goo blog サービス終了のお知らせ 

ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

親パレスチナ派の卒業式ボイコット〜大学卒業式@ベイエリア

2024-06-30 | アメリカ

MKの大学の卒業式報告、続きです。


先住民族から当大学の「承認」を受ける、という
アメリカならではの儀式を終え、ここからが卒業式本番です。



まず学長の「ウェルカム」宣言。
卒業生への祝辞と、学位取得者への賞賛、そして
グラウンドキーパーなどセレモニーのために働いた人々への労いが続きます。

この学長(実は臨時の学長らしいですが)は、

博士号103名、修士号2,475名、学士号1,838名

学部生中176名が80カ国の出身
大学院生中1,301名が110カ国の出身


と数字を挙げ、本学で学んだ人々が世界に多大な貢献をすることを期待し、
卒業生たちをここまで連れてきた彼らの家族や友人に
立ち上がって拍手を送ってください、と告げると、


グラウンドの卒業生たちは立ち上がり、振り向いて
スタンドに向かって手を振り声援を送りながら拍手、
スタンド側からもそれに答えて手が振られ歓声が上がりました。

そして引き続き各種賞の贈呈が行われました。
ここでいう賞は、卒業してからの業績に対してのものがほとんどです。

■ 数百名の学生が卒業式をボイコット


賞の授与が終わり、学長のリチャード・サラー(Saller)が挨拶を始めました。
このサラー学長が一時的な代理だったことを後から聞きました。

前学長のテシエ=ラヴィーン氏が、神経生物学の論文における
データの操作と改竄という、学者にとって致命的なスキャンダルによって、
本人はそのことを否認しながらも、大学のためにと辞任したのを受け、
サラー氏は次期学長が就任するまでの間の代理学長を務めています。

あくまでもテンポラリーな繋ぎなので、名前は学長として残されないし、
よりによって大学史で初めてとも言われる学生運動が任期中発生し、
こんな時に不祥事を受け代理なんて損な役回りとしか言いようがありません。

スピーチを始めた学長は、まずコロナ禍下入学した学生たちの困難にふれ、
次いでここ一年の「悲惨な戦争」について言及しました。

そこまできた途端、卒業生席が大きくざわめきました。



イスラエルのスカーフを掲げた女性を先頭に、
卒業生の席から、次々と人が立ち上がり、退場を始めたのです。

拍手とピーピーという口笛、ざわめき。
それらは席に残る卒業生からだったとは思いますが、
彼らの行動を賞賛するものばかりではなく、
おそらくその中には、非難の声も含まれていたことでしょう。


ある者はイスラエルの旗を持ち、ある者はスカーフを巻き・・。

彼らが入場してきた時、この豆絞り風のスカーフが目につき、

気になっていたのですが、この時になって、この柄が、
PLOの故アラファト議長が着用していたのと同じであるのを思い出しました。

このスカーフ、クーフィーヤというそうですが、
白黒のクーフィーヤはパレスチナの象徴となっています。

後から新聞記事で知ったところによるとウォークアウトしたのは数百人。

しかし、わたしもTOも全く予想外の出来事だったので、
彼らの持っているプラカードに、

「大学はジェノサイドに投資している」

と書かれているのを見て初めて彼らが
大学がイスラエル側に立っているとして抗議していると知った次第です。



よく見ると、客席からも彼らに声援を送る人が少数いて、
大学院卒業者席は、皆が携帯で写真を撮っています。


おそらく大学当局は、なんらかのアクションを予想していたかもしれません。
しかし、まさか学長のスピーチの途中でウォークアウトとは。

大学公式のビデオでスピーチする学長の様子を見ると、
(カメラはずっと学長の顔をアップにしている)
卒業者席から歓声が上がり、抗議者たちが立ち上がりだしても、
学長は平静を装ってそちらをチラリとも見ることはありませんが、
明らかに声の調子には動揺があるのがわかります。

この写真でメリンダ・ゲイツはずっと学生の列を目で追っており、
彼女の横の女性学部長たちは、おそらく今年になってから、
パレスチナ系学生の度重なる学内での狼藉について非難してきた立場なので、
この写真にも明らかなくらい、不快感をあらわにしています。

左後ろには、壇上からビデオ撮ってる教授もいますが(笑)

この件を報じるロスアンジェルスタイムズの記事より。

「学生数百人が、パレスチナへの支持を示すため卒業式をボイコットし、
イスラエルとハマスの戦争に関連した抗議活動で揺れた
キャンパスでの激動の一年を締めくくった。


ソーシャルメディアで拡散している動画には、
リチャード・サラー学長が卒業生に向けてスピーチをしている最中に、

学生たちが次々と椅子から立ち上がる様子が映っている。

学生たちの多くはクーフィーヤやパレスチナの国旗を振っている。
数分以内に、数百人がスタジアムから流れ出る様子が見られる。

このストライキは親パレスチナ派の学生団体が計画したもので、
同団体は学生たちに式典を離れ、別の場所で行われる
「人民の卒業式」に行くよう呼びかけていた。

■ 学生の「座り込み」活動


ガザ地区でのハマスとイスラエルの戦闘が始まった2023年10月17日以降、
アメリカ全土で学生を中心とした抗議運動は活発化していました。

イスラエルの攻撃はハマスの奇襲攻撃に対する報復だったのですが、
ガザでは多くの民間人が犠牲になっていることを受け、
親パレスチナの学生が抗議の声を上げることから活動が始まりました。


そしてすぐにそれは「反ユダヤ・イスラエル主義」となって、
時にユダヤ系学生への個人的ないじめとなって現れることになります。

そこで当大学のユダヤ系学生は、

「偏見に対する報告、安全、コミュニティのメンタルヘルスに
十分な救済策を提供しなかった」


として大学側を非難し、一方パレスチナ系学生側は、

「大学当局からこちらの権利を主張することを弾圧され、
親イスラエル団体の攻撃から守ってくれなかった」

としてやはりこちらも大学側に抗議の声を上げました。


同様の動きは、全米のいわゆるエリート校、
コロンビア、ハーバード、ノースウェスタン大学などでも起きており、
波及的にさまざまな処分(停職など)となって現れています。

こういった対立を、第三者からの目で見る意見も当然あり、
当大学のある2年生の学生は、

「The War at Stanford」

として、次のような意見を表しています。

私のコンピュータサイエンスクラスのセクションリーダーの1人、
Bは、ジョー・バイデン大統領を殺害すべきだと考えていた。

この23歳の学生は先月、少人数の抗議者たちにこう語った。

「民間人というわけにいかないから軍人がやるべきだ。
バイデンは死ねばいいんだ」

彼は、当大学がパレスチナ人の大量虐殺に加担しており、
バイデンはその当事者であるだけでなく、責任者でもあると考えている。
そしてさらに、

「バイデンは大量虐殺の罪を犯したのだから、肌の色が濃いテロリスト
(肌の色が濃いテロリストは、通常、アメリカの飛行機によって
爆撃されたり無人爆撃機による攻撃を受けることは周知の事実)
と同じ扱いを受けるべきだと言っているのだ」

と言った。

彼は、10月7日のハマスによる攻撃は正当な抵抗行為だったと信じており、
現政府に代わってハマスがアメリカを統治すること望んでいるとまで言う。

そこで「君の目的は何なの」と尋ねると、彼は「平和さ」と答える。

私はコンピュータサイエンスのクラスを変えた。


当大学のキャンパスからイスラエルまでは約12,000kmの距離がある。

しかし、ハマスの侵攻とそれに対するイスラエルの報復反撃により、
私の通う大学は分裂してしまった。

この大学は、通常、地政学よりも、今どきの寮を拠点とするような
テクノロジー系新興企業へのベンチャーキャピタル投資に重点を置く。

そこにはバイデン大統領の退陣を求める学生などほとんどいない。(多分)

