ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

目が覚めたらそこは・・・

2010-10-31 | 海軍
エリス中尉、お酒を全く受け付けない体質ゆえ、
「酔っぱらって一夜明けたら知らないところで寝ていた」
という楽しげな経験が一度もございません。

それどころか、揺れる乗り物の中では決して寝ることのできない神経質ゆえ、
「起きたら降りる駅を過ぎていた」という経験もありません。

なので、この
「寝てはいけないところで眠り込んでしまった」
という話にはあまり「そうそう!」と膝を叩けないのが残念ですが、
もし、海軍で「従兵」という仕事をしたら、一度はやってしまいそうな気がするのが
「寝てはいけない上官のベッドでつい寝てしまった」
という失敗です。


従兵、という役をご存知ですか?

そういう役職名があるのではなく、抜擢されて士官の身の回りの世話をする兵を従兵と呼びました。
出世が早いのでなりたがる者はたくさんいたそうですが、誰でもいいというわけにはいかなかったようです。
やはり学校での成績が良くないとなれず、さらに方言が強すぎる兵もなれなかったとか。
いつも身の回りに気を遣う役なので、個人の相性もあり、士官はえらくなるとお気に入りの従兵を指名したりできたもののようです。

従兵の方でも士官との相性が良いと職務を超えて尽くしてくれたようで、角田和男中尉の「修羅の翼」にはこちらが恐縮するくらい、まるで奥さんのようにこまめに世話を焼いてくれた従兵の話が出てきます。

さて、「つい上官のベッドで寝てしまった」従兵の話に戻ります。

食事の世話、洗濯、部屋の掃除。
ベッドメイキングも従兵の仕事なのですが、パリパリの白いシーツを上官のために整えながら、特に艦隊勤務だと日頃ネットを吊ったハンモックで寝ている従兵が
「いいなあ、どんな寝心地なんだろう・・・」
とつい魔がさして横になったが最後、前後不覚になり、帰ってきた上官のどなり声で目を覚ます、という事例はことのほか多かったのではないでしょうか。

以前ご紹介した小泉信三著「海軍主計大尉 小泉信吉」にも、自分のベッドについ眠り込んでしまった従兵を発見する話が出てきます。

主計中尉だった小泉信吉が那智乗組だったときの家族への手紙に、自分のベッドに従兵が寝ていたのでそのズボンを「静かに引っ張り」、「ばね仕掛けのように跳起きた」従兵に静かに「こんなところに寝る奴があるか、バカヤロウ」と言い聞かせて放免したという話がこんな風に書かれているのです。

「お化けかと思ったら人間だったお話」。
これは無敵海軍の精鋭、那智という巡洋艦で有ったお話です。
那智乗組み小泉信吉さんという主計中尉が、或る日の午後、御用があってご自分の寝台やチェストの置いてあるガンルーム寝室にいらっしゃったところ、御自分の寝台からにゅっと二本の足が出ていました。(中略) 

記者がこの信吉中尉にお会いしてそのときのことを伺おうとしますと、信吉さんは
「いやお話しするようなことではありません。眠いとなると、人の床に倒れてしまう人は私の知っている人々の中にもありますので、まあその気持ちが判るといったところから厳しいことを云わなかったのですよ」(中略)

と言って「ニッコリ」笑われました。何と情け深い軍人さんではありませんか。


ちなみに、この「私の知っている人々」の中にはご本人も入っているそうです。
優しくてユーモアのあるこんな士官に仕える従兵は幸運でしたね。


さて、かの井上成美大将が「比叡」の艦長をしていたとき、砲術学校高等科卒の優秀な下士官、駒形重雄三等兵曹をお気に入りの従兵にしていました。

ある日井上艦長が「今日は帰艦しない」と言い残して上陸した後、艦長の部屋のバスタブで洗濯をしていた(洗濯機はなかったのですね)駒形兵曹、疲れ果ててふと見るとそこにはおあつらえ向きに白いシーツと読書灯のついたきれいな艦長のベッドが。

ふらふらと横たわったと思ったら、そのまま前後不覚で寝込んでしまいました。
夜半、ふと目覚めた駒形兵曹、妙に体が窮屈なのに気がつきふと見ると
隣には帰らないはずの井上艦長がああああっ。

それこそバネ仕掛けのように飛び上がった駒形兵曹に井上艦長、
「いいよいいよ。もうすぐ夜が明ける。朝までそのまま寝てろ」


いや・・・寝てろ、って言われても。
「はーい、すみませんお言葉に甘えて{[(-_-)(-_-)]} ...zzZZZ 」
ってただでさえ狭い艦のベッド、艦長とくっついて寝てられますか?





この駒形兵曹がどのような人であったのか、写真は残っていません。
少なくともむくつけき大男でなかったことは確かでしょう。
井上艦長が
「そのまま寝ていろ」
と言ったことにそれ以上の意味は無かったとはいえ(当然)
もし、横にいるだけでむさくるしいタイプだったら・・・。
おそらく、いくら可愛がっている従兵でも朝まで同禽?は生理的に無理だったのではないでしょうか。

「今夜は帰らない」
と言ったのに帰ってきてしまって、悪かったなあ、と云う気持ちもあったのでしょうが、
疲れているんだから寝かせてやろう、と井上艦長が駒形兵曹を労わってやったのは確かです。
冷たいとか思いやりがないなどとその性格を非難する人がいる一方で全く逆の印象を持っている部下も数多くいて、この駒形兵曹もその一人でした。


この後、満州皇帝溥儀を乗せる御召し艦として比叡が徴用されたとき、この駒形兵曹は行儀の悪い中国人従兵の扱いと、従兵長としてその責任を果たすことで疲労困憊してしまったのですが、その駒形兵曹を井上艦長は
「駒形、お前大層痩せたなあ。不眠不休の勤務、まことにご苦労だった。
休暇をもらってやるから、新潟の郷里に帰ってゆっくり休めよ」
とねぎらいます。
それを聴いて駒形兵曹は思わず泣きだしてしまったそうです。


井上成美大将は、のちに「海軍生活で一番よかったのは」ときかれ、
「比叡艦長のときが最も愉快だった」
と答えています。

駒形兵曹のような相性の良い従兵がいたことも、その原因の一つではなかったでしょうか。





参考:井上成美 阿川弘之著 新潮文庫
   主計大尉 小泉信吉 小泉信三著 文春文庫
   ウィキペディア フリー辞書









誕生日の白鳩

2010-10-30 | つれづれなるままに
あれは11年前。
聖路加病院の分娩室に移されて三日、
「もういい加減に産まれてくれないとお母さんもうこれ以上体力も気力もありませんから」
の限界に差し掛かった夜、ドクターはにこやかに

「明日の昼過ぎですねえ」

それを聴いた途端、絶望のあまり軽く目まいを起こしてしまったあの日のエリス中尉です。
人の出産話ほど聴いていて面白くない話はありませんでしょうから、これ以上語るつもりはありませんが、早い人はデリバリールームに入ってから三時間くらいで産んでしまうんですと。
三日三晩過ごす妊婦は珍しいんだそうです。
ふんっ、入院費のモトを取ってやったのさ。(何日いても値段は同じ)
・・・というわけでそれからあっという間に十一年が過ぎ、今年もまた息子の誕生日がやってきました。

いつも息子の誕生日は学校の「秋休み」(十日)中にあるので、友達に祝ってもらって、みたいなことが一度もないのですが、今年は彼の入っている

「レゴ・ロボティクス・クラブ」(ロボットコンクールなどにチームで出るクラブ)
が、課外活動でメドトロニクスという医療機器会社に見学に行きました。
クラブ活動最終目標がロボットコンクールなので、それに対するモチベーションを上げ、かつロボティクスそのものに対する知識を深めようってことらしいです。

お洒落な「イタリア街」として知られる汐留のビルにある会社は、ペースメーカーや義手などの医療機器のメーカーで、かれらは引率の先生に連れられて「人工心臓」などの見学をしたそうです。

この見学が誕生日当日にあると聞いたとき、息子はあまり乗り気ではなかったのですが、
先生が私に
「かれが誕生日って言うのを聴いたけど、三時には終わるからそのあと誕生日ディナーにすればいいよ。
ぜひ参加してね」
とまでいうので、息子には参加をさせました。

出てきた息子を車でピックアップして
「どうだった」
「面白かった」
「今日見たものはなんかロボティクスと関係あるの」
「わかんない」

・・・・・先生、あまり役に立ってなさそうですよ。


その後、プレゼントを買ってやるということで銀座のアップルストアに行ったりしたのですが、
「欲しいものがない・・・・」
ってマジ困ってるんですよ。

「強いて言えばマック・エアかな」
「家にマックあるじゃない」
「持ち運びするときに」
「それってどんなとき?」
「旅行とか」
「ダメ」

「・・・(-"-) じゃ別に欲しいものない」

なんて恵まれた生活をしているんだ君は。
しかしそれはある意味不幸かもしれないねえ。
というわけで、プレゼント無しのディナーののみ誕生日。
ここでケーキを作ってもらいました。
フォーシーズンズホテル丸の内。
ここは実は我が家の「メインホテル」です。
この日息子が頼んだ「子供用メニュー」。
私の頼んだスズキは魚自体が全くハズレで、こちらの方がずっと美味しそうです。

それにしても、冒頭写真のケーキですが、この後少しずつ切っていただきました。
涙が出るほど美味しかったです。
冗談抜きでこれまでの人生で食べたケーキのベスト5に入りました。



さて、実はこの日、メドトロニクスの後に息子を靖国神社に連れていったのですよ。
私が改行社図書館に本を返すのにどうしても行かねばならなかったからなのですが、誕生日の息子に靖国神社初参拝をさせたかったので。

ちゃんと手洗いの作法から教えて、二礼二拍手一礼の参拝も教えました。

日頃の会話で何より「愛国教育」だけはちゃんとしているつもりの我が家ですが、この日靖国に行くことでまたいろんな話をしてやれたのが良かったかと思います。



ところで、靖国神社のマスコット、って知ってます?
白鳩のポッポちゃんです。(下画像)
靖国神社では白いハトを大切に鳩舎で育てており、八月一五日には放鳩式をします。

というわけで、靖国の上空はお天気がいいと「放された」白いハトが時々見られるのですが、この日息子と訪れると、真っ青な青空を絵のように白いハトが飛翔していました。

白いハトが群れをなしている、というのは白鳩の生まれる確率が一万分の一、ということを考えると、非常に不思議でありがたい光景に思えます。



「誕生日のお祝いだね」

といってちょっぴりじーんとしつつしばらく立ち止まって眺めていたのですが・・・。


「あれ?一羽黒いのが混じってる」

言われて目を凝らすと、確かに、純白の鳩の群れの中に一羽紛れこんで
「わーい」
とばかりに飛んでいるドバト。

これ、本人(鳥)は自分も白いと思ってるのかもしれませんね。
白いハトさんたちは
「なんか変な奴が混じってるけどまあいいや」
って感じでしょうか。

(ここでふと「土方大尉ある日の邀撃戦」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/d/20100524
を思い出してしまってすみません)

まあ、みんなで仲良く飛んでくれ。←ポッポちゃん

自衛隊観閲式

2010-10-29 | 自衛隊

海軍に興味を持つ以前から、自衛隊の大ファンです。
大ファンという言い方が不謹慎なら、もし莫大な資産と権力があったら明日にでも軍にしたいくらいです・・・・・ん?

