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「ザ・314」空の豪華客船〜スミソニアン航空博物館

2025-07-18 | 航空機

前回、パン・アメリカン航空が太平洋に切り拓いた、
水上艇マーチンM-130クリッパーを使った郵便航路が、
旅客航路としてその戦略の足がかりになった話をしました。

前回の最後にご紹介したパンナムの社長、フアン・トリップは、
クリッパーに続き、ボーイングに後継機を注文し、
1936年にボーイングは「ボーイング314」をリリースします。

スミソニアンにはこの314の内部を余すことなく見せる
実に魅力的なジオラマが展示されていて、人目を惹いています。

この時代、多くの航空会社がこぞって水上飛行機を使いました。
前にも説明したように、空港インフラがまだ整っていない時代で、
世界最大の滑走路が使える飛行艇は実に理にかなっていたのです。

飛行艇(フライング・ボート)という名前は、これらの水上飛行機が
水上艦の竜骨に似た胴体下部を持っていることから名付けられました。

そして、飛行艇は第二次世界大戦前まで、太平洋横断飛行の主流でした。
アメリカから南米、ヨーロッパ、太平洋諸島、アジア、
そしてさらに遠くまで、他の飛行機が行けない場所に人々を運びました。

当時のほとんどの飛行機では不可能だった、
遠く離れた異国情緒あふれる場所に到達する航続距離、
積載量、そして何より優れた能力を備えていました。

世界の軍隊も同様に、この飛行機の能力を、
海域の哨戒や墜落した飛行士の救助のために使いました。

■ 贅沢さの極み、飛行艇の旅


全盛期には、商業飛行艇での旅はまるで
「クイーン・メリー2世」での航海に匹敵するものでした。

個室の寝室、銀食器のダイニングサービス、シェフが調理する食事、
白い手袋をはめたウェイターなど・・・、これらはすべて、
空の豪華客船で乗客が享受できる高級なもてなしの一部でした。

当然ながら費用も大変高額なものです。

1940年当時、サンフランシスコから香港までの片道航空券は760ドル、
現在の約1万5000ドル(日本円だと200万円くらい)でした。

豪華客船と違うのは、こちらが数週間かかるのに対し、
飛行艇では数日で目的地に到着できることでした。

飛行艇がもたらす空の贅沢さの象徴となったのはパンアメリカン航空でした。
19世紀の大海原を往来した壮麗な帆船をオマージュし、
同社の最初の飛行艇は帆船を意味する「クリッパー」と名付けられました。



パンナムの創設者、フアン・トリップは、自社の顧客を
高級蒸気船のファーストクラスの乗客と同じクラスであると位置付け、
スチュワードとパーサーによる最高のサービスを提供しました。

飛行艇は「キャプテン」と「ナビゲーター」によって運航されていましたが、
この名称は、あえて海軍と同じものを採用しています。

なぜなら飛行艇は豪華客船になぞらえられ、模倣されたからで、
船を操るクルーを海軍と同じ呼び方をすることはこの時代に始まりました。



これは、パンナムのクルーと本物の?海軍軍人が写っている写真ですが、
パンナムのクルーは海軍の冬服のような制服を着ています。

これは、わざと海軍に似せてデザインされていました。
時代が降ると、袖の階級章はまさに海軍と同じだったりします。


ボーイングが発注したボーイング314飛行艇は、
最大航続距離5,700キロメートル(3,500マイル)、
短距離のフライトでは乗客74名と乗員10名を乗せることができました。

