ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

坂の上の雲~語られない「歴史」

2013-06-30 | 日本のこと

本日画像の「おまけ」とした、これは実物を手本に書いた
長岡外史(ながおかがいし)ですが、陸軍大学で秋山好古の同期。
ドラマでは的場浩司が演じていました。
当時陸大の校長であった児玉源太郎の懐刀として参謀次長を務めています。

その特異な髭は、60センチありギネス2番目の記録だそうですが、
この時代、どうやってこの髭を毎日固めていたのか、気になりますね。


さて。

先日来、坂の上の雲についてのいろいろを語っています。

この構造は非常に複雑で、そもそも「坂の上の雲」という歴史小説が、
一人の小説家の頭の中で展開している歴史の流れに則して書かれたストーリーであり、
それがどこから見ても公平な史実に近いものかというと、決してそうではなく、
さらにそれをドラマにするにあたって、さりげなく、というかかなり露骨にNHKが
「わが局の思想」による解釈をその上に盛るという具合に

二重のフィルターが史実に対してかけられた

エンターテインメントでした。

わたし自身もいくつかのエントリで「司馬の創作」「NHKの操作」について
わたしなりにそれを暴き(人聞きが悪いな)それはまだもう少し続いたりするわけですが、
ここである読者から、このドラマについての「ここがヘンだよ」についてのお便りをいただきました。

わたしがあまり述べてこなかった陸軍の部分に詳しいので、ぜひ取り上げさせていただきたく、
ここにまず掲載させていただくことにします。


肥田大尉のダンブライトでございます。お久しぶりです。

これは、エリス中尉とダンブライトさんにだけわかるあいさつで、以前、
肥田真幸大尉について書いたときに、インターネットの掲示板から拾ってくる形で、
肥田大尉へのコメントを紹介させていただいたのですが、後日、その書き込みをされた
ご本人であるダンブライトさんが、当エントリを見つけて、

「あれは私です」

と名乗り出てくださったというご縁です。
ダンブライトさん、お久しぶりです。
また読んでくださって、嬉しく存じます。
以下、ダンブライトさんのコメントを続けてどうぞ。


私がこのドラマで唖然としたのは、戦闘場面、特に陸軍の戦闘の大幅な省略です。

陸軍は三方から上陸し、鴨緑江、南山、得利寺などでロシア軍を破りながら北上しました。
そのうちの第二軍には主人公の秋山好古少将も所属しています。

また、鴨緑江でロシア軍を破った第一軍の黒木司令官は、

戦後アメリカに渡ったときにセオドア・ルーズベルト大統領から英雄扱いを受けます。
また、続く大会戦の遼陽では、第一軍の黒木司令官と
藤井茂太参謀長(秋山の陸大同期生として第1部から登場)の迂回作戦により、
強力なロシア軍を撤退させることにやっとのことで成功します。


   黒木司令官、とは黒木為(くろき ためもと)のこと。
   いわゆる猪突猛進型の武将で、日露大戦直後の立役者であったと言われています。


しかし、ドラマではその描写は全くありません(遼陽で秋山が走っただけ)。
黒木司令官に扮しているのは清水紘治氏で、
ガイドブックの写真を見ると、さすが「クロキンスキー」
とロシア軍におそれられた猛将を彷彿とさせるかっこよさなのですが、
奉天会戦前に水杯をする場面にしか出てきません。


第二軍司令官の奥大将、第四軍司令官の野津大将も同様です。

さらに、先述したように藤井参謀長は秋山の同期生ですが、
戦争になってからはほとんど全く出てきません。


   冒頭の長岡外史も、祝言の席では同期生達と共に、かつての教官メッケルの真似をして
   「好古をもって同期全員、全滅」と言ってから一斉に倒れて死んだふりをするとか、
   そういう話ばかりで、結局この人が日露戦争で何をしたのかさっぱり、でしたよね。


そして、続く苦戦の末にロシア軍の逆襲を押し返した
沙河の会戦については、それ自体がドラマ中に全く存在しません。
名将として小説中に登場する梅沢少将もです。


   まあ、乃木・ステッセルの水私営の会見すら一シーンもなかったドラマですから、
   ある意味当然かと・・・・(-_-)


また、黒溝台の戦いでは、さすがに少しはやりましたが、
なぜロシア軍が撤退したのか、説明が不十分で見ている視聴者にはわかりません。
また、この戦いで必死の援軍をした第8師団長の立見尚文も、全く登場しません。



   全体的に、「やられるがままにばたばた死んでいく日本兵」だけを必要以上に強調し、
   戦闘の流れが全く読めませんでしたよね。
   わたしも「どうしてここから勝つことができたのか、わかる人はいるまい」と思って見ていました。


奉天会戦は、10年後の第一次世界大戦まで、世界史上最大の戦力が激突した
日露戦争の天王山です。

当然、ドラマ1回分、できれば2回分でやるべきではありませんか
(実際は黒溝台と奉天で一回分)。


旅順の描写にも問題点がありますが

● 二百三高地が陥落したことは旅順の陥落ではなく、
その後のロシア軍のごたごたの末に開城したこと、

● 敵の主将のステッセル中将が全く登場しないこと、

● 旭川第7師団の大迫中将の印象的なセリフが唐突で、
知らない視聴者には何のことかわからないこと、

● 敵の名称のコンドラチェンコが一カットしかなく、
それも字幕が出ないので誰だかわからないこと

それでもそれなりに満足できる出来だったと思います。


しかし問題は、旅順は支作戦であり、本当の決戦である
北方の満州軍の戦いについて上記のように描いてもいないし、
日露戦争を知らない大半の視聴者にとっても説明不足なことです。



   わたしは制作者がその「要点」をつまり理解していないのでは、と思いました。
   全体的な流れを重視するあまり、取捨選択が雑になったのでは、と・・・。


海軍側ではお気づきと思いますが、幸運だった黄海海戦は
ただ艦艇配置図を一瞬示しただけで終わり、
名将マカロフも戦死の場面もなくいつの間にか消えていて、
またのちの大敗の伏線になるバルチック艦隊の苦難の航海が、ほとんど全く描写されていません。


   はい。そのとおりです。
   マカロフ、いつの間にいなくなったの?とわたしも思いましたし、そもそも
   ロジェストベンスキーの乗ったフネが拿捕される様子や、前にも書いたように、
   ロ少将を見舞う東郷長官の話すらカットしましたからね。
   まったく何が描きたくて「坂の上の雲」を放映したのか、って感じです。


第一回の初めで
「この物語は、その小さな国が、ヨーロッパにおける最も古い大国であるロシアと対決、
どのようにふるまったかという物語である」
とはっきり主題を提示しているのにもかかわらず、実態は上記のごとくです。


   毎回毎回あのタイトルをしつこくやるのも、DVDで見ている者にとってはうんざりでしたね。
   あのタイトルにあれだけ時間をかけるなら、もっと他にやることがあるだろう、と。

尺の長さを見れば一目瞭然で、原作の第3巻途中までに相当する第1部・第2部に2年間をかけ、
第3巻後半から第8巻までをわずか4回でまとめるというおかしな構成です。
(私はこれをはじめに見たときに目を疑い、次には信じないようにしました)。


これでは「リーさんとかアリアズナとか季子とかもう出てくるな、時間がないから」と言いたくなります。

私は第三部を半年くらいの放映で作り直してほしいのですが、いかがでしょうか?


   確かに(笑)。
   これだけいろんなことを端折って、そのかわりドジョウを捌くの捌かないの、って・・・。
   と言いたくなりますね。
   もっとも、三角関係や異国の恋を描かないと喰いついてくれない視聴者もいますから、
   制作者としては痛し痒しなんだと思いますが・・。




わたしもダンブライトさんと全く同感で、後半はいくらなんでも駆け足過ぎるだろう、と思います。
そもそも、広瀬武夫が準主人公みたいな扱いになっているせいで、
旅順閉塞作戦だけがやたら力が入っているんですよね。


ただ、いわゆる「星雲編」、あれはあれでドラマとして非常に面白く見ることができました。
あれをすっぱり失くしてまで、史実を子細に述べるべきだとは言えませんが、
少なくとも同じくらいの、いやそれ以上の密度で日露戦争を語らないことには、
単なる「秋山真之、好古、そして正岡子規の物語」にすぎない、という気がします。

もしかしたらNHKは膨大なストーリーから、多くを網羅することをあきらめて
「青春バイオグラフィー」の補強としてのみ史実を扱うことにしたのか、といった感さえあります。




それにしても、このような題材を、しかも長期に亘る放映で、
巨額の製作費を投入して制作することができるのは、
残念なことですが今の日本では現実に「NHKしかない」のです。


しかしながらその当事者に、それだけの重責を担っているからには誠実にかつ良心的なものを造ろうという
「使命感」があまり見られないのは、不幸なことだと思います。

NHK自身にとっても、何より我々日本国民にとっても。








辛坊治郎氏に言いたいこと~ヨット遭難事故その後

2013-06-29 | 日本のこと




今の時期どなたもが頭に思い浮かべるあの救出について、
もしかしたら発言なり感想を求められている気がしたので、書きます(笑)


2013年6月21日読売系列のフリーキャスター辛坊治郎氏(57)のヨットが
日本から1200キロ離れた太平洋上で浸水後沈没。
遭難救助には海上保安庁の航空機と巡視船がまず救助に出動。
波が高く救助は困難との海保からの災害派遣要請で、海上自衛隊が
救難飛行艇US-2などを緊急出動させ、辛坊氏と同行者の岩本光弘氏を救出。


これがこの事件の概要となります。

使用するヨットが事前に不具合を起こしていたのにもかかわらず、修理もろくにせずに
天候の悪い中出航を強行した末の救出劇であり、その無謀さとともに、
かつてイラクの人質事件のときに前代未聞の「人質の自己責任」という言葉を
舌鋒鋭く唱えた本人が今回自分がその自己責任を問われるという事態となったこともあって、
世論のほとんどはマスコミが「賛否両論」と誘導したがっているのとはうらはらに、
圧倒的に辛坊氏に批判的な様相を呈しています。

この一連の企画には、「不幸をばねに目的達成」という絵面でむりやり人を感動させることを目的に
いつも障碍者を利用する「24時間テレビ」の企画が絡んでいて、
そのスケジュールに合わせるために悪天候を圧して出港したいう批判が当初からわいていました。

「24時間テレビとこの企画は無関係だ」

と関係者がさっそく噂の否定に入ったことが、逆にそうであったことを印象付ける結果となっています。


この24時間テレビ、わたしは当然一度も見たこともないのですが、
間寛平の「24時間マラソン」で味を占め、その後それをウリとしてきたわけで、
その同工異曲の「感動企画」として、たとえば昨年は全盲のアルピニストに登山をさせたという話です。

これだけで、心象的には十分推定有罪は免れないわけですが、
実際のところ「24時間テレビ」と関係ないどころか、関係大いにありという証拠がでてきました。

今回使用されたヨット「エオラス」ですが、間寛平の元マネージャーで、
24時間マラソンの発案者である人物の所有するものであるということです。
これは何かの偶然でしょうか。
これを以てしても、まったく無関係だと当事者は言い張るつもりでしょうか。


「エオラス」号に出港直前に不具合が見つかったにもかかわらず修理をしなかったのも、
「テレビ的に」絵を間に合わせるためにスケジュールは変更できなかったというところでしょう。


不思議なことは他にもあります。

まず辛坊氏はもともとヨットという乗り物に知悉していたのでしょうか。
自身でもヨットを所有し、しょっちゅう外洋に出ている人物だったらともかく、
ウィキペディアを見ても決してそうではないんですよね。
つまりヨットにも「フネ」に関してもまったくの「素人」であったようなのです。

だからこそ、この企画に「応募してきた」セイラーの岩本氏とバディを組んだ、ということですが、
ここでなぜそれがわざわざ視覚障碍者である岩本氏だったのか。

もしこの企画と24時間テレビとが何の関係もないのなら

岩本氏には失礼ながら、非常に不思議な選択と言えます。

過去のニュースによると、辛坊氏は最近ガンが発覚し、その手術を終えたばかりとの由。

「ガンを克服したキャスターの太平洋横断(アシスト健常者のセイラー)」

十分それだけでも「ドラマ」としては成り立つような気もするのですが、
飽きられないように刺激をエスカレートさせていかなくてならないテレビ局としては
それだけでは「弱い」という判断でもあったのでしょうか。

しかもこの企画、辛坊氏当人が発案、つまり本人の希望ではなく、
この「24時間マラソンの発案者某氏」が辛坊氏に持ちかけた企画で、
辛坊氏はそれが決まったときのことを

「誰も止めてくれなかった」

と冗談とはいえ自分で言っていたというのです。

ここで慎重に、かつ最悪の事態を熟慮し断る冷静さを持てなかった辛坊氏は
あまりにもどっぷりと「テレビ界の人間」でありすぎたということなのでしょう。


というわけで最悪の事態は起こり、辛坊氏は海保と海自によって救出されました。
この無謀な企画の顛末は、税金からの救出費用概算1000万投入に加え、
成功していたらおそらく辛坊氏に殺到していたと思われる講演、
メディアの露出、そして各種出版物での利益、そしてなにより冒険家としての名声、
全てが(文字通り)水の泡と帰してしまったということになりました。

わたしはもともと「辛坊治郎」という個人ではなく、「テレビ業界」にこそ今回の責めどころがあると思い、
どちらかというと企画に乗らざるを得なかった辛坊氏には同情的でした。

ただ、「この国の国民でよかった」という救出直後の涙ながらの言葉には

「どの国の国民でも助けるのが海保であり自衛隊なんだけど・・・」

とわずかに白けた気分を味わったのも事実です。


たとえこの人物が、かつてイラクの人質救助に対し「自己責任だから税金使う必要はない」
と叫んでいたとしても、シーシェパードであっても、敵対する国の侵入者であっても、
助けを求めていたら救助に向かうのが自衛隊というものです。

「この国の国民だから助けてもらった」のではないのですよ。
辛坊氏は、まずお父上が所属していたという、その自衛隊に対して一言、
ちゃんとお礼を言うべきだと思います。

まあ、こんな風には考えましたが、先ほどもいったように「宮仕え」でもある氏に
全ての責任を負わせるのは間違っている、むしろ責められるべきは
この企画をゴリ押しした連中であろう、と思っていたのです。

しかしね。

さきほどこのニュースを見て、わたしはあまり氏に同情できなくなりました。


文春は辛坊さんの救出で4000万円の税金が消えたとして、
辛坊さんに費用を払う考えがあるのか質問し、

「“払います”と言えば、助けてくれた自衛隊員が喜ぶと思いますか。
命をかけて助けてもらって、それが金かよって思わないか。
目の前で命がけの彼らを見ていて、それで金払いますとは言えないだろ……」


という辛坊さんのコメントを掲載。
それゆえ特集の小見出しが「本誌直撃に“金は払わない”」となっている。


取りあえず相変わらずのマスコミですね(笑)
辛坊氏はつまり、自衛隊は金のために任務遂行しているのではない、金じゃないだろう、
それをいうのは失礼だろう、といっているわけです。
それを

「金は払わない」

こう一言でまとめてしまう相変わらずのマスゴミ手口には呆れてしまいますが、
いや、なかなか辛坊氏のこの発言も・・・・・・。

確かにその通りだとは思います。
お金に自分たちの行為を換算されるのは、自衛隊の隊員の本意ではないでしょう。
そんなこととは全く無関係に、彼らは任務を遂行するのですから。

しかしこれ、
実際に税金から大金を投入させて助けられた本人が言っていいことでしょうか。

しかも、今回の無謀な冒険?の目的って、いったいなんだったんですか?
本人は「24時間テレビは関係ない」という。
じゃあ、何のためにこんなことを企画したんですか?

