ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

平成26年度富士総合火力演習~迷彩メイクで男は変わる

2014-08-31 | 自衛隊

平成26年度総火演のリハーサルが終わろうとしています。



リハの最後は武装ヘリの攻撃。
CHや海自、陸自の航空機はリハーサルしません。
AH−64Dアパッチが銃撃しているとき、銃弾らしきものは見えず
この写真のように機体の下部に向かって白い煙が
連続的に噴き出していました。

アパッチといえば、先日、ライブリークの映像でこの武装ヘリが
人間を(建物じゃありません)次々と狙い撃ちしている
モニターの白黒映像を見てしまい、心が冷たくなりました。

明らかに一人の人間を追いかけ回し狙いを定めて、
人一人殺すにはオーバーキルとしか言いようのない爆撃を
執拗に加えるそのやり方は、終戦間際の日本本土で
たとえば御堂筋沿いに逃げ惑う人々を掃射しながら何航過もしたという
グラマンのパイロットの仕業を思わせました。



ところで実はエリス中尉、この日の前日、丸の内にある某軍需産業(笑)に、
元陸幕長への表敬訪問をしお話を伺ったのですが、その話の中で
最も印象的だったのは、まず

「自衛隊はおそらく練度において世界一の軍隊だと思う」

ということばでした。
元陸幕長の元には各国武官や軍事関係者などもよく
色々な折衝や相談を持ってやって来るわけですが、先日、某隣国の関係者に

「我が国の戦力に着いてどう思うか」

と聴かれた元陸幕長はたった一言

「論評するに値しない」

と言い切ったのだそうです。
もし海自とこの国の海軍が戦力を交えたら、30分で勝負がつくんだって?
とある政治家が訪ねたところ海自関係者は

「さすがにそれは無理です。3時間はかかるかと」

といったという逸話もあるようですが、まあそういうことです。

「そ、それで相手はなんと・・・?」
「がっくりしてましたね」

はあ、がっくりするでしょうなそれは。

しかし、しかしです。
それに続けて元陸幕長はこのようにもおっしゃったわけです。

「某国はさておいて(笑)じゃあ中国と万が一戦争になったら勝てるか、
というとそれはわからない。
わからないけど、勝てないのではないかと思う」

わたしも、たとえばこんなアパッチの殺戮ビデオを見て考えます。

「果たして同じ性能の、同じ武装のヘリに乗っていたとして、
こんな攻撃が今の日本人にできるのだろうか」

無防備で逃げ回っている人間を執念深く追い回し、
一人に何発もの爆弾を狙い定めるなどという真似はできそうにない。

それをするのが戦争だということであっても、たとえそれをしなければ
自分がやられるかもしれないと言う状況でも。

いかに陸海空自衛隊が精強の軍隊であったところで、
どんな非道な手を使ってでも先手を打ち相手を殺戮する、
ということだけは、戦後の平和しか知らない日本人には無理でしょう。

しかし戦争はスポーツではないのです。

「守りたい人がいる」などと当たり前のことをわざわざキャッチフレーズにしてまで
武装のアリバイをしなくてはいけなくなったわれわれ戦後日本人。
そんな平和の純粋培養で生きてきた日本人に、どんな汚い手を使っても
相手を殺し自分が生きるという戦争が果たしてできるのか?

答えはNOです。

元陸幕長の「勝てない」というのも、結局こういう意味でしょう。
だからこそ、戦争回避というのは何をおいてもなされなければなりません。

ちなみに元陸幕長は、そのために一番大切なことは

「国と国との対話を途切れさせないこと」

で、経済的にすでに相互依存が深まっている現在、
日中間に戦争が起こる可能性は低いけれど、この厄介な隣人と
付き合って行くには軍同士の人事交流は特に有効であり、理想的には
合同で軍事演習をすることができれば、とのことです。
そしてこうもおっしゃっていました。

「自ら姿勢を正し隙を見せないこと」

そしてそれこそが、自衛隊を通じて我が国の護りの力を堅持することで、
総火演とはそれを内外に知らしめるものとなります。
わたしはこの日一日、陸自の実弾演習を見ながら、
前日の元陸幕長のこの言葉をあらためて噛み締めた次第です。 




という話はさておき(笑)、リハーサルは終了。



国の護りを担う陸自隊員たちも和やかに鑑賞しております。
今気づいたのですが、このスタンドからもしかしたら
赤や赤白のヘルメットを被った隊員によって砲員たちに
合図が送られていたのでしょうか。




わたしの前の列、すなわち最前列には、ものすごく気合いの入った
カメラを持参で来ている人が目立ちました。
レンズはシグマです。
でもこの隣に座っていた人はフツーのデジカメでした。



その隣の、背中が見えている人は、あるとき振り向いて

「どっかで聴いたシャッター音だと思ったらNIKON1だった(笑)」

と話しかけて来られました。

「音で分かるんですか!」
「独特の音がするし、かみさんの分も合わせて2台持ってるので」

室内でもちゃんと撮れるし何と言っても軽いから自分も町歩きには
ほとんどNIKON1ばかりになってしまった、とのこと。

今なんとなく調べたらNIKON1は6月に300mm望遠(勿論小さい)が
新発売されていたんですね。 (欲しい)


通路の突き当たりには常時隊員が一人か二人、見張りをしていました。
演習の行われているときには小さな椅子に座ってこちらを見ています。
皆の視線の妨げにならないようにだと思われます。



本番までの間に音楽隊の演奏が行われました。
最初の演奏は中央音楽隊のみの演奏です。
この日の演奏は三回、本番前と前段・後段演習の間、そして
装備品展示の準備をしている間に行われました。



「世界のマーチ」ということで、まずは我が日本国の「君が代行進曲」
に始まり、インバーカーギル(ニュージーランド)ブロックM(アメリカ)
など6曲ほどが演奏されました。

本番に備えて演習場では地面の整備が始まりました。
まずたくさんの散水車が水を巻いてまわります。



戦車や榴弾砲と同じくらいの熱心さで写真を撮るエリス中尉(笑)

ここで何枚も撮ってしまって後段演習のヒトマルが出てきたときには
持ってきた電池が二つとも切れていたと言われている(T_T)



でもわたしにとっては演習も整備も全く同等の、
「ジエイのお仕事」なんだもーん(ぶりつこ)
わたしはほら、武器オタクじゃなくて、自衛隊オタクファンですから。

それにだいたいこんな整地の仕方を見るのも初めてだし。



立って操縦している人はともかく、もう一人は
何のためにここに座っているのか?とか。



あれ?これとさっきの車は同じもの?とか。

これはグレーダといいます。
民生品(これだけ三菱重工製)がそのまま使われています。

一般的にはこの車両をモーターグレーダーと呼びますが、
自衛隊仕様は色をオリーブドラブ色にしているだけの違いです。




これら整地のための装備を操縦している人にも注目してみる。



グラウンドに立って旗を振る係。
彼が腰から下げているのはなんと専門の旗用バッグ!
袋ではなく、旗を差す丸い穴が空いているんですよー。
ちゃんと迷彩柄でこだわっています。



こういう装備こそコマツの独断場・・・?と思ったら、
案外違っていたりするわけで、これも興味深いですね。
酒井重工業はローラーを専門に製作しているメーカーです。



HPを見たついでにこの型番を探してみたのですが(笑)
どこにも見当たらなかったので自衛隊の特注かと思ったら、
どうも民生品に所定の改装を施したものであるようです。

これをロードローラーと称します。



なんと、土が減っているわけでもなさそうなのにダンプで土撒きしてます。
陸自は日頃ここで同じ状況を行うのだと思うのですが、その度に
このような整地を行っているのでしょうか。

まるで野球部が練習前と練習後、グラウンドを清め整地するように。
「スポーツではない」ではないですが、自衛隊はやはり
運動部みたいなところがあるかもしれません。

このような会場の整備を行っているのは、

教育支援施設隊

といって、陸上自衛隊富士教導団の隷下にある部隊です。
ここ、富士学校における学生教育・調査研究支援、またはここ
東富士演習場等の各種整備、工事などを行います。

施設科は道や陣地を作って部隊の前進を支える役目を担いますが、
実は災害派遣には真っ先に出動し、活躍している部隊でもあるのです。


ところで総火演には外国メディアの記者も取材に来ており、
(来てもらわないと困るわよね、そのためにやっているんだから)
元陸幕長のいうところの「論評に値しない」軍隊を持つ国の記者は

日本人が一番好きな富士山を背景に、
自衛隊の攻撃シーンを存分に楽しむようにした訓練で、
戦争できる国・日本に対する心配は見られませんでした。

などという記事を書いています。
「戦争できる国」というのはまるで日本国内の左翼みたいな言い草ですが、
(あっ、ある意味同じ人たちなのか)集団的自衛権も個別自衛権も
もともと全ての国に与えられている権利なんだし、
それが行使できるようになったからといって心配するような人は
そもそもここには来ていないと思うぞ。



最後までうろうろしていたニンジャ。
緑の丘陵に(レンズをつけかえたときに入ったらしい
ゴミが写り込んだ)夏の青空を飛ぶOH−1は実に絵になります。




スタンド席の後ろをこっそり飛ぶニンジャ。
入間の航空祭でお辞儀しているアパッチしか見たことがないと、
ライブリークの鬼畜な(といってもあれが本来の姿)姿などを見て
お花畑日本人としては結構どん引きしてしまったりするわけですが、
ニンジャの場合、国産で戦争を知らず、しかも偵察機。
安心して「萌え」ることができます。

いずれにせよ装備に萌えることができるのは平和の証拠かもしれません。



さて、前段演習が始まりました。
まずはオーロラビジョンで演習場地域の説明です。

中・遠距離火力が狙うのは後ろに位置する番号の付けられた「台」。



機関銃や無反動砲などの近距離火力が狙うのは、
手前にある色の割り振られた部分です。



場所の説明をするのにわざわざスモークを炊いてくれます。
とても親切で分かりやすい説明です。
わたしは写真を撮るのに一生懸命であまり聴いていませんでした。



演習に先立ち、富士学校校長の武内誠一陸将がご臨席。
説明しているのが本日演習の統括者で後ろは副官かな?





黒塗りの車にはえび茶色の桜4つ、防衛副大臣旗が。
なんと予行演習だというのに木原政務官がご臨席です。
防衛大学の観閲式で観閲官だったときお見かけしました。
本番にはもしかしたら防衛大臣が出席したんでしょうか。

演習は富士学校長が陸幕長に準備が整った旨報告し、
陸幕長がさらにそれを政務官に報告することで始まります。



さて、いよいよ前段演習の始まりです。
前段演習は陸上自衛隊の主要装備品の紹介となります。



87式偵察警戒車の後ろから兵員が飛び出してきました。



もう演習は始まっています。




はて、なんだかみたことのない装甲車が。

これは87式砲側弾薬車といいまして、野戦特科が装備します。
自走砲に随伴して弾薬の補給を行うと共に

兵員の輸送を

兵員の輸送を

兵員の輸送を

行うのです。
・・・ということは!

リハのとき、203mm自走式榴弾砲の上に積載超過になっていたあの人たち
本番ではここに乗っているのでは・・・・



と思ったのですが・・、



やっぱりこっちに8人乗ってました(笑)



ちなみにこれがリハのとき。
配置は全く同じですが、本番はお化粧して臨んでいます。
どうもこの部隊では、冒頭の隊員にも見られるような

「右目部分だけを残して左半分だけ斜めにメイクする」

というメイク法が流行っているようです。

「単に右手で斜めに塗ってるだけじゃないのか」

という説もありますね。



203mm榴弾砲部隊の演習はリハで詳しくお話ししたので省略。



99式自走155mm榴弾砲も独自のスタイルで走りつつ
砲撃を始めました。



向こうでFH70が火を噴いております。
この画面にある155mmと203mm榴弾砲とこのFH70の三つを

特科火力

と分類します。



FH−70の引き上げ。
自分で走れるんですね、この榴弾砲。

チャイコフスキーの序曲「1812年」で「楽器」として
使われている映像ばかりを見ていると、この「大砲」が
自走榴弾砲であることをつい忘れてしまいがちですが。
これにはさすがに二人しか乗れないみたいです。



続いて120mm迫撃砲隊。



対人狙撃銃もここで登場します。



迫撃砲もリハーサルで説明したので省略。



機動車から降りてきた兵員がいきなり地面に!



同じ車の反対側にも同じ姿勢で伏せています。



なにやら準備していると思ったら、



二人で無反動砲を扱っています。
一人は狙撃銃を背負っているので、こちらはサブかもしれません。



ちなみにこの少し前、観客の目の前を無反動砲が通りました。



こちらは携帯対戦車弾。
歩兵が携帯する大きさでありながら戦車を破ることができるとは・・・。



観客に見せるためでしょうか、ギリースーツの兵員が
前に立ってみせてくれました。
1月の降下始めのときなら暖かくていいですが、
この8月の演習にこのギリースーツを着て、
しかも銃を持って走り回るのは大変そうです。



きっと夏用とかないだろうし・・・って何心配してるんだ。
かれもメイクは右目残し派ですね。
旧カネボウのクラシエ製品であるこのメイクパレットですが、
やはり汗で流れ落ちないウォータープルーフ仕様だと思われます。

一般的にウォータープルーフは肌に負担をかけるものですが、
本製品は比較的お肌に優しい成分で作られているんですって。



陣地変換となった87式が帰ってきました。
先ほどこのような隊長だか車長だかの写真を挙げて、



ワイルド系でもガテン系でも体育会系でもない、などと書いたのでした。
それは遠回しにらしくないというか秋葉原にいそうというか、
なにしろ自衛隊の隊長っぽくないのではないか、とか、



そんな失礼なことを考えないでもなかったのですが、本番ではこれこの通り。
何が違うってたぶんメイクしか違っていないと思うのですが、
いきなり壮烈鬼隊長みたいな雰囲気になってしまってませんか?

女はメイクで変わるというけど、男も随分変わるものです。




総火演シリーズ、続きます。



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平成26年度富士総合火力演習~人員過積載の榴弾砲

2014-08-30 | 自衛隊

総火演の本番は10時からということになっています。
わたしたちが到着したのは7時だったわけですが、
すでにこのときにはリハーサルは始められていました。
もしかしたら「初弾はマルシチマルマルだ!」(当ブログ過去ログより)
だったのかと思われます。



おそらく近距離火力の標的であろうと思われる敵機動車。
(ジープかな)

こういうのを見ると共産党が発狂しそうですね。
ちなみに共産党は総火演の次の日待ってましたとばかり

「国民の税金4億円が2時間で総火演のために使われた!」

と非難声明を出していましたが、これ、そうなんですか?
総火演にはわたしが知る限りわたしの参加した予行演習日、
別の予行演習日と合計3日が費やされているわけ。

2時間で4億ガー!というといかにも瞬時に消えてなくなった、
という風に刷り込めるのかもしれないけど、これもしかして
じつは、全日程合わせて4億なんじゃ・・・・。

だとしたらむしろ少なすぎないか?

たとえばわたしが先日見に行った大曲の花火大会。
これには一晩で4億近くが費やされているのですよ。
総火演と違うのはこれらはスポンサーと観客から
お金を取って賄われていることなんですが、それじゃ
たとえば入場券を販売したらあなたがた一体何といいますか?

それに、花火大会の2時間と予行本番合わせて3日分の
一国の軍隊の軍事演習実弾発射が同じって・・・・・
これはどう考えても

「こんなに安くで押さえるなんて素晴らしいコスパだ」

と褒めていいくらいだと思うんですけどね。



89式装甲戦闘車

いわゆる歩兵戦闘車です。
1989年制式ということはもう25年経っているわけですが、
これが日本が採用した最初の歩兵戦闘車。

ただ兵員を輸送するに留まらず、強力な火砲を持つ、
というのがこの歩兵戦闘車の一般定義です。



軽装甲機動車というのはちょっとハードユースなハマー、
という感じの歩兵機動車ですが、(でも愛称はラブだったりする)
一応これでちょっとコンビニ行って来る、というのは可能です。

派手なので隊員は嫌がるようですが。

武装はないのですが、このように上部ハッチから乗り出して
機関銃や小銃を据え付け、射撃することができます。



この日の軽装甲機動車からはこのように
84mm無反動砲(カールグスタフ)を構えた隊員が確認されました。

この姿勢で下半身はどうなっているのかというと、
ターレットの下にブランコのようなベルトがあって、
そこに座っているのだそうです。

結構安定が悪そうだけどいくら無反動砲でも大丈夫なのでしょうか。



無反動砲には榴弾、対戦車榴弾、照明弾、発煙弾など
4種類の弾種が運用できます。

本日使用するのは榴弾です。
これは手動で狙いをつけるわけですから、射手の能力が問われそうです。



無反動砲の的は緑に白十字?

おそらく十字の焦点に狙いをつけるのだと思いますが、
そうするとだいたいその後ろに飛ぶわけですね。



地面を砲弾がえぐった瞬間。

これものすごい大きさの穴になってませんか?
対戦車用かなあ・・。



弾着したあとも地面で赤く光っています。

これ・・・燃えてるんだろーか?(ヒロミゴー禁止)



砲撃終わりー。



このラヴの旗が赤なので砲撃待ちと思い、ずっとシャッターを構えていたのですが、




発砲。

シャッターが遅れました。
音が聞こえた瞬間はもう実際には射出された後ですからね。
音を頼りにしていて撮れるわけがないのです。



戦車隊射手の基本スタイル。

ヘルメットに赤カバー、透明の眼鏡(サングラス不可)、
そしてヘッドセット。



陣地変換。

なんか違和感のある眺めだと思ったら砲身を
敵地方向に向けたまま移動していたのでした。



これは96式装輪装甲車?

青ヘルメットは何をする人でしょうか。



203mm自走榴弾砲。

よいこのみんなは、どうして戦車みたいに隊員が中にいないのか分かるかな?

