
【90秒予告】映画『雪風 YUKIKAZE』 8月15日(金)全国公開!!
この夏8月15日公開予定の映画『雪風 YUKIKAZE』の
マスコミ試写会のお誘いをいただき、観てきました。
マスコミ試写会のお誘いをいただき、観てきました。
試写会のお知らせには以下のように書かれています。
平素よりお世話になっております。
竹野内豊主演の映画『雪風 YUKIKAZE』
(配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント/
バンダイナムコフィルムワークス)が 8 月 15 日(金)に全国公開いたします。
たった 80 年前。平和な海が戦場だった時代。
帰ることを夢見ながら戦い続けた兵士たちや、
その無事を祈り、待ち続けた家族たち。
彼らひとつひとつの人生にはどんな物語があり、
それぞれが何を想い続けていたのか。
映画『雪風 YUKIKAZE』は、太平洋戦争の渦中から戦後、
さらに現代へと繋がる激動の時代を背景に、
懸命に生き抜いた人々の姿とその運命を、壮大なスケールで描きます。
タイトルとなっている「雪風」とは、
太平洋戦争中に実在した一隻の駆逐艦の名。
主力だった甲型駆逐艦 38 隻のうち、激戦を生き抜き、沈むことなく、
ほぼ無傷で終戦を迎えたのは、「雪風」ただ一艦。
その戦いの中で「雪風」は、敵の攻撃によって沈没した
僚艦の乗員たちを救い続けました。
生きて帰り、生きて還す――それがこの艦にとって戦う意味でした。
本作はその勇姿を、史実に基づいたフィクションとして甦らせます。
主演は竹野内豊。共演に玉木宏、奥平大兼、當真あみ、田中麗奈、
そして、中井貴一と豪華俳優陣が集結。
知られざる史実を基に、新たな視点で描かれる
最大級の感動大作が誕生しました。
この度、下記日程にてマスコミ試写を実施いたします。
2025 年夏、80 年前の海から、今を生きる私たちへとメッセージを運ぶ
『雪風 YUKIKAZE』。
ぜひともいち早くご覧いただき
公開に向けて応援いただけますようお願い申し上げます。
8月15日公開の戦争映画というと、わたしなどどうしても、
「東宝8・15シリーズ」を思い出さずにはいられないわけですが、
本作が東宝とは関係のないソニー・ピクチャーズの配給でありながら
この日の公開を選んだのも、かつてのシリーズに敬意を表しつつも、
当時とは違う「今・現在」の戦争映画に込めたメッセージを確認してほしい、
という意図だったのではないかと深読みしてしまいます。
次に、プレス資料より、あらすじを書き出しておきます。
「『雪風』......これより乗員の救助に向かう......」
1942 年 6 月、ミッドウェイ島沖。
沈没しようとする巡洋艦「三隈」から、多くの乗員が海に投げだされている。
激しい戦闘を繰り広げていた一隻の駆逐艦が救助に向かう。
先任伍⻑である早瀬幸平(玉木宏)の
「一人残らず引き上げろ!」というかけ声のもと、縄梯子が降ろされ、
海面から次々と乗員が助けられていく。
早瀬が最後に海から救い上げたのは、まだ 17 歳の二等水兵、
井上壮太(奥平大兼)だった。
そんな「雪風」の姿を、これも大きな損傷を負った
巡洋艦「最上」の艦橋から、副⻑の寺澤一利(竹野内豊)が見つめていた。
これ以降、戦局の主導権を米軍に奪われていく中、「雪風」は
ガダルカナルを始めとするソロモン海域における数々の過酷な戦場で、
獅子奮迅の活躍をする。
そしてどんな時も、戦いの後海に投げ出された僚艦の乗員たちを救い続けた。
1943 年 10 月、「雪風」はラバウル港に停泊していた。
早瀬の指揮のもと艦の整備にあたる乗員たち。
そこへ水雷兵として配属されてきたのは、
ミッドウェイで早瀬に救われた井上だった。
二人は再会を喜び合う。
そして艦橋には着任したばかりの新たな艦⻑の姿があった。
あの「最上」副⻑、寺澤である。
しかし乗艦早々、米軍機との戦闘が始まる。
新艦⻑、寺澤の見事な操艦と、先任伍⻑、早瀬の的確な準備で
難を逃れたあと、二人は初めて顔を合わせた。
寺澤は早瀬の働きを認めながらも、ミッドウェイを振り返り
「仲間の救助は大事だが、判断を誤れば艦を失う」
と告げる。
「『雪風』......これより乗員の救助に向かう......」
1942 年 6 月、ミッドウェイ島沖。
沈没しようとする巡洋艦「三隈」から、多くの乗員が海に投げだされている。
激しい戦闘を繰り広げていた一隻の駆逐艦が救助に向かう。