企画立ち上げのときの記者会見では、何社もの「スポンサー」のロゴが、
その後ろのボードに書かれていましたね。
これだけスポンサーがいたからには、「営利活動」でしょう?

さらに、もし成功していれば、名声、講演会、出版物、その他諸々の
「成功報酬」が見込まれていたわけだから、「営業活動」でもあったわけですよね?


こういう目的で無茶をしておいて、助けられたら

「目の前で命がけの彼らを見ていて、金払いますはないだろ」

と、無償の任務を彼らが喜んでやるのが当然であるかのように言う。
これが、自衛隊や海保ではなく、もし民間の救難隊であれば、辛坊氏はどう言ったのでしょう。

これが山岳救助なら、時間いくらの救難費用は辛坊氏とその事務所に請求されるわけですが、
必死に救助に当たってくれるであろう救難員に対し、

「目の前で命がけの彼らを見ていたからこそ喜んで金払います」

とでもそのときには言っていたのでしょうか。
それとも、無謀の代償として不承不承支払ったのでしょうか。
民間の救助に対し「金払うというのは失礼」などとたわけた寝言をもし言ったとしたら

「いや、払えよ」

と言われるだけだと思うのですが、辛坊氏はこの矛盾をどう考えるのでしょうか。


自衛隊の隊員の気持ちになって考えてみれば、もちろん、
自分の任務に対して救助者がいくら感激したといっても「金払います」
などと言い出したら「金銭のためにやっているのではない」と思うにきまっています。

が、

「金払いますと言われて喜ぶと思いますか」

と助けた本人に代弁されてもねえ。
むしろ、

「そんなこと勝手に慮られたくない」

という風に内心カチンときませんかね。
しかも先ほども言いましたが、この人、自衛隊と海保に対して直接の謝意は表明していないんですよ。

「自衛隊の皆さん、海保の皆さん、
あなたたちが守ってくれる国の国民でよかった。
有難うございました」

ときっちり言ってからなら、上記のセリフにもかろうじて意味はあるという気がしますが。


しかし実際、この救助に向かったのが海上自衛隊の、
しかも世界に誇る水上艇U-2でなかったらおそらくこの二人の命はなかった、
というのは大筋の認めるところです。
海保では波が高すぎて助けられなかったので海自に要請が出され、
その海自レスキューの隊員ですら

「こんな高い波の中での救出は初めて」

というほどの、いわば決死の救助だったわけです。

辛坊氏とこの盲目のセーラーの命は要するに自衛隊に拾ってもらったようなものです。
今までは「局是」で、特定の保守政治家に自殺しろといったり、あるいは
民団で講演活動をしたり、どちらかというと「反体制」が目についてきたわけですが、
是非今後の人生、辛坊氏にしかできない
「報道関係者としての自衛隊への恩返し」、
(自衛隊の救助活動について広く喧伝するための講演活動をボランティアでするとか)
をせいぜい心がけて生きていっていただきたいと思います。


あ、それから、お金を返す方法は「自衛隊に払う」だけじゃありませんからね?
国庫に寄付するという方法もありますので、ぜひ考慮なさってみてはいかがでしょうか。

それならきっと、その気持ち、というか志に対し「自衛官たちも喜ぶ」と思います。



・・・というか、助けられたモンが居丈高に自衛官の感情を楯にしてんじゃねーよ。(迫真)

 

 


 


「坂の上の雲」の二人の女たち

2013-06-28 | 日本のこと



というわけで何かと不可解かつ不快な部分が見つけたくもないのに
見つかってしまう「坂の上の雲」。

この辺で歴史から少し離れて、感想を述べることにしましょう。
間違い指摘でも、糾弾でもありませんから安心してください。



■本当かウソか?お国ことば乱発の聯合艦隊

軍隊と言うのは全国津々浦々から人が集まってくるところですから、
下手すると方言ではお互い何を言っているのかわかりません。

そもそも、標準語などと言いますが、明治初頭の日本には
「標準語」などという概念は存在していませんでした。

1895年、明治28年になってようやく学者による
「標準語の必要性」が説かれ始め、東京の教育のある層が話す言葉を
標準語として決めましょう、という提案がなされたくらいなのです。


この「坂の上の雲」における軍人たちが、東郷司令長官の薩摩弁を始め、

秋山真之=松山弁
有馬良橘=紀州(和歌山)弁
島村速雄=土佐弁
鈴木貫太郎=大阪弁
山本権兵衛=薩摩弁
日高壮之丞=薩摩弁
児玉源太郎=山口弁

をそのまま使っているのも、もしかしたら史実通りなのかもしれません。
司馬の原作によると、東郷長官は

「ほぼ標準語のようにしゃべっていたが、語尾だけはなおせなかった」

ということなので、このドラマでも、この以前の媒体においても、
東郷長官と言えば「ごわす」「なりもす」の人、というイメージが
定着してしまっています。

これもおそらく本当にそうだったのでしょう。


まあ、それはいいんですが・・・・この渡哲也演じる東郷平八郎、

「極端に無口だった」

とされる東郷さんにしては、ペラペラと終始よくしゃべりますなあ。

三船敏郎亡き後、東郷平八郎を演じても文句の出ない俳優、
というのはさすがのエリス中尉も全く思い浮かばなかったりするわけですが、
それにしても、渡哲也、ねえ・・・・・。


■「坂の上の」女二人


皆さん。

どう思います?このドラマで秋山を巡る女性二人。
幼馴染の正岡子規の妹、は、終始秋山にぞっこんで、
秋山もまた憎からず思っているはずなのに、
律は結婚したり離婚したり結婚したり離婚したりして。

確かに正岡律は秋山と幼馴染で、家に秋山が来たときには
難しい話にも加わってくるので子規から

「秋山と結婚したらええ」

などとからかわれていたそうですが、それは何と律が

15歳で結婚

するまでのことであったというのです。
たかがそれだけのエピソードを、あんな「一生の秘めた恋」
にしてしまうというのも、「いかにもドラマ」でうんざりです。

そもそもあれだけお互い思いあっていると言うのに
秋山が律に一顧も与えず稲生季子と結婚するという設定には、


「やっぱりこういうエリートは世間体と海軍での出世を考えて、
平民の出戻り女より華族のおぜうさんを選ぶのね」


とついつい、ドラマにおける秋山の人格すら疑ってしまうではありませんか。


病室に訪ねてきた季子と秋山の笑い声を「はっ」と立ち止まり廊下で聴き、
持ってきた果物をドアの外に置いて黙って去る律。

それを知った秋山は、わざわざ律の学校にまで押しかけていってこれを謝るのです。
もしかしたら秋山真之、暇ですか?

エリス中尉にはわからん。
なぜここで秋山が律に謝るのか。

何か秋山は律に約束でもしていたのか?
実は「そのうち嫁にする」とでも言っていたのか?



そしてその後ご存知のようにあっさりと秋山は季子と結婚してしまいます。
ところがこの新婚家庭に、ある日律さん、突撃してきます。

この季子と言う女がまたしたたかで(笑)、
律さんが語る秋山の幼いころのこと、つまり自分の知りえない秋山の過去の
想い出話をけらけら笑って聞いていたと思ったら、律をいきなり台所に連れて行き、

「わたしはどうしても怖くてできません」

とブリブリぶりっ子(死語?)ぶって、桶で泳いでいるドジョウを律に捌かせます。
顔色一つ変えずドジョウの脳天に三寸クギを打ち込み、サクサクとかっ捌いていく律。

怖くてどうしても捌けないようなものを、
たまたま私が来なかったらどうやって料理するつもりだったのかこの女は。

こんな律さんの内心の舌打ちが聴こえてきそうな好演技でしたね。

そして、「ドジョウも捌けない、か弱くて上流育ちのアタクシ」アピールに、
心の底からこの女ウゼーと律は思っているに違いないわけですが、
その律も気付いているかどうか。

実はこれ、季子の強(したた)かな「戦略」なのですね。

「アナタは幼馴染でアタクシの知らない真之さんを知っているかもしれないけど、
海軍一の秀才で将来大将間違いなしの出世頭の真之さんが選ぶのは、
この、華族の娘で華族女学校出の才媛であるアタクシなの。
山出しで出戻りのアナタなんかお呼びじゃないのよ」

と、しっかり「妻の座」アピールをしているわけです。
つまり、律に釘を刺させて、自分も釘をしっかり刺していた。

誰がうまいこと言えと。

わたしは思いますが、きっと季子さんは律がいなかったら、
平然とドジョウを捌くことができたに違いありません。


男性の方々。
女性ならあの二人のやり取りからこれだけのことを、
おそらく誰でも読み取ることができるのですよ。

覚えておくように。


で、この女二人がそうやってにこやかな笑いの下で白刃を交えて
水面下の「女の争い」をしているのを、秋山真之は懐手しながら所在無げに、
しかし心底心配そうにうろうろしながら立ち聞きしたりします。

この、三角関係における男の立場と言うのは、たとえ海軍一の秀才で
天才参謀の誉れ高かった秋山真之をしても、途轍もない間抜けに見せるものです。

日本海海戦の立役者である歴史的人物をぐっと身近に感じさせる
この人間らしいエピソード、実にほのぼのしますね。



この二人のバトルはここで終わらず、日露の間で開戦になったとき、
律は動転してなぜか秋山の家に駆け込んできます。

「もし愛している人が戦争に行ったら、律さんはどう思いますか」

とそんな律に冷水を浴びせるごとく平然とジャブを繰り出す季子。
はっと動揺する律。

季子さん。あなた、知ってますね。


自分の夫の気持ち、相手の女の気持ち。
全てを知っている妻が、その妻の座にあることの誇りをかけて言ったに違いない
痛烈な一言であると言えます。


誰の小説だったか忘れましたが、長年の腐れ縁であった女を捨てて、
無垢で純真だと思っていた女性と結婚した男が、あるとき、
何も知らないはずの妻から

「知っているのよ。でも許してあげる」

と呟かれて背中がぞっとする、という話がありましたが、
どうもそれを思い出してしまいましたね。このシーン。


そして季子さん、ダメ押しとして、律に向かって

「わたしの用心棒になってください」

なんていうのです。
女性が女性から「用心棒になって」と言われた場合、それは
女としてあなたは存在していないと断言されたも同然ではないですか。
この、考えようによっては超失礼な申し出に、律は笑って

「引き受けます」

なんて答えたりするわけですが、まともな感性を持っていて、
しかも実は男性に思いを寄せている女が、その妻から
「用心棒」呼ばわりされたとしたら、さぞかし屈辱を感じるのではないかと、
わたしなどは思わずにはいられないのですが。

どっちもわかって言っているとしたらとんでもない欺瞞だし、
秋山だって一度庭先で抱き合ってしまったことや、昔からの思いを
ある日突然ぶちまけられるんではないかと気が気ではないだろうし、
なにより当の新妻にこんな超特大釘を刺されているわけだから、
律さん、ここは潔く諦めて、今後秋山家には近づかない方がいいと思います。


・・・・・・・と考えてしまわずにはいられないようなベタな男女関係、
何より明治時代にはあまりありそうにない人間模様を
これでもかと安いドラマ仕立てにしてばらまく、NHKの「坂の上の雲」。


さすがに司馬の原作にはありませんよね?
もしあったらわたしは司馬遼太郎を(略)






浜松基地エアーパーク~T-34Aと日本の戦後補償

2013-06-27 | 自衛隊

T-3練習機[富士重工]

先日航空祭を見に行った静浜基地には、練習機T-7の部隊がありましたが、
そのT-7導入前には、このT-3が導入されていました。

2007年に静浜基地ではこの機での教育を修了してT-7に移行をすませ、
完全に退役しています。




前にご婦人方が長時間陣取っていて、これしか写真が撮れませんでした。

T-34A練習機[富士重工]