ガザに平和を望むという若者たちの多くは、
自分が実際には暴力を支持していることに気づいていないようだ。

過激主義が教室や寮に蔓延し、信仰や伝統、外見を理由に
嫌がらせや脅迫を受けることが学生の間では日常化している。

キッパー(ユダヤ帽)を被っているだけで大量虐殺の加害者と罵られたり、
クーフィーヤをつけているだけでテロ支援者と非難されたりするのだ。

東海岸では、アイビーリーグにおける過激主義や反ユダヤ主義が、
メディアや議会から大きな注目を集めた。
学長2人が職を失う事態にまで発展している。

しかし、カリフォルニアのキャンパスを席巻している
文化戦争に気づいた人は
ほとんどいないかに思える。

この記事が書かれたのは今年の3月終わりでしたが、
その後、大学では前述のようにパレスチナ派が頻繁に座り込みを行い、
ついには学長室の占拠や歴史的建造物への破壊行為が起こりました。

そして、今回の数百人による卒業式ボイコットというパフォーマンス。
否が応でも「文化戦争」は大々的に顕在化されることになったのです。

続く。



「騒乱の」卒業生入場〜大学卒業式@ベイエリア

2024-06-27 | アメリカ

MKの大学で行われた卒業式レポート、続きです。

■ 大学新聞一面は「学内政治闘争」

朝の7時半開場とともに卒業式会場に入り、
2時間もの間開始を待つ間、正面のモニターは何人かの卒業生の紹介や、
非常口の案内などを繰り返し放映して飽きさせないようにしていました。



待っている人はプログラムを見たり、
入り口で配られていた大学新聞部の「卒業式特集」新聞を読んだり。

ところで、この第一面、卒業式特集ではあるのですが、タイトルは

「騒乱のキャンパス」

「歴史的な『大量虐殺を阻止するための座り込み』の立場をとる」

「親パレスチナ抗議団体が学長執務室を占拠」

「親イスラエル集会が『人々の』大学とホワイトプラザで対決」


説明するまでもなく、パレスチナとイスラエルの紛争について
学内でも割れてお互いが活発に活動しているというニュースです。

ホワイトプラザといえば、例の撮影ツァーの時、ホワイト噴水の横に



こんな場所が用意されていて、親イスラエル学生の集会所だったようです。


椅子の背中に貼られている写真は、すべて捕虜になっている人で、
「BRING HIM HOME」(彼を家に帰せ)という文字が見えます。

方や、新聞記事の「座り込み」とは、
ハマスが奇襲攻撃によってイスラエル民間人1400人を殺害し、
人質240人以上をとったことに対抗して、イスラエルが
ガザ地区への爆撃をエスカレートさせたのをきっかけに始まりました。


学長室を占拠した抗議者は、学校当局によって拘束され、
即時停学処分、卒業予定者はそれを取り消すという
厳しい対応を大学側がしたことが書かれています。

抗議者たちは、学長室占拠のみならず、選挙時に学校警察の係を負傷させ、
キャンパス中庭の、わたしたちが撮影ツァーを行った、
あの美しい歴史的な砂岩の建物や柱に赤いペンキで
「フリー・パレスチナ」などの落書きをしたことで当局の怒りを買いました。

方やわたしが写真を撮った親イスラエル集会は、
それらの親パレスチナ抗議者の行動に対する抗議が目的で、
親パレスチナ学生に対して道を挟んでシュプレヒコールを浴びせるなど、
文字通り「騒乱のキャンパス」となったことが報じられています。

さすが70カ国から学生が集まっている大学だけあって、
あっちがいればこっちもいるんだなと当たり前のことに感心させられますが、

全くの第三者から見ると、言い方はアレですがどっちもどっち?

というか、戦争なんだから争っているどちら側にも被害者は出るものを、
そのことを互いに詰りあっても仕方なくね?と思ってしまいます。

しかし、当事者には揺るがすことのできないことなんだろうな。
この問題は、この日の卒業式で思わぬ形となって現れることになります。


アメリカは多民族国家ですが、こういう問題は避けられません。


さて、話を卒業式会場に戻しましょう。


開始を待つ間、上空に小型機が飛来し、ユダヤ系学生のために
MAZEL TOV=ヘブライ語のおめでとうというメッセージを運びました。

また、AM YSRL CHAIはヘブライ語で「イスラエルの民は生きる」、
♡の後の
HILLELはユダヤ教の宗教創始者であり、
世界最大とも言われるユダヤ教の大学生組織の名称です。

この組織は、北米を中心に世界中のカレッジやコミニュティで活動しており、

「ユダヤ人学生の生活を豊かにすることで引いては世界を豊かにする」

を目標に、反イスラエル、反ユダヤ主義と戦う姿勢を掲げています。
おそらく前述の集会もHILLELの学生が主導したものと思われます。

■ 卒業生入場


もうこの頃になると暑さは容赦なくジリジリと身を焼く感覚でした。

なのにああ、我々の前列のおばあ様、お母様、お父様、
そして妹の卒業生家族ったら、帽子なし、女性陣は揃って肩むき出し。

長年の習慣の結果、おばあ様のお肌はダメージで世紀末の様相を呈し、
お母様のお肌ももうすでにやばい感じでしたが、アメリカ人女性の多くは
肌を直射日光にさらすことに全く危険性を感じていないらしいんですよね。

しかしさすがにこの異常なまでの日差しには我慢できなくなったと見え、
困りはてたお父様(多分会社の社長かなんか)がプロブラムを破いて、
即席で日除けの帽子を制作し、その場を凌ぎました(娘は着用拒否)。


お父様ったら、頭いい〜!
きっとできるビジネスマンなんだろうな。

ちなみにおばあさまはギリギリまで我慢していたのですが、
息子の入場までは保たなかったらしく、いつのまにかいなくなりました。

おそらく日陰の席に移動されたのでしょう。

可愛い孫の晴れ姿を近くで見ることを諦めるなんて、
よっぽどこたえたに違いありません。


それにしても彼女らの紫外線に対する警戒心のなさには驚きます。
10代の妹の今は輝くような肌も、母祖母と同じ運命を辿ることでしょう。


アメリカには、こういう時のために?
応援する人の顔を大きくプリントしてくれる業者がいます。

遠くから本人がスタジアム席の家族を見つけることもでき、
応援してまっせ!という気合いを周りにもアピールすることができますね。



しかも、本番までは日よけとしても役に立つという優れもの。
ちなみに裏には宣伝のため会社名がデカデカと書かれています。



教授陣の入場が終わると、音楽は「威風堂々」から、
ステージ上の生バンドの演奏するジャズに変わりました。
このバンドがさすがアメリカというか安定の上手さで、
スタンダード中心に学生が入場し終わる長時間演奏を続けていました。

そして、まずは「上級学位学生」、博士課程と大学院卒業者の入場です。


モニターに写っている旗は、スクールオブエンジニアリング、
工学部の学位授与者を表し、彼らが一番最初に入場してきます。

MKもこの中にいるのですが、見つけられませんでした。



席に着くなり自分の家族と携帯で連絡を取り合って、
自分がどこに座っているのか教える卒業生多数。

MKに「どこに座ってる?」とテキストしてみると、写真が来ました。



これは暑そうだ・・・。
卒業生の帽子って、全く日差しを防がないもんなあ。

工学部は全学生の一番最初に席に着いて待ち時間が一番長かったので、
後でMKは「鼻が日焼けした」と言ってローションを買ったほどです。


アピクレオスの杖があしらわれている旗はスクールオブメディシン、
医学・看護学科で学位取得卒業者は少数です。
大学卒業後すぐに実務に入る職種だからでしょうか。

手前のブルーのフードは法学部です。


卒業生席の両ウイングがグラデュエイトで埋まったとき、司会が

「さあみなさん、まだ入場していないのは誰ですか?」

みたいなことを言って、観衆がわあっと沸き立ちます。
いよいよ大学卒業生が入場してきました。

■学士入場


最初に入場してきたのは人文科学部。
ちなみにバチェラーは「学士」という意味です。



先頭にいるのは「木」。
さすが木がマスコットで、

「Fear The Tree !」

が対抗試合の合言葉なだけはあります。
この木の人、大学公式のカメラに映り込もうとして阻止されてました。

それにしてもそれに続くチアガール、ベール被った男性・・・
当大学卒業式は仮装大会なのか?

日本では京都大学がこの慣習を一部受け入れて話題になっていますが、
この大学では、全体的にすごいことになっていました。


各種着ぐるみは標準。
卒業式で思い切り楽しんでしまおうの精神。


浮き輪集団、パンプキン集団。


IN-N-OUT(ハンバーガーのファストショップ)店員がいるぞ!



