ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

霧島を行く~さざれ石の巌となりて苔の生すまで

2013-03-31 | お出かけ

色々と話すことが多すぎで旅行の話があっという間に
「旧聞」になってしまうのですが・・・。

先日霧島温泉の話をさせていただいたのですが、
今日はその次の日、連れて行っていただいた観光の話。



まず最初に霧島神宮。
日本発祥の地・・・・?

なぜ霧島がここまで豪語するかというと、
ここには「天孫降臨の地」としての神話があるからだそうで。

太古の昔、神々が下界を見下ろすと、きりに煙る海の中に
島のように見えるものがあります」
神々は鉾を差し、島に印を付けました。
それが霧島山の由来です。

あるとき、アマテラスオオミカミの神勅を受けて、
三種の神器を持ったニニギノミコトが、猿田彦の命とともに
高天原から地上に降り立ちます。

天上界から神が地上に降り立ったその最初の一歩が
「高千穂峰」だったということで、
ここが日本の建国のことはじめだと言われているわけ。

天狗は・・・・なぜかわかりません(笑)



参道は階段をかなり上り、しかも遠い。
お参りする人も大変だ。



この参道沿いにあった灯篭。
おお、こんなところに名前を遺せるとはきっと当時のVIP、
などといいながら歩いていると、



・・・・ん?
なんだか見たことのある名前が。



西郷従道さんではないですか!
最初の元帥海軍大将、西郷従道。



参考画像。

そんなVIPの寄進した灯篭がここに!



VIP寄進灯篭もう一つ発見。
公爵島津忠重。



参考画像。
んまあ、この男前は誰?
島津忠重とは全く関係ないのですが(笑)
海兵一期下の栽仁王(たねひとおう)。

兵学校卒業間近に盲腸炎でご逝去。
なんと20歳の若さでした。

(この写真と兵学校出ということを
アップするためだけにこじつけました)






写真を撮りに来ている人多し。



神聖降臨の地であるという碑。
なぜかタンカー霧島丸の進水を記念して建てられました。



さざれ石。

これを読んでわたくし「マジですか?」と言ってしまいました。
皆さん、わが日本国歌の

「さざれ石の巌となりて苔の生すまで」

って、なんだか道理に合わない文句だと思っていませんでした?
わたしも思っておりました。
だってなんで小石が大きくなるのよ。
逆に砕けて小さくなっていくならわかるけど。

しかしですね。

この碑によると

「さざれ石は石灰石が雨水に溶解して
その石灰分を含んだ水が時に粘着力の強い乳状体となり、
地下において小石を終結して次第に大きくなる
やがてそれが地上に顕れて、国家に詠まれるごとく、
大きくなって苔も生すのである」

「この石はその集結の過程をよく察することができる」

とあるではないですか。

うーん。
今の今まで、さざれ石が本当に大きくなるとは知らなんだ。

というわけで、ここに置いてあるさざれ石は
「苔の生す前の成長過程にあるもの」
であるらしいのですね。

皆さん、ご存知でした?
我が国歌に一毫もの矛盾はなしってことです。



何しろ天孫降臨の地の神社ですから、そのご威光のあること。
伊勢神宮や出雲大社と並ぶ御三家ではないだろうか。
(適当に言ってます。違っていたらすみません)



そこにあるご神木。
最近、対馬の寺から仏像が盗まれ、
盗み先の国である韓国の裁判所が
「返さなくてもいい」なんてトンデモ判決をだし、
靖国神社の放火犯人を「政治犯」だとして中国に帰したことといい、
このことといい、国ぐるみで「愛国無罪」を制法しているらしいことが
あらためて日本人の間に嫌悪を呼び起こしていますね。

実に恐ろしい話なのですが、昨今全国各地で
「ご神木が何者かの異物注射によって枯れる」
という「ご神木テロが起こっているといいます。
突然枯れだすご神木を調査すると、

ドリルで幹に穴があけられ、そこに

薬剤を注射してあるのだそうです。

この10年で被害に遭ったご神木はなんと25本に及びます。

誰が何のために?
と疑問に思っているところに、たとえばこんな「仏像泥棒」
の話を聴くと、この国の人間がどこからかの指示を受け、
やっているのではないかと疑われますね。

お雛様を倒すゲームをしたテレビ局のことを話したとき、
「日本人にはできない」と断言しましたが、
こんなことも普通に考えると
「日本人なら恐ろしくてとてもできない」
のではないでしょうか。

ここのご神木は今のところご無事のようです。
四国を中心に起こっている被害なのだそうですが、
放火や仏像盗難も起こっていることですから、
神社仏閣関係の方々にはくれぐれもセキュリティを
しっかりしていただくしかないでしょうね。

などと心配するということ自体が日本において
「ありえない」としか言いようがないのですが。



神殿に到着。
大修復が済んだばかりらしく、どこもかしこもピカピカ。

しかし、神殿わきにこのようなお知らせ発見。



屋根が老朽化してきたので、リフォームしたい。
よって、その資金集めのために寄進を募集しています。
一枚2000円で、葺き替え用の屋根の銅板に、
住所と名前を墨で書いてもらえるというもの。



西郷従道さんが寄進したように、(桁は違うけど)
とにかく神殿の屋根に名前が記されるわけです。
何百年か後にまた改装したとき、われわれの名前が
後世の人の目に留まるわけです。
それがどうした、という向きもございましょうが、
こういうことにはノリノリになるTOが提唱して、
家族三人分の寄進をさせていただくことにしました。

手続きは社務所で、巫女さんがしてくれます。
寄進者の氏名はちゃんと「社報」で報告してくれるとのこと。



日本の神社も改装したては結構カラフルだということがわかりました。



菊の御紋は、もちろん皇室を意味します。
先ほどの詩碑、



これも、徳富蘇峰の
「皇室を中心とする国」という意味の詩が書かれています。



とても高いポールに高々と揚がる日の丸。
日教組の人たちは、ここには決してお参りに来ないのでしょうね?
お正月も、お宮参りのときも、この「皇室を祀る」
目的のある神社は避けているわけですね?



色々と突っ込みがいのある看板ですが。
霧島温泉について書いたときも触れましたが、
ここは坂本龍馬とおりょうの新婚旅行の地。

池田屋事件の傷を霧島の温泉で癒し、
高千穂の峰でその美しさに「二人で微笑み合った」そうです。
アツアツです。

この新婚旅行、なんと88日間続いたそうです。



写真ではわかりにくいですが、不安定な岩の山の頂上に、
巨大な岩をバランスを取って置いてあります。

いったい誰が何のために?

上に岩を置くのも、どうやってやったのかさっぱりわかりません。
皆「ふーん」と見て何の感想もなく通り過ぎていましたが、
わたしはこの岩をどうやってセットしたのか、
気になってたまりませんでした。
おそらく4~5人の屈強な男たちでようやく持てるような岩ですよ?



わたしがこの岩山見入っている間に、連れ(家族と案内の方)
はすたすたと先に行ってしまいました。
「待って~!」
砂利道を走って追いかけるエリス中尉。

この後は新燃岳(のふもと)に行きました。

続きはまたいつか・・・。





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市谷・防衛省ツアー~メモリアルゾーン

2013-03-30 | 自衛隊

この「メモリアルゾーン」見学も、午後のツアーにない行程です。
この写真は見学コースから撮ったもので、
このモニュメントに近づくことは許されません。

これは自衛隊殉職者の慰霊碑です。

「自らの危険は顧みず」任務にあたり、
陸に海に空に、訓練演習、災害派遣の完遂の務めた
自衛隊の幾多の隊員が職務に殉じました。

昭和25年の警察予備隊創設以来、昭和24年6月現在で
その殉職者の数は1800名を超えます。

この殉職者慰霊碑は、このような隊員の功績を永久に顕彰し、
敬意と追悼の意を捧げるために昭和37年建立されました。

しかしながら風化による傷みが目立ってきたため、
遺族の要望を受ける形で昭和55年10月15日、
このモニュメントに建て替えが行われました。

再建のための費用は防衛共済会事業費と、全自衛隊隊員の
拠金(カンパ)によって賄われています。


近くまで立ち寄ることができなかったのが残念ですが、
見学者は30メートルくらい手前の通路からそれぞれ手を合わせ、
祈りを捧げていました。

モニュメントは誰が見てもわかりますが富士山を象っています。
碑銘は当時の首相鈴木善幸の揮毫によるもの。
旧モニュメントの「池田隼人首相の銘石」が、右手に残されました。

この慰霊碑には、歴代防衛大臣などの防衛省幹部の理着任時や、
海外要人の来省の際には献花が行われることになっています。





ところで、このツアー。
何でもかんでも事細かに教えてくれるわけではありません。
もしかしたら聞いたら教えてくれたのかもしれませんが、
メモリアルゾーンに向かう途中に、このような

いかにも何か曰くありそうな


神社があるではありませんか。
しかし説明なし。
この日一日説明を聞いて、どうやら防衛省は

「旧軍にまつわるものはスルーする傾向にある」

ということを見破ったエリス中尉、きっとこれは
何かそのような曰くがあるに違いないと思い調べてみたところ、

これはかつて雄健(おたけび)神社といい、大正5年に
陸軍士官学校の校長の命名により創建されたものでした。

昭和16年予科士官学校の移転に伴い
ご神体は朝霞の振武台に遷されました。
しかし社殿はそのまま遺され、陸軍省・大本営陸軍部・
教育総監部が同地にある状態で終戦を迎えました。

        
戦後は復員省・極東軍司令部などが同地を利用していましたが、
昭和34年防衛庁に移管、陸海空幹部学校や
東部方面総監部などが同地を利用、平成12年には防衛庁本庁がここに移転、
此の間社殿は撤去されずに存在し続けてきました。

平成14年メモリアルゾーンの整備に伴い、少し位置は移されましたが、
現在もなおご神体不在のまま90年の風雪に耐えて現存しています。


今ご神体が無いので、祭祀も行われていないということですね。


この時ご神体を別の場所(朝霞神武台)に移したのは、
やはり進駐軍による接収四散を防ぐ意味があったようです。

ご神体こそないものの、かつて陸軍予科士官生が毎日額づいた場所。
やはりこのような社殿を取り払ってしまうのは勇気のいることらしく、
ここにぽつんとその社殿だけが残されているというわけです。

このように、このメモリアルゾーンには結構いろんな
「軍的な碑」があり、もっとも決して隠しているわけではありませんが、
ツアーでは一切説明はされません。

どんな団体が鵜の目鷹の目で粗探ししに
わざわざやってこないとも限らないからでしょうね。

つまりそういったものを顕彰しているところを左巻きや「市民グループ」
に目を付けられたりすると、皆様の防衛省としては厄介なことになるから、
とエリス中尉激しく勘繰ってみました。

おそらくそうはずれではないと思われます。

例えばこれ。



陸軍幼年学校の碑

明治30年、明治天皇の御聖旨により設立された
陸軍幼年学校を記念する碑。
昔戸山ヶ原にあった碑ですが、学校発祥の地
市谷に移しました。



砲一碑

野砲兵第一連隊および野砲兵第101連隊の記念碑。
昭和44年に建てられました。



市ヶ谷駐屯地・基地記念碑

いまいち意味が分かりませんが、まあそういうことです。
後は

大元帥陛下御立所

昭和天皇が士官候補生の馬術訓練をご見学された所

戦史室後の碑

大東亜戦争に関する戦史叢書102巻が編纂された
戦史室の跡地に置かれた碑を移設した


戦史叢書の編纂って、国家的大事業だったんですね。


東京オリンピック支援集団司令部跡の碑

昭和39年の東京オリンピックを支援するため、
自衛隊には「自衛隊支援集団」が編成されました。
この司令部に置かれていた碑を移設


とまあ、このあたりは比較的問題?は無いのですが、



これなど、かなり「左翼的に」糾弾し甲斐のある物件かと。

陸軍少佐晴氣誠慰霊碑

陸軍少佐晴氣(はるけ)誠は、
大本営陸軍部作戦班に勤務中、敗戦を知り
その責任を感じて8月17日の早朝、この地で自決


ここは当時陸軍省の大正天皇御立所がありました。
晴氣少佐は陸軍大学を恩賜の時計で卒業した秀才でしたが、
サイパン陥落の責任を感じ、絶えず死に場所を求めており、
終戦をきっかけに自決に至ったものと見られています。

妻に残された遺書は次のようなものでした。


戦いは遠からず終わることと思う。
而して、それが如何なる形に於て実現するにせよ、
予はこの世を去らねばならぬ。
地下に赴いて九段の下に眠る幾十万の勇士、
戦禍の下に散った人々に、お詫びを申し上ぐることは、
予の当然とるべき厳粛なる武人の道である。

サイパンにて散るべかりし命を、
今日まで永らえて来た予の心中を察せられよ。
武人の妻として、よくご納得がいくことと思う。

而して予の肉体は消ゆるとも、
我が精神は断じて滅するものにあらず。

魂はあく迄皇国を護持せんのみ。

予は茲にこの世におけるお別れの言葉を草するにあたり、
十年間、予と共に苦難の途を切り抜け、
予が無二の助者たりし貴女に衷心より感謝の意を捧ぐ。

又、予は絶対の信頼を以て、三子を託して、
武人の道に殉じ得る我身を幸福に思う。

然るに、夫として、又父として物質的、家庭的に、
何等尽すことを得ざりし事を全く済まぬと思う。

今に臨んで、遺言として残すべきものは何ものもない。
予が精神、貴女が今後進むべき道は、
予が平素の言、其の都度送りし書信に尽く。

三子を予と思い、皇国に尽す人間に育ててもらえれば、
これ以上何もお願いすることはない。

三子には未だ幼き故に何事も申し遺さぬ、物心つくに伴い、
貴女より予が遺志を伝えられよ。
予がなきあと、予が残したる三子と共に、
更に嶮しき荊の道を雄々しく進まんとする貴女の前途に、
神の加護あらんことを祈る。

予が魂、亦共にあらん。



そして、これです。



陸軍大将阿南惟畿荼毘の碑

阿南大将は敗戦に際し8月15日朝三宅坂の官舎で自刃しました。
その遺体は高等官集会所に安置され、
その後ここ市谷の海軍重砲西側で荼毘に付されました。

荼毘に付されたという本当の場所がどこであるかはわかりませんが、
この碑に加え、

杉山元元帥(昭和20年9月12日拳銃自殺)
吉本貞一大将(昭和20年9月14日割腹拳銃自殺)

の自決の碑(いずれも市谷台で)をこの場所にまとめてしまいました。



あとは

全陸軍航空奉賛同人会碑

全陸軍の航空部門における戦没、殉職者の碑

など、つまりこのメモリアルゾーン、実は

旧陸軍の死者を顕彰する碑が圧倒的に多い

ということなのです。
せっかくメモリアルゾーンを見学コースに入れておきながら、
旧軍関係の碑については全く触れない。

もちろんこれは「表向き」であって、参加者には全員に
このメモリアルゾーンの碑について説明した冊子を配りますから、
決して「蔑ろ」にしているというわけではないのですが、
わたしはこういう「配慮」(誰に対する?)をする防衛省に対し、
先日少し書いた

「これじゃない感」

が、またもやむくむくと湧き起ってくるのを
抑えずにはいられませんでした。


実際のところ、

「旧軍の名残り」が市谷のあちらこちらに点在しているのは
今後のことを考えても色々と大変だから、
いっそこういうコーナーに皆まとめてしまおう!

というわけで、荼毘の地や自決の地に置かれていたものを
一か所にまとめてしまいたかった気持もわからなくはありませんが、
(晴氣少佐の自決は富士山のモニュメントのすぐ裏なので動かさず、
そのままになっているらしい)
都合上こうやって勝手に集めておいて見学者には何の一言も説明せずって、
だいたい国を憂えて自決した軍人たちに失礼なんじゃないでしょうか。


靖国に対する扱いのように、これほど自分が国のために捧げた命が
ぞんざいに扱われていることを知ったら、
わたしだったらちょっと出てきて文句の一つも言いたくなるかもしれません。



それはあくまでも「ある言論層」への対処であって、実際は
防衛省はそれらを手厚く慰霊顕彰をしている、ということならまあ、
―不満は感るものの―良しとしますけれども。








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葉山に遊ぶ

2013-03-29 | お出かけ

葉山というと何を思い浮かべます?

葉山御用邸?

ヨットマリーナ?

別荘?

いずれにしてもハイソサエティの香り。
それが一般市民の葉山に対するイメージです。

横須賀の米海軍基地スプリングフェスタに行ったとき、
小旅行を兼ねて前日、葉山に泊まりました。
そのホテルがなかなか良かったのでご紹介。



我が家の(と言うてもマンション敷地内の、ですが)桜が満開。
こんな週末のことです。



車を西に走らせることしばし。
三浦半島西側の葉山に到着。



今日のお宿はここ。



エントランス。
なんかよさそうじゃないですか~。
まるでニースのプチホテルみたい。



小さなホテルですが眺めは最高。
皆外でお茶を楽しんでいます。



フロントの上は吹き抜け。



角部屋でとても明るい。
まあ素敵、といいたいところですが、
どことなく、少しだけ「安っぽい」感じがしないでもありません。
昔流行った「カフェバー」(笑)みたいな。

部屋の片隅に、部屋面積の割には巨大すぎる
「加湿器兼空気清浄器」があって、これがまずうるさい。
付けても空気が異様に乾燥していて、夜寝苦しい。

このような部分はありましたが、すべての欠点を
この前にある海の景色が補っておりました。



ますますニースみたいです。

実はニースというところは海岸にタマゴ大の石がゴロゴロしていて、
さらにいたるところにまずいものが落ちていたりするのですが、
フランス人はお構いなしでそこにシートを敷き、
暑くもないのにむやみにトップレスになって寝転んだり、あるいは
昼間から周りはお構いなしで恋人たちの世界に突入したりします。

結構「行ってみてがっかりのリゾート地」だった記憶があります。



このホテルは、この目の前の小さな半島?がポイント。



わたしたちもチェックイン後、外でお茶をいただきました。
晩ごはんが控えているのでおやつは控えめに。

これはお菓子みたいなクリームチーズのセット。
桜の季節のアレンジです。



しかしながら日本の景観地が
ニースには決して勝てない部分があります。
即ち「景観全体に対する根本的なセンスの無さ」。

こういうものを見るとそれを如実に感じます。

何なのこの観光客を当て込んで無理やり建てたダサい食堂は。
こんなところに醜い飲食店を立てて、しかも
駐車スペースのためにわざわざ見苦しいアスファルト敷いて。

おまけに潰れた店の廃墟を放置。

全く、こういう「儲かりゃいい」みたいな商売人が
景観を台無しにするの、法律で何とかしてほしい。
富士五湖の周りなんか、こういうので荒れ放題ですからね。

ところで。
わたしたちがここに車で到着したとき、ホテルの方が

「坂の上で車が止まってしまったので、
すみませんがここから上に行けません。
ここに車を停めて歩いていただけますか

とおっしゃるのです。
なるほど、坂の途中に品川ナンバーのアウディが
エンコしていました。



ここで車が停まってしまったので、ちょうど出るところだった
やはり品川ナンバーの赤いフェラーリと鉢合わせ。

最初はこの二台の事故だと思い

「うーん、なかなかゴーヂャスな事故ですなあ」
「さすがは葉山」


などと感心していたのですが、事故ではなく、
単なるアウディの故障だったようです。



出ようとして鉢合わせになったらしいフェラーリ。

「しかし確かに急な坂だけど・・・・止まるかね」
「いや、昔知り合いがジャグワーに乗っていて、
坂道でパーッと電気系統が切れたってことあったよ。
で、ディーラーに文句を言ったら、
『ジャグワーという車はそういうものなんです』
って言い放ったって」
「アウディは腐ってもドイツ車なのに・・」

