ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

開設100日記念~検索ワードサマリー

2010-07-29 | つれづれなるままに


今日でブログ開設から100日が経過しました。


今日は、今までこのブログにきて下さった方がどのような検索ワードでたどり着いたか、ということを発表いたします。

まず、一番多かった、というか現在でも必ず毎日あるのが

菅野デストロイヤー

菅野大尉、愛されています。
おそらく「菅野大尉」だけを含めると、一番多い検索ワードではないかと思われます。
実在の軍人であっても、ああいう破天荒の人物、こう言ってしまうのもなんですが「キャラが立っている」人物はもう歴史のヒーロー扱いなのでしょうね。

坂井三郎 編隊宙返り

も、人気ワード。
編隊宙返りの存在自体を疑う記事をブログに書きましたが、だからと言って文句も出ておりません。
相手にされていないだけ、という説もありますが。
まあ、それについてはその日に書いたように「無くても誰も困らないが、あったことにした方が嬉しい」
という視点で見るのが一番ですからね、うん。

笹井中尉

自分で笹井中尉スレと言いきっているだけに、この検索も多いです。
リアルエリス中尉の周りに存在する知人の中で、実はエリス中尉=本人であることを知っているのは家族でもないあるお一人だけなのですが、その方は最初「笹井中尉で検索したら一発で出てきた」
とおっしゃっておられました。
それを受けて自分でも検索したら、出てくるわ出てくるわ自分のブログが(^^ゞ

それがですね、

笹井中尉 イモ掘り

で検索かけてきたひとがいるんですよ。
笹井中尉のイモ掘りなんて、あの、吉田カメラマン目撃の一回しかないでしょうが!
それとも何か?他にもあったってか?

笹井中尉 芸者 
笹井中尉 婚約者
笹井中尉 女性

ってのもねえ・・・。
そんなことネットでわかるわけないと思うんですが。
どの本にも載ってないのですから。ご本人しかご存じないと思いますよ。多分。

笹井中尉 ハンモックナンバー

もありましたねえ。(遠い目)
いや、勿論何番だったか知ってるんですよ。笹井中尉のハンモックナンバー。
何人中の何番、ってことも記憶してるくらいですから(とほほ)
でも、書きませんでした。
わざわざそれを調べて本に書いている方の労力を思うと、インターネット検索でお手軽にハンモックナンバーが調べられてしまう、というのはいかがなものかと思いまして。
そう、やっぱり最終的には本で調べていただきたいのです。
特にこういうことはね。

新庄浩
土方敏夫
志賀淑雄
川真田勝敏

など、人名以外では

海軍搭乗員 髪型

が地味にヒットしています。
海軍さんの髪型については、皆さん興味をお持ちのようです。

海軍搭乗員の髪型といえば、何でも私の観ていない、題名に「忘れない」が付く某映画の中でポニーテール搭乗員に扮した木○○也が「長髪にできるから海軍に入った」と言った、というのをどこかで読みましたがこれ、本当ですか?

そう思っているなら、木○、おまえは甘い。
堂々と長髪にしていいのは士官だけだ!多分。

不思議なのは
「バーキン 靖国」
で検索をかける方。ときどき見ます。
これは・・・・?

タイトルを考えるとき、例えば「ショパン―納豆」のように(どういう例えや)あまり同じ世界に属さない言葉を対比させたかったのでバーキンを採用しました。
ブランド物の最高峰、ある意味物質的虚栄の象徴と言えるバーキンをあえて使うことで、このどちらもが同時にに存在する著者のリアルを表現したかったのですが、普通はこれを一緒に検索することなどありえませんよね、多分。

これは、このブログのタイトルを何となく覚えていてワード検索してくださったのかな。

さて、一度「プールを盗撮して見た」という記事を書きましたが、あれ以来「プール」「盗撮」の検索で来る人が・・・(-.-)

何を期待して開いたかはわかりませんが、さぞがっかりされたことと思います。
しかし、それで来るような興味をお持ちの方にはおそらく全く無益なブログであると信じますので、タイトルを変更しました。

・・・でも、昨日もあったみたい。だから何も無いってば。

直掩隊
第二種軍装

などのワードで記事を見てくれた方、ありがとうございます。
自分が「こんな風に小さいことを取り上げて語ってほしい」と思うようなことを記事にしているので、小さなことや誰も気にしないことでも、誰かが興味を持っていると知るのはとても励みになります。

映画や音楽のタイトルで来られる方も。

マリア・マンデル

も人気です。
しかし、残念ですが彼女のことについては私がその日に挙げた本「ファニア、歌いなさい」に描かれたファニアの見た彼女と、生年月日、履歴以外の事実はわからないようです。
検索した人はおそらくその本を読んだ方だと思うのですが、おそらくそれ以上の情報は得られなかったことと思います。
ブログ主が勝手に想像したマンガチックなマンデル隊長を見てがっかり、という感じ?

そう言えば今日の画像も、ひっそりとさりげなく漫画バージョンで。


ああ、それから、

日傘

がなぜか物凄く?多くて・・・・
いや、これファッション検証サイトじゃないんですけど・・・。

ここでは通販生活の日傘、いいですよ。ファッションにこだわらなければ。と言っておこう。


ともあれ、何とか無事に100日目を迎えることができました。
来てくださった方、どうもありがとうございます。









お笑い○国軍

2010-07-28 | つれづれなるままに


いやあーすみません。
隣人の不幸ってやつなんですが、ついマンガにしちゃいました。
 


日本近隣の某国空軍のほのぼのニュースです。
(いかん、おなか痛い)


この国の空軍大学総長の某(56、 公社35期)少将は、この日の午前に大邱(テグ)にある南部戦闘司令部基地から出発するため、 第11戦闘飛行団所属F-15K機の後方操縦席に座りました。

 大田(テジョン)に所在する空軍大学は、忠北(チュンブク)清原(チョンウォン)に
将官級以上の将校を専門教育する非公開機関なのだそうです。



 チェ少将はこの日に韓米連合訓練に出撃する該当戦闘機の操縦士を相手に、教育中だった、ということですが(いかん、伏字になってない)、
「最先端の武器体系運用に対する戦術習得と関連し、計画された教育飛行だった」というのが空軍側の説明とか。

ちなみに、このニュースソースはインターネットのサイトだったりするので、チェ某という大学総長の位が少将なのか、所長なのか、将軍なのかさっぱりわかりません。
某国の言葉はみなひらかな表記と同じで、同音異義語の区別がつかないので、翻訳の段階で情報が錯綜しているようです。
しかし、将軍が大学総長をしている、というのもおかしな話ですし、大学総長を「所長」と呼ぶのも変です。
で、私なりにこれは少将のことであろうと理解し、ここではそれで通します。

 

さて。
チェ少将を乗せた戦闘機が、離陸直前の最終点検を意味する「ラスト チャンス」へ入った途端、

突然、後方操縦席のキャノピーとともに、チェ少将が座った後方操縦席が空中に打ち上げられた。


打ち上げられた・・・・・

打ち上げられた、というのは間違い。
正確に言うと

自分で自分を打ち上げた

というのが事実。
なんと、この某チェ少将(仮名になってない)、離陸直前、危険時脱出用のベイルアウトレバーを引いてしまったというんですね。


何故、引く。


という、ツッコミが世界中から今某国空軍に向けて寄せられていることと察します。
特に、合同演習を控えていた相手国の将官がこんなおちゃめさんだったことを、アメリカ軍関係者は脱力の極みのなかで噛みしめていることでしょう。

このアクシデントでキャノピーも一緒に射出されてしまったため、その修理が必要になるということで、F15kは破損扱い。
マンガでは面白いのでパカッと開いたことにしましたが、これ、実際は射出と同時に熱線でキャノピーは爆発を起こし、人体を守るそうです。

映画「トップガン」で、グースという主人公の盟友が射出の際キャノピーに激突して死亡したエピソードがありました。

爆発とともにキャノピーは飛んで行くわけですから、この機は当然合同訓練には使えなかったでしょう。
(この事故はさる7月21日の出来事で、訓練は四日後だった)

この少将、五〇メートル打ち上げられた(打ち上がった)ものの、落下傘が開いて無事に着地し、怪我は無かったそうです。
グースの事故を出すまでもなくこのベイルアウトは「最終の最終」措置。
機体の損失にとどまらず、特に空中でのそれは「パイロット生命が終わることを覚悟する」というくらいハードなものだそうで、下手すれば脊椎の損傷ものとか。
地上からの射出だったのがまだしも不幸中の幸いといえたようですね。

が。

なぜ?なぜレバーを?

