ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

幼い時にだけ見えるもの

2010-05-29 | つれづれなるままに
メアリーポピンズのお話の中で私が一番好きなのが
「ジョンとバーバラの物語」です。

産まれたばかりのジョンとバーバラは、風や太陽、動物の言葉が分かり、大人の言うことも理解しています。

部屋に遊びにきたムクドリは、二人に
「すぐに何も分からなくなるのさ、君たちも」と言います。
「そんなことないよ!いつまでも分かるよ」
「いや、人間はみなそうなのさ。あの人(メアリーポピンズ)以外はね」

そう意地悪く言って、二人をからかうムクドリでしたが、次に部屋を訪ねて、ジョンとバーバラに声をかけた彼は、二人が自分の言葉を理解しない「ただの人間の赤ちゃん」になっているのに気付きます。

愕然とするムクドリ。

「泣いてるの?」
メアリーポピンズがムクドリをからかいます・・・。


さて、自分自身に「小さい時にだけ見えたもの」があったかについては、ただの人間になってしまったエリス中尉にはもう記憶はないのですが、自分の子供を育てていて、人間があかちゃんから幼児に移る頃、なにか不思議なことが起こるらしい、と感じる出来事が何度かありました。

そのうちの一つです。

息子が2歳のとき、我が家はサンフランシスコに住んでいました。
ある週末のドライブ旅行で、われわれは海岸線を下って行った所にある「カ―メル」という町を訪れました。
ここは、かつてクリント・イーストウッドが市長をしていたので有名な、海沿いの美しい街です。

車で走っているうちに素敵なコロニアル風のインを見つけ、泊ってみようということになりました。
私たちが宿の主人と交渉をしている間、息子は庭のベンチにひとりで座っていたのですが、部屋が決まってそこに入ったとき、こんなことを言い出したのです。

「おねえちゃんが車に轢かれたときに、コーラの瓶が割れたんだって」

はあ?いきなり何を言い出すのかと思ったのですが、2歳の息子は、何度も同じことを繰り返します。
彼の言によると、

「車に轢かれておねえちゃんは死んだの。
そのとき、コーラの瓶が割れたの。
お父さんももう死んでしまったけど、まだ悲しくて泣いてるんだって。」

皆さん、「コーラの瓶」ってここ最近見たことありますか?

ましてや息子は2歳、アルミ缶かペットボトルのコーラしか見たことはないはずで、おまけにうちは誰もコーラを飲んだことがないのです。おそらく昔瓶詰めのコーラがあったことさえ知らないはずです。

私もTOも、息子が一人で庭を見ている間に、彼にいったい何が起こったのかと、何度も尋ねました。まだ2歳で言葉も拙いながら、息子の話は最後までぶれず(翌日聞いても、全く同じことを言った)その話はどうやらその近所で起こった何十年も昔の事故のことではないか、と思われたのです。

「それ、誰に聞いたの」と聞いても、息子には答えられませんでした。
「見たの?」と聞くと、
「そんなことがあった」
としか言えないのです。

現在10歳の息子に、ふとこのことを思い出して聞いてみたら、
「全く覚えていない」と言いました。

ひとりで庭にいた息子に、過去、そこで亡くなった女の子のお父さんが、思わず時空を超えて話しかけたのではないかなあ、と今でも思うのです。
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搭乗員拳銃始末記

2010-05-25 | 海軍
画像は、佐々木原正夫海軍少尉。
撃墜機数12機の凄腕パイロットでした。
しかし、本日、この若武者のような方の画像を挙げさせていただいたのは、ご本人のことではなくライフジャケットに差した拳銃が話題だからです。
あまりに拳銃を差した姿が素敵なので、ご登場願いました。

佐々木原少尉の拳銃の差し方、搭乗員がよくやっているのですが、なんだか見るからに危険ですよね。ホルダーに入れなくてよかったんでしょうか。
こんな不安定な差し方をしていて、落っこちて暴発しなかったんでしょうか。


息子を見ていると、男の子って武器、特に拳銃というものが好きだなあ、と思います。
誰が教えるわけでもないのに、いつのまにかピストルのおもちゃを欲しがり、振り回し、見えない何かと毎日戦っているんですよね。
男の本能なんでしょうか。

