、
「体重80キロ以上のおっさん乗艦禁止」
という規制を設けようとしたのであるが、「ちびしま」の、広報活動という
任務を鑑みた場合、差別をすることは本末転倒であるという結論に達し、
「ちびしま」に乗るシステムそのものを廃止することを涙ながらに決定したのである。
 

(護衛艦「ちびしま」より)文責エリス中尉 
 



「ちびしま」の横には神奈川地本のテントがあり、ここではお子様向けに

制服を着て写真を撮るコーナーが設けられていました。



このように、後ろに撮影用の書き割りまで用意されて。



そして、この後ろで自衛官のコスプレをしたお子様が立ち、

親ばかが写真を撮るというシステムです。
「ちびしま」で撮れるとなればきっと皆そちらに行ってしまいますから、
海自の苦渋の選択(だったかどうかは知りませんが)は妥当だったかもしれません。



「おじちゃん。僕、上手に押せるよ♪」


誰だこのネームを考えたのは。
おじちゃんって、誰?



「しらせ」が持って帰った南極の石。
昭和基地の周りで採取された石で、およそ5~10億年前に生成されたものです。
よく見ると、ガーネットや鉄を含んでいて、日本では見ることができない
貴重な石なのだそうです。

ペンギンが可愛い。
こまめに「萌え攻撃」を仕掛けて来るなあ日本国自衛隊というのは。



比較的年配の女性自衛官が説明していました。
彼女の前にあるのは「しらせ」の持って帰った南極の氷。




大きな氷の固まりが少しずつ溶けていっていたのですが、

自衛官に言われて氷に耳を近づけると、「プチプチ」と
はじけるような音がします。
これは氷が生成したときの、つまり1億年前の空気がはじけ、
1億年ぶりに大気に混じる音だという話でした。



このときはこの地本コーナーも暇だったため、係の自衛官も
向こうから近寄って来て説明をしてくれたりしました。

「どうぞ、模型も見ていって下さい!」

熱心に言われてつい熱心に写真を撮ってしまうわたし。
これは「ひゅうが」ですね。



「ひゅうが」と並べてなぜかカレーの模型が・・(笑)

この日、「ひゅうが」はドックに入っていて参加していませんでした。

それでせめてもの「模型によるカレー展示」でしょうか。

その代わりというか、大規模な演習前のため「いせ」が来ていて、
艦内で各艦上級幹部の会議などはここで行われたり、
自衛官が宿泊したりしていたそうです。



ちゃんと艦艇作業用?ベスト、猫耳付きヘルメット着用のネコ。




P3−C。

と何も考えずに書いたら、瞬時にして2つ訂正コメントが来ました。

P−1です。P−1。



1/200スケールの「ずいりゅう」。




「あしがら」「ちょうかい」「くらま」の自衛艦旗がきれいに
この日の風になびいています。
この日の横須賀はこのころは晴れていましたが、風が冷たく、
薄着をしていった人は震え上がるくらいの寒さでした。



カレーの列に並ぶ人々の横を、宣伝隊がうろうろ。

「おおなみ」のかれーは「プレミアムカレー」。



「くらま」の宣伝隊。
キャッチフレーズは「総理大臣喫食カレー」です。


へー、でも野田でしょ?

などと、前回書いてしまったのですが、何とわたしはたった今
この宣伝隊の写真によってそれが間違いだったことを知ってしまいました。

後ろの隊員が持っているカレーと、そして自衛艦旗のポスター。
これを拡大してみたら、旭日旗の上にはこう書かれているではありませんか!

「内閣総理大臣 安倍晋三

平成18年10月29日」


失 礼 し ま し た ~ !

いやいや、野田さんではなく、第一次安倍内閣のときの観艦式だったのね。
道理でわざわざ「総理大臣喫食カレー」なんて名前をつけたわけだ。

「民主党の総理大臣喫食カレーなんて名前をつけて思い出させるんじゃない」

などと勝手に思い込んで不愉快になったりして、ごめんね。
それにしても、どうしてこのような誤解を招く名前を付けるのか。
「安倍総理喫食カレー」では自衛官の「政治に関与せず」との「服務の宣誓」に
コードが引っかかるからかしら。


こうやって宣伝隊が安倍ちゃんのサインを皆に見せて、わたしのような
早とちりをした人の誤解を解いたせいか、「くらま」カレーは見事銀賞を射止めたそうです。

おめでとうございます。



カレーの宣伝隊ばかりではなく、防火隊も出動。

カメラを向けると、見えやすいように幟を向けてくれました。

走り回っているせいか、こんな格好でも全く寒くないようです。
若いって素晴らしい。



彼女もカメラを向けたら「羽ばたきのポーズ」を決めてくれました。


「チキンカレー」の宣伝をしていたのは「こんごう」です。

この女性自衛官はこの偽装?がツィッターで拡散され、

「可愛い」「癒された「体張っているな」「おつかれさまです」

などとつぶやかれて人気でした。
しかし誰ひとり突っ込まなかった彼女の、いや、おそらく海上自衛隊の壮大な
「釣り」に、釣りと知りながら
わたしはあえて釣られてみるのですが、


ニワトリに水かきはない。



続く。
 



 

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護衛艦カレーナンバーワングランプリin横須賀~「あしがら」乗組員の敬礼

2014-04-21 | 自衛隊

土曜日のカレーグランプリイベントの記事を少し検索すると、

【悲報】横須賀のカレーフェスタに参加する方へ
最後尾が遂に横須賀中央駅に通じる大通りまで伸びました。
カレーはもうあきらめて下さい。
この分だとあと30分ほどで横須賀中央駅まで列が延びます」

などというツィッターが昨日は飛び交っていた模様。
その人の多さは「自衛隊も予想できなかったのではないか」
という わたしの想像通りだったようで、何でも警備の人が

「近隣からの苦情が来ています!」

とインカムで叫んでいたという話も。

この異常現象の理由は、どうやら世のカレー好きが

「海自+横須賀」

のコンボに沸き立ったことと、何と言っても

「艦隊これくしょん」

のブームが過熱化しているということにあると思われます。



ヴェルニー公園横のスターバックス裏に停まっていた車。
今日は「こんごう」の艦船見学もできたからねえ。
他府県からわざわざ自艦でこの日乗り付けた提督の気持ちはわかるよ。

この手のものが今人気であるというのは、自分自身のブログエントリが
「艦これ」関係スレッドに挙がったときの異常な閲覧数からも実感しましたが、
それを「痛車」にしてしまうというこのオーナーは筋金入り。

並んでいる列の周囲からは

「そのときに東郷元帥がさ」

とか

「島風と雪風じゃあどうのこうの」

などという戦後70年経った今日、平成生まれの若者のとは思えない会話が
しょっちゅう聞こえていましたし(笑)



このとき時間は9時半。
向こうにある青いテントがカレーの屋台です。
まだこのころはフェンス沿いに一列だけしか人が並んでいないことに注目。
わたしが帰るころにはこの列は5列くらいになって仕切られた通路を
行ったり来たりという状態になっていました。



そんな人たちに、各護衛艦の宣伝隊が出動して自艦のカレーをアピールします。
はたかぜのカレー、「はたカレー」(しゃれのつもり?)は、豚肉入り。
絵心のある隊員がポスターに東郷元帥みたいなのを描いたようですが、
神風型駆逐艦「旗風」は大正13年の起工ですから確かに伝統はあります。



コンテストは、500円でライスと周りに4種類のカレーが入れられるトレイが貰えるので、
それに自分の好みのカレーを4種類だけ入れてもらって味比べという形式。

4種類の一つに選んでもらわないことには票も入りませんからこうやって宣伝しているのです。



中には一緒に記念写真を撮る人も。
楽しそうで結構です。



しかしわたしはカレーに拘
らっている場合ではないのです。

人があまりいないうちに艦船見学をしてしまわねば。



ほら、「あしがら」の乗組員たちも今なら暇そうだし(笑)



というわけで、昨日も書きましたが「あしがら」に乗艦。
脳内ではわたしだけに聴こえるサイドパイプの音色が(略)



因みに人が少なくて注目が乗艦者に集まっていたため、自衛艦旗への敬礼は遠慮しました。

右の方のカメラマンにはラッタルを降りたところで写真を撮られてました(笑)




「あしがら」の舷門からカレーに並ぶ列を望む。
この列を見てげんなりしていたわたしですが、何度も言うように
こんなのはまだまだ序の口だったんですね。



というわけで艦内見学です。
入ってすぐ右側にMk32短魚雷発射管が。
わたしも最初は知らなかったので一応説明しておくと、この短魚雷管は、
発射時にはぐるりと旋回してちゃんと海の方を向きます。
軍運用のものは「兵士が操作する」ということを前提にして、
手動の部分が多いのかもしれないと以前書いたことがあるのですが、
この旋回もまた乗組員が手動で行うのだそうです。



Mk.32は三連装型。
手すり柵には緑の安全ネットが貼ってありますが、これはむろんのこと
今日の一般公開のために対策したものです。
小さい子もたくさん乗ってきますし、親がちゃんと見ていないで何かあっても
責められるのはおそらく自衛隊ですから、念には念を入れて安全対策を行います。

3のついた魚雷に赤いリボンが結んでありますが、これもぶつからないように
安全対策として巻かれたリボン。



躓き防止に、床にある鎖をつけるリングにも赤いリボン。



到底ぶつかりそうにないようなところにまで結んでありました。



「責められるのは自衛隊」で思い出しましたが、プレジャーボートと「おおすみ」との衝突事件、
全くその後の報道が無くなりましたね。
ということはプレジャーボートが悪かった、って考えていいのかなー?



右側の先がカレーのテント。
画面右上に見えている白いテントが手荷物検査ゲート。
左上にも列が見えていますが、ここはすでに自衛隊敷地内です。
左手に地面に書かれた文字は航空機へのメッセージで

WELCOME YOKOSUKA

と書かれています。

 

通路で見つけた溺者救助用人形と救助用担架。
シャッターが甘くて顔がはっきり写せませんでした。
この日見た「こんごう」の人形も顔がありましたし、常日頃から海自艦艇が
「顔のある救援」を心がけていることがこんなことからも窺い知れます。

この人形に名前がついているのかどうか聞いてみましたが、
「名前はない」とのことでした。



巨大な艦船用のホース。
歩いている自衛官と大きさを比較してみて下さい。

そして、海の向こう側の塀沿いに見える人の列・・・。



このころ、カレーの列はまだ場内でも一列でした。
右側の誰もいない通路が「あしがら」見学用です。



チャフランチャーは4基持っています。

Mk.36SRBOCシステム
のうちのフレアー発射機はMk.137という型番がついています。
ご存じない方のために書いておくと、これは「デコイ」で撹乱用なので、
「兵装」ではなく「電子装置」に分類されます。



これを見るといつもチョコレートバーを思い出す、VLS、垂直発射装置。
対空ミサイルとアスロックミサイルが発射可能です。

アスロックミサイルは遠方の潜水艦を攻撃するためのものですが、
魚雷本体をロケットでまず近距離まで飛ばし、パラシュートで海中に落下した後は

潜水艦の後を追いかけていってヒットする

という・・・・・何それこわい。



VLSの向こうには年配の婦人と妙齢のお嬢様(眼鏡付)とが若い士官をつかまえて
何事かを熱心に質問なさっています。
まさかお見合い?
この幹部さんの様子を見ても、知り合いであることは間違いないように思うのですが。



「あしがら」は「あたご」型の2番艦。
20mm機関砲ファランクス・CIWSは2門装備してあり、このように
艦橋の真正面に設置されています。

 

なんというか、こういうところに鎮座しているCIWSは有り難みが増しますね。
ご本尊という感じで思わず「はは~」と手を合わせてしまいそうです。



いつぞやホーネット博物館で見たトムキャットの積んでいた航空魚雷に
「レイセオン」と書かれていましたが、このファランクスCIWSもレイセオン製です。
レイセオン社はボストンにあり、州内の企業の中でも大規模で著名な会社の一つ。

「ファランクス」という名前がもうすでに中2病な響きなんですが、
「重装歩兵による陣形」 を意味する古代ギリシア語です。
実際にも中2だったぜ。 




写真を大きくしたのはこの20mm弾のベルトをお見せしたかったから。
何しろ1分間に3,000~4,500発の発射が選択式で可能、
毎秒50~75発ですから、おそらく発射時には銃弾を肉眼で確認することも無理。
このベルトも自動車の車輪並みの速さで回っていくのでしょう。



これは「あしがら」の兵装ではなく、隣に停泊していた「ちょうかい」の
オトーメララ127mm砲。
護衛艦は三隻並んで停泊しており、一番向こうは「くらま」でした。 

 

その「ちょうかい」の乗組員が和気あいあいと群衆を見物するの図。



こちらは「あしがら」警備の水兵さん。
風が強く寒い日だったのですが、特に甲板では
このようにセーラー服の襟がめくれてしまうほどでした。



風向計が絵になってます。
それにしても細いケーブルが多いですが、全て電線でしょうか。



「あしがら」は「あたご型」の2番艦で、搭載しているのは

Mk 45 5インチ砲。

5インチというのは127mmですから、直径13センチ弱の砲弾が1分間に16~20発発射されます。



ちゃんと実物も展示されていました。



火を噴く砲身。
これは名称がやたら長いですが、愛称はないんでしょうか。

ところでこの説明にある

米国が開発中の新型爆薬(ERGM、ICM)を発射可能な唯一の

という一文が気になるなあ。

砲員は6名で作業にあたるそうです。



いかにも手で空けることができそうな小さなハッチが背面についていました。
近くに自衛官がいたので聞いてみたところ、これは内部清掃点検用だそうです。
発砲するたびに砲身の内部は摩耗するので状態をチェックし、
摩耗の度合いに応じて部品を交換する必要があるのだとか。

 謎のプレート「X」発見。



というわけで、甲板を後にします。
一人で来て写真を撮りまくるという物好きな女性も最近は珍しくないと思いますが、
やはりわたしの場合熱心度合いがあだになったのか、警備の隊員に見られてます(笑)