先任伍⻑である早瀬幸平(玉木宏)の
「一人残らず引き上げろ!」というかけ声のもと、縄梯子が降ろされ、
海面から次々と乗員が助けられていく。
早瀬が最後に海から救い上げたのは、まだ 17 歳の二等水兵、
井上壮太(奥平大兼)だった。
そんな「雪風」の姿を、これも大きな損傷を負った
巡洋艦「最上」の艦橋から、副⻑の寺澤一利(竹野内豊)が見つめていた。
これ以降、戦局の主導権を米軍に奪われていく中、「雪風」は
ガダルカナルを始めとするソロモン海域における数々の過酷な戦場で、
獅子奮迅の活躍をする。
そしてどんな時も、戦いの後海に投げ出された僚艦の乗員たちを救い続けた。
1943 年 10 月、「雪風」はラバウル港に停泊していた。
早瀬の指揮のもと艦の整備にあたる乗員たち。
そこへ水雷兵として配属されてきたのは、
ミッドウェイで早瀬に救われた井上だった。
二人は再会を喜び合う。
そして艦橋には着任したばかりの新たな艦⻑の姿があった。
あの「最上」副⻑、寺澤である。
しかし乗艦早々、米軍機との戦闘が始まる。
新艦⻑、寺澤の見事な操艦と、先任伍⻑、早瀬の的確な準備で
難を逃れたあと、二人は初めて顔を合わせた。
寺澤は早瀬の働きを認めながらも、ミッドウェイを振り返り
「仲間の救助は大事だが、判断を誤れば艦を失う」
と告げる。
早瀬の顔色が変わり、艦橋に緊張が走る。
冷静沈着に状況を判断し、何よりも作戦遂行を優先する寺澤。
一方、早瀬は乗員一人一人の命を守り、
全員で戦場から生きて帰ることこそが、戦う目的だった。
その後も二人は度々ぶつかることになる。
1944 年に入り、米軍はフィリピンとマリアナ諸島の二方向に進撃し、
日本軍の拠点は次々と失われていく。
7 月には、日本の絶対国防圏とされるサイパン島が陥落した。
7 月には、日本の絶対国防圏とされるサイパン島が陥落した。
呉港に停泊する「雪風」では、乗員たちに届いた手紙が次々と渡されていく。
早瀬は、信州で母と共に暮らす年の離れた妹、
サチ(當真あみ)からの便りを一心に読み続けた。
一方、妻の志津(田中麗奈)のもとへと戻った寺澤は、
もうすぐ誕生日を迎える三歳の娘に、小さな髪留めを置いていった。
10 月。
アメリカは日本にとって南方の最重要拠点であるフィリピンへと迫っていた。
日本海軍は米軍の上陸を阻止すべく、ついにレイテ湾へと向かう。
日米が雌雄を決するそのレイテ沖海戦に、もちろん「雪風」の姿もあった。
戦闘が激しさを増す中、乗員たちの心が一つになり、
死線を潜り抜けていく「雪風」。
絶体絶命の危機に陥るが、早瀬の機転により何とか生き延びた。
ここで寺澤と早瀬は互いの想いをようやく理解し合い、
二人の心は繋がることになる。
そして 1945 年 4 月、日本。第二艦隊司令⻑官、
伊藤整一中将(中井貴一)へ下された、連合艦隊最後の作戦によって、
「雪風」は戦艦「大和」らと共に沖縄へ向かう。
護衛機もなく、死を前提としたいわゆる海上特攻である。
果たして寺澤は、この「十死零生」とされる作戦をどのように生き抜くのか。
「雪風」は、今回もまた、多くの仲間を救い、
港に帰ることができるのか......。
※この物語は史実に基づいたフィクションであり、
※この物語は史実に基づいたフィクションであり、
人名、事象、時制などに架空の設定が含まれています。
■ 「雪風」出演俳優


この映画で「雪風」艦長、寺沢一利中佐を演じるのは竹野内豊。
実際の坊ノ岬沖海戦時の艦長は寺内正道中佐ですが、
実際の寺内艦長は体重96キロ、八字髭を蓄えた柔道五段の偉丈夫で、
竹野内とは全くタイプが異なるからか、仮名となりました。
開戦後の「雪風」艦長は、第3代艦長飛田健二郎、第4代菅間良吉、
そして第5代の寺内艦長、第6代古要桂次艦長です。
「駆逐艦 雪風 YUKIKAZE」の生涯
・・・飛田健二郎、菅間良吉、寺内正道、古要桂次(第3代~6代艦長)
https://youtu.be/gGH_qeXGSfs?si=661wV15HhBN4WCfj
https://youtu.be/gGH_qeXGSfs?si=661wV15HhBN4WCfj
しかし、これによると映画で採用されたいくつかの艦長エピソードは
いずれも寺内艦長のものであることがわかりました。
いずれも寺内艦長のものであることがわかりました。
駆逐艦 雪風 YUKIKAZE(第五代艦長)「寺内正道」
・・・雪風を沈めてなるものか!坊ノ岬沖海戦から生還した名艦長!