この移動中に皆が上に乗る様子はかっこいいですが、
これは実は榴弾「砲」であって人員輸送のためにできていないので、
乗り込むスペースがないってことなんですね(T_T)

wikiには5人しか乗れない、とありますが、
どう見ても8人は乗っていて過積載状態です。



この榴弾砲は航空機でも運べるように小型に設計されています。

なので、砲撃には13名必要なのに、全員乗れないのです。

通常はあぶれた8名は別の車で一緒に移動するそうですが、
この演習では最初から最小人数で砲撃を行うようです。

木の枠を持って走っている人がいますが、弾薬の枠でしょうか。



いつの間にかブルドーザーのスコップのような部分が降りてきて、

地面に設置されました。
砲撃したとき反動で車両が後ろに下がるのを防ぎます。
これを英語でspade、日本語では駐鋤(ちゅうじょ)といいます。



後ろに手を組んだ隊員が砲手でしょうか。

202mm榴弾砲は砲撃に13人も必要な割には
小さいので弾薬が2発しか携行できないそうです。



青いヘルメットの人は大きな青い旗を広げています。

これはどんな意味があるのでしょうか。
そもそも誰に向かって合図しているのか。



今から弾薬を装填するようです。




尾栓が開いています。

もちろんファインダーをのぞいているときには気づきませんでした。
写真を拡大して初めてわかることも多いです。

昔はこの尾栓が開いたままちゃんと締めずに点火すると、
先日話題になった日向の砲塔爆発みたいな事故になりましたが、
きっと今では締めないと発射できない仕組みになっていると思われます。



これも拡大してみなくてはわかりませんが、左手をハッチにかけて

立っている隊員は右手に砲尾のハッチから繋がった鎖を持っています。
これがチェーンランマ(鎖の装填装置)でしょうか。



作業が終わった隊員は順次不動の姿勢で待っています。




と思ったら155mmの砲身がいきなり火を噴きました。

どこが次に撃つか旗だけでは全然わからないんですけど。



とかなんとか焦っていたらわたしの見ていた榴弾砲が射撃。

間髪入れず赤い旗を取っています。



砲尾のハッチを開いているところ。
ほとんど砲撃が終わった次の瞬間の動作です。



一部アップしてみました。

中から白い煙が噴き出しています。
赤の旗を緑に付け替える作業も瞬時に行います。



車体からアームが降りてきて、その先端に

ネットのようなものに弾薬を入れているようです。



アームが上がって行き、そこから装填されるようです、

弾薬を上と下で受け渡しするのは危ないからってことでいいですか。



二弾目の弾込め完了。



最初に「リハーサルだから空砲に違いない」と書いたのですが、

榴弾砲も迫撃砲も全て実弾でやっています。
ここだけでなく、フィールドに配置された他の榴弾砲からも
次々に発射されるのであたりが曇ってきてこんなになりました。



煙って何をしているかほとんどわかりゃしねえ(笑)


しかし青ヘルが青い旗を片付けているので陣地変換の準備でしょう。



今まで何処にいたのか、いつの間にか11人がいます。

おそらく操縦席に後二人が乗っているものと思われます。



またしても木の枠を持って走っている人が・・。

あまりの速さに画像がブレてしまっています。

しかし、13人の共同作業とは、人出が要りすぎないか?
と思ったら、やはりこの榴弾砲はもう開発国のアメリカでも全て
引退してしまって使われておらず、日本でもそろそろ引退が
ささやかれている型だそうですね。

なんと1956年に開発が始まり、日本でのライセンス生産が始まったのも
83年ということですから、それも当然かと思いますが・・。



でもこの、兵員山積みで走って行く様子が何とも言えず

前時代的な風情があってよろしいじゃないですか。

冒頭写真なんか見てもこういうのかっこいいと思いません?
もし後継型を開発するとしても、今の技術なら13人もの砲員を

必要としなくてもすむようになるんでしょうね。

ただ個人的な好みだけで言わせて頂くと、現実の防衛という点から見て
取りあえず危急を要しない火砲に関しては、一つくらいこういう装備が
残っていてもいいんじゃないかと思います。

個人的な好みで武器を語るなと言われそうですが。



続きます。





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リバティシップ「ジェレマイア・オブライエン」~居住区

2014-08-28 | 軍艦

サンフランシスコは全体が半島になっていて、その半島から二つの大きな橋、
ベイブリッジとゴールデンゲートブリッジが出ています。

ゴールデンゲートブリッジは先日見学して今シリーズ連載中の

「パシフィックコースト航空博物館」のあるサンタローザやナパ、
ベイブリッジは去年見学した(まだ見学記は続いているといわれている)
空母ホーネットのあるアラメダやバークレー大学のあるオークランドに繋がります。

実質橋を渡らないと北にも東にも行けないわけで、従って
週末にもなると一斉に半島から外に出ようとする車がひしめき、
ブリッジに乗ることすら容易ではない渋滞を引き起こします。

有名なアルカトラズ島は、サンフランシスコの北に位置します。

ここにあった刑務所からの脱獄が公式には一度も成功していないのは、
この辺り特有の夏でも寒い気候と海流の強さ。

刑務所では当時にしては珍しく囚人に温水シャワーが許されましたが、
その理由というのは、温水に体を慣らされた囚人が
冷たい海を泳いでまで逃げようとする意欲を奪う目的もあったとか。

刑務所が廃止になって以来、ここはそれでも逃げようとした
勇気ある囚人たち()の物語も込みで人気の観光スポットとなっています。

フィッシャーマンズワーフのお土産店には、黒白縞柄や
「アルカトラズ・スイミングクラブ」などと書かれたTシャツが買えます。

さて、前回に続き、ここフィッシャーマンズワーフの埠頭に
停泊して稼働可能なまま歴史博物館となっているリバティシップ、
「ジェレマイア・オブライエン」のラッタルを登ったところからです。

 

いきなりトイレかいっ!

と思われた方、わたしもそう思いましたが、
なぜかラッタルを登って最初にあるのがトイレです。
右はシャワーブース。
今気づいたのですが、コンパートメントに扉無し。
用を足している間隣の人に見られる心配はありませんが、
その代わり後から入ってきた人には普通に見られるという・・。

これも「フルメタルジャケット」みたいな、つまり

「用足しを見られて恥ずかしいなどという平時の感覚」

はこの非常時にお呼びでねえ!ということでこうなったのでしょうか。

 

続いて乗員の居室。


おそらくベッドの数の少なさから見てこれは士官室ではないかと
思われるのですが、それにしても何だか・・・。

ベッドに置かれているジャケットといい、ロッカーといい、
なんだか今でも普通に使われているような気配が。

「動的展示」が売り物のJOですが、ボランティアの居室も
そのまま「動的に」展示しているように見受けられます。



かなり広い居室。
士官たちの食堂であったようです。
ここも普通に使われているらしく、薄型液晶テレビが設置済み。



黒々とした旧型の扇風機はそのままです。
というかここに停泊している限りクーラーはいりません。



おそらく艦長の個室。
ペーパータオルはセットされているし、ジャケットも掛けてあり、
手前にはバスタオルまで見えます。
実際に使っているのなら公開はせず鍵を閉めておきそうなものですが。



ついさっきまでここでお昼ごはんを食べていたような気配のするダイニング。
テーブルの上には調味料セットもございます。



ランチに使ったサンドイッチパンとホットドッグバン、

チップスアホイをデザートにした模様。

今夜のお夜食用に、日清のカップヌードルビーフ味も装備。
この雑然とした感じが動的でいいですね。
なんでも、週何日かはボランティアたちはここで食事を取るのだそうです。

こうやって「使い続ける」ことがこの船を生かすことでもあると
考えているのでしょうか。

電気冷蔵庫などの電気はジェネレーターから取っているそうです。



棚には本が並んでいます。
テーブルの縁が落下防止のため高くなっているのに注意。



ここには完全個室のトイレが。

全体的にやたらトイレの多い船だと思いました。



この生活感あふれる居室を見よ。
しかしどうしてこれを人目にさらすかな。



チーフエンジニアの個室。
電話の形が・・・。
Wi-Fiは使用できないのでしょうか。



いざとなったときに脱出用に壁やドアを叩き割る斧。

この映画はエンジン部分が映画「タイタニック」のCG素材に使われましたが、

あの映画で、ローズが地下で拘束されているジャックの手錠を
これで見事ジムに傷一つ付けず切断したのを思い出しました。


結局死ぬんですけどね。ジャック。
どうでもいい話ですが、あのとき、体脂肪の多そうなローズが
ジャックに板の上を譲っていたらおそらく両方助かったに違いないのに・・。



という話はともかく。

この部屋はきれいに片付いていて、置かれているものも
演出っぽい感じでした。



通信室。
もちろんいまも「モースコード」が生きています。
ここからDーDAYのときにも通信が行われました。
全く同じ通信器を使って・・。

先ほどタイタニックの話が出ましたが、タイタニック号の救難信号が

カリフォルニア号に届くのが遅れたのは、通信士がそのとき
ベッドに引き揚げてしまったからだといわれています。

これを受けて、全ての船舶にはオートアラームがインストールされ、
万が一のときには通信士のベッドルームにそれが鳴り響くことになりました。
JOにもそれが装備されています。

赤いものはなぜか膨らんだ状態のライフジャケットです。



チャートルーム。
樽のように見えるのは1915年に発明されたジャイロコンパスです。
シンプルに「北を探す」タイプの磁石で、鉄の影響を受けません。



操舵室。
舵輪がオールドファッションです。
ここの小さい窓からは殆ど外が見えないのですが、操艦というのは
外を見ながらするものではないということでしょうか。

右側は羅針盤。



気になった床。
なんと組木の格子です。
水はけを良くするための仕様でしょうが、
それにしてもなんだってこんなに手間のかかることを・・。



これは洗濯機ではありません。
舵輪の動きを伝達する機構がここに収められています。
折りたたみ椅子の前にあるのは速度を代えるギア(っていうのかな)。


次回はタイタニックで稼働しているところが素材として使われた
エンジンのある機械室についてお話しします。 


 

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平成26年度富士総合火力演習~迫撃砲の撃ち方

2014-08-27 | 自衛隊

先週行われた総火演の予行演習に参加しました。
前日の夜から御殿場にホテルを取り、朝の6時に状況開始したおかげで
二列目の通路側という願ってもない位置に座ることができ、撮影開始。



10時から予行演習の本番が始まるのですが、会場では

すでに予行演習のリハーサルが行われていました。
ってややこしいな。
つまりこの日の予行演習です。

このリハーサルが装備品の紹介演習なのか、それとも後半の
島嶼部に対する攻撃への対応を想定した演習のためなのか、
それは分かりませんでした。

87式偵察警戒車が三台敵の方向を向いていますが、
なんと、外側に隊員が出て不思議な姿勢を取っています。



アップにしてみました。

90式戦車は、砲塔から外に顔を出して攻撃目標を確認する、
ということを知ったばかりのわたしが想像するに(笑)、
87式という制式からも窺い知れる通りこの偵察車には
ハイテクサーチシステムやモニターがないため、おそらく
こうやってハッチの中の人に偵察内容を伝えるのではないでしょうか。

さらに調べたところ、87式偵察警戒車、通称RCVには、

車長、砲手、操縦士、前部偵察員の席の上面に各々専用のハッチがある

とのこと。
つまり、この隊員は前部偵察員で、機関砲の砲手に
現場の状況を伝えているのだと思われます。

しかし実戦でこの態勢を取るのは怖そうだな(笑)



先ほどまで前方にいた90式戦車がバックしてきました。
撃ち終わって陣地交換です。
前進のときには出ない黒煙がもうもうと上がります。



ローマ数字で「III」とあるのは、おそらくこの部隊が


戦車教導隊3中隊

であるからだと思われます。 



87式偵察警戒車ですが、ここから見ても
ハッチが二つ開けられているのに注意。
一つは偵察員用、一つは砲手用と見た。
さすがに移動中は上に乗りません。当たり前か。

正面の斜面や段に見えているマークは、
それぞれが後半の演習で実弾をぶっ放す仮想敵陣地です。
さすがにリハーサルでは実弾ではなく空砲であると思われます。



えーと・・・・この地味なジープはなにゆえに?
と思ったら、中から一人降りてきました。



走ってRCVに乗りました。
人員調整?



続いて偵察隊のリハが始まりました。
偵察用オートバイ、通称オートの偵察部隊登場。



参加人数は6名くらいだっけ?
おそらく隊員の中でも技能に優れた選抜メンバーに違いありません。



整列の合間に一瞬私語をかわしたところを撮ってやったわ(勝ち誇り)
口元を迷彩のスカーフで(暑いのに)隠しているので一見分かりませんが。



おそらくこれがオート隊隊長。
(左腕のマークから判断)

「野郎ども!いくぜいっ!」



「へい隊長ガッテンでいっ!」



一人ずつわたしの目の前のバンプをジャンプするのですが、
なかなか撮影のタイミングが合いません(T_T)
なぜ連写モードに切り替えなかったわたし?



辛うじて写っていた中で乗り手の姿勢が一番良かったもの。



全部映ったけど姿勢は上の写真の方がいいかな。

わあああ撮れない!また失敗!連写にしなきゃ!
とやっている間に終わってしまいましたorz



おつぎは96式装輪装甲車。
先日見学した広報館「りっくんランド」の庭にあった
イラク派遣のために日の丸が描かれていた、あれです。

さっきの偵察車とはホイールの数が2つ違います。
隊長らしき人がハッチから出たと思ったら、
右型のハッチが開きました。



もう一人出てきました。
右前側のハッチは操縦士で、左は車長兼分隊長であろうと思われます。
隊長は眼鏡をかけて髭を生やしているように見えたのですが
拡大したら眼鏡は透明のゴーグル(飛散物防止)、髭はインカムでした。



リハーサルですが96式は実際に砲撃をしていました。
ドンパチやって的が壊れたりしない装備は実弾でやっていたようです。
96式の武装は二種類ありますが、いま飛翔しているのは

96式40mm自動擲弾銃

の銃弾ではないかと思われます。
もう一つの武器

12.7mm重機関銃M2

とともに、社内からの遠隔操作、あるいは乗員が車外へ身を乗り出し
直接操作を行うことができます。


96式の後ろのドアが開いています。
96式装輪装甲車の第一目的は兵員輸送。
1台で輸送できる兵員数はフル装備の場合で10名、装備なしで12名。

赤や青のカバーをつけたヘルメットの戦闘員たちは
後ろのドアから走り出てきて状況を行います。



96式の中が見えるので拡大してみました。
決して狭くはありませんが、ここに12人はきつそうだなあ。
きっとエアコンもないだろうし(笑)



このときはリハーサルで何の説明もなかったのですが、

おそらくこれは発煙弾が撃ち込まれたのではないかと。

発煙弾(smoke grenade dischargers)は文字通り煙幕を張って
敵の視界を遮るものですが、この状況で発煙弾が撃たれたわけは、

随伴歩兵の進撃を援護するという意味があるのかと思われます。



掩護射撃を請け負う兵員と、銃を構え走る兵員。

彼らは81mm迫撃砲隊です。



81mm迫撃砲が撃ち込まれました。


爆発のさまを

「終わったな・・・」
「ああ・・」

といった感じで眺める隊長と操縦員。(違うと思う)



戦闘が終わり引き揚げます。

後ろのドアはステップになり、乗り込むときに便利。



終わった♪ 終わった♪

と引き揚げてくる96の隊長さんをアップ。



何もこんな大きくしなくとも・・・。

というか、隊長さん、ちょっと意外なタイプじゃありません?
戦車隊の隊長ったら、もっと獰猛な、いやなんというか
ワイルド系orガテン系or体育会系あるいはその全部、
ってイメージがあるんですが、そのどれでもないという・・。



81mm迫撃砲の陣地変換。

でもこんな無防備な車、戦地で大丈夫なのか。



迫撃砲を牽引する車も無防備といえば無防備です。
しかし迫撃砲は火力の種類としては中距離火力に属する武器で、

96式装輪装甲車などよりずっと遠くを攻撃することができます。
装甲がなくても大丈夫という設定なのだと思われます。



81mmに続いて120mm迫撃砲隊。

何となく連続写真を撮ったので

「誰にもわかる!迫撃砲の組み立てから発射まで」

まずは牽引してきた迫撃砲を車から外します。
重いので全員で協力して作業をしましょう。



ちなみに青い頭の人は旗を揚げて合図を送る係、

赤い頭の人は砲手です。
この砲手が迫撃砲を直接撃ちます。

敵陣に向けて最適な場所に動かし、セットします。



砲手を入れて5人一組で操作を行いましょう。




砲身を適度な角度に上げ、本体を固定します。

青頭の人が作業の過程を見ていますし、後ろのジープから偉い人が
見張っているので真面目にやりましょう。



3人がセッティングを続ける間に、砲手ともう一人が

右の兵員が車から出して地面に置いた木箱を取りに走ります。
このなかには迫撃砲弾が入っています。

迫撃砲弾は120mmで約18キロから20キロくらいの重さです。
これは、兵士一人で装填できる限界の大きさだと言われています。



なぜ後ろ向きの隊員が脚を掛けているのかは分かりません。

向こうの隊員は砲口に付けられた鎖のついたストッパーを外し、
右の隊員は手回しハンドルで旋回俯仰を行っているようです。

誰一人として何かしていない兵員はいません。当たり前か。



砲手がまず箱から砲弾を出します。

その間も二人の隊員が車から予備の砲弾箱を降ろします。

ちなみにこの迫撃砲を扱っているのは

普通科連隊の重迫撃砲中隊

です。



シェルが出てきました。

この黒い筒に迫撃砲が入っています。
重いので取り扱いには十分注意しましょう。




迫撃砲弾は信管が組み込まれた弾頭部分を分けた状態で輸送し、

装填直前に装着して使います。

青ヘルの右側のガタイのいい兵員はその作業をしています。




弾薬の準備が整う前に、赤ヘルの砲手が砲の前に直立します。




青ヘルがまず手を挙げて合図します。


「いまから迫撃砲撃ちま~す」



砲の向こうに回って迫撃砲弾を装填しましょう。

青ヘルはこのとき「いまから砲撃」の赤い旗を上げます。



迫撃砲弾の部分アップ。
これだけで18キロって・・。
この段階では信管が装着されているので、万が一落としたら

・・・・・・・どうなるんですかね?