中国の女スパイを疑われたのかもしれん。



たしかに兵装を写真に収める人はいくらでもいるけど、
手すりから手だけ出してこんな写真を撮る人もあまりいないかと・・。

護衛艦が並列で停泊するときに間に挟む浮き。
もう少し小さなフネと並べるとき用の小さな浮きも内部にありました。



右舷側のチャフランチャーと扉二つ。
扉に付けられた防水・気密のためのレバーの数が凄い。



二つ向こうに泊まっている「くらま」の主砲、(っていうのかな)

Mk42 5インチ砲。

ここに停泊している「あしがら」始め、「くらま」も「ちょうかい」も
カレーグランプリ参加艦なのでここにいるわけですが、
「あしがら」フルーツ入りビーフカレー「ちょうかい」は特製シーフードカレー
そして「くらま」

「内閣総理大臣喫食カレー」

2012年観艦式で総理大臣が食べたカレーというのを売り物にしているようです。
しかしながらわたしの記憶に間違いがなければその総理大臣というのは
民主党の野田佳彦ではありませんでしたでしょうか。

なんだ、野田か。

というか、観艦式でカレーなど食べていたのねあの泥鰌男は。

いやまあ民主党時代のことを無かったことにせよとまではいいませんが、
それをカレーのキャッチフレーズにするのはいかがなものか。
ちなみに「野田カレー」はビーフカレーだそうです。



最後に「ちょうかい」の甲板の日の丸に(心の中で)敬礼し、
甲板を後にしました。

このあと通路で熱心に掃除用のほうきを眺めていたら

「何か気になることでもありますか」

と警備の自衛官に声をかけられてしまいました。
どうやらまたも不審がられたようです。

通路では「あしがら」グッズの販売もありました。
先日お話しした「先任伍長メダル」のようなものを売っています。

「売店ではこれは決して売っていない」

とエントリで言い切った以上、その真偽を確かめるために
裏側をチェックしたのですが、「マスターチーフ」の刻印はなし。
念のため販売している自衛官に

「これは先任伍長が持っているものとは別ですか」

と聞くと、一般用ですという返事でした。

 

「あしがら」はこのSSMを2基装備しています。



隣の「ちょうかい」の舷門には見張りが立っていました。
自衛官が行き来するので通行止めにはしていませんが、今日は公開していないためです。
わたしが通りかかったとき目を離した隙にラッタルを渡ってしまった見学者がいたらしく、
追い返されてきていました(笑)



隊司令旗が揚がっています。
編成上1等海佐をもつて充てることとされている隊司令について掲揚される旗で、
代将旗との違いは切れ込みがあるかどうかです。



後甲板に出ました。
173はこの後見学予定の「こんごう」、177は「あたご」です。

「こんごう」のカレーはチキンカレー、「あたご」は「普段のビーフカレー」(笑)
自然体で勝負というところでしょうか。
艦ナンバー102は「はるさめ」。
「はるさめ」の出品は「チキンスープカレー」。なんか技出して来た~。

いわく

「他の肉類よりカロリー控えめの鶏肉を使い」!

多めのバターでタマネギを炒め」・・・

カロリーを下げたいのか上げたいのかどっちだ。



そのときヘリの音がしたので上空を見ると、どうみてもOH−1が。
ただし塗装が赤白青のトリコロール。
近くにいた隊員にあれは何かと聞いてみると、

「報道ヘリですね。カレーグランプリの行列を空から撮っているんでしょう」

とのこと。OH−1って民間利用されていたのか。
それにしてもこの日のこのイベントの人の多さは報道になるくらいだったのね。

そういえばこのときTBSのカメラマンを見たけど、自衛隊のイベントをあの局が報道したのでしょうか。

 

「あたご」型はヘリコプターを搭載するための格納庫があるので、
離着艦のための管制用ブースがあります。
内部はクーラーも効くのだと思うけど、夏はなかなか辛そうですね。
ここにも足元注意用のリボンがつけられておめかし。



自衛官の正帽が外に置いてありました。
まあ、日本だから盗られることはないと思うけど・・。



ここで事件発生。
おそらく早くに来てすでにカレーを食べ終わり見学していた家族の、
小学生の女の子が甲板で戻してしまいました。

そのことが近くの自衛官に伝えられたとたん彼らは即座に状況開始。
それがマニュアルで決まっているかのように行動に無駄がありませんでした。

一人が女の子に駆け寄り、父親と一緒に背中をさすっている間に、
もう一人が走って折りたたみ式のチェアを取りにいき、
女の子をその場で椅子に座らせて、あれこれと気遣っている間にも、
どこから現れたのかもう一人がお掃除のセットを持ってやってきて、
汚物に掃除用の紙をまぶし、あっという間に床をきれいにしてしまいます。



わたしは近くにいて彼らがその「第一報」を受けたときの表情を
目撃したのですが、一人が「あっ」と一言言っただけで後は顔色一つ買えず
全員が無駄な動きももなく全てを迅速に運ぶ様子は見事というばかり。

家族に対しても非常に気を遣う様子が見て取れましたし、
何と言っても「不承不承」とか「事務的に」という雰囲気は全く無く、
「優しさ」という言葉しかそこからは窺えないくらいあまりにも爽やかな対応。



いざというときに全く行動にためらいがない、こんなところも
日頃最悪の状況を想定して訓練を恒常的に行っている集団の胆の落ち着き方というか、
底力の「氷山の一角」を見たようで、わたしは心から感心してしまったのです。

そして、続いてこんなことがありました。



わたしが
「あしがら」を降りるとき、車いすで訪れていた参加者が退出するため、
 家族を先に降ろし、車いすに乗せたままの人をラッタルに乗せて、
二人の自衛官が慎重に、慎重に、ゆっくりと降ろす作業を始めました。


その作業の間、ラッタルは通行止めになり、ちょうど降りようとしていた客は
随分長い間皆でその作業を見守ることになりました。

ようやく車いすが無事埠頭に降り、ラッタルが通れるようになった後、
舷門の両側に立った二人の自衛官たちは、待たせたことに対するお詫びの意味だったのか、
そこにいた全員が降りてしまうまで、ずっと不動で敬礼をし続けていたのです。


(続く)








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護衛艦カレーナンバーワングランプリin横須賀~「自衛隊で海軍カレー」

2014-04-20 | 自衛隊

海自と言えばカレー、カレーと言えば海自。

伝統墨守、動脈硬化がキャッチフレーズ(ちょっと違う?)の日本国海上自衛隊が
帝国海軍の伝統を最も濃く受け継いだ 事柄の一つと思われるのが「カレー」へのこだわり。

「金曜日はカレー曜日」

というとあるカレーの宣伝は、もはやこの海自の習慣が一般にも膾炙し、
それを当たり前のこととして国民が受け入れているという現象の証左と言えます。

「海軍カレー発祥の地」から、いつの間にか「海軍」という名を取り去り、
「カレーの町」と名乗って海自からお株を奪った町、横須賀の「町おこし」と、
自衛隊への国民の関心と親しみを持ってもらうイベントを兼ねたこのカレーグランプリ。

実はこの「護衛艦カレーグランプリ」、今年で二回目です。

第一回目は佐世保だったそうです。
町おこしがどうのというのなら、佐世保はカレーじゃなくてバーガーだろ!

とつい突っ込んでしまうのですが、このイベントは海自主催で、たまたま今回
それがカレーの町横須賀で行われただけのことのようです。



ということは、来年は呉で再来年は舞鶴で行う、という具合なんでしょうか。



わたしがこのイベントをどうやって知ったのかというと、ネット上で

「自衛隊でカレーグランプリイベントがあるぞ!」

という投稿型スレッドが立てられたのを見つけたからです。
ふと思ったんですが、こういう宣伝スレってもしかしたら「中の人」が立てるのかもしれません。
前日にもだめ押しのようにお知らせのスレッド(自衛隊の広報ページが貼ってある)を見ました。

本当にインターネットというのは今や広告媒体として広告業を介するより
よっぽど確実で効果も絶大、しかもタダという、発信側には無くてはならない方法ですね。

地本のHPなんかを見ると、制作者があきらかに「ネット用語」を駆使しているし、

組織でか個人でかはわかりませんが、自衛隊も実はネットに
「斥候を送り込んでいる」
というのは間違いないことのように思われます。



さて、わたしは8時頃車で現地近くに到着しました。
以前横須賀基地の見学をしたときに駐車したところが
8時30分にオープンすることを調べておいたので、駐車場の前で
車を停めて開くのを待ち、それから列に加わりました。

そのときにはここ、ヴェルニー公園の端っこくらいのところまで
入場を待つ人の列が伸びていました。
右側が並んでいる列、左側はJR横須賀駅から列に加わるために歩く人たち。
自衛隊の入り口はどちらかというと横須賀駅に近いのに、
列がどんどん伸びていくので最後尾まで戻ろうとする人は大変です。

わたしの前にいた女性の2人組は、インターネットでプリントアウトした
参加護衛艦のカレーの中から自分たちの食べたいものを付箋に書いて、
ファイルに貼って持って来ているという準備の良さ。

うーん、みんなカレーが好きなんだなあ。

わたしの後ろの、カーキのジャンパーに自衛隊イベントで買ったバッジや
ワッペン?をたくさん貼っていた年配の男性は、道往く人に

「これ、何のために皆並んでるんですか?」

と聞かれて、

「自衛隊で海軍カレーを食べさせてくれるんですよ」

とさらっと答えていました。
やっぱり年配の方には「海軍カレー」のイメージなんですね。
聞いた方も同じような年代の男性で、

「ほーそうなんですか」

と普通に納得していましたが。



8時半から開門の9時までは同じ場所で30分立ち続け、
9時過ぎたら列が動き出しました。
やっと米軍駆逐艦の見える場所まで来ました。



そういえばこんなものを見学したこともあったわね。
戦艦「長門」の碑。



横須賀駅前で集合して来たとおぼしき「地本集団」がきました。
地本を通じてイベント参加を決めた「入隊予定者」かもしれません。

カレーを食べるのには普通に並ぶ列以外に「特別」の入り口がありましたから、
彼らはきっと優待待遇で待たずに食べられたのではないでしょうか。



噴水の広場まで来ました。
前にここには「カーティス・ウィルバー」「ラッセン」が泊まっていたのですが、
今日は「フィッツジェラルド」(62)「ステサム」(63)です。
ステサムは以前別のところに係留されていましたから、
特に係留する岸壁は決まっていないんですね。

ただ、ここには駆逐艦を泊める、ということだけ決められているようです。

ところで、この駆逐艦の横にはいつもなら海自の潜水艦が泊まっているのですが、
今日は二隻とも姿が見えませんでした。
会場内で近くにいたカップルが

「今日は潜水艦が見られたから良かった」

と会話していたので、おそらくこのとき訓練で港湾内を潜行していたようです。



わたしは潜水艦は見られませんでしたが、その代わり、
作業艇が航行するのを見かけました。
そして、画像を大きくしてどこの作業艇かチェックしてみたら・・・・



「ふ ゆ づ き」 でした!

舳先に立っている隊員が遠目にもかっこいいではありませぬか。
それにしても、何たるご縁か。
わたしは、あなた方が自衛艦引渡式とそれに続く自衛艦旗授与式の後、
三井造船の岸壁を出航していく瞬間に立ち会っているのよ。
その節は雨に降られて大変でしたねえ。

てな感じで、自衛艦として巣立っていく様子を見たせいで、
すっかり親近感を持ってしまっているわたし。
作業艇がいるってことは、「ふゆづき」はいま横須賀に寄港しているってことよね?




ここで列を振り返ってみました。
最後尾はもう全く見えず、周りの人たちの話によると、
もうすでに列は横断歩道の向こう側まで伸びているとのこと。
8時半から並びだしてこれだもの。

「あまり早くに並んで、朝からカレーを食べるはめになるのはちょっと」

などとちょっとでも考えたわたしが間違っていました。
 


ようやく入り口の看板が見えて来たときには、並びだして
すでに40分くらいが経過していました。
でも、これはまだ早く入れた方であったことが後で分かります。

敷地内に入ると、金属チェックと手荷物検査があります。
ゲートをくぐったとたんにまた列に並ぶわけですが、
列は折り畳まれたように荷物検査場の前でダンゴのようにになっています。

「うぜー」

並んで列を作り何かを待つということが何よりも嫌いなエリス中尉、
カレーのテントが見えもしないのにびっしりと人が並んでいるのを見て
早くも意気沮喪してしまいました。

「運営の手際が悪い」

などと、近くの人が愚痴っていましたが、そう言うことじゃないでしょ。
おそらく、海自の方もこんなに人が詰めかけるとは想定外だったと思います。
日頃缶詰くらいしか食べる機会のない護衛艦レシピのカレーを、
あれこれ食べ比べてお一人さまわずか500円。
これはおそらく材料費ぐらいの意味しかなかったと思うのですが、
わたしが思うにこれが安すぎたんじゃないかな。
1000円くらいにすれば、もう少し人が減らせたんじゃないかと思うんですが。

え?その値段だとまるで自衛隊が商売してるみたいじゃないか、って?

あなたは、この日ここに詰めかけて結局何も食べられなかった人の
めまいするくらい長い人の列を見ていないからそんなことが言えるんです。
昼前にすでに場内では「カレーはなくなりました」と言われていたのに、
まだカレーを食べるつもりの人が入って来ていたんですよ?


さて、わたしが敷地内で荷物検査を終えたのは10時前というところです。
停泊している護衛艦の甲板を望遠レンズで撮ったところ、



結構見学している人がいるではないの。

今だからこれだけ空いているけど、時間が経てば経つほど
カレーを食べ終わった人々が護衛艦見学になだれ込み(だってほかに見るものないし)
大変な混雑になるか、あるいは乗艦制限されてしまうかもしれません。

「決めた」

もうカレーはいいや(笑)
カレーはいくら写真に撮っても味が皆さんにお伝えできるわけじゃないし、
最悪食べられなくてもいいから、先に護衛艦見学をしよう。

「すみません、カレーじゃなくて護衛艦見学したいんですが」

列の近くにいた自衛官にこう声をかけてみると、ご丁寧にも
「こちらへどうぞ」
と列から外に誘導してくれ、

「ここをまっすぐ行くと(って、まっすぐ行くしかないんですが)、
『あしがら』と、左の奥に『こんごう』が泊まっていて見学ができます」

とさらにご丁寧に教えてくれました。
あごをしゃくって無愛想に

「あっち行って」

などという態度の悪い隊員はここには一人もいません。
当たり前か。
今や銀行やデパートの新人研修で自衛隊に体験入隊、というくらいですからね。
接客にかけては民間とはもはや基礎が違うのだよ、基礎が。


その理由は、元陸幕長もおっしゃっていたけど、基本的な「下から目線」の姿勢
 ・・・・・かな?