阪神大震災で被災したものからみると、自衛隊の皆さんはまさに神。
息子がもし行きたいと言ったら、どんな手を使っても幹部候補生学校に
入学させてやりたいと思っています(が、あまり息子はそういうことを言いそうにはみえない)。

もちろんのこと、、凛々しい制服の皆さんが行進しているところなど、
ほとんど涎を垂らさんばかりの勢いで見てしまいます。

という人間ですから、観閲式や観艦式というもの、昔から行きたくて仕方がないのですが、
はっと気が付くと締め切りは過ぎているのですよ。
どれくらい前から注意していないといけないんでしょうかね。
アメックスのコンシェルジェ・デスクにでも頼んでおいたらいいのかしら。


今年の観閲式は10月24日に行われました。
ニュースで終わったと知り、がっくりしながらせめて動画を、
とニコニコ動画などを指を加えながら見ました。


この観閲式は朝霞で行われる中央観閲式というもので、
観閲部隊が先頭にパレードが始まります。
そして、行進曲があの「陸軍分列行進曲」(抜刀隊)に変わると、

防衛大学校学生隊、
防衛医科大学校学生隊、
少年工科学校(現陸上自衛隊高等工科学校)
生徒隊普通科部隊(第1師団隷下主力)
第1空挺団

の順で行進します。


この、「分列行進曲」、実は、雨の神宮での学徒動員出陣式のフィルムの
悲壮なイメージが強烈だったのですが、なんと、陸自では連綿と使われているのですね。

あらためて聴くと、名曲です。

ここまで来たら、指揮者が海自軍楽隊に交代。
そして始まる行進曲「軍艦」
海上自衛隊の入場です。
おお!と聴いていたら、ワンコーラスで終わってしまいました。

というのも、中央観閲式における海自部分は海上自衛隊部隊(陸戦隊?)のみ。
そもそもこれは主催が陸自なので、海自は「ゲスト」的扱いなのですね。
海自はもちろんのこと「観艦式」があるわけですから。

でも、一つ発見しましたよ。
今年のではなく、福田総理のときの観閲式では、ずっと貴賓席が映っていたのです。
海自の行進が眼に前に来たとき、
立ちあがって敬礼する何人かが!
それは、外国の海軍士官たちでした。

海上幕僚長が
「同年に卒業した士官はどこの国の海軍であろうと『クラスメート』なのだ」
と言っているのをきいたことがあります。
海軍士官同士の連帯というものはこのように強いものなのですね。


さて、この観閲式、「観閲官」という最高責任者から観閲を受ける、という趣旨なのですが、
この観閲管は言わずと知れた自衛隊最高司令官たる、内閣総理大臣だったりするわけで
・・・・・・・orz

そう、学生活動家として左翼活動をしてきた、そして、つい先日、
どうやら自分が最高責任者であることを知ったらしい管総理が、今年の観閲官だったのです。

面白かったのがニコニコ動画のコメント欄。
分列行進曲で

「この曲で血が騒ぐ」
「←同意」
「私も同意」
「絶対軍にするからね」
「みなイケメン」

軍艦で

「キター!」「お前ら好きな曲来たー」
「かっこいい」
「涙が止まらない」

などど盛り上がっていたコメント欄、管総理が映るたびに
「いちいち映すな」
「帰れ」
「内心イヤイヤなんだろ」
「最低司令官」
「赤い司令官」
「自衛隊の皆さんかわいそす・・・こんな最高司令官で」
「照準!でこのほくろ!撃て!」(本日画像)
「一発だけなら間違いかもしれない」(有名な北朝鮮核ミサイルに対する朝日新聞社説)

「管の嫌われようにフイタ」

などと大荒れ状態。

しかしですね、エリス中尉、見逃しませんでしたよ。

「管が・・・意外といい顔してるんだが」

というコメント。

そう、実は私もちらっと、これは大嫌いな自衛隊の行事にイヤイヤ付き合っているというばかりでもないなあ、と総理の顔を見て感じたのですよ。
観閲式の間、ずっと帽子を胸に当てるポーズを崩さないのがしきたりなのですが、国会のいねむりから起きたときのようなふぬけた顔では少なくともないようにお見受けしました。

この日の訓示?っていうんですか、挨拶が

「わが国周辺の安全保障環境は、ミサイルや核兵器の開発が懸念される北朝鮮、軍事力の
近代化を進め海洋における活動を活発化させている中国に見られるように厳しさを増している」

「自衛隊は多様な事態に実効的に対処し得る態勢を常に取っておく必要がある」と述べ、
尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を踏まえ中国海軍への警戒・監視活動を強化する必要があるとの
認識を示した。



まともじゃないですか?

どうまともかというと、中国がこの観閲式と首相の挨拶を受けて

「日本の軍国化」

と騒いでいる、というんですね。

観閲式も訓示も毎年やってるっつーの。

全く、これが軍国化なら中学校の運動会も軍事訓練って感じなのですが、
少なくともあの国にそういう印象を与えられたのだったら、「まとも」じゃないですか。
まあもっとも整列部隊の中の人(J隊の人)から
「拍手が一切なかった こんなの初めて」
って書かれてましたけどね。


野党にリーダーシップがないと言われてキレたとき、
「俺、実は遺骨収集事業したもん!お前ら知らないで責めんなよ!」
と「功」を思わず大声で語ってしまった管総理。

仙谷官房長官のように確信犯的左翼ではなく、夫人が著書で暴露したように
「確固たる信念がない」「その場その場でいいと思われることをしているだけ」
というのは本当かもしれないなあ、とはこの一連の総理を見て思ったことです。

実は、管直人が観閲式に出るのは今年で二回目。
去年ルーピー鳩山が観閲式をぶっちぎったので、代理で出席しています。

この観閲式での管総理の表情を実に興味深く観察していたエリス中尉ですが、
「実は、管さん、まんざら嫌いでもなかったりして、こういうの」
と思ってしまったんですよ。

インターネット画像を見ただけでその頼もしさにびりびり体が震える人間から見ると、
国家指導者たるもの、防人の気概を目の当たりにして、
心に響かないわけがないとしか思えないのです。(もし日本人であれば、ですが)

すべてに「いいところなし」に思える管総理ですが、実はあの観閲式の映像を見て
「もしかしたら」と思う私がいます。

あの、「意外にいい表情」は、日本総軍を実際目の前で見て、
それも全軍が自分一人に敬礼をする、ということが

誇らしかった

からではなかったのかなと。
まともな訓示は・・・まあ、官僚の作成したのを丸読みでしょうが・・そのあらわれではないのかなと。

若干の期待交じりで勘ぐってみるのです。




「DARPA」(国防高等研究計画局)

2010-10-28 | アメリカ
このブログの画像と表題の関係の無さは今に始まったことではないといえど、今日のは酷過ぎると思われた方も、最後まで読んでね。

エリス中尉の、というよりTОの仕事がらみの友人と先日話していて
このDARPA(Defense Advanced Research Projects Agency)の開発兵器の話で盛り上がりました。

この知人というのが某地銀の若い支店長で未来の頭取ではないかというくらい優秀な銀行マンなのですが、かなりヘンな知識を蓄えているヘンな人で、

「河童捕獲許可書ホルダー」
「どこかの国の爵位保持者」
「宇宙の土地所有者」
というその名刺に載っていない肩書があまりにエクストラオーディナリーな(でも見かけはどこから見ても銀行マン)方なのです。

その点、堅物のTОよりはヘンなことに通じていてまたそれをこよなく愛するエリス中尉との方が話の波長は合っているようにも思うのですが、それはともかく、この方から聞いて、この「ダーパ」(この間抜けな響きがまたたまらんわ)が真面目に研究しているトンデモ兵器の話を今日は少し。


マンガを見れば一目瞭然、これは
「ゴキブリ自爆装置」。
ゴキブリの胴体にナノチップでコントロールする装置を埋め込み、さらに超小型爆弾を搭載して目的地にもぐりこませるというものなのですが、これ、上手くいきますかね。

ナノチップで行き先をコントロールできるということですが、ゴキブリだって手足があるんだから、埃一つない研究室や執務室にそんなにうまく行ってくれるんでしょうか。
ターゲットの近くでじっとしてチャンスを待ってくれるんでしょうか。

その点、「蛾爆弾」というものの方が、じっとしていることの多い習性を持っているので確実かもしれません。
しかし、この蛾を見ていると、思ったところに飛んでいかせるのはナノチップを搭載していても難しいように思えるのですが余計なお世話ですかね。

このダーパですが、昔ARPA(アーパ(^_^;)だったころにコンピュータの原型を開発したという、とんでもない歴史と技術力を持っているアメリカの研究部門なのですが、してその目的は、というと

最先端科学技術の速やかな軍事技術への転用

なのです。
その中でも軍や科学技術基金などの組織が投資を行わない隙間への投資を積極的に行う。


皆さんっ。
隙間ですよ。ス・キ・マ。
先日エリス中尉が「要らんもん」と言い切ったスキマです。

案の定


「そのため、固定観念に囚われない自由度の高い研究への投資を重視している性質から、一見すると空想的だったりトンデモに見えるような研究内容が多数ある」
(ウィキペディア)


メンバーは300人くらいのアメリカの超エリート研究者なのですが、もしかしてあんたら
「どこからも干渉されない」「資金は潤沢にある」
これをいいことにやりたい放題やってませんか?
と、おそらく誰もが思っているに違いないんですが、そこがアメリカのいいところ(たぶん)、どんなアホーな兵器を真面目に開発していても、どこからも「仕分け」されたりしないんですよね。
いいですね。


そのトンデモ兵器を、それでは粛々と挙げていきましょう。

興奮したネズミやスズメバチを兵士の宿舎に大挙して移動させ、宿営や兵舎そのものを使用不可能にする

敵の兵士に「ものすごい口臭」を発生させ、ゲリラと民間人を容易に区別できるようする

兵士の肌を直射日光に耐えられない体質にする


いちいち突っ込みを入れるのも大人げないのですが、物凄い口臭って・・・
普通に口臭のある人がゲリラと間違われるのはおk、ってことですか?
そして一番最後、これは兵士がみんな夏場の日本人女性化するってことですか?
黒い日傘やUV軍服や、SPF値40のUVクリームが売れるだけで終わりませんか?

それにしても化学兵器ですが、殺傷能力はないものの、戦闘意欲を削ぐことにずいぶん力を入れていますね。
兵器と言いながら、ずいぶん平和的。
というか兵器の平和利用ってこのことですか?違うかな。



公表されたこの文書は、1994年に米オハイオはデイトンに設営された米空軍ライト研究所がペンタゴンの依頼を受けて作成したもので、依頼文書には「兵士を悩ませたり、イラつかせるもの」、「悪い奴を一発で見分けることが出来るようにするもの」という文言があるそうです。

悪い奴って・・仮面ライダーじゃないんだからさ。

そして哀しいことに、今ダーパが総力を挙げて研究しているのが

「メタボリック・ドミナンス」あるいは「『最高の兵士能力』プロジェクト」と呼ばれるプロジェクト。

このプロジェクトは兵士が最高のパフォーマンスを不眠・不休・絶食の状態で維持できるかというものであり、ダーパはこれに多額の資金を費やしているのですが。

しかし栄養学者などによると、ほかのプロジェクト同様、空想の域を出ないとしている。


他のプロジェクト同様

他のプロジェクト同様

他のプロジェクト同様

(大事なことなので三度いいました)


日本の会社が淡々と「ガンダム式パワースーツ」を「介護用」に作ってしまった、っていう行き足のある研究をしていることを考えると、ダーパの中の人って、もしかして実用なんてしなくてもいいと思ってる?
と疑わざるを得ないのですが、これくらいで驚くのは早い。


この日、この銀行マン兼河童捕獲有資格者兼どこかの国の伯爵兼月の土地所有者と話をしていて一番盛り上がったのが

敵の兵士達をホモセクシュアルに変え、互いに激しく惹かれあうようにする催淫型化学兵器である。

―伊武雅刀の声で再生―


概要によれば、同兵器を使用した場合、兵士はこぞってホモセクシュアルになり、互いへの激しい欲望からモラルが消えてなくなる。極めて不快な状況を発生させるが、化学兵器による身体の影響はないという。


ちょといいですかー?

極めて不快な状況と感じるかどうかは、個人差があるのではないでしょうか。
それどころかウェルカムって人も、いるのではないでしょうか。
だいたい、モラルが無くなるって決めつけるのはホモの人に失礼じゃないですか?



そこで、ふとエリス中尉、昔読んだギリシアの哲人の言葉で

「最強の軍隊とは恋人たちの軍隊である」

というのを思い出したんですよ。
つまり、愛するものを守るために命を捨てることもいとわない者ばかりで構成された軍隊ほど強いものはないと。

ホモ兵器の成立理念と矛盾してませんか?
どっちが本当だと思います?

もし、相手のホモ軍団が化学兵器の成果であっという間に「恋人同士の軍隊」になって
「君のためなら死ねる!」という兵士ばかりになったら・・・。

相手を強くすることになりませんか?

