ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

平成30年 芦屋基地航空祭 ダイジェスト

2018-10-16 | 自衛隊

自衛隊記念日に伴う行事は観閲式だけではありません。
この週末には、各地の自衛隊基地駐屯地で様々な催しが行われました。

14日の日曜日、朝霞駐屯地では安倍総理大臣を観閲官に迎え、
観閲式の本番が行われたのですが、その日、わたしは福岡にいました。

そう、芦屋基地航空祭に参加するためです。

わたしが所属している防衛団体の一つが芦屋基地航空祭への研修旅行、
前日その地方からバスで出発して一泊後、バスを基地内に乗り入れるという
コースを企画していたので、早くからそちらに手を挙げていたのでした。

観閲式の本番がその日と重なるということを知った時には時すでにお寿司、
しっかりと

「ドタキャンは絶対に!しないでください!」

と五寸釘を刺されていた後だったのです。
ギリギリにいつものKさんから黄色のチケットもいただいていたので
さりげなく病気になることも考えたりしていたのですが、
天網恢恢疎にして漏らさず、悪事千里を走るという言葉もあることで、
そういうことをしていると必ずいつかバレて気まずいことになるのは必至。

まあ予行をいい席で観られたから良しとしよう、と自分に言い聞かせ、
黄色いチケットは知り合いに貰ってもらうことにしました。

前日地方から福岡入りして、航空祭の後皆はそのままバスで帰りましたが、
わたしは福岡に一泊して福岡空港から帰ってきたので、
今日は「超ダイジェスト版芦屋基地航空祭」です。

 

航空祭には今まで静浜基地、入間しか参加したことがありません。
最近例年参加している入間が凄まじい入場者数であること考えると、
この芦屋基地はずいぶんとのんびりした感じだなと思われました。

もちろん早くから並んで、ブルーインパルスのウォークダウンを撮るため
開場と同時にダッシュするオターなたちも必ず一定数いるのでしょうが。

わたしたちがバスを乗り入れて会場に到着した時には
T-4のオープニング飛行が行われている時でした。

オープニングとしてU-125Aの救難訓練展示も行われたようですが、
いつの間にか終わっていたようです。

ということで、T-4の訓練飛行から見ることになりました。

T-4のデュアル・テイクオフ。

カメラはD810に28−300mmのズームレンズ、
ニコン1にフルサイズ800mm換算の望遠を付けて参加です。

航空機を写すのは基本が500mmという世間の常識がありますが、
諸事情により、どうしてもそこまではできないのでこれが限界です。

70−300mmもあるのですが、旅行ということで
これもどうしても持って行く気になれませんでした。

T-4四機による編隊飛行。

午前中は光の量も十分で、写真を撮るのに絶好の気象条件でした。

訓練飛行の最後に大編隊による飛行を見せてくれました。
皆脚が出ているのは着陸前だからです。

この後、訓練飛行とは別にイルミネーションフライトというのも
行われたのですが、それは後のお楽しみということで。

着陸後タキシングするT-4の機内で両手を降っているパイロット。
操縦桿握ってなくてもいいってことなんですかね?

続いていきなり?F-15が15分の展示飛行を始めました。
入間ではT-4とF-15の間に、連絡機あり輸送機あり、
ヘリがありと盛りだくさんですが、そもそもここには
編隊を組むほどの輸送機はいないってことでOK?

わたしにすればオードブルの後いきなりステーキが出てきた気分です。

この日写真を撮っていて嬉しかったのは、綺麗にヴェイパーが見えたこと。
戦闘機はどちらもヴェイパーまつりでした。

これほど気象条件が良くても300ミリではこれが限界ですが、
とはいえ、当社比としてこれほど鮮明なF-15が撮れたのは
初めてなので、とても嬉しかったです。

これなんかヴェイパーに影がかかって切れて見えます。

この時間は雲も少なかったので、また一層これが綺麗に見えました。

続いてF-2。
わたし的にはF-2も今までで一番いい条件で撮れたと思います。

ただ、現地でモニターを確認しても全然写っているのかどうかわからず、
したがって調整しようにも確認もできないといった具合で、
かなり撮りながらストレスが溜まりました。

F2のヴェイパーが翼端と翼の付け根、どちらからも出ている
決定的な写真が撮れました。

F-2の飛行時間も同じく15分といったところです。
どちらの戦闘機も2機で飛行展示を行いましたが、
一緒に飛んだりといったタイプの飛行は行いませんでした。

午前中の飛行展示の最後にUH-60Jが救難訓練飛行を行いました。
まずその前哨として、ヘリから救難員が落下傘降下します。

降下した救難員が地上の要救助者のところに到着。
ホバリングしたヘリで緊急輸送を行う準備をしています。

その後、ストレッチャーに乗せた要救助者と一緒に
ヘリに揚収されていく救難救助員。

これでブルーインパルスを除く飛行展示は全部終了です。

 

午後に航空祭のハイライトであるブルーインパルス展示が行われるのは
入間航空祭と全く同じ進行です。(飛行展示の演目数は全然違うけど)

離陸の約30分前にウォークダウンが行われ、1355から演技が始まります。

離陸は1番機から4番機までが飛び立った後、
5番と6番が一緒にテイクオフするというのもいつも同じ。

ところで大変残念なことに、画面を見てもお分かりの通り、
午後から芦屋基地上空に雲がかかってきてしまいましてね。

アマチュアカメラマンにとって「条件の全て」といっても過言ではない
撮影のコンディションが、まず
大変厳しいものになってしまったわけです。

慌ててシャッタースピードを上げてみたりしましたが、
全体的にブルーインパルスは残念な写真になってしまいました。

4機が全部背面飛行をするフォーシップインバート。

チェンジ・オーバーターンでブレイクした瞬間。

チェンジ・オーバーターンでデルタ隊形に旋回しているところ(だと思う)

密集隊形で飛ぶ、ファンブレーク。

5番機がソロで行うスローロール。
これなどやっている人は難しいそうですが、撮る方は追いかけやすいはずなのに、
お天気のせいでこの有様ですよ。

ただ、航空機を追いかけてアドレナリンが噴出する感じ、
久しぶり(つまり入間以来1年ぶり)に味わって、なかなか楽しかったです。

 

曇りの日ならではのこんな写真も撮れました。
芦屋基地は初めてだったので何も考えず撮る位置を決めましたが、
たまたまトレイル隊形で進入したり、コークスクリューを行う
真正面にいたみたいで、それだけはとてもラッキーでした。

これも一つの無欲の勝利ってやつかもしれません。

 

航空祭前日のツァーのこともまじえながら、またのんびりと
お話ししていきたいと思いますのでよろしくお付き合いください。

 

 

 

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対ゲリラ・特殊部隊登場〜平成30年 陸上自衛隊観閲式

2018-10-14 | 自衛隊

今日は平成30年度観閲式本番が行われた日ですが、
粛々と予行の続きをご報告します。

ゼッケンをつけた防大校長、実施責任者、統幕長、防衛副大臣、事務次官が入場。

 

儀仗隊は銃の台座上部だけを地面につけて角度を保ち静止です。
簡単なようですが、見事なまでに銃の位置と角度が揃っています。
この姿勢を作るのに全員全く動きに乱れがないのは流石訓練の賜物です。

赤いゼッケンは総理大臣役。
どこのどなたかは知りませんが、観閲式の総理大臣役をするなんて、
ご本人にとってもなかなか名誉なことなのではないでしょうか。

訓練とはいえ、全部隊が自分に向かって栄誉礼と敬礼を送ってくれるのです。

各司令官旗が一斉に「旗の敬礼」を行う瞬間。

栄誉礼のラッパはラッパ隊隊長の指揮によって行われます。
その間儀仗隊は「捧げ銃」をしています。

その後第302保安警務隊退場。
先頭の隊長が右脇に立てて持つのは指揮棒です。

ラッパ隊は前方と後方の二分隊に別れ、
メロディを交互に奏でるパターンです。
なるほど、これなら息を休ませながら長時間行進する事も可。

ラッパ隊、儀仗隊の列が退場。

全員スタンドを出終わったところで「演奏止め」の合図。

そこで陸上自衛隊の歌手、鶫真衣三等陸曹により、アカペラで
「君が代」の歌唱が行われました。

最近自衛隊では女性歌手による国歌独唱を推進しているようです。
海自では割と当たり前に行われて来たのですが、陸自の観閲式では
今回が初めてとなりました。

ヴィブラートが少なく、キレのいい「君が代」だったと思います。

国歌独唱の間の少年工科学校生徒隊。

銃を持たない生徒たちは敬礼をしている間も左手を
腰のカバン(工科学校の象徴?)に手を当てています。

これはなかなか長時間取り続けるのが難しい姿勢かも。

とりあえず前半の任務を終了し、リラックスした雰囲気の儀仗隊と喇叭隊。
周りで見ている陸自隊員たちの笑顔の理由が気になります。

会場の向こうでは自衛太皷の演者たちがスタンバイを始めました。

まず全部隊の前を観閲者である内閣総理大臣が車で観閲を行います。
なんども言いますが、この車上の自衛官は安倍首相という設定です。

しかし身分は自衛官なので、安倍首相の行う胸に手を当てるポーズではなく、
自衛官として敬礼を行なっているわけです。

この首相代役に指名された自衛官にとって、この任務は
ある意味もっとも現役時代晴れがましい「役得」かもしれません。

車での部隊視察が終わると、全部隊が観閲行進のため一旦退場します。

最後の女性部隊の後ろでは、移動を始めた車両、特に戦車の黒煙が
もうもうと立ち込めてものすごい迫力です。

退場に先立ち、台上では部隊表彰式が行われ、この時は
海がイージス艦「こんごう」、空がペトリだったのですが、本番では

陸 対馬警備隊、海 貯油部隊 空 偵察部隊

だったそうです。

予行は去年の受賞部隊だった可能性あり。

ところで観閲台上の人々が皆空を見上げていますが、これは・・、

空挺降下展示で、三人の空挺隊員がパラシュート降下して来ているのです。

もちろん資格が必要で難しいフリーフォールという降下です。
自分で落下傘をコントロールし、降りる場所をピンポイントで決めます。

最初の降下者が観閲台の正面に降りることが確実になったこの時、
観客から大きなどよめきが起きました。

フリーフォール降下ではほとんどが二本足で着地をキメます。
まるで空中散歩するような軽やかな足取りで着地。

二人目も観閲台のやや左寄りに見事着地。

三人目は台の右側寄りでした。
これも打ち合わせ通りだったら怖すぎる。

こういう晴れ舞台に降下を行う人を見るといつも同じようなことを
思い、そして口に出してしまいます。

「こんな時に全部隊から選ばれる三人ってどんな凄い人達なんだろう」

降下したら迅速に傘を畳み、降下順に台の前で全員揃うのを待ち、
観閲官に敬礼を行なって退場します。

ベテラン中のベテランかと思ったら若そうな人もいますね。

続いて徒歩行進が始まりました。
観閲部隊指揮官が徒歩部隊を率いて最初に登場します。

観閲台に差し掛かる手前で旗とともに敬礼。

陸自中央音楽隊隊長が指揮しているのはもちろん
「陸軍分列行進曲」です。

旧軍の全てを否定し、旧陸軍とは全く違う組織として発足した
陸上自衛隊ですが、海自と同じく、この八条旭日旗と、この
名曲中の名曲である行進曲だけは受け継ぎ、後世に残すことを選択しました。

防衛大学校学生隊、防衛医科大学学生隊も、陸軍分列行進曲で行進します。

緑の旗は第3大隊、オレンジは第4大隊です。

防大学生隊、第一大隊が観閲官に敬礼。
振り下ろした指揮刀の角度が実に美しい。

続いて防衛医科大学校学生隊。

高等工科学校学生隊。

高等工科学校の学生隊は3個中隊ですが、前2個中隊は銃を担いでの行進。
(最前列の学生たちは背中に背負っている)

最後尾の一個中隊は皆クラッチバッグ?を抱えての行進となります。
一年生はまだ銃を持たせてもらえないのかな、と言い合ったのですが、
本当の理由はわかりませんでした。

普通科部隊指揮官の車を運転しているのは女性自衛官でした。

迷彩服と赤、ある意味もっとも「陸軍らしい」、それが普通科部隊です。

部隊長に当たる人と旗手は右足に銃のホルダーを巻いています。
(これかっこよくないですか?)

銃の角度が全員見事に一致。

流石に普通科連隊の行進には女性隊員はいないようです。

今年初めて登場、普通科の対ゲリラ・特殊部隊指揮官。

発足が検討されていた時には、数百人単位で習志野の第一空挺団内に置かれる、
と言われていたようです。

自衛隊は今対テロ特殊部隊を二個持っています。
海自の特殊部隊が「特別警備隊SBU」、そして陸自がこの

「特殊作戦群」となります。

実際には習志野駐屯地に2004年発足しています。

陸自の中からさらに選抜された彼らは、特に体力、知力に優れているとされ、
アメリカ軍で言うところのグリーンベレー・デルタフォースに相当します。

彼らは空挺資格だけでなくレンジャー資格も取得しており、それだけでなく
何か一つの語学(敵性国とされている国の言葉も)を習得しているのだとか。

そして第一空挺団指揮官。

こう言っては何ですが、例年の第一空挺団指揮官とは
少々雰囲気の異なる自衛官(つまり細身イケメン)ですね。

第一空挺団、というだけで〇〇〇〇集団(お好きな言葉を入れてください)
と自衛隊内でも言われているというのに、さらにその中でも
選び抜かれた〇〇〇〇な(お好きな言葉を以下略)隊員がいたとは・・・。

特殊作戦群の合格率はわずか3パーセントといいますが、普通の人の3パーではなく、
特に人より優れた者のなかから選ばれているわけですからね。

今まで「秘密のベール」に覆われていたかと思われていた対ゲリラ・特殊部隊ですが、
今回観閲式で言うなれば初めてベールを脱いだわけです。

 

続く。

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徒歩部隊入場〜平成30年 自衛隊記念日 観閲式予行

2018-10-13 | 自衛隊

開式に先立ち、徒歩部隊が防衛大学校を先頭に入場して来ます。
観閲式開始が10時に先立つこと30分前に行進が始まりました。

防衛大学校学生隊は最初の入場なので、一番長い時間待機することになります。
経験したことのある元防大生によると、これはなかなか辛いものがあるとか。

もちろん鼻が痒くなっても我慢しなければなりません。

先頭に立つのは学生隊隊長とその他4名。
今年も女子学生が一人この先頭にいます。

赤い旗は確か第一大隊だったと記憶します。

続いて防衛医科大学校学生隊

防衛大学校との大きな違いは、指揮刀を持たず、銃を担がず、
指揮官はバトンのようなものを左手で支えていること。

彼らは戦闘種ではないので武器は持たないのです。

女子学生の場合は、制服そのものが違います。
防大も女子はスカートが用意されているようですが、
行進の時などは全員が男子学生と同じ制服になります。

医学科も看護学科も、ネクタイのブレザーにスカートのスーツで、
帽子は他の陸空海女性自衛官のと形を同じくする形です。

看護学科は保健師・看護師である幹部自衛官を養成する「自衛官コース」と、
保健師・看護師である技官となる者を養成する「技官コース」があります。

技官と言っても身分は特別職国家公務員であり、防衛医科大学病院に勤務します。


高等工科学校生徒隊

隣の人が望遠レンズをのぞきながら、

「やっぱり一人一人を見ると幼いですね」

と呟きました。
まあ、制服を着ていても年齢は高校生ですからね。

高等工科学校では、その3年間で普通科高校と同様の教育に加え、
工科学校としての専門技術の習得、そして陸上自衛官となる為の
各種教育を行います。

前回の朝霞での観閲式のとき、関西から来たらしいかーちゃんが、
外で並んで待ちながら、たまたま隣に並んだ人に食いついて(笑)
ずっと話しかけるだけでなく、しまいには携帯の写真を見せながら、

「うちの子工科学校で今日ここ歩くねん。見たってー」

と大きな声でアピールしているの目撃しましたが、
(相手の若い人は辛抱強く話に付き合ってあげてました)
あのかーちゃんの息子も今頃は陸曹となって現場にいるのです。

高等工科学校のカリキュラムでは、学生のうちから
陸自の装備を一通り実地体験するだけでなく、富士山麓で野営の訓練をしたり、
もちろん銃も貸与されて射撃訓練を行います。

同年代の高校生とは全く顔つきが違って見えますね。

会場上空をしょっちゅうヘリが揚がり降りしていました。

この日は政府要人は来ませんが、本番通りの予行ですので、
誰も乗っていなくても本番と同じコースで飛んでいたに違いありません。

続いて陸自普通科部隊が圧倒的な人数で行進です。

地上戦闘の要となる部隊で、昔の「歩兵」です。

「陸将になるような人には普通科部隊出身が多いって本当ですかね」

と隣の人に聞いてみると、

「人数が多いからそうなる確率が高いんじゃないですか」

という意見でした。
ちなみにその人の意見によると、これからは情報関係の部隊から
必ず陸幕長が出てくるはずだ、とのことです。(個人の意見です)

同じ普通科部隊でも赤いマフラーをつけておらず、臨戦態勢の
装備をした一個中隊がやって来ました。

普通科の中の対ゲリラ・特殊部隊です。
ニーパッドに暗視装置を全員がヘルメットに付けての行進です。

白いマフラー、グレーに白の空挺マーク、第一空挺団

隊カラーの白はパラシュートの色に違いありません。
翼の付いた落下傘マークは手作業で塗装すると聞いたことがあります。
ステンシル型があって、それを自分で吹き付け塗装するのだとか。