搭乗員の拳銃。本来の目的は「自決用」です。
勿論、彼らがライフジャケットにそれを差す時には、ある覚悟とともにまなじりを決する思いだったとは思いますが・・・。
しかし彼らも「元男の子」。
きっと、本物の拳銃を持つ、ということは「かっこいい」と口には出さないまでも結構わくわくすることだったのではないかと思うのです。

元二〇三空搭乗員の安部正治兵曹の手記で「綺麗な奥さんと戦友、三人で雑談していたら、戦友が話しながら拳銃をもてあそびだした。危ないなあと思っていたらいきなり暴発し、私の足に弾が当たって怪我をした」
という話があるのですが、この戦友、何故こんなことをしたのか。
「綺麗な奥さん」がポイントだとエリス中尉は思います。
拳銃を見せびらかしワルぶっていい格好したかったんではないでしょうか。

終戦になり、明らかにこれからの生活には必要のない(というか持ってはいけない)と思われる状況でも、拳銃をこっそり持ち出す男子は、じゃなくて元搭乗員は多かったようです。

新庄浩中尉の話ですが、除隊した隊員から押収した拳銃を次々湖に投げ込んで処分する最中さりげなく拳銃を2丁ポケットに入れたそうです(=_=)

先日お話を伺った土方大尉も、除隊時にこっそりポケットに拳銃と銃弾を入れたそうです。
戦後闇市を歩くとき「与太者のように」(本人談)懐に拳銃を持ち歩き、なおかつ自室でこっそり定期的な手入れを怠らなかったそうですが、昭和40年ごろ(戦後20年間持っていたってことですか?)息子さんに手入れ中目撃されたのをきっかけに、土方大尉は拳銃を警察に持って行きました。

警官「これは・・寄付していただくことになります」
土方大尉「もし嫌だと言ったらどうなるんですか?」
警官「逮捕します」
土方大尉「うっ・・」( ̄▽ ̄;)

ちなみに土方大尉「拳銃にに装てんされている6発、最後に撃たせてもらっていいですか」と聞いたそうです。

警官「現行犯逮捕します」
土方大尉「うっ・・」( ̄▽ ̄;)←会話はイメージです

さて、新庄中尉に後日「拳銃、どうなさったんですか?」と伺ったところ
「いや~それは~内緒」とおっしゃいました。
ちょこっと聞いたところによると、「誰か」が「何か」の目的のために持って行ったとか。
それって・・・((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル


坂井三郎中尉が「食べ物よこせデモで冷蔵庫を撃った」というのは有名ですが、それよりもタハハな拳銃使用法は、島川飛曹長の話。

ラバウルにいた隊員が、木の上にじっとしている不思議な生き物を見つけました。
「なんだこれは」
「撃ってみよう」
ばーん!
「わくわく動物ランド」も「生きものバンザイ」も放映されていないころです。
その妙な動物が「ナマケモノ」ということを誰も知らなかったそうです。

勿論上官には「貴重な銃弾で何を遊んどるか!」と言って大目玉を喰らったそうですが、
かわいそうなナマケモノがどうなったかまでは島川飛曹長、書いてくれていません。






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アニメ「アイアン・ジャイアント」~特攻に見る自己犠牲の精神

2010-05-23 | 映画



「特攻」という行為を、戦後日本のある一部の人間が言うように「無駄死に」「愚かな行為」だと、
日本人以外の世界の人々も思っているでしょうか。
 
そして、彼らは、今のマスコミの言うように「国による犠牲者」で、
望まぬ死を余儀なくされただけの可愛そうな人たちなのでしょうか。

私は否、だと思います。

フランスの思想学者であり、文人、政治家でもあったアンドレ・マルローの言葉です。

「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにも代え難いものを得た。
これは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。

 ス夕-リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、
結局は権力を手に入れるための行動であった。
日本の特別特攻隊員たちはファナチック(狂信的)だったろうか。
断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかっ た。
祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。

代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、
逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。
人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。」


このアニメが、私の知る限り日本で上映されたという覚えが無く、
全く知られてもいないのは実に不思議な気がします。
エリス中尉がこのDVDを買ったのはアメリカですが、日本で購入できるのでしょうか。