というわけで、まだがらがらの「あしがら」(シャレのつもりではありませんでした)に、
己の脳内でのみ鳴り響くサイドパイプに迎えられ、足取りも軽くエリス中尉は乗艦したのであった。

 

続く。

ところでエリス中尉はカレーを食べることができるのか。

 


 


 

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ネイビーメダルと先任伍長

2014-04-19 | 自衛隊

また無駄に画像を大きくしてしまったぜ・・・。

しかしこの大きさだからこそ詳細が確認できるのです。
 我らが海上自衛隊のメダルをご覧下さい。
旧海軍時代から伝わる桜に錨の意匠は何と美しいことか。

さて、陸自の装備展示報告を一日お休みして、今日は海自のお話。



といいつついきなり余談、というか余写真です。

桜と言えば。
京都でお花見をして帰って来てから次の週、
公園に最後の桜を見に行きました。



日本の国花は桜。
海軍の軍帽前章には桜に錨が制定当初からあしらわれていました。
大正3年の通達で詳しく制定されることになったこの前章の規定は、

台地は軍帽地質に同じで、錨身は打出金色金属、錨及び横杆は金繍、
錨座は黒天鷲絨、錨座円廊(内径7寸)は金線、桜葉及び帯は金繍、
桜花(径6分)
は打出銀色金属、桜蕾は銀繍

となっていました。
現在の海上自衛隊の幹部自衛官の
正帽帽章とは、錨座円廊(金色輪金)の輪の形状等が
若干異なるのですが、配色はほぼ同じです。



ところでこの桜に錨のメダルですが、自衛隊の護衛艦ごとに意匠が違う
「護衛艦メダル」とでも言うもので、実はある読者の方から頂きました!

ええ、パープルハート勲章を授与された感激も覚めやらぬうちに、
このような貴重なものをわざわざ贈って下さったのです。

この桜に錨の面は、全ての護衛艦に共通のデザインで、表面には
おのおのの艦のオリジナルな意匠が施されています。
こんな風に・・・・。



おーい何のフネだかまったくわからないぞー。

と思われた方、すみません。
このメダルにはある護衛艦の刻印がされていたのですが、
分からないように加工してしまいました。

いかなる経緯でその方が手に入れたのかも説明することができません。

この護衛艦のメダルは、記念メダルといい、

 「各級指揮官、先任伍長、部隊などが他の部隊との訓練などで
交流を深めたことを記念して、また、
上級者が部下などに労を多として進呈する」
 

という役割を持つ海上自衛官独特のアイテムなのです。
つまり自衛隊の中でのみ流通するものなので、防衛省内や海自基地の売店では買えません。
(買えませんよね?)

このメダルを送ってくれた方が自衛隊と訓練などで交流を深めた、
というわけでもなさそうなので、おそらく指揮官、先任伍長クラスから
特別にもらった、あるいは交流を深めてその記念に授与されたようです。

その方のお手紙にもこのメダルについては

『先任伍長が名刺代わりに持っているもので、
他艦の先任伍長とのあいさつするときに交換するものだとか』

とありました。



今一度頂いたメダルの裏側をご覧下さい。

Presented By The Command Mastar Chief

と刻印されています。
つまり先任伍長を自衛隊では「コマンドマスターチーフ」と称しているようです。
この理由は後で説明します。 


とにかくその貴重なメダルのうちのひとつを「何個か頂いたから」ということで
わざわざこのわたしに送って来てくださったわけです。

ありがたや~。

ところで、この先任伍長という言葉。
・・・・・気になりません?

「士官という言葉がなぜ無くなってしまったのか」

と個人的な趣味丸出して愚痴かたがたこのブログで嘆いてみたところ、さすがは当ブログ読者、

「士官という言葉は海上自衛隊でも生きている」


という例をたちどころにあげていただいた、ということがありました。
伍長という言葉も旧軍の階級ないし役職なのですが、このように海自では
残されて生きているんですね。


伍長、という言葉を遡ればそれは幕末、(遡り過ぎ?)新撰組で
組長の下に置かれた役職です。
新撰組発祥というわけではなく、もっと遡れば江戸時代(もっと遡り過ぎ?)、
5人組のことを「五中」といい、その長を「伍長」としていました。
語源は中国から来ています。

その後、明治の世になって大日本帝国陸軍では、下士官の最下級をいい、
(上から曹長、軍曹、伍長の順)
海軍では正式な階級ではなく、各部隊等の先任下士官等の職名又は俗称としての
「先任伍長」という言葉が存在しました。
陸軍の伍長は英語でcorporal、コーポラルといいます。

さて、海自の先任伍長という制度ですが、実はそんなに古くありません。
海自がこの先任伍長制度を採用したのは2003年のことで、それは

規律及び風紀の維持に係る体制を強固にするとともに
上級陸・海・空曹の活動を推進し、
部隊等の任務遂行に寄与することを目的とした制度」

として「曹士の能力活用」という名称で採択されたものです。
空自は2008年から、そして陸自は先月2014年3月から正式運用しています。

呼称はこれも各自衛隊の伝統に(空自のぞく)準ずるもので、海自は
「先任伍長」、陸自は「上級曹長」とし、空自は「準曹士先任」としています。

空自の「どっちも取り」が何だかおかしいですね。

なんだって今更、旧軍の職名まで引っ張りだして来てこの制度を決めるかというと、
アメリカ軍や諸外国の軍との交流を持った場合、相手国の最先任曹長に対する
カウンターパートナーが自衛隊も必要だから、という理由によるものだそうです。


海上自衛隊におけるこの先任伍長の任務は

  • 規律及び風紀の維持をはじめとする海曹士の服務の指導
  • 部隊等の団結の強化への寄与
  • 海曹士の士気の高揚等に係る活動の推進
  • 上記に係る事項についての各部隊間における情報交換等の推進


で、自衛艦等、各部隊に置かれる海曹から選ばれた者が先任伍長になります。 
海自はこれを制定するにあたって米海軍の「マスターチーフ・プログラム」
を参考にしました。 

いただいたメダルの裏側、本来なら伍長の英訳はcorporalであるはずですが、
「コマンド・マスターチーフ」となっているのは、このアメリカの階級「マスターチーフ」
に準じているのですね。


海軍では伝統的に上級への意見具申は大いに歓迎とされていたところですが、
この先任伍長に負わされた役目の一つに「指揮官への意見具申」などもあり、
部隊の融和団結がそれによって期されるところですが、もともと本家のアメリカでは
この制度、

「徴兵制で士気が低く、反乱を起こしかねない水兵を監視する役目」

として生まれたといわれています。
我らが自衛隊には(徴兵という前提からして)ありえないことですが、
まあもともとはそういう「小隊ごとの看守のような役目」であったということです。

先任伍長には、責任感、統率力を始め知識、技能、統率力、そして分かるような気がしますが
「表現力」に優れた者が選ばれるのだそうです。
その護衛艦の先任伍長が誰であるかは、舷門から入ってすぐのところに艦長、副官とともに
顔写真がばーんと飾ってあるはずですから、すぐわかります。


この制度もメリットデメリットがあり、メリットとしては、たとえば
防大や一般大学の若い幹部を年配の曹が階級制度とは関わり無く意見具申できるため、
昔のような兵学校絶対の上下関係ではなくなり組織の柔軟性が期待されるという建前、
デメリットは、例えば定年退職間際になった先任伍長が組織のためとはいえわざわざ
意見具申などするだろうかということがあげられます。

ただ現状は(わたしも中の人間でないので本当のところは分かりませんが)
若い尉官は年配の上級曹に頭が上がらずペコペコしているという話もあり、
ういった士官が曹士を指導出来ないからといって先任伍長を置くのは
本末転倒であるとの意見も中にはあるということです。




さて、送っていただいたプレゼントの話に戻ります。
その包みの中には、

 

護衛艦ピンズや



護衛艦蒔絵シールも入っていました。
何も描かれていない、あるいは入っていないように見えますが、
これは写真ソフトで加工してこれも護衛艦名がわからないようにしたためです。

・・・・こんなの写真にわざわざ載せる意味ないですね。

こちらはもしかしたらその方がわざわざ購入されたのかもしれません。
こんどの自衛隊イベントにはこのバッジをつけていきますので、
もし見かけたら声をかけて下さいね!
(でもこれではつけていてもわからないか・・・)


さて、わたしがその出元を明らかにできないメダルの写真をわざわざ載せたのには
ちょっとばかりわけがあります。
実は、わたくしこのメダルを他にももっているのです。



またもや無駄に大きくてすみません。
これは、昨年海兵隊基地に行ったときに、ホーネット(レガシー)のパイロット、
ブラッドがおみやげにくれたメダルです。

護衛艦では前述のように交換されているということですが、それでは
アメリカ軍ではどのようなときに交わされるのでしょうか。



大きくてすみ(略)

実はこのときブラッドに教えてもらったのですが、
米軍の軍人は軍人同士会ったとき、掌にこのメダルを持っていて、
その手で握手をし、相手にプレゼントするのだそうです。

そして、ここからはブラッドではなくTOがどこからか聞いて来たのですが、
またその同じ軍人と会ったときに、もらったメダルを
また再び握手の際に掌に仕込み、また会えたことを喜ぶのだとか。

握手によるメダルプレゼントは相手が一般人であっても行われますが、
このときブラッドはこのメダルを二枚、普通にはい、とくれました。

せっかくなんだから握手で渡してくれよ・・・。

さあ、そしてわたしの海軍メダルコレクション、最後です。



これ!

まるでラスボスのようなオーラを持つこのメダル。
頂いた護衛艦メダルよりも一回り大きく、見ていただければお分かりでしょうが、
おそろしく細工が凝っています。
これは幹部学校長の某海将に、幹部学校訪問見学のときに頂いたものです。

昔から兵学校校長、海軍大学校長は艦隊司令に相当し、
この幹部学校というのは旧軍の海軍大学に相当するので、メダルもその分
大きくて手が込んでいるということのようです。

海上自衛隊の肩につける階級章は、海将補以上は金糸に銀糸の刺繍が施された
大変美しいものですが、銀糸刺繍の部分は、やはり「桜と錨」。
錨の下に、海幕長4個、海将3個、海将補2個の桜模様があります。

このメダルに見える三輪の桜は、学校長の階級である海将を表しています。



裏面のこの護衛艦は・・・・・・・

とボケてみましたが、これはどう見ても常識的に考えて咸臨丸ですね。

咸臨丸は1857年(安政4年)江戸幕府が海軍創建のためオランダから購入した船です。
1860年(安政7年)、日米修好通商条約批准遣米使節一行の随行艦として、
勝海舟艦長の指揮下わが国としては初めて太平洋を横断した記念すべき汽船です。(幹部学校HPより)

幹部学校には海軍軍人の揮毫や写真、絵画彫塑などの歴史的資料が保存されており、
そのうちいくつかの書を当ブログでも揮毫者と共に紹介させていただきましたが、 
この咸臨丸の絵画も勢古宗昭画伯から寄贈されたものから図案を取っているようです。



光ってしまってよくわかりませんがこの絵です。

メダルはこの「咸臨 航来」という絵画の咸臨丸が揚げている
日の丸の紅が鮮やかにそこだけ色付けがなされています。

咸臨丸の上に書かれた文字は「忠勇仁信知 」
勿論孔子の「論語」からの五文字で

忠 (まごころ)

勇 (決断力)

仁 (思いやりの心)

信 (嘘をつかない、約束を守る)

智 (洞察力、物ごとを判断する力)


とあります。
幹部学校のモットーでしょうか。
ご存知のように論語にはあと4つ、「義」「礼」「謙」「寛」があります。



護衛艦同士や自衛官同士で交わされるメダルも、握手のたなごころに忍ばせ
相手に贈るメダルも、昔からの海の男同士の慣習からきた儀礼に違いありません。

一般人のわたしにはメダルを再び握手に交えるようなドラマチックな機会はありませんが、

もしできうるならばそのうちこれらをペンダントにでも仕立てて、
いつになるかはわからないまでも、再会のチャンスを待ってみようかと思っています。



ところで。

幹部学校の英語名が

JAPAN NAVAL WAR COLLEGE

だったって、皆さんご存知でした?



 

 

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朝霞駐屯地地上展示~防衛省指定装備愛称が現場で使われていない件

2014-04-18 | 自衛隊

前回出し惜しみした写真、「トウチくん」の後ろ姿です。

やっぱりこういうのを着ていると中の人は足元見えないんですね。
付き添いの女性自衛官が優しく丸い胴体に回した手に配慮を感じる。

このトウチくんですが、やはり地本の回し者じゃなくてキャラクターなので、
この一体で「陸海空」の全てを体現しているそうです。
いわく、

そのしなやかな翼は「空」を!(これはわかる)
しっかりしたその脚は「陸」を!(これもなんとなくわかる)
そしてその丸いボディは「海」を!(なんでやねん)

ということなので、トウチくんはその日の出撃場所によってコスチュームを替え、
あるときは空自、あるときは海自の制服(陸自の制服バージョンもあり)に
身を包んで各自衛隊イベントに降臨するのでした。

驚いたことに東京地本はゆりかもめの雌も飼っていて、名を「さくらちゃん」といいます。
この日はサイポン(埼玉地本)とか千葉衛(千葉地本)とか、
関東一円の地本から代表選手が送り込まれていましたが、各地本一体じゃなくて一匹?
一羽?という制限があったためか、「さくらちゃん」はいませんでした。




87式偵察警戒車

建設機械、重機機の小松製作所、コマツが製作しています。
この小松製作所という会社、建設機械のシェアは日本1位、世界でも2位。
世界的トップ企業の一つと言っても差し支えないくらいの会社なのですが、
この会社のルーツを遡れば「海軍」から始まっているのをご存知でした?