これを「メンター」(ギリシア神話の人物で良き指導者だったとされる人物の名)
という、という話を、鹿屋基地の屋外機展示のエントリでお話ししたことがあります。



T-6、T-33Aとともに、航空自衛隊発足以来最初に空自が保有していた練習機で、
そのときには米軍からの供与でしたが、その後
ノックダウン生産(部品を輸入して国内で組み立てる)を経て
ライセンス生産をするようになり、「はつかぜ」と名付けられました。

戦後初めて日本が生産(開発ではなく)した機体ということになります。

ところで、ライセンス生産となってから日本政府はこの機体を、
1機インドネシアに、36機をフィリピンに、

戦時補償として

供与しています。
日本は戦後、、サンフランシスコ平和条約第14条で定められているところの
日本が占領し損害を与えた連合国と二国間協定を結んで補償を行いましたが、
フィリピンへのこの補償額は日本円にして当時の1902億。
インドネシアには約804億となっています。

この補償の対象ですが、

  • 平和条約によって賠償請求権を持つと規定された国
  • 日本軍に占領されて被害を受けた国。

この条件を満たす国との間に二国間協定を結びこのような補償を行ってきたのですが、
その一環に「武器供与」もあったということですね。

(練習機は武器ではない、という意見もありましょうが)


しかし、現実的な面でこの「戦時補償」を見た場合、富士重工業はこの生産で「息を吹き返した」、
つまり、アメリカ式の効率的な飛行機生産のやり方で戦後をスタートすることができ、
今日のこの会社が航空製造業界に占める確固たる地盤を築かれたということでもあります。

ものごとにはなんでも側面がありますが、戦後補償の影響は
相手国の利益だけに作用したわけでははなかったということですね。


ついでに余談ですが、この戦後補償とは、前述のふたつの条件を満たす国への補償、
というのがサンフランシスコ条約で定められた基準です。

ところが、この基準を全く満たしていないにもかかわらず、補償を受けるべきだと
いまだに主張している国がございまして(笑)

上記の条件にあてはまる国はフィリピン、インドネシア以外には
ベトナム、ビルマの計4か国だけなんですが、「戦勝国」でなかったこの朝鮮の場合、
サンフランシスコで両国間に締結されたのはむしろ

「日本が朝鮮国内に遺してきた資産の放棄」

を認める条約でした。
つまり朝鮮は資格的にも正規の「戦争賠償権」を持たないので、賠償請求権の放棄の代わりに
日本の資産をそのまま「取得」することとし、これを以て

「財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題は
完全かつ最終的に解決された

解決された

解決された


ということに条約上はなっているわけです。
さらにもっと簡単に言うと、準賠償である

「経済援助金という名の1080億円の補償」

をもって、すでに両国間の戦時補償関係は完全にすべてが解決している「はず」なのです。

しかし、「いわゆる慰安婦への個人補償」をも含めたこれらの補償金を
韓国政府は「漢江の奇跡」と自賛する国家事業に注ぎ込んでしまい、
結局「本来の目的には使われなかったうえ、それを国民に隠していたのです。
というわけで、

「ドイツを見習って補償せよ」

という現在の彼らの主張にはなんの正当性もないことがわかりますね。



最初にお話ししたT-3練習機ですが、できるだけコストを安く上げるために、
T-34と部品の規格をできるだけ同じにし、共通部分を多くしています。

さらにその低コスト化の一環なのかどうかはわかりませんが、この機体には
ベイルアウトのための射出座席がついていません。

じゃ、もし非常事態になったらどうするのか。

その答えは操縦マニュアルにも書いてあるのだそうですが、なんと、


「パラシュートを使った脱出の際はキャノピーを開き、翼端まで走る」

「背面飛行を行いながらキャノピーを開き、そのまま落下して脱出する」

orz

いざというときに、翼端まで走ったりわざわざ背面飛行にして自分を
「振り落す」という操作が推奨される飛行機。

これらの動作を行っているパイロットを想像しただけで
わたしなど笑いをこらえることができないのですが、
幸いなことに実際にはこのT-3練習機、就役中に一機も事故が無く、
脱出しなければいけないような事態を経験しないまま退役を迎えたので、
例え笑ってしまったとしても、そう不謹慎にあたらないというのが実にうれしいですね。


訓練生はおそらく「いざというときのために」翼を走ったり、背面飛行から
ぽろりと自分が脱出のために落下するシチュエーションを、可能性として
毎日シミュレーションしていたと思われますが、座席射出とちがってこちらは
なんというか・・・・かなりの心理的プレッシャーであったのではないかと思われます。

だいたい、どちらも怖すぎる。


本当に、こんな脱出劇が実際に起こらなくてよかったですね。



ボストン到着

2013-06-26 | アメリカ

というわけで比較的トラブルもなく(当社比)ローガン空港に到着。
先日ボストンマラソンでテロが起こったとき真っ先に、
セキュリティチェックがまた厳しくなるなあ、と思ったのですが、
さすがに日本人に対しては全くそのような変化はありませんでした。

そりゃそうです。なんのためのESTAか。
事前にインターネットでパスポートナンバーを申請し14ドル払うだけで、
「成りすましでない日本人」
であることが証明されるのですから、空港職員もESTAホルダーには
雑談しながらでもOK、って感じの手抜き対応です。

バリに行ったとき、ホテルの手配か旅行会社の手配かわかりませんが、
迎えに来た空港職員がわれわれのパスポートを持っていったと思ったら、
「入国審査も金属探知もしなくて結構です」
とそのまま通してもらえたのに心の底から驚いたことがありますが、
このように、菊の御紋のパスポートの威力は絶大。

こういう時に

「この国の国民でよかった」

と、先日我が海上自衛隊に救出されたヒトみたいな感慨を持ちます。
(あのキャスター、もう『自己責任』という言葉が使えなくなりましたね)

さて、わたしと息子がブースの前に立つと、お決まりの「目的は?」
から始まりましたが、息子が「サマーキャンプ」というと、わたしに向かって
「あなたは?」
「えー、ショッピングです」
口から出たのでそのまま言うと、
「ちょww、一か月ずっとショッピングとか」
と笑われ、終わったときには
「買い物楽しんでくださいねー」
とにこやかに送ってもらいました。



空港に到着するとレンタカー会社の送迎バスに乗ります。
ところでわれわれは荷物を大小あわせて6個のトランク+機内販売のプラスティックバッグ、
という移民のような風情で降り立ったもので、来るバス来るバス、
ひとつしか荷物の無い他の利用客が乗って満員になってしまい、
結局二台見送るはめになりました。
というか、三台めに来たバスは無人だったんですけどね。

そして、ハーツ・ゴールデンクラブの掲示板の前に立つと・・・。

ありません。

案の定名前がありません。
そういう事態が全く当たり前、というか、二回に一回は起こること、というのも
アメリカ人がいかにおおざっぱであるかということの証明と言えますが、
こちらも何度もこういう目に遭っていると、もう何とも思わなくなってきます。

「名前が無い場合は横のオフィスに来てください」

オフィスは名前の無かった人たちの列ができています。(といっても三人でしたが)
カウンターで予約番号を見せると

「プリウス希望ですね」
「プリウスがベストだけど、なければニッサンアルティマでもいいですよ」

しばらくコンピュータを叩いていた女性

「この際、メルセデスはいかがですか?レンタル料半額にしますけど」


・・・・・・・・・・・・・・・・デ ジャ ブ ?

なんかこの展開、前にもあったぞ。


もし、あなたが去年の夏から当ブログを読んでくださっていたら、
サンフランシスコのハーツでエリス中尉が車をスイッチしようとしたら
強力にメルセデスをセールスされて借りてしまったことを、
あるいは覚えてくださっているかもしれません。

去年は一応、当初断ってみたりしましたが、
今年は運命(というかハーツゴールドクラブ配車係)には逆らわず、
差額料金を確かめてからあっさりと申し出を受けました。
あまりのレスポンスの早さに、むしろ彼女の方が驚いたくらいです。

しかし、もしかしたらハーツのコンピュータの顧客情報には

「この客はこういうプッシュでアップグレードをしたことがある」

みたいな「カモ・リスト」でもあるのでは、という疑いが芽生えたのも事実です。
そして、もしかして、掲示板にわざと名前を乗せずに事務所に来させて、
ここぞとセールスしましょう、みたいなマニュアルでもあるのかと・・。



まあ、疑い出したらきりがありません。
どちらにしても、わずかな出費の違いで今まで乗ったことのない車を試せるのだから、
こちらとしても大歓迎。
ハーツもこちらもウィンウィンで双方ハッピーです。

荷物を入れていると、カウンターの女性が手が空いたのかわざわざ出てきて

「Do you like it?」

とニコニコしながら聞いてきました。
・・・・・・・・・これ、絶対彼女自身にも何かメリットあったよね(笑)




助手席から息子に撮ってもらったボストン市街。
向こうのビルは「アリー・マイ・ラブ」をご覧になった方なら、
シーンチェンジのときにいつもご覧になっていたスカイスクレーパー。
100年以上経っている建物とこのようなビルが混在するのが、ボストンです。



これも、中は現在も使われています。
中に入ると壁が塗り替えられてピカピカだったりするんですよ。



前回もお見せした、チャールズリバー河畔。
右の方に見えているのがハーヴァード大学の施設です。

 

速度違反を取り締まるパトカーはしょっちゅうパトロールしていて、
通るたびに必ず違反で捕まっている車を見かけます。

アメリカに住みだして、最初に言われたのが、スピード違反で捕まったら

「警官に急いでいたのかと聞かれても、イエスと言ってはいけない」
「免許を持っていても国際免許を出せ」

ということでした。
上は、「急いでいたからスピードを出した」という動機の補強に使われるから、
下は、手続きが面倒なので、放免してくれる警官もいる、という理由だそうです。



映画でもおなじみ、スクールバス。
交通法規のテキストには

「スクールバスが停止していたら、たとえ道の向こうでも停車しなくてはいけない」

という項目があります。(ボストンだけかもしれませんが)




ホテル到着。
去年ここに来たときには改装中で窓が塞がれているなど、
「どうしてそれを予約の段階で掲示しない」
といいたくなったものですが、今年は改装相成って、
ついでにホテルの名前とスタッフまで大量に変わってしまっていました。
ここ何年も同じ従業員に再会し、

「また来たのね!息子さん大きくなったわね」

と歓迎されていたので、少し残念ではあります。



荷物の片づけの途中で一枚。

いつも思うのですが、こういう広いキッチン付きの部屋が、
短期だと日本ではなかなかリーズナブルに借りられませんよね。



このソファですが、ちゃんとしたベッドになります。



片手ですいっと引き上げるだけ。
本物のベッドとこちら、息子とわたしは毎日交代して寝ています。



庭をふと見ると、変わった鳥がいたので、「すずめ食堂」のノリで一枚。



アップにしてみたら、何か咥えていました。
蛾?虫?

取りあえず、今晩からの食糧と生活に必要なものを買いに、
車で15分ほど行ったところにある「ホールフーズ」に行き、
御飯を食べることにしました。



日本食材コーナー。
右下は「たくあん」(ダイコン・ラディッシュ)。
Agar Agarというのは、フレーク状の寒天です。
いつも買っていたイーデン社の「ポン酢」が無くなっていたのが残念。

下の方の「シー・タングル・スナック」は味ノリのことなのですが、
どういうわけか「NORI」と表記しているのに、産地は韓国。
あそこのノリ養殖の実態を知っているので、ここでも手は出せません。
ここはオーガニック・スーパーなので、ある程度信頼のある物しか置かない、
ということになっているのですが、まあ、こんなことまで厳密に調査しないのでしょうね。



ここでの食事はこのサラダバーと、反対のホットバーで、
自分の好きなものを取って、店内のイートインコーナーでいただきます。
手軽で、外食で山のように食べ物が出てきて辟易する小食の日本人には
うってつけのフードバーです。



ライスサラダ(玄米のサラダ)は、お米を野菜のように捉えているアメリカ人ならではの一品。
隣の「ゴールデンセサミトウフ」は、「ミリン」と醤油で味付けしてあり、なかなかです。
向こうに野菜がありますが、ブロッコリーとカリフラワーを生で食べるのだけは、
わたしが郷に入っても従えない習慣の一つです。



泊り客の兄弟が、さっきまでプールで大騒ぎしていたと思ったら、
キャッチボールを窓の前の芝生で始めました。



なぜビーサンを投げる、弟。

この家族も何日間か逗留しているようでした。


ボストンではわたし自身も昔の知り合いに逢ったり、こんな時にしか行けない
ボストン美術館を訪れたり、あるいは今まで知らなかった自然公園を開拓したり、
ショッピングも勿論ですが、自分の仕事以外にも楽しみがたくさんあります。

あと何年来られるかわからないので、今年も精一杯充実の滞在にするつもりです。










中韓はウソにまみれた「避諱(ひき)」の国(転載)

2013-06-26 | 日本のこと

一止羊大(ひととめ・よしひろ)氏は、大阪府の公立高校長など歴任。
校長としての在任中に日教組教師との「日の丸君が代」問題を巡って
精神を病みそうになるほど、その整然とした理論と意志を以て戦ってきた人物です。
その経験を書いた著書に『学校の先生が国を滅ぼす』があります。

この不思議なペンネームは

「一人でヒツジの群れのような盲目的反日ドグマ信者の流れをせき止める」

という意味ではないかと、わたしは勝手に理解しています。
その一止氏の最新のエッセイがありますので、ご紹介します。






古来、日本には「清き明き心」を何よりも大切にする伝統がある。

日本人のDNAにしっかりと息づいた美徳と言ってよいものだ。

地方へ行くと、道ばたに野菜などの無人販売所が無防備に置かれているのをよく見かけるが、
お金を払わずに品物だけを盗んでいく人がいるという話はあまり聞いたことがない。
この無人販売所の存在は、正直を尊ぶ日本人の「清き明き心」を象徴するものの一つだ。
評論家の黄文雄氏(台湾出身)は、日本人の心性を「誠・施・和・公・浄」の5文字で表し、
「誠実で、人に施し、平和を好み、公共心に富み、汚いことを嫌う」と称揚している。



