ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

スマート=我慢?

2010-11-30 | 海軍
防衛庁資料室に最初に行ったときに

「うわああああ」

と内心叫んでしまったんですが、そこに、いたんですよ。
画面左の制服の方が!

中の人には一体なんでそんな興奮するのか、と言われかねないはしゃぎようなのですが、防衛庁の資料室、御存じではないかもしれませんが、すごく狭いんですよね。
その狭い同じ空間に、幹部常装第三種夏服の自衛官が!

チラ見(ガン見?)させていただいたところによると、古い戦史資料を広げておられました。
論文を書くための資料調べをされていたのでしょうか。

第三種夏服は、旧海軍よりこちらの方がかっこいい気がするのですが、色が白だからでしょうか。
カーキの第三種夏服が嫌いで、
「陸軍みたいな恰好しよって」
って言ったのは、井上大将でしたかね。

白の二種軍装をいつも身に着けていたはずの山本司令は、戦死したとき、よりによっていつもは嫌っていたはずの第三種軍装だったそうです。
この一事を以てしても、御本人には不本意だったのではないかと思うのですが・・・。

画像右は、三種夏服画像を探していて拾いもの?で見つけた幹部の「雨用トレンチコート」!
いやあ、かっこよいですなあ。
赤い腕章は「なんたら係」の印ですが、何となくナチス風味ですね。
袖に階級章、肩章もついています。
先日、「軍服のときは傘禁止」という旧日本軍のみならずワールドワイドな軍人の掟の話をしましたが、現代でもそうなのですね。
このコートの素材はナイロンぽく、はっ水性があるように見えます。
そして、軍帽には透明のカバーを掛けているそうです。


という具合に、エリス中尉旧海軍のそれに勝るとも劣らず、自衛官の制服姿、大好きです。
みんな異常に男前が上がりますよねー。凛々しくて。
観艦式の答舷令や観閲式などで行進しているのを見ると、
「今の日本にこんな背筋の伸びた男たちがまだいるのか!」
とため息をついてしまいます。


先日「海上自衛隊 幹部候補生 江田島の青春」
というドキュメンタリーDVDを購入しました。

DVDパッケージにこの三種夏服で行進している幹部候補生の皆さん。
これはもしかしたら、
現代の「勝利の礎」ですか?


この映画についてはまた違う日に詳しく書きたいのですが、今日は「制服」について。

海上士官の制服は旧海軍の第一種にあたるのが黒ダブルのスーツ。
帽子は季節を問わず旧軍の夏用のような白です。

週末に「上陸」するとき、この服装で点検を受けるのですが、赤鬼青鬼と呼ばれる監事付きという指導係がほとんど荒さがしのように服装を点検します。
分隊(一四人程度)隊長が事前に点検しておくのですが、とんでもないところを見つけ出し(ほとんどイチャモン)たとえば
「ボタンが真サイドになっていない」
「ボタン不備!」
一人の(それも分隊長の)ボタンの歪みで、全員が点検のしなおしです。
「不備者14名、再点検者14名!」
14名全員がもう一度点検し直すことを宣言。

30分後
「ネクタイのプレス不備!」(それも分隊長の)・・・・・orz

可哀そうに、この分隊は2回の上陸止めその他で2時間も休憩が短くなってしまいました。
「連帯責任」で、分隊一四人全員が外出延期です。


江田島の幹部学校に入校したその日に生徒たちは言葉は丁寧にですが、散髪屋に行かされ、いやがおうにも「それらしい髪型」(クルーカット)にされてしまいます。

いまでも、海軍さんのモットーは「一にスマート二にスマート、三、四が無くて・・」
なのだそう。

しかし、そのスマートな制服を着たまま立てなくなるほど腕立て伏せをさせられるのもまた海軍。
土の上に黒い制服のままへたり込み、滴り落ちる汗をぬぐう元気も残っていない候補生たち。

この士官候補生全員、この後制服をクリーニングしたのだろうか?
と余計な心配をしてしまったエリス中尉です。
制服って「誇り」を形にしたものですからね。
埃だらけじゃまずかろう。

(それにしても、自衛官の制服の縫製をよりによって中国に発注すると言った馬鹿大臣のレン4、誰かなんとか言ってやってくれませんかね?
なんとかして自衛隊の士気を下げようと、官房長官以下必死の民主党ですが、これはそういう精神的な悪影響だけでなく、セキュリティ上にも大きな問題が生ずると思うんですが、こういうことの思いが至らないってのも、所詮中国人だからかしら?)


おまけに、「一にスマート」の海自では艦船に乗艦するとき、今日画像の半袖の制服で寒空でもデッキでは「平気な顔をして我慢していなくてはいけない」そうなのです。
まさに「伊達の薄着」です。

海軍伝統の「スマート」とは、「一に我慢、二に我慢」の賜物であるのかもしれません。



でも、このドキュメンタリー、途中で候補生の皆さんが上陸し下宿やお店でビールを一杯、ってやっている様子も映されるのですが、制服姿とジャージやださださのシャツ姿の落差に

がっくり・・・・・・ orz

とはいえこちらが「素の姿」。
あの凛々しい士官が実はこういう(ごにょごにょ)だったのね。
それにしても、制服の魔力ってすごいなあ・・・・。
という驚きもあって、このDVD、意外なところで楽しめました。

でもあれですね。
若い娘さんが制服姿に憧れて私服でデートしたら幻滅、ってことあるかも・・・。

いやいやいや、そのきりりとしたまなざしと身のこなし、はっきりとした歯切れのいい喋り方は隠しようもなく「海軍軍人」。
どんなイモジャーに身をやつしていても、見る人が見ればわかります!







報道の意味

2010-11-29 | 日本のこと
スネークマンショーだったか、戦場で、負傷した兵士に
「痛いですか~?」
とインタビューする報道のギャグがありました。

あまりにも不謹慎なので、穏便な文句に変えてマンガにしましたが、
・・・まあ、似たようなものですね。

スネークマンショーも、この漫画も「ありえねえ」
からこそギャグ(笑えない方の)になっているのですが、マスコミの報道には、冷静に見ると
こういうシチュエーションと大差ないほどの外道なものが、それこそ数多くあります。

たとえば。

F1レーサーの片山右京氏が、富士山で遭難した事件がありました。

ご存知ない方のために概要を説明すると

南極最高峰登山のトレーニングのため富士山登山計画
山頂を目指すも天候不順のため諦めてビバーグ(←非常に正しい決定)
強風で中に人がいるままテントが飛ばされる(地震の影響も危惧される)
テントに人が入ったまま滑落(8合目付近と見られている)
事態を知った右京氏は滑落した仲間のところへ急行
しかし富士山の滑落は角度も急なため危険度大、残念ながら一名は死亡
もう一人もけがをしていて下山不能
生存者に毛布をかけ保温し、救助を呼ぶため6合目まで高度下げて通報
その後、生存者を救うため再度現場の8合目へ登る
しかし生存していたもう一名も死亡と見られる状態に
悔しいが、とにかく救助隊と合流し現場位置を知らせるため下山
下山中に救助隊と遭遇に成功、現場を知らせ「自分も救助に加わりたい」と申し出るも救助隊により却下され下山


この、下山直後のインタビューが、外道報道でした。
憔悴しきった右京氏にマイクを突き付け

「二人の最後はどうでしたか?」
「(二人を置いて)降りるときどんな気持ちでしたか?」



サリン事件のとき、路上でぐったりしている人にマイクを突き付け

「どんな匂いがしましたか」

と聞いている外道記者もいました。
ね?
画像のマンガやスネークマンショーと変わらないですよね。


「報道する義務」というより「権利」は、しばしば彼らの常識や、報道されるものの心理に思い至るだけの想像力を麻痺させるもののようです。
そして、現場での彼らは、傲慢としか言えない態度をしばしば表わします。

中川昭一氏の葬儀に参列したとき、カメラを立てた報道陣の態度に怒りを覚えました。
悲痛な顔をしている参列者のなかから「写真を撮るべき」人間を見つけ出し、バシャバシャやり始める。
それが彼らの仕事ですが、仕事で来ている彼らに他人の死に対して共感するものは何もないとはいえ、せめて敬意を払ってほしい。
こそこそ仲間内で時間潰しの談笑をする、ときどきそこから笑いが起きる。

何人かの参列者がそちらをにらんでも、蛙の面に水でした。



さて、本日このような稿を書くきっかけは、陪審員裁判で二件目の死刑判決が出たことを受けてです。

最初の死刑判決の時の報道は、皆さん目にされたことと思います。
これが人間のすることかと思われる残虐な方法でなされた殺人事件の審理中、
エリス中尉はずっとその「報道の在り方」を注視していました。

「電動鋸事件」
と言われるこの事件の審理に携わった陪審員は、当然のことながら状況を判断するための現場写真、殺害に使用された「据え付け式の鋸」の実物を目にするわけです。


全員が目を通したが、すぐに目を背ける男性や、ほかの裁判員の様子をうかがう女性も。30秒ほどで朝山裁判長が促し、回収させた。ナイフや電動のこぎりも証拠として提示されたが、すぐに下げられた。

 また、殺害現場となったホテル浴室の現場の状況について、検察官が共犯者の供述調書を朗読すると、若い補充裁判員は両手で顔を覆い、うずくまるような仕草をした。



ここで聞きたい。

こういうことを報道することによって、何を伝えたいのか。
さらに死刑を支持した判決を出した陪審員に、何のために感想を聞くのか。
「重い責任と重圧を持って判断した」
という以外の答があるとでも思っているのか。
このように、明らかにインタビューの答が決まりきっていることを、なぜあえて聞くのか。



実は、エリス中尉の身内に法曹界に身を置く人物がいます。
この陪審員へのインタビュー、たとえ顔を隠していたとしても、
「いったいどうよ」
とインタビューしてみました。答は
「よくない。絶対よくない」
とのこと。
裁かれるべき事件がセンセーショナルであるほど、法廷そのものがセンセーショナルに持ち上げられるなど、法の厳正運用と中立にとって障害となることはないと。
そもそも、守秘義務の厳正運用の観点から、今法律専門家の間でもこの報道については危惧の声が上がっている
との「中の人」の話でした。


審理の女神は手に秤を持ち、目隠しをしています。
民間陪審員制度を導入することによって、女神の眼隠しはこのような形で半分見える状態に、つまり情実が絡まざるを得ない状態になっているのではないか?
これはエリス中尉の杞憂でしょうか。

さらに言えば、こういう風になることが予想されるから、日本人には陪審員制度は無理、という意見も数多くあったのでしょうね。


死刑反対を訴える団体の主張には、犯罪者の人権を守るというもののほかに
「死刑を執行する人間の人権」
「死刑判決を出す裁判長の人権」
などもあるようです。
(彼らの主張について詳しく調べたわけではありませんので念のため)

特に死刑の執行については誰が押したかわからないようにボタンが3つある、という日本人ならではの執行官に対する配慮もあるそうです。
そして死刑に携わった人間が
「何か身内や自分に事件事故が起こるたびに、因果や祟りではないかと思う」
という考えに至るといった、日本人特有のウェットなメンタリティに対する配慮でしょうか。

法の厳正はもっともだが、残酷な死刑に手を下すことによって自らが殺人者になるのは誰もがイヤ、だから死刑は無くしましょう、というのが死刑廃止論の概要ではないかと思います。

こうやって、その「負担」をプロフェッショナルではなく市井の人々に押し付けてそれをさらに入念に報道し、「死刑廃止」へ持って行きたい、というのが
もしかしたらこの件における報道の意図でしょうか?

死刑執行の判を事務的に押した鳩山法相(当時)を「死神」呼ばわりした朝日新聞の意図は、少なくとも分かりやすくはっきりしていますよね。


穿ち過ぎですか?