やっぱり爆発する?



砲身に迫撃砲弾が埋まるように慎重に行います。
砲身の内側にはライフリングという螺旋状の切り込みがあり、
砲弾面にはこれと噛み合わせるための突起が刻まれています。



砲撃の次の瞬間。

砲手はもうすでに起立の姿勢に戻っています。
砲の周りには熱による空気の歪みが・・・。

迫撃砲の場合はあまり耳にダメージはないのか、だれも
耳を保護するような装備はつけていません。

ただ、砲弾を装填する兵員は、いくら砲身が殆ど上を向いているといっても
発射される側に立っているわけですから何かあったら危険ですね。



装填と砲撃は二発行われました。




すぐ迫撃砲のお片づけをして迅速な陣地変換に備えましょう。
ストッパーをはめ、砲を元通りに寝かせ、
砲弾の入っていた木箱を車に乗せます。



そして砲身を機動車の後ろに牽引できるように連結し、
陣地変換となります。

よくできました 



平成26年度富士総合火力演習、リハーサルまだまだ続きます。





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大曲花火大会~「秋田讃歌」

2014-08-26 | お出かけ

どっこい一回では終わらない大曲花火大会報告。
当日わたしは始まる前にお弁当を食べ終わり、
カメラの設定をすませて本番を迎え、始まったらほとんど
飲まず食わずでファインダーとモニターを覗きながら、そして、
実際にこの目で花火を見るのに忙しくあっという間に終わってしまいました。


そして、後半になればなるほどシャッターハイになってきて
アドレナリン出っぱなしの状態でした。
ただ見るのも勿論楽しいですが、写真を撮っていた人はおそらく
皆わたしと同じような興奮を感じていたことと思います。



帰りの大曲駅で見かけたいわゆる「撮り鉄」たち。
近くで世界的な花火大会が行われていたのにもかかわらず
こちらにはまったく興味を示さず、電車だけを撮りにきております。

電車を撮るために子供を恫喝したり桜の木を切ったり、
とにかく写真を撮るためにならどんなことでもやってのける集団として
最近何かと評判が悪い撮り鉄さん。

しかし一度だけのシャッターチャンスを逃すまいとカメラを構えたとき、
なぜか伴う重度の強迫観念
人をして非常識な言動にも駆り立て得る、
というこの現象に関しては、撮り直しや練習のできない
花火や、
自衛隊イベントの写真を撮った経験が一度でもある者には
理解できなくもありません。

共感はしませんが。 






このあたりになってくると、シャッターを開ける時間を微妙にずらし、
プログラムの合間に効果を確かめる余裕すら出てきました。
こうなってくるともう強迫観念というよりはむしろ陶酔の域です。

のんびり寝転んで好き勝手いいながら空を眺める、
などという本来の花火を観る楽しみとは全くかけ離れてはいますが。



くまさんの形。

本来「花火は丸いもの」でした。
丸くない花火を採用することによって「創造花火」の緒を作った
有名な花火師の佐藤勲氏がこういう流れを編み出したのは
ひとえに「いままでの通例に対する反抗心」であったとか。

「創造花火」は大曲の花火大会を通して初めて生まれたものであり、
この言葉は大会の代名詞でもあります。

そんな創造花火の技の一つがこの「型物」。
この会社は、
「動物いっぱいの森へ」というタイトルでいろんな動物を登場させました。



パンダ。



アヒル。



牛。



ぶた。
こうやって写真に撮るとわりとしょうもない(失礼)感じですが、
実際に浮かび上がる型物を見るのは本当に楽しく、
観客はおおいに湧いていました。

しかしこういうプログラムが優勝できるかというと、
・・・・・できなかったみたいですね。



この日の最も大きなプログラムは大会提供花火といって、
協議に出演した業者からいろんな「目玉花火」を提供してもらい、
ひとつの大きな作品にちりばめるという趣向です。
この日のテーマは「ボレロ」でした。


(1分20秒からどうぞ)
このときの写真もいくつかありますが、後半になると花火が派手すぎて
写真を撮っても全く訳が分からないものになってしまいます。

わたしもボレロは後半写真を撮ることをあきらめ、
その分自分の目でしっかりと観ることができました。







おそらくシャッターを押すときのブレだと思うのですが、

ちょっと面白いので。



ここからはフィナーレに上がった10号割物の30連発から、

綺麗に撮れたものを。














去年もありましたが、陰影を付けるように

右半分が濃い色になっている玉があります。
よく見るとグラデーションになっていて、
実に良く考えられているものだと思います。













ピースマークが花と一緒に何度も登場したプログラム。

目がつり目の「エイジアンピースマーク」です(笑)



これもよく見ると右下にピースマークが。




さて、というわけで花火終了。

わたしたちのグループは、主催者がずっと片手で掲げるランプを
目印に着いて行きます。
ところで、この日参加したのは総勢9人の団体。
初対面の方が多かったのですが、皆さんと挨拶をし、世間話などをしているうちに、
そのうちの一人である某輸入食品会社の方が

ある海軍中将の孫

であることが判明しました。
誰でも知っているという名前ではありませんが、大隅人事について
調べたことのあるわたしには十分覚えのあるその名前。
それを聞いたとたんわたしが激しく反応したのでその方も驚き、

「女の方でそこまでご存知だとは驚きですなあ。
僕鳥肌が立ってしまいましたよ」

と言われてしまいました。
残念ながら花火大会の間はお話も叶わず、
そもそもその海軍中将個人については、米国駐在武官であった、
ということくらいしか知識がなかったので特に話が弾んだ
というほどではありませんでしたが、そのとき

「秋山真之中将も米国駐在武官でしたね」

というと、

「ああ、よく秋山さんの話はしてましたな」

とおっしゃっていました。
そのうちお話をうかがえる機会があればいいですが。



新幹線の時間待ちをするために立ち寄った花火センター。

ここに大会のポスターが貼ってありましたが、
この写真と比べてもわたしが撮ったのは悪くないと思いません?

素人のわたしより優れている点はシャッタースピードが気持ち長いため、
先がすこし枝垂れていて違う色が出現していることです。



花火の玉が飾ってあります。

これらを筒に詰めて打ち上げるわけです。



20号玉の断面図。

これがはじけると円になり、層ができるわけですね。
この火薬の玉をどう並べるかが創造のしどころです。
赤い紐は導火線でしょう。




待っている間、大曲名物「ババヘラアイス」を主催者さんが買ってきてくれたので
皆でお茶を飲みながら頂きました。

ババヘラとは「ババがヘラで盛りつけてくれるアイス」の意。
名付け親は大曲の高校生だそうです。
ババの腕とか気分とかで形がおおいに変わるそうですが、
基本的には薔薇の形になるように盛りつけるとか。

シャーベットなのであっという間に溶けてきます。
3分以内に食べられなければ負け。なアイス。

ちなみに味ですが、美味しいかとかまずいとか、そういう評価を
あえてするべきではない、とわたしは思いました。



この日の臨時増発にはこんな名前がついています。




こちらは奥羽本線、男鹿線の臨時列車。



ところで、2年前のこの大曲花火のエントリで

「舞い上がれーおおまがりー」

という歌をわたしがいっぺん聞いて覚えてしまった、
という話を
したことがありますが、これは大曲花火大会のテーマソングで、
津雲優という秋田出身のシンガーソングライターが作曲したものでした。

この津雲さんは、なんと2年前に60歳でお亡くなりになったそうです。
2年前の花火大会のときにはまだご健在だったようですが。


この曲と「秋田県民歌」を盛り込んだ「いざないの街」は
花火のフィナーレにも使われていたということも分かったのですが、
この「秋田県民歌」が、いいんですよ。

わたしはババヘラアイスのところで売っているのを見つけ、

この「秋田讃歌II」というCDを思わず買ってしまいました(笑)


ちょっと古めかしい感じがするけど格調高いメロディは一体誰が?
と調べたところ、なんと作曲者は成田為三。


「浜辺の歌」「赤い鳥ことり」「かなりや」

などを作曲した大御所が、昭和5年に作ったものだと知りました。
秋田県民は制定以来この曲を愛唱していて、現在でも
カラオケで歌ったりする秋田出身者は少なくないという話です。
(ソースは秋田在住の主宰者)


メロディに負けず劣らず

「見渡す廣野は渺茫霞み」
「久遠に輝く北斗と高く」


などという歌詞も格調高く、3番には戊辰戦争なども盛り込まれ
実に盛りだくさんな県民歌です。

最後には大曲の花火も登場する、
観光案内の映像とともに一度聴いてみて下さい。




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2014年大曲花火大会

2014-08-25 | お出かけ

我が家の恒例行事となった秋田県大曲の花火大会に行きました。
アメリカから帰国して一日を置き陸自の総火演、次の日には
元陸幕長の職場訪問、そして週末には花火大会。


忙しいわー寝てないから辛いわーと(元ネタ知りません)
自慢をする気はありませんが、時差ボケや急激な環境の変化も伴い
まさに怒濤の一週間でございました。

総火演シリーズの幕が切って落とされたばかりですが、
取りあえず週末のこの花火大会についてご報告です。

昨年のこの大曲花火大会エントリは、大会2週間くらい前から
大量の閲覧数が毎日上がってきていました。
それもこれも出発の飛行機に乗り遅れた失敗談、
さらには驟雨に襲われたことからの反省点を盛り込み
「教訓付き」としたせいだと思います(笑)



今年もどうなることやら、と一抹の不安を覚えつつ、

当日の朝を迎えました(わりと本当)

朝焼けがきれいだったのでカメラのテストを兼ねて一枚。

花火の撮影は特殊なので、設定始め注意事項、コツなど、
一年経ってさっぱり脳内から消え失せたそれらの情報を
もう一度確認するだけで前日まる一日かかりました(笑)

レリーズやリモコン機能を使って撮ればよい、というのを読んで
前日にはそのリモコンボタンをアメリカからの荷物の中を全て点検し
探し出すことに3時間費やしたり・・・orz

全てを付け焼き刃で乗り切り、事が終われば速やかに忘れ去る、
という場当たり主義も少し考えものですね。



秋田行きと沖縄行きが早くも満席になっています。
搭乗した便に乗っていた殆どは花火客だったのではないでしょうか。


さて、当ブログを2年前から読んで下さっている方は、
この行事に参加した我が家が2年連続で羽田に定刻に到着できず、
いずれもわたし一人が家族に遅れて現地に到着した、ということを

もしかしたら覚えておられるでしょうか。

さすがに今年同じ轍を二度踏んで三度目を繰り返すわけにはいきません。
いくらそれがブログネタになるといっても物事には限度があります。


そこで万全を期すためわたしたちは駐車サービスを利用する事にしました。


これは、出発の前の時間を指定し、業者に到着デッキまで
車を取りにきてもらい、次の日到着したら持ってきてもらうという
繁忙期の空港利用で酷い目に遭ったことのある人には願ってもないシステムで、
しかも一泊駐車場に停めておく値段とそう変わりない料金設定。

駐車場で空きスペースを探してぐるぐる走り回り、やっと停めた場所から
重い荷物を持って移動せずにすむだけでもありがたいサービスです。


このサービスをする会社のHPを貼っておきますね。


ドリームパーキング

わたしたちは余裕を見て出発時刻の1時間半前に業者に車を渡し、
初めて無事に3人揃って飛行機に乗ることができました。

「なんだか順調すぎて・・・怖い(笑)」
「なんか忘れ物とかしてない?心配になってきた」

参加開始以来波乱続きだったので、「幸せすぎて怖い」状態。



しかしながら何事も起こらず、怖がっているうちに無事に秋田に到着。
ホテルに早めに投宿し、駅ビルにある主催者おススメの比内地鶏のお店で、
美味しい親子丼に舌鼓を打つという余裕まで。



しかもホテルの部屋で集合時間の4時まで仮眠を取り、

体調を整えて出動、という余裕ぶり。

余裕がありすぎて怖い。


待ち合わせ場所の秋田駅には早く到着しました。
駅構内で見つけた、秋田の有名なお祭りである竿燈まつり

提灯がたくさんついた巨大な竿を持つ技が描かれた看板。


わたしたちがアメリカにいる間、TOはこれに行ってきたそうですが、
練り歩く団体の中でひときわ目立っていたのが自衛隊チームで、
何が違うというと、ただ歩いているだけなのに

全員動きに異常にキレがあり見事に統制が取れていた

ということでした。
お祭りといえばねぶた祭りにもTOは誘われて行ったそうですが、
自衛隊のねぶたを見せてもらったところ、それは
どう見ても明治時代の兵隊さんを象っていて、わたしが

「これって・・・青森第5連隊じゃないの?八甲田山の」
「あ・・・」(絶句)

ということがありました。
映画「八甲田山」にも遭難者の記憶のなかにねぶたが登場しましたが、
青森の自衛隊ですからねぶたに慰霊の意を込めるのかもしれません。



新幹線で大曲まで移動します。

車窓からは米どころらしく見渡す限り田んぼが広がり、
一羽の白鷺が飛び立っていました。



大曲に到着。

乗ってきた新幹線「こまち」。



大曲の駅から会場の河原までは約30分歩きます。

途中まではタクシーに乗ることも出来ますが、
交通規制されているところまでです。

去年わたしは日が暮れてから到着したので涼しかったのですが、
一昨年は強烈な太陽と不快な湿度に耐えながら歩いた記憶があり、
この日の涼しさは大変ありがたかったです。



途中で花火が行われる河原に流れる川の橋をわたります。




途中の酒屋さんで飲み物をまとめて購入。

最初から持つと重たいので、できるだけ会場の近くで冷たいのを買います。

酒屋さんの奥にあるサントリーの(動いてない)時計つきポスターは
もしかして、サミー・デイビスJr.?(しかも若い)



共産党や社民党のポスターもそこそこ見ましたが、
このお宅は熱心な自民党支持、しかも粋な(笑)ポーズを取る
安倍総理のカレンダーが・・・。
というか、こんなもの作っているのか自民党・・。 



もしかしたら築100年?という倉や民家がちらほら。



会場到着前から昼花火の音が聞こえていましたが、
着いたころには終わりかけていました。 



席についてまずパノラマで会場を撮影。




桟敷席は一マスいくらで購入しますが、毎年

あっという間に売り切れてしまうそうです。
わたしたちをご招待して下さるのが提供花火のスポンサーで、
こういう企業には優先的にマスが確保されます、

枡席もその周りの野外席も買えない見学者は、下手すると
何日も前から河原にテントを張って場所を確保する人もいるそうです。




2年前は早く来て昼花火もフルで観ましたが、暑い割に

あまり面白くないので主催者の方が去年からやめました。



昼花火は煙を観るようなもので
せいぜいこんな感じ。

指定された枡席に陣取り、一マスを家族3人にもらって、
そこにゆったりと荷物を置きカメラをセットして待ちます。

始まる前にお手洗いに行こうとしたらものすごい列で、
わたしは仕方なく会場を出たところにある仮設トイレまで出ました。
おかげであまり待たずにすんだのですが、帰り道に
枡席のIDパスが首から無くなっているのに気づきましたorz
おかげで再入場するのに苦労しました。


(教訓)
枡席の方、会場を出るときパスは必ず衣服の中に仕舞いましょう。
それから、トイレには普通のティッシュと除菌濡れティッシュを持って行くように。


自衛隊の仮設トイレのような至れり尽くせりの設備ではありませんから、
出た後手を洗うこともできません。(わたしは万全の体制でしたが)




取りあえず2014年度大曲花火大会の始まり始まり~。
まずは皆のシルエットを入れて適当に撮ってみました。

続いて真剣に撮った花火画像をどうぞ。



こういう形に上がる花火を「芯入り割物」といいます。
この花火大会は花火師たちのコンペティションなので、
最初にこの芯入り割物、4層以上の円を描くものが上げられます。

これはよく見ると赤の部分に乱れがありますね。




続いて「自由玉」というのを上げます。

芯入り割物と重複しない自由なものをもう一発上げます。






微妙な色に挑戦した花火もあります。



こういう一斉に小さな花が咲くタイプを千輪といいます。

ちゃんと茎も表現されているものが多い。



煙が綿毛のように糸を引くタイプもあります。
こういうものはだいたい規定の後に続く「創造花火」に
プログラムとして組み込まれます。



点数を付けるにはいい花火の基準があるのですが、

この菊と呼ばれる割物は、まず均整の取れた真円であること。

それで言うと少しこれは中心が歪ですか。

シャッターを押すタイミングも少しの差で開き方が変わってきます。
これは少しだけ早かったかもしれません。



創造花火にはテーマがあります。
これは「ブリリアントカットダイヤモンド」という演技に現れた
四角い花火。



層が三つなので「三重芯変化菊」




ブルーグレーの色が花火で表わせるとは。




これも「千輪」です。




今年はバルブ撮影、露出はF13~16でやってみました。

バルブとはボタンを押している間シャッターが開く機能のことです。
勿論マニュアルモードでISO感度は160。(これより低くならないNIKON1(T_T))
前日苦労して探し出したリモコンですが、電池を替えたのに
作動が不正確で、しかも処理に時間がかかるため(なんで?)
全く役に立たないことが早々にわかり、結局手動で全部乗り切りました。 
来年はレリーズを購入して行こうかと思ってます。行くならですが。



創造花火では速射連発で打ち上げるものが多く、

一つの意匠に他の花が重なってきたりします。

こういうのは、いくつもの花火玉を何十本もの筒に装填し、
導火線によって打ち上げるのです。



創造花火で「氷上のプリンス~決めろ四回転~」

というタイトルのチームがありました。
これは間違いなく浅田真央ちゃんのことだと思うのですが、
「四回転」はこの煙がクルクルと螺旋を描くことで表現していました。



こういう何かを形作るものは「型物」といいます。

文字や星型、ひまわり、蝶、魚、スマイルマーク、
最近ではキャラクターなどもあり平面や立体構造で表わされます。

これは円の中のハート形。



並んだ小輪の花も定番です。




火花が星のように光って露を表現しています(たぶん)