国内では当たり前のこの価値観も、残念ながら国外では全く通用しない現実がある。
世界には平気でウソをつく国や、他国の物を自国の物だと言って恥じない国があるのだ。


例えば韓国がそうだ。竹島問題は、戦後、韓国が敗戦国日本の弱い立場につけこんで
島を不法に奪い、実効支配を始めたことから生じたものだ。
「従軍慰安婦」問題も、日本をおとしめるために作られた真っ赤なウソ話が元になっている。

拓殖大学教授の呉善花氏(韓国出身)は、韓国を「虚言と虚飾の国」と形容し、
「ウソつき大国」だと断罪している。
「どうしてこの民族はこんなに自己中心的なのだろうか」と嘆いてもいる。


中国はさらにひどい。自ら日本領と認めていた尖閣諸島を、
70年代に入って突然、自国領だと主張し始めた。
まさに尖閣問題は、中国の利己的な欲望と帝国主義的領土拡張志向の産物なのだ。
日本の領海に入り込み、島に上陸し、日本の巡視船に船を体当たりさせ、
飛行機で領空を侵犯する等の無法行為を重ねている。


「中国の島を日本が盗んだ」と口汚く罵(ののし)り、
戦後の国際秩序を日本が破壊しているとまで非難する。
反日デモという名の暴動を繰り返し、放火、略奪、暴行、破壊など
無法の限りを尽くしたのも記憶に新しい。

公海上の海上自衛隊護衛艦などに射撃管制用レーダーを照射したにもかかわらず、
抗議を受けると日本のでっち上げだと嘯(うそぶ)く。

黄文雄氏は、中国の国民性を「詐・盗・争・私・汚」の5文字で表し、
「ウソをつき、盗み、人と争い、個人の利益を追い求め、そのためには汚いことも辞さない」
と解説している。

韓国人や中国人が平然とウソをつくのはなぜか。

工学博士の林思雲氏(中国出身)などによれば、
韓国や中国では、国家や家族にとって都合の悪いことや不名誉なことは隠すのが正義であり、
そのためにウソをつくのは倫理的に正しい行為なのだという。

韓国人や中国人のこの一般的な心性は、日本では全くなじみのない
「避諱(ひき)」という儒教上の概念でくくられるのだそうだ。
いやはや、日本人とは真逆の国民性ではないか。


日本には「清き明き心」に通底する謙虚・謙譲・謙遜といった価値観もあり、
それが自虐教育の背景の一つにもなっていると思われるが、
この心情も「避諱」の国には全く通じない。

他人を悪く言うことを慎む日本では、
他国の性悪な面を学校で子供たちに教えることを避ける傾向があるが、
日本人の美徳は大切にしながらも、世界には日本の価値観が通じない現実があることを
正しく教えていく必要がある。


ウソにまみれた国を相手にするには、それなりのしたたかさと覚悟が不可欠なのだ。




「坂の上の雲」~義和団事件は「大国の侵略」(by NHK)

2013-06-25 | 日本のこと

ことNHKの糾弾ともなるとやたら筆が、じゃなくてキーボードを打つ指が
軽くなってしまうエリス中尉ですが(笑)、最近のニュースによると、
調査媒体の8割が「NHKは解体するべきである」という意見だとか。

さもありなん。

わたしのようにうちにテレビがないため、ほんの一瞬、つまり車の中で
DVDのためにモニターを切り替える一瞬見聞きする情報にすら、

「なんだそれ」

と思わずつぶやいてしまうくらいの酷い報道ですから。

尼崎の事件、「日本人なら誰でもよかった」と言った通り魔殺人犯。
いずれも犯人が在日韓国人であることは報じられなかったそうですね。

皆がネットで確認できているのにもかかわらず、異常なくらいその手のニュースには
「規制」をかけるのがNHKの報道姿勢ですが、6月6日、堺市の不明女性が
奈良で遺棄死体で発見された事件をたまたまNHKラジオで聴いていたところ、

「いずれも無職で堺市堺区に住む南政宏容疑者と池田和惠容疑者、その他が

・・・その他って。

どうして言わない。韓国籍の李誠二容疑者と。
そんなに長い名前でもあるまいに、わざわざどうしてこの容疑者だけ名前を言わない。

NHKの通名報道は有名ですが、犯人または容疑者が朝鮮名だった場合は、

「その他」「~ら」

とするというのが、どうもNHKさんの報道基準となっているようです。

そんな見え見えのごまかしをしても、今の時代、瞬時にインターネットで
情報が検証できるのだから、かえって「解体派」を増やす結果にしかなっていないのに、
それをやってしまう。
せめてテレビしか見ていない層への刷り込みだけは怠りなく、ってことでしょうか。


世間で言われているところのNHKの問題点とはほぼこの一点に集約されていて、

「中国に配慮、韓国はゴリ押し」

民主党をプッシュし自民党をこき下ろして政権与党にでっち上げたのも、
辿っていけばその根はこの「局是」に行きつくのだろうと思われます。


さて、この「坂の上の雲」が絶賛制作中、その過程を番宣と言う形で放映していたのを
たまたま観ることがありました。
ロケを中国、韓国で行い、なぜか韓国人監督(だかディレクター)にインタビューし、
その意気込みをアツく語らせていました。

中国人俳優を必要とし、さらに騎兵のシーンでは草原を騎馬隊が疾走する、
という絵が必要なら、中国ロケは至極納得いきます。

しかし、なぜわざわざ言葉の通じない韓国人スタッフを大量に採用し、
エリス中尉を除く国民から徴収した視聴料を韓国にばらまく必要があるのか。
さらに、韓国人監督(だかディレクター)の意気込みなどがあのドラマの性質上
必要なのか。

そんな胡散臭さを瞬時に嗅ぎ取ってしまったのでした。

というわけで、そういった製作事情が、ドラマにどんな影響を及ぼしているか、
今日はそういった部分を指摘していきたいと思います。


義和団の乱で一方的に殺される中国人民

北清事変とも呼ぶこの動乱は、義和団を名乗る秘密結社を、
西太后が利用し、清国として欧米列国に宣戦布告し、それを当時のG8であるところの

イギリス、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、
オーストリア=ハンガリー、イタリア、そして日本
(おまけ オーストラリア)

の列強が制圧した、と言う事件です。

なぜ義和団が制圧されねばならなかったか、という根本の理由と、
そもそも義和団が何を駆逐しようとしていたのか、と言うことが、
ほとんど語られないまま、ドラマは

連合軍の兵士たちに略奪、殺戮される中国人

だけを強調します。
これは実に不可思議な視点で、そもそも義和団と言うのは
中国国内のキリスト教信者、ひいては外国公使を弾圧していたのであり、
籠城の舞台となった北京の公使館地区には、外国人900人余りに対し、
中国人のクリスチャンはその三倍以上の3000人が保護を求めて
逃げ込んできていたのです。

義和団に殺害された中国人クリスチャンは最終的に2万3千人といわれますから、
彼らにとって義和団ないし義和団を認めた西太后は迫害者です。

北京籠城の末、主に日本の働きによって義和団は鎮圧されました。

が、NHKにかかるとそんな「細かいことはどうでもいい」ようです(笑)


中国の村落に駐留中、中国人に取り囲まれる秋山好古。

「同じ東洋人のよしみで助けてほしい」

懇願されるのだが、秋山には為すすべはない。
おりしも、村で略奪中のロシア軍兵士たち。
裕福な家から蓄音機を盗み出し、家の主人を撃ち殺し、嬉々として
その音に聴き入る。

また、逃げる中国人を後ろから無残に撃ち殺すと、中国人は

「清国万歳!」

と叫んでからバッタリ倒れる。

それらの残虐な行為を眉を顰めて見ていた秋山、

「抵抗分子の殲滅のためだ」

とうそぶくロシア人将校に向かって、傍らの中国人の子供を抱き上げ、

「この子も抵抗分子なのか?」

となじるのであった。



いやもう、酷いですね(笑)
確信を持っていうけど、これは司馬の原作にはないラインでしょう。
あったらわたし、司馬遼太郎を完璧に馬鹿にしちゃう。

突っ込みどころがありすぎてどこからツッコんでいいのかわかりませんが、
まず、中国人が「清国万歳!」と叫んで死ぬこと。

これは、いくらロケ地のセッティングでお世話になったからって、
中国人にへつらいすぎですよ。NHKさん。

まず、連合国はここに何しに来ているのですか?
義和団の鎮圧ですね?
どうして一般の中国人を殺戮しないといけないの?

そして、殺される中国人が、今わの際に「清国万歳」と叫ぶというのは
当時の中国人のメンタリティ、さらには彼らの置かれている状況からして
全くあり得ないことで、失笑ものです。

仮に連合国の軍隊が「清国」そのものを弾圧に来ていて、さらに民衆の間に
抵抗運動が起きてでもいたのなら、
中にはそう言って死ぬ中国人もひとりやふたりはいたかもしれません。

しかし、一般の中国人を2万3千人殺戮していたのは、外国勢ではなく
現実には同じ中国人である義和団だったわけでね。
連合国の結成と言うのはつまり「自国民と中国人クリスチャンを救出する」ために
なされたことだったわけでね。

なんでここで一方的にロシア軍が悪者になって、中国人が被害者として描かれるのか。
義和団の乱を描きながら義和団の描写が全くないのはなぜか。

勿論そういったことが皆無であったとは言いませんが、こういうことを描く前に
きっちりと説明しなければいけないことがほかにいくらでもあるだろうと。

義和団の乱について何も知らない人が見たら、単なる「大国の中国大陸侵略」にしか
これは見えないんじゃないでしょうか。

まあ、NHKさんは最近何事においても中国人民の視点から物事を語る傾向にあるので、
この事件をもしかしたら「侵略」としてこれから喧伝していくつもりなのかもしれませんが。


というわけで、この件でわたしの脳裏をかすめたのがこの言葉。

「坂の上の懲りないNHK」


■日の丸の全くない聯合艦隊出港



わたしはNHKに言いたい。

日本国民が、いま出撃のため岸壁を離れていく「三笠」を見送る。
そのシーンにすら日の丸を映すのがそんなに嫌なら、
いっそこんなシーンは全く無くしてしまっていただきたい。

いや、最初から聯合艦隊を描いた番組など製作しないでいただきたい。



いやしかし・・・・・来るところまで来ているね。

全く同じシーンで、たとえば「海ゆかば 日本海大海戦」は、
手に手に人々が日の丸の小旗を振り、その白と赤が劈頭にさざめき、
さらに岸壁に来ることができなかったものが小高い丘や、
屋根の上に登って国旗を振ったり、紋付き袴の老人が、
巨大な日章旗を力の限り打ち振る様子が描写されていました。

なんなのそれに比べてこの寒々しい限りの出港の図は(笑)
なぜ海軍旗はもちろん、日本の旗すら一つも見えないの?

この人たちはいったい誰を、何を、何のために見送りに来ているの?



こんな不思議な映像を平気で製作できるなんて、日本人とは思えませんね。
スタッフに中国人か韓国人、もしかしたらそのどちらもがいたのかしら。
それで彼らの「感情に配慮」して、日の丸旭日旗をカットしたのでしょうか。

それとも李、玄、田、朴という名前を持つ四人のNHK幹部のご意向・・・・おっと。



なぜか毎回こうなっているわけでもなく、たとえば黄海海戦の後、
日本の勝利を祝う民衆の様子にはさすがに日章旗と海軍旗がありました。

さすがにここで国旗を映さないわけにはいかなかったのでしょう。
映したくないが仕方がない、そんなスタッフの舌打ちせんばかりの苦渋が偲ばれます。
ここだけ日本人スタッフでこっそり撮影でもしたんでしょうか。

 

NHK、マジで一遍解体して全員路頭に迷わせてもいいと思います。








ボストン到着~B787のこと

2013-06-24 | アメリカ

恒例のアメリカ滞在の季節がやってまいりました。

これを制作している現在、アメリカ東部時間の6月22日朝。


今までのボストン行きは、直行便がなかったので、
いつもはたいていシカゴかアトランタでトランジットをしていました。
しかし、このトランジットというのが非常に曲者。
わたしは例年カード会社の旅行デスクと相談してチケットを取るのですが、

「トランジットに4時間ありますが大丈夫ですか」
「何もなければ大丈夫でしょう。この次が6時間待ちなので」
「6時間は長いですね」

などという会話の末、便を決めたりしても、たいてい何かあって

一度は完璧に乗り遅れ、一度は全力疾走の末、いま扉が閉まるというところで

「そこの飛行機、待ったああああっ!」

と叫んで息を切らしながら機内に駈けこむというさんざんな目にあっているのです。

ですから、成田から現地までずっと心安らかにいられるこの直行便ができて、
大げさではなく、わたくし人生が少しだけ楽になった気さえするのです。

一度乗り遅れた原因は日本からの便の遅れでした。
そして危うく乗りそこないそうだったときの理由は

「無作為に選ばれたセキュリティチェックのせい」

だったのです。

ところで先日、ロンドンのヒースローで、なんとツァー客が
空港のセキュリティチェックにつかまり、あろうことかその初老男性を置き去りにしたまま
ツァー便は出航してしまって男性怒り心頭、旅行会社を訴えたという話がありましたね。

あの抜き打ちチェックの理不尽なことは、エリス中尉ダラス空港で経験済みなので、
このニュースを非常に同情的に見たのですが、
放置された男性は、その場で日本の別の旅行会社に電話し、別の便を取り、
しかも、その日の夜はロンドンのホテルに一泊し、それを自費で払って帰ってきたそうです。

こんな目に遭ったのだから、当然旅行会社はそれに対して何かあってしかるべきだ、
皆さんもそう思われますよね?