いずれにしても、初デートならフラれるかもしれないね、
などとアウディの持ち主に同情していたのですが、
車はずっとうんともすんとも動かず。
ついにアウディの中の人はホテルに入っていってしまい、
ホテルの人が修理が来るまでずっと車の近くで立ち尽くしていました。

ご苦労様なことです。

我々はそれを横目で見ながら、ホテルの敷地内を探索。



裏の山の傾斜を利用して高い部分に教会がありました。



結婚披露宴パーティに力を入れています。



人工の木にミミズク発見。



どうやらここでも結婚式をするらしい。
なぜかウェディング・ベルのある足湯(笑)

足湯は季節限定です。(三月いっぱい)
もしかしたら夏場はスパになるのかな。





この絶妙な高さの椅子に座って、脚をお湯に漬けるわけ。
頼めば飲み物も持ってきてくれます。
寒かったので、レモネードとココアを頼みました。



二羽で遊んでいたカラス。

カラスって遊ぶんですよ。
youtubeで、雪の積もった車のフロントグラスを
コロコロ自分で転がっている映像を見たことがあります。



すっかり夕日が沈みました。



こんな洞窟を半島に発見。
長年かけて波が削って行ったものでしょうか。



ホテル客室は二階にあります。
エレベーターを降りるとこんなお洒落な車いすが用意されています。
エレベーターが小さくて、一般の車いすが乗らないのでしょう。


このホテルは「朝夕食込み」か「なし」か選べます。
ここの売りは「美味しいお食事」だというので食事つきをお願いしました。



予約の時間にレストランへ。
この写真は食事が終わった客が全員出て行った後撮りました。



お酒が飲めないので雰囲気を出すために頼んだ
「カクテルジュース」。
食事のときたいてい我々はガス入りウォーターを飲みます。



三浦半島の野菜は美味しいと評判。



TOが頼んだ前菜。
こうしてみるとまるで目だ・・・・いやなんでもありません。



スープがお得意の模様。
カブやゴボウ、野菜のポタージュがどれも絶妙。



なんとなく昨今の事情から魚には手が出にくく、
メインはカモにしました。
黄色いソースはパッションフルーツ。
これだけ食べると決して美味しいとは言えない果物ですが、
このようなソースにするとその巧みさに呻ります。
カモ肉に掛けられたソースとマッチ。



デザートの一口ゼリー。
グレープフルーツその他。



マンゴーのアイスを乗せたババロア。
下のババロアはフランボワーズだったかな。



抹茶のマカロンとマドレーヌ、生チョコ。
もうこの辺に来るとお腹がいっぱいで肩で息状態。

食事が終わったらもう10時。



開けて翌日、天気予報は雨でしたが、結局晴れました。
この日は横須賀の米海軍基地に行くことになっていたので、
目覚ましを7時にかけていたのですが、起きられず(-_-)



ふと窓の下を眺めれば、昨日大騒ぎしていたアウディが、
修理できたのかパーキングにいました。
ちなみにこの中にエリス中尉の愛車もおります。



昨日足湯をしたところを望む。

 

朝のホテルフロント。

「何も開場までに行くことないよ」

という何の根拠もないTOの甘言に納得し、
寝坊したうえにゆっくり朝食を取り始めました。
今にして思えば、このとき予定通り行動していれば
イージス艦に乗れたんですけどね・・。





まあでもしかし、ここの朝食はそれだけの価値があったのも事実。
ビュッフェなどという無粋なことはいたしません。
ちゃんと一皿ずつサーブされてくる朝食です。



タマゴ料理、温野菜、生野菜。



そしてクロワッサンの美味しかったこと!
クロワッサン評論家(自称)のエリス中尉が厳かに、

「これは台湾のホテル『ラルー』と同等かそれ以上」

と一口食べるなり言い切ったこのクロワッサン。
「エシレ」のバターを使って焼いているそうです。

丸の内にエシレの直売店があり、ここのクロワッサンを頼んで
買って来てもらったことがありますが、やはりクロワッサンは
できてから口に入るまでの時間が勝負。
「買ってきてもらって食べる」
という時点でもう味は台無しになってしまっているんですね。

ですから、焼きたてのものが食べられるホテル宿泊というのは
ある意味、そのホテルのパン作りの実力が一番わかるのです。

焼き上げてまだ温かみの残る上質のクロワッサンが食べられる、
それだけでこのホテルに来た甲斐がありました。

・・・・というくらい美味しかったです(笑)



朝の海の色がグラスのブルーに映えてきれい。



赤と白のカヌーが競争していました。



結局ホテルを出たのは9時過ぎでした。



ホテルをチェックアウトして外に出ると、すぐ、
葉山御用邸があります。



御用邸の警備をする皇宮警察の警察官。
微妙に制服の色が一般警察と違う。



横須賀まで30分。
途中の道は桜と菜の花が綺麗でした。




おまけ。
横須賀探訪の後、自宅に帰ってきて、
近くの公園の夜桜を見て帰りました。

葉山には今回のホテルだけでなく、美味しいレストランや
素敵なホテルがたくさんあるそうです。
さすがは、関東の「別荘地」と言われているだけのことはあります。

「引退後は葉山ってどう?」
「地震が怖い」
「海を見下ろす高台なら津波も来ない」
「地すべりが怖い」
「・・・・そうだね・・・」

関東で地震を怖がっていたらどこにも住めないんですけどね。









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市谷・防衛省ツアー~憲兵の無念

2013-03-28 | 日本のこと

細部にこだわって何度かお送りしてきた市谷防衛省ツアー。

今日は市谷記念館の中に展示されていたものを
ご紹介しようと思います。
先日栗林中将の絵手紙をエントリに上げましたが、
これは本物ではありません。
遺族(国会議員の新藤義孝氏)からの寄贈はあったようですが、
ここに飾ってあるのはコピーだそうです。

昨今のコピー技術はすごいので、
ほとんど本物のと寸分違わないものですけどね。

ですから写真は撮り放題。
フラッシュだけは禁止です。
冒頭写真は山本五十六の揮毫による
「常在戦場」の書。
しかしこういうのを見るにつけ、この頃の政治家や軍人文人は
「書」というものに精神性のすべてを込めていた、という気がします。

226事件で鈴木貫太郎を暗殺する使命を受けた安藤輝三大尉。
彼は鈴木との対話を通じて考えに私淑するに至ります。
そして安藤大尉は鈴木に揮毫を求め、贈られた書を自宅に掛けていた、
という話をアップしたことがあります。


このような人物は勿論のこと、昔の人の字を見ると、
兵学校出身者は勿論、若い予科練の人たちも皆異常に達筆。
それもこれも毎日字を書いていたから?
ならば毎日死ぬほど字を書いても大抵の現代人は
あれほど立派な字は書けないのはなぜ。

書は人を表す、という意識が格段に高かったのでしょうか。




ここは士官学校がありましたから、その関係の資料が多数。
その一つ、士官学校卒業アルバム。
昭和5年、陸士42期のものです。
こうして見ると陸軍の軍服も士官のは素敵です。
前にも言いましたが、ポイントの赤が粋。



こちらは幼年学校の卒業アルバム。
左の三人が陸幼の制服着用ですね。
大正15年の撮影だそうですから、この写真の方々は
今ご健在だとしても100歳。



でた。
陸軍行進曲楽譜。

歌ってみましたが、あまり大した歌ではありません(おい)

どうも「第一」「第二」とあるらしく、
右左に別の曲が各々記されています。
どちらも長調(右ハ長調、左ト長調)で書かれていて、
陸軍=短調というイメージを持っていたのですが、
実際はそうでもなかったようですね。

どうでもいいけど、この譜面を書いた人は
「連けた」の記譜法を知らなかったのだろうか。
左の楽譜が読みにくいんですが・・・。



陸軍幼年学校に受かるともれなくもらえる採用通知。
西郷従龍さんは海軍大将の西郷従道の孫。
陸軍少佐になりました。

西郷従道も最初は陸軍軍人でしたが、ご存知のようにその後
最初の帝国海軍大将となります。

そういえば陸幼出身の作家加賀乙彦の「帰らざる夏」には
陸幼に受かるために特化した勉強法で作文などの練習をし、
テンプレートみたいな「少国民の心構え」などという文章の書き方を
ちょいちょいと勉強して入った、なんてことが書かれていました。

海兵にも陸幼陸士にも、「進学塾」があったらしいですね。



ここで従軍画家の作品を。

「敵中落下 海軍落下傘部隊」高橋克 作



「レンネル沖海戦」 松添健


この図録の黙示も展示されており、ほかに


「ラエ沖空中戦」「バリックパパン上空の空中戦」

などという、それどこの台南空、みたいな題の絵もあるようですが
残念ながらそれは展示されていませんでした。



海軍専属の画家の作品ばかりを集めた本のようです。





慰問袋に千人針。

慰問袋には女学生は写真を入れたりしたそうです。
戦地からお礼の手紙が来ることもあったそうですが、
それがどこから来るのかはわからなかったそうです。

「慰問袋をありがとうございました」
そんな文句で始まる手紙はその後何回か続くのですが、
たいていある日を境にふっつりと来なくなるのでした。

写真でしか知らない女学生に淡い気持ちを抱きつつ、
その写真を大事に持ったまま戦死した兵隊もいたのかもしれません。



陸軍士官学校と大本営の看板。
真ん中の板は字が全く消えてしまったものとみえます。



憲兵の腕章。
今日表題にした憲兵。
評判悪いです。
日本の軍国主義の悪玉の象徴として、
あらゆる映画や漫画で悪者扱いされている憲兵。

陸軍の軍人・軍属の犯した罪は憲兵部で処分できたこともあり、
一般兵にとっては、何かとやかましい事を言う「目の上のタンコブ」的存在であり、
またその職務上から高圧的態度をとる憲兵もいたため、
陸軍の中でもそのイメージは良くなかったようです。

ましてや一般人にとって憲兵とは「軍の警察」であり「鬼より怖い」
と恐れられており、戦時中は特に思想弾圧などで悪名をはせました。
映画の描写が決して大げさではなかったことは
例えば「身内に憲兵がいると知れたら村八分になった」
というようなエピソードにもそれが表れています。

因みに日教組の大物でミスター日教組といわれた
槙枝元文は、憲兵中尉でした。
北朝鮮とのつながりは深く、最も尊敬する人物が金日成だった、
というこの人物が憲兵隊にいたことは何か因果関係があるでしょうか。

一般に憲兵はなりたくてなるというものではなかったそうで、
兵科を身体的な都合で務められなかった者が憲兵隊に回される
といったケースが多かったと言われています。

しかも、職務熱心であるほど世間には疎まれる役回り。
戦犯裁判ではその行為が多く糾弾されました。
BC級裁判で死刑になった者の三割が憲兵という説もあります。

権力をかさにきてそれを必要以上に行使する、
サディスティックな人間も異常な社会では必ず現れるものですが、
多くは職に忠実であっただけではなかったのでしょうか。


靖国神社境内には1969年、「憲兵の碑」が建てられました。
人目につかない池のほとりに、ひっそりとそれはあります。

その碑文です。


国破れて山河あり 
靖国の神域昔ながらの荘厳を失わず
国民の尊崇衰えぬは
神州不滅の証左
というべきである

憲兵の任務は監軍護法に存したが 
大東亜戦争中は更に占領地の行政に 
或は現地民族の
独立指導に至誠を尽くした 

又不幸にして空爆の戦火靖国の神域を襲うや 
挺身神殿を護持し
たのも憲兵であった

敗戦は不条理な多くの犠牲を我が軍に強いたが
別けても憲兵に対して著しかった 
終戦時戦死
又は獄死 自決により或は
謂われなき罪に問われて非命に倒れた戦友
数百名に及ぶ 実に痛
恨の極みである

願わくは憲魂死してなお靖国の聖域に留まり 
とこしえに二百五十万余の英霊の衛士たらんこ
とを

靖国神社創建百年の秋に当り 
緑の神域にささやかな碑を建て 
殉国烈士の霊に捧ぐと共に

憲兵昔日の微衷を吐露して
後世の評価に委ねるものである

 

 

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市谷・防衛省ツアー~三島切腹の場

2013-03-27 | 日本のこと

この防衛省ツアーは平成10年に記念館が移築して
二年後の平成12年から始まりました。

このことを防衛省に確認するついでに
「移築前もツアーはあったのか」と聞いてみると、

「今のような形ではなかったがあった」

ということです。

そこで気になったのが、その旧ツアー、
つまり市谷法廷や三島事件のあった部屋が
その当時のままであったとき、
見学者はそれを見ることができたのか?

そこまで詳しく聞くわけにはいきませんでしたが、
昔のツアーのこと、どなたかご存知ないですか?


さて。


1970年(昭和45年)11月25日、午前10時58分。

三島由紀夫と楯の会メンバー4人は、
市谷の自衛隊駐屯地、陸上自衛隊東部方面総監部の
二階に向かいました。



コッポラの映画「MISHIMA」では、市谷に向かう車中、
彼らが歌(たしか『唐獅子牡丹』)を歌い、
検問では中を覗き込んだ守衛が
「三島先生ですか」
と顔パスで中にいれた様子が描かれていました。

訪問の名目は「優秀隊員の紹介」。
この部屋で増田総監に日本刀を見せることをきっかけに
総監を拘束し、椅子などで扉にバリケードを張ります。



見学者全員その窓から外のバルコニーを一心に見ているの図。

おそらく、皆の心の中にはそのバルコニーに立つ
三島由紀夫の後ろ姿が彷彿としているに違いありません。


さて、現場にもう一度話を戻します。
お茶を出そうとしていた一佐が異変に気づき、通報。
12分後には警視庁から機動隊一個中隊が到着しました。

この総監室はドアが両側に二か所あり、
そのどちらもからバリケードを壊して幕僚たちが突入。
管理職とはいえさすがは自衛官です。
普通の会社組織ではこのようなことはありえないでしょう。

とにかくこの時乱入してきた幕僚を相手に、
三島は刀を振り回してこれを追い出します。





その時ついたと言われる刀傷。
本当は二か所ありますが、写真がボケていました。
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この時腕を斬りつけられて重傷を負った幕僚がいるのですが、
この人は

「もし私を殺すつもりなのだったらもっと思い切ってやっただろう。
腕をやられたときには手心を感じた」

と語り、自衛隊の理解者であった三島に対しては

「全くうらみはありません」

と語ったということです。
この時の三島の演説を見ても、三島を糾弾する者がいるとしたら
それは「左派勢力」だろうなと明確に思えます。

自衛隊内部のものの心境は、あとで触れますが複雑だったでしょう。



この後「人質の解放条件」として三島は、

「駐屯地の全自衛官を建物前に集合させること」

と幕僚に要求し、あの「三島演説」が行われるのです。



800名の自衛隊員が招集され、きっかり12時、
三島は「七生報国」の鉢巻を締め、バルコニーに立ちました。

このときの演説内容をわかりやすくまとめてみます。


日本は、経済的繁栄にうつつを抜かしている。
精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけだ。

こんな日本で、本当の日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。
日本の欺瞞を糺す存在であるべきだ。

去年(1969年)の反戦デーのデモが警察に制圧された。
自民党は警察権力をもっていかなるデモも鎮圧するつもりだ。
 治安出動はいらなくなったんだ。
すでに憲法改正が不可能になったのだ。分かるか、この理屈が。

このことを以て自衛隊は「憲法を守るだけの軍隊」になったのに
諸君はなぜ気づかないのか。

自衛隊の健軍の本義とは国を護ること。
日本を守ること。
天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。

諸君が立ち上がらなければ憲法改正は無い。
自衛隊はアメリカの軍隊のままだ。

諸君は武士だろう。
武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
どうして自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。

今の憲法は政治的謀略で自衛隊が合憲だかのごとく装っているが、
自衛隊は違憲なんだよ。
自衛隊は憲法を守る軍隊になったのだ!

俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。
諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。

一人もいないんだな。
 まだ諸君は憲法改正のために立ちあがらないと、見極めがついた。
これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。
それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。

天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!


全然わかりやすくまとまってないぞ、って?
なんか、省略しにくくって・・(笑)

まあ、要は

「憲法改正のために立ち上がろう、
自衛隊諸君、俺についてこい」

というクーデター呼びかけですね。
今さらここで言われんでも知ってる、と言われそうですが。

この間、何度も三島は
「静聴せい!」「静かにせい!」「話を聴け!」
と繰り返し、ヤジる自衛隊員を怒鳴りつけており、
自衛隊員は三島に向かって

「なんで我々の総監を傷つけた」

「それでも武士か」

「バカヤロー」


などという言葉を投げかけています。

うーん。

今にして思いますが、これ、主張は全然間違ってなくない?
三島が30分の予定の演説をわずか7分で切り上げたのも
この自衛隊員の反発があまりに酷かったからですが、
黙ってこの内容に耳を傾けている隊員の中には
このように考えた人間もいました。
少し長いのですがウィキからの記述をそのまま掲載します。


バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えを
ちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、
三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した。

野次がだんだん増して行った。
舌打ちをして振り返った。
(中略)無性にせつなくなってきた。

現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた
我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の存在について、
大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに。
まるで学生のデモの行進が機動隊と対決しているような状況であった。
少なくとも指揮命令をふんでここに集合してきた隊員達である。
(中略)部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、
たとえ、暴徒によるものであっても、
いったん命令で集合をかけた以上
正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとは
おこがましいと思った。


この日、三島は勘違いしていましたが、
いわゆる自衛隊の実戦部隊であるところの第32普通科連隊、
つまり精鋭部隊は朝から富士演習場に行ってしまっていたため、
ここで三島の演説を聴くために駆り出された800名はほとんどが、
資材調達、通信、補給などの部隊の隊員でした。

もし、ここに三島の言う「武士」である隊員が数百単位でいたら?