自衛艦旗を立てた海上自衛隊部隊

部隊長は二等海尉、小隊長は三尉です。

観覧席で見学しているのは防衛大学校の学生でしょうか。
全員が膝に手を置き、姿勢をまっすぐに、よそ見をしている人もいません。

航空自衛隊に続き女性自衛官部隊が行進していますが、
わたしの座っているところからは遠すぎて写真が撮れません。

またしてもヘリが到着。
ユーロコプターEC-225LPです。

陸自が保有しているヘリなのにブルーと白ですが、
これは、皇室、首相、そして国賓の輸送にしか使わないからです。
東日本大震災で1機を失いましたがその後新たに購入したので
全部で3機保有しています。

VIP用なので座席は12名分、見てませんが多分ゆったりシートです。

その時、スタンドの後ろをUS-2が通過しました。
航空観閲のために今到着したようです。

徒歩部隊は全て入場を終えました。

一番最後に陸海空音楽隊が三人の隊長を先頭に観閲台の向こうから
こちらの一番端まで移動し、演奏に備えます。

海自東京音楽隊隊長、樋口好雄二等海佐、
陸自中央音楽隊隊長、樋口孝博一等陸佐、
空自航空中央音楽隊長、松井徹生二等空佐。

陸海音楽隊はダブル樋口です。

何も持っていないように見えますが、前方を歩いているのは
クラリネットやフルートなど、小さい楽器の人だから。

それにしても、この写真で陸空の制服の色の違いがよくわかりますね。
とはいえ、同じ紺系統であることに違いはないので、
例年観閲式には黒の制服で参加する海自が、今回
白の制服をチョイスしたのはこのバランスを考えてのことでしょう。

スーザフォンは三自衛隊ともに白で統一。
というか今スーザフォンはほとんどが白なのかな。

そこに来賓を乗せたバスが入場。

待機の姿勢は肩の幅に脚を開く、と決まっているようです。
ところで防衛医大の女子学生のパンプスは、他と違って
甲を覆う紐付きギリータイプ、少しかかとが高いデザインですね。

脱げないように靴の上からゴムバンドでとめてあります。

下の部分は黒、甲にかかる部分はベージュという便利もの。
このタイプはまず脱げないと思うけど・・まあ慎重なのでしょう。

観閲部隊指揮官である第一師団長に対し敬礼。

その時スタンド後方では各司令官旗を持つ旗手たちがスタンバイしていました。

先頭から防衛大臣旗、防衛副大臣旗、統合幕僚長旗、
陸海空幕僚長旗です。

この日はこのうち誰も出席していませんが、本人不在であっても
その旗を予行に用いることは許されているようです。

今から会場内に旗が入場します。

こちらは国旗の旗手とその警護隊。
陸海空から二人ずつ6名の小隊です。

観閲台に正対する位置に国旗が到着しました。

先ほどは観閲部隊指揮官ですが、車で入場してきたのは観閲式執行官です。
車上に立っているのは東部方面総監、高田(たかた)克樹陸将。

「いかにも陸将、って感じの人だねえ・・」

思わず隣の人がつぶやいていました(笑)
高田陸将は機甲科出身ということです。

観閲部隊指揮官、観閲式指揮官ともに部隊の敬礼を受けます。

執行官に敬礼を行う防衛大学校学生隊。

そして儀仗隊と喇叭隊が部隊の正面に立ち、儀仗礼に備えます。

第302保安警務中隊の制服を見たままの色で撮るのは難しいです。

代理のゼッケンをつけた防大校長、実施責任者、統幕長が席に着きます。

儀仗隊も整列を終え、いよいよ総理大臣(代理)の入場です。

 

続く。

 

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第302保安警務中隊の新制服〜平成30年度 自衛隊記念日 観閲式予行

2018-10-12 | 自衛隊

平成30年度観閲式で朝霞訓練場に展示されていた装備をご紹介しています。

81式短距離地対空誘導弾

よくよく見ないと普通の重装輪車みたいですが、総火演でも
03式の地対空誘導弾などを撃つところは見せてくれません。

弾薬の運搬から発射まで見せてくれる映像が見つかりました。

陸上自衛隊 81式短距離地対空誘導弾.avi

みんなが弾薬を人力でえっさえっさ運ぶところから始まります。
最後に

「当たった!」

みたいな感じで手を叩いて喜んでいますが、何に当たったんだろう。

こちらは年度がつい最近つまり新型の

11式短距離地対空誘導弾

見かけがただのトラックなのは共通です。

なんと自衛隊、翌年平成12年には矢継ぎ早に地対艦誘導弾を導入しております。

ところが88式地対艦誘導弾もまだ現役だったりするんだなこれが。

今年は誘導弾まつりらしく、観閲式そのものが終わってから、
それぞれの誘導弾を動かして見せる動的展示をやります。

後でやっているのをスタンドから見ましたが、誘導弾は大きいので
なかなか展示として面白そうでした。


今回陸自が地対艦ミサイルをこのように前面に押し出してきたのは、
わたしは水陸機動団とともに、日米連携を強調するアピールと
無関係ではないと思っています。

確実に尖閣諸島を取りに来ている中国の脅威に対し、
日本も南西の守りをこれだけ固める意思がある、ということを
例えば巡航ミサイルトマホークの配備、この地対艦ミサイルを
南西諸島の各地に配備していくことで表明しようとしているのが
現政権の「タイムスケジュール」だと某所で聞いたからです。

軽装高機動車ラブ

空自も使っていて、それはオリーブドラブ一色仕様だそうです。
それにしてもこの車で一般道を走るのって大変そう。
装甲を強くするためだと思うけど、この窓じゃ前が見えないですよね。

16式機動戦闘車(Type16 Maneuver Combat Vehicle)

かっこいいので英語の名前も記しておきました。
部隊ではエムシーヴイ、などと呼ぶそうですね。
AAV7と並んで注目を集めていた新装備がこれです。

戦車並みの攻撃力を持ちながら装輪車なので機動力が高い、
と言うのが一言でいうところの当装備の特徴だと思います。

ヨーロッパでは万が一敵との戦闘が起こった場合、戦車がやってくるまで
機動戦闘車が高速を爆走して現場に到着し、時間稼ぎをする、
という役割だそうですが、日本ではこれが都市防衛のメインになりそう。

(個人の感想です)

実は有用性が高く装備として今の日本に大変重要なのが化学防護車だと思います。

NBC偵察車

核・生物・化学兵器に対処する装備で、化学学校で見学した時、
車体の後ろからマーキングを落としたり、あるいはマジックハンドで
外部の検体(石など)の採取を行う様子を見せてもらったことがあります。

除染車

タンクに大量の水を搭載していて、汚染された車両などを除染する車です。
東日本大震災の時にはこれが実際に投入され活躍しました。

さて、こんなところで全部ではありませんが装備の見学を終わりました。

それにしても自衛官募集コーナーに貼ってあったこの茨城地本のポスター、
字がなかったら自衛官募集のポスターには全く見えません。

ところがこういうのが自衛隊募集ポスターの主流になっているという昨今。
良くも悪くもこれが今の日本なんだなと思うばかりです(しみじみ)

スタンドの裏から会場の方向を撮った写真です。

ちなみに、本番の観閲席に参加される方へのアドバイスですが、
正面周りの、特に赤スタンドなどは、朝早くから並んでいる人が
開場からおそらく数分以内に上から順番に席を取ってしまいます。

そんな早くに行けないが、せめて開場の時には現地に到着できる、という方は、
この、観閲と台正対する席を最初から狙ってしまうのも一つの手です。

この席は、本番であれば首相の顔を正面から見ることができます。
予行と違って本番はこちらもそこそこ早く埋まるとは思いますが、
最初から向かい側の前部に置かれたスティール椅子の最前列を狙えば、
なかなかいい眺めが確保されるのではないかと思います。

以上ご参考までに。

前回、2年前の観閲式では終わってから装備見学をしたのですが、
飲み物を買おうとしたらどこも売り切れで、ここまでやってきたら
この給水車があって水を飲むことができ、生き返る思いをしました。

今年も同じところに給水車が置いてありましたが、今回は
飲料用ではなく、手洗い用として配備されています。

タンク内の掃除とか、いろんな事情で飲めなくなったのでしょうか。


ところで余談ですが、この日会場にはたくさんの移動トイレが設置してあり、
そのクォリティがもう想像を絶するものだったのでご報告しておきます。

それは従来の、皆さんが想像するようなイベント用移動トイレと違い、
洋式で飛行機にあるような水洗式。(つまり下が見えない)
水は横の蛇腹のような大きなボタンを踏んで流す(手で押すのではない)。
個室の中には消臭芳香剤まで設置してあるというスーパー文化的トイレでした。

おまけに出たところにはちゃんと手洗いのための流しがあり、
そこにはなんと点検の為の鏡まで付いてます。

さすがトイレにかけては他の追随を許さない先進国の軍隊だと思いました。

このくまさん、前回はなかったと思います。
ヘルメットと迷彩服を身につけた陸自ベアー。

某ネズミの国のッフィーとかいう、戦略的女子力アピール用クマよりは
ずっとこちらの方が可愛くて見た目もよろしいかも、と申し上げておく。

さて、ゆっくりと見学をして席に戻ると、スタンドの後ろ側では
先ほど準備体操を行っていた第302保安警務中隊が、
昨年変更された制服を身につけて整列待機中でした。
整列前には近くの者同士で服装点検を行ったりして眼福でした。


ところで、わたしは装備関係のある現役海将の職場見学で、
市ヶ谷の執務室にお邪魔したことがあります。

一般人が市ヶ谷に入るには、入口脇にある受付で名札をもらい、
さらに直接訪問先の人物に、

「今からこういう人物が訪問しますがよろしいですか」

と内線電話で連絡をして、それからそちらに向かうという手続きを踏みます。
もちろん事前に名前を申告しておく必要もあります。

そんな手続きを経てかつて見学で通過した儀仗広場に差し掛かると、
なんと!迷彩服の警務中隊の皆さんが儀仗の訓練をしているではないですか。

しかも、垣間見ただけでもその訓練は大変厳しいらしく、心持ち
儀仗広場の空気さえ緊張しているかのようです。

「ああ・・・写真撮りたい」

わたしは思わず呟きました。

しかし写真どころか、立ち止まって彼らの様子を見ることすら憚られる
雰囲気だったので、目の端で訓練を追いながら通り過ぎました。

保安警務中隊の訓練と言っても、彼らはファンシードリルは行いません。
この時も銃を回したり投げたり、そういう訓練ではなく、なんというか
ともかくひたすら地味な訓練です。
ちゃんと見られなかったのでどんな感じと言われても説明できないのですが。

陸自の警務科部隊の任務はその名の通り保安警備が任務です。

北部、東北、中部、東部、西部の各方面隊に置かれており、
そのうち東部方面隊の第302警務中隊ただ一つが、その中から
特別儀仗隊を編成し、国賓への儀仗や栄誉礼を行うことになっています。

この制服は去年変更されたもので、音楽まつりでお披露目をされました。


陸自の新制服には色々いいたいこともあるわたしですが、
コシノジュンコ大先生のデザインしたこの制服、
特に白バージョンは
大変高く評価するものです。

なんといっても素晴らしいのがジャパンレッドの使い方ですよ。

ちょっと袖あたりの赤の配し方には個人的に疑問はありますが、
今回上方からこの制服を見ると、目が行くのは帽子の鍔にあしらわれた赤。

円を描いており、誰が見てもこれが日の丸であることがわかります。

白い制服でこの赤日の丸の正帽を付けた姿は、さながら丹頂鶴(笑)
白地に赤く染められた日の丸を体現して止まない完成度の高いデザインです。


言わせてもらえば陸自の制服がついに到達し得なかった領域にある
と言っても過言ではないデザインですが、それというのも
これが全隊員ではなく、限られた儀仗隊員のためだけのものである、

という条件だからこそ実現したのだとわたしは思っております。

従来の背広+ネクタイから詰襟と斜めのラインの打合せに変えた時、
何処かから「楯の会の制服みたい」という声も上がりましたが、
わたしはあえて言います。

「楯の会で何が悪い!」

「楯の会」のあの制服はデザイン的になかなか優れていて、
戦後すぐ適当に制定された
警察官のような自衛隊の制服には決してなかった、
軍服としての完成度とある種の「色香」があった、とわたしは思っています。

「楯の会みたいだから悪い」

ではなく、歴史的な経緯とデザインは分けて評価するべきでしょう。

そう、ナチス・ドイツの軍服がその完成度において後世に評価されているように。

いよいよ観閲式予行が始まりました。
ドラムに合わせて、観閲徒歩部隊が入場してきます。

まずはいつも最初に入場してくる防衛大学校学生隊。

防衛大学校学生隊は、第1から第4大隊まで、4個部隊に別れて行進です。

その一糸乱れぬ統制美に思わずため息が漏れるほど。

隊長と前列の白いたすき掛けの学生は、儀礼刀を持ち、
刀の鞘に左手を添えたまま行進。
上半身を全く固定したままの行進は側で見ているほど楽ではなさそうです。

行進止まれの号令を隊長がかけています。
もちろんわたしたちの座っているところからは全く声は聞こえません。

防衛大学校の旗は銃を持った二人に守られています。

この後、全徒歩部隊が入場し終わって初めて、観閲式が始まるのです。

 

 

続く。

 

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装備展示を見にいく〜平成30年度 自衛隊記念日 観閲式総合予行

2018-10-10 | 自衛隊

平成30年度観閲式の予行が行われる朝霞訓練場に、開始の3時間前に入場しました。

ところで入場を待つ間、門の外に並んでいると、整理係の自衛官がやってきて、

「もう少し詰めてお座りください」

などと指導していくのですが、その時点ではまだ朝も早く、
ただでさえぼーっとしている頭がさらにぼーっとしていたので、
彼らの制服を見て、

「空自の自衛官が応援で来ているんだな」

と思ったわたしをどうぞ笑ってやってください。

だってまだ一向にこのニューユニフォームに目が慣れてないんだもん!

会場で大量の陸自隊員を見るうち、徐々に納得しましたが、
それでもはっきり言って遠くから見ると空自と見分けつかないんだよ。

陸自の制服には文句ばっかり言ってるようですが(じゃなくて実際言ってますが)
お断りしておくと、この制服そのものは大変評価しているのです。
色も今回間近で見ると、文字通りの紫紺で、
華やかな色合いが大変センスを感じましたし。

ただなあ・・・・アメリカ軍のアーミーブルーのように、
上下色を変えるとか、陸軍らしい赤をあしらうとか、
もう少しやりようがあったんじゃないかと思うわけです。

この写真の手前に立ってる自衛官なんか、遠目に昔の警察官ですよ。

なんかギリギリのところで壁を越すことができない、
日本人の洋服のセンスの限界を見るような気がします。

年配の人が着ると妙に地味になってしまうし(まだ言ってる)

さて、式場に訓示台が運び込まれました。

ちょうどその頃、スタンド後方を歩く米陸軍の皆さん発見。
はて、今回は米軍の行進参加はなかったと思うけど・・。

さらに遠方では、体操を行うこざっぱりとした一団あり。
気持ち全員スマートで脚が長いところをみると第302警務中隊かな?

と思ったらその通りでした。

こちらは喇叭隊の皆さんが到着したところ。
車の移動にも楽器を持ったまま乗るんですね。

いかなる時にも喇叭を離さないのは木口上等兵以来の伝統です。

スタンド後方には各地から人員や資材を運んで来た車、
通信関係の車両などがぎっしりと停められています。

観閲式が終わった途端、ここは来年の東京オリンピックに向けて
関連資材が運び込まれることになります。

 

さて、開始時間まで3時間もあるので、交代で装備展示を見ることにしました。

装備展示の会場に行くには、スタンドの後ろをずっと歩いて、
会場になっている部分を横切って反対側まで行く必要があります。

道が狭いのでこれからやってくる人たちと一列縦隊ですれ違うのですが、
この時に遭遇したのが新潟地本コシヒカリの精まもる君でした。

カメラを構えると敬礼をしてくれたまもる君の額に不審な影があるのに気づき、
アップにしてみますと・・。

なるほど、ここから中の人が外を見ているわけか。

昔某地本の本部長だった方から聞いた話によると、地本キャラには基本的に

「頭だけキャラ」

「全身着ぐるみキャラ」

があって、例えばトウチくんは着ぐるみキャラ、まもる君たちは頭キャラ。

どちらも所有している地本は、大掛かりな広報やテレビ取材など、
ここ一番!
の時、着ぐるみキャラを投入し任務遂行に当たるそうです。

着ぐるみは運ぶのにマイクロバスが必要(普通の車に乗らない?)なので、
どちらのキャラもいる場合、普段は頭キャラを機動運用する作戦を取っている、
という内部情報でした。

例えば千葉地本は頭キャラだけなので、運用に際して非常にフットワークが軽い、
と言うこともできます。でって言う。

 



向かいの展示場に行くには、観閲行進を行う戦車や装備の間を通ります。
近づけないように自衛官がこの手前にも見えている黄色いロープを
ずっと持ったまま立っている前を歩いて行くと、この光景。

10式と90式戦車が一山10円状態で並んでいる状態は見ものです。

89式装甲戦闘車、FVも縦列駐車で。

装輪車は車どめが要りますが、履帯車は勝手に動き出したりしないのね。

96式装輪装甲車

最近、ようやく陸自の装備をネットと首っぴきしなくても
だいたい間違えずに言えるようになりました。

そんな自分を褒めてやりたい。

日頃は滑走路である会場を横断したところにはゲートがありますが、
ここにも警備犬班発見!