ところがどっこい、帰国後、男性が旅行会社にそれを訴えたところ、
契約上責任はないと、会社は謝罪と賠償を突っぱねたのです。

男性が提訴に踏み切った理由はそれだけではありません。
予定の便に乗れない、ということになったとき、ツァー添乗員が携帯で男性に向かって

「自力で頑張って帰ってきてください」

と言い放ったのだそうです。

いや・・・・・もし自力で何とかできるほどの経験と語学力があったら、
普通、最初から添乗員付きツァーなんか申し込まないんじゃないですかね。
で、これにより男性は「非常に精神的な苦痛を受けた」と。

確かに、全く英語がしゃべれない男性がいきなりあてにしていた添乗員から
こんな人を馬鹿にしたような(絶対これ、揶揄しているよね)セリフとともに
たった一人異国の地に取り残されて、精神的苦痛を受けない方がおかしい。

仙台地裁に提訴されたというこの案件、興味があるので判決をフォローしてみます。



さて、11時20分の便に対し、6時20分に送迎サービスをよこすというカード会社に
「いくらなんでも早すぎるからせめて30分後に」
と言って迎えに来てもらったわけですが、案の定というかなんというか、そんな時に限って
高速に乗るなり「途中事故渋滞5キロ、所要時間40分」の表示が。

「5キロに40分って、ほとんど動いてないですね」
「回り道しましょう。だめなら東京駅に付けます」

運転手さんが機転を利かせてくれたため、まずここでは無事に到着。



しかし、一難去ってまた一難。
そういう時に限ってトランジットのときのような「アクシデント」は起こるものです。
それも「完璧に本人のせい」みたいなミスが。

去年は出発ゲートの前で国際免許を忘れたことに気付いたエリス中尉、
今年はなにをやらかしたかというと、

息子のESTAの切り替えを忘れていた

ことを、チェックインカウンターで指摘されたのでございます。
誤解のないように申し上げておきますが、エリス中尉、決してブログネタのために
わざとこういうことをしているわけではないのです。
真剣に、単に忘れていただけなのです。

「御同行のこのお客様はビザをお持ちですか?」

まずそう聞かれたので嫌な予感はしたのですが、やっぱり。

「ESTAの有効期限が(2年)切れています」

という空港職員の無慈悲な言葉に青ざめるエリス中尉。
そういえば、少し前にわたしの有効期限切れを通達してくるメールがきて、
それを受けて自分のESTAは延長したんだった。

で、なぜその時に息子のをしなかったかというと・・・・・・・・。

うーん・・・・・なんでだろう(笑)

わたし宛てにしかメールが来なかったので必要ないと思ったのかな。
まあ、どっちにしてもまたしても「やっちまった」わけでございます。


しかし、このインターネット基準の現代に住んでいて本当によかった。


「今申請していただければ間に合いますので、そこのインターネット環境のある場所で
お済ませになってからチェックインしてください」

そういってスターバックスのあるコーナーをにこやかに指さす空港職員。
このあと食事を家族ですることもでき、時間に余裕があってよかった、と心の底から思いました。

皆さん、くれぐれも国際線の利用には時間に余裕を持って臨みましょうね。



しばらく食べられないと思うと、どうしても和食を択んでしまう。機内食。



赤い鶴の航空会社なので、このような箸置きを使用しています。
直行便が出来てからここの利用が増えましたが、今まではずっとユナイテッドでした。
ここのサービスはよく言えばざっくばらん、実を言うと雑ですが、
鶴丸航空の、下にも置かんばかりの、御殿女中のようなそれはいつ乗っても
「やりすぎでは」と思わないでもありません。

まあ、海外が長い方で、帰国の時にこのサービスを受けると、
「ああ、やはり日本人女性のサービスはかゆいところに手が届くようだ」
と感激するそうですから、需要は確実にあるのだとは思いますが。

今回、前とは食事のサービスの形態が変わり、二度目の食事は

「自分が好きな時に好きなものを各自注文する」

ということになっていました。
これはしかしありがたかったです。
息子は醤油ラーメンを頼み、わたしは再び和定食を。
御飯はコシヒカリ、パンはメゾンカイザーというのは前と同じ。

しかも二回目の食事はぐっと量を抑えているあたりがわかっています。
ずっと機内に居てあまりお腹も空いていないから、ということですね。



ところでこの機体は一時不具合が連続して起こったボーイング787。

キャプテンのアナウンスでも、「整備を完全にして復帰したので」
というような説明がされていましたが、あの問題、どうやら原因は
加熱して燃えたバッテリーの過充電防止装置の「品質」にあるらしいですね。

そして、この報道を受けて当初さんざんバッテリ製造の「ユアサ」を叩きまくっていたマスコミが、
あるときからぴたりとこのニュースを報道しなくなったのでなぜかと思っていたら、なんと(笑)
不具合部分はユアサ製、つまり日本製じゃなかったんですよ。

その部分を請け負ったのがフランスのタレス社で、タレスが下請けに出していたのが

・・・そう、LG社。


そしてすぐに報道が無くなり、その後が報じられないまま、
いつの間にか問題は解決していたらしい。
だからこそわたしも今回この787に乗ったわけですけど、再就航させるなら、
ボ社も鶴丸も、それなりにきっちりと原因を明らかにしてくれなきゃ困るなあ~(ニヤニヤ)

なんにせよ、ユアサに落ち度がなかったことは、雪印や吉兆、不二家などの例にも見るように
「溺れる日本企業は棒で叩く」マスコミが、いきなり報道を止めたことでも明らか。

しかし、危うく優秀な日本企業がまたマスコミの手で葬られるところでした。
いやいや、危なかったですね~。


といいますかこの事案、GSユアサが最初から立ち入り検査などを受けたため、
心象的に「クロ」な雰囲気が漂って、マスコミがその尻馬に乗ったという図だったのですが、
そもそも当初原因もただ「バッテリ回りである」くらいしかわかっていない段階で、
ボーイングでもタレスでもなく、ユアサだけを「狙い撃ち」したということからどうやら
アメリカの「日系企業いじめ」なんではなかったか、ともささやかれていますね。

あれ?

こんな話がたしか「プリウス」にもあったような・・・。
あれは、手繰っていくと当時エリス中尉が「予想」したとおり、とある韓国系企業の
操作が浮上してきていましたが。

ああそうそう、この787機ですが、胴体部分の製作の

35パーセントが日系企業で占められ、

メイド・バイ・ジャパンと言われて話題になったんですよね~。
不思議だなー。なんか同じような構図だなー^^


ところでこの便は最初にも書いたように
「太陽と追いかけっこ」しながら、つまり
太陽が沈みそうで沈まない位置をずっとキープしながら飛んだため、
窓からは不思議な光景がずっと見えていました。

 

シェードがなく、代わりにエレクトロクロミズムを使った電子カーテン仕様の機体で、
窓からはいつもこんな景色が見えていたのです。
暗く見えますが、それはカーテンをダークにしているせい。



ちょっと明るくして撮ってみたらこんな感じです。



最後の頃は、ずっと雲海の水平線?に沈みそうで沈まない、
少し目をそらしていたらまた少し高く上がっている、という感じで、
「電子カーテン」搭載以前には決して見られなかった光景です。


成田を出発したのが昨日6月21日の朝11持20分。
約12時間のフライトで同日21日の朝11時10分にボストンに到着しました。



「マイナス10分でアメリカ東海岸まで移動した」、つまり
「太陽より10分早く目的地に着いた」

ということになりますね。









浜松基地エアーパーク~零戦と練習機

2013-06-23 | 自衛隊

浜松基地エアーパークにはそれはそれは大きな格納庫式の
航空機展示ドームがあります。

黄色い救援機が中央のスペースに大きく陣取っていてそのせいもありますが、
ところせましと空自の航空機が並べられているのに、なぜか広々と明るい。
薄い綺麗な水色にペインティングして、天井から吊ってある飛行機が
まるで空を駆けているかのようです。

飛行機が好きな方はおそらく一日いても飽きないのではないでしょうか。



見よこの充実ぶり。

この展示室は、屋内の展示室の二階と渡り廊下でつながっていて、
いきなりこの航空機群を一望のもとに見下ろすのです。
そして、最初に目につくのがこれ。



これ、すごいんですよ。
二階のバルコニーのようなところに立つと、目の高さに52型が飛んでいます。
靖国神社のように床置きで展示しているのと違って、
近くに寄って矯めつ眇めつ見ることはできませんが、わたしのように感傷的に
この名機を眺める傾向の人間にとっては、いろいろと彷彿してしまうものですから。



零式艦上戦闘機『五十二型』43-188号機[旧三菱]

この零戦は、1963年と言いますから、まだ原型をとどめた状態で、
グアムで発見されたものなのだそうです。

発見後、グアム政庁と米軍に返還を要請し、翌年には岐阜に運ばれて
修復が始まっています。

その後、入間基地の航空自衛隊10周年記念航空祭でグアム政庁から
返還の儀式が行われたのち、浜松基地に保管されていました。

この史料館ができたため、今は空を舞うような形で展示されています。

もう修復されて50年にもなるというのに、ピカピカです。

鹿屋基地の二式大艇、なんとかここに持ってこられないかしら。
だって、空自は当時の海軍でもあったわけだから、大いに関係ありだし。
ちょっと狭くなるけど(だいぶ?)少しスペースを詰めれば入らないこともないでしょう。
なんたって高さは十分にあるんだから。

いやしかし・・・・・・・二式は「故郷」にあるのがいいのかな。

・・・・・というわけで、またまたしつこく、屋内展示化を訴える。
今日も全く関係ないエントリ上で二式への愛を叫ぶエリス中尉であった。





DH115 デ・ハビランド バンパイア(De Havilland Vampire)

デハビランドという名前は「オハラ」「オサリバン」などの「O」、
「マクビール」「マクレーン」「マクグロウ」などの「MC」と並んで、
典型的なアイリッシュネームで、これもイギリスの航空機会社です。
オリビア・デ・ハビランドなんて女優(風と共に去りぬのメラニー役)もいますね。


しかし、この機体・・・・。
名前も怖いが風体も不気味(笑)
当時は近未来的な印象を皆持ったのでしょうね。

こう見えて練習機です。
しかも、ちょっとの間(5年だけ)空自の練習用に実験的に使われていたとのこと。
空自は国産ジェット練習機T-1の開発用に、各種の機体でデータ取りを行うため、
これを購入しました。



実にユニーク。
メザシといわれた双胴の悪魔ことP-38を思い出しますね。
まあ、これは胴ではなく・・・・えー、これなんて言ったらいいのかしら。
尾翼でいいですか?

こういうブーム式にしなければいけなかった理由というのは重心の問題で、
このヴァンパイアはエンジンの出力が弱く、
そのため本体をできるだけ短くして燃焼を効率的にする必要があったのですが、
そうすると尾翼をできるだけ本体から離さないと重心が取れないからだそうです。

P-38ですが、これはブームにエンジンと尾翼がついています。


ツルンとした形状は、スマートになったロケット戦闘機「秋水」という感じです。



この写真ではわかりにくいですが、これはサイドバイサイド(並列複座)で、
隣に並んで教官が指導することができるという特徴があります。

しかし空自では当初から複座を開発するつもりはありませんでした。
じゃなんだって購入したのかと言うと、その目的は

タンデム(直列複座)との違いを検証する

ただこれだけのためだったのです。
だから日本に現存するヴァンパイアはこの一機だけ。

ジェット機開発の黎明期の作品としてはなかなかの名作と言われていて、
アメリカ軍は艦上での運用実験のためにこの試作機を
空母「オーシャン」に着陸させています。

結局エンジン出力が小さく、航続距離が短かったのと着艦は難しかったのとで、
練習機としての運用にとどまったようです。


世界で最初にこの機体を空母に着艦させたパイロット、すごいっす。




T-6練習機[ノースアメリカン]

鹿屋基地にもありましたが、海自の48機に対し、空自は168機導入しています。
そのときに、この汎用性のあるデザインから、零戦や九七式に「扮して」
映画に出演している、ということを書いたのですが、
確かにこうして見ると「黄色いゼロファイター」と言えなくもありません。



でも上から見たら違うのがまるわかりです。
というかこの尾翼、デザイン的にあまりイケていない気がするの。


ところでわたしが次の日航空祭を見に行った静浜基地には、
一機のT‐6がいつでも飛行可能な状態で保持されているというのです。
いつもオイルが入れられた状態で置いてあり、年に数度、
エンジンを始動させたりして「生かして」いるようです。

しかし、誰が操縦するのでしょうか。
歴史的に貴重な機体を「生きたまま保存している」ということでしょうか。
操縦資格だって必要だろうし、果たして静浜にこれを操縦できる隊員がいるのでしょうか。

うーん、なんかこの飛行機を使ってショートストーリーができそう。


「だれだっ!テキサンにエンジンかけたのは!
今日はエンジン始動の予定はないぞ!」

「整備長、誰か乗ってます!」
「なにっ!あれを操縦できるパイロットは今この基地にいないはずだぞ!」
「ああっ、タキシングを始めた・・・」
「いったい誰が乗っているんだ・・・?}


それは、実は・・・・・・・

みたいな。(続きを考える余力無し)


余談ですが、この「テキサン」(Texan)とは「テキサスっ子」の意。
テキサス人のことは他にも「テックス」と言ったりします。
「ニューヨーカー」「サンフランシスカン」「ボストニアン」
この類いですが、ついでに皆さん、「東京っ子」のこと、なんというかご存知ですか?