アメリカ人科学者は、ギリシアの哲人のこの意見も検討してから研究に入るべきだったのではないですか?

・・・あ、もしそうなら自分の軍に使えばいいのか。




ダーパの名誉のために言っておくと、かの湾岸戦争のときダーパ開発のサーモグラフィを搭載した戦車部隊はイラク空軍機3000機を夜間に襲撃し、大戦果をあげています。

真面目な兵器を開発することもあるんですね。

それにしても、この夜間襲撃も機体を破損させるわけで、人を殺すわけではなく、ホモ兵器にしてもあくまで殺傷することなく戦闘を遂行しようとする目的が垣間見えます。

ここでエリス中尉、とてつもなくいいこと考えたのですが、


「敵味方両軍をホモ化して、お互い激しく愛し合うようにする」

これこそ究極の「兵器の平和利用」といえるでしょう。
これだと、あっという間に戦争終わりませんか?
ついでに両首脳もホモにして愛し合うようにすれば平和条約締結も簡単に!

もしこの提言を受けて実行してくれたら我らがダーパ、ノーベル平和賞は確実だ!



え?
そりゃ違う、
イグ・ノーベル賞だろって?






これもそれがしの一日でござれば~野中五郎少佐

2010-10-27 | 海軍人物伝

海軍少佐(死後二階級特進大佐)野中五郎率いる神雷部隊には、
「南無八幡大菩薩」「非理法権天」(註)という楠正成も掲げた幟がはためいていました。
隊員は誇りを込めて自らを「野中一家」隊長を「野中親分」と呼びました。
時には陣羽織を着て指揮にあたった野中親分には、
しかし、戦場で茶の湯を点てる雅(みやび)な一面もありました。

註:ひりほうけんてん。
「無理(非)は道理(理)に劣位し、道理は法式(法)に劣位し、法式は権威(権)に劣位し、権威は天道(天)に劣位する」
非<理<法<権<天、つまり、
「権力者が法令を定め、その定めた法令は道理に優越する」
皇国主義の大東亜戦争当時「天」は「天皇」とされた。



ここで似顔絵を写真から描きおこすとき、約小一時間写真を何回も眺め、細部を点検するのですが、
野中少佐の気品のある鼻筋、何か愉快なことを企んでいるかのような生き生きとした目、
そしていつも心もち持ち上げた唇の端に、
人生を肯定するかのような微笑みが漂っているのをつくづく見るに、
この「親分」に写真だけで魅了されてしまいました。

兵学校時代からその最後まで逸話の多かったことは皆さんももしかしたらご存知かもしれません。
先日堂々たる居眠りを話題にしましたが
全ての逸話が少佐の魅力を物語り、
人間に器の大きさがあるならばこれほど大きな器の持ち主はいるまいと思われるほどです。
カリスマとはこういう人のことを言うのでしょう。

搭乗員整列の合図に陣太鼓を打ち鳴らし、
号令台の上で右ひじをちょっと曲げるだけの招き猫みたいな答令をし、
「今日は滅法天気がいい。
陸攻隊の野郎ども、具合のいいところからおっぱなせ。
桜花隊の野郎ども、目ん玉ひんむいて降りて来い。
野郎どもかかれえーっ」
搭乗員たちは「がってんだーっ」

「おう、君が林くんか。てめえ、野中てぇケチな野郎でな。
まあ奥にはいんねえ。もっともあんまり奥にへえると突き抜けちまうがな。へへ」
と品のない笑い方をしました。(兵71 林富士夫大尉)



野中少佐が茶道に傾倒したのは
裏千家を学んだ搭乗整備員藤村鉱三兵曹の手前を見て影響を受けたものです。
こんにち、基地指揮所で茶を点てる少佐の写真が残されています。

少佐が茶を点てる場所はそれこそ飛行機の翼の陰、
敵弾でハチの巣になった陸攻での帰途の機内、
硫黄島での灯火管制の暗闇のなか。
戦場でありながら機会を見つけ、出陣前や帰投後、そのひとときを持ったそうです。

戦国時代、長路の道中で茶を点て、
「こんなときに」と同僚にいぶかられた武士が

「これもまたそれがしの一日(いちじつ)でござれば」

と答えた、という話を彷彿とさせます。


海兵66期、藤原弘道少佐の回想です。

「粗菓ですが召し上がれ」

隊長は何かを私の前に出してくれた。
探ってみると、丸い小さな木盆があり、何やらのっている。
それをまさぐると紙に包んだものである。
開いて口に入れてみると、何とそれは配給の熱糧食であった。(略)

いよいよ隊長が茶を点てることになった。
タバコをふかしながら茶を点てるとは不作法ではないかと思っていたが、
なつめから抹茶をすくうとき、茶碗に湯を注ぐとき、
タバコのあかりで分量を見定めるのを見て、なるほどと感心した。

静かに夜は更けていった。



あるいは、全精力注いで雷撃を繰り返し、暗夜の洋上を帰ってくる機上で、
うしろから肩を叩かれる。
ふりかえると野中少佐が黒茶碗に点てた抹茶を差し出している・・・。
それを飲むとき、隊員は「生き返った」と実感したのだそうです。

一式陸攻に吊られた「丸大」桜花ロケットに人間を乗せ体当たりさせる特攻隊
「神雷部隊」隊長だった野中少佐は、桜花を
「この槍、使い難し」と評し、出撃を命じられたとき

「湊川だよ」

宰相の愚策から、敗北を知りつつそれでも
天皇の御為に出陣した楠正成軍が全滅した戦場の名を呟いたと言われます。

自らの最後を楠公の湊川になぞらえた少佐が、いつその覚悟を決めたのか分かりませんが、
そのころ少佐は戦地から自分の茶道具を親族に送り返しています。
形見のつもりだったのでしょうか。


野中少佐の茶道具はこんにち、「非理法権天」の幟とともに靖国神社遊蹴館で見ることができます。



見事な手さばきで茶を点て、戦闘で疲弊した部下の心を慰める野中少佐は
またクラシックを愛する音楽青年でもありました。

「いやべつに、ただ俺の好みでやっているだけよ」
「野中流」の理由を尋ねられ、少佐はこう答えたそうです。

湊川となった3月21日の最後の出撃の訓示はいつものべらんめえではなく
「まともな演説」だったということでした。



「野中親分」は繊細な野中五郎が作りだした人心掌握のための鎧だったのでしょうか。
戦争という舞台がなかったら、野中五郎はこの役を演じなかったでしょうか。

「最後の一瞬、
野中は火だるまの機中で、阿修羅のように絶叫してつっこんだのであろうか。
あるいは茶を点てているときのように、穏やかな顔で莞爾として突っ込んだのだろうか。
私にもわからない」
(海兵60 足立次郎少佐)


そのいずれであったとしてもそのときのかれが本当の野中五郎だったのでしょう。



作戦として組織された特攻で散華した佐官は野中少佐ただ一人でした。




参考:「戦場での茶の湯」藤原弘道
   「剛柔二刀流」湯野川守正
   「つむじ風部隊」板倉光馬
   「指揮官先頭、共生同死」生出寿   徳間文庫 

   「海軍兵学校よもやま物語」生出寿 徳間文庫
   「最後の精鋭『神雷』一家さむらい列伝」 足立次郎    
   「神雷部隊の思い出」林富士夫 人間爆弾と呼ばれて 文芸瞬春秋編
    海軍兵学校出身者の戦歴 後藤新八郎 原書房

   ウィキペディア フリー辞書より
   「野中五郎」「非理法権天」「楠正成」
   「日本海軍戦闘機隊」大日本図書 














都会の小旅行

2010-10-26 | つれづれなるままに
週末、新宿のパークハイアットに一泊しました。
これは、使用しているカード会社のクラブが御招待下さったもので、期間限定で一泊朝食付き。
このホテルはオペラシティのオペラの後食事をしたり、よく利用する方なのですが、宿泊は久しぶりとなります。

こうやって、都内のホテルに一泊だけ泊って家事を何もせずに、音楽を聴いたり本を読んだり大きな画面でオンデマンドの映画を見たり施設を利用してスパに入ったりジムに行ったりする「小旅行」をときどきします。

言わば隠れ家で非日常を楽しむ旅。
ホテルそのものを楽しむための宿泊ですので大抵一歩も外に出ません。

さて、この日は息子が学校が終わってから週末渋滞の中を新宿に行ったので、チェックインは6時になりました。
本来ならば1時からチェックインできたそうなので、少しもったいなかったですね。

  
 
以前泊ったときとは少しインテリアが変わったような気がします。
いただいたプランはスーペリアだったのですが、部屋が空いていたのでアップグレードしていただきました。
クローゼットもちゃんと一室ついたとても広い部屋です。



チェックインと部屋へのアテンドをしてくれた女性は、容姿もしゃべり方も言われなければ気付かなかったのですが、彼女が部屋の説明を済ませてからいきなり

「私、韓国人なのですが」

というので

「はあ?」

と彼女を見直すと

「こんなことを言ってはもしかしたらしつれいなのかもしれないんですが・・・お客様は大変お綺麗ですね

と前後のつながりが全くないようなおほめをいただきました。
うーん、もしかしたら、

韓国人から見るとそう見えるのだが、もしかしたら日本人から見るとそうじゃないかもしれないので失礼かもしれない

という意味かなあ。
考えすぎでしょうか。

とはいえ、チェックインでキレイと言われたのは数え切れないほどホテルに泊まってきたこの人生で初めての出来事でした。

ともあれ、さあ、ホテルライフをエンジョイしようぢゃないか、とおなかがすいたのでルームサービスを。
ちょうど仕事が終わり合流したTОと三人で取ったお料理。


息子・・・クラブハウスサンドイッチ
TО・・・鶏どんぶり
ワタシ・・・ナシゴレン(ベトナム風チャーハン)
真ん中にあるのがフレンチフライ



って、なんて庶民的なセレクトなんだ。
おまけにナシゴレンの上のサテー(やきとり)、息子が食べちゃって写真撮ったときには無くなってるし。
でも、綺麗にセッティングしているといかにもディナーって感じよね。

で、せっかくなのでデザートも頼みました。
これは、巨峰のジュレ、マスカルポーネソース添え。
他にも取ったけど、これが抜群に美味しかったです。
甘さほんのり、日本人好みの大人の味。
「これ、アメリカ人が食べたら『砂糖入れ忘れてる』って言うよね絶対」
と言いながら食べました。

この日は、映画ではなく、ディスカバリーチャンネルで
「潰れかけたお店を四日でリフォーム工事をして生まれ変わらせる男たちの熱い戦い」
ってやつが面白くて、突っ込み入れまくりながら見ていました。

日本でもこういう番組は色々あるけど、アメリカ人もこの「ビフォーアフターもの」好きなんですよ。

作りはほぼ同じですが、違うところがあるとしたら、出演者が皆感極まって泣くことでしょうか。

この日の理容店店主も、悪徳業者に騙されて配管を失敗され、それが原因の一つとなって店が傾いた過去と、地域の人々に惜しげもなく色々な奉仕をしてきたという人徳を持っている、製作側的には「おいしい」人で、最初から最後まで、息子二人も加えて泣きっぱなし。
でも、正直、観ている方も感動しました。
いや、皮肉でも何でもなく・・・。


散々夜更かしして、ふと夜中目を覚ますと、カーテンを全開したまま寝ていたんですね。
窓の中央にぽっかりと満月が。

きれいだなあ@@
そういえば、さっきディスカバリーチャンネルで「もし月がなかったら」
という仮想科学番組をしていたけど、その中で
「満月の日はなぜか犯罪が多く、警察は忙しくなる」
って言ってたなあ、などと思いながら再び眠りにつきました。

明けて次の日の朝。

たっぷりと寝坊して、ブランチともいえる朝食を取りにレストランへ。

クロワッサン。

「限られた材料を使って最大限努力しているので歯触り、風味は合格。
しかし・・・・バターの量が惜しい
七五点」
うーん、厳しいっすね。

でも、半分に切ってある全粒粉のロールパンは美味しかったです。


この後、部屋に帰って、レイトチェックアウトで四時まで過ごしました。
お得なプランでしょう?