いくつかのチームが必ずおこなうのがナイアガラ。

滝のように空から光の筋がなだれ落ちてきて壮観です。





小さな花が散って行く様子を表わすことも多いですが、

その表情を表現するのも腕の見せ所です。



これは大変お上手な彼岸花。




大変お上手な四重芯菊もの。

わたしがもう少しシャッターを空ける時間が長ければ
花弁の先端に光の変化ができてもっと綺麗だったのですが。

でも本当に花火の写真は難しいです。

 

綿毛のような尾をひくものを「綿菊」というそうですが、
横向きの花を表現したものもありました。 









一つ一つの線が玉のなかに組み込まれている火薬です。

この辺りになって来るとわたしも要領が分かってきて、
かなり的中率が上がってきました。



百発百中、とは言いませんが、少なくとも

規定の花火はほぼ逃すことなく撮れるようになってきます。

花火は練習ができないので、たいてい最初のほうのは
失敗が多くなってしまいます。



玉の中から光が「生えてきた」感じでこういうのは面白いですが、




これなどはもう一息広がりが欲しいところです。

バルブ撮影したのがなにぶん初めてだったので、この辺は課題です。



しかし、こういう花ものは合格かな。




 

すごいなあとおもったのがこれ。

正面から見たところと、横向きの花の組み合わせ。



小花は開いたと思ったらすぐに散りながら光を急激に失うので

シャッターを押すのが遅いとこうなってしまいます。






茎を表現したものはたくさんありますが、ここは葉を付けています。




何を表わそうとしているかは分かりませぬが・・。





下の方の光が何本かたちのぼっていきます。




三脚を立ててブレがないように撮影しましたが、
時々光の筋がこのように震えることもあります。


さて、日本の花火というと世界一との賞賛をほしいままにしていますが、
その中でも特別といわれるこの大曲花火の中興の祖である花火師が、
まだベルリンの壁があった時代、ドイツに行って花火を上げています。

西ベルリン市で行われる花火大会のその前日、彼は
記者会見でこう言いました。

「ベルリンは地上に壁があるが空に壁はない。
日本の花火は何処から観ても同じように見えるので、
西の方も東の方も楽しんで観て下さい」

この言葉を次の日ベルリンの全ての新聞がトップ記事にし、
そのため当日の観客は150万人を超したということです。





コンペティション花火のあいだにスポンサー花火といわれる

企業団体がお金を出して上げさせるプログラムは
花火師たちの腕の見せ所。

ふんだんに火薬も使えるので皆張り切ります。
前にも書いたことがありますが、こういうときに企業は
一つのプログラムに対しだいたい300万円前後をスポンサードします。
わずか数分で消え去り跡形も残らない花火に何百万円。

しかし、瞬間何百万もの人々の目をひき、心を奪い、賞賛を集め、
ついでにスポンサーの名前にも注目が集まります。

思うにこの世で最も粋なお金の「燃やし方」ではないでしょうか。






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テスラ

2014-08-24 | アメリカ

もうすぐ帰国なので今年アップル本社のストアに行ってきました。



気のせいか去年、一昨年よりも観光客が増えている気がします。
スティーブジョブズの像でも出来ているかと思いましたが
外には何も代わりはありませんでした。

ここの住所はインフィニティ1といいます。



ここに立って写真を撮るためにわざわざ造られたモニュメント。
ですが、今回は誰もやっていませんでした。

アップルとしても物見遊山の客のためにわざわざ
サービスしようと言う気はそこまでないらしく、
この直営ストアは平日の6時までしか営業していません。



こういうロゴも、社内で考えたものを製品化して
背中にリンゴを付けて売っていますが、
アップルの巧いところは、このロゴグッズを

ここでしか売らない

ということです。
ここで売っているTシャツ、マグカップ、ペン、などのロゴグッズを
中国で大量生産させ、世界中のアップルストアに置いたなら
さぞかし売れると思うのですが、アップルに取ってこの物販は
あくまでも「わざわざここに来たという記念」にしてもらうためで、
それによって儲けようとかは全く考えていないのでしょう。

この三枚は息子のために買った「今年バージョン」ですが、
真ん中のシャツには

I left my heart Cupatino.

と書いてあります。
クパチーノに来た、という記念ですね。
ついでに残りの二つは

"
Siri, remind me not to wash this with whites."
「Siri、これを白い物と一緒に洗わないように思い出させてね」

"Degined by Apple in California"

以前のに比べるとTシャツの文句がいい加減になった気がします(笑)



パソコン用のバックパックを息子の学校用に購入。
色がかっこいいので喜んでいました。

 

夏の間ここロスアルトスで過ごすようになって三度目になります。

最初の夏、ここにアップルやグーグルの本社があると知ったときには
わざわざそれを見に行ったわけですが、この2社に限らず世界中が知っている会社
(Facebookとかオラクルとかebayとかインテルとかヒューレットパッカードとか)

が探さずとも目につき、
あらためてここがシリコンバレーであることを実感している毎日です。

シリコンバレー、と言う言葉は良くお聞きになると思いますが、
具体的に何処を指すかというというと、サンフランシスコから
約1時間南下した、サウスベイといわれる地域のこと。

スタンフォード大学がテクノロジーのコミュニティの中心を担っています。

なぜここにシリコンバレーが生まれたかは明らかではありません。
スタンフォード大学があるという理由だけでは、他の工学系大学、
たとえばMITとかカルテックとかの周りになぜそういう現象がないのか
を説明できないからです。

しかしわたしはここで3度の夏を過ごしてみて、その理由はまず間違いなく
この地の「気候」と「自然」であると断言します。

起業家に取って、実はその気分ややる気を左右する気候は
非常に重要な条件です。
たとえば年間降雨量が多く日照時間が短いシアトルには
鬱病者や自殺者、異常犯罪が多いという不名誉なイメージがあります。

それとは全く逆に、決して雨が降らず、一日中たっぷりと日がさし、
しかし日陰に入ればひんやりと冷たくて夜は火が必要、というような
メリハリのある気候は、多くの人々に好まれます。

何と言っても朝一番、お日様が出て空が晴れているかどうかは、
起業家たちに取って何より精神を高揚させやる気を生む
重要なファクターだからではないでしょうか。
一言で言うと、「身体にも頭脳にも快適な環境」なのです。

しかも、最先端の研究所を持ちながら豊かな自然に囲まれ、
少し、どころか隣のブロックに野生動物のある地域があったりします。
グーグルの庭にヤギがいると話題になったことがありますが、
この辺の動物たちがどんな環境で生息しているかを知れば
そんなことは何の不思議もありません。


そして、そんな地域に住む人たちにもある傾向があるようです。

先日ロスアンジェルス近郊のラグーナに住む友人とここで会ったのですが、
一緒にレストランなどに入ってそこに集う面々を見るなり

「やっぱりこの辺の人たちって独特の雰囲気があるわ」

良く言えば知的、洗練されている、余裕があるように見える、
悪く言えばお高く止まっている、スノッブ、よそよそしい・・。

田舎者をあからさまに馬鹿にするような空気もあるかもしれません。

スタンフォード大学周辺、特に今いるロスアルトスなどは
地価がそこだけ異常な高さであるというだけあって、
目を見張るような豪邸が行けども行けども軒を連ねています。
(この比喩はこの状況に全く適切ではありませんが)


全部が開IT企業関係ではないでしょうが、いずれにせよ
収入もアメリカ人の平均を遥かに超える人々ばかりが
この辺りに居を構えている感があります。

さて、去年、今泊まっているホテルの近くの、
高級外車専用ディーラーがリニューアル工事をしていたのですが、
今年行ったら新しいディーラーが出来ていました。



「てすら・・・・・?」

そのまま読んではて、と首を傾げたわたしに息子が

「ニコラ・テスラだよ」
「誰だっけそれ」

すると息子は信じられないといった調子で

「えっ!知らないのニコラ・テスラ」
「知らん」
「発明家だよ。交流電流やラジオを発明した」
「電気の発明ならエジソンしか知らないな」

さらにそれを聞いた息子はいきなり気色ばんで

「エジソンはね!テスラの発明に負けたんだよ。
で、テスラの実験結果の評判を落とすために電流で動物を殺したり」

わかったわかった。ちゃんと調べるよ。

「ていうかテスラを知らないなんて・・」

散々自分がお腹を痛めて生んだ子に呆れられてしまいましたが、
こちとら発明王エジソンの伝記を小さいときには読み、さらには

「天才は99%の努力と1%の霊感である」

なんて名言をちょっと感心したりして育った世代なんですから。

というか、どうして昔はエジソンだけが有名だったんでしょうか。
今でもエジソンの伝記が子供たちに読まれていたりするの?
なぜ、テスラの名前が全然そこに出て来ないの?


ついでですから寄り道になりますが調べたことを説明しておきますと、
ニコラ・テスラはすでに発明家として成功していたエジソンの会社に
技術者として加わり、そこで交流電流を発明し、
それを認めようとしないエジソンとの間に確執があったといわれます。

直流システムだったエジソンの工場を交流電流で動かせたら、
報償を5万ドル払う、とエジソンはテスラに約束したのに
それを成功させた後もエジソンは自分の負けを認めたくないがために報償を
冗談ですませたのが齟齬のきっかけとなりました。

エジソンは確かに実績のある発明家でしたが、
少なくともテスラともう一人の技術者、ウェスティングハウスとの間に
起こったこの「電流戦争」では結果的に完璧に敗北しています。

しかも、自分の主張のため、息子の言うところの(笑)
動物を電流で殺して「交流電流は危険である」という宣伝をやったりしました。
中でも評判が悪かったのが、象の「トプシー」を電気で殺した実験です。


ニュース映像(残酷なので閲覧には注意が必要です)

トプシーは飼育員を踏み殺してしまったかどで薬殺される予定でした。
エジソンはウェスティングハウスとテスラの足を引っ張る
ネガティブキャンペーン目的で、処刑に電気を使うことを提案し、
そのための実験と称して動物を殺処分していました。
トプシーの処刑もその一環です。

今なら愛護団体が黙っていないところですね。
というか、当時は今とは「命」の意味がだいぶ違っていたということでしょう。

しかしエジソンのネガティブキャンペーンは裏目に出ました。
エジソンは「交流は怖い」というイメージを人々に刷り込もうとしたのですが、
人々にはただ

「電気での処刑という残虐行為を首謀した恐ろしい人物はエジソンだ」

というイメージが植え付けられ、それは彼自身の評判を
著しく落とすという結果になります。

人を呪わば穴二つ。ってこういうときにいうんでしょうかね。
さて、エジソンの黒い話はともかく(笑)。


テスラという名称はこの、先見の明が有り交流誘導電動機多相交流
送電システムを考案・設計した発明家に敬意を表してその名にちなんだものです。

テスラの発明は、はるか遠方から安定した電力を送配電し提供することを
可能としました。
 



気がつけば街で遭遇する確立が去年と段違いです。
というか、去年もいたんでしょうけど、わたしが気づかなかったのかも。

Tのロゴといい、このスタイリングといい、実にかっこいい。
新し物好きのシリコンバレーの人々が飛びつくのもわかります。



ところで、ここは場面変わって再びアップルの駐車場。



去年まではこんなことはなかったのですが、あまりにも昨今
「アップル詣で」の客が増えたため、アップル側は駐車場の
係員を雇い、このような二重駐車をさせることにしたようです。

大阪は北新地の名物二重駐車をカリフォルニアで見ようとは。



それはともかく、アメリカの駐車場は大抵が無料ですが、
車いす用の優先区画と並んで「電気自動車充電用」が
どこの施設にも必ず最もいい場所に備え付けられるようになりました。
どちらかというと東海岸より西の方が変革は速いようです。

どこでも必ず充電中の車が停まっていて、アメリカには
こんなに電気で走る自動車が多いものかと感心しているのですが、
(今日はニッサンを見ました)このとき、
ここの駐車場に冒頭の白とこの赤のテスラが
充電中であるのを見て、

テスラが電気自動車であることを初めて知りました。

そのことを息子に言うと

「ああ、それでテスラなのか・・・」

と感動の面持ち。 

テスラモータースは、まさに今いるカリフォルニア州パロアルトに本社を持ち、
PayPalの共同創立者、Googleの共同創立者、ebayの社長などの
そうそうたるここシリコンバレーの起業家たちの協賛を受け、
さらにはかつてニコラ・テスラに出資した歴史を持つJPモルガンの
管理を受けて出発したバッテリー式電気自動車販売会社です。

テスラの燃費はプリウスの2倍で、1回の充電にかかるのは500円。
それでおよそ370kmの走行が可能です。
しかも必要なメンテナンスは極めて少なくオイル交換は不要。
またブレーキのメンテナンスは
回生制動によりこれも少しでOK。
ミッションオイル、ブレーキフルード、および冷却水の交換は、
ガソリン車でないため不要、という夢のような車なのです。

写真を見てもお分かりかと思いますが、電気自動車なのに大きさは
殆どBMWやレクサス並で、高級感もあります。
おそらく静謐性に優れ、乗り心地もいいと思われます。

お洒落で高級感があってしかも先端技術。
今までメルセデスやBMW、レクサスに乗っていたシリコンバレーの人々が
次々とこの車に乗り換えているように見えるのも、
テスラの何たるかを知って見れば合点が行きます。

「次の車はテスラにしよう!」

早速そのコンセプトに感銘を受けた息子がその気になっていました。

「アメリカに住んでるならね・・・」

そう、日本にも輸入されて入るようですが、今のところまだまだ超のつく高級車。
しかも、インフラが少ないため、アメリカのようにどこででも
駐車場には専用スペースがあるような社会になりでもしない限り、
わざわざ乗ろうという物好きはいないと思われます。

今のところ希望は、トヨタがテスラと業務ならびに資本提携に合意し、
共同開発のモデルを制作するという話が進んでいることです。

日本人もこういうことにかけてはシリコンバレーの人々のような
「いい物好き」「新し物好き」なところがありますから、
何年かしたら街を電気自動車が走り回っている光景が見られるかもしれません。

わたしは車を買い替えたばかりなのですが、
次の買い替えのころには日本でテスラが乗れるようになっていてほしいな。



 


 

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平成26年度富士総合火力演習(予行演習)に行った

2014-08-23 | 自衛隊

朝霞駐屯地訪問記の最後に

「総火演、行きたいけどどうなりますことやら」

と書いたところ、コメント欄で何人かにご心配いただきました。
中には

「つてがあったので確保することもできたのですが」

とまでおっしゃって下さった方もおられ、ありがたさに
改めて感激した次第です。 
しかしながら、そんな方々も最後には

尤も、中尉の幅広い人脈でもっと簡単に手に入りそうにも思いますが」

とか、

エリス中尉にはぜひ紫チケットで総火演をみたよレポートを
していただきたい気がいたします」

という一言を付け足しておられ、内心ぎくりとしたわたしです。


というのはこのエントリ制作後、 24日本番当日、
さらには21日の夜間演習の見学の会のお誘いと、
全く別方向からチケットが奇跡のように降ってきたのです。


一瞬天にも昇る心地になったものの、次の瞬間、我が家は23日
恒例の大曲花火を見に秋田県まで行くことになっていて、
本番は観覧不可能であることに気づいたのでした。orz(TO) orz(わたし)

そこで、本番の代わりに予行演習のチケットを送って頂くことになったのです。

つまり、あのエントリがアップされたときにはわたしは
朝早くの会場入りに備えて御殿場駅前のホテルにいたわけで・・・。

帰国前後の壮絶な忙しさに紛れ、内容を訂正する時間もなく、
結果的に読者諸氏のご心配まで頂いてしまったこと、改めてお詫びする次第です。

さて、前日息子が学校の用事があることを言い出し、さらに
TOが仕事が残っていることを思い出したため、前日夜はわたし一人で
御殿場駅前に新しく出来たホテルに投宿しました。

朝は4時に目が覚め、夜は8時になると眠いというまるで農家の人のような
絶賛時差ボケ中の生活をしているわたしにとって、夜一人で
東名高速を長距離ドライブするというのは大変辛うございました。

チェックインするなりベッドに倒れ込み、夜11時くらいになって
TOがやってきたときには熟睡していたそうです。

そして翌日5時、元気に熟睡していたTOを叩き起こすわたし(笑)

「確かにKさんは早く行った方がいい席が取れるっていってたけど、
これは早すぎるんじゃない?」
「現場に行ったらもっと早く並んでる人がいっぱいいると思うよ」

わたしたちが御殿場のホテルを出たのは5時半。
そのときにはホテルのロビーにも人がいましたし、
そして御殿場駅前にもシャトルバスを待つ人の列が長くなっていました。

こういう行事に初めて参加するTOは目を丸くしています。
だいたいこの人は、



総火演にこういうスタイルで参加しようとしていました。
2時に東京で仕事があるので11時45分にタクシーにのって
新幹線で帰るということになっていたのです。
仕事があるので先に帰る、と聞いたときわたしは不安になって

「まさかスーツで総火演見るんじゃないでしょうね」
「そのまま仕事だからスーツだけどなにか?」

汗もかくし汚れるし、帽子も何もなしで戦車を見るつもりとは。
もう好きにしてちょうだい。



わたしたちは駐車券付きチケットをいただいたので、
指定された番号の駐車場に誘導されて停めました。

現地が近くなると案内の立て札があり、さらにはいたるところに
誘導の自衛官が立っているので迷うことなく到着。
さすがは気配りの自衛隊イベントです。

駐車場が曇っているのは朝もやで、アメリカから帰ってきて以来
日本の残暑と湿気にダメージを喰らっていたわたしとしては
この富士山麓の霧はありがたかったです。



駐車場もいくつかあって、会場までシャトルバスに乗るところと、
歩いて行ける距離にあるものがあったようです。



このとき確か6時過ぎだったと思いますが、
駅から運ばれてきたシャトルバスから降りてきた人たちが
なぜかものすごく長い列を作らされていました。

わたしたちはその横からすんなり入って行き、
前面シートを待つ列の前の方に(20人目くらい?)並びました。

全てのものごとにはヒエラルキーが存在するものですが、
総火演のチケットで駐車場付きはかなり「上位」であったようです。

後から知ったところによると、駐車券が無い人たちは
シャトルバスの近辺の市営駐車場などに停めてくるわけですが、
朝の4時時点で周辺駐車場は全て満車であったとのこと。
しかもシャトルバスには料金が必要とのことでした。