「Tokyoite」

読み方は「トーキョアイト」
・・・・関係なかったですね。




T-1A練習機 初鷹 [富士重工]

T-6の後継機として国産されたこの練習機、
初めてといえば、戦後初めて国産で作られた実用飛行機です。

ぶたさんの蚊取り線香立てのようなノーズに愛嬌がありますが、
名称は「初鷹」。
航空機は漢字を使ってもよかったんですね。

練習機と言えども生産を、しかも初めてのジェット機の開発を許された富士重工、
おそらく思い入れをもってこの仕事にあたったものと思われます。

「初めての」「鷹」

まるで戦闘機につけるような意気込んだ名称にそれが表れているような・・。

三菱重工業がこのプロジェクトに全く関わらなかったのも不思議な気がしますが、
表向きはF-86Fのライセンス生産で忙しい、ということになっていました。
しかし実は、当時防衛庁の開発担当者が、三菱の技術者で東京帝大の同窓生であった
東条輝雄(東条英機の二男)に、

「他の会社の技術力育成のためにこの開発は譲ってやってくれ」

と頼んだ、という話だったようです。

東条輝雄氏は、父英機から技術者になることを奨められ、三菱で零戦の設計チームに配属されて
強度実験などに携わっていました。
1981年には三菱自動車の社長を務め、去年の暮、2012年の11月9日、95歳で
老衰のため亡くなっています。

三菱では戦後後初の国産旅客機YS-11、C-1 (輸送機)の設計に携わっています。
と日教組全盛で「A級戦犯」などという言葉が当たり前のように
「敗戦の責任者」の意味で使われていたご時世に、三菱重工業の副社長も務めたのですから、
技術者としても経営者としても真に実力のある人物であったことは確かでしょう。

さすがはかつて「カミソリ東条」とあだ名された切れ者の息子である。


ここは空自基地なので、航空自衛隊が練習機として使った機体が
ほぼ全部一堂に集まっています。
「テキサン」にはじまって、年代ごとに進んできましたが、次回はこの続きから。

 


浜松基地エアーパークと蓮舫の仕分け

2013-06-22 | 自衛隊


おそらく今日本国内で最新の航空博物館であろうと思われる
このエアーパーク。

さてそれでは、いよいよ格納庫の展示機を紹介していく

その前に(笑)

どうしても、お伝えしたいことがあります。
ここにくるような皆さんであれば周知のことだとは思いますが、
あらためて言っておきたいことが。

先日のエントリで、シミュレーターの操縦桿が心無い人間によって折られ、
その修理も「予算が下りるまでできない」
という、航空自衛隊の涙ながらの訴えがあった(ように思える)と、
こういうものに対する「締め付けの現状」が垣間見えたことを書いたのですが、
この航空自衛隊浜松広報館、あの悪名高い仕分けの対象になっています。

2009年、行政刷新会議による事業仕分けにおいて有料化する旨の指摘を受け、
しばらく有料化されていました。
これは「りっくんランド」という陸自の陸上自衛隊広報センター海上自衛隊佐世保史料館
同時に行われた措置です。

公平を期すために、陸海空一つずつ生贄になったんですねわかります。


そしてここでも登場するあの村田蓮舫。

れんほーのことなんかね。書きたくないんですよわたしは。
でも、自衛隊について書いていると、この名前を論(あげつら)わずにはいられない。
「自衛隊の制服を中国製にしろ」
あたりから、もうエリス中尉的には「天敵認定」ですから。


それはともかく村田さんったら、りっくんランドで防弾チョッキを着せてもらい、
「重いねー」とか
自衛隊の仕事に感心した様子で、「すごい!すごくリアルだね」とはしゃいだ直後に、
ばっさりその施設を仕訳対象にしてしまったのです。

要するに「仕分けする」ということは最初から決まっていて、
視察とは名ばかりの形だけであったってことなんでしょうね。

このくそ生意気な女にに心を込めて説明をし、施設に対する理解をしていただければ、
刷新会議でも寛大な処置が・・。
と思って渾身の接待をした陸自広報はおそらくブチ切れたでしょうな。

その際言うにことかいて

「有料だとお客さんが来なくなるというのは本当でしょうか。
あるテーマパークは家族4人で1万円を超えるのに、リピーターが後を絶たない。
(シミュレーターを)体感してもらうなどの工夫の余地があるんじゃないでしょうか」

つまりあのアメリカ商業主義の象徴ともいえる娯楽施設と自衛隊の広報組織を比べて
「入場料を取ったら人が来なくなるのは貴様らの努力が足りん」と・・・・・・・・。
別の仕分け人は(枝野か?)またこんなことを言ったそうです。

「クオリティの低いものはタダでも売れない。努力が必要」

努力。努力って何?
体感体感って、模型の銃を持たせただけで大騒ぎする連中がいるってのに?

クオリティって何?
自衛隊の広報組織は「質の高いもの」を生み出して客を呼ぶのが仕事なの?

そりゃま、本当に戦車に乗せてもらえたり、実弾の一発も撃てる「体感コーナー」があったら、
たとえ高額の入場料を取ったとしてもその筋の方々の来訪は後を絶たないでしょうよ。

「ブルーインパルス隊員とのファンの集い 握手権付き入館券」
でも売りだしたら、おそらく一人で何枚も買う人だっていましょうよ。



だがしかし、そんなことが許されるのか?

そして、いまだ「軍的なもの」の異様な締め付けにあるこの日本の現状で、
自衛隊の広報がいかに萎縮させられているのか、
その理由を少しでも考えたことがあるのか?

と当時わたしはひとりで息巻いていたわけですが、どっこい防衛省も黙ってはいなかった。


防衛省は1日、政府の事業仕分けを受けて無料から有料に切り替えていた
陸海空の各自衛隊広報施設の入館料を再び無料に戻した。

民主党肝いりの事業仕分けがまたひとつ骨抜きとなった。

無料に戻ったのは陸上自衛隊広報センター「りっくんランド」(埼玉県朝霞市)、
海上自衛隊佐世保史料館「セイルタワー」(長崎県)、 
航空自衛隊浜松広報館「エアーパーク」(静岡県)の3施設。

一昨年11月、仕分け人だった民主党の蓮舫参院議員は、  
自衛隊の広報予算36億円を要求した防衛省の担当者に対し、  
「有名なテーマパークは、家族4人で数万円を超えても、
お客さんがあとを絶たない」と例を挙げ、  有料化を要求。  

防衛省は昨年11月から今年1月末まで各施設で入館料を徴収したが、  
入館者数は前年比7万5000人減の6万2000人と半減。  
再び無料に戻すこととなった。

りっくんランドの関係者は
「広報施設の無料開放は納税者への還元の意味もある。
人気テーマパークと同列に語ること自体、的はずれだった」
とあきれている。

あきれている。

あきれている。

ほら、呆れられてますよ。
こちらも蓮舫女史の「隠れた名言」として後世に伝えてほしいですね。

まあ、仕訳自体がパフォーマンスで、実は拘束力さえ持たない、
「蓮舫の玩具」
であったことが、明らかになっていますからね。

普通に考えたら、

「国から予算が出せないから自衛隊がもっと努力して自分たちで金稼げ」

と、「軍組織」に対して言うこと自体、異様なことなのですが、
そんな子供でも分かる理屈がこのヒトには全くおわかりでない。


この浜松基地エアーパークは、2010年11月1日より「当面の間」ということで
高校生を除く18歳以上の大人が500円、
小・中・高校生が200円の有料制に変更
されていましたが、その後わずか
三か月後、「実験の結果入場者が半減した」ということでまた無料化されました。

2009年の事業刷新会議の結果が反映されたのは一年後ですが、
実験化された2010年末頃にはもう中国船船長逮捕などの事件が起こっており、
仕分けで蓮舫が「二番じゃダメなんですか」などと言ったことから各方面の反発を生み、
国会ではしょっちゅう野党議員が蓮舫に向かって

「こんなものは二番じゃダメなんですか(嘲笑)」

と全く関係ない議題にもかかわらず嫌味を言ったり、

「仕分けを自分の評判のために私物化している」
「全く実行されていないものもあり有名無実」

などという直接の厳しい言葉が矢のように降り注いでいました。
「蓮舫議員の玩具」という言葉も、わたしは国会審議でリアルに聞いています。

つまり、2011年2月に防衛省がこの仕分けの結果を受けた「実験」を中止できたのも、
民主党の求心力(そんなものはもともとないという説もありますが)の崩壊とともに
「そんなもの無視していい」という空気が醸成されていたいうことの表れなのです。

仕分け会議で毎日とっかえひっかえ違う白いスーツを着て臨み、
担当者が

「維持経費がゼロだと言われると、立ちゆかなくことだけは理解して欲しい」

と苦笑いすると、

「大変申し訳ないんですけど、笑って終わる話では、実はないんですよね」

と厳しい口調で切り捨て、そういう態度をしてマスコミが
「必殺仕分け人」と持ち上げ、悦に入っていた蓮舫議員ですが、
しょせん人は感情の動物、要はそういう態度もまた反発を呼んでいたってことなんですよ。

反発が大きいほど、反動も大きいというのは物理や株だけの話だけじゃないんですよ。



この蓮舫議員が仕分けしたのにもかかわらず、頑張って結果を出した例が

「はやぶさ」
「なでしこジャパン」

などであることは皆さんのご記憶にもおありでしょう。
いずれもその成功のおこぼれを預かろうと同議員がツィッターで

「すごいです!」「おめでとうございます!」

とはしゃぐと、やっぱりというか、そのたび山のように

「予算を切り捨てたお前にそれを喜ぶ権利はない」
「どの面下げておめでとうなど言えるのか」

というフォローがあったそうで・・・。



まあつまり、この人、よく言えば日本の「逆神」となったのですね。
その「逆法則」により、蓮舫が切り捨てた「りっくんランド」はその後その様子が報道され、
ネズミランドの名言と相まってそれが広報の役目を果たし、
なんと一挙に入場者が増えたというのです。

「有料化される前に行かなくては」

という「駆け込み需要」が実際はほとんどで、ニュースの通り有料化となってからは
入館者は半減してしまったわけですが、一応「名前は有名になった」わけですから
無料に戻って二年後の今日、りっくんランドはどうなっているのでしょうか。

わたしがこの日訪れたエアーパークに関して言えば、
ツァーに含まれていたこともあり、団体バスがいくつも停まり、
館内は結構な見学者であふれていましたし、それこそ
テレビ番組「空飛ぶ広報室」効果もあって、盛況と言える状態でした。

この秋、行ってみようかな。りっくんランド。


これだけ贅沢な展示を、しかも無料で見ることができ、
日本の防衛についての現状と実態を学ぶことができる施設。
もっと学校団体は活用してほしいとわたしは切に願います。

ヘンな国(どことは言いませんが)に意味のない修学旅行に行くくらいなら、
こういう広報館の見学の方がずっと子供たちにとっても、安全でかつ
「修学」の本来の意味となり、その意義を果たすと思うのですが。

学校関係者の方。

もしこれを見ていたら、こういうところに修学旅行や社会科見学に行くという
選択肢があるということをぜひご一考願えないでしょうか。




護衛艦の測距号令

2013-06-21 | 自衛隊

以前、この日本海海戦における戦艦「三笠」の図から、
測距儀や望遠鏡などの「光学機器」についてお話ししました。

その後、今現在の護衛艦における測距儀についてのいろいろを、
現役自衛官の方からレクチャーしていただく機会がありましたので、
それを中心にお送りします。


現在護衛艦等に搭載している測距儀は

「六六測距儀(ろくろくそっきょぎ)」

と呼ばれています。
左右のレンズ間隔が66cmであることから、そう呼ぶのだそうです。

ちなみに六六測距儀が比較的正確に測距可能な範囲約100m〜1000m
それ以遠、それ 以内の距離は不正確、測距不能距離となります。


ところで精度の良いレーダーがある今の時代、明治時代から使っていたのと
同じ仕組みである測距儀がなぜ必要なのだろうと思ったことのある方はいませんか?
わたしもその一人ですが、測距儀の方が、というより測距儀でないとダメ、という場面が
現在もあるということなんですね。

たとえば、

入港で岸 壁に横付けする

●洋上で艦を近距離で平行して走らせながら給油する

●ハイラインと呼ぶロープを艦の間に渡して人や物を授受する

●基準となる艦に、相方の艦が近接する

このような場合です。

最近ではレーザー測距儀というレーザー光を使った測距儀が導入されつつあります。

この光学式測距儀の計測可能距離は測距儀や反射プリズムの性能に左右されるのですが、
大略 1 - 2 キロメートルが限界なので、まさに「近いところだけ用」ということですね。
なかには 5 - 6 キロメートル計測可能な測距儀も存在することはするそうなので、
もしかしたら近い将来に六六測距儀は姿を消すのかもしれないということです。


私事ですが、エリス中尉、新車で購入して5年目にもかかわらず、
走行距離がすでに8万キロを超してしまって、水回り関係がおそらくこの夏の暑さで持つまい、
とアブラゼミレベルの余命宣告されてしまった愛車を買い替えることになってしまいました。

先日、担当セールスが自宅に「おすすめ」を乗り付けてきたので試乗し、
その際いろいろ搭載されているモニター設備の説明を受けたのですが、
いやー、すごいね。この5年間の光学機器の進歩。

バーズアイ、つまり真上から車を見ている画像がモニターに映るのですが、
それは実際はドアミラーの下にあるカメラ映像を合成しているもの。
また、オプションではありますが、

「この車が駐車可能かどうか空いているスペースを測定し、スイッチを入れると
あとはアクセルを踏むだけで勝手に縦列駐車してくれる」

という、とんでもない装置も搭載することができるんですよ。
自家用車でこうですから、軍仕様の機器はもっとすごいことになっているのだろうなと。




さて。

測距儀は三角測量の原理で距離を測っていますので、
より遠方の距離を測る測距儀は、左右の対物レンズ間の幅、
すなわち三角形の一辺の長さをより長く(逆の場合は短く)する必要があります。