(具体的には観てのお楽しみなのでここでは書きませんが、
ぜひこのビデオで予習してからご覧になることをお勧めします)
あらすじでも言及されていた、寺澤艦長の、
「冷静沈着に状況を判断し、何よりも作戦遂行を優先する」
「冷静沈着に状況を判断し、何よりも作戦遂行を優先する」
姿勢ですが、これは上のビデオで言及されている、
「例え生存者があっても沈没艦への救助の手は差し伸べず、
敵の攻撃により一隻のみ残ったとしても、作戦遂行のため沖縄に突入せよ」
という出撃前夜の全艦長の申し合わせから来ていると見られます。
その後溺者救助の命が司令部より下されると、寺内艦長は、
「そうと決まれば最後の一人まで救え!」
と総員に申し渡しました。

「雪風」先任伍長役は玉木宏。
「真夏のオリオン」で潜水艦長を演じた時は、
「潜水艦乗りなのに小綺麗すぎて、汗をかいていても
ドルチェ&ガッバーナの『ブルー』の匂いがしてきそう」
などと評してしまったことがありましたが、本作では、
玉木さんに限らず、駆逐艦乗組員の薄汚れ具合が実にリアルです。
役者の年齢の問題について。
45歳の玉木宏の妹(當間あみ)がまだせいぜい20歳だったり、
54歳の竹野内に生まれたばかりの娘がいたりしますが、
特に竹野内の艦長役は、実際の駆逐艦艦長なら40歳前後なので、
15歳くらい若い役を演じていることになります。
映画で軍人役が実際より年上の俳優によって演じられるというのは
洋の東西問わずあるあるなのですが、玉木さんも竹野内さんも、
本作では全く観ていて年齢的な不自然さはありませんでした。
「真夏のオリオン」で潜水艦長を演じた時は、
「潜水艦乗りなのに小綺麗すぎて、汗をかいていても
ドルチェ&ガッバーナの『ブルー』の匂いがしてきそう」
などと評してしまったことがありましたが、本作では、
玉木さんに限らず、駆逐艦乗組員の薄汚れ具合が実にリアルです。
役者の年齢の問題について。
45歳の玉木宏の妹(當間あみ)がまだせいぜい20歳だったり、
54歳の竹野内に生まれたばかりの娘がいたりしますが、
特に竹野内の艦長役は、実際の駆逐艦艦長なら40歳前後なので、
15歳くらい若い役を演じていることになります。
映画で軍人役が実際より年上の俳優によって演じられるというのは
洋の東西問わずあるあるなのですが、玉木さんも竹野内さんも、
本作では全く観ていて年齢的な不自然さはありませんでした。
お二人ともそもそも全くその年齢より若く見えますし、
俳優というのは多少の年齢なら演技で超越できることを確認した次第です。
俳優というのは多少の年齢なら演技で超越できることを確認した次第です。
いずれにしても、「雪風」という魅力的な題材に次いで、この、
魅力的な男優二人のカップリングというのが映画の推しポイントでしょう。
魅力的な男優二人のカップリングというのが映画の推しポイントでしょう。
■ 本作のテーマ

「雪風」が開戦以来いくつもの作戦に参加しながら、
その都度生きて帰ってきたということと、その都度数多の将兵を助けてきた、
駆逐艦であったことが「命を繋ぐこと」という作品のテーマであり、
それを象徴的に表すのが、この「繋ぐ手」です。
「命を救う」というのは、現代における戦争映画のテーマとしては、
こう言ってはなんですが、共感を得やすいものだと思います。
戦後すぐの戦争映画は、わたしが多くの作品を観る限り、
あまり私情を交えず淡々とその経緯を語るといったものが多かったのですが、
そういった作品に対して「反省がない」「戦争賛美」という論調が
左傾化した、主にマスコミ界隈から生まれてくると、例えば
「軍閥」「きけわだつみのこえ」のように軍部批判、
「大日本帝国」のように日本批判するような作品が生まれてきました。
(『戦争と人間』は左に振り切れすぎてもはや制御不能だった)
あとはどの作品も大なり小なり反省色が滲むものでしたが、
今回やはり試写を鑑賞された元海自の方によると、戦争映画は、
あとはどの作品も大なり小なり反省色が滲むものでしたが、
今回やはり試写を鑑賞された元海自の方によると、戦争映画は、