疑問は募るばかりです。

他のボタンやレバーはともかく、最終非常時にしか必要でないレバー、おそらくマンガのように、警告するシールやら但し書きやらが周りにあったと思われるのですが・・。
それにしても。
この少将、教育指導中であった、とのことですが、初心者ですら触らないと思われるレバーを引いてしまうような教官がいていいものでしょうか。
これは、少将教育指導していた、というのが本当だったのではないでしょうか。

そういえばこの某国の研修生を工場に迎えた企業の中の人が「彼らは触るなと言っても触る。入るなと言っても入る。するなと言ってもする」とこぼしていたのを聴いたことがありますが、そういう習性、じゃなくて国民性があるのでしょうか。

「ん?これは何か?」

(この間0.00000001秒)

ぐいっ

ばしゅーーーーん


そういう人って・・・いますよね。たま~に。

ちなみに、絵を描いた段階ではいい加減なイメージだったのですが、その後の調べでこのベイルアウトレバーは椅子の両脇に取っ手のようにつけられていることが分かりました。

現時点でのエリス中尉の推測(with 優しさ)は、ラストチャンスでテンパった少将が最も体を支え易いこのレバーに両手をかけて体を支えていて、ついそのまま、というものです。

それはそれで、痛い。痛すぎる。
まあ、こういう人も・・・いますよね。

ただ、日本では、そういう人は航空自衛隊の幹部はやっていない気がしますが。


神への愛と悪魔の餌~アメリカアイスクリーム事情

2010-07-27 | アメリカ

昨日の「重量制限」、いかがでしたでしょうか。

人間とは凄いもので、ある意味どんな状況の中でも体重を増やすことができるタフな身体の構造をもっているものです。
ましてやこの食物が豊富な現代、むしろ逆にいかにその誘惑を断ち切らねばならないか、の方が、特にアメリカに住む人間にとっては大問題です。

「そりゃ太るわ」の記事の日に、三人に一人がブーデー(ミュージシャン用語)な東海岸の人々の野放図な食べっぷりをお伝えしましたが、四時間の時差を超えて西海岸にやってくると、はっきりいって「人種が別」。

特にこの辺りは東海岸より人種が多様で、「マイノリティ?それ誰のこと?」というくらいいろいろな人種が入り混じって住んでいます。
その中には先日お伝えした「ゲイという人種」もいて、この人たちがそうであるように、健康志向が全米でも最も高い地方ではないかと思われます。

どこの都市にも今ある「ホールフーズ」というオーガニックスーパーマーケットを、ボストンでもサンフランシスコでも利用するのですが、ここでは当たり前のように豆腐やみそ、ポン酢などの現地生産の日本食材も売っていて、しかもどれもオーガニック。
(さすがに納豆はジャパンタウンに行かないとありませんが)

アメリカではこだわる人は徹底的にこだわるのでベジタリアンはもちろん「ヴィーガン」(アニマルフード、動物の体から出たものも食べない。ミルク、チーズも×)もおり、日本発であるマクロビオティックの実践者も特にこの辺では多数。
おまけに宗教の戒律によって食べ方に決まりごとのあるユダヤ系も多いですから、パッケージに「コーシャ」(ユダヤ教徒飲食可)と断り書きをしてあるものが売られています。
ホールフーズはこういう「ややこしい」アメリカの食事情にも、実に細かく対応して今や大人気。
普通のスーパーより値段が高めのこのスーパーマーケット、今、アメリカの各都市津々浦々、どこにもあります。サンフランシスコには二つあり、今三店舗目を企画中とのこと。
それだけ利用者が多いということでしょう。



そして、勿論のこと絶対に砂糖は取らない、と決めている人もいます。
砂糖を取りたくない人が何で甘みをとるかというと、代替砂糖と呼ばれる一連の商品。

代替の砂糖としては、メープルシロップやモラセス、勿論ステビアも使用されますが、エリス中尉は日本でもこれを使用しています。

アガベというのはリュウゼツランからとった甘味料で、GI値が低いので砂糖を取らない人向けにこちらでは販売されています。
日本ではまだまだ高いですが、こちらでは色々なメーカーがこれを出しています。

ただ、これもやはり取り過ぎることで問題は起こってくるみたいです。
カロリーだってありますし、フラクトースの取り過ぎで中性脂肪も増える、と読んだことがあります。
なんでも取り過ぎは毒ってことですね。


さて、どんなに健康志向が高くとも、アメリカ人はアメリカ人。
基本食はピザ、コーラ、ホットドッグに・・・
そう、アイスクリームが大好きです。
冒頭写真はホールフーズのアイスクリームケースですが、通路全面、みんなアイスクリームとシャーベットばかり。
みんな種類が違います。ハーゲンダッツだけでこのありさま。
日本のように「一人分」だけ売っていません。(ハーゲンダッツに少しはありますが)
みんなパイントと言われるカップ売り。



徹底的に砂糖を控えていることからお分かりのように。身体に人並よりちょっと気を遣っているつもりのエリス中尉、アイスクリームというものを避けています。
我が家では例えばロイズの「チョコレートがけポテトチップス」を「悪魔のエサ」と呼んでいて、その定義は「身体に何一ついいことは無いが死ぬほど美味しい」というものなのですが、アイスクリームというのもこの定義で言うと「小悪魔のエサ」だと思っているからです。
(勿論、お付き合いではそのそぶりも見せない健啖家で甘い物好きに見せてはいますが。
人生、健康第一だけで過ごすのは味気ないですからね)

アメリカにはいるんですよ。
悪魔のエサってわかってるけど食べたい!
でも食べられない!
どうしたらいいの?

>身体にいいアイスクリームを作ってしまおう!

という人が。

「アイスヨーグルト」
「果汁だけのシャーベット」
「ライスドリーム(米汁)アイスクリーム」
「ソイ(豆乳)アイスクリーム」
そしてこの「アガべアイスクリーム」

これを買ったとき、店頭になかったのでお店の人に聞いたところ
「ああ、裏にあったよ。味は何がいい?」
「バニラ!」
「ちょっと待っててね」
三分後
「あったけど、シナモンだったよ。いい?」
「いい、いい。ありがとうね」
「アンタ砂糖きらいなんだね」
「私の国にはこんなものないのよ。アメリカにいるときしかアイス食べられないの」
「はあ~、それでそんな痩せてんのか」
「・・・・(´・ω・`)」

これ、砂糖OK,代替砂糖大っきらい!の息子が
「こっちの方がおいしいなあ」
といって大半食べてしまいました。
後味が砂糖のように舌に残らない、日本人好みの甘さです。
パッケージの天使くんがいいでしょう?
もしかして、これは・・・・

アガベ=神への愛、に引っかけた洒落ですか?


「・・・・・・・・・・・・」←ツッコミ待ち(´・ω・`)




戦闘機の重量制限

2010-07-26 | 海軍


作家の豊田穣氏が捕虜になったときアメリカ兵に最初に聞かれたのが「そんなに太っていて零戦に乗れたのか」ということだったそうです。
豊田氏は兵学校時代は食事の特別増加を許される札をもらっていたくらいの巨漢だったので、このように尋ねられたわけですが、戦闘機には行かず艦爆に行ったのも、若干はこの体形が関係していたということです。
ご本人は「跳び箱で宙返りもできないような奴は戦闘機には行かせてもらえなかった」と述懐しておられます。
確かに体重が多いと宙返りは難しいかもしれません。飛行機の宙返りもできないとされたのでしょうか。

凄腕と謳われたパイロットの写真を見ていると、骨相学的にはどうなのかはわかりませんが、人相の共通点はあまりないものの、皆おしなべて運動神経の良さそうな感じです。
(パイロットの運動神経については、別の日に記事を書きます)

一般の搭乗員の写真を見ても、戦闘機は特に太った隊員はほとんどいません。
適性の段階で重量オーバーになりそうな隊員は豊田氏のように別の専攻に回されたもののようです。

零戦は機体の軽量化のため、無線をなくし(精度が悪く役に立たなかったせいでもありますが)、防弾装置を減らし、座席後部に穴まで穿ったといいますから、そこに乗る搭乗員も野放図に太っているなど論外でした。

当時の日本人男性の平均が例えば60キロくらいだったとして、隊員の体重が30キロオーバーだとしたら、座席に穴まであけて機体を軽量化したところでも何の意味もありません。
選考段階ではやせていたのに後から太り出してしまった搭乗員には当然ダイエット指導が入るでしょう。
そんなことがあるはずないって?