ところでここは「東京で、いや世界で一番美しいプール」と言われたこともあるアーバンで洗練されたかっこいいプールがあるのですが、今背中に痣持つ身なのでプールはパス。

映画三昧の午後にしようと、ドクター何とか、という(題名すら覚えていない)「人の夢の話が面白いか?」と言いたくなるほど面白くない映画を購入し途中まで見ていたのですが、三人ともあまりのつまらなさに耐えられなくなり中止。

代わりに観た映画は「レイン・フォール」という、椎名桔平主演の映画。

感想・・・・・1、なぜこの映画にゲイリー・オールドマンが必要なのか、わかりません。

       2、長谷川京子が壊滅的に演技が下手だと知ってしまった。

というわけで、チェックアウトの時間となり部屋を出たのですが、何とこのプランには「アフタヌーンティ」
が付いているのです。
ピークラウンジでいただきました。
二種類のセット、一つはフィンガーサンドとスコーン、もうひとつは


これ、一人で頼んで全部食べる人いると思います?
おまけに、これのみならずお店の人がまるでわんこそばのように小皿のセロリルートのサラダやらシュークリームやら「お好きなだけお取り下さい」って持ってくるんですよ。
それもしょっちゅう。

ケーキ、どれも美味しかったですが、一口ずつ味見したらもうおなかいっぱい。

この後家に帰ったのですが、夕ごはん食べられずに寝てしまいました。




でも、一日のショート・トリップ、本当にリフレッシュしましたよ。











最後の打電

2010-10-25 | 海軍

ある方が今日25日に愛媛西条市で行われる特攻隊慰霊祭についての情報を下さいました。
誰でも参列可で、自衛隊も協力して華やかなものになるということだったので、
息子の学校の秋休みをこちらにすべく、かなり策謀をめぐらしたのですが、
大阪滞在がかなり前から決まっていて、行けませんでした。

10月25日と言う日は、関大尉以下敷島隊の五人が、
初めて「組織された特攻」として出撃した日です。

この慰霊祭もその日に合わせて行われるものなのですね。




特攻隊となって出撃した搭乗員が、志望段階から出撃、
そして最後の瞬間までどのように考え、どんな心理状態だったかについては、
戦後あらゆる国の人々がそのときの彼らの心の中に分け入り、想像しています。

カミカゼによって当時計り知れないほどの精神的ショックを受けた
アメリカの歴史家や作家はもちろんのこと、
フィリピンで特攻隊と接触のあった人や、フランスの哲学者が、
その心境と彼らの意義を語り、解析を試みています。

そのとき、人はどのような心境になるのか。
最後の瞬間、搭乗員は何を思うのか。

司法長官であったロバート・ケネディの息子でJFKの甥である、
マックスウェル・テイラー・ケネディもそれを知ろうとした一人です。
かれは東洋学を専門とする立場から、
空母バンカーヒルを戦闘不能に陥れた二機のカミカゼ・パイロットについて
"Danger's hour"というドキュメンタリーを書き、
その中で日本文化から歴史までひもときながら、特攻の背景やその瞬間、
攻撃を受けたバンカーヒルの乗組員たちの「自己犠牲」を語っています。



今日はその一部を紹介したいと思うのですが、その前に、先日記事にした
「青春天山雷撃隊」から、肥田真幸大尉が見送った特攻隊についてお話ししましょう。

肥田大尉の六〇一空は、硫黄島への特攻作戦を行いました。
彗星爆撃隊を主力とした総員六〇名からなる大編隊の特攻です。
肥田大尉は天山機隊長であったため、志願したにもかかわらずこの攻撃の隊長には選ばれず、
それを無線で確認するということになるのです。


この特攻は、作戦説明後それを受ける者のみが部屋に来るように、
という方法で志願者を募ったのですが、全員が志願し、肥田大尉を驚かせます。

さらに、海兵出身者は自動的に参加、と決めたことに対し、ある予備士官は
「我々大学出の士官には志願しろとは何事ですか。
われわれも海兵出身者に負けるものではありません」と血書を手渡したそうです。


そして、この作戦の零戦直掩隊は、雷撃隊が魚雷発射後体当たりした成果を見届け、
父島に帰島したのち、爆装して再び突入するという過酷な命令を受けていました。
しかし、肥田大尉によると彼らの士気は高く、
作戦を成功させるために部隊ごとに綿密なブリーフィングを行うなど、
絶望的な様子はなかったようです。

部隊が出発したという知らせを受けて、肥田大尉は電信室で戦果を待ちます。



特攻機が突入するときは、まず自機の符号を発信し、続いて突入する目標を示します。
そして、突入中はキイを押したままです。
この長符が切れた瞬間が、突入の一瞬、すなわち搭乗員の命が無くなった瞬間なのです。


『トト・・・・』(突撃せよ)――「やった!」
思わず口走る。午後四時四三分である。
「ユタです。三番機!」
電信員が鉛筆を走らせながら叫ぶ。――『われ輸送船に体当たり』である。
また符号が入った。
「あっ、村川隊長機だ!」


村川弘大尉海兵70期、特攻第一号となった関大尉と同期です。
肥田大尉に「先任隊長は残るべきだ。私でもじゅうぶんにやれます」と指揮官を譲らず、
結局彗星が主流であったこの隊の隊長に選ばれたのはこの村川大尉だったのです。


『われ航空母艦に突入す』―続いて長符『――』
送信機を押さえている音である。まさに胸が張り裂けんばかりの緊張感を覚える。と、間もなく電波は切れた。



このときの大特攻は全員が熱烈な志願であり、非常にうまく計画された共同攻撃であったため、
まさに特攻史上最大の戦果をあげる結果になりました。


肥田大尉は
「おそらく本人たちも満足して死んでいったに違いない」
と記すのですが、このように彼らの死を以て判じることができ得るのは、
肥田大尉自身がその特攻に参加を決意していたからに他なりません。




このように、「本望であった」に違いないと思われる特攻は、戦局も終盤になり、
学徒兵を半ば強制的に志願させて体当たりする技術だけを促成で教え込み、
死地に追いやるようになってくるとまれなものになって来ざるを得ません。
 「死の意義」がどんどんと軽くなり、敵基地の滑走路や橋などに体当たりを命じられ、
異議を唱えるも顧みられなかったという例もあります。


いまや国は、そして軍は、自らの死を決して唯一の、貴重なものだとも思っていない、
それどころか自分の命は使い捨ての消耗品なのだ・・・・。
そのように感じた隊員は、しかし国のためではなく愛する人のために自分の命をささげるのだ、
と自らを慰撫しながら飛んでいくようになります。


あるとき、突入の最後の瞬間の打電に
「海軍のバカヤロー」と打つ搭乗員がいたそうです。


突入の戦果を確認する直掩機さえつけられず、
ただ爆弾を抱いた飛行機の一部となって死んでこいと送り出される搭乗員が、
最後の瞬間そう打電したとしても、誰がそれを責めたり嗤ったりすることができるでしょうか。


「率直に言って、現在の状況は上層部の無能力と愚かさからきた結果だと思う。
彼らは今や若者の熱心な忠誠にのみ頼りきっている。
特攻隊員には象徴的価値がある。
しかし、戦争を始めたのは若者たちではない。
この小説を書き始めた指導者たちは、もはや何のひらめきも得られず、
徒にに終わらせようとし、しかも若者たちは物語の構想に精通してもいないのだ!

言ってみれば我々は身代わりだ。
だが不平がいったい何になる?
我々は負わされた命令に従うしかない。

君も僕も無神論者だ。
あの世でで再会し喜びあうことなどないだろう。
君の攻撃が成功しますように。幸運を祈る。
そして、永遠にさようなら」


("Danger's hour" Maxwell Taylor Kennedy より、エリス中尉訳)



この遺書を出撃の二、三日前に書き、同じ特攻隊の友人に遺した
Fujisakiという士官搭乗員(書かれていませんがおそらく予備士官だと思われます)は、
突入の瞬間、定められている長符を打とうとはしなかったのだと言います。


かれが最後にモールス信号で打電したのは妻の名前だったそうです。





参考 青春天山雷撃隊 肥田真幸 光人社
   特攻長官 大西瀧治郎伝 生出寿著 徳間書店
   特攻の思想 大西瀧治郎伝 草柳大蔵 グラフ社
   "Danger's hour" Maxwell Taylor Kennedy   Simon & shulster Paperbacks
   


朝日る朝日

2010-10-24 | 日本のこと
最近、何か?
仙谷といい今日といい、見たくもないおっさんの似顔絵をあげて、もしかしたらエリス中尉は針すなおに路線変更したのか?
と思われたあなた、
私だって好き好んでこんなおっさんの画像を描いてるんじゃありません。

士官服や搭乗服の凛々しい海軍軍人の画像とは時間も集中度も、込める愛情もほぼ100万分の1くらいのやっつけで描いた画像です。


これはね、新聞を取ってない人のために説明すると、朝日新聞に掲載された中国の次期ナンバーワン、周金平の近影なのです。

こうやって椅子に腰かけたらズボンが短くて生足が見えちゃってるわけです。
中国人にもいろいろいるでしょうからして一概に決めつけてはいけないんですが、「あの人たちとは付き合えない」で触れたようにこの「洋装」が徹底的に身についてないため、次期国家指導者でありながらこのようなかっこ悪い映像を配信される羽目になってしまっている、

というだけの話なんですが、


まあ、朝日新聞の電波ゆんゆん記事をご覧くださいな。

【国際】 「靴下チラ見せにこだわり?」 ~習近平氏、足元に庶民派チラリ 幹部の子弟ながら苦労人…朝日新聞


【北京=坂尻信義】中国の次期最高指導者になることが確実になった習近平(シー・チンピン)国家副主席は、高級幹部の子弟「太子党」でありながら、苦労して出世を遂げた庶民派でもある。
その一面を見せた、と話題になったのが、第17回党大会さなかの2007年10月のことだった。
北京の人民大会堂であった上海市の分科会の間中、短めのズボンのすそから黒い靴下と素肌をのぞかせた。
背広は国産の大手メーカー製が好みとされ、着こなしのセンスが光るタイプが多い他の太子党との違いが際だった。

当時は上海市党委書記。次世代指導者として注目され、100人以上の報道陣が押し寄せていた。
党を揺るがす汚職事件で更迭された前任者の後釜に座り、ストレスからか一段と太っていた時期だった。
この5日後、政治局常務委員に抜擢(ばってき)された。
.
写真:靴下を出す習近平氏




なーにが「靴下チラ見せにこだわり」だ。
靴下じゃなくて「生足」だろっこの場合の問題点は。


それにしても、朝日ってこの映像とこの記事で何を伝えたかったのだと思います?

「実力者だが身なりに構わない庶民派」?
「太ってるけど、それはストレスのせいで、いつもはもっとスマートなんですよ」?
「ズボンの長さもろくに構わない=苦労人」?
「背広の好みだって、国粋主義でブランドものなんか着ないよ、庶民派だから」?
「ついでに言うと、この人は苦労人で庶民派だからこんなだけど、他の党幹部様はみんなダンディで着こなし抜群ですよ」?

ああ、書いていて気分悪くなってきた。
朝日新聞。あんたたちはどこに行こうとしているのか。
この生足おやじが小沢一郎の姦計で「一か月前ルール」を破って無理やり天皇陛下に会見したのを忘れたのか。
ウイグルで行われている大虐殺の首謀者とされているのを知っているのか。


そもそも党の実力者の地位で贅沢して太ったデブのズボンがずり上がっただけで、よくぞここまで印象操作目的のお提灯記事が書けるもんだと思いませんか?
だいたい何の情報もなく「苦労人」「庶民派」って、周金平は世襲でエリートですよ。
だいたい、あの国であの地位に登りつめる人間が真の意味の苦労人でなんかあるわけなかろう。


新聞というものは、ジャーナリズムというものは、と言いだすとブログが一日でまとまらないので今日は書きませんが、中の人が何と言おうと、ジャーナリズムの存在理由は

「事実をそのまま伝える」

ということに、簡単ながら尽きると思うのですよ。
それをどう判断するかは受け手に任せる。
ところが朝日新聞を筆頭に大多数のメディアは自分たちの思想信条ありきで事実を印象操作した「加工品」を垂れ流し、それによって世論誘導を図っているとしか思えないんですよね。

政権交代前、エリス中尉の友人が毎日新聞勤務の団塊世代から

「絶対政権交代してみせるよ、俺たちが」

って言うのを聞いたんですって。
思わずそれを聞いたときに怒りで頭がくらくらしてしまったんですがね。
新聞、テレビ的には民主政権になることでずいぶん「お得」なことがあったようですから、政権交代は彼らにとって「生活かかってんだよ」ってことだったんでしょうけどね。


いやいや、ポルポトを「アジア的優しさの持ち主」スターリンを「子供好きなヨシフおじさん」って褒めたことのある朝日さんだもの、そんな私利私欲からだけでなくて、たとえ結果大虐殺を起こしていようと、大指導者たる人物には人間的な魅力もあるんだよ、っていういつもの切り口なんですよね。これも。
そうでしょう?