ハンドラーの後ろ姿が似ているのでさっきの二人かな?と思ったのですが、
ジャーマンシェパードの色が違いました。

でも、この警備犬もハンドラーにもたれかかるようにして
お座りしているのは同じ(≧∀≦)

うーん、かわええのお・・・。

しょっちゅう犬の頭や首筋を撫でてやるのも同じ。

あ、写真撮ってるのに気づかれちゃった。

 

ところで、ブログに自衛官の写真を掲載するにあたって、
基本任務中、特に行進の写真ではマスクなしを基準としておりますが、
もし当ブログ掲載の写真に写っており、さらに

「顔出しは困る」

という方、コメント欄でご連絡くだされば迅速に処理します。

以上業務連絡でした。

あっ、かけるくんが移動してきている。
それにしてもこのかけるくん、あまりにもナチュラルな存在感なので
中に人が入ってる気が全然しません。(感想には個人差があります)

始まる前なので装備展示場はガラガラです。
本番に行かれる方も、早く着いたら先に展示を見ることをお勧めします。

展示順に行くと一番はじめに出てくるのは74式。

「総火演にも今年は遂に出ませんでしたね」

「徐々に引退していっています」

「それでは今日の車両行進も・・」

「やりません」

まあ、最後の姿を見せてくれているということなのでしょう。
わたしは確認しませんでしたが、この車両は1993年に改造された

74G

といい、車体の後方銘板には

「74式戦車(改修)」その下に「形式 74(改)」

と表記されているのだそうです。

この時の改装は非常に良好で、性能も大きく向上したのですが、やはりここでも

ご予算の関係

というまほうの言葉がその生産を阻み、結局量産は4台に留まり、
その4台が主に総火演に投入されていたという話を聞きました。

こちら最新鋭の、といっても装備化されてもう8年、10戦車。
前々回の展示では人が周りにたかっていたものですが。

90式戦車の正面顔。

註(最初10戦車とか書いていたんですが、コメントでうろうろする人にご指摘を受け
訂正させていただきます。まだまだ自分を褒めてる場合じゃなかったっす)

水陸機動団に全面フォーカスしていることを考えると、もしかしたら
今後新型戦車の導入はしばらくないかもしれません。

ただ、

「作るでしょ。戦車って男のロマンみたいなものだから」
(by男)

ロマンかー。ロマンね。
だから今後もほとぼりが冷めた頃にまた「男のロマン発動」する?
(あーロマンがゲシュタルト崩壊した)

まあ、それを許す程度に日本が平和であってほしいと祈るばかりです。

ちゃんとワイパーがついている96式装輪装甲車の窓。

朝の空いている時間でも人が集まっていたのがまずここでした。

AAV7水陸両用車

アサルト・アンフィビアス・ヴィークル7と名前もそのまんまです。
ところでWikipediaのAAV7の写真は、今回の観閲式のものです。
4日にも予行はあったそうですが、早々に写真を差し替えた人がいますね。

渡米直前に見学に行ったイギリス海軍「アルビオン」で搭載されていた
水陸両用車BvS10を見ましたが、小さい車両を数珠繋ぎにして、
この「大きな船型」とはずいぶん思想が違うものだなと感じました。

ちなみに日本ではこれは船舶ではなく、船舶法の対象外ということになったようです。
これを操縦するのに小型船舶の操縦免許を取る必要はないってことですね。

チュータこと中距離多目的誘導弾は、知る人ぞ知る優秀な装備なんだそうです。
この装備には「何年式」という制度採用年が冠されていません。

Wikiには

「制式化ではなく部隊使用承認の形で採用されているため、
○○式という名称は付けられていない」

とありますが、これには深慮が働いていて、制式年度を付すと
改装するときなどにいちいち手続きがややこしいから?
つまりバンバン魔改造していくつもり満点のネーミングなんだとか。

陸自内でも実はチュータ、

「あれはチート」

と言われているという話も小耳に挟みましたが、
何がどうチートなのかまでは詳しくは聞けませんでした。

撃つだけ撃ったらさっさと逃げられるからかな。

今年は前回のように「塹壕まつり」は開催されてませんでしたが、
(きっと前回片付けが大変で懲りたんだと思う)
さすが皆様の自衛隊、見学者に泥を踏ませまいとマットまで敷いてます。

総火演ではクルクル回るちょんまげアンテナでおなじみ、

87式自走高射機関砲

砲塔の両側の機関砲は2基シンクロに動きます。

 

ここには制服の試着体験コーナーもあり、朝も早くから
新制服のお子様バージョンの初試着(多分そうですよね)を
しに来ている熱心な親子の姿がありました、

咆哮する10式戦車をバックに写真を撮ってもらえますが、
子供が着るとさらに国際線パイロット感が漂う陸自の新制服・・・。

(え?しつこい?もう決まったのにいちいち文句言うな?)

早速敬礼でポーズを取るわきまえたお子さんですが、
すかさず本職から、

「敬礼は右手でね!」

とポーズ指導が入ります。

お子様のごっこ撮影にも正確さを追求し、間違いを決してスルーしない。
この自衛官の熱心さを

(゜゜ゝゝ(。・ω・)ゞ( ̄^ ̄ゞ(`・ω・´)ゞ(゜◇゜)ゞ

こんな顔文字を使って憚らない人たちにぜひ見習ってほしいものです。

素直に敬礼をやり直すお子様。

ところで、迷彩服の試着するコーナーを予定していたところ、

「市民に不安を与える」

と共産党が騒いでイベントそのものを中止させた件がありましたが、
ここ朝霞では、そんな基地の人(あ、駐屯地か)を想定した
余計な忖度など図らず、今まで通り迷彩服を試着させていたことを願います。

 

 

続く。

 

 

 

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入場 地本キャラと歩哨犬〜平成30年度 自衛隊記念日 観閲式総合予行

2018-10-09 | 自衛隊

本来ならば自衛隊記念日に伴い海自の観艦式が行われるはずでしたが、
今年はオリンピック開催の都合により、陸自の観閲式になりました。

その総合予行に行ってまいりましたのでご報告します。

どんなイベントにも全力入魂を旨とするわたしは、
当日朝も暗いうちから朝霞訓練場の第1ゲートにイス持参で並びました。

携帯で「ザ・ラストシップ」の第4シーズンを観ながら待っていると
あっという間に開門の7時となったので、最初の一団で手荷物検査を受け入場。

ちなみに観閲式には総理大臣が来臨するということで手荷物検査は
他のイベントに比べて慎重です。

手荷物検査と別にもちろん金属ゲートも潜りますし、驚いたことに
検査済みの荷物には赤いプラスチックの紐を付けられて

「会場を出るまで絶対に外さないでください」

と念を押されました。

どうですか、この誰もいないこと(笑)
わたしの同行者(イベント友達)はすでに一足先に小走りで
席を取るために行ってしまっています。

遠くから、ヘルメットをかぶった牛がご挨拶してくれているではないですか。

長野地本のキャラクターは「しんちゃん」という牛です!
キャラクターにはメスの牛もいて、こちらが「なのちゃん」なので、
二匹合わせて「しん・なの」=「信濃」というわけです。

聞いたわけではないけれど間違いないと思います。

続いて待ち構えていたのは東京地本のトウチくん。
自衛隊おそるべし。
いたるところにキャラクターを配して波状攻撃をかけてくるつもりです。

以前この中に当時の東京地本本部長(ちなみに階級は陸将補)が
入っていたとご本人から聞いてショックを受けたものですが、
まさかこんな朝早くから本部長は入っていないでしょう(と思いたい)

ところで、朝早くに行くと、誰もいないところを歩いて行くので
ずいぶん向こうの方から皆がこの!わたしだけに手を振ってくれるのですが、
こういう時って、なんかすごく気恥ずかしいというか、
近づいて行くまでのあの気まずさというかなんというか。

そんなときに便利なのがカメラです。

しかも彼らはこちらがカメラを構えるとすかさず敬礼してくれます。
(ただしトウチくんは手が短いのでパタパタするだけ)

ほら、こんな感じで待ち構えられるとさあ・・・。

ちなみに手前が新潟地本キャラクター、おにぎり(コシヒカリ)の妖精、
ヒカリン・マイさん。

奥はゆるゆるの自衛隊地本キャラの中でもなかなかよくできている、
とわたしが評価しているところの千葉三兄弟の長女未来さん。

7時に入場すると、こんなにガラガラです。

次に待ち構えてたのは千葉衛(まもる)くんだ!

と思ったらこれは衛くんではなくかけるくんでした。
陸自が衛、空自は翔でしたね。失礼しました。

ところで、後ろに展示してある装備の上にもキャラクターが!

と思ったら本物の自衛官でした。

どの装備にもフル装備の自衛官が、朝の7時から
生ける展示となって、微動だにせず座っているのです。

特に装甲車の上の人、これ皆からずっと観られているわけで、
居眠りでもしようものならリアルタイムでSNSに投稿されてしまうのは必至。

改めて自衛官って大変、と思ってしまいました。

さて、スタンドまで後一息、というところに埼玉地本のサイポン。

このサイポンの中の人、ものすごく背が高くて細身なので
サイポンのイメージが若干変わりました(笑)

さて、というわけで連れが確保した席に合流。
なんと一番上の一番端、しかも観閲台寄りではありませんか。
隣には記録班で配されている防大カメラマンがいるという席。
でかした、連れの人。

観閲台の下ではSP部隊の打ち合わせが始まっていました。

席に着いてからあらためて装備点検(わたしの場合カメラ)をし、
調整をして適当に周りのものを撮ってチェックをします。

今回はD810にオールインワン、ニコン1V2に広角レンズ、
ニコン1V3に超望遠を付けて参加です。

ニコン1専用の望遠レンズは数字では300mmまでですが、
フルサイズ換算で800mmになり、一眼レフに付けたら
バズーカ砲になるレンズ並みに被写体に寄れる(ただし画質はいまいち)
ということなので、軽いこともあって持参しました。

ニコン1望遠の試し撮りで先ほどの生ける展示自衛官を狙ってみると、
やっぱりちゃんと目を開けていました。当たり前か。

試し撮りその2。はるか向こうのスタンドの陸自女子会。

わたしの座ったスタンドの裏側は偉い人専用駐車場になっていて、
次々と三自衛隊高官の車が到着してはベタ金ベタ銀の将を降ろしていきます。

ここに、わたしはまだ絶滅していないアーミーグリーンの
従来型の制服を着た将を発見しました。

新制服の制定以来、上から順番に変わっていっていると思ったのに、
まだこれを着ている人がいたとは。

しかし今更言っても詮無いことではあるけれど、
どうしてこの色を変えてしまったかなあ(個人の感想です)

スタンド後方はるか向こうも望遠で狙ってみました。
赤い風船があるのでこれは気象班に違いありません。

今日はパラシュート降下も予定されていると聞きますが、
決行するかどうかは気象班の判断にかかっています。

コシヒカリの精(♂)ヒカリン・マモルが会場を引廻されています!
スタンド席が埋まり出した時を狙って、地本キャラを投入してきたのです。

そういえば、さっきすれ違った時に敬礼してくれたんだった。

投入といえば、地本キャラクターに比較的詳しいわたしですら
全く知らなかったネコ型自衛官が突如現れ、会場は騒然としました(嘘)

はて、神奈川地本が全面的にネコ型を採用していることは知っていたけど、
確かそれは「はまにゃん」というあまり可愛くない(失礼)ネコだった気が・・・。

「たま、だって・・・」

「そりゃまネコですし?」

「でも直球すぎません?」

とか言ってたのですが、あとで調べてみると、直球と言っても

たま=弾

であったことが判明しました。そっちのたまかよ。
性別は不明とありますが、三毛だから当然♀だと思います。

特技:ほふく前進

おお、かかとが地面に付いている!(かかとを上げると撃たれるらしい)
基礎ができてます。
しかも第4ほふく前進を行なっているぞ!ネコなのに。

たま(弾)さんは予備自衛官で、普段は会社勤めをしているそうです。
ってどこだよその会社。(猫の手も借りたい禁止)

終わって敬礼。

これを、各ポイントの芝生でやっては移動するわけですが、
中の人が(え?中の人などいない?)空気読んでいて、
心持ち動きがネコっぽいんですよこれが。

歩き方とか、こういうお辞儀とかね。ネコはお辞儀しませんけど。
しかし、この観閲式登場でたま(弾)さんファンが増えたと思います。
周りもニッコニコに和んで盛大な拍手を惜しみなく送っていました。

ちなみに今わかったのですが、はまにゃんは海自、たま(弾)は陸自、
空自のネコは「トップニャン」といって28歳、血統書
(ベンガル猫)持ち
のクールでスマートなパイロットだそうです。とほほ。

会白いヘルメットの警備係が整列して入場し、自分の警備場所に着いたら
ピタッとそこに止まってスタンド側を向き、あとは微動だにしません。

少しでもスタンドから目を離さないように命を受けているのでしょう。

わたしの隣の防大くんに聞いたところ、防大の記録部隊は
いずれも写真部で、何人か会場に配置されているそうです。

スタンドの向こう側にも彼と同じ三回生らしく、
超望遠レンズのカメラを持っている防大生の姿がありました。

なんと、招待客用の座席の拭き掃除まで行なっていました。

ニコン1の望遠レンズを試していたときに向かいスタンドのさらに向こう、
第2ゲートの荷物検査のところに空自の歩哨犬とハンドラーを発見しました。

不審者やテロリストなどにも果敢に立ち向かう訓練を受けている
精悍なドイツ・シェパードですが、見ているとこのわんちゃんがもう健気。

時々こんな風に熱い視線を送り、ハンドラーが好きで好きで仕方ないんだろうな、
って感じがこんな離れていても手に取るようにわかるのです。

それに応えるようにハンドラーは犬を愛撫してやって・・・。
「人獣一体」という言葉がふと浮かびました。

この時など、どちらともなく同時に後ろを振り向きました。
同じところを見ているのがなんともいえません。

自衛隊で犬の訓練をする部隊を歩哨犬管理班と言いますが、
自衛官として本来の警備も行うそうで、側が思っているように
犬と一日一緒にいればいいというような任務ではないそうです。

振り向いたあと、犬がハンドラーにもたれかかるようにして
立っているのを見て、その可愛さに胸がキュンキュンしました。

おそらく彼らは入間基地から警備任務で派遣されているのでしょう。

歩哨犬は不審者の制圧だけでなく人命救助にも当ります。
先の北海道の震災にも入間基地始め各空自基地の歩哨犬たちは派出されました。

自衛隊のいま「航空自衛隊入間基地・警備犬班」

その頃、スタンド後方から陸海空三自衛隊の一団が行進してきました。
一番後ろを歩く自衛官は巻いた国旗を捧げ持っています。

「ああ・・・・国旗を守ってるんですね」

「旗は大事です。国旗も、軍旗も」

「ですよね!」

そのあと、わたしたちが観艦式での自衛艦旗の掲揚を巡って今回韓国がやらかした
「あの」干渉について、散々熱くなったのはいうまでもありません。

 

 

続く。

 

 

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潜水艦「おうりゅう」進水式祝賀会

2018-10-08 | 軍艦

さて、「日本三大がっかりの一つ」と言われる(by潜水艦出身自衛官)
注水進水式も無事(失敗する確率はほぼゼロだと思うけど)終わりました。

しかしながら、がっかりとかつまらないとかいうのは、あくまでも
船体をすべり落とす
船台進水と比べてのことであって、
注水式の「ドック進水」も素人には十分珍しく興味深いものです。

それに、今では大掛かりでリスクのある船台進水よりも、
安全なドック進水の方が世界的にも主流になっているそうですね。

船台進水の技術は絶やさず後世に残して欲しいですが、
これも世界の趨勢なのかもしれません。

 

進水式は造船関係者にとって大変重要なもので、
たとえ量産型の船であっても必ず形式に法って行われます。

「シャンパン瓶が割れないと縁起が悪い」

というように、その船の一生を占うような意味も込められているため、
決して疎かにはできない儀式なのです。

今回の「おうりゅう」の進水式もわずか10分のために艦体を旗で飾り付け、
モールをあしらった三菱や旭日のマークをあしらい、
大掛かりな紅白幕の観覧台を設けて執り行われました。

こちら命名進水式に伴う祝賀会場です。
この祝賀会はいつも建造を請け負った船舶会社が、
顧客である防衛省側を招待する形で行われます。

「おうりゅう」が白波を立てて航行中、という予想図を
描いた
絵の部分は切り離してハガキとして使用できます。

これらの絵をラベルにあしらった進水記念酒は紅白で用意されました。
赤いお酒は初めて見ましたが、赤米で作るとこうなるらしいですね。
お酒の製造は櫻酒造だと隣の人が言っていましたが確かめてません。

ここで三菱重工業社長ののスピーチが始まりました。

「おうりゅう」は初めてリチウムイオン電池を搭載した最新鋭の潜水艦でございます。
平成14年度の防衛省による新型新築電池に関する研究試作開始以来、
各種試験や委託作業を経て、平成27年度艦への採用が決定いたしました。

本年8月のGS湯浅テクノロジー様からのファーストロット入荷と入荷と
9月の本艦への搭載が無事に完了し、本日こうして進水式を迎えるに至りました。

この間の防衛省殿によるきめ細かいご指導とご支援はもとより、
関係された皆様方のご尽力に、この場を借りて敬意と感謝を申し上げます。

今後は再来年3月の引き渡しに向けて、艦内各種の艤装工事、調整試験、
海上試験等に鋭意取り組み、皆様方のご期待にそう立派な艦とすべく、
関係者一同全力を尽くして取り組んで参る所存です。