穿ち過ぎて穴だらけになったついでです。
今回少年犯罪で初の死刑判決となった陪審員のうち二人が顔を出してインタビューに応じました。

「どんなに悩んで結論を出しても、被告や被害者はどちらかは納得がいかない。
一生悩み続けるんだなと思った」
「(ほかの裁判員の)皆さんも具合の悪い精神状態になったが、私自身は参加できてよかったと思います」

(もう一人は時々うつむきながら)「正直やりたくなかった。きょうの日を迎えるのがつらかった」と苦しい胸の内を吐露。評議が祝日や土日を挟んだことに触れ、「自分の意見を誰かにぶつけることができず、休日、家族や友人に会うのがつらかった」




「痛いですか~?」という質問に予想される答と大差ないくらい、想像通り、予想通りの答ですね。


これを予定調和と言わずして何と言うのででしょうか。
もっとも件の法曹関係者は
「何年かしたら報道する方もされる方も飽きるから、こういう事態は収まっていくのではないか。
『需要があるから供給する』という図式に則っているだけだから」」
とのこと。


そのときまでに守秘義務違反に絡んでたぶん一度は問題が起きると思います。










映画 さらばラバウル

2010-11-28 | 映画
もと海軍軍人の方の口から実際にラバウルの話を聞くと、かなりの確率で
「ラボール」
と発音されるのをご存知でしょうか。
この映画でも何人かは「ラボール」と言っています。

しかし、唄における
「さらば ラバウルよ」
は、ラボールではリズムに乗らないので、「バ」が人口に膾炙したのだと思います。

文章で読むだけの海軍と、こうやって実際のものではないにせよ音声と動画で見る海軍には大きな違いがあります。

たとえば、無線連絡で

「若林大尉、菅井隊長に代わり指揮を取るぅ(尻あがり)
指揮官機は若林
マルヤフタゴー、帰路に着くぅ(尻あがり)」

という、独特のイントネーションを聞くと、
ああ、そうだったんだ、と納得して嬉しくなる、というような。

・・・・と、どうでもいい考察から始まりましたが、


この映画、1954年作品。白黒です。
画像は主人公の若林大尉。(池部良)

この池部良の輝くような男っぷりがそうであるように、美男美女総出演の感がある映画で、中でも
片瀬大尉役の三國連太郎など、目を見張るような男前ぶり。

(この髭の三国連太郎を見て、自民党の「元自衛隊、髭の隊長」佐藤正久議員って、イケメンだとあらためて思いました。似てます)


主役級の俳優、女優は、正統派美男美女でないとなれなかった頃です。
若い中尉役の平田昭彦は、後年特撮ものには「博士役」で顔を出していた特異なキャラクターで有名な俳優ですが、この頃は繊細な長髪の士官がぴったりはまる正統派ナイスボーイ。

またまた勝手なことを言いますが、もしかしたら実在の笹井中尉ってこんな?と思わせる雰囲気です。
映画化したら俳優は誰に、という妄想を時おりしてきましたが(大空のサムライの志垣太郎は私的にはミスキャスト)現在この段階では若いころの平田昭彦で決まり。
しかし、この時から27年後の映画「連合艦隊」で瑞鶴飛行隊長役の平田昭彦は、ほっぺたが宍戸錠化しており、少し残念。
笹井中尉役は27歳の平田昭彦に限る、ってことで。

それにしても、ずっと「男前」を続けるのって、大変なことなんだなあ・・・。
鶴田浩二がいかにすごかったかがわかる。


特撮監督が、こののちゴジラで有名になる円谷英二。
もちろん、今見たらかなり厳しい映像ですが、当時にしては画期的だったのかと。
「東京上空三〇分」
と比べても全く遜色ない特撮です。

監督、本多猪四郎は、このあと共に「ゴジラ」をヒットさせ、さらに怪獣シリーズや帰ってきたウルトラマンなどを手掛けていますから、このときのスタッフ、俳優がそのままチームのように監督の下に集結したものでしょう。

舞台は、最強の精鋭が一人二人と戦死し、もはや戦闘機すら無くなって誰の目にも劣勢が明らかになってきた、撤退寸前のラボール。

非情ともいえる闘志で「オニ」とあだ名されたパイロット、若林大尉を中心に話は展開します。

決して恋愛中心のストーリーではないのですが、各搭乗員に

「現地(カナカ族)の娘(根岸明美)」―野口中尉(平田)
「部隊附きの従軍看護婦(岡田茉莉子)」―若林大尉(池部)
「ラバウルのレスのおかみ」―片瀬大尉(三國)
といった女性を絡ませ、各々とのかかわりを通じて、戦争に命を翻弄させられる彼らの生きざまを描いています。

いきおいそれが命を粗末にする戦争への批判とと結びつく、という作りとなっています。

日本軍の生命軽視については、撃墜された米軍の「イエロースネーク」というあだ名の凄腕パイロットにこう言わせています。

「ゼロは一千万馬力の発動機を有する世界一経重量の旅客機にすぎない
優秀な攻撃兵器だが全然防御力が無い
軍人の思想までがことごとく人命軽視の上に立っている
人間の生命の重要さを考えないような国家が
戦争に勝てるはずがない」

 

「鬼司令」と言われ、敵のイエロースネークも敬意を表したこの若林大尉が一〇年のキャリアを誇るのに比べて、イエロースネークが「まだ飛行機に乗って間もない、冷蔵庫のセールスマンだった男」であることに、大尉はショックを受けます。

零戦の機能を最大限に発揮できたのは熟練の搭乗員に限られた、というある意味最大の「欠点」であった事実への指摘にもなっています。


さきほども言ったように、決して恋愛ものではありませんが、この時代における男女の「思っていても口にできない」気持ちを、痛いほど感じさせるのが、この映画の素晴らしいところ。

この14年後に作られた映画「大空のサムライ」
についてもまた描く予定ですが、何故かいきなり男女が伏線も何にもないのに抱擁し合う。唐突すぎるのです。
(映画の商業的目的のためにこうせざるを得なかった、と脚本家の須崎氏はインタビューで言っています)
しかし、当時の戦地での男女はこの若林大尉と看護婦のすみ子のようであって欲しい。

命の瀬戸際で半ばデスぺレートに相手を求めたのが「サムライ」なら、こちらは最後かもしれないから純粋であろうとした愛の形。
「あってほしい」
というのは、もちろんエリス中尉の「好み」
ですので念のため。

この二人が魅かれあっている、ということすら明確に描かれません。
星の話をし、片瀬大尉の最後を見守るくらいです。
しかし、お互いが眼だけでそれを語るわけです。

終盤、内地に女たちが引き揚げる船に乗り込む寸前に、大尉は見送りに現れます。


すみ子の持っているトランクに手を添える若林大尉。
そこで手の端を辛うじて触れ合わせながら、二人は黙って歩きます。

若林「お気をつけて」
すみ子「・・・生きてください」

二人の会話はこれだけ。

この後、輸送船を狙って脱走したイエロースネークの機が現れ、大尉はすみ子の乗った輸送船を守るために飛び立ち、撃墜したものの機の故障で命を落とします。

今の感覚で判じると、セリフ回しが「棒読み」に聞こえるのですが、昔のインタビューなどを聞いても分かるように、この頃の日本人のしゃべり方は明らかに今とは違う、どちらかというと平板なしゃべり方をしていたので、演技が稚拙とか、そういうことではないと思います。
しかし、その中での三國連太郎の演技のうまさは特筆すべきものがあります。


劇中「さらばラバウルよ」の歌が二回出てきます。
一度目は兵士の宴会、そして、最後にラバウルを去りゆく女たちの合唱。


男たちのラバウル、女たちのラバウル、という二つの骨子が劇のストーリーを支えているということの表現でしょうか。

それから、岡田茉莉子の天使のように純真な美貌は必見。
戦後わずか九年の製作なので、まだまだ当事者が健在だったせいか、熱いラバウルで全員が毛皮のついた飛行帽をかぶっているような(映画大空のサムライ参照)こともなく、細かいところではかなり検証が正確なように思えます。


ちなみにに笹井中尉役適任、と決めつけた平田昭彦。
陸軍幼年学校、陸軍士官学校(60期)を卒業しています。

戦後、旧制第一高等学校を経て、東京大学法学部政治学科卒。
陸士での同期には中條高徳(アサヒビール株式会社名誉顧問)がいました。
また、東大での親しい同期には児島襄(作家)がいるそうです。

もうひとつ。
三國連太郎の実の父は、海軍士官であった、ということです。











サングラスの女

2010-11-27 | つれづれなるままに
それは、私です。

サングラス、というアイテムは、手放せない人がいれば、全く持っていない人もいるわけで、「かけたりかけなかったり」というひとがむしろ少数派ではないでしょうか。

特に街での使用に関しては、二極化している気がします。
日本人は瞳が黒いので、光線に強く、あまり必要を感じない、と聞いたことがあります。
サングラスをかける人は必要でかける、というよりそういうスタイルを選択してかけているという気がします。

本日画像は何を隠そう、エリス中尉その人のサングラス。
バリ島でのスナップです。
これは、リゾート地なので当然のようにかけていますが、実は私自他ともに認める
「サングラスの女」。

車を運転することが多いせいもありますが、実はどうしてもサングラスを手放せない理由というのがあるのです。

10年以上前のこと。
よほど強力な黴菌だったのか、それともそのとき医者が言ったように「体力が落ちていた」せいなのかはわかりませんが、左目にできたものもらいが悪化しました。

当時は現役で仕事をしており、人前に出る仕事。
眼帯をするにははばかられました。
そのときに使用したのが透けない真っ黒のサングラス。
「ファッション評論家の大内順子です」
と自己紹介してウケたのも今は懐かしい思いで。

二週間後、酷く長引いたものもらいが治っても、こんどは困った問題が。
涙が溢れてくるのです。

つまり、涙管が腫れて詰まってしまったのですね。

医者に行くと、針を涙管、つまり
眼頭に突き刺す治療をされました。

ぎゃああああっ。
それって、まるでイントレランス?「見てるだけで目が痛いシリーズ」?

しかし、治療のかいなく開通、せず。


ところでみなさん。
あなたもこの瞬間、目から涙を流し続けているということに気づいていますか?
そして、それを排水してくれるシステムが正常に機能しているからこそ、滂沱の涙を哀しくもないのに流さずにすんでいるということのありがたさに、どのくらいの方が気付いているでしょうか?

しばらくの間、訳もなく(それも片目だけ)涙を流し続けました。
まぶしい。泣く。
風が吹く。泣く。
少し感動する。泣く。

とくにこの最後、映画など見ていて「鼻の奥がつーんとする」というレベルの感動でも、まるで巨人の星の登場人物のようにだだ泣きしてしまうわけで、それこそ
「泣いてるんじゃないのよ!涙がちゃんと排水されてないだけなのよ!」
とドラマの主人公が言いそうな言い訳をしないといけない。

参りました。

こんどは某大学病院に行ってみました。
しかし、紹介状もないのに大病院に行くのなんて、まるでデータ収集のための数の一員になりに行くようなもの、散々検査をして、待たされて、瞳孔開きっぱなしになる眼薬をさされて、挙句の果てが

「涙を少なくする眼薬を処方しましょう」

って、いらねえよ!
一生それをさし続けろってか?
だが、ことわる!

とか何とかやっているうちに、アメリカに行ったりして、治療も諦めていたんです。
その間、眼に極力刺激を与えないように、サングラスが、そう、手放せない身体になってしまったのです。


そうなればなったで、あくまでも気に入るものを探しつづけるのがエリス中尉。
画像のサングラスは、最近のベスト3のうちの一つ、シャネルのサングラス。
白い花は立体のモチーフで、カメリアです。


サングラスのおしゃれを楽しみつつも、涙管の閉塞についてはいつも頭を痛めてきました。
特に、鍼の先生が
「左目がそんな状態なので、右に負担がかかっている」
というので、最近のことですが、三度目の治療にトライしました。

今度は、ちゃんと紹介してもらったその道のエキスパート。
やはりちょっとしたオペをすることになりました。

瞳孔が開いてしまう局部麻酔をしてまな板の鯉状態に。
「目、開けててくださいね~」というので、ばっちり両眼開けていたら、その目を覗き込むイケメン医師の澄んだ瞳。
見つめ合う瞳と瞳。
・・・・見つめ合わないと治療できないっつの。

眼の治療って、もしかしたらあらゆる診療科の中で診療中に恋が芽生えても不思議ではないナンバーワンかも、とあほなことを考えていたら、視界の端に光るメス(のようなもの)が。

ぐりぐり。

ああ、気分的に、痛い。(気がする)

しかも、ドクターったら、何度もやっているうちに
「うーん」
とかいって、明らかに苛立ってるんですよ。
散々ぐりぐり針状のメスを突っ込むこと約20分、

「だめです。針、通りません」

つまり、時間がたつにつれて癒着が酷くなっていて、もうあとはバイパスを入れる手術しかないが、その方法とて、必ずずっとそのままいけるとは限らないと。
だめじゃん。

というわけで、この涙管閉塞は一生治らない、と宣言されてしまいました。
不治の病か・・・・。


というわけで、相変わらず風の日や、寒い日、ちょっと感動したときには涙をためているエリス中尉です。
しかし、よくしたもので、こういう状態のまま10年も経つと、涙の量そのものが減ってきている気がするんですよね。
人間の体って、こういうことも調整しようとする働きがあるんですね。