それにしても苦しい、苦しすぎる。
そもそも記事が拙劣すぎる。
だいたい「高級幹部の子弟『太子党』でありながら、苦労して出世を遂げた庶民派でもある」
って、よく見ると、いやよく見なくてもすごい矛盾する文章なんですけど。
この一文の意味がわからないのはエリス中尉だけですか?


まあカップラーメンの値段を知らない、オークラのバーに通う、ということが
「庶民感覚がない」
といって連日大たたきするマスコミの皆さんのいう庶民派って、しょせんこの程度のことですよ。

実を言うと私もカップラーメンの値段知りませんが、そうかー、うちは庶民じゃなかったんだ~(棒読み)

今回の「中国の次期指導者様の生足萌え記事」によって朝日が世論誘導する先は何か。
そして朝日が中国支局を置くことをを許してもらうためにどれだけの圧力をかけられているのか。

戦前に戦争に突入しない政府を腰ぬけ呼ばわりしたこともある朝日新聞の歴史もひもときながらこのようなことにしばし思いを巡らせてみるのも、秋の長い夜の一つの過ごし方かもしれません。


と、お洒落雑誌風に提案してみる。







SAMURAI!の聖人笹井中尉

2010-10-23 | 海軍

いつぞや豊橋で再会した坂井三郎と西澤廣義編をお送りしましたが、
今日はこのマーチン・ケイディン作、「サムライ!」から、笹井醇一中尉について
とんでもない暴走をしている記述をお送りしましょう。

前回、あることないこと織り交ぜてドラマティックな話に仕立てられた「サムライ!」の一部を初めて読まれた方は、その奇想天外なやりたい放題の創作に驚かれたかもしれません。

逆に言うと、あれだけの誇張と創作であったればこそ、汎世界的な共感を得たと、
まあ、言えないこともないのかもしれませんけれども。
あの本があれだけヒットし、現在でも版を重ねて出版されている
(因みに私が今回買ったのは今年六月に重版で発売されたものです)というのは、
よくも悪しくもそう解釈するしかなさそうです。


この英語版を読んで笹井中尉のファンになった、という読者は、
世界中に少なからずいるのではないかと思われます。
マーティンは、笹井中尉を
「全人格的な、人格高潔、海軍のしきたりや旧式のしがらみにとらわれない人格者であり、
かつ愛情を惜しみなく部下に注いだ名隊長」という書き方をしており、
まるで禅でもしているような物静かで冷静な、悟りきった人物像を貫いています。

実際の笹井中尉がそういう人物であったかどうかはともかく、
少なくとも坂井氏の供述からはそこまで読みとれないことまでをも断言しており、
ある意味かれが恣意的に人物をキャラクター化している様子が端々に現れているのです。


それでは始めましょう。
例によってエリス中尉拙訳でお送りいたします。



しかし、私の戦闘生活の中で最も忘れ得ぬ人物は、
直接の上官でありおそらく日本最強の搭乗士官であった笹井醇一中尉である。

笹井中隊には、西沢、太田、高塚、そして私という撃墜王が名を連ねていた。
隊のみんなは誇張でも何でもなく、
この若い中尉を守るためには死ぬことを躊躇もしなかった。

バリからラバウルまでの酷い旅の間、かれの個人的な看病が私をどんなに救ったか、
あらためて書いておきたい。

一度ならず私はかれが私に身をかがめ覗き込んでいるのを幻影のように感じられていたのだが、
それが訝しかったのはそれは先例のないことだけではなく、
分隊長が部下の病床に付き添うなどというそのステイタスを損なう行為自体が
信じられないことでもあったからだ。
しかしながらこれが笹井中尉のしたことだった。



また後日、坂井氏の最初の著書である「坂井三郎空戦記録」を手に入れたので、
それについて書く予定なのですが、実は坂井さんが船中病気になり、笹井中尉が看病した、
ということはたった一言「新分隊長笹井中尉が看病してくれて助かった」と書かれているだけです。
後日あらゆる出版物に見られる感動的な看病の様子は、
このときすでにマーティン・ケイディンの手によって書かれていたのです。

ところで、ここで坂井さんから話を聞いたフレッド・サイトウもしくはマーティンは、
笹井中尉について決定的な間違いを犯しています。
・・・大げさかな。

二十七歳で独身であった笹井中尉は戦地で源義経のイメージを守り抜いていた。
義経とは日本の伝説的な武将の名前である。


もう、冒頭からいきなり間違ってるし。
ラエ桟橋で
「あなたは義経のように戦ってほしい」
と、坂井さんが言った、というのは、後年「大空のサムライ」において初めて登場するエピソードですが、
この時点でマーティンなりフレッドなりが「ヨシツネ」をどこから引っぱってきたのかは謎です。

因みにこのとき笹井中尉は二十四歳です。

笹井中尉は海軍の階級制度を押し付けられることを唾棄しており、
他の搭乗員に対しては着ている制服の違い以上の関心を払っている様子もなかった。
何度も言うがこれはこの点は些細なことであるようで、日本の士官の規則にとっては
巨大な問題でもあったのだ。

ラエについた後、私は笹井中尉が部下搭乗員の健康管理に親身になるのを目撃し
感嘆することになる。

誰かが熱帯の地でマラリアに罹ったり、体が腐ってしまうような悪質な浮腫を患ったときも
笹井中尉は誰よりも先にその傍にあり、慰め励まし、衛生兵と一緒に
その地獄のような状況でも部下が看病を常に継続して受けられるようにはかった。

かれは部下を救うためであれば聞いたこともないような病気に彼自身の身をさらすことにも
まったく怯むことはなかった。



・・・・・・・・・・。


いえ、わたくしとて笹井中尉の熱心な支持者、熱烈なファンの一人。
笹井中尉がこのように描かれることに不満を持つものでは決してないのですが、

これはやりすぎではないですか?

いや、笹井中尉がやり過ぎという意味ではなく、
笹井中尉の人物像をあまりに高潔に作り込み過ぎている、という意味のやりすぎです。

台南空の誰がこんな酷い伝染病に罹ったのかはわかりませんが、
百歩譲ってそういうことがあったとしても、笹井中尉だって数少ない分隊士として
「ペーパーワークに忙殺されていた」(本人談)あのころ、
時間的にもこのようなことは無理だったのではないでしょうか。

人情家でで部下思いの笹井中尉像を描こうとするあまり、
まるでマザ・ーテレサのようなことになってしまっています。
坂井さんの看病はしたでしょうが、さすがにこれは・・・。




さらに筆を情熱に任せて聖母のような笹井中尉像を捏造、いやつい創作してしまうマーティン。
あなたは何か?
「聖人笹井中尉伝説」でも書いているのか?
と思ったらば

我々にとってかれはほとんど伝説になりつつあった。
原文 To us he became almost legendary.



・・・・・・・・・・orz


してるよ。伝説に。


男たちは笹井中尉の実績を見ていたから、かれのためにも恥知らずな戦闘をする輩は
殺しかねなかったし、この若い士官に対して永遠の忠誠を誓っていた。

ある晩、我々は笹井中尉が病院に入って行くのを見て不思議に思ったのだが、
かれは浮腫のため痛みが容赦なくその肉を苛んでいるある搭乗員の傍らに
付き添っていたのだった。
誰もそれが伝染性のものであるとも何とも云えず、ただそれは恐ろしかった。

しかし、その不運な男を覗き込むようにしていたのは、笹井中尉だった。

かれのため睡眠さえ犠牲にしていたのは、笹井中尉だった。

かれを力づけていたのは、笹井中尉だった。



この奇病に罹った搭乗員には全く申し訳ないのですが、
最後の三行でエリス中尉、吹き出してしまいました。


しかし、何故ここまで笹井中尉が神格化されたかというと、坂井さんの語ったエピソード
「看病をしてくれた」
「マラリアの薬を率先して飲んだ」

この二点を元にした壮大なる解釈によるものなのですね。

因みにマラリアの薬を率先して飲むエピソードは、どちらかというとユーモアを交えて語られ、
微笑ましいものとなっているのですが、この「サムライ!」によるとこうなります。

笹井中尉はキニーネをこっそり捨てている男たちをまるで子供のように扱った。
かれはその猛烈に苦い薬を口に入れ、噛んで見せた。
普通の人間なら我慢できずに吐いてしまうところだが、笹井中尉はそれをしなかった。
キニーネの苦さに文句を言う上官はいても、
笹井中尉のようにする上官を誰も見たことはなかったのだ。

二人きりの時に、私は笹井中尉にあんなありえない方法で薬を飲んで見せることが
なぜできるのかを尋ねたことがある。

「俺を偽善者だとは取らないでほしい」

笹井中尉は静かな口調で説明した。
「俺だってみんな以上にあんなものはご免こうむるよ。
しかし、俺の部下をマラリアにならせるわけにはいかん。
実は、あれは俺が幼い時に母がしてくれたやり方でしただけだ」


偽善者だなんて誰も思いませんとも。
少なくとも坂井さんは「頼まれたってあんなことはごめんだ」って言ってますが、
笹井中尉の気持ちはみんなに伝わっていますよ、きっと・・・・・。(涙)


よくマンガや小説で書いているうち
「キャラクターが独り歩きしだす」
ということがあるそうです。

作者の当初の意図とは違った方向に人格が育って、思わぬ展開になってしまうことをいうのですが、
作者の広兼憲史氏によると、「島耕作シリーズ」の主人公島耕作もそうらしいですね。
最初は調子のいい普通のサラリーマンだったのに、だんだんヒーロー化して大会社の中枢に躍り出る。
全く当初の作者の意図とは違った展開なのだそうです。

創作された人物ならともかく「実在の人物」でありながら、
明らかにマーティン・ケイディンの描く笹井中尉は人格を得て独り歩きしています。
またいずれ別の日に御紹介しますが、たとえば西澤廣義などにもかれは思い入れがあったようで、
我々の全く知らない西澤飛曹長がそこでは生き生きと?命を得て活躍しているのです。


もしかしたら、これらの「キャラクター」に筆者はかなり惚れこんでいたのかもしれません。






井上校長の第二種軍装

2010-10-21 | 海軍人物伝

元海軍大尉とお話ししたときのことです。
大尉が海軍兵学校生徒だったとき校長をしていた井上成美海軍大将の話になりました。
そのときに元大尉が言うには(校長職は)


「まあ、いわば左遷職ですね」


「またも負けたか第四艦隊」
当時兵学校では節をつけてこのようにその敗北が揶揄されていました。
ウェイク島攻略、珊瑚海海戦に失敗し、自らも
「本当にいくさが下手でした」と言ったという井上大将が、
兵学校の校長を拝命したのは1942年10月。

(ただし、戦後そう語った井上氏はその後
『・・・・ということになっております!』と一言付け足したそうです。
状況から考えて井上大将の采配だけに問題があったかを疑問視する説もあり、
この場合の戦果は個人の能力ではいかんともしがたかったのではないか、
とだけ個人的な感想として言っておきます)

実際には左遷であったのかもしれませんし、本人も最初は戸惑ったようでしたが、
井上校長は兵学校の校長職を非常に気にいるようになります。
「校長なら何年やっていてもいい」と周囲に語っていたといわれ、
また1944年に海軍次官になったあとも
「私は中央より江田島が合っている」と、校長への復帰を頼んでいたといわれます。