勿論戦後の平和を享受してきた隊員たちが、
たとえ実戦部隊の自衛隊員であっても、この三島の演説に
「武器をもって立ち上がったかもしれない」
と考えるのは今となっては妄想とでもいうべきでしょうが、
少なくとも上記回想をしたある陸曹が感じたように
「惻隠の情」からせめてちゃんと三島の話を聴いたかもしれない、
という気はします。

もっともその場にいた隊員の誰もが、
そのあと三島が割腹自殺を遂げるなどとは思っていなかったからこそ
声をからしてその演説をヤジっていたわけで、
その時の彼らはこれも陸曹の回想にあるように、
「気分は学長をヤジる学生運動家」だったのではないでしょうか。
そして後からそのショッキングなニュースを聞き

「自殺までするなら話を聴いてやればよかった」

と後悔したというのが本当のところかもしれません。


また、こんな話もあります。

三島の遺体が自宅の平岡家にに帰ってきたとき。
遺体の首は綺麗に縫合され、楯の会の制服が着せられて、
外からはその傷さえ見えず、さらに刀がきっちりと胸に置かれていたことが
息子の無残な姿を覚悟して恐る恐る棺を覗いた父親を驚愕させました。

遺族に対しこのとき処置をした警察病院の担当者は、

「自分たちが普段から蔭ながら尊敬している先生の御遺体だから、
特別の気持で丹念に化粧しました」

と語ったということです。






こうして旧一号館と再現された記念館を比べると、はっきりいって
「レプリカ」みたいな感じは否めません。
というか全く別の建物でしょこれは。

しかしながら、この保存に関しては案の定(笑)
「こんなもの残すのは負の遺産でしかないから潰せ」
という左なお方たちからの騒音が物凄かったとか。

どうせ「我々の税金で」なんてことを言ったんだろうなあ。

都合の悪い歴史は無かったことにしようなんて、
「日帝の負の遺産は皆消してしまえ!」
と全ての(現行で使用している施設については見ないふりして)
日本統治時代の名残りを潰したり、桜を切り倒したりする
どこかの国と同じメンタリティじゃないですかー。


あっ、もしかしたら同じ・・・・(察し)




しかし、こういった部分は本物そのまま。
三島が10分足らず立ち、檄を飛ばした
そのバルコニーそのものです。



演説を終えた三島はこの窓から部屋に戻ってきて
恩賜の煙草を吸った後、割腹しました。

同行の森田必勝に向かって三島は「君はやめろ」
と言ったのですが、三島の後森田も割腹し、
介錯で切断された二人の首を残された三人は並べ、涙しました。

拘束されていた総監は三島が腹に刀を突き立てたとき
「やめなさい」「介錯するな」と叫んでいたそうですが、
全てが終わり拘束を解かれて泣いている彼らに向かって
「もっと思い切り泣け」といい、さらに遺体に向かって
「私にも冥福を祈らせてくれ」と正座し瞑目したそうです。

総監の心の裡で三島の訴えはどのように響いたのでしょうか。



事件の次の日、ある隊員の手で総監室の前に菊が供えられたのですが
一時間も経たないうちにそれは幹部の手で片付けられました。

また、事件後、陸上自衛隊内で1000名によるアンケートが行われました。
大部分の隊員は「檄の考え方に共鳴する」という答をしたそうです。
一部に「大いに共鳴する」という答もあり、そのことが防衛庁を慌てさせました。

つまりは、そのような大事を行うのに三島のやり方は
いかに自衛隊員を納得させる道理があったにもかかわらず、
惜しむらくはあまりにも性急に過ぎたのです。

つまりサラリーマン的に飼いならされた自衛官に対してそのような訴えをしても、
三島の期待したようにはならなかったであろうことは自明の理だったと言えます。

アジテーションに失敗した三島は、その殉教的自己犠牲、
(彼が昔憧れを以て見つめた『矢に射られるセバスティアヌス』のような)
その犠牲があわよくば社会に変革を触発し、改革へのきっかけとなって
憲法が改正されることを期待して自決したのではないか、とも思います。




「ここであの事件が・・」


見学者全員がおそらく同じような思いを持って
この事件のあった部屋に佇んでいたと思われますが、
新しく移築されたときにそのような空気は払拭されたのか、
妙に明るい壁といい、気のせいか映画「MISHIMA」でロケに使われた
部屋の面影は全く感じられませんでした。

ただ。




当時からそのままである廊下側の窓の桟に、
水の湛えられた茶碗がひっそりと置かれていました。

死者の霊を慰めるための水でしょうか。



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米海軍基地スプリングフェスタに行ってきた

2013-03-25 | お出かけ

週末、息子がお泊りに行ってしまい、夫婦で小旅行を兼ねて
横須賀米軍基地のスプリングフェスタに行ってまいりました。

本当は前日から葉山に宿泊したり、「軍港めぐり」をしたりと
大変盛り沢山な週末だったのですが、とりあえず今日は
米軍基地の中に初めて潜入したことをお伝えします。



ショッパーズプラザという商業施設に車を停め、
基地の方向に向かって歩き出すとすぐに人の列が。

「ここが最後尾です」



え?まだここから数キロあるんですけど。
後で聴いたら基地に入れる日はいつもこのような状態で、
何キロにもわたって行列ができるそうです。

何のためにそんなにしてまで。

自分が列に並んで居ながらついこのような疑問が
頭をかすめましたが、ここまで来たんだから、
とおとなしく並んでいました。
おそらく皆同じようなものだったと思います。

混乱も小競り合いも起きず、皆和やかに列を作り、
なかなか進まないのにもかかわらずいらいらする様子もなし。
さすがは日本人である、と妙なところで感心しました。



途中で桜の並木など見つつ。
ここにたどり着くのに並びだして30分かかりました。



ようやく三笠公園入口。
ここまで45分。



三笠公園の戦艦三笠記念館を見ながら、進んでいきます。



広場に着いたら着いたで、このような仕切られた道を
何度も何度も行ったり来たりして、あたかも夏休みの
ディズニーリゾートに着た気分。

「これ、7月にもイベントするんだよね?」
「7月には来たくないねえ・・」

並びながら、案の定三笠のうんちくや、アーレイバークと草鹿中将の話、
韓国が桜の起源を主張してポトマック川の桜の季節にはビラ配りしてること、
興の赴くままにいろいろ話をしながら歩いていました。
周りの人もてんでにいろんな話をしており、それが時たま耳に入ってくるのですが、
後ろのおじさんたちが民主党政権に対し、

「あいつらは本当に馬鹿だ」
「(鳩山元首相が)まったくわざわざ中国で何してくるんだ。
あの国賊が」

と熱くお怒りで、わたしとTOはそれを聞きながら顔を見合わせて
「うんうん」とうなずきあったりしていました。

マスゴミは「ネット言論」というものが特殊な人たちの間にのみあり、
自分たちや民主党に反対するのはそういう特殊な人々だと
勘違いしているみたいですが、実は彼らに怒っているのは、
「普通の人たち」ばかりなんですよね。

最近の民主党議員の「まだまだ俺たちは政権交代できる」
と信じきっている姿を見ると、
こういうことがまるでわかっていないらしい、と思わざるを得ません。




並びだしてから1時間30分。
やっとのことでゲートに到着。
どんなちんたら手荷物検査をしているんだ、と思ったのに、
ゲートの係員はコマネズミのように仕事をこなし、
あっという間にゲートを通過させています。

「こんなに急いでやっているのにあれだけ進まないとは・・」

入場者はこの日4万人だったそうで、
そりゃ無理ないですね。

「来年来るとしたら、朝一で並ばないとだめだね」

きっと皆こう思うんだろうなあ。




入るなりバンド演奏を目撃。
見たところ日本人ばかりのバンドに見えました。



普段ならこのフェスタのときにはまだ桜の季節ではないのですが、
今年はどんぴしゃり、桜満開の日曜日。
皆お花見も兼ねてやってきたようです。



内火艇(っていうのかな)の船着き場。
向こうに「三笠」のマストが二本見えています。



海軍の信用組合。
この中ではドルが流通していますし、すべての施設があり、
テレビ番組もアメリカの放送を受信しています。
まあ、はっきりいってアメリカにいるのとほとんど同じ生活ができると。

日本行きが決まったら米兵の多くは
「ラッキー!」なんて思うらしい。
結構日本にある米軍基地は待遇もいいんでしょうね。



海軍迷彩を着た米兵。
仕事をしながらコーヒー飲むな。

「こういうところがやはり自衛隊とは違う!」

なぜかTOが

「同じ兵数と装備でやったら絶対自衛隊が勝つ!」

とこれを観て力強く言い切っておりました。



日本というと、富士山、鳥居、日の出。
あまりにベタなステロタイプ。
まあ仕方ないかもしれませんね。



お?海軍さんに交じって陸軍兵?



皆、ついピザを頼んでしまうんですね。
そして(いくらか知らないけど)アメリカンサイズの、
巨大ピザを「はい」と渡され、せいぜい一切れ食べて、
「捨てるのももったいないから」
とこうやって持ち歩いているわけです。

帰りに三笠を見学しましたが、
三笠艦内にもこの箱を抱えた人たち(なぜかみなおじさん)が
うろうろしていたので笑ってしまいました。

皆はアメリカサイズのピザの恐ろしさをわかっていない。

このピザが冷めるとむちゃくちゃまずいことも。
そう、一旦冷めたピザは温めても食べられないのに、
こうやって巨大なボックスを持って歩いているのです。

「冷めたピザはすぐさま捨てろ」

という賢人の教えがアメリカにはあるというのに・・。
まあ、アメリカ人はたいていこれを残さず食べてしまうんですけどね。




花冷え、というのか、まあまだ3月ですから寒かったんですが、
やっぱりこんなアメリカ人があっちこっちにいました。
寒さを感じる皮膚感覚が日本人のそれとは違うらしいですね。

半袖Tシャツ一枚はいくらなんでも寒いと思うが。

でも、これを見て「ああ、アメリカだなあ」と実感しました。



ボウリングセンター。
ボウリングセンターって何?
なぜみんな入っていっているの?
と覗いてみたら、

本当にボウリング場でした・・・。
かなりの数のレーンがあって、しかもいつも稼働している模様。
アメリカ人ってこんなにボウリング好きだったっけ。
この日は誰がやってもよかったらしく、
日本人がレーンを占領していました。



いたるところにいた「写真撮影要員」
この二人はわざわざ第一種軍服を撮影用に着込んでいます。
実はこの後ろには順番待ちをする日本人の列が・・・。



激しく人に取り囲まれてサインを求められている米軍人。
軍帽がスクランブルドエッグ。将官クラスですね。



アメリカではおなじみの店が通常営業。
本当に基地内部は「アメリカ」です。



高校までの学校はすべてあります。



特設ステージではバンド演奏が。
丁度この時やっていたのは「タイガー&ドラゴン」。
ご当地ソングです。

「おれの、おれの、おれの」

とこのお姉さん(おそらくバイリンガル)が絶叫しています。



ふとステージの横を見ると、なんだか見慣れた迷彩が。
おお、これは我が陸軍の精鋭ではないか!
ここからは上の端しか見えませんが、太鼓がありますでしょう?
この後から陸自の「太鼓演奏」を友情出演で行うための
機材運搬をしているところだったのです。
残念ながら時間が無くて見られなかったのですが・・・。

それにしても、隊員さん、花粉症が多いですか?



物販店も少し覗いてみました。



オペレーション・トモダチのワッペン。
本当にあの時、アメリカさんは頼もしかったですねえ・・・・。

なんか「知らないうちに被爆した!どうしてくれる!」とかいって
東電を訴えてる人もいるみたいですが(爆)



少しお腹が減ったので、屋台を覗いてみることにしました。
アメリカ人らしく、ごみ袋を大量に放置し、
さらにバーベキューの蓋を地面に置くという、
ひじょうに雑駁な営業をしている様子が観察できました。

しかも、見ていると、このゴミは

全く分別されていませんでした。

自衛隊のイベントや防衛大ではゴミ袋を厳密に分け、
ごみを受け取った隊員や生徒が分別までしてくれるという
実に日本的かつ感動的なシーンを見たものですが。

「分別しないんだ」
「いいんだよ、ここはアメリカなんだからきっと」

いや、しないとだめでしょ、分別。



ジェネラル・メス。
意味は分かりませんでした。



美味しそうだったのでここのポークチョップバーガーを一つだけ買って、
TOと二人で半分こ。
小さなバーガーが500円です。
高すぎないかい?



と思ったのですが、一生懸命働いている、
この東南アジア系の軍人さんがさわやかなイケメンだったので、
許す。(独断)

彼らは一生懸命日本語でセールスしていましたが、
こちらが英語を使うと英語で返してきました。



黒人兵ばかりのブース。
お父さんが仕事しているところでうろうろして、
コットンキャンデーをせしめたりしています。



この女の子は彼のお姉ちゃんらしい。



三笠公園から見えるマクドナルドを逆方向から望む。
満開の桜とアメリカの象徴であるマックのコンボ。
それにしても、このマクドナルド、ものすごく巨大です。
いかにアメリカ人がマックばかり食べているかということが
良くわかります。
ここのバーガーは「アメリカ仕様」で、きっと「月見バーガー」
とかはないんだろうなあ。



構内は広いのでバスが巡回しています。
なんだかお洒落なバスストップ。



ここの子供たち。
よく見ると「どう見てもお母さんが日本人」
みたいな顔をした子が何人か・・。



スターバックスが車で出店しています。
長い列ができていました。



我々がここに来た目的は
「あわよくばイージス艦を乗船見学すること」
だったのです。
12時に見学の受付が終了するというので、
12時15分前にやっとのことで中に入れたわたしたち、
どこで見学の申し込みをするのか必死で探したのですが、
探しているうちに12時になってしまいました(T_T)

で、このドックから帰ってくる人たち、
イージス艦を見学した帰ってきた人たちの群れを
虚しく眺めるだけに終わってしまったのです。

来年はこれを見るためにももう少し早く来ねば・・。

艦船見学ができないのなら、もうここに用はない。
なら帰りますか、と出口に向かいました。



日本では珍しいけど、アメリカにはよくある、
「壁にいきなりATM」。
日本のような犯罪の少ないところには無いのに、
アメリカではこのタイプが主流なんですよね。
後ろから襲われたりしないのかな、とよく思います。




愛想よく笑いながら警備に立っていた兵隊さん。
なかなかかっこいい。



ずらりと人がいますが、わたしたちが帰る12時45分ごろにも、
これから入ってこようとしている人たちが列を作っているのでした。

「なんのために・・・・」

またもや自分がそこから出ていく身でありながら
ついつぶやいてしまうわたし。




これから入ってくる人たちの列と、ものものしく警備している兵士。
防弾チョッキにシェパード。

「なんかあったら犬に襲わせるんだよ」
「なんかって何?」
「ここで銃を乱射したりとか」
「いや、ここ日本ですから」
「何があるかわからないよ日本でも。
この間も中国人がここ忍び込んでたじゃない」


そんな馬鹿話をしながら外に出ました。
滞在時間わずか1時間。
列を作って歩いた時間は1時間30分。

うーん・・・・。




ところで、上空にはヒッチコックの映画を思わせるような
鳶の群れがこのように旋回しており、
サンドイッチやバーガーなどをぼんやり持っている人が
襲われたりしないかなと思っていたのですが、



やっぱり結構襲われているようでした。



海軍基地だった時代からの名残りでしょう。
米海軍基地の桜はそれは見事でした。

思わぬお花見ができたので大満足の米軍基地探訪です。
来年はもう少しちゃんと計画立ててから来ようっと。





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リーツェンの桜~ドクトル肥沼を知っていますか

2013-03-22 | 日本のこと

今年の桜の開花は観測史上最速だそうです。
我が家の裏にある立派な大木も今7分咲き。
桜の名所である近くの公園には、
きっと今週末お花見を楽しむ客がやって来るでしょう。

本日のエントリは、桜の咲くであろうと思っていた
4月1日にアップしようと思っていましたが、
予想を裏切る開花の速さに、予定を変更して
慌ててログ作成しました。

日本の桜がドイツのある町で花を咲かせている、という話です。




旧東ドイツのポーランド国境近くに、
リーツェン(Wriezen)という小さな町があります。

この700年の歴史のある市のある広場の墓地に、
この地に尽くして死んだ一人の医師が眠っています。

その墓石は高さ一メートルの大理石で、
表面には古代ギリシャの医神、アスクレピオスの持つ杖、
ヘビの巻き付いた杖の意匠が刻まれています。

またこの町では体育連盟の主催による少年柔道大会が行われ、
300名弱の参加者は全員大会前に、
この墓の前に詣でて花を捧げることを恒例としています。

この町の人々がこの医師の偉業を偲んで何かしよう、
ということになったときに思いついたのが柔道でした。

「彼は日本人だから、やっぱりするなら柔道だろう。
柔道をやろう」

その柔道大会はこう名付けられました。

「肥沼杯」

1946年、医師としてこの地にあって、瓦礫の町に蔓延する
チフスの治療に無私の情熱を注ぎ、ついには自らがその病に
斃れた日本人医師の名が冠されたのでした。


肥沼信次(こえぬま・のぶつぐ)は1908年(明治41年)
東京八王子に、開業医の長男として生まれました。

中学時代から数学にのめりこんだ肥沼は、
アインシュタインやキュリー夫人に憧れ、
ドイツに行って勉強したい、という夢を持っていました。

あまりにも数学ばかりを勉強しすぎて他の教科ができず、
旧制一高を不合格になった肥沼は、数学を東京理大で教える
アルバイトをしながら(笑)日本医大に入学します。
その後東京帝大からベルリン大医学部へを進みますが、
どこに行っても彼の評価は一つでした。

「数学の鬼」

医学部にいながら、数学ジャンキーの彼は、
「趣味は数学」と言い切るほど数学に熱中していたのです。

東京大学で放射線医学を学んだ肥沼は昭和12年、
29歳のときに憧れのドイツ、ベルリンに渡りました。
出発の日、横浜の港は冷たい雨が降っていました。
母や弟たちにとってこれが肥沼との今生の別れとなります。

ベルリン大学医学部で放射線研究所の研究員となった肥沼は、
留学6年目には論文が認められ、教授資格を得ます。

ベルリン大学の教授資格を東洋人が受理されたのは肥沼が初めてでした。


当時ドイツは一次大戦の敗戦による社会の疲弊が、
アドルフ・ヒットラー率いるナチス党に対する大衆の支持を生み、
その独裁体制を一層強化する国情となっていました。

ヒットラーの民族主義はユダヤ人迫害、そして「アーリア人種至上主義」
となって現れ、社会の中枢は次々と「ナチス化」されていっていました。

「白バラの祈り」という映画についてエントリを上げたとき、
ナチス式の挨拶を法廷がしてから審理が始まるシーン、
そして反ナチスの被告を罵倒するナチ裁判官について書きましたが、
法曹界、宗教界、公務員などの組織もナチ化が進められます。

医学界もその例外ではありませんでした。


「ナチス医師同盟」に医師は強制的に入会させられました。
ナチスに反対を唱える学者や医者は追放される運命だったので、
皆それに従うしかありませんでした。

44年の2月、肥沼はドイツ政府にある宣誓書を提出させられました。
その内容は次のようなものです。


「私はフリーメーソン結社に所属したことはないことをここに宣誓します」

「私は純潔な日本人であり、日本国籍を有することをここに宣誓します」

当時日本とドイツは同盟国でしたから、日本人は「名誉ドイツ人」
としていわば特別扱いになっていました。
しかし、当時のナチスの純血主義を鑑みると、この宣誓、
あえて純粋な日本人であることをあらためて宣言したこの宣誓は
肥沼の日本人としての矜持のさせたこととはいえ、
非常に勇気のいる発言でもあったと言えます。

ナチスに毫も媚びなかったこの態度が、今日に至って
彼を知る人たちに評価されている所以です。

また、肥沼は1944年、フンボルトハウスで行われた講演の中で
このように述べています。

アーリア人こそ優秀な民族である、というが、
我々はヨーロッパ自然科学を生み出したのと同じ能力を、
日本人も前々から持っていたと考える」

「その証拠として次のような例を挙げたい。
ライプニッツやニュートンとほぼ同じ時期に、
日本人の関孝和は書式こそ違うとはいえ、かの高等な
微積分学とほぼ同一の計算式を考案していた」

「日本人は疑いなく種類や程度の高さにおいて、
ヨーロッパのそれと等しい
自然科学の研究能力を持っている」


「今日は欧州の築いた基礎の上に
独自の研究を重ねてはいるが、

他人の畑の果実を収穫するだけでなく、
自らの種を撒くことのできる知力を
備えていると言っていいだろう」


「日本人が一から行ったと評価されている業績もたくさんある。
山極勝三郎、市川厚一による癌発生システムについての研究、
吉田富三の肝臓がんを発生させる研究、
そして湯川秀樹の作り出した中間子理論などである」