もともと石川県で銅山を経営していた竹内明太郎(吉田茂の実兄)
小松町に「小松鉄工所」を開設したのが小松製作所の始まりです。
大東亜戦争が始まってから、海軍があるとき米軍のブルドーザーを鹵獲(ろかく)し、
日本でも同じものを作るために同社に研究開発用として送られて来たのが、
ブルドーザーと小松製作所の関わりの始まりだったのだとか。 

このような因縁があるからこそ、重機機器のトップメーカーとなっても
コマツは防衛省向けに

82式指揮通信車

96式装輪装甲車

軽装甲機動車

60式自走無反動砲

施設作業車

化学防護車

NBC偵察車 

などの装備を提供しています。
関連企業を含めて退職後の幹部自衛官の天下りが多そうです。

87式偵察警戒車は防衛省の愛称「ブラックアイ」
しかし案の定現場では「RCV」で通っているそうです。

偵察車ですからペリスコープやTVカメラは勿論、微光暗視装置を搭載し、
車体と砲塔は圧延防弾鋼板の全溶接構造となっています。

定員は偵察員2名を含む5名。



軽装甲機動車

堂々とよそ見をするな隊員(笑)

諸元については上のコマツが防衛省に納入した装備の欄を見て下さい。
愛称「ライトアーマー」
でも部隊内での呼び名は「ラブ」

もしかしたらあれか?
お上の付けた愛称をそのまま使うのは沽券に関わるとかそう言う問題?

陸自と言えばジープ、というイメージがあります。
東名高速で御殿場に通っていた頃、三回に一回くらい、途中のPAにオリーブドラブ色の車が
停まっていて隊員さんが休憩していたものですが、 たいていはジープでした。

最近はジープに代わってこれが配備される動きが有るというのですが
使用部隊からは

「車体が大きくて重い」
「フロントガラス中央のピラーのためドライバーの視界が悪い」
「エンジンがうるさく、振動が大きく、椅子が悪いので疲れる」
「目立つのでコンビニに行けない」

などの不満がでているそうで・・・。
もっともジープもこれまたエアコンが効かないなど、不満点がないわけではないみたいです。
軍隊の車にラグジュアリーな乗り心地を求められても、って気もしますが、
まあ、隊員の気持ちはよくわかる。
平和な日本の軍隊では戦地にお
ける実用性より日々のストレスの方が問題だってことです。


これからは高速で自衛隊の車を見かけたら温かいじゃなくて暖かい目で見守ろうっと。



なんと、アメリカ海兵隊からの装備展示もありました。
さすがは同盟国じゃ。

海兵隊と陸自?と思われるかもしれませんが、我が国のマスコミは決して報じないものの、
両者は島嶼防衛に特化して共同で演習をしたりしているんですよ。
このページを見ていただければ分かりますが、訓練風景は全員が笑顔、
実に和気藹々とした感じです。
小道具のペルシャ絨毯に中国段通も加えてもらえると助かるかな。

この展示スペースではどうやら通訳として写真の女性隊員がつきっきりでした。



装甲移動車のようです。
型番などは写真を撮り忘れました。



暇なので三人でおしゃべり。
自衛隊の装備に立っている隊員と違い、実に適当です。



中を撮ってみました。
布の袋はマットやヘルメットが結んであり、各自の持ち物のようです。
こんなの持って歩くだけで大変だ。



ここにもいた、隊員と写真を撮りたがる女性。
軍人さんの方はちゃんと相手に体を傾けているあたりがかわいい。



銃の装備展示をしていたテント。
かつて銃弾の入っていない銃を市民に持たせたというので大騒ぎしていた団体が
ありましたが、全くこんな話を聞くとどこまで日本は平和ぼけしているんだと思います。

「自衛隊」が「憲法上存在してはいけない」というところに立っているから、
つまり銃などの武器も「日本にあってはならないもの」=「悪いもの」扱いなんですね。
彼らにとって銃は人を殺すためのものでしかなく、国民をいざというときに護るものとは決して考えない。
そもそも自衛隊に対してもそういう認識でしかないのですから。

そうやってただひたすら自衛隊とその「武力」を忌み嫌い、
そのくせ自分たちが災害にあったら便利屋よろしく自衛隊が来るのが当たり前だと思っている。
中には救難活動に対しても存在が違法だとして抗議する異常な集団すらいたといいます。

たとえ「そんな人たちも助けるのが自衛隊だ」と任じていても、
たとえ吉田首相の言った「諸君は日陰者」を任じていたとしても、彼らも人間。

「どうしてここまで自衛隊に悪意を向ける連中を助けなきゃならないんだ」

というような反発が渦巻く瞬間があったとしても誰が責められましょうか。

しかし、そういう「ノイジーマイノリティ」の声だけが一見喧しい日本でも、
だからこそ自衛隊の活動を知り理解してほしいと活動を続ける人たちもいます。

そのうちの一人、元自衛隊員の佐藤正久議員が靖国神社の講演会で語っていた
東日本大震災の一つの逸話をここに書いておきます。


”そのとき自衛隊員たちによって発見された幼い我が子の亡骸を抱きかかえ、
母親は優しくこう声をかけたのだという

 「今度生まれ変わったら自衛隊に入れてもらってたくさんの人を救おうね」

そこにいて彼らを見守っていた全自衛隊員はその言葉に号泣した—”




寄り道になりましたが、先ほどの写真は89式5.56mm小銃
こちらは9mm拳銃です。
なにやら熱心な質問者に愛想良く答える隊員。



しかし基本的に皆さんひたすら陰のようにひっそりと配備についている風情。
この9mm機関けん銃(なぜ拳を平仮名にするのかなぞ)の前の隊員も、
まるで置物のように視線も動かさずに佇んでおりました。

こんな日だからといって自衛隊に好意的な人ばかりが訪れるのでは有りません。
いつぞや「民間人に銃を持たせた」と騒いだ左翼も、やはりこういうイベントで
何か糾弾の種がないか目を皿のようにしていて見つけたんでしょうし、
自衛隊側としてはそれを何より痛感していますから、この警備の隊員たちにも
さぞかしいろんな注意がなされているのではないかと言う気がしました。

ところで、この9mm機関けん銃ですが、防衛省なんとこの愛称を一般公募しています。
自分たちがかっこいい名前をいくら考案しても
現場で使ってもらえないのに
業を煮やしたのかもしれません。

防衛省が当初つけていた略称はM9
長野県にあるミネベアという会社が製作したので「M」とつけたようですが、
一般公募で採用された愛称はというと、

M9(エムナイン)。orz

これ・・・・わざわざ一般公募する必要があったんですか?
最初から防衛省愛称「エムナイン」でよかったのでは。
それとも、お上が押し付けると現場は反発して(たぶん)意地でも別の、
「ミネベア」とか「9mm砲」とかいう名前で呼ぶであろうことを想定し、

「上からではなく、国民の皆様が決めたありがたい愛称だから、使え」

というためにわざわざ一般公募したのでしょうか。


この、「防衛省公認愛称と現場での呼称の異常な不一致問題」に
今日もおそらく国民でただ一人、エリス中尉だけが深い関心を寄せております。



このような天幕も張られていました。

これは救護活動セットで、災害派遣時の応急処置および治療のため
必要な機能を有する装備です。
後方支援連隊衛生隊等が被災地において使用します。

構成品は治療機材、収容機材、後送機材、および保管用機材。

入ってみることにしました。



必要な道具がけが人のダミーとともに展示されています。
テントの中なのに、床面も完璧に覆われているのに注目。
テントには蛍光灯を吊り下げるための金具も最初から装備されています。

 

患者掌握板、として各負傷者の状況を書くボード。

なのですが、このとき例として書かれていた情報が・・・。

階段から転落
家屋から転落
高所落下

って・・・・・、なんで皆そろって高いところから落ちてばかりなんだよ。
これはおそらく展示のための「仮定」とはいえ「火傷」とか「建物と壁に挟まれて」
などという、具体的な記述は憚られたからかもしれません。
(どんな細かいことでいちゃもんを付けて来る基地の外の人がいないとも限りませんし)
それで、どういう状況かは全くわからないけど、皆が高所から一度に落ちる災害だった、
ということにしたのではないでしょうか。

苦労かけるねえ・・・・・全く。

中でも一番下の、高所から落下した人は重篤で、開放性気胸
つまり胸壁が損傷されて穴があき,外界の空気が胸腔内に入ったということですから、
区分「赤」、つまりトリアージでいうところの

「生命の危険が有るが 治療を施せば延命の可能性がある」

のタグをつけられています。
(ちなみに軽症から緑、黄色、赤となり死亡者は黒です)

「処置」の部分に「3辺テーピング」と書いてありますが、
開放性気胸の場合最も適切なのがこの3辺テーピングで、なにをするかというと
損傷部に四角いビニール片をあて、そのうち一辺だけを残し3辺をテーピングで塞ぐというものです。

まるで医学の教科書のお手本のような症例が書かれていて、面白かったです。



というわけで高いところから皆が落ちる大災害が起こり(笑)
搬送されて来た負傷者の皆さん。
しかも落ちたのがなんでみんな陸自の隊員なんだよ!
とツッこんではいけません。
自衛艦にひっそりと吊られている溺者訓練用の「カイジ」(エリス中尉勝手に命名)
のように、彼らはあくまでもエキストラです。

これらは後送用、あるいは負傷者保護用の担架で、オレンジ色のは

釣り上げ用運搬具

人命救助システムの万能運搬具です。
倒壊した家屋や崖崩れ、狭い場所、高所への吊り上げや高所からの懸垂降下、
凸凹な地形での搬送作業など、様々な救助現場に対応できる安全な応急担架。

その向こうが

減圧固定担架

怪我人を担架に乗せたらその下側にある下布団部分(粒状のビーズがぎっしりと入っている)
の余分な空気を抜き(抜気)し、下布団部分を怪我人の体に合わせた形状に固定する担架です。

最近お米なんかの袋はガチガチで、ハサミを入れたら「ふしゅううう」となりますが、
その反対ですね。

これはちゃんと空気を抜かないと吊上げ時に中央から「く」の字に折れてしまうそうです。


そしてえんじ色の耐圧スーツみたいなのには

ショックパンツ

岩国基地に海兵隊のホーネットドライバー、ブラッドを訊ねていったとき、
彼の「洗濯していない耐圧スーツ」を息子が着せてもらったことが有りますが、
似ているのも道理、あの耐Gスーツを医療用に改良したもので、
この「ショック」は出血性のショックを意味します。

ショック状態を起こし血圧が降下した傷病者に対し、下半身の血液を特に重要な臓器
(脳、心臓など)へ送り血圧を上昇させ様態を安定させるために用いられます。

パイロットの飛行中のブラックアウトも下半身に加圧することで
脳への血流を確保するという仕組みですね。

写真の一番向こうはちゃんと写っていませんが

全脊椎固定具

見て字の通り、脊椎を固定したまま搬送するための担架です。




自衛隊朝霞訓練場装備シリーズ、続きます。


 




 

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朝霞駐屯地地上展示~男の装備愛、女の自衛官愛

2014-04-16 | 自衛隊

あれは平成何年のことでしたか(遠い目)。

というくらい昔に感じるのですが、去年の秋に行われた観閲式は、

朝霞駐屯地で行われた陸自主催。
大雨の中、傘をささずに石段に座り続けた予行演習から一週間後、
こんどは暑いくらい晴れ渡った本番に参加が相成りました。

そして経過は全て割愛し、恙無く観閲式が終了した、と思って下さい。
観衆の多くはセレモニーが終わるや否や出口に移動していましたが、
わたしたち(この日はチケットをたくさん頂いたので家族で行った)は残って
まず観閲場で行われた音楽隊の演奏を鑑賞しました。



米海兵隊音楽隊。
諸般の事情で小編成の部隊しか派遣できなかったらしく、
広い会場で音があまり伝わってこなかったのが残念でした。



自衛太鼓。
わたしはこのあと武道館で音楽まつりを観たのですが、
太鼓演奏を生で観たのはこのときが初めてでした。

(ところでこの写真の左から5人目の緑の人なんですが、
こんな髪型の自衛官がいるのでしょうか。それともトラ?)



東部方面音楽隊。

しかし、この、ヘルメットと迷彩での演奏は初めて見ましたが、
なんというかものものしいものですね。
遠くから見たらファゴットが銃にしか見えませんでした(笑)
チューバは弾除けになりそうですね。



観覧席から装備品の展示フィールドに移動すると、
国土防衛作戦の武器配置図を大きな看板にして立ててありました。
ここにはこのほとんどが展示されているということです。

今日はこの日見学した装備についてお話しします。

ただし、武器オタクもとい装備ファンの方々にははなはだ申し訳ない、
常に観客が写り込んでいる写真ばかりとなりますがご容赦下さい。



除染車3型(B)

この角度から見るとただのトラックですが、化学部隊に装備され、 
2500リットルの水槽を持ち、散布ノズルを搭載。
水や除染液を散布して地域の大規模な除染に使用します。
また、水の温度を45°くらいまで加温することができます。

 

化学防護車(装輪)(B)

あ、画面左下に虹が出ている(笑)

女の子と赤ちゃん連れのお母さん。
これは間違いなく自衛隊員の家族でしょう。
パパのかっこいいところ、見られたかな?