かと思えばシェフもいます。
左下の学生は、パレスチナの旗を持ってますね。



水泳部?は彼らのユニフォームで入場。



それを壇上から冷たい目で見る女性教授(コロンビア大学卒)。
彼女の出身大学ではこんな卒業生は決していなかったと思う。

ちなみに後ろのジャズバンドのギタリストは、当大学博士課程出身者で、
音楽学部の教授かつ大学ジャズワークショップのディレクターです。


とにかく着ぐるみ率高し。


の辺全て「クラブ」=カニ軍団。
プラカードには「Holy Crab !」(こりゃ驚いた!)というメッセージ。

この集団、実は神経系の発達と癌における
エピジェネティックメカニズムを研究するラボ、通称

The Crabtree Lab☜クリック

で講義を受けた卒業生らしいのですが、見たところただの陽キャ集団。


カニなので泡を吹きながら行進。
この頃になると、音楽はラテン系のサンバとかになり、ノリノリでした。

永遠に続くかと思われた彼らの入場がやっと終わり、
ここでようやくプログラムが進行します。



同大学コーラスによる「アメリカ・ザ・ビューティフル」合唱。
指揮は音楽学部教授、ステファン・サノ博士。

遠目には分かりませんでしたが、サノ博士は日系アメリカ人3世で、
2世の父親は日本軍人としてシベリアで捕虜になった経験があります。

合唱指導だけでなくピアノ、ギターの演奏者としても有名で、
バイオグラフィを見ると、グラミー賞はじめ様々な賞を受賞しています。

Stephen M. Sano

Steve Sano plays Bill Evans' "Peace Piece"
「アメリカ・ザ・ビューティフル」は米国の愛国歌の一つで、
スーパーボウルの前に斉唱されることで有名です。
America the Beautiful
ネイビーバンドの美人ヴォーカリストバージョン



続いて、我々日本人には全く未知の儀式が行われました。

Invocation&Stanford University Indigenous Land Acknowledgement
招請&大学先住民の土地への謝辞


どういうことかというと、この大学が、かつて先住民族、
ムウェクマ・オロネ族の先祖伝来の土地であったことから、
大学としては、先住民族との関係を認識し、尊重し、
目に見える形で示す責任を持っているという認識なのです。

したがって、このような式典の際は、先住民に対し、

「あなたたたちの土地を使わせてくれてありがとう」

と感謝を述べることになっているのでした。


ベイエリアには、スペイン植民地時代以前、
先住民が数百人からなる多文化コミュニティで定住していましたが、
アメリカ統治時代になって、彼らはメキシコ人の土地に避難しました。

ありていにいえば追い出されたってことですね。

当大学の土地からもムウェクマ・オロネ族らが移動していったわけですが、
現在では、先住民族コミュニティは当大学と密接な協力関係にあり、
土地を提供してもらっている立場の大学側は、
彼らについてその物語を広めるための活動を継続しているのです。



大学側が謝辞を述べた後、少数民族代表として、
ユロック族出身の卒業生(2017年人類学部卒、今年博士課程卒)、
メリッサ・アイデマン博士がスピーチを行いました。

部族の象徴なのか、動物の毛皮で作ったストールを着用しています。

「部族にとってこの土地は今も昔も非常に重要なものです。
私たちは大学と先住民族の関係を認め尊重し、可視化する責任があります」

こういう、宣言のような短い言葉でした。
こちらも、要するに

「かつて先住部族を土地から追い出したあなたたちではあるが、
我々の歴史を尊重するならばこれからもここを使わせてやって良い」

という許可を意味していると考えていいでしょう。


わたしは、卒業式で行われたこの行事のおかげで、
これまで全く知らなかったこの地域の成り立ちや歴史の側面を
ほんの少しですが、垣間知ることができました。

多民族国家アメリカ、本当に色々と問題がありますが、
それを解決していこうとするパワーと工夫が、
今日のアメリカを大国に押し上げた原動力となっているのでしょう。

続く。


式開始まで〜大学卒業式@ベイエリア

2024-06-25 | アメリカ
■Airbnb引越し

MKの卒業式の少し前、Airbnbの部屋を引っ越しました。
前回のエメラルドヒルズから、今度はメンローパークの住宅街の一角です。


上空から見ると、明らかに他の地域より緑が多い地域。
その一角のAirbnbは、ドイツ系家族が住む敷地の離れでした。



プールのある家はこの辺では珍しくありません。


宿泊するのはこの離れ。
オーナーによると、この家はちょうど築100年だそうです。

1924年は、前年に関東大震災が起こった年ですが、この時期、
ヨーロッパではイタリアでムッソリーニ率いるファシスト党が政権を獲得し、
前年にヒトラーのドイツ労働党はミュンヘン一揆によって統制を拡大させ、
ここアメリカでは排日条項を含む移民方が成立し移民が全面禁止されました。

そしてちょっと感慨深かったのが、
この年のオリンピックがパリで5月に開かれたという事実
です。

今年はオリンピックイヤー。
そして開催地はなんとパリ。

もしコロナの拡大がなければ、東京オリンピックが延期されることもなく、
前回から100年目に同じ場所が開催地になることもなかったわけで。

そしてついでに、この頃のオリンピック開催は8月ではなかったんですね。

8月開催というのは、いつの頃からか、アメリカの大手テレビ局が、
「この時期はアメリカ国内で大きなスポーツの大会がないから」
という理由で固定したという話はやはり本当なんですね。


そんな頃に建築されたということですが、実際のところ、
アメリカでは100年越えの物件はそれほど珍しくもありません。
内装や配管を取り替えながら、古い家に住み続けています。

古さを実感したのは、キッチンにディスポーザーがなかったのと、
夜中、どうやら天井裏にリスが住み着いているらしく、
小動物が歩く音が聞こえてきたことくらいでしょうか。

次の朝、外のテーブルで食事を取りました。
庭には、お父さんの力作?らしい子供用のお家があり。


プールの奥には巨大なトランポリンが設置されています。

左がガレージ、右がおそらく倉庫。


全力で体を動かすことを楽しむオーナー夫妻らしく、
ガレージにはバイクが2台ありましたし、ある朝など、
プールサイドに干してあったのは、アイスホッケーの防具一式!
しかもゴールキーパー用です。(キアヌ・リーブスを思い出した)

このAirbnbは、オーナがドイツ人ということもあるのか、
古くて小さな部屋の中を考える限り機能的に整えており、
スタンディングデスクと滅法早いWi-Fi、優秀なコーヒーマシン、
今まで体験したことのない寝心地のいいマットレス、
どんなうっかり者でも壊さなくてすむプラスティックのグラス、
(しかも本物のガラスにしか見えない)
アメリカでは初めて見たミッソーニのタオル類と、最高の環境でした。

■ 卒業式当日

ほとんどの関係者にとってこの大学の卒業式は初めてのはずですが、
わたしたちのような外国人の親にとっては、それがどういうものか、
予想がつかないだけに心配は募るばかりでした。

卒業式に参加するためには、必ず卒業生からの招待が必要で、
招待者にはこのような入場チケットがオンラインで配られます。



つまり全員がスマホを持っているという前提ですね。
これをアップルウォレットなどに入れて当日バーコードをスキャンします。

そして同時に車はどこに停めるなどというお知らせももらえますが、
わたしたちは会場に近い駐車場に停めるため、前日に現地を視察して、
開場時間の45分前である6時45分に家を出ることにしました。

しかし、前日は緊張して?寝られず、しかも早く起きてしまう始末。

前日から徹夜で並ぶ総火演&観艦式のガチカメラ勢みたいなのが、
まさかここ西海岸にいるとは思えませんが、こういう状況になると
かつての血が騒ぐのか、どうも平静ではいられないんですよね。



案の定アメリカ人にはそういう意味でのガチ勢はいなかったらしく、
開場30分前でも広大な駐車場はガラガラ、
正面ゲート前にはわたしたちの前に数人いるだけという楽勝モード。


ほっとしながら目の前の注意書きを見ていて、
わたしは自分のバッグがこの図でいうところの
「スモールクラッチ」の大きさ以内なのか心配になってきました。

推奨されるのは中身が丸見えになる透明なバッグで、
そのことは前日にMKからくれぐれも言われていました。
一応ターゲットなどを覗いてみましたが、なかったので、
小さなバッグなら大丈夫だろうと思ったのですが、
それが12センチ✖️16センチ以内かどうかわかりません。

現に後で測ったら14✖️21だったので完全にアウトだったのですが、
規格外のバッグは没収と厳しいことを聞いていたので、

「もしダメだったら、先に行って席取っておいて」

と打ち合わせし、開場を待ちました。
時間になると、それから待機していた係員が配置につき、
自衛隊イベントの時のように、手荷物を台に置いて金属ゲートを通ります。

わたしは大きさを目立たせないように、最初からバッグの蓋を開け、
係に中を見せながら渡し、大きさを問われることはありませんでした。

荷物検査の先には小型のスキャナーがいっぱいあって、
そこでチケットをスキャンしてから会場に向かいます。

大学の卒業式に手荷物&金属検査というのも仰々しいですが、
ここアメリカで大学など学校現場の銃撃事件が相次いでいるため、
当大学ではスタジアムイベントには必ずこの方法が用いられているようです。


推奨されるクリアバッグ一例

ちなみに指定のクリアバッグですが、後にスクールショップに行ったら、
ロゴ入りのが各種売られていて、みんなそれらを買っていました。

バッグ業者の陰謀か?