2005年(終戦から60年)の「男たちの大和」から「反省色」がなくなり、
「こうして日本はやって来た」という路線になって来たように思います。
わたしも同じことを思いました。
戦後すぐの「淡々と時系列を語る」と基本同じベクトルでありながら、
現代ならではの「命」の価値観によるメッセージを加味したものであると。
戦後すぐの「淡々と時系列を語る」と基本同じベクトルでありながら、
現代ならではの「命」の価値観によるメッセージを加味したものであると。
■ 実在&創作の軍人

実在の軍人を誰が演じているかも興味深いところです。
第二艦隊司令長官伊藤整一大将を演じるのは、中井貴一。
(ここだけの話、この写真の中井貴一、以前と顔違ってませんか?
若い時はすっきりとした一重瞼だったはずが・・・)
第二艦隊司令長官伊藤整一大将を演じるのは、中井貴一。
(ここだけの話、この写真の中井貴一、以前と顔違ってませんか?
若い時はすっきりとした一重瞼だったはずが・・・)

「聯合艦隊」のとき


「大和」艦長有賀工作中将(最終)を演じたのは、田中美央(右)。
「大和」特攻に当たって少尉候補生を「日本の未来のために」と
艦から降ろす決定を伊藤整一が下したエピソードも出てきます。
また、「大和」の特攻作戦を伊藤中将に伝達・説得するシーンで
草鹿龍之介参謀長も登場しましたが、役者名はわかりませんでした。
艦から降ろす決定を伊藤整一が下したエピソードも出てきます。
また、「大和」の特攻作戦を伊藤中将に伝達・説得するシーンで
草鹿龍之介参謀長も登場しましたが、役者名はわかりませんでした。
それから、軍令部作戦課長の古庄俊之という軍人が登場します。
寺澤艦長の軍令部時代の上司として、その心情を理解し、
前線で戦う現在の立場を慮る人物、という設定。
寺澤艦長の軍令部時代の上司として、その心情を理解し、
前線で戦う現在の立場を慮る人物、という設定。
演じているのが石丸幹二なのですが、モデルに全く思い当たる人物がなく、
この人が登場するたびにモヤモヤしていました。
そして、モヤモヤしながらもその名前から想像した通り、
エンドロールのクレジットに、監修として
第26代海上幕僚長古庄幸一氏の名前があり、納得しました。
この人が登場するたびにモヤモヤしていました。
そして、モヤモヤしながらもその名前から想像した通り、
エンドロールのクレジットに、監修として
第26代海上幕僚長古庄幸一氏の名前があり、納得しました。
古庄氏の父上だったとかそういうことでもないので、おそらく、
氏に敬意を表して創作した架空の人物だと思われます。
氏に敬意を表して創作した架空の人物だと思われます。
もちろん、本作は海上自衛隊が協力しています。
劇中、「雪風」が帰国し艦長が久々に帰宅するシーンがあるのですが、
劇中、「雪風」が帰国し艦長が久々に帰宅するシーンがあるのですが、
出迎えた奥さんに向かって早々に「今日は船に帰る」というんですね。
(田中麗奈はこれに対し、ほんの一瞬、表情を動かすのみ)
(田中麗奈はこれに対し、ほんの一瞬、表情を動かすのみ)
このシーンについて、前述の元海自の方は、
「元自衛官が監修しているからだろうなと思いました」
とおっしゃったので、真意がわからず説明を求めると、
海上自衛隊では「家に帰る」とは言いません。
艦長以下全乗員が「船に帰る」と言います。
恐らく、海軍時代の仕来りだろうと思います。
よく新婚ネタで「船が家なの(怒)」というのがあります。
だそうです。(帰るという言葉に気が付きませんでした)

海軍の系譜たる海上自衛隊に、「雪風」始め、
戦いに出て、或いは斃れた先人たちが「命を守る」使命を託す、
というメッセージを込めた一連のシーケンスで映画は終了するのですが、
その中には、江田島の海上自衛隊第一術科学校構内にある「雪風」の錨、
そして自衛官が整列する術科学校が空撮で映し出されるシーンがあります。
このラストのドローンによる空撮は、正門側から海に向かい、
最後に江田島の湾沖に停泊する、ある護衛艦を映し出して終わります。
それが上の写真ですが、さて、この護衛艦はなんだと思いますか?