それが、あったのです。


本日の主人公は―特に名を伏せてK上飛曹とさせていただきます。
急に体質が省エネタイプになったのか、搭乗員に出される特別栄養食を食べすぎたのか、一時的に体重が90キロくらいになってしまったそうです。
「どういうわけか」というご本人にも理由はわからなかったようですが、何しろ平均をはるかにオーバーしてしまったわけです。

このころのK上飛曹の写真を見ると、かなり今場所に期待が持てそうな、いや、まあ、つまり、ふくよかなお姿。
この方は生きて終戦を迎え、悠々自適の老後もお元気な写真を残しておられますが、全く別人のようです。
それにしても90キロ・・・。
エリス中尉二人分ですよ。そりゃ問題でしょう。

K上飛曹の隊長、有名なK大尉が「おまえ太り過ぎだ!艦爆へ行け」と言い放ちます。
驚いたK上飛曹、夜中にK大尉のところに行き、戦闘機隊からはずさないでくれと泣いて頼んだそうです。
このときK大尉の言うことを聴いて素直に艦爆に行っていたら、超有名隊長の列機として飛ぶことはもちろん、その後、「手練(てだれ)の十代パイロット」として名を馳せることもなかったかもしれません。

そのときに、減量を誓って大目に見てもらったのか、単にK大尉がK上飛曹の涙を見てを可哀そうに思ったのかは分かりませんが、とりあえずは戦闘機隊から外されずにすんだようです。
しかしK上飛曹、しばらくの間「新しい飛行機が来たときの燃費テスト係」をさせられていたということです。

それにしても、当時の決して豊かと言えない食糧事情でどうして上飛曹が90キロになるほど体重を増やすことができたのかが不思議でしかたないのですが・・・・。


カストロ通りの「陽気な」人々

2010-07-25 | アメリカ


皆さん、寒いです~!
今日は、特に霧が濃く、コートが欲しいくらいの寒さ。
車にヒーターを入れました。
この霧を日本に持って行きたい・・・。

・・というと、
「イヤミかいっ!」
と一斉に亜熱帯に位置する日本の方向から怒声が飛んできそうですが。

息子のサマースクールに向かう途中に、このようなレインボーフラッグはためく一角があります。
ここはカストロ・ストリートを中心とする街。

カストロって、ああ、スタンダールだったっけ、とすぐに答えた教養のあるあなたはご存じないかもしれませんが、ここは全米で最大のゲイ・コミニュティがある「ゲイの聖地」なのです。

日本でも最近では同性愛嗜好を大っぴらにする人が増えています。

しかしあくまでもそれは「芸能人のウリとして」という場合で、まだまだ一般には「実はそうだが表向きは・・・」という社会生活を送っている人が大半ではないかと思いますが、ここはゲイがゲイのまま生きられる、リベラルなアメリカの中でも最も「ゲイ・フレンドリー」な場所なのです。

この女性はアメリカのコメディアンで司会者、エレン・デネジェス。
ファインディング・ニモで「ドリー」の声を吹き替えした、といえば日本の方はピンとくるでしょうか。

彼女はゲイであることを公にしている人物の一人。
カリフォルニア州の法律により、女性と結婚しています。
芸能人らしく多数の女性と浮名を流し?離婚(勿論女性との)も一度しています。
この、同性婚を合法とする州法以外の、同性愛者の権利を向上させる活動家としてい知られている人物に、「カストロ通りの市長」と呼ばれた市会議員のハーヴィ・ミルクがいます。

ショーン・ペンが主役を演じた「ミルク」という映画をご覧になった方はおられますか?

ハーヴィー・ミルクは、失職した市会議員ホワイトが市長をその恨みで殺害した際、たまたま市庁舎内で出会い、ホワイトに声をかけてそれが彼の逆鱗に触れたため(『残念だったね』と言ったそうですが、おそらく皮肉だったのでしょう)暗殺されてしまいます。
彼は初めて同性愛者であることを明らかにして当選した政治家でした。

ミルク氏の死後、その裁判をめぐる活動からゲイの人権を訴えるムーブメントが活発になり、またその人権を確立するための運動をする人たちが全米はおろか世界中からやってきて元からゲイの多い地域であったここに住み、いわば「ゲイという人種」としての生活を営んでいる象徴的な街、それが「カストロ」なのです。

部屋の窓にこの「ゲイ旗」であるレインボーフラッグを掲げ、「ここの住人はゲイである」ということを宣言しています。


典型的なゲイ・カップル。
アメリカ人は太っている、という一般論はここには当てはまりません。
みんな見事に体を鍛えており、スマートで筋肉質です。
それでないとゲイ同士アピールしないのかもしれません。

マッチョの多いゲイ御用達の「ゴールド・ジム」。
ここを通るとき窓に面したマシンが見えますが、いつ見ても真剣な顔をした男性がずらり。
ここはおそらくマシン稼働率において全米で最も高い数字を持つジムであると確信します。
このマッチョゲイの牙城では毎日どのような物語が展開しているのでしょうか。
考えただけで軽くめまいが起きそうです。
ちなみに、この通りに面したカフェは、見事に男性カップル専用。
エレンのような女性ゲイも勿論たくさんいますが、カストロに住むのは圧倒的に男性。
しかし、たまたまですが、この写真のビタミンセンターの角には女性カップルが写っていますね。

どちらもいわゆるエグゼクティブで、医者と会計士のカップル、それも「老夫婦」(夫夫?)なんていうゲイのうちは、物凄い豪邸だったりします。
この家もおそらくそういうリッチなゲイのカップルのものでしょう。
結婚する、ということはファミリーを作る、ということ。
子供をアダプト(養子をとること)したり、自分の実子を男二人で育てているゲイも多いようです。
日本と違ってお金さえ出せば養子が容易に取れるので、そういうこともできるわけですが、今までの観察によると養子の性は男児より女児の方が多い気がします。

養子が男性だと、血のつながりがないだけに成人してからトラブルになることを最初に忌避しているのでしょうか。


先週ちょうどこの「エイズウォーク」のサインアップが通りで行われていました。
ゲイを中心にエイズへの理解を深めよう、というデモなのですが、これがまた物凄いことになります。
ゲイの方たちは、このときとばかり、いわゆる「ハードゲイ」な恰好を(したい人は、ですが)して街を練り歩きます。
黒革の帽子、どこがどうなっているのかわからない黒革のベルトだけでできた服?を身にまとった男性がぞろぞろ歩いていると、目のやり場に困る、なんてレベルではありません。
冒頭述べたように、ここはとてもそんな恰好で外を歩ける気候ではないんですが、祭の「ハレ」状態ですから寒さもなんのその、なのでしょう。


ちなみに、これだけ市民権を得ているようでも、初対面で「あなたはゲイですか」と(どんなにゲイらしく見えても)聞くのはタブー中のタブーです。
彼らが誇示するように大声でゲイであることを主張しなければいけない、というのも、実はまだまだ権利は確保されていないということの証左でもあるのかもしれません。

ACES HIGH 敵戦闘機につけたあだ名

2010-07-24 | 海軍



ACES HIGHからもう一日書きます。

今日画像はその綴じ込み写真。
キャプションには
「編隊を組んで飛行するロッキードP-38ライトニング。同社は1938年から45年にかけて、この”双胴の悪魔”(Fork-Tailed Devils、枝分かれした尾を持つ悪魔の意)を9、925機生産した」
とあります。
この飛行機、日本軍の搭乗員からは「ペロハチ」と呼ばれました。

今日は、この本でも目についた敵戦闘機の呼び名についてです。


敵機が現れたとき、通信でとっさに機種を特定し合うことは最重要事項です。
敵機はその機種によって対処法が変わってくるため一瞬で分かるコードネームが必要になってくるわけです。

しかしラバウルでの零戦は通信装置が無かったので、身振り手振りとバンクで意志疎通していたため、コードネームは必要ではありませんでした。
ですので、このころの日本側のは「あだ名」「愛称?」という範疇のものです。

ドーントレスやヘルキャットのように、そのまま呼ばれた機種もたくさんありますが、呼びやすいあだ名をつけられた機種もあります。

冒頭写真のロッキード社のライトニングP-38は、ヨーロッパ戦線では上記にもあるように「双胴の悪魔」と呼ばれて怖れられましたが、当初日本軍からは「メザシ」「ペロハチ」などと半分馬鹿にされたような呼び名が付けられていました。

メザシは見ての通り、体を表した名前です。
写真を見てもらうと分かりますが、編隊を組んでいる様子はより一層メザシ状です。

P-39エアコブラはその形から「鰹節」と呼ばれました。
「鰹節退治は最も愉快とするところです」
と、笹井中尉は実家への手紙に書いています。
「台南航空隊 昭和17年6月17日の映像」の日にふれた「海軍爆撃隊」の映像にも、このP-39が大量に撃墜されているのが板書されています。
「落とされても落とされても来る」
「しかも単機で来たりする」
と、手紙にはまた米軍搭乗員の勇気に感心していることが書かれています。

これも、胴の形はまさしく鰹節のそれで、さすがユーモアを重んじた海軍にはあだ名をつけるのが天才的にうまい人がいたようです。


ペロハチとは、P-38の数字の3を「ろ」と読み替えたもので、「ぺろっと喰える」という意味合いもあったようです。
この本について拙訳にてお伝えした本文に書かれていたように、当時ラバウルの航空隊には精強のパイロットが揃っていた上、戦闘機として失格の烙印を押されていた「月光」にすらあっさり撃墜されてしまったことから、ペロハチ呼ばわりされてしまったようです。