戦艦大和の第一艦橋の上に、巨大な測距儀があるのは、長距離の射撃に備えたものです。

ところで、この説明をしてくださった自衛官によると、
この絵で長谷川少尉候補生が(覚えてしまった///)一生懸命測距儀を覗き込んでいるのですが、
このあたりに若干の疑問が生じるのだそうです。


日本海海戦で、東郷司令長官が大回頭を命じた距離が約8000。
5000から10000という

長距離をあの小さな測距儀で正確に測るのは無理

ではないか、というのがその方の「素朴な疑問」であるというのです。

ええっ!それは(笑)


「三笠の艦橋やマストに、大和のように巨大な測距儀があったような記憶はない」

とその方はおっしゃるのですが、記憶も何も、長谷川候補生がこうやって測って、
全てをその情報から把握していたと我々は信じて疑っていませんからね。

フネに関してはプロ中のプロである現役自衛官にこのようなことを言いだされると、
さらに、

「当時、どうやって距離を測ったのか、ご存じでしょうか? 
これまで考えても みなかったことです」

などと言われると、思わず動揺してしまいます。
本当に・・・・どうやって測っていたんでしょうね。
今の測距儀より当時の方が正確だった、という事実でもない限り、
ありえないことですからね。
まさか「5000以上は大体のカンで」とかだったら・・・・・・。

うーん。「ニコン」の方、なにかご存知ないかしら。


日清日露戦争を専門に研究し博士号を取得した同僚に聞いてみます、
ともおっしゃっていましたが、もし真相が判明していましたら、
ぜひ教えていただきたく存じます。



さて、次に、「現役自衛官のレクチャーによる測距号令」をご紹介しましょう。


護衛艦では測距が必要な場合には、
副直士官が測距員(海曹または海士)に次のように 命じます。

副直士官

「測距よーい、右(左)」
「測距目標、○○」

測距員

「目標よし、測距用意よし」

副直士官

「測距始め」

測距員

「ふたてんまるまるー」(200m)

「ひとてんきゅうごー」(195m)

もし、もっと頻繁に測距させたいときは

「測距間隔詰め」

その逆の場合は

「測距間隔開け」

測距する目標を変更する場合は

「測距目標変え、新たな目標△△」

測距をやめさせる時は

「測距やめぇ」

測距員

「測距やめよし、最後の測距ひとてんまるまるぅ」

というような具合です。

この絵では士官が測距儀を操作していますが、昔は士官の役割で、
そこでは、同じではないにしても、似たような号令が行き交っていたかもしれない、
とはその方のお話ですが、この時は

「天気晴朗なれど浪高し」

であったわけで、肉声はほとんど聞こえない状態であったこともあり得ます。
長谷川候補生も右手に通信機器(簡易無線のようなもの)
を握りしめ、距離を全て無線で艦橋に送り、そこから文字板と伝令の兵によって
全艦通達をしていたくらいですから、ここでも何か言うたびに周りが何度となく
それを繰り返し、司令部に伝える必要があったのではないでしょうか。




このお話を伺った方によると、戦艦をテーマにした映画などで違和感を感じるところは、
操舵号令を発する基本中の基本である「面舵」「取舵」の抑揚を
正しく再現しているものがあまりない、だそうです。

「面舵」は
「おもーかーじ(“も”にアクセントがあり、 音程も一番高い)」、



「楽譜にしたいところですが」
ということでございますので、ご要望にお応えして(?)
作成してみました。

こんな感じでよろしいでしょうか?


「取舵」は「とーりかぁじ(“と”にアクセントがあり、やはり音程も一番高い)」


これも、こんな感じでしょうか。



これらの号令のかけ方は乗艦実習でしつけられるイロハのイ、ということです。

「これが間違っている映画などを見せられるのが、一番気持ち悪く、
また残念なところでもあります」

ということですが最近の映画では、あの荒唐無稽潜水艦過去SF映画
(好きですけど)の「ローレライ」で柳葉敏郎演じる「木崎大尉」が、
この発音でやっていたという記憶があります。

「聯合艦隊」はたしか間違っていたような。
敬礼の仕方なんかは役者相手なら一言いえばわかるんだから、
「軍事指導」の方、まずこういうところをちゃんとしていただきたいですね。






拝啓 安倍総理大臣殿~97歳の証言者

2013-06-21 | 日本のこと

朝鮮の地方行政の担当者だった97歳男性から安倍総理への手紙です。
紹介しているのは、朝日新聞とニューヨーク・タイムスの「伝言ゲーム」を解明した
木走まさみず氏のブログです。
以下、引用です。ただし、読みやすく改行しています。


なお、内容の真贋を検証できていませんことを前提としてお読みください。


拝啓 安倍内閣総理大臣殿

和歌山県田辺市 西川 清 (97歳)

日夜国事に精励されている総理大臣に対し、
名もなき一介の老耄がお手紙を差上げるご無礼をお許し下さい。

私は生きているうちにこれだけは申しおきたいと思う一事があります。
それは、いわゆる従軍慰安婦なるものについてであります。

結論から申せば、朝鮮(北朝鮮及び韓国)等の言う従軍慰安婦なるものに、
日本の軍や官が強制連行など関係したことは絶対ありません

かく私が断言することができるのは、
私が朝鮮・江原道の寧越群及び原州群の内務課長を歴任した経験があるからです。
以下、当時の状況等について申し述べます。


私は昭和8年に朝鮮に渡り、江原道庁に奉職致し、
敗戦により引き揚げてくるまで勤め、その間一年間臨時召集により入隊しました。

朝鮮の行政は、総督府から道庁に伝わり、道庁から出先機関の群庁に伝わり、
群庁より府・邑・面(日本の市町村)を通じて施行されました。
(当時、江原道内には府はなく、邑と面のみ)。

群長は群守といって、殆どが朝鮮人で、その下に内務課、勧業課があり、
内務課長は殆ど日本人で、経験豊かな四十歳を越す属官で、
人事その他一般事務を司り、群庁の実権を握っていました。

内務課長の所管事務のなかに、邑、面の指導監督や兵事等もありましたが、
朝鮮人にチョウ兵(注・兵役?)の義務がありませんので、
兵事は主に在郷軍人に関するものぐらいでした。

朝鮮人男子青年にはチョウ用があり、総督府より道に対し人数の割り当てがあり、
道はこれを群庁に、群庁はこれを邑、面に対して割り当てをして、
集めた青年を釜山に連れて行き、総督府の係官に引き渡しました。


女子に対してはこのようなことは一切なく、軍が慰安婦を集めんとすれば、
朝鮮軍司令部が総督府に依頼して、前述の系統をたどり集めるしかありませんが
このようなことは一切ありませんでした。

売春婦が強制連行されたの拉致されたというのは、女衒かその類の者の仕業であって、
軍や官は一切あずかり知らぬことであります。
日本婦人でも売春婦として軍の居る所に多くいましたが、
一人として従軍慰安婦などという者が居たでしょうか。

日本人と違って、恥を恥とも思わず、金さえ儲かれば良いと思う輩が、
敗戦により日本人が委縮しているのにつけこんで、
あらぬ嘘を申し立ててくるなんて腹立たしい限りです。


今はもう、総督府の事務官はじめ、道や群の行政府にも軍にも
当時の実情を知る者は殆ど亡くなられたものと思われます。

然るに、今を生きる日本人のなかにも、自虐性に富む輩のうちに、
従軍慰安婦なるものに軍や官が関与したなどと申す者がありますが、
朝鮮売春婦の故郷とも申すべきスルチビ(居酒屋)、カルボチビ(娼家)
の戦前戦中の実態も知らぬくせに、
いいかげんに机上の空論をもてあそぶのは誠に概嘆に耐えません。


国威を失墜し児孫に負の遺産となる河野談話の見直しは、

安倍総理を除いては望むべくもありません。
ぜひぜひ誇りある日本の為に、この際断固たる訂正を心からお願いし奉る次第であります。

最後になりましたが、邦家の為にも総理のご健康をお祈り致します。

敬具

----------------
西川 清氏の略歴
大正4年:和歌山県田辺市生まれ。
昭和8年:和歌山県立熊野林業学校卒業と同時に朝鮮江原道内部産業課勤務。
昭和12年:朝鮮総督府地方官吏養成所第1回卒業。朝鮮総督府江原道属に任官。
昭和13年:臨時召集により歩兵第76連隊入隊。
昭和14年:招集解除。
昭和18年:寧越郡内務課長。
昭和19年:原州郡内務課長。
昭和20年:道庁鉱工部鉱工課勤務(主任属)。引揚。
昭和21年:厚生省属 下関引揚援護局仙崎出張所勤務。
和歌山県へ出向。農地課主任、総務課長、税務課長・次長などを歴任。
昭和42年:依願免職


 

 

 


開設1000日記念漫画ギャラリー第三弾

2013-06-20 | 海軍

「あゝ江田島羊羹」







兵学校の名物英語教官、平賀源内こと春二先生の思い出話から、
「羊羹大量に食って謹慎を命じられた山田(仮名)」のエピソードを漫画化してみました。
ちなみにこの山田生徒は駆逐艦乗り組みを経て終戦まで戦い抜き、
戦後は平賀先生と旧交を温める「飲み友達」になったということです。

かれが戦後も甘党で、そのささやかな宴席において
やはり羊羹を所望したのかどうかまでは源内先生は書きのこしていません。


「藤田怡与蔵の戦い(日航パイロット編)」




海軍兵学校66期の藤田威与蔵氏が残した手記から、
「日航パイロットになってすぐ『見張り競技』を外人パイロットに挑まれた話」
を漫画にしてみました。
藤田氏は自分の見張り能力を戦闘機に乗っていたころもそんなに上だとは
思っていなかったのだそうですが、軍出身のアメリカ人パイロットは、
いずれも藤田氏の敵ではなかったというのです。

日本人パイロットの視力の良さは坂井三郎の著書などに見る
昼でも星が見えたとか、ハエを手でつかんだとか、
ほんまかいなと思われる伝説にその片鱗が表れていますが、
総じて優れていたその見張り能力ゆえ、日本の飛行機はそれに頼り過ぎて
レーダー系の開発において後塵を拝す結果となったのではないでしょうか。

ってか、レーダーが日本人の発明なのに(八木レーダー)
捕まえた敵に「そんなことも知らんのか」
と馬鹿にされてしまったって話もありましたね。

灯台下暗し。ってちょっと違うか。



「海軍軍楽兵の憂鬱」




軍楽兵は当時も人数が少なかったため、海軍内でも
その実態はあまり知られていなかったようです。
このマンガは、軍楽兵の軍服が上半身下士官とそっくりで、
短い上着は兵学校のようであったため、実態を知らない一般の兵が
上官と間違えて暗い夜などにうっかり敬礼してしまいトラブルになった、
という話から構成してみました。

いかつい兵隊さんはここでもかわいそうな目にあっております。

何度も説明していますが、この頃の漫画は筆ではなく、
ノートパソコンのホイールパッドを指でなぞる方法で、描いています。
本日の漫画は、ここから最後まで全部その手法です。

いやー、我ながらよくやったわ(呆)


「海軍のジンクス」




初期のころのコマ漫画。
海軍では「四」のみならず偶数が嫌われました。
これは、結婚式のご祝儀を奇数にしなければいけないのと同じ理由で、
偶数は「二つに分けられるから」、つまりフネが「二つに分かれる」とことを
嫌うところからできたジンクスです。

主計兵が厳しく言われたのが、オムライスのグリーンピースを盛るとき、
決してグリーンピースの数を偶数にしないこと、でした。
六個でも八個でもまずいのに、よりによってグリーンピースを落として
四個にしてしまった従兵くんをまんがにしてみました。


「殿下クラス」




兵学校も陸軍士官学校も、何年かに一度「殿下クラス」がありました。
皇族の子弟が須らく「陸軍か海軍に所属すべし」という決まりがあったため、
無試験でお方々を迎え、建前上は「みなと同じに扱う」
と言うことにはなっていましたが、実際にはそうはいかなかったため、
いろいろな事件も起こりました。

二人の若様が在学中であったとき、このお二人が「鉄拳制裁」を率先して行い、
それがためそのクラスは「ネーモー」(獰猛のこと)となり、以降
「ネーモークラスが一号(四年生)であったときの四号(一年生)は、
殴られるので一号になったときまたネーモーとなり、そのサイクルができた」
という説があり、わたしもそれを信じて一度そのように書いたのですが、
最近読んだ本によると、

「このお二人の若様たちは決して制裁に加わらなかった」

・・・ですよねー。


皇族の方々に対しては教官と言えども「位が下」。
その腫れ物に触るかのごとき兵学校の対応ぶりについて触れたこの稿では、
棒倒し競技の時参加していた生徒監事が、目の前の生徒を殴ろうとしたところ
それが若様であったのであわてて隣の生徒を殴った、という実話を漫画にしてみました。






 


フランク・ロイド・ライトに捧げる歌

2013-06-19 | つれづれなるままに

今現在(フォーシーズンズホテル314号室のデスク)で、
せっせとこんなものを造っている息子です。

 じを

声をかけて今までの「作品」を出してもらいました。
これは「マインクラフト」というゲームで、自分で建造物をバーチャル世界に建てるもの。
部屋の中のキッチンや寝室、暖炉を造ったり絵をかけたり、
ときどき迷い込んでくるヒツジやニワトリに餌をやったり?と、
なかなか(よくわからないのですが)楽しそうです。

そんなゲームが好きな息子は当然フランクロイドライトの大ファン。



わたしも、サイモンとガーファンクルの
「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」
So Long, Frank Lloyd Wrightという歌が大好きです。