(このシルエットだけでわかる人はわかってしまうんでしょうけれど)
個人的には、最後の空撮シーンのためだけにも、本作品は
映画館の画面でぜひ観ていただきたい、と声を大にして言っておきます。
戦いに出て、或いは斃れた先人たちが「命を守る」使命を託す、
というメッセージを込めた一連のシーケンスで映画は終了するのですが、
その中には、江田島の海上自衛隊第一術科学校構内にある「雪風」の錨、
そして自衛官が整列する術科学校が空撮で映し出されるシーンがあります。
このラストのドローンによる空撮は、正門側から海に向かい、
最後に江田島の湾沖に停泊する、ある護衛艦を映し出して終わります。
それが上の写真ですが、さて、この護衛艦はなんだと思いますか?
(このシルエットだけでわかる人はわかってしまうんでしょうけれど)
個人的には、最後の空撮シーンのためだけにも、本作品は
映画館の画面でぜひ観ていただきたい、と声を大にして言っておきます。
最後に、プレス資料より、「雪風」のスペックです。
駆逐艦「雪風」(陽炎型かげろうがた駆逐艦8番艦)
1940 年(昭和 15 年)竣工
○基準排水量 2,033 トン(※「大和」64,000 トン)
○全⻑ 118.5 メートル(※「大和」263.0 メートル)
○全幅 10.8 メートル(※「大和」38.9 メートル)
○最大速力 36 ノット(※「大和」27.46 ノット)
○乗員 233 人(※「大和」3,300 人)
━数多くの激戦に参加し、終戦まで生き抜いた「不沈艦」━
スラバヤ沖海戦を始め、ミッドウェイ海戦や第三次ソロモン海戦、
マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、そして戦艦「大和」が沈んだ
沖縄特攻(天一号作戦)など、太平洋戦争における数々の激戦に参加した
「雪風」は、他の艦が大破炎上していく中で、
絶えず不死身ともいえる戦いぶりを見せ、主力として海戦に送り込まれた
甲型駆逐艦(陽炎型駆逐艦、夕雲型駆逐艦)38 隻のうち、
ほぼ無傷で終戦を迎えたのは、「雪風」ただ一艦のみだった。
━海に投げ出された仲間たちを助け続けた「命を救う艦」━
駆逐艦はどんなに激しい海戦においても、戦闘後はその場に留まり、
海に投げ出された僚艦の兵士たちを救い続けた。
帰国した「雪風」の乗員が、いつも行きよりも多かった、
というのは、いかにもそれらしい逸話である。
沖縄特攻で戦艦「大和」や巡洋艦「矢矧」などが沈んだ時も、
数百名の兵士たちを海から引っ張り上げ、佐世保港に帰還した。
生きて帰り、生きて還す。それが「雪風」にとって戦う意味だった。
━終戦後、約 13,000 人もの邦人を連れ帰った「復員輸送船」━
「雪風」の信念は戦後にも受け継がれる。
太平洋戦争を生き抜いた「雪風」は武装を撤去され、
「復員輸送船」としての航海を続け、外地に取り残された人々、
約 13,000 名を日本に送り返した。
200 名強の乗員が、一度にその四、五倍もの数を乗せ、
繰り返し本土に運んだのである。
漫画家水木しげる氏も「雪風」によって日本に帰ることができた一人だった。
━抽選によって中華⺠国に引き渡された「戦時賠償艦」━
復員輸送船としての役割を終えた「雪風」は、戦時賠償艦として、
戦勝国の抽選により中華⺠国(現在の台湾)に引き渡される。
「丹陽」と名前を変え、その後は台湾沿岸部の警備などで活躍するが、
1970 年に台風の影響で大きな損傷を負い、解体された。
戦時中から“海軍一の働きもの”“海の何でも屋”として、
数々の過酷な戦場で活躍し、「奇跡の駆逐艦」や「幸運艦」と噂され、
終戦後はアメリカの海軍関係者たちから、
第二次世界大戦を通じて最優秀の艦、と絶賛されたという「雪風」。
現在では「舵輪」と「主錨」が江田島の海上自衛隊第 1 術科学校に、