化学防護車も化学部隊の装備で、空気の浄化装置、各種検知、測定機材などを搭載、
放射性物質や有毒がk酢の汚染地域内で防護服を使用せずに行動できます。
車両の前面には中性子遮蔽板を装備してあり、原子力災害が起こったとき、
放射線発生源の偵察をすることもできます。



93式近距離滞空誘導弾

どの装備にも必ず隊員が見張りのために一名立っています。
右腕の腕章には「装備」と書かれてあります。

この隊員をアップして初めて知ったのですが、陸自の戦闘服、
名札が右胸にあるんですね。
左にあるのが普通だと思っていたのですが、何か理由があるんでしょうか。



男たちが群がっていた89式。
 



88式対艦誘導弾

愛称はシーバスター、というそうですがその名の通り、
対艦すなわち艦船に対する防衛兵器です。
四方を海に囲まれた我が国ならではの開発で、製造は三菱重工。
日本に取って初の純国産対艦誘導弾となりました。

写真はちょうど見張りを交代したところです。

そして向こうを歩いている女性ですが、なんとパンプスにスカート着用。
陸自隊員の彼氏に会いに来たんでしょうか。
広大な駐屯地に入って出て行くだけでも大変な距離で、しかも足元は不安定。
こんな日にいくらマフラー・スカートと同色でコーディネートしたからって、
新品の7cmヒールはさぞ後半脚が痛かったと思うがどうか。

まあ、彼氏が一目でも彼女を見ることができて「かわいいな」と思えば、
一日の苦痛を耐え忍ぶ甲斐もあるというものでしょうけど・・・。

ところで彼女の足元をチェックするために画像をズームしたとき、
ついでに初めてこの車体がタイヤ部分を設置させていないことに気づきました。(笑)
対艦砲を射出する際、タイヤだと安定できないくらいの衝動があるってことなんですね。




99式自走155mm榴弾砲

防衛省は広報向けの愛称を「ロングノーズ」としています。
隊内では「SP」とか「99式15榴」などと呼んでいるそうです。

いつも思うのですが、防衛省が考えた「愛称」というのを隊員が
そのまま使用している例を見たことがありません。
あくまでも「一般向けに親しみを持ってもらおう」というものなので、
自衛隊内部的にはピンとこないんでしょうか。

ところで、この「自走式」という名称、「戦車」とはどう違うのか。
見た目の境界はわかりにくいのだけど、と思った方はいませんか?

まず、装甲のことだけに限っていうと、

「戦車」は厚い、「自走砲」は薄い

という分かりやすい違いがあります。
自走砲の中には装甲を持たないものも存在するそうで、というのも
敵に近づいて敵の戦車や対戦車ミサイルなどの向かって来る戦地を駆け回る戦車は
当然ながら分厚い装甲が必要ですが、対して自走砲は比較的離れた場所から
砲弾を無誘導で、放物線を描いて敵地に射撃するというものだからです。

ですから砲塔も戦車は360°回転するのに対し、自走砲は前方への発射に限定されます。

まあ確かにこんな鼻の長い(ロングノーズ)なやつがぐるぐる回ったりしたら
安定が悪過ぎですぐに倒れてしまうかもしれん。




 10式戦車(ヒトマルしきせんしゃ)

男たちの10式に向ける熱心さは異常(笑)
この戦車がなぜ戦車好きの男たちの熱いまなざしを浴びているのかというと、
なんといってもこれが現在の自衛隊の最新式国産主力戦車だからでしょう。

開発は陸自防衛省技術研究本部の技術開発官によって行われ、
試作・生産は主契約企業の三菱重工業が担当しました。


10式、と名付けられたのに、制式化は2009年。
2010年には報道公開が行われただけです。
「入魂式」、つまりテープカット行事が行われたのも2012年ですし。
これは、「9式」としたら「旧式」みたいに聞こえてイマイチ盛り上がらないから?
と勝手にその理由を考えてみたのですがいかがなものでしょうか。

 

注目の10式は、戦車を動かすデモンストレーションがありました。



74式戦車

74式はこのように足場を組んで、上から見られるようにしてありました。
たしかに戦車を俯瞰で見る機会など滅多にありません。
わかってるなあ陸自。

見張りに立つ隊員はキョロキョロすることは厳禁。
よってなにか気になることがあった場合もこの隊員のように目だけを動かします。



見張りの隊員は、皆さんの質問にも答えなくてはなりません。

「弾、どれくらい飛ぶの?」
「それは秘密です」

というやり取りを一日に何回も繰り返す・・・んだろうなあ。 



1月の習志野駐屯地における第一空挺団の降下始めでは、
この偵察オートバイは本人も車体も偽装してCHから出てきました。

あのときは随分小型に見えましたが、こうして見ると大きいですね。
泥よけ?に付けられた桜がワンポイント。



やっぱり郵便屋さんの配達バイクとは性能も違いそうです。
ホンダのXLR250RとカワサキのKLX250が併用されてるようですが、
これは新型のカワサキの方だと思います。

オート隊員は日頃の訓練によってアクセルターンやウィリーをマスターし、
さらに隊内の競技会で技を競うことで腕を磨き、
災害派遣で荒れ地を走行するための技術を習得するのです。

ところで、自衛隊の装備、特に被服関係の質がよろしくないのは
自他ともに認める事実ですが、特にオート隊員は可哀想で、
昔は彼らの着用ていた革製のオートバイ服は雨に対して全く抵抗力がなく、
逆に水を吸って重くなり、体を芯から冷やしたものだそうです。
これも10年以上前の話なので、被服素材が格段に科学的進歩を遂げた今、
彼らの被服ももう少しましな仕様に変更されていると信じたいですが。 


遠隔操縦観測システム

面白いものみーつけた(笑)

無人機、偵察用のドローンですね。
ドローンと言えば!

韓国軍合同参謀本部は6日、東部の江原道三陟の山中で、
墜落した無人飛行機1機を韓国軍が発見したと明らかにした。
最近発見されたものでは3機目の無人機。

というニュースがありましたね。
北朝鮮から実は何十機も偵察機が飛んで来てたのに、韓国は気づかなかったんでしょうか。
おまけにそれらは大統領府の真上まで来て写真を撮っていたという・・・。 

 

そして、この話にはオチがあって、いままで飛来し、墜落した無人機のうちある通報者は

墜落現場で日本のキヤノン製のカメラを拾ったが、
水にぬれて使用できなかったため捨て、

カメラに入っていた記録用のメモリーチップは持ち帰り、
個人的に使用したという。
 

カメラは使用できなかったため捨て、メモリーチップは持ち帰り
カメラは使用できなかったため捨て、メモリーチップは持ち帰り
カメラは使用できなかったため捨て、メモリーチップは持ち帰り



メモリーチップを持ち帰るくらいだから、全くIT関係に疎い爺さんとかじゃないよね?
このおっさん、初期化する前にどんな映像が写っていたのか見たんだろうか。
見てないんだろうな。
キヤノンのカメラももし壊れてなかったら確実にネコババしてたんだろうな。



という、斜め上の話があったばかり。
この陸自の誇る遠隔操縦観測システムならおそらく墜落することもなかったと思いますが、
それより墜落したなぞの飛行体からめぼしいものをあさる国民って・・・・。



ここにカメラが搭載されているわけですが、韓国内で回収された無人機には
キヤノン製以外にもニコン製が搭載されていたものもあったとか。

もしかしてそれって、日本で在日工作員が購入したものじゃないんですか?

北朝鮮制作の「試作機」だったということだけど、そのための資料として
こういった公開イベントのときに写真を撮りまくり、母国の技術チームに送ったのでは?
そして、根幹技術のスパイはさすがにできなかったので、無人機は回収できず
韓国国内で墜落しまくっていたってことなんじゃないでしょうか。

これはやっぱり、特定秘密保護法案の整備の正しさが証明されるような案件ですね。
そしてこの法案に必死で反対している人の素性が窺えるような気がするのはわたしだけ?


それはともかく、この観測システムは富士重工業製。
3時間飛行することができ、新システムになってからはその行動半径は
百数十キロから数百キロとしているそうです。



90式戦車(きゅうまるしきせんしゃ)

90式もやはり上部から見られるように脚場を組んでくれています。
脚場は混乱しないように必ず一方通行で通過させられます。

90式の制式は1990年の8月6日
この日にするのに何か意味があったのかどうかは分かりませんが、
とにかく90年の制式なので90式となったようです。

冷戦下、ソ連の着陸侵攻を想定して開発されたというこの戦車、
三世代戦車のトップクラスに比肩する性能を有しているとされます。



脚場から写真を撮ってみました。
主砲は44口径120mmです。

 

ハッチ横の砲塔上面にあるのは副武装で、

12,7mm重機関銃M2

もう一つの副武装は主砲と同軸にある機関銃です。
この機関銃は人間が手動で撃つものなので、向きを変えるのも手動でしょうか。

 

90式の見張り要員に熱心に話しかけている女性。
ピンクのジャケットにレースのバレッタ、なかなかの女子力()ですが、
カメラのゴツさといい(PENTAX)、ハウンドトゥースチェックの帽子に付けられた

第一師団の部隊章といい、

関係者親族でなければよっぽど熱心な自衛隊ウォッチャー?
まあ、こんなブログをやっているわたしが今更不思議がることもありませんが(笑)
世の中には自衛隊の熱烈なファン、しかも女性が結構いるもんなんですね。

当ブログへの反応を見ても、当方が女性であるせいか、むしろ女性の方が
自衛隊愛の熱心さにかけては上ではないかという気がします。
男性は自衛隊に身内がいるわけでなければ、どちらかというとその愛は
「武器・装備」に向けられているような気がします。



87式偵察警戒車

たとえば男性はこういう写真を決して撮らないと思うんですよ。
それにしても二人の温度差あり過ぎ。
隊員さんがおかんと一緒に写真を撮ってるみたいな仏頂面で

(●⌒∇⌒●)(´・ω・`) 

なんかこんな感じにみえます。
こういう光景をあちこちで見たんだけど、いまいちわたしにはわからない趣味。
自分と自衛隊員の写真を撮って一体どうするの、っていう。


・・・ん?

上の女の人、もしかしたら本当におかん?




冒頭写真は東京地本のゆるキャラ、トウチくん
彼の正体は翼の先のグレーでもお分かりの通り(わかんないか)ゆりかもめなんだそうです。
ゴーグルをはめたら目がはみ出るのではないかとそんなことが気になるのはわたしだけ?
でも、かわいいですよね。
まーるいお腹から不自然に出た長い脚(中の人の体型にもよるけど)がチャームポイント。
彼となら写真一緒に撮ってもよかったかも。

それこそトウチくんと一緒の写真撮って一体どうするの、って言われそうですが。



(続く)


 




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映画「あゝ海軍」~「同期の桜」

2014-04-15 | 映画

この映画は二日で終えようと思っていたのですが、前回ラバウル編で
字数が二万字の制限を超してしまったので、三部にわけます。


前回、軍歌「元寇」のYouTubeを貼ってみたのですが、
この映画に最初から使われている軍歌を列記してみますと、

「行進曲 軍艦」
「元寇」
「喇叭譜 君が代」
「喇叭譜 起床」
「いかに狂風」
「江田島健児の歌」
「行進曲 軍艦」(卒業式)
「空の神兵」
「燃ゆる大空」
「さらばラバウル」
「艦隊勤務」
「同期の桜」


音楽担当の大森盛太郎が軍歌だけ使っている訳ではなく、
ところどころオリジナルのストリングスなども入れていますが、
それでもほとんどが既存の軍歌です。

しかしまあ、こんな軍歌の流れまくる映画を作れたのもこれが最後で、
しかも下手なオリジナルよりずっとこちらの方が状況を説明するのに
的確なメッセージ性を持っているのですから、良しとしましょう。

この映画ははっきりと三部に分かれていて、
「立志編」では主人公が兵学校に入学し主席で卒業するまで、 
「激闘編」は航空隊長としての激戦地ラバウルにおける戦いの様子、
そして本日お話しする最後のパートは、平田一郎が兵学校教官として江田島に戻り、
そこで校長の井口やかつての自分のような生徒、佐川と出会い、
また再び戦いに戻っていく姿が描かれます。



もう誰も身寄りがいなくなった平田ですが、母の墓参りに
郷里岩手を訪れ、そこでばったり地主の娘、とし子に会います。
とし子は、子供を連れていました。



聞けば、彼女の夫は招集され戦死してしまったとのこと。
三歳の子供がいるというのに・・・・。

この映画に出ていた男の子は、現在48歳です。
DVD再発売になって、自分の映像を見たでしょうか。

 

「なぜ結婚なさらないんですか」

追いすがるように訪ねるとし子に、平田は

「軍人はいつ死ぬか明日をも知れん命です。
生きようとする道は選べません」

と答えます。

そして、昭和18年12月、平田は兵学校教官として
江田島に着任します。



外地で戦闘により負傷した士官は、しばしば平田のように
兵学校教官としての任務に就くことが多かったようです。
慰労と功労の意味も兼ねてのことと思われます。



校長は、井口清美、すなわち言わずと知れた井上成美がモデルです。

「あれからわたしも第四艦隊を率いて戦ったが」

などと言っています。
山本五十六、宇垣纏、出てこないけど話だけ出た米内光政と、
歴史上の人物が実名扱いなのに、なぜか井上大将だけは
井口という仮名扱いです。

井上成美大将は、1975年まで生きていましたから、この映画の公開当時、
1969年はまだまだ元気で、観ようと思えばこの映画が観られたはずです。

もっとも井上大将は自分についての戦後の世間の関心を誰よりも嫌い、
ひっそりと隠棲の晩年を過ごしていましたから、おそらく
自分が出てきそうな戦争映画など観なかったとは思いますが、
とにかくまだご存命中ということで、映画製作側は気を遣ったのでしょう。

森雅之は決して本物と似ていないながら、なぜか出て来たとたん井上大将だとわかり、
はまり役であると思いますが、この演技のときの目が、なんと言うのか
妙に澄んだ、透明な色をしているのが気になりました。

というのはわたしがこれまで見たことのある、病気や寿命で死の近づいた人は

みんな(といってもたいした人数ではありませんが)こんな目をしていたからです。

森は1973年、この映画の4年後死没しています。



実は平田をここに呼んだのは井口校長でした。

山本元帥の護衛に失敗し、多くの部下を失った責任を感じる平田は
第一線に戻してほしいと訴えますが、井口は「だめだ」と一喝。

「これより先は混戦苦闘につき戦のできる人間が殊に必要なり。
颯爽たる嵩励戦士と共に豪突、迅強の闘士を養成下され度く願い上げ候」

山本元帥が井口の校長就任に際して出した激励の手紙を読まれては
今の平田に断ることなどできましょうか。

まさかご存じない方がいるとは思えないので特に触れていませんでしたが、
海軍甲事件の護衛に兵学校卒士官が当たっていたというのは全くの創作です。
ちなみに、このときに護衛の零戦隊の隊長だったのは予備士官であった
森崎大尉であり、6人のうち5人の隊員は戦死、一人は手首を撃ち抜かれる負傷で
内地送還となり終戦まで生き残りました。