今後ともご指導ご支援を賜りますようよろしくおねがいたします。

さて、本年は弊社が潜水艦の建造を開始してちょうど100周年の節目に当たります。
少しの間当時の状況に触れさせていただきます。

大正初期、当時海軍殿は世界的な開発競争にあった
潜水艦技術の本格投入を進めておりました。

弊社はそうした国の意向を踏まえ、第一次世界大戦の最中、
英国、他に技術調査団を派遣いたしました。

その際の縁から、英国・ヴィッカーズ社のライセンスを取得し、
大正7年、1918年8月10日、

弊社1番艦、呂号第51潜水艦を起工いたしました。

その後、昭和20年の第二次世界大戦終了までに58隻建造いたしました。

そして戦後間もなく、昭和30年には建造を再開し、今回進水いたしました
「おうりゅう」は28隻目になります。

合わせて96隻でございます。

大正7年の1番艦以降、関西地区を中心とするメーカーの皆様方とともに、
戦前は旧海軍殿、戦後は防衛省殿海上自衛隊殿のご指導を賜りながら、
一貫して国産潜水艦の設計、建造技術の研鑽に努めてまいりました。

関係各位の長年にわたるご尽力により関西地区に現造所を中心とした
現在の強固な生産、製造基盤が出来上がったものと感謝しております。

一方、我が国を取り巻く防衛環境は日増しに厳しさを増しております。
今や、領土の防衛の要として、海上自衛隊殿に対する国民の期待は
ますます大きくなっております。

海上自衛隊殿がその実力を遺憾なく発揮されるためには弊社を始め、
国内防衛商品メーカーが、継続して質の高い製品を作り続けるとともに、
しっかりと運用をサポートしていくことが
これまで以上に重要になってくるとなってくると強く感じております。

現在私どもは本艦に続き、時期新型潜水艦となる
平成29年度潜水艦の建造に取り組むとともに、潜水艦増勢への対応、
将来潜水艦への標準化技術改革等にも鋭意取り組んでおります。
今後とも潜水艦の建造・開発の拠点として拠点として、
ますますお役に立てることを専心努力して参る所存ですので、
末長いご指導を賜りますようよろしくお願い申し上げます。


少し長くなりましたが、ところどころに初めて聞く情報もあったので
省略せず全部掲載させていただきました。

こういう時、製造会社は顧客である防衛省海上自衛隊にはもちろん、
旧海軍にも、ちゃんと「殿」を付けて呼ぶらしいことを知りました。

「世界で初めてリチウムイオン電池を搭載した潜水艦」

というのが「おうりゅう」のキャッチフレーズになるわけですが、
もともとリチウムイオン電池は「そうりゅう」型5番艦の
「ずいりゅう」から搭載される予定だったそうです。

 

リチウム蓄電池は艦の巡航速度を改善し、高速航行可能な時間を増大させ、
さらに従来の鉛蓄電池と比べて、水素ガス発生の危険がなく、
充電時間が短く、放電による電気容量の低下を抑えられるなどいいことずくめ。

弱点があるとしたら、それは一度に取り出せる電流が少ないため、
水中最大速力がわずかに劣ることだそうですが、その代わり、
スターリングAIPシステムと鉛蓄電池の双方を廃止し、

リチウム電池に置き換える方法によって、
より高速での水中持続力等は向上しました。

こんなに優秀なリチウム電池の搭載がなぜこんなに遅くなったかというと、
案の定「ご予算の関係」でした。

 

続いて村川海幕長の挨拶です。

(前略)

「おうりゅう」は「そうりゅう」型潜水艦として初めて
リチウムイオン電池を搭載し、我が国周辺の海上防衛を担うべく、
就役が待ち望まれているところであります。

我が国を取り巻く安全保障環境は依然として厳しい状況にあります。
米朝首脳会談、南北首脳会談を踏まえ、今後も北朝鮮による核ミサイルの
廃棄に向けた具体的な行動をしっかりと見極めていく必要がある一方、
我が国のほぼ全域を射程に収めるノドンミサイルを数百発、
実勢を配備している状況に全く変わりはありません。

また、中国は透明性を欠いたまま継続的に高い水準で国防費を増加させ、
軍事力を広範かつ急速に拡大させ周辺海域等における活動を
拡大、活発化させております。
このような厳しい環境の中にあって、防衛省自衛隊としては
いかなる事態にあっても我が国の平和と独立を守り、
国の安全を保つべく、万全の体制をとる必要があります。

このためには四海に囲まれた我が国にとり、海上防衛力の中核となる
優れた艦を保有することが必要不可欠であります。
またこのように優れた艦を、安定的かつ長期的に整備できるよう、
艦船の建造・修理基盤をしっかり保持することも、極めて重要であります。

我が国の艦船建造技術は国際的にも注目されており、
三菱重工業株式会社殿におかれましても、これ以上に
生産・技術基盤の強化や国際協力に向けて、
さらにその向上を追求していただければ幸いでございます。

乾杯を待つ間、在日米軍の軍人さんの背中に注目してみました。

日米の海軍の白いインディア・ユニフォームは一見同じように見えますが、
米海軍の背中のカッティングは海自と全く違うことが判明。

後ろ型から腰にかけてカーブをつけた裁断をしているので、
肩幅が広く、腰の締まったシルエットになってるんですね。

テーブルの上にさりげなく「三つの菱」が・・・・。

ちなみにこの手前の中華風魚の揚げ物はなかなかいけました。
今回口に入れたのは刺身とこれだけだったので他は知りませんが、
前回の三菱での祝賀会も、食べ物が美味しかった印象があります。

会場の前の方に移動してみました。
なんと、511の艦番号をつけた「おうりゅう」の模型があるではないですか。

潜水艦の形の違いについて全く知識がないので思ったのですが、
これって外側が変わらないうちはずっと使い回ししているのでしょうか。
三菱の倉庫にあって、2年ごとに引っ張り出して番号を書き換えてるとか。

X舵に黄色いシールが貼られているのは「突起物注意」の意味かな?
あと、やっぱりスクリューはないことに?なっているのにちょっとウケました。

左側の潜水艦艦長連は和気藹々で仲間同士実に楽しそうですが、
海幕長は宴会の間中挨拶に来る人に囲まれっぱなしです。

わたしも自衛隊が韓国の観艦式で自衛艦旗を揚げるなと言われた件について
海幕長自ら承服できないという声明を出されたばかりだったので、
ちょっとこの件について伺ってみようかと思ったのですが、
お忙しくてそれどころではない感じだったので遠慮しておきました。

お忙しいといえば執行者の呉地方総監もずっとこんな感じ。
右側でも名刺交換の真っ最中です。

潜水艦の模型の反対側に、将官の帽子台発見。
左前は海幕長と副官の帽子と見た。

そして右側のガラスケースは・・・。

先ほど支鋼切断を行なった斧がガラスケースに納められています。
祝賀会席上、三菱側から切断を行なった海幕長に贈呈されたばかりのものです。

進水斧は必ず命名者にこのように贈呈されるのが慣習ですが、
過去、時の海幕長がこれを行った例は寡聞にして知りません。
村川海将にとってもおそらく初めてもらう斧のはずです。

メア・アイランド造船に行くと、「キール・レイド」の記念として
最初にそれを置いた工具が飾られていることがありますが、
通常進水の支綱切断は鑿と槌が使われ、斧を使うのは日本独特の慣習です。

日本の軍艦の進水式には西洋式の槌とのみではなく、
日本古来の長柄武器である「まさかり」様の器具を支綱切断に用いるべきとして、
銀の斧を使うようになったのは1908年、「利根」の進水式からだそうです。

 

この祝賀会で何人かの方にご挨拶させていただきましたが、
その中には「おうりゅう」の艤装艦長もおられました。

紹介してくださった基地司令が副長の時初めて潜水艦乗組になった新人が、
今潜水艦艦長になる世代となっているのです。

潜水艦の場合、進水式が終わった段階では決まっているのは
艦長以外には経理、補給、機関の三役で、副長すらまだ
影も形もない状態から2年間かけて人集めをしていくのだとか。
しかし、

「人がいないので大変です」

ただでさえ自衛官不足なのに、三自衛隊の中でもキツイといわれている、
海自のその中でもさらに厳しいという潜水艦なので宜なるかなです。
ただ、いったん潜水艦の「一家」になってしまえば、
潜水艦でなくてはダメ、という自衛官も決して少なくはないと聞きます。

また、人員を集めるには他の職種から拉致?してくるということは
普通に行われるそうですが、それは潜水艦に限ったことではないそうです。

ちなみに艦長に、最初から潜水艦を志望していたのかと尋ねると、

「それどころか志望は空自でした」

当時は今より眼鏡をかけていると航空は難しい時代だったので
それで断念したとおっしゃるのですが、

「海自で航空に行こうとは思われなかったんですか」

「戦闘機に乗りたかったんです。トップガン世代ですので」

一度話題になりましたが、トップガンに憧れてパイロットを目指す、
という人って、どうも日本でも結構たくさんいたみたいですね。

会もお開きに近づき、わたしは上座付近で
装備の元海将(退官前、市ヶ谷に職場訪問させていただいた)
とお話をしていると、万歳三唱が始まりました。


従来型でもその技術力で世界に高く評価されてきた日本の潜水艦。
先日、南シナ海で行なった訓練を公表したことについて、メディアは

「中国に対する牽制か?」

などと騒いだのですが、続いての首相声明、

「ここ15年毎年訓練はここでやってきた」

で騒いでいた人たちが色を失った感がありましたね。
これを聞いた中国側は唖然としたかもしれません。
そして、その後何か声明を出すことをしませんでした。
だって何か言えば、15年の間、全く自分たちが海自の訓練に
気づいてなかったってことを表明することになりますからね。


そんな頼もしい海自潜水艦隊に、さらなる新鋭艦が加わった歴史的な瞬間。
新鋭艦「おうりゅう」の誕生に立ち会えたことを光栄に思った命名進水式でした。

 

終わり


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潜水艦「おうりゅう」進水式

2018-10-06 | 自衛隊

 

アメリカから帰ってきて最初に参加を予定していた行事は、
高松市に寄港した砕氷艦「しらせ」の艦上レセプションでした。

わたしは帰国後中一日で高松に前乗りし、高松からレンタカーを借りて
瀬戸大橋を渡り、岡山での用事をこなして次の日は高松でレセプション、
(合間には高松観光)というスケジュールを立て、
なんて美しい計画なんだ!悦にいっていたのですが、
豈図らんや、大型台風が直撃するという予報に続き、
呉地方総監部から入港が中止になったとの連絡を受けたのです。

連絡があった日は爽やかな秋晴れで、

「こんないいお天気なのに台風なんてくるの?」

と信じられない思いでしたが、さすが日本の気象予測はきっちり外さず、
台風は律儀に予報通りの日にやってきました。
うちの近所でも公園の木がざっと5本はなぎ倒される被害を受け、
ここ何十年かの間で一番強い台風であったことを実感したものです。

現地の報告によると、レセプションの当日朝には強風が吹き始めたとのこと。
たとえ強行していても、翌日の直撃で飛行機は飛ばなかったはずですから、
わたしなど高松で足止めをくらうことになっていたでしょう。

中止の決定は主催者として心苦しいものだと思いますが、結論としては
今回も自衛隊らしい英断でことなきを得たということになります。

その後、呉地方総監部からは、地方総監名で

「天候の都合とはいえ、楽しみにしていただいたご来賓の方々には
ご迷惑をおかけいたしました。
また、行事開催直前のご案内となりましたことを合わせてお詫び申し上げます」

という丁寧な封書によるご挨拶が送られてきたこともご報告しておきます。

 

さて、神戸は三菱重工業で行われる潜水艦の進水式は、
台風が去った翌週の10月4日に行われました。

天候があまり優れないのを心配しながら空港に向かいます。

今回は荷物を軽くするためにニコン1に広角レンズで乗り切りました。

神戸空港行き0620の飛行機(こんな時間しかなかった)に乗り込むと、
今ちょっと話題になっているスターウォーズANAを目撃しました。

昔聞いたことがあるのですが、この飛行機のペイントって、
重量が大幅に増えて(数百キロ)燃費が悪くなるそうですね。

三田あたりの山間部でしょうか。

到着後、神戸空港の上島珈琲店で軽く朝ごはんを食べて、
電車を乗り継いで三菱重工に到着したのは受付開始の9時過ぎでした。

いつものように門のところには受付のテントが設えてあって、
名札とリボンをもらうと、自衛官が控室までエスコートしてくれます。

歩きながらエスコート自衛官が、

「今日は注水式なので迫力はないかもしれません」

ああ、そうだった。
三菱は滑り降り式ではなく、潜水艦ごと船渠に沈降させる方式、
「進水」式ではなく「注水」式だという話を聞いたことがあります。

そういえばわたし、三菱での進水式は初めてでした。

案内してもらいながらこの自衛官と話をしたところ、
彼も艦艇出身で、今は陸上勤務をしているので、
潜水艦についてはあまりよく知らないということです。

「長崎の三菱では滑り台の進水を見たことがありますが」

艦艇乗り、と聞いてふと何に乗っていたか尋ねてみると、1年以上前、
一般見学の時に見学者がエレベーターから落ちて騒ぎになった、
あの護衛艦「ホワイトベース」(仮名)でした。

そこでさらに実際のところを聞くと、やはりあの事故は
わたしがここで予想したとおりの経緯だったことがわかりました。

しかも、事前に本人には周りが注意していたとか・・。
つまり注意を聞かずにフラフラ歩いて落っこちたってことですよ。

「やっぱり・・・そんなことだろうと思ってました」

ただ、彼は、

「いくら一般客が多かったといっても、私どもの方にも
もっと注意するべき点があったと反省するところです」

と組織の一員であるご自身の立場をきっちりと弁えた一言も忘れず、
さすが自衛官、とわたしを感心させたことも書いておきたいと思います。

 

進水式開始は11時。

控室で式典開始の45分前まで過ごし、現場まではバスで移動します。
この間も現場でも、写真撮影は禁止を言い渡されています。

バスを降りてからクレーンの下を通るようにして進水式現場に行くと、

           (潜水艦)
  音楽隊         

自衛官・社員   自衛隊高官・防衛省  招待客

こういう配置で観覧席が設けてありました。

いずれの席も櫓を組んで、少し高くなっているのが大掛かりですが、
このやり方も三菱が大正7(1918)年に手がけた最初のライセンス生産、
呂ー51潜水艦の建造を始めたころから少しずつ形を変えつつ
受け継がれてきた形にそっているのでしょう。

ここで立ったまま、人が入り、一番最後になって
命名を行う命名者が入場してくるのを待ちます。

皆することがないので目の前の景色をぼーっと見ているわけですが、
わたしが注目したのは潜水艦のスクリューでした。

スクリューを見れば性能がわかってしまうという潜水艦、
進水式の時にはスクリュー全体をカバーで覆ってしまっていたのです。

カバーは巨大なスクリューを完全に根元までおおう茶色のもので、
もしかしたら従業員に対しても日頃は秘匿しているのかもしれません。

観覧台は真ん中の支綱切断台がある席にはもちろん、
自衛官や音楽隊の部分には天蓋があるのですが、招待客の部分だけ
どういうわけか露天で、雨が降ったら悲惨なことになる気配が濃厚。

今にも雨が降りそうな天気とはいえ、始まってしまえば
10分で全てが終わるとプログラムに書いてあるので、
それまで保ってくれと祈るような気持ちです。

もちろん傘は持っているので、もし本格的に降ってきたら
傘をさしていいのか、近くにいる自衛官に聞いてみようと思いましたが、
彼らは日頃傘をさすことなど全く認識にない生活を送っているせいか、
細かい雨が降り出していることすら気づいてなさそうだったのでやめました。

 

待つこと3〜40分、海自には珍しく、定刻を少し過ぎて
今日の命名者である村川海幕長が入場してきました。

通常進水式の命名は防衛大臣か政務官が行うことになっていますが、
まだ第4次安倍内閣が組閣して2日目という状態だったので、
防衛省関係の議員の予定が抑えられなかったのでしょう。

個人的には、わたしは政治家より海幕長の方が防衛省代表として
相応しいと思うので、これが見られたことを嬉しく思いました。

 

その後、開式に先立ち、冒頭の産経新聞ニュースにもあるように、
三宅由佳莉(あ、今初めて彼女の名前が一発変換できた)三等海曹が
無伴奏で「君が代」を奉唱しました。


ところで本当にどうでもいい話ですが、彼女が国歌を凛として歌い終え、
きりりと回れ右をした時に、なぜかわたしの脳裏に、

「三宅海曹が滑る映像」

がありありと浮かんだのです。
もっとびっくりしたのはその次の瞬間本当に彼女が足を滑らせたことでした。
あまりのタイミングにわたしは心臓が凍るかと思ったのですが、
さすが彼女は転んだりせずホッとしました。


わたしは稀に出来事をその寸前に予知することがあるのですが、
あの角を曲がったら犬がいて追いかけられる→本当にいた!という
レベルの実にしょうもないことばかりで、なんの役にも立ったことがありません。
今回もその無駄な能力がなぜか発動してしまったというわけです。

 

冒頭に挙げた産経のニュースでは三宅三曹ばかり映っていますが、
それは制作側が、注水式が挨拶も何もなく粛々と行われ、
さらに絵面として面白くないので、この判断をした結果でしょう。

進水式そのものは大変シンプルなものです。

ただ粛々と国歌を奏し、命名の儀式として支鋼切断を行うと、
ピタゴラ装置によって酒瓶が艦体に叩きつけられて割れ、
同時に名前を覆っていた布が外れ、あとは進水して終わり。

アメリカなどは最近でも命名者の女性が瓶で艦体を殴打します。
たまに割れないことも(ex.オバマ夫人)あるようですが、
我が日本ではそんなことになりようがないと今回確信しました。

上に紐で支えられている瓶は振り子状に艦体に叩きつけられますが、
艦体には瓶が当たる位置がちょうど構造物の角のある部分で
その角が確実に瓶を仕留めるように計算されているのです。

そして当然のように瓶が割れ、「おうりゅう」の文字が現れたとき、
今回「桜龍」を予想していたわたしは内心快哉を叫んだのですが、
後から「おうりゅう」は「凰龍」であったことが判明しました。

うーん、惜しい。

 

この日参加者に配られた記念の栞には、ご覧のように
鳳凰が払暁の空に飛び立つ姿が描かれています。

そして命名式が終わり、いよいよ進水の準備が始まりました。
以下、できるだけ事実に忠実に描写してみます。


岸壁にヘルメットを被った三菱の作業員が立つ。
旗を持った手を振り上げ、

「進水準備」「進水準備完了!」

「進水!」

♪ジャーンジャーンジャンジャカジャッジャッジャジャジャジャジャッ!
(呉音楽隊の奏でる行進曲『軍艦』)

・・・じょぼぼぼぼ(水の出る音)

「・・・・・」観客

しゅわしゅわ〜(立ち上る水煙)

「これをもちまして進水式を終了します」

「(これだけかいっ!)」(皆の心の声)


つまらないつまらないとは聞いていましたが、本当につまらなかったとは。

会場のアナウンスが注水式進水の仕組み?について、

「注水された船渠に潜水艦の艦体が沈降していきます」

と言っていたので、この後じわじわと艦体が沈んでいくのかと思っていたのに。
後で潜水艦出身の方にお聞きしたところ、

「あれから潜水艦を沈めるのに3時間はかかります」

まさか進水式でそれをずっと見ているわけにもいかないので、
水を出すところだけでお茶を濁す?のが注水式だと理解しました。

 

ところでね。

この日(朝日はいませんでしたが)毎日新聞の記者を報道席で見つけました。
どんな記事を書いたのか確かめてみましょう。


海上自衛隊の最新鋭潜水艦の命名・進水式が4日、
三菱重工業神戸造船所(神戸市兵庫区和田崎町1)であった。
同造船所で建造された潜水艦は戦後28隻目で「おうりゅう」と名付けた。
潜水艦としては世界で初めてリチウムイオン電池を搭載し、速力が向上する。

進水式では、防衛省や同社関係者ら約300人が見守る中、
村川豊海上幕僚長が支綱を切断、紙吹雪が舞った。

「おうりゅう」は知識が豊富で、人間性や性格などを良くする竜という意味だという。
(略)
建造費は約660億円。
内装工事をして、2020年3月に防衛省へ引き渡す三菱重工業は
今年で潜水艦建造100周年を迎えている。

 

うへー、なんて稚拙な文章を書く記者なんだ。
内容はともかく、文章下手すぎ。
高等教育を受けたのかどうか疑われるレベル。

最近のモノ書きは、自称ジャーナリストとかいってる連中など特に、
変な思想に染まっている以前に基礎的文章力がないのが多いですが、
特に

「知識が豊富で人間性や性格を良くする龍」

って何なのこれ。

知識が豊富なのは龍?

