
終わりに近づいた終わりに近づいたと言いながら、
小ネタを引っ張り続けてなかなか終わらなかった
USS「リトルロック」シリーズ、今日が本当の最終回となります。

北極圏到達を意味する「ブルーノーズ」の言葉通り、
ブルーに塗装された舳先の手前には、「カメラマーク」があります。
ここに立って記念写真を撮るもよし、ここから撮影するもよし。
って意味だと思います。
わたしも実際にここに立ってみたのですが、
真っ先に左舷側に見えているカモメに目が行きました。

「リトルロック」を係留している杭は彼らにとってちょうどいい休み場所。
いかに活用されているかがマーキングされた白い筋でわかりますね。


北極圏到達を意味する「ブルーノーズ」の言葉通り、
ブルーに塗装された舳先の手前には、「カメラマーク」があります。
ここに立って記念写真を撮るもよし、ここから撮影するもよし。
って意味だと思います。
わたしも実際にここに立ってみたのですが、
真っ先に左舷側に見えているカモメに目が行きました。

「リトルロック」を係留している杭は彼らにとってちょうどいい休み場所。
いかに活用されているかがマーキングされた白い筋でわかりますね。

ここは港からエリー湖に出るための水路にあたります。
個人所有のボートやレンタルのディンギーなどが湖から帰ってきています。

「リトルロック」艦首から、巨大な星条旗を正面に望む壮観な景色。
旗が立っているモニュメントは、エリー郡出身の戦死者のための碑です。
画面手前に見える旗は、隣に係留された潜水艦「クローカー」の艦首旗で、
Jack of the United States=国籍旗です。

個人所有のボートやレンタルのディンギーなどが湖から帰ってきています。

「リトルロック」艦首から、巨大な星条旗を正面に望む壮観な景色。
旗が立っているモニュメントは、エリー郡出身の戦死者のための碑です。
画面手前に見える旗は、隣に係留された潜水艦「クローカー」の艦首旗で、
Jack of the United States=国籍旗です。

アメリカの州の数だけ星のある国籍旗は、
「ユニオン・ジャック」といい、現在の海軍で使用されています。
アメリカ建国200周年には、1年間限定で↓この、

「私を踏みつけるな」とヘビが言っている
「ファーストネイビージャック」が使用されていました。
その後、2002年に同時多発テロが発生したのをきっかけに、
長らくこのヘビ柄が国籍旗となっていたのですが、
2019年に元に戻されて現在に至ります。
ちなみに、現行旗に戻したのは2019年6月4日、
そう、「ミッドウェー記念日」でした。なんでやねん。

艦首に立って後ろを見ると、こんな光景が。

「ユニオン・ジャック」といい、現在の海軍で使用されています。
アメリカ建国200周年には、1年間限定で↓この、

「私を踏みつけるな」とヘビが言っている
「ファーストネイビージャック」が使用されていました。
その後、2002年に同時多発テロが発生したのをきっかけに、
長らくこのヘビ柄が国籍旗となっていたのですが、
2019年に元に戻されて現在に至ります。
ちなみに、現行旗に戻したのは2019年6月4日、
そう、「ミッドウェー記念日」でした。なんでやねん。

艦首に立って後ろを見ると、こんな光景が。

残念だったのは、見学路が非常にリミテッドで、
上部構造物の内部は一切見ることができなかったことです。
今のところ「リトルロック」は一般に向けては公開していないところが多く、
一番見てみたい艦橋はその予定もなさそうです。
出資者とか、特別な団体には公開しているのかもしれませんが。
そんなことを考えながらこの写真を撮っていて、ふと気づきました。

上部構造物の内部は一切見ることができなかったことです。
今のところ「リトルロック」は一般に向けては公開していないところが多く、
一番見てみたい艦橋はその予定もなさそうです。
出資者とか、特別な団体には公開しているのかもしれませんが。
そんなことを考えながらこの写真を撮っていて、ふと気づきました。