そしてゲットしたステージ真正面の席。
もっとも、後から考えれば、どうしてもここでなければ、
というような状況でもなかったんですが・・・。

開始2時間前から死ぬほど暑い場所で待ち続ける価値があったか?
と問われると、微妙だったという点で。

学校からは前もって、この日のスタジアムの暑さについて言及がありました。

全員にペットボトルの水が配られましたし、
最初からこれはきつい、という人のためにビューポイントが用意され、
室内の涼しいところ(日陰は涼しいんですよ)で
座って大画面を見られるような用意もありました。


わたしはというと、白の長袖長ズボンにターゲットで見つけた
10ドルの折りたたみ帽子で極力陽を受けないことを考慮したファッション。



さらにはこれに薄手のスカーフとジャパニーズマーケットで見つけた
接触冷感(日本製は神)の日除け手袋で更なる防護をします。

日本のように湿度がないので、重ね着しても暑くはなく、
むしろヒジャブの国の人みたいに、できるだけ露出部を少なくすればOK。
快適快適とほっとしていると、TOが写真を撮りながら

「ヤ⚪︎ルトおばさんみたい」

とわたしもうっすら感じていたのと同じことを言いましたが、
画像検索したところ、ヤクルトというよりゴルフのキャディっぽい。


だんだん両側に人が埋まりだしました。
わたしたちの前列左はヒスパニック系の大家族。
このときは父ちゃんがひと足さきに席を取って待っています。

この、今の所空いているわたしの左側ですが、中国系家族がやってきて
二人の男の子(2歳と5歳くらい)に前の人は背中を土足で蹴られるわ、
何かというと子供連れで座席の前を行き来して出たり入ったりするわ、
意味もなく横の椅子をバタンバタン上げ下げするわ、
それを抑えると睨んできて(!)力任せに同じことを続けるわで大変でした。

二人いるので、いわゆる一人っ子政策の「シャオファンティ」(小皇帝)
には当たりませんが、いずれにしても日本人から見ると躾がなっとらん。

そもそも魔の2歳児をこんなかんかん照りの場所で
何時間もじっとさせておこうとするのが大間違い。
もう少し後ろの日陰席にすれば出入りも簡単だったのに・・。

そうそう、中国人といえば、今回空港で入国審査に並んでいたとき、
審査の順番がきた年配の中国人女性が、なんと列のはるか後方に向かって
大声で旦那さんらしき人の名前を呼ばわるという椿事が発生しました。

その場に並んでいた世界中の人々が彼女に注目する中、
後ろの方にいた男性がひょこひょこ前に出てきてざっと百人の順番を抜かし、
ちゃっかりおばちゃんと一緒に審査を受けようとするじゃありませんか。

もちろん、その次の瞬間、係員に元の場所に戻れと追い返されたわけですが、
そもそもどうしてこの人たちは一緒に並んでないのかね。

まさか、トイレに行っている旦那を待たずに、奥さんだけが並び、

「あたしが先並んでおくから、アンタ呼んだら前まできて!」

とかいう話だったんかな。

入国審査場で大声で叫ぶだけでも大概ですが、加えて
自分と連れ合いに満場の目が注がれても一向に気にしない!というメンタル、
さすがは中国4000年の神秘。

中国人が列の割り込みを悪いことともなんとも思っていない、
というのはよく見聞きする話ですし、わたしも現に中国で目撃していますが、
入管の係員に至っては日常茶飯事レベルでこういうのを見てるんだろうな。

閑話休題。


スタジアムの向かって右手はセレモニーの間日陰になるため、
最初からここに座る人たちがいました。


■ コマンスメント開始

アメリカらしく、時間きっちりにではなく、少し遅れて
今から卒業式が始まるというアナウンスがありました。



エルガーの「威風堂々第1番」中間部のメロディが流れ、
ガウンに身を固めた大学教授陣の入場が始まりました。

アメリカの学校は必ず卒業式にこの曲を用いますが、これは、
1905年、作曲者のエルガーがイェール大学から博士号を授与されたとき、
同校で使用されて以来の慣習になっています。


学長と一緒に入場してきたのは、メリンダ・フレンチ・ゲイツ。
言わずと知れたビル・ゲイツの元妻です。
彼女が本日のスピーカーであるとは前もってMKから聞かされていました。

ゲイツとの離婚の原因は、やっぱりというかなんというか、

「ビルがジェフリー・エプスタインと付き合っているのが許せなかった」

こととはっきり言及していましたね。
彼女本人は彼を一目見てその悍ましさに震え上がったという話ですが、
やっぱりエプスタイン島行ってたのか、ゲイツ・・・。

しょうがないやっちゃな。


こういうアングルの写真が撮れたのは早起きの恩恵というやつでしょうか。
彼女がストームヒールの紐付きサンダルを履いていたのもわかりました。

メリンダが着ているアカデミックガウンは出身のデューク大のもので、
色がドラブなのは、経済学の学士号をもっているからです。

アカデミックガウンは、今在籍している学校に関わらず、
その人の出身大学を表すため、教授席は色とりどりのガウンが混在し、
それらが一堂に集まっているのは大変美しいものです。

続く。



卒業記念キャンパス撮影ツァー〜アメリカ西海岸

2024-06-22 | アメリカ

アメリカでiPhone 15Proを買いました。

この機種から望遠レンズが搭載されたということで、
毎回一眼レフを持ち運ぶ必要がなくなるかと期待してのことです。

今回はなんといってもMKの卒業式というビッグイベントがあるので、
どれくらいこれがカメラに迫れるか試すチャンスでもあります。

iPhoneを買ってすぐ、MKから依頼がありました。

「友達3人でキャンパスでの記念写真を撮りたいんだけど、
一眼レフで撮影してくれない?」

前回のアンダーグラデュエイト卒業式の時には、
カメラを触らなくなってすっかり時間が経った状態で臨んでしまい、
暗い室内でのイベントを撮影するのに冷汗をかいたものですが、
この機会に本番までにカンを取り戻すことができるかもしれません。

わたしは喜んで依頼を引き受けました。

いきなり室内だった前回と違い、毎日が快晴のこの地域の昼なら
カメラがなんでもやってくれるので、気が楽です。

■「テディベア串刺しの刑の噴水」前


昔MKはこのキャンパスを利用したサマーキャンプに参加していたので、
このトレシダー付近と噴水は馴染み深いものでしたが、
ここで卒業式の帽子を被った彼を撮影する日が来るとは・・。


3人は同じ工学部で、真ん中の女子とMKは同じラボにいました。
3人とも専攻は同じ分野で、就職先も同業種となります。

まず最初のロケ地はモニュメント的噴水のある池の前。


ホワイト・メモリアルファウンテンという名前がありますが、
通称は「ザ・クロウ」(つめ)といい、大学対抗試合などの際、
ライバル、カリフォルニア工科大学のマスコットである
「Oski」を象徴するテディベアを頂点で串刺しにするのに使われます。