人間性や性格を良くするって、誰が誰を良くしてあげるの?

そもそも「人間性や性格を良く」って学級会のテーマじゃあるまいし、
もうちょっと他のそれらしい言葉は見つからなかったの?

と呆れたので思わず書いてしまいましたが、それはともかく、
産経デジタルIZAの記者はどう書いているかと言うと、

艦名は豊富な知識を持つ縁起の良い龍にちなみ、
「おうりゅう」と名付けられた。

せめてこれくらい書いてもらわなければね。

ただし、この産経記者、本当に現場にいたのかどうか
記事を読むと大変怪しいのです。

海自呉音楽隊による「軍艦マーチ」の演奏とともに、
海上幕僚長の村川豊海将が潜水艦を固定していた支鋼を切断すると、
海中へ潜行していった。

だから海中に潜行していってねーから。
潜行させる人は誰も乗ってないしそもそもまだ中空っぽだから。

だいたい、支鋼は艦体を固定していたのではなく、ピタゴラスイッチで
シャンパンの瓶を割り、名前を隠していた垂れ幕を外すためのもの。

案の定この記事を取り上げたネットサイトには、

>海中に潜行していった
いきなり?

と不思議がる(まともな)人がおりました。
おまけに、知ったかな人がもっともらしくこんなことを書いてます。

舵とスクリューはバレちゃいかんから、もともと半分は潜ってる

半分も何も全く潜ってねーから。

舵がどこのことを指すのかわかりませんが、スクリューは
先ほども書いたようにカバーで隠していただけ。


自分がこの目で見たことを記事と照らし合わせて検証すると、
いかにメディアが本当のことを伝えていないかがわかってしまいます。

そうではないかと思っていましたが、見たことを正しく伝えることすら
ろくにできない者が記者を名乗れる世の中になってたんですね。今は。

 

さて、気を取り直して次に行きましょう(笑)
進水式の後、我々は社内敷地のビルにある
祝賀会会場に移動しました。

続く。

 

 

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シリコンバレー・ショアラインパークを歩く

2018-10-05 | すずめ食堂

今回、東海岸での滞在が長く、さらにサンディエゴへの旅程を詰め込んだめ、
いつもは1ヶ月いるはずのサンフランシスコ滞在が1週間になってしまいました。

しかしその1週間をフルに利用し、一日の訪問先は二箇所が当たり前、
ひどい時には三箇所を駆け回って、

「サンフランシスコに来たら必ず行くところ」

を制覇してきました。


ところで現在サンフランシスコ周辺の地価物価は大変なことになっていて、
年収2千万あっても暮らしていけないという話があるくらい。
じゃー街中をうろうろしている人はどうしているんだって感じですが、
アメリカ在住の人に言わせると、

「それまでに買った不動産があれば細々と生活できるんじゃない」

ホームレスの激増もやむかたなしといった事情だそうです。

とにかくそれで旅行者にとって困るのは、とにかくホテルが高いこと。
ツァーに組み込まれたホテル代はそれなりなのかもしれませんが、
他の土地で167ドルのホテルが、サンフランシスコ近辺では
100ドル増しは当たり前。

もっとひどいのがシリコンバレー周辺で、何年か前
100ドル代で取れたホテルが今では平気で300ドルしたりします。

というわけで、このサンフランシスコの1週間に、わたしは
キッチン付きで比較的安いエクステンデッドステイを選んだのですが、
エレベーター無しの2階建という作りだったので、チェックインの時
「荷物がたくさんあるので」と一階にしてもらったところ、
廊下に面して窓があり、
カーテンを開けることができません。

よくあるモーテル仕様です。

冷蔵庫は夜中にいきなりものすごいモーター音を立てるし、
テレビはなぜか必ず15チャンネル、犯罪ドキュメンタリーばかりやっている
チャンネルから始まるので、画面が点くと死体の写真が大写しになってたり(笑)
とにかく居住性は最低でした。

というホテルなので、1週間の間朝から暗くなるまで外にいたのは
正解だったというわけです。

1ヶ月いた時にはなんども行ったところでも今回はどれも一度ずつ。
とにかく「マーキング」しに行ったという感じ。

グーグル本社の近くにあるショアラインパークも今年は一度限りです。

シーズンが終わってこれから工事が始まる模様。

夏休みの間、子供たちを相手にウォーターアクティビティの
キャンプをやっていて、毎日賑わっていた水辺には誰もいません。

夏には見たことがない水鳥を見つけてカメラで追っていると、

「・・・?」

みたいな感じでこちらを見て通り過ぎました。

American Coot(アメリカオオバン) という鳥だそうです。
オオバンとは漢字で書くと「大鷭」。

鷭は世界中に見られる鳥で日本にもいます。
甲高い声で「ケッケッケ」と鳴き、それが人の声に似ているとか。

この辺りにしかいないカリフォルニアジリスに会うのも目的の一つ。

しかもショアラインパークのリスは他の地域の同種のリスに比べ、
驚くほど人を怖がらない傾向にあります。

カメラを向けるだけで逃げてしまう地域のリスもいますが、
ここの子たちは一応こちらを見て警戒しつつも、害が無さそうと見ると
平気で足元で遊んでいます。

このリスもチラッとこちらを見てからお食事の続きを。

リスが白眼を剥くと実は人相が悪いと知ってしまった写真。
ところでこの子なんですがね。

やおらわたしの足元にずんどこ接近して来ました。
ピントが合わねえ〜〜!

そしてスック!(ちなみにリスの英語はsquirrel)と立ち上がり・・。
ピ、ピントが合わねえ〜!

足元でリスなりの威嚇をしているつもりかもしれません。
かわいいじゃねーか。

さて、こちら熱々の熱愛中リスカップル?

仲良きことは美しきかな。

おお、左側のリスが積極的!!

と思ったら右側から「右リスパンチ」入りました!
どうもどちらかが口に咥えた食べ物を奪おうとして
争っていたらしいのです。

最後はきっちり大きな方(右)が取りに来た方をシメて終わり。

リス地帯を抜けていくと、トレイルはショアライン湖のほとりに出ます。

最近はどんな観光地、どんな公園、どんなショッピングセンターでも
見ないことがないという中国人観光客の姿がここにも。

日差しの強いシリコンバレーでは、中国人女性は例外なく
どこで買うのか、変な素材と柄の折り畳み傘を差して散歩するのです。

日本女性との違いは、それが雨傘であること。

この一帯はバーズ・サンクチュアリともなっている生物保護地域。
左がチャールストン・スラウ(slough・沼地)右がショアライン・スラウ。
この道の右と左で名前が違います。

チャールストン・スラウは一時渇水で悲惨なことになっていましたが、
今年はそれほど水不足にはならなかったようです。

チャールストン・スラウに沿って歩いて行くと、
アドビ・クリーク(Adobe creek) トレイルという名前の道に繋がります。

ここをずっとさらに歩いて行くと、

ペリカン・ネスティング・ビュー(Perican nesting view)

というポイントがあります。
まさにそこがペリカンの巣担っているらしいのですが、見たところ
手前のこちらの方がペリカンの巣になっている気がします。

ところでこの「アドビ・クリーク」という名前ですが、あの
ソフトウェア会社「アドビ・システムズ」が開発でもしたのか、
と思っていたら、大昔からこの名前の川なんだそうです。

アドビの創設者の一人、ジョン・ワーノック氏が住んでいた
パロアルトの自宅の裏に、アドビ川が流れていたことから、
それを会社の名前につけた・・つまりわたしの思っていたのと逆でした。

何年か前はここに次々と着水するペリカンが撮れたものですが、
その時はたまたまタイミングがよかったのでしょう。

ずっと待っていましたが、皆むしろ水から上がって羽を干している状態でした。

空を集団で飛んでいる時はこんなに大きな鳥だとは思えないのですが、
羽を広げたペリカンはゆうに1m半の大きさがあります。

これらは南北アメリカ大陸にのみ生息する種類で、
アメリカシロペリカンというのが正式な名称です。

大アップにしてみると衝撃的な表情が写っていました。
ペリカンって案外目つきが悪いと知ってしまったこの写真。

右上の二羽はワケありです(笑)

右のペリカンは左が好きだが左は迷惑だと思ってるとか。

丁寧に羽繕いするペリカンさん。
長い首を一回転捻って嘴でくまなく羽のお手入れをします。

しかしこうして見ると、嘴の袋は全く無いようにスッキリしてます。

クリークの内陸よりの部分をケイシー・フォアベイ( Forebay)と言います。
フォアベイとは貯水池を意味しますが、ここに水が溜まっているのを見たことはありません。

もう一度ショアライン湖のほとりを戻って行ったら、イグレットがいました。
よく見たら、彼は(彼女かも)一足ずつ泥をかき混ぜながら歩いていました。
そうやってかき混ぜられた泥から出てくる生物を食べていたのです。

生きていくための知恵といえ、頭がいいなあと感心しました。

再びリス地帯。
工事中の柵の中では誰も入ってこないのでリスがのんびり日向ぼっこ中。
最近切り倒された切り株がいい休憩場所となっているようです。

駐車場で車に乗り込んだら、近くのゴミ捨て場からリスが顔を出しました。
なんと、ゴミの中から彼が(彼女かもしれませんが)漁って食べているのは
ポテトフライ・・・・・。

その脂はきっと体に良くないぞ。

もう一箇所今回訪れたリス観察場所、スタンフォード・ディッシュに生まれたリスは
日夜マウンテンライオンやコヨーテ、蛇の脅威に脅かされ、
生きるか死ぬかの戦いをしているというのに、
君たちときたら・・・・・・・・。

 

 

 

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ホークアイ航空部隊のレディ・ルーム〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-10-04 | 航空機

さて、飛行甲板の上の固定翼機機シリーズ、続きです。


 Grumman C-1「トレーダー」 Trader

「トレーダー」というのはそのものズバリ貿易船のことです。

C-1トレーダー貨物機は、COD(Carrier Onboard Delivery)、つまり
陸上から洋上の航空母艦へ補給物資を輸送する艦上輸送機であり、
人員の輸送、
修理部品の搬入、傷病者の搬送、
特に郵便の配達という重要な作業を行っていました。

右側のエンジンカウル内側に、光沢のある丸いものがありますが、これは
パイロットがノーズギアが展開されているかどうかを確認できるミラーです。

なるほど、バックミラーをカウルにつけて下を確認するんだ。

「イージーウェイ・エアラインズ」

このあだ名は、乗員たちの待ち望む支給品、何より
家族からの手紙を積んでおり、常に皆に熱烈に待ち焦がれられた、
「定期便」であるトレーダーらしい名称と言えましょう。

とにかくその頃は飛行機で運ぶ手紙でしか連絡が取れなかったので、
現地のオーディオ説明で、乗員の妻だったという人が

「たとえば何か相談をしたくても、返事が返ってくるのは2ヶ月後で、
車を買うとか、カーテンをどうするとかいう相談も返事がそんなに
先になってしまうのでは相談しても仕方がなくて・・」

みたいな愚痴を言っておられました。

スネイル・メール(電子メールではない郵便のこと)の時代には
人々は連絡を取るのにこんなに苦労していたのです。


かくいうわたしは、先日大学に入学した息子をアメリカに残して
家に帰ってきたわけですが、彼の勧めにより、息子の使っていたパソコンデスク
(大きなディスプレイ搭載)で作業を始めるにあたり、
接続を全てメッセージのやりとりで教えてもらいながら行いました。

写真を送りながらやりとりができるので、電話よりずっと便利です。

昔の親なら、アメリカに航空便箋で手紙を書いたり小包を送ったり、
高い国際電話でわずかに言葉を交わしたりしか出来なかったのに、
全くこんな文明を享受できる便利な時代によくぞ生まれたものだと思います。

日本からものを取り寄せるのも、今はAmazonで簡単らしいですしね。

ダグラス A-3A スカイウォリアー

ラインの上にきっちりノーズを向けて展示してあります。

スカイウォリアーも実は第二次世界大戦終了後すぐ、
アメリカが核爆弾を積むことのできる飛行機を開発させ、
その結果できたという経緯があるので、大変機体が大型となっています。

こうやって正面から見ると、胴体が四角いですね。
多分これも搭載する予定だった核爆弾のことを考えてのことでしょう。

スカイウォリアーはやはり戦略爆撃機として開発されたビジランティの
登場とともに置き換えられて引退しています。

しかし、ビジランティもそうでしたが、大は小を兼ねるという言葉通り、
機体が大きかったので、戦略爆撃機としてはお役御免になっても、
電子戦機や写真偵察機、空中給油機に改装されて生き残りました。

スカイウォリアーと記念写真を撮るおじさん。
機体の下にはベンチがあって、日陰で休むこともできます。

こちら今年の写真。

給油プローブがまるで槍を持つ戦士みたい・・。
あ、それで「スカイウォリアー」か!(多分違う)

スカイウォリアーの面白い写真をwikiで見つけました。
偵察機として使われていた時、搭載したカメラを全部並べたものです。
搭乗員の足元にあるのも数えれば全部で12基あるんですが、これ、
現在ならおそらくこれだけのカメラ全部の機能が一台に搭載されたものが
できてたりするんだろうなあ。

F9Fパンサーについてはもうお話ししましたが、別角度からの写真を。

ちら今年の一眼レフによる写真。
腐っても一眼レフ、何も考えずに撮っても、画質の違いは歴然です。

パンサーのパイロットもアップにしてみるとイケメンなのがわかります。

ちなみに正面から見ると・・・・・

\(^..^)/


Northrop Grumman E-2「ホークアイ」 Hawkeye 

我が自衛隊でも運用しているので大変馴染みのあるこのシェイプです。
鵜の目鷹の目と申しますが、早期警戒機として「鷹の目」が必要であることは
全世界の共通認識なんだなと思うこのネーミング。

現場でのニックネームはその独特なエンジン音から「ハンマー」だったそうです。
ハンマーでカンカン叩くような音でもしてたんでしょうか。

鷹という割には背中に甲羅を背負っていて、ちょっと間が抜けているというか
愛嬌のある感じがよろしい。

これは今年一眼レフで撮った写真です。
今年の「ミッドウェイ」訪問では、今までの見学で時間がなく
見ていないところを重点的に回りましたが、丸一日使ったので
これまでお話しして来た航空機展示も、ひとつひとつオーディオツァーで
説明を聞きながら見ることができました。

この写真は念願のブリッジ・ツァーの移動時に
下にホークアイがいたので撮ったものです。

これを見てふとレドームの大きさは、大相撲の土俵くらいかな?

とふと思ったので調べてみたところ、レドームは7.31m、
相撲の土俵は4.5mで、レドームの圧勝でした。

この圧倒的かつ画期的なレーダーレドームの思い切った(多分)採用で、
海軍はこれまでの早期警戒機とは格段に違う管制力を手に入れました。

後ろから見たホークアイ。

接合部からレドームまでの高さが結構あるのがわかります。

少し前に「ミッドウェイ」で運用されていたホークアイが
海に落ちた話をしたかと思いますが、あの話で、これが海に落ちた時には
やはりこのお皿が浮きとなってしばらく浮いていることを知りました。

お皿は対空警戒・監視を行うための強力なレーダーなのですが、
これもまた意外な副産物だったというわけです。

ちなみに現在の「ホークアイ」は、強力なレーダー・電子機器により、
同時に250個の目標を追尾し、30の要撃行動を管制することができます。

どうしてホークアイだけこんなに写真が多いのか?
と思ったあなた、あなたは鋭い。
実は個人的にこの飛行機が結構好きだったりするわたしです。

これはオーディオの説明の通り、ノーズ下部に搭載された
撮影のためのウィンドウを強調してみました。

しかしこうして見ると、ホークアイ、何かに似てるなあ。
・・・・スヌーピー?