「スクリュー」が台湾海軍よって保管されている。
駆逐艦「雪風」(陽炎型かげろうがた駆逐艦8番艦)
1940 年(昭和 15 年)竣工
○基準排水量 2,033 トン(※「大和」64,000 トン)
○全⻑ 118.5 メートル(※「大和」263.0 メートル)
○全幅 10.8 メートル(※「大和」38.9 メートル)
○最大速力 36 ノット(※「大和」27.46 ノット)
○乗員 233 人(※「大和」3,300 人)
━数多くの激戦に参加し、終戦まで生き抜いた「不沈艦」━
スラバヤ沖海戦を始め、ミッドウェイ海戦や第三次ソロモン海戦、
マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、そして戦艦「大和」が沈んだ
沖縄特攻(天一号作戦)など、太平洋戦争における数々の激戦に参加した
「雪風」は、他の艦が大破炎上していく中で、
絶えず不死身ともいえる戦いぶりを見せ、主力として海戦に送り込まれた
甲型駆逐艦(陽炎型駆逐艦、夕雲型駆逐艦)38 隻のうち、
ほぼ無傷で終戦を迎えたのは、「雪風」ただ一艦のみだった。
━海に投げ出された仲間たちを助け続けた「命を救う艦」━
駆逐艦はどんなに激しい海戦においても、戦闘後はその場に留まり、
海に投げ出された僚艦の兵士たちを救い続けた。
帰国した「雪風」の乗員が、いつも行きよりも多かった、
というのは、いかにもそれらしい逸話である。
沖縄特攻で戦艦「大和」や巡洋艦「矢矧」などが沈んだ時も、
数百名の兵士たちを海から引っ張り上げ、佐世保港に帰還した。
生きて帰り、生きて還す。それが「雪風」にとって戦う意味だった。
━終戦後、約 13,000 人もの邦人を連れ帰った「復員輸送船」━
「雪風」の信念は戦後にも受け継がれる。
太平洋戦争を生き抜いた「雪風」は武装を撤去され、
「復員輸送船」としての航海を続け、外地に取り残された人々、
約 13,000 名を日本に送り返した。
200 名強の乗員が、一度にその四、五倍もの数を乗せ、
繰り返し本土に運んだのである。
漫画家水木しげる氏も「雪風」によって日本に帰ることができた一人だった。
━抽選によって中華⺠国に引き渡された「戦時賠償艦」━
復員輸送船としての役割を終えた「雪風」は、戦時賠償艦として、
戦勝国の抽選により中華⺠国(現在の台湾)に引き渡される。
「丹陽」と名前を変え、その後は台湾沿岸部の警備などで活躍するが、
1970 年に台風の影響で大きな損傷を負い、解体された。
戦時中から“海軍一の働きもの”“海の何でも屋”として、
数々の過酷な戦場で活躍し、「奇跡の駆逐艦」や「幸運艦」と噂され、
終戦後はアメリカの海軍関係者たちから、
第二次世界大戦を通じて最優秀の艦、と絶賛されたという「雪風」。
現在では「舵輪」と「主錨」が江田島の海上自衛隊第 1 術科学校に、
「スクリュー」が台湾海軍よって保管されている。
最後になりますが、鑑賞の機会を下さった方に心よりお礼を申し上げます。
手つなぎの画も、生存者の手は基本重油でツルツルで握力も弱ってますので、一目で「ありえね~!」と突っ込んでしまう所です。これらを念頭に入れた描写であることを祈ります。
まあ先入観を排して見てから物を言いましょう。!(^^)!
雪風(丹陽)関連では他に、高雄の左營軍區故事館に点鐘と備品が展示されています。
同じく天一号作戦で生還した涼月は、艦長以下ほとんどの幹部が戦死し、艦橋が破壊され、海図がない状況で、機関長が航海科員に記憶を頼りに海図を書かせて、佐世保まで帰還しています。
必ず生きて帰るという意思があり、途中で折れなかったからこそ帰れた訳で、あきらめたら、ダメなんですね。幸運というより、艦長と乗員の気合(どんな状況でも折れない意志)だと思います。