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板倉光馬~とある潜水艦長のブラックアウト 

2012-09-11 | 海軍人物伝









板倉光馬のブラックアウトシリーズ、後半です。

ブラックアウトの末上官をなぐったものの、海軍を去らずにすんだかつての候補生も今や少佐。
伊潜の艦長という、重責を担う働き盛りです。

大変な事件を起こし、海軍追放を首の皮一枚残して免れた少尉候補生時代の板倉少佐。
にもかかわらず、お酒をやめようとは全く思わなかった、というところまでお話しました。
しかし、いくらなんでも、飲むなら飲むで、もう少し自分の酒癖をもう少しなんとかしようと
こころがけたのかというと、
さにあらず。

あるときは、日頃ウマの合わない教官を酒の席で追いかけ、追い詰め、
気がついたら羽交い絞めにされて、「教員失格」の烙印を押されるなど、
相変わらず「自分に愛相の付きる思いを」繰り返していたのです。

ちょっとは学習せーよ、と思わず声を掛けたくなるのですが、
飲めない人間にはわからない、「飲まねばならぬ理由」があるんでしょうね。
酒飲みという人種には。

全く懲りない板倉少佐、夫人には「板倉の家から酒が無くなるのは恥だと思え」などと厳命し、
夫人が酒屋からの帰りに思わず
「お酒の無い国に行きたいなア・・」
と嘆息するといった調子の酒豪生活を送っておりました。

しかし、このころの板倉少佐の置かれた状況を慮ってみると、そこには酒が好きでやめられない、
というより、命ぎりぎりの重責を任された人間の、しばしの精神的逃避を見るような気もするのです。

このころの板倉艦長の仕事は、毎日が死と隣り合わせでした。
次の出撃が年貢の納め時かもしれない、という覚悟と共に、毎日任務にあたっていたのです。

あのキスカ撤退作戦の前哨となった任務も、その一つでした。
第二期「ケ号作戦」です。
キスカ島周辺は敵の哨戒網が張り巡らされ、ぴーとでも音を出したとたん、見つかってしまいます。
後年、板倉少佐自身が「任務についていた2週間の間一瞬として生きた心地がしなかった」
と述懐したという激務でしたが、その任務がこれからというとき、
板倉艦長は着任三ヶ月にして、まだ乗員全員と酒を酌み交わしたことがないのに気付きました。

そこで、今生の想い出になるやもしれない、最後の酒席を取り行うことにしたのです。
艦長は総員集合を命じ、このように命令しました。

戦場において斃れるのは本懐であるが、不注意や過失で死ぬことは末代までの恥辱である。
酒によって乗員が海に落ちたり命をなくしたりした例は少なくない。
そこで今日は、艦内の酒を全部処分する。
飲むのだ。

代金はわたしが払うから遠慮はいらん。一滴も残してはならぬ。
ただし、明朝までは上甲板に出ることは禁ずる。
酒の飲めない者は御苦労だが交代で当直してもらいたい。
なお当直中は、何人といえどもハッチから上げてはならぬ。


皆わっと歓声をあげて宴席の支度にとりかかりました。
酒豪で名高い板倉艦長の前には、酒を注ぎに来る下士官兵が引きも切らず、次々と
杯を重ねるうちに艦長はすっかりきこしめしてしまいました。

酔った板倉艦長は、しかし上甲板が気になります。
そのままハッチを開け、乗員が「誰も外に出ていない」ことを確認し、
海に向かって小用を足すうちに・・・・・・・。「ちーん」

次に板倉艦長が気がついたとき、極寒の海に転落し救いあげられたその身体は
冷凍マグロのように上甲板に転がされており、数名が素っ裸の艦長を乾布まさつしていました。
そして、周りには心配そうに覗きこむ乗員が・・・。

うわあああああっ。

もう、これ、わたしだったら、死にますよ。そのままもう一回海に飛び込んで。
さすがの板倉少佐も毛布を身体に巻き付けて艦内に駆け込み(おそらく)眠れない夜を過ごし、
次の朝、総員を集めて照れくさいのを押し殺し、平然と訓示しました。

「昨日は艦長の意を体してアルコール分を残らず処分したことは非常によろしい。
お前たちが酒の上で万が一のことがあっては申訳ないと思ってやったことであるが、
一名も事故が無くて何よりである。
ところが艦長であるわたしが、海に落ちて危うく不忠、不孝の汚名をのこすところであった。
あれほど注意していた艦長でさえ不覚をとったのである。
お前たちは、今後とも酒には十分に注意して間違いを起こさぬようにしてもらいたい。
終わりっ!」

皆、下を向いて笑いをこらえていたそうです。

あとから水雷長が
「皆板倉艦長の心臓には驚いていますよ」
「どっちの心臓だ」
「両方です」

しかし、それだけではすみません。
平安丸から「イカニサレシヤ」と信号がありました。
何があって艦を停めたのか、信号で返事をしなくてはなりません。

板倉艦長、ピーンチ!

この未来永劫記録に残る信号に
「艦長が泥酔して用便中上甲板から海に転落」
なんて、送れましょうか。いや、送れません。
板倉艦長、苦し紛れに信号を送りていわく、

「溺者救助訓練ヲ実施セリ。作業完了、異状ナシ」

これを送信させられた通信兵は、笑いをこらえるのに必死だったのではないでしょうか。


前回にお話した殴打事件のとき、殴打した鮫島艦長が人並みの、つまり、
「俺を殴った候補生なんぞ即刻クビ、悔しいから海軍刑務所に放り込んでやる」
みたいに考える軍人であれば、この時に後の「不沈艦長」は海軍を去っていたでしょうし、
この転落事件のとき、板倉艦長の心臓がもう少しデリケートだったら、ヘタするとここで命運尽き、
キスカに赴くことも、その成功に寄与することもなかったでしょう。


徹頭徹尾、この板倉光馬という人は、強運に恵まれているのです。
艦長として乗った潜水艦はことごとく不沈だった、というのも、この運の強さを物語ります。


ところで私事ですが、TOの仕事関係のある方は、いわゆる「見える人」です。
TOが大きな講演をしてから、全く関係ない仕事の打ち合わせで彼の前に現れたとき、
「ああ、なんかすごい肩からオレンジ色の光が出ていますよ。ぴかーっと」
と言ったそうで、その時まさに昂揚した気分だったTOは驚いたそうです。

もし、全生涯通じて板倉少佐のオーラを見ることができる人がいたら、
それはいざとなると非常に強く輝く、特別な色を持った光が見えていたのかもしれません。