「居眠りの達人」の日に、居眠りしている生徒が後ろからつつかれて不機嫌に振り向いたら
校長が立っていた、という話をしましたが、職務熱心な井上校長は校内をまめに見周り、
生徒の様子をつぶさに観察してまわりました。

「海軍の頭脳」とまで言われた学者肌の井上成美の本領は、戦闘司令官としてより
教育者であることでより発揮されたとする説もあります。

着任の当初、井上校長は生徒の様子を観察した結果、
皆何かに追われているような余裕のない様子であることに気づきます。
その生徒の様子を「前科三犯のの面構えだ」といい、
生徒を硬直させている伝統的な慣習から彼らを解き放たれるべく
「もっと遊ばせてやれ」と指導します。


このような井上校長なりの改革後しばらくたってから、
陸軍士官学校の牛島満校長が兵学校の見学に訪れ、このような感想を漏らしています。

「ここの生徒は可愛い顔をしているね。
俺んとこの生徒はもっと憎たらしい顔をしているよ」


憎たらしいて牛島校長・・・・・・。

井上校長、「生徒の服装が違うからでしょう」と謙遜しますが(謙遜になってない)
内心、さっそく効果がでてきたわいと喜びます。
ちなみにこのとき、生徒館においてあったピアノを生徒がかわるがわる演奏するのを見て
牛島校長は陸士との雰囲気の違いに驚いたという話もあります。


井上校長が軍人教育ではなくジェントルマン教育をモットーとしていた、
というのは有名な話ですが、それは同時に人格教育でもあり、たとえ戦闘をするのであっても
人格の優れた人間でないと部下はついてこないという信念でもありました。

「直角定規」「蒸留水」
井上大将を言いあらわす言葉は、ときとしてその融通のなさ、面白みのなさ、
今でいうところの空気の読めなさを批判したものが多くあり、
その原因のほとんどは井上大将の直情径行からくる言動から来ているようです。

因みに直情径行をあらためて辞書で引くと
「相手の思惑や周囲の事情など気にしないで自分の思った通り行動すること」
とあります。

そのとおり井上大将は、信念を強く持つ人にありがちな衝突を
周りと起こしていたきらいがあったようにも見受けられます。
(同期でよく言う人がいなかったのは、もしかしたら「戦下手」にもかかわらず、
そして本人の意志ではなかったにもかかわらず、
たったひとり大将に昇進したということと無関係ではないかもしれません)


ともあれ、信念の人、井上校長はかれの教え子たちを心から愛する教育者でもありました。


昭和18年、当時三号だった74期の赤帽(泳げない生徒の印)生徒が水泳訓練中溺死する
という痛ましい事件がありました。
個人の運動能力や体力を時に無視するような兵学校のスパルタ式訓練では、
このように時おり人命が失われるという事故が起こったもののようです。

亡くなった生徒が横たわる病院の通夜室に弔問に訪れた井上校長を、
52期の福地周夫中佐がこのように書いています。

校長は副官を従えて室内に入り、遺体の前に直進され、焼香も何もせられず、
生ける者に対するごとく
「許せー!」と叫ばれた。
そして悲痛な顔をして、すいと室を出て行かれた。
校長は日ごろ謹厳な顔をしておられたが、
このときほど恐ろしい、悲痛な顔を見たことがなかった。



この生徒は、夏休みが終わり帰校した次の日の八月十日に無くなりました。
その翌日から、井上校長の姿が遊泳訓練開始から二時間の間、
海岸のおもて桟橋に見られるようになりました。
校長は炎天下の直射日光にさらされながら白の第二種軍装を着てそこに立ちつくし、
訓練を終えて全員が陸に上がるのを見届け続けました。


それが毎日だったので、教官にも生徒にも誰の目にも印象深く残っている。
ただ、そのような井上校長の心を知る者は、ほとんどいなかった。
私も全く知らず、
(この暑いのに校長は、よくあんな姿で立っていられるなあ)
と遠くから見ていただけだった。



その前任であった草鹿校長が生徒から「仁ちゃん」と呼ばれ親しまれていた理由の一つに、
たとえば水泳訓練のときには褌になって生徒と一緒に泳いでいた、というような
かれの根の明るい性格があったようです。

親の心子知らずとはよくいったもので、井上校長が二種軍装で桟橋にに佇むのより、
草鹿校長が一緒に泳いでくれる方が生徒の受けはよかったようです。

「二種軍装で表桟橋に立った井上さんは双眼鏡でなく、
片眼で見る望遠鏡であちこち見ていたが、なんかイヤな気がしたな」

当時七十二期だったある生徒の感想です。


どちらも、当人にはそうとしかできないやり方であったと思われるのですが。



戦後、公職につかず、人の助けを断って貧困の生活に甘んじた井上大将でしたが、
それを耳にした兵学校の教え子が助けの手を差し伸べます。
やはりそれを最初は断った井上大将に対し、深田秀明元中尉はこう言います。

 「子供が立派に成長して小遣いを持って訪ねてきたのに、
それを受け取らない親父がどこにいますか」


 この一言に心を動かされ、元校長は好意を受け取るようになりました。
しかし、その死後、その預金通帳はほとんど手つかずのまま残されていたそうです。

帝国海軍最後の大将は、その最後の日、ふらつく足で庭に出て、
長い間冬の海を眺めていました。

臨終の言葉が
「海が・・・、江田島へ・・・」
だった、というのは本当だったのでしょうか。




参考  井上成美 阿川弘之著 文春文庫
    海軍兵学校よもやま物語 生出寿著 徳間文庫
    反戦大将 井上成美  生出寿著 徳間書店
    ウィキペディア フリー辞書
    広辞苑



誰がうまいこと言えと

2010-10-20 | 日本のこと
えー、画像を見て
「柳腰外交のどこがうまいんだ、と思われたあなた、もちろん違います。
楊貴妃とセンゴク(に見える?)について御存じない方のために説明しておくと、
尖閣問題における中国人船長の釈放について
「弱腰外交」と野党議員に非難されたとき、
「弱腰ではない。しなやかに、したたかに、いわば柳腰外交だ
といって
「どや顔」(してやったりと言う顔)をしたんですね。

この老人臭が画面から漂ってきそうな団塊オヤジが得意げに
「しなやかにしたたかに」
を何度も何度も得意になって繰り返すのには全く辟易しましたが、次の国会でさっそく何人かの自民議員に反論されましたよ。

鴨下一郎議員は広辞苑の解をしめし、

「柳娘すなわち美人のたとえ。そんな意味など無い。
中国を相手にことが起こっているのに、全く馬鹿にされるために言っているとしか思えない。
撤回してください!」

センゴク大臣、
「中国ではどうかわからないが私は日本語の『しなやかでしたたか』と言う意味で使った。
絶対に撤回しない!」

「いったいあなた、インターネットで(ここで与党のすごい野次)なんて言われてるか知っていますか?
『センゴクおねえ』ですよ!
間違ったんでしょう?
今からでも撤回してください!」

「私はしなやかに(以下略)
・・・・・・・・撤回しませんっ!!!


       
       ( ゜∀゜)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \





うまいこといってやったつもりが、あちらこちらから間違いを指摘され、その都度
例の「しなやかにしたたかに」を振り回して抗弁していましたが・・・・

いや、こんな老人、いるよね。
間違いを意地でも認めない。
非難されるとキレて反論。
こじつけて理論が破たんしても大きな声を出せば通ると思っている。
絶対に舅や上司や先生にはしたくないタイプ。

ところがびっくり、こんな老人が政府官房長官だってんだからね。


さて、記者会見で柳腰を撤回しないのかと質問されたセンゴク官房長官。
理由を問われると、なぜか1905年の日露戦争の講和条約「ポーツマス条約」について5分間も独演したのです。

「ロシアから賠償金も取れずに条約を結んだのはけしからんといって日比谷公園が焼き打ちされる大騒動に発展した。(衝突事件でも)釈放や逮捕だけ取り出してどうのこうのと声高に叫ぶことはよろしくない」

これを産経新聞は「奇妙な結論」と切って捨てていますが、
センゴク大臣、さらに

「国際連盟を脱退してきた日本代表に国民は喝さいを送った。
しかし史実はあの通り。
焼き討ちにあった小村寿太郎は・・・」
と自分を小村寿太郎になぞらえ、さらにそれを
「厚かましい」
と非難される始末。

ああいえばこういう、この往生際の悪さは、まさに柳に風。
これを以て「柳腰」というのならまだ納得もしてやろうぞ。
・・・・というより蛙の面に水、としか思えないんですけど。

しかし、これを報じた産経新聞のことを
「ここでは控えますが憤懣やるかたない」
と言って
「憤懣やるかたないって・・・全然控えてなんかいないじゃないですか。」
と嘲笑される。

どこの子供の喧嘩だよ・・・・・。



指名されてもいないのに手を挙げて出てくる(委員長もグルね)、必要以上に関係ないことを時間をかけてしゃべり、ついには山本一太議員に

「呼んでもいないのに勝手に出てきて質問に逆質問とかしないでくださいよ(怒)!」

と言われていたのですが、
何しろこの内閣、筋金入りのアマチュア政権でございますから、
全員批判されるのが大嫌い。

管―イラつく、前原―キレる、蓮舫―ふてくされる、岡田―フランケンシュタイン、
もう、記者会見にもなると全員がキレまくり。

石破茂議員は言いましたよ。

「批判されるのが嫌なら議員なんかやめてしまえばいい」

全く以てその通り。
みなさんあれね、批判する生活が長すぎて、批判され慣れていないのね。

さて、本日自民党丸山和也議員の質疑がありました。
まるで関西芸人の独演会を聴いているような語り口のまま、事件後センゴクと電話で話したことを暴露してしまったのです。

「何故法に則って粛々とやらないんですか?」
そんなことをしたらAPECが吹き飛ぶから」
という言質を取ったんだそうですが、平然とそれに対して

「全くそういう会話をした記憶はございません」

・・・政治家って言うのは、ほんと、普通の神経の人間にはなれないわ。

丸山議員はその、巻き舌べらんめえ大阪弁で、山崎豊子ならば
「ぬるりとした」
と表現しそうなひょうひょうとしたしゃべりのまま

「柳腰外交と言う言葉自体はまあ、いいでしょう、
ただ、今回(中国人船長を)起訴し、法に粛々と処罰することのどこが調子に乗った、気負った行為なのかと思うんですよ」

さらに、まさにそのとおり、と思ったのが

「このようなことが続くと、国内の閉塞感をあおるばかり、
諸外国に対する卑屈さをいたずらにあおり萎縮してしまう。
健全な覇気というものが損なわれる」

という意見でした。



「国際的には『お怒りはもっともですが、日本の国内法ではこうなっているんですよ、すみませんね』と柳のように腰をかがめながら腰を低くして、粛々と処罰すればいいじゃないですか。
これがほんとの柳腰外交でしょ?
いきなり折れてしまったら柳のしなやかさがないんじゃないですか?」

うーん、誰がうまいこと言えと。


この実にいい味を出している(こちらの方がずっと)したたかな丸山議員がパネルで示した西郷南洲の遺訓です。


「正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かるべからず。
彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順する時は、
軽侮を招き、好親かえって破れ、終に彼の制を受けるに至らん」



彼の制を受ける・・・・

丸山議員が暴露した事件以降の電話での会話によるとあなたが
「もうとっくになっている」
とおっしゃったという「日本=属国」のことですね。
仙谷官房長官。









省エネ、省スペース

2010-10-19 | 海軍

「映画としての男たちの大和」の日に、最後の仲代達矢の敬礼が海軍式じゃなかった、という話をしましたが、画像上半分に陸海の敬礼の違いを描いてみました。
正確に言うと、陸軍式は肘を90度に曲げ、さらに手のひらを相手に向けます。
海軍式となると、角度は45度。
海軍兵学校の校内には、ひとの背の高さに45度の角度で棒を生やした?「敬礼練習機」のようなものがあったそうです。


海軍式の敬礼についてもう少し詳しく説明します。

右手を右斜め前方から上に曲げ
揃えた指の食指と中指の中間が
帽子のひさしの中央から幾分右寄りのところに、
水兵帽であってもペンネントの下線の同じ位置に当たるところに挙げ
掌(たなごころ)は内側に向けて
相手に見えないようにする