現場写真

ついでにこのOskiというキャラがこれ。
串刺しにされているテディベアのように可愛くないどころか・・


怖すぎ

彫刻は、ホワイトさんという金持ち夫妻が、彼らの息子二人を記念して
(亡くなったとか?)彫刻家に依頼したものだそうですが、
こんなことに使われているなんて知ったらきっと嬉しくないと思うんだが。

■ メモリアルチャーチ付近


次のロケポイントはメモリアルチャーチの周り廊下。
象徴的な場所なので、よくここも撮影に使われます。



この大学、とにかく広くて、面積は千代田区の3倍。
大学に必要な施設のほかに、ゴルフコース、乗馬場、
ハイキングコース、巨大なディッシュを備えた山丸々一つ持っています。


なんと呼ぶのか知りませんが、ガウンの首にかけているフードの色は、
所属学部を表し、オレンジがエンジニアリング、工学部です。


当大学は毎日学生がガイドを務める観光ツァーがあるのですが、
ツァー客がみんなでこのときのMKたちの写真を撮っていました。

おそらくガイドが、

「あちらに見えますのが、今週日曜の卒業式に出席する学生です」

というようなことを説明したのかもしれません。



スクールカラーは赤で、フードの内側に見えています。

ところで、この写真の右側に見えているサークル、今まで何度も
通行車両を事故に陥れてきた通称「デス・サークル」なんだそうです。

ちなみに学内には基本信号はなく、交差点は全てサークルですが、
この方式、実に合理的で安全なので、わたしは高く評価しています。

しかしここは、周りに街灯がなくてサークルがあることが分かりにくく、
初見の人がここに突っ込んでも無理はないというデンジャラスな雰囲気。

「デス」とまで言われるものをなんとか対策しろよという気がしますが、
驚くことにこういうことには全く無頓着なのがアメリカ人です。


せめて運転者に見えるような看板一つ立てれば解決するのになあ。


廊下はこのメモリアルチャーチに続いています。
チャーチ前の広場には夜のレセプション?のため、
テーブルや機材が雑然と並んでいて、前での撮影はできませんでした。



メモリアルチャーチ内部は観光客のために解放されており、
わたしも初めて中に入りました。



石柱の根元には、当大学開学のきっかけとなった創始者の息子、
訪欧中の急病で夭折したリーランドの名前が刻まれています。

■ ロダン作「カレーの市民」前


お次は、前にも紹介したオーギュスト・ロダンの彫刻での撮影。
三人ともこれがやりたかった模様。



作品名は「カレーの市民」。

百年戦争の際、イングランドに兵糧攻めにされたフランスのカレーで、
市民の命を救う代わりに、六人のカレー市指導者が処刑されました。

この像は、飢えで痩せ衰えた彼らが出頭のため城門を出る姿を捉えています。


ガウンのせいかぴったりキマってます。


メモリアルチャーチ前のクヮッドと言われる広場です。
チャーチ前のごちゃごちゃを隠すように撮影しました。

女性がガウンの下に白いドレスを着ているのは、
なんとなくこの大学ではそういうことになっているからだそうです。

■ ジャンプ写真(一眼レフvsiPhone Pro)

冒頭写真は、当初彼らの撮影計画にはなかったのですが、

わたしが「ここはタワーが綺麗に入る」と提案したところ、
彼らもここが気に入ったので撮った「帽子投げジャンプ写真」です。

さて、わたしがNikon810、TOにiPhoneを担当してもらい、
ほぼ同じシーンを両者で撮影した結果ですが、基本的には
やっぱりと言うかなんというか、Nikonの圧勝でした。

iPhoneのAI機能は、概ね効果的で、わたしがNikonのデータを
時間をかけてソフトで調整するのをほぼ一瞬でやってくれます。

がしかし、比べてみるとやはり色の深みというか、
わたしごときが言うのもなんだけど表現力が違うのです。

というわけで、カメラ機能に定評のあるProですが、
やはり餅は餅屋って感じかな、という結論に達しました。

とはいえ、iPhoneがその能力をここぞと発揮することもあり、
それがこのジャンプ写真でした。
冒頭写真はNikon、そしてこちらがiPhoneです。


(これを見たMKの最初の一言『俺ジャンプすげー』)

細部を見ると確かに重みの点でNikonが優れているのですが、
状況を捉えるのが巧みで、効果的だと思いました。



参考までにもう一度Nikon。
ちなみにこの写真、帽子を際立たせるため、
わたしは時間をかけてソフトでマスクをかけてマス


ここもわたしの提案で選んだポイント。
MKはこの写真が一番気に入ったそうです。
ポイントはひるがえるガウンの袖?


最後のロケポイントは噴水池で。
流石にキャッキャと水を掛け合うシーンはありませんでした。


最後に、MKと紅一点女子のラボで記念写真。

このソファは10年以上「一度もクリーニングらしいことをしていない」ので
「おそらくとてもとても汚い」代物。
そんなソファの横には、明らかにここで寝るための毛布が・・。


研究に没頭していて帰る時間がなくなった学生用でしょうか。

MKと彼女にとっても、この研究室は、
大学院生活において最も長く過ごした空間だった違いありません。

そしてこの週の日曜日、卒業式が行われました。

続く。




楽器作り発表会とテスラ・サイバートラック

2024-06-19 | アメリカ

西海岸シリコンバレー生活レポート続きです。

■ ポリコレか 販売戦略か

ど〜〜〜〜〜ん

最近のアメリカ、下着のモデルに太った人を使うのはもう普通ですが、
それにしてもこれ↑ってどうなんだろう。

太ってるモデル、別にいいんですよ。

アメリカ人は、太っていても顔が可愛らしい人は多いですし、
太っているなりにパンっと肌のハリがあるなら、説得力もあるんですが、
この人のはもう見ちゃいけないものを無理やり見せられているような。

昨今、アメリカのポリコレ具合はもう限界突破しているかに見えます。
ディズニーを筆頭とする制作物や映画、ミュージカルはもちろん、
デパートなどのマネキンが年々太ってきているのも、

このポリコレに端を発するものだと思っていました。

そして、アメリカのポリコレは、こういうのもありどころか、
これを「美しい」と思うような美意識を植え付けようとしているのか?
これって一種の洗脳か?とこれまで思っていたのですが、

今回この限界突破したモデルさんを見て、あることに気がつきました。

広告の目的は商品を売ることです。

それには売り場で気持ちよく商品を手に取ってもらわなくてはなりません。

このスーパーは、アメリカ人の多くを占める「こういう体型の人」が、
安心して、気後れせず下着を手にとることができるように、
「雲の上の人」である完璧なファッションモデルではなく、
彼女らと同じか、あるいはより「下」のモデルを使うことにしたのだと。

毎年この傾向が顕著になっていることから考えても、おそらくこの

「高めを見せ(て劣等感を煽)るな
低めを見せて安心させ(て買わせ)ろ」

という販売戦略はある程度結果を出しているのでしょう。

■ テスラ・サイバートラック

カリフォルニアのアーヴァインに本社のある自動車会社、

リヴィアンの縦目の車も、ここシリコンバレーでは珍しくなくなりました。

By Jay8g - Own work, CC BY-SA 4.0

Amazonプライムの配達の車も半分くらいはリヴィアンです。
同じリヴィアン製でも、こちらは丸目。
このヘッドライトは方向指示器を兼ねています。

今シリコンバレーを走っている車は、テスラなどの米製電気自動車と、
日本車が二分しているといっても過言ではありません。

ここはテスラのお膝元ですし、電気自動車が弱い寒冷気候にも程遠いので、
中古で安売りされるようになると、皆が乗るようになりました。

一昔前(『ララランド』の頃)は右を見ても左を見てもプリウスでしたが、
今は「前後左右皆テスラ」ということも珍しくありません。



今借りているAirbnbのある一帯は高級住宅街ですが、
家の前に停まっている車は例外なくドイツ車、日本車、テスラ、大型アメ車。

時々ヒュンダイやキアを見ますが、それはほぼ間違いなく、
庭の手入れや工事をしにきたワーカーが乗ってきたものです。

傾向として、レクサスとかメルセデスなどの大きなのをメインに、
2台目にテスラ、トヨタ、スバルを選ぶ住人が多いように見えます。

ところで、先日こんな車が横を走っているのを目撃しました。



「うわ、なにこれ!」

「バットマンカーのつもり?」

「これ絶対普通の車の上に改造でブリキのボディ乗っけてるよね」


好きなことを言い合って、MKに会った時にこれを見せたら、

「テスラのサイバートラックだよ」


これのどこがトラックだよ、と言いたくなりますが、
これが今シリコンバレーで一番尖っている(文字通り)Tesla Cybertruck。

2023年から製造しているので、今ちょうど市場に出回って、
ぼちぼち街でも見かけるようになってきているというわけです。

尖ったボディは平らなステンレス鋼板パネルで構成されているからです。

イーロン・マスクの肝入りで作られたこのピックアップトラックは、
近未来的な装甲兵員輸送車を思わせるフォルムを持ち、
お披露目の場所、月、年が映画『ブレードランナー』の舞台と同じ、
というなかなかにロマンを感じさせるデビューを果たしました。