誰も入れないはずの艦橋デッキに人がいるぞ!
おじさんの佇まいから見るに、もろに一般人なのですが、
なぜ、こんな格好でこんなところにいるのか?
一般見学通路を歩いている限り、決して上れないところに
どうやって上がって、そして何をしているのか?
色々謎なんですが、もしかしたら「中の人」かもしれないなあ。
中の人、つまり「リトルロックアソシエーション」のメンバー。
同協会は、ニューヨーク州で法人化された非営利団体で、
主に「リトルロック」の乗組員だった退役軍人で構成されています。
おじさんの佇まいから見るに、もろに一般人なのですが、
なぜ、こんな格好でこんなところにいるのか?
一般見学通路を歩いている限り、決して上れないところに
どうやって上がって、そして何をしているのか?
色々謎なんですが、もしかしたら「中の人」かもしれないなあ。
中の人、つまり「リトルロックアソシエーション」のメンバー。
同協会は、ニューヨーク州で法人化された非営利団体で、
主に「リトルロック」の乗組員だった退役軍人で構成されています。

しかし、おじさんをさらにアップにしてみると、その腕には
明らかに入場料を払って付けてもらう入館証がはめられてるんですよ。

まあいいや。気を取り直して、廊下を歩いてみる。
黄色い線は見学路ですが、少なくとも廊下からは
上部に続く入り口はなかったんだよなあ・・・・
■ ホーリーストーン

黄色い線は見学路ですが、少なくとも廊下からは
上部に続く入り口はなかったんだよなあ・・・・
■ ホーリーストーン

廊下を歩いていると不意に現れた海軍豆知識コーナー。
写真がそもそもわかりにくすぎるんですが、
Holystone(ホーリーストーン)
の説明とあります。
写真がそもそもわかりにくすぎるんですが、
Holystone(ホーリーストーン)
の説明とあります。
はて、「神聖なる石」とはなんぞや。
この写真に付けられたキャプションによると以下の通り。
この写真に付けられたキャプションによると以下の通り。
ホーリーストーンは、軟らかくもろい砂岩で、かつては英国海軍や米国海軍で
船の甲板を洗浄し白くするために使用されていました。
船の甲板を洗浄し白くするために使用されていました。
英国海軍では、この用語(聖なる)の起源としてさまざまな説が伝わっており、
グレート・ヤーマスの聖ニコラス教会の壊れた記念碑の石であるという説や、
グレート・ヤーマスの聖ニコラス教会の壊れた記念碑の石であるという説や、
ワイト島のセント・ヘレンズ道路の停泊地に隣接する、
廃墟となったセント・ヘレンズ教会で、
海軍軍艦が食料を調達することが多かったから、という説などがあります。
なるほど、教会や石碑の石ならそれはホーリーかもしれない。
ところが、アメリカ海軍では語源はともかく、
「デッキのホーリーストーン作業」は、もともと
祈りを捧げるようにひざまずいて行われたから、とされている模様。
ところが、アメリカ海軍では語源はともかく、
「デッキのホーリーストーン作業」は、もともと
祈りを捧げるようにひざまずいて行われたから、とされている模様。
■イギリス海軍のホーリーストーン作業

イギリス海軍のHMS「パンドラ」における「ホーリーストーンニング」。
彼らが手に持っている豆腐のような物体がホーリーストーンです。
それにしても、左側で水兵帽を後ろ前に被ってるニイちゃんとか、
真ん中へんで変なものを舌に乗っけてるやつとか、
イギリス海軍もなかなかフリーダムよの。
しかし、このお茶目な雰囲気は、作業を命じる側にしか見られず、
ひざまづいている水兵さんたちの表情は心なしかひきつって硬いです。
やっぱり床を這いつくばって掃除するっていうのは、
そもそも靴で生活しているガイジンさんにはかなりキツいんじゃなかろうか。
そういえば、初期のイギリス海軍のストーンニングについては、
当事者のこんな告白が残されているのです。
やっぱり床を這いつくばって掃除するっていうのは、
そもそも靴で生活しているガイジンさんにはかなりキツいんじゃなかろうか。
そういえば、初期のイギリス海軍のストーンニングについては、
当事者のこんな告白が残されているのです。
我々は朝の4時から8時まで甲板を磨き続けるのだ。
もし休息を取ろうものなら、顔を蹴られて血を流す。
その後、血を洗い流してから艦長に報告をする。
すると、何の理由もなく鞭打ちの刑に処せられるのだ。
その後、血を洗い流してから艦長に報告をする。
すると、何の理由もなく鞭打ちの刑に処せられるのだ。
—1796年4月24日、HMS Eurydiceの乗組員による嘆願書より
うわーこれは超ブラック。
この頃の英国海軍は、港でめぼしい男性を攫って船に乗せてましたからね。
最初から乗組員を人間扱いしていません。
ホーリーストーンは1800年代初頭まで英国海軍の艦船の日常的な作業で、
嘆願書の出された1796年にはピークに達していました。
英国海軍の偉い人だったセント・ヴィンセント提督が、
嘆願書の出された1796年にはピークに達していました。
英国海軍の偉い人だったセント・ヴィンセント提督が、
艦長たちに艦隊の全艦の甲板を、
「夏の間は朝夕毎日ホーリーストーンするように」
といらんおふれを出したからです。
「夏の間は朝夕毎日ホーリーストーンするように」
といらんおふれを出したからです。