これを読みながらつい敬礼の練習をしてしまった人、
あなたは仲間です。

さて、では海軍式を海軍式たらしめているその基本原理とは何か?
という考察をしてみたいのですが、一言でいうと

「艦船(ふね)は狭い」

ということに起因する合理性なのですね。

そう思ってみると、海軍式だと狭い場所で敬礼しても隣のひとにエルボースマッシュをしてしまう心配はなさそうです。
その「男たちの大和」で、ジョンベラ軍団が最初にフネに乗りこむとき、
「艦内では朝食後から夕食まで個人間の敬礼は省略!」
と最初に言い渡されていました。
狭い艦内で一日に何度も顔を合わせることを考えると、それを規則でちゃんと省略することは艦内生活において大切なことだったということです。

画像下は万歳の仕方の違いです。
陸軍式は普通の万歳ですが、海軍式は声だけの万歳が多かったそうです。
しかし、「男たちの大和」では総員万歳三唱を手を挙げてしていましたし、先日参加した海軍関係者の集まりでは、皆さん何のためらいもなく手を高々と上げておられました。
挙手省略のところばっかりとは限らなかったのでしょうか。
挙げてはいけないところでつい挙げてしまう人もいたようで、画像のジョンベラくんは、思わず手がぴくりと動いてしまっています。

省スペースといえば、兵学校の食事は左手を使わず右だけで食べさせられたという話があります。
これも狭い艦内での食事を前提にしているからですが、だからといってフルコースディナーのときにそう言った癖が出ないように、ちゃんとテーブルマナー教室も行われました。
(「海軍兵学校のテーブルマナー」参照)
それに、パンは食いちぎってはいけなかったので、そのときは左手も出してよかったようです。



海軍では「おはようございます」を「おおす」
「願います」を「ねえす」
と、省略していた、という話を先日しましたが、この「言葉の省略」もまた、もしかしたら何でも4文字あるいは2文字に縮めてしまう日本人の習性は海軍発祥ではないかと思われるほどです。

主計長は「シケ」
先任参謀は「セサ」
キャプテン・オブ・ザ・ガンルームは「ケプガン」

あるいは小型の練習用模擬砲のことを「子砲」とかいて「ねほう」
水雷戦隊の旗艦に対する駆逐艦や潜水母艦に対する潜水隊を「子隊」と書いて「ねたい」

なぜ、「こほう」「こたい」ではないのかはなぞです。

自然発生的に縮まったというより、より合理性を求めて上の方でそう呼ぶことを決めた、という感があります。
よその艦では全然話が通じなかった、では具合が悪いからでしょうか。

さて、狭い艦内ゆえ「省エネ、省スペース」が基本だった海軍ですが、それを以て礼儀や規律に緩みが出るということではありませんでした。
省略が定められたのは合理性でもって線引きをどこかでしなければ枝葉末節によって本来の目的に支障が出るためだったからで、逆に定められていないところでは最大限の敬意を払うことが求められたということの裏返しです。

ただ、海軍は一般に陸軍式の形式的で大仰なあれこれを「スマートでない」と揶揄していたようで、つまり、船乗りのモットーの一つであるスマート=因習にとらわれない合理性と解釈していたように思えます。

さればこそ、海軍という「海の上で戦う軍隊」には、陸軍とは決定的に異なる部分もありました。


御召し艦「比叡」甲板上でのこと。
甲板上には胸一杯に勲章をつけた陸海軍高級将校が陛下御乗に備えて三々五々佇んでいました。
時まさに水兵たちが張り切って甲板掃除の真っ最中。
そのとき清掃を指揮していた一等水兵が大将に向かって
「長官、そこ、お願いします」
と叫びました。
水兵たちが海水を流した後ブラシや掃布で駆け抜けるように掃除していくのですが、大将が今から掃除しようとするところに立っていたのです。
おおよしよし、とばかり水のないところに飛び移った艦長でしたが、横にいた陸軍中将は

「今私は今恐ろしい光景を見た・・・・」

とつぶやいたそうです。

それが筋の通った判断であれば、たとえ艦長でも兵の指示によって行動する場合もある。
艦(フネ)という特殊な場所では、ときとして気付いたものが声を上げ指揮をとることが、運命共同体でことに当たる同士にとっては最も迅速で無駄を省いた行動形態だからです。

これも「命令系統の省エネ化」と言ってもいいでしょうか。
しかし、こういった海軍ならではの合理性は陸軍の軍人には全く理解できないものだったようです。

件の陸軍中将は
「陸軍では下級のものが長官に直接話をするだけでもとんでもないのに、しかもそこをどいて下さいとは」
と顔色を変えて、憤っていたそうです。

追記:

この話はあらゆるところで語られているらしく、今見つけた阿川弘之氏の「海軍こぼれ話」によると、上記における

大将は「東郷元帥」(ますます大物・・・)
中将は「奈良陸軍大将」
だったそうで、これを語った当時九〇歳の元中将から阿川氏が直接お聴きになったということなので、こちらが話の出元であろうと思われます。
因みに水兵は「そこの長官、ちょっとどいて下さい」
と言ったそうで、東郷さんは
「はいはい、ほいよ」
とよけたそうです。

「そこの長官」の名前を知らなかったのかもしれません。



参考:日本海軍のこころ 吉田俊雄 文春文庫
   回想のネイビーブルー海軍兵学校連合クラス会編 元就出版
   「潮気とユーモア」 家村行夫 光人社版
   日本海軍史 戸高(はしご高)一成 PHP研究所 





紅茶派、コーヒー派

2010-10-18 | つれづれなるままに
うふふ、先日の国会予算委員会、見ましたあ?
法務大臣がうっかり
「(中国人船長の釈放については)検察庁に私たちが指示しました」
って言っちゃってますよ。
この人、失言しないように一生懸命原稿を棒読みしていましたが、質問に答えるうちについ枕に自分の言葉を挿んでしまったのね。
正直な人なんでしょうねえ。

今や影の総理、老害仙谷由人は、天下りの実態とその弊害について批判して以降「苛め」にあっていることを国会で証言した官僚に
「将来がある方なので惜しまれる」
ってあらためて恫喝しちゃうし。
いやあ、何と言うかやくざ体質が隠しきれなくなってきてません?
これ、つまり
「将来潰されたくなかったらみんすのヤヴァイこと証言すんなよ」
っていってるってことでしょ?
だいたい、「天下り根絶」ってあんたらのマニフェストになかったですか?

それにしても、最近はどんなお笑い番組より笑える国会中継。
テレビも、低視聴率にあえぐならゴールデンタイムにこれを流すべき。
もっとも、これが後味のいい笑いかと言うと、全く別の話ですが。


さて、今日のテーマです。


紅茶派、コーヒー派。
なぜ「派」なのか。
どちらも好き、という人はいないのか、と思って生きてきた
「どちらも派」
のエリス中尉です。

・・・・・同じ文章を最近書いた気が・・・デジャブかな。


ある女性がお見合いのときにコーヒーを注文したんだそうです。
すると、イギリスの某有名大学卒の肩書きを持つ体重1トンの相手の男はいきなり
「どうしてコーヒーなんだ。こんなとき女性は紅茶を頼むものだ」
と怒った、というのです。

その一言でお見合いは破談。
当然向こうも紅茶を頼まない女性はお断り、と。

なんか変な話だしこの高学歴1トン男もロクなもんではなさそうですが、
「見合いのとき女性が飲むのはミルクティー」
というイメージは確かにありますよね。

片やコーヒーのイメージ、といえばジャズの名曲「ブラックコーヒー」
を思い出します。


ひどい孤独 一睡も出来ない

部屋をうろついてはドアを見つめる

ブラック・コーヒーを飲む

恋なんて使い古しの箒のようなもの

私は日曜なんて知らない この部屋にいるから


自分の影を相手におしゃべり 夜中の1時から4時まで

コーヒーを飲み煙草を吸う なかなか過ぎない時間


(Black coffee エリス中尉:訳)


このダークなイメージが、コーヒーのそれではないでしょうか。


昔知り合いが
「コーヒーや煙草する人って、なんか『悪』ってイメージだよね」
と言ったのに、単純な表現ながら感心した覚えがあります。
ささやかな悪徳、と呼ばれたりもします。
確かにこの曲の歌詞におけるデスぺレートな空気に煙草とコーヒーは似合います。


男は恋を追い求めるために生まれ
女は泣き暮らすために生まれる

そして後悔をコーヒーと煙草で紛らせる



そんなアングラ的雰囲気に憧れた若き日、何を隠そうエリス中尉もコーヒー派でした。
大学近くの喫茶店、終電までコーヒー一杯でねばって、芸術や読んだ本について語るというあのときでしかできない壮大な時間の無駄遣いをよくやったものです。
そういえば、サルトルやドストエフスキー作品を全部読破したのもあの頃でした。

しかし、時は流れ、アンダーグラウンドといえば私的には底の底ともいえるミュージシャン生活を経て、
「私の本質ってもしかしたらアウトローではないんだわ」
と堕落いや、大人になった今となっては、たかが飲み物に思想を持つこともなく、美味しい紅茶が何よりもの好物となっています。

若いころ、自分にまつわるものの全てに何か思想を絡めたかったのはなんだったのか、と改めて今考えると不思議な気すらします。
形而上と形而下のバランスに必要以上に拘泥していたっていうか。

冒頭画像はエリス中尉御用達マリアージュ・フレールの量り売り紅茶葉。
お店に行くたびに買うのが

「マルコ・ポーロ」
「ウェディング・インペリアル」

マルコはフラワリー、ウェディングはヴァニラ系。
ミルクティーに合います。

先日買ったのはこれに加えて

「アメリカンブレックファースト」

これは、名前とは裏腹に、ヴァニラ+ナッツの甘い香り。

このように、行くたびにお店の人に(なぜかここの店員さんに女性はいません。男前の男性店員ばかり。何故でしょうか)好みのフレーバーを推薦してもらいます。

画像の紫の缶は

「ルージュ・ドトンヌ」(赤い秋)

と言う新作で、この日お奨めされたもの。
マロングラッセのフレーバーなんですよ。



グラムで買ってきて、詰め変えます。

いろいろフレーバーティを試しましたが、このマリアージュ・フレールのものが一番美味しいように思います。
あ、紙パックの紅茶など論外よ。
ちなみにこれはフレール兄弟の意。パリに本店があります。
一度お茶を飲みに行ったらソムリエのような
「茶ムリエ」と言うべき人がいて、好みを聴いてお茶をえらんでくれました。

さて、ダークなイメージと言いきってしまったコーヒーですが、スターバックス登場以降、あまりそういったふた昔前のアングラ的なものではなくなってきました。

コーヒー店で禁煙。
これが成り立った、ということが日本の喫茶店史を変えたとも言われています。
確かに、タバコのにおいとセットでないと楽しめなかった「外コーヒー」が可能になったという意味ではスターバックスは(スタバじゃないのよ皆さん)偉大な功績を残したと言えましょう。

コーヒーも上手く入れれば「ブラックでも甘い」というのをご存知ですか?
大抵は一流ホテルですら酸っぱいコーヒーを出してくるので、心ならずもカプチーノなどを頼んでいるのですが、これまで本当に「甘い」と思ったのは

「ホテルオークラ神戸のカフェカメリアで出すコーヒー」

今は知りません。少なくとも8年前まではいつ行ってもそうでした。
甘くてコクがあって、ミルクなど要らないくらいでした。
不思議なのですが、そのときルームサービスで頼んだら、全く違う「酸っぱいコーヒー」だったことで、いまだにカメリアのコーヒーだけがなぜあんなに美味しかったのか、謎です。