さて、今回初めて見学した部分に、飛行甲板の一階下にあった
搭乗員の控え室、「レディ・ルーム」があります。

いくつかの飛行隊のレディルームがそのまま展示してあったのですが、
その中からホークアイのクルーの控え室をご紹介します。

椅子の背もたれには、かつてその席が「定位置」だった何人かの
クルーの名前が残すことなく貼り付けられていました。

もしかしたらこれはパイロットスーツにつけるネームそのものでしょうか。

エンドレスで室内のモニターにはE-2にまつわる映像を流しています。
今画面にある

E-2D アドバンスド・ホークアイ

は、「ミッドウェイ」にホークアイ部隊があった頃にはまだなくて、
というより現在進行形でアメリカ海軍が運用している最新型です。
2007年初飛行を行い、2015年より実戦部隊に配備を開始したばかり。

もしかしたら横田基地で見たホークアイはこれだったのかもしれません。

ホークアイの見た目はあまり変わらない、と書きましたが、
その時思ったのはとにかくプロペラの数が多いこと。(8枚羽根)

もちろんプロペラの羽は多ければ多いほど飛行機は安定しますが、
素材が近代化して軽くて薄いプロペラが作れるようになって、
初めてこういう多重羽根の大型機が実用化したという気がします。

この最新型E-2Dは中期防衛力整備計画において
導入が決定されたので、今年中には空自にお目見えするでしょう。


ところで、この周りの地図と写真、これらはあの

「砂漠の嵐作戦」

を再現しているようですね。
イラクがクェートに侵攻し、湾岸戦争が始まった時、イラク地上軍を
空爆により無力化する目的で実施されたのがこの「砂漠の嵐作戦」です。

このとき、B-52、F-16、F-15E戦闘機による空爆のほか、
巡航ミサイル使用による発電所などに対する攻撃も実施されていますが、
その攻撃に先立ち、E-2航空隊が情報収集に出撃しているわけです。

E-2の機能、探査能力などについて説明しているようです。

これは海軍に存在したホークアイ部隊の徽章一覧ですが、
やはりホークをあしらったものが多いですね。

VAW-126のようにホークのアイから稲光が出ている、
文字通りのものもあります。

電子戦を行うため、ちょっと関係ありそうなコウモリとか、
「スチール・ジョー」(鉄の顎)という名前のサメとか、
見ていて興味が尽きないのですが、渦巻き模様の真ん中に
眼(アイ)があるというVAW-123のマークを見てください。

レドームにそのマークをそのまま描いちゃってるんですよー(笑)

出撃などの指令を受けるデスクの電話がレトロです。
今はガラスで覆われていますが、もちろん当時は違います。

「ミッドウェイ」に湾岸戦争時搭載されていたこの部隊は

VAW-115 "リバティー・ベルズ”

でした。
湾岸戦争後、我が空自・海自との合同訓練も行なっています。

その後岩国基地勤務を経て海兵隊と岩国駐留を交代後は
空母「ロナルド・レーガン」艦載部隊を経て、現在は海軍航空局の
ポイント・ムグにいるそうです。

何気なくありますが、よく見るとすごい。

最初からこんな思い切ったデザインを採用したおかげで、
ホークアイの存在意義は確固たるものになり、1960年の誕生以来、
なんと78年間に亘ってほぼ同じ形で現役であり続けています。

ここには艦隊に配備された1964年からカウントしていますが、
デビューから4年間のタイムラグがなぜあったのははわかりません。


形がほとんど変わらないと言われますが、もっとも電子戦を行うので
搭載するコンピューターがしょっちゅうアップデートされ、

したがって中身は常に最新型です。


最初の1960年の導入の時には、コンピュータはコンピュータでも
アナログで情報処理機能にもかなり問題があったらしいですが、
現行の最新型E-2D アドバンスドホークアイは、2007年から運用されており、
2人のうちの片方のパイロットを4人目のオペレーターとして活用するために、
コクピット計器版は17インチカラー液晶ディスプレイだそうです。

(オペレーターは3人乗り込むことになっている)

ベトナム戦争末期の脱出作戦「フリークェント・ウィンド」、
湾岸戦争の「デザート・シールド」作戦に参加していますが、一度も
「ミッドウェイ」艦載部隊になったことはない

VAW-113  "ブラック・イーグル”

も紹介されていました。

「ブロンディ」「ラムジェット」「サイコ」(おい・・)
「リップス」「ファング」「ダース」・・・・

搭乗割に書かれたタックネームは大抵変な名前ばかり。
結構仲間内のノリで決められてしまうみたいで、トム・クルーズのように

「俺はマーヴェリックな」

という風に自分で宣言する方が珍しいのかもしれません。
自分でつけるならもう少しかっこいい名前を考えるよね。

 

ところで、皆さんにはこのホークアイ部隊、「ブラック・イーグル」の名前を
少し頭の隅に記憶していただきたいと思います。

VVAW-113は、「ロナルド・レーガン」の艦載部隊として太平洋航行中、
東日本大震災の報を受け、すぐさま「オペレーション・トモダチ」発令後
被災地に飛び、初動偵察と救助活動における空中コマンドを行なった部隊でした。

海軍はこの時の働きに対し、E賞を同部隊に授与しています。

左下のキャップは、全E-2部隊の「リユニオン」の時に制作されたもの。
皆が同じ形の機体に乗っていたわけですから盛り上がったことでしょう。

飛行部隊にはどこにでもある(同じものを海兵隊航空部隊で見た)
名前いりコーヒーカップを架けるラック。

言っておきますが、本当の部隊で使用中のラックには
こんな綺麗なカップなど一つもありませんでしたよ。

ひどいのになると全く洗わずに飲み終わったのを引っ掛ける人も。

フライトスーツとヘルメットの置き場はレディ・ルームの出口脇にあります。

ところでこれなんですかね。
E-2を製造しているノースロップ・グラマンが記念として贈ったものらしいですが。

 

続く。

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スカイレイダーのトイレ爆弾〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-10-02 | 航空機

空母「ミッドウェイ」博物館、艦橋下のキャプテンズ・キャビンを見終わり、
外に出てきました。
この辺で、残りの航空機の写真を全部放出しておきましょう。

まず、冒頭は、

Northrop Grumman  EA-6B「プラウラー」Prowler

このブログではすっかりお馴染みの「うろうろする人」です。
ちょうど艦尾から艦載機エレベーターに乗っているところを
舷側から覗き込むと、こんな風に全体を見ることができます。

背景のサンディエゴ市街の高層ビルとの組み合わせが絶妙ですね。

反対側からの写真。これは今年撮ったものです。

「イントレピッド」にもあったのでその時に散々説明していますが、
「プラウラー」はこの「ミッドウェイ」甲板の反対側にあった
艦上攻撃機「イントルーダー」と同型の電子戦機です。

機体には「 VAQ-132」のスコードロン名があります。
1968年に電子戦機部隊としてこの名前に変更になったVAQ-132は
当時できたばかりのプラウラーを運用する部隊となりました。

誰も近寄って中を見ることはできませんが、コクピットには
マネキンを座らせているというこの展示の凝りよう。

前席には

CDR E.F. ROLLINS JR. と LCDR R. ROBIDOCK

など記名があります。
実際のVAQ-132、 スコーピオンのパイロットだと思いますが、
記名については本人と遺族の希望で依頼の上行われることもありますし、
たとえば戦死したパイロットは周りがその遺業を顕彰する意味で遺したりします。

前方に移動してみました。
ノーズの先の➕がちょっとミッフィーちゃんみたいで可愛いわね。
んでこの、無理無理翼を畳んでいる感じがなんとも言えませんわ。

おっと、真横の顔も忘れずに。これも今年の写真。

撃墜マークみたいなのが機体下部にペイントされていますが、
これはプラウラー的にいう勝利、つまり電子戦で相手をタゲてやった!
ということなのかなと解釈してみましたが、どんなもんでしょう。

オーディオツァーではかつてのクルーの体験談や打ち上げ話が聞けます。
ちょっと時間が経ったので、この尾翼についているアンテナを彼らが

「ラグビーボール」

と呼んでいたという話だけしか覚えていませんがorz

グラウラーはなかなか性能に対する評価が高かったようで、つい最近、
2015年までは海軍で現役だったため、厚木近辺では度々目撃されていたようです。

厚木基地に見学に行った時には、同じ「グラウラー」という名前でも
機体はホーネットと同じEA-18Gに置き換えられていました。

海軍ではそういうわけで退役してしまいましたが、海兵隊では
未だに運用しているので、岩国などでは見ることもできるようです。

 

T-2バックアイのコクピットには本当に座ることができます。
これも「ミッドウェイ」のご自慢の展示の一つ。

赤いキャップにシャツの人は「ミッドウェイ」のボランティアです。
一応実機だったりするので、見張りを置いているのかな?と思ったら・・

やっぱりアメリカの軍事博物館、基本放置でした。

日本の女の子ならVサインをせずにはいられないところです。

テントとベンチが置いてあり、イベントを待っている人がいます。
正面の半ズボンの人は解説を行うベテランかもしれません。

「ミッドウェイ」にはしょっちゅう元パイロットのベテランが
ボランティアでやってきて、自分の乗っていた飛行機の前で
体験談などを話す企画をやっています。

これは今年の写真。
手前のカタパルトを撮ったら写り込んでいた向こうの集団は、

「フライト・デッキ・トーク」

と呼ばれるベテランたちのカジュアルな講演です。

朝一からたった二人を相手にモニターを駆使して体験を語るベテラン。

彼らにとっても何度も話して飽きられている身内にではなく、
初めて聞く人たちに囲まれるほうがずっと話し甲斐もあるでしょうし、
アメリカ人というのは社会にあまねく軍人、特にベテランにに敬意を払う、
という意識がいきわたっていますから、この甲板トークは
ベテランの話に熱心に聴き入る見学者でいつも満員御礼状態です。

これは以前お話ししたA-5「ビジランティ」

艦上攻撃機と同型の偵察型を持つという点ではホーネットやイントルーダーと同じ。
偵察機が高高度を飛ぶためと考えれば、大きな機体は無駄ではない、
ということは理解しましたが、問題は艦載機としての運用です。

艦上機と考えればこれ異常に大きくないですか?
先端も尖りすぎてるし。

と思ったら、やっぱり現場ではこの大きさがネックとなっていた模様。

例えば艦首のとんがったところはエレベーターにも載らないので、
乗降のたびに垂直に跳ねあげなくてはならなかったそうですし、格納庫では
垂直尾翼も邪魔になるので必ずきっちり折りたたまなくてはなりません。

ビジランティのノーズ下部にもカメラが設置されています。

戦略爆撃機から偵察機に転用された後も、「自警団員」という
名前を変えなくても良かったのは幸いでした。

しかし元々が艦載機用に設計されていないこの機体は、
乗っている人にはたとえ問題はなくとも、艦上で飛行作業を行う
スタッフには、きっと総スカンで嫌われていたのに違いありません。


このため海軍はF-14の偵察兼任型がやってくるまでの間、
クルセイダーの偵察型RF-8Gを、能力が劣るのは承知の上で使っていました。

結局1979年11月までにRA-5Cは全機退役しています。
艦載機としてでなればそれなりに役に立ったと思うんですが。

 

Douglas A-1 「スカイレイダー」Skyraider (formerly AD)A-1  

第二次世界大戦中に開発が始まり、出来上がった時には
「アヴェンジャー」よりも、「ヘルダイバー」よりも小型軽量でありながら、
性能はどちらもを凌駕していたという割にはあまり有名でないような。

わたしが知らなかっただけならすみません。(ハイネマンに言ってる)


スカイレイダーは最後のプロペラ機でありながら、海軍機としては
朝鮮戦争とベトナム戦争のどちらにも参戦した唯一の飛行機です。

製作については、それまでのダグラス機が不出来だったため、
チーフ・エンジニアだったハイネマンはその流れを汲むことをやめ、
自分のアイデアで軽量な戦闘機を作ろうと決心しました。

ところが海軍はまるでその経緯を見ていて嫌がらせするかのように、

「明日の9時までにできてなかったら採用はアウトね」

とか言い出したので、ハイネマンとスタッフはホテルの部屋で
徹夜して一晩で戦闘機の図面を書き上げたという話があります。

一晩で作ったにしては、というか火事場の馬鹿力というべきだったのか、
この機体は色々とよく出来ていて(わたしは知りませんでしたが)
エド・ハイネマンのヒット作の一つになりました。

こちら今年撮った写真。

これでもか!とばかりに爆弾が取り付けてありますね。

そう、これこそがこの機体の画期的なポイントだったのです。
それまでの案は魚雷を機内装備する予定でしたが、ハイネマンは
これをきっぱりと廃棄し、兵装を全て機外に装備することにしたのでした。

折りたたまない部分の翼の下には他のより重そうで大きな爆弾が。
みなさん、このことを覚えておいてください。試験に出ます。

「翼の下に兵装を装備する」

というスカイレーダーからはこんな伝説が生まれました。
当時のレシプロ機としては大容量のペイロードが可能で、当時、

「キッチン以外に運べない物はない」

というのがキャッチフレーズとなったため、
それを受けてャレンジャーの海軍さんは、朝鮮戦争で、

流し台を『兵装』として搭載・投下し、

「キッチンも運べる」事を証明してみせたのです。

その時のキッチンシンク実装例。

「ザ・キッチンシンク」とペイントされたキッチンシンクが、
爆弾の下にわざわざ取り付けてあります。
ちゃんと爆弾と一緒に投下するのならええやろ?という態度です。

みんな結構真面目な顔で「ヨシッ!」みたいな雰囲気なのが笑えます。
やっぱりどんなことであっても「歴史を作る」ことに違いないからでしょう。
右側の士官がこの時の指揮官だと思いますが、この人を
覚えておいてください。
試験には出ませんが。


さて、こういう前例ができてしまうと、エスカレートしていくのが
ワールドスタンダードな海軍という組織の常。(多分)

ベトナム戦争の頃には、

「もはやこの機体が搭載したことがないのはトイレくらいのものである」

と言う、ある意味結果を見越した悪質な?ジョークが生まれました。
そして案の定。

機上のパイロットの真面目な表情をご覧ください。

今回のチャレンジャーは爆弾と一緒に便器を落とすのではなく、

「信管を取り付けた便器」

機体に搭載して実戦で投下し、その神話を打破してみせたのです。
てか打破すんなよ。
だいたいどこに落としたんだよそのトイレ爆弾。

実装例。
うむ、トイレは一番外側に装備していますね。

しかしどうしてあえて戦争の時にそんなことをするのかというと・・・
まあ多分、戦争中だから、あえてやろうと思うんでしょうな。

さらに話はここで終わらず、最後に、

「もう積めないのはバスタブだけだ!」

と言う確信犯的な話の流れになり、実際にバスタブを搭載して
出撃しようとしたツワモノパイロットが現れましたが、
この度は上官に発覚し未遂に終わりました。

きっと、この上官からは

「オマエラええ加減にせーよ」

という一言があったに違いありません。
ここでバスタブの搭載を許してしまえば、次はどうなるか。
いよいよ上層部の責任問題にもなってくると彼は踏んだのでしょう。

英断です。

だから残念ですがバスタブの写真はありません。

世界の基準にたがわず、アメリカ海軍でも「上司」というものは
「そういうもん」みたいですが、それでは

最初の「キッチンシンク」の時の上官、あれは何だったのか。

彼の名前がアメリカ海軍航空隊の歴史に残っていないのを残念に思います。



続く。


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ナイキ・ミサイル・サイトSF-88〜ゴールデンゲートブリッジ公園 その2

2018-10-01 | アメリカ

ゴールデンゲート公園の中に冷戦時代の遺物である、
ナイキミサイルのサイト(site、用地ですので念のため)を見るため
一人で1時間離れたサンマテオから車を飛ばしてやってきたわたしです。

 

あとで聞けば、ツァーは30分に1回しか行われないらしく、
参加するといえばこの寒いところでずっと待っていなければならなかったので、
ツァーは来年にして正解、と自分で自分を納得させました。

さて、カメラを持って敷地に入っていこうとすると、前のツァーのガイドが
ちょうど地下に収納してあるミサイルを稼働させ、地表に出して
さらに仰角をあげているところでした。

これが最大射角かどうかはわかりませんが、ここでストップ。
しばらくするとまたウィーンと音をさせてもとに戻ります。

ミサイル台を動かすスイッチは、帽子の人がいるハッチの下にあるようです。
こんなミサイルが、最盛時にはベイエリアだけで12基もありました。

今はボランティアのおじさんがのんびりと一人で動かしていますが、
かつては135人のソルジャーたちが、24時間ここに勤務していました。
その135人の上に立っていたのは若干24歳の部隊指揮官だったそうです。

ここの勤務になった兵士たちは、たとえば0830には出勤して、
引継ぎを行い、そこから6時間任務に当たります。

その6時間の間、たとえばある兵士は、オシロスコープを使用して、
送信キャビネットと受信キャビネットのすべてのポットを調整し、
PPIスコープを確認し、アンテナをチェック後、コンソールを起動。