ジョン・ジャーヴィス (初代セント・ヴィンセント伯爵)
大型の戦列艦の場合、この作業には最大4時間を要しました。
そのあまりの苛烈な待遇に、ついに乗組員が根を上げて、
お上に嘆願書を上げるという事態になったことが想像されます。
それがセント・ヴィンセントの後任、キース提督に聞き入れられたようで、
1801年にこの命令は撤回されています。
「あらゆる気候、あらゆる気温において、定められた日に
天候がどうであろうと、軍艦の甲板を洗うという慣習は、
乗組員の健康と生命を損なうほど過酷である」
1801年にこの命令は撤回されています。
「あらゆる気候、あらゆる気温において、定められた日に
天候がどうであろうと、軍艦の甲板を洗うという慣習は、
乗組員の健康と生命を損なうほど過酷である」
と判断されたためです。
その後甲板掃除はどうなったかというと、
7日から14日に1度、掃き掃除を挟んで実施されるようになった。
いやこれはなんか振り幅極端すぎない?
毎日4時間もかけるから問題になるんであって、
ちょこちょこっとでいいから毎日やったらいいのでは?
しかも、こんな記述を見つけてしまいました。
ホーリーストーン作業は、19世紀から20世紀初頭にかけて
海軍の日常業務の一部として継続されていたが、最終的には単に、
そうしなければ暇を持て余す乗組員を働かせるための手段とみなされていた。
その実用性のなさは、1875年の英国医学ジャーナルなどにも示されている。
このとき記されていた助言では、
「甲板のホーリーストーン作業のように、
単に彼らを働かせておくだけの役に立たない作業に従事させるのは危険だ」
と警告すらされていたというのです。
海軍の日常業務の一部として継続されていたが、最終的には単に、
そうしなければ暇を持て余す乗組員を働かせるための手段とみなされていた。
その実用性のなさは、1875年の英国医学ジャーナルなどにも示されている。
このとき記されていた助言では、
「甲板のホーリーストーン作業のように、
単に彼らを働かせておくだけの役に立たない作業に従事させるのは危険だ」
と警告すらされていたというのです。
つまり、甲板掃除の目的は「下っぱいじめ」であったってことですよね。
だから、改正するなり掃除が週一とか2週に一回になってしまうんでしょ?
欧米は清掃と精神性は全く別物で、高潔な精神と不潔な環境は共存します。
子供に教室の掃除をさせる日本の教育はかなり異質に見えるそうです。
もちろん我が帝国海軍では、甲板掃除は毎日行われ、
水兵さんたちは下士官に「回れ!回れ!」と声をかけられながら、
この「パンドラ」の水兵さんのポーズでソーフ(雑巾)がけをしてました。
もちろん甲板掃除に4時間もかけることはありません。
なぜって日本の掃除は「いじめ」が目的ではなく、清掃が目的ですから。
水兵さんたちは下士官に「回れ!回れ!」と声をかけられながら、
この「パンドラ」の水兵さんのポーズでソーフ(雑巾)がけをしてました。
もちろん甲板掃除に4時間もかけることはありません。
なぜって日本の掃除は「いじめ」が目的ではなく、清掃が目的ですから。
アメリカ海軍はもう少し合理的な理由でホーリーストーンが廃れました。
ズバリ、
甲板の磨耗が早すぎて経費がかかりすぎる
ズバリ、
甲板の磨耗が早すぎて経費がかかりすぎる
からです。
そして、ひざまずくスタイルも変遷していきます。
「リトルロック」の写真を見ていただければお分かりのように、
最終的には、ホーリーストーン作業はひざまずいて行うことはなくなり、
石の平らな側面のくぼみに棒を立てて、腕や手で支えながら、
板目方向に前後に動かして行うようになりました。
石の平らな側面のくぼみに棒を立てて、腕や手で支えながら、
板目方向に前後に動かして行うようになりました。
要するにモップがけと同じになったってことですね。
1949年夏にUSS「ミズーリ」で兵学校卒業後の遠洋航海が行われ、
参加した当時の少尉候補生がこんなことを書いています。