米ソで冷戦が行われているころ。
少年ホガースは、森の中で身長100フィートの宇宙から来たロボットに出会います。
別の天体の破壊兵器として生まれたらしいこのロボットは、ホガースの言葉を理解し、
仲良くなります。

ところが、噂を聞いて、政府が調査と壊滅に乗り出します。
この巨大ロボットを攻撃するため、愚かにも原子ミサイルを打ち上げてしまう軍。
「もう終わりだ。このミサイルがここに戻って落ちてきたら我々は死ぬ」

ロボットはホガースに
“Stay here. Don’t follow me”
(最初に家についてこようとするロボットに、ホガースは犬に言うようにこう言った)
と言い、空に飛び立ちます。

放物線の頂点で向きを変え、落下してくるミサイル。
アイアン・ジャイアントは、最後にホガースの言葉を思い浮かべます。

「いいかい、なろうと思えば、僕らはどんなものにだってなれるんだ」

ジャイアントの顔に微笑みが浮かびます。
「・・・スーパーマン・・・」

スーパーマンらしくカッコよく飛ぶんだ、ほら、こんな風に、とホガースが教えてくれた、
片腕を前に突き出した飛び方のまま、ジャイアントはホガースや町の人々を守るため、
ミサイルに向かってまっすぐ突き進んでいくのでした。


ストーリーの途中で、スーパーマンのマンガと一緒に「アトモ」という題のマンガ本が写ります。
これは、皆さんもお察しのように、手塚治虫の「鉄腕アトム」への(英題『アストロ・ボーイ』)
オマージュだと思われます。

アトムは、地球に向かって飛んでくる流星に向かって、爆弾を抱いて突撃して果てます。
このアイアン・ジャイアントの作者が、日本の特攻にも見られる、このアトムの
「武士道的自己犠牲の精神」に強く感銘を受け、
ジャイアントの最後になぞらえたであろうことは想像に難くありません。

マルローは、またこうも言いました。

「フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。
フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、
こんなに少ない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を 抱く者もいる。

 そういう人たちに、私はいつも言ってやる。
《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、
自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。
愛する者が殺められるのを黙って見すごせるものだろうか?》と。

 私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、
 いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに
男の崇高な美学を見るのである」







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最後の遠洋航海

2010-05-21 | 海軍


何だ本日の画像は!
というわけで、「幻の笹井醇一中尉第2種軍装姿」です。
お絵かきツールって、ほんと便利。
着せ替えができてしまうんですもの・・・。
でも、ちょっとバランス悪いのは許してね。

海軍兵学校は、卒業してからすぐさま少尉候補生として「練習艦隊」と言われる遠洋航海に出るのを恒例としていました。
良き時代には北米、南米、ヨーロッパ、トルコなど、ありとあらゆるところに航海した海兵の少尉候補生でしたが、戦局急を告げ、実質最後の練習艦隊に出たのは、昭和14年ハワイに航海をした67期になります。

そうです。笹井中尉や山口定男大尉のいる67期ですヽ(^。^)ノ


当時、「練習艦隊で海外に行けるから海兵を目指した」という青年は多かったといいます。
何しろ、一生のうち一度でも外国を見られるなんて、とんでもない遠い世界のできごとであった時代です。
短剣を吊ったりりしい制服とともに、海外への卒業旅行は当時の青年たちの憧れを否が応でも高めました。

その兵学校ですが、有名な勝海舟の書からとった文字で作られた表札のある門は、実は兵学校の「裏門」なのだそうです。
表門つまり正門とは表桟橋のことで、生徒たちは入学で「裏門から入って」、卒業とともに「表門」から候補生となって遠洋航海に旅立っていくのです。

そして、世界中の寄港地で待っている数々の華やかな歓迎会、晩さん会、園遊会。
平和な時代には、これから洋々と開ける士官としての誇らしい未来に、彼ら候補生の胸はさぞ高鳴ったことでしょう。

笹井中尉ら67期の練習艦隊に話を戻します。
本来ならアメリカ本土までの航海になるところだったのでしょうが、戦雲垂れこめるこの時期、ハワイまでがきっと限界だったのだろうと思われます。

「海軍史67期」によると、
昭和14年10月4日 横須賀を出発
   同 10月18日 ホノルル
     10月24日 ヒロ
     11月8日  ヤルート
     12月20日 横須賀帰港 

新人物往来社刊の写真集「江田島海軍教育」には、この最後の練習航海の写真が掲載されています。
今日の笹井中尉のごとく2種軍装の候補生たちがハワイの在留婦人たちと映っている写真、そして、島内観光の汽車らしき車内の写真。
皆楽しそうに笑っています。

(エリス中尉はここに、笹井中尉を探して一人ひとり顔を確認するという恥ずかしいことをしてしまったことを告白いたします。勿論わかりませんでした(._.)