しかし、1943年の大野中尉の手記には若い隊員が「P-38ってのなぁ嫌な野郎だぜ。まるでお正月に揚げる奴凧みたいな恰好をしていやがってな。それでいて速力ときたら滅法速いんだ。俺ぁ二機追っかけたけどみんな逃げられちゃったさ」
と言っている個所があります。
(これも実際には『ペロハチってのは』と言ったのでしょうか)
ACES HIGHによると、この頃戦線には性能向上型のP-38が投入されていたということで、アメリカの凄いところは「ペロハチ」をペロハチのままにしておかなかったところでしょう。
加えて、このころにはそのP-38を愛機とするディック・ボングがこの地にあり、日本軍にとっての猛威となっていたわけです。

もう日本軍にとってペロハチは「ペロッと喰える」相手ではなくなってきていたのです。


この本には、日本機の種類がそれこそ日本の搭乗員の名前より多く登場します。

日本側があだ名をつけて呼んでいたのより、切実な理由でアメリカ軍は日本機にコードネームをつける必要がありました。
なぜなら、日本語というものに全くなじみがない国民だからです。

ヒリュー、シデンカイ、ショウリュウ、なんて、とてもじゃないけれど外国語の絶望的に苦手なアメリカ人には覚えられそうにないし、そもそも発音すらできないと思われます。
(そんなバカな、と思うなかれ。私の知り合いのアメリカ人は「サユリ」という名前がどうしても発音できず、最後まで覚えられませんでした)
当然彼らは勝手に日本機に英語の名前をつけていました。


最も有名なのは零戦に与えられた「ジーク」ZEKEでしょう。
零戦は「ハンプ」HAMPというコードネームも持っていましたが、こちらはあまり使われなかったのか有名ではありません。
ちなみにペロハチを撃墜した月光は「アーヴィング」(IRVING)です。

紫電改が「ジョージ」GEORGEだったのもご存知の方は多いと思います。
それにしても、自国の人名を敵機につけるセンスは日本人にはちょっと理解できません。

「フランク」(四式戦闘機)「ジャック」(雷電)「ジェイク」(零式水偵)
などの男性名はいいとして、
「リリー」(九九式軽爆撃機)ベティ(一式陸攻)ジュディ(彗星)
など、女性名の方が多いのは何故でしょうか。
自分の恋人の名前だったり母親の名前だったりしないんでしょうか。

広島に原子爆弾を落とした爆撃機の名「エノラ・ゲイ」は、搭乗員の母親の名前だった、と言うことでショックを受けていた詩人がいました。
それはこの詩人が日本人であったからです。

あくまでも彼らにとっては「単なる認識の都合としての名前」。
台風にも人名をつける国ですから、便宜上にすぎないということのようです。

しかし自分の母親の名前を持つ敵機を撃墜することになるかもしれないという可能性に思い至らないのがアメリカ人特有のドライさであり、日本人とは決定的に相いれない部分であると思います。

敵国の人物の名前をつけたのは唯一、
「トージョー」(二式戦闘機)
のみ。
というか、普通のアメリカ人が知っている日本人の名前ってこれだけだったんでしょうか。

練習機にはなぜか木の名前がつけられます。
攻撃してこない(はず)だから立木と一緒、という意味でしょうか。

「ウィロー」(九三式中間練習機)「サイプレス」(二式初歩練習機)「パイン」(九〇式作業練習機)「シダ―」(九五式一型練習機)「ヒッコリー」(一式双発高等練習機)
練習機を識別する場面が果たしてあるのかどうかはわかりませんが。
というか、そこまで覚えているオタク、いや記憶力抜群のパイロットって、いたんですかね。


それにしても・・・。

どういうつもりでつけたのか、悪意か、洒落か、それは分かりませんが、桜花につけられた「BAKA」と言うコードネーム、これに関しては私は絶対アメリカを許す気になれません。

日本側とて、ペロハチの前科がありますから、あまり言えたものではないのですが、どう考えてもこのBAKAはあの馬鹿です。

異国の罵り言葉は(場合によっては地方が違っても)今一つ怒りの沸点を高くするもので、ピンとこないためこれが日本人に知られたときどう思われるか、ということまでは、ただでさえ鈍感なアメリカ人のこと、おそらく考えていなかったのかもしれません。

しかし、一連の彼らの無神経さの中でも、この所業だけは―よりによって桜花を侮辱することだけは―糾弾されてもいいと思っています。



ACES HIGH ~機体の旭日旗

2010-07-23 | 海軍




空港で買った、アメリカの「二人の撃墜王」、ボングとマクガイアについて書かれたエース本、
ACES HIGHの綴じ込み写真です。
このページはディック・ボングの三葉の写真が掲載されているのですが、
彼の愛機であるP-38ライトニングがそのうちの二枚に写っています。
機体にペイントされているのはひとつひとつが旭日旗である「撃墜マーク」なのです。

日本でも、岩本徹三中尉、谷水竹雄飛曹長が、
機体に独特の撃墜マークを施したことで有名です。


前にも書きましたが、この本には、毎タイトルごとにその頃のボングとマクガイアの
「撃墜スコア」が掲げられています。
さすがはエースという言葉が公式に存在している国。
ボングを「ソーサ」と変えれば、そのまま「大リーグのホームラン競争」なのですが、
内容はともかく、タイトルとアオリは、ほとんど同じようなものと言えます。

ところで、ホームランなら何の問題もないわけですが、この「スコア」は、つまりが
「それだけの日本人が死んでいったということ」
綴じ込み写真を拡大にする気になれなかった私がそう思ったように、
ボングの愛機にペイントされた旭日旗の数を見て「それだけの数の日本人が・・」
と思わない日本人はおそらくいないでしょう。
本文によると「実際はこの数にとどまらず、おそらくその倍くらいだろうという僚機の証言がある」
ということで、さらに複雑な気持ちにさせられます。

ところで人間とは実に主観に支配された生きものであるとあらためて知る気になったのは、
谷水飛曹長の「星の撃墜マーク」とこの旭日旗を、
明らかに違う目で見ている自分に気がついたときです。

アメリカ人が、もし星の撃墜マークを見るときは、同じように感じるのでしょう。

ボングが撃墜数において一次大戦の撃墜王リッケンバッカーのそれに並んだとき、
アメリカ陸軍はボングを特令により一時帰国させています。

これは「エース」保護のための措置だと言われており、
さらにこの人材を失わせないため、かれに実戦を禁止し、
戦地復帰の際にはわざわざ教官の任務を与えますが、
ボングは自衛のためという理由のもとに禁令を破って飛び続けます。

再び帰国命令が出たボングの最後は、国内でのテスト飛行での事故によるものでした。

ボングが命令を無視しても飛び続けた理由には、
同じ陸軍のパイロットであるマクガイアへのライバル心があったことは否めません。

後世のノンフィクション作家が言うところの「撃墜競争」は、やはりあったのです。

戦争であり、やらなければ自分がやられるのであり、
お互いそうすることを国によって余儀なくされた時代だったと言ってしまえばそれまでですが、
それにとどまらず「数を競う」という行為を是ということは、この世の誰にもできないはずです。

むろん、それを断罪する人間もいていいはずはありません。


南京で「百人切り競争」の濡れ衣を着せられ、処刑された二人の日本の軍人がいました。
荒唐無稽で、例えば刀が一人人を斬ったらどうなるかということや、
日本刀の信じられない重さを知っているだけでも失笑してしまうような「創作」ですが、
その「戦意高揚のための新聞記者の捏造」を戦犯の証拠にされてしまったのです。

それにしても・・・。
ここで断罪された百人を切り殺す(ありえない)競争と、百機飛行機を撃墜する競争。
戦争と言う異常事態の中でも前者は処刑に値する犯罪であり、
後者には正当性がある、と神ならぬ身でありながら言いきることができるものでしょうか。

ましてや怪しげな創作である前者に対し、後者は「まぎれもない事実」でもあります。


撃墜数。

飛行機を降りれば一人の血の通った人間であるボングやマクガイアににとっても、それは「ただの数字」ではなかったと信じます。

いわんやそれによって失われた「撃墜数分の一」であるひとりひとりの命においておや。


川真田勝敏中尉 その二

2010-07-22 | 海軍人物伝


変わり映えしない画像ですみません。
なにしろ、今出先なものですから、画像が新たに制作できないのです。
川真田中尉の記事に思ったよりアクセスが多いので、立て続けになりますがアップさせていただくことにしました。

前回、笹井醇一中尉と海兵六七期同期、三五期飛行学生戦闘機専修の川真田勝敏中尉のラバウルでの戦績とその戦死についてお話ししました。


「全員が戦死した」と書いた、その35期の戦闘機専修学生で、この川真田中尉の後を受けたのも、やはり同級生の渋谷清春中尉でした。

この渋谷中尉も「緒戦ですでに相当な実戦経験を積み、その後、元山航空隊―二五二空で分隊長を務めて、今やコールマン髭を生やし、堂々たる指揮官の貫録を漂わせていた。若いながらもその風格は、部下も思わず惚れぼれするほどであった」
(「零戦隊長」神立尚紀著 光人社)