元々大型爆撃機として製作されながら、実用化に至らなかった
XB-15試作機(ボーイング294)を叩き台にして設計されました。

XB-15はもちろん航空機であり飛行艇要素は元々全くありません。



スミソニアンの模型が大変素晴らしいので、
細部までここで紹介させていただこうと思います。

まず、コクピットから。
キャプテンとコーパイロットが席についています。


コクピットは客席の上階にあるのですが、このクルーは
飛行艇のノーズ部分の梯子を登ってコクピットに行こうとしています。
何か伝達があるのでしょうか。


コクピットの後ろにはフライトコントロールデッキがあります。
デスクに向かっているのは航法士(ナビゲーター)。


通信士が向こう向きに通信機器に向かっています。

314の成功において非常に重要視されたのは、クルーの熟練度でした。
長距離の水上飛行の操縦と航法に非常に長け、
最も優秀で経験豊富な乗組員だけがクルーと呼ばれました。

また人材育成のため、多くの太平洋横断便には
訓練中のパイロットを必ず載せていたといいます。
この写真で航法士の後ろに座っている人がそれではないでしょうか。

パンナムの機長、副操縦士(ファースト&セカンドオフィサー)は、
入社前に他の水上機や飛行艇で数千時間の飛行経験を積んでいます。

推測航法、時間計測による旋回、海流によるドリフトの判断、
天測航行、無線航法に関する厳しい訓練を経てきたクルーの腕は確かで、
霧に覆われ、視界が全く効かない状況下で、パイロットが着水を決行し、
その後機体を滑走させて港に無事たどり着いたという例もありました。

314の乗員は通常10名となっていましたが、
長距離洋上飛行における疲労を考慮し、
2交代制で最大16名まで増員することがありました。

シフトはパイロット、副操縦士2名、航法士、無線技師、
航空機関士、当直士官(『マスター』と呼ばれることもあった)、
および2名のスチュワードで構成されていました。



スチュワードの一人は、フライトコントロールセンターの下にある
ギャレーでカクテルの用意をしています。
後ろに人の姿が見えますが、これは、何か飲み物を取りに来た客でしょう。

スチュワードの制服の裾が短いのは、サーブの時に
裾が長いとテーブルに当たったりして邪魔だからです。


もう一人のスチュワードは、客室で注文を聞いているようです。
真ん中に棒立ちになっている女性はスチュワーデス?
と思われるかもしれませんが、この人は客です。

なんか手前のおっさんに指差しされて怒られているように見えますね。

彼女が乗務員でないと言い切る理由は、当時の飛行艇では
客室乗務員は常に男性でなければならなかったからです。

その理由は、夜間飛行の際にはベッドを準備する必要があり、
また緊急時には大型の救命いかだを扱う必要があるため、
女性には過酷な仕事であると考えられていたからです。

いかだはともかく、ベッドの用意がそんなに大変か?と思いますが、
おそらくかなりの力仕事だったのでしょう。


この315には定員以上のスチュワードがいるようです。
この人はまさにベッドをメイキングしているところですが、
カーテンを設置したりして、やっぱりかなり大変なのかもしれませんね。

この第5コンパートメントの上部は荷物置き場となっています。


現在の飛行機もファーストクラスは一番前にありますが、
314の一番前のコンパートメントも「ファースト」です。
しかし、ここがファーストクラスに相当するようには見えません。
なぜなら、このコンパートメントは8人掛けで、



ギャレーを挟んで後ろにあるセカンドコンーパートメントと
全く変わりはないからです。
(セカンドコンパートメントを表す説明のプレートが破損している)

むしろ、この狭いコンパートメントで向かい合って、
ほとんど膝がくっつきそうな椅子で長時間過ごすのが
いわゆるプレミアムクラスとはとても思えません。


そして、その後ろにあるコンパートメント。
ここは広いですが、実はメインラウンジです。

実は314、1から5までのコンパートメントは全て普通クラス。

これに乗ることができる段階で金持ち客であることは決定なので、
客席は皆平等に、普通クラスが並んでいるということなのです。


第4コンパートメントもご覧の通り。
こんな空間で1週間過ごすのもなかなか大変だっただろうな。
退屈してもうろうろしたりできないし、
人目があるからうっかりくつろぐこともできない・・。

この第4コンパートメントは、全室より高いところに設置されています。
飛行艇の機体の構造上後ろが上がっていくからですね。



で、この第5コンパートメント、たまたまここだけ
ベッドの用意がされているので勘違いしそうになりますが、
どのコンパートメントも、椅子の間にマットを渡し、
ベッドを作ることができる仕組みになっております。

でも、これを見る限り、一部屋に4人分しかベッドないですよね?
この飛行艇が満席になることは最初から考えてないってことでおk?