本番に駐車券なしで車で行こうと思っている方、
前の晩から停めるつもりでないと無理かもしれません。




ところで、チケットにはちゃんと「非売品」と書いてあるのに、
ヤフオクにはこのチケットが出回っていたそうで、
相場としては一般券は2万から3万円で取引されていたようです。

チケットの倍率が24倍ということで話題になっていましたが、
オークションに出して儲けるために応募する人がいるんですね。
無料で手に入れて万単位を儲けるたあいい根性してるぜ。

しかしそれでもそれだけ出して買う人がいるってことなんですが。



さて、スタジアムのようなスタンドは正面に向かって
右からABCDEスタンドと称します。

わたしのいただいたチケットは青で(さすがに紫ではありません)
Eスタンドか前面シート席、となっていました。
K1佐から

「スタンドから埋まっていきますが、マニアの方や
写真を撮られる方は(←)シート席に座られます」

と伺っていたので、わたしは迷うことなくシートの
前面を狙うことにしました。
TOはスーツを着ているので(笑)スタンドに座りたかったようですが、
わたしが

「じゃっ別行動で!」

ときっぱり告げると、

「いいよ・・・シートで・・」

と力なくつぶやきました。
いつもこういうことになると振り回してすまんねTO。



「守りたい人がいる 陸上自衛隊」

いいキャッチフレーズです。誰が考えたんだろう。
外側は手のひら、これはわかる。
手のひらが包み込んでいるのは・・・・

・・サッカーをする人。

なこたーない。
実はこれ、日本列島なんですって。
ボールだと思ったら四国だったのね。
足の部分が九州ってことなんですが、北海道と比べても
なんだか大きすぎないか?四国。

ところで、このロゴとマークについてHPには

「守りたい人がいる」及びロゴは陸上自衛隊の登録商標です。

と明記してあります。
変な改ざんをして社民党みたいに自衛隊を利用した我田引水の
パロディをつくるなよと釘を刺しているわけですねわかります。



外にはいっぱい並んでいましたが、スタンド近くまで
入って来られるチケットを持っている人は焦る必要がないせいか
案外スカスカしてます。

もっとも、わたしが前面シート席の列に並び出したとたん、
スタンド席の列があっというまに伸びてこの通路は
人で一杯になってしまいました。

お店もまだ開店準備段階ですが、気の早い人がもう買い物しています。
手前に「ヒトマル戦車まんじゅう」というのがありますが、
これは10式戦車の人気にあやかっているんですね。

皆さんにお見せするため(だけ)に買えばよかったかな。



さて、7時ちょうどに時報がなり、列が誘導されて
中に入って行きました。
最前列はしっかり取られてしまったので、2列目の通路近くに
(TOが途中で抜けやすいように)席を取ります。
着いてすぐにソニーのデジカメでパノラマ撮影してみました。



富士山には全く雪がありません。当たり前か。
今朝、富士山麓のどこかに大きな亀裂があって、
噴火が近いとかなんとかいうニュースがありましたが、
このように眼前にそびえる富士山を実際に見る限り
そんなことはとても起こりそうにありません。

演習会場はまさに観覧席からステージのように眼前に広がっていて、
砲撃や着弾がそのステージで全て行われるという感じ。
総火演が始まったのは昭和36年ということですから、まさに
50年の伝統ある行事として歴史とともにそのイベントノウハウも
蓄積があるのでしょう。

駐車場の設置や会場への人入れ、その他に混乱が出ないように
完璧に考えられているとみて、全てがスムーズに進みました。



このスクリーンには陸自の広報ビデオや演習の解説、
そして実施時には着弾の様子が写し出されます。
このときには誰もいませんが、本番では車の上部の囲いの上で
映像クルーが撮影をしていました。


わたしたちが到着したときにはすでに予行演習の予行演習、
直前リハーサルが始まっており、いきなり戦車の砲撃音が
耳もつんざけよとばかりに響き渡りました。



それが一通り終わった頃、どこかの地本の自衛官が、
自衛官志望(予定?)の若い人たちを連れてやってきて、
全員で戦車をバックに記念写真を撮っていました。

わたしは彼らの一人一人に心の中で自衛官の格好をさせて、
なかなか皆似合うじゃない、などと楽しんでいました(笑)

何となく自衛隊に興味を持った青年たちを
このようなイベントに招待し、目の前で縦横に走る戦車に乗り、
正確無比な着弾を決める様子を見せたなら、おそらく
そこに配置されるかどうかはともかく、

「ヒトマルに乗りたいから自衛隊入る!」

となってしまって地本の思うつぼではないかと思うがどうか。

というか地本の自衛官というのは本当に「やり手」が多いらしく、
地本の人に説得されて自衛官、あるいは防大進学を決めた、
という人をわたしは間接的にですが二人知っています。

地本は自衛隊で唯一(たぶん)ノルマのある業種ですが、
それだけに営業向きの人間を選抜するのでしょう。

ここで戦車隊に入ろうとしている少年たちの中にも
実は戦車隊より地本勤務に向いた者がいるかもしれません(笑)



自衛隊といっても職種は様々。
総火演に参加、といってもこういう警備の人もいますし。

ここに立つ警備係は、ひたすら客席の方に向かって立ち、
三脚が高すぎたり、パイプ椅子を使っている人がいれば
飛んで行って注意してやめさせたりと大変そうでした。

わたしは現地の様子が分からなかったのでエアクッションと、
高さ15センチの椅子を持って行き、本番が始まったら
使用するのをやめようと思っていたのですが、始まる前に
すでに「椅子は禁止です」と注意されてしまいました。

わたしの前の人たちは座椅子に脚を伸ばして座り楽そうです。
引き揚げるとき

「じゃ来年も」「最前列でw」

と挨拶し合っていたので、もう大ベテランなのでしょう。
というわけで、日曜の本番に行かれる方、
余裕があれば

コールマンのコンパクトグランドチェア
キャプテンスダッグのチェアマット

がシート席観覧には大変よろしいかと存じます。
わたしも来年もしまた行くならこれ買おうっと。



ちょっとちょっと!
なんで始まるなりヒトマルなんだ?と思われた方ご安心下さい。
これはリハーサルです。

リハーサルがいつから行われていたのかわかりませんが、
とにかく、わたしたちがシートの場所を決め、
せっせと陣地を構築している間、ちょうどフィールドでは
10式戦車がリハーサルを行っていたのでした。

第一陣がシート前列に案内されたばかりで
わたしたちの後ろには人が皆無だったときです。



そのとき10式の砲身が放つ轟音が朝の御殿場の空気を震わせました。
このとき後ろには誰もいませんでしたが、本番になって
初めてこの音を聞いた後ろの女性がいちいち
ど~ん!「きゃあ」ど~ん!「きゃあああ!」
叫びまくるのには少しイラっとしました(笑)
しかしまあ叫ぶのもわからないでもない、と思えるくらいの音と振動です。
戦車隊の隊員がどうしていつもイヤホンのような耳当てを
装着しなくてはいけないのかが改めて実感として理解できました。

わたしはホテルで寝るのにたまたま(本当にたまたまです)
耳栓を二人分買っておいたので、まず自分の耳を保護し、
TOに「つける?」と聞いたら最初はなぜか「いい」と言っていたのに、
砲撃が連続して行われるようになると耐えられなくなったらしく

「やっぱり耳栓かして」

と言ってきました(笑)
本番当日行かれる方、特にシート席に座る予定の方は
耳栓はあってもいいかもしれません。
ご参考までに。



戦車に立っている赤い旗はこれから砲撃を行うという合図です。
砲撃が終わったら旗は緑に付け替えられます。

このシステムは総火演などの展示の際、
観客に良くわかるように、というわけではなく、
訓練のときはいつもそうしているのかもしれません。 

ただし、万が一、万が一ですよ。
戦車が実戦を行う際は、このようなことは一切しないってことです。
当たり前か。



せっかく望遠レンズを(重たいのに)持って行ったので、
出来るだけ隊員が見えるときにはズームしてみました。
途中で何度も望遠と元の10−100レンズとの付け替えをしましたが、
何となく気分でやってしまい、全体的には不満が残りました。

これは10式の砲塔から半身を出した隊員ですが、
どういうわけか何人かはこのようにブルーのカバーを
ヘルメットにかぶせていました。
ブルーと赤のカバーの違いが何かはわかりませんでした。

このときこのヒトマルは砲撃を終え、旗を緑に変えています。



87式偵察警戒車が三台並んでいます。
オートといわれる偵察用のオートバイ隊とともに
偵察教導隊の所属となります。

ちなみに、ヒトマル式戦車は

戦車教導隊第1中隊

となります。
戦車隊って何人の組織だと思います?
わたしは何十人もいるのだと思っていたんですが、
この日配られた出演部隊の紹介写真で、10式の隊員が
たった16人なのに結構驚きました。
(3人乗りなのに、隊員総数が3で割り切れないことも・・)

それはともかく、74式の第4中隊も同じく16人、そして
90式の第3中隊でも21人ということがわかりました。


さて、というわけで、全てのプロジェクトが進行中で、
まだアメリカで見たものもちゃんとお伝えしていないのにもかかわらず、
当ブログ的には全く困ったことに、
「総火演シリーズ」が幕を切って落とされてしまったのだった。



明日は秋田県の花火大会に参加するため別の話題となりますが、
それらをはさんでまた続きをお送りします。



というか、いまMarkさんのコメントを見て初めて知ったのですが、
予行演習って関係者のみで一般公開していなかったんですね。
なのにあの人の多さ・・・・。
本番はもっと多くなるということですが、参加される方、
くれぐれも陽射し対策とお尻(の下に敷くもの)対策は入念に!







 

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フィッシャーマンズワーフの一日

2014-08-22 | アメリカ

わたしが平日の昼、ジェレマイア・オブライエンを見るために
フィッシャーマンズワーフに行ったという話をすると、
息子が「いいなあ、行きたかったなあ」というので、最後の週末、
二人で最後のサンフランシスコを楽しむため行って参りました。



サンフランシスコは半島にある街なので、東西北が海に面しています。
ピアが随所に残り、たとえばここはピア33。
観光地として有名なフィッシャーマンズワーフは、JOや
潜水艦パンパニトと同じピア39にあります。

さすがに週末なのでいつも車を停めているセーフウェイなどのある
モールのパーキングには長い列が出来ており、断念。
ピア33の近くの「利用者割引の効かない」パーキングに停めました。



息子はこちらで帽子を買いました。

ちょっとミュージシャン風に決めたつもりで悦にいってます。

ここにはヨットハーバーがあります。

サンフランシスコ湾でヨットというのはいかにも贅沢。
ここにヨットを繋留しているような暮らしはこの地方に住む
豊かな生活の典型で、人々の憧れるライフスタイルです。



かと思えば若くて五体満足なのにホームレスになる人もいて。
おまけに真っ昼間からお酒をかっくらって寝ています。



カモメはこの辺りでは非常に態度がでかくて(笑)
観光客の食べているものを後ろから狙ったりします。(目撃談)



数分歩くとピア39に到着しました。

ここから奥にあるのがいわゆるフィッシャーマンズワーフという名の

ただのモールで、サンフランシスコの観光地の一つとなっています。

日本にも進出しているのでご存知と思いますが、

映画「フォレスト・ガンプ」をテーマにした「ババ・ガンプ」もあります。
わたしたちは何となくお昼ごはんでも食べてぶらっとして、
お土産のTシャツでも買って帰るか、という感じでやってきたので、
まずはどこかに入ることにしました。

「ババ・ガンプは?」
「今は気分じゃないな~」

以前来たときに美味しかったシーフードの店は、前に長蛇の列。
他の店を探してみると、奥の二階に新しく日本料理店がありました。



案内のお姉さんは珍しく全員白人系で、キモノ風の上着を着ています。
シーフードといえばジャパニーズ、スシ。

ここはスシもあるけど石焼きステーキもあります、なお店で
アメリカ人にも人気の模様。
メニューは殆ど日本語がそのまま書いてあり、
インチキジャパニーズではないらしいことが分かりました。



わたしも息子も、写真に撮り損ないましたが、石焼ステーキを注文。
息子はチキン、わたしはスキャロップとエビです。
ガーリックのオイルを垂らして焼いた石の上に乗せ、
自分でジュージューして作ります。

このエビはわたしが人生でこれまで食べたエビのベストでした。
焼いてそのまますぐ食べるというのはこれほど美味しいものなんですね。

デザートも、抹茶のアイスやモチなど日本風です。
餅の天ぷらもありましたが、この日はデザートは頼みませんでした。 



はっぴのお姉さんが案内してくれたのは窓際で、海の真ん前。

正面にはアルカトラズが見え、最高のロケーションです。
食事が来るのを待つ間前を行き交う船を見ているだけで楽しい。

この小さな船には客が乗っていましたが、何しろ揺れる揺れる。
良くひっくり返らないなと思うくらいの動揺で、

「これ絶対酔う人続出だと思う」

この日は風が強く、一層揺れが激しかったようです。



釣り船かな。




なぜか全ての船は皆が見ている前を横切ることになっていて、

海を見ている人に皆が手を振ったりしています。



カヌーの貸し出しもあるようです。

後ろの男性が客(ライフベストを着ているから)で、前が
インストラクターあるいは船頭だと思われます。
このカヌーが全く進まないので、この辺りの潮流の速さが良くわかりました。



3階建ての豪華観光船。

おそらくアルカトラズに行って帰って来るツァーではないかと思われます。



この海域を航行する小型の船の特徴は、船首が高く、

まるでアイロンのような形をしていること。
波が高くてもスピードが出せるデザインのようです。



なぜかファイアデパートメント、つまり消防署の

消火ノズル付きの船が、どう見ても消防署員ではない
普通の服を来た人たちを乗せて通りました。

消防署員とその家族のレクリエーションデーか、あるいは
いわゆる「オープンハウスデー」だったのかもしれません。




殆どトビウオ状態で海面を跳ねるように進んでいたボート。




これも観光船なのですが、ロケットフェリーという名の通り、

ものすごいスピードで進んでいました。



と思ったら、沿岸警備隊の船、キター。
気のせいか安定感がハンパではありません。
前にも説明しましたが、アメリカの沿岸警備隊の階級は
海軍のそれと全く同じです。



さて、船も面白いですが、行き交う人々を見るのもまた楽し。


この二人はおそらくヨーロッパからの観光客だと思うのですが、
男性のTシャツに注目。

「スピードレーサー」

タツノコプロが昔「マッハGoGoGo」という題で放映していたアニメです。
このシャツは、1997年にリメイクされた「スピードレーサーX」のもの。
同じ時期に1967年当時の白黒アニメも発売されました。

アメリカで放映されたのも殆ど同じ時期で、そのときのタイトルは
「スピードレーサー」だったとか。

2008年にはウォシャウスキー監督の実写映画が撮られていますが、

このときに同じ東洋人だからとうっかり採用した韓国人俳優のピ(別名1円芸人)
が、撮影の際に「日本人の役をしたくない」という理由で自分の役を
韓国人レーサー(笑)に書き換えることを強要したため「法則」が発動して
日本では勿論のこと、世界でもヒットしませんでした。



目を引いていたブロッコリーヘアの白人男性。




家族の肖像。

右はインド人家族。
左は白人の夫婦に養子二人。

アメリカでは子供に恵まれなかった夫婦が
簡単に養子を取ることができ、
そういう家族の姿が至る所で見られます。

なぜ養子だと分かるかというと、親が白人であるのに対し、
養子の人種が
違っているからです。

実際のところ白人の養子というのは滅多に「出物」がなく、
しかも大変「お高い」のだとか。
というわけで、だいたいは韓国人か中国人の子供になります。
「セックス&シティ」の登場人物の一人も、不妊に悩んだあげく
中国人らしい女の子を養子に迎えていましたね。

左の夫婦は、姉妹になるなら同じ人種にしようと決めたか、
あるいは最初から姉妹ごと養子にしたのかもしれません。




ヒスパニック系の大家族。




一般的なアメリカ人家族。




イスラム系家族。
お母さんは戒律を守って髪の毛を隠しています。

娘たちは髪を隠すなんてかっこわるい、といったところでしょうか。

彼女らはおそらくアメリカ生まれなのでしょう。



インド人の団体。




中国人の団体ももちろんいます。

女性があか抜けているのでおそらく台湾か香港人でしょう。



愛し合う男と女。




愛し合う男と男。





入り口のところまで帰ってきたら、人に触れずには歩けないくらい

観光客が一杯になっていました。



カニの形をしたモニュメント。




ストリートミュージシャンも、ここで演奏するにはオーディションが必要。

なのでここでやっている人は大抵プロです。
このおじさんはカントリーシンガーで、カラオケに合わせて
バンジョーの弾き語りをしていました。
CDもたくさん出しているようで、上手でした。



このあと我々は都心のユニオンスクエアに車を停め、

息子の新学期用に靴を買いに行ったのですが、
途中、車の窓からこんな人を見ました。
ラジカセを横においていますが、どうもオペラ歌手のようでした。


というわけで、実にサンフランシスコらしい一日でした。
最後に思い残すこと無くこの街を堪能した気がします。



この日フィッシャーマンズワーフのお土産に息子が選んだTシャツ(笑)

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リッツカールトンバッフェと「アイアンシェフ」

2014-08-21 | アメリカ

TOはボストンで1週間を過ごし、西に移動して
3日を過ごしてから帰国して行ったわけですが、
 それが週末だったため、我が家は恒例のハーフムーンベイ詣でに出かけました。

 ここからはカーナビの予測によると30分のはずなのですが、
ハーフムーンベイに行くには101号線から山を越えて太平洋岸に出るのに
一本道をくねくねと行かねばなりません。
当然ながら週末は大変な渋滞になってしまいます。

前もってレストランに予約しておいた時間を大幅に遅れ、
レストラン「ナビオ」に到着すると・・・・

 