という、期待の隊長でしたが、11月28日に二〇四空に着任後、わずか二カ月後、1月23日の船団哨戒の際グラマンF4Fと交戦し戦死します。

戦後「死ななきゃラバウルから帰れない」という言葉は、激しい消耗戦であったラバウルの悲惨な戦いの表現として使われています。
士官搭乗員においてはそれは「ラバウルに行った中尉は大尉にならないと帰れない」と言われていました。
つまり、戦死して昇進しないと帰ってくることはできない、と内地で囁かれていたそうで、実際、飛行学生を卒業し、すぐさま実戦に出て、ただでさえ短い戦闘機乗りとしての寿命はその後数カ月、というのが当時中尉クラスだった六七期海軍兵学校卒士官の運命でした。

しかし、そこで実際戦っていた搭乗員たちは、決して「心ならずも巻き込まれた過酷な戦争」に絶望していたわけでも、ましてや死刑宣告を受けたかのようなあきらめの中で戦っていたわけでもありませんでした。

確かに実情は「死ななきゃ帰れない」であり、おそらく生きて帰ることは無いだろうという覚悟はあったものの、搭乗員たちの意気はまだまだ盛んであった、と大原亮治飛曹長は当時をこう語っています。

「そんな悲壮な気持ちではありませんでしたよ。
戦闘機乗りのモットーは“見敵必墜”、消極的な戦いをする者は一人もいませんでした」

もっとも、駆逐艦村雨の砲術長、鹿山誉大尉は、ブインで二〇四空の面々を見かけてこのような回想を残しています。

「本部は小さなテントの中に、二〇四空司令森田千里中佐、第二分隊長の宮野君(宮野善治郎大尉)髪を伸ばした同郷(徳島県)の川真田勝敏君がいた。誰も皆苦労の様子が顔に表れていて、海上部隊が文句を言えるどころではないと思った」

これが10月15日のこと。
戦闘以外でも、悪天候、そして基地の整備が間に合わないため、着陸時に零戦が大破したりして、まさに消耗の真っ最中だったことが覗い知れます。



同期生の証言や、残された手記からおそらく率先垂範のファイタータイプであったと想像される中尉は、そのわずかな戦歴に単独でも3機撃墜の記録を持っています。
中隊長としても期待され、大原飛曹長の言うように果敢に戦闘機を率いて戦をしたのであろう中尉自身にとっても、戦闘ではなく、悪天候に命を奪われるという最後はさぞ無念であったろうと想像されます。

今日は、残されたわずかな資料から川真田中尉がどんな人であったか伺い知ることのできる記事を挙げてみます。


昭和17年10月20日、ガタルカナル島攻撃におけるグラマンとの戦闘で「サムライ零戦隊」の著者、島川飛曹長の親友、玉井勘兵曹が未帰還となっています。
島川飛曹長によると、この出撃の少し前、川真田中尉はこの玉井兵曹に「貴様は卑怯だ」という叱責をしたというのです。

島川兵曹は「理由は分からないが」としながらも「玉井を卑怯者呼ばわりした川真田中尉」と、暗にその出来事を非難するかのような表現をしています。
(島川兵曹の記憶は「二人は同じ日に戦死」と記しているのですが、ここでは公式な記録にのっとっている「零戦隊長」の中の記述に準じます)
当事者二人はほとんど同じ時期に相次いで戦死してしまい、今となってはそのとき何があったのかは永遠に謎となってしまったのですが・・・・・。


さて、先日、国会図書館で海軍67期史を閲覧したときに、この川真田勝敏中尉について親友の今泉理氏が書いた思い出の記を発見しました。

それによると、江田島時代の川真田生徒はスポーツは何でも得意だったということで、泳ぎの下手な今泉氏の手を取り脚を取り教えてくれたのだそうです。
やはり、戦闘機専修の学生には運動の得意だった者が多かったようです。

今泉氏の記憶によると、川真田中尉は、もしかしたら思ったことをそのまま言ってしまう性格ではなかったでしょうか。

「貴様は胴長でスタイルが悪いからかがんだ方がいい、俺が立つ」
短足の私を庇って二人で写真を取るときは決まって彼は立ち私は腰を下ろしたものだった」

「貴様の声は歌にならないな」笑いながらよく歌ったのは”ああわが戦友”で、特に3番が好きだった。

 
さらに今泉氏の述壊。

向こう意気の強い荒武者風の彼のどこにそんな優しい思いやりがひそんでいるのだろうと考えさせられることは度々だった。何となく気が合って忘れられない男であった。
花も実もある武士とは云われるが二十歳にも届かぬ若さで、すでに彼には、私の遠く及ばない人間が出来上がっているように思われてならない。



ラバウルの「卑怯者」事件も、この率直にものを言う川真田中尉が、消極的な戦いをするなと部下を叱責したというのが真相ではなかったでしょうか。
指揮官としての責任を感じればこその「卑怯者呼ばわり」ではなかったかと、そして次々と失われていく仲間に恥ずべき戦いをするなという意味ではなかったかと、島川氏には川真田中尉のために釈明したいと思います。

兵学校の親友である今泉氏が生きて終戦を迎え、こうして私たちは川真田中尉のひととなりをわずかながらも知る機会に浴することができました。

しかし、誰にも知られず、戦記にも残らず、死んでいった若者たちの一人一人に当然のことながら物語があり、人生があり、彼を愛した人たちがあるのだということを、川真田中尉のことをこうやって追っていて、あらためて考えたことです。


最後に、川真田勝敏中尉が好きだった”ああ我が戦友”の歌詞を記します。


死なば共にと日頃から 
思いしことは夢なりや
君は護国の鬼となり 
我は銃火に未だ死なず




参考:サムライ零戦隊 島川正明著 光人社
   海軍67期史
   零戦隊長 神立尚紀著 光人社 

アメリカのエース本 ACES HIGH より

2010-07-21 | 海軍


ボストンからサンフランシスコに移動するとき、ローガン空港の本屋でこのような本を見つけました。
戦闘機パイロットに詳しい方ならご存知でしょうが、二次大戦中のアメリカのトップエースは、
どちらも陸軍士官で、リチャード・ボング(40機撃墜)とトーマス・マクガイア(38機)の二人です。
この”ACES HIGH”は、この二人の撃墜競争スコアを各章の小見出しにつけ、
同時に日米航空戦を語るという方式で書かれたノンフィクション。

勿論、まだ全部読んでいません。

息子なら専門用語さえ分かれば読んでしまいそうなんですが、エリス中尉、恥ずかしながら
読むスピードは(も?)完璧に子供に負けています。
何しろ彼は辞書など要らないからねえ・・・。

それはともかく、察しのいい方、あるいはこれまでこのブログを読んで下さった方なら
もうお気づきかと思いますが、この本を買ったのは、立ち読みして確かめたところ

「笹井醇一中尉の名前があった」

というただそれだけの理由。

しかしながら、笹井中尉の名前が現れる部分「だけ」を抜き出すと一瞬で話が終わってしまうので、
ここは「アメリカのエース本において日本人搭乗員の出てくる部分をご紹介」ということにいたします。


さて、まずはアメリカ側から見た「ラバウル航空隊」


1942年のニューギニアにおける航空戦は誇張ではなくいわば
『魔女の大釜』(不安定で危険な状態)であった。
米国空軍にとってそれは最悪の時期と言えた。
対する日本帝国海軍(IJNAF)は最盛期にあったからである。

ニューギニア北海岸のラエ基地には、日本の歴史の中でおそらく最も有名なファイター・ユニット、
台南航空隊があった。
この名はもともとこの航空隊が台湾の台南を基地にしていたことから産まれた。
この航空隊は文字通り1942年のほとんどの間を通じて、南西洋の上空を制圧し、帝国海軍に貢献した。

台南航空隊はおそらく海軍の最も優秀な搭乗員を集めたもので、有史以来全ての戦争を通して
最も「エリートぞろいの航空隊」であったと言える。


特筆すべきは、台南航空隊は四人ものトップエースを擁していたことで―西澤廣義、坂井三郎、
笹井醇一、奥村武雄など―彼らは全員一九四二年から四三年の間に活躍している。

同時に、大型の航空隊が、大規模な日本軍守備隊に付随する形で
ラバウルや暫定的にラエに進出していた。
陸軍航空隊の第十一戦隊、そして海軍航空隊の五八二航空隊であった。
後者はラクナイに基地を置いたが、1942年の11月半ばからはラエから出撃した。
そのころボングがニューギニアに着任している。




あのですね。
坂井、西澤、笹井とくれば!
誰か一人忘れていませんか?
そう、太田敏夫一飛曹(最終飛曹長)です。
いくら坂井三郎中尉が「太田はまだまだだった(ダッシュなしのAクラス)」なんて対談で言ったからって、
いくら坂井さんが「皆さん太田の実力を高く買いすぎですよ」なんて語ったからって、
いくら控えめな性格だったからって、名前くらい出してあげてください!