と思っていたら、海軍関係の資料を読んだり、映画を観る生活になって、またもや涙腺の緩みがちな毎日が訪れ・・・・

冬の寒い日なのに、なぜかサングラスをかけて歩いている女がいたら、
それは、涙管が詰まったエリス中尉かもしれません。










偵察の神様~千早猛彦大佐

2010-11-26 | 海軍人物伝

千早猛彦海軍大佐。
海兵62期、空母赤城分隊長を経て一二空飛行隊長。
「偵察の神様」とまで言われた士官偵察員です。



偵察、という分野は戦闘機より一見地味な分野です。
志望の段階でも第一希望にあがることはあまりなく、
軽視されていた傾向にあったそうです。

海兵六十七期の「海軍史」に寄せられた手記によると
天山乗りの肥田大尉には学生時代にこんなことがあったとか。

大村航空隊での延長教育中のこと。
洋上航法訓練をしていて二、三時間たつとどちらを向いても海ばかり。
後席の偵察係に「もう帰ろうや」と言うと、「肥田、ここはどこだ」

「馬鹿!貴様が偵察員ではないか」

帰隊は大幅に遅れ、二人はこってり油をしぼられたそうです。
後ろ席のK少尉、少なくとも偵察志望ではなかったのでしょう。



ところで淵田美津夫中佐が偵察出身だということをご存知ですか?
真珠湾の立役者となった淵田中佐ですが、実は中尉時代、航法を間違え、
危く海の藻屑になりかねないチョンボをしています。

海中に転落し行方不明の潜水艦艦長を捜索するために空母「加賀」から飛び立った六機。
その小隊長機が進路を間違え、あさっての方向へ飛んで行くのです。
偵察員は飛行学生を卒業したて、若葉マークの淵田中尉。
二番機のベテラン兵曹、さすがにすぐさま間違いに気付き手旗でそれを報せますが、
淵田中尉、手旗が分からないのか自信があるのか、知らん顔。
当然隊長も気付かずまっすぐ間違った方向へ行ってしまいました。

二番機は辛うじて加賀に帰艦することができましたが、
淵田偵察員の乗った隊長機は燃料が切れ、海の上に不時着。

しかしその後、運よく中国のジャンク船に救助されたそうです。


このように判断一つで海軍葬になりかねない機上の航法。
事実方位を失って殉職する搭乗員は少なくなかったといいますから、
責任は重大で、パイロット以上に沈着冷静で緻密な判断が求められるのが、
偵察という任務。

しかし、飛行機を目指す血気盛んな青年が最初から偵察を志望する例はあまりなかったようで、
この千早猛彦大佐も霞空卒業時思いがけず偵察に回されてしまいます。
 ショックを受ける千早少尉ですが教官の
「操縦員は車曳き、偵察は一軍の将」
という言葉に納得し、以後その道に邁進します。

教官の目に狂いはなく、のちには
「偵察の神様」と言われ、
死しては「軍神」と呼ばれるほどの偵察将校に成長することになるのですが、
それでは偵察の任務とは何か?

ここで少し説明しておきたいと思います。


通信、爆撃、射撃、偵察、写真。

乗り機によって任務の種類はもちろん分担されることもありますが、
偵察員にはこれだけの仕事が課せられていました。
しかし、もっとも重要なのが

航法と見張り

でしょう。


海軍機は洋上を飛ぶことが多く、現在地を地形に頼ることができません。
たとえ地上を飛ぶのであっても、
天候によっては全くそれは頼りにならなくなるわけで、
特に母艦を離発着する機の場合、
帰投する艦そのものは一つのところにじっとしていません。
風向、風力も時々刻々変化していくのです。
飛行機はほとんど風によって流されますから、
その度合いに応じて針路を修正していかなくてはなりません。

偵察員は、風向、風速を偏流測定器と計算盤を使用して算出するそうです。


豊田穣氏は艦爆機に同乗していたベテランの偵察員 から

「士官の偵察員の人たちはどうして、ああ若いうちから
航法でぴたりと空母の位置まで戻れるのでしょうかね」

と聞かれたことがあるそうです。


兵学校の座学ではもちろん航法はかなり厳しく叩きこまれるそうですが、
もともと理数系の学校である上、
偵察に行く者は座学の段階で自分が向いているかどうかを見極めているため、
実戦でも優秀な偵察員が多かったのかもしれません。

そして、なまじ志望の少ない地味な専攻だったゆえ、
千早大佐のように素質のありそうな学生を教官が客観的に見極めて
選抜する事が多かったためではなかったでしょうか。


さて、中国戦線で大陸の戦場に出た千早猛彦大佐は、いかにして「神様」になったか。

敵の戦闘機が味方の陸攻隊を認め飛び上がる所を、千早機は詳しく無線で報告します。
陸攻隊はその報告を受けてしばらく避退し姿を隠しています。
燃料の無くなった敵飛行機が基地に帰ってきて着陸するのを見届けた千早隊が
それを陸攻隊に報告。

「敵機着陸終了」

それを受けて陸攻隊は敵基地に殺到、地上の飛行機に爆撃を浴びせるという方法です。
この方法で何度も戦果を上げ、「爆偵の千早」の名をあげたのでした。


零戦が初戦果をあげたのは初陣から数えて四回目の出撃になる昭和一五年九月一三日の重慶攻撃です。
試作品のまま大陸に送られ現地で調整されたという零戦は、
最新鋭の戦闘機とはいえ単座なので、
航法、無線に不備が多く、したがって陸偵が先頭に立ち誘導することが必要でした。
このとき進藤三郎大尉率いる零戦13機による攻撃は歴史的な大戦果をあげます。
続いて十月四日には横山保大尉率いる零戦8機を成都爆撃に誘導。
この戦果も千早機の誘導なしには得られないものでした。

このときのことを横山大尉は

「千早君は大言壮語することなく、いつも黙々と研究し、
往復とも冷静に誘導してくれた」

と述解しています。


千早少佐はテニアン基地からマリアナ沖海戦にに参加、メジュロ偵察を三度にわたり強行しますが、
愛機彩雲に乗った少佐はそのまま行方不明となります。
連合艦隊司令部の作戦の誤りから、二回にわたる千早機の偵察結果は、
作戦に生かされないまま海軍は大敗します。

開戦以来、海軍がこのときほど的確に、
敵艦隊の動静を捉えていたことは無かったというのにもかかわらず・・・・・・。


幼いころから内向的で沈思黙考型、学者が向いていたのではないかと言われた千早少佐。
穏やかで子煩悩の愛妻家、部下思いの優しい性格であったと伝えられます。


昭和19年6月11日マリアナ沖で戦死、享年三十歳。
二階級特進し、海軍で最も若い大佐になりました。




参考:人物抄伝・太平洋の群像76・上原光晴
   学習研究社(学習研究社・歴史群像・太平洋戦史シリーズ)
   新・蒼空の器 豊田穣著 光人社
   帝国海軍士官入門 雨倉孝之著 光人社
   海軍六十七期史





シンプソンズの四角いスイカ

2010-11-25 | 映画


画像の物体は、息子が二年生のころ学校で作ってきた工作。
構造的に不可思議なところがあるのですが、とにかく「スイカ」だそうです。

「これ何?スイカみたい」
「スイカだよ」
「四角いんですけど」
「だから『シンプソンズ』のスイカ」
「あ~(=_=)・・・先生にはわからないと思うよ」


日本ではあまり有名ではないようですが、アメリカのコミック、「シンプソンズ」
ご存知ですか?

1989年放送開始になったアニメで、原子力発電所の安全検査官であるホーマー・シンプソンズを家長にしたアメリカの中流家庭を中心に、世相の風刺、パロディを織り込んだコメディです。
アメリカではいくつかある大人向けコミックアニメの一つ。
実在の人物が数多く出演し、世相風刺をするために表現がかなり際どいため、子供にはできれば見せない方がいい、という位置づけです。

息子が「学校で今日映画観られる時間があるから、好きなDVD持ってきていいよ、って。何がいいと思う?」
と相談してきたことがあります。そのとき息子、
「シンプソンズなんてどう?」
(瞬時に)「ダメ」
結局「センター・オブ・ジ・アース」を持って行きました。



しかし、息子の学校の「理科」の授業で配られた「脳の働き」の小冊子には、ホーマー・シンプソンの脳みその絵が(小さい)イラストで描かれています。
子供向けではないが子供でも皆知っているキャラクターってことなんでしょうか。


愚息はシンプソンズが結構好きで、アメリカに行ったときにシーズンごとのケースに入ったDVDを買わされたりするのですが、ときどき「これはコドモにはまずいかも」
みたいな部分もあって「うわ、こんなのわかるのかな」と思いながらもつい見せていました。

一度、こんな風にストーリーを説明してくれたことがあります。

「マージ(ホーマーの妻)って、フランダース(隣人)とキスしかけたことあるんだよ」
「ええ!ほんと?」
「うん、庭で水撒きしていて、マージに水がかかったの。
で、マージがナイス・バディだってことがわかってフランダースが『セクシー』って思っちゃったみたい。
で、何となくそんな感じでキスしそうになったんだけど、マージがホーマーのことを思い出して、だめ、っていうんだよ」


・・・・・・・まじか。


いや、内容ではなく、息子(当時8歳)がこういう内容について語っている、ということがですね。
もしかして教育を間違えたか?
ある程度の性描写が入っている映画なども、ヘタに禁止して却ってヘンな興味を持たないように、自然にスルーしてきたけど、スルーし過ぎか?

少し、考えてしまった発言でした。

それはともかく、このシンプソンズ・シリーズ、日本でもDVDが字幕付きで観られます。

校長がホンダの車を買って自慢していたら、ホーマーがエンブレムに悪戯をしてヒュンダイにつけかえてしまって、校長激怒、という現代自動車には笑えないギャグもありますが、これは日本では観られるんでしょうか。

それから、日本では放映されなかった幻の「日本旅行」の回があるんですよ。


その中のエピソードが本日話題の「四角い西瓜」。

この稿を描くためにもう一度見ようと思ったのですが、どこに入っていたのか息子に聞くのを忘れたので、記憶だけで書きます。間違っていたらごめんなさい。

ジャマイカに旅行に行くのに、飛行機を間違えてジャパン行きに乗ってしまったシンプソンズ。
飛行機は、やたら富士山が近くにある(これは『東京上空30分』も同じ。富士山、こんなに大きくねーよ、とムカつきついでにつっこみました)東京に到着。

ホテルに入った途端、ホーマーは洗浄機付きのトイレに大興奮。
なんと、音楽が鳴り、色とりどりの水が噴水のようにリズムに合わせて踊るトイレ。
おまけに、トイレの便器の中に座面を(下から)映すカメラがあって、
その映像をを客室のテレビの画面で見ることができるのです。
・・・うーむ、TOTOもついにそこまでの商品を開発した・・

わけないだろっ(怒)

出てくる日本人が、不思議な日本語をしゃべるのですが、全く何を言っているのかわかりません。
字幕の英語を読んで「ああ、そう言っているのか」と納得するくらいの意味不明。


このアニメの姿勢として、徹底的な風刺がされているので、出てくることすべてもうむちゃくちゃ。
ホーマーが旅館の障子をばりっと突き破って行き来したり、ホテルの前にサンリオの工場があって、猫を捕まえてキティちゃんを作っていたり。

この四角い西瓜は、ホーマーが「スイカが四角いよ!」
と喜んで5000円で買ってしまい、一家はただでさえ色々あってお金がないのに、この散財で決定的に立ち往生、テレビに出演して賞金を稼ごうと決心する動機になっています。

息子が制作したのはこの「四角い西瓜」
話にはよく聞くけど、よっぽど奇矯な人が話題作りのために買うだけで、ニュースでしか見たことないぞ、と思っていました。

ところがこの夏・・・・・・




高くてきれいなばっかりで、ちっとも美味しくないと評判の高級果物屋の店先に
ありましたよ。
店の人に見つからない角度から盗み撮りしたので、値段まで写すことができなかったのですが。