これらの機材の「チェック」は、完了するのに約1時間かかります。
それが済むと、通常約2時間ミサイル台は稼動状態のままにしておきます。

このルーチンを0900、1500、2100に、0300に行います。

兵士たちはチェックと稼動任務の間は4時間のガード任務を2回行い、
残りの時間にはメンテナンス任務が充てがわれていました。

つまり、ほとんど彼らには寝る時間はなかったということになります。

今でも何かに使われているらしい建物がミサイルサイトの丘の上にあります。
ここには兵隊たちのバンク(寝床)がしつらえられていました。

しかし、誰もここを使用したことがなく、なんのためにバンクがあるのか
誰もわからない状態だった、とかつて勤務していた元兵士が証言しています。

彼らの平均年齢は18歳半。
全員が学校を出て軍隊に入り、訓練を受けて最初の任地です。
彼らは特別な訓練を受けていましたが、自分の任務が最終的に
なんの役に立つのかとか、目的などは全く知らされていませんでした。

しかも彼らはすぐに移動になりました。
つまりいつも人が新陳代謝している状態です。

ここにいる短期間だけ「寝ない」生活をしたとしても、すぐに
別のところに回されるのでなんとかなったのでしょう。

前の組が今からミサイルの下に入っていくようです。
ここにはコンソールパネルがあるらしいとこの時知り、
今走っていけば一緒に説明を聞くことができるかな?と迷ったのですが、
彼らがどうやら一つの家族らしく、和気藹々な感じだったので、
日本人的遠慮から(笑)お邪魔してはいけないと諦めてしまいました。

後ろに回ってみました。

ここにあるのは正確には「ナイキ・ハーキュリーズ・ミサイル」で、
これを3基収納するマガジンが三つ並んでいます。

固形燃料ロケット・モーターにより推進する地対空ミサイルであり、
地対地ミサイルとして使用することもでき、ここでの主な目的のように
弾道間ミサイル迎撃システムとしての働きを期待されて製造されたものです。

丘の上の隊舎も入れた全体はこんな感じ。
手前のピクニックテーブルのせいで、まるで寂れた遊園地のように見えます。

発射台の奥にある資材置き場に行ってみました。

かつてはこれにミサイルを乗せて運搬したのに違いありません。
木材部分は朽ち、金属部分は錆びてしまっています。

手前のコンテナは、ここを歴史資料としてみせるために、それなりに
メンテナンスを行うため、必要な道具などが収納してあるようです。

下段にベッドが見えますね。
これが当時もこの一角にあって、兵士たちは丘の上ではなく
このコンテナの中で仮眠をとって勤務に就いていたのでしょう。

地下の発射モニターがある部分には、今人が入っています。
万が一実際にミサイルが撃たれるようなことがあれば
基地全員がこの地下壕に避難したのに違いありません。

うーん・・・やっぱり見ておけばよかった。

見ていると、いきなりグオーンとハッチが下に開いて、
ミサイルがクレイドルに乗ったまま地下に沈んでいきました。

外にうろうろしていたわたしを入れた3人が慌てて覗き込みにきます(笑)

下にミサイルが収納されると同時にハッチがしまってしまいました。

どうやらミサイルは公開の日、見学者がいる時だけ
ハッチの下から出してきて、日頃は地下に収納してあるようです。

ミサイルの出し入れだけ見られたので良しとしよう。

自分でそう言い聞かせ、外に出ました。
後ろから警衛ボックスを見ると、

「注意 人がまだいます」

というプレートがありました。
ミサイル発射の際に外に人がいる場合にこれが出されるのだと思われます。

彼らはミサイルの発射準備ができると、地下に降ろされその瞬間を待ちました。

せっかくなので中を覗き込んでみる。
今はアメリカでも見たことがないコーラの瓶、ドクターペッパー(笑)
白黒のグラフマガジンと入場する人に渡すタグがまだあります。

驚いたのがこの表示。
なんと、タバコを吸っていいのはこのボックスの中だけだったと。
当時はアメリカ社会もタバコに寛容だったので、ミサイルがある
外ではダメだけどこの中なら吸っていいよっていうことですよ。

今の陸軍なら、文句なしに地域一帯を禁煙にしているはずです。

カバーがかかっていてわかりませんが、レーダー的なものだと思われます。

ナイキ・ハーキュリーズのシステム全体はアナログコンピュータがベースです。
地上レーダーは、攻撃側の爆撃機飛行隊とミサイルを追跡し、
こちらのミサイルに飛行中の誘導信号を送ります。

一度に飛行中の単一のミサイルしか追跡することしかできませんが、
打ち上げられて1〜2分で超音速に達し、
87マイル四方の最大範囲を防御することができたということです。

 

ところで、我が航空自衛隊にもナイキが装備されていたことがありましたね。 

前回言ったようにイージス・アショアでさえブーブー言いだす人がいるのだから、
その当時ミサイルを導入するにあたってはどんなにか大変だっただろう、
と思ってちょっと調べて見ると、やっぱり。


1982年、北海道長沼町に建設予定の「ナイキ地対空ミサイル基地」に対し、
反対住民が、

「基地に公益性はなく、自衛隊は違憲、保安林解除は違法」

と主張して、処分の取消しを求めて行政訴訟を起こしていました。

ありがちなことですが、一審地裁では違憲判決で処分を取り消し。
(地裁ですから一応ね?)
国がこれを控訴し、二審の札幌高裁は一審判決を破棄。
これに対し住民側・原告が上告するも、最高裁は原告適格がないとして
上告を棄却した、(その際判決は違憲性には触れず)という流れです。


しかし、1982年といえば、アメリカはとっくに(1978年)
ナイキミサイルの使用を廃止していたということで、
日本はいわば周回遅れのミサイルを配備したということになるのですが、
この辺りの事情についてどなたかご存知の方おられませんか。


ところで、最初に陸自の習志野駐屯地に降下始めで行ったとき、
陸自駐屯地の中に空自が運用しているナイキミサイルの基地があった、
というのがものすごく不思議だったのですが、
やっぱりというかなんというか、これが導入された時、運用において、
陸自は、

「ナイキミサイルは対空砲火の延長である!」(から陸自が運用する)

といい、空自は、

「無人戦闘機である!」(から以下略)

と主張してそれはそれは激しい縄張り争いがあったことを知りました。

アメリカでも陸軍が運用しているように、これを無人飛行機というのは
ちょっと、というかかなり無理がある主張だと個人的には思います。
だいたい、空自の基地にはその「Site 」、用地が設営できなかったので
わざわざ陸自駐屯地の中に空自の運用するミサイルを置いたわけでしょ?

まあとにかくその時は(誰が裁いたかは知らねど)大岡裁きで、

空自はナイキ、陸自はホーク(MIM-23 ホークミサイル)

と仲良く棲み分けることにしてことなきを得たそうです。


ホークミサイル。
 

というわけで、一人で見学を終わり、車で外に向かいました。
今日のゴールデン・ゲート一帯は深い霧におおわれ、風もあって
日本の11月下旬くらいの気候です。

そして、この後、わたしはこの一帯にある砲台の遺跡を求めて、
一人で気ままに車を走らせていきました。


ゴールデンゲートバークシリーズ、続く。

 

 

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ナイキ・ミサイル・サイトSF-88〜ゴールデンゲートブリッジ その1

2018-09-30 | アメリカ

ネット時代のありがたいところで、昔はツーリスト本、
「地球の歩き方」が知りうる情報の全てであったのが、
最近ではどんな変わった?嗜好の持ち主の興味に応える観光も
目の前の箱が至れり尽くせりで教えてくれるようになりました。

サンフランシスコで再会したアメリカ在住の友人に、2年前に行った
ファイロリ(FILOLI)ガーデンの話をするとひどく驚いて、
もうこの辺で観光するところなんてないね、と言い合っていたのに、
そんな面白そうなところがあったなんて!と感謝されましたし、
何十年もカリフォルニアに住んでいるのに、今回わたしがネットで探し出し、
見学して来たナイキ・ミサイルサイトに至っては

「聞いたこともなかった」

と驚かれたものです。

今年も何か新しい発見はないかと、「military museum」で検索をかけ、
サンフランシスコ滞在中に見学できる施設を探し出した結果です。

ナイキ・ミサイルが設置されていた場所。
今でもミサイルが見られるとあってはもう行くしかありません。
ただし、ボランティアの数不足か、週二回、金土しか開けていないので、
わたしは慎重に滞在中の見学プログラムを組み、金曜日を待ちかねて
ゴールデンゲートパークに向かいました。

しかし、ナビで「ナイキミサイルサイト」と入れても
該当する場所が出て来ません。

仕方なく、ブリッジを渡ったら左の太平洋側を目指せばいいのよ!
と直感を信じてゴールデンゲートブリッジを渡ることにしました。

ところが、ブリッジを渡ってからこれだ!と進んだ道はもう一度
ブリッジに戻る道で、気がついたらまたサンフランシスコにいるではないですか。

そうだ、近くにある海洋生物保護センターの住所を入れれば、
少なくとも近くにいけるに違いない!

ともう一度ナビを入れ直して事なきを得たわけです。

 

HISTORIC NIKE MISSILE SITE。

この看板の前に立ったとき、なぜナビに出て来なかったのかわかりました。
ミサイルサイトの「サイト」はわたしが入力していた、

sight(光景、眺め)ではなくsite(要地)

だったのですorz

 

それにしても昔は人が来ないこんな山の中に、ミサイル発射場を作っていたのね。

このゴールデンゲート自然公園の一帯には、こちらで「バッテリー」と呼ぶ、
古くは南北戦争のための砲台がそれこそ針山のようにたくさん作られ、
今でもその遺跡が残っていたりするわけですが、時は下り、冷戦時代にも、
アメリカさんはここにナイキミサイルの発射場を針山レベルで作っていたのです。

ミサイルサイトは今でもアメリカ国内のあちらこちらに見られるそうです。

なぜなら1953年から冷戦の終わる1979年までの間に、アメリカは
全部で300基のミサイル発射台を国内に設置していたからです。

このサンフランシスコにも遺跡が残っているだけで三箇所、
そのほかにもわたしがナビを入れた海洋生物センターも
元々はミサイルサイトの跡地に作られたものなのだそうです。

ところで、当たり前の話ですが、アメリカがここまでしたのは、
冷戦時代に対峙していたソ連の上空からの攻撃に備えるためでした。

この遺跡の説明にもあります。

「核戦争に生き残るためにこれらの装備は必須であったのです」

 

ファーイーストの何処かの国には、上空を敵国のミサイルが通過してもなお、
それを迎撃するための地上イージスを設置することに対して反対する
自治体の長というのがいるそうですが、わたしこの記事を読んで
ちょっと笑ってしまいましたよ。

「イージス・アショアが配備されることは町民の安全や安心、
平穏を著しく損なうことにつながり、まちづくりにも逆行する」。
20日の町議会で花田町長が反対理由を力説すると、
傍聴席を埋めた配備反対派の住民約20人はうなずいた。

中略

住民の間では高性能レーダーが出す電磁波による人体などへの影響や、
ミサイルを発射した際の落下物に対する懸念は根強く残ったままだ。

はあああ〜〜〜?

って感じ・・ははっ・・(力ない笑い)

「ミサイルを発射した際の落下物」ってあんた。
落下物が落ちる事態ということは、その時別のミサイルが
朝鮮半島から飛んで来ているってことなんですけど?

北朝鮮のミサイルよりそれを迎え撃つミサイルの破片が心配ってか?
ミサイルが本土を直撃するより電磁波が人体に及ぼす影響が怖いってか?

本当にミサイルが飛んで来たこともある国の自治体の長として、
そのまちづくり(どうしてパヨクって、自分たちの主張は平仮名で、
反対事案はカタカナで主張するんだろう)とやらと、
敵ミサイルのどちらを優先事項とするべきか判断もつかないのね。

 

というような茹でガエル的お花畑的な人はアメリカにはいなかったので、
(日本の現状を質すと源流はGHQの占領政策に行き当たるのですが今はさておき)
冷戦に入るなり、アメリカは国家存亡の危機とばかりに戦略爆撃機を飛ばし、
原潜を海に潜らせ、地上ミサイルを問答無用で作りまくっていました。

全米に300基設置されたミサイルサイトがアメリカの本気をものがたっています。



A Battery 2nd BN (HERC) 51st ARTILLERY

LAUNTING AREA

と手描きの字も拙い感じの看板があります。
第51砲兵部隊で第二歩兵中隊であることはわかった。
HERCがどうしてもわかりませんが、細かいことはよろしい。

金網に、オープン時間が毎週金土の1230から4000まで、
しかも天候が悪い時にはやりません、と書いてあります。

思うのですが、雨が激しい時だとランチングシステムに
水が入ってしまうからですね。

サンフランシスコは冬(クリスマスの頃から春まで)
雨季と言っていいほど雨が降りますが、どうしてたんだろう。

もちろん今ではミサイルを発射することはできませんが、
システムがまだ電気で稼働できるので、立ち入りは制限されています。

これはここがまだ陸軍の運用下にあった時の注意書きで、
許可を得た人物しか立ち入りを許されませんでしたし、
写真はもちろん、メモを取ったり地図を書いたり(時代ですね)
といった諜報活動につながるような行為も厳に禁止され、
必ず司令官の許可のもとに意図を明らかにしてなされなければなりませんでした。

許可を得ずにこれらの私物を持ち込んだりすると問答無用で
没収します、と最後に書いてあります。

入り口にまず第一の警衛ボックスがありました。
雰囲気を出すために?マネキンを置いてますが、
これがのっぺらぼうで結構怖い(笑)

ダイヤル式電話はアーミーカラーでオシャレに統一。

直通ダイヤルの一覧表にはファイア・アラームとかイマージェンシーとか、
プリズン/ジェイルブレイク(脱走)とか、ボム・スレートとか、
マン・ウイズ・ガンとか、ありがちな(陸軍的にはですよ)ダイヤルもありますが、

「ヒットエンドラン」「ドッグ・ケース」

とか

「メンタルサブジェクト」「バンク・アラーム・アトなんとか」

など、なぜ軍が?と思うような部門もあります。
誰かが鬱になったり、銀行強盗が入った時も出動しちゃうわけですかい。


こと細かすぎて、たとえどんな事態になっても大丈夫。って感じ。
ただしピザのデリバリーの電話番号とかはありません。

門の周りは崖なのに全く柵とかがなく、放置されています。
それにしてもすごいながめ。
海と内陸の間にあるダムのようなものは「ロデオ・ビーチ」といい、
その外側がロデオ湾、ビーチのこちら側はロデオ・ラグーンと言います。

自然にできたダムなんですね。

こちらのラグーンには、サンフランシスコを飛び回っている
あのペリカンさんたちのコロニーなどがあります。

対岸にある赤い屋根の建物は昔は陸軍のものだったと思いますが、
現在は政府機関の所有になっているということです。

湾から左側に目を転じると、ポツンとピンク色の可愛らしい小屋が。

色は可愛らしいですが、ガチンコに金網で囲まれているところを見ると
これも陸軍の所有で何かを貯蔵していたところだと思われます。

門の中には車で入っていくことができます。
中のベンチに、テンガロンハットみたいなのを被ったボランティアが
近づいてきて、ガイドツァーに参加しますか?と聞きます。

いつもならお願いするところですが、前の組が始まったばかりのようだったので、
様子を見ようと思い、ツァーを断ってしまいました。

まあ、また来年くればいいし。

「ご自分で見学するのなら自由に中を歩いて結構ですよ」

そう言われてミサイル発射場に進んでいきました。

発射場の周りにも金網が張り巡らされ、入り口には警衛ボックスがあります。
遠目に見たとき、本当に人がいるのかと思いました。

その時、ミサイルの発射台がグイーンと音をさせて動き出しました。

これを見逃してはなんのためにここにきたのかわからん。
急いで中に入ります。

 

 

続く。

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ゴールデンゲートブリッジ公園を歩く

2018-09-28 | アメリカ

今年もサンフランシスコにやってきて、次の日の朝、
ゴールデンゲートブリッジを臨むサンフランシスコ湾沿いの公園、
クリッシーフィールドにやってきました。

州道280と101、どちらで来ても途中から地道に降りなければいけません。
いつも選択する海側の道を通っていると、去年なかったこんな店が。

「SUSHIRAW」・・・・スシ・ロウ(生)→スシロー?

この辺りは以前から中国人の移民が多い場所で、ここ左に曲がったところにある
客家料理の店などはわたしたちが住んでいた時からあり、
一度気まぐれを起こして入って見ましたが、店内の水槽に苔が生えているし、
なんか変な匂いはするし、中国人しかいないしで、当時2歳だった息子は
完璧にトラウマを植え付けられ、その後10年くらい中華料理はダメになりました。

きっとこの店もチャイナがやっているインチキ寿司だと思われます。

ホテルのあるサン・マテオからは渋滞もあるので小一時間かかりますが、
息子の送り迎えのない今となれば、むしろそれも楽しんでしまいます。

この日のサンフランシスコ湾はほとんど霧のない晴天でした。
冷たい風と強烈な日差しが同時に体を直撃し暑いのか寒いのかわからない、
そんな天気もこの一帯特有のものです。

海水が回り込んで池のようになっているところにペリカンの親子がいました。

お母さんが頭を突っ込むと子供も真似して(笑)

漁の仕方を子供に教えているのだと思いますが、
さすがにお母さんも獲ったものは自分で食べてしまいました。

見たところほとんどが観光客で、ブリッジをバックに写真を撮っています。

ブリッジに向かって歩いていくと、左はこんな草だけのフィールドですが、
ここは昔陸軍の飛行場でした。

もちろん、複葉機の時代、1919年から1936年の間です。
このころの飛行機の離着陸に大変適していたため選ばれたようですね。

なんども書いていますが、写真に写っている建物は全部当時からのものです。

航空時代の黎明期、ここは飛行機の発展のステージのようなものでした。
横に離着水に御誂え向きのサンフランシスコ湾があったことは
水上機の発展にも寄与することになりました。

「この傾斜が休憩するのにちょうどいいんです」てか?