肥沼は湯川がノーベル賞を受ける5年も前に、
その中間子理論を高く評価していたのです。

アーリア人至上主義のナチス政権下で、「日本人優秀論」を
講演で唱えた肥沼が、はたしてどのように扱われたか。
このようなことは全く記録にありません。

彼がいつベルリンを去ったのかさえも、はっきりしていないのです。

ベルリンを脱出した肥沼は、終焉の地となるリーツェンに移りますが、
この町は当時酷い衛生状態であらゆる伝染病が蔓延していました。
ドイツ人の医師はすべて戦争に駆り出されていたので無医村状態。
あまりの発疹チフスの蔓延ぶりに、近隣の都市の医師は
伝染病に感染するのを恐れて診察に来ませんでした。

ここに一人、ふらりとやってきた、ドイツ人以上に正確なドイツ語を話す
日本人が、ベルリン大学の研究者で教授資格を持っていることなどを
ここの住民は何も知りませんでした。

彼は自分のことをほとんどしゃべらなかったからです。

ここで肥沼は、ベルリンからある夫人とその娘を伴ってきていました。
シュナイダーというこの女性は、肥沼に献身的に尽くしていましたが、
「夫婦という感じではなかった」そうです。
彼女は肥沼の最期を看取ると、どこへともなく去って行ったということです。




自分のことを話そうとしなかった肥沼が周囲に時折話していたのは

「日本の桜は大変綺麗です。
皆にぜひ見せてあげたい」

ということでした。





この地での肥沼の死闘が始まりました。
発疹チフスはペスト、マラリアとともに恐ろしい病気です。
シラミによって感染し、戦慄、高熱、頭痛、四肢痛、
めまい吐き気を伴い、発疹が次いで表れます。
重傷者は心臓の衰弱により死に至るのです。

この国境沿いには、ポーランドから退去させられた
大量のドイツ難民が400万人流れ込んできていました。
リーツェンの近郊には難民収容所が緊急に作られ、
大勢の病人が収容されていました。

そこは地獄と化していました。

人々はそこでただ虫のように横たわり、
苦痛ととシラミに苛まれて助けを求めていました。


「肥沼先生は、まるで勇敢な兵士のように入っていき、
身の危険も全く顧みず、もっとも酷い症状の患者に
持ってきた貴重な薬をせっせと与え、
また次々に患者を見て回るんです。
こんな無私無欲の行いを目の当たりにして、
気が遠くなるような感動に打たれました」


肥沼についていた看護婦の証言です。

それどころか、肥沼はたった一人の患者のために
雪の中を一人で往診に出かけ、診察料のことを口にしませんでした。
これもまた、

「金銭のことを口にするのは下品である」

という意識が浸透している日本人ならではです。
そして、

「また一つの小さな命が救われた、よかった」

治療の効果が出て患者が回復するたびに
肥沼はこのようにつぶやいたそうです。

このように肥沼に命を助けられたリーツェンの住民は多く、
その伝説は子から孫へと伝えられ、いまでは
リーツェンの小中学校では必ず先生がこの日本人医師の
偉業について伝える時間があるのだそうです。


精力的に患者の間を歩き回っていた肥沼自身が
発疹チフスに倒れたのは、死の二か月前のことでした。

「ベッドに横たわっている先生の頬はすっかり落ちくぼみ、
顔が大変小さくなっていました。
額からは汗がどんどん吹き出し、私はふき取ってあげました」

家政婦だった女性の証言です。

肥沼が死んだ前日の3月7日はこの家政婦の誕生日でした。
かねてから誕生日パーティをやりましょうと約束していた肥沼は

「誕生パーティをやれずにごめんね・・・・・。
誕生日おめでとう」

と言い、次の日の午後一時、37歳の生涯を終えました。

肥沼の遺体は粗末な棺に納められ、数人が付きそう中、
墓地に運ばれていきました。



戦争が終わったとき、研究者であった肥沼は日本に帰り、
専門の研究をしたかったことでしょう。
しかし、彼はリーツェンにとどまり病気に苦しむ人を診療しました。

その無私の精神、そして「自死の心」を以て、
肥沼は「アピクレウスの杖」に忠実たろうとしたのです。
肥沼がドイツ人に向かって

「日本人は科学的な劣等民族などではない」

と堂々と述べたことからも、彼がヨーロッパ人の中にあって
日本人を代表する誇りと気概を常に持っていたことは
間違いのないところでしょう。


肥沼の本質は「研究者」であったはずです。
しかし、彼は目の前で苦しむ人々を医者として
見捨ててそこを去ることができなかった。


それは彼が日本人であったからこそではなかったでしょうか。



リーツェンの人々は、かつて自分たちの生命を助けてくれた
この日本人医師に対して感謝をし続けてきました。
そしてこの小さな墓を守り続けてきました。

しかし、日本の関係者に彼の行方は全くわからないままでした。
東ドイツの社会主義体制の中では、たとえ住民が感謝していても
「資本主義国の日本人」
というだけで不審、異端を見る目の人々も数多くいたからです。

しかし、ベルリンの壁崩壊後、社会体制が変わったことで、
ドイツ国内でもそれまで公にされていなかったあらゆることが
表に出てくるようになります。

肥沼信次医師のこともその一つでした。

リーツェンの新市長が恩人である日本人医師の生前の偉業を掘り起し、
柔道大会や「肥沼通り」という
桜並木を造る計画を進めるうち、
リーツェン市は日本の肥沼の遺族と連絡が取れるに至りました。

そのときドクトルが生前現地で口癖のように言っていた

「日本の桜を見せてあげたい」

という言葉を市の関係者から聞かされて知った弟の栄治氏は
リーツェン宛てに100本の桜の苗木を贈りました。

そのうち枯れずに残った50本が、市庁舎の庭で育ちました。

それが1991年のことです。

1993年に訪独した舘沢貢次氏によると、

「大きく育ったらこれを何本か肥沼さんの墓に移し替え、
残りは『肥沼通り』に植えたい」

と市長は言っていたそうです。

それから22年。
市長のその計画は実を結んだのでしょうか。


今頃、日本から贈られた桜は花を咲かせ、
今日本で咲いているのと同じ色のその花びらを
ドクトル肥沼の墓に散らせているのでしょうか。





参考:大戦秘史 リーツェンの桜 舘澤貢次 ぱる出版

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市谷・防衛省見学~栗林中将の絵手紙

2013-03-21 | 陸軍


安倍新内閣になって名前を呼ばれるとつい注目してしまう閣僚が
二人います。
小野寺五典防衛大臣と、新藤義孝総務大臣。


中国との関係が緊張を加える中、この一軒物腰穏やかな、
しかし真に強さを秘めた清廉な人物を防衛省のトップに据えたこと、
そして先日からも問題が噴出しているようにNHKを筆頭とするメディア、
ことにテレビの暗部に踏み込んでいくことが喫緊の課題になっている
政権運営において、この「栗林中将の孫」である新藤氏と、
女性保守の筆頭である稲田朋美議員を総務の担当にしたこと。

このことは安倍内閣の「覚悟」を見るような人事であると思っています。




栗林忠道大将(死後昇進)は陸海軍硫黄島守備隊を総指揮し、
硫黄島の戦いで昭和20年3月26日、
総攻撃を下命したのち戦死しました。


戦史家などには非常に評価の高かった栗林中将ですが、
ほとんど個人的なエピソードが伝わっていなかったところ、
クリント・イーストウッド作品「硫黄島からの手紙」で渡部謙が演じ、
その名が世間に知られることになりました。

この市谷には、極東国際軍事裁判の法廷である市谷記念館があり、
そこにはここに伝わる軍資料などが展示されています。

その中に、栗林中将が硫黄島から送った絵手紙が多数ありました。




この栗林中将と言う人は非常に愛情こまやかな人物で、
さらにアメリカに駐在武官でいた経験からスマートな紳士でもあったようです。
写真に残る中将はピカピカに磨かれた長靴を付けた長い脚を
じつにエレガントに組み、軍服を素晴らしくかっこよく着こなしています。

新聞記者志望であったほどで非常に文章がうまく、また絵も達者でした。


そんな栗林中将の絵手紙。

イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」は、もともとこの
栗林中将の手紙から着想を得たのではないかと思っています。


この市谷の記念館は、基本的に映像以外写真を撮っても構いません。
展示物を傷めるため、フラッシュだけが禁止されていますが。

と言うわけで、この絵手紙、全部撮ってまいりました。

とても読みにくかったですが、文章も抜き書きしてみました。



2月16日 お父さんより

こちらは大変暖かだから
子供たちは皆外へ出て大騒ぎをして遊んで居ます。
これは道の真ん中でスケートをやっているところです。
(アメリカの道は皆コンクリートだから)
太郎君は渋谷で見たスケートを覚えているかね


どうもアメリカ駐在中の手紙のようですね。


この子供の服装は
夏、太郎君にはごくよろしいと思ったから、
念入りに前、後を見せるように書いて
お母さんの参考にする


なんと、「絵を参考にお母さんに同じ服を作ってもらいないさい」と。
何たる細やかな心遣い。
こんな旦那様を持った奥様は幸せ者ですね・・・。

子供のセリフは

「そら行くぞ そらそらそら」
「やってこーい!」

まあ、アメリカの子ですから

「ヒアアイカム!」
「ヘイカモーン!」

って感じでしょうね。

左のラインは

「ああもうすっかり腕を出した女もあらわれたな
夏気はい(気配?)だ もー」

この頃のアメリカ女性も「腕剥き出し」だったんですね。
日本女性のつつましい夏服を見た目には
アメリカ人の露出は少し刺激的に見えたかもしれません。



太郎君へ 12月9日 父より

これはお父さんが ある寒い晩
自動車の機関部を凍み割られて
しまったところなんだよ

「や、や、や・・・・・ついにやっちゃった
こりゃどーも でかい損害だ
100ドルくらいで済めばいいがな

早く50万出してアルコールさしておけば
こんなことはなかったにな
ほんとに しゃくだな・・・・・

壊れたところは太郎君も知っている
「あわいよー」の中なんだよ


息子との会話で何かこの部分について語り合ったのですね。
他人には全くわからないけど、家族にはすぐ通じる、
そんな言葉がこの家族にもあったようです。

因みに栗林中将が駐在武官でアメリカにいたのは
昭和2年から三年間のことです。

左上

お父さんは 外がどんなに寒くても
元気に運動しているよ

(ぴゅーぴゅー)

寒いからって家の中にばかり居るのは
よくねーことだ
それに歩くのはなかなかいー運動だ

寒い日が来ると新兵教育を一生懸命
やったころを思い出すな

栗林中将、「よくねーことだ」とか「イー運動」とか、
割と面白い文章を書いておられます。
子供さんに宛てているのでわざとでしょうね。



お父さんは夜になると日本から持ってきた浴衣を着て
勉強するんだよ

「この点が少しおかしいな・・・・」

セリフ入りです。



お父さんより

太郎君へ

お父さんは今度こんないい自動車を買ったの

外出したたんびに坊に買ってやったのと違うだろ
もっとも、高いのだよ

お父さんは今自動車を自ら運転しているの

坊がいればいくらでも乗せてやるのだがな

どーだ? 乗りたいかね


最新品、四人乗り、色も形もこの通りです
(この絵は見本図から切り取ったの
坊に見せようと思った)


栗林中将、とてもかわいいです・・・・。(萌)

今なら「カタログ」と言うところですね。
カタログから一生懸命車の形を切り抜いてノリで貼って。

坊に見せたい、乗せてあげたいというのは勿論ですが、
どうやら栗林中将、このピカピカの新車を運転できるのが
心から嬉しかった模様。

子供のようにはしゃいでおられます。

そして、中将は太郎君とお出かけするたびに、
おもちゃの自動車を買ってあげていたのですね。
親子そろって車好きだったんですね。

あ、上で「凍み壊れた、しまった」って言っている自動車は
これだったのか!



太郎君へ お父さんより

お父さんが今度来た女中の角刀とり御婆さんと
話をしています

この婆さんの夫はお父さんが今いる
連隊の下士官です


アメリカ人の太った女性は見かけより若いですから、
栗林中将が「婆さん」言い切っているけど実は同じくらい
だったりするんですよね。
そしてその婆さんいわく。


「キャプテン」は「我が陸軍」(傍点あり)はどう思います?
「キャプテン」は奥さんがありますか?
美しいかね?
なぜ連れてこないのかね?
子供もあるって?まあ二人も?

私の夫は陸軍伍長だよ なかなかいい男だよ(傍点あり)
子供はどーもないね・・・・・・

目方?32貫あるんですよ・・・・

これ?
この刺青は若い時分やったのだよ

女中かね?
軍人さんの家ばかり渡り歩いて
ちょうど30年務めたことになるね

日本はいいところかね・・?

私ダンスはなかなか素敵なんですよ
若いときは全くうまかったんですよ
(時々力を入れて言いました)

お父さん腹の中で
『まるでポンチ絵(漫画)だね
これでも断髪73分けか(当時の流行)
それにまた良くしゃべる婆だ
英語のケーコになったりウサになったり
丁度これはいいわい』


栗林中将、むちゃくちゃ辛辣です。
32貫ある、ってこれ120キロのことですね。
これ、中将が聴いたからこう答えたんでしょうね。

「ハウマッチどぅゆーうぇい?」

って聞いたんでしょうね。

しかし、この御婆さん、この後アメリカが日本と戦争を始め、
自分の旦那がいるアメリカ軍が(もう退役していたでしょうが)
日本と戦うことを知ったとき、あの、
自分の体重をズケズケ聴いたスマートなキャプテンのことを
思い出したりしたのでしょうか。



×月27日 バッファロー 父より
太郎君へ

栗林中将はアメリカから帰国後、カナダにも駐在します。
バッファローと言うのはナイアガラの滝を見に行った方なら
聞き覚えのある地名でしょう。
この名前の空港もあります。


じーさんがこの家の庭の芝に水をやっているところ

お父さんは今それを見ながら
じーさんに日本の話をしてやっているところ



日本語なら
「それ行け行けいけ行け!」

これはアメリカの(傍点あり)子供が遊んで居るところです
このへんは三輪車が大流行です
お父さんは子供がこうして遊んで居るのに出会うと
ちょっとしばらく立ち止まって見ています
太郎君もこうして元気よく遊んで居るかと思って

太郎君へ

御飯をどっさり食べること
近所の子供等とよく遊ぶこと




太郎君へ

11月33日 フォートラーシー 父より

お父さんは体操をしています
外は雨だが家の中は夏も全然だ
(次の一文解読不能)

オイ一、二、オイ一、二
モーたいそうやったからもうよすとしようか
太郎は体操をやるかな?



これはお父さんは何を考えているのでしょう?
『日本酒一升でひと月楽しめ

(この部分も解読不可能)

『これだけはいくら呑みたくても
今しばらく我慢して太郎君の誕生日の分と
しような』

『それにしてもカリホルニヤから醤油来る
カンカン(解読不能)買い込む
どーも我慢はできかねるな・・
しかしそこを一辛抱だ」

このあたり、全く意味が分かりませんが、要するに
「飲みたいけど我慢するために、
自分で自分にいろいろ言っているってとこですか。

雪がどっさり降って自動車の屋根にたくさん積もりました




珍しくひらがな表記の手紙です。

右上から

(近頃帽子はなかなか被らないのだ)
学校へ出かけるところ
「今日も××は熱いなあ」

ポカァーッと町を眺めているところ

太郎君にやろーとして
郵便いれているところ



下宿で勉強しているところ

公園のベンチに腰かけて
ボンヤリ休んでいる

お風呂にはいっているところ





太郎君へ 10月27日 父より フォートライレイにて

アメリカの将校の処のカアチャン達は
乗馬で来ています

あああいつ等は毎日暇なものだから
ああして馬に乗っているんだな

日本の将校の細君などは馬になど乗る者は
まるで無い様だが大いに違っているわい

父さんの食事中です

よくのべつにしゃべる好きだな
全く驚き入るな・・・・
犬もこーしゃべりながら食べるのが本当だな

それだのに日本では余り黙り過ぎているわ
「しゃべりはちょ」の太郎は喋りながら食べているだろーかな
純日本娘のオフクロがだまりやだから
そんな様に一生懸命しつけているのではないだろーかな

これはトウモロコシかまたジャガイモ、
いつも同じものを食べさせるな
まあ考えると日本人の食事は相当贅沢なモノさ


べちゃべちゃべちゃべちゃ

今夜の肉はよいわね
べちゃべちゃべちゃべちゃべちゃべちゃ

むにゃむにゃ
べちゃべちゃべちゃべちゃ



マア日本はモロコシをご飯で食べないんですって?
御芋ばかり食べるのは貧乏人ですって?
ま、また随分ご冗談がじょうずになりましたね
(お父さんが言ったのは冗談だと思っている)


栗林中将、ここでも辛辣です。
アメリカ人がコーンとポテトばかり食べているのは
昔からだったんですね

アメリカでは特に「ディナー」はしゃべるところですから、
無理にでもこうやって口を開くのですが、
日本人の栗林中将にはどうしても
「食事中にしゃべるのは行儀が悪い」
という感覚がぬぐえないようです。

そういえばうちも、食事中は「あまりしゃべるな」
というしつけをされていた覚えがあります。



そのほかにも残されていた栗林中将の写真。
硫黄島の作戦本部での様子です。



右が栗林中将でしょう。
その佇まいからは戦地にあってなお静けさすら湛え、
この人物の高潔な人柄さえも覗える気がします。



玉砕したのが20年の3月。
この頃はまだ米軍も影も形もないころですから、
栗林中将はじめ参謀の表情にも明るさが見えます。



若い士官たちと。
建物のガラスに飛散防止のテープがあることから、
これは内地で撮られたものでしょう。
お利口そうなシェパードの首を抱いています。




「散るぞ悲しき」

この栗林中将の電文は「士気が殺がれる」
と言う理由で「口惜し」と直して発表されました。
遺族にはこの訂正前のものが渡された、というのが
せめてもの慰めでしょうか。


栗林中将、玉砕前総攻撃を記す最後の電文。

一、戦局は最後の関頭に直面せり
二、兵団は本17日夜総攻撃を決行し敵を撃砕せんとす
三、各部隊は本夜正子を期し各当面の敵も攻撃後
後の一兵となるもあくまで決死敢闘すべし
大君(三語不明)て顧みるを許さず
四、余は常に諸子の先頭に在り


以下は日本に向けて打たれた惜別の電文です。



戦局最後の関頭に直面せり
敵来攻以来麾下将兵の敢闘は真に鬼神を哭しむるものあり

特に想像を越えたる量的優勢を以てす
陸海空よりの攻撃に対し
宛然徒手空拳を以て克く健闘を続けたるは
小職自ら聊カ悦びとする所なり

然れども 
飽くなき敵の猛攻に相次で斃れ 為に御期待に反し
此の要地を敵手に委ぬる外なきに至りしは
小職の誠に恐懼に堪えざる所にして 幾重にも御詫申上ぐ

今や弾丸尽き水涸れ 全員反撃し最後の敢闘を行はんとするに方り
熟々皇恩を思い粉骨砕身も亦悔いず

特ニ本島を奪還せざる限り皇土永遠に安からざるに思い至り
縦い魂魄となるも誓って皇軍の捲土重来の魁たらんことを期す
 
茲に最後の関頭に立ち重ねて衷情を披瀝すると共に
只管皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ
永えに御別れ申し上ぐ