海兵67期に、真珠湾攻撃の九軍神のひとり、横山正治少佐(死後2階級特進)がいます。
特殊潜航艇でセントルイスへの魚雷発射後「キラ」(トラトラトラを間違えたものと思われる)と母船に打電したのち壮烈な戦死を遂げました。

屈託なく笑うハワイでの少尉候補生の中に、その横山少佐もいました。
67期候補生はこのとき、真珠湾にも立ち寄り、「ある思いを込めて」アメリカの艦隊を眺めた、と記述にはあります。
そのわずか二年後、その真珠湾が自分の命の最終地になるとは神ならぬ身の知る由もなかったでしょう。

その後、68期の日本海での練習航海をもって、海軍兵学校の卒業航海は廃止になります。

開戦直前に卒業した70期候補生の中には、卒業後ただちに実戦に参加、初陣として真珠湾攻撃に加わった者も少なくなかったということです。
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笹井中尉に叱られたい

2010-05-17 | 海軍



先日、「編隊宙返りは無かったのではないか?」という、大胆な予想をしてしまいましたが、
夜中に誰か来るわけでも、呪いの書き込みがくるわけでもなく、ほっとしているエリス中尉です。

あ、誰も見てないだけか(^_^;)

そう、「無かったのではないか」といいながら、今日の画像は何なんでしょう。
(絵、へたじゃん。なんて言わないでね。
なんならお絵かきツール、それもマウス無しで思った通りの線が描けるか試してごらんあそばせ。)

さて、編隊宙返りがばれて笹井中尉に怒られる坂井、太田、西澤の台南三羽烏。
この「笹井中尉に三人が目玉の飛び出るほど叱られた」シーンですが、
坂井氏すら書き残していない笹井中尉のお小言が見てきたかのように描かれている文書があります。
それは、あるアメリカの歴史オタクサイトです。
編隊宙返りについての記述は、「撃墜王西澤廣義」のページにありました。

余談ですが、英語のサイトで海軍関係のことを調べていて、坂井、笹井、
そして撃墜王西澤廣義、岩本徹三に関しては個人的にもかなりの記述がみられることがわかりました。

例えば、
THE LAST-DITCH EFFORTS OF THE SQUADRON OF ACE
(撃墜王隊長たちの最後の奮迅)
これは、三四三空の最後の戦いについての記述です。

この中で
「坂井三郎によると、『菅野はたいした隊長ではなかった(英語では bad leader)。
鴛渕が最小の被害しか出さなかったのに比べ、菅野のユニットからの列機の被害は、
その無謀な戦闘のため非常に多かった』ということである」

なんて記述がありました。
坂井氏の戦後の発言のせいではないでしょうが・・・いや、坂井氏のせいかな。
菅野大尉個人についての記述は英文サイトには非常に少ないと感じます。

英語のサイトをいろいろ見ていくと、投稿の中にも面白い意見があります。

例えば笹井中尉について「何故私がササイを好きか」という理由として、
「大抵のエースと言われるドライバー(アメリカではパイロットのことをこうとも言う)は、
ドッグファイトの末散った、というようなファイターらしい戦死を遂げていない。
しかし彼はそうだった」
などと語っているファン?を発見したりします。
ドッグファイトで戦死したから好きとは・・。
興味のある方はぜひ英語での検索もお勧めします。

しかし興味はあるが、英語のサイトなんて面倒くさい、と言う方のために、エリス中尉、
「笹井中尉のお小言シーン」を翻訳して差し上げますわね。


9時頃のことだった。
従兵が坂井、太田、西澤の三人を
「笹井中尉が今すぐ部屋に来るようにと言っておられる」と呼びに来た。
彼らが部屋に着くと、中尉は一通の手紙を持っていた。