自転車の人はほとんどがレンタル。

船も頻繁に行き交います。
これはおそらくタグボートだと思うのですがどうでしょうか。

 

ヒッチコックの映画「めまい」で有名になったブリッジのたもとに近づきました。
この鎖もその時代にはもうあったと思われます。

ボードに乗ってただあちこちをフラフラ漂っている男性がいました。
確かに運動にはなりそうだけど・・・。

マリオカートのようなゴーカートを借りてこの辺を走ることもできます。
ちらっと見たら、助手席にはナビのためにiPadが装備してありました。

一眼レフにカメラを替えて初めてブリッジを撮るわけですが、感心したのは
ブリッジの赤が「見た通りの色」に写っていること。

ズームもできて、結構広角にも写り、さすがはオールインワンだと思いました。
旅行にはこれ一本で十分です。

去年はオープンしていて見学できたフォートは今年は閉鎖されています。

去年なかったこんな看板を発見。
なんと、自殺者が多いという汚名を少しでも返上するべく、サンフランシスコ市は
自殺防止ネットを設置することにいたしました!

なんでも橋の上から6メートル下に人体を受けるスチールのネットを張り、
人が落ちないようにするというのですが、うーん・・・・・。

どうしても自殺したい人はそのネットからとびおりてしまうのでは?
もしかしたら、6メートルというのが微妙な数字で、そこに落ちたら
スチールで怪我をして動けなくなってそれ以上飛び降りられないとか?

何かと謎ですが、とにかく来年来た時にはネットは完成しているでしょう。

それがいかほどの効果があるか、ぜひ知りたいものです。

コンクリートで塞がれた向こうに鎖があるのが見えるでしょうか。
それが「ヴァーティゴ」(めまい)にも登場した同じ場所です。

Vertigo (1958) Golden Gate Bridge scene # HD*

映画のおかげでここでキム・ノバクとジェームス・スチュアートごっこ?
をする人が後を絶たないため仕方なく閉鎖したとかかしら。

しかし、映画ではスチュアートが飛び込むシーンだけセットに変わってますね。

それでも柵を乗り越える人が後を絶たないらしく、この警告である。

「警告を破ってここに立ち入った人は1年の収監、
または罰金1万ドル(今日現在 1,128,160.00 円)が科せられます」

とにかく、ものすごく厳しく禁じられていることはわかった。
さすがにこれを見てまで柵を超えようとする強者はおるまい。
きっと監視カメラもバッチリ装備されてるんだろうしね

初めてここに錨を下ろした船は『サン・カルロス』(アヤラ艦長)、
1775年8月5日のことであった

からはじまって、

ドン・フワン・バチスタ・デ・アンサ少佐は1776年、
ここカンティル・ブランコ(ホワイトクリフ)に入植する

などと書いてあり、途中に

1853年、アメリカ合衆国陸軍の技術者たちがクリフを切り拓き、
ここにフォート・ポイントを建造した

最後には

海側の外壁は100年にわたって全く損傷を受けていない

と書かれています。

アルカトラズ島をバックに自撮りして画面を確認する二人。
新婚旅行でここに来る人も多いようです。(ex.わたしの姉)

カモメと鵜が仲良く同居しています。
左の二羽も新婚さんらしくずっといちゃいちゃしていました。

東映のオープニングみたいに波が砕けるのを撮ろうと待っていたのですが、
これが限界でした。

フェリーの横をおそらく沿岸警備隊のボートが急行していくのを目撃。
もしかしたら誰かブリッジから飛び込んだのか?
それともさっきのボードのおじさんが海に落ちたのか?

と思って目で追っていくと・・・、

波をボンボン跳ねながらブリッジの下をくぐっていきます。

なんだ、おじさんが落ちたんじゃなかったのか。

ブリッジ下から車の場所まで戻ることにしました。
パレス・オブ・ファイン・アーツの建物は実はR2D2のモデルです。

・・って言われていますが本当かしら。

一人で5匹くらい犬を連れているのは「散歩屋さん」。

忙しい飼い主に変わってウィークデイに愛犬を散歩させる仕事です。
聞いたところによると、犬を預ける人というのは裕福なので、
結構この商売、いい稼ぎになるのだとか。

クリッシーフィールドは犬にとっても楽しい散歩場です。
聞いたわけではありませんが、ここに来て彼らの様子を見ているとわかります。

ここでは日本の公園のように犬を必ず繋がなくてもいいので
勝手気ままにあちらこちら走り回ることができます。

この白黒の犬は体は大きいですがまだ子供らしく走り回っていました。
犬にも性格があるのは愛犬家の皆さんはよくご存知だと思いますが、
彼はアメリカ人の言うところのスパンキーなタイプです。

勢い余って他所の犬のところに突撃。
そういう犬は、えてしてよその犬にちょっかいをかけたがるものです。

彼が目をつけた?のはこの黒い犬。

「よお」

「な、なんだよお」

「遊ぼうぜい!」

「やだよ!僕今ご主人様に遊んでもらってるんだもの」

「そんなこと言わずによお」

「もううるさいなあ。ご主人様、早くフリスビー投げて」

「くっつくなよお」

「いいじゃん、俺もフリスビー取る遊びしていい?」

女の人「そーれ!」

「これは僕のだ!あんなやつに渡さないぞ」

「それいいなあ、俺にもくわえさせて」

「やだよ!」

「ご主人様に持っていかなきゃ!邪魔すんなよ」

「そんなこと言わずに俺と取り合いっこしようぜ!

バシャバシャバシャ

「あ・・・・・くわえていたの落としちゃった」

「でへへ、俺が拾ってやるよ」

「やめろよー」

ご主人「すみませんけど、オタクの犬がうちの子を怖がらせてるので、
なんか言ってやってくださらないかしら」

黒「ほーら、怒られろ(笑)」

「なにい?うちのご主人は俺のこと怒ったりしないぞ?」

「キャイ〜ン」

「こら、いい加減にしないか」

「ほら怒られた」

「・・・ちっ。今日はこのくらいにしといたらあ」

「お前やなやつだな。もうどっかいっちまえ」

と、いう感じに見えましたが、多分実際もこんなものだと思います。

サンフランシスコ湾にはよくペリカンが飛来して、このように
列を作って飛んでいるのですが・・、

このペリカンの群れが飛ぶのは本当に綺麗なものです。

一列になっていたかと思ったらこうやって全員で一斉に着水したり。

長い首を折りたたんで、実に優雅に飛びます。
あんな大きな鳥が飛んでいるときはとてもスマートに見えるのです。

 

今回のサンフランシスコ滞在で、わたしはこの時を入れて
三回はゴールデン・ゲートエリアに通い、今まで見たことがなかった場所や
軍事遺跡などを観たのですが、それはまた後日お話しします。

 

続く。

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ソルジャー・スカラー〜アメリカ陸軍士官学校 ウェストポイント

2018-09-27 | アメリカ

前回、ウェストポイントの学年を

1年 プリーブ

2年 イヤーリング

3年 カウ

4年 ファースティ

と呼ぶことを説明しましたが、次のコーナーでは、プリーブから
ファースティになり学校を巣立つまでの47ヶ月の間でも、
特に印象的なイベントが紹介されていました。

白の欄がプリーブ、右の紺色の部分がイヤーリングです。

プリーブは左上の「レセプション・デイ」(入学式)に始まり、
基礎的な候補生教育と学問の合間に彼らは自分の専攻を決定します。

ウェストポイントに到着した日から、新候補生たちは
体力的にも精神的にもチャレンジが始まります。
すぐさま、彼らは「軍隊生活」の中に放り込まれ、敬礼の仕方や
行進の仕方、命令を遵守することやライフルの使い方、そして
バラックでの生活についてを一から叩き込まれることになります。

海軍兵学校では「娑婆っ気を抜く」と称して、最初にバスを使い、
今まで着ていた服を故郷に送り返す、という儀式がありましたが、
ウェストポイントでは、ある意味アメリカ人には最も強烈な儀式があります。

列を作っている男性の頭を見てください。
全員坊主刈りどころかほとんどツルツルにされていますね。

なんとウェストポイント、入学当日に髪の毛を剃ってしまうのです。

これには驚きです。
防衛大学だって今時こんなことやりませんよね?

防大でもしこんなことをやったら、頭剃られるなら受けねえ、
みたいな人もいて、受験の人数が減ってしまうかもしれません。

でも、ここではやるのです。

流石に入学式の時だけで、最初のダンスパーティの時には
十分毛は生え揃っているので問題はないと思いますが。

敬礼の仕方を教えられるのは初日から。
「セカンドネイチャー」として素早くできるまで繰り返し練習。

彼らは「カデット・オナー・コード」(規則)と「カデット・クレド」を
通じて、陸軍士官学校の慣習と伝統を学んでいきます。

これは皆の髪の毛の生え方に個人差はあるけれど、だいたい入学してから
2〜3ヶ月といった感じでしょうか。

アメリカの士官学校ではいずれも学業を非常に重視します。
そもそも高校の成績がトップクラスでないと願書を受け付けてもくれませんし、
身元を証明するために、国会議員などの推薦人が必要になります。

「クリティカル・シンキングとクリエイティビティ」

批判的思考と創造性、これが士官候補生にとって必須のキーワードです。
学問を通して論理的思考をすること、引いては統率の際に必要な
判断力を培っていくことを目標としています。

歴史はもちろん、文化芸術、例えばシェイクスピアを演じたり(右上丸中)
社会科学などを深く学ぶことによって、人間というものを多角的に考察し、
高度でプロフェッショナルな
意思決定ができるようになることも
指揮官としての必須条件です。

士官学校の達成目標は全て「軍の統率」に帰結するといっても過言ではありません。

だからこそ彼らはSTEM(科学、技術、工学、数学)の基礎を叩き込まれます。
特にこれらの知識と解決のための思考は、高度な問題解決を可能とするからです。

しかし、学問は任官したらそこで終わり、というわけではありません。

ウエストポイントの厳しいアカデミックプログラムは、
卒業生が変化する世界の不確実性を効果的に予測し、
それに対応していくことができるように準備されています。

候補生たちは、数学、科学、英語、歴史、心理学、哲学など、
幅広い教育を受けることができ、知識とスキルの幅広い統合によって、
問題を理解し、
分析し、解決し、効果的に対応することができます。

ウェストポイントの卒業生は理学の学士号を取得することができ、
今日の陸軍指揮官に必要な教養を満たすための完璧な準備ができます。

 

ちなみにスカラシップは、よく知られたフルブライトの他に、

ローズ(RHODES)奨学金

マーシャル(MARSHALL)奨学金

トルーマン(TRUMAN)奨学金

などが、学業成績やリーダーシップの秀でた学生に与えられます。


ところで、余談ですが、先日読者の方に我が自衛隊をこのように
誹謗中傷しているタイトルの記事を教えていただきました。

「自衛隊幹部が異常な低学歴集団である理由」

これ、読んだ方は首をかしげると思うのですが、この筆者は「幹部」、
その中には士、曹を経て任官した人と士官学校に当たる防衛大学校、
一般大を卒業して幹部となった人たちがいることを意図的に混同してますよね。

もっともらしく本当のことを書いているように見せかけてはいますが。

自衛隊というシステムに、その成立と憲法的な存在意義上、
組織として不備がないとはわたしは決して思いませんが、それはともかく、
海外と比べて、というなら、アメリカでも志願入隊してくる軍人は
中学、高校を卒業してこの人の言うところの「低学歴」のまま昇進し、
士官に任官してくるというのが常道です。

ゆえにアメリカ軍は低学歴集団ではない、というこの人の持論は間違っています。


ところで「低学歴」などという言葉で自衛隊を侮辱しているこの人は何者?
タイトルは慶應大学の教授ですが、ご自身の出身大学は成蹊ね。ふむふむ。

この教授とやらはおそらく何かの理由でとんでもない学歴至上主義なんでしょう。
いや、それよりも、とにかく自衛隊を貶めることが目的で、
後付けの不可思議な理論をこねくってこのような記事を書いたのだと思われます。

何よりタイトルのつけ方に悪意が感じられ、あまりにも品がなさすぎて、
これを書いた人の人格や教養すら疑われます。

こんな理論的思考のできない人は、もし何かの間違いで自衛隊に入ったとしても
絶対に幹部になどなれないと、ここでわたしが勝手に断言しておきます。


さて、プリーブの一年が無事に終わる時、彼らに取って遠い存在だった
ファースティの4年が卒業し任官していきます。

「レコグニション・デイ」では、上級生が彼らを激励し、
1年間の健闘を讃える儀式が行われます。

左側のでかい上級生は、まるで

「これがあと3年続くんだぞ」

と言いたそうな顔をしてますね。

2年、イヤーリングは野戦実習やランバックと呼ばれるマラソン大会、
もちろん学問も自分の専攻を追求していきます。

でも21ヶ月目には、イヤーリングは初めてフォーマルな軍服に身を包み、
正式なダンスパーティを開いてもらえます。

もちろんこの時にはダンスの相手に彼氏彼女を呼んだりするわけですが、
士官候補生の恋人たちに取ってもこれは晴れがましいひと時でしょう。

候補生同士でお付き合いしている場合は軍服同士で踊るのかな。

また、イヤーリングの年の最後には、皆で

ウェストポイント・セメタリー(West point cemetery)

での慰霊を行います。
なんとウェストポイント、学内に陸軍軍人の墓があるのです。

墓地に葬られているいくつかの名前を上げておくと、


ジョージ・アームストロング・カスター将軍

シルバヌス・セイヤー(陸軍士官学校の父)

ジョージ・ワシントン・ゲーソルズ(パナマ運河建築総監督)

エドワード・ホワイト(宇宙飛行士、アポロ1号の事故で殉職)

マギー・ディクソン(陸軍士官学校バスケットボールコーチ)

エミリー・ペレス(イラク戦争で戦死、戦死した史上初の黒人女性士官)

 

基本的にこの墓地は陸軍の高官のためのものですが、28歳の若さで
心臓病で急死した民間人のマギー・ディクソンと、
少尉で戦死したエミリー・ペレスは特別措置によるものだと思われます。

カウはしかしどうしてこう記すべきイベントが少ないのか。
海軍兵学校でも「むっつり2号」とかいわれて、つまりあまり
存在感がなかったという記憶があります。

「カウ・サマー」(”牛の夏”って牧歌ですか?)、夏休みには
一般の大学生が自分の専攻に関係する職業体験をすることができるといわれる
「インターンシップ」で、陸士のカウたちは陸戦訓練をすることになります。

あ、それが将来の職業になるわけですから当然ですが。
学問も大事ですが、陸軍士官としてはやっぱりこちらがメインですよ。

学生が実習で使う装備一式を全部紹介してくれています。
写真の右上、入学の日に頭をバリカンで剃られている人がいますね。

実は、彼らが銃を持たされるのは入学して二、三日以内なのだそうです。
坊主刈りとともに、精神をたたき込むという儀式的な意味もあるのかもしれません。

陸軍毛布には「U.S.」とだけマーク入り。
寝袋からマスクから、これら一式は入学した学生にすぐに全部支給されます。

フットパウダー、日焼け止め、虫除けスプレー、非常食のバー。
こんなものもちゃんと配ってもらえます。
日焼け止めは3段階くらいで日差しの強さに対応するという気配り。

 

さて、「カウ」は新学期が始まればすぐにaffirm、意思表明の宣誓を行い、
「500th ナイト」といって、ウェストポイントの500日を乗り切ったお祝いに
これまた正装のダンスパーティを開いてもらえます。


右側の「ファースティ」、4年生はイベントが盛りだくさんですね。

まず特筆すべきは「リング・ウィークエンド」でしょうか。

ウェストポイントでは1835年から行われている儀式で、
「インディア・ホワイトユニフォーム」(白い軍服のことをアメリカではこういう)
に身を包んだ彼らは、
陸軍士官学校のリングを贈られます。

アメリカの特に私学大学はオリジナルの「カレッジリング」を毎年作りますが、
TOはアメリカの大学卒業時オーダーしなかったそうです。
その理由は、

「指輪なんて生涯すると思わなかったから」

いや、そういうもんじゃないでしょうよ。そういうもんじゃ。

これは士官候補生にとって何よりもエキサイティングな夜、

「ブランチ・ナイト」

なぜ夜にするのかはわかりませんが、とにかく、
歩兵か?情報部隊か?それとも軍医か?
自分が最初の実習先が発表される晩です。

 

ちなみに、アメリカには「医学大学」というのはなく、
4年間メディカルコースに必要な単位を履修して、そのあと
メディカルスクールに進学して医者の勉強をするのです。

ですから防衛医大に当たるものもなく、軍医になりたい者は、
陸士を卒業してから陸軍のメディカルスクールで初めて医学を学びます。

そして3週間後の44週目、

「ポスト・ナイト」(これも夜か・・)

で、全員の正式な配置先が決まることになります。
全員が志望通りに行かないであろうことは、陸海ともに同じ。

悲喜こもごもの夜になるというわけです。

そして卒業まであと100日、という夜にまたまた正式な夜会が開かれます。

この「卒業まで100日ダンスパーティ」は、大変歴史のあるもので、
1871年から今日まで毎年行われている慣習です。

これはこのパーティの出し物のポスターですが、面白いですね。
おそらく演劇部のお芝居だと思われますが、題を見てください。
先日、元帥が二人出たクラスのことを

「星が降りかかったクラス」(The class the stars fell on)

という、という話をしたばかりですが、このお芝居はそれに

「・・literally」(文字通り)

をつけて、本当に星が降りかかって、というより人を直撃してます。

そして47ヶ月目。

帽子を投げるセレモニーで有名な卒業式が終わると、卒業生は
セカンド・ルテナント、少尉に任官し、ウェストポイントを旅立っていきます。

 


続く。

 

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