尚父島母島等に就ては
同地麾下将兵如何なる敵の攻撃をも
断固破摧し得るを確信するも何卒宜しく申上ぐ
終りに左記駄作御笑覧に供す
何卒玉斧を乞う」


国の為重き努を果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき

仇討たで野辺には朽ちじ吾は又 七度生れて矛を執らむぞ

醜草の島に蔓る其の時の 皇国の行手一途に思ふ

 


この決別の電文は本土最北端の
海軍大湊通信隊によって傍受されました。

通信員は泣きながらこの電文を大本営に送付したと言われています。



栗林中将は突撃決行のその日、同日付で特旨をもって大将に昇進。
五三歳の彼は史上最年少の陸軍大将として
最後の突撃を行ったのでした。




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開設1000日記念漫画ギャラリー 第二弾

2013-03-20 | つれづれなるままに

「どんがめ下剋上」






潜水艦という特殊な配置に最初に興味を持ったのは、
「特殊潜航艇」でシドニー湾に突入した松尾敬宇(まつおけいう、かずたか)
少佐の話を読んでからです。
このころは、伊33の事故のことや、いくつかの潜水艦映画が出たこともあって、
わたし的には「潜水艦ブーム」でした。

そんなブームの中、描いたのがこの2編。

「とある少尉候補生のブラックアウト」







「とある潜水艦長のブラックアウト」








板倉光馬艦長の4コマはつい最近
「敵機に帽を振れ」というログでアップしました。
こういう人物がいたことを知るのが、「海軍ファン」冥利です。

最近、旧軍に関する情報を集めておられる方のブログに、
これをはじめいくつかの当ブログ記事が掲載されていることを知りました。
まったくありがたいことでございます。

この「板倉艦長のブラックアウトシリーズ」も載せていただいていますが、
それにつけられたコメントが

「『ちーん』があるある過ぎて怖い・・・・・」

あるある過ぎちゃだめでしょー。


「ハンモック・ナンバー」



ハンモックナンバーについてお話しした時に、特別出演した
「ジパング」の草加、滝両中佐。
これは実話です。(迫真)

ここを読んだとき、何を言われても比較的無表情の草加中佐が
むっとした(ような気がした)ので、これを描いてみました。

というか、こんなこと普通は言わないよね~。社会人として。



「『大和です』を漫画化してみた」











「雪風」でこれのパロディをするために描いた
「大和です」編。
なぜか本題の「雪風編」よりこちらの方が人気。


「雪風は死なず」












幸運艦「雪風」を初心者向けにまとめてみました。
本篇では新郎の着ているのが自衛官の制服になっています。
最初、紋付で描いたバージョンがあったので、
こちらをここでは載せてみました。

本当は、間違えて載せてしまったのですがまあいいやってことで。

もし今これを描いていたら、自衛官が結婚式のときに着る
メスジャケットの絵を描いたんだけどな。

最近読んだのですが、自衛官の結婚式って基本なかなかワイルドだそうですね。
同僚が全員全裸になるって、どこの秘境の部族ですか。



「駆逐艦『梨』物語」









駆逐艦「梨」の数奇な運命を描き、また
「この無名の艦で亡くなった方も、大和で亡くなった方も、
皆同じ英霊である」と、
「大和です」の感動的な話にすこしアンチってみました。

最近ですが、海軍で艦隊勤務をしておられたお爺様が乗っていたのが
聴いた状況からどうもこの「梨」ではなかったかとおっしゃる方から
コメントをいただき、大変感激いたしました。

このようなことがあると、ブログをやっていて本当によかったと思います。


「笹井中尉と三輪車」












読者のさとんさんとのコメントやり取りに端を発し、さらに
笹井中尉が三輪車に乗っている小さいときの写真に
想像力を刺激されて描いた漫画。
ありそうな話だと思ってしまう(というかわりと実話)のが笹井中尉らしい。


ここで、一コマ漫画を。

「海の男の洗濯任務」



艦の中で洗濯をするための水が盗難される事件が相次ぎ、
「水泥棒」を割り出すためについに医務課の捜査班が動いた。
彼らがそのためにこっそり水に仕込んだのはなんと
「洗濯すると生地が赤く染まる溶液」。

そして次の朝、艦の一隅には真っ赤に染まった洗濯物が。
動かぬ証拠を突きつけられたかれのこの後の運命やいかに。

・・・・ってなことを海軍の「お洗濯事情」に交えてお話ししてみました。



「嗚呼陸軍潜水艦」



潜水艦未来漫画「青の1号」をパロッてみました。
描いておいて読んだことが無いのもなんなので、
一時この漫画の再販でもいいから読めないかと探していたのですが、
どうやら再発行などはされていないらしく、「幻の漫画」のようです。
そうと分かればますます読みたくなってきました。

この陸軍潜水艦を「海軍と陸軍の齟齬の産んだ私生児」と
位置付けてみたのですが、後から見て大局的にはそうでも、
作った人や乗った人にとっては命令を受け乗務し、
さらに命を賭けるしかない乗り物だったわけで。
現にこの潜水艦で出撃し、亡くなった方々は多数です。

南方での目撃談ですが、このまるゆがある輸送任務に携わったとき、
潜水艦であるのに荷物を満載にし、しかも艦橋にまで荷を積んで、
つまり「潜水できない状態で」出撃していったというのです。
そして、そのままそのまるゆは消息を絶ちました。

制海権の無い海にそんな状態で出て行くしかなかったその切羽詰まった状況と、
成功する可能性など1パーセントもないこんな無謀な作戦に
命を掛けねばならなかった陸軍の潜水艦勤務乗員のことを思い、
これを読んだときには、ただただ涙があふれてしまいました。

「まるゆ」に乗務した陸軍将兵の英霊にに敬礼。


開設記念漫画ギャラリー、もう一遍続きます。







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ブーメラン戦隊ジミンガー~玄葉「そんなの俺たちだって」

2013-03-18 | 日本のこと


というわけで、ジミンガーのブーメラン図完成です。
これについては若干の訂正がありまして、まず

「ジミンガー・ブラック」のグーグル原口については
傲慢な物言いで

「グーグルアースで見れば中国艦船の位置わかりますよ!
(なのになぜ自民党はそれをしないのか)」

と言い放ったのがあまりに強烈なクリティカルヒットとなり、
ブーメランというよりは自分で自分の脳天を強振即成仏、
みたいな図になってしまい、ネタ的にあまり面白みがないので、
「ジミンガーシリーズ」最終回はこの人をお送りします。


玄葉光一郎前外相


(福島復興)


「除染はなぜ遅れてるんですか!!!!」





終了





・・・・いや、ここで終了しちゃったら困るんですけど。


なんで遅れてるんですか?
わたしもぜひ聞きたい。
政権取って3か月足らずの自公にではなく前政権の民主党に。

自民の森まさこ議員が
「避難指示しなかったので外でおにぎりを食べたりしていて
たくさんの子供たちも被曝してしまったんです」
と泣きながら質疑したとき、雁首揃えて閣僚席に座っていたうちの
一人であるあなたにもね。


「体制の問題じゃありません。

タブーを破る時期に来ているということです。

除染がなぜ進まないかというと

中間貯蔵施設がないからで、

なので仮置き場もできない。

つまり復興の哲学を甦らせるべきです。

復興の哲学(元に戻す)のタブーは破るべきです。
除染が進んでも戻らない人がいるからです。

それをやらないから除染が遅れていると言われても仕方がない」



・・・・ちょっといいですかー?

もしもし、玄葉さん?

「頭の悪い人の話し方」の好例になってますよ?
わたし、この部分を三回聞きましたが、
何が言いたいのか全く分かりませんでした。

ええ、ホントーに分かりませんでした。

アベ「(何言ってるかさっぱりわからないけど)
おっしゃることは我々もやっております。
担当大臣を呼んでいただいていないので、
進捗状況をご説明することはできませんが」


「あのね?

実際進んでないんです。

わたしもね、泥をかぶるつもりで言ってるんですよ。

泥をかぶるつもりで言ってるんです。

おもてで議論するってことをしていないんです、
復興に与野党ありませんから、私も野党ですけれど、

泥をかぶります。

そしてぜひ様々な提言を福島の復興についていたしますから、
復興に付いて集中審議をし精力的に議論したいと思います」

まあ、要は「復興会議に民主を締め出すのはいけない!
見えないところで進めないで俺たちにも言わせろ!
俺たちが復興のために働いているところを国民に分からせろ!」

ってところでしょうかね。

復興に関しては条件抜きで国民からの支持が得られ、
「存在感」(ぷっ)を野党なりに示すことができると。
そのチャンスから自分たちをハブるな、と。


じゃあ聞きたいんだけど、
あんたがた政権与党のときに復興作業について
手柄を独り占めにするため自分たちだけでやろうとしたり、
その実勝手に中韓企業に工事を発注したりしてなかった?


「因みに安倍総理は3.11以来、総裁になられるまで
一年半、比較的時間があったと思いますが、
福島には何回くらい行かれましたか?」


アベ「急に言われましても・・・・三回くらいですかね。

玄葉さんは遅れてると言われますが、民主党政権下では
やはり基本的なやり方自体うまくいかなかったんですよ

やり方も、進め方も。
だから遅れてるんじゃないですか。

そのことはしっかりと認めたほうがいいですよ?

その上に立って我々は違うアプローチをします。

そのことについて説明をしてもらいたいんであれば、
最初から担当大臣を呼んでいただければよかったんですよ。

どういう進め方をしているかということについて
中身のある議論ができます。

しかも今はもう議論をしている時ではないんですよ。
実際に何をやるか、それをやっています。

それを説明して欲しいんであれば
担当大臣を呼んでいただきたいと思います!」


この答弁の間玄葉がしていたこと。


「民主はなにもできなかった」と言われると、
顔をひきつらせて何度も首を横に振る

「議論をしている時ではない」というところで
目を伏せたままニヤニヤ笑う。


お前は生徒会で論破される中学生か。



「これ、哲学と理念の話をしていて、今回の質疑を通じて
どうも安倍総理は、どうも福島に思い入れがどうも、

あまりないなあと思って、残念に思いましたけども、

やはり与野党なくこれを進めてね。

私は泥を被って今日申し上げてるんですよ?

それをですねえええ?

あのっ、そういう言い方をされるというのは
私は非常に残念だと思います。

総合的な国益論に立ってで大きな判断をしてほしいと思います」


「泥を被って」を計4回言いましたね。
こいつの言う「泥をかぶる」ってどういうこと?

どうも聞いていると「福島の復興」とその議論に加わり、
民主党に

(政権時代の言い訳を)させろ!

ぜひさせろ!

俺たちのいないところであれこれ決めるんじゃねえ!

ほれ、泥を被ってその政策に助言してやるから?

自分たちだけ「美味しいところ取り」するな!

俺たちも入らせろ!

って言ってるように聞こえるんですが。

政権与党にあったときさして何もしていなかった民主が、
野党になったとたん勢い込んで
「泥をかぶる覚悟」を決めたのはなぜだろう?(棒)

政権与党のときにいくらでもかぶれただろ?あ?


因みに、「何回足を運んだか」と玄葉氏は息巻いて、
安倍総理は「三回くらい」と控えめ過ぎる答えを返していますが、
実は安倍総理は震災直後の

3月26日には支援物資のトラックとともに

福島県南相馬市、相馬市、新地町、福島市

4月8日には

宮城県仙台市、亘理町、山元町の避難所計8か所。

5月30日には

岩手県盛岡市、宮古市の避難所、仮設住宅など

党総裁就任までに計10回被災地を訪問しています。


そういえば、このブログのコメント欄で

「震災の時に自民党が

どんな立派なことをしたのか知りませんが」

などと無知を装って悪意のあるコメントをしていた
反安倍親中護憲派の団塊左翼さんがいましたね。

その「立派なこと」は、あなたが中国政府にしょっちゅう受けている
ハニートラップ宴会で泥酔している時間をすこし割いていただいて、
パソコンをワンクリックして検索するだけで、山ほどでてきます。

民主党の党員ですら、「民主が何もしないので困り果て」
自民党に「がんばってください」と言ってきた話とかね。

あなたの好きな中国様の下僕である岡田が、
地元の自民推薦の議員が後援している企業が
放水のためのポンプ車を無償提供したのに、
「敵の手柄にさせたくない」と送り返した話とかね。


まあ、知らないのか知って言っているのか知らないけど、
どちらにしてもクリックすれば何でも知ることのできる現代の日本で
「知らなかった」という言い訳をネットですること自体が「ブーメラン」ですわよ。


(日米共同声明)


「これ、当たり前のことを確認する、

国内向けのパフォーマンスである上に、

非関税措置で必要以上に押し込まれていると思います。

1、センサティビティの存在

2、最終的な結果は交渉で決まっていく

3、一方的に関税撤廃を求められるものではない

これを勝ち取ったと(噴きだしながら)言う言い方をしているわけですが、
同時に

自動車部門や保険部門に対処

その他の非関税措置に対処

ということが明示された、というのが今回の共同声明です。


当たり前のこと、って言ったのは、実際はこの
1のセンサティビティの存在っていうのは
民主党政権下で下ごしらえの交渉は事実上終わってました!

2も、昨年四月、すでに私とUS・DRの通商代表の間で、

まさに明示的に、

文章にしたわけではありませんが、

そういうことは確認をされています。


3ですが、これ

当たり前のことですね?(笑いながら)

これ、他の国はどうなんですか岸田さん?」


つまり、俺たちのやっていた当たり前のことを
勝ち取ったなどと言って誇るな!

当たり前のことなんだから!

ってことみたいです。


岸田外務大臣「今回のことはその当たり前のことを
初めて文章にしたことに意義があると思っています」



(ニコニコしながら)
「こんなこと当たり前なんでどこの国もそんな約束させられてないんですね!
当たり前なんですよ当たり前なんですこんなことは当たり前」


アベ「当たり前っておっしゃいますけど、そうなんだったら

民主党政権で文書にすればよかったじゃないですか。

外交交渉においてですね。

『いくらでもできた!』と言っても、できなかったじゃあないですか

だったらなんで首脳会談のときに作らなかったんですか?

政治は、結果なんですよ。

出していない結果に対して、後で出した人に対して

『そんなのは俺たちだってできた』と言ったってですね。

それは世の中にはなかなか通らないのではないか、と。


私はそれを喧伝するつもりはありませんし、第二パラグラフについても
なかなか取れる話ではないと思っています。
最前線で頑張ってくれた皆さんにはありがたいと思います。

しかし、文章化するのも困難なことでありそれはなかなか決まらなかった。
そしてそれは首脳会談においていろいろ決まっていくわけですが、
今回第二パラグラフ、第三パラグラフを会わせて
文章化することができたわけでありまして、」


「まさにそういうことなんですよ!

我々からすれば当たり前のことを文章化するために
3パラで譲って押し込まれた、って結末だということなんですね。


いずれ参加表明するんだと思いますが、そのときには
アメリカの同意は得たうえで参加表明すると考えてよろしいですか?」


アベ「第3パラグラフが押し込まれたわけではありません。

我々の公約は

『聖域なき完全撤廃を前提とする以上交渉には参加できない』

というものですからこの国民との約束を違えるわけにいかない。
私はこれを向こうに口頭で申し上げ、文書化することを迫ったわけです。

米国には米国内の立場があり勿論日本にもある。
これらを踏まえてタイミング的にも調整をしていく」


「まあ事実上参加表明していると思いますがー、
これはアメリカとよく調整をした方がいいと思いますね!」

(話聞いてたのかな?)



「一方的に参加表明と言うことになってしまったときには、
ここに明示的に書かれちゃってるわけですから、
ベタ折れになっちゃう可能性がありますので。

ところで自民党の言う『聖域』ってなんですか?
関税撤廃乗れ以外のことですか?」


アベ「どこの国にもある『譲れない部分』です」

「おそらくオバマ大統領との間で『例外』って使ってないでしょう?
コメは場外を求めますね?」


「コメはどうするんだ」
って国会で聴かれて一言もそれについて答えなかった野田総理が
確かおたくの党にはいましたね。

アベ「まだ交渉参加するかどうかも決めてません」

「コメは除外を求めるべきです。
自民党議員にはTPP反対が多い。
これどうするつもりなんでしょうかね?(ニヤニヤ)」





(日米関係)


「日米首脳会談で気になることがあった。

『この三年間で著しく損なわれた日米の絆』と

安倍さんは

レッテル貼りで

レッテル貼りで

レッテル貼りで

いたします。

私も確かに外務大臣時代認めたんですけども、
鳩山さんのときに

一時揺らぎが出た

このことはそうだと思います。
でもその後の政権で建て直したと言う風に考えています。

本当にね、安倍総理が言うように著しく損なわれたって言うなら、
あのとき胸を張って完全復活した!みたいな(笑いながら)
宣言ができるのかと。

そもそもですね、著しく損なわれていたのなら一度会っただけでですねえ、
取り戻せるものなのかと(はあはあ笑いながら)。

だからそもそもですね。
一時揺らぎは出たけど、建て直していたってのが率直なトコだと、
思います。現にですね。

安倍さんのあのような宣言、胸を張った会見も含めてですね。
あの会見に対して米国から、ん~~~


何の反応もありません!その後!何のコメントも!ありません。

ですからですね、アメリカからすれば野田政権の延長線上、
っていうのが率直なところ、なんですね

実際オバマ大統領は総理を品定めした、
という側面があるのではないか、と思います。

私は勿論、国益に比することはしっかりと協力をいたしますし、
どうかな?と思ったら厳しくチェックをしようと思っています。

で、何が言いたかったかといいますと。
安倍総理の発言聴いてると、なんかねえ、

単純なレッテル貼り!

あるいはパフォーマンス!

そういうのがね、わたし、非常に気になります。


もしね、そういうことをこれからも続けるってことであれば、
私は今後は厳しく追及していきたいと言う風に思います。

そのことを申し上げてわたくしの質問を終わります」



玄葉が目を剥いて何を言いたかったかと言うと、


「民主党は悪くない」

「自民が成果といってるのは民主もやってた。
文書化なんて単なるパフォーマンスだ!」

「アメリカは自民を品定めしただけ。
認められたとかって威張るな。レッテル貼りすんな」


ってことだと思うんですがね。
「確かに鳩山時代に日米関係が損なわれた」
これは認めるのね。

じゃお聞きしたいんだけど、

菅首相は鳩山から総理を代わったとき、
鳩山がやった失策と失われた信頼に付いて、
何かそれを取り戻すようなことをしたのかしら?


最悪の状態だったところに大震災が起こり、
その後中国との関係が急に悪化したので
そう言った問題を棚上げしてアメリカが支援をしてくれたことで
関係が復活した、と勘違いしているだけなんじゃないかしら。


そしてなによりアメリカの機嫌を取り戻すために菅首相は
TPP交渉参加を「押し込まれて」検討を余儀なくされたのでは?



玄葉光一郎。

この男、ライバルの前原誠司に張り合って、外相時代、
初の中国訪問の時にわざわざ「お大臣」扱いで
政府専用機をチャーターしやがったんですよ。

中国航空のビジネスクラスで十分でしょ?
中国なんてあっという間に着くんだから。

で、そのときの費用が1200万円。
政府専用機は外相クラスでは使わないのが普通なんですがね。
さぞかし機内ではふんぞり返ってモト取ったんでしょうねえ?