「この手紙を俺がどこで手に入れたかわかるか?」彼はどなった。

 「わからんだと?教えてやる、馬鹿者ども!
これはな、数分前に敵の侵入者が落して行ったものだ!」
手紙は英語でこう書かれていた。

「ラエ司令官へ
我々は今日訪れた三人のパイロットに大変感銘を受けた。
我々の基地上での宙返りは大変気に入った。
もしもう一度本日のパイロットが今度は緑のマフラーを首に巻いて帰ってきてくれたら
大変嬉しい。
今日の訪問をよく注目して差し上げられなかったのは大変すまなかったが、
次回お目にかかるときには彼らは基地をあげての歓迎に浴するであろう」

笹井中尉が、禁令を破って敵地上空で空中パフォーマンスをするという彼らの
「馬鹿げた仕業」を目玉が飛び出るほど叱責している間、坂井、太田、西澤の三人は、
まっすぐ気をつけをしたまま笑いをこらえるのにヘラクレスのような努力をしていた。

これだけ叱られても、この台南空の3人のトップエースは、
西澤振付の「死の舞踏」(註)のダンスは値打ちがあった、と思っていたのだった。

註:「サン・サーンス作曲『交響詩 死の舞踏』のこと。
英語版では、3人でこの曲を聴いているとき、西澤廣義が『アメさんに死の舞踏を踊らせてやろう』
と提案したことからこの計画が生まれた、ということになっている。


どうですか?事実かどうかなんて、どうでもよくなりませんか?

(註:後から、この部分はマーティン・ケイデン著SAMURAI!の一節であることが分かりました)

事実はどうあれ、宙返りは「願望的実話だった」ってことで、みんなこの愛すべき話を
あえてこれ以上検証しないでいるのかもしれません。
実話だったのか?
おっと、野暮は無しにしようぜ?というところでしょうか。

そんなことより、この英語版笹井中尉、

”I’ll tell you, you fools!”

などと叫んでおられます。

ああ、中尉に気をつけをしたまま叱られたい・・・。

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大学の神様

2010-05-16 | アメリカ
TOはアメリカ東部にあるアイビーリーグの某大学に留学していました。

世界中から人が集まる有名大学ですので、大学での付き合いで仲良くなった学生同士のネットワークは実に世界中にあり、「おそらく五大陸どこに行っても案内してくれる友人は必ずいる」という関係を築けたことが最も収穫と言えることだ、とTOは言います。

スペインの名家の出で、国王から表彰されたこともあるC。
昔日本に来てドイツ医学を伝えていったベルツの子孫、M。
日本語の堪能な彼には、日本に来た時、別府地獄温泉のお土産『毎日が地獄です』Tシャツをあげました。(本日画像(^_^;)
もしドイツでこのTシャツを着ている人を見かけたら、それはMかもしれません。
メキシコ大統領になる「予定」の男性。インドの国連代表の息子。
そうそう、シーボルトの親族、というドイツ人もいましたっけ。
そういう綺羅星のような学生の中に混じってなぜうちの父ちゃんが、と思わないでもない日々ではありましたが・・、

ともあれ、彼らは―たとえ国同士が仲が悪いとされている国の出身でも―不思議なくらい仲良く、互いを尊重しあう学生生活を送っていたように思います。

例えばこんなことがありました。
日、中、韓三か国の学生たちの間で親睦会がもたれ、みんなで一度飲み会をしました。
貨幣価値がだいぶ日韓とは違う中国学生のことを考慮して、出来るだけお金のかからないところが選ばれたのですが、やはり彼らには負担だったようです。
日韓の学生は中国学生たちに気を遣い、彼らを誘うのは遠慮するようになったということです。

その大学生活の中である日こんな事件が起こりました。

ある中国出身の女子学生が、試験前にコンピュータを破損させました。
そこには試験のための大事なデータが入っていたらしいのですが、破損の原因というのがコーヒーをこぼしたことだった、というのです。