さて、せっかく16ドル出して買った本なので、読みますよ。←ちょっと怒ってる
読みますが、笹井中尉の出てくるのは二か所のみ。
もう一か所は1944年、ボング21機、マクガイア16機のスコアだったころの記述に、
このように現れます。


日本軍の航空隊の南西洋での力は衰退の一路をたどっていた。
航空機の生産は米軍のそれに比べ全く追いつかいていなかった。
(中略)
さらに、優秀なパイロットの不足が日本軍航空隊の弱体化に追い打ちをかける。

1942年当時、米軍搭乗員は世界で最も精練の、
最も能力のある搭乗員と対峙せねばならなかった。
しかし、彼らが相手にしているのは今や二流といえた。


伝説の撃墜王たち―坂井三郎、笹井醇一、西澤廣義―はもう、そこにはいない。
坂井は1942年8月8日、米海軍のアベンジャー雷撃機との交戦で負傷し、
その18日後の8月26日、ガタルカナル上空の爆撃機直掩の際、
笹井は米軍海兵隊(Marine Corps マリーン・コーア)のマリオン・カール准将に撃墜されている。
カール准将自身、18機撃墜の記録を持つエースであった。


西澤は―人は彼を『悪魔』と呼んだ―ラバウルから生還するが、
台南航空隊が再編され二五一空と名称を変えて帰ってくるとき再びこの地にに送られる。
10月、二五三空に着任するも、すぐさま下士官に昇進し、日本に帰国している。



坂井氏を負傷させたのは、SBDドーントレスでした。
この喰い違いは、坂井氏の最初の著書(アメリカではSAMURAI!というタイトルで出版された)
にTBFアベンジャーと書かれていたことに端を発しています。

近づくや否ややられてしまった坂井氏が当初敵機を誤認していたわけですが、
後にSBDであると訂正し、今日に至っています。
この著者は、坂井氏の伝記の初板を参考にしたものと思われます。

このSAMURAI!ですが、ちょうど七月、最新版が発売になるところで、
今アマゾンに予約販売をかけています。
そろそろ届くと思うのでアメリカに送ってもらおうと思っています。



おっと、ドーントレスかアベンジャーか、でしたね。
私ならアベンジャー”復讐”より、ドーントレス”勇敢”にやられた方がましかな。なんて。
そもそも日付が一日間違っているので(実際は八月七日)この著者が一日違いの資料をもとに
機種を誤認しているのかもしれません。

我々がノンフィクション作家に要求するのは
「歴史をどんな小さなことでも正確に記し後世に伝えてくれること」で、
そうであるに違いないという前提で本を手に取ります。


こういう小さい喰い違いでも印刷という媒体に載せてしまうと、歴史という観点では
わずか六、七十年前のことすら事実にコーティングをするように本当のところが分からなくなっていく、
という実例を見た気がします。
「それがどうした」と言われるような瑣末なことですが、
歴史は「それがどうした」の積み重ねですから。







参考:"ACES HIGH" BILL YENNE, Berkley Caliber




映画「 トラ!トラ!トラ!」 ~公平さがアダに

2010-07-20 | 海軍


いまさら「トラ!トラ!トラ!」でもなかろう、という向きもおありでしょうが、何しろ今になって初めて観たものですから、少しお付き合いください。

さて、この映画、日本ではどうだったのか知りませんが、アメリカでの公開は興業的に大コケだったそうです。

何故か。

この日米合作映画、どちらかの立場で物事を見ることなく、制作を彼我に分け「公平に」作られたものです。つまり、日本側の映像は日本が、(監督は深作欣二)米側はアメリカが制作しています。
その結果、サクッというと「アメリカ人には全く面白くもねえ映像の連続」になってしまったからだと思います。

真珠湾攻撃が奇襲になってしまったのは「日本からの先制攻撃をを渇望するホワイトハウス」の意向や、日本大使館の書類制作の不手際などの運命的な出来事が複雑に絡み合った結果であり、決して日本人は卑怯ではなかったする見解すら、特に勧善懲悪にカタルシスを見出す国民性のアメリカ人には受け入れがたかった(今もかな)のかもしれません。

その日のためにまなじりを決し、日夜備える帝国海軍と、情報部では無線を傍受し暗号を解読していながら政府の意向や油断の前に、現場では大事に備える心の準備のないままその日を迎えてしまったアメリカ側。

映画はむしろ、この点の対比をくっきりと描きます。

例えば両軍で同じように機雷の投的訓練を行うのですが、百発百中の出来に「よくやった」と微笑む日本側に対し、こちらはアメリカの訓練の様子です。(エリス中尉拙訳)


「一時間見てるが全く当たらんじゃないか。パイロットは目が見えるはずだろう」

「次は誰だ」
「アンダーソンです」

「ん、ちょっとはましだな。ま、君の部下は最後にはやってくれるだろう」
「私もそう望みます」

「次は誰だ」
「ディキンソン中尉です」

・・・・・・・・・・・・・(-_-メ)

「ディキンソン中尉に『お前は牛のケツに止まったハエを叩くこともできんのか』と俺が言ってたと伝えろ」
「イエスサー」(T_T))

この映画、淡々と時系列で実話が展開され、ノンフィクション的色合いが強いので、その点エリス中尉は評価します。
いきなりバッチメイク女優が、自爆した飯田大尉のことを知って泣き崩れるなどというシーンが一つもありません。
それだけでも評価したい。


日本側の登場人物で主役格は山本長官(山村総)南雲中将(東野英二郎)淵田少佐(田村高廣)源田中佐(三橋達也)。

貫禄の山本長官ですが、少しお太り気味・・・。
あ、これは、実際の山本長官も「気を遣われ過ぎていいものを食べすぎ、こっそり体の不調を訴えていた」という史実にのっとった役作りですか?
(多分違うと思うけど)

南雲中将は、実物と比べると少し「枯れ過ぎ」?
何しろ、この方には拭いがたい「黄門さま」のイメージが・・・。

「第三次攻撃は行わん!ええい山口(多門)、この菊の紋どころが眼に入らぬかあ!」

なんてね(^_^;)


淵田少佐の田村高廣がとても良いです。一緒に見ていた息子が「かっこいい!」と言っていました。
本日画像は訓練中の淵田少佐。
置屋の窓から芸者さんがきゃあきゃあ手を振っています。
京都出身の田村高廣にに関西弁でしゃべらせる演出には感心しました。(淵田少佐は奈良出身)
ただ、関西弁で「トラ、トラ、トラや!」
と叫ぶのはやりすぎだったかも。


かっこいいといえば、息子は日本側司令部がでるたびに流れる「いわゆるアメリカ人の考えるところの日本的な音楽」に「なにこれ~!」と笑い転げていましたが、それでも帝国海軍司令部がズラリと映ったり、搭乗員が鉢巻を締めたりのシーンのたびに「日本ってかっこいいよねえ」とため息をついていました。


この日本側の「かっこよさ」に対して、日本を侮りすぎて、なすすべもなくやられてしまった風の「かっこ悪い」アメリカ側。

日本側でしいてかっこ悪い部分を挙げるとすれば、

「休日で事務員がいないので自分でタイプするも、ポツポツ一本指打法でやっていたので開戦の通知が全く間に合わなかった大使館員」
でした。

日本がしたのはだまし討ちではない、ということもしっかり映画では描かれています。


「スニーキー・アタック」のせいにでもしないとおさまらないアメリカ人には、実に痛いところを突く映画になり、それゆえの大コケだったのでは、と思います。
誰しも自国sage映画は観たくないですものね。

さてその米国側キンメル司令長官、映画で、近くに落ちた機銃の薬莢を側近に手渡され「これに当たって死にたかった」なんて言っていますが、このおっさん、日本人は解剖学的に内耳に欠陥があるので飛行機で宙返りなんて絶対にできない、なんて大真面目に言ってたんですぜ。
ざまーみろぃ。



暁の中の海軍飛行隊出撃のシーンは美しく感動的です。
赤城から最初に飛び立った一番機が、滑走路を飛び立った瞬間一瞬姿を消し、再び舞いあがるのを見ていた南雲中将がこわばらせていた頬をにこっと緩め、「よし」という顔をする、こういったディティールを丁寧に描いて海軍ファンにはたまらない出来です。


一言言うなら、淵田少佐は雰囲気も体型も似ていると思うのですが源田中佐が少し体格良すぎるかな。
もう少し切れ味のいい日本刀みたいな雰囲気の役者さんの方がよかったと思うのですが。