井上成美を兵学校の校長に推したのは嶋田繁太郎海軍大臣で、
兼ねてから海軍内の懸案だった「一系問題」(兵科と機関科の教育統合)
をやればいい、というのがその推薦の理由だったそうです。

ちなみに兵学校の校長というのは連合艦隊司令長官と同等の地位にありました。



観念した平田、鬼教官となって生徒を指導する覚悟を決めます。

しかしこうしてみるとさすが兄弟、松本幸四郎そっくりですね。

「ここを戦場だと思い覚悟を決めて着いてこい!」

しょっぱなからビシビシやります宣言する平田少佐を
覚めた目で見つめる佐川生徒。(長谷川明男

なんだか、かつての平田生徒みたいなのがいるぞ。



古鷹山か、あるいは弥山登山の訓練シーンに会わせて
「艦隊勤務」が流れます。
平田分隊監事、なんとこの急峻な山を革靴で登って監督監視。

分隊監事は生徒と一緒に棒倒しをしたり、こういった行事も
基本的には一緒にやったようです。



座学で零戦の性能について説明する平田教官。
平田が兵学校学生のときに、岡野大尉が同じ航空座学で
九五式と九六式艦上戦闘機の説明をしていたころから、
既に10年経過したという設定です。



その授業でいきなり佐川が

「現在の戦況は果たして有利に展開するのでありましょうか。
圧倒的な物量を誇る米英に信念だけで勝てるかどうか」

と質問し、教室中が騒然となります。 



「貴様何のために兵学校に入って来た」
「立派な海軍士官になるためです!」



「立派な士官になるためには貴様には欠けているものがある。
それに気づくまで走ってこおい!」

一喝されて校庭をぐるぐる走る佐川生徒。



松の木の陰から平田の教官ぶりを見守る井口校長。



カッター訓練の最中心臓が弱くて倒れた生徒にも、平田は

「これが戦場なら命はないぞ!」


と全く同情しない鬼教官ぶり。
そんなある日、平田を訪ねて一人の老婆が学校にやってきます。



ラバウルで戦死した山さんこと山下兵曹(露口茂)の母親でした。
浦辺粂子が演じています。
粂子、このとき67歳。
せいぜい20代の山下兵曹の親にしては老けすぎてませんでしょうか。

送っていただいたノートが六助の形見になりました」
「お母さんを描いた絵がありましたね」



ああそうそう、こんなね・・・・・え・・・・・?



えええええ~?

「妙に若いじゃないか」という平田隊長の問いに対し

「もっとばばあなんですが、思い出すのは小学校の頃の母親で」

と山下兵曹、言い訳していましたっけ。
年齢もさることながら、全く似てないんですけど。目の大きさとか。

というか、スタッフにもう少し絵のうまい人、いなかったの?
一応「画家志望」って設定なのに、これでは酷すぎる。



南支戦線で英文学の学者であった父親を亡くした佐川。
彼と話をしていて、実は佐川もかつての平田のように
実は一高に行きたかったのだということを告白されます。

佐川が兵学校に来たのは、三年以内に戦争が終わるから、その間に
英語教育が廃止されていない唯一の学校で兵学校で英語の勉強をしろと
父親に勧められた、というのがその理由でした。



アンティーク調で素敵なコーヒーセットは、駐在武官の経験のある井上校長の
ハイカラ趣味でしょうか。



砂糖抜きのコーヒーを振る舞う井口清美。
校長室に平田を呼び出した井口校長は、単刀直入に沖縄への転勤を命じます。

軍人の転勤にただ場所だけあげて、赴任先部隊を全く言わないのは
かなり不自然な気がします。

沖縄に投入された海軍兵力は艦隊と航空ですが、平田の専門である航空であれば
宇垣纏中将の第五航空艦隊が転勤先であるという設定でしょう。
しかしながら海軍の航空隊は台湾か九州(第五航空隊は九州)にあったので、
井口校長の「沖縄だ」は普通はあり得ない公示です。

ここで沖縄を強調したのは、そこが激戦地で、おそらく平田少佐はこの後
そこで死ぬのだろうと観ているものにわからせるためであろうと思われます。



「ここで生徒を教えることは君にとって前線より辛かったはずだ」



「君が教えた生徒が学校を出る頃には戦争は終わっておる。
そのとき彼らは否応なく世間の荒波に放り出される。
兵学校教育の成果が本当に表れるのはそれからじゃあるまいか」

井上成美が言ったとされるこの言葉の真意を

「それは井上を買い被りだ。そんなつもりで言ったのではないはずだ」

と主張する、他でもない兵学校出身者の意見を最近目にしました。
しかし、実際に井上自身が戦後こう言っているのを、この出身者は
知らなかったようです。

「もうその頃になると、戦争の将来がどうなるかははっきり見通しがついていました。
仮に戦争に勝ったとしても、戦後海軍に残るのは一部の者だけで、
相当数は社会に出て働かなければならない。まして敗戦の場合はなおさらです。
生徒に対し、どうしてもまとまった教育をしておくのは今の時期しかないと思ったのです。

戦争だからいって早く卒業させ、未熟のまま前線に出して戦死させるよりも、

立派に基礎教育を今のうちに行ない、戦後の復興に役立たせたいというのが私の真意でした。
しかし、当時敗戦の場合のことなど口に出して言えるものではありませんでしたし、
また言うべきことでもありません」

 

兵学校教育参考館。
ここに一人で訪れる平田少佐の姿がありました。

 

今とほとんど変わりない展示物です。
広瀬中佐の遺書、写真、



佐久間艦長の遺言。
遺書の原本は確か火事かなにかで失われたため、戦時中から
ここには写真コピーが展示されていたそうです。



平田は自分の形見を残すために恩賜の短刀をケースに収めます。



後を追って来た佐川生徒。
後ろのプラスチック製のブラインドが気になるけど(笑)まあいいや。

「分隊監事は出陣なさるのですか」

 

それには答えず、佐川に、自分も学問がしたくて兵学校に入ったことを告白し、
親友の本多の形見の万年筆を渡す平田。

「これで思う存分勉強してくれ」



最後の日曜日、平田は分隊の学生たちを自宅に呼び、
せめてもの心づくしを振る舞います。



「遠慮なくやってくれ!」



何も知らない他の生徒たちは

「おい、鬼が笑ったぞ・・・」
「どういう風の吹き回しかな」



ただ一人事情を知る佐川だけは・・・

 

そして古鷹山で「同期の桜」を合唱。

 

場面は変わり同じ歌が「軍歌行進」の隊列によって歌われています。



たたずんでそれを眺める井口校長。

 

そして平田少佐が江田島を去るときがやってきました。

 

そのとき軍歌行進の歌が「江田島健児の歌」に変わりました。
平田少佐は、井口校長と敬礼を交わします。
ただ「ありがとうございました」という感謝の言葉のみを残して。



「江田島健児の歌」が流れる中、今一度その目に焼き付けるため、
立ち止まって赤煉瓦の校舎をじっと眺めた後、
平田一郎はおそらく二度と帰らぬ戦いに向かって、歩き出すのでした。



数々の戦争映画に突っ込んできましたが、何というのかこの映画は
海軍好きの「琴線に触れる」ものを感じます。
大東亜戦争の描き方にもいろいろありますが、この映画は「あゝ海軍」というより
「あゝ海軍軍人」というべきで、海軍軍人になっていった一人の男の軌跡に焦点を合わせ、
最後までブレることのない芯のあるストーリー展開になったことが評価できます。

確かに「私」を全く捨てて戦いに身を投じる平田少佐のような海軍軍人は観念的というか、
あまりにも理想的すぎる、という反発もあるかもしれませんが、それをおいてなお
こんな軍人は実際決して少なくはなかったのかもしれない、と思わせられる映画でした。


あなたの「海軍好き度」と、この映画への好感度は、わりと一致するかもしれません。



 


 

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映画「あゝ海軍」~軍歌「元寇」

2014-04-14 | 映画

本日画像の平田一郎さんが海兵64期である、という説明ですが、
65期の間違いです。
本文より先に画像を作成するもので、適当に書いたら一年間違っていました。
訂正しようにも元画像を縮小してしまったのでできなくなりそのまま掲載します。


さて、この映画にはいわゆる「軍人俳優」、戦争映画と言えば顔を出している役者が
お馴染みの顔をそろえていますが、中村吉右衛門はご存知のように歌舞伎役者で
この映画以外で軍人役をやったという記録は見つかりませんでした。
つまりこれが吉右衛門の「唯一の戦争映画出演作」であるようです。

しかしそういう映画に出慣れて、所作もすっかり身についている他の俳優と比しても、
たとえば恩賜の短剣を卒業式で拝受する一連の動きや、敬礼、遥拝、
どの所作を取っても引けを取らないどころか傑出してそれらが板についています。

それだけでなく、主人公の平田が、海軍軍人として立志の末、戦い、そして若者を導き、
最後には再び戦場に帰っていくという時間の経過につれ、見事に

「筋金入りの海軍軍人」

と変貌していく様は、全く見事としか言うほかありません。
しかし、この起用に、実はとんでもない?裏の話があり、今回資料をみる段階で
そのことを知ってしまいました。




それについてはおいおい触れるとして、映画の続きと参ります。

遠洋航海から帰り、郷里岩手の母の墓に参った平田。
なぜか平田が昔カテキョしていた地主のお嬢様が母の看病をしたそうで、

「あの子はお国に捧げた子だから呼び寄せないように言っていました」

と言った端から彼女は

「どうして帰ってきてくださらなかったんですか!」

となぜか平田を責めます。
それをいうなら「どうして帰ってあげなかったんですか」だろ。
平田も赤の他人に実の母を看病させて挨拶一言だけというのがありえません。



という矛盾を突き出すときりがないのがこの手の映画の特徴ですので、
適度にスルーしながら参ります。

村の護国神社に参ると、そこでばったり陸軍士官となった級友の本多が。



「俺は今麻布の第三聯隊にいる。226で決起した部隊だ。
先輩将校は国賊の汚名を着せられて死んだが、俺はやるぞ!」

「気持ちはわかるがなー・・・」

いつの間にか平田、諌める側になっています。
自分がいわれたことをそっくりそのまま本多に言っているのがおかしい。



平田が赴任になるのは大村航空隊。
それはいいとして、なんなのこの模型はorz



この映画は1969年大映制作ですが、 大映はこの頃田宮次郎の解雇問題など、
スターシステムの崩壊に繋がる御家騒動で社内はごたごたしていた頃で、
正直特撮の技術などに注意を払っている場合ではなかったようです。

映画の最初に出る吉右衛門のタイトルには(東宝)と但し書きがあります。
この頃大映はやはり歌舞伎の市川雷蔵をスター俳優として戴いていたのに、
なぜ市川でなくわざわざ他の会社から吉右衛門を借りてきたのかというと・・・。

実はこのころ雷蔵は癌を発症していました。

しかし彼は大映の頼みの綱というべき立場であることを自負していたため、
かなり無理をして療養もそこそこに現場復帰しようとしたそうです。

この「あゝ海軍」の平田一郎役は、当初市川雷蔵に決まっていました
雷蔵はこの映画で海軍士官の役を演じることに大変意欲を見せ、
すでに関係者との打ち合わせも行っていたのですが、復帰がクランクインに間に合わず、
大映はそのため代役に中村吉右衛門
を立てて撮影することを決定したのです。

そのことを新聞を読んで知って以来、雷蔵は仕事の話を一切しなくなったそうです。
彼が38歳で亡くなったのは、映画公開と同じ年の1969年7月のことでした。




映画に戻りましょう。

平田の赴任した海軍省の航空本部にて。
着任早々荒木大尉から、あの鬼の伍長、
森下が飛行機事故で殉職したと知らされます。



藤巻潤
この海軍軍令部でのシーンには戦争映画でおなじみのスターが揃います。



左・荒木大尉(本郷功次郎)右・小西中尉(川口浩)。

彼ら若手将校たちは、アメリカが石油の禁輸したことを受けて
日米開戦の危険を憂うのですが、それでも

「手を出すのは陸軍だ。陸軍を止めるのが海軍の役割だ」

などとお花畑なことを言っております。



そして平田を呼び寄せた航空本部長の井口清美
もちろん、井上成美がモデルです。
この森雅之がシブい。

元々わたしは森雅之、大変好きな俳優のひとりなんですが、
ここで井上大将を演じてくれてもうありがとうございました!って感じです。



井上成美がモデルですから、史実通り、
三国同盟を反対する井上に推進派が文句を付けに来ております。

「アメリカと戦争になったら負けるとは何事か!
閣下がそんなお考えなら死んでもらわねばならん」

井上じゃなくて井口本部長すっくと立ち上がって、

「わたしは軍人になったときから死ぬべきときは心得ておる!」



赴任一日目、井口本部長のお供でレスに行くことになった平田。
戦争映画ではよくレスでも軍服を着ている将校が出てきますが、
実際海軍軍人はほとんどがプライベートは背広に着替えたそうです。

この映画も、ちゃんとその辺をわかっております。

井口少佐がどこかに行ってしまい、暇を持て余した平田中尉が
箸袋を飛行機に折って遊んでいると・・・



いきなりエス(芸者)登場。
「ネイビーエス」(海軍芸者)っていうんでしょうか、やたら海軍事情に詳しく、

「山本長官も上京なさってご一緒で・・・それに米内閣下も。
皆さん身辺を狙われているのにまるで平気なご様子で」

と客のことをペラペラしゃべりまくります。
それはだめだろー、客商売として。
おまけに平田までが

「米内、山本、井内・・・・三国同盟反対トリオか」

おいおい、エス相手に何を言っとるんだ君は。
映画「連合艦隊」で、呉の芸者が「ミッドウェイミッドウェイ」と歌うように言うので

「なんでレスの芸者がミッドウェイなんぞ知っとるんだ」

と海軍士官が思ったという話は実話(わたしはその当人から聞いた)ですが、
ここのネイビーエスは単に口が軽かったってことでいいですか?