そして聞いてびっくり、理論的に水陸両用として使用できるそうです。
まさに近未来的な夢の車。

しかし、デビューの際、テスラは「このアーマーガラスは絶対に割れない」
と自信満々で窓に金属球を投げるパフォーマンスを行ったところ、
公衆の面前で見事に二つの窓が割れるという辱めに遭い話題になりました。


その後1週の間に、わたしはこのサイバートラックを2台、
一度は家の近所で、もう一度はパロアルトに路駐しているのを見ました。


ところで、サイバートラックは発売早々に、

「アクセルペダルパッドが外れ内装トリムに引っかかり自動加速する危険」

のため、リコールされていますが、MKによると、
彼が秋から就職する会社(就職が決まりました)の社員に
その早々に不具合で事故を起こした当の本人がいるんだそうです。

怪我はなかったそうですが、ことがことなのでニュースで報じられたとか。


そして、その事故の写真を見ましたが、相手のトヨタ車は、
サイバートラックによって鋭角に切り裂かれ、ズタズタ。
運転者が生きているかどうかも心配になるほどのダメージでした。

サイバートラックは特にそのデザインに対し意見が分かれており、
この事故のようにヒトやモノを必要以上に傷つけそうで不快、とか、

(先端恐怖症の人は見るだけで怖いと思う)酷い意見になると、

「サーバートラックはテスラファンの熱狂的な夢の中にしか存在しない
ローポリゴンのジョークであり、
イーロン・マスクの排泄物の臭いの上に立っている」

とまで言われているのだとか。

でもどうせ新し物好きのシリコンバレー住人は我先にと買うんでしょう?
と思ったのですが、このあまりに先鋭的で『人の迷惑を顧みない』
(ちょっと事故っただけで相手は大迷惑、本人も修理で大損害)
コンセプトには、さすがに首を捻っている人が多いようです。

■ 楽器作りゼミのショーケース父兄参観

我々がここシリコンバレーに到着した時には、
MKは大学院の最後の1週間を忙しく送っている時でした。


そしてちょうど共同プロジェクトで参加していた
CCRMA (Center for Computer Research in Music and Acoustics)
ショーケース(発表会)に誘ってくれたので、見てきました。

CCRMAは日本語で言うと「音楽音響コンピュータ研究センター」。
MKの大学の音楽学部に帰属する日本でいうゼミで、
CCRMA=カルマ(最初のCは無音)と発音します。

作曲家と研究者が、芸術的媒体として、また研究ツールとして、
コンピュータベースのテクノロジーを使って共同作業を行う、
ということを目的とした施設で、MKは最後のセメスターに
楽器を作ることを学友3人との共同プロジェクトに選んだのでした。


昔当大学学長の住居(!)だったという歴史的な建物が、
現在はCCRMAだけの研究室として使われています。


卒業式のために一眼レフを持ってきていたので、
リスで練習(久しぶりなので)しました。


やっぱりiPhone11のレンズとは違うなあ・・。当たり前か。


ここには黒リスもいて、普通リス?と喧嘩していました。


こうして見ると、アメリカ人がこいつらを
「ネズミ」くらいの認識しか持っていないのがよくわかる。
尻尾がフサフサじゃないリスってほんとネズミみたい。


ショーケースの行われる会場は三階にあり、階段を上ります。


建物と同じで、軽くできて1世紀は経っていそうなピアノ。



この古い建物の3階はホールになっていて、天井には無数のスピーカー、
プロジェクター、防音装置が施された別世界でした。

プログラムは入り口のQRコードで読み取ります。

で、どんな楽器をみなさんが発表したかと言いますと・・



これをはめて音楽に合わせて色々な動作をすると、
それに合わせて音楽の音量や質が変化するという手袋。

発明者の学生は全盲で、右側の人が色々とサポートしていました。



音を拾うためのコンタクトマイクを仕込んだボウルに水を入れ、
ボウルをさまざまな方向に傾けることで、ピッチの歪み、
パーカッションヒットの速度、エコー(リバーブ)の量、
および音の厳しさを変化させていきます。


新機軸の発明ではないけれど拍手喝采を受けていた大作、
木を切ることから始めて作り上げたエレクトリックコントラバス。
木の選定から9ヶ月かかったそうです。



ブーツにギター操作の装置を仕込んだ人。
足のジェスチャーでワウ、リバーブ、キルスイッチ、
ペダルエフェクトなど全てを操作できる・・・はずですが、
残念ながら本人がまだ使いこなすに至っていませんでした。



距離センサーとパルスを組み合わせたドームの上で
手をかざし、距離を変えることで音が変質していきます。



センサーを仕込んだTシャツで音を変化させていく仕組み。


そして、MKの展示ですが。

MKと以前京都に来た女子、もう一人男子が3人で作ったのは、
Bass Bass(バスのベース)。
=ベース(ギター)であるメカトロニクスベース(魚)で、


近くで見るとこんな

機械式スプリングシステムが、魚を叩く動きをストリングプラックに変換、
ピッチは制御でき、出力音は包丁
(多軸モーション制御システムに取り付けられている)
を介して減衰することができるという仕組み。



「バスフィッシュを叩いて、
音楽と海洋生物のクロスオーバーイベントを体験する」

(本人説明)だそうです。
ちなみにベースに合わせていた音楽は「マンイーター」でした。

後で魚を叩かせてもらいましたが、これで
「🎵たったった〜、んたたったたった」
のリズムを取るの難しすぎ。

魚を叩くことにシャレ以外の意味が何もないという楽器です。


ショウケースが終わったので、昔ここでMKがITキャンプに来ていた頃、
散々お世話になったダイニングホールにいき、
当時はなかったインドのカレーを食べてみることにしました。

注文は左のパネルからいっさいお店の人と口を聞かずに済ませ、
お店の人は一人で黙々と注文のものを揃えて、右側から渡してきます。

インド系の学生も多いので、要望にお応えした感じでしょうか。
ちなみにここには昔から『KIKKA』というジャパニーズがあります。


お味は・・・まあ多くは言うまい。


おまけ:駐車場で前に停まっていた車。
これが動いているところが見てみたい・・・。


続く。



「人生の謎を受け入れる」〜アメリカ西海岸の日本

2024-06-16 | アメリカ

全ては自分自身の不注意が原因であったとはいえ、
大きな二つの困難を無事解決し、なんとか無事に西海岸に到着しました。

その時はまだこちらでのCarPlayのためにeSIMを契約していなかったので、
ナビなしで行けるMKの大学院寮まで直行しました(冒頭写真)



そして、今回の大きな目的の一つ、
日本で彼の元チェロの師匠に売ってもらった電子チェロを渡しました。

本物のチェロと違い、電子チェロはフレーム部分が取り外せるので
運搬が非常に楽で、「楽器のために一席買う」必要もありません。

飛行機では手荷物ではなく、取り扱い注意の楽器として預かってもらい、
到着した空港の特別窓口で受け取り(といっても床に置いてあった)ました。
心配していましたが、持ち込み荷物の一つとして料金は取られませんでした。