この映画については、また書きます。






サンフランシスコのサマースクールその1

2010-07-19 | アメリカ

ボストンで一日二回の水泳やロッククライミングの日々を過ごし真っ黒に日焼けして体力をつけた息子ですが、ここサンフランシスコでは一気に「ナード(おたく)な日々」。
ここでのサマーキャンプは「レゴ・マインドストームキャンプ」
昔のレゴしかご存じない方、今、レゴとはブロック遊びではないんですよ。
コンピュータに組み込んでロボットとして動かすものなのです。
息子はここ数年毎年このキャンプでプログラムをやっているのです。

アメリカのサマースクールはボストンのように学校主催のものもありますが、多くは「サマーキャンプ業者」が主催しています。
いろいろなジャンルの業者が、夏の間普通の学校の教室を借りてそこで教室を開く、というものです。
ハーバードやスタンフォードなどの一流大学の教室を借りて、ハクをつけようとする業者もあります。
やってることは子供のサマーキャンプですが、お利口さんになった気分を味わえるかもしれませんね。

ベースボールキャンプ、お料理キャンプ、アート、演劇キャンプ、音楽キャンプ、勿論勉強ばっかりやるキャンプ、子供の興味に合わせて選ぶようになっています。
何が好きか、何に興味があるか、何が得意か、何をやっていきたいのかを夏のキャンプで知るのかもしれません。
息子の行っているのはこの「ブランダイス・ヒレル」高。
朝のドロップオフ要員。
親は車で入口を通り過ぎ、子供を落として(ドロップオフ)そのまま走り去ります。
彼らも夏休みの学生アルバイトです。
そのせいで、彼ら自身も楽しもう!って感じ満々。

アイアンマン、蜂、医学部らしい手術着着用、この赤ちゃんは勿論人形。
(医学部だから少しは歳をとっているのかも知れませんが、これ、大学生。若くて髪の毛が薄くなってしまう人、多いです(T_T)
毎日がハロウィーン状態。
スタッフの方がハイになっているように見えるのですが・・・。
このお兄さんたちは同じ学校で別に行われている「キャンプ・ガリレオ」のカウンセラー(先生のこと)。息子の学校とは「別のキャンプ」です。

生徒の数だけ用意されたデルのコンピュータ。
マインドストームへのプログラミングや、ゲーム制作をします。
しかし、一日パソコンに向かっているのかというとそういうわけではなく、何分かおきに強制的に外に追い出されるそうです。


この日の授業は、マインドストームでギターを作ろう!
ということで、迎えに行くとこれで「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を弾いて(弾こうとして)くれました。
向かいは、隣の初歩クラスの少年で、わざわざ見に来て
「おお~むちゃかっこええ!」と叫んでいます。

みんなの作品。みんなは指示通りの定型ギターですが、息子は「独自性を出すため」フレームの形を創作したそうです。指導中の先生。
このカウンセラーののトムもどこかの理系学生で、あまり先生らしくありません。

なかなかのイケメンです。
アルバイトなので、コンピュータ関係以外の指導はしないようです。
息子は毎日変わるプログラムを楽しみにエクステンド(延長)までして、フルに楽しんでいます。
おかげで体力を使い果たして(体は使っていないはずなので、気力か)帰ったら公文もチェロもブーブー文句を言いながらするので、昨日、母の小言二〇ミリ弾炸裂。

空飛ぶ主計大尉

2010-07-18 | 海軍

皆さんはジェットコースターお好きですか?
「どうしてわざわざお金を払って怖い思いをしなきゃいけないの?」
という、ごくごく当たり前の文句を言ってきたエリス中尉、ここ最近は10歳の息子を引っ張るようにして絶叫ライドに乗るようになりました。
何故かもうお分かりですよね。
零戦に乗せてもらってスタントをする気持ちを少しでも理解したいからです!
(自分で書いていて情けなくなった(-_-)

土方敏夫大尉が、整備兵を乗せてスタント(宙返り)をする話が著書に出てきます。
「死んでもいいから一度乗ってみたい」という整備員に「大丈夫か、スタントやるよ」と断ったうえで乗せたままテスト飛行するのですが、最初は「ものすごく元気な声であいさつし」「水平飛行まではあたりの景色を眺めて至極ご機嫌」だったこの若い整備兵、宙返りを二、三回したところで席から姿を消してしまいます。
頭を下げて両手で席にしがみついていたためです。
地上に降りても立つことすらできず座り込んだままの可哀そうな整備兵に、土方大尉は尋ねます。
「どうだ、飛行機で飛ぶのは面白いか」

もう、土方大尉ったら、意地悪。

整備兵なら毎日飛行機を触っているわけで、少しくらい予想はつかなかったのか、というのは素人の考え。
宙返りのときにパイロットにかかるGの凄さは、たとえば新庄浩大尉によると「自分の腕さえも全く持ちあがらない」
誰も鏡で見ないので分からないでしょうが、そのとき人間の顔は、圧力で物凄い形相になるそうです。
内臓の位置さえ変わるそうです。若くなければまずつとまらないでしょう。
当然、疲労も、体に欠ける負担も、想像を絶するものです。

その激務に対して、搭乗員の兵食というのは他の隊員に比べ格段に栄養を考慮したものでした。普通食のほかにも肝油や卵、甘いものが特別についたといいます。
よく戦記に出てくる航空糧食、戦闘機に積み込んで途中で食べるお弁当(巻き寿司が多かったようですね)も、やはり皆と比べてかなりいいものだったようです。
その食糧の配給や、会計、武器、弾薬、海軍予算の編成をするのが主計というところなのですが、この主計士官を飛行機に乗せてスタントをした、というパイロットをエリス中尉は少なくとも二人知っています。

一人はご存知坂井三郎中尉。
「搭乗員の兵食を減らした主計大尉を言葉巧みに誘い出し、スタントでゲロゲロにして待遇改善させた」という記述をどこかで読んだことがあったのですが、これと全く同じ話が新庄大尉の口から出たのを聞いたとき、本当にびっくりしました。

新庄大尉も「主計大尉を」「うまいこと言って飛行機に乗せ」「スタントしたらゲロゲロになって」「次の日からビタミン剤や肝油がでてきた」


う~ん、これは・・・。(-"-)

戦後、主計士官の集まりかなんかで
「俺、うっかりパイロットに誘われて飛行機乗ったら、酷い目にあったよ」
「あ、俺も俺も」
「どうですかーなんて言うもんだから軽い気持ちで乗ったらスタントしやがんの。もう飛行機降りたらゲロまみれでさ」
「あ、俺も俺も」
「で、こんな大変なことやってたのか、って気の毒になって、糧食増やしてやったんだよ」
「あ、俺も俺も」


「・・・・え?」
「・・・・あ?」


というような会話はなかったのでしょうか。
この二人の主計大尉のみならず、待遇改善の下心込みでパイロットに無理やり空に舞わされた主計士官は、実は結構な数いたのではないかと思っているエリス中尉です。


ニッポンの匠

2010-07-17 | つれづれなるままに


自分の足の指の写真って、なんか恥ずかしいですねえ。
サイズを小さくしてしまいました。

手の指にはマニキュアもジェルもしません。
ピアノを始め楽器をする女性は、あまり爪に色をつけないように思います。
短くさえしていれば色が付いていてもいいように思えるのですが、ときどき見る果てしなく盛り上がった3D仕様の爪は、楽器を扱うのに果てしなく鬱陶しく感じそうです。
いつも短く切ってしまわなくてはいけないので爪の形がほとんど正方形、という状態も、ネイルカラーが似あわないと思えるからです。
正直、キラキラゴテゴテした爪に人ごとながらあまり清潔感を感じないのもしない理由。

そう言えば、ピアノを教えていたとき「小さいときに習っていてやりなおしたい」という若い女性が来たのですが、爪が長く、少し弾いてもらうと鍵盤がカチカチ鳴るんですよ。
「来週までに爪短くして来てくださいね」というと、来なくなりました(-_-;)
まあいいけどさ。

それはともかく、最近はネイルといえども「アート」と呼ぶそうで、確かにサロンに行って見本をみると「これもひとつのアートには違いない」というくらい凝っています。

手には決して色をつけない派のエリス中尉ですが、夏場足の爪にはカラーをします。
今日画像の爪は、出発前にしてもらったネイル「アート」です。
時間がなくて「簡単なモチーフしかできない」と言われて、このレベル。
エミリオ・プッチのパターンをそのままやってもらいました。
日本国内でも「これ、どうやってしたんですか」と聞かれるこのネイル、アメリカではもう称賛の嵐です。

ボストンで行ったお店で店員さんがかがみこんで「ソー・クール!」といって、足の爪を触るんですよ。
「どうやってしたの?」
「まず、ウォーターカラ―(水彩絵の具)で色を塗って、その上からジェルでカバーするの」
「どこでやってくれるの?この近く?」
「ううん、日本で。」
「すごい・・こんな細かい仕事してくれるところ、ここにはないわ」