なんと!
去年まではなかったブランチ・バッフェ方式になっています。
サンフランシスコ市内のリッツでは確か「サンデーブランチ」と称して
やたら豪華なブランチを食べ放題で供していたと記憶しますが、
ここはそういう「大量客を捌く」という雑さとは無縁だと思っていたため、
なんとなく凋落を見た気がして

「リッツ・ハーフムーンベイよお前もか」

という感を持ちました。
去年一昨年と食べたタルトのデザートを食べようと思っていたのにな。



とはいえ、リッツのバッフェなら期待できそうではあります。
さっそく食べ物を取りに出撃。

サラダの葉類はどういう趣向なのか植木鉢に入れられ、
そこから取る仕組みになっておりました。
そして見ての通り、今年も中国人がちらほら眼につきます。



客席はほぼ満席でした。
客席どころか、館内がほぼ満員御礼状態であることに
後で気づくことになったのですが。



ローストビーフやラムのもも肉、リブステーキ、
肉系の思いつくものは取りあえずなんでも食べられます。
柱の向こうはシーフードコーナーで、カニ爪やエビのカクテルなどの
甲殻類から生ガキなど、皆眼の色を変えて食べるようなものがふんだんに。

残念ながら肉も甲殻類にもあまり興味がないわたしは
植木鉢から葉っぱを取ってサラダをせっせと食べていましたが、
シーフードのコーナーに、好きなだけ取れるキャビアがあるので
驚いてしまいました。

少し味見をしてみたら余りに塩辛くて、わたしにとっては
猫に小判豚に真珠でしたが、キャビアをまるでイクラのようにイクラでも
食べることが出来る(しかもリッツで)なんて・・・。

特に最近はチョウザメの捕獲量が激減しているので、
キャビアはまさに海のダイヤと化しているはず。
こんなバッフェで好きに取らせていてホテル側は大丈夫なのでしょうか。

・・・・・大丈夫かどうかは後でわかったんですけど(笑)



デザートコーナーは棚を使用。



TOが取ってきたデザート。
右手に持っているのはみたらしダンゴではなく、焼きバナナのチョコレートがけ。
デザートコーナーの奥にシェフがいて何かを作っていたのですが、
クレープではなくこの焼きバナナだったのです。
なぜこんなものを?と大変疑問でしたが、なんか変わったことを、
というレストランの意欲の現れだったのでしょう。

一つ食べてみましたが、「なぜわざわざこれをここで作る?」
というのが感想の全てでした。
他も全体的に甘さが強すぎて、日本人には一口で閉口、というものばかり。

 

そして、高級バッフェにはつきもののスシコーナー。
先日メキシコ人のスシレストランのことをエントリにしましたが、
素材はともかくスシを握る技術に置いてはここも似たようなもんです。

ちょっと離れて撮った写真でも、スシのディスプレイにしては
雑然としていて見た目の美しさが全く無いのがおわかりでしょうか。

マウイのリッツカールトンロビーにあるスシカウンターは、どうやら
日本人ではないかと思われる職人がにぎっているようでしたが、
ここのはまず間違いなく日本人ではないとこれを見ただけで思いました。

 

とそのとき近くをスシシェフが通りかかりました。
本人にカメラを向けるのは失礼なので彼の着用していたエプロンだけを
こうやって写真に撮ったのですが・・・これどう思います?

見かけだけは東洋人で、もしかしたらアメリカ人はこれが
わざわざリッツホテルが日本から招聘した寿司職人だと思うかもしれませんが、
どっこい日本人はこのインチキを見破ってしまうのだった。

近くに来たTOに

「見て、あの前掛け。あれって・・・・」
「酒屋の前掛けだね」
「どんな職種がするものかわかってないみたいね」

別に何人がやっても構わないけど、こういう怪しげなことをするのと、
あと日本人の振りをするのはやめてくれんかな。

ところでたった今、テレビで「ミンのキッチン」という番組をやっています。



右が番組のホスト、蔡明シェフ。
左は今日のゲスト、森本正治。

Morimoto Napa

ワインで有名なナパバレー始めいくつものレストランを経営し、
アイアンシェフ・アメリカで和の鉄人を務めている有名シェフです。

今日のお題は「鯛の切り身」である模様。



ガーデンベジタブルを添えた二通りのタイ。
レシピは番組のHPから手に入るそうです。



ホストのミンシェフはしゃべり方からどうもアメリカ生まれのようです。
森本シェフを「モリモトサン」と呼び、「ドーモ」「イタダキマス」
など、知る限りの日本語を使って番組は和気あいあい。

このとき、

「ところでモリモトサンはシェフのトレーニングを東京でしたの?」
「そうだよ」

といっているのを聴いたのですが、wikiによると
森本正治は広島の崇徳高校野球部で甲子園に出た後、プロ野球の道を諦めて
料理人になり、広島で喫茶店をしてから渡米しています。
つまり「東京で修行」していないのですが・・。
まあ、善意に考えれば「ヒロシマだよ」とここアメリカでは言いにくいので、
出身地を東京であるということにしたのかもしれません。


さらに、彼の店のHPには

「彼は日本のメジャーリーグから選ばれた(drafted by)こともあるが、
肩を壊して野球をやめた」

と書いてありますが、wikiでは

「高校野球の決勝戦で敗れたので料理人を目指した」

となっています。
まあ、どうでもいいんですが、誰も照合しないと思ってこれは酷くない?



森本シェフのお皿を二人で味わった後、同じ素材で今度は
明シェフが一品作るという趣向です。
明さんは、森本氏に針ショウガを刻む仕事をさせ、その包丁さばきを見て

「アイアンシェフ!」

と感嘆します。
いやまあ、これくらいは・・・ねえ?



ミンシェフの一品は

「タイのニュースタイルサシミ  ごまを散らしたオリーブオイルがけ」

サシミじゃないと思うけどサラダとしては美味しそうです。



森本シェフの一品は、タイに絵の具を塗り、それに
ナプキンを押し付けて作った絵の上に盛られています。
この絵の具は体に悪くないのかとか、この程度の絵であれば
自分で描いた方が早くないかとか、いろいろ突っ込みどころはありますが、
こういうアイデアも含めてこの人はアメリカで有名になったのでしょう。



どちらのシェフも別の国の民族でありながら
全く別の国において自分の才能で勝負している者同士。
こういう人材を受け入れてアメリカという国があるのですね。

もちろん、そこまでいかない限りなくインチキに近いものも
その何倍となくここにはあふれかえっているわけですが・・。




さて、リッツカールトンに戻りましょう。
レストランの窓から外を見てびっくり。
まるで難民キャンプのように人が庭にいるではありませんか。



それだけたくさん宿泊客もいたということでもあります。
ここの週末の人出を、アメリカ経済のバロメーターの一つにしてきたわたしですが、
今年の今までにない盛況ぶりを見て、そう悪くないどころか、
かなり良くなっているのではないかと思われました。

もちろんどんな経済状態でも、アメリカには裕福な人々というのは
一定数いるわけですが、今年の混雑ぶりは驚くべきです。

なぜなら、わたしたちは請求書が来て初めて知ったのですが、
この日のバッフェは一人100ドル!
税抜きか税込みか聞くのを忘れたのですが、親子3人でランチに3万円強です。

どんなホテルのディナーでもバッフェで100ドルというのは今まで
一度もなく、このことを他のアメリカ人に言うと

「信じられない」

といったくらいでしたから、かなり常識はずれの値段だったのでしょう。
どうりでキャビアがいくらでも食べられたはずです(笑)

わたしたちのように全員食が細くて、(アメリカ人との比較で)
キャビアにも甲殻類にもましてや肉の類いに全く興味のない人種には
これは実にもったいないランチだったというほかありません。



オープン以来何度となく来ていますが、庭でバンドのパフォーマンスが
行われていたのも初めて見ました。



冒頭のカップルの横のテーブルには犬が2匹つながれていて、
ときどきなにかを貰っているようでした。



左の犬は立ち上がって前足を「かいぐりかいぐり」していました。



屋根の上にはいつものブラックバードたちが、テーブルを
人が去った後のおこぼれを虎視眈々と狙って待機しています。



何度も書いていますが、ここはゴルフコースが売り物。
ホテル内にもコースがありますが、道を隔てた向こうにもコースがあり、
その周辺にはホテルが建った頃には工事をしていた
住宅があります。

わたしたちの横のテーブルは、いかにもリッチそうな初老の男性と
若い男性が二人でバッフェを取っていましたが、
どうやら会社のオーナーと会計士、あるいは弁護士のようでした。

おそらく、そんな人々の週末の家になっているのかと思われます。



皆が眺めているところの真ん前のホールは、ギャラリーが多すぎて
皆不必要に緊張してしまわないだろうか、と思います。
ゴルフなさる方、どんなものでしょう。



ホール越しに向こうに見えている崖には、ホテルが階段をつけたのか
降りることが出来るようです。
今までここに来るときは必ず寒く、人が降りているのもまた
この日初めて目撃しました。

お天気が珍しくいいどころか陽射しが強すぎて外にいるのが辛いくらい。
こんなかんかん照りの中でじっとしていられるアメリカ人って、
皮膚感覚が我々と違うんじゃないかと良く思います。



早々に引き揚げてバレーにカードを渡し車を待ちます。
こんな人出ですからバレーは大忙しで、係は走り回っていました。



夏でもこの暖炉はついていることが多いのですが、
さすがに今日は火は燃えていなかったようです。



ふと視線を感じてそちらを見たら、お行儀の良い犬が
ちゃんと手をそろえて座ってこちらを見ていました。

彼がつながれているのはアイデア商品?
リードがつけられているボトルのような「犬つなぎ器」。
中には水を入れて固定させ、もしかしたら飲み水にも使うのかもしれません。


それにしても100ドルのランチ。
このリッツの思い切ったお値段は一体どうしたことでしょうか。
しかしTOはこんなことを言うのです。

「値段を知っていても来たと思うな。
だってどんなのか食べてみたいじゃない」

この人は、食べ物に対する好奇心が強いのでこういうのですが、
そのお値段が山盛りキャビアだったり食べもしないラムの骨付き肉だったり、
ましてやインチキ日本人寿司職人の前掛けだったり、と分かった今では
今後行こうと思うかと聞かれればわたしはNOですね。

ここは西海岸でも大変好きな、しかも思い出の場所なので、
横のカフェには今後も来るつもりではいますが。





 

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朝霞駐屯地訪問記~10式戦車と陸自みやげ

2014-08-20 | 自衛隊

朝霞駐屯地にK1佐を訪ねて訪問したのはちょうど渡米の2日前。
その後アメリカでの体験をご報告している間に

すっかり間が空いてしまいましたが、最後のご報告となります。

陸自広報館である通称「りっくんランド」の見学も、あとは
10式戦車だけとなりました。

ご存知のようにヒトマル、10式戦車は2009年(2010年ではない)に
制式となった日本国陸上自衛隊の誇る最新国産主力戦車です。

 

砲塔の左右側面にある部隊章。
富士山の意匠ですが、これは自衛隊富士学校の10式戦車隊の
部隊章ではないかと推測されます。



このように他の戦車などと並べてあるわけですが、
なぜか10式だけが柵で囲われ、近づけないようになっています。
なぜでしょうか。

「いつでも稼働できるようにじゃないでしょうか」

K1佐のお答えです。




そして見よこの銘板を。

注目すべきは2点。
まず、これが


「防衛庁」技術研究本部

の所有であるということ、そして

「戦車1号車」

となっていることです。
開発を担当したのは神奈川県相模市にある防衛省の技研ですが、
このときはまだ防衛「庁」だったんですね。
試作車両として公開されたのはwikiによると2号車だったそうなので、
ここにあるのは正真正銘最初の10式試作型であったことになります。



後ろ姿。

「新作でもなければ戦車を導入するときに式典はしない」
とK1佐はおっしゃっていましたが、10式導入に当たってはやはり
機甲科部マーキングに最後の筆入れをする

「入魂の儀式」

とテープカットが、機甲科部長によって行われています。
この試作第1号は、そのときに試作3号車や量産車と共に

報道陣に公開されました。

だがしかし(笑)この試作第1号車は実質第一号ではないのであった。
砲塔などの研究用に「第0号車」なるものが存在したそうです。



こちらは10式ではなく、隣の74式の後部。

丸みのある砲塔が実に親しみを感じさせる(個人差あり)シェイプです。



この日、当資料館見学車は平日の昼間であったこともあり
我々のいた時間にせいぜい7人というところだったのですが、 
一人でやってきて見て回っているおじいちゃんがいました。 



わたしたちが外の見学を終え、中に入ろうとすると、おじいちゃんは

制服姿のK1佐を呼び止めて自分のカメラを渡し、10式戦車の前で記念撮影。

おじいちゃんモデル立ちでポーズ決めてます。



10式の向かいにはヒューイや榴弾砲、自走砲が。

これらの装備群はこの日行かなかった二階部分から
見下ろすことも出来るそうなのですが、次に来たときには
ぜひその部分にも立ち寄ってみたいものです。

館内に戻ったわたしたちは、何となくそこで放映されている
観閲式のビデオを3人で眺めました。

「わたしは防大のとき観閲行進に参加しましたが、防大は
全ての部隊の一番最初に入場するんですよ」

とK1佐。
整列したら「鼻も掻けない」ので、大変辛いそうです。
凛々しい表情でそんなことは意にも介していないように見えましたが、
やっぱり中の人はそのような感想を持つのね。
何か安心しました。

そこでわたしは、K1佐がもう案内は一通りすんだのだけど
自分からとっととそこを去ることができず何となくどうしよう、
と思っておられるらしい空気を読んで、

「わたしたちはギフトショップに行きますのでここで」

といい、お礼と挨拶をし、3人で写真を撮って別れました。

 

さて、待ちかね、ギフトショップに突撃~。



いきなり目立っていた陸自くまモン。

迷彩服がよく似合うぜくまモン。
手提げがついているところを見るとこれはカバン?



うわー初めて見たよ迷彩パウンドケーキ。

陸上自衛隊以外のどこで売ることができるか、って感じの
ピンポイントなパウンドケーキ。
緑は抹茶、茶色はチョコレート、グレーは胡麻?
この取り合わせは味のコンビネーションとしても悪くないのではないか。

しかし、いかに自衛隊の売店であっても実験的過ぎて
売れるかどうかに不安があったため、入荷は少ししかしてません。

わたしも買わなかったしな。




護衛艦きりしまと合体したキューピー、


護衛艦「きゅぴしま」

のみならず、陸自キューピーもあるぞ。
迷彩服に迷彩メイク(クラシエ使用)をした本格派。
 

というわたしがここで買った記念品はこれ。
すみません、陸自基地に来て潜水艦キューピーを買ってしまうのだった。 
 
「きゅぴしま」に続いて二代目海自キューピーは

潜水艦「きゅぴしお」。 



なにやら後ろにスクリューを思わせるものが・・。

わたしはこれをデジカメのストラップにつけることにしました。



糧食についても新たに知ることになった今回の訪問。

なんと、

「色ごはんをおかずに白飯を食べる」

という究極の炭水化物重視が戦闘糧食の基本だったのですが、
さすがに売店で売られている一般向けはそんなものではなく、
ちゃんとおかず+ご飯という真っ当な組み合わせとなっております。

いかなるときにも場所でも食べられるように、レンゲと
紙ナプキンもセットされておりますので非常食に最適かも。



執務室を去るとき、K1佐は前もって用意してくれていたらしく、

前任地のオで始まってマで終わる県の地本の萌えキャラグッズを
袋につめてたくさん下さいました。

これは、お年玉などをいれたりするようなぽち袋状の封筒。
何に使おうかな(困惑)



マウスパッドとハンカチ。

これはどちらもアメリカに持ってきました(笑)
パッキングをしているときに何となく近くにあったので何も考えず
トランクに入れたのですが、ちゃんと使ってます。



「とある○×のナニナニ」

というのは何がオリジナルなんでしょうか。
とある地本の自衛帳。
息子が全く意味が分からず悩んでいたので、
自由帳のパロディだと教えると

「自由帳ってなに?」

そこまでわからなければもう理解は諦めてくれ。



彼女らは岡山地本のイメキャラですから、

陸自=吉備桃恵 
海自=瀬戸水匍
空自=備前愛梨

という、地名と匍匐前進の匍などを盛り込んだ名前です。

陸海空の制服に加え迷彩戦闘服、フライングスーツ、そして
何とマニアックなことに海自は潜水スーツ?