ここの「一個ずつパッキングされ、木箱に入ったイチゴ」
というものを、この春いただきました。
すごーい、といいながら押し戴くように食べたらば

・・・・・・・(=_=) まずい

美味しくない、ではなく明確にまずい、だったことにご注目。


この四角い西瓜は、ある意味「ここがヘンだよ日本人」
の象徴かもしれませんね。
きっと美味しくもないに違いない。

美味しくもない、変わった(あるいはきれいなだけの)果物を、自分で食べるためにではなく人へのプレゼント用目的だけに売っている店がある。
貰った方は、ありがたくもなく、美味しいとも思わず、ただ○○さんがこのような高いものを贈ってくれた、という事実だけをインプットして、終わり。
社会生活における「義理と恩と付き合いと儀礼」を、分かりやすく表現するためだけに買われる果物が売られている。

まずけりゃ文句が行くのが普通のお店。
しかし、ここではクレームは・・・
「まずいけど、もらいものだし、へたに文句言うと贈ってくれた人の顔をつぶす」
この不思議な事情ががっちりとこの店を苦情からガードし続けているものと思われます。

やっぱり変わった国です。

シンプソンズは、ネタのためにあらゆる諸外国を訪れていますが、訪れた当事国では必ずその回だけ放送禁止の憂き目にあっています。
その国のタブーをいじりまくるネタの性質上仕方ないのかもしれませんが、ことそういう風刺には鷹揚な日本が、この「日本旅行シリーズ」
を放送しなかったのはなぜか。

それは、スモウ場に現れたホーマーが、あろうことか御前天覧しておられた天皇陛下を投げ飛ばしてしまった、という落ちが、さすがにまずいと判断されたからだそうです。



ところで、このシンプソンズシリーズは、何となく観飛ばしてしまう表示などにも細かい仕込みがしてあります。
教会の入り口にある標語、よく
「神は隣人なり」
みたいなことを書いてあるボード(アメリカでは文字を付け替える方式の看板が多い)があるのですが、彼らの行く教会のそれに

I TOLD YOU SO (だからいわんこっちゃない)

と書いてあったのが、いまだに大好きなギャグ。

これ、去年の政権交代前に、民主党なんかに政権取らせたら大変なことになるよ、と言っていた大抵の人(エリス中尉含む)が今、心の中にこの標語?を浮かべる毎日だと思うんですが。

笑えない・・・。
















「火垂るの墓」における「海軍」

2010-11-24 | 海軍



 大江賢治大佐。海軍兵学校四十七期、巡洋艦「摩耶」艦長。
昭和十九年十月二十三日、パラワン水道にて戦死。


などと、いつものような書き出しで始めてしまいましたが、実はこの画像、
アニメ「火垂るの墓」からのスケッチです。

「火垂るの墓」
英国の映画雑誌エンパイア誌が発表した「落ち込む映画ベスト10」の第6位にランクインしています。
戦争の生んだ悲劇をこれでもかと描き、「これを観て泣かない人はいない」とまでいわれた
高畑勲監督の名作です。


十四歳の少年清太が戦火で母と家を失い、四歳の妹節子と一緒に身を寄せていた遠い親戚の家から
追い出されるように二人で「横穴」に住みつき、ほたるを集めて蚊帳の中で放す。

その光に誘われるように清太の記憶によみがえってきた観艦式の光景。


清太の父は巡洋艦摩耶の艦長で、登舷礼をしています。
「お父ちゃん、巡洋艦摩耶に乗ってな。
連合艦隊勢ぞろいや」



昔初めてこの映画を見たときから、この映画における「海軍部分」
が強く心に残っています。

西宮の親戚の未亡人が言う
 「海軍さんはええねえ・・・」
「軍人さんばっかり贅沢しはって」


顔見知りの農家の人のいう
 「しっかりしいや。あんたも海軍さんの息子やろ」


この場合の「世間の人」の口にする
「海軍さん」
という言葉には、選ばれた一握りの、特別な人種、という響きがあります。

海軍に今ほどの興味のなかった当時ではイメージとして見逃していたのですが、今、
あらためてこの映画を見ると、いろいろと興味深いことがありましたので、
今日はそれに付いて書きたいと思います。


まず、この家庭の父親は海軍大佐。
冒頭で実在の人物を特定してしまいましたが、少年の言う巡洋艦摩耶は
レイテ沖海戦で10月23日、捷一号作戦に従事。
この日の早朝、米ガトー級潜水艦デイス (USS Dace, SS-247) の攻撃を受け魚雷4発が命中、
船体が切断しおよそ8分で沈没しました。
そのときの艦長がこの大江賢治大佐なのです。

このとき大江艦長以下336名は戦死、769名が駆逐艦「秋霜」に救助されます。
夕方に救助された乗員は「武蔵」に移乗したのですが、翌日の対空戦闘で更に
およそ120名の戦死、行方不明者を出しています。

五五〇名余の戦死者を出した摩耶の慰霊碑は神戸の忉利天上寺(とうりてんじょうじ)にあるそうです。

舞台は神戸。
私事ですがエリス中尉の実家はまさにここでして、幼いころはまだ残っていた景色が時々現れます。

少年の家は御影町にあったということになっていますが、この辺りは今も御影山手と並ぶ高級住宅街。
父が海軍大佐であった少年の家は、堅実だが豊かな暮らしをしていたという設定でしょう。

大江賢治大佐は、海兵四七期。
海軍兵学校四七期は大佐で開戦を迎えており、大戦中は艦長や司令として活躍、
やはり多くが空母や巡洋艦艦長として戦死をしています。
大江大佐は一八九七年生まれ、戦死時は四七歳。

節子の父としては少し歳をとっている気がしますが、清太が生まれたのは1931年(昭和6年)、
海軍少佐昇進時とすれば、結婚は大尉の頃の31、2歳。
これなら年齢は一致します。
なにより、家族で撮る記念写真のシーンにおいても、父親は謹厳でいかめしく、
いかにも海軍軍人らしい威厳を持ち、この頃四十五歳という設定でもおかしくありません。
清太の母とは歳が十歳くらい離れた結婚だったのではないでしょうか。
清太の母というひとはおっとりした令嬢タイプで、心臓が弱かったようです。
晩婚で娶った若い妻は病弱だった、というと、井上大将を思い出します。

今回、あるきっかけからあらためてこの映画を観なおして、昔何を言っているのか気も留めなかった部分に
注意が向くようにもなりました。

西宮の叔母に
「お父さんには手紙書いてくれたんやろな」と言われ
「出しました 呉鎮守府気付で」
という部分。

大江大佐は実際は横須賀鎮守府所属、摩耶も横鎮所轄であったようです。
さすがにそこまで検証はされなかったようです。

しかし、海軍のことを全く知らない人がこの部分を聴くと、昔のエリス中尉と同じく、
何を言っているのか気にとめないか、聞き流してしまうのではではないでしょうか。


なお、清太少年は神戸一中(現在の神戸高校)で父の後を継いで海軍に進むべく
海軍兵学校を目指していた秀才という設定だそうです。


二人が横穴生活を始めた頃、夜空を見上げると、一機だけで飛んでいく飛行機。

清太「あれ、特攻やで」
節子「ふーん、ほたるみたいやね」
「そうやなあ・・・そや、ほたる捕まえよか」


こうやって二人はほたるを集めるのですが、この出撃は昭和二十年六月から八月一五日までのもの。
であるとすれば、百里原から出た彗星の特攻か、あるいは陸軍の神鷲隊のものなのかもしれませんが、
たった一機で夜間飛んでいくという状況と、目撃した場所(西宮市)から、特定はできません。

直掩機無しで夜間たった一機飛んでいく特攻機。
「ほたるみたい」という節子の台詞に胸を突かれます。

この映画は高畑勲監督の徹底したリアリズム志向が随所に見られます。
たとえば西宮の浜のシーンで左手に見える山の形、
観艦式のときに摩耶山脈にライトアップされる神戸市の市章(”かうべ”の”か”をデザインしたもの)
トンネルに入っていくような三宮駅の作り、阪急電車のアズキ色・・・。
ここに育った人間なら小さい時から目にしてきたものがほぼ忠実に再現されています。

巡洋艦摩耶の作画も、当初は舷窓の数やラッタルの段数まで正確に描かれていたそうです。
もっとも完成した映画ではすべて影として塗り潰されてしまっていたとか。


さて、主人公の家庭が戦時下の海軍軍人の家、というだけでも「海軍」という視点から見ると
いろんな設定が想像されるこの映画ですが、今回エリス中尉がこの映画でもっとも
「海軍的に」注目したのは、じつは音楽なのです。


この映画の音楽は、実に控えめながら寄り添うように主人公の物語をあるときは一緒に慟哭するように、あるときは甘い追憶に身を委ねるように流れ、その秀逸さに昔から感嘆する思いでした。

そのエンドタイトルに間宮芳生(まみやみちお)という、音楽大学出身者ならばだれでも知っている
純音楽の大家の名前を見たとき、当時もやはりさすがという思いを持ったものでした。



しかし、月日は流れ、海軍というものに傾倒するようになったある日(先日ですが)
海軍兵学校在籍者の名簿を見て、卒業しなかった最後の兵学校生徒、七八期生の中に
「間宮芳生」の名を見つけたとき、驚きのあまり思わず声が出ました。

昭和二〇年四月三日入学、わずか四カ月の「海軍人生」を送った元海軍軍人はこの
「海軍」という言葉が大きな意味を持つ映画をどうとらえていたのか。
それを知りたくて、今回あらためてこれを観なおしてみたのです。

ちなみに作曲家間宮氏のプロフィールには兵学校(針生分校)にいたことは全く書かれていません。



参考:江田島 日本海軍の軌跡 日本の戦史 毎日新聞社
   海軍兵学校出身者の戦歴 後藤新八郎 原書房
   ウィキペディア フリー辞書
   防衛庁防衛研修所戦史室
   『戦史叢書 第56巻 海軍捷号作戦2-フィリピン沖海戦-』朝雲新聞社









たかがクリーニングの「され度」

2010-11-23 | つれづれなるままに


玄関を占領してしまった二つのボックス、これはオフシーズンの間預かってもらっていたコートやセーターなどの冬物がシーズン前に送られてきた様子です。


皆さん、クリーニング、どうなさってますか?


ファストファッションといわれる、○ニクロを始めとするチープなファッション衣料をシーズンごとに使い捨てする。
こんな方には、この稿は全く無用の意見です。
お気に入りの服を大切に着たい、という方にお届けします。


毎週のように家に御用聞きが来る「普段のクリーニング」で、ワイシャツなどを出すのですが、実は我が家のホームドクターならぬ「ホーム・ランドリー」は、京都にあります。
首都圏住まいの我が家がわざわざ京都にクリーニングを出す理由。
それはここが「本当のクリーニング」をしてくれるから。

この業者に(通話無料で)集荷の依頼電話をすると、一両日中に運送会社がクリーニングしたい洋服を取りにきてくれます。
その後、会社からカウンセリングの電話がかかってきます。

「ここにこのような汚れがあるので、こういうケアをお薦めしますが、色落ちの可能性もございます」
「お値段は○○円になります」

そこで納得して作業をお願いするわけですが、もし
「いや、それは購入価格を考えると高すぎる」とか
「色落ちは(可能性であっても)困る」
ということであれば、そのときキャンセルします。


キャンセルしても、無料で送り返してくれます。良心的。


しかし、クリーニングが高すぎる、ってどういうこと?
と思われたでしょうか。


画像は、今回仕上がって返ってきた服のカルテ。
そう、一着ごとにこのようなものを制作して、それをもとに作業をします。


カルテはカシミヤのロングコートのもの。
クリーニングとシミプロテクト加工をしてクリーニング代11,000円。
オフシーズンの預かり代は561円。

なにこれ、たかがクリーニングに高すぎる!
と思われた方。
確かに高いです。
一着のクリーニング代だけでもしかしたら○ニクロではコート二着くらい買えてしまうでしょうか。

されど。

身にまとうものに対して、大事に手入れして使いたい、という傾向指数を、この
「され度」
で表わすとします。
この指数をかけて求められる答は「衣服にかける手入れ代の許容額」
と(たった今)定義します。

使い捨てファストファッションに「され度」をかけると答は0円~300円。
ワイシャツなどの消耗品は一回着たら400円(くらい?)
そして、一生着続けたいお気に入りの服はワンシーズン6000円~10,000円。
(皮革や毛皮など特殊なものは2~3万)




日本に帰って来てすぐ、近場のクリーニング店にお気に入りのブラウスを出し、次に着ようと思ってボタンが欠けているのに気付きました。
店に持って行くと
「もう一ヶ月経ってますから」
とはなから責任取らない構え。