この質疑が行われたのが2月28日。

3月7日、安倍総理は岡田克也の質疑にこたえる形で

「鳩山のあと持ち直したって言うが、
じゃこの3年間日米関係は良好だったと
胸を張って言えますか?」

って聞き返し、岡田は答えられませんでした。


これ、この日に玄葉に『言い逃げ』された最後の部分に対する
反論を兼ねて言ったのではないかととエリス中尉思っております。
オカラがブルブルしている横で、玄葉もこれを聞いて
「きいいい」ってなっていたんじゃないかと。

本人たちがいかに言い募ろうとも
日米関係は最後までむちゃくちゃだったでしょ?

その動かしがたい証左が、あの時期急に中国、
ついでに韓国の動きがアグレッシブになったこと。
ロシアも一時激化しましたよね。

つまり日米同盟に揺らぎが出ていることを中国が見越して
ゆさぶりをかけてきた、ってことだったんじゃないのかしら。



それから、「レッテル貼り」っていうのはね。

何回しか足を運んでいないから被災地に対する思い入れが感じられない、
と言う風に、
「自分の目に見えていることだけ取り上げてそれを誠意に換算し勝手に比較して非難する」
これをレッテル貼りと言うんですよ。

おたくの歴代党首とか、特にあの小沢元代表とかが、
どれだけ被災地に足を運んで実際国民のために何をしたか。


こういうの一覧表にでもされたら一番困るのは民主党でしょうに。






 

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霧島温泉宿泊~与謝野晶子の宿

2013-03-17 | お出かけ

しばらく殺伐とした話題が続きましたが、
実は霧島温泉に行ったのももう2週間前。
せっかく良質の温泉で癒されてきたというのに、
その帰りの飛行機でしっかりインフルエンザのウイルスをもらってしまい、
治りかけに観た売国議員どもの稚拙な国会質疑に頭を熱くして・・・。


全く何やってんだか。


しかし、こうやって改めて写真を観ていると、
この日ホテルの窓から家族でずっと夕焼けの沈むのを眺めた、
あの温泉宿は本当によかったなと思うのです。

もしかしたら今旅を考えておられる方もいるかもしれないので、
霧島温泉をご紹介します。



一本道の山道をくねくね登っていくと、
谷合からもうもうと硫黄の煙が出る一帯。

窓を開けると濃厚な硫黄の香り。

いよいよ霧島温泉郷に到着です。



ホテルはこのような木々の山に抱かれるようにありました。



霧島ホテル。
ホテルのロビーにはこのような展示が。

 

この辺は別名「龍馬ゆかりの地」と言うのが売り。
なんでも「新婚旅行」という概念の無かった当時、
坂本龍馬が新婚間もない新妻のおりょうを伴い、
訪れたことから、これを以て

「日本最古の新婚旅行」

であるということにしたい、じゃなくてなっているのです。

霧島ではご当地イベントとして

「龍馬ハネムーンウォーク in 霧島」

と称し、彼らが歩いたとされるいくつかのコースを
カップルで(一年以内に結婚したニューリーカップル)歩き、
おそらく速さを競うのではないかと思われます。

因みにこのコースは4種類。
10キロから最長で23キロのコースです。
カップルの体力とやる気によってお好きなコースを、ってとこです。

募集人員は400名から1000人くらいがコースによって。
開催は毎年一回。
今年は・・・・・・・

おっと!3月16日、そして17日、

つまり昨日今日ではないか!

と、今頃ステマしても何にもなってませんが。
まあ、そういうことです。偶然ですね!



部屋に荷物を置いて少し休憩しました。
これが部屋からの眺め。
敷地の中に神社と遊歩道があります。






皆でこの日の沈む夕日を眺めました。


この後、夕食をいただく前にご自慢の温泉に。
夕食時だから広大なお風呂にたった一人だけでした。

個々のお湯は真っ白に濁った濃厚な泉質で、
湯の温度も管理されていて非常に長湯しやすい。
いかにも体に「効きそう」です。

老舗の旅館らしく、館内には「資料館」がありました。



昔の写真多数。



鉄道ブームのときにはここにもそういう客が来たようです。



物凄く値打ちのありそうな時刻表。
真ん中の4冊も時刻表なんですね。

AKB的なもの。

因みにわたくし、この幼女集団のことについて

いまだに

何ひとつ

知りません。

本当に、誰の名前も知りません。
どんな歌を歌っているのかも知らないし、
テレビもないから顔も知らないし、
坊主になった子がなぜ坊主になったのかも、
その名前も、知りません。

従ってこの女の子がそうであることも知りませんでした。

「日本人の7割が坊主刈りにしたことについて・・・」

という記事をどこかで見たとき、
「私はその統計に入れないでいただきたい」
と激しく思ったのですが、こんな私は日本の少数派ですか?




古い写真、大好き!
なわたしが目を輝かせた「歴史コーナー」
当時あった湯治館「高千穂館」だそうです。



明治初期のころの当館の姿でございます。
着物を着たおそらく従業員が何人か立っていますね。



「霧島神宮前」という省線の駅前で撮られた写真。
全員がポーズとをってこちらを見ています。
この写真の取られたのは昭和10年代のことだそう。
戦争前ですが、このあたりは戦中も被害は受けなかったようです。

右に駐車しているのが霧島温泉の送迎バス。



これは送迎用に一応車を用意しているので、
戦後の写真ではないかと思わrます。



長年使われてきたこの温泉の看板。




なにしろ、操業して130年を超す老舗でございますから。



昭和26年の霧島館。



これも霧島館の従業員たちではないかと思われます。
番頭の法被を着ているのが二人。



これも高千穂館で撮られた「身内写真」。



昭和11年。

このころ霧島は国立公園に制定されました。
そのころ日本に

「温泉ブーム」

が来て、温泉地に旅行に行くことが流行ったそうです。
そのおかげでこのあたりはすっかり観光地として名をはせ、
一日にバスは客を運んで何往復もしました。
これは地獄谷のバス終点で撮られたもの。



昭和10年代。

この頃の花見はよくこのようにトラックに人を乗せて
行ったそうです。

今なら考えただけでアウトな構図です。

あんまり「花見ながら飲み食い」ってしなかったんでしょうかね。
花見と飲み食いは昔からセットなんじゃないかと思ってましたが。

これじゃ本当に桜の下にトラック停めて

「見るだけ」

ってことですね。
まあ、三味線弾き語りのミュージシャンは雇ってるみたいですが。



船遊び。
しかしこの頃の色男というのは何とも風情があります。



ところで、この霧島温泉的にもっとも「盛り上がった」宿泊客。

それが昭和4年に夫鉄幹とともにこの地を訪れた

歌人、与謝野晶子でした。


与謝野晶子が「君死に給うことなかれ」「みだれ髪」
で一世を風靡したのは明治年間のことで、この頃はすでに
知らぬ者の無い「大歌人」でしたから、旅館はそれはもう、
下へも置かぬ熱烈歓迎をしたものでしょう。

・・・・その割には、撮られた写真の中央が鉄幹で、
この写真など晶子の顔が半分になってるんですが・・・・

しかも、この頃は鉄幹はすでに「オワコン」になっており、
どちらかというと学校経営で家計が成り立っていたころです。
この写真の6年後、鉄幹は病死します。




とにかく、歴史的な歌人夫婦が訪れたのですから、
訪れる方も

「何も詠まずにここを無事で帰してもらえるはずはない」

と思った・・・・かどうかはともかく、おそらく宿の主人がしずしずと進み出、
「拙館にお泊りになった感想を、ぜひ一句・・・」
と歌箋と硯など持ってきたのではないでしょうか。

さて、そんな切羽詰まった状況で詠まれた(かどうかはわかりませんが)一句。

「ミョウバンのお湯がとっても癒されるわ!
どこかの王宮の翡翠の床なんかよりずっとイケてると思うの」

「硫黄谷と板石坂でお湯から出る霧が
青と黄色の二色でとーってもキレイ!」


ずいぶん強引ですがこう解釈してみました。
・・・・間違ってませんよね?



落ち目と言えど(失礼)さすがは亭主の句。


「大浪の池ではホトトギスの声が
まるで追いかけてくるように聞こえる。

実に風流である」

「壮大な霧島山が抱いているような空に、
白く残る明け方の月が見える。
実に風流である」

と、多少いい加減に解釈してみました。
間違ってませんよね?

ともあれ、この来訪は霧島旅館にとって大事件。



こんな感じで、まるでアフリカの秘境を行くイギリス人のごとく、
原住民、じゃなくて現地の人にモッコ担ぎまでさせて、
晶子さんはこの辺を観光したようですね。

昭和4年、
まだまだ洋装が珍しかったこの時代、晶子がまとうのは
どうも東京の、いやその少し前に洋行した時に買い求めた

パリー仕立てのお帽子とお洋服。

さぞ霧島の人々にはこの歌人御一行が、都会の香りと、
華やかさを振りまいて輝くようにまぶしかったに違いありません。

ついでに左にスーツを着て立っているイケメンは、
おそらく出版社かなんかの社員ではないかと思いますが、
このお兄ちゃんも「先生のご接待」に奔走したのではないかと推察。

ともあれこれ以降、この旅館は

「与謝野晶子・鉄幹が訪れた宿」

であることを宣伝文句としてこんにちに至ります。
因みにここの露天風呂は女湯が

「晶子の湯」。

男湯は「鉄幹の湯」です。

そして、どうでもいい情報ですが、この温泉、
今や珍しくなった混浴風呂があります。

体育館のドームのような広い浴槽があって、築山やら噴水やら、
そんなものがあっちこっちにあるうえ、
お湯は前述のように白濁していて首から下は何も見えない上に、
深いところは首まであるわけですから、混浴だろうがなんだろうが、
あまり殿方の期待するような光景は見られないというのが実情ですが、
女性はそれでもタオルを巻きつけて女性用ゾーンにおとなしくしていますし、
男性にしても、湯煙のかすか向こうに女性のシルエットがあれば
「風情があるのう」
とそれを楽しむだけ、というような「混浴の正しい在り方」
みたいなのが昔から連綿と受け継がれてきたと思うのですが、
昨今、昔の「言わずが花」みたいな、

「そんなことわざわざ口で言わなくても常識で分かれよ!」

という、日本人の「行間を読む文化」が通じにくい状況が、
ここ霧島にも残念ながら生じてきているようでした。

回りくどいな。

わたしはこの混浴風呂、出発日の朝、
それこそ猫の子一匹いない状況のときに、
女性専用出口を出るなり首までつかって潜入し、観ただけですが、

なんと、

無粋にも女性用の入り口の前の築山に大きな看板があり、

「ここで休憩しないでください」

また「女性ゾーン」と称するコーナーが設けてあり

「男性の方の女性ゾーンでの入浴はご遠慮ください


男性用の浴場入口にはきっと中国語とハングルで書かれていたのでは、
と思われます。いやむしろそちらがメインで。

・・・何があったのか知りませんがね。


浴室のドアにはこれも三か国語で

「いかなる理由があっても撮影機能付きの携帯を
浴場に持ち込むことはご遠慮願います」


・・・・何があったんでしょうね。


こんな注意書きがでかでかとあちらこちらにあるという状況を、
わたしは日本人の一人として深く憂うものです。







夜のお食事はまあ、普通の「温泉旅館バージョン」でしたが、
レストランのお運びの女の子が、我々がどこから来たか聞くと、

「来週ディズニーランドに行くんです!」

と実に楽しそうに言っていました。

この写真は、レストランから見た、ホテル裏の杉林。
ライトアップされていて、まるで博物館の展示見たいです。
次の朝、チェックアウト後、お迎えが来るまでの間に
この杉林を散歩することにしました。





もう桜が咲いています。
昔ながらのポストは現役で、
いつもするようにここから「CSI:NY」のDVDを返却しました。
(いつもより一日時間がかかりました。あたりまえか)



苔むした手水があり、ここで手を清めてご神体にお参りします。

 



沈丁花と同じ花の形をしているけど、黄色、
これ何かご存知の方おられますか?

ミツマタとかセツブンソウに似ている気がしますが。



このミツマタ(勝手に決定)がぽつぽつと咲く階段を上がっていきます。



ご神木の前に可愛らしい鳥居。
鳥居の前には小さな小さな賽銭入れ。







遊歩道になっていますが、一周してもせいぜい20分くらい。
杉の香りがとてもさわやか。
花粉症的にはどうなのか知りませんが・・。







霧島は近くに神様がたくさん住んでいるような山です。

この後案内の方に霧島神社と、新燃岳のふもとに連れて行っていただきました。

そのご報告はまたいずれ・・・。





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旅しながら淡々と写真を貼る~桜島

2013-03-16 | お出かけ

倉敷の余韻も消えぬうち、またも行ってまいりました。
こんどは鹿児島県です。
鹿児島にはちょうど一年前に初めて訪れ、そのときに
知覧の特攻記念館に行ってその感想を書き連ねたりしました。

そのときにご縁のできた方々にまたも招待いただき、
今回はそのときに行かなかった霧島の温泉を訪ねることに。



ANAのチケットだったはずなのに、なんと駐機場に行くと
始めてみるグリーンがポイントの飛行機がいます。

「ソラシド・エア」という名前もわたしには初めてでしたが、
なんと就航が始まってから10年にもなるのだそうです。
北海道の「エアドゥ」などのように鹿児島を発着している飛行機会社で、
ソラシド=SORA SEED=そらのたね なんだとか。

金曜日、息子の学校が終わってから空港に行ったので、
鹿児島空港からさらに鹿児島市内のホテルに着いたのは9時。



外は真っ暗。
部屋は大人三人用のトリプルルーム。
この日は早々にベッドに入りました。
朝目覚めてカーテンを開けると・・・・



なんと目の前に桜島が!
こんな部屋だったのか。
しかもちょうど桜島から太陽が顔を出した瞬間。
「日の出だよ!」
嬉しくなって家人を起こし、写真を撮りました。

この日はスケジュールが非常にタイトで、
なんと8時にはお迎えがくることになっていました。
ブーたれる息子を引きずって朝食に行き、
ロビーに来てくださった案内の方とご挨拶。

せっかくの週末だというのに、この方たちも仕事です。
ありがたくも申し訳ない気分。

車で桜島に渡り、そこを通過して、霧島に抜けるコースです。
フェリーは去年乗ったので写真は割愛。
ただ、わたしが「海軍好き」であることはこの方たちの耳にも届いており、
フェリーに乗った瞬間、
「実は、時々ですが自衛隊の潜水艦が停泊しているんですよ」
とそれを探すためにデッキに出ることになりました。

「デッキを人が歩き回っているのもよく見えます」
「わあ、見たい!」
目を輝かせて一緒に海面を見つめましたが、今日は海中にでもいるのか?
姿はありませんでした。

「潜水艦なんて極秘行動だからこんなところに普通は浮いてないでしょう?」
「いやいや、それがねえ」

「中国の潜水艦が入ってきたので」

・・・・・・え?

・・・・・・えええ?

それって、昔のあの事件ですよね?
なんでそんな最近みたいな言い方するんですか?



フェリーから見えるこの小さな島。
案内の方は「鳥島」と言っていましたが、地図では
「沖小島」となっています。



どちらでもいいんですが(よくないか)、この島は真珠湾攻撃の演習のために
ここ錦江湾に大集結した帝国海軍の爆撃機が、この島を「軍艦に見立てて」
爆撃訓練を繰り返したと言われています。

97式艦攻、99式艦爆、零式など、数百機におよぶ海軍機が、
錦江湾上空をオイルの匂いを撒きながら飛び回り、
鹿児島の人々の度肝を抜いたのだそうです。
ここが真珠湾に少し似ている、ということで選ばれたのだそうで、
激しく繰り返される訓練により搭乗員の技量は入神の域にまで
達していたと言われています。

映画「トラ!トラ!トラ!」でも、その日米の訓練の様子が、
方や百発百中、方やキンメル怒りまくり、という風に描かれていしましたが、
あの日、実際にハワイにいて朝から畑に出ていた日系の方は、

「今日のアメリカ軍の演習はずいぶん上手だな」

と思ったそうで・・・・。

薩摩の人々は海軍機を見ると日本の小旗を振り、搭乗員たちは
そんな人々に手を振って応えていたそうです。

去年も言いましたが、このフェリーの桜島までの所要時間はわずか15分。
ずっと車の中にいてもいいそうです。

船のキャビンでこのようなポスター発見。



ご当地ヒーロー

薩摩剣士

隼人

おまけにこのヒーローのマスクをご覧ください。
ついでに胸のマークをご覧ください。

明らかにこやつ、島津藩の・・・・!

で、戦う敵は何者?
悪の大老、井伊直弼?
ジョン万次郎とか篤姫も出てくるのかしら。
これ、とても見たいんですけど・・・。



桜島に到着後、すぐにビジターセンターに行きました。



ここがまた(誰もいなかったけど)侮れなかった。



安永の噴火。



大正の噴火。



そして昭和の噴火とそれぞれジオラマ付きで解説しています。



映画を貸し切り状態で観て見識を深めました。
昔(案内の方が子供の頃)には、火口まで車で登って、
中を覗くことができたのだそうです。
最近は活発化しているので全く近寄ることはできません。



村民の暮らし。
皆心構えができているというか、平気なんですね。
昭和の大噴火のときも、死者はわずか30人ほどだったとか。
そのうち何人かは「海でおぼれた」といいますから、
そもそも心構えがDNAレベルで備わっているのかもしれません。



このビジターセンターで息子が気に入って買わされたTシャツ。
売店のおじいさんとおばあさんにえらく感謝されました。

そのあと、郷土出身の偉大な歌手である長淵剛が、
この島で経済効果数千万の伝説のコンサートをしたときに造られた
趣味の悪いモニュメントを観にいきました。



ここの溶岩を加工して造ったのだそうです。
コンサートはもう9年前の2004年に行われ、長淵は
このとき「桜島」という歌を歌ったとか。
ちなみにこの像はそのものズバリ「叫びの像」だそうです。

画像検索するとこの顔の真ん前で御大が熱唱しているのが出てきました。
つわものどもが夢の跡。

さて、島の自動車道を走っていると、フェリーにいたときには
全く気配もなかったのに、桜島が急に噴煙を噴きはじめました。



車内はすごいすごいの大合唱。
息子は今回も
「また旅行?俺しんどいんだけど」
「また鹿児島?去年行ったじゃん」
などと憎まれ口をたたきながら飛行機に乗ったのですが、
前回と同じくこの「自然のアトラクション」には
心の底から畏敬のようなものを感じるらしく、興奮しまくり。



桜島の噴煙が太陽を隠す瞬間。
「いやあ、一転にわかにかきくもり、ってやつですな」

鹿児島在住の案内の方たちも驚いています。





不思議な光景です・・・。



噴煙は溶岩を含むので、噴き上げられた後、
まっすぐに落ちていく様子がわかります。

火山にもっとも近い道路を走っていたときには、
フロントグラスが「ばちばちっ」と小石のあたる音がして、
これも運転しておられる方が
「わたし鹿児島で生まれ育っていますが、こんなのは初めてです」

ある意味運よく珍しい体験をしたということでしょうか。




しかし、車の全員がさらに驚く光景が。
この状況の中、なんとジョギングをしている人がいたのです。
この写真を撮った付近の、この道路沿いに。

「うーん、普通は健康になるために走るわけだが」
「粉じんを吸い込んでしまいますね」



「実際、中国からのPM2・5なんて物の数ではないって感じらしいです。
この辺の住民は」
「いや、さすがに中国のは化学物質ですから、これとはまた違うでしょう」
「粉じん慣れしていて怖いと思わないとか」
「それは考えものだな」

皆他人事だと思って勝手なことを口々にしゃべりながら桜島を離れていきます。

さて。

じつはこの後、「海軍好き」であるところのわたしのために
案内の方は「鹿屋航空基地」見学という予定を立ててくださいました。

その部分は長くなるので、またのちほど。

鹿屋を出てわれわれは一路霧島に向かいます。



休憩したドライブインに廃墟発見。
世に「廃墟マニア」という趣味嗜好をお持ちの方がいて、
廃墟の写真を食い入るように眺めて楽しむのだそうですが、
エリス中尉、もしかしたら少しこの気があるかもしれません。

この鹿児島には道路沿いにも結構「廃墟になった住宅」
があり、なぜかそういう古い(朽ちていれば尚よし)家屋を見ると
思わず身を乗り出してしまうのです。

ここなどはかつて飲食店で、いつ店主は店をたたんだんだろうとか、
最後に鍵を締めてここを去るときはどんな気持ちだったんだろうとか、
あんまりお客さんが入らなかったのだろうなとか、
結構いろんなことを想像します。



まだ什器備品が置きっぱなしになっている模様。
もしかしたら夜逃げ状態?