MKを拾ってまずは、彼が昨日行ったばかりという
お勧めの中華で夕飯をとりながらeSIMの契約をしてもらいました。



日本では見ないタイプですが、これは餃子の一種です。
カップの中にスープとミートが入っています。

■ Airbnbに到着



ナビが使えるようになったので、今回のAirbnbにチェックイン。
エメラルドヒルズという、レッドウッドシティの丘にある邸宅です。


借りるのはこの建物の庭から入れるゲストルームです。
オーナーは建物の2階と3階に住んでいます。

高級住宅街なので周辺は豪邸ばかり。



テーブルの後ろに、上階に続く階段がありますが、
こちらからは入れないように、鍵付き扉で封じてあるため、
完全にプライバシーを確保され独立した部屋となっています。



こちらがベッドルーム。



ソファはベッドになるので、最大3人までの宿泊が可能です。



庭だけでももう一軒家が建てられるに十分な広さ。
丘の上なので、夜は寒いくらい温度が下がります。



部屋の前には椅子があって、
巣箱にやってくる鳥を見ながらお茶が飲めます。


最近のiPhoneは、写真を撮ったら即座に素性を教えてくれます。
昔は西海岸の鳥の種類を調べるためにブックレットを買ったものですが。



この、つがいで雛を一生懸命育てている鳥はユキヒメドリ、
英語名Junco(ジュンコー)。
自分の頭より大きな羽虫を捕まえてきてはむしゃむしゃして、

それをヒナに与えるために巣に飛んでいきます。



庭にはジャスミンの香りがむせるくらい濃厚に立ち込め、
入り口のレモンの木にはたわわな実が成っていました。



熟れた味が地面に落ちていましたが、これ食べられるのかな。



この辺りは野良猫の代わりに野良鹿がうろうろしています。
庭に鹿が涼みにきていました。



わたしがガラス越しに見ているのでこちらを警戒しています。
その後ろを駆け抜けていくのは特大のリス。

鹿はしばらく木陰で座ってうとうとしていました。



近所には消防署がありますが、ほとんど普通の住宅みたいな建物です。



ただし、番地のポストに誰でもわかる消防車のマークが。



朝散歩に出てみたら、近所に真如苑USAという寺院がありました。



調べたら、1936年に開祖された日本の仏教系新興宗教みたいです。
日本ではオウム真理教以来宗教そのものが邪悪視される傾向にあるので、
この真如苑も何か色々と言われているようですが。



広大な敷地の中は週末のせいもあって散歩している人が多数。



犬連れの散歩者に、真如苑より注意喚起。


気温が25℃ならアスファルトの熱さは51℃。
30℃なら57℃。
30.5℃ならなんと63℃になってしまい、
51℃のアスファルトを歩けば1分で皮膚に異常が起こるとあります。

「もしあなたが裸足で歩いて熱ければ、彼らにとっても同じです」

真如苑の教義については当方知るところではありませんが、

敷地内を散歩する犬の健康被害の心配までしてくれるさすが宗教団体。

■ 日本食、日本語人気



到着して翌日、MKに、パロアルトに新しくできたという
フードコートに連れていってもらって、そこでびっくり。

ジャパンタウンでもないのに、この光景は何?
写真右のラーメン屋は「ORENCH」つまり「俺んち」です。


MKはここでラーメンを頼んでいました。
「オレンチ」なんて店名、日本人じゃなければ絶対につけないよね。


もう一つの・・・日本食?かどうかはともかく、このバーガー店、
その名も「KONJOE BURGER」。



そう、「根性バーガー」です。

メニューに日本語が使われていたりするわけではないですが、
目玉メニューのチキン唐揚げにMochiko=餅粉が使われているのが売り。

日本では今日び「根性」なんて言葉自体死語となっていますが、
これを英語で説明するとすれば何になるんだろう。

思いつくのはgutsですが、「必死に頑張る」という意味があるとはいえ、
「根性」さらには「ど根性」となるとちょっと違う気がします。

「恋の予感」並みに英訳しにくい日本語の一つではないでしょうか。
 

わたしは根性バーガーでシグネチャーの「KONJOE」を選びました。

例年アメリカに来ると、一度はバーガーを食べることにしていますが、
今回は初日にいきなりノルマを果たしたわけです。

パテはミディアムレアオンリー、オニオンとフライドエッグ、
そしてチリペッパーに「根性ソース」(漢字で書くとなんか凄い)がけ。

チリは思ったより辛かったので全部外していただきました。



MKが「ここのケーキは美味しい」というので
写真右側のジャパニーズベーカリー&ケーキ屋(おにぎりもあり)
IKUKAでKabocha=日本カボチャのケーキを買って帰りました。

アメリカのケーキはどうも我々日本人にはただ甘いだけで、
下手したら色も形も食欲をそそらないものが多いのですが、
ここのケーキは普通に日本でも美味しいとされるレベルです。

IKUKAの意味は「いもクリカボチャ」。
日本のさつまいも、栗、かぼちゃのほのかな甘みと
でんぷん質のおいしさへの愛情に由来しているのだとか。

もちパン、バスクチーズケーキ、モンブランなど、
日本で愛されている味やアイテムがパロアルトで買えるお店です。

昨今、インターネットという通信手段で、
情報があまり歪められずに世界中に伝達され、
一昔前のような間違った日本食、間違った日本ではない、
本当に近い情報が現地に根付きつつあるのを感じるお店です。
(その点ジャパンタウンは正誤が混在していると感じる)

■「人生の謎を受け入れる」

一時、変な日本語のTシャツを着ている外国人の写真が
ネットに出回っていましたが、
アメリカ人が日本語を「クール」と考える傾向はいまだに、
というか、最近では特に若い人の間で顕著だと感じます。

アメリカのドラマ(わたしが見たのは『グッド・トラブル』)中、
登場人物が日本語の書かれたシャツを着ていることも多く、
街を歩いていても時々そういうシャツに遭遇します。

今回MKの寮に初めて行って、乗ったエレベーター内で、
学生らしき白人系男性が着ていたシャツの背中に、
なんの飾りも、絵もなく、ただ文字だけ、

「人生の謎を受け入れる」

と書いてあって、わたしは「うーん」と色々考えてしまいました。
日本語として全く間違っていないし、意味もわかるのですが、
日本人なら絶対にTシャツにこの言葉は書かないかな。

「極度乾燥しなさい」に近い生硬な感じもあります。


にしても、なんで日本語なんでしょう。
日本で購入できるウケ狙いのおもしろTシャツとは違い、
アメリカ人が「真面目に」着ているシャツに書かれた言語としては、
英語以外では日本語だけで、中国語やハングルを見たことはありません。

これも、日本という国の、特にアニメや漫画など、
その他文化全般がインターネットで伝播してきた結果、
日本ブランドが「クール」と受け入れられてる証左の一つでしょうか。

だとすれば、つくづくわが国先人の努力と才能、発想と発信力に感謝です。


続く。



カリフォルニア到着〜痛恨の二大ミス

2024-06-13 | アメリカ

現在カリフォルニアにおります。
恒例の渡米が例年より早くなったのは、6月の第二週に
MKの大学の卒業式に出席するためです。

■ ESTA更新を忘れる(2回目)

出発便は深夜発でした。

深夜便のいいところは、起きてから出発までに余裕があることです。
この日もほぼ1日を最後の準備に注力することができ、
羽田までの車の中で、空港に着いたらどうしようか、
などとTOと話をしていたとき、ふと気づきました。

ESTA更新したっけ?



ESTAは我々日本人が享受することのできる米国渡航簡易システム。
ビザ免除プログラム加入国の国民は、前もって登録しておくことで
現地での審査が大幅に簡略化されるというものです。

2年ごとに更新しなくてはいけないのですが、それが問題で、
しょっちゅう渡米していると、したかどうかも忘れがち。

ということで、わたくし、まんまと今年も更新しておりませんでした。

しかし、わたしは甘く見ていました。
前回同じ状況だったとき、空港で簡単に手続きが済んだ記憶から、

「出発まで3時間もあるから余裕余裕」

とばかりに空港ロビーのカウンターにPCを広げたのです。
ところが、

「ESTAは受付後72時間以内に更新されます」

「ESTAの更新は最低でも72時間前にしておくこと」

という但し書きが出てきて真っ青。
それじゃ何か?最悪3日待たされるってこと?

最速で記入を済ませ、送信して、ステイタスが変わるのを待ちます。
案の定、何回リロードしても結果は同じ。

これ、出発までに降りなかったらどうなるんだろうなあ。

カウンターの前に立ったまま、リロード繰り返すこと2時間。
わたしはスタンディングデスクで作業しているので、
立ちっぱなしはもともと全く苦にはならないのですが、
このときはもはや長時間立っている意識すらありませんでした。

そしてついに、ある瞬間、ESTAが降臨したという画面に遭遇!