こんなとき、エリス中尉は決して文句を言いません。
穏やかに
「ああ、そうですか」

そして、黙って店を出て可及的速やかにその店とは縁を切りました。

まあ、他人の商売なのでどうでもいいですが、もしその服を弁償する、と店の人が言ってくれていたら、きっと
「いや、ボタンを付け替えればいいので、ボタン代だけでいいですよ」
とでも言い、その後もきっとそこの顧客でいたと思うんですよ。

目の前の責任を逃れて長期の利益を逃す、ってことになってしまったわけで。
こういう商売のやり方、結局損だと思うんですがどうでしょう。


ボタンを壊されたブラウスは、アメリカで買ったラルフローレンのもので、まあそんなに高いものではありませんが、やはり、大事なものは、たとえ高くてもちゃんとクリーニングしてくれるところに出そう、と決心する出来事でした。

安い大型店舗のドライクリーニングとは、風の通っているところをハンガーが移動していくだけで、なんのクリーニングも実はしていない、あるいは「いろいろやってみたけどシミは落ちませんでした」といういいわけ札が付いて返ってくるが、その「いろいろ」は「何にも」だったりする、というクリーニング業界のウラ話を聞いたことがあります。

この京都の業者は、そういった悪しき業界に真っ向から立ち向かう形で「高いが本物のクリーニング」を標榜し、今や銀座、兵庫県西宮に店舗を持って、かつ全国展開しています。

ここのクリーニングですが、ドライクリーニングでは落ちない汗、食べ物の汚れは独自に開発された無重力バランス洗浄法で水洗いをするそうです。
男性のスーツも水洗い。
しかし、パタンナー技能者とプレス経験者が立体的に仕上げるので、出す前より型が整って返ってくるという、匠の技をここは持っています。
着くたびれてへたってしまったようなスーツも、ここで一度洗うと、あら不思議、ふんわりと風合いが新品のようになってしまうのです。

全く驚愕の技術です。

ちなみに上記カシミヤのコートは、シャネルのもの。
死ぬまで着続けたいので、ワンシーズンたとえ1万円出しても全く高いとは思いません。

そして、夏の間、特にうちは家を留守にするので、オフシーズン無菌のクローゼットで保管してくれるシステムは全くありがたいもの。
それにクリーニング代の割にクローゼット代が安いと思いませんか?



ポルシェやフェラーリに憧れ、いつかは乗りたい、と思っている人がいたとします。
特にポルシェなら、中古であれば購入そのものは可能でしょう。

しかし、ポルシェを維持し、走らせ続けるには購入したときのクルマの本体と同じくらいの金額を用意していないといけないことをこのうちの何人が知っているでしょうか。


自分のスタイルを持ち、ブランドにこだわりのある方、腕のいい仕立て職人に作らせたお気に入りのスーツをお持ちの方、クリーニング代を惜しむくらいなら、もっと安い服を着るべきです。
数少ない上等の服を手入れして着る。
「たかがクリーニング」に一万出しても惜しくない「され度」の服を数少なく持つのが私のやり方です。


ココ・シャネルがパリのオテル・リッツで亡くなったときに、部屋のクローゼットにはわずか二着の黒のスーツが残されていただけだったそうです。

そんな話に憧れて幾星霜。
実際は二着どころではないし、TОのスーツも出してあげなきゃいけないのでクリーニング代大変ですが。



ご参考までに本文中のクリーニング店は
「ハッピー・ケアメンテ」
クリーニング、ではなく「ケアメンテ」と呼びます。

ここの職人さんは一般のクリーニング店にはありえない?高給取りなんだそうです。
その理由。
高価な服を買って自分で身にまとうことで、上等の服の着心地と、それを所有し愛蔵することを身を持って知るための「勉強代」なのだとか。

「され度」の高い服をお持ちの方、一度お試しください。
ここから宣伝料をもらっているわけではありませんが、この会社の企業姿勢にいつも感ずるものを持っているので、この際宣伝してしまいます。


















じゃくる

2010-11-22 | 海軍
画像はジャクリーヌ・ケネディです。
何が何でも画像を挙げようとすると、こういう事態に陥るという見本のような今日のブログですが、表題と画像のこじつけは相変わらずのことなので御容赦ください。

画像についてはさらりとスルーして、今日のテーマ

「じゃくる」

です。

海軍ものを読んでいて「じゃく」という単語を
「若輩もののこと」
と理解している方もここには多くおられるかと思いますが、それが「じゃくる」という動詞になると、若干意味合いが変わってくるのだそうです。


突然私事になりますが、エリス中尉がこうやって海軍についてのあーちゃらこーちゃらをブログで書いている、ということを
「人より海軍に通じているから」
と思っていただいては困ります。

いやむしろ、その世界についてはおそらくこのブログに来てくださる方々の誰にも負けないくらい「じゃく」であることは分かる方には明明白白の冷や汗自転車操業知識を披露しているわけなのですが、
「詳しいから皆におしえてア ゲ ル 」
という高みに立つものではなく、むしろ

「今こんなことを勉強していてこんなことが分かったので聴いて下さいな」

という立ち位置だということをあらためて宣言させていただきたいのです。
んなことちょっと読めばわからいでか、という声も今聴こえた気がします。

それが証拠に、得た知識を
「こういう意味だろう」
と推測したままブログ内で使ってしまった言葉が全然違う意味だったりして

「あなたのブログにメールが届きました!」

という文字を見るたびに、文字通り心臓が早鐘のようにうち、震える手でクリックすると

「間違ってます」

というお知らせで

・・・・・・・・orz

となりつつも訂正をすること数度(ブログが訂正できる仕組みでなければ、とっくに崩壊しているかもしれません)。

しかし、間違えたら間違えたでそこで調べたことを元にまた知識が増えるので勉強させていただきつつ日々精進しているわけです。
それにしても、わざわざ貴重な時間を使って指摘をして下さる方がこの世界のどこかにいてくれる、というのは全く幸せなことだと思う次第です。
この場をお借りしてお礼を申し上げます。

私事というか前置きが長くなりましたが、今日の「じゃくる」は、以前善行章二本の下士官のことを「ゼンツー」というものだと思って書いた記事(に対する間違い指摘のメール)が発端です。

まず、善行章とは何か?を調べることから今回は始めました。

他の様々なことどもに同じく、この制度も英国直輸入です。
袖についている山形のラインがその「善行章」なのですが、これは特に善行を積んだから貰えるというものではなく、三年経つと誰でももらえました。

つまりそれによって表わされるのは海軍で何年飯を食っているか、ということのみ。

因みにこの善行章、本家英国ではV字型です。
というのもVery good のVを表わしているそうなのですが、日本海軍がなぜそれをそのまま輸入しなかったのは謎です。
「谷」より「山」の方がいいかんじ、とか言う理由だったりして。
しかし、英語圏であるアメリカ軍の袖章も山形なんですよね。
英軍と同じじゃ芸が無いからってひっくり返したら、日米がおそろいになってしまったってことですか?


おっと、また勝手な想像でものを言うと自動的に余計な間違いをしそうです。

特に善行を積まずとも貰えるものならそんなに有難味がなかったか、というとこれが違ったんですね。
「海軍の釜の飯を三年余計に食う」ということは、やはり付く「箔」の重みが俄然違ってくるもののようで、兵たちは階級章よりも善行章をどちらかというと誇りのよりどころにしていたといいます。

そこでエリス中尉がかつて勘違いしていた
「ゼンツー」
なのですが、これは善行章が二本すなわち六年たっても下士官になれずに一等兵のままでいる兵のこと
です。

ついでに、善行章が付くまで一等兵になれずに二等兵のままでいるつまり善行章を1本着けた二等兵である下士官兵を「楽長」と言いました。

なぜ楽長かというと、軍楽隊は進級が遅いからなのだそうです。

六年以上勤務して下士官になれない、三年以上勤務して一等兵に進級できないということはどういうことかというと、進級し損ねた(お茶を引いた)ということなのでした。

ああああっ!ここまで調べて全力で反町隆史さんに土下座です。
この事実を確かめるべくもう一度「男たちの大和」を観なおしてみました。
中村獅童の内田兵曹は善行章一本。
反町隆史の森脇一主曹の腕に付いていたのは二本。
ああ、善行章二本ね、と最初の知識で「観飛ばしてした」ときは思っていたのですが
賭博場のシーンでばっちり映った右腕を見ると

何と一本は特別善行章でした。

ゼンツーどころか、本当に「善行」をしたときに貰えるベリーグッド印をつけておられたのです。



さて、善行章は真面目に勤務してさえいればもらえたのですが、逆に懲罰対象になったときには褫奪(ちだつ)すなわち取り上げられました。

因みに善行章についての規則を挙げておくと

懲罰、科料、拘留、罰金=普通善行章一線褫脱

禁錮=普通善行章二線、特別善行章全部褫脱

懲役=善行章全部褫脱


反町隆史の「森脇一主曹」が付けていた特別善行章は本当の善行章で、表彰されるべき実績で貰え、山形のてっぺんに桜のマークを付けました。

戦前のペースで言うと、一等兵曹ならば善行章四本以上が相場です。
善行章がないのに下士官(ボタ下士)となると周りから人がいなくなるくらい敬遠されました。

ゼンツー、楽長なら「お茶っぴき」とバカにされるだけですが、ボタ下士となると善行章褫脱組、つまり前科があるかもしれない人だということを証明しながら歩いているようなものだったからですね。



こういった「ゼンツー」や「楽長」の皆さんは、日々こう言った人々の目にさらされながら軍隊生活を送らなければならなかったわけで、おのずとその行動が自暴自棄なものになり、ますます嫌われるという悪循環の連鎖となったもののようですが、こういう行為を「じゃくる」と言いました。
 
じゃくる人はいわゆる「ボタ下士=懲罰下士官」より、試験や戦闘配置の関係で進級しそびれて(お茶を引く、という)不満を持つ人に多かったそうです。
そして、じゃくりの被害にあうのはたいてい、というかほとんどが下の若年兵たちでした。
「けんつくを喰わされる」と表現するやつあたり的な叱られ方をされるわけです。
このジャクリーヌいや男性なのでジャクラーが酒飲みだったりすると一層たちが悪かったもののようです。

この善行章と階級の関係では
さきほどの

「ボタ下士」(善行章が付かないと袖章がボタモチのようだから)とか
「おちょうちん」(善行章なしの一等兵。これは進級が速いという意味)

など、実にバラエティ豊かに種類があるのですが、このお提灯は、むしろ優秀だから、ということが多かったので、同年兵のトップを行く(先頭で提灯を持って歩く)という意味でついたあだ名ではないかといわれています。

あるときのこと、ボタ下士に、花街で出くわした善行章三本の下士官。
ひそひそ相談してから丁重に敬礼しました。
階級は明らかにボタ下士が下にもかかわらずです。

敬意を表したというよりは「何か文句をつけられたら後面倒そうだな」という相談の結果だったのではないかと思うのですが、とにかく階級社会中の階級社会である軍隊、いったん落ちこぼれたら挽回することもできず、やり直しもきかないシビアな世界であったようです。

因みにこのボタ下士、この後花街の女性たちにどん引きされ
「懲罰兵曹がきたよ、みんな気を付けなよ」とひそひそ言われたそうです。
軍隊内だけでなく一般社会でもこんな言われ方。

これがじゃくらずにいられるか。



参考:潮気とユーモア 海軍物語 家村行夫 光人社
   帝国海軍下士官入門 雨倉孝之 光人社NF文庫

  ウィキペディア フリー電子辞書




映画「マジック・アワー」

2010-11-21 | 映画
三谷幸喜監督作品が好きです。

ぶっつけ本番でラジオの生ドラマを作っていく「ラヂオの時間」
年末のホテルをを舞台にいろんなことが起こっていく「THE 有頂天ホテル」
そしてこの「マジック・アワー」。

共通点があるとすれば

壮絶な辻褄合わせ
 

「ラヂオの時間」が穴の開いてしまったラジオ番組にぶっつけでドラマを作りあげる、
「マジック・アワー」が同時進行で何重にもわたって複数の人間のドラマが交錯し一つの結論にたどり着く、
そして、この「マジック・アワー」はマフィアのボスが探している殺し屋を売れない役者に演じさせてごまかす、というつじつま合わせのストーリーです。