ちなみにこの萌えキャラの選定にはK1佐がふかーくかかわっています(爆)



執務室から外に向かうとき、K1佐は別の部署に立ち寄りました。

そこには広報の制作した各種パンフレットや音楽隊のCDなどが
見本としておかれているコーナーがあったのですが、K1佐は
そこにいた責任者のような自衛官と一緒に、興味を引きそうな
広報資料やCDを見繕ってどんどん袋に入れてくれました。

上はお好きな方ならたまらない、「ARMY」。
陸自はなんとこんなところでさりげなくARMYを主張していたのか。

と思いきや、じつはこれ 

Active(アクティブ)
Reliance(頼りになる)
Morale(士気)
Yearning (あこがれ、切望)

です。アーミーじゃありません、てか。

内容は各駐屯地の活動(災害派遣含む)記録、式典などの報告、
イベントやコンサート、写真展の様子など。

宮城県石巻市の中学生が防衛省を訪れ、震災のときの活動に対し
自分たちの合唱で感謝を表わしたというできごとや、
八尾で行われた不発弾処理に対して市長から感謝状が出された、
などという嬉しい報告もあったりします。

10式戦車を開発した企業によるトークショーがイベントで大人気、
などという記事もありました。



このときなぜか2枚頂いてしまった東部方面
音楽隊のCD。


《収録曲》
1. 行進曲「絆」~復興応援行進曲~ / 大沢宏直
2. 「竜虎相克」~川中島の戦い~ / 田中賢
3. バレエ組曲「火の鳥」1919年版 / I.F.ストラヴィンスキー
4. 「The Wave」~ソロ・マリンバと吹奏楽のための小協奏曲~
    /安倍圭子・和田薫

ですが、「火の鳥」は勿論「竜虎相克」というのがかっこよす。


2枚あっても仕方がないので、どなたか聴いてみたい!という方、
先着1名の方にプレゼントします。
ご希望の方はコメント欄でお申し込み下さい。



ここにもあった、サンダーバードと自衛隊のコラボポスター。

一枚の画面に

自衛官募集
サンダーバードのブルーレイコレクターズBOX
自衛官の雇用

と盛りだくさんです。
サンダーバードに対抗して、自衛隊からはピクルス王子三態。
組み合わせがシュールです。




さて。


王様のブランチの姫・橋野さんが誰なのか、わたしは
はっきりいって全く知らないので言及を避けますが、
このシリーズで何度も槍玉にあげてきた民主党のレンホー議員。

これについて、わたしはぜひ「生の感想」を聞いてみたいと思い、
K1佐にあえて話題を振ってみました。
あまり多くはおっしゃいませんでしたが、わたしが

「結局仕分けの有料化が決まって・・がっくりされたんじゃないですか」

と訊ねると、

「はあ。散々はしゃいであれはいったいなんだったんだ、と・・・」

やはりそれが中の人の心の叫びだったんですか。
そう思ってこの写真に添えられた説明を見ると

「蓮舫議員も
   店内で
    楽しんで
     いました。」

この後に「あれはなんだったんだ」がつくわけですねわかります。


ところで今年も富士総合火力演習、総火演の季節となりました。
2014年度の入場券当選倍率は24倍だったといいます。
このときたまたま話題に出たので

「総火演、去年申し込んだんですがかすりもしませんでした」

というと、

「ああ~、あれは倍率が高くて難しいみたいですね」

と他人事のようにおっしゃったので、たとえば偉い人権限で
チケットがもらえるなどと言うことはないと悟りました。

「青少年同伴で申し込んだら当選しやすいってことだったんですが」

などといかにも残念そうに行きたいオーラを醸し出して
奇跡が起こるのを待つことにしましたが、どうなりますことやら。

というわけで朝霞駐屯値訪問記終了です。
お世話になったK1佐に敬礼!



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ケアシ?ノスリ~シリコンバレーの鳥

2014-08-19 | すずめ食堂

こちらにいる間、ピアノはスタジオに弾きに行く、そして
チェロは楽器店でレンタルすることにしています。
レンタルに出す楽器ですから、一番グレードの高いものを選んでも
クォリティは限られていますが、今回、ここロスアルトスで借りた
チェロが「当たり」でした。

弾き始めて2日目には自分との相性の良さを実感し、3日目には
何とかしてこれを日本に持って帰れないか考えるまでに。
楽器店に買い取りの値段を聞いたところ、なんと1,250ドルとのこと。

チェロの楽器としての相場から言うとほとんど底値といっていいでしょう。
その割には響きが良く、何と言っても今まで練習していた
ダブルストップの難しい箇所が楽々鳴るではありませんか。

帰りの航空会社に運搬について聞いてみたところ、機内持ち込みは「座席を買う」
ことになるが、壊れ物扱いで120ドルの追加料金を払えば預けられるとのこと。 
ただし、壊れないように梱包はお願いします、という返事でした。

そこで今度はAmazonでハードケースを調べてみました。
驚いたことに、こちらではハードケースが安い!
ホイール付き、機内持ち込み用、分数楽器用、種類も多く、
安いものは75ドルからあります。
Amazonでもこんなですから、ebayはもうそれこそよりどりみどり。
しかし、今回は何度も利用していて配達が確実なAmazonにしました。



機内持ち込み専用の軽くてホイールがついているものにしました。
フロントが受け取ってくれ、部屋まで運んでくれました。感謝。



チェロの大きさは結構差があるので大きめに設定されています。
隙間にはプチプチでも買ってきてつめようかな。



ネックの下に小さな物入れ(ロージンなど)があるのですが、
その蓋が湿度計になっています。
湿度が何度ならいいんだろう。


空港での預け荷物の取り扱いが荒っぽいのは百も承知ですが、
もし何かあっても、カード会社の保証システムが自動的について来ることと、
修理を要する事態になったとしても楽器本体が安いので、
最悪あきらめがつく?ことが決め手になりました。




さて、今日はスタンフォードディッシュトレイルで遭遇した鳥の画像です。



その前に、前座として(笑)いつものリス画像から。





砂浴びを始めました。



やっぱり砂浴びのときには目を瞑るようです。



体の消毒?が目的だと思うのですが、背中まで浴びているのは
今まで一度しか見たことがありません。
人間にお風呂も丁寧に入る人と適当に洗ってすます人がいるようなものでしょうか。



目の前を走って横切ったリスはよく見ると何か咥えています。

ところで、この日ディッシュトレイルに入ると、
いつもと様子が違うのに気がつきました。
リスが周りに全くいないのです。

いつもなら入ってすぐ足元にたくさんのリスが草を食べているのですが、
見渡す限りその数ゼロ。
おかしなこともあるものだと数歩歩いて理由が分かりました。





このような大物がよりによって彼らの生息域に
降りてきて獲物を狙っていたのでした。

猛禽類は普通上空を飛びながらその目で偵察を行い、
動くものがあると急降下して蹴爪でさらい、巣に運んで捕食します。

上空を飛んでいるだけでリスは警戒音を仲間同士に発し、
安全場所に非難してしまうのに、こうやって降りてきて
じっとしていてもおそらく何も見つけられないに違いありません。



なぜこのノスリはここまで来なければならなかったのか。
昨日猟がうまく行かず、子供はお腹をすかせているのに
今日も何も穫ることができないとかで焦っていたのでしょうか。

いつもリスがなごんでいる柵に止まったまま、
首を殆ど360度せわしなく動かして獲物を探しています。



ところで、この鳥がケアシノスリであると思ったのは
アメリカの鳥サイトで、この種類が

Rough-legged Hawk


であるとされていたのでそれを翻訳したのですが、
日本の鳥サイトではこの色の鳥は「ノスリ」で、
去年わたしが見た白っぽい猛禽類が「ケアシノスリ」
であるというようなことが書かれていました。

日本に生息するのと北米では違う種類のノスリかもしれません。



それにしても、野生の動物というのはどうしてこう美しいのでしょう。
この写真から冒頭の横顔をトリミングしてみましたが、
日本で「糞鳶」という名前がついているのにクレームをつけたいくらい
男前なシェイプをしています。



そのとき、くそと・・・いや、ノスリがこちらを振り向き
何かを凝視しました。




一瞬わたしが襲われているのかと思うくらいまっすぐに、
彼は(彼でしょ?)翼を広げて飛び立ちました。



このとき連写モードにしていなかったのが悔やまれます。
視線はわたしにではなく、フィールドの何かに鋭く注がれていました。



イケメン顔アップ(笑)



地上10センチくらいの高さを超低空飛行しているところ。
おそらく体には草が当たりまくっていると思いますが
全くひるみません。



なにか餌になるものを捕まえたようです。



何か咥えているのは分かりますが・・。



アップしてもわからねえ(笑)
勿論リスやネズミの類いではなく、虫だと思われます。



さっきのところからわたしを中心に半円を書いた航跡で飛び、
食べるためにもう一度柵に止まりました。



はあ、やっとお食事にありついた。
でも、リスほど食べ応えが無いの。
♪一口食べたらもうおしま~い~~~♪(人食い土人のサムサムのメロディで)。



・・・ぜんぜん腹の足しになりゃしなかったぜ!


と言いたげな哀愁を漂わせています。
まあ、可愛いリスが朝ご飯になるのを見るにはしのびないけど、
ノスリだって生きて行くために何か穫って食べないといけませんし。


その後、ここを何回か歩きましたが、この日以降、
この地帯にリスの姿がさっぱり見えなくなったのに驚きました。
リスの記憶がどれくらい継続するのかは分かりませんが、
一度でもこんなことがあるとかき消すようにいなくなるのです。

他のノスリがこうやって降りて来ないのはそれを知っているからでしょう。

彼は若くて世間を知らないので、獲物がしばらく手に入らず
焦っていたのかもしれません。

なんかこういうことって人間の世界にもありますよね。
長期的な展望で行動しないとかえって損失を招くという実例です。









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「ジェレマイア・オブライエン」~”ロージー”の造った船

2014-08-18 | 軍艦

おことわりです。

先日、この「ジェレマイア・オブライエン」の機関室見学編を
間違えて制作した直後にアップしてしまいましたorz
前置きも説明も無しでいきなり機関室編を読まれた方、あれは
本編の続編だったのです。
佳太郎さんにはコメントまで頂いているのですが、機関室編
アップのときに公開させて頂きます。ご了承下さい。


さて、本題。

去年、サンフランシスコのピア39、通称フィッシャーマンズワーフに

潜水艦パンパニトを見に行きました。

そのとき、パンパニトの向こうに不格好な?
フネがあるのを認め、取りあえず写真を撮っておいたのですが、
それが戦時中に大量生産された「リバティ船」であることが
日本に帰ってから分かりました。

日本のリバティ船である「戦時標準船」について調べたとき、
その流れでこのリバティ船についても色々知るところになったのです。
今回それを思い出し、せっかくサンフランシスコにいるのだから、
実際に見て来ることにして、
さっそく行って参りました。

本当はあの鍵を失くした日に行こうと思っていたのですが、
その日はそれどころではなかったので改めて出直しです。 



ジェレマイア・オブライエン(以下JO)と潜水艦パンパニトは
同じ岸壁の前後に停泊されています。


去年来たとき確かこの大きなパネルはありませんでした。
アメリカの博物館はボランティアやドネートをしょっちゅう募り、
賛助会員を増やして展示物の充実を民間からの寄付で賄っています。



パンパニトを右手に見ながら通り過ぎると、船にたどり着く前に
リバティ船とJOについて書かれた説明が現れます。
全く知識のない人にも何たるかが簡単にわかってもらえる仕組み。


このパネルの最初にも書いてありますが、リバティ船が生産されるきっかけは

友好国のイギリスが第二次世界大戦開始後、ドイツのUボートなどに
海上輸送を攻撃されて船舶を失い、早急な貨物船の調達を必要としたからでした。

それに答えるためにアメリカは船舶王カイザーの会社を中心とする6社で、
標準型貨物船の製作に当たることを決めます。
リバティ船はこのカイザーの名から「カイザー船」と呼ばれることもあります。



「リベット打ちのロージーがわたしを作りました」


ロージーは戦争中のアメリカの一つのロールモデルでした。
日本にも「女子挺身隊」というのがありまして、
戦時下に国民が総出で国に奉仕する、というのはよくあることですが、

「力強い女」=戦う女

をアメリカは特にパトリオットとして持て囃したのです。

右側は

「勝利はあなたたちの手の中にある
彼らを飛ばせて!ミスUSA」

というポスターで、こちらは美人さんも戦争に勝つためには
手を貸していますよ、という「アイドル商法」?



「第二次世界大戦を勝ち抜いた巨大蒸気エンジンを見て下さい」


はあ・・・まあねえ。
勝てば官軍で何とでも言えますけど。

この展示の外にも中にも、そんなことはなぜか一言も書いていませんが、
リバティ船というのは粗製濫造の代名詞となるくらいで、
信頼性のない製造法で作られたその船体は強度が甚だしく不足していました。

その結果、いくつかの船は船体折損事故を起こしています。
船体折損とはすなわち突然自然に崩壊したという意味です。

wikiにも書いていませんが、おそらくそのために失われた命もあったでしょう。

ここではただ、このリバティ船のエンジンが世界で現存する
二つのうちの一つであること、そして映画「タイタニック」で
このエンジンがCG素材として使われたことだけが書かれています。



1979年、JOはレストアされました。

船内のミュージアムにはそのレストアの課程が写真で説明されていました。



削って、磨いて、塗装すること100回!
あなたが今目の当たりにしているのは、70年前に作られました。
何百人ものボランティアの「CAN DO」精神が1943年6月19日、
メイン州ポートランドから出航したあの日の姿のまま、

全く同じコンディションの彼女を作り上げたのです。
当船は映画「タイタニック」、ヒストリーチャンネルの「ヒーローシップス」
にも登場しました。

つまり、この船が今ここに稼働可能の姿を残しているのは、ボランティアの
ご尽力の賜物だということなんですね。



「目的地 ノルマンディー 1994年4月20日」

先日、こちらのHDチャンネルで「プライベート・ライアン」を見ました。
といってもPCに向かいながら時々そちらを見るという程度だったのですが、
あらためて冒頭の
ノルマンディ上陸作戦の部分はリアリズムに見入ってしまいました。

(トムハンクスの部下がドイツ兵と1対1で戦って殺されるシーンは
テレビを消してカット。リアリズムにしてもあそこは怖すぎるので)

ともかく、このJOの自慢?というかウリは、

D−DAYのときに出動しそこにいた


ということなのです。
物流でも担当したんでしょうか。

「こちらジェレマイア・オブライエン。
グッドイブニング、サンフランシスコ。
そしてノルマンディビーチにまた再び戻る航海3日目を祝って」

歴史的なD−DAYのときそこにいたJOは、上陸50周年式典のために
ノルマンディに向けて航行しました。

1994年のことです。



説明はともかく、乗船してみることにしました。

料金は大人12ドル。
窓口にはやはりボランティアらしい老人が、
案外たくさん来る観客を捌いていました。
チケットを買ったときに、

「正しい発音はジェレミアなのかジェレマイアなのかどっち?」

と聞くと、

「ジェレ、 マ ー イ ー アー だよ!」

とのお返事。
良くわかりました。

船首に三色旗がかかっているのは、ノルマンディに行ったときの仕様かな。

去年、確かここにはとんでもなく不細工なノーズアートがあったと記憶しますが、
さすがに各方面からの批判があったのか(笑)消されています。

え?不細工は酷いだろうって?



これを見てもそう思いますか?

まあ単に描きなおすつもりなのかもしれませんけど、
これと同じものを描かねばならないボランティアの気持ちが思いやられます。

描きなおしているときにもう少し美人に修正したいとか、
せめて手や足の指くらい描きたしたいとかいう欲望と
歴史をそのまま残す使命の狭間で苦悩したりしないでしょうか。





チケットを買って乗船です。

ただし、もぎりなどの係員は一切いないので、万が一
どさくさに紛れて階段を上って行けばタダで乗船できます。

しかし、誰もそんなことをするひとはいません。
少なくともわたしが見ていた限りでは。



信じられないくらい幅の狭いラッタル。

日本人なら途中ですれ違うこともできそうですが、ここでは
皆一方通行を守っています。
ところがこの男の人(太め)が降りてきているのに、
おかまいなしに
登り出した中国人の親子。
途中で苦労してすれ違っていました。

その様子を(呆れながら)下で見守る人たち。
前の3人はフランス人です。



ようやく順番が来て登って行きます。
どこの船のラッタルもそうですが、船から引き出して
地面につくかつかないかという位置にセットするので、
無茶苦茶振動があります。

ラッタルの隙間から海面を覗いてみる。



のとき後ろを中型の船が通りました。
無数のカモメが船を追いかけて飛んでいるのできっと漁船でしょう。



半円をしているのは銃座です。


端に鎖が垂れ下がっているクレーンはラッタルを引き揚げるもの。
雑な作りだとは聞いていたけど、たかがラッタルを上げ下ろしするのに
こんなたくさんのワイヤをあちこちに張り巡らすとは・・・。

全体の雰囲気が船としてあか抜けないのはこういうところにもあるのでしょう。


と、何かと否定的な見方もそこそこにして、とにかく
中に入って行くことにします。


続く。





 

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映画「不沈艦撃沈」~開戦

2014-08-17 | 映画

映画「不沈艦撃沈」、最終回です。

実は前エントリの最後、実写映像の空母の写真を撮りそこなったため、
それをアップしていないのですが、それは
この時期に生き残っていた空母のどれかだったのだろうか、
と本文中書きました。

状況証拠からの推測ですね。

ところが、頂いたコメントによりますと、
このときの写真には少なくとも翔鶴か瑞鶴が映っていたようです。

何がいいたいかと言いますとね。


海軍はこのときすでに沈没してしまっていた艦の
実写映像をしれっと映画会社に供出してたってことなんですよ。
写真を撮り損なった空母もすでに現存していなかった可能性高し。



さて。


「沈黙の海軍が沈黙を破ったらお目にかかろう」

中学時代の恩師に弱腰の海軍の姿勢をなじられ、
唇を噛み締めた軍令部の栗山大佐。

艦制本部の藤原少佐から攻撃隊の殉職者を出すほどに
激しい訓練の結果

「プリンスオブウェールズに飛びかかる自信がついた」

と聞き、うなずきます。

 

残念ながら画像が粗くて肝心の内容が読めません(笑)
が、この艦政本部からの通達でわかったことがあります。

昭和精機は「二本木」に工場があるということ。
つまり、新潟県上越市です。

「海軍は腰抜けか」

と言うためにわざわざ上越新幹線もない時代、
東京までやって来る大川父って、どんだけー。



さすがは新潟県、あたり一面の雪です。
季節は12月。
そう、1942年12月8日です。

「場見さん」ら工場の勤労者が駅で帰宅のため汽車を待っていると、
突然え汽車のスピーカーが臨時ニュースを告げます。



「大本営陸海軍発表。
12月8日午前6時発表。
帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋に於いて
アメリカイギリス軍と戦闘状態に入れり」



静まり返る人々。

「やったな」
「・・・・やったね」

場見さんが唇を噛み締めてつぶやき、
相方の工員Dがささやくように応じます。



「勝つわね」「勝つよ」
「負けられん」

お互いに確認するかのように皆が声を掛け合い・・、



その緊張を破って場見さんと相方が大声で

「ばんざーい!」

皆もそれに唱和するのでした。



駅に向かう途中で放送を聞いていた組も万歳です。


そして、全員が「こうしちゃいられない!」と
踵を返し、工場に戻り出しました。



雪道を皆で走っています。
彼らが乗って帰宅するはずだった汽車が、
誰も乗せることなく駅を通過していきました。


負けられぬ戦争を自分たちも戦おうと
一致団結して全員で夜業をしようとしているのです。
何かしたい、自分に出来ることを。

そう思ったとき、彼らは自分たちの戦いが工場での勤労
そのものだと初めて気づいたのでした。

雪の中を転がるようにして走り工場に戻る皆に、

工場長は涙を拭いながら敬礼し

「ありがとう!ありがとう!