もちろん、自分で淹れてそんなレベルになるべくもないのですが、それでもときどきカフェラテを飲みたくなるので、この間ドリップ式のコーヒーを買ってみました。

いや、これ「ニッポンの隙間」のジャンルなんですが、この個別パック見て!
この画像にうっすら見える複雑な切りこみが開きます。

そしてカップの縁に引っ掛けてお湯を注ぐと。


誰?こんなの考えた人?
日本人って、何とも思わずこういう匠の技を日常に取り入れてるんですよ。
世界レベルで見て、これ、結構物凄いものに思えるんですが。


味は・・・・まあ、普通でした。













映画としての「男たちの大和」

2010-10-17 | 海軍
松山ケンイチくんのファンに「似てねえ!」と怒られそうな主人公、神尾克己の敬礼姿です。
「大和の設計図を貰う予定」と、タイタニックを貰った日に書きましたが、いつになるやらわからないものの、大和について知っておこうではないか、ということで、とりあえずこの映画から始めて見ました。
したがって、まだ大和について、一般常識の一歩も外に出ていない状態のまま、この映画の感想を書いてしまいます。
ご存知かと思いますが、これは辺見じゅん氏の「男たちの大和」が原作になっています。当然これもまだ読んでいません。その上での、純粋に映画として見た感想ですよ。

まず、配役。

海軍特別年少兵、この神尾克己役、松山ケンイチくん。(つい君付け)
いいですねえ。
テレビを見ないのでかれがどういう俳優だかさっぱりわからないまま映画を見ましたが、後から画像検索で金髪姿を見つけて驚きました。
「憑依型俳優で、まるでジョニー・デップのごとく役柄によって雰囲気が変わる」のだそうですが、この敬礼姿を見ても分かるように、ここではあくまでさわやかな好青年風です。
好みとかそういう以前に、かれは実に見るのが楽しい俳優ですね。
なんというか・・・目に快、という実に気持ちのいい作りの顔をしています。
くりくり坊主がまた恰好いいではないですか。

ただ、この醤油顔の少年が歳とって仲代達矢になるかなあ・・・。

この、いわゆる主役級の俳優が戦争映画で髪をそのままにしている、というの、なんだかしらけるんですが(君を忘れようって映画ですよ確か)さすがにジョンベラ軍団は潔く坊主です。
しかし、二等兵曹役である反町隆史、山田純大はイマイチ思い切り悪く五分刈りです。
大和艦長役の奥田瑛二が坊主にしているというのに・・・・。


この映画の主役は艦長でもなければ、士官でもありません。
年少兵であり、下士官です。
特に反町隆史が主計兵曹、というのがリアリティがあっていいかなと。

「出撃前の赤飯は一人前増やしとくわ」
「これ、芋ようかんだ。みんなに配れ。おまえの株も上がるやろ」


これを二枚目俳優が云うと、必要以上にかっこよく聞こえてしまうという不思議・・。

それから、臼淵巌大尉を演じた長嶋一茂。(ちゃんとだいい、と発音していたのでこれはよし)
激することもなく、いつも淡々と冷静に部下をさとし、歴史を引用しながら死に方を説く。
なまじ、「立派な体格のでくのぼう風(失礼)男前」であるキャラクターが、妙にこの分別臭い役にハマっています。
まるで、ちゃんと計算して演技をしているかのような・・・。
と、事実を知らず映画だけ観た人は言うでしょう。

しかーし。
臼淵大尉は海兵71期。
71期生徒はわずか9カ月で中尉から大尉に昇任しており、大尉といえど大和乗組みの時点でせいぜい二十二、三歳というところ。

あれ、二十二、三の顔ですか?

註:今朝調べたら、おそるべきことに臼淵大尉は十六歳で兵学校入学を果たした超秀才だったので、大和特攻のときはなんと

二十一歳

だったそうです。

ますます長嶋一茂ミスキャスト・・・・・・。


この映画の大和戦闘シーンは、映画中二回あります。
戦闘シーンで気付いたことですが「フィルムの回し方が速い」。
砲手たちが戦闘機の機銃で壁に叩きつけられ、あるいは砲座からそのまま転がり落ちる。
従来の映画でスローモーションを多用する、特に主役クラスの戦死や負傷のシーンも普通よりフィルム速度を速くしているのか、時として誰の戦死か分からなかったりします。
スローモーションもないわけではないのですが、早回しとの間に挟み込む形でメリハリをつけています。

スローモーションの死に慣れた私たちの目にはむしろこの映像はリアルに見えます。
実際、大和の甲板には血糊が10センチ溜まったといわれていますが、血しぶきの扱いも映像専門的にどう違うのかうまく言えませんが、実に真に迫って見えました。


さて、この映画の製作時、広報スタッフは内容が旧日本海軍を賛美するものであるという抗議の声への対応に忙殺されたそうです。

どういった層がこのような抗議をするのかは大体想像がつきますが、戦争を賛美するのならともかく、命を捨てて戦った戦士たちを賛美して何が悪いのかという個人的な感想はさておき、どう左寄りから見ても、この映画のテーマは「反戦」であり、大和の最後を悲壮に描く以外の何の意図もないと思えます。


この映画は邦画としては空前絶後の予算25億円がかけられました。
(ちなみにタイタニックが200億円、アバターは230億円です)
そのお金のかかったCG映像とセットをやはり中心に据えざるを得ない、という縛りのせいか、戦闘シーンがいつも巨大な戦艦の上のごく一部。不自然です。
そして「反戦」にこだわるあまり、どうしても登場人物の描き方が表層的にならざるを得なかった感は否めません。
まず、「靖国」という言葉が一言もないのは当時の戦士たちの覚悟を思うと実に不自然です。
各方面に気を使う余りでしょうか。
そして、破滅に突き進む総員の絶望のみを強く描き過ぎのような気もするのですが、まあ、このへんが今の戦争映画の「落とし所」なのかなあ、と。



それから、海戦シーンですが、まるで大和だけで戦っているようなんですよねこれが。
他の艦がちらっとも出てこず「壊滅した」の一言で片づけられてしまうのはどうよ、というのが個人的感想その二。


音楽はやっぱりというか何と言うかの久石譲。
ケチをつけるつもりは毛頭ありませんが、ときどき、いやーそれ、合ってないんじゃない?というハズシがあるのが特徴です。妙に音楽が目立ちすぎるというか。
これは、音楽関係者だけの感想かもしれません。
しかし腐っても世界のヒサイシ、(これも失礼すぎる)映画界の今やオンリーワン、いやオンリーツーのうちの一人。
さすがの安定感でメインテーマの悲壮感はピタリと大和の悲劇的な最後にはまります。

それにしても、今の映画音楽界には久石とハンス・ジマーしかおらんのか。


もうひとつ。

川添二等兵曹役を演じた高知東生は、実際に大和に乗艦していた生存者から海軍の所作や儀礼、高角砲弾の持ち運び方の指導を受けた時の事を取り上げ、「当時を思い出されたのか、涙ぐみながら指導して頂いた事は私の役者経験の中で一番感動した事でした。」と語っています。

(これを読んで、おお高知東生、いい役者根性しているじゃないか、と見直したのですが、どこに出ているのか最後まで分かりませんでした(^_^;)どんな役してました?)

海軍式敬礼、というもの一つとっても実際の海軍出身者から演技指導を受けていたのですね。
この松山ケンイチくんの敬礼も、他の出演者の敬礼も、注意して見ると実に「海軍風」。
そうでない「現代」のメンバーが最後に海に向かって敬礼したとき、見事に三人が三人とも「陸軍式」の肘を張るやり方だったので、あらためて実際の元海軍の演技指導が乗組員を演じた役者には徹底していることに気付いた次第です。

それはいいんだけど、神尾克己の老後という設定なんだから、あの敬礼はまずいのでは?
仲代達矢が偉すぎてだれも所作指導できなかったってことでしょうか。






ニッポンの隙間

2010-10-16 | つれづれなるままに


夏の旅行でアメリカ航空局荷物積み込み係に引きちぎられ、保険で修理したヴィトンのトランクがようやく返ってきました。

ヤッホー。

心配した「取っ手だけ取って付けた感じ」はほとんどありません。
(お、はからずもシャレを言ってしまった)
御参考までに、この修理に3万9千円(税送料別)かかりました。

ついでに、割れていた横板を取り替えてもらおうとしたら
「型が古くてもう同じものが用意できません」という返事。
「うーん、東急ハンズにでも作ってもらいましょうか」
「そうですねー。それがいいと思います。その方が安いですし」
・・・・正直なヴィトン修理部のひとでした。

というわけで、久しぶりにハンズに行きました。
割れた板を持って行って、素材を選び、カットしてもらいます。
一番分厚いアクリル板1枚プラス加工代、しめて1800円。(^o^)
おおお、ヴィトンのひとはよくご存じだ。

こんな感じね。

さて、久々の東急ハンズ、たまに行くとまるでエリス・イン・ワンダーランド。
面白いものがいっぱいありましたよ。

その中で、わざわざ特設テーブルを出して紹介していた究極のすきま商品。


って、買ったのかよ。

はい、買ってしまいました。
これ、商品名「ポテチの手」
ポテトチップス専用マジックハンドです。
バイ・タカラトミー。

これが、よくできてるんですよ。
指先のアップです。

そして、この説明書には、まるでNASA開発の宇宙探査機のようなかっこいい説明がされているのです。

まずNBCS  No Broken Clush System 

「対象物破損防止クラッチ機能」


対象物・・って、ポテトチップス以外に何?

指の付いているところをご覧ください。
手元のスイッチを押すとマジックハンドのように指が閉じるのですが、そのタッチが
「チップスは確実につかむが柔軟性があり、決して壊さない」
絶妙な調整がなされているのです。

NTTS   No Touch Table System

「指先机上非接触機構」


指先が浮くように枕のような突起が付いているだけのことなんですが。
 ・・・・誰だこの説明書書いたタカラトミー社員は。

そして、この機能があったがゆえに購入を決心したという・・・・
はいっ、ドラムロール!
ダららららららrrrrrrrrrr・・・・

FECS  Finger Easy Cleaning System

疑似指先クリーニング機構っ!!


これ、写真の青いボタンを前後にちゃかちゃか動かすと、指先(この手のね)に付いたポテトチップスの塩をこすり合わせて落とすんです。


ァ '`,、'`,、'`,、'`,、( ゜∀゜) '`,、'`,、'`,、'`,、'`,、



「何のためにあるのか全く分からない商品」
「なくても大勢になんら変わりのない商品」
「おそらく一回笑われたらそれで生まれてきた役目を終えてしまう商品」
「しかし、それゆえつい手にしてしまう商品」

これを「隙間商品」と人は言います。
隙間。
英語で言うとベンチャーですね。
ベンチャービジネスというとなんだかチャレンジングな響きなのに、なぜすきま商品もベンチャーグッズと呼んであげないのか。
スキマ商品。カタカナで書くといかにも「要らんもん」的扱いです。
実際大抵は要らんもんなんですが。

まあ、FUSHIGI BALLを買ったエリス中尉には隙間商品をどうこう言う資格はありません。
(今回も買っちゃったし)

それにしても日本の隙間商品。
来るところまできています。
アメリカから来た友人は
「枝豆を剥いているような気がする疑似枝豆」
「ぷちぷちのような疑似ぷちぷち」
をあまりの馬鹿馬鹿しさに喜んで買って帰りました。

(それにしても・・・「ぷちぷち」が時間潰しになるのはわかりますが、これはおそらく日本人独特の感覚なのかもしれない、ってことをチリの落盤事故で穴に坑道に閉じ込められてい人に「ぷちぷち」を何の説明もなく送った人は少し考えてみるべきでしたよね。
ついでにこの期に及んで千羽鶴贈った奴でてこい(-_-メ)


おっと、話を戻して。
さて、この究極のポテトチップス食べ器ですが、今買うと小さなポテトチップス袋が付いてきます。
帰ってさっそく実験。
「おおおお?」
「おおおお~」
「すごい」
「うーん、絶妙のタッチ」
「これを開発するのに何枚ポテチ食べたんだろ」
「いやつかむだけだから食べないだろ」
「かじってみないとわからないこともあるから絶対いっぱい食べてるよ」
「タカラトミーの商品開発部の中のひと、もうチップス見たくもなかったりして」
「でもこれ手が汚れないからパソコンしながら食べられるね」
「おおお、塩払ってるよ~」
「かわいい~」

大盛り上がり。
それから一週間が経ちました。
その後ケースに入ったまま出番なし。



そういや、うちポテトチップス食べないんだったわ。