舞台は「スカゴ(守加護)」という港町。
街のボス天塩(西田敏行)の愛人マリ(深津絵里)に手を出してしまったビンゴ(備後)(妻夫木聡)は幻の殺し屋デラ富樫を呼んでくれば命を助けてやると言われ、窮余の一策で売れない役者村田大樹(佐藤浩市)をデラ富樫に仕立て上げる決心をする。

マネージャー(小日向文世)とともに街を訪れ、事務所に乗り込み、相手が本物のギャングとは知らずデラ富樫を熱演する村田、村田と「天塩商会」に嘘がばれないよう四苦八苦する備後、村田をデラ富樫と信じる「天塩商会」の面々。
それぞれの思いやすれ違いが行き交う中、次々と予期せぬ展開が待ち受ける。



というストーリーなのですが、もうこの
「デラ富樫」
という名前だけで怪しさ満点。

三谷映画の登場人物には転んでもただでは起きないネーミングが多々見られますが、
「ラヂオの時間」
の「千本ノッコ」
と並んで、馬鹿馬鹿しい響きじゃありませんか。

今日画像はエリス中尉お気に入りの村田大樹がデラ富樫となりきって手塩商会に現れ、
ボスの机に腰をかけてペーパーナイフをべろべろ舐めながら
「俺がデラ富樫だ 俺に何の用だ」
と凄む場面。
ここを見て笑わない人はいないでしょう。

もう、この佐藤浩市のクサい大根役者ぶりがたまりません。
この映画を最初に観たのは、旅行で乗ったシンガポールエアの機内だったのですが、これに続けて
「アマルフィ」
観たんですよ。
こっちにも佐藤浩市、シリアスな役で出ているんですが、断然「マジック・アワー」の佐藤浩市が好きだ!
本人もこっちの役の方が楽しそう。


三谷監督は実は「作戦好き」
なんだそうです。
作戦もの「スパイ大作戦」とか「史上最大の作戦」のような、ジャンルを問わない
「達成もの」
が好きだと。

おおお!私と一緒だ!「達成もの」好き。


その傾向はこれらの凄絶ななつじつま合わせ映画にも表れていると思うのですが、でも、
どの作にも言えるのは「ありえねえ」展開によってなぜかするすると、物事がうまくいってしまう。
作戦達成し過ぎ(笑)


東大卒某有名商社勤務の高校時代からの友人が海外赴任が決まり、お別れランチをしたときの雑談で、彼が三谷映画を評して

「俺がいつかああいうのをしてやろうと思っていたのに、ヤラレタ!って思った」

っていうんですね。
お断りしておきますが、彼はただのサラリーマンです。
が気持ちはわからんでもない。

三谷映画って、映画を観ていて得られるカタルシスを多少無茶な方法であっても達成してほしいと望む気持ちを、実に巧みに叶えてくれるのですよ。
これをエリス中尉はそのとき

「ああいうのを願望的リアリズムっていうんだろうね」

と評し、彼も賛同してくれたのですが、こういう映画作りをする人って、他にいますか?
友人がヤラレタ、というのも、この「コロンブスの卵」的手法のことらしいです。



劇中映画に、昔の日活映画のパロディが出てきます。
そう、宍戸錠や赤城圭一郎、小林旭なんかがでてきた、国籍不明のギャング映画。

この「どこの世界の話だよ」と言われながら愛されてきた
「国産無国籍ギャング映画」
の憧れのスターに村田大樹が遭遇する、という、映画好きにはわくわくするような仕込みもあります。

村田を騙すために、備後とその仲間は、CМ撮影のカメラをこっそり拝借し、村田を納得させるためだけにそれを回します。
カメラにいつの間にか撮ったはずのない映像が残っているのに気付いたCМスタッフは「いつの間に?」と驚きながらそれを街の映画館で再生します。
「いつかスクリーンいっぱいに映った自分のアップを見たい」
と熱望しつつも芽のでないこの業界にあきらめをつけようとした村田はそれを偶然目にするのです。



まだ観ていない方のために説明は避けますが、私的ベスト映画の一つ
「シネマ・パラダイス」のラストシーン、
映画好きなら何度でも観てしまうあのシーンがこのときの村田の表情にオーバーラップしたのは私だけでしょうか。

古い職人気質の仕込み屋さん、(銃弾仕込み)現場の照明、大道具、村田は最後、こういった
「映画屋」を味方につけ、一世一代の大芝居にでます。

三谷監督の映画に出る俳優は固定しており、この映画にも主役以外で唐沢敏明、中井喜一、谷原章介、鈴木京香などのおなじみの俳優が「チョイ役で」出ています。
このスター固定システムは、三谷幸喜が自分の芝居を自分が手がけるところ以外での上演を許さない理由なのだそうです。

つまり、脚本を書く時点で俳優をイメージして書き進めているからだとか。
このように最初にに役者を決めてから脚本を書く手法を
「当て書き」
というそうです。

何となくこの固定システムは手塚治虫のスターシステムを思わせます。


表題のマジックアワーとは、日没後の
「太陽は沈み切っていながら、まだ辺りが残光に照らされているほんのわずかな、しかし最も美しい時間帯」を指す写真・映画用語

転じて本作では「誰にでもある『人生で最も輝く瞬間』」を意味するのです。



三谷映画はウィットやユーモアに富んだ演出による、ハートウォーミング、人間賛歌が多く、露骨な社会風刺やグロテスクな描写、きわどいセリフなどは一切使わないということで知られています。

終わったとき、映画に出ていた全員のことが好きになってしまう映画。
観る前より少しだけ人間が好きになっている、そんな映画です。


まだ観ていない方にはお薦めします。














井上成美の「ヘタリア」論

2010-11-20 | 海軍

エリス中尉ってもしかして
腐女子
だったのか?
という方もいれば、フの字が間違ってるよ、という方もおられるかと思います。

まあ、そのへんは軽く「全く違います」と流すとしても、ヘタリアって何だ、
とおっしゃる方には少し説明が必要かもしれません。

画像はいわゆる「腐女子」に人気のアニメ「ヘタリア」の主人公、「イタリア」。
このマンガは、「民族ジョーク」を素材にし、今や日本のみならず、
ワールドワイド・オタクの間で支持されている人気アニメなのです。


よく

「最もこの世で幸せな男はイギリスのの家に住み日本人の妻がいてアメリカの給料をもらい」
とか
「最強の軍隊は、米国人の将軍、英国人の佐官、ドイツ人の参謀、日本人の下士官、
イスラエル人の兵隊で構成され、イタリア人の慰問担当とフランス人のコックがいる軍隊」


とかいう民族ジョークがあるじゃないですか。

で、このアニメが「ヘタリア」ってのは「ヘタレ」+「イタリア」
つまり、民族ジョークでいうところの「イタリア軍最弱伝説」がベースになっているんですね。

このアニメですが登場人物は全て人名が「国名」。
一応個人名も持っていて日本は「本田菊」と言うそうですが、
当方腐女子でないのであまり詳しくありません。
この国を代表する個人が、その国のイメージとステロタイプとでもっていろんな事件
(史実含む)を巻き起こす、というアニメのようです。



ところで実はわたくし、このイタリア軍ヘタレ伝説が大好きだったりするんですが、

夜眠いので見張りを立てなかったからやられた


砂漠でパスタを茹でていて捕まった


小隊長から順番に毎日少しずつ前線からフェイドアウトしていってイギリス軍と戦う前に誰もいなくなった


イギリスの漁船とイタリアの潜水艦が真っ向勝負をしたが、
ろくな照準器もついていない武装漁船にコテンパンにやられて捕獲されてしまった

アメリカ軍と対峙してもやる気がないのでのらくらしていたが、ドイツ軍が見に来た時だけ
「戦っているふり」をしたらドイツ軍が「おお、イタリア軍がアメリカを食い止めている!」
と勘違いして参戦し、心ならずも戦闘が始まってしまった

「風を感じられない」という現場からの苦情を受けて、戦闘機の風防を外してしまったので
高速戦闘機の意味がなかった



もう、なんてすばらしいんでしょう。
マンガにしたくなる気持ち、わかるわ~。

なかでも

戦地で美味しいものを食べたい一心でフリーズドライを発明した

とか

英軍捕虜に出された食事が物凄く美味しいフルコースで、てっきり『銃殺されるんだ』と怯えていたら、
将官がきて『君が士官とは知らず兵卒用の普通食を出してしまってごめんね』といった


とか言う話、大好きです。

まあでも、同盟を結んで戦いたいって相手ではないよね。
よくドイツに行くと
「おお日本人、今度はイタリア抜きでやろうぜ」
といわれるって言いますが、あれほんとですよ。
エリス中尉のドイツ留学組友人が言われて帰ってきました。


さて、この「仲間になっただけでもう勝てる気がしない」
イタリアのヘタリアっぷりについては、タイトルからも薄々想像がつかれたと思いますが、
かの井上成美大将も三国同盟締結に大反対する理由にしていました。

この三国同盟を推進していたのはご存知のように陸軍でした。
海軍としてはできるだけそれを食い止めるべく工作をしたりしていたので、
ただでさえ犬猿の仲である陸軍と海軍はこの一件を以て完璧に対立してしまいます。

後年「アメリカより先に海軍をやっつけてやる」とまで陸軍が言うほど、
その溝は事あるごとに深まる一方でしたが、海軍が三国同盟に反対だった理由に、
当然のことながらその二国に対する不信感がありました。

国民には頼もしい英雄のように喧伝されていたヒトラー総統でしたが、
ナチスはアーリア人優生説が党是であり、ユダヤ人はもちろん、日本人など
「想像力に欠けた二流民族」ということになり、ヒトラーはそれを堂々と自分の著書
「わが闘争」(マイン・カンプ)に書いていました。

井上少将(当時)はその事実を指摘したのですが日本語で「わが闘争」を読んだみんなは
「そんなことどこにも書いていなかったぞ」
海軍きっての知性と謳われた井上少将、マイン・カンプを原語で読んでいたのです。さすが。



そして、その知性派井上成美、イタリアに対してはこれはもうなんといいましょうか、

「イタリアがヘタリアだったから」

としか言いようのない理由で反対していたようなのですね。

中佐時代、井上大将は駐イタリア大使館武官の中佐でローマに在勤したことがありました。
当時イタリアにいた官僚や軍人が古代ローマの遺跡や文化を通じて、またあるいは
カリスマ、ムッソリーニの指導力に圧倒されてイタリア心酔派となったのですが、
我らが井上中佐はもっと表層的でしかしながら本質的な理由からイタリア人を信用していませんでした。


つまり

「国民性の本質は一朝一夕に改まらない」

彼らに染みついた乞食根性は抜きがたく、こんな国と手を結んだらとんでもないことになる、
という身も蓋もないヘタリア論だったのです。

チップを何回も取るために小細工をする。
コンサートのチケットをを買ったら期日が切れていた。
売り子が釣銭をごまかす。

これね。

実はイタリア旅行で、私も同じ感想をもちました。

50ユーロ札を渡したら
「お釣りを裏に取りに行く」
といって持って行き、
「あなたの渡したのは20ユーロだった」
とシレッと言い張るんですよ。かわいい顔したホテルの女性がね。

 彼ら、ファッションセンスも抜群で粋。
ルックスも驚くほどいい男女ばかりだけど国民総泥棒って感じかも、なんて感想を持ちました。
当時、井上少将の言ったことなど全く知らなかったわけですが、
「国民総自堕落、総コソ泥」と少将もまた全く同じことを言いきったそうです。

そういう国民だから、軍隊といえども精神たるみっぱなし。
ヘタリアそのものです。
ある日、井上中佐(当時)は黒シャツ義勇軍の街頭パレードの最中、雨が降ってきたとたん、
彼らがみんな我先に小走りになって避難を始めたのを目撃しました。


「プレーンの下に海軍魂」の日に「軍服では傘をささないこと」と決まっていた話をしましたが、
これは何も日本だけに限ったことではなく、およそ軍隊をもっている大抵の国では軍人として
当たり前のことなのですが、雨にぬれると風邪引くし、ヘアスタイルだって乱れちゃう、
というのがお洒落で粋なヘタリア軍人。
井上中佐はこのみっともないふるまいを見てだらしない、という印象をもったようです。


そして、その後ファシスト党の巡洋艦が日本に来たその歓迎レセプションでのこと。
井上少将、軍令部次長の古賀峯一中将にこう話しかけます。

「見ててごらんなさい、古賀さん。
外見は立派な海軍士官ですがね、
連中、接待用に出してあるあの葉巻を、全部ポケットに入れて持ち帰りますから」


その後映画の放映が行われ、部屋の電気が消されました。
映画が終わりぱっと明るくなった部屋にはその通り葉巻は一本もなくなっていたそうです。


数あるヘタリアエピソードを聞いているだけなら、その愛すべき国民性を微笑ましく思うくらいで
何の被害もないんですが、やっぱり同盟を組んで一緒に戦争しようとなると
・・・ちょっと遠慮したいですね。