何故、試験前に大事なコンピュータの上でコーヒーを飲む?という突っ込みはさておき、困った彼女は、クラス全員に助けを求めるメールを送りました。

データは自力で何とかする。
とりあえず余ったPCがあったら誰か貸してはくれないだろうか。

TOも、なんとかなればいいとその収拾については気をもんでいたのですが、ほどなく彼女から再びクラス全員に宛ててメールが来たのです。

そのメールには驚くべきことが書かれていました。

「先日私のロッカーに2000ドルの(当時で22~3万円)現金のはいった封筒を入れてくれた人へ。
どなたか存じませんが、このお金は私のコンピュータに充てるべきものとしてあなたが下さったものだと思います。
私は今本当に困っているので、これを使わせていただきます。
しかし、このお金をもらってしまうわけにはいきません。
これを見ている中に、その誰かがおられたら、私だけにその名前を教えてください。
何年先になるかはわかりませんが、必ずそのうちお返しします」


今、中国は富裕層を多出しています。
あの大学に留学を果たした優秀な女子学生は、きっと今頃その一員になって、その良き隣人にお金を返したことと信じます。
もし、彼女のメールに答えて誰かが名乗り出ていれば、ですが。

こんなおとぎ話は、日本ではありえないことのように思います。

でも。
何人もの大統領を輩出し、アラブの石油王やイラクの王族(ビンラディンの息子もかつて学んだそうです)各国の要人の子弟が多く学ぶこの大学。
世界中の学生の憧れであるこの大学。
国や民族にかかわりなく、みながひとつの学問に情熱を傾けるこの大学。

この大学の教室で隣に神様が座っていたとしても、なんら不思議なことではないような気もした当時のエリス中尉でした。

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菅野直伝説その1

2010-05-10 | 海軍人物伝

菅野直(なおし)。海兵69期卒、海軍中佐(最終位)


やんちゃで生意気、向こうっ気が強く破天荒。
ひとたび知己を得て仲間や部下になれば、厚情を惜しまないのですが、少なくとも初対面の人間にさわやかな印象を与える礼儀正しい好青年というタイプではなかったようです。
誰もそんなこと思っていないって?(^_^;)


さて、ある日、菅野隊長、フィリピンのマバラカット基地と間違えてバンバン基地に着陸してしまいました。(ニコルスに行くつもりでマバラカット着陸説もあり)指揮所に行ってこの基地の司令に報告したところ、
「貴様誰だ。自分の部隊の飛行場をまちがえるとは何事だ」
と、叱られたというのです。

「君が有名な菅野大尉か。しかし、着陸する飛行場を間違えるようでは名パイロットとは言えないぞ」
と言われた、という説もあります。
こちらは何かと創作の多い豊田穣さんの「小説」中の記述ですし、推測される菅野大尉の性格から言って、航法ができないことをからかわれることより、「貴様誰だ」と一蹴されたことのほうがムカつくことだったに違いありません。

そして「貴様の着陸するのは向こうだ」とえらそうに言って、適当な方向を指差されたということです。

列機の杉田庄一上飛曹や笠井智一上飛曹が
「うちの隊長と知らずにあんなこと言って・・・」
とはらはらしながら見ていると、案の定菅野大尉の顔は
「プーッとふくれた」


そうです。

「絶対何かやるぞ」という列機の皆さんの予想を裏切ることなく、菅野隊長、出発線に着く前に数機の零戦のお尻を指揮所に向けたまま一斉にエンジン始動させ、プロペラ気流で指揮所のテントを吹き飛ばし、指令所の指揮官たちに砂埃を浴びせてさっさと飛び立ってしまいました。


というわけで、菅野直伝説、まだまだ続く。

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編隊宙返りは事実だったのか

2010-05-02 | 海軍



多くの方がそうであるように、エリス中尉もこの世界へのきっかけは「大空のサムライ」でした。
あらゆるエピソードにあるときは手に汗握り、ある時は涙し、大笑いし、魅力的な登場人物には憧れ
(笹井中尉のことですね)・・・。

名作だと思います。

しかし、いろいろな本や資料を当たっているうちに、
「これはある種の創作だ」との確信を強くしていきました。

実際、大空のサムライは、坂井氏にインタビューしたライターが名文で書き著したもの、
というのがその筋の定説です。
あくまでも語ったことであるので、人名、日時、など、別の本では全く違っているということが
多々起こっているのです。

もちろん、坂井氏が全く無かったことを語るはずがありません。(と今は言っておきます)
笹井中尉との別れや、三段跳び撃墜など、「確かにあったこと」が殆どだとは思います。