私たちはそれをボイラーの断熱材に使うものだと教えられましたが、
実際にはそうではありませんでした。
30~40人のグループが、4~5インチの厚さの板の後ろに立ち、
他の者たちと息を合わせてストーンを前後に動かします。
責任者の号令で全員が板1枚分後ろに下がってから
再び「シフト」の号令で同じ作業を繰り返します。
確か、作業には海水と砂が使われたと思います。
海水で洗い流し、日光で漂白すると、ポーツマスに到着する直前に、
きれいな白い甲板が完成しました。
実際にはそうではありませんでした。
30~40人のグループが、4~5インチの厚さの板の後ろに立ち、
他の者たちと息を合わせてストーンを前後に動かします。
責任者の号令で全員が板1枚分後ろに下がってから
再び「シフト」の号令で同じ作業を繰り返します。
確か、作業には海水と砂が使われたと思います。
海水で洗い流し、日光で漂白すると、ポーツマスに到着する直前に、
きれいな白い甲板が完成しました。
ホーリーストーンは、1980年代まで遠洋型掃海艇では行われました。
なぜかというと、掃海艇の船体は避雷のため木製だったので、
船首楼と船尾楼にはチーク材の甲板が敷かれていたのです。
木製の甲板は風化による汚れを落とすために徹底的な掃除が必要でした。
なぜかというと、掃海艇の船体は避雷のため木製だったので、
船首楼と船尾楼にはチーク材の甲板が敷かれていたのです。
木製の甲板は風化による汚れを落とすために徹底的な掃除が必要でした。
ちなみに小さなホーリーストーンは「祈祷書」、
大きなものは「聖書」と呼ばれていました。
あくまでホーリーにこだわっています。
ホーリーストーン作業は、チーク材の甲板を備えた
「アイオワ」級戦艦で1990年代まで続けられました。
そして、現在ではアメリカ艦隊で最後の木製甲板の軍艦である、
USS「コンスティチューション」、
ドイツ海軍から沿岸警備隊に移管され現役の
USCGC 「イーグル」Eagle、WIX-327(『ホルスト・ヴェッセル』)
などで、この伝統の作業が時々行われています。
USS「コンスティチューション」、
ドイツ海軍から沿岸警備隊に移管され現役の
USCGC 「イーグル」Eagle、WIX-327(『ホルスト・ヴェッセル』)
などで、この伝統の作業が時々行われています。

「イーグル」
続く。(えっ)
続く。(えっ)
人間、やることがなければ、ろくなことにならないので、この作業には意義があったと思いますが、いじめになってしまっては、やり過ぎですね。
商船なら、運航に必要な頭数がいれば、走らせることが出来るのですが、軍艦の場合、戦闘のように、ただ走らせるだけに必要な頭数だけでは足りず、大人数が必要な時がありますが、そういう時にだけ必要な人は、普段はやることがないので、何らかの作業をさせる必要があります。だから、こういうことになったのでしょうね。
ヴェッセルはヒモ同士のいざこざで殺されたポン引きですが、生前投稿していた詩が党歌になって、それに伴い神格化された人物です。1978年「ジャスト・ア・ジゴロ」でデビッド・ボウイが演じた主人公のモデルという程ではないにせよ、着想を与えたであろう人物です。ちなみに同作はマレーネ・ディートリッヒの遺作です('ω')
この映画、観たことありますが、今さら調べてみたら、キム・ノヴァク、クルト・ユルゲンス(眼下の敵の人)そしてマレーネ・ディートリッヒが出てたんですね。
改めてびっくりしました。
そして、あらすじを読んでみたら、まさにホルスト・ヴェッセルであることに納得。
昔観た時には背景を全く知らなかったんだな。
作品の評価は低いですが、怖いもの見たさでもう一度観てみたくなりました。