とかなんとかやっていたら、トイレから出て来て手を拭きながら入ってくる人が。



はっ!と固まる平田。
山本五十六司令長官ではありませんか。



ちなみに長官の胸ポケットから出ているのは、
たった今手を拭いていたハンカチです。
ポケットチーフでトイレに行った手を拭くんじゃねー山本五十六。
おまけに

「平田中尉、女を心底モノにするのは敵を倒すより難しいぞ」

ここは女関係で色々とあった五十六をちらりと匂わせる演出。

最近の五十六映画「聯合艦隊司令長官山本五十六-太平洋戦争70年目の真実-」
(長いんだよこのタイトル)では全く触れられなかった部分です。
「反戦軍人司令長官山本五十六」というタイトルの方が相応しかったのではないか?
というくらい、あの映画に於ける五十六像は、たとえば
自衛隊の海幕長ならこういう人物もありだろうけどなあ、というような、つまり
現代基準の好ましい軍人像に置き換えられていたと思うのですが、
とくにこの手の表現では「良き父よき夫」を強調しすぎて本人が見たら

「おいこりゃあ誰のことだ」

と言うこと必至の山本五十六になってしまっています。

別に、公認の?愛人がいたことわざわざ描かなくてもいいかとは思いますが、
あまりにも聖人みたいな五十六もどうなのよ、と。



というわけで五十六去りし後、
「ふう、緊張したー」とため息をつく平田。



そこに千客万来、飛び込んで来たグラサンの怪しい男。
なんと、本多勇陸軍中尉じゃないですか。



本多を演じる峰岸徹は、この映画では「峰岸隆之介」となっています。
峰岸は末期の大映がこの前年度1968年に得た希望の星で、
ごたごたが原因で辞めた田宮次郎に代わる看板スターとして期待がかけられました。

今見てもこの映画での峰岸の扱いにそれが現れていると思いますが、
いかんせんデビューしたばかりのスターでは、映画会社の崩壊を防ぐことはできず、
(他社のような多角経営化に舵を切らなかったという理由もありますが)
二年後に大映は空前の大型倒産をすることになります。



なぜか本多は憲兵隊に追われている様子。

「陸軍の不逞の輩を捕まえに来たのですが一名足りんのであります」

この際本多が不逞の輩の一味ってことでいいですかね。
もしかして三国同盟反対派を狙う刺客だった・・・・とか?
そしてこの憲兵、ぞんざいに

「あんたは?」

「平田中尉だ」


と平田が一言いっただけで憲兵はエビのようにしゃちほこばって

「失礼いたしましたッ!」

いや、あんたたちの探しているその不逞の輩とやらも、陸士卒の中尉のはずなんですけど。



平田もですが、映画も実にいい加減で、このとき本多がなぜ追いかけられていたのか、
全く説明せずにこのときの本多の行為の理由をスルーします。

なんで陸軍士官が不逞の輩なのか、もう少しわかるように説明してくれるかな。



「おう、ここ行こうここ!」

すべてをスルーして二人が飲み歩くうち本多が立ち止まったのは、場末の待合。
ところが丁度そのとき客を見送りに出て来た女が・・、



幼なじみで本多と婚約をしていたのぶ代さんじゃないですかー。



「なんでこんなところに?」



追いつめて彼女をなじる本多。

「こんな商売しているなんて!どうして死ななかった!
こんな商売するくらいならどうして首をくくって死ななかった!」



罵られたのぶ代は、その場で三階から飛び降りて自殺してしまいます。
本多に「死ね」と言われたからですね。

合掌。



片や平田の元にはいきなり地主のお嬢様出現。

「結婚しろと親に言われているのだけど」

などと見え見えの相談をしにわざわざやってきます。
ビンボーな学生の頃はともかく、今や恩賜の短剣で出世頭の海軍さん、
お嬢様のわたしにだって十分釣り合うわよね、とばかりに
脈があるか探りに来たのですが、本多とのぶ代のことがあったばかりで、
平田は冷たーく彼女の下心を見て見ぬ振りします。

そして、昭和16年12月8日がやってきました。

 

この映画は珍しく、真珠湾攻撃のシーンを航空機ではなく、
特殊潜航艇の攻撃を特撮で描いております。
この理由は「飛行機より特撮が簡単だったから」だと思うのですがどうでしょう。

そして、実写のつなぎでトントン拍子に戦況は進み(笑)、
勝ち戦だった当初からミッドウェー海戦を経て戦局は完全に逆転するというわけです。



平田は今や飛行隊長としてラバウル戦線におります。



平田部隊の予科練出身飛行兵曹、山下(露口茂)
後の山さんですがこの映画でも山さんです。
絵描きになりたいと思って勉強していたのですが、
それどころではないと予科練を志願したそうです。

「しかし、最近また無性に描きたくなりました。
きっと靖国神社行きが近づいているのかもしれません」



うーん。

失礼だけど絵描きになるのはこれではちょっと無理だと思う。
芸術を甘く見てはいかんよ。



「燃ゆる大空」のメロディに乗って飛行隊長の平田大尉の戦闘ぶりが。
零戦五二型に乗って、グラマンを次々叩き落としていきます。



しかし、次々とやられていく僚機。
戦死する戦友も日を追うに連れ増えてきました。



隊長の平田は本部に訴えます。
「なんとか飛行機の補充をお願いします!」



「貴様の基地は避退基地であるからして」



「空母の艦載機を引き取ってはどうでしょうか」
「空母の戦闘力を半減させる訳にいかん」
「しかし空母が狙われたら戦闘力は削がれます!
ミッドウェイがいい例です」

「とにかく飛行機が足りんのだ!」



そんな折、ジャングルの中の指揮所にひょっこり現れる旧友の本多。



驚く平田。この人たちバッティング率高杉。



なるほど、陸海軍人を戦地で会わせるためのラバウル設定ですね。
本多はガ島作戦の打ち合わせで参謀のお供をしてきたとのこと。



さっそく一夜の同窓会が持たれ、平田は旧友に海軍の潤沢な食料を振る舞います。
がっつく本多。
しかし、我に返り、しばし箸を止めて涙ぐみ、

「こんなにうまい米の飯、みんなに食べさせてやりたい・・・・」



「指揮官が力をつけなくてどうするんだ!」

平田は彼を慰め、一緒に昔よく歌った「元寇」を歌います。

 
【軍歌】元寇

陸軍軍楽隊長だった永井健子が明治25年に作曲したもので、
サビなしA部分だけの行進曲ですが、その時代の作曲とは考えられないくらい
明るく伸びやかなメロディは、同じ作曲者による「歩兵の本領」と並んで
陸軍軍歌の傑作だとわたしは個人的に思っております。

この映画は音楽をすべて既存の軍歌ですませています。
JASRACの取り立ては今より厳しくなかったのでしょうか。
音楽担当は、「あゝ陸軍加藤隼戦闘隊」で独特のセンスを見せてくれた大森盛太郎。
本作品では、全編軍歌を適当に当てはめるだけの簡単なお仕事なのですが、
最も重要な場面でこの曲を使うセンスは評価したいと思います。

この曲は映画冒頭、岩手の 中学生だった彼らが行軍の際歌っていたもので、
それから10余年後、岩手から遠くはなれたラバウルで二人は 
今生の別にこの同じ歌を歌うのでした。



「昼間は土に隠れて、夜斬り込むんだ。
しかしこれでもう思い残すことはない」



本多の座っていたテーブルには彼が形見に置いていった万年筆が。
このシーンにはインストで「元寇」のメロディが流れます。゜゜(´□`。)°゜。



そして、かわいい部下の山下兵曹を空戦に失う日がやってきます。



指揮官は梅本少尉(成田三樹夫)
特務士官という設定だと思うのですが、成田三樹夫の貫禄あり過ぎ。
当時この人34歳ですからねえ。

ちなみにこのとき吉右衛門はまだ25歳。
平田を演じるにはちょうど良い年齢だと思われますが、元々のキャスティングで
もし市川雷蔵だったら38歳でこの役をやっていたことになります。
いかに「化粧で何にでも変われる」と変幻自在の役者ぶりを讃えられていても、
38歳の兵学校生徒役はいくらなんでも無理だった気がしますが・・・。



ヘアスタイルがドクター・スポックな成田三樹夫。
激しい空戦を終えて帰ってきますが、山下兵曹の行方を見失ったと報告します。



夜の滑走路、山下の帰りを待ち続ける二人。



その後山下兵曹の遺品を持って来た整備兵小松が

「8人兄弟なので私が死んでも親の面倒は誰かが見ます。
心配いりません!」

と誇らしげにいうのを聞いて思わずぶち切れる平田。
そのころ、本多の隊も全滅したらしいという話を聞いたばかりです。

「馬鹿者!戦争は生き残った者が勝ちだ!」


この映画には、海軍甲事件も登場します。



平田の航空隊がブーゲンビルに赴く山本五十六の護衛をするという設定です。
レスで会ったことを長官が覚えていてくれたので感激の平田。

ですが、日本側の暗号は

 

ので、山本長官は戦死するというおなじみの展開です。

 

山本五十六役は島田省吾
役者の鬼のような俳優で、現役最高齢の役者として96歳になるまで演技を続け、
2005年に98歳で亡くなっています。

この山本五十六、良かったです。少なくとも最近の映画の五十六役よりずっと。



平田は銃撃で負傷しましたが、飛行機を失わせないため、
「恥を忍んで」帰還します。



しかし、むざむざ長官を死なせた自責の念から、
自決しようと銃の引き金を引いたところ、
意外な人間が彼の自殺を止めます。



小松整備兵でした。

「隊長は嘘つきです!
勝つためには生き抜くんだっていったのは隊長です!」

そりゃそうだ。
これが本当の負うた子に教えられってやつですか。

小松整備兵を演じる酒井修は大変な熱演をしていますが、この役者、
大映の他の俳優に共通の(市川雷蔵、田宮次郎、川口浩)不幸体質を受け継いだのか、
その後お薬関係で身を持ち崩し、誰かの紐な人になってしまったそうです。

合掌。(って死んでなかったらごめんなさい)


それにしても、38歳の市川雷蔵、もし癌にならずにこの映画に出ていたら、
どんな平田一郎を演じてくれたのか・・・。

出演した映画、その数159本。
中にはあたり役の「眠狂四郎」「陸軍中野学校シリーズ」などもあり、
たとえ初めてでも、吉右衛門とはまた違う海軍軍人を見せてくれたと思うのですが。

そのおかげで我々は吉右衛門の軍人役を見ることができたとはいえ、本当に残念です。



(続く)




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映画「あゝ海軍」~「江田島健児の歌」

2014-04-13 | 映画

骨折騒ぎの文字通り骨休めとして、しばらくエントリの製作を
休んでいる間、その代わりに映画を観まくりました。

戦争映画が中心だったわけですが、その中でわたしが個人的に
特に良作だと思ったのが「南海の花束」とこの「あゝ海軍」です。


監督は「あゝ海軍兵学校」「あゝ陸軍隼戦闘隊」の村山三男
いずれもわたし基準でいうところの「ネタ映画」カテゴリなので、
実はそんなに期待していたわけではありません。
しかし経歴を具に見たところ、この人「氷雪の門」の監督でもあるんですね。

映画というのは演出、役者、配給元、スポンサー、それこそいろんな要素が
絡み合って一つの作品を形作っていくわけですから、同じ監督の作品でも
全部が全部同じ調子というわけではないとは思っていましたが、
この映画においてもっとも成功した理由と思われるのが主役の「平田一郎」に
二代目中村吉右衛門を登用したことだと思われます。

吉右衛門の演技についてはおいおいお話ししていくとして、さっそく
映画に入りましょう。



海軍旗が翻る映像と共に、いきなり行進曲「軍艦」。
1962年頃というのは、おそらく日本映画が堂々と「軍艦」を使うことができた
最後の時代だったのではないかと思われます。

この映画は戦争映画ですが、大東亜戦争の戦史でも海軍の歴史でもなく、
平田一郎という一人の青年の海軍軍人としての成長物語。
「あゝ江田島 海軍兵学校物語」がそうであったように、戦争を題材とした
青春映画(っていまどきありませんが)と言ってもいいかと思います。



ですから、特撮にはあまり力を入れていません。(笑)



晒すわけではありませんが、当映画特撮チーム。
人間形成がテーマのメインで、だから特撮は説明程度でいいや、
というわけでもないでしょうが、見るからにお金がかかってません。
こういうのは技術以前に予算の問題が大きいと思いますので、
彼らも与えられた範囲内で精一杯やってはいると思うのですが

・・・そんなに酷いのか、と言われそうなのでこれ以上言いませんけど。



一連のこの監督の海軍ものを見ていて思うのですが、この人は
海軍なり陸軍なり、軍隊組織の「様式美」というものにこだわります。
自身がそうだったのでしょうし、やはり世の中には軍隊を一定の角度からのみ見て、
そこに美を感じる感性を持つ層が今も昔も一定数いるということをよく知ったうえで、
そういう層に向けて映画を作っていたという気がします。

この海軍短刀や指揮刀を見てその造形美、機能美に感応するか、
それともただ人殺しの道具としてしか見ることができないか。

こういう議論は突き詰めるとそういうことだと思うんですが、
人殺しの道具としか見られない人と、そのものが持つ美のみを見る人とは、
そもそも同じものを見ても「視点が違う」のですから、分かり合えるわけがないのです。

そう思いません?



さて、舞台は岩手県のある旧制中学から始まります。
当時の公立学校は軍事教練といって、陸軍からの配属将校の指導下、

各個教練、部隊教練、射撃、指揮法、陣中勤務、
手旗信号、距離測量、測図学、軍事講話、戦史

などの教科を学ぶ勅令が出されていました。
履修すれば、陸軍では幹部候補生を命ぜられる資格が得られました。



「軍事教練より中学生は勉学すべし!」

みたいなビラを作ったとして配属将校に殴られる平田一郎。
主人公なのですが、わたしはこのシーンで思わず

「え?これが主人公?」

と画面を見なおしてしまいました。
顔の下半分が妙に間延びした馬面で御世辞にも男前とは言えず、
同級生の親友、本多勇(峰岸徹之介)と比べると花のないこと。

しかし、この最初の印象が最後には正反対になっていたことを
まずわたしは告白しなければなりません。
いやー、いいですよ。中村吉衛門。
わたしは歌舞伎を知らず、さらには吉衛門を吉左衛門と勘違いしていたくらい
この人のことはさらに何も知らなかったのですが。



家が母一人子一人で貧乏な彼は、成績優秀にもかかわらず
進学問題で悩んでいました。
彼が行きたいのは一高でしたが、病弱の母は

「お前を中学に上げるための借金もあるので、
中学を出たら役場にでも努めてほしい」

などというので、家では何も言いだせません。
村の金持ちのお嬢さんの家庭教師をして、
学費の足しにしているくらいなんですから。

平田、 お嬢さんの房代がわからないところを聴いても
家庭教師のくせに

「だめですよ、そうなんでも教わっちゃ」

とかいって、まともに教えず、自分の勉強をしたり本を読んだり。
夕飯を浮かすためにおにぎりを食いまくっております。


しかし、これまでのパターンだと、房代が平田を好きになるはずです。



かたや平田の親友、本多の彼女は色気たっぷりの人妻・・・・・

ではなく、家が貧しいので奉公に出される娘、延子。

本多が陸士を受けるのは、この婚約者のためでもありました。
陸士に入れば仕送りもできるから二年待ってくれ、というのを
延子は泣いて振り切り、行ってしまいます。



ある雪の日、平田の家に本多が陸士合格の知らせを持ってやってきます。
そしてなぜか

「俺だけじゃない、お前も海軍兵学校に受かったんだ!」

え?