井上少将も言っています。

「陽気で憎めないところはあるのだが・・・・・・・」


この場合、アメリカかイギリスと組めればよかったのでしょうが。






参考:「井上成美」阿川弘之著 新潮文庫


「そんなこと、いいやん」

2010-11-19 | 日本のこと
今日画像は、今回の流出事件があってすぐ、どこかで見たパロディです。
面白かったのでここで挙げようと思って探しに行ったのですが見つかりません。
で、自分で描いてしまいました。

管直人以外は大体記憶の通り。数ある魅力的なお写真の中から国会の居眠りシーンを採用しました。

それにしても、国をどうしたいとか、政権運営能力とか、そういったことを問う前に、民主の政治家って、どうしてこう品格にかける人物ばかりなんでしょう。
トップ2が天皇陛下の前でも居眠りできる首相と、人前で第二関節まで鼻の穴に指を突っ込む官房長官。

子分は推して知るべしで、自衛隊のお祭りに出席して、30メートルの距離を歩きたくないからって車を無理やり逆走させ、おまけに
「俺を誰だと思ってるんだ」
などと、いまどき三流映画の田舎議員でも言わないようなことを言ってリアルですごむ党員。
松崎哲久ですよ皆さん。埼玉県民は次の選挙でよろしく)


雁首そろえて党の主張を繰り返すだけのお飾り大臣、どいつもこいつもなんとも言えない志の低い小物臭漂うやつばかり。

しかし、この自衛隊での暴言チンピラ議員の程度の低さは国会を見ていれば雑魚が去年の政権交代で大量に網にかかってしまった「拍手要員」「野次要員」であることは明白なので驚くことでもありません。

最近、心の底から民主党に対して怒りを覚えたのがお飾りナンバーワンの柳田法務大臣の発言です。

何を聞かれても、平然と同じことを繰り返す、その面の皮の厚そうなこと。

ムカムカして血管切れそうになってきていたのですが、やはりというか、何というか、本人は確信犯だったのですね。


「法相はいいですよ。(答弁は)二つだけ覚えておけばいい。『個別事案についてはお答えを差し控えます』。分からなかったら、これを言う。これでだいぶ切り抜けてきた。あとは『法と証拠に基づいて適切にやっている』これがいい」

柳田は14日に地元・広島での大臣就任祝いの会でこうあいさつしていたというのですが、最後の頃には隠せなくなってきた、なめ切った「どや顔」は、この傲慢さからのものだったということです。


「あれも言うな、これも言うな」
と指示されて座っているだけの大臣が、何を勘違いしたか、それを得々と自慢する。

政治家としてという以前に、品性下劣で人間としてもどうか、というレベルの人物だったと。

しかも、衆目の前に舞台裏をさらしてしまい繰り人形としての役目すら果たせていない。
何百人の集会でそれを垂れ流しておいて、河井克行委員の追求には最初
「私的な会合だったから」
で逃げられると思ったようです。


河井委員ですが、「こんな人間が法務大臣だなんて・・・私は悔しいです」
と言って、悔し涙で声を詰まらせていたようにみえました。
本当に泣いていたのかもしれません。

遂にはきのう
「どうなってるんだ。あなたたちみんな異常だよ!」
と自民の衛籐晟一議員は叫びました。

「民主政権をつぶさなくてはいけない」と自衛隊の航空祭りの懇談会で発言した一般人の発言に激怒し、自衛隊にその一般人の言論を事前にチェックし、事後報告まで求めた北沢防衛大臣。

身体を張って海保が船長を逮捕してしまったのに釈放してしまったことについて
「5年10年後の評価に耐え得る」
と胸を張ってうそぶく総理大臣。

この期に及んで映像の公開をしないと強弁する官房長官。

夫婦別姓を勝手に推し進める国家公安委員長。

日本人が拉致されている国家の民族学校に国費を投じる無償化を進める文部大臣。



「あなたは本当に国を愛しているんですか?」
「どこの国の総理大臣なんですか?」

このような問いが野党議員から首相に向けられたことが、憲政史上あったでしょうか。
(もしあったならごめんなさい)


さて、エリス中尉が「38ってなんですか?」の記事で言ったように、着々と政府は情報統制にかかっていますよ。

流出事件をきっかけに統制を強めようとしているのは予想通り。

自衛隊敷地内のの民間人発言を統制しようとして通達を出したことを「文民統制の立場から」とおかしな理由をつけていますが、つまりは民間への言論統制。

しかしこの「一般人」は、自民政権のときに(おそらく田母神事件のことだと思いますが)自民党をこっぴどく批判している人物です。
政治的に偏っているとは思えません。

そもそも今回の「民主党は早くつぶれろ云々」の遠因として、冒頭の「俺を誰だと思っているんだ」発言のチンピラ代議士事件があるようです。

そしてもうひとつ「厳秘」と書いたメモを国会で広げておいて、それが撮影公開されたのを
「盗撮」呼ばわりして、マスコミにも取材規制をしようとしている。


全て、いわば「身から出たさび」なんですが、そのさびを自分たちの都合のいいように利用する。
国益にならないことは異常に仕事が速い。

昨日の国会で山谷えり子議員が
「民主政権のやっていることは戦前の言論統制の時代のようです」
と言いました。
左の人たちが大嫌いな軍統制時代のことですよ。
同じにされてますよ。いいんですか?
それとも「自分たちの思想と同じでない奴は粛清」ですか?

そう、現在の民主党は、

Q 野党時代には批判しかしてなかったクズが、権力を握るとどうなるか?
A 当然、自分を批判するヤツを批判するだけ

ということをリアルで証明してます。


というわけで、現在の日本は民主党の大好きな中国ばりの情報統制国家への道をまっしぐらです。
北沢大臣が昨日「民主政権はそんな永く持たない」と言いましたが、こうなったら一日でも早く崩壊してくれないと、それまで日本が持たない。

ある日何の予告もなく「ネイビーブルーに恋をして」の更新が無くなったら、そのときはこんな末端ブログにまで言論弾圧が行われていると思って下さいね。
仙谷の第二関節指突っ込み画像なんて描いちゃったからなあ。
誰でも見られるこの写真も、民主党に都合が悪ければ国家機密かもしれないじゃないですか?
     
        ↑もちろんあてこすりです


ところで、sengoku38氏ですが、USBケーブルを捨てたことと、そのネーミングの理由について
「そんなこといいやん」
と答えた、という記事を新聞以外のどこかのメディアで見ました。



・・・・ほんとに。そんなことより大事なことがある。




空母バンカーヒルの物語

2010-11-18 | 海軍
1945年、5月11日、沖縄沖。

沖縄侵攻を支援中の巨大空母バンカー・ヒルは、菊水6号作戦で出撃した二機の特攻機の突入を受けます。
一機目の零戦は飛行甲板に突入し、燃料を満載していた艦上機を破壊し大火災を引き起こします。
二機目の零戦は対空砲火を通り抜けて250キロ爆弾を投下し、艦橋に激突。
爆弾は艦内部に達して爆発し、ガソリンに引火し誘爆を引き起こし、バンカーヒルは事実上使用不能となります。
戦死者は346名、行方不明43名、負傷者264名。


先日、「最後の打電」の記事中、この、バンカーヒルと突入した二機の特攻について書かれた、マックスウェル・テイラー・ケネディ著「DANGER'S HOUR」から引用をしました。

今日はこの本をご紹介します。

名前を見れば一目瞭然なのですが、かれはケネディ家の末裔、ロバート・ケネディ司法長官の息子、ジョン・F・ケネディの甥にあたります。
政治を志したケネディ家の男の宿命を避けたのかどうかはわかりませんが、かれは学者の道へと進み、アメリカ史を研究した後、現在は海洋学の研究員をしています。

そのケネディ氏が、空母とそれに体当たりしたカミカゼのノンフィクションを書いたのは2年前。

「当時を知る人が戦時中よりも速いペースで亡くなっている今、子供たちの世代へと引き継ぐためにも、彼らの言葉、希望、そして知恵を記録することが、私たちの急務となっている」

このような使命感から筆をとったケネディ氏は、当事者への取材と膨大な資料の研究によりこの渾身のドキュメントをものするのですが、特筆すべきはその取材の範囲がアメリカ側だけに留まっていない、ということです。

この内容を大きく分けると、もちろん空母バンカーヒルでそのとき何が起こったか、どうみんなは傷つき死んでいったのか、生き残った彼らは何を見、何を思ったのか、という部分が主なのですが、しかし、翻って日本側から見た特攻隊員の心境、特攻を決定したその頃の日本の指導者たち、そしてなぜ特攻というものが生まれたかということにまで筆は及んでいるのです。

特攻を生み出し、容認し、受け入れた日本。
「全くそれが理解できなかった」アメリカ人の一員であるケネディ氏は、古来からの日本文化、侍の矜持、そして楠正成の故事から、特攻隊員が遺した辞世の句など、あらゆる事どもを手掛かりにそれを解明しようと試みています。

氏は日本滞在中、特攻隊員小川清や安則成三の知己に通訳とともに会ったのはもちろん、防衛庁資料室で彼らの隊の出撃記録を確認したのですが、終戦に際してそのほとんどが証拠隠滅のため焼却されてしまったため、資料室の職員が大変な努力の結果やっとのこと探し出すことのできた資料もあるそうです。

何故バンカーヒルなのか。

特攻という人類史上初めての組織された自爆攻撃に壊滅的な打撃を受けたとき、そこにいたアメリカ人が何を思いどうふるまったか。
民族間の絶対的な価値の相違とともに、逆説のようですが―価値の普遍性をそこにはまた見出すことができるからではないでしょうか。


ケネディ氏が特攻という究極の自己犠牲を讃える精神をむしろ汎世界的なものと捕えていると思われる記述を御紹介したいと思います。


『橋の上のホラティウス』

そして門の指導者、
勇敢なホラティウスは言った。
「地上の人間にはすべからく
遅かれ早かれ死が訪れる。

ならば父祖たちの遺灰のために
神々の神殿のために、

かつて彼をあやしてくれた
優しい母親のために、
彼の子に乳をやる妻のために、
永遠の炎を燃やし続ける
清き乙女たちのために、
彼らを
恥ずべき悪党セクストゥスから
守って
強敵に立ち向かう

これに勝る死に方があるだろうか。

あなたにできる限りの早さで
橋を落としてくれ、
執政官どの。

私はあと二人の仲間とともに
ここで敵と対峙する。
あなたの路へと続く一千の敵は
この三人によって
食い止められよう。

今こそ、私の傍らで手を取り
共に橋を守るのは誰だ?」

トマス・バビントン・マコーリー
(エリス中尉訳)

しかし、橋の上のホラティウスの自己犠牲のもっとも重要な点は、彼が橋を守ったということではない。
特筆すべきは、世代を超えて、(この詩を好んだチャーチルを始め)多くのの西洋人たちが、ホラティウスと同じような個々に起こった軍人としての自己犠牲にインスパイアされて来たという事実なのだ。





バンカーヒルに二機の特攻―小川清と安則盛三―が突入し、巨大な空母の中心部が大きく破壊されたとき、このバンカーヒルにも自分の命を犠牲にして仲間を救おうとした人たちがいました。

機関室の人々です。
ボイラー室には突入直後から硫黄の煤の混じった煙が流れ込み始めました。
一酸化中毒で次々と仲間が倒れていく中、彼らは持ち場から離れずボイラーを稼働させ続けました。
もしボイラーを停止させれば艦は出力を失い、電灯が消え、通信も途絶えます。
艦内のポンプも停止、排水区画からの汚水排出ができなければ艦は制御不能になって傾き、洋上で立ち往生することになります。

ボイラー室では生き残る部下がいないであろうことも分かっていて指揮官カーマイケルは皆が持ち場に残ることを要求し、また部下も自分の使命を最後まで果たしながら一人また一人と死んでいきます。

第一ボイラー室の乗組員は全員死亡。
残った数名は最後までボイラーを動かし続けます。

「私たちはやりぬいたんだ」

ケネディ氏の取材に生き残った一人はこう言いました。

特攻が理解しがたいものであるはずのアメリカ人が、ここバンカーヒルでは愛するものを守るために自らの命を投げ出したのでした。
自らがそこに置かれれば誰もがみなホラティウスになり得るのだと言うことを、機関室の乗組員たちの犠牲が教えてくれます。