と叫びます。



皆が真剣な表情で働いているバックには、大本営発表の

真珠湾攻撃における戦果が発表されます。

「一、戦艦2隻撃沈、戦艦4隻大破、
大型巡洋艦約4隻大破、異常確実。
他に敵飛行機多数を撃墜撃破せり。
我が飛行機の損害は軽微なり」



「二、我が潜水艦はホノルル沖にて航空母艦1隻を撃沈せるもの如きも
未だ確実ならず。

「三、本8日早朝、グアム島付近において軍艦を撃沈せり。
四、本日敵国商船を捕獲せるもの数隻。
五、本日全作戦において我が艦艇に損害無し」




この映画はほとんどインターネットでも資料が見つからず、
しかもようやく一つ見つけた感想においてはそれが

一体何を意味していたのだろうか」

というものでした。


今日の感覚で判ずればおそらく「何を意味するのか分からない」

というレベルでの感想に終始してしまうのも「分からないでもない」
のですが、当ブログ運営者のように恒常的に寝ても覚めても「戦争」
関係の資料を見漁っているがごとき人間が見ると、
この映画の意図は手に取るようにわかりやすいものです。

このシーンのバックには、行進曲「軍艦」が流されます。
そう、つまりこれが彼ら労働者の「戦闘」なのだ、と
改めて啓蒙し、その姿を讃えているわけです。



駅から工場に向かう工員達の群れに逆行して、汽車に乗り、
東京の栗山大佐邸をまた再び訪ねる大川父。

栗山大佐が数日来帰って来ないと聞くと、
奥さんに手をついて平謝り。

「奥さん、大川大輔は老いぼれておりました!
世界一の海軍を見損なってあんな・・。
まさに万死に値する罪じゃ!
どうかこの歳に免じて許して下さい!」

これだけ言いに上越新幹線もないのに東京までやってくるなんて
どんだけー。

まあ、いいんですけどね。

この激しい爺さんが、この後日本がジリ貧になって、
ミッドウェーでは大敗し、聯合艦隊が壊滅したときには
やはり新潟からわざわざ東京まで文句を言いにやってきたのか。
そして日本が負けたときに、果たして栗山大佐にどういう態度を取ったのか。

それを考えただけで身の毛がよだちますね(笑)



そしてその栗山大佐のいる軍令部。
軍令部総長に戦果報告です。
軍令部総長ってことは永野修身ってことですね。
この永野を演じている井上正夫という俳優なんですが、ご存知でした?

わたしは今日の今まで全く聞いたこともなかったのですが、
この人物は松山の産んだ偉人で、映画界に取っては

「活動写真を映画にまで高めた功労者」

として、俳優として、そして監督として、ついでに書家としても
大変功績を残した人物であるらしいことが分かりました。
つまり大御所というやつです。



三船敏郎や大河内伝次郎などがそうですが、大御所というのはただ黙って
そこにいるだけでOK、みたいな尊大かつ省エネな演技をするものです。
わたしはこの井上正夫が大御所だとは夢にも知らなかったので(笑)
出て来るなり仏頂面で椅子に座り込み、ふんぞり返って
マレー沖海戦での戦果報告を聞き、立ち上がって一言

「参内」

というだけの簡単なお仕事をしているこの老人俳優は
もしかしたらエキストラかもしれないと思っていたくらいです。
後で確かめたら、クレジットの一番最初に名前がありました。


写真はまたもや鳴り渡る「軍艦」をバックに廊下を歩く永野修身。

そしてマレー沖海戦の戦果がまたもラジオに乗って報告され、
それをバックに工員達が働くシーンがまたもや。

全く同じ趣向ですが、まあいいでしょう。



放送を聞き、喜び合う病院の大川と医師。



増産に反対して事故を懸念していた大川、
そのしつこいほどの反対があったからこそ、
事故の損害は軽微で10割増産のめどがついたことを
報告しにきた宮原はあらためて仲直りを。



ついでに大川の妹が宮原とのことをからかわれて

「やだわ兄さんたら」

それしかいうことがないのか。

このとき、大川と宮原は

「僕たちは日本人だ。
それがこれほどまでに凄まじい働きをするとは思わなかった。
こんな奇跡をらくらくと産むんだな」

「もし我々の作っている魚雷が本当に敵艦にぶつかっているのだとしたら、
20割だって不可能ではない気がしてきましたよ」

 などとその感激を口々に語ります。

この映画が作られた19年4月にも、同じ感激を持って
彼らが仕事に当たっていられたかどうかは、
後世の我々がなにより良く知っているわけですが・・。



そんな工場に栗山大佐が自らやってきました。
皆の作った魚雷が不沈戦艦と言われたプリンスオブウェールズ、
そしてレパルスを撃破した、と熱く語ります。

大佐の皆に対する口調はあくまでも丁寧で真摯です。

皆さんが、皆さんがその手でお作りになったX62だったのであります!
良く作って下さいました!」



互いに顔を見合わせる工員達。


そして、この数ヶ月、海軍が皆に増産を強要したことを
改めて謝罪する栗山大佐。

「海軍に腹を立てたこともございましょう」

そう言われてうつむく人間の中には、いつの間にか
東京から帰ってきた大川の父もいます。

演説に熱が入った栗山は壇上を離れ、ステージを右に左に行き来します。
この演説シーンはなんとラストまで丸々8分続くのです。




工場にだけ無理を強いたわけではなく、海軍もその訓練で
幾人もの尊い犠牲を出したことなどを語りつつ、
皆の精神力と奇跡の生産を誉め称えますが、その一方

「これでやっと同じ地点に立てたに過ぎないから、
これからは今まで以上に努力をお願いしたい」

ということも(こちらが本音)ちゃんと伝えております。

「前線の者は爆弾を込めるとき、その爆弾をなでたりさすったり、
頬ずりまでして当たってくれよと生きているものに言うように
送り出すのです。

将兵の手を離れた瞬間、魚雷はあなた方なのです。

あなた方が敵艦にぶつかっていくのです。
あなた方がプリンスオブウェールズを撃沈したのです!」



大佐の熱弁にすすり泣きが工員達の間から漏れます。
皆が泣いている中、一人

「すんません!」

と謝っている場見さん(笑)
そしていつもこういうときに音頭をとる場見さんが
手を挙げて「やります!」と叫ぶと、何人もがそれに調和し、
大佐は感激の面持ちでありがとうを繰り返すのでした。



そして「かしこき当たり」からのお褒めの言葉を
軍令部総長から皆に伝えるように言われたとし、
最後に日の丸に皆で礼をして映画は終わります。




基本的な疑問ですが、海軍省がこの時期、
わざわざ開戦時の昔語りを映画にした目的はなんでしょうか。

最初に書いたように、このころは飛行機が不足し、
空母は失われ、海軍乙事件で海軍の重要人物が戦死し、
明らかに日本軍は手詰まりというかジリ貧状態でしたが、
最後まで負けるなどと夢にも思っていなかった、という日本人が殆どでした。

そもそも「この戦争は負ける」などというのは
口に出すことも憚られていたわけですから、ごくごく一部の、
インテリだけがそういう認識でいたにすぎません。


しかし、 何としてでも戦意を高揚せねば、人々は肌で感じる戦況から
雪崩を打つようにやる気がなくなっていきかねず、
実際にも全ての娯楽が禁じられたことで、ただ事ではない、
というのは全ての国民の感じるところではあったのです。

そこで、海軍としては大戦果をおさめ、
軍事的には大成功であった真珠湾攻撃とマレー沖海戦のとき、
一億国民がどのように歓喜し奮い立ち、 やる気に燃えたかをリフレインし、
初心に帰ってネジを巻きなおしましょう、という政策意図でこのような
「銃後の人々の覚悟」を説く映画を作らせたのではないでしょうか。 


あまりにも説教臭いとさすがの戦時下の国民にもそっぽを向かれるので、
名匠マキノ監督に、マキノらしい諧謔をふんだんにちりばめさせ、
エンターテインメントとしても鑑賞に堪えうるものを作ろう、
とした、という意図までがはっきりと見て取れます。

意図が意図だけにその諧謔部分が若干浮いている、
という感もなきにしもあらずですが、とにかく娯楽作品としても
抵抗なく観られるものに仕上がっているのはさすがに
マキノ監督のプロ意識を感じる部分だと思います。



ところで、最後に涙の大演説を熱演した小澤栄太郎。
これこそ名優小澤栄太郎の本領発揮、と言いたいところですが、
小澤は実はもともとプロレタリア運動の活動家で


「左翼劇場」

への入団後、この映画の撮影の12年前には、

治安維持法違反で

当局に検挙され、1年3ヶ月入獄していた過去があるのでした。

うーん・・・・小澤、どんな気持ちでこれを演じていたのか。

プロに徹底してこの瞬間海軍軍人になりきっていたのか。

もし、内心バカバカしいと思いながら演じていたのだとしたら、
逆にその演技力は別の意味ですごいものだと感心せずにはいられません。

というくらい、この演説は真に迫っています。


もしかしたら、海軍省後援の映画に出演したら兵役が免除されるかと
期待して、心ならずもこの役を引き受け、後はプロとして完璧に演技した。

・・・・・のではなかったかと考えることは穿っているでしょうか。

どちらにしてもこの翌年の昭和19年、小澤栄太郎は応召され、戦地に赴き、
昭和20年の秋に、おそらく外地から復員しています。


俳優小澤栄太郎の戦後の思想活動について述べる資料はありませんでした。
しかし、多くの映画人のように、生きて帰ってきた小澤が、その後
バリバリの左派になっていたとしてもわたしはまったく驚きません(笑)



「糸冬」




 

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映画「不沈艦撃沈」~沈黙の海軍

2014-08-16 | 映画

映画の内容を全く把握せず、戦争ものDVDをまとめて購入し、
夏に渡米して鑑賞する時間が出来るまでこのタイトルの


「不沈艦」

というのが何をさすのか考えてもみず、もしかしたら
戦艦大和が関係ある?などと薄々思っていたくらいなので、
それが「プリンス・オブ・ウェールズ」であったことに
観終わって初めて気づいた次第です。

戦争ものといいつつ、戦闘シーンは全く無く、つまりこれは

「銃後の日本」 

たる日本国民の一億火の玉精神と言いますか、撃ちてしやまんと言いますか、
まあとにかくそういう覚悟を賛美する、国策映画です。

国策映画でもいいから、フィルム払底のおり、とにかく映画を撮りたい、
そういう生粋の「映画人」であったマキノ雅広監督が、
あえて挑戦した国策映画。

国策とはいえ、長回しのシーンもいくつかありますが、
全体的にテンポが良く最後まで全くだれることなく進み、退屈しません。 

まあ、この「国民の覚悟」を説く、という意図がはっきりしすぎて、
そんなもなーゲージツじゃねえ!という向きも勿論あろうかとは思いますが。

さて、続きです。
2倍の増産体制になって、フル稼働していたポンコツかつ危険な、
6号機械が、ピンポイントで爆発事故を起こした、
ということろまでお話ししました。

現場の責任者だった宮原(安部徹)、宮原を励ますようなからかうような、
何が目的で来たか分からないままそこにいた大川(佐分利信)は
爆風に巻き込まれて共に負傷します。



工員の家族も、安否を心配して病院に駆けつけます。
大川の父親は、通りすがりの工員同士の

「2人が取っ組み合いの喧嘩をして機械が壊れたんだと」
「喧嘩してて気づかなかったそうだ」
「あの2人はやたらこのごろ仲悪かったからねえ」
「みんな働き過ぎさ」

という話を小耳にはさみ、何事かを決心します。



兄と今や婚約者となった宮原を案ずる大川妹。
医師から、大川が宮原を庇うために覆い被さって火傷を負った、
と聴かされます。



場面変わって栗山大佐の自宅。
ちびなのにやたらペラペラと達者にセリフを言うガキ、
いやお子様が走って大佐をお出迎え。
このお子様がかわいい。
もし生きていたら、この子は今74歳くらいかな。

「おとうさま、ぐんかんにのってたの?」
「いや、どうして?」
「だってちっともおうちにかえってこないんだもん」
「おやくしょが忙しかったんだよ」

お父様は軍令部だから、もうぐんかんには乗らないんですよ。

「へんだなあ、
のぼるちゃんとこのおじちゃんもおやくしょいってんだけど、
おじちゃんはばんになるとちゃんとかえってくるよ!」

大佐が晩婚で、年齢に比して若い奥さんを娶っており、
まだ小さい子供(必ず男の子)がいる、というパターンは
この映画の他にもいくつかの作品で観たような覚えがあります。

そこに来客を告げるベルが鳴ります。



何事かを決心した大川父が向かったのは栗山大佐の自宅でした。
大川父は栗山大佐の中学校の恩師でもあります。

宮原の父親は栗山大佐の江田島時代の恩師だし、
この世間、狭すぎ。
何をわざわざ言いにきたのでしょうか。


まず、工場の事故の原因が海軍の


「一見して無理な注文」

にあるとし、その目的が

「皇国を泰山の安きに護り、仇する者あらば
これを一気に撃滅せんがため」

なのであるとすれば、海軍は今何をしておるか、
というのが大川父の海軍への不満でした。
ここでも演説が始まります。

傲慢なアメリカとの外交交渉を観たまえ。
我が国の武力蔑視があの例の強腰を生じさせている。
ABCDの包囲陣、浮沈戦艦プリンスオブウェールズの東洋回航、
彼らは嵩にかかって日本の喉を締め上げにかかっておる!」

「国民はそれをすでに感じておる。
君らにはそれがわからないのか。
ん?誰も彼も鬱陶しい顔をしておるじゃないか。
これは誰の責任だ?
5・5・3の比率がそれほど怖いか!」

5・5・3とは、ワシントン軍縮条約で日本が飲まされた
アメリカ・イギリス・日本の戦艦保有の比率です。
実はこの後に1.67・1.67(フランスとイタリア)が続くのですが、
仏伊ともに、保有数は前後で変わることはありませんでした。
つまり日本の「一人負け」状態だったのです。

当時の国民が、この軍縮条約の結果に不満を感じていたことが
こういったセリフで表されます。

一介のジジイ、いや恩師といえども民間人にそこまで言われて、
瞬間気色ばむ栗山大佐。


「過酷な犠牲を国民に要求して、海軍は何をしておる!
言いたまえ!・・・・・・沈黙の海軍か?」

要はこれが言いたかったわけですね。

こういうのを観ても思うのですが、こういった空気は作られた、
つまりお上の主導によるものではなく、

海外からの不当な圧力に、当時国民の反発は充満し、
むしろ「沈黙の海軍」に歯がゆく思っていた、というのは
実際のところであったようです。

あの朝日新聞に至っては、天皇の御意を受けた時の東条内閣が
戦争回避の道を探っていた時期に、こんな見出しの記事を書いていました。

「勝てる戦をなぜやらぬ」
「日米戦わば必ず勝つ」「弱腰東條」

もちろんそれにはそもそも世論の支持があったからに他なりません。
新聞も煽ればその方が売れるからやっていたのです。
マスコミに取っては何が真実かではなく、それによって日本がどうなるか
でもさらになく、つまり商売上の戦略というやつです。

今だって同じことです。
嫌韓が売れれば嫌韓、都議のスキャンダルが売れればそれを暴く、

マスコミとは昔からそういったもので、
「何が正しいか、正しくないか」は全く斟酌されていないのです。

さらに朝日には「身内の韓国人元慰安婦の裁判を有利にするため」
という理由で天下の公器を私事に悪用した記者もいましたね。


「戦争は軍部が起こした」ということにして、未だに

A級戦犯の靖国合祀がどうしたこうした言っている某朝日新聞は、
(もちろん朝日だけではありませんが)こういう過去を見ても
つくづく罪深い組織であるとわたしは断罪します。

話が出たついでに(笑)

「誤報については謝罪する必要は無い」

と社長が言い切ったそうですが、それが「過去のことだから」
という理由なのであれば、日本の「過去のこと」だけをなぜいつまでも
隣国と一緒になって非難し続けるのかって話なんですけどね。



話を栗山家の客間に戻しましょう。

大川父の叱責に対して何も言い返すことの出来ない栗山大佐。
何かを知っていたとしても言えるわけはありませんし、
おそらく一介の大佐では、確たる日本反撃についての情報を
知る立場にないのです。

唇を噛む栗山大佐に、大川父は追い打ちをかけるように

「昔の海軍には豪傑が揃っておった。
中牟田倉之介、樺山資紀、井出影範、赤松則良。
彼らにしてもし今生きておったなら、この情勢に
為すところ無くして手をこまねいてはいまい。
世相も変わったが海軍も変わったのう!」

皮肉まで繰り出してもう、言いたい放題。



物陰で聴いていた栗山の美人妻も辛そうです。

「あなたがお可哀想で・・・あれほど苦労されているのに」

それに対して栗山は穏やかに

「海軍は何をしているか、か・・・。
さあねえ、何かしてはおるだろうさ」

とひとりごちるようにつぶやくのでした。



「何かしている海軍」を表現するつもりか(笑)、
ここで急に海軍省提供による実写フィルムが登場します。 
戦艦の甲板に始まり、



砲座の射撃訓練?
魚雷が海に放たれる決定的瞬間もありました。



艦載機のパイロット。
この人は戦後まで無事でいることができたでしょうか。 

 

飛来する爆撃機。
これはどうやら鹿児島湾で大々的に行われていた
真珠湾を想定した爆撃訓練(のつもり?)であるようです。

 

おそらくこの通信塔の形状から、これが何か、そして
向こうを航行しているのが何か、分かる人もいそうですね。

この映画が制作された1944年4月にはすでに多くの
戦艦始め軍艦が失われていたわけですが、
おそらくこのときにまだ生存していた艦のフィルムを
海軍省は映画用に貸与したのだと思われます。

そして明らかに空母もちらっと写るのですが、
1944年4月にまだ戦没していなかった空母は

大鷹、神鷹、信濃、大鳳、瑞鳳

このどれかであろうと思われます。



最終回に続く。

 



 

 
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