チェックインカウンターの人が
「結果がどうでも、とりあえずこちらにきてください」
と指定した時間まであと15分でした。

■ 搭乗




深夜発便は、搭乗してすぐ就寝することになります。
食事は到着前に配られる一回のみ。


今回の機材は出発までに2回変更になったせいで、
窓際を予約したのに通路になっていました。
CAに交渉して、窓側に変えてもらいました。


眠くなるまで「ザ・グレイト・エスケーパー」という
マイケル・ケイン(バットマンの執事を演じた人)主演の映画を観ました。

第二次世界大戦の英国海軍退役軍人バーナード・ジョーダン(89歳)が、
2014年6月にフランスで開催されたDデイ70周年記念式典に出席するため、
老人ホームから「脱走」した実話をベースにしています。

THE GREAT ESCAPER | Official Trailer
式典に参加し、現地で知り合った元空軍将校と一緒に、
彼らが元ドイツ兵たちと触れ合うシーンには胸を揺さぶられました。
動画でもお分かりのように、イギリス人は手のひらを外に向け、
ドイツ人は下に向ける敬礼をしています。


90歳の老人にもこんな時代がありましたってことで、
輝くように若く美しい20代の二人と、生きていることすら苦痛そうな、
老いた現代の二人のリアルな姿が繰り返し現れます。

最初は老人たちの姿に見てはいけないものを見るような気分でしたが、
特に最後の瞬間、それは実に尊い姿に思えました。



お待ちかね機内食ですが、残念ながら随分味が落ちたと感じました。

メインの白身魚の揚げたのは「いかにもレンジで温めた食感」。
デザートはお皿に載っている果物と前菜に混入したカステラ?ひとかけら。

有名レストランとのコラボもなかったし、コロナ以降
航空会社は業績を立て直すのに随分苦労しているのかもしれません。


西海岸に到着した瞬間。



スラウと呼ばれる自然保護公園が見えてきました。
画面左下のスラウの中にある一角のビルはフェイスブック本社です。

ただそこにいるだけで磯臭い風に包まれる絶好の立地。
こんなところに社屋を建てるとは、さすがザッカーバーグ(褒めてない)

■ iPadを失くす

事情があってiPad Proを2枚持って使い分けているのですが、
飛行機の中で、うち一つが見当たらないのに気づきました。

あーやっちまった。なくしちゃったよ。

てっきり羽田のチェックインカウンター前に置き忘れたものと思い、
宿泊先に落ち着いてから、まず羽田のANAに遺失物としてとどけたところ、
丸々2日後に「ありませんでした」とお知らせのメール。

そこで、今度は羽田の遺失物係に電話してみました。
係の方は目視しに行ってくれるなど手を尽くしてくれましたが、
それでも見つからないという返事です。

そのとき相手が、「正式な型番はわかりますか?」と聞くので、
確かめるために「デバイスを探す」を開けてみると・・

おい(笑)

サンフランシスコ空港にあることになってました。

つまり羽田に置き忘れたというのはわたしの勘違いで、
実は飛行機の中に(おそらく座席の下とかに)置いてきてしまい、
機内清掃に拾われてSFO空港のどこかで預かってもらってると。

「あの、たった今気づいたんですが、SFO空港にあるみたいです・・」

そう羽田の遺失物係の方に告げ、丁重にお礼を言って切り、

サンフランシスコ空港のロストアンドファウンドに、
テンプレートのクレームを(シリアル番号まで入れて)送りました。

すると、即座に「ロスト&ファウンドのカスタマーセンター」とやらから
こんなメールが入るじゃありませんか。

エリス中尉さん、こんにちは

この度は私どもにご連絡をいただき、誠にありがとうございます。

私たちは、あなたの紛失物を取り戻すこの困難な道のりを、

ぜひお手伝いしたいと思います。
もし、あなたが品物を取り戻すのに良い状態でない、
または何から始めたらよいかわからないのであれば、
このサービスはあなたのためのものです。
私たちにお任せください。
こちらをクリックして、
プライオリティ・ケースにアップグレード
してください。

プライオリティ・クレーム+コンシェルジュ調査サービスを

ご利用いただくと、クレームの緊急性がさらに高まります。

優先クレームサービス
緊急1時間処理
クレーム追跡のためのユニークなケースID
エリア担当者への即時「警告」
電子メールによる状況報告と連絡


*手数料は24時間以内、または24時間経過後80%まで返金可能です。

クーポンMR0K2を使用すると、合計金額から20%割引。

満足保証
ご請求後、営業時間内(2時間以内)にご連絡がない場合は、

30日以内に全額ご返金いたします!

ご不明な点がございましたら、よくあるご質問のページをご覧ください。

お客様のケースIDを確認次第、

カスタマーサービス部よりご連絡させていただきます!

ありがとうございました。
カスタマーサポート


つまりプライオリティにアップグレード(69ドル)すれば、
お役所仕事をしている彼らのお尻を叩き、
時には脅してすかしてあなたの失せ物を見つけ出しますよと。

ちなみに同じところからメールは三通来ました。
最終メールには、

このメールがあなたを元気にしてくれることを願っています。

紛失したアイテムに早急な対応が必要なため、
この最終通知をお送りします。

私たちは、優先請求+コンシェルジュ調査を通じて、
お客様への返却を迅速化することをお約束します。

プロセス全体を処理するだけでなく、
請求がより迅速な回復プロセスにつながるように、
追加の時間と労力を投資します。

こちらをクリックして、請求の緊急性を高めてください。
 
 
ちょっと脅し入ってます。

いかにも1セントの儲けにもならない仕事にはやる気を出さない
アメリカという国ならではの阿漕な隙間商売ですな。

69ドルったら今1万円くらいでしょうか。
↑これをみた瞬間のわたし

これが出国が明日で全く探す時間がない、とかなら
仕方なくこのプライオリティとやらにお金払っちゃうんだろうな。

そうはいくか。

次の日、残りのiPadを持って空港に突入したわたし。
まずは空港ロスト&ファウンド(工事中で仮営業)にたどり着きました。

空港警察の横の、ガラスで区切られたブースの中の人と、
まるで映画の刑務所の受刑者との面会シーンみたいに電話で通話。
すると、中の人は、

「ここでは預かっていないから、ANAに電話してみて」

と電話番号をくれたので、「探す」機能を方位盤のように辿りながら、
指し示すデバイスのマークの方向に進んでいきました。

「きっとここ(デバイスのあるところ)はANAのカウンターに違いない」

オリエンテーリングというスポーツ?がありますが、
広大な空港を歩いていると、まさにそれ気分。

「近づいてきた近づいてきた」

我々の居場所とデバイスのマークは重なりそうで重なりません。
辛うじて一番近いところに立つと、そこはUnitedの出国カウンターでした。

そこで教えてもらったANAの事務所に電話をしてみると、

iPadのカバーの色や型式を聞かれ、

「それでしたらこちらで預かっているものだと思います」

やったー!見つかった。

「それではアイル1のカウンター1前で待っていてください」

数分後、iPadは4日ぶりに手元に帰ってきました。
受け取った瞬間、「探す」から発信したアラームが鳴ったのには笑いました。

今回のことで、本当にアップルユーザーでよかったと感じました。
他社のデバイスにももちろん類似の機能はありますが、
アップルのほど正確かつ便利ではないということです。

おそらく今回、iPadは、頭上の荷物入れからキャリーケースを出したとき、
キャリーの外ポケットに入れていたのが滑り落ちたのだと思います。

というわけで、皆様には、アップル製品を失くしたとおもったら、
何より先に「探す」機能をチェックすることをお勧めします。

なにしろMKによると、

「もしそれが盗難されて中国とかに持ち帰られたとしても、
周りにデバイスがある環境なら、世界中どこからでもそれがわかる」


ということですから。

続く。




映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」 ブーゲンビル

2024-06-10 | 映画
 
はてなブログに移転しました

映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」ガダルカナル

2024-06-07 | 映画
はてなブログに移転しました

映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」ミッドウェー

2024-06-04 | 映画

はてなブログに移転しました

映画「連合艦隊司令長官 山本五十六」真珠湾

2024-06-01 | 映画
 
はてなブログに移転しました