まあ、米粒に般若心経書いてしまう民族だからねえ日本人ってのは。

「多分、こんなことしてくれるの日本だけだと思う。彼女らの技術は凄いのよ」

思いっきり国自慢してきました。

行きつけのサロンでは、こういう抽象柄だけでなく、歌舞伎の隈取りの顔と歌舞伎色(オレンジ、黒、緑)、スポンジボブ、ディズニーキャラ、キティや「スイカのペンギン」の顔、なんて言うのもあって、もう完璧に彼女ら遊んでいます。
クリスマスのツリー、正月のおめでた柄、ハロウィーンや桜は当たり前。
「焼き鳥柄」「寿司柄」を見たとき、今まで誰かこれをしたことがあるのか聞いたところ「ない」とのことでした。

そうだろうなあ。

「どのくらい持つの?」
「足は三カ月はもつかな」
「わあ、日本に行こうかしら」

なんて会話もありましたよ。
これを見ている日本のネイリストの方、これだけの技術をお持ちなら、アメリカでサロンを開くがよろし。
きっと全米で大評判になること間違いありません。

たかが、ネイル。
でも、与えられた仕事をとことんまで昇華させる匠の技はここにも表れています。

どんな隙間ジャンルでも、こうやって凝りに凝ったあげく、技術を駆使して独自の境地をあみ出してしまうのですねえ、ニッポンジンってやつは。



ところで、息子はこちらで初めてPSPを購入しました。
唯のゲーム機だと思っていたらとんでもない、ゲーム機能付きのりっぱなメディアツールじゃないですか。映画も観られるって知りませんでした。
(アメリカのプレイステーションのCF、最後に『プレイステーション』って、明らかに『日本語の発音で』言うんですよ。息子が先に気付いたんですが)

wiiもみんな好きですね。
麻薬売買容疑者の家に捜査に入った捜査員が、wiiを見つけ、仕事そっちのけで遊んでいたところ、犯人が仕掛けていた隠しカメラに撮られていて、上から怒られた、って話がありましたが。
・・それなんてCF?

アシモ、はやぶさ、カラオケ、etc.
日本人ってこういう「あってもなくてもいいけどあったら嬉しいもの」「未来の夢を一緒に運んでくるもの」を突き詰める情熱ってすごいですよね。
お台場のガンダムも世界中で評判だったらしいし。

日本好きだぞ、そういうところが。













また日本軍が攻めてきた!

2010-07-16 | 海軍
昭和42年、アメリカ、ロードアイランドでのニューポート・ジャズフェスティバル。
日本のビッグバンドとして初めてこの世界のひのき舞台で演奏をしたバンドがありました。その名は
「原信夫とシャープス・アンド・フラッツ」。

「さくらさくら」「越天楽」「箱根八里」をモダンにアレンジし、フューチャーされたのは山本邦山の尺八。
観衆は熱狂しスタンディングオベーションで彼らの演奏を讃えます。
ステージの袖で聴いていた出演者のひとり、トランぺッターのディジー・ガレスビ―がこう呟きました。

「また日本軍が攻めてきたぜ!」

バンドリーダーの塚原信夫氏は、知る人ぞ知る海軍軍楽隊の出身です。
昭和18志海兵団の軍楽兵として横須賀で訓練を受け、終戦時はアルトサックスと海軍毛布一枚持って復員しました。

「クラシックなんて飯食えねえよ。ズージャやれよズージャ。ルービも飲めるぜ」
オーケストラのオーディション会場を出たところで、こう声をかけた海軍仲間の誘いの一言が塚原青年のその後の人生を決定しました。
塚原青年はジャズミュージシャンとしての道を歩き出します。
オーケストラに合格していたかどうか、結果を確かめることもなかったそうです。

その後、仲間とともにかつての敵国、アメリカ進駐軍相手にジャズの腕を磨く毎日。
おりしもジャズブームが到来し、塚原氏は芸名を「原信夫」と変え、自らのビッグバンドを結成します。

ある程度の年代の方なら、紅白歌合戦の伴奏をする「原信夫とシャープスアンドフラッツ」という名前をお聞きになったことがあるのではないでしょうか。
しかし原氏は、1975年頃、テレビとケンカして歌手の伴奏をやめてしまいます。
理由は、アイドル歌手の伴奏をするのがほとほと嫌になったからだといいます。
それが金銭的に困窮する原因にもなるのですが、海軍仕込みの厳しい練習に耐え楽器を習得した原氏には、時間も守れないうえ歌手としての実力すら危ぶまれるアイドル歌手など、音楽家としてどうしても許せなかったのでしょう。

ブームこそあったものの、ジャズと言えば文化的にクラシック音楽より一段も二段も低いもの、という偏見に満ちていた当時の音楽界でひたすらジャズ音楽の普及に努め、ついに昭和63年、原氏は紫綬褒章を受賞します。
海軍毛布とサックス1本の復員から43年目のことでした。

元海軍軍楽兵だった原信夫の攻め込んだニューポートジャズフェスティバルを、地元の新聞は次の日このように報じました。

「ノブオ・ハラとシャープス・アンド・フラッツの演奏は、我々に真珠湾の攻撃を思い出させた」


参考:海軍軍楽隊「花も嵐も・・・」針尾玄三編著 より「ジャズのとりこになって」原信夫 近代消防社刊

映画 DESPICABLE ME を観た

2010-07-15 | 映画
サンフランシスコについてすぐの週末、公開になったこの映画を観てきました。
いやあ~。
面白かった。
GET SMARTでおまぬけなスパイを演じたスティーブ・カレルが主役のグルーという「怪盗」の声をしているのですが、息子によると(笑)この人がこの話の企画をしたとか。
(息子がテレビで見て得た知識ですので裏取ってません。本気にしないでね)

このアニメに出てくるわけわからん生物、画像の黄色いイモのような連中を「ミニオン」というのですが・・・・。
これがやたらカワイイ。

エリス中尉、実は少女期にぬいぐるみを愛でるというような感性を持たず、子供版「第二次世界大戦・山本五十六戦死」を見て「ふーむ、『巨星墜つ』・・・かっこよく言うには『墜ちる』ではないんだな」なんて知識を蓄えたり、握力を強くするために(水泳やってたので)ハンドグリップを握ってみたり、父からもらった開腹手術中の内臓写真を大事に持っていたりという、はなはだ残念な中身の女の子だったので、何かを見て「かわいい~!」と萌えることがめったになかったんですね。

でも、こいつらのかわいさにはノックアウトされました(*^_^*)

題は・・・これ、なんて訳せばいいんでしょうね。
「卑劣な私」?
「私を騙してちょ」?
違うな。

10月末には日本でも3Dで公開されるそうですが、日本題は
「怪盗グルーの月泥棒」
これだけで、内容が分かってしまいますね。

今、アメリカではこの映画の公開に合わせて幾つかの企業がこのミニオンをCFに起用しています。
この生きもの、ときどき英語に聴こえる妙な言語をしゃべるのですが、
これによると
映画でミニオンの言っていることを通訳してくれるサイトがあるそうです。
提供はベストバイという、こちらの大手電気製品販売店。

このミニオンをうじゃうじゃ秘密の工場で働かせている大泥棒グルー。
オレンジのジャージを着たオタクな天才発明家で泥棒のライバルベクター(ベクトルのことかと。本名はビクターだが、『ビクターはナード(オタク)みたいだから』こう名乗っているらしい)は、自ら発明した「なんでも小さくしてしまう機械」で、ピラミッドやエッフェル塔を盗むのに成功。
グルーは月に行きそれを小さくして持って帰るという野望を抱きます。
彼が、ベクターから機械を盗み出す計画のために三人の孤児を引き取るところからお話が始まります。

子供向けアニメではありますが、グルーとその母親との関係、そこからグルーに備わった親子関係の欠損の代償としての「月に行く」ひいては「月を盗む」という行為を説明し、そういう彼の孤児たちへの気持ちがその過程で少しずつ変わっていく様子が描かれていて、ストーリーは単純でも、ディテールが丁寧で大人が見ても十分見ごたえのある映画となっています。

そして、このミニオンが映画では大活躍。
この生物はそもそも何なのか、なぜ一つ目や二つ目がいるのか、なぜ着ているデニムのオーバーオールに「グッドデザイン」のマークがあるのか(グルーのGだとは思いますが)など、一切説明なし。
もしかしたらそれらしきことがちらっと説明されていたのかもしれませんが、そこはそれ、字幕なしで英語を完全に聴きとるにはアレなもので(^_^;)

どうやらいろんな体型や髪型があるようで、みんな少しずつシェイプが違うんですよ。
字幕によるとちゃんと名前もDave the Minion ってかんじで名前も付いているようです。
こいつらが実験台になったり、暇つぶしにいたずらをしたり、無茶苦茶笑えます。

今サンフランシスコはいたるところこいつらのポスターが。
ミニオンバスも走っています。

息子はもうミニオンに夢中で「あれ一匹欲しい~!」と「目にお星様状態」になっていました。
確かにこれなら私も欲しいぞ。ぬいぐるみはいらないけど。