この「自殺攻撃(スイサイド・アタック)」が人を惹きつけるという事実やその崇高な側面を、現代に生きる我々は理解しようと努めるべきだ、と提言した序文で氏はまたこのように述べています。



日本の上層部は最後の望みを未来の世代の日本人に託した。
日本人が特攻隊員の精神を受け継ぎ、同時にそれを二度と起こさせないために阻止することを。







本当のジャクリーヌ・デュ・プレ

2010-11-17 | 音楽

多発性硬化症(たはつせいこうかしょう、multiple sclerosis; MS)

神経線維の軸索を含むさや(ミエリン層)が破壊される中枢性脱髄疾患の一つ
脳、脊髄、視神経などに病変が起こり、多彩な神経症状が再発と寛解を繰り返す疾患である
経過中に多く見られるのは運動麻痺、感覚障害、深部反射亢進、視力障害、病的反射などである
女性患者が多く、欧米では失調症、アジアでは視力障害となって現れることが多い
日本では特定疾患に認定されている指定難病である

   


1987年、不世出の天才女性チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレがこのМSによってわずか42歳の生涯を終えたとき、彼女が病気による現役引退をしてすでに15年が経っていました。

音楽熱心であるが普通の家庭から生まれた天才少女はあっという間に名声を手にし、その特異な音楽性と優れた容姿で瞬く間に一流音楽家の仲間入りをします。
そして、やはり同じく天才と言われたピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムと結婚。

全ての栄光与えられていたかのようなジャクリーヌが演奏家としてその絶頂にあったそのとき、突如襲ったこの難病は彼女の運動能力を奪い、引退を余儀なくされます。

演奏家としては活動していないにもかかわらず、その後も不世出の天才と言われ続けていたジャクリーヌが闘病の末亡くなったとき、彼女の姉ヒラリーと弟ピアースがその追想記を出版します。

「A Genius in the Family (我が家の天才)」

という題名のこの追想記はイギリス人のみならず世界中の音楽ファンの間にショックを与えました。

前半は華麗な天才音楽家の物語、そして、後半からは難病と格闘しこの世を去るまでの凄絶な日々の記録。

このセンセーショナルな「内部告発」によると、ジャクリーヌは病と闘いながらまるで暴君のように家族にあたり散らし、自分だけでは支えきれないその精神の安定を保つために姉、弟、そして両親に怒りを、焦りを、悲しみや絶望や恐怖をぶつけます。

「ビゴット(偏屈者)って何?」
彼女は執拗に繰り返した。言葉は恐ろしく不明瞭だった。

次にランチを食べに訪問した時も、ジャッキーはまたやった。
いかにもわざとやっているのよと言わんばかりに声を意地悪く変え、僕の胸をグサリと突きたがっていた。

「もう会いに来てくれないの?」
どもりながら彼女は言った。心から悲しんでいるようだった。

しかし、会いに行くとリン(ピアースの妻)が部屋を出たとたん、ジャッキーは同じ攻撃を開始した。
彼女は唯一つの言葉―「ビゴット」を何度も何度も繰り返すだけだった。




誰よりも愛していたはずの姉、ヒラリーに対しては・・・。

この手記出版後、今日の表題である映画
「本当のジャクリーヌ・デュ・プレ」(原題 Hiraly and Jackie)
が製作されました。
その中でも最も衝撃的に語られていた事実です。

ジャクリーヌはバレンボイムとの結婚生活が破綻するころ、精神安定剤としての性関係をヒラリーの夫であるキーファに求め、それをヒラリーも怖ろしい苦しみとともに容認していたということでした。


キーファは私を庭へ連れ出し、すでに予感はしていたが、ジャッキーに寝てくれと懇願され、そうしてしまったとすすり泣き続ける私に告白した。


夜にはキーファは必ず、まず私と一緒のベッドに入ったが、ジャッキーが必要としたときは、途中で彼女の部屋に上がっていった。


「何が起きようとも、僕たちのしていることの目的はひとつ、ジャッキーを救うことなんだ」





映画では事実通りそれが発病前の出来事として描かれているため、あたかも天才芸術家のエキセントリックな奇行であり、周りを犠牲にして顧みない傲慢さであると取られかねないのがこの部分です。


しかし、彼女自身の追想記でヒラリーは、愛する妹が二十七歳でチェリストとしてのキャリアを放棄するどのくらい前からジャッキーがその難病の傾向を自覚していたのかを知ったことで、妹の異常な行動とそれを黙認した自分の感情にに折り合いをつけようと試みています。


МSの情緒面での影響についても専門家から話を聞いた彼女は、患者がその性生活において病気ゆえの不快感を覚える事態に陥ったとき(ジャッキーは失禁を始めとする膀胱の疾患に苦しんでいた)自己評価の低下に苦しみ、その反動として誰であれ一番身近にいる男性に身を投げ出していた可能性がある、という一般論を耳にして衝撃を受けます。

そして、同時にヒラリーはジャッキーがわずか九歳のときに突然自分の将来の病気を予言するかのような謎めいた言葉を口にしたことを思い出すのです。
あれは予言だったのか、それとも九歳のジャクリーヌにそう思わせるだけの何かが実は起こっていたのか。

もし、そのかすかな破滅の予感とともにジャクリーヌが早くからその短い人生を歩んでいたのだとしたら、彼女を彼女たらしめたその奔放で奇矯な行動のすべては数万分の一の割合で与えられた天才と、やはり数万分の一の割合で与えられた難病による「合作」だと判じざるを得ません。



こんにち、エルガーのチェロ協奏曲を公のプログラムにしようとするチェリストは、かなりの勇気と自信を―何よりジャクリーヌ・デュ・プレの演奏との比較を免れないという意味で―要する、といいます。
友人であった指揮者のズ―ビン・メータが生涯誰ともこの曲を演奏しないと決めたように、この曲は彼女そのものであり、その痛切な悲壮感から彼女の人生を想起させずにはいられないからでしょう。


作曲者エルガーにとっても「白鳥の歌」となったこの曲については、没年の1934年に病床にあったエルガーが

「僕が死んだ後に、
もし誰かが口笛でこの旋律をモールヴァーン丘陵で吹いていたなら、
怖がらなくていいよ。
それはきっと僕なんだから」


と語ったというエピソードがあり、ジャクリーヌもその人生を自分のそれと重ね合わせるがごとき発言をしています。

「エルガーは不幸な人生を送ったの。
いつも病気で。
でもその間も彼の魂は輝いていたの。
私、彼の音楽にそれを感じるのよ」


エルガーのチェロ協奏曲。

病に冒された二人の不幸な天才を結び付けたこの曲の調べを聴いていると、九歳の少女の声で無邪気に語られたという予言の言葉がそれに重なって聴こえてくるような気がするのです。

「ママにはこれ内緒だよ。
私、大人になったら・・・動くことも歩くこともできなくなるの」


「本当の」ジャクリーヌ・デュ・プレとは、もしかしたら、病に侵されず、天才でもなかったジャッキーであり、少なくともこの世には存在しなかったという気すらしてくるのです。



















グエイ公園のホアキン・ベラオ

2010-11-16 | つれづれなるままに



バルセロナに友人がいます。
ボストン時代のTОの同級生でバルセロナ出身。
クリスといいます。

彼はスペインの名家の出て、いわば天才型。
飛び級をし、国王じきじきにメダルを授けられた過去を持つ超秀才ですが、
人間的にも実に魅力のある人物で家族ぐるみで仲良くしていたころは
人見知りする息子がすっかりなついていました。

クリス自身大家族の一員で一番末の弟が息子と同い年だったせいもあり、
息子はかれからずいぶん愛情を注いでもらいました。

大学卒業時に
「ぜひバルセロナに来てよ」
と言われていたので、日本人と違って「社交辞令」ではこういうことを決して言わない
スペイン人のお誘いだから、と本当に遊びに行ったのです。

旅をするからには挨拶くらいは現地語で、という家訓に則り、いつも直前に猛勉強します。
昔、日頃全く勉強せず、試験前の一夜漬けでなんとかなっていた
学生時代の土壇場勉強法は今も健在。
知り合いの紹介でメキシコ人にスペイン語を2ケ月教わって行きました。
一家の通訳係は英語圏を除きいつも私です。
しかし、旅行が終わればすぐさまきれいさっぱり忘れてしまい、
現地でクリスを感嘆させた一夜漬けスペイン語も、今覚えているのは

「ウナス・タパス・サブロサス」(美味しいおつまみ)

だけ。
何の役にも立ちません。

エリス中尉、実家が神戸なのですが、このバルセロナという街、
オリンピックでご覧になって御存じの方は、
もしかしたら海沿いの明るい雰囲気が神戸のようだと思われたかもしれませんね。
海に山が迫っていて、街全体が太陽に包まれている様子が
まさに神戸のようで、すっかりこの街のファンになってしまったものです。

そして、街中いたるところにある歴史的建造物。
そう、ガウディの建てた(今も建造中)サグラダ・ファミリアも。
この建築にあたる主任は日本の方らしいですね。

天才建築家ガウディの遺したものは、バルセロナのあちこちで観光名所となっているのですが、
本日表題のグエイ公園もその一つ。

園内にはガウディの家が資料館のように移設されて見学できます。
ガウディはこの公園のデザインを全て手掛けたほか、入口にある今日画像のかわいらしい
「ガウディとかげ」も、この公園のためにガウディが作った、人気の「ゆるキャラ」。

ここにはそれこそ世界中から毎日のように観光客が訪れるので、
それを目当てのストリートパフォーマーがたくさんいるのですが、
驚くことにそのレベルの高いこと。

ストリートミュージシャンといっても、ヨーロッパの国らしく、ジャズよりクラシックが多いのですが、
何しろ思わず聴きいってしまうくらい実力のある演奏者が、いたるところで演奏しているのです。
クリスに聞くと、誰でも演奏できるわけではなく、おそらくオーディションがあって、
それを通らないと市当局の許可はもらえないということでした。

アコーディオンでヴィヴァルディの「四季」全曲を演奏していた音楽家のCDと、
何故かバロック時代の扮装で演奏していたコントラバス奏者のCDを買って帰りましたが、
あらためて聴いてもなかなかのものです。

公園内には曲芸師もいましたが、そのはか、スペインらしくフラメンコダンサーなどもいて、
一日でも滞在できるくらい楽しいのですが、勿論お店もたくさん。
手作りのアクセサリーなどが売られているも日本と一緒。



そのお店(と言っても地べたに布を敷いて商品を並べているようなもの)の中に、
不思議なデザインのアクセサリーを作って売っている人を見つけました。

写真のチョーカーのようなネックレス。
ヘッドにアメジストとジェットが嵌めこんであります。
これをしているとなぜかみんなに褒められるのですが、
特に知人のアメリカ在住絵本作家に褒められたときは嬉しかったですね。

この一風変わった、それも原石を惜しげもなく使った作風のアクセサリー売りのコーナーに
陣取って見ていると、なぜだかスペイン人がわらわらとたかってきて、
あっという間に押すな押すなの人気コーナーに。

実はエリス中尉は自他共に認める「招き猫体質」。
ガラガラのお店に一人でいると、何故か次々と人が入ってきて、お店の人が不思議がるほど
「いつのまにか満員御礼」状態になることがよくあるのですが、
ここスペインはバルセロナにおいても招き猫体質を発揮してしまい、
この少しアクセサリーにしてはお高めなお店が大賑わいになってしまいました。

このアクセサリーを売っている男性は、は自分で石を仕入れて磨き、デザインして、
こうやって製作したものをいろんなところで売っているということでしたが、
このデザイン、なかなかオリジナリティがあっていいセンスだと思いませんか?

日本に帰って、こんな感じの石を使ったオリジナルの手作りアクセサリーが
2万3万という値段をつけて売られているのを見て、
50ユーロもしなかったこのアクセサリーの方がずっとお洒落だわ、と思うこともしばしば。

スペイン出身のホアキン・ベラオというデザイナーがいます。

独特のデザインのクロスがトレードマークの、今や世界的なジュエリー・デザイナーなのですが、
このグエイ公園のデザイナーも、そのうちこの独特なデザインが誰かの目に留まって
有名になるかもしれません。

そのときは
「無名時代のホアキン・ベラオ(仮名)の作品持ってるの」と自慢しようっと。