しかも電燈が一つ付きっぱなしになっています。
電気を解約していない、つまり夜逃げ決定?



霧島神宮の参道わきにも、廃墟発見。
この並びはすべて無人となっているようです。
有名とはいえ神社の参道で商売というのは、
一昔前ならともかく現代では利益が上がらなかったのでしょうか。



皆がまっすぐ山門に歩いていくのに、走って写真を撮りに行くエリス中尉。
おお、これこそ「廃墟らしい廃墟」!
お布団やビデオデッキなどが放置されているのもまた一興。

皆「全く理解できない」という顔をしていましたが。



どうやらここは薬屋さんだった模様。
「まだ使える」錠剤を道路沿いに置いて去ったようです。
しかし雨に打たれてすでに錠剤の正体はわからなくなり、
誰も手を付けないままちています。

というか、こんなところに放置されてる薬なんて誰に需要があるのか。

一本道のくねくねした道路をひたすら霧島に向けて走ること3時間ほど。




「あっ!シカだ!」
前の人が叫ぶので慌ててカメラを構えましたが
ちゃんと画面に納めることができませんでした。
車と車の間隙をぬって数頭の若いシカが道路を横断しています。



尻尾の周辺が白いので本当にバンビみたいなものですね。
この日のお宿は
「シカやイノシシ、タヌキが庭にやって来る老舗温泉旅館」。



ここです。

煙が上がっていますが、先ほどの桜島の噴煙とは違い、
こちらは源泉から立ち昇る湯気。

窓を開けたら硫黄の匂いがしてきました。

桜島の横を通過するとき、うちのTOったらつい車の窓を開けかけて、
わたしと息子から「窓開けちゃだめだよ!」
と叫んでやめさせたのですが(車のオーナーもそう思ってたと思う)
その時にわずかに開けた窓からこちらもすごい硫黄の匂いが入ってきました。
しかしこちらの方が硫黄の香りはとても濃厚です。

ここのお湯はとても質が良く、真っ白に濁る湯の花で風呂の底が見えないくらい。


かつて与謝野鉄幹・晶子夫妻、さらには
日本で初めて新婚旅行をしたと言われる坂本竜馬とおりょうさんが
訪れて、その湯に体を沈めたという古い古い温泉です。


それでは、続きの話はほかのを挟みつつ・・・。





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ブーメラン戦隊ジミンガー~細野「原発事故は自民のせい」

2013-03-15 | 日本のこと

     


さて、ジミンガーシリーズ、(いつのまにシリーズに・・)
三日目は真打ち、細野豪士。

細野豪士。

名前だけはいっちょまえにかっこいいですね。
実はわたしが乗馬に行っている御殿場市はこいつの選挙区。
インターチェンジを降りてクラブに行くまでのあいだに
このうっとおしい顔のポスターを見るわけですが、
失礼ながらこのわたくし、この辺の住民の民度というか、
平均知能まで疑ってしまうのでございます。

こんな人間のクズを当選させるなんてね。

まさかご存知ない方がおられるとは思いませんが、一応ここは
「政治ブログ」ではないのでもしかしたらこの細野のとんでもない
スキャンダルを知らない人もいるかもしれませんから、
一応説明しておきます。

(乗馬の先生も知らなかったしなあ)

細野豪士は、2006年、路上で某タレントとキスしている写真を、
写真週刊誌に撮られ、そのスキャンダルが有名になる。
また、娘の幼稚園の運動会の日に、公務だと嘘をついて
このタレントと京都に旅行をしていたことも明らかになった。
この京都までの新幹線代は公費を流用したという。


なんて野郎ですか貴様は。


不倫もお互いが納得していれば勝手にすればよろしい。
やるなら誰にも一生ばれない覚悟のある奴だけがやればいい。

しかし、妻は勿論不倫のために純真な娘の心を騙すな。
おまけに新幹線代をちゃっかり議員歳費でってせこい。せこすぎる。

何を浮かれて公道で路チューしてるんだ。中学生か。


というわけで、エリス中尉、この手の男が世の中で一番嫌いなわけですが。


それでは参りましょう。


細野豪士

(震災対応)

「自民は野党時代特例公債法を合意するのが遅い!
11月になって政権を追い込めるようになって
初めて合意した!

わたしたちだってやりたいこといっぱいあったんだ!!

当初予算ですら財源無いんだから、
新たな政策できるわけはないじゃないか!」


(財源はあるといって政権を取った党があったような・・)


「安倍総理!
建設的な議論をやりましょう!
しかし三年三か月の間自民は建設的でなかったから反省しろ!」


アベ「ずいぶん大きな声で居丈高におっしゃっていただいたんですが、
・・・・・あまり過去のことを言いあうのは生産的ではないかと・・。(皮肉)
こちらにだって言いたいことはたくさんありますよ。

だいたい民主は8月に解散を言い出したけどしませんでしたしね?
『近いうち』って、世の中の一般常識って一か月でしょ?
約束守ってくださいよってことで党首会談して、
合意もそれ以降の話ですから。

民主党の態度は合意するとか以前だったってことです」


「野党だから何でも反対するのはわかるけど、
特例公債法は大事だから暗黙のやり取りで通すべき!

だいたい我々の法案成立率が57.5パーセント。
第一次安倍内閣は90パーセントだ!

こんなに野党が協力していたのに、自民はひどい。
邪魔するばかりで全然協力してくれない。

わたしも居丈高に申し上げるつもりはありません!
率直に申し上げます!

野党時代の非協力的な態度を反省しろ!」


アベ「反省するつもりですしこれからもご協力いただきたい」



安倍総理、大人です。
噛ませ犬のような細野の挑発に乗らず、協力を「お願いする、
協力してくださったことには感謝する」、と・・・・・・・(ノД`。)ホロリ

気をよくして、細野続けます。


(原発問題)


「口では責任あるといいながら自民には

原発事故についての責任の自覚が足りない。

原発事故についての責任の自覚が足りない。

原発事故についての責任の自覚が足りない。」


ツイッターがもっとも盛り上がっていたのがこのとき。

「すごいや民主党の不手際は
全部自民のせいにする気なのか、細野君は」


自民時代にやっていれば原発事故は防げたって言ってるわけです。
ことに、閣僚席の甘利大臣が経産相の責任は重大で、
2006年に安倍内閣が成立してから

「2年の間に転換点はあったんですよ?!!」

と言い出すんですから皆「はあ?」ですよ。
転換点ってなんですか。
もしかしたらたられば言ってますか。

自民のせい、ですか。


「3月12日の一号機の水素爆発のあと、
10キロしか住民避難できなかったのは、2006年に
経産大臣になって4か月目のときにIAEAの基準を変えなかった
甘利に責任がある!!!」

「耐震指針ができたときにすぐに保安院に指示を出さなかったのは
甘利が経産相のときだ。
甘利に責任がある!!!」

「IAEAの総合規制サービスが保安院と保安委員会の役割が
不明瞭であると言ってきたのに何もしなかった。
甘利が経産相のときだ。
甘利に責任がある!!!」


甘利大臣「私にも至らない点はあったと思いますが、
三番目の点は『将来こうしてもいいんじゃないか』
という提案であると思います。
日本は「ダブルチェック」が売りでもありましたので・・」


いや凄いねこれ。

甘利大臣が在任中これこれをやらなかったからって、
居丈高にいろいろとそれを批難して反省を迫っているわけですが。

じゃ自分たちが政権取って半年の間にそれらのことを
ひとつでもなにかとりあげるようなことがあったのかと。

まるで自分たちが一度もそういうシステムをチェックする立場に
あったことが無いような言い方ですな。


しかも、けんか腰で食ってかかるように言い募る。
どんな正しいことを言っていたとしても、この態度じゃだれも聴かない。
質疑が終わるのもまたず事務所にクレームがくるわけだ(笑)

そしてこのあと、爆弾発言をぶちかますモナ男(笑)


「安倍総理にお伺いします。

自民党は

東京電力福島第一原発について

本当に反省してますか?」


これを聞いてリアルで「えっ?」と画面を見直した人は
おそらく何千万人いたと推定します。

あの事故の不手際、隠ぺい、事故拡大、
全てにおいて、そして原因すらも国民の多くは

「民主党が悪い」

と今でも思ってると思うんですね。
特にベントを遅らせて爆発の原因を作った
史上最悪の宰相、菅直人のせいだと。

でも国会ではそれは誰も言わない。
野党だって与党時代の民主に対してもこんなストレートに
「あの事故は民主のせいだが反省しているのか」
なんて、誰も言ってないと思うんですよね。


それを言うか。


事故のときの責任者で、スピーディの結果を隠蔽し、
被爆しなくていい人たちに被爆させた細野が。

この傲岸。
この浅ましさ。

我に山口二矢の勇気と実行力を与えよ、と
この一瞬だけ思った人間はわたしだけではないでしょう。
被災地の人々の中には特に。

さらにかさにかかって細野君こう続けます。


「真摯に考えて、何が悪かったか検証して、
そのうえでエネルギー政策を決めてますか?

政権の外にいて、わたしは(見たところ)その反省は
不十分だと思ってます!


アベ「安全神話に寄りかかり過ぎたという反省の上に、
エネルギー政策を進めています。

そういうことも含めて国民は

先般の選挙で民主党に退場をさせ、

我々にそれを担え、と選挙でそう決めたわけですから」


(キー!)
「実際に担当した者に言わせれば総理の言葉は軽すぎる!


本当にあれだけの事故があって

その責任が自由民主党にあって

その反省に立ってエネルギー政策をやるという重みが

わたくしには感じられません!!

これ以上この話をしても仕方ないでしょうから


・・・・これ。ケンカ売ってますよね?

わたしは震災対策でどうしても民主を許せない「タラれば」があります。
現防衛大臣の小野寺五典氏(被災地出身)が中心になって、震災前
津波対策法案を出しました。

この法案には大規模災害訓練の実地が含まれており、もし
民主党が廃案にしなければ東北の学校ではこれを受けて
避難計画を立てることになり、訓練が実地されていたはずなのです。

津波が来たとき、大人たちが間違った指示をした結果、
学校一つが壊滅した例がありましたが、もし民主が野党案を
野党憎しで廃案にしなければ、彼らは死なずに済んだかもしれません。


閣僚席の小野寺大臣がどんな気持ちでこの馬鹿男の絶叫を聞いていたか。



(定数削減)


「一票の重みは違法という判決が出た。
総理に聴きます。


逃げないでください。

逃げないでください。

逃げないでください。

自民はゼロ増5減だけ通せばいいと思っているんだろう?!
これは話にならない!」


アベ「逃げないでくださいって失礼だと思います。(珍しく語気を強めて)
自民は早くから法案を出していましたよ?
もっと早くやっていれば終わっているんですよ。

やらなかったのは

当時多数を持っていた

民主党じゃないですか。

いまゼロ増5減はもう通し、他もやっているので、
国会に提出したら法案通すのさっさと賛成してね。

特に細野さん、そこまで言うんならすぐ賛成するんですね?

協力してくれますか?」


「わたしたちはもう討論の用意して待ってます!!!
そっちこそ三月中旬までに石破幹事長にまとめろと
言ったらしいが持ってこれるのか?」


アベ「またまた居丈高におっしゃいますねえ・・・。
わたしは行政府の長ですから、石破幹事長に支持をだし、
自公両党で今その作成をしています。

細野さんもここまでおっしゃったんですから、
我々が出して来たら賛成を願いたいと思います。

我々自由民主党は、長い歴史に裏打ちされた
責任感を持っています。
先ほど法案の成立した率をおっしゃった。

これが結果なんですよ。

皆さん。

どうやって結果を出すことができるか。

それを私たちは知っているんですよ。

皆さんは、申し訳ないんですけど、

それを知らなかったんですよ。

それが成案率になって表れているということは

皆さんも選挙の結果を

謙虚に

受け入れたほうがいいですよ。


そういうことも含めて我々も(三年前)謙虚に受け止めたんですよ。
だから今回選挙で勝つことができなんだろうと思います。


(きいいいいー!)

「あの、わたしのことを何度も若造とおっしゃってるんでしょうが
居丈高とおっしゃいますが、
そおーーーおりの今の表現は、やや、わたしは若輩ですから
この表現は控えますが、やや傲慢だと思います。(控えてない)

だってそおでしょお?

与党案が出てきたらおまえたち飲めって?

選挙制度なんだからそれぞれ考え方あるわけなんですよ!


1、ゼロ増5減セットでだせ。

2、三月中旬に出すのか約束しろ。

さあ答えろ!」


アベ「1、ゼロ増5減もうできてます。セットも何も出します。
2、石破幹事長が3月中旬ということでやっていて
わたしが約束したわけではありません」


これ、モナ男は「三月中旬」の言質を取っておいて、
遅れたらそれを楯に攻めるつもりだったんですかね。


「いや!今の答弁は
聴いている国民の皆さんもびっくりされたと思いますよ?」
(おめーにびっくりだよ、モナ男)

このあと、しつこく「テレビで石破幹事長が三月中旬と言った」
と繰り返し、首相が「私はそこにいたわけではありませんから」
というと、野党の馬鹿どもが一斉に

「ええええ~」

っていうわけですよ。実にいやらしい声で。
夏にまとめてみんな消えろ。


(消えた年金問題)


「消えた年金問題とか、年金問題がむちゃくちゃだったので、
2009年の政権交代が起きた!
なのに今回施政方針演説に年金がなかった!
怪しからん!」

アベ「消えた年金問題はわたしのときに”発覚”したんですが」

「自民政権は長かったから消えた年金問題に
対応しなければいけなかったのは安倍政権だった!
でもそれをやらずに降りたんでしょ?
今回もする気ないんだろう?

我々が

40回も

40回も

40回も

回数を重ねていた、
長妻元大臣が作った年金問題対策会議を
安倍政権はやめさせてしまった!
なぜですか!」


田村厚労相
「長妻大臣が私的に作った『伺い定め』のための、

法的根拠のない会議だったからです。

わたしたち、法的根拠のある会を作り直し、
バージョンアップしましたのでww」


「厚労大臣をしてこの認識とは驚きます!
安倍政権はこの問題を交代させる気だ!
怪しからん!!」


いや・・・・それ、40回もやってどんな成果が出ていたか、
そっちを知りたいと思うのはわたしだけ?
しかもモナ男くん、「法的根拠がないからちゃんと作り変えた」
ってとこ、全くスルーなのね。

負けず嫌いなのね。気付かないふりしてんのかしら?



一度タヒんでこいや。



(教育問題)

「35人学級の案は、個性を大事にする教育のため、
我々が決めたのに、

それを皆さん止めたんだあっ!(ホントーにこう言った)

総理、もう一回よく考えてください!

子供は国の宝です。

子供は国の宝です。

子供は国の宝です。(以下略)



・・・・・・なら娘の運動会も行ってやれよ。
ついでにこれ、大川小学校の父兄の前でも言えますか?







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2013年3月8日、NHKが削除した中山斉彬氏の質疑抜粋

2013-03-14 | 日本のこと

緊急ネタです。


この日、2013年3月8日の午前中、
衆議院予算委員会において、あの辻本清美が
「ニューヨークで慰安婦決議が議決された」という質疑をしました。

つまりはこの売国議員は、

「こういう議案が議決されるからにはいわゆる
従軍慰安婦問題は実際にあったことなのだから、
それを認める河野談話を撤回しようとしている安倍総理、
そんなことしたって無駄ですよ」

という趣旨のもとに主張していたわけです。
ところが。

午後になってその「従軍慰安婦」の真偽性が、
写真などによって明快に否定されてしまうということになります。


それが中山斉彬議員の質疑でした。

今日はその質疑からそれに相当する部分をすべて聞き書きし、
できるだけ編集しないでお送りします。

なぜこれをする気になったかというと、
3月12日現在、youtubeに上がっていたこの映像を、
NHKがNHKの名で削除依頼をだし消したという事実が判明したからです。

今までyoutubeの国会中継が異議申し立てによって削除されたことはなく、
これが「史上初めて」NHKによって削除された動画となりました。

NHKの削除理由は「著作権侵害」ではなく(そりゃそーだ)
著作隣接権によるものらしいです。

これが本当に合法かどうかはもう少し知人に聴いてみますが、
どちらにしてもNHKも馬鹿なことをしたものです。

こんなことをすれば

この内容がNHKにとってよっぽど都合が悪いらしい

と皆が改めて認識することになるのにね。
しかも、NHKの人はわかっていない。
インターネッツの世界には不思議な法則があって、

「消そうとすると動画は増える」

のだということを。

というわけで、エリス中尉もまたその「都合の悪い内容」を
こうやってあえて文章にする気になってしまったわけなんですねー。

こわいこわい(笑)


あ、そうそう、みなさん、これ興味がおありでしたらいつでも

「衆議院インターネット中継」
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=42475&media_type=wn

の3月8日のところにアーカイブとして残っていて見られますんで。


・・・・・全くNHKの馬鹿さ加減には開いた口が塞がりませんわ。
あ、このログも当然バックアップしてますからね!