いつのまに兵学校を受けていたのか平田。
兵学校を受けるのに母親に内緒というのは無理だと思うがどうか。
第一、最終試験は江田島に行かないといけないのに、
どうやって全く親に知られずにそこまで事を運べたのか。



こういう詰めの甘さが村山作品の特徴ですが気にせず参ります。
素直に海兵合格を息子のために喜んでやる母ですが、
実は平田はまだ母に隠していることがあったのです。
それは。

受験したのは兵学校だけではなかったのです!

おいおい。
それはいくら村山作品
でも詰めが甘すぎないかい。

そのことは後に明らかになります。





昭和9年、平田は江田島の海軍兵学校に入校しました。
昭和9年入校というと、兵学校65期に当たります。

65期は大戦開始時大尉、戦地指揮官として多くが前線に行き、
終戦時は少佐、 艦長や航空隊指揮官として戦死も多かったクラスです。



65期あたりから兵学校の倍率は20倍になり、陸士と共に
「落ちたら一高、三高」というくらいの難関になりました。

しかし平田一郎のように成績優秀でも学校に行くお金のない家庭の子弟が 
陸士海兵を受けるという例は多かったのです。 

 

兵学校生徒になった平田一郎。
何かちょっとかっこよ
くなってる・・・?




分隊幹事の岡野大尉(宇津井健)
こういう、厳しいが物わかりのよさそうな父親のような教官、
という役をやらせたらこの人の右に出るものなし。

その宇津井健の訃報をこのエントリ制作中に知り、ショックを受けました。
いい俳優でしたよね。

合掌。



分隊ごとに生徒館の廊下で顔合わせをしています、
一連の兵学校の映像はすべて江田島の術科学校で撮影されています。
兵学校ものは、本当にロケに困りませんね。

この映画は、明らかに兵学校以外のシーンにも(航空本部とか)
この校舎が使われています。



はい、ここでおなじみ「恐怖の姓名申告」シーン。

「1号生徒は貴様らの兄貴であーる!」

分隊監事は父母で上級生は兄。
しかしこの兄が・・・・・。

「ただ今から出身校姓名申告をしてもらう。
貴様からだ!」

 

こわい。

「鬼の1号生徒」を絵に描いたようなこの伍長を演ずるのは
平泉征
やはり村山三男の「あゝ」シリーズ、「陸軍隼戦闘隊」で、
愛犬のシェパードと激しく顔をなめあっていた陸軍士官です。
あのときとは打って変わって顔が怖い。

あまりご興味はないかもしれませんが個人的にかなりウケたので
平泉征の歌を一応貼っておきます。
曲はともかく、間の手にはいる「ぎょええ~!」みたいなシャウトがいかしてます。

<!-- 【アイマス】 夜を抱きしめたい 【平泉征】 -->

さて、地獄の姓名申告、平田生徒の番になりました。



いつもの調子で「岩手県立岩手中学出身・・・」と言いかけると、
「聞こえん!」「やりなおーし!」の怒号の嵐。



しかし、平田、臆する様子もなくむしろ挑戦的。

「なんなんだこの馬鹿どもは・・・」

みたいな表情をありありとみせるふてぶてしさ。
この理由は後でわかります。



起床ラッパと共に兵学校の1日が始まります。
ここで流れる曲が「いかに狂風」



寝床上げに始まって体操にカッター。

 

生徒館内の階段は2段ずつ駆けあがらないと指導が入ります。
上級生が気に入らないと、何度でもやり直し。



そんな1秒たりとも気の休まることのない兵学校生活ですが、
養浩館でのひと時は雑談も可。

サイダーを飲みながら、片山生徒が平田にこんなことを。

「おい平田、貴様一高も受けと
ったのか」


ちなみにこの「片山」の名は、入校式の時に「片山伸以下何名」と
呼ばれており、彼は首位の成績で入学したという設定です。

「本当か!」

あわてて図書館の公報を見に走る平田。
・・・・ていうか、今まで確かめもしなかったのかいっ。

これで謎が解けました。
平田、一高と海兵を併願しとったのです。
上級生の叱咤もどこか薄ら笑いで眺めていられたのも、どこかで

「俺は一高に行きたいが仕方ないからここに来てるんだ」

という「所詮」意識があったものと思われます。
しかしねえ・・。



平田、分隊監事に

「わたくしは第一高等学校に合格しておりましたので
今日限り退学させていただきます」

と言いに行きます。

「は?」

呆れる岡野大尉。そりゃ呆れますわ。
一高の合格発表も兵学校と同じころあったはずだし、
そもそも入学手続しないまま4月過ぎたら、いかにのんきな時代でも
入学する意思なしと見做されて入れてもらえないよ?
しかし平田、しれっと



「(遅れても)事情を話せば大丈夫だと思います」

大丈夫かなあ。
だいたい事情ってなんですか。
先に兵学校に受かったので取りあえずそっちに行ってたって言うんですか。

「あ、それから、郷里に帰るまでこの軍服貸してください」

今どき(大正生まれ)の若者は、という明治世代の声が聞こえてきそうです。 
兵学校生徒は入校と同時に来ていた服を郷里に送ってしまいますから、
軍服以外の服を持っていないわけですが、さすがに退校後着て歩くわけにもいきますまい。

というより、平田さん、あなたが一高に行けない原因って何だったですか?
お金がないからじゃありませんでしたっけ。
いったい学費どうするつもりなんですか。



そんなわけにいくか!貴様は海軍軍人になるためにここに来て、
宣誓書に署名したのではなかったか?
と岡野大尉に一喝され、すごすごと引き下がる平田。
そりゃそうだわ、万が一やめさせてもらったとしても、学費以前に
着て帰る洋服もないような人間がどうやって東北までの運賃を捻出するのか。



「しかし・・」「くどい!」


しかし、これで済んだわけではありません。



鬼より怖い森下伍長に呼び出されます。

「分隊監事から話は聞いた!」



それに対して汚いものでも見るような眼の平田。
こういうしれっとした態度がまた殴られる原因になるんだな。
当然、何発も猛烈な修正を受けます。



切れてひりひりする唇を口惜しさと悲しさに噛みしめていたら、
なぜか見回りの森下伍長、そっと平田のベッドの布団をかけなおしてくれます。



しかも平田の寝顔をじっと見つめて、
「悪かった。しかしお前のことを思って」なオーラ全開。



寝たふりをしていた平田ですが、森下が去った後じっと宙を見据えて何事かを考え、
そして次の日から・・・



俄然やる気をだしたのでした(笑)

なんでやねん。

一高に受かった嬉しさについ我を忘れて舞い上がっていたけど、
よく考えたら俺帰るカネだってなかったっけ・・。
そもそも、一高にいく学費が出せないからここにいるんだったわ。
やべーやべー、ついうっかり忘れてたわ。

ということを今更思い出したのかもしれません。
ついでに、3年間頑張って、森下伍長のような1号になって、
4号生徒をビシビシ殴ったる!
ついでに今みたいに布団もかけて優しいとこ見せたる!
と決意したのかもしれません。



森下が呆れるほど張り切り出す平田。
なんて単純な野郎なんだ平田。

 

そして彼らの兵学校生活が語られます。
流れる音楽は「江田島健児の歌」



柔道、剣道、棒剣術、銃剣術、そして棒倒し。



そして「まわれ!まわれ!」という怒号の中行われる
「甲板清掃」
清掃するのが甲板でなくても甲板清掃というのが海軍流。

ちなみに現代の海上自衛隊でもこの慣習は受け継がれており、
たとえ掃除をするのが室内でも「甲板清掃」というそうです。



そして瞑想の時間。
このあいだに要領よく睡眠をとることのできる生徒もいたようですが、
とりあえず平田は真面目にやっているという設定。



「至誠に悖るなかりしか!言行に恥ずるなかりしか!」

おなじみ、「海軍五省」。
まるで「映画で観る海軍兵学校生活」です。

ところがこれに続いていきなり「日本青年の歌」が鳴り響きます。
このブログ的に最近すごく聞き覚えがあると思ったら、

 

平田が在学中、2・26事件が起こったのです。

 

この事件を扱ったのは、主人公の平田と本多が貧村の出身で、
いずれもそれゆえに軍隊に身を投じることになったことから、
彼らの中にも事件に対する深い関心が起こったということを表しています。



今の世を憂う気持ちは一緒ですが、秀才の片山は平田を諌めていわく、

「気持ちはわかるが海軍軍人は陸軍のような直接行動には出ん!」

おっと。

これは脚本家のミスですね。
2・26に先立つ5・15で犬養毅らの政治家を襲撃したのは海軍将校たちだったことを
当時の兵学校生徒が覚えていないわけがありません。

このときに彼らが厳しく罰せられなかったことから、2・26の青年将校たちには
どこか処分に対する甘い展望もあり、それが実行を速めた面もある、
という説もあるくらいなのですが・・。

いずれにしても逸る平田を片山は「冷静になれ」ととどめます。
それはいいとして、片山生徒、脚が短いのになぜ無理矢理こんなポーズを取っているのか。

 

相和12年、満州事変勃発。
いよいよ戦時突入です。



「これからの戦闘の決め手は航空だ」

と講義する岡野大尉。

戦艦主義との兼ね合いはどうなるのでありますか」

という質問には、

「戦艦主義、つまり大砲屋は日本海海戦の大勝利の夢を追いすぎている」

おおお、当時の兵学校教官がここまで言いますか。



ここでも平田、

「満州事変を早く解決して内政に目を向けるべきでは」

などと発言して、岡野大尉から「現在の立場をわきまえて云々」
とやんわりたしなめられております。

そんなある日のこと、平田は、母が危篤であるという知らせを受けます。



すぐ帰る支度をするように言われて電報を見せられ、
ショックを受ける平田。



しかし、彼はなぜか「帰りたくありません!」と決然と言い放ちます。
同室の士官たちが顔を上げて一斉に彼を見ています。

「なぜだ」



「逢えば私情に溺れます!
わたくしは今母の子である前に海軍軍人であろうと・・!」

そんな平田を

「変わったな・・・」

と涙ぐんで見つめる岡野大尉。
もし現代の映画なら、その平田を岡野大尉が叱り飛ばし、
無理やり帰郷させて、涙のシーンを入れ込んできたと思われます。

「今から八方園に行って、故郷に向かって手を合わせてくるんだ」



実は、このせつない走り方を見て、わたしは平田が大好きになってしまいました。

歌舞伎役者が映画的演技にも才能を見せるのは、
彼らが生まれたときから「演じる」ことを宿命としてきたことを考えても
全く不思議なことでも意外でもありませんが、彼の演技というのは
セリフ回しより以前にちょっとした手の使い方とか、こういった
健気な息子の母を思う気持ちが溢れださんばかりの走り方などに、
役になりきった俳優にしかできない計算の無さがあると思います。



それからの平田は、一層兵学校での鍛錬に邁進します。

 

さすがは歌舞伎俳優、真剣の太刀裁きは見事の一言。



そして、65期生徒の卒業式がやってきました。



平田一郎、堂々のクラスヘッドとして、短剣を拝受されます。



この授与式の一連のシーケンスを見ても、彼は所作が美しく、
おそらく映画のスタッフはこの撮影に関して、吉衛門に向かって
何の演技指導も要らなかったのではないかと思われました。



ヘンデルの「見よ、勇者は帰る」の流れる中、
恩賜の短剣を受ける平田を感慨深げに見守る岡野大尉。



「立派になったなあ。
一高に行きたいと駄々をこねた男とは思えないぞ」



再び「軍艦」の流れる中、卒業生行進。
どうでもいいですが、この軍楽隊の指揮が無茶苦茶で、全然リズムが合ってません。
音は後付けだったようです。

  

見送る岡野教官。巣立っていく平田候補生。

 

そして、兵学校の「正門」から「ロングサイン」の流れる中、
卒業生、いや新候補生たちはランチに乗って艦隊勤務につきます。
この後、彼らは遠洋航海で世界を回ることになるのです。

それまでの遠洋航海は、地中海コース、アメリカコース、豪コース、
ときには世界一周コースなどもあり、期によって違いましたが、
そういった豪華な航海ができたのはせいぜい63期までで、
彼ら65期は満州事変の影響を受けて内地航海半月のあと
遠洋航海は三か月に短縮となり、中国、台湾、タイに行っただけでした。

せっかく岡野大尉が「世界を見ることだ」といったにもかかわらず、
近場になってしまって、65期の平田はさぞがっかりしたことでしょう。

もっとも、70期にもなると、遠洋航海どころかランチから直接各艦に配乗し、
中には洋上で乗り組み艦に移った候補生もいたということです。

 

ここまで見て、この平田一郎という青年の顔つきが、最初から
がらりと変わってきているのに気づきます。
岡野大尉の言う

「いい顔つきになったな」

は、映画を観ている者にとっても全く同感です。

 

しかし、中村吉衛門演じる平田一郎の変化は、これにとどまらず、
最初「馬面の間が抜けた顔の青年」と見えた平田が、
海軍精神を体現するような士官に真に変身するのは、実は映画後半なのです。


(続く) 




 

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