さて、「編隊宙返り事件」という有名なエピソードがあります。

ご存じない方はいないと思いますが、一応記しておくと、
「坂井、西澤廣義、太田敏夫の三人がモレスビーの敵基地上空編隊宙返りを計6回行い、
それを攻撃せず見守った敵軍から後日
『次回は緑のマフラーを着けて来られたし、歓迎しよう』という果たし状が来た」

という事件です。

エリス中尉、この事件でものすごく疑問に思うことがあります。
我らが笹井中尉がこの果たし状を「やくざみたいで厭だ」といって握りつぶしてしまった、
というくだりです。

 何故、坂井さんはそれを、そして握りつぶしてしまった手紙の中身までを知っていたのでしょう?
いくら仲がいいと言っても、彼らを「目玉の飛び出るほど叱った」笹井中尉が坂井さんに
「いや~、こんな手紙が来てたけど、握りつぶしちゃったよ(^^ゞ」
なんて言うものでしょうか。
だいたいそれだと、握りつぶした、とは言いませんよね。

 坂井さんはあくまでも「・・・ということである」という言い方でこの事件の顛末を語っているのですが、
どのようにしてそれを知ったか、どこを見てもそのような記述はありません。
「笹井中尉は文字も一字一字楷書でしたためるようなサムライだったので、
こんなやくざみたいなことは厭だ、とでも考えたので『あろう』」
これも笹井中尉が
「俺、こんなヤクザなことはイヤなんだよね(-_-メ)」
と坂井さんに言ったわけではなさそうです。

坂井三郎のファンからバッシングを受けるのを覚悟で書いてしまいます。

「編隊宙返りは実話ではなかったのではないか?」

あくまでも、この疑惑はエリス中尉の勝手な妄想ですので、読み流していただきたいのですが、
この話には非常に不審な点が多いのです。

まず、行われた日時が明確ではないこと。(5月17日、6月25日両説あり)
そして、この事件について全くモレスビー基地側に記録がないこと。

1点目について。
この3人が同時に搭乗割に入っていた攻撃というのはそう何度もないと言われています。
その中で、このように攻撃後わざわざ基地まで行く余裕のあった日ははたしてあったのでしょうか。
5月17日は同隊の山口中尉が自爆しそれを見届けた日で、そんな時間は無かったはずですし、
6月25日には太田兵曹が一緒に出撃していません。
(碇義武著:「大空のサムライ」研究読本より)

そして2点目。
坂井さんは一度禁令を破って単機でモレスビー基地を機銃攻撃したことがあります。
戦後、当時モレスビー基地に勤務していた豪州軍の元兵士が、
「たった一機で現れたゼロが機銃掃射していった。私はその弾丸を2つ持っているが、
あのゼロはサカイだったのか」
と坂井さんに面会を求め、それが日時の一致によって坂井機であることが判明した、
という出来事がありました。

もし、編隊宙返りをモレスビー基地の何人もが目撃していたなら、その中の一人くらいは
この元兵士のように戦後「大空のサムライ」を読み、名乗り出るのでは?と思うのです。
連合軍の記録にも、全くそのようなものはないそうです。

そして、大変書きにくいのですが
「太田、西澤両名ともに亡くなってしまってそれを裏付ける証言をする人間はいなかった」という事実。

ここからは想像です。
坂井、西澤、太田の三人の間で
「一度敵基地上空で編隊宙返りなんてどうだい」「それは面白そうだな」「いつかやってやろうぜ」
という話ぐらいはきっとあったのだろうと思います。
しかし実際は話だけで終わってしまったのではないでしょうか。
戦後、最も痛快で胸のすく「本の為のエピソード」として、この「計画」を坂井さんが筆者と相談の上
「あったことにした」というのがエリス中尉の大胆な予想です。

とはいえ、編隊宙返りは既に愛すべきストーリーとしてすでに世界中の「サムライ」ファンの中に
生きています。

「white lie」(罪のないウソ)という言葉があります。
坂井さんがこの「創作」をしたからといって、それを責めるには当たらないのではないでしょうか。
何よりも、このストーリーには、坂井さんの散って行った仲間に対する心からのオマージュが
込められていると思うからです。

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