それでは、以下中山議員の質疑です。



(植民地支配)

安倍総理と同じ憂国の情を以て質問したいと思います。

安倍政権が誕生して三か月ですけど、
なんか日本が急に明るくなったように思います。
しかし、発足当時は日本経済は落ち込んでおりました。
日米関係も、信頼が遅れ、普天間問題も行き詰っておりました。
尖閣問題も中国に押し込まれてきているという・・。

いわば安倍内閣はマイナスからのスタートだったのです。

しかし、発足早々日銀との間でインフレターゲットを結び、
渡米してオバマ大統領との間に「日米関係復活」を宣言し、
世論調査の(内閣支持率も)いいわけでございますが。


西からはTPPの圧力、東からは中国北朝鮮、
経済的、軍事的圧力が加わってくる仲、経済だけでなく
エネルギー問題など先行き不透明な中で政権運営なさって、
今のご心境はどうですか。


アベ「妻からは『浮かれないで』と言われている。
地に足を付けて着実にやっていきたいと思う」


わたしは家内(中山恭子議員)から「言葉遣いに気をつけろ」
と言われております・・・・。(会場笑)

国際的に日本の子供が苛められてるという話をしたいんです。
今、日本の留学生が、アメリカやカナダで、中国韓国からの留学生に
「お前たちの祖先は俺たちの祖先にひどいことをした」
と言われたりして肩身の狭い思いをして過ごしています。

先日韓国の新大統領が「歴史を直視して緊密な関係を」と言ってきた。
今日は「歴史を直視する」とはどういうことかお話ししたいと思います。
4月28日を「主権回復の日」として歴史を学びなおす日にしようと
考えていらっしゃるようですけど。

私は、日本の戦前の台湾朝鮮に対する植民地統治というのは、
いわゆる大国の略奪する形の統治とは違ったと考えています。
学校や病院、道路や鉄道を作り・・・・・。

例えば台湾では「華南大しゅう」といって、八田技師が
大変な灌漑事業をやりました。
ちょうど私は出くわしたんですが、5月8日には地域住民が
八田技師の遺徳をしのぶというようなことをやっているんです。

日本は朝鮮に対しても同じようなことをしたんです。

パネルを見ていただきたいんですが、右側の記事は
「京城に地下鉄」という新聞記事です。
東京で一番古い地下鉄銀座線が浅草―渋谷間に開通したのは
1939年。
しかし、翌年の1940年にはもう京城に地下鉄ができてるんですね。

この一例だけでも日本が朝鮮の近代化にいかに熱心だったかわかります。


昭和12年の段階で朝鮮半島には5000キロにわたる鉄道ができていた。
昭和20年にはそれがさらに1000キロ延長したんです。
明治39年には仁川に鉄橋を作っていますが、
日本がこうやって作るまで鉄道はここに無かったんですね。
凄い鉄道網を短期間に作っているんです。

大阪帝国大学よりも7年早く、名古屋帝国大学より15年も早く、
日本は京城帝国大学を作りました。
日韓併合の段階では公立校は多々100校しかなかった。
しかし、昭和5年の段階では公立学校は1500校、
昭和12年には4711校の公立校が造られたのです。

しかも、鉄筋、レンガ造りです。
私は昭和25年に学校に入りましたが、木造のおんぼろ校舎でした。
日本は内地と同じような投資をしたんだと思っています。

この(写真の)女学校など、もしいま日本にあったら
文化財指定ものではないかと思いますね・・・。

(創氏改名)

(これは)「麻生大臣が昔、創氏改名は朝鮮人が望んだと東大で講演したら、
朝日新聞で叩かれた、という記事ですけど。
今現在高校で使われている教科書を見ますと、創氏改名は
「強制された」という風に書いてあるんです

ところがこの新聞記事を見ますと

「氏の創設は自由」
「強制と誤解するな」
「総督から注意を促す」

と書いているんですね。

「内地式に変更」つまり締め切り後も変更できるんで、
決して強制じゃないですよ、と書いてある。

真ん中の写真を見ますと、

「創氏改名に殺到しているソウル市民」とあります。


下村大臣、教科書の検定は事実に基づいてされるべきと思うんですが、
ここにある三つの教科書、明らかに間違ってますよね?

この教科書で学んだ学生が大学の入試で創氏改名は
強制だったという問題に○、×、どちらを付けるか。
これ、本当に大きな問題なんですよ。

本来であればこういう教科書は回収すべきだと思うんですよね。
せめてこれを使っている学校に正誤表を配布する、
それくらいしてもいいんじゃないかと思うんですが
どう思われますか。

下村大臣「これは現在日本史大辞典、国史大辞典において
強制であると書かれているので教科書として間違っている
というわけにいかない」

そこを政治主導で「間違っている」と訂正すべきです。




(従軍慰安婦問題)


午前中辻元議員がいろいろ言ってました従軍慰安婦問題です。

軍が関与していると最初に誤解させた記事は平成4年のこの記事です。




この資料っていうのは、悪徳業者が慰安婦の募集に
関与しているようなので、注意するようにという通達なんですね。

全く逆なんですよ。逆。



当時の朝鮮を見ていますと、例えばこの真ん中の「郡長」とか、
8割が朝鮮の人なんですね。
道の長も代々朝鮮人です。
大田警察所にもご覧のように要職に朝鮮人が務めていた

こんな体制で官憲が「強制連行」するなんてありえないんですね。


ソウルの日本大使館の前に今「従軍慰安婦の像」と称する少女の像がある。
アメリカでも朝鮮人の多いニュージャージー州には同じような像が建てられ、
高速道路には大きな看板が出て、
「日本人が朝鮮女性を20万人性奴隷にした」と書かれている。

これは日本人にとって屈辱だと思うんですよね。
こういうことをさせちゃいけないと。
こう思うんです。

だいたいですね。

20万もの女性をさらっていく。
親たちは黙ってそれを見ていたんでしょうかね?
やっぱりそんなことはないと思うんですよ。

日本の兵隊さんは軍律厳しくて世界中から称賛されてたんですね。
日本が遅れて列強の仲間入りをしたからよく見られたい、
とこういうことでもあったんでしょうけど。

根底にあるものはやっぱり武士道だったと思うんですよね。

武士道があったからこそ日本の兵隊さんて言うのは
立派な戦いをしたんです。

それなのにこんな風に侮辱されているというのは、
我々の先祖がこうやって侮辱されているのは看過しがたい。

ここで安倍総理に何かお聞きすることはやめますが、
こういうことを皆でわからなきゃいかんと思ってるんです。



この記事、「朝鮮人が良家の子女を誘拐して満州に売りとばした」
それは17歳と19歳の日本人だったと書いてあります。

後は見ればわかりますが「農村の娘に毒牙」とか、
「桃色の巣を暴く」とか、警察がしっかりと仕事してた、
ということが良くわかる。

日本人がなんかやったとは調べても調べても出てこないです。

戦前、日本も貧しかったから腐海に身を投じなければいけない、
悲しい身の上の女性がいたってことも私は知っています。
しかし、「朝鮮女性だけが従軍慰安婦にされた」なんて、
こんなことは、誤解を解いてもらいたい、と思うのです。

午前中に出された辻元議員の出した資料ですが
このように各国で従軍慰安婦に対する動議が出されている。

ほんとにね。

朝鮮の方っていうのは粘り強いというのかしつこいって言うのか、
ほんとにすごいなと思うんですけど、
こういうことが蔓延するのは自民党にも責任があるんですよね。

自民党歴代の外交、その場しのぎで謝ればそれ以上追及しませんから、
そういう言葉に乗せられていろんな談話等が出されました。
そのツケがきているんですね。

日本人は惻隠の情というか、この辺でとか謝ったからいいじゃないかとか、
あるいは人をだましてはいけないって教えられますけど、
しかし「騙される方が悪い」あるいは「嘘も百回言えば本当になる」と、
そういってプロパガンダに励んでいる国民もいるってことを忘れてはならない。

国際社会でダブルスタンダードで生きていかなくてはいけない、
決意を固めなくてはいけないと思っています。

総理の御答えはいらないということにしておきます。


(贖罪史観)


先の戦争は侵略戦争だったと思い込まされていますが、
GHQ司令官であり東京裁判を主催したD・マッカーサーは、
米国議会上院の軍事委員会において、

「第二次世界大戦は日本は米国によって閉じ込められ、
資源供給の道を絶たれた。
日本が戦争を始めた目的は主として安全保障の必要に迫られて
のことだった」

こう言う風に明確に侵略戦争を否定しているんですよ。

今東京は石原元都知事の指令で、このマッカーサーの発言を
(学校で)副読本として使っているんですね。

(これは『地域から東京へ』という東京都作成の副読本)

下村文科大臣「良い副読本は全国でも使われるよう、
働きかけをしてまいりたいと思います)

いま私たちは子供たちがどんな教科書で習っているのか、
調べることは大変困難です。

平成9年に総理と、亡き中川昭一氏などと一緒になって、
教科書を考える議員連盟というのを作ったんですが、
そのきっかけというのは、ある日中川さんが、
自分の娘の教科書を見たらとんでもないことが書いてあると。
こりゃいけない、ということで教科書議連を作って活動して、
今や中学校の教科書に従軍慰安婦という言葉は無くなった。

これは本当によかったと思ってますけど、
今使われている教科書が文科省のHPで見られるように
出してもらいたいと思います。
できれば中国、韓国の愛国反日に関する部分も。

下村大臣「しっかり対応するつもりだが、
他国の教科書についてはほかで考えていただきたい」




私達日本維新の党は教育問題に一生懸命取り組んでいます。
是非集中審議をお願いしたい。

その時には

朝日新聞の関係者にもぜひ来ていただきたい。

朝日新聞の関係者にもぜひ来ていただきたい。

朝日新聞の関係者にもぜひ来ていただきたい。

このことを委員長にお願い申し上げます。


実現するといいですねっ!

それが実現のあかつきにはNHKの関係者もお呼びして、
どうしてこの動画を消そうとしたのか、
何がそんなに都合の悪いことだったのか、
誰の指示が出たのか、

そんなこともぜひお聞きしたいわ。


追加:





NHKにとって特に都合の悪いのがこの二枚の写真だった模様。
つまり、「抑圧されていた」はずの朝鮮統治で、
警察やら軍上層部の8割が朝鮮人だったことを表す資料。

皆さんもよろしければどんどん拡散しましょう。
コピーフリーです。

 

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ブーメラン戦隊ジミンガー2~岡田・過度の配慮編

2013-03-13 | 日本のこと

          

実はこの絵を描いていたのは少しというかほとんど本調子でない時期で、
「座っているだけだから大丈夫」
と自分と読者の皆様の注意を促すご助言に対し言い訳しつつ、
いつもの6割くらいの手抜きで仕上げたのですが、
さすがにまだ外に出ることができない(ふらつき感あり)状態では、
あれこれと続編を描くわけにいかないので(描きたかったけど)
昨日の絵をちーとばかり加工してお茶を濁します。

誰を何色にするかなど全く考えずに描いてしまったので(辻元清美以外)、
体型などほとんど反映させておりません。

今国会、民主党の原口一博元総務相は
とんでもなく太ましくなってバージョンアップして登場。
もしかしたら「次世代原口」バージョンでは、グーグルアースはリアルタイム映像が
見られることになっているのかもしれませんが、それはさておき、
この体型と、「背が高いことが俺の唯一無二のアイデンティティ」らしき、
細野豪士政調会長の体型が反映できなかったのが心残りです。

ってか、こんなもんにいちいち作品心を込めんでよろしい、って話ですが。

さて、それでは「総理になりそびれた男」。
実家はイオン。
弟は中日新聞。
売国奴丹羽大使の任命権者。
「中国様の許可を取ったんですか?!!!!」
がトレードマークの、


岡田克也

(尖閣領海警備についての報道)



「午前中の自民党の質疑が酷い!
産経新聞の嘘記事に基づいてる!
安倍総理も根拠もないのにこんなところで取り上げるな!」


註*産経新聞は複数の政府関係者の話として、野田政権が海自艦艇に対し、
中国軍艦と15カイリ(約28キロ)の距離を置き中国側が近づくと後退することや、
領海侵犯の恐れがあっても先回りして警戒するのを禁じること、
中国軍艦に搭載のヘリが領空侵犯しても
海上保安庁に任せることを指示していた-と報道した。


「本当にこんなことが民主政権下であったと思ってるのか?」

アベ「我が国の防衛にかかわることなので、前政権下のこととはいえ
今ここで明らかにすることは控えます。

しかし、政権交代後この点をみなおしたところ、

中国に対して

過度な

配慮をした結果

十分な対応ができていないと判断したのは事実です」

「15カイリ空けるなんてありませんでした!
防衛相の事務方に確認してください!
そんなことなかったんですから!

・・・・・なんかありますか?」



アベ「総理になって防衛省の事務方
そして防衛庁と保安庁から聞いた結果そうだったので
「明らかに過度な配慮」と判断し見直しをしました」

「具体的なことを聞いてるんです!
総理は具体的なことを確認してません!

それと午前の質疑で
『過度に軋轢を恐れるあまり』って言ったけど、
いったい何を根拠に言ってるんだ!」

アベ「個々の情報は(中国に)情報を与えることになるので言いませんが

確信しているからです


「個々情報は言えないと言いながら前政権批判をする。

こういうのわたしはフェアじゃないと思います。(ホントーにこう言った)
中国と日本の艦船が対峙してもしなんかあったら大変だから
その都度いろんな対応をしてきただけなのに!
そっちだっていろいろするでしょ?そうでしょ?!


なのにそんな感情的な表現を使わないでください!」


アベ「感情的なのではなく、申し訳ないのですが事実を、
ファクトを述べているわけであります。
だいたいここで御党を(今さら)非難する意味もないわけでw」


「過度に軋轢を配慮して、って感情的じゃないですか!
だいたい、総理には『パターン』があるんです。

民主党のことを根拠なく批判して

私がそれを変えましたと言って誇る。

そういったことをときどきやられるんですね。

それは内閣総理大臣として取るべきことじゃないと思います!



うーん、いきなり出だしからフルスロットルです。
しかしまあ、このキレ具合は、やってましたね。
「事務方に」を自信満々に言いだしたところを見ると、
産経の記事に抗議文を出すついでに事務方にあれやこれやで
口止めの指示を出したんでしょうな。

もう今さら何の意味もないですけどね。

こんな中国様の下僕が副総理をやってたわけだから、
あんな売国奴大使丹羽みたいなのがでてきてもそりゃ当然でしょう。
ってかこのBKDを任命したのはこいつなんですねー。

「中国との商売を日本政府が重視したからこそ、
伊藤忠の人間である丹羽氏が任命されたのではないですか?
なんで丹羽氏が売国奴なんですか?」

なんて脳内にお花が咲き乱れたことをコメント欄で言ってる
団塊の読者もここにはいたようですけど、
売国奴に送り込まれた人間がなぜ売国奴ではないと言えるのか、
その理由が説明できるならぜひ今からでもしていただきたいものです。



(日米関係について)


「私は言わないでおこうかと思ったが!
じゃあ、(安倍首相の『パターン』についてのことと思われる)
日米首脳会見後の記者会見で
『この三年間で著しく損なわれた日米の信頼と絆を取り戻し、
緊密な日米同盟が完全に復活したと強調した』
これどういう意味だ?」


アベ「民主党が『普天間は最低でも県外』とか『トラストミー』とかいって、
信頼を失ったってことです」


「ふ、普天間は悪かったと思ってるけど!
そのほかの問題で信頼関係を育んできたんですけど!
それを一方的に否定するなんて理解できません!
クリントン長官だって離任会見で日米同盟は緊密だった、って、
御礼を申し上げたい、言ってるんですけど?」


アベ「アメリカの国務長官が辞任会見においてもし
日米関係は大変なことになったなんて言ったら
大変なことになることくらいわかりません?
誰が考えてもわかるでしょ?
国務長官の発言って責任あるんですから」


「国務長官の発言が責任があるなら、総理の発言は
全く責任が感じられないじゃないですか!(意味不明)

あんたは前の政権はでたらめやってたけど俺が(ホントーにこう言った)
全部ちゃんとやってる、そう言ってるんじゃないですか!
ちゃんとやってきた人間に対しても侮辱だ!

総理大臣であれば!

もう少し国益を考えて!

日米同盟をいかに育てるべきか!

という観点でお話になるべきだと思いますが?」



すごいですねー。
ここでおからの頭に超特大の「鳩山・菅」という二本のブーメランが
ざっくりと突き立ったのが誰の目にもはっきりと見えたのですが。
相手を誹謗するのに夢中で、全く投げたのがブーメランだと
気付かない、それがミンスクォリティ。


アベ「皆さんはよくやってこられたけど、政治がちゃんとやってなかった。
存続の下支えとなったのはこれまでの蓄積と国民の気持ちだ。

でも、民主党政権で岡田さんが胸を張って言えるような
状況だったんですか?

そうではなかった。

そうではなかったからこそこの間の選挙において国民は
政権を任せるわけにいかないという結果になったんです」


「・・・・・・・まああなたにこれ以上何か言っても無駄かもしれないが、
わたしは

総理大臣というものは

常に

国益を考えて行動しなければならない

と思います。
あなたのこのモノの言い方といいうものは、
日米同盟にとって決してプラスではないと思う!
アメリカもきっと戸惑ってるに違いない!


次の話題行きます!」


まだ言うか。


(公共事業)


「我々は消費税をアップして国民に文句を言われたが、
それを社会保障に使うつもりだった!
自民は公共事業に使おうとしている!」


アベ「消費税アップはうちも社会保障に使いますよ。
公共事業については大型補正予算を組んだんです。
国民の生命と財産を守るためです。
同時にデフレ脱却をして経済再生をします。
それができれば税収も増えますから」


「それは総理の楽観的な見通しですねwww
金に色はついていないので、消費税で公共事業をしようと
思われたって仕方ないじゃないか!

私が勝手に言ってるんじゃないです!
国民のみんながこう言ってます!」


アベ「まだ消費税引き上げてないんですけど・・・・。
それに楽観的っていうけど、おたくから自民に変わったとき、
それだけで株価が急上昇したでしょ?


「・・・・・・・・。
それはともかく、施政方針演説に『財政健全化』という言葉がなかった。
やる気が感じられない。

あと、「立法化」って言ったけど
立法にかかる気もないのに『立法化』とは言うべきではない。
無責任だ」


アベ「立法化わたしが言ったんじゃなくて質問者が上げたんですが」

「・・・・・」



いや、こいつもひどいもんですよ。

このあと2パーセントの物価目標インフレターゲットについて

「一義的には日銀に責任がある」

「が、日銀だけに責任を負わすわけにはいかないので、
政府も共同責任を負うつもりで頑張る」

という麻生大臣の発言をまず

「党内不一致」と言わんばかりに非難し、麻生大臣に

「あのお・・・・ふぉっふぉっふぉっ(あほか!)
日銀に責任があるのは法律で決まってるんですから」

と馬鹿にされると

「日銀に一元的な責任があるというのは、
政府の責任逃れだ!」

とキれ、

「指示をしたからと言ってこちらにも責任があるというのは
責任の所在を混乱させる」

と言い返されると今度は

「総理はデフレは貨幣現象だと思っているフシがある。
でも三本の矢と言っているところを見るとそうでもないらしい」
(つまりそうじゃないってことなんじゃない?)

などとわけのわからん推論を自分で否定して、またもや

「日銀に責任を押し付けるな!」

と話はループを・・・。


なにしろこいつが現政権を深く恨んでいるのだけはよくわかった。

昔からユーモアのかけらもないし、すぐキレるし、
またそのキレ方に可愛げがないのでエリス中尉はこの男が嫌いです。

人間の資質は勿論、頭脳の明晰さもどうやら出身大学には
何の関係もないらしい(岡田は東大卒)ということが、
こいつとかルーピーとかによって世間が認識しだしたので、
まあ、そのためだけには存在価値はあったかなって気はしますが。

弁証法とかなんとかって議論の基礎以前に、
こんなこと言えばこうなるくらいの単純な計算もできずに、
あっという間に論破されて墓穴掘っちゃってますからね。

きっとエリス中尉と議論しても3分でカタがつきそう。



というわけで岡田克也元副総理でした。
本日の一言。


イオンの食料用大型冷凍庫に一晩入って一度頭冷やせ。


明日、いよいよ真打、細野豪士政調会長の巻。






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