さようなら、フランクロイドライト
あなたの歌がこんなに早く消えてしまうなんて
あなたの偉大さがやっと少しわかってきたかなってとこだったのに

早すぎる
早すぎるよ


忘れないよ フランク・ロイド・ライト
明け方までお互いが完璧にハーモニーを奏でたすべての夜を
あれ以来僕はずっと笑っていない

ずっと ずっと


多くの建築家たちがう生まれ、そして去っていく
しかしあなたのまなざしは決して変わらない
いろいろな曲が生まれては消えていく
でも僕の音楽は決して変わらない

僕がこの道で行き詰るようなことになったら
その時は
少しだけ立ち止まり、
そしてあなたのことを考えるよ


さようなら フランク・ロイド・ライト
あなたの作品と毎晩溶け合った日々を思う
建築と音楽の美しさの接点を探して

あれ以来僕は笑えなくなってしまったよ


さようなら  さようなら

(エリス中尉 超意訳)




息子が明治村でライト建築の帝国ホテルを見て非常に感銘を受けたようなので、
先日レゴシリーズの「帝国ホテル」を買ってやりました。

 

あっという間に土台を作り、本体を組み立てています。
息子は一時「大きくなったらレゴを作る人になる」
と言い切り、部屋の棚と言う棚に自分の作品を飾り、
いまだにレゴに囲まれて寝ています。
最近はコンピュータのゲームでチャットをしながら遊ぶのが面白いらしく、
レゴ製作からは遠ざかっていましたが、やはり相変わらず作るのは早い。

 

少し写真を撮らないでいると、あっという間にここまで進んでしまいました。



もう屋根が半分付きました。

完成。

 パッケージと並べてみました。

 入口の噴水もちゃんとあります。

 背面部分。

 

ちゃんと彫刻も再現されています。

 

ロイド独特のモニュメント。

 

できた作品を今までの建築シリーズと並べてみました。
左からシアーズタワー、シアトル・スペースニードル、
帝国ホテル、エンパイア・ステートビル、ジョン・ハンコックセンター、
グッゲンハイム美術館。

さて、そんな我が家に最近もう一つ、フランクロイドライトが来ました。



ライトデザインの名作、「タリアセン」ランプです。

 

実は、我が家で使っているカードのポイントが、
溜りに溜まっていたのですが、先日届いたカタログによると
このライトが戴けるということがわかり、珍しく家族全員が
ポイントをこれに使うことに意見が一致したのです。

ヤマギワ電気で扱っているものですが、ちゃんとライトデザインですよ、
という証明書付き。
ライセンス生産、というやつですか。

頼むときTOがわたしに

「メイドインチャイナだけど・・・・・いいの?」

そっ・・・・・・それは・・・・・仕方ない。
背に腹は代えられん。ってちょっと違うかしら。

しかしなんだってフランクロイドライトを中国で作らせるかね。
ポイントの景品だからまあ仕方ない、ということになるけど、
もし自分で買うんだったら、「なーんだ」となってしまいそう。

わたしがときおりのぞくファッション通販サイトですが、
「日本製」「イタリア製」「フランス製」
にまじってなぜかときどき「輸入品」という表示が。

ははあ、これは「中国製」と書けないからなのね、と理解しています。
とくにファッション衣料が「中国製」というのはね・・・
食べ物は「身を守るため」に徹底的に中国産を避けている人も多いと思いますが、
ファッションの場合、理屈ではないの。
中国の工場で作られたってだけでもうなんか、萎えてしまうんですよね。気持ちが。

ファッションって、人によってさまざまな捉え方があると思いますが、
わたしの場合「気持ちを一緒にまとうもの」ですからね。
「仕方ない」
というネガティブな要素が混入してくると、それだけで盛り上がらなくなるというか。

このタリアセンだって、中国の工場で作られていると知ったら、
フランクロイドライトも草葉の陰で苦い顔をするのではないかしら。

その点どんな人だったかは知りませんが。


 

息子に組み立てさせました。
手を伸ばしているのがランプの上部の棚というかシェードの部分。
なんと、釘一本使わず組み立てるものであることが判明しました。
コの字のパーツをスライドさせて差し込んでいきます。

なるほど、これなら掃除も楽。(←主婦感覚)
電球も豆球なので、きっと電気代もあまりかからないでしょう。(←激しく主婦感覚)

 完成後とりあえず玄関先で点灯。

しかしさすがは?中国製。
木のパーツをスライドしてはめていくのですが、
ひとつだけ「どこにもはまらないピースがある」ことが判明。

「なんでこのピースだけこんなに小さいの」
「はまるところが一つだけあるデザインとか」
「いや、それはない。単に作りが雑なだけ」

二人で文句を言いながら、なんとかそのピースを押し込み、完成。

日本製なら絶対にこんなことはありえない。
これだけは断言しておきます。




いままでチェスボードを置いていたG‐プランのテーブルの上に
置くことにしました。
G‐プランはヴィンテージ(60年代)ですが、このタリアセンと全く同系統の色で、
まるでそこにあるのが当たり前のように自然です。

上にある額は、引っ越し記念に買ったフジコ・ヘミングのピアノを弾く女性と猫の版画。
こういうものともぴたりと雰囲気が合ってしまうのがライト作品。




タリアセンは長らく憧れの家具でしたが、それじゃわざわざ買うか
というと、さして切羽詰まった購入理由もないので、
なんとなく遠目に見ていいなと思っているだけだったのです。

こういうカードのポイント景品と言うのはわりとどうでもいいものを選んでしまいがちですが、
今回は使用せずにためておいて本当に欲しいものを手に入れることができ、
有効に活用できたので、それだけでもすごく得した気分。


何と言っても、有名なライトの作品を毎日見て暮らすというのは
日常生活の中でちょっとしたぜいたくな気分を味わえそうです。

・・・・・・中国製であるということにさえ目をつぶれば。









 


浜松基地エアーパーク~操縦桿を折ったのは誰だ

2013-06-18 | 自衛隊

浜松基地エアーパークに展示されているF-1について少し書いてみましたが、
今日はそれ以外の展示を駆け足でご紹介します。

室内の展示は一階と二階に分かれ、受付を通ると一階部分は
航空自衛隊の任務と活動、研究開発、そして航空機のメカニズムがテーマ。

まずはXF-2のモックアップを見ながら入っていくと、
実は同じフロアにバーチャル航空管制司令塔があります。



時間があったらここで体験してみたかったのですが・・・。



ここでは戦闘機の能力や、後方任務について、映像で説明しています。



そしてそこにF-1が展示されているのです。



F-1の横にあるカットエンジンを見たら、階段をあがり、
二階展示室へと・・・・・・。



そこは、現在空自で使われている航空機の模型が。

鹿屋の航空史料館を見学したとき、そこに展示されていた
そう大きくない模型をさして、案内してくださった元自衛官の館員は
一体が何十万(忘れましたが)くらいかかるのだ、とおっしゃっていたのを
これを目の前にしたときにふと思い出しました。

全ての航空機の模型、一機であの値段なら(といっても覚えていないんですが)
これだけ全機そろえたらいったいおいくらなのか・・・・。

あ、この航空機群、下の方をF-2(洋上迷彩)が飛んでいますね。
静浜基地のプロペラ練習機、T-7もちゃんといます。



続いて黄色い救難ヘリ群。



そして、後ろに行くと重量級の輸送機の皆さんが。

しかし、このでかでかとした注意書き・・・・。
お子様が乗ってしまうという事件でもあったのだろうか。

まさか、と思われる方もおられましょうが、親と一口で言っても
なかなかいろいろいるものですから。

今日、とある商業施設でキーキー(文字通り)言いながら走り回る子供を、
マクラーレンのベビーカーを押した母親が全く放置していたところ、
よその子に激突してその後大騒ぎになっていましたからね。



その向かいにはブルーインパルスコーナー。
ブルーの隊員の人形、ヘルメット、



写真や模型など。
というか、ここは「ブルーインパルスの模型を展示するコーナー」?



続いては搭乗員装備品、救命装備品の展示。

ところで空自の敬礼は、旧軍の陸軍式?海軍式?

うーん・・・・もしかしたら角度的には中を取って真ん中へん?
これを見る限り、海自のより角度はあって、陸自より肘は低い気がする。

まあ、人形なので全くあてにはなりませんが。



搭乗員が装着する

「強制開傘式背負い型落下傘」

ガン・デプロイト・パラシュートと呼ばれており、
脱出高度を感知すると自動的に火薬の力を利用して
強制的に落下傘が開く仕組みになっているものです。



ゴムボートまである搭乗員の装備品の数々。



薬や包帯、サバイバルナイフなどなど。
右上から行くと、

黄色い箱は「海水脱塩剤」
錠剤を海水にいれると飲み水になる。もちろん非常用。


緑のものは、航空糧食
うーん、ちいさい。カロリーメイトみたいなものかしら。

黄色いのはわかりませんが、その下は保温材。
携帯型カイロの大判でしょうか。

その真下の白いパックは、なんとこの小ささで携帯毛布。
普通の毛布の2,3倍の保温力があるそうです。
なにでできているんだろう。



続いて地上武器のいろいろ。







実物がそのまま展示されています。
バルカン・エア・ディフェンス・システム



ラインメタル・対空20ミリ2連砲。





81式短距離地対空誘導弾の説明。



スティンガー
赤外線探知機、誘導技術の面で優れており、一人で操作可能。
というか、これどうやって二人で使うんだろうか。
ご覧のように携帯式です。

目標機に対して全方向から射撃が可能で、敵味方の識別装置も備えていると。
しかし、この後ろ側から弾が出るドリフ的展開をつい考えてしまうのは
わたしだけでしょうか・・・・・・わたしだけですねすみません。



各種飛び道具。
どうしてここに飾ってあるのだろう。
もう旧式となって使わなくなってしまったということでしょうか。



ラインメタル対空20ミリ砲の説明を熱心に読んでいる女性。



自衛隊では制服のことも「装備品」というのですね。
空自の冬服の、何とも言えない中途半端な色が、
エリス中尉、正直申し上げてあまり好きではない。
このデザインも、ふた昔前の民間パイロットのようで、あまり重みが無いというか。

え?空自だから伝統墨守の海自や、戦車で土を蹴散らす陸自みたいな
いわゆる「重み」はいらんのだ、って?


やっぱり空自でかっこいいと思うのはフライトスーツかな・・。
さらに言えば、白いマフラーを見せるブルーインパルスのユニフォームが素敵です。
ブルーの制服はドルフィンキーパーもいいですよね。



このような説明も。
軍人さんが左胸にいろいろつけているカラフルなあれ、何かと思っていたのですが、
「防衛記念章」
というのだそうです。
よくわからないのだけど、勲章みたいなものかしら。

そういえば、偉い人ほどたくさんつけているような気がしますね。

下の部分を読んでいくと

「第30号防衛記念章・海外訓練経験者」
「第27号防衛記念章・25年以上勤続者」
「第33号防衛記念章・イラク特別処置法に関する業務従事者」

このような感じですから、やはり勤続年数が長くなり、えらくなると、
それだけ胸のこの防衛章がにぎやかになっていくということのようです。



そのイラク復興支援関連の制服が、これ。
今までの自衛隊には無かった「砂漠迷彩」採用。

強烈な日差しを防ぐための帽子、砂埃を防ぐマスク。
手袋も半長靴も、すべてサンドカラーです。

さて、というところが二階の展示ですが、この二階には
全天周シアターというのがあり、迫力の大スクリーンで、
航空機の映像を楽しむことができます。

わたしは時間が無かったので見られませんでしたが・・。

さらに、そこから三階に上がっていくと、
「コミニュケーション・フロア」で、そこにはまず



図書館があります。



そう充実しているわけではありませんが、自衛隊、航空関係の著書が。

「秘めたる戦記」
「太平洋戦争海藻録」
「最後のゼロファイター」
「マリアナ沖の七面鳥撃ち」(これをタイトルにするか・・)

ちょっとわたしなら手に取ってみたいと思ってしまう図書が多数。



もちろん、ちょっとしたものが食べられる喫茶・軽食堂も完備。
三階にあるだけなのに「スカイラウンジ」とはこれいかに。

きっと、空自だからですね。



ここでは、あの自衛隊限定ドリンク「元気バッチリ!」
をオーダーして飲むこともできます。

この階には、操縦シミュレーターもありました。



ブルーインパルスの頭部のみ。
「やわらか戦車」を少し思い出してしまいました。

向こうをぶらぶらしているのは息子です。

三台あるうち、稼働しているのが一機だけだったので、
前の人がやるのを後ろから見ていました。



 

取りあえず一回だけやってみました。
それはそうと、二機が壊れている、というのはこうです。

ポッキリ根元から折られた操縦桿。
これ、絶対誰かが故意にやってますよね。

そして、そこにはこんな貼り紙が。



「残念ながら」

「連続して発生しました」

操縦桿が折れたのは「故障」ではなく、この言い方によると
「破壊された」
と言うことですよね。

だれか犯人がいるということをうっすらと訴えつつ、
その犯人への怒りが読む人にはわかる、
実に真意を述べるに簡潔な名文だと思います。

そしてさらに

「今年度予算が成立ししだい」

この一言に、自衛隊の置かれた立場と、その中で
できることしかできない、という悔しさがにじみ出ている
(ような)文章だと思われませんか?

民間の博物館なんかではないので、こうやって壊されても
予算が降りるまで直すことなんてできないんだよ!
直したいがな!

みたいな、心の叫びが聴こえてくる(ような)文章です。


それにしても、酷いことするやつがいるなあ・・・。

さて、それではエアーパークの探訪記、
最後に、体育館のような格納庫に展示されている航空機を紹介しましょう。