ここで314の客席階配置図をご覧ください。
1から5までのコンパートメントは全く同じ作りです。
そして、第6コンパートメントには、


椅子が二人分(=寝台一人分)奥に女性用化粧室があります。



もう一度先ほどの配置図を見ていただくと、
最後尾には「スイートデラックス」が設置してあるのがわかります。


スイートは、お金持ちばかりが乗るこの314の中でも、
さらに特別扱いされたい?超富豪用に用意してございます。

ゆったりと大きな4つの椅子とテーブル、
そして奥には専用の洗面台もございます。
流石にトイレは隣に行かなくてはなりませんが。

ちなみに男性用洗面所は、ギャレーの向こう側に用意されています。


絵による断面図。


模型よりこの実際の写真の方が広々していますね。
これはラウンジだと思いますが、ちゃんとテーブルが備えられています。

これは、1940年ごろの314の様子です。

1920年〜30年代にかけて、様々な形や大きさの飛行艇が開発されました。
数人乗りの小型機から、数十人の乗客を乗せられる巨大な飛行機まで。

さらに、当時の商業航空にとって、航空郵便は欠かせないものでした。
連邦政府と有利な郵便契約を結び、航空会社は
この発展期に十分な収益性を確保し、カリブ海、南米、
そして世界各地への路線を拡大することができました。

飛行艇は独特なスタイルの船です。

フロートプレーンは基本的にポンツーンに搭載された普通の飛行機ですが、
飛行艇は本質的に船と飛行機のハイブリッドです。

強風や荒波にも耐えられる丈夫な翼、そして、
荒波への着陸の過酷な条件にも耐えられるよう、
通常はボートのようなV字型の頑丈な船体を備えています。

このような「珍しい乗り物」の設計には、
全く異なる2つの分野の正確なバランスが求められました。

飛行艇は、陸上機に求められる性能、効率、強度、信頼性に加え、
水上艇の特性と飛行艇自体に特有の特性が求められます。


耐航性
操縦性
水上での安定性
水と空気に対する抵抗力の低さ
船体の構造強度


特に最後の構造強度は、離着陸だけでなく、航走時に
荒れた海面からかかる荷重に耐えられるよう設計されねばなりません。

つまり滑らかさと頑丈さを兼ね備えていなければなりませんでした。

これらの条件を踏まえた設計を成功させるには、
これら相反する性能の適切なバランスを見つけることが不可欠でしたが、
どちらかの分野で計算を誤れば、悲惨な結果を招く恐れがありました。

パン・アメリカン航空は、大洋横断路線の開設準備を進める中で、
まさにこうした課題に直面していたといえましょう。

続く。




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1 Comments(10/1 コメント投稿終了予定)

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なかなか大変 (Unknown)
2025-07-18 06:00:03
US-2と比較すると、チャイナクリッパーは大きさも速さもほぼ半分の機体だったようです。これで四泊五日でアメリカから太平洋を横断するのはきついなーと思って調べたら、夜間は飛ばず、乗客はホテル泊だったようです。

チャイナクリッパー
全長 27.7m
全幅 39.7m
エンジン P&W R-1830(830馬力×4)
機体重量 23.6t
巡航速度 262km/h
航続距離 5,150km

US-2
全長 33.25m
全幅 33.15m
機体重量 47.7t
エンジン ロールスロイス AE2100J(4,591shp×4)
巡航速度 470km/h